【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス)   作:家葉 テイク

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三四話:わたくし達の景色

『俺はな、もう死んだんだよ』

 

 シレンは、レイシアの姿をした、どこか大人びた雰囲気の少女は、上の方を仰ぎ見ながら言った。

 

『だいぶ長い間、ベッドの上だった。やることと言ったら、ネット見たり、アニメ見たり、ラノベ読んだり、漫画読んだり……あとは治療したりとかまぁ、そのくらいだった。いやいや、実際、気を紛らわすのにはちょうどよかったんだ。物語の中は、色んな世界が広がっていたからさ』

 

 シレンの口から言葉が放たれるたびに、その場がずっしりと重くなるようだった。それは、彼の人生が抱えていた重圧が徐々に外に漏れていくかのようだった。

 

『…………、』

『でも。それでも、考えざるを得ない部分っていうのはあるんだよ。自分が死ぬっていう、どうしようもない事実。……どうにかならないかって、いろいろ試したんだ。病院でできるようなのも試したし、食事療法とかをやってみたこともあった。最後の方は、さすがに諦めもついたけどね』

 

 シレンは、そんなことを言って笑っていた。

 諦めた、と。様々なことを試して――それでも駄目で、諦めて死ぬまでを過ごしていた、と。

 

『人が死ぬのは避けられないことだ、誰だっていつかは死ぬ、大事なのはそれまで何をして生きていくかだ……俺は、結局()()()()()()()()()。まぁ、結局前世はそう思っていながら特に何もせず、アニメ見たりして過ごしていたんだけども』

 

 レイシアは、何も言えなかった。

 そして同時に、気づく。彼女を、そしてシレンを取り巻いているこの空間に漂う『死』の密度の濃さ、その理由を。

 シレンは、もうずっと諦め続けてきたのだろう。魔術や超科学のないシレンの世界で、末期ガンというのはもはや死を約束された状態。万に一つも希望がない状態で、緩やかに死にながら、シレンはきっと、『生存への希望』を、ゆっくり、ゆっくりと削ぎ落としてきたのだ。

 『それ』を持ち続けるのは、とても辛いから。

 だから代わりに、死にゆく者が持っていても辛くない希望を、胸いっぱいに抱いた。

 他者の善性の信頼。善意の信奉。世界への感謝。そう考えると、いくら肉体を間借りすることに罪悪感を抱いていたとはいえ、利他的にも程があるシレンの振舞も、ある意味で説明がつく。

 

 そして今、シレンはこの局面においても、そんな『諦め』を捨てることができないでいる。

 それは辛いからだ。『諦め』を捨てて、『生きられるかもしれない』という希望を拾うということは、同時に『やっぱり死んでしまうかもしれない』という恐怖に蝕まれることでもあるから。

 その恐怖はきっと、緩やかに死に続けていたシレンにとっては、殆どトラウマですらあるだろう。

 

『……………………、』

 

 ……レイシアには、その気持ちは想像もできない。

 自ら命を捨てようとして、そして救われて、再起した彼女には、絶対に分からない。

 

『……で、でも! この二か月間は、とても楽しかった。……ああいや、間借りさせてもらってた体の持ち主に言うのもあれか……。……うん、ごめん。ただ、久々に、生きてるなって感じがして、充実した日々を、ね……。ありがとう、本当に。…………ずっと言いたかったんだけど、最後の最後にぐだぐだしちゃって、こんな感じになっちゃって悪いんだけども……』

『…………、』

 

 あれこれと、何やら気を遣っているらしいシレンの言葉も、耳に入ってこない。

 理解できるはずがないだろう。シレンと違って、レイシアは自分の世界を守るのにいっぱいいっぱいだっただけの少女だ。最近ようやく、自分の世界の外に出て、その素晴らしさを知ることができただけの少女だ。

 だから、レイシアには、ちっとも理解ができない。

 

『わたくし、これからすごく、勝手なことを言いますわ』

 

 レイシアはシレンとは違う。

 相手のことを慮り、自分のしたいことと、相手の事情をうまくすり合わせて行動を選択することなんか、彼女には到底できない。

 だから、レイシアはあくまでも傲慢に、相手の事情を鑑みず、自分のしたいことを押し通すことにした。

 

『――その諦め、捨てなさい!』

 

***

 

第三章 勝ち逃げなんて許さない (N)ever_Give_Up.

