アオイハル 作:Kの人
日本の首都であり、経済そして政治の中心としてその存在を海外にまで知られている都市、東京。間違いなく日本で一番有名な都市であろうその東京の秋葉原にある一軒の喫茶店。場所は裏路地そのものに存在し、人の通りが馬鹿みたいに多い秋葉原と言う街にあるにもかかわらず、その通りは殆ど通る人がいない。隠れた名店と言うよりも隠れ過ぎた名店と言うべきその店の名前は「昼下がり」。売りはコーヒー好きのマスターが全世界から厳選して集めたコーヒー。店名のセンスは置いておいて、コーヒーの方のセンスはピカイチのようで平日はともかく休日となると常連さんで狭い店ながらも満席にまでなる。あのズボラという言葉がしっくりくるマスターだが、味覚とセンスは相当な物を持っているらしい。人は見た目によらないという言葉はタキちゃんとこのマスターのために在るものだと思っているまでもある。店内はモダンな作りになっており、椅子や机は高級感ある木製の物を採用している。落ち着いた雰囲気の店内にかかるのはラジオではなくクラシック。今はカノンがゆったりと流れ、店内は西日で赤く染まっていた。
「いらっしゃい。おっ、何時もの席空いているよ」
扉についているベルが上品な音をたてる。扉が開いた合図だ。
そんな喫茶店「昼下がり」が俺のバイト先だったりする。ほぼ毎日こうして学校終わりにはこうしてバイトをしている。学校からもそれなりに近いし、平日は殆ど人はこない。楽な割にバイト代はそれなりにいい。採算されてるのかなぁ、ここ。まぁ、マスターがマスターだし、道楽でやっている可能性が高い。
「はい、いつもすみません。今日もマスターさんはいらっしゃらないんですね?」
入って来たのは一人の少女。白い制服に身を包んだ彼女はここ秋葉原一……。いや、都内で見ても一番と言っていいほどの有名校であり、名門校でもあるUTX学園のそれである。この喫茶店の常連さんの一人でもあり、毎週水曜日にこのように来てくれる子だ。もうそれなりに長い事この店を使って貰っている。ちなみに今日俺が来て一組目のお客さんでもある。真っ白な制服が西日を受けオレンジに染まっていた。
少女は俺の顔を確認すると深く被っていた帽子を脱ぐ。
「まぁいつも通りだよ。俺が来てしばらくは居たんだけど、何でもいい豆が入ったって情報が入ったらしくてね、出かけていったよ」
「マスターさんに信用されているんですよ」
「あはははは、そうだと嬉しいね」
三年もここで働いているし、それなりに信用されている証かなぁ、と思ってみたが、思えばマスターが俺一人に店番を任せて豆の買い付けに行くのは二年前からずっとそうだった。というか、あのマスター、豆の事になれば店を閉めてまで行く。俺が居るときは俺に店の全てを任せて、俺が居なければ店を閉める。自由すぎるマスターがここの店主である。お客さんもその辺り分かっているのか営業時間にやっていなくても文句が出たことが一度もない。それでも常連さんが来てくれるのは一重に味と雰囲気だろう。
「それで、いつも通りでいい?」
そんなことを聞きつつも、既に彼女の姿が見えた時点で豆を挽き始めていた。週に一回とは言え、一年以上も通っている彼女だ。
「はい、お願いします」
返事がこういう風に帰ってくることくらい予想をすることは簡単だ。もし、間違えてもマスターが帰ってきて勝手に飲むだろう。あの人はコーヒーがあれば缶コーヒーでもインスタントでも関係なく飲むしな。ちなみに紅茶は敵らしく、喫茶店と言いつつも紅茶は一切おいていない。それなら完全にコーヒーショップに改名すべきだと俺は思うのだが、マスターが頑固として喫茶店と言い張るため言うのをやめた。
「いい香りですね」
手慣れた動きで注文を準備すれば、徐々にその香りが店内に広がる。店内のBGMはカノンからG線上のアリアへと変わっていた。狭い店内はテーブル数も少なく、ボックス席が二つに後はカウンター席となっている。満席でも15人ほどの小規模な店。だからこそ、マスターとバイトの俺の二人だけで回ると言うこともあるのだが……。
「そうだね、俺も何度香いでもここのコーヒーの匂いはいいと思う」
そんな狭い店内だからこそ、カウンターから一番奥のボックス席まで声が簡単に届く。喫茶店の店員としてはどうかとは思うが、あまりコーヒーと言うものに興味のない俺でもこの店のコーヒーの匂いや味はそこらのインスタントよりも遥かに良いものだという位は分かる。
