※Pixivとのマルチ投稿です。初回投稿日:2014/09/13
百の提督がいれば、百の艦隊運用があるだろう。数多の提督の一人である私の運用方針は、艦娘たちのモチベーションの重視である。例え実力は申し分なくとも、気乗りのしない出撃を強要しては、そのポテンシャルを十全に発揮することはできない。彼女らは意思を持たない鉄の塊ではないのだから。
ゆえに、私は編成に際して、候補となる艦娘たちを自分の執務室に集め、彼女らの意思意向を取り入れながら選定を行う。
誰もが席を取り合うような魅力的な作戦もあれば、皆が一様に押し黙ってしまう今回のような任務もある。
「睦月……前も行ったばっかり……」
「南は日差しが強くてぇ~、お肌に悪いのよねぇ……」
口々に不平不満が漏れるのも仕方ない。これから私が命じようとしているのは、輸送艦の護衛任務なのだから。彼女らは敵を叩くためにこれまで切磋琢磨を積み重ねてきた。その努力の成果を行使せずに済むことを僥倖とする護衛を喜んで引き受ける艦はあまり居ない。
執務のための大きな机を囲んで煮え切らない様子で立ち尽くす面々の顔を、私は改めて見渡した。こんな時、私は決まって
「私が行こう、司令官」
そう言って一歩前に出るのは睦月型駆逐艦九番艦・菊月である。
彼女の申し出はありがたいが、気はあまり進まない。何故なら、彼女はいつだってこうして皆がやりたがらない任務に率先して赴いてきたからだ。
そんなこちらの顔色を読み取ったのか、菊月の方から逆に気遣われてしまう。
「護衛も大切な任務だからな。それとも、私では力不足か?」
彼女の物言いは常に端的で、隙がない。
「いや、十分だ。よろしく頼む」
それ以外の返答を許さない提言で、彼女の南方遠征が決定した。
派手な活躍がない上に面倒な事務手続きや報告義務ばかり課せられる旗艦が決まったことで、あとは自然と立候補する艦が現れ始める。
「それなら私も行くよー。菊ちゃんのお供なら楽なもんだし~」
「じゃあ、電も……最近遠征参加してなかったし、そろそろ行っておくのです」
「あ! それなら私も!」
「どーぞどーぞ」
こうして、護衛任務の編成は決定した。菊月にはとりわけ負担ばかり掛けていることを自覚している。それなのに、こうしていつも出撃候補艦の
遠征のような退屈な任務は忌避されがちだが、その対極の理由で同じように彼女らの面持ちを曇らせる作戦がある。
先の菊月を旗艦とした護衛任務の完了からしばらく経った頃、今度は別の作戦のため、私は様々な艦種の面々を集めていた。
「艦隊決戦か……胸が熱いな」
「鎧袖一触よ。心配いらないわ」
主力となる戦艦や空母たちは意気揚々と任を承諾してくれる。問題は……
「えーっとぉ……こういうのはボクより新型のコの方が……」
「この作戦ではあたしは一番じゃないんじゃないかなぁ~……ウン」
小回りの利かない大型の戦艦や空母を支援するために駆逐艦の参画がどうしても不可欠なのだが、それは桁外れの砲撃の合間を掻い潜っての戦闘になる。如何に速さに自信があっても、一瞬でも気を緩めれば即大破・轟沈に繋がる危険な戦場である。その上、成果を持て囃されるのは強大な火力を持つ主力艦たち。
そんな場違いな死地に自ら赴こうとする駆逐艦は……彼女くらいのものだ。
「……ならば、私が共に征こう」
この自己犠牲ともいえる進言に、周囲からは感嘆も賞賛もない。聞こえるのは安堵の溜息のみ。皆、彼女が引き受けてくれることを期待し、待っていた節がある。
しかし、私も彼女らのことは言えない。不遇な任務が彼女に偏っていると知りながら、こうしてまたしても候補の一員に加えてしまっているのだから。彼女自身、己の境遇については自認しているだろう。実際、他に希望する艦がいない場合のみ、彼女は名乗りを上げる。誰もやりたがらないからこそ、彼女が
