「……おー、これは凄い。」
動画をネットにアップして、数時間後。
事務所の公式サイトは、F5キーを押すたびに、コメント欄がそっくり入れ替わるほどの大盛況ぶりを見せていた。
「かわいい」
「ニートが働いてる……だと……」
「本当に姉妹みたいだな」
「流石茄子姐さんッス!」
「妹にしたい」
エトセトラ、エトセトラ。
皆、思い思いの感想を書き込んでいる。
「あっ、質問とかもあるみたいですよ♪」
画面の一部を指差して、茄子が嬉しそうに言う。
ついさっき投稿された、最新のコメントだ。
見ると、「普段使ってるシャンプーは何ですか?」とあった。
……待て、まさか飲む気じゃないだろうな。
ゴクッと1本いっちゃう気じゃあないだろうな。
ダメだぞマネしちゃ。彼等は人間の枠組みを愛でもって超越しているだけなんだ。
「……?
これ、答えた方がいいですか……?」
控え目にコメントを指差し、純粋な目をこちらに向けて。
PCの前に座るほたるが、おずおずと聞いてくる。
「…………一々返してたら、キリがないからさ。うん。」
直視できずに目を逸らしつつ、何とかそう答える。
その純粋さをどうか無くさないでください。
問題のシャンプー発言を皮切りに、ほたるへの質問が次々と並ぶ。
その大半が真面目なものではなく、コメント欄は半ば大喜利会場と化してしまった。
その1つ1つを、ほたるはマウスカーソルを動かして、丁寧に読んでいく。
嬉しそうに。楽しそうに。
こんな顔もできたのか、と、驚きすら覚えてしまうほどに。
「ライブに出るようになる段階で、どこも倒産してしまう」。
確か、そう言っていたように思う。
それは、つまり、こういった機会が、一度も無かったのだろう。
自分の行動に対して、誰かが反応をしてくれる。
アイドルという立場であれば、あまりに身近なそれを。
彼女は、体験したことが、無かったのだろう。
初めて、なのだろう。
自分がアイドルらしいことをしたという、何よりの実感を手にするのが。
「……杏ちゃん、芳乃ちゃん。」
私と同じように、ほたるの様子を見つめていた茄子が、彼女に聞こえぬよう小さく呟く。
「成功させましょうね。
あの子の、アイドルデビュー。」
「……はいー。」
芳乃もまた、ほたるの表情を見て、ゆっくりと頷く。
うん、勿論。
あんな顔見せられちゃったら、やるしかないよね。
なんて、そう言えるほど素直じゃないから。
「やっぱり、お姉ちゃんだね。」
こんな回りくどい言い方になってしまうのも、いつか変わる日が来るのだろうか。
彼女が、少しづつ、変わっていっているように。
彼女が変われたら、自信がつくだろうか。
胸を張って、きらりに会いに行けるように。
再び、ほたるの方へと視線を戻す。
もう少し、あの幸せそうな顔を見ておきたかった。
だけど。
「──ほた、る?」
彼女の顔に、表情は無く。
マウスの上に乗せたままの右手を、しかし動かすことは無く。
瞬きの1つすら、することも無く。
ただ、画面の一点を。
じっと、見つめていた。
彼女の視線をなぞるように、私の目は画面へと吸い寄せられる。
彼女が食い入るように見続けているものを、見る。
『神様は、いると思いますか?』
きっと、この質問に、深い意味は無い。
場のノリに合わせて、けれどそういった引き出しが少ないから、書き込んだだけなのだろう。
ふと思いついた、ありきたりなものを。
でも。
彼女にとって。
これまで不幸体質に悩まされ続けてきた、ほたるにとっては。
その言葉は、残酷だ。
そのまま、随分と時間が経って。
彼女の指が、キーボードに触れる。
慣れない手つきで、ゆっくりと。
言葉を、打ち込み始める。
『もし、神様が』
神様。
この世を創り、また、この世を管理している存在。
そんなものが、本当に存在して。
存在しておいて。
存在、しているくせに。
『本当に、いるのなら』
それで尚、こんな仕打ちをするのなら。
彼女だけを、嫌うような。
彼女だけを、迫害するような。
彼女だけを、幸せにするまいとするのなら。
きっと、彼女は。
『今すぐに、しんでほs』
彼女の、きっと、本心からの言葉は。
後ろから、抱きしめられることによって。
最後まで、紡がれることはなかった。
「……大丈夫です。」
鷹富士茄子が、紡がせなかった。
「……大丈夫ですよ。」
そのまま、片手でほたるの頭を撫でる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「あなたはもう、大丈夫です。」
茄子は、言葉を繰り返す。
大丈夫。大丈夫。
「あなたは、幸せになれます。
人を、幸せにできます。
あんな顔ができる、あなたなら。
あんなに嬉しそうに笑える、あなたなら。」
それは抵抗無く、耳から入ってきて。
そのまま、身体のどこか。
大切なところに、すっと浸透していく。
そんな、不思議な声。
「だから、大丈夫です。」
大丈夫。
何の具体性も無い、気休めにすらよく用いられる、極めて平々凡々な言葉。
それと全く同じはずのものを、ただ、茄子は繰り返す。
けれども、彼女がそれを発することで。
その意味は、まるで違う。
だって、彼女がそう言っているのだ。
絶対的な幸福である、彼女が。
その彼女が、大丈夫だと言っているのだ。
どこに、疑う余地がある。
どこにある。
その言葉に。
彼女に。
身を委ねない、その理由が。
乗せられている手の重さに合わせて、ゆっくりと頭が下がっていく。
膝の上に置かれた2つの握りこぶしが、少しずつ震えてくる。
それ以上は何も言わず、ただ、静かに。
茄子は、ほたるの頭を撫で続ける。
やがて。
必要最低限の音だけを立てて、ほたるは涙を流し始めた。
「……行こっか、芳乃。」
どうやら、私達はお邪魔のようだ。
そう感じて、私は二人に背を向ける。
「おせんべいが残り少ないのでしてー、買い足しに参りましょうー。」
「分かった分かった。」
財布と携帯だけ確保して、事務所の外へ出る。
ドアノブを掴むために振り返ると、二人の姿がちらりと見えた。
「……やっぱり、お姉ちゃんだね。」
妹のこと、任せたよ。
心の中でそう続け、私は事務所の扉を閉めた。
ばたん、と、少しだけ大きな音が響くと、少し遅れて。
その向こうから、ほたるの嗚咽が漏れてきた。
小さなそれは、だんだんと大きくなって。
きっと今、彼女は吐き出しているのだろう。
ずっと、本当にずっと、どこにも吐き出せなかったものを。
悲しみを。苦しみを。
嫉妬を。憎悪を。
罪悪感を。恐怖を。
怨みを。諦念を。
その身を潰さんとするまで、積り続けるしかなかった感情を。
やっと、吐き出せているのだろう。
「……いい天気だね。」
足下の水たまりが発する光に目を細めつつ、空を見上げる。
「……ええー、本当にー。」
午後からは、文句無しの快晴だった。