【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「いやいや、ひどいじゃないか。こんな時間まで連絡の一つも寄越さないなんて」
塗替さんはそう言いながら、自然な動きでレイシアちゃんとの距離を詰める。
さりげなく隠されてはいるが、レイシアちゃんが逃げないように移動方向を制限する動きだ。何となく、圧迫感がある。
「せっかくだからレイシアちゃんの雄姿を応援したかったのに。恥ずかしかったの? レイシアちゃんは相変わらず──」
「塗替様、お父様とはお話しませんでしたの?」
塗替さんの話をぶった切るように、レイシアちゃんは自分の話を始める。
す、すごい。あんな立て板に水の語り口を一発で潰してしまった……。
「お義父さんのこと? いや、話、は──」
「しましたわよね? わたくし、お父様にお願いしましたもの。お父様なら電話なりなんなりで早急に塗替様と
「…………」
塗替さんは、何も言わない。
何故って? レイシアちゃんは今、塗替さんを
お父様は、レイシアちゃんの言うことに従う。その前提に立って考えれば、塗替さんは既にお父様から婚約破棄を告げられているはずである。
にも拘らずこうして馴れ馴れしい──『婚約者ヅラ』をしているというのは、その申し出を承服していないということになる。
承服していないこと自体は、まぁ俺もしょうがないかな……って思うんだけどね。突然だし。一方的だし。
でも、こうやって暗に逃げられないように位置取って話をつけようとするのは、こっちが一方的だったことを差し引いても誠実とは言えないよね。
「わたくしが言いたいことは、お父様から伝えてもらったつもりですわ。それでも…………」
レイシアちゃんはそこで少しだけ言い淀んで、言い直す。
「……こちらからの一方的な申し出になり、申し訳ありませんが……考えを変えるつもりはありませんわ」
レイシアちゃんにしては穏当な言い回しが出てきた。
普段のレイシアちゃんなら『それでも何か言うことがありまして?』くらいキツイ言い方になってたと思うけど……流石に今回はね。今までもなるべく穏当な方向で婚約破棄ができるようにってやってきたわけだし。
《……何か言いたいことでも?》
《いや、思ってたより穏当になりそうだなって》
《元より、なるべく穏当な方向で婚約破棄するという話でしたしね。……ただでさえ、今日はシレンが若干冷静じゃないですし》
《うっ! あれは…………ごめん……》
《謝ってほしくて言ったわけじゃないんですけど……》
でもまぁ、アレはお父様があんまりにもあんまりなことを言うもんだから怒っただけで、塗替さんに対して怒ったりなんかしないよ。婚約の経緯については確かに思うところもあるけど、基本的に塗替さんって俺達の都合による被害者だからね。
むしろ申し訳ないって気持ちが大きいかな。
「……そうかぁ」
しかし、そんなレイシアちゃんの言葉を聞いても、塗替さんは動かなかった。
薄っぺらい笑みを浮かべて、黒髪の美青年はさらに言う。
「いやいやいや、お義父さんから話を聞いたときは半信半疑だったんだけどさ? まさか本当に……とはね」
「ええ。……ですが、塗替様には個人的にもよくしていただきましたし、人として尊敬していますわ。婚約という形ではなくなってしまいましたが、これからもお互いによきパートナーとして明るい関係を築いていければと思いますわ」
「ちなみに。理由を聞いてもいいかな?」
声に、少し力が籠る。
これは多分、怒気だ。
「婚約といっても正式なものじゃあない。お義父さんと僕の間で交わしたものだ。このご時世、そんなものに強制力がないことは分かっているよ。もちろんね」
「……、」
「前にレイシアちゃんと話したときは、そこそこ乗り気ではあったと思うんだよね。メリットの方が大きい婚約だったと思っている。レイシアちゃんもそう思ってはいるんじゃないかな? 今でも」
塗替さんは、そう言って少しだけ身を乗り出す。その大柄な身体が陰になって、視界が少しだけ暗くなる。
「なのになぜ、今になって? どうして今である必要があったのかな?」
……あ。言いくるめようとしているぞ、これ。
素直に聞くならともかく、時期の話を持ち出してきたってことは、十中八九そこを起点にして駄々をこねるつもりだろう。
うわぁ、ややこしいことになってきちゃったな……。まぁ、レイシアちゃんの話だとプライド高いってことだったし、こうなる可能性も大いにあったか……。
どうすればいいんだろう。こういうとき、何をするのが正解みたいなのって分かんないよなあ……。うーん、なんて言えば塗替さんに納得してもらえるだろうか。
「あの、婚約という形ではなくなってしまいますが、公的な結びつきは、」「…………ハァ。慣れないことなどするものではありませんわね」
一言。
レイシアちゃんは、塗替さんの言葉を聞いてそう呟いたかと思うと、
「あの!!」
「っ!?」
と、声を張り上げた。
突然の大声に、周囲の通行人がびっくりしてレイシアちゃんの方を見た、
「塗替様……そのように言われても、わたくし困ります……!」
俯いて。弱弱しく、しかし周囲にもしっかりと通る声量で、レイシアちゃんはそう言った。
レイシアちゃんを追い詰めるかのような格好の塗替さん、そしてか弱く俯くレイシアちゃん。その構図を意識した通行人の中から、ざわざわとどよめきが生まれていく。
…………や、やりやがった……!
