〜Iless〜
一度、生きようと決心したあの時から、俺はまたドン底へと落とされた。
不意打ちで背を刺され、意識を失い……なのに生きている。
願ってもいないのに。
どうせ足掻いた所でうまくなんかいかないんだ。
……………死んでいて欲しかった………こんな人生…………
「…………どうなってやがる」
おまけに刺された箇所の傷口は見つからない。
たしかに刺された記憶は俺の中にしっかりとあるのに、まるでそれが夢であったかのように身体は全くの無傷だった。
「それより………ここは一体………」
真っ暗の闇に包まれ、辺りからは物音一つしない。
肌に触れる空気はどこか生暖かくて、湿気も強いのがわかる。
フェルスティアの里の裏路地を転々としてきた俺だが、このような場所は知らない…
「まさか……何処か遠くに」
「ああ、そのまさかだよ」
シャーーーー!
「っ!?」
背後の方から聞き覚えのある声がかけられ、それと同時に勢いよく水が出る音がした。この出方は、シャワーの印象を受ける。
「君を拉致させてもらった……その途中、私の肩に君を乗せていて思ったことが、とても臭い。だからここで………」
パチッ
ブゥゥンッ
突然、この部屋の明かりがつけられた。
目が眩み、まともに辺りが見えない。
「綺麗にするんだよ、"元"浮浪者君」
「…………うぅ……」
視界のぼやけが徐々に解消され、ここが何処かわかるようになる。
白い壁に、シャワーが数台。
奥には大きな湯船もある。
ここは………大浴場だ。
「…………………」
やがて人影姿が見え、それは………やはり俺の背を刺した女だった。
シャワーを浴びながらこちらを見ている。
当然、全裸で。
俺はどう反応していいのかわからなくなってしまった。
「ひひっ、女の裸を見るのは初めてか?」
下品な笑みを向ける女。
「なんのつもりだ……」
「なんのつもり?うーん……そうだなぁ。とりあえず身体でも洗いながら話そう」
「………は?」
女から少し離れたところを指差され、そこには、使ってくれと言わんばかりにシャンプーやボディソープが置いてあった。
どうやら冗談ではないらしい……
奴も奴で、もう頭にシャンプーを付けて洗い始めている始末。
拉致されたんだよな、俺。
なんでこんなご丁寧にされる必要があるんだ。
シャンプー等に何かまずいものでも混ぜていたり……
「安心しろ、そこに置いてあるものは全て市場で買った新品だ。何も混入させてはいない」
………ますます謎だ。
では、俺が洗っている隙をついて何かしてくるんじゃ……………ん?
待てよ。
隙?
「どうした?早く洗え。話はそれからだ」
女は髪についた泡をシャワーで落としながら急かしてくる。
これが意味するもの、それは一つ。
隙を作るのは俺ではない。
今の女が隙だらけなのだ。
何も身につけない全裸の姿。
当然武器もない。
ここでやり合えば、腕っ節の強さで勝ちが決まるという事になる。
「わかった……洗えばいいんだな」
善は急げ。
俺はこの言葉を発すると同時に、女が下を向いている隙に背後に回り込んだ。
あとは後ろから飛びかかり、首を絞めて殺す。
こいつはどのくらい強いのかは知らないが、後ろから不意打ちでナイフを刺してきた奴だ。真っ向から挑んでも勝てるとわかるのなら、そんな真似はしない。
つまり、ここで俺が不意打ちを決めれば殺せる筈。
「………ふっ」
床を蹴り、弾むように急接近する。
視界には女の後ろ姿が明確に映った。
長く赤い髪はシャワーでペタッと背中に張り付き、頭からはひょこっと出ている獣耳、風呂椅子に座る尻から生えている短い尻尾。
俺はそんな姿の女に、目の前まで近づくと片手を出し背後から首を絞めようとした………が。
「まぁ落ち着けよ」
ゴォッ!