余計な言葉を口にすることの無い彼女は、何故に自らを追い詰め続けるのか。不甲斐ないことに、それは私にも分からない。しかし、今度こそ本当に沈むかもしれない死に場所と向き合う彼女の双眸に怒りや怯えの色はない。ただ、与えられた任務を完遂せんとする強い意志だけが感じられ、これには私の方が気圧されてしまう。
ゆえに、口先だけの気遣いなど、今の彼女に掛けることなどできない。
「では、第一艦隊の諸君は速やかに補給を済ませ、指示があるまで出撃態勢のまま待機!」
はいっ! と足並みを揃えた敬礼の中、さして大きくもない菊月の声が、私の胸に一際重く響く。一度沖に出て交戦が始まれば提督たる私には、彼女らを、そして、勇敢なる駆逐艦の無事を信じることしかできない。
編成会議が終わり、艦娘たちが退室していくと、私は机の前に一人残された。そこで、作戦の成否よりも
軍にとって艦娘は海域を制覇するための協力者であり、全ての艦に対して平等に接しなくてはならない。特定の艦に肩入れするようなことがあってはならない。
彼女らを単なる手駒として扱えればどんなに楽だろうか。実際、性能だけ見れば睦月型には姉妹艦が多く、菊月の代わりとなる艦は少なからずいる。
しかし、もし彼女を
この気持ちは、罪悪感……なのかもしれない。軍に対する彼女の功績に見合う花を添えられないままいなくなられては、私の中には懺悔の念しか残らない。
菊月がこの作戦から無事帰還してくれたら、次は彼女を中心とした水雷戦隊を編成することに決めた。高速艦の機動力を活かした戦闘でこそ、彼女は本領を発揮することができるだろう。
だから……必ず帰ってくるんだぞ……。私は遥か西方で死の淵を駆け巡ることになるであろう小さな駆逐艦の生還を祈っていた。
一週間後、電文にて先の作戦の旗艦より勝利の報せを受け取った。総員目立った損傷もなく、ほぼ完全な形で敵の殲滅に成功したようだ。これなら、すぐにでも次の戦いに臨めるだろう。
私は彼女らが帰投するまでの間に菊月を旗艦とする艦隊への参戦艦を募った。菊月の日陰の活躍は皆も知るところであったため、この旗艦の抜擢に意義を唱える艦はいなかったし、編成にも極めて協力的だった。
電報から三日後、ようやく主役が母港へと帰還した。疲れているところ申し訳ないが、然程時間を取らせるつもりもなかったので、武装を下ろしたらすぐに執務室まで来るよう言伝を頼んだ。
少しして、部屋の扉が二度ほど敲かれる。
「菊月だ。入るぞ」
私の前に現れた彼女は、まるで出撃前と見紛うほど綺麗に繕われていた。報告通りの姿をこの目で確認できて、私は一先ず胸を撫で下ろす。
部屋を覗きこんだ菊月は、中がガランとしていることに意外そうな顔をしていた。思い返してみれば、彼女への任務はいつだって他艦から回されたものだ。こうして彼女
静かな室内に、菊月の足音だけがコツコツと鳴り渡る。そして、机を挟んで正面に相対したところで、先ずはこちらから今回の礼を述べた。
「任務遂行ご苦労だった。貴艦の活躍により、敵主力艦隊を殲滅することができた。感謝する」
「礼には及ばない。主力艦を護るのが私に与えられた
謙虚というより淡々としている。その口調は、私との接点を避けたがっているようで、少し寂しく感じられた。尤も、菊月に対して厄介事ばかり持ち込んでいる私に、彼女から好かれる要因などないのだが。
「帰還して早々に申し訳ないが、次の作戦について説明させてもらう」
作戦内容を聞きながら、菊月の様相が少し忙しなくなっているのに気がついた。彼女を思っての編成のつもりだったが、余計な気遣いだったのだろうか……?
