アオイハル 作:Kの人
「失礼しまーす。遅刻したので入しt――グハッ、いってぇ」
その先に続くはずだった入室届を下さいという言葉を待たずして顔面に黒い長方形の物体が飛んでくる。結構なスピードが出ていたそれを顔面で受け止めると思わず声が出た。泣きっ面に蜂ならぬ泣きっ面に出席簿。どっちが被害が大きいのかは分からんが蜂に匹敵する程度の威力はこの出席簿には十分に込められていた。何だか視界がふやけてきた。
いかん、油断していた。こうなることは十分に予想できたと言うのに……。殴られ過ぎて少しばかり警戒心が緩んでいた可能性が高い。くそ、これは避けれた筈なのに無駄にダメージを負ってしまった。いや、もう既にこれ以上に無いと言う位のダメージは負っているのだ、この際多少のおまけがついたところで痛くはない。……だから、この目から零れる水はきっと汗なんだ。
「昼休みにご登校とは、えらく重役出勤じゃないか……なぁ?」
職員室の扉から一番近い位置にある机。そしてその前には書いてイスに腰かけている一人の“少女”。コスプレにしか見えない白衣を羽織り偉そうに腕を組むその姿は、その容姿も相まって背伸びのしたい女子小学生そのものだ。彼女こそ我がクラスの担任して、俺の三年間の担任、滝本 茜、通称タキちゃんその人だ。ついでに我が音ノ木坂学院の七不思議の一つでもある。身長145cm、髪は黒のポニーテール。どう見ても小学生。しかし、これでも教員免許を持っているのだから世界と言うものは分からない。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
「いや、あれです。タキちゃん、これには深い理由が……」
「誰が口を開いて良いって言った? そして私は滝本先生、だ」
「――はい、すみません」
タキちゃん自身言葉遣いはものすごく悪いのだが、その可愛らしい容姿と高めの声のせいで凄みといったものが全く足りない。むしろ、愛らしいまでもある。気分的には娘に怒られるお父さんと言った感じになるのだろうか。娘どころか彼女もいないのだが、何となく間違ってはいないように感じる。タキちゃんの説教は怖くはないが長いのがいただけない。それと気を抜くと飛んでくる出席簿(凶器)もいただけない。あれ結構痛いんだよなぁ……。一年生の時はそこまでなかったのだが学年が上がるにつれその威力もスピードも上がってきた。遠慮がなくなったのか、それとも投げすぎて筋力が上がったのかそれは分からないが、もし後者なら投げさせ続けた俺は結構凄いやつではなかろうか……。いや、何も凄くないよな、やっぱり。
今は昼休みが始まったばかり、俺がこれからどれだけ足掻こうとも昼休みはまるまる説教に消えるだろうし、恐らく放課後も三十分は怒られる。間違いなくそうだ。俺に出来ることはただタキちゃんの話を黙って聞いておくことだけだ。上手く誠意を見れば第二戦が少しばかり時間短縮になる可能性もある。
「とりあえず説教するから座れ。ったく、今日は二年の高坂も遅れてくるし遅刻がやけに多いな」
タキちゃんはボヤキ自分の横のデスクを指さす。誰も使っていないそのデスクの椅子に座れという意味だ。とりあえず、立ったまま説教を聞く羽目にならずに助かった。普段ならいざ知れず今日は体力的にもしんどい。その高坂が誰かは分からないが、恐らく俺が出会った少女だろう。生徒数が少ないこの学院では遅刻する生徒の数も基本的に少ない。生徒の数も少ないが、基本的にこの学院の奴らは真面目なのだ。遅刻サボり常連なのは俺位なものだろう。いや、何の自慢にもならんが……。
「……ん? 偉く顔が腫れているし、唇も切っているが喧嘩でもして来たか?」
入念に顔を洗ったとは言え顔の腫れはどうしようもないし、切った唇から出てくる血を止めることは出来ない。顔を見ればどうしようもなく分かることだ。誤魔化しの効きようがない。