ただ客としてこの店にコーヒーを飲みに来るかと問われれば、少し悩んだ末に首を横に振るだろう。味も香りもそこらのコーヒーチェーンに比べるまでもないほど良い物なのだが、その分値段もそこらのコーヒーチェーンと比べ物にならない値段となっている。学生には少しばかり……いや、学生にはかなり高めの金額となっている。少なくとも自他ともに認める貧乏学生の俺には手が出ない金額であることは確かである。
音ノ木坂学院とUTX学院と言う二つの高校からも歩いていてる距離にも関わらず来る学生の数が少ないのは場所だけの問題ではなく値段の方も問題だからだろう。だから、ここに高校生ながら来てくれるお客さんはそれなりに育ちが良い人たちということになる。品があったり雰囲気があるのは納得できる話だ。
「そうですよね、私ここのコーヒーが一番好きです」
「そう言ってもらえてると店員として俺も鼻が高いよ。はい、注文の品です」
コーヒーをカップへ注ぎ、ボックス席へと運ぶ。少女はリラックスした面持ちでハードカバーが掛かっている本を読んでいた。
「ん? 店員さん、お顔怪我されていますが、何かあったんですか?」
「あぁ、これ?」
俺の顔には絆創膏が二つ。口端と額に貼られている。昼休みに友人が貼ってくれたものだ。付け加えれば服の下には地肌を半分以上覆う勢いでシップが貼ってある。匂いが出ないやつで良かった。シップ臭い喫茶店なんてこの店の存在価値をなくすようなものだし。
「はい、喧嘩でもされたんですか?」
「いや、実は今朝、自転車でこけてね」
あはははと愛想笑いを浮かべておくことも忘れない。安っぽい演技だろうが、しないよりした方がいいだろう。
「そうですか、店員さんって嘘つけないですよね」
クスリと上品に笑われてしまった。流石、UTX生だ。何をするにも品が出ている。俺みたいな貧乏人には決して溢れれない品格やら上品さやらが溢れ出ている。俺は生まれてこの方貧乏だし、来世でも貧乏な自信がある。きっと前世も貧乏だろう。どうやら俺がこんな気品溢れたオーラを出すには再来世以降を待たないといけないらしい。
「そうかな……?」
「はい、嘘をつく時に笑うのはやめた方がいいと思いますよ」
「あははは、そうか。人は嘘をつく時必ず真面目な顔をするらしいからね。それに習って笑うようにしているんだけどね」
「太宰治ですか」
「流石だね、よく読んでいるね」
そう言えばUTXって偏差値も高かったよなぁ……確か。じゃああれだ、UTXの学費が例え音ノ木坂よりも安くても俺いけないじゃん。でも、万能集団だよな。学生もカッコいい奴と可愛い子多いし、学校も綺麗で設備もばっちり、そして勉強も出来る。UTX卒と言うだけで箔が付くとは言うけど、それも納得の話だ。
「そうですかね。店員さんも結構読んでいらっしゃる方だと思いますけど」
「いやー、俺なんてまだまだだよ」
俺も本は好きでそこそこ読んでいるが、流石にUTX生は比べるのも烏滸がましいだろう。だって、いくら文豪の小説を読んでいるとはいえ当の本人の文章力がこれだ。恥ずかしくて人に言えもしない。
「いえいえ、私なんてまだまだですよ」
UTXに知り合いがいないので、この子だけかも知れないが、顔も可愛くて勉強も出来て、それを鼻にかけない謙遜さも持っている。UTX学院の学生とは本当に俺と同じ高校生なのだろうか。大学生とか社会人と言われても全然信用するぞ。
「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ。今日も多分お客さん来ても一人二人だけだろうし、好きなようにどうぞ」
「はい」
基本的にこの「昼下がり」は平日は暇なことが多い。お客さんが一人だけとか言う日も珍しくない。やっぱり、ここ採算取れてないよなぁ。マスターどうやって食って行ってんだろ。バイト代の支払いもいいし、俺が気にするようなことでもないので気にしないでおく。ズボラな人だが、頭は案外切れるそうなので、何か別の仕事でも兼業している可能性もないこともない。
「あの、聞いた話なんですが……」
それは注文を届けて後しばらく経った後だった。ふいに店内に一人だけのお客様である少女が口を開いた。落ち着きがありながら、どこか優しさが含まれた綺麗な声だ。店内のBGMは威風堂々に変わっていた。
「ん、どうかした?」
あぁ、俺が店員の癖になんで敬語じゃないのか、と言えば単純にこの少女にお願いされたからだ。いくら俺でも勝手にお客さんにため口で話なんてしやしない。こう見えてもバイト歴は長いのだ敬語の一つや二つはどうにか話せる。得意じゃないのがミソだ。
