【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「…………舐めやがって」
その青年は、ぽつりと、憎しみすらこめて呟いていた。
否、彼は、青年というには若かった。二メートル近い体躯に、ペンキを頭からかぶったみたいに不自然な赤い髪。耳には無数のピアス、十指にはメリケンサックと見紛うほどゴテゴテとした指輪装飾という有様が彼の印象を大きく歪めているが、しかし彼の実年齢は一四歳である。
――ステイル=マグヌス。
その原因となるのは、彼が現在進行形で握りしめている手紙の主だった。
「あの女……」
何から何まで癪に障る女だった。
ステイルの矜持を無視して、インデックスに辛い真実を伝え、さらに彼女を、ステイルたちが解決すべき事件に巻き込んだ。
それで、状況が悪化したなら迷いはいらなかった。
彼女が恩着せがましい言動をとっていれば、それで関係性が決まった。
しかし実際には、状況は劇的に改善し、インデックスとの関係性は明確に良好になった。今でも、たまに手紙が届いてくるほどだ。まだ少しぎこちないが、これからゆっくり時間を重ねていけば、きっとあの頃と同じ――ではなくとも、彼女の傍に立つことができるだろうと思えるほどに。
それでいて、彼女は一切誇らなかった。むしろ、ステイルからの恨み言にも似たセリフを、当然のこととして受け止めていた。……まっとうな精神性の持ち主なら、むしろ恩知らずと憤慨していてもおかしくないのに、だ。
だから、ステイル=マグヌスはレイシア=ブラックガードが嫌いだった。
あれほどのことをしてくれておいて、ステイルから向けられた感謝の念にまったく気づかないあの女が、死ぬほど嫌いだった。
……いや、彼の天邪鬼な態度に気づけというのはいくらなんでも無理があるレベルだったが、それでもステイルは感謝していたのだ。死ぬほど気に入らないが、それでも感謝の念を向けることにはやぶさかでない程度には、あの女を認めていたのだ。
にもかかわらず。
「多重人格だと? もう消えるだと?」
気に入らないといえば、そう。自分がいまだに嫌われていると思って、残された人格に対して手心を加えるよう頼む小賢しさ。それから、自分に対する信頼のなさ。
そして、そんな手紙にもご丁寧にこちらへ感謝の言葉を寄せるあの底抜けに幸せな脳構造。
何もかもが、ステイルの気に障る。もはや、我慢の限界だった。
「ふざけるな。そんな勝ち逃げなど、誰が許すものか」
***
***
そして今、ステイルは学園都市の高層ビルの屋上にたたずんでいた。
相変わらず、ここからはこの街がよく見える。
「……にしても、お前まで来る必要はなかったのに」
と、ステイルは吐き捨てるように言った。
「率直に言って、戦力過多だぞ」
「私にだって、譲れないものはあります」
「やれやれ。たった一つの魂の所在に『聖人』が投入されたと聞けば、魔術サイド全体がにわかに騒がしくなるぞ」
「……手は打ったでしょう」
「僕は、あの女狐に借りを作るのが嫌なんだ」
そう言って肩を竦めるステイルの傍らには、一人の東洋人がいた。
長い黒髪を頭の後ろで一つにまとめた、長身の麗人。白いTシャツは何故か裾の部分が絞られ腹部がさらけ出されていて、ジーンズは片足が太ももを露出させるように裁断されていた。
そんな、アシンメトリーな女性――聖人、神裂火織もまた、ステイルと同じように彼から手紙を受け取り、そして我慢の限界を迎えた一人だった。
とはいえ、彼女の行動原理は怒りという建前を経たものではなく、もっと純粋に彼女の名からくる欲求だったが。
「さて、どうしたものか」
彼の視線の先には、少女たちの集団がある。サマーセーターを着た一団だ。ステイルたちが科学サイドの情勢に詳しければ、それが『常盤台中学』と呼ばれる中学校の制服であるということも分かっただろう。そんな少女たちが、第七学区の病院にいた。
それだけではない。彼女たちの傍にはあのツンツン頭の少年に、純白のシスターもいた。ステイルに言わせてみればあの少年など殴るべき巨悪がいなければ何ができるのかというところだったが、どうも様子を見るにしっかりと行動できているようだ。
ほかにも、病院の屋上にはこれまたサマーセーターを着た茶髪の少女が二人。
ここに来るまでの調査によれば、どこぞの研究所の研究員も何やらレイシアの周りで調査を始めているらしい。不審に思って身辺を洗ってみれば、どうやら彼女の能力開発を担当している施設の研究員らしい。
……さらに呆れ果てたことに、最初に見つけた少女の集団の中心には、あろうことか見覚えのある金髪碧眼の令嬢――レイシア=ブラックガード本人がいるのだ。
あのお人よしは、周囲の人間どころか主人格自身からも捨てがたいと思われていたらしい。
「……我々の出る幕がないのではないかと思うくらいの大盤振る舞いですね」
「まったくだ」
憮然として言うステイルだったが……しかし、その口元には笑みが浮かんでいた。