「いや、昨日夜に自転車漕いでたら街路樹に当たって派手にこけまして……」
いくら俺でも喧嘩に負けてボコボコにされましたとは言えない。俺も男だ、小さくて安いプライドだが、プライドはあるのだ。そんな格好悪いことは死んでも言いたくはない。
「……ふーん」
タキちゃんは興味なさそうなジト目で俺を見る。やはりその姿は女子小学生だ。声も高いし、小学校の教師ならきっと生徒と見間違う。いや、下手をすると生徒に後輩と思われそうだ。
「だから、説教は短めにしてもらえると助かったり……」
「――何か言ったか?」
「いえ! 何もありません!」
「さて、まぁとりあえず反省文を先に渡しとくか……」
タキちゃんがそう言って机の引き出しからこの三年間で見慣れた400字詰めの原稿用紙を取り出したその瞬間だった。コンコンと控えめのノックが二回響き、ガラガラと少し立てつけの悪い音を立てながら扉が開けられた。
「二年の高坂です。あの、少しお聞きしたいことが……」
少し前に聞いた様な声。首を横に向ければ小一時間ほど前に出会った少女がそこにいた。
「「……あっ」」
思わずそんな声を出したのは、俺なのか、それとも少女なのか。いや、きっと両方だったに違いない。
「あの! 先ほどはありがとうございました!」
四の五も言う暇がなく少女、いや高坂さんが頭を下げる。
「どうした? 高坂、珍しいな職員室に来るなんて……ってかお前と高坂は顔見知りだったのか?」
タキちゃんが意外そうに俺と高坂さんを見比べる。
「あー、あれです。……えーっと、何と言うか……」
パッと誤魔化せるような言葉が出てこない。こういう時にポンコツである我が脳みその性能を恨むことになる。頭のよろしくない俺では少しばかり考える時間が必要だ。考えても答えが出るのかは分からんが、考えないよりかは幾分マシだろう。
「ん? 高坂、お前どうしてこんな不良と知り合いんだ? 悪いことは言わん、付き合う男は考えろよ」
何とも本人が目の前にいるというのに酷い言いようである。いや、まぁ確かに遅刻の常連だし、サボりだってよくやる。しかし、だ。俺は決して不良ではない。髪も黒ければ、人様に迷惑をかけることもない。教師から見れば決して真面目ではないだろうが、かといって不良か言われればそれもまた違うのだ。
――って違う違う。俺が今、やるべきことはこんなことではない。脳内でつまらん反論をグダグダ考えるよりも先にすることがある。
「はい、実は今朝――」
「いや! タキちゃんあれです! 高坂さんと俺は初対面です!」
悪いと思いつつも少しばかり大きな声で高坂さんの話を遮り、椅子から立ち上がると高坂さんの肩にポンと手を置く。案が何も思い浮かばない時は強行策に限る。ここ数年で俺が学んだことの一つだ。
「え、でも」
「いいかい、俺と君は今日ここで初めて会った。OK? 俺とキミは初対面だ。もし、俺に似たような顔に見覚えがあるのならそれはきっと気のせいだ! いいね?」
「で、でも、その顔はやっぱりあれですよね。すみません、私のせいで」
「怪我していることなら何の心配もしなくていい。昨日、自転車で街路樹にぶつかって少しばかり愉快なこけ方をしただけだからな。曲芸乗りも真っ青なこけ方だ。動画サイトにアップできればとんでもない反響を生んだだろう、ビデオに撮れなかったのが悔しい限りだ。しかし、これくらいならかすり傷だし、何の心配も要らない。もしも、何か思うところがあるのなら、今度学食で昼飯でも奢ってくれればそれでいい。俺的には栄養満点のAランチ辺りが好きだ。――――と、いう訳でさっさと教室に戻って友達とご飯でも食べてきなさい」
高坂さんの肩を両手でつかみそのまま前進する。俺が前に進むのに合わせて、押されるような形で少女も一歩、また一歩と後退する。え、え、えぇとか戸惑いの声が聞こえるがそれは無視をする。とりあえず先決すべきは彼女をこの職員室から出す事だ。
