【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
状況は一変した。
それまで戦場を支配していた木原幻生が、一歩下がる。そのたった一挙動で、法則が塗り替えられたことがその場の全員に伝わった。
その特異点は、一人の少女だ。
レイシア=ブラックガード。
ほんの一瞬前まではこの場で最も凡庸だったはずの駒は、今や大きなうねりの中心となっていた。
その原因は────右眼。
アクアマリンのような輝きを持つレイシアの右眼は、今やエメラルドのような翠の輝きを秘めていた。
同じ戦場にいる上条もまた、その異常を理解していた。
(右眼の色が、変わってる……? あの色、何かどこか、インデックスの目の色にも似てるような……)
もしもこの場にシレンと同じく『小説』の知識を持つ者がいたら、その意味について思いを馳せることができただろう。
インデックス、オッレルス、オティヌス、娘々、僧正、ネフテュス……『小説』において外見設定がなされている『魔神』、あるいはそれに近しい存在は、漏れなく『翠の眼』を持っている、という共通点に。
卵が先か、鶏が先か。
あるいはある一定の領域に到達した者は自然と『そう』なるのか。
何にせよ──レイシア=ブラックガードはこの瞬間、己の力によって『資格』を得た。
「…………一つ、言っておきますが」
レイシアは言葉を続けた。
たったの一撃で風斬の呪縛を解き放っておきながら、それだけでは終わらないとばかりに。
「
その直後のことだった。
レイシアが風斬と幻生の間を繋ぐラインを切断するのに使った『亀裂』。
その軌道に沿うように、白くのっぺりとした物質が表出したのだ。そしてその物質は、そのまま重力に従って木原幻生を襲う。
「『残骸物質』」
レイシアは言う。
「三次元の物質を切断すると、その断面は二次元になる。二次元の面を切断すればその断面は一次元に。同じように、三次元よりも高次の概念を切断すれば、その断面は『三次元』となる。……まぁ、アナタには説明するまでもないことですわね」
「……まさか、全次元切断というわけかね……?」
「それこそまさかですわ。学園都市中の人間の演算能力を借りればいざ知らず、わたくし個人では精々一一次元までの切断と、AIM拡散力場の切断が精々でしてよ」
落下した残骸物質は極端な質量を持っているのか、ずぶずぶとアスファルトの中へ沈み込んでいく。科学サイドの現象とは思えない、現実離れした光景だった。……もっとも、確かにこの事象の『元ネタ』は、魔術の産物なのだが。
《……できるかもと思って試しにやってみたら、意外といけましたわね、残骸物質》
《
《シレン!! 現実逃避はほどほどに!!》
あまりにトンデモな威力を自分が出力したことに少しばかりショックを覚えているらしいシレンはさておき、レイシアは今まで自分の身を守ってくれていた白い最強に意識を向ける。
「
「……ハッ、オマエなンぞに心配されるよォじゃ、最強の看板もいよいよ返上しなくちゃならねェかもな」
「喧嘩を売っているようならアナタから倒してさしあげてもよ、」
「ハイハイレイシアちゃんそこまでですわ。……それだけ減らず口が叩けるなら十分ですわね」
さらりと流したシレンの横に、
これで、この場に四人の
形勢逆転。
その言葉がふさわしい好調な流れの中で──レイシアとシレンは、異様なものを見ていた。
《これは……幻生さんの周りの、風景が……?》
蜃気楼。
あるいは、陽炎。
右眼を通してみた時、幻生を中心として、風景が歪んで見えるのだ。
まるで濁ったレンズ越しの風景が歪んで見えるように、幻生を中心とした『時間』そのものが歪んでいる。──青ざめた輝きのプラチナだの、
だが、それらは些末だとレイシアとシレンは直感した。
これだ。
この『歪み』。これこそが、全ての根源なのだ。
「…………なるほど」
そして幻生もまた、判断は素早かった。
「アレイスター君が君を中心とした新設の『プラン』を進めている理由がよく分かったよ。──どうやら、この場において僕の天敵は