 

三四話:わたくし達の景色 Our_World.

 

***

 

『…………へ?』

 

 レイシアの言葉に、シレンは思わず一瞬思考が空白になっていた。

 彼としては、説明を尽くしたつもりだった。自分の弱さを隠さずに、レイシアにも伝わりやすく話して、それで諦めてもらうつもりだったのだ。

 自分でもかなり湿っぽい思考をしている自覚はあったし、ひょっとしたら怒らせてしまうかもな、とも思っていて、でもきちんと伝えないのはもっとよくないからと、そんな勇気を振り絞っての言葉だった。

 だが、返ってきたのはその真逆。

 むしろ、自分に諦めを捨てろ、と言ってくる始末であった。

 

 そんなシレンの驚愕の隙間を縫うように、レイシアは言う。

 

『うだうだ悩んでいるからいろいろ考えてしまうのです! まずは考えるのをやめて、先に手を動かしてしまえばいいのです! 総括なんてことは終わってからすればいいのですわ!』

『いやそんな行き当たりばったりな……というかそういう問題じゃ、』

『そういう問題です!!』

 

 反論しようとしたシレンに、レイシアはきっぱりと言い切った。

 

『――だってシレンは、生きたいと思っているではありませんか。わたしと一緒にいることが嫌なんて、一度も言わなかったじゃないですか』

 

 これがもし、シレンがもう生きたくないと、生きること自体が辛いと、ようやく解放されるんだと、そんなことを本心から考えていたのであれば、レイシアは本当に何も言えなかっただろう。

 でも、最初からシレンは、生きたいという思いを捨てていなかった。

 未練は、彼の中に多く残っていた。本人は未練がないとか、思い残すことはないとか言っていたようだが……実際には、未練たらたらだったし、思い残すことだっていっぱいあった。きっと、心の底では、レイシアが自分を助けに来てくれたと聞いて、飛び上るほどうれしかったはずなのだ。

 だけど、それを認めてしまうと、執着してしまうから。死ぬことが怖くなってしまうから。……だから、彼はそこを意図的に封鎖した。それを認めさせようとするレイシアに、声を荒らげて怒った。

 それは彼らしからぬ欺瞞で弱気だったが、レイシアは、それを責めるつもりはない。というか、誰が責められようか。誰だって死ぬのは怖い。彼なりに編み出した『死への恐怖』を緩和する方法を否定するのは、彼が持っている唯一の救いを奪うのに等しい。

 でも、その諦めを持たれたままでは、レイシアの望む『二人での復活』はできない。それは、嫌なのだ。

 

『それ、は、』

『なら、もうそれでいいではありませんの! 安心なさい! アナタには、わたくしがついています! 死ぬのが怖い? ならずっと手を握っていて差し上げます! 死神が来ようと閻魔が来ようとすべて退けます! だから!』

 

 レイシアは、シレンの手を両手で握る。

 顔がくっつくくらいに近づいて、そして縋るように。

 

『だから、わたくしと一緒に来てください! アナタを納得させられるようなことなんて言えませんけどっ、アナタの恐怖を和らげることなんてできませんけどっ! でもわたくしは、アナタと一緒に生きたいのです! アナタと同じ未来を、歩みたいのです!!』

 

 目に涙すら浮かべて、レイシアはそう言った。

 もはや、論すら成り立っていない。レイシアには彼を納得させるような理屈を用意することはできない。ただの一四歳の少女で、ろくに社会経験も積んでいない彼女に、そんなことはできない。

