そのとき、セシリアと鈴音の絶叫が場を満たした。
眼前では、銀の福音の攻撃を受けた一夏たちが黒煙を引きながら、うろこ状に輝く海面へ力なく落ちていく。
ラウラとシャルロットが飛び出す。二人は黒い暴風雨となり海原へ逆落ちる。
デジタル表記の高度計が、三千、二千、千とその数値をみるみる減らす。それにつれて、潮風の匂いが濃くなる。
空気が身体に纏わり付くようになり、粘度の高い液体のように抵抗となる。
「瞬時加速だ! シャルロット!」
「分かった、ラウラ!」
疾風と黒い雨が、世界を切り裂く。手を限界まで伸ばすも、落ちていく二人の身体は中々掴めない。だからといって諦める訳にはいかない。
歯を食いしばる。
再度の瞬時加速。短期間の連発に、軍人として鍛え抜かれたはずのラウラの筋肉が、骨格が、内臓が軋む。喉から溢れ出してきた胃液を飲み下す。ヒリヒリとした喉の痛みを堪え、シュヴァルツェア・レーゲンのカタログスペック限界まで速度をたたき出してみせる。
「届けぇええええええ!!」
一本。ラウラの指先一本が白式の装甲に引っ掛かる。それを手繰り寄せ、抱きかかえる。
シャルロットの方を見遣れば、その腕には箒が抱かれていた。
僅かばかりの安堵が押し寄せてくる。が、ラウラは一夏の状態に、その安堵も消し飛ばされた。
一夏は、シールドエネルギーが切れかかった状態で、福音のエネルギー弾をその身で受け止めたせいか、全身に重度の火傷を負っていた。皮膚のいたるところがひきつれや爛れており、とてもではないが、見ていられない有様だ。呻き声にも力がない。
軍属のラウラは、一夏の状態を見て、一刻も早く治療をしなければ命に関わると判断した。
「セシリア! 鈴! 撤退だ、気をしっかりもて!」
呼びかけられた二人は、肩を跳ね上げた。福音を憎悪に満ちた目で睨む。
が、ラウラの声に今すべきことを悟ったのか、セシリアたちはほぞをかみつつも、すぐに撤退をはじめた。
合図もなしに、セシリアと鈴音が、ラウラとシャルロットを護衛する。
スターライトmkⅢと双天牙月とが白光を受けギラギラ輝き、福音を制する。
その輝きに、ラウラは頼もしさを感じた。
「動いてご覧なさい。必ずわたくしが撃ち落として差し上げます」
しかしなぜか、福音は飛び去っていく彼女たちを追撃することはなかった。
それに疑問を抱きながらも、彼女たちにできることは、ISに鞭打ち、旅館へと急ぐことだけだった。
箒が目を覚ますと、旅館の一室にいた。
部屋は物音一つしない。周囲からひとけも感じられない。
初めは状況を把握できず、天井を見つめ固まっていた。だが、次第に記憶が蘇るや、その身を跳ね起こさせた。
顔を手の平で覆う。思い出すのは銀の福音。視界を埋め尽くさんばかりに放たれるエネルギー弾。
あれを掻い潜る技量なぞ、箒にはなかった。なのに。
「生きているのか……」
指の隙間から覗く口元が引き攣ったように歪む。
辺りを見回し、枕元に置かれていたISを引っ掴む。乱暴に装着すると、大股に部屋から出ようとする。
その際、洗面所の鏡が目に入った。薄暗い鏡面には、幽鬼のように空ろな笑みを浮かべた、醜い怪物がいた。
お似合いの顔だ。そう思う。
「むっ」
だが、一つだけ気にかかるものがあった。髪を束ねたリボン。これは、相応しくない。一瞬躊躇ったが、リボンを解き、丁寧に折りたたむと、洗面台の上に置いた。
そして鏡を見れば、完璧だった。
箒は鼻で笑うと、旅館の入口へふらふら向かう。道中誰にも出会わなかった。だが、旅館全体からは、ばたばたとした気配を感じる。恐らく、福音の対策に教師たちが右に左に走り回っているのだろう。御苦労なことだ。もうその必要はないというのに。
短いような、長いような、どれだけの時間が経ったかも判別できないまま、おぼつかない足取りで海に出る。浜辺には漣の押し寄せる音だけがする。
静かだ。波の音が、あまりにも穏やかで、優しく迎え入れてくれるようだと錯覚してしまう。
「一人か。良い景色だ」
影法師の頭を踏みにじる。ザクザクと砂を、影を踏み付けながら進む。
箒は波打ち際に辿り着いた。
