ラウラは、校舎裏へ繋がる道の角で、影に身を隠していた。
ラウラが角越しに見やる視線の先には、紅輝がいる。
紅輝はぼんやりと空を眺めながら、くしゃくしゃの煙草を吸っている。すすけた臭いがラウラのところまで届いてきそうだ。ゆらゆら揺らめく紫煙は、空へと鬱陶しく漂い消えていく。
何度、同じ光景を見ただろうか。
ラウラが紅輝を尾行して、数日が経つ。
転入初日、ナイフをへし折られたラウラだが、紅輝の言葉を受け入れたわけではない。それどころか、その言を否定するために、紅輝を打ち倒す決意を固めた。そうしなければ、ラウラの何かが壊れてしまいそうだった。
すぐにでもリベンジを果たすべきだが、紅輝の実力と異常な精神性は、ラウラに最後の一歩を踏み越えるのを躊躇わせた。
殺し合いならばラウラに負けるつもりはない。だが必ず勝てるともいえない。それでは駄目だ。それではラウラが千冬に語った言葉が嘘になってしまう。千冬直々に鍛え上げられたラウラが、どこの馬の骨としれない学生なんぞに負けてはならない。だからこそ、必ず勝つために紅輝の観察に努めている。
しかし成果は中々でない。紅輝は授業以外の時間ならば、とにかく煙草を吸うばかりで、訓練をしない。これでは見張りをするよりも、自己の鍛錬を積んだ方が良かったのではないかと、時折ラウラが考え込んでしまうほどだ。
舌打ちを漏らしたくなるが、隠密行動中ではそれもままならない。
ラウラの心に、落ち葉のように苛立ちが積もり、腐り出す。
ホルスターに手が伸びる。懐に隠したベレッタが存在感を増す。冷たいグリップを握りこむ。
後は引き抜き、狙いをつけ、引き金を引くだけ。三秒もいらない。地獄の訓練をくぐり抜けたラウラからすれば、一秒もあれば紅輝を殺せるだろう。
しかし。
「チッ」
赤い瞳がラウラを見た。これだ。殺意を向けた瞬間、警告するように赤い瞳がラウラを射貫く。幾度も幾度も赤い瞳は、決定的な隙を作らない。
見られてしまったならば、隠れている意味はない。かといってこのまま去るのでは逃げたようだ。逃げるのは弱者の手法。千冬の教えを受けた自身が逃げるわけにいかない。ラウラは紅輝をにらみつけながら、その眼前まで近づいた。
近づくと、ヤニの臭いが鼻につく。他人より鋭敏な五感が、ラウラに不快を訴えかける。顔が歪みそうになった。しかしそれを意思の力で踏みにじる。
「ふん。煙草なぞ吸うか。軟弱者め」
侮蔑を込めて、煙草の火を見据える。
ラウラが知る限り、煙草は弱者の象徴だ。主要な成分であるタール・ニコチンは身体に悪影響を及ぼし、思考能力や身体能力を低下させる。煙草を吸うことで精神的な支えになる場合もあるが、それは己を律することのできない弱者の理論だ。真に強者ならば、薄汚い煙草の助けなど必要ない。
紅輝は、煙草を呑み終えると、火を掌でもみ消す。煙を長く、長くはき出した。灰白色の煙が、重苦しく空に飛んでいく。
「軟弱者、ね。確かに
紅輝の赤い瞳が寂しげに空を仰ぎ見る。何を見ているのだろうか。ラウラは一時、紅輝に対する敵意も苛立ちも全てを捨て去り、ただその瞳に宿る光景が気になった。どこかで見た気がするその赤い瞳が。
ふと風が吹く。銀の髪が紅輝を覆い隠す。魔法が消えてしまったように、ラウラは紅輝に対する悪感情を思い出した。赤の瞳に見入ったことを恥じるように、ラウラは頬を染める。
「ふん、ならばさっさとこの学園から去れば良い! 教官に必要なのは、無能ではない」
足早に校舎裏から立ち去る。
校舎に入ると、幾人かの生徒達がいた。廊下にいた生徒達はラウラを見かけると、慌てて左右に分かれた。廊下の真ん中を、ずかずかと靴音を鳴らし、ラウラは教室へ向かった。