 だから、ただ伝えることしかできない。自分が思い描く、未来の素晴らしさを。この先の世界には、恐怖を凌駕する輝きが待っているということを。

 

『…………ほんとに』

 

 ――ぽつり、と。

 青年の魂は呟いた。

 

『ほんとに、この二か月間……自分が言った言葉が、自分に返ってくることが多いなぁって、思ってたんだけど』

 

 シレンは、頬を掻いて、そう苦笑した。

 

『まさか、自分がレイシアちゃんにしたことが、そのまま返ってくるとは、思わなかったよ』

 

 未来の素晴らしさを。

 世界には、絶望を凌駕する輝きが待っていることを。

 ――伝える。

 

 それは、シレン自身がレイシアにしたことそのものだった。

 シレンだって、レイシアが感じた絶望を否定することはできなかった。それは、まぎれもなく彼女が抱いた真実だからだ。

 でも、それだけじゃないということを伝えることはできた。挫折もあるけれど、絶望もあるけれど、それでも世界はそれだけじゃない。支えてくれる仲間が、先達が、友人が、そんな未来を彩ってくれる。

 これも、それと同じ。

 

 確かに、絶対生還できるとは限らない。

 死ぬことは怖いし、それを否定することは誰にもできない。

 でも……少なくとも、一人ではないのだ。

 シレンの傍には、こうやって愚直に、しかし力強く、手を握ってくれる、頼もしい半身がいる。

 それをサポートしてくれる仲間が、先達が、友人がいる。

 

『……うん。そうだね、散々俺がレイシアちゃんに言ってきたことだ。見せて、くれるかな。レイシアちゃんの見る景色を。その世界の可能性を、俺にも』

『……何を言っていますの』

 

 ぱっと手を離したレイシアは、泣き笑いをシレンに向けて、

 

『これからは、()()()()景色でもあるんですのよ!』

 

 そのまま、自分と同じ姿をした少女を抱き締めた。

 

***

 

「――励起を確認したわ。……ふむ、どうやらうまく『接点』を作れたようね」

 

 計器類を眺めていた瀬見は、そう呟いた。

 複雑なグラフが並んだモニタには、これまた複雑怪奇な直線が並んでいるが……瀬見の目には、これが好ましい兆候に見えるらしい。

 

「大丈夫なんでしょーか……レイシア、シレンさん……」

「夢月さんっ、焦ってもしょうがないですよっ」

「っていうか、あの人たちなら大丈夫でしょ。なんだかんだで軽くカムバックしてくるわよ」

「そうは言っても、待ってるだけってのも辛いなぁ。もう人格励起(メイクアップ)のプログラムは走らせちゃった後だし」

「とうまはいつもこの気分を私に味わわせてるんだよ? 少しは反省してほしいかも!」

「………………」

「ステイル、ここでムッとするのはやめましょう。気持ちは分かりますが。気持ちは分かりますが」

 

 既に計画は第三段階――人格励起(メイクアップ)プログラムの起動を済ませ、第四段階に差し掛かっていた。

 といっても、第四段階以降は実質流れ作業である。励起完了後は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の稼働率が高速安定ラインを越えて安定するまで外部制御で安定状態を保たせつつ、それが完了したら第五段階、セーフティ機能を用いて意識の覚醒を促すだけで終わりだ。

 もっとも、この高速安定ラインを越えて安定させるのが難しいのだが、今のところ稼働率は安定した上昇傾向。このままいけばあと三〇分もする頃には安定域に入るだろう。

 

「……ん?」

 

 そんなムードだっただけに、もうその場のメンバーの緊張感は完全に弛緩していた。

 自分たちがやることはもうすべてが終わった最後の後片付けのときにしか残っていないのだから、ある意味当然といえば当然なのだが。

 

 だからこそ――その異変に気づけたのは、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)その人だけだった。

 

 ほんの僅かな、グラフのブレ。

 

 それが意味することを考え、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はこう断じた。

 

 

「まぁ、あの子たちなら大丈夫だろうね?」


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