砂浜にうたれた波が、細かな泡となり箒の足を擽る。ずぶ濡れになった靴が重たい。脱ぎ捨てる。捨て去った靴は波にうたれる。どうせ構うまい。もう、不必要だ。
軽やかになった足取りでちゃぷちゃぷ押し寄せる波をかき分ければ、足首まで女波に浸った。足首を刺す冷たさが心地良い。
「紅椿」
熱い溜息と共に吐き捨てた命令に、紅椿はその意を忠実に汲み取り、装甲を展開する。
計器のシールドエネルギーだけに意識を向ける。シールドエネルギーは三割もない。が、一回飛ぶには十分だ。銀の福音の元へ行くには。
沖合を見つめる。静かだ。どこまでも広がる海原に、見とれる。
「そろそろ行くか」
紅椿が力場を形成し、浮かび上がる。箒がキッと目を向けた先に、銀の福音がいる。紅椿の超々望遠機能が、その姿を映し出す。どこかの小島に仁王立ちしている。まるでうち捨てられた機械のよう。その様子から、どうやらまだ命令が下されていないようだ。
さて、行こう。そう決心した瞬間、
「何やってんのよ!」
後ろから飛びかかり、止めるものがいた。
振り返れば、鈴音が必死な顔で紅椿の背部装甲にしがみついていた。
箒は眉をひそめたが、背中に張り付いた鈴音を優しく降ろす。
「何をしているんだ、お前は」
「それはこっちの科白よ! 様子を見に行ったら、部屋はもぬけの殻。しかもISまでなかったのよ。探してみれば、ISを纏って勝手にどっか行こうとしているし!」
「そうか。なら帰れ。もう心配する必要もない」
箒を見上げていた鈴音が柳眉を逆立てる。
怒りに染め上げられた眼に刺し貫かれ、箒は目線を逸らした。
「ふざけんじゃないわよ! あんた、自分勝手もいい加減にしなさいよ!? 心配するに決まっているでしょ!」
「……お前には関係ない」
捕まれていた手を引き離す。
かなり強く捕まれていたが、篠ノ之流剣術の無手術をもってすれば、この程度の拘束を外すのはわけない。
襟首を掴み上げていた手を剥いだ瞬間、頬に痛みが走った。
鈴音が平手を振り切っていた。
「この馬鹿!」
一拍後れて頬が熱くなった。
捩れた首を戻すことなく、目だけで鈴音を見る。
鈴音が、目に涙を貯めていた。
そのなみなみと貯まった雫に見入った箒は思う。
――ああ、本当に、優しいな。
だからこそ、箒は表情を顔に出さぬようにし、鈴音を見下ろした。
キッと見上げるまなじりには、今だ涙が波立っている。
「用はすんだか」
「なんで分からないのよ。あんた、そんな奴じゃなかったでしょ!」
すがりつくように吐き出された言葉。それが、無性に箒の気に障った。
口元が歪む。自分でも分かる。今、箒は嘲っていると。
「そんな奴、か。お前に私の何が分かる?」
止まらない。止めようと思っても、箒の口は意志とは裏腹に、勝手に語り出す。
「――姉の威を刈るしか取り柄のない無能、姉に依怙贔屓されている卑怯者、姉を止めることもできなかった犯罪者、姉の居場所もわからない穀潰し」
「な、何を言って」
狼狽える鈴音の顔がおかしくて、箒は声を出して笑った。
「分かるか? 分からないだろう! すべて私が言われた言葉だ! 直接だろうが、影でだろうが、すべて、すべて私が呼ばれた名前だ!」
自宅付近で、IS学園で、インターネットで、国の機関で。
ずっと言われた。姉の付属品と。
「そうだ、結局の所、私はあの人の利益を享受しているだけの寄生虫だ! だけどそんな
「箒、アンタ、何言って、ううん、何をしようとしているの!?」
「この事件はすべて姉さんが、あの天災が仕組んだ物だ。きっと私のデビュー戦にちょうど良いと、ISを暴走させたんだろう」
「いくらなんでもそれは陰謀論すぎるわよ」
「笑わせるな。お前も分かっているんだろう? 国家の威信をかけたISがそうそう暴走なんてするもんか。暴走を止めるためのストッパーなぞ、二重三重に用意されているはず。それらすべてが全く利かないなんてありえない。誰かが細工しないかぎりはな。そしてそんなことできるのは、そしてそれで利益を得られるのはあの人だけだ! これは事故じゃない、事件だ。だったら誰かが責任を取るしかない。じゃあ、誰が。誰が責任を取ると言うんだ? あの人が責任を取るもんか。世界なんて自分のためにあると心の底から信じ切っているあの人が。……私しかいないだろう、代わりに責任を取れるのは」