「出てきたらどうだ」
紅輝が新たに一本煙草をくわえた。ぶらぶら揺れる先端を見詰め、千冬は校舎の影から出て行った。
紅輝は千冬へ顔を向けない。木にもたれかかると、赤い瞳で校舎を眺めた。
そのとなりに千冬は立つ。
「アンタ、そっくりだよ」
「そう、ですか」
いつの間に火をつけたのか、紅輝は再び紫煙をくゆらせていた。
「一本、貰って良いですか」
「軟弱者だな」
「……はい、私は、軟弱者です」
苦い味が千冬の口いっぱいに広がる。口内の粘液を、ぴりぴりと苛む。黒い煙を吐き捨て、掌を額に押し当てる。燻る煙が目にしみる。だから、涙が出た。
煙草が中程で折れる。握り締めた拳の隙間から、煙草の葉がこぼれだす。
「私は、どうしたら」
「それはお前さんが決めることだ。このままにするか、それとも、たとえ痛くて地獄のように苦しくとも、変わることを願うか。それは、お前とアイツとが二人で決めることだ。俺が口を挟むことじゃない」
「優しくしてくれないんですか?」
「望んでいないだろう、お前は」
なんとも厳しい言葉だ。しかし千冬にとって今はありがたかった。今もたれかかるのを許されれば、もう意地を張れそうになかった。
目を伏せれば、腕時計が目に入った。そろそろ次の授業を用意しなければ遅れてしまう。教師という仮面を再び被りなおす。
「そうだな。さて、藤原。そろそろ授業だ。お前も早めに教室へ戻るように」
紅輝の言葉を聞くことなく、千冬は去って行った。
シャルルは放課後、自室のキッチンで料理をしていた。
学食を使えば別段料理なんてする必要はない。シャルル一人ならば。
同居人である紅輝がここ数日、まともな食事という食事をしていないことにシャルルは気がついた。食堂でも見かけないし、冷蔵庫の中にも何もなかった。調理されたものを食べていないのは明らかだった。学校で売っている食品は、異物の混入などを防ぐため、食材を除けば基本乾パンや缶詰だ。
紅輝がろくな食生活をしていない。食の大国・フランス人としてそれは許せない。必ずや、食べさせてみせると、息巻いていた。
本当はこんなことをしているべきではないのだろう。シャルルは手を動かしながら、ぼんやりと考えていた。キッチンからちらりと目をやれば、机へ無造作に放り投げられた紅輝の迦楼羅が見える。シャルルには、それがどうしても必要だった。男性搭乗者のデータがたっぷり詰まった迦楼羅が。
喉から手が出るほどほしい。それが目的でIS学園に入学させられたのだから。もし手に入れられれば、全てを隠す必要はなくなるかもしれない。もしかしたら、自由を手にすることができるかもしれない。しかし、何故かシャルルは、積極的に動こうとは思えなかった。その理由は分からない。
四十分程度でラクレットができあがった。塩ゆでしたジャガイモ、ベーコン、ブロッコリー、にんじんなどを、ラクレットチーズを溶かしてかけた料理だ。
IS学園は日本にあるためか、ラクレットチーズがなかったが、それはスライスチーズで代用した。熱々の湯気に、チーズのとろけた香りが鼻をくすぐる。
シャルルが子供の頃、母親にせがんで良く作ってもらった思い出の料理だ。そのことを思い出し、シャルルの顔が陰る。しかしすぐに陰りは消え去り、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「はい、できたよ」
机の上にラクレットを並べる。シャルルに言われ、紅輝がのそのそと席に着く。
端から見れば、夫婦に見えるのだろうか。ふと思った言葉がおかしくて、おかしくて。シャルルは胸をそっと抑えた。だがそれをおくびにも出さず、ラクレットを口へ運ぶ。
