他の作品をお待ちの方、すみません。
「どうも、はじめまして。隣に引っ越してきた静希草十郎です」
当初は、その礼儀正しいその挨拶に少し驚いた。今時、こんな都会の真ん中で、こんな風に挨拶に訪れることが稀だろうに、と。
「あ、えっと、うん、よろしゅうな。ウチは東條希や。静希くんやったっけ?そんな年変わらんみたいやし、敬語とか使わんでええで?」
「そうか?うん、それじゃあ、改めてよろしく東條」
そんな自分の言葉にホッとしたのか、目の前の少年は少し相好を崩した。
「うん、よろしゅうな」
考えてみれば、この時から随分と気を許していた気がする。本来、臆病な自分が警戒心を抱かないとは、あり得ないとばかり思っていたが。
しかも、それを自覚し、同時に理由も理解したのは随分と後の話。もう少し自分は『賢い』と思っていたのだが…いや、この場合は例外だろう。
◆◆◆
「ふう…」
そんなため息とともに、疲れを吐き出す少年。
空ははすっかり暗くなっており、辺りは街灯によって照らされていた。
「うーむ、また遅くなってしまった。今日も東條先輩に注意されるかもしれないな」
少年は困ったという表情を露骨に浮かべながら、帰路についていた。
彼の名前は静希草十郎。事情があって、ついこの前転校してきたばかりの高校二年生だ。
最初は驚くばかりだった街の様子にもすっかり慣れた…というわけではないが、バイト先から自分の家までの帰り道くらいはきちんと頭に入っているので、考え事くらいは許されるだろう。
そのまま、彼は自らの住むマンションに到着。自室の前に立つ。そうして扉を開けようとしたところで、
ガチャリ。
開いたのは草十郎の扉ではなく…隣のドア。
「お帰り~、静希くん」
現れたのは一人の少女。黒い髪を二つ結びにし、整った顔立ちにはニッコリとした穏やかな笑みを浮かべていた。彼女は東條希。草十郎の一つ上の先輩だ。所属する高校こそ違うが。
「驚いた。それなりに静かにしてたつもりだったんだけど…」
「ふふん、ウチより上を行こうなんて、まだまだ甘いで~」
「ううむ、流石は東條先輩だな」
草十郎の『静かにする』は普通は気付かれないどころか、察知することさえ至難の技なのだが、何故か毎度の如く目の前の先輩には気付かれる。
一度、どうやっているのか聞いてみたのだが、
「スピリチュアルやからね」
と、答えになっているのか、なっていないのか分からない返しをされた。それで「なるほど、すぴりちゅあるとは凄いんだな」と納得する草十郎も大概だが。
「今日も大変やったみたいやね」
「すみません。これでも、早く終わらせたんですが…」
「あんまり遅くなるのはお姉さん、感心せんよ~。まあ、しゃーないかもしれんけどね」
「はい、申し訳ない…」
少ししょんぼりした表情と声音で答える草十郎。
真摯な言葉には真摯な態度で応えるのは草十郎の美点でもある。間違っても、紳士な態度ではない。
そんな草十郎の態度にクスリと笑む、希。
「やれやれ、しゃーないな。ここは先輩の度量の広さを見せてあげようやないか」
そう言って希はタッパーを草十郎に向かって差し出す。それを受け取りつつも、首を傾げる草十郎。
「うん?これは?」
「お裾分けや。きちんとしたものくらい食べなあかんよ?」
「なんと、ありがとうございます」
希に向かって、ペコリと頭を下げる草十郎。それに対して、満足そうに希は頷くと、
「じゃ、お休みな。早く寝らなあかんよ?」
「タッパーは洗って返してな~」と言いつつ、手を振ってドアの奥へと引っ込んでいった。草十郎は同じく手を振り返しつつ、それを見送った。
これが彼女と彼の日常。何てことないお隣同士のお付き合い。
こんな風に付かず離れずを維持していた二人の運命は、ある日を境に少しだけ動き始める。
◆◆◆
「うん?ここは確か…」
珍しくバイトが取り止めになったことで、のんびりと帰路に着く草十郎は、とある神社の前で立ち止まることとなった。他ならぬ希のバイト先だ。