「……これで、本作戦の概要は以上となるが……旗艦を引き受けてくれるか?」
難しいようなら他の艦に、という憂いを含んだ私の問いに、菊月は長い銀の髪をふるふると振り回して仔細ないと顕示する。
「ぜっ、是非とも私にやらせてくれ! 必ずや勝利を収めてみせよう!」
頬を紅潮させて胸を張る菊月に、私の中にも誇らしさが芽生えてくる。
「同行してもらう艦については既に準備は済んでいる。菊月、どうか彼女らを守ってやって欲しい」
出撃が近いことが実感できたからか、彼女はいつもどおりの冷静な顔つきを取り戻す。
「うむ……浮かれている場合ではないな。任務は遂行する。部下は護る。それが旗艦の務めだ」
やはり浮かれていたのか……。今まで見ることのできなかった菊月
「それでは、
この指示について、別段深い意味などなかった。旗艦を任せる以上、外から見えない内部的なダメージまで完全に修復しておいて欲しいと考えただけだ。
だが、何に対してそこまで驚いているのか、彼女の顔色がみるみる青褪めていく。
「どうした、菊月……?」
彼女の狼狽えように、私は思わず声を掛ける。
「私……
改めて見回す必要のないほど寂しげな室内を、何度も何度も見回している。常に冷静な彼女がこんなにも感情を露わにするのは貴重な光景だが、このような表情はあまり見たくない。
「ああ、大型艦の修復は長時間拘束されるし、資材もかかるからな……。急くこともあるまい」
今回の戦いでは中破した艦もいないようだし、次の出撃を控えた彼女以外の艦を今すぐ入渠させる必要もないだろう。そのことに何の不安があるのか分からないが、彼女の怯え方は尋常ではない。
「そうだな……ああ……私は……大丈夫だ。大丈夫だぞ……うむ」
全く大丈夫ではない足取りで、菊月は扉に寄り掛かるようにして退室していった。
今回の作戦は、普段の彼女であれば不安要素は皆無だ。しかし、
彼女の異変は気になるが、これから兵装を固めようとしている艦娘を官舎に呼ぶわけにもいかない。私は、彼女の出撃準備が整うであろう頃を見計らって、こちらから彼女を訪ねてみることにした。
菊月が細かな傷を治して補給を済ませ、部屋に戻っているだろうタイミングで、私は艦娘たちの宿舎にやってきた。目的の部屋をノックしてみるも、返事はない。
あまりしつこくしても隣室の女性陣から疑わしい目で見られてしまう。一先ず大人しく引き返すことにしたが、帰り際にロビーで睦月型の艦たちが談笑しているのが目に入った。もしやその中に……と話の輪を覗きこんでみたが、そこにも菊月の姿はなかった。
「菊月の所在を知らないか?」
私からの問いかけに、彼女らは心配どころかニヤついた笑みを返してくるのが少し恐ろしい。
「提督~、男はそういう野暮なことは気にしないもんですよ~♪」
「司令官、そう怪訝な顔をするな。上官らしく、部下を信じてやってはどうだ」
私は何のわだかまりもなく納得したように振る舞いながらその場を立ち去った。だが、そう言われて『そうか、それなら心配ないな』と流せるような薄い危機感でやっていけるほど提督は安寧な役職ではない。
私は胸の奥で燻っている不穏な予感を払拭するため、とっくに菊月の補給を終えて機材を片付け始めているはずの基地に足を向けた。
しかし、私の期待を裏切るように、妖精たちは作業着のまま並べられた機材の上で待ち惚けていた。
「菊月さんですか~? まだいらしてませんよー。どうしたんでしょう? 用意した燃料無駄になっちゃいますよ?」
彼女らの呑気そうな声とは裏腹に、確定された絶望に押し出されて、私はその場を立ち去った。こうなれば、いま彼女がいる場所は一つしかない。私は提督の強権を以って男子禁制の
「にゃ~!? 提督!? 男の人の立ち入りは――!」
招かれざる侵入者に避難の声を向けるのは……外装の縫製を担当している妖精たちだ。そして、彼女らの脇に綺麗に畳まれて『修復済み』のラベルが貼られた黒い装甲は……
「菊月! お前、やはり……!」
私は艦の気配のある浴室の磨りガラスを睨みつける。
お前、本当は中破……いや、大破していたのかもしれない。先刻、私の前で着ていたのは艦娘としての装甲ではなく、我々人間が着ているものと同じ
駆逐艦の短い修復時間ゆえに今まで気づかなかったが、おそらくこれは今度に限ったことではないのだろう。宿舎で会った艦娘らの様子を見ても、このことは公然の秘密のような扱いだった。
しかし、これは虚偽を報告した旗艦にまで波及する問題であって、断じて見過ごすことはできない!