言葉の後に、変貌があった。
ホログラムのように幻生の身体の表面がボロボロと崩れ落ち、そこに青ざめた輝きのプラチナが吸い寄せられるように入り込んでいく。
人の形は失われた。
白金のオーラは脈動と共に巨大化し、そして一つのシルエットを作り上げる。
翼を持ち。
四本の脚を持ち。
そして巨大な顎を持つ。
その姿は────
『見たまえ。どうやらこの肉体は変形機能も持ち合わせているようだねー』
絶句。
その場の誰もが言葉を失う中、その意味を前以て知っていたシレンとレイシアだけが、戦慄と共にその言葉を口にすることができた。
幻生が変じたもの。
それは一般には──
「あれは……、」「…………『ドラゴン』……!!」
──そう、呼ばれている。
『何か勘違いしていたようだけどねー。風斬君を喪ったとしても、僕にはまだ御坂君がいるんだよ』
ドラゴンと化した木原幻生は、その体躯に似つかわしくない穏やかな声色で、小さく身じろぎをした。
たったそれだけで立っているのもやっとなほどの暴風が吹き荒れるが──さらにその上で、御坂美琴が動き出す。
全身から紫電を迸らせ、まさしく『雷神』と化した美琴は、ぐりんと首を動かしてレイシアに狙いを定める。
刹那。
レイシアの眼前に、美琴が現れる。
目で追うことすら不可能な高速だったが、しかしレイシアの表情に驚愕はなかった。
──その右目は、その前兆に繋がる『歪み』を見ていた。
「なるほど」
無数の『亀裂』が翼のようにはためいた。
直後、ゴッギィィィィン!!!! と、『亀裂』によって発生した残骸物質と美琴が激突した。
通常であれば白黒の『亀裂』ですら破損していたであろう一撃に対しても、高次概念の『断塊』たる残骸物質は問題なく受け止める。正史において、天使長の力を振るっていた第二王女の手札となるほどの現象だったのだから、スケールとしては当然か。
「……言ってみれば、学園都市製の超能力それそのものが、『歪み』を用いたチカラ。観測の揺らぎによって世界を好きなように捻じ曲げているのだから、考えてみれば当たり前の話ですわね」
さらに背後に回った美琴の一撃も、前以て展開されていた残骸物質が防ぐ。
だが、圧倒的に速度で劣るレイシアが美琴の行動を事前に察知できているのは、美琴の──いや、学園都市製の能力の余波が読めるから、だけではない。
レイシアの右眼は、それを見ていた。
「…………美琴の周辺にも、幻生と同じような『歪み』が……? ……この歪みが、美琴の現状を歪めている……ということですの……?」
『グオォォオオオオオオオオオオオッッ!!!!』
思索を巡らせるレイシアだったが、幻生の方もただ手をこまねいているわけではない。
大きく吼えると、幻生の周囲の空間から謎の結晶が凝結するように生み出された。氷とも水晶とも違う異次元の透明感を持つそれは、そのまま上条達目掛けて豪雨のように勢いよく降り注いでいく。
「うっ、おおォォおおおおッ!?」
思わず右手で防ごうとした上条だったが、首の後ろにチリチリと嫌なものを感じて、転がるように飛び退く。
ドンゾンザンバンズガン!!!! と、重低音が連続した。
他の
「これ……やっぱりだ。能力で打ち消せねえ」
地面に突き立った水晶の槍の一つを右手で触ってみる上条だったが、やはりというべきか、上条の右手が触れても水晶は破壊されなかった。
おそらく、これ自体が魔術の炎で焼かれた炭と同様の『結果』なのだろう。
そこへ、『亀裂』の翼をはためかせながら、レイシアがやってくる。
上条の前へ、盾となるように移動したレイシアは、振り向かずにこう言った。
「上条さん! フォローはわたくし達にお任せを。それよりも今は──本丸の幻生さんを叩く準備を! 全力でサポートしますから!」
「……ああ! 分かった!」
上条も、その言葉を疑ったりはしない。
これまでの経験から、彼女ほど自分の背中を預けるのに信頼できる人材は稀だと分かっているからだ。