以前見かけた際の巫女の姿はどことなく神秘的な彼女によく似合っていて、少し感心したほどだ。
挨拶すべきかもしれないが、かと言って仕事中に話しかけるのも…と少し逡巡していると、
「二人とも~、早く速く~!」
「穂乃果、前を見ないと――」
「あっ、穂乃果ちゃん、止まって~!」
という声が聞こえたかと思うと同時に、
ドンッ。
何かが考え事をしていた、草十郎の背中にぶつかってきた。しかし、この程度の衝撃で倒れるほど、顔に似合わず柔ではない草十郎は、
「おっと」
という言葉とともに、少し前へと足を踏み出すだけにとどめ、その場で体を安定させたのち、ほぼ反射的に後ろを向いたかと思うと、草十郎が踏ん張った反動で逆方向へと倒れようとしていた少女の腕を素早く掴み、引き寄せることで彼女の体をも安定させた。
「おお…!」
「見事…!」
といった声が隣から聞こえた。そして、草十郎によって転倒が防がれることとなった少女は、ぶつかった鼻の部分を赤くしつつも、ポカンとしていた。その際、橙色のサイドテールが揺れ、どことなく尻尾のようにも見えた。
しかし、それも一瞬のことで、
「おお!凄い!ありがとう!あっ、じゃなくてごめんなさい!」
と、コロコロと表情が変化し、最後には頭を下げられた。それに対し、草十郎は何でもないように、
「ああ、いや、大丈夫。こっちもぼんやりしていたからね。お互い気にせずいこう」
「そっか、じゃあ、本当にありがとう!お陰で転ばないですんだよ!」
と、そんなやり取りをしていたところで、
「まったく!不注意ですよ、穂乃果!!本当にすみません。お怪我はありませんか?」
と、どことなく青みを帯びた黒髪をそのまま後ろに流した少女がぶつかってきた少女に注意しつつ、ペコリとこちらに頭を下げてきた。
「うん?ああ、大丈夫。心配してくれてありがとう」
草十郎はニコリと微笑んで、そう口にする。
「うちの穂乃果ちゃんがごめんなさい。でも、本当に凄かったですね~」
と、またもやペコリと草十郎に頭を下げつつ、そんなことを言うのは、どことなく穏やかな雰囲気を漂わせる少女。独特なサイドテールの結びをしていて、灰色の長い髪の多くを後ろに流しつつも、一部を一つ結びにしている。
「そうかな?あまり考えずに動いたからな…」
草十郎にしてみれば、考え事をしていたとは言っても、それだけだ。別に反応できないわけではなかった。
「いや、凄いよ!正にシュバッ!って感じだった!」
興奮したようにそう言う、橙サイドテールの少女。
「いや、シュバッ!って何ですか…」
思わず黒髪ロングの少女が突っ込むが、草十郎は納得したように、
「なんと。意識していなかったが、シュバッ!という感じだったのか」
「うん!シュバッ!って感じ!」
「おお、そんなにシュバッ!としていたのか」
「今のが分かるんですか!?」
草十郎と橙サイドテールの子のやり取りに思わず突っ込む黒髪ロングの少女。それをニコニコと微笑みつつ見守る、少し独特なサイドテールをした灰色の髪の少女。
「ああ、何せシュバッ!だからな」
「そうそう、海未ちゃん、シュバッ!だからね!」
と、聞いている方が頭の痛くなりそうな擬音だらけの会話をする二人。何だかどこかで通じ合うものがあったようだ。
「えっと、改めてはじめまして!私は高坂穂乃果です!さっきはごめんね?」
「気にしなくいていいぞ?俺は静希草十郎だ」
むしろ、自分もぼんやりとしていたせいもあるだろうなどと考えられるのが、草十郎が草十郎であるが所以だろう。
「ほら!海未ちゃんたちも!」
橙サイドテールの子が黒髪ロングと灰色サイドテールの子にも紹介を促す。
「ちょっと、穂乃果!?…はあ、えっと、園田海未です」
「南ことりです。宜しくお願いしますね」
黒髪ロングの子と灰色サイドテールの子からも自己紹介を受け、軽く会釈する草十郎。
「静希くんか~。高校生だよね。何年生?」