「だが、あちらに魔術師はいない。せっかく一〇万三〇〇〇冊の叡智があっても、扱う手がなければ文字通り片手落ちだ。そうは思わないかい?」
「――――然り、ですね」
頷き、彼らは動き出す。
本来、彼らの魔術は、守るために振るうものなのだから。
***
「おそらく、だが」
ルーンを手の内で弄びながら、ステイルは言う。
「科学サイドだけでは、ヤツを救いきることは不可能だ。もちろん、彼女たちが絶望していないあたり、科学サイドだけでもある程度までは行く。……しかし、それだけでは途中でピースが足りなくなる」
それは、魂を扱うことについては科学サイドよりも長けた魔術サイドの専門家としての確かな結論だった。
実際、彼の問題は単なる二重人格ではなく魂の憑依。それを見抜いたわけではないにしても、ステイルの懸念は過たず的を射るものだったといっていい。
「……しかし一方で、私たちの技術情報を彼女たちに伝えることはできない」
これも政治的に当然の帰結。
いくら二人が個人的理由で彼女を救いたいといっても、二つの勢力は本質的に敵対関係にある。技術情報が流出したとなれば組織として剣呑な方向に動かざるを得ないし、そうなれば救えたとしても結局はかなり厳しい状況に追い込むことになってしまう。それも、彼女の周りの世界をまとめて、だ。
つまり、魔術サイドの技術が必要でありながら、それを彼女たち――レイシア、上条以外の科学サイドの人間に伝えることは許されない。ここから導き出される、彼らの行動上の条件はいくつか。
「まず、大規模な儀式を要する魔術は使えないですね」
たとえば、ルーン魔術。部屋一面にルーンを敷き詰めるようなそれは、魔術の存在を喧伝するようなもの。少女の集団からは離れた場所で使わざるを得ないし、よしんば使えたとしてもかなり隠ぺいして使わなくてはならない。
とはいえ、こちらについてはそう問題はないだろう。何せこちらには、一〇万三〇〇〇冊の叡智があるのだ。もちろんプロとしての意見を求められるという点ではまったく無意味ではないが、今回の彼らの最大の役割は『魔術を用いることができる』という一点に集約されている。
「そして、誰かをメッセンジャーにする必要がある」
とはいえ、今回の目的は彼女を救うこと。自分たちが暗躍していては、半端に姿をつかまれて敵対する、というような不幸なすれ違いすら起こりかねない。そうならないよう、誰かしらを通じて連絡を取る必要がある。
しかし、問題はそこだった。
「…………レイシア=ブラックガードをメッセンジャーにするのは、難しいでしょうね」
「ああ」
第一に、彼女は少女たちの集団の中心にいる。携帯の番号も知らない彼らでは、彼女と接触を取ることは不可能。となれば、方法は一つしかない。
「やれやれ。面倒くさいが、ヤツに接触をとるしかないわけか」
「…………あの少年には、毎度面倒をかけますね」
「まさか。神裂、ヤツが『これ』を面倒と認識するメンタリティを有しているとでも?」
「私の、矜持の問題ですよ」
ニヤリと笑みを吊り上げるステイルに、神裂は苦笑し、ツンツン頭の少年を見定め、高層ビルの最上階からの跳躍を敢行する。
七閃を用いて、空気を切り裂き減速しながら、神裂は思う。
ステイルは嘲るように言っていたが、あの内容では彼の――上条当麻の善性を信じていると言っているようなものだろう、と。
……まったく、素直ではない少年だ。
***
「……さて、メッセンジャーの問題は神裂が解決した。なら、僕がすべきことは……全員の護衛、か」
それは本来、神裂がやるべきことだろう。何せ聖人だ。核兵器級、というのは、単体戦力の強さもあるが、それ以上に規模を自在にコントロールできる点、そしていかなる用途でも戦闘を終結に導けるという化け物じみた汎用性あっての評価なのだから。
しかし、ステイルはそれを知っていてなお、神裂にメッセンジャーを委ねた。
「せっかくの、あの子と触れ合える機会だからね」
そんな感傷で最適解を選べないステイルは、非合理な人間かもしれない。しかし、それこそが魔術師。それでこそ魔術師というものだった。
何せ、非合理な人間の極致である彼は、そんな非合理的な目的に沿って動いているときにこそ、最強の力を発揮できるのだから。
「さしあたっては」
そしてステイルは既に、レイシアへと波及しそうな戦闘の気配を感じ取っていた。
相手は、科学者か。
どうも既に別の――白髪に赤目の少年と交戦しているようだったが、単なる科学者であれば、魔術師との相性は最悪だ。
それぞれ得意とする分野が違うという点では条件は同じだが、ステイルは科学の法則を知悉はしていないにしても認識しているのに対し、科学者は魔術の法則をまったく知らない。
ゆえに、ステイルは圧倒的に優位に立ち回ることができる。
仮に数十人規模で襲ってきたとしても、殲滅するのはたやすいことだろう。
だが、仮に魔術師が相手だったとしても、彼の決意に陰りは存在しなかったに違いない。
その意味は。
「――――あの子の世界を、必ず守る」