格好よく不良三人を叩きのめせていたならまだしも結果は見るも無残な敗北。元より分かってはいたが完膚なきまでの完全敗北。
それにタキちゃんに強がった手前もうこれ以上傷を広げたくはない。助けた女の子に心配されるほど、辛いことは無い。
古今東西、男の子が見ず知らずの女の子を助けたのなら名も告げず、静かに去るのが相場と決まっているものだ。再びエンカウントして、それも名誉の負傷を心配されるなど、かっこ悪いにもほどがある。少なくとも俺は望んでいない。
首尾よく少女を職員室から出した俺はそのまま扉を閉める。ピシャリと扉が閉まる音を確認して、少女の目をしっかりと見る。あの時は余裕がなく、しっかりと見れていなかったが、想像以上に可愛い子じゃないか。ウチの学校レベル高いと前々から思っていたが、この子はそんな音ノ木坂でもさらに上位に食い込むだろう。芸能人と言われても納得する。そりゃ、ナンパにも会うわけだ。俺も一つ下にこんな美少女がいるとは知らなかった。何だか一年間損した気分だ。
「いいかい、少女。今日あった事は誰にも言わずに心の中にしまっておいて貰えると俺は非常に助かる」
「で、でも! こんなに顔も怪我してますし! はっ! いけない! 治療しないと! 私、保健室に--」
今にでも走り去ろうとするその手を掴む。
「これくらいかすり傷だから唾でもつけとけば治る。だから、気にしないでくれ」
「で、でも!」
「もし、君に感謝の気持ちがあるのなら、この事を誰にも言わないというのがお礼でいい。他には何も要らない。そもそも、俺は当たり前の事をしたまでで、感謝される様な事はしていない。困っている女の子を助けるのは男して当たり前だ」
「…………」
「それに、お礼はさっき言ってもらったからな。それで十分だよ。俺は今からタキちゃんに説教されなきゃいけないから、ほら行きな。昼飯も食わなきゃいけないだろう」
お礼と言えば助けた少女にありがとう、と言われる、それに勝る報酬はない。それに笑顔も付けてくれれば、何も言うことは無い。男の子は単純なのだ。俺が思うにそもそも人助けとは報酬を目当てにするものじゃないと思うんだ。
「なら、最後にもう一度お礼を言わせてください。本当にありがとうございました! それと、私は高坂 穂乃果、二年生です」
そう頭を下げる少女に俺は体を反転させ職員室の扉を再び開けながら、口を開く。
「おう、どういたしまして。それと、もうあんな裏路地は通るなよー。そして、俺の事は……そうだな、しがないただの先輩と呼んでくれ」
「はい!」
これが、俺と高坂 穂乃果との出会いだった。この出会いが良かったのか、悪かったのか何て言うのは今振り返っても俺には分からん。ただ一つ言えるのは、高坂穂乃果と言う少女は非常に真っ直ぐで眩しい女の子だと言うことだ。
高坂さんと別れ、左手をヒラヒラさせながら一歩職員室に踏み込んだ、その瞬間。――――シュッ!低い風切り音をさせながら飛んでくる凶器(出席簿)。完全に気の抜けた俺はその一撃をかわすことが出来ずに、またもや鈍い音を出しつつ、額で受けることになった。
「ぐはっ――いってぇ……。タキちゃん威力上がってない、さっきより?」
間違いなく赤くなっているであろう額を擦りながら、視線をタキちゃんに向ければ、
「説教中に抜け出すとは良い度胸だな……」
ギロリと言った睨み(本人は恐らくそのつもりだろう)をしたタキちゃんがいた。もはや付け加えるまでもないとは思うが、全く怖くも何ともない。
「いや、あの……すみませんでした!」
完全に俺が悪い。言い訳の余地はない。
「……ったく、お前と言うやつは……。とりあえず、これだ、と思ったがやっぱりやめよう」
