【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)   作:家葉 テイク

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おまけ:逆さ吊りの人間の雑感

 そこは、人工的に構成された星空だった。

 光を一切通さない室内の空洞に瞬いているのは、空間に投影されたプラズマ式のディスプレイだ。そして、無数に散らばるそれの中心にある『それ』。

 巨大なビーカーの中に浮かぶ、逆さ吊りの『人間』。

 

『それ』は男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも罪人にも見える――ただの『人間』だった。

 

「………………フム」

 

 逆さ吊りの『人間』は、そのうちの一つのモニターを見ていた。

 そこには、複数の少女達が映っている。

 多くの少女に囲まれて、金髪碧眼の少女は幸せな表情で涙を流していた。

 一つの結末。

 ハッピーエンド。

 新たな未来の始まり。

 それを見て、『人間』はぽつりと呟く。

 

「順調に『収束』しているようで何よりだ」

 

***

 

第二章 失敗なんて気にしない Crazy_Princess.

 

おまけ:逆さ吊りの人間の雑感

 

***

 

『良いのかい、アレイスター』

 

 そんな『人間』に、中年の男のものらしき渋い声がかけられた。

 だが、具体的に誰かがいるというわけではない。『人間』の周囲に瞬く星光のようなモニター群の、その一つから聞こえてくるものだ。

 …………そのモニターには、一匹の大型犬――ゴールデンレトリバーが表示されていたが。

 そんな老犬は、のんびりとしながら言葉を続ける。

 

『極大の挫折を乗り越え、素養格付(パラメータリスト)の範疇を超えた成長を見せる少女…………脅威なし、経過観察に留まる、なんて結論で落ち着けてしまうのは……まぁ、善悪で言えば善だし、好悪で言えば好ましいのだが、研究者としては愚鈍だろう。一応、何かしらの接触を取ることでデータは収集しておくべきだと思うが』

「というより、今は必要ないと言った方が良い」

 

 老犬の言葉に、『人間』はあっさりと返した。

 

「それに、彼女の様子を見れば分かるとは思うが、アレは挫折を乗り越えたという性質のものではないよ」

『…………、……乖離性同一障害、か?』

 

『人間』の他人事のような言葉に、老犬の声色が少しだけ落ち込む。

 優秀な『木原』の研究者であると同時に、子供を慈しむことができる精神性を持つ彼だからこその反応だろう。

 

 乖離性同一障害による自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の変質実験、というものが存在した。

 平たく言えば、新たな人格を生み出すことで自分だけの現実(パーソナルリアリティ)に生まれる変化を記録する、という『木原』印の実験だった。

 しかし、この実験は失敗した。

 多重人格者となった能力者に、能力の強度(レベル)が上昇する現象は確認できなかった。むしろ、新たに生まれた人格は無能力者(レベル0)だったり、あるいは能力が使える人格が生まれたとしても、今度は元の人格の出力が低下する事例もあった。

 

 このあたりは、考えてみれば分かることだ。

 二重人格、と言ってもそれは新しい人格が無から生成されるわけではない。

 精神を一つのネットワークとした場合、耐えられない思い出を封じる為にネットワークの一部を封鎖することを、統合失調症。

 さらに封鎖されたネットワークが独立して動くことを乖離性同一障害――二重人格と呼ぶ。

 つまり、『第二の人格』というのは元ある脳内のリソースを割いて作り出されたもので、当然ながら『能力を使う元』が新しく生成されるわけではない。つまり、第二人格の誕生によって能力が強化されるのは『有り得ないこと』なのだ。

 

「乖離性同一障害というのは、簡単(デジタル)に言ってしまえば現実逃避が極まった形だ。新しく生まれた人格に、『自分が目を向けたくない現実を押し付ける』――という風にな」

『彼女の場合は、「拗れに拗れてしまった人間関係の修復」……そして、「断罪からの逃避」』

 

 レイシア=ブラックガード。

 自分の実力や財力を鼻にかけた、傲慢な令嬢。

 そんな彼女がここ一か月ほど見せた『不自然なまでの変化』は、こう捉えればしっくりくる。そういうことで、説明がついてしまう。

 彼女が見せた『新たな人格』が、いっそ自虐的なまでにあらゆる人間関係の歪みからくる苦痛を受け止めているのも、そう考えれば納得がいくのだ。

 

『……だが、その結果として「能力の予定外の成長」が生まれるほどの変化が彼女の内面で起きているのだとしたら――それはそれで、浪漫に満ちた研究価値がある』

 

 とはいえそれは、暖かい目線に基づく分析ではない。

 

『何せ、研究すれば素養格付(パラメータリスト)に縛られない開発の法則を導き出すことができるのかもしれないのだからな。公式を導き出すことができれば、学園都市の常識が捻じ曲がるぞ、これは』

「彼女の能力は素養格付(パラメータリスト)に記載されている限界を超え、既に超能力者(レベル5)の領域に近づきつつある。…………彼女自身が名付けた、本来なら届くはずもない『目指した理想』へと到達するのも時間の問題と言ったところか」

 