レイシアちゃん、オーディエンスを味方につけやがった! 此処でこれ以上塗替さんがレイシアちゃんに食い下がろうものなら、多分事情を知らない善意の第三者が首を突っ込んでこの場は強制的にお流れにできる。
一度やらかせば後はもうどう足掻いても話し合いなんて無理だし、後はお父様と後詰をした上ですっぱり婚約破棄すれば相手からは二度と手出しができなくなる!
で、でも……。
《れ、レイシアちゃん? これちょっとやりすぎじゃない? 何もこんなやり方じゃなくても……》
《シレン、違いますわよ。よく考えてみてください。婚約破棄をすると決めた時点で、穏便な決着など望めるわけがないではありませんか》
レイシアちゃんは、さらっとそんなことを言った。
《これは政略結婚ですのよ? メンツがかかっているのです。もちろんメリットによる繋がりもありましたが、塗替はただでさえプライドの高い性格。相手の都合で破棄されるとあっては、いくら諸々を保証する形をとるといっても精神的には穏やかでいられるわけがありませんわ。今までは、シレンの意思を尊重してとりあえずそういう方向でやっていましたが……》
《え……》
……た、確かにレイシアちゃんは、最初の最初からわりと婚約破棄にあたって塗替さんの心証とか気にしてない節はあったけど……。
じゃ、じゃあレイシアちゃんは、こういう争いになると分かっていて、それでも俺の意向に沿う為にわざわざ無駄だと分かっていて穏便に婚約破棄を進めてたってこと……?
《……まぁ、ややこしい話になる前に決着をつけられる可能性もあるにはありましたが、残骸事件に食蜂の件と、二度も潰されては流石にしょうがないですし》
レイシアちゃんは、悲嘆にくれるというよりは面倒くさそうに溜息を吐いて、
《それに何より、シレンとの未来には邪魔にしかならないモノですからね。こんな婚約》
…………それって。
俺さえ塗替さんとの婚約を承服していれば、わざわざこんな敵を作るような真似をしなくてもよかったってことじゃないか。
俺自身、まだ上条さんへの気持ちがどういうものなのか分かってないのに……。そんな曖昧な状態の俺の為に、レイシアちゃんはこんなことをしているのか?
「れ、レイシアちゃん待ってくれ。僕の助力があることは君にとっても都合がいいだろう? 特に今の君は、」
「あー、おおーい! いたいた! こんなところにいたのかお前~!」
と。
そこで、聞き慣れた声が、群衆を掻き分けるように近づいてきた。
この声……というか、このシチュエーションって。
「いやーすみません、こいつ俺の連れで! こらダメだろ、はぐれたら危ないって言ったじゃないか」
棒読みで……分かりやすいほどの棒読みで、ツンツン頭の少年はそう言って、俺の手を取った。
…………上条さん……。
そもそもこの人顔見知りだからその介入の仕方はないんじゃないのとか、記憶が飛んでもそのやり方は変わらないのねとか、ツッコミどころはいっぱいあるが……。
「っ、そういうわけなので!」
流石のレイシアちゃんもこの展開には一瞬面食らっていたようだが、すぐにそう言うと、そのまま上条さんに手を引かれてその場から離れていく。
と、そこで俺は見つけてしまった。
群衆の向こうに、心配そうにこちらを見ているインデックスの姿を。
そして当然、俺が見たということはレイシアちゃんにも見えたというわけで。
「……行きましょう、上条さん」
そう言って、レイシアちゃんは上条さんの腕に抱き着き、塗替さんの方を一瞥した。
……振り返る前の一瞬だけ見えたインデックスの表情は、できれば表現したくはない。
……………………。
《大丈夫。心苦しい部分はわたくしが引き受けますから。わたくし、そういうのは得意ですのよ》
いつかのレイシアちゃんの言葉が、脳裏をよぎる。
……ひょっとして。
レイシアちゃんにこんな苦労を背負わせておいて、未だに『他の娘と争う覚悟がない』とか『上条さんを恋愛的な意味で好きか分からない』とかウダウダやっている俺って、とんでもない最低野郎なんじゃ……。
…………どうしよう。
俺はぐるぐると思考が巡る頭を無理やり整理しながら、そんな呟きを脳内に出力した。
群衆を抜けてインデックスと合流した俺達は、流石に腕組み姿勢を解除して、ただ一緒に歩いているのだが……。
まぁ、あんな風にあからさまに腕組みをすればインデックスは当然なんじゃそらと思うわけで。流石に上条さんがラキスケした時みたいに露骨な不機嫌さではないんだけど、というか表情にも出てはいないんだけど、なんかギクシャクした感じで……。
俺達四人の空気は最悪なのだった。
「シレン、レイシア、大丈夫だったか?」
ある程度歩いたところで、上条さんが口を開く。