そう言ってタキちゃんが渡してくるのはここ数年ですっかり見慣れてしまった反省文用紙でもある400字詰めの原稿用紙。それを何を思ったのか再び引き出しへと入れる。その意味が分からず首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「いや、今日の遅刻はどうやら、そういうことらしいからな。一応正規の理由として半分は扱っておこうという私なりの優しさだ」
にやりと含みのある笑顔。俺はあえて何も言わない。
「それじゃあ、説教もなしですか?」
「あぁ。と言うよりもお前に説教しても遅刻とサボりは減らないのがここ数年でよく分かったからな。……お前には別の罰を与える」
「……別の罰?」
やばい、全く読めない。そもそも、あの説教好きのタキちゃんが説教をしないとはいったい今日は雹が降るのか、霰が降るのか。いや、そのどちらでもなく槍が降る可能性も高い。
「あぁ。お前、今日からしばらく生徒会手伝えや」
「はい? 生徒会の手伝いですか?」
思わずそんな言葉出た。俺の言葉にタキちゃんはうんうんと二度頷く。
「そうだ、新入生が入ってきて生徒会の仕事もこれから増えるからな、それの手伝い」
「え、いや、でも」
「えでも、いやでもない。サボりすぎたお前が悪い。内申点もつけたるから生徒会の手伝い頼んだぞ」
「でも、俺放課後はバイトが……」
「別に何時間も残れという訳ではない。仕事がない日は直ぐに帰れるだろうし、会長も副会長も鬼じゃない。残っても三十分くらいなもんだろ。それに会長はともかく副会長とは知らんなかではないだろ」
確かに副会長とはクラスも同じだし、知らない仲ではない。俺の数少ない知り合いの一人だし、大切な友人でもある。
「本当を言うとな、私だって、こんなことをしたくはなかったんだが、お前のサボりが目立ちすぎてな。こうでもしないと、また今年も追試祭りだぞ」
そう言われてしまうと俺にはもう返す言葉がない。ただ黙って頷く以外に選択肢はない。
それにタキちゃんにはお世話になりっぱなしで、こう見えて頭も上がらないのだ。
「分かりました。生徒会の手伝いやらせていただきます」
「おう、よろしく頼むな。もう、会長と副会長には話通してあるから……。あぁ、後これだこれ」
タキちゃんは今度は原稿用紙を取り出した引き出しとは逆側の引き出しを開け、その一番上にあったプリントを一枚取り出すと俺に差し出す。
「廃校のお知らせ……?」
A4サイズのその紙には目立つように大きく廃校についてと見出しが載っていた。
「そうだ。お前にはあんまり関係ない話だが、来年の志願者数が定員を下回れば廃校が決定になる。今の一年が卒業したら、そこで廃校だ」
「ふーん、そうですか。まぁ、妥当と言えば妥当ですよね。俺たちの年も100人いないし、二年生はニクラス。一年生は一クラスですもんね」
この辺りは割かし高校も多いし、それに近場には有名なUTXもある。あそこ施設良いし、駅にも近いし、いいよなぁ……。学費があと二十分の一だったら、俺もあっちに行きたかったまでもある。まぁ、いった所でボンボンとお嬢様が多くて会話にも馴染めなさそうだけど……。それを考えると俺はやっぱり音ノ木坂で良かった。
まぁ、定員割れ常連の学校に税金を出すほど国は裕福ではないってことだろう。
「まぁ、そういう訳だから一応知っといてくれ」
「はいよ、了解です。じゃあ、もう行ってもいいですか?」
「あぁ」
「それじゃあ失礼しました」
タキちゃんが頷いたのを確認して職員室から一歩踏み出した時だった。後ろからタキちゃんの高い声が聞こえた。
「それと、最後にもう一つ。そんなに酷い顔の怪我が昨日の怪我なら、青くなっている箇所もあるはずだから、クラスの奴らにもし何か言うのなら、今日、コケた事にしておけよ」
「どうも、ありがとう。タキちゃん」
あぁ、やっぱり俺はこの人には敵わないみたいだ。そして、急いで扉を閉める。
ドコッと鈍い音を立てて閉めた扉が少し揺れた。
「滝本先生だっ!」
やっぱり威力上がってるよな、絶対。