 たとえそこに、自殺を決意させるほどの極大の挫折や絶望が含まれているとしても――彼らはそこを斟酌したりはしない。それが、『科学者』という人種とでも言うかのように、あくまで冷徹に法則の研究を行う。

 ただし、『人間』はさらに奥に潜んでいる真実を見据えていた。

 

「……だが、話はそこまで単純ではないよ」

 

 声色の中に含まれている言葉を簡潔に表すならば――『期待外れ』、だろうか。

 

「アレは、恒久的な趨勢の変化を齎すことはない」

『…………なんだって?』

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『………………………………そういう話になるのか』

 

 老犬の言葉にも、失望の色が滲む。

 

「私の情報網――滞空回線(アンダーライン)などからは検出されていないが、〇と一だけの領域からはみ出た感知領域を経て世界を再演算すれば、綻びの余波のようなものは見える」

『世界のヘッダ、というやつか?』

「いいや、アレは所詮位相の問題だ。これはもっと根深い――『真なる外』、と言っても、君には分からんだろうが」

 

『人間』は呟く。

 その中には呟いてはいけない事柄も混じっているかもしれなかったが――不思議と、頓着する様子はなかった。

 どうせ後で帳尻がつく、と分かっているかのように。

 

「言うなれば、『世界の拡張子が違う』、と言ったところか。画像ファイルをテキストファイルで開けば、本来のカタチとは違ったものに見える。〇と一で世界を見るだけでは、異変にすら気付けないが。……しかし、〇と一以外の形で世界を見る術があれば、『本来のカタチ』を読み取ることは難しくない。アレの成長は、そういう類のものだ。激情による能力の成長については可能性こそあるが、彼女のケースからサンプルを入手することは難しいだろう」

『それで、そんな「イレギュラー」を前にアレイスター、君はどうするつもりなんだ?』

「どうもしない」

 

 その『人間』は、それこそつまらなさそうに答えた。

 

「アレは並行世界を恒常的に生み出す、生きる特異点のようなものだ。……ただし、並行世界というのは『異世界』とは違う。壁にかけられた無数の未来(ピン)のどこにゴム紐を引っ掛けるか、という問題でしかない」

 

 コルクボードをイメージすれば分かりやすいかもしれない。

 そこには横一直線にゴム紐がとりつけられていて、そのゴム紐の真ん中を引っ張って、でたらめなところでピンで留めてしまう。

 このときの、ピンに向かって通常であれば有り得ない、本来の場所から座標的に離れた方向に引っ張られている状態が――――有り得ない因子に支配された、本来の未来からかけ離れた可能性の時間軸が、『並行世界』と呼ばれるものの正体だ。

 

『…………そして、未来(ピン)に引っ掛けたところで、その「歪み」はいずれ均されてしまう、か』

 

 これもまた、コルクボードに留められたゴム紐のたとえで考えれば分かりやすいだろう。

 横一直線に伸びたゴム紐の『途中』をピンで留めたとしても、始点と終点が捻じ曲がらない限り座標は徐々に本来の位置に近づいて行く。つまり、『変わった未来』はいずれ元の未来に近づいて行き、そして完全に元に戻る。

『普通の未来』に『収束』していく、というわけだ。

 現に――上条当麻の記憶の破損は、当たり前のように達成された。

 そこを外してしまえば、未来は決定的に『有り得ない方向』へ捻じ曲がってしまうから。

 だから、そうはならないように、未来が『収束』した。

 

「並行世界ではなく、ゴム紐そのものを変質させる類の因子であれば、『プラン』の短縮に利用できる可能性も見出せたかもしれんが。…………アレは、生憎とそこまで大きな変革を世界に齎してくれるわけではない。アレが齎した変化が『乖離性同一障害』や『自殺未遂からの再起による偶発的かつ一時的な素養格付(パラメータリスト)の超越』と言った『当たり前の範疇』でも説明()()()()()()こと自体がそれを証明してしまっている。能力開発の面で彼女から得られるものは何一つないだろうな」

 

 つまり、『人間』はこう言っているのだ。

 何をやっても大勢に影響を及ぼさないことが分かっているものに手をかけても、そんなものは無駄にしかならない、と。

 

『フム。君のそういう遊びのないところはいささかいただけないが――――しかし、それならなんで()()()()()()()()()()()()()なんてした? 必要のないことなんじゃあなかったのか?』

「確かに彼女への干渉は必要ない。彼女の行動は一時的には変化を齎すが、最終的には『本来の形』に終着してしまう定めだ。……だが、それは言い換えれば、あらゆる歴史の歪みを『自分の行いごとまとめて均す』体質とも言えないか? 北欧神話の海の女神ランのような、歴史の趨勢に関与できない体質……よりは、多少乱暴だがな。……そしてそれは、『歴史の特異点に対するイレギュラー』にもなり得る。つまり」

 

『人間』はそこで初めて、人間らしい笑みを浮かべ、

 

「その特質については、上手く鍛えれば、存在するだけで歴史を捻じ曲げる『ヤツら』へのカウンターにもなる。…………それなら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 その口から、極めて分かりやすい『憎悪』を吐き出した。




ハナから説明する気ゼロな裏側ですが、鎌池先生作品を手広く読んでいる方ならどういう意味か何となく分かるかも……?

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