「が……はぁっ?」
腹に重い一撃が入り、激痛に顔が強張る。
一瞬意識が飛びそうになるも、目だけは閉じずに相手を睨んだ。
濡れた髪の毛に覆われた相手の顔は、何も驚いた様子はなかった。
ただ身体を捻らせ、向かってきた俺をいとも簡単に止めたのだ。
「相手を見誤ったな。悪いが私は強いぞ?」
余裕な表情で目を細めた女は、俺に更なる打撃を加えてくるかと思いきや、それとは間逆の行動をした。
腹にめり込まれた拳は俺の横腹を摩り、腰へ。
もう片方の手も同じく腰に当て、そっと俺を寄せ付ける。
「えっ……おい」
まるで我が子を抱きしめる母親のような動作だ。
次第に俺の肌と女の胸が直に触れ合うまでに接触する。
顔を真っ赤にした俺は動揺を隠そうとするが、それもむなしく女に笑われた。
「初々しいなぁ。本当に可愛い………名前……なんと言ったか?」
「アイ…レスだ、うわっわ………」
俺の名前を聞いた途端、いとも簡単に身体を持ち上げ、自身の座る風呂椅子の前に俺を置いた。
背後には女の裸があるという状況。
不思議な感覚に落ち着かなかった。
「そうかアイレスかぁ。可愛いアイレス………お前の身体を綺麗に洗ってやろう」
耳元で言われるその声は、とても美しくてどこか母性を感じる。
気をたしかにもたないと酔ってしまいそうなくらいに。
「お前の……名前は?」
シャンプーをつけ、俺の頭をゴシゴシしている女に名前を尋ねると、すぐに答えてくれた。「アヴィルだ」と。
裏路地での出来事を振り返ると、あの獣族がアヴィルという言葉を発していたのを思い出した。
そして、アヴィルというこの女に聞きたいことが山ほどある俺は、何から聞いていいのか戸惑っていた。
「ここはな、私達の組織、「アルヴァンジェロ」のアジトだ」
そんな俺の様子を悟ったのか、アヴィルは独りでに話し始める。
「アルヴァンジェロってのは、獣族の女性だけで形成された暴力団体みたいなもので、君が殺った男共はただ雇っただけだ。ちなみに、目的は獣族の繁栄」
「繁栄?」
「ああ、そうだ。この世界には色んな種族がいるだろう?アイレスのようなヒューマンや私達のような獣族。他にもエイダのような妖精なんかも……」
「知ってる……………エイダ……………そうだ、彼女は…」
「無事だよ。言ったろ? ‘殺しはしない ’と」
エイダ。
俺に生きる意志を伝えようとしてくれた妖精の子。
なんとか生きてはいるみたいだな。
「さて、話を戻そう。繁栄の話だが、この世界において獣族というのは、ヒューマンに比べ数がかなり少ない。何故かわかるか?」
他の種に比べ少ないとなると、考えられるのは対象とする種よりも病弱であったり、抵抗力が備わっていなかったり、後は…………
「寿命か」
「エクセレント!その通りだ。ヒューマンならば50.60まで生きていても不思議ではないが、我々獣族は精々30いくかどうか……」
ヒューマンの半分。
それならば繁栄を目的とするのも納得だ。
「こういうリスクを負った私達は、せめてその短い人生を後続に繋げようと、努力をする。その現れがこの組織だ。わかったか?」
「ああ……あと2つ聞いてもいいか?」
「ん?何だ」
「お前は……俺を刺したよな?」
「あぁ……刺したよ」
「何故傷が消えてるんだ?あの時の痛みや苦痛は忘れる事なく俺の記憶にある。なのに無傷なんて……」
「魔法さ」
「魔法………?」
また訳のわからんことを……
「いまのお前に説明したところでわからないだろぅ?まぁ回復させる魔法ってこった」
「回復の魔法……」
口ずさむ俺だが、言葉だけを知って意味がわかっていないのは何処かもどかしい。
「で?もう1つは?」
「妖精狩りってのは?お前達は違うんだよな?」
「違うな。……妖精狩りかぁ。あいつらはよくわからないな。ただ、妖精ってのは特有の体質を持っていて、死んでも身体は腐らないって言われている。それを狙って何かしようとしているのかもな」
「そうか………」
死んでも腐らない、か。
俺はあの裏路地生活をしてきて、他の浮浪者も目撃してきた。
皆俺のような子供で、死体なんかも………見たことがある。
それらは腐り果て、虫がたかり、野良犬なんかの餌になってしまうのだ。
「妖精狩りじゃないなら、何故エイダを殺そうとしたんだ?それに、俺たちを捕まえるような真似…」
「それは………段階を経て、今度教えてやる。な?」
この言い方………しつこく問い続けても絶対に教えてはくれないだろう。
声のトーン、語尾の力強さからして、俺は何か深い意味があるのだと悟った。
「それよりも、自分の心配はしないのか?」
ああ、そういえば……とどうでもいいように息を吐くと、アヴィルは少し驚いたのか、押し黙る。
「生きる意志なんてふざけた事を大真面目に言うエイダを見て、変われるものなら変わってやろうって考えになったが、現状これだろ?やっぱ報われないんだよ俺は」
だから生きるの死ぬのなんて大した事じゃないんだ、と心の中で呟く。
「ほぅ……だがなぁアイレス。死ぬ事への絶望はもはやないらしいが、苦痛への恐怖はないのか?」
「苦痛か……もう散々な思いをしてきたんだ。今更怖いものなんてない」
「ふっ……ひひひっ!そうかそうか」
相変わらず気持ちの悪い笑い方だ。
何か企んでいるな。
「まぁ ‘ アイレスは ’ まだだから、今は私個人の欲求を満たしてくれればいい」
「欲求?」
「あぁ………君の身体さ」
にゅるっ
「うっ…」
へその辺りを生ぬるくどろどろした液で塗りたくられる。
それは透明で、光を浴びるとキラキラと反射する。
何だこれは………
ボディソープか?