「長門からも後で事情を聞く必要があるが……菊月、この件について貴艦からの弁明はあるか?」
ガラス戸の向こうからの返事はない。
「被害を隠していては、艦隊全体を危険に晒すことにもなる。それが解らぬ貴艦でもあるまい」
彼女からの反論は未だなく、それが私を苛立たせる。私はこれからも彼女を信頼していきたい。今日、執務室で見せてくれた感情の機微に触れて、その想いは一層強くなった。
だから、何か言ってくれ……。頼む……。
私は最後通牒のつもりで、大声を張り上げる。
「私には貴艦らを守る義務があり、貴艦らは部下として情報を正しく報告する義務がある! もし黙秘を続けるのであれば――」
次の作戦の指揮は――そう続けようと呼吸を整えたところで――
「……すまなかった……」
彼女のか細い声が、タイル貼りの浴室を反響して私のいる脱衣所まで響いてきた。それから少し間を置いて、彼女から自白の覚悟が固まった旨が伝えられる。
「全てを話そう。だから、申し訳ないが、中に……私の傍まで来てくれないだろうか……。ふたりだけで話がしたい」
「にゃっ!? にゃぁ~!!?」
真っ赤になって修復妖精が手にしていた縫い針をチリンと落とす。が、驚いているのは彼女らだけだ。上官という立場で私はこの程度のことで動じたりはしないし、手心を加えるつもりもない。遠慮無く扉を開け放ち、皮の軍靴のまま滑りやすい濡れた床を踏みしめる。
立ち込めた白い湯気の向こう側に、しっとりと濡れて輝く銀の後ろ髪が覗く。床をくり抜いて作られた足下から一段低い湯船の内壁に寄りかかるようにして、菊月は待っていた。彼女にはそこから上がったり、こちらを振り向いたりする様子はない。その表情は窺い知れないが、温かな修復液の水面に漂う長い髪先は、ゆらゆらと不安そうに波打っていた。
私は彼女の身体を意識することなく、その後頭部の前に跪いた。そして、議論に不適切な場であることに配慮して、早々に本題を切り出す。
「未だ補給が済んでいない理由を話してくれるか? 武勲を急く貴艦ではあるまい」
こんなに修復に時間が掛かるほどのダメージを受けながら、それを隠して彼女は何を求めているのか。そもそも、功を焦るくらいなら、これまでのような任ばかりを選んで受けたりするはずがない。
浴室には響かせず私だけに聞こえるよう、菊月は小さくポツポツと話し始めた。
「今回……大きな傷を負ったのは私だけだった……」
報告には総員目立った損傷なし、と書かれていた。おそらく、彼女
「私は、怖かったんだ……。
彼女とて不死身ではない。敗戦の末に傷だらけで帰投したうちの
しかし、今回は連戦になってしまうためその僅かな時間すら取れず、彼女の
行い自体は許されることではない、が……そんな虚勢もある意味彼女らしい。知ってしまった以上今後は認められないが、この程度のことで彼女に対する信頼が揺らぐことはない。
「菊月……私は貴艦の能力を疑ったことなどないし、今後も――」
「……というのは、今回は関係ない」
割り込まれた彼女の思いがけない一言に虚を突かれた私は思わず息を呑む。
「他の艦たちに、そのような理由で報告の口裏を合わせてもらっていたのは事実だ。だが、既に私の傷は癒えている。今回、出撃準備が滞っているのは……全く別の理由なんだ」
長くなるが、何も言わず最後まで聞いて欲しい、と前置きをして、彼女は今まで誰にも打ち明けることのなかった自身の生い立ちを語り始めた。
「
神話……か。私も提督の端くれとして聞いたことがある。神々の戦いの中に『ソロモン海戦』と呼ばれる一連の戦いがあった。数ヶ月にも及ぶ激しい戦闘の末に、多くの艦がそこに沈んだといわれている。
「私の魂もその海域に浮かぶ島の一つ、ツラギという場所に眠っている。だが……」
