白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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9.だから、きっと大丈夫

「……おー、これは凄い。」

 

動画をネットにアップして、数時間後。

事務所の公式サイトは、F5キーを押すたびに、コメント欄がそっくり入れ替わるほどの大盛況ぶりを見せていた。

 

「かわいい」

「ニートが働いてる……だと……」

「本当に姉妹みたいだな」

「流石茄子姐さんッス!」

「妹にしたい」

エトセトラ、エトセトラ。

皆、思い思いの感想を書き込んでいる。

 

「あっ、質問とかもあるみたいですよ♪」

 

画面の一部を指差して、茄子が嬉しそうに言う。

ついさっき投稿された、最新のコメントだ。

見ると、「普段使ってるシャンプーは何ですか?」とあった。

……待て、まさか飲む気じゃないだろうな。

ゴクッと1本いっちゃう気じゃあないだろうな。

ダメだぞマネしちゃ。彼等は人間の枠組みを愛でもって超越しているだけなんだ。

 

「……?

これ、答えた方がいいですか……?」

 

控え目にコメントを指差し、純粋な目をこちらに向けて。

PCの前に座るほたるが、おずおずと聞いてくる。

 

「…………一々返してたら、キリがないからさ。うん。」

 

直視できずに目を逸らしつつ、何とかそう答える。

その純粋さをどうか無くさないでください。

 

問題のシャンプー発言を皮切りに、ほたるへの質問が次々と並ぶ。

その大半が真面目なものではなく、コメント欄は半ば大喜利会場と化してしまった。

 

その1つ1つを、ほたるはマウスカーソルを動かして、丁寧に読んでいく。

嬉しそうに。楽しそうに。

こんな顔もできたのか、と、驚きすら覚えてしまうほどに。

 

「ライブに出るようになる段階で、どこも倒産してしまう」。

確か、そう言っていたように思う。

それは、つまり、こういった機会が、一度も無かったのだろう。

自分の行動に対して、誰かが反応をしてくれる。

アイドルという立場であれば、あまりに身近なそれを。

彼女は、体験したことが、無かったのだろう。

 

初めて、なのだろう。

自分がアイドルらしいことをしたという、何よりの実感を手にするのが。

 

「……杏ちゃん、芳乃ちゃん。」

 

私と同じように、ほたるの様子を見つめていた茄子が、彼女に聞こえぬよう小さく呟く。

 

「成功させましょうね。

あの子の、アイドルデビュー。」

 

「……はいー。」

 

芳乃もまた、ほたるの表情を見て、ゆっくりと頷く。

 

うん、勿論。

あんな顔見せられちゃったら、やるしかないよね。

なんて、そう言えるほど素直じゃないから。

 

「やっぱり、お姉ちゃんだね。」

 

こんな回りくどい言い方になってしまうのも、いつか変わる日が来るのだろうか。

彼女が、少しづつ、変わっていっているように。

 

彼女が変われたら、自信がつくだろうか。

胸を張って、きらりに会いに行けるように。

 

再び、ほたるの方へと視線を戻す。

もう少し、あの幸せそうな顔を見ておきたかった。

だけど。

 

「──ほた、る?」

 

彼女の顔に、表情は無く。

マウスの上に乗せたままの右手を、しかし動かすことは無く。

瞬きの1つすら、することも無く。

ただ、画面の一点を。

じっと、見つめていた。

 

彼女の視線をなぞるように、私の目は画面へと吸い寄せられる。

彼女が食い入るように見続けているものを、見る。

 

 

 

『神様は、いると思いますか?』

 

 

 

きっと、この質問に、深い意味は無い。

場のノリに合わせて、けれどそういった引き出しが少ないから、書き込んだだけなのだろう。

ふと思いついた、ありきたりなものを。

 

でも。

彼女にとって。

これまで不幸体質に悩まされ続けてきた、ほたるにとっては。

その言葉は、残酷だ。

 

そのまま、随分と時間が経って。

彼女の指が、キーボードに触れる。

慣れない手つきで、ゆっくりと。

言葉を、打ち込み始める。

 

『もし、神様が』

 

神様。

この世を創り、また、この世を管理している存在。

 

そんなものが、本当に存在して。

存在しておいて。

存在、しているくせに。

 

『本当に、いるのなら』

 

それで尚、こんな仕打ちをするのなら。

彼女だけを、嫌うような。

彼女だけを、迫害するような。

彼女だけを、幸せにするまいとするのなら。

きっと、彼女は。

 

『今すぐに、しんでほs』

 

彼女の、きっと、本心からの言葉は。

後ろから、抱きしめられることによって。

最後まで、紡がれることはなかった。

 

 

「……大丈夫です。」

 

 

 

鷹富士茄子が、紡がせなかった。

 

 

 

「……大丈夫ですよ。」

 

そのまま、片手でほたるの頭を撫でる。

ゆっくりと、ゆっくりと。

 

「あなたはもう、大丈夫です。」

 

茄子は、言葉を繰り返す。

大丈夫。大丈夫。

 

「あなたは、幸せになれます。

人を、幸せにできます。

あんな顔ができる、あなたなら。

あんなに嬉しそうに笑える、あなたなら。」

 

それは抵抗無く、耳から入ってきて。

そのまま、身体のどこか。

大切なところに、すっと浸透していく。

そんな、不思議な声。

 

「だから、大丈夫です。」

 

大丈夫。

何の具体性も無い、気休めにすらよく用いられる、極めて平々凡々な言葉。

それと全く同じはずのものを、ただ、茄子は繰り返す。

けれども、彼女がそれを発することで。

その意味は、まるで違う。

だって、彼女がそう言っているのだ。

絶対的な幸福である、彼女が。

その彼女が、大丈夫だと言っているのだ。

どこに、疑う余地がある。

 

どこにある。

その言葉に。

彼女に。

身を委ねない、その理由が。

 

乗せられている手の重さに合わせて、ゆっくりと頭が下がっていく。

膝の上に置かれた2つの握りこぶしが、少しずつ震えてくる。

 

それ以上は何も言わず、ただ、静かに。

茄子は、ほたるの頭を撫で続ける。

 

やがて。

必要最低限の音だけを立てて、ほたるは涙を流し始めた。

 

「……行こっか、芳乃。」

 

どうやら、私達はお邪魔のようだ。

そう感じて、私は二人に背を向ける。

 

「おせんべいが残り少ないのでしてー、買い足しに参りましょうー。」

 

「分かった分かった。」

 

財布と携帯だけ確保して、事務所の外へ出る。

ドアノブを掴むために振り返ると、二人の姿がちらりと見えた。

 

「……やっぱり、お姉ちゃんだね。」

 

妹のこと、任せたよ。

心の中でそう続け、私は事務所の扉を閉めた。

 

ばたん、と、少しだけ大きな音が響くと、少し遅れて。

その向こうから、ほたるの嗚咽が漏れてきた。

小さなそれは、だんだんと大きくなって。

 

きっと今、彼女は吐き出しているのだろう。

ずっと、本当にずっと、どこにも吐き出せなかったものを。

 

悲しみを。苦しみを。

嫉妬を。憎悪を。

罪悪感を。恐怖を。

怨みを。諦念を。

 

その身を潰さんとするまで、積り続けるしかなかった感情を。

やっと、吐き出せているのだろう。

 

「……いい天気だね。」

 

足下の水たまりが発する光に目を細めつつ、空を見上げる。

 

「……ええー、本当にー。」

 

午後からは、文句無しの快晴だった。

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