「あの、店員さんが通う音ノ木坂って廃校になるんですよね」
「あぁ、うん。そうらしいね」
驚いた、まさか俺が今日の昼間に聞いた情報を別の学校の生徒が知っているなんてな。俺の情報入手が遅いのか、それともこの少女の情報網が広いのか。いや、恐らく両方なのだろう。
「やっぱりそうなんですか……」
「まだ、決まった訳ではないけど、来年度の志願者が少ないと廃校になるらしいよ」
「それじゃあ、まだ決まった訳ではないんですね」
「うん、でもまぁ決まったような物だと思うけどね……。ウチの学校そこまで施設がしっかしている訳でもないし、勉強だって出来る方じゃない。年々志願者数が減っているのも仕方がない話だよ。確か、UTXって倍率何十倍ってあるんだよね」
どこをとっても中途半端。いい所も無ければ悪い所もない。それが、音ノ木坂学院に対する世間からの評価だ。だからこそ、魅力がなく志願者数も減っている。ちなみに俺が音ノ木坂を受験した理由は学費と家から近いからの二つであり、はっきり言ってたまたまである。
「そうですね、年によって違うのですがそれくらいだと聞いてます」
何でも倍率は二十倍とも三十倍とも言われるらしいし。
「そっかぁ。まぁ、施設も偏差値も段違いだしね」
「やっぱり寂しいものですか?」
「うーん、どうだろうか。別に俺は今の学校にそこまで思い入れないしね。廃校になるならなるでしょうがないかなぁって思っている」
「そういうものですか」
「うん、そういうもの。まぁ、まだ廃校になると決まった訳ではないしね。来年の入学者が何かの間違いでとんでもなく多くなれば廃校にはならないし」
「そうなるといいですね」
「そうだね」
そこで会話は一旦途切れる。店内にはBGMであるクラシックと時折車が通りすぎるエンジン音、そして少女が小説を捲る紙が擦れる音だけが聞こえる。ラジオもないこの店では暇なとき店員の俺はひたすらにグラスを磨くことくらいしかやることはない。
ペラペラと紙が捲られる音をいくつ数えただろうか、パタンと本を閉じる音が聞こえてきた。
「店員さん、お会計を」
「はい、いつもありがとうね」
レジでお金を受け取りお釣りを手渡す。
「あの、店員さん。これ、ライブのチケットです。ぜひお時間があったら身に来て下さい」
お釣りを受けとった少女は財布にしまうと、カバンから一枚の長方形の紙を差し出してきたチケットを受け取るのは今日が初めてではない。これまでも何度も受け取ったことがある。ただ、どうしてもバイトが忙しく一回も行けていない。本当に申し訳ない限りだ。
何回かチケットを受け取るのを断ったことがあるのだが、来れなくても構わないので是非と言われしまいついつい受け取ってしまっていた。今では今までいけなかった分も含めて俺の部屋に束で置いてある。流石に行けなかったからといって処分するのは俺には無理だ。
「うん、いつもありがとう」
チケットを見て見れば今週の日曜日を指していた。そう言えば、今週バイトは夜だけだったよな、確か。
「あ、これならいけるかも」
思わず出た言葉に、
「本当ですか!?」
想像以上食いつかれた。
「あ、うん」
「え、えーっとすみません。急に大声だして」
「いや、気にしないでいいよ」
「そ、それでは、今週の日曜お待ちしてます!」
よっぽど恥ずかしかったのか少女はそう言ってガバりと頭を下げると帽子を被り、勢いよく扉を開けて出て行ってしまった。短い髪がさらりと揺れた。
カランカランとベルの音が店内に響いく。これは行かないと人間として失格だなぁ。
そんな時だった、再びドアが開かれる。
「なんか物凄い勢いで走っていったUTX生とすれ違ったんだけど、何かあったんですか?」
入って来たのは見慣れた音ノ木坂学院の制服。リボンは青。赤く伸ばした髪が特徴の女子だ。
「いや、気にしないで下さい。それよりも、今日もカウンター席でよろしかったでしょうか?」
最近よく来てくれるお客さんだ。
「あぁ、うん」
少女がイスに座ったことを確認してもう一度手に持っている長方形の色鮮やかな紙を確認する。
「場所はUTX学院って……学校公認なのかね」
そう言えばUTX学院って芸能科とかあるとか聞いたことがあるし、あの少女もその芸能科だったりすんだろうきっと。何も知らない無知な俺はそんな考えをノー天気に考えていたんだ。
「あっ、ブレンドコーヒーを一つお願い」
「はい、かしこまりました」