しかし幻生の方も、この期に及んで警戒深さを喪ってはいない。
『どうやらさっきから、能力とは別の面でブラックガード君は厄介な存在となっているようだねー。……彼我の火力差ではこちらに分がある。なら、こういう手も一興かな?』
ゾバァ!!!! と。
空気の津波が、戦場全域を撫でた。
もしもレイシアが上条の前に陣取っていなければ、おそらく上条はそれだけで数十メートル以上も吹っ飛ばされていただろう。
それだけの暴風を発しながら──
──『ドラゴン』が、空を飛んだ。
天へと昇る流星のように、白金の輝きによって構成された悪竜は、高速で飛び上がっていく。──距離をとろうとしているのだ。
原因不明だが、レイシアはこの戦場でただ一人、幻生の行動に伴う『歪み』を検知している。そして幻生は、木原としての本能でその『歪み』に干渉されることが致命傷になりうると察知していた。
上条当麻の
だから、距離をとればいい。
何だかんだといっても戦力でいえば幻生の方に圧倒的に分があるのだ。距離をとって一方的に攻撃を加えていれば、いずれレイシアの方がスタミナ切れとなって勝手に墜ちる。
身も蓋もないが──それゆえに、どうしようもない作戦。
「……ンで、それを俺が黙って見ているとでも?」
「上に坐し続けるってのも考えものだな。長く命の危機ってのを忘れていると、どうやら生存本能の正しい活かし方もさび付くらしい」
それに追随する、二つの影。
彼らは一切の逡巡もなく、幻生に追撃を開始した。
「チッ……第一位。邪魔するなよ。テメェもついでに潰すぞ」
「っつか、誰オマエ?」
「たった今優先順位が跳ね上がったぞコラ」
互いに憎まれ口を叩きつつも、
確かに、プラチナの輝きは彼の『反射』を貫いた。幻生の攻撃に対しては、学園都市最強ですら絶対の安全を手に入れられない。
だが。
「弾ならそこら中にあるンだよなァ……『空気』とかよォ!」
圧縮された空気は断熱圧縮によって熱を持ち、そしてプラズマを形成した。──かつての戦いから、さらに発展した戦闘法。
あのときはプラズマの構成に全精力を懸ける必要があったが、戦いに慣れ、演算方法も確立した今となっては、この程度は片手間で可能となっていた。
「おしゃぶりだ。有難くしゃぶれよクソッたれ」
ドゴア!!!! と、生み出されたプラズマが『ドラゴン』の口に叩き込まれる。爆発的な風が吹き荒れ、その顎が仰け反るが──しかし、破壊はない。
代わりに、パキパキと周辺の虚空が結晶化するだけだった。──圧倒的な破壊を、何らかの方法で外部に逃がしているのだ。
次に動いたのは垣根だった。
虚空から生み出された結晶──その表面にいつの間にか、羽毛のようなものがびっしりと貼り付けられていた。幻生が攻撃を防御したのを見計らって、即座に仕込みを終えていたのだ。
直後、羽毛はボバババババッ!!!! と爆裂し、そしてドラゴンの横腹に激突する。当然、この程度でドラゴンの外皮が破壊されるわけではないが──
『ゴオオォォアアアアアァァァアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
意外にも、ドラゴンの反応は過敏だった。
幻生の意志とは関係ない。殆ど反射のように尾を振り、激突した結晶を叩き落とす。
その様子を見て、垣根は静かに笑った。
「おっと、逆鱗に触れちまったか?」
──木原幻生は変身能力を持ち合わせているわけではない。
ここまでの変貌は、AIMで自分の肉体の補完を行うことの延長線上でしかない。つまり、ドラゴンの中には今も木原幻生自体の生身の肉体がどこかに眠っているのだ。
「完全な機械じゃねえなら生身の部分もあるんだろ? ドラゴンの巨躯で隠しちゃいるが……逆鱗を抉り抜いちまえば」
竜とは本来、温厚な生き物といわれている。
しかし逆さに生えた鱗に触れると、竜は激怒し、触れたものを殺す。
さて、ここで一つ疑問が生まれる。
何故温厚なはずの竜は、たった一枚逆さに生えた鱗を触れられるだけで烈火のごとく怒り狂うのか?