チャプン、と水が跳ねる音が聞こえた。見れば、菊月の小さな肩が震えている。それがあまりに弱々しく、思わず後ろから抱きしめそうになった。が、すんでのところで押し留めて、彼女の言葉の続きを待つ。
「私は……鉄底海峡の一員として認められなかった……。私が斃れたのは『ソロモン海戦』の前哨戦である『ツラギ攻略作戦』だったからな……」
時期が少し早かった。それだけの理由で、彼女の魂は孤独に苛まれてきたのか。他の艦たちはすぐ傍にいるのに。近いのに遠い。艦娘として生まれ変わるまで、彼女はずっと寂しさの中で苦しんできたのだろう。
「そうか……お前の魂は今でも
「違う!」
黙って聞けと言われていたのに、つい挟んでしまった私の言葉を、痛々しい悲鳴が遮った。
「沈んで……ないんだ……。あのまま静かに沈めれば、どんなに楽だったか……」
彼女の悲しみの核心に近づいているのを察して、私は口を閉ざす。
「ツラギの水上基地で補給を受けている最中、敵の空襲に遭ってな……。傷を負いながらも何とか逃れようとしたのだが、座礁してしまい……そこで……トドメを……」
足を取られて身動き一つできない中、空から爆撃が降り注ぐ。それだけでもこの上ない恐怖だったろうに、彼女の絶望は、死してなお終わることはなかった。
「沈んだ場所が悪かったんだろうな。私の
嗚咽でかすれてそれ以上言葉にならない菊月を、私はもう放っておくことはできなかった。胸を軋ませる鈍い痛みに押されて、私は両腕の中に小さな銀の頭髪を包み込んでしまっていた。
彼女は突然目元に現れた袖のうちの一本に引き千切らん勢いで掴みかかり、噛み付くような力強さで自分の口元に押し当てた。
「う……うぅ……むぅ……うぅぅ……!!」
私の胸の中で声を殺して泣きじゃくる彼女に掛ける言葉を、私は持ち合わせていない。ポトポトと私の腕に降り注ぐ涙が彼女の悲しみを流し終えるまで、私は黙って彼女を抱きしめ続けた……。
しばらくして、私の腕に食い込む指先が弱まった。それで私も安心できたからか、彼女のことがより一層愛おしく感じられ、空いていた方の手で彼女の髪を撫でてやった。子供のような扱いは嫌がるかと危惧したが、彼女の頭は私の指をすんなりと受け入れてくれた。
「悪かったな……突然泣き喚いたりして」
「こちらこそ、辛いことを思い出させて、すまなかった」
艶やかな髪を梳かれていた菊月だったが、彼女の方から我々が忘れかけていた本題を思い出させてくれた。
「それで……その……アレだ。今回の出撃準備が滞っていた件だが……」
これまでの辛みとはまた違い、とても申し訳なさそうに小さくなった菊月は、言葉を迷わせながらおずおずと口を開く。
「ああ……ナンだ……。これから
彼女との付き合いは決して短いものではないが、そのような心傷を負っていたなどとは思いもよらなかった。彼女にとっては、どんなに平凡な護衛任務より、どんなに激しい砲撃戦より、
「もう二度と申告を偽ったりしない……だから……その……」
添えるだけだった袖の上の両手に、再び力が篭められる。
「……
その子供じみた願いを、私には笑い飛ばすことなどできない。たった一度の補給から、恐怖と、屈辱と、そして孤独の底に突き落とされた彼女にとって、それは一縷の光を乞うような祈りなのだから。
「補給の時だけで、いいのか?」
「えっ?」
腕の中で振り向こうとして身が捩られるのを感じた。
「いつだって私がお前の手を握る。お前はもう
「司令官!!」
ザバァッ、と私の腕の輪から突き出して菊月は徐ろに立ち上がった。そして、こちらに向き直った彼女の瞳は涙で潤み、武人としての凛々しさを忘れさせるような、可憐な少女の笑顔を浮かべている。
しかし、その長い髪が張り付いた素肌は……こんな雰囲気になってしまっては、もう上官としての威厳など保ってはいられない!
