所詮ifの話であるため、本編ストーリーに関わることはありませんので、暗い話が苦手な場合は読まない方がいいかもしれません。
ちなみに、裏ストーリーは四話で完結します。
第一話 運命の特異点
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール…伝説の魔王を使い魔とし、見事栄光を掴み取った少女。伝説の魔王が轍を踏まないように彼女を導き、本来の運命すらも光の当たる道へと捩曲げた。
しかし、これほどの大きな転機をもし掴めなかったら……。これは有り得なかった世界の話、可能性の特異点である世界のお話……
恐ろしい。ただ果てしなく恐ろしい。確かに私は望んだ。圧倒的な使い魔を……サラマンダーより珍しく、竜よりも強い、世界で唯一の存在を望んだ。
しかし、実際に呼び出された使い魔は想像を超えた珍しさで、想像を超えた強さで、想像を超えた邪悪さだった。
もう腰が抜けて足に力が入らない、股にも力が入らずに漏れた小水は制服のスカートに大きなシミを作るばかり。ガチガチと音を立てる歯の隙間から、かろうじて呼吸をする音がヒューヒューと漏れていた。
「……アンタら、こんだけ数が揃ってんのに、誰一人アタシに向かってこないワケ?ムカツクくらい根性ないわね。ならアタシを呼び出した落とし前、誰かにキッチリとつけてもらおうじゃない」
人の形をした恐ろしいモノは辺りをゆっくりと見回し、私と視線が交差する。一見すると光に溢れた普通の目。しかし、その奥底にはドス黒い悪意と殺意が渦巻いていることが、平和な暮らしをしてきた私ですら分かった。
あまりの恐怖に動きが止まり、心臓の動きすら止まってしまったような錯覚を覚える。実際目があった時間は1秒にも満たないが、100年もの時間を見つめ合って過ごしたような気がした。
あの存在の目線が逸れたことで私に動きが戻る。絶望のどん底から逃れたことによって、未だに絶望の中にいることも忘れ、安堵のため息が漏れた。
「よーし、決ぃーめた」
サク、サク、と草を踏む死神の足音が、こちらへと一直線に近づいてくる。狙いが間違っているなどとは思えず、叫べることなら醜く叫んで逃げ回っていただろう。安堵を経験してからの絶望は想像以上に深く、蛇に睨まれた蛙のごとく体を硬直させてしまう。
私の頭は未成熟な心を守る為、現実逃避を始めていた。迫り来る絶望は見えてはいるものの、私が見ているものは心の中の映像。唯一無二の存在を従え、今まで見下していた者を逆に見下し、四系統の魔法をマスターしライバルに褒め称えられる自分。
それは風前の灯火の哀れな虚栄。しかしその虚栄が、私に奇跡をもたらした。
「……へえ、面白そうな夢じゃない」
直前に迫っていた腕が止まり、女性がよく分からないことを言う。その言葉は、夢の中に退避していた私の耳に不思議とよく届いていたが、すぐに頭から抜けていった。
「力を手に入れて、バカにしていたやつらを見返したい……ね。いいわ、その夢、叶えてあげる」
掴まれるとばかり思っていた手のひらが見えなくなり、代わりに人差し指が優しく私の頭に触れる。瞬間、私は全身が焼け付くような激痛を覚え、硬直も恐怖も夢も忘れて平原を転げ回った。
「別に死ぬ危険はないわ、アンタがやろうとしてたことだし。ふるい落としとか、勿体ないことはしないわよ」
しばらくすると鋭い痛みが鈍痛に変わり、疲労感が体に満ちる。全身に広がる痛みと思い出してしまった恐怖も合わさり、私は荒い呼吸を繰り返すだけだ。
「この世界はアンタに免じて見逃してあげる。だから、アンタは精一杯アタシを
消え行く意識の中で見た顔は、どんなものよりも美しく、どんなものよりも
私は、夢を見ている……異形の悪魔達を相手に、大立ち回りをする夢……。それを見ているのは私をバカにしていたクラスメイトたち……みんなが私を尊敬の眼差しで見ていて心地がいい……
そうよ……私をもっと崇めなさい……私は凄いメイジなのよ…………
ぼんやりと目を覚まして、初めに目についたのは知らない天井。しばらくまどろみの中にいたが、ゆったりと上半身を起こし、目を擦って覚醒を促す。しかし春の陽気は悪魔の囁く甘言のように眠気を掻き立て、はっきりとした意識が戻る前に、私を再びまどろみへと突き落とした。
「おお!ミス・ヴァリエール!良かった!目覚めましたか!」
突然の大声に、私は目を点にしながら一気に覚醒した。どうやらドアが開く音を聞き逃していたようだ。
「……ミスタ・コルベール、いきなり乙女の寝室に入ってくるのは貴族としてどうかと思います……」
心地の良いまどろみを邪魔されたことで苛立ち、禿頭が反射する陽光にも苛立って私はコルベール先生に八つ当たりしてしまう。
「聞こえていなかったのか……それはすまなかった。しかし、あれだけの出来事を君は……いや、あれだけの出来事だからこそか……」
この禿頭は一人で何かを納得して苦い顔をしている。全く納得できない私は、禿頭の行動で更に苛立ちを募らせる。そして、どう罵倒してやろうか考え始め、頭のもやが取れてきたところで、やっと違和感に気づいた。
知らない天井なら此処は私室ではない。清潔感のある白で統一されたこの部屋はたぶん保健室だろう。では何故、私は保健室にいるのか…………
「ヒィッ!?」
「どうしたんだねミス・ヴァリエール!?」
「あああああアレはどどどどうなななったたの!!!?」
蘇るトラウマ。当時程ではないにしろ恐怖が全身を支配し、ガタガタと体が震え出す。狂ったように周りを見回し、ムダかと考える前に毛布を被って縮こまってしまう。