まぁ気になるよね。上条さんは、特に婚約破棄のことを聞いてはいるっぽいんだし。
「──先ほどはありがとうございました。以前お話していた婚約者の方だったのですが、少し話が拗れてしまいまして」
「婚約者?」
「ああ……。インデックスにはまだ話していませんでしたわね。わたくし……というかレイシアちゃんには、実は婚約者がいたんですの。それでお父様を通して婚約を破棄したのですが、相手方がそれを承服してくれなくて、ああいった直談判を……」
「結局そうなっちゃったのか……」
「……、」
とりあえず、これ以上話を拗れさせたくないので迅速に説明したものの……ううむ、やっぱり空気が重い。というか、インデックス的には『何それ初耳なんだけど』だよなぁ……。
「な、なので! その、牽制といいますか、そういう理由で上条さんの腕に抱き着いてしまいまして……決して変な意味ではなく」
「ああいや、別にそれはいいんだけど。婚約破棄の方は大丈夫か? 俺にできることがあったら何でもするぞ」
「腕に抱き着いたのは、シレンじゃなくてレイシアだよね?」
すっ、と。
そこで、話の流れに自然と入り込むようなさりげなさで、インデックスが指摘した。
「え、あ……はい」
「シレン。なら勝手に言い訳しちゃダメだよ。自分のしたことを勝手にフォローされたら、レイシアだっていい気持ちはしないかも」
「いや、違、わたくしはそんなつもりでは……、ただ……」
「心配しなくてもね、シレン。
え……遠慮……? ……じゃない! それどころじゃない。まずレイシアちゃんに謝らないと! そんなつもりなかったとはいえレイシアちゃんに酷いことを言ってしまった。
《ごめんレイシアちゃん。俺……》
《いいですわいいですわ。心配しなくても、このくらい気にしませんわよ。……、というか、シレンは色々と気にしすぎですわ》
レイシアちゃんは許してくれたが……。レイシアちゃんのしたことを勝手にフォローするとか、そんなのレイシアちゃんの行動を勝手に『悪いこと』にしてるようなものだ。マジでやっちゃいけないことじゃないか。
これじゃあ、お父様とやっていることが同じだろ……。
《……シレン? 大丈夫ですか? わたくしはちゃんと分かってますわよ? わたくしの為を想ってしてくれたんですわよね?》
《……うん。ごめん、レイシアちゃん》
《………………》
よし! 切り替えた。やってしまったことはもう取り戻せないが、いつまでも沈んでいたって余計に空気が悪くなるだけだしな。
「ありがとうございます、インデックス。確かにそうでしたわね」
とりあえず微笑んで、インデックスに礼を言う。
俺達の次の競技まではそこまで間がない。次が初日最後の競技なのだから、気合を入れて頑張ろう。さっきのことは全部終わった後で改めて、きちんと言うべきことを整理してから謝ろう……うん。
《……シレン、競技が、》
と。
レイシアちゃんが何か言いかけたタイミングで、不意に携帯端末が着信音を鳴らした。
条件反射で相手を確認すると、かけてきたのは夢月さんだったため、そのまま出ることに。なんだろうな。一応時間的にはまだ余裕があるけれど、また一人でぶらぶらしてるから流石にお説教とかかな?
『ああ、よかったレイシアさん!! レイシアさん、どうっ、どうしましょう、どうすれば……っ!!』
…………そんなあっさりした感じの心持は、夢月さんの切羽詰まった声で一気に吹っ飛ぶことになった。
思わず一瞬茫然としかけた俺に代わって、レイシアちゃんが通話に応対する。
「どうしました。落ち着いて順序立てて説明できますか?」
『ああっ……ごめんなさい、ごめんなさい……私……!!』
なんだ……!? 明らかに異常だぞ、この感じ。夢月さんにいったい何が……?
「……! 燐火! 近くにいるでしょう! 燐火! 通話を変わってください! 状況の説明を!」
レイシアちゃんもヤバイと思ったのか、声を張り上げて近くにいるであろう燐火さんに状況確認をする。
同時に俺は、何か嫌な予感を感じて、周囲へ視線を向けた。何か……嫌なざわめきを感じるのだ。電話口で声を張り上げた俺達に、ではない。もっと何か……別のところへ向けられた、嫌な感情を。
「…………おい、シレン、レイシア」
背後から、上条さんの声が聞こえた。
「あれ。…………どういう、ことだ?」
言われて、俺は視線を上げる。
学園都市の空には、今日もニュースを伝える飛行船が浮かんでいた。天気予報の他に紛れ込んでいたニュースの中には、
『常盤台、不祥事を隠蔽か? 今年七月に生徒が自殺未遂』
──そんな文字が、無機質に浮かび上がっていた。
実はシレンはけっこう前からかなり重大な思い違いをしています。シーズンⅡを読み返すとなんとなくピンと来るかも。