笑みがこぼれる。
胸で滾る暗い炎が、箒を突き動かす。
「それに私はあの人のマリオネットだ。私の人生は姉さんに翻弄されるものだった。だったら最後くらい、自由にしてもいいだろう? あの人は私のことが大好きなんだ。だから、これが復讐だ」
鈴音の顔色が変わる。
箒が何をするつもりかが分かったのだろう。
「それを知って行かせるわけないでしょう! 手足へし折ってでも、行かせるものか!!」
鈴音がISを纏う。双天牙月を構え、覇気を辺りに放つ。ピリピリと箒の肌が痺れる。昔、父に稽古をつけられた時以来だ。これほどの剣気は。
なるほど、さすがは国家代表候補生。そう納得させるだけの才が、それを育て上げた努力が肌で感じられる。
厄介なことになった。箒はそう思った。自制してごまかせれば、こんな面倒は起きなかったのに。
しかしそれでも、勝ち目はまだある。
国家代表候補生に勝てると傲るほど箒は間抜けではない。が、紅椿が鈴音のISをすべてで上回るということも理解している。
そう、例えば銀の福音の元へ一目散に飛べば、機体性能の差から鈴音を置きざりにできる。
が、それは鈴音も了承しているはず。邪魔立てするだろう。そして一度でも邪魔をされたら、箒は鈴音から逃れられない。
最初の一歩。そこが勝負の分水嶺だ
隙を窺う。
何、こればかりは代表候補生にだって負けはしない。剣道も、剣術も、ようは相手の隙を見付け、そこをつくものだ。この技量ばかりは、一夏にだって負けない自負が箒にはある。
「アンタ、本気なのね」
雨月と空裂を構える。
「冗談でするものか」
「どうしてアンタが責任を取るのよ! アンタが銀の福音を暴走させたわけじゃない!」
「いいや、家族ならばその責任は取らなきゃならない」
「この、分からず屋!」
言い争いながら、お互い一挙手一投足に注目している。
僅かでも気を抜こうものなら、そこをつかれる。
それが分かっているからこその、口論だ。揺らげば、負ける。
お互い譲る気はない。
「アンタの責任は、違うでしょう」
「違わない」
「違う。アンタの責任は一夏を傷付けた事よ」
その言葉に、箒は顔を歪めた。しかし直ぐさまに顔に出てきた色は能面のような無表情に隠されてしまった。
「アンタがした無茶で、一夏は死にかけた。アンタに責任があるとすれば、それだけよ」
「……違う。そもそも福音が暴走しなければそんなことにならなかった」
「それをアンタが知っていたの? 福音が暴走するなんて知らなかったんでしょう?」
「私のために姉さんがしたことだ。私と紅椿をデビューさせるために」
「……アンタがあれを望んだの?」
「そんなわけあるか!」
「じゃあ、やっぱり箒に責任はないでしょ。アンタが望んだわけでもなし、向こうが勝手にしたんじゃない」
「だとしても、私が止めなければいけなかったんだ!! たった一人の姉さんを、私は、止められなかったんだ」
目頭が熱くなる。気が付けば、涙を流していた。握り締めていた二振りの刀が滑り落ちる。
なぜか鈴音が、武器を下ろした。
そして、ゆっくりと箒へと歩み寄ってくる。
「近寄るな!」
その動きを箒は警戒し、一歩下がる。
しかし鈴音はそれでも箒へと近寄ってくる。
その所作に一切の敵意はない。なのに箒は、鈴音に気圧されていた。
「もう自分を責めなくて良いわ、アンタは悪くない」
抱きしめられていた。
鈴音は、穏やかな声音で、箒を抱きかかえていた。
「何を……」
「アンタ、本当に真面目すぎよ。篠ノ之博士を止められなかったことで、自責の念を抱えるなんて。でもね、それは違う。違うわ。止められなかったことを悔やむんだったら、今度こそ止めるのよ」
「今度こそ……?」
「そうよ。アンタが言うには、篠ノ之博士はこういうことを平然とやらかすんでしょう? だったらそのとき、止めないと。アンタが博士に止めてって言わないで、誰が言うのよ? だから、死のうとしないで」
その言葉を皮切りに、箒は声を上げて泣き出した。
泣きじゃくる箒を、鈴音はずっと抱きかかえ続けていた。
そろそろ主人公の動きを書かないと。