「その逆鱗の奥に隠れている竜の急所をぶち破ることができる。そうだよなあ!!」
ドゴバババガガギン!! と。
今度は、同時に四つの結晶が爆裂し、ドラゴンの横原に叩き込まれた。あの奥にあるらしき幻生の生身にも、その衝撃は届き──白金の煌きを帯びたドラゴンに確かなダメージを与える。
『……確かに生き物としてのドラゴンならその通りなんだけどねー。……生憎、これはただ「ドラゴンを模している」だけなんだよね。つまり──僕の肉体が一か所に留まっているとも限らないわけなんだよ』
ドゴッッッ!!!! と。
返す刀の尾の一撃を食らい、垣根が音速の数倍の速さで地面に叩き落される。
続いて
「ほォ、で、その肉体の移動が俺に解析される可能性ってのは考えなかったのか?」
一撃。
垣根を超音速で叩き落した際の大気のベクトルを一か所に集中させた蹴りが、ドラゴンの身体をくの字に折り曲げる。
『ゴア………………ッ!?』
「急所を移動させるってのは大した発想だ。おそらくそれを利用して高速移動で生まれる臓器への負荷も軽減させてンだろォな。だが、それゆえに移動する速度ってのは肉体に負担をかけねェレベルにする必要がある。……それなら、移動のアルゴリズムなンざ手に取るよォに分かるンだよ」
息つく暇も与えない。
さらなる一撃を前に、幻生は成す術もなく──
『
ボバッッッッ!!!! と、壮絶な音とともに
「な……!?」
「第一位! ボサっとしてんじゃねえ!! 死にてえのか!」
想定外の事態に目を丸くして一瞬動きを止めた
間一髪のところでドラゴンの頭部による一撃を回避した
戦線に復帰した垣根は、既に満身創痍に近かった。
まだ高速機動は可能だろうが、それにしても全身のいたるところに擦過傷を帯び、頭から血を垂れ流した姿は頼もしさやたくましさよりは危うさの方を想起させる。
それに何より──彼らの意識は、目の前のドラゴンの新たな変化に向けられていた。
『いやー、那由他は良い仕事をしてくれたよー』
ドラゴンの翼は──変化していた。
一つは、竜巻のような黒い翼。
一つは、天使のような白い翼。
蒼褪めた輝きのプラチナは、一瞬にして白黒の翼に変貌していた。
『AIM拡散力場を見て、触れる能力。「学園個人」のように
──木原幻生の恐ろしさは、青ざめた輝きのプラチナにあるわけではない。
むしろその本領は、その底なしの好奇心と、無限の応用力。
たとえば──戦闘の際に木原那由他に対して
その能力で以て、垣根帝督や
『今回の実験をやれば、必然的に
これが。
これこそが、木原幻生の完成形。
ミサカネットワークを用いて、アレイスター秘蔵の『奥の手』を白日の下に晒し。
そして、それを制御する為の『プラン』の駒を用いて、十全の働きを手に入れる。
この街の王が大切に大切に進めていたものを、横取りする。
『見ているかい、アレイスター君』
悪竜の口元が、笑みの形に歪む。
それは、怪物の笑みではない。
憎悪と、愉悦。
『人間』らしい感情に満ち満ちた、『人間』の笑みだ。
この街の全てを掌握した悪竜は、『人間』として、この街の王に純然たる勝利宣言を行う。
『君の……君の実験は! 今! 僕の掌の上にある!! ふ、ふは、ははははははは!!!!』