「ん、どうしたの?」
シャルルは、紅輝がじっと見詰めているのに気がついた。
紅輝は大きなため息をつき、後ろ髪を引っかき回す。フォークを机に置き、シャルルの瞳をのぞき込んだ。
赤い、赤い瞳が、シャルルを見透かす。自分が丸裸にされたようで、シャルルはその目から逃れようと顔を背けた。
「で、いつまでもそんなことを続ける気だ」
シャルルの動きがぴたりと止まる。ゆっくりと顔を向ければ、紅輝はつまらなさそうな視線をシャルルに送っていた。
「そんなことって、何かな?」
機械のように、抑揚のない言葉を発する。仮面の笑みは崩れない。それでも心が軋み上がる。それを無理矢理に押さえつける。
声が震えていなかったのは、奇跡だった。
「……男と女じゃ、歩き方が違う。お前の歩き方は、女のものだ。男のふりをする理由は分からないが、垣間見える心は叫んでいるところから、お前の意志ではないのだろう。自分から手を伸ばさなければ、誰も救いやしないぞ」
机を叩きつける。食器が地面に落ちて割れ、がなり立てた。それを契機に押さえ込んでいたものが溢れ出す。
紅輝をにらみつける。激情を込めて。
「貴方に、貴方に何が分かる! ただその日暮らしをしていただけの貴方に!」
ふつふつと沸き立ち、溶岩のようにどろどろしたすべてを叩きつける。眼前に座る男へと。
一度堰を切ってしまえば、シャルル自身、もう止めることはできなかった。
「ああ、そうさ。僕は女さ。男じゃない。名前だって違う。僕の本当の名前はシャルロットだ。シャルルなんて男は存在しない。女手一つで育ててくれた母さんが死んじゃって、そしたら会ったこともない父親が僕を引き取って。継母からは拒絶され、周りは僕を否定する! 誰も僕を助けてくれない。それどころか、唾を吐いてくる始末さ。それでいて、女も、名前も捨て去って、スパイをしろと周りは命令する。貴方と一夏のISから情報を抜き取れって。ISのせいで傾いた会社のために、デュノア社のためにって。そんな薄汚い大人しかこの世にはいないじゃないか! だったら僕は、僕は、誰に助けを求めれば良いのさ!」
辺りがしんと静まる。
シャルルは肩で息をしながら、未だ己の中でぐつぐつと煮えたぎり、それでいて支えて喉からでない思いを何度も何度もはき出そうとした。しかしそのたびに嘔吐いてしまい、言葉にすることはできなかった。
「でも、しなかったんだろう」
紅輝が、くしゃくしゃの煙草をくわえていた。
「お前さんはスパイ活動なんてしなかった。良心の呵責か、意趣返しか、それとも他の気持ちだったのかもしれない。でも実際あらがえた。あらがってみせた。俺の迦楼羅を前にしても、情報を抜き取らなかった。でも、助けだけは求めなかった。新しい環境で、まっさらにお前を見てくれる人が周りにいたのに。お前さんは、ただ、自分が傷つくのが怖かっただけだ。伸ばした手をはたき落とされたくなかった子供だよ。痛いのをいやがる、どこにでもいる生ぬるい餓鬼サ」
シャルロットはそのときの記憶がなかった。
ただ覚えているのは、柔らかなものが潰れた感触、吹き出る生温かな血潮、ずるりと引きずり出された真っ赤な眼球。重たいものが倒れる音。心臓の鼓動がどくどくとうるさく、身体中が暑かった。
日が地平線に傾き、周りが暗くなるさなか、シャルロットは見た。
真っ赤な火を。
燃えさかる命の灯火を。
神の奇跡を。
「助けて、助けて、ください」
救いを求め、手を伸ばした。幻想へと。
ラウラの描写はまだしも、シャルルの描写が少なかったと、書いていて反省しました。
予定ならば、シャルルと紅輝とが反目するはずだったのに。キャラクターが勝手に動いちゃった、テヘ。