「髪の毛は洗い終えたんだ。次に洗うのは身体だろう?」
楽しそうに話すアヴィル。
俺の腹、背中、脇、脚を順に塗りつけていき、その度ぬちゃっという変な音が響いていた。
「何か………変だぞ。このボディソープ、大丈夫か?」
全身隈なく塗られ、俺は体の異変に気づく。
「ひひっ。身体が熱くなってきたか?」
熱を感じ、心臓の鼓動が激しくなっていくのがわかる。
明らかに今、何かされた。
このボデイソープは普通じゃない。
「だってこれは、私の唾液なんだから」
「っ!?」
「そう慌てるな。ちゃんと洗浄効果もある。ボディソープとしての機能は抜群だ。匂いもヒューマンのそれとは違ってむしろいい匂いだろう?」
言われてみれば、たしかに唾液とは思えないいい匂いだった。
甘い果物の香り……のような。
「悪いが俺にそんな趣味は……」
「ん?そんなのはどうでもいいんだよ。これは私の趣味だ。‘ まだ ’ 苦しくしないから、安心して私に身を委ねろ」
ぺろっ、と首筋を舐められる。
ビクついて反応すると、それに興奮したのか更に首周りを舐め回してきた。
ミミズのように這い、その度に声が漏れる。
「うっ……はっ……うぅ」
どうにかなってしまいそうだ。
意識が消えそうにもなる。
そして何だ……この妙な快感は。
身体に溜まった熱が股間付近へと集まり、なんだか変な感覚に……。
「や……やめっ……やめろぉ……」
この状況を終わらせるための単純な動作、例えば払い退けるために突き飛ばしたり、この場から走り去ったり、大声を出して助けを求めたり。
それが………できないのだ。
退けようと腕に力を入れるも、動かない。
逃げるべく、身体を捻らそうとも、思うようにいかない。
大声を出そうとしても、少量の声しか出ない。
「いい反応だよアイレス。堪らない…」
莫大な殺気。
……いかれてやがる。
何かとてつもなく暗い……10年以上浮浪者として生きてきた俺なんかより遥かに絶望的な何か。
本当にはかりしれないのだ。
体中に警報が鳴っている。
そいつは危険だ、今すぐに逃げろ、見るな、離れろ!と。
カプッ
「ひっ………」
追い討ちをかけるかの様に、首筋を甘噛みされる。
このまま喰いちぎられてしまうのではないかと、大量の冷や汗をかき、俺はとうとう発声することができなくなってしまった。
「ふー…ふー…ふー……」
身体が恐怖で怯える。
息も落ち着かず、まともに呼吸ができているのかさえわからない。
「すこーしだけ味見しても……」
……味見?
なんだよ味見って……喰うのか?
くそっ………
今更何を怯えているんだ俺は。
散々死にそうな思いをしてきただろう?
「ふー……ひー……ふー……」
俺は自問自答を繰り返すも、震えは止まらない。
何故殺気だけでこんなに怯えるのだろうか。
かつて首を吊って死のうとした俺だ。
死への恐怖などない筈なのに。
いや、待てよ。
ああ…………そうか。
「それじゃあすこし……」
大きく口を開けたのか、思いっきり息を吸い込むアブィル。同時に俺の肩を鷲掴みにする。
もはや俺は落ち着いていた。
これは死への恐怖ではない。
単純に…………
アブィルへの恐怖は死をも上回ったのだ。
「いっただっきま」
ガチャッ!
「アヴィル様!ヒューマンの群れがこちらに近づいてくるとの情報が入りました!………………あ………す……すみません!!」
アヴィルが俺の首に噛み付くその刹那の出来事だった。
シャワールームの扉が勢いよく開けられ、見たことのない短い髪の女の獣族が慌てて入ってくる。
「……いや、別に謝らなくていいさ。しかし……懲りないねぇ奴らは」
俺の肩から掴んでいた手を離すと、むくっと立ち上がりシャワーを流す。
いまや、先ほどまでの殺気は嘘のようになくなっていた。
「同感です。これから撃退に向かいますが、アヴィル様はどうされますか?」
よく見たらこの短い髪の女、凄く可愛い顔立ちだ。
アヴィルも綺麗な顔をしているが、それとは違った可愛らしい印象。
それでいて、露出している腕や足は引き締まった筋肉が窺える。
「そうだなぁ……折角アイレスや例の妖精ちゃんもいるんだ。二人を連れて行こう」
「はっ。ではジェディさんに話してきます」
最後にお辞儀をして、この場から去って行った知らない女の獣族。
「さぁてアイレス。これから君の同族であるヒューマン達の繁栄対象の確保と、哀れな死に様を見に行くよ」
「………くそったれ」
実際、同族が目の前で死のうがどうということはない。
現に俺は生きるための殺しは何度もやってきた。
ただ、それらはあまり思い出したくはないし、覚えておきたくもない。
人の肉をナイフで抉る感触は、思い出す度に吐き気を催す。
俺が戦闘中に笑うのは、あくまで勝つことが楽しいからであって、殺戮が楽しいわけではない。
なのに、わざわざ人が死ぬような場所に俺とエイダを連れて行くなんぞ、アヴィルはやはりいかれている…………。