「とっ、ともかくふたりで補給を済ませよう。私は外で待っているから――」
慌てて裸体に背を向けながら立ち上がり、いそいそとこの場を後にしようとした私の背中を
「待ってくれ」
と菊月が呼び止める。
身体を隠しているのかと横目で確かめながら恐る恐る振り向いてみるも、彼女の指先は湯船の中に真っ直ぐ下ろされたままだったので、すぐさま扉の方に向き直した。
「司令官、さっきと言っていることが違うのではないか?」
何のことかと思ったが……
「私を護ってくれるのだろう? そのためには
いや、守るために必要な情報とは、もっと別の……!!
しかし、彼女の言葉選びには隙がない。
「それとも、私の身体は見るに耐えないか……? 敵の手によって汚されてしまった私は……」
こんなことを言われて受け入れられない男など、おそらくいはしないだろう。
「ふ……少しズルかったな。すまない」
修繕の湯から上がり、同じ高さに立つ菊月を私は正面から迎える。その身体は、大人と呼ぶには小さく、子供と呼ぶには艶やかに成熟していた。
本当にこのまま彼女の身体を眺め続けて良いものかと戸惑っていたが、彼女の方から一つ二つと歩み寄り、私の胸に再び白銀の繭が収まった。
「貴殿の目で見て、貴殿の身体で触れて、直に私を感じて欲しい。私を護ると約束してくれた貴殿にこそ、私の全てを委ねたいんだ……」
……………………。
ふたり並んで補給基地までやってくると、担当の妖精たちは待ちくたびれてカードゲームに夢中になっていた。
「あれ? 補給は中止じゃなかったんですねー。もう少し待っててもらえます? 私の上がりで終わりますんで」
「そうはいくか! リバース!」
「にゃにぃ!?」
補給資材だけ用意させて、予定の時刻から大幅に遅れてしまったのはこちらの落ち度だ。出撃予定まで時間的余裕もあるし、私は彼女らを咎めることなく、一試合が終わるまでこのまま待つことにした。あえて急かすことをしない
「私は、ずっと誰かを護ることだけを考えてきた。もう誰にも私のような想いをさせたくないからな」
だからこそ、彼女は皆が避けて通りたがる任務に率先して参加してきたのか。誰にも護られないものを、護るために。
「しかし……本当は私自身が護られたかったのかもしれない。その願いが、このような姿を形作ったように思えるよ」
彼女の濡れた髪はきちんと乾かして綺麗に梳かされ、今度こそ彼女の一張羅たる艦としての装甲を身に纏っている。それは見慣れたいつもの菊月のはずなのだが、これまでの彼女より、一段と可愛らしく感じられる。勿論、彼女は元々可愛かったが。以前と変わったところといえば、表情が柔らかくなったことと――
「司令官と同性の身体を模していたら、
こんな冗談を交えるようになったことか。私は鼻の頭が熱くなるのを感じつつ、苦し紛れに平然を装った咳払いで誤魔化す。
「あ、ああ……どこまでも護っていくさ。お前の全てをな」
「うむ、楽しみにしているぞ❤」
私の手を握りしめていた菊月の指が離れると、更に絆を強めるように、今度は腕ごとしっかりと絡ませ、頬をぴったりと私に寄せる。
そんな私たちには目もくれず、妖精たちはカードを引いたり出したり押し付けあったりしている。彼女たちの逆転に次ぐ逆転の繰り返しを眺めている今だけは、私たちは提督と艦娘という立場を忘れていられる気がした。