1.森の中にて
目を開けると目の前には森があり、淡い光を放つ満月が暗闇に慣れた目では少々眩しく感じた。
辺りが暗闇に包まれる中、月明かりのおかげか森だけははっきりと見える。
軽く風が吹き足元の草が足首を撫でる。
それが少々くすぐったく、小さく声を漏らした。
暇潰しにそこらへんを歩くが靴を履いていない為草が絡みつき歩きづらい。
何故靴を履いていないのかという疑問が浮かび上がったのだが、そもそも何故この場所にいるのかさえ何も思い出せないため早々に考える事を放棄した。
ふと、遠くの方を見る。
月明かりを邪魔する程の木がない為か、それとも夜露に濡れた為か。
柔らかな緑色の葉が輝いて見えた。
その中で一本、一際目を引く物があった。
それは小さな花だった。
一輪だけのそれは白く、柔らかそうな花弁を控えめに開かせてそこにあった。
自然と足が一歩、また一歩と進んでいく。
踏み出す度に草の柔らかさとくすぐったさが多少気持ち良かった。
ちょっと夜露で濡れていなければその場で寝っ転がってしまいたいくらいには。
花までの距離はほんの十数メートル程であったため、すぐにたどり着く。
花は光ったまま、そこで咲いていた。
一見して優しいと思わせる色合いのそれは蛍のような強すぎず、然し弱すぎもしない光を放つ。
それはただの光というには言葉足らずな気がした。
上手く表現する事は難しいが、それでも一番近い言葉を当てはめるとするのなら、“何かを呼んでいる”というのが正しいだろうか。
つまりは、十数メートル先からも見えたのは月明かりだけのおかげじゃなかった、という事らしい。
それにしても花が光るとは記憶にない。
それどころか、植物が光るなんて事自体が記憶になかった。
そもそも“記憶にない”という事を記憶していた事に多少の驚きはあるが、まぁ、それは今は置いておこう。
興味本位で少し触れてみた。
見た目通りの薄い花弁がちょっと爪が当たってしまうと破れてしまうのではと思わせる。
そんな事を考えながらこの不思議な花を観察していると、一瞬力強く光ったような気がした。
面白い物があるものだと軽く葉でも弄んでいたその時、草を掻き分けるような音が唐突に後方から聞こえた。
振り返りながらも耳を澄ます。
段々と大きくなるその音に、近くにいるのだろうかと目を凝らした。
森の奥、人影が一つゆっくりと近づいてくるのが見えた。
そして暗く深い森の中から月明かりの下へと姿を現す。
まるで妖精を人形にしたようだ。
それがまず少女への第一印象だった。
透き通った滑らかな金髪をツインテールにし、青い眼鏡の奥から意志の強そうな瞳を覗かせる。
歩くたびに煌く髪。
闇と同化してしまいそうな漆黒のワンピース。
目を奪われるとはこういう事なのかとただただ少女に見とれながら、なんて声をかけようかと頭を動かした。
そうだ、まずは道を聞こう。
『君、ちょっと道を教えてくれないかな?』
そう言ってどこまでか聞かれたら、こう答えるのだ。
『教会までの道さ。なんせ、君という天使を一人占めしているんだからね。神様に一言感謝を言いたいのさ』
――とね。
いい口説き文句が浮かび、ゆっくりと立ち上がりながら脳内で反復する。
そんなに距離はなかったがやけに長い時間が経ったような気がした。
それも少女が綺麗だからだろう。
きっと時も少女の美しさに見とれていて動くのが遅くなっているに違いない。
上手くいったらそう言ってみるのもいいかもしれないな、と考えながら目の前まで来た少女に自分なりにかっこよくありながらもにこやかに微笑んだ。
その微笑みに少女も優しく微笑み返して――なんて事は起こらなかったが早速口説きにかかる。
しかし一言目を発する前に少女が先に話してしまっていた。
ベッラの言う事を遮るような真似は自分的にはNGであるためすぐに口をつぐんだ。
深さの混じる若々しい緑の中に晴天を彷彿とさせる青。
宝石が嵌っているのだと言われても本気にしてしまうかもしれない。
それほどまでに印象的な瞳がまっすぐに自分を見ていた。
「主が待っています。私に付いて来てください」
少し強気そうな声質の可愛らしい声で淡々と少女は話しかける。
そして有無を言わさずに言外に『付いてこい』と言った少女は背を向けて元来た道を引き返していった。
自分の名前さえ確かめずに要件だけ伝えて歩いて行った事、そして突然出てきた待っているという存在。
謎ばかり作っておいて少女自身の事さえわからないまま。
――――ちょっとくらいの質問さえさせずにっていうのはないんじゃないのか?
「【主】って誰の事だ。俺の事を知っているのか?」
最初と同じようにゆっくりと歩いていく少女に問いかけたが、それを答える事はなかった。
ただ振り返り、レンズ越しに軽く確認するかのように一瞥するだけだった。
答えが欲しければ付いてこいという事だろうか。
どうせここにいても答えが見つかる事はないのはわかっていた。
ならば、会えば自分の名前くらいはわかるだろうか。
とりあえず行けばわかるだろう、という楽観的な思考のまま自分も少女の後を追って森の中へと一歩踏み出していったのだった。