「落ち着くんだ!ミス・ヴァリエール!アレは去った!悪夢は終わったんだ!」
「ほ、ほほ、本当、で、ですか……?」
「ああ、本当だ。でなければ、私たちはとっくにこの世にはいないだろう」
私は心の底から安堵し、大きく息を吐きながら崩れ落ちた。自分で貴族のマナー云々を口に出しておいて自分はこの態度とは、少し申し訳なく思ってしまう。しかし、アレの恐怖はコルベール先生だって知っている。情状酌量の余地は十分だろう。
しかしいざ落ち着いてみれば、アレの関連記憶から私の頭は次の懸念を捻り出してしまった。
「……あの、先生……私はどれくらい眠っていたんですか……?それに、試験は……?」
「……君は一ヶ月も眠り続けていたんだ。試験は保留、あんな存在が召喚されたんだ、君の召喚は危険過ぎると判断されてしまったよ……」
「そう、ですか……」
このときの私は試験のことで頭がいっぱいになっていて、先程の会話の違和感に気づいていなかった。
普通なら、一ヶ月も眠ったままであればそのまま永眠してしまうだろう。医療か何かの教科書で読んだことがあるが、魔法で死期を遅らせても最長二週間が限度だったそうだ。後で気になって聞いてみれば、実家から何度も家族が尋ねて来たし、一向に衰弱しない私を研究しようとする輩もいたらしい。後者は全部学院長の独断で追い払ってくれたようで、オスマン学院長には感謝しなければならないだろう。
とにかく、この違和感に気づけていれば、私の
「それと、君の体に起きた変化についても触れておこう。これを見てほしい」
差し出されたのは四つのルーンがスケッチされた羊皮紙と『始祖の使い魔たち』という分厚い本。私は意味が分からずに、首をかしげてしまう。
「これは神の左手ガンダールヴのルーンに、これは神の右手ヴィンダールヴのルーンに、これは神の頭脳ミョルズニルトンのルーンに一致した。そして、このルーンの正体は分からなかったが、私は始祖の第四の使い魔のルーンだと睨んでいる」
「はぁ……それが何か?」
すでに再び試験の事を考えていた私は、心ここにあらずという調子で返した。普段の私は頭の回転が速いほうだが、何かに集中すると他のことに対して極端に理解力が落ちるというのが欠点だ。
ゆえに普段の私ならば、どうしてコレを見せられたかもう察しがついていただろう。
「ミス・ヴァリエール……このルーンは全て君の体に刻まれているんだ……」
「……えっ!?」
頭の中で徐々に頭角を見せてきた最悪の想像すら吹っ飛んだ。良くも悪くも私は単純だったようだ。
「ガンダールヴのルーンは左手に、ヴィンダールヴのルーンは右手に、ミョルズニルトンのルーンは額に、このルーンは心臓の位置にそれぞれ刻まれている」
コルベール先生に言われてすぐに確認する。さすがに鏡がないので額は見ることができないが、他のルーンはそれぞれ言われた通りの場所に刻まれていた。
「……そ、そんな……。どうして使い魔のルーンが私に……」
「アレの言葉から察するに、アレが君に契約の魔法を行使したと私は考えている。それと、うら若き乙女が男の前で簡単に素肌を晒すものじゃないぞ」
コルベール先生の言葉にハッとなり、すぐに制服の胸元を毛布で隠した。
「…………見ましたか?」
「見ていない。始祖に誓ってもいい」
これが同年代の男子なら癇癪が爆発しているところだが、相手は冴えない禿頭の教師。哀愁漂うその頭を見ていたら、怒りの代わりにため息が出ていた。そのため息を皮切りに、今最も気にしなければならないことを私は恐る恐る尋ねる。
「……それで、私はどうなるんですか……?」
「……使い魔召喚の儀が何故重要なのかは知っているね?君の属性を決められないことには二年生以降の専門過程に進むことはできない。だから、君には代わりに四属性の魔法を唱えてもらい、その成功をもって進級試験の合格とすることになったんだ」
コルベール先生の口から告げられたのは事実上の死刑宣告。コルベール先生だって私の二つ名を知らない訳じゃない。魔法が成功しないから『ゼロ』のルイズ。一応成功した召喚の魔法ですらほぼ失敗したようなもの。
今度こそ私の心はどこかに飛んでいってしまい、ある意味達観した状態で試験の日程だけは聞き漏らさず、コルベール先生の話に頷いていた。その試験の日程も、今日の午後だと言うんだから救いがない。それまでの時間を魔法の練習に当てればきっと成功するというコルベール先生の励ましも見事に空回りしている。
結局、私はフラフラと自室に戻った後もぼーっとしたままで、キュルケが話し掛けても「うん」としか言わず、試験時間が来るまで精神が空に浮いていた。
……実は、コルベールが訳の分からない励ましをしたのは、どうあろうとルイズの合格が決まっているからだった。ルイズは気づいていないが、アレは「元々ルイズがしようとしていたことをしただけだ」と言った。ならばルイズに刻まれるルーンはおそらく使い魔に刻まれるはずだったもの。
そして、そのルーンが伝説の虚無を操る始祖の使い魔のルーンということは…………。そもそも、普通は魔法が失敗したからと言って爆発なんてしない。ルイズが虚無の担い手である可能性は極めて高いのだ。そんな人材をわざわざ手放す必要はない。このことはオスマンが信用している一部の教師にだけ話され、秘匿されている。
そんな信用がある教師の一人であるコルベールは、あまり気負わずに試験場である召喚の儀が行われた平原へと向かっていた。ギャラリーができないように授業中の時間を指定しているので、コルベールの仕事はあの爆発をルイズに火の魔