「二年だな。高坂さんは?」
「私たちも二年生だよ!一緒だね!」
「おお、そうなのか。偶然だな」
嬉々として話す穂乃果にそれに頷きながら答える草十郎。どことなく波長の合うらしい二人はぶつかった者とぶつかられた者とは思えないほどの打ち解けっぷりであった。やがて、見兼ねたように海未が口を開く。
「穂乃果、そろそろ…」
「あ!うん!そうだね。そういえば、静希くんは神社に何か用事?私たちこれからダンスの練習するんだ」
「うん?まあ、知り合いが神社にいると思うから顔を出そうと思ってね。実はそのことで迷ってたんだ」
「そうなんだ!じゃあ、折角だし、私たちのダンスも見ていく?」
「ちょっ、穂乃果!?」
穂乃果の言葉に海未が焦ったように声をかける。恥ずかしがり屋の彼女には少々厳しいと感じたためだ。
「いいじゃん、その内たくさんの人の前で踊ることになるかもしれないんだよ?今の内に慣れておくのもありだと思うな!それに、草十郎くんはいい人そうだし!」
「それは、そうですが…」
後半はともかく、前半の穂乃果の言い分はもっともであり、海未も強く否定できない。
「で!どうかな?」
「ふむ、ダンスはあまり見たことがないし、見てみたいな」
「じゃあ、決まり!!」
素直な感想を口にする草十郎だが、他人のことを思いやれるのも草十郎の美点だ。だからこそ、素直に疑問を口にする。
「園田さんや南さんはいいのか?」
「私はいいと思うな~。結構大切なことだと思う」
「うう、しかし、とても人に見せれるような状態では…」
ことりはむしろ賛成なようだが、やはり海未はいまいち気が乗らない様子だ。あまり人に嫌なことをさせるも…と、草十郎が考えていると、
「ええんやない?」
上からの声に振り向けば、そこにいたのは巫女服姿に、箒を持った希。
「あ、副会長」
穂乃果が思わずといった様子で呟く。どうやら知り合いらしい。穂乃果の言葉を聞き、世間は狭いな、と草十郎はぼんやりと考えた。
「静希くんなら、心配いらんやろ。たとえ下手でも人のことを笑ったりせえへん人やからな」
「あれ?二人とも知り合いなんですか?」
穂乃果が少し驚いたように、草十郎と希に視線を行き来させる。
「まあな。今日は珍しくバイトないんやな、静希くん?」
「ええ、まあ。今日は店休日にするそうです」
などと軽く会話をする二人に、すわそういう関係かと、どことなく期待半分の目で見る、三人に対し、希は薄く微笑み、違うとばかりに軽く手を振り、
「残念ながら、期待しとるような関係ではないんよ?」
「…期待しているような関係?」
もちろんのこと、その言葉の意味を草十郎が察せるはずもなく、首を傾げる。それに対して、希は悪戯っぽく微笑んで、
「ウチと草十郎くんが恋人同士かもーっちゅうことよ」
「うん?何故いきなりそういう話になるのかは分からないが、東條先輩とは部屋が隣同士なだけだぞ?」
希の言葉に本気で首をひねる草十郎はそう口にする。その様子に、希はどこかあきらめたように溜息をつき、穂乃果たちはそうなのかと思うと同時に、何となく草十郎の性格を察した。ああ、さてはこいつ天然だな…と。
「それはともかく、東條先輩は仕事大丈夫なんですか?」
「少しくらいは構わんよ。そんなにお客さんがいっぱいってわけでもないしな」
「そうですか」
草十郎の素直な疑問に希はそう答え、「どうする?」とばかりに三人娘に向かって視線を投げかける。とは言っても、それは実質一人に向けられた問いだ。
「…じゃあ、静希さん、その、宜しければ、どうぞ」
「良いのか?」
「はい、覚悟を決めました!」
何だか、ただ踊るところを一人に見せるだけで、多大なる覚悟を背負っている気がしないでもないが、まあ、張り切ってるのはいいことだろうと草十郎は思い、特に気にすることはなかった。
◆◆◆
これが彼女たちとの『START:DASH!!』でもあったのかもしれないと彼が気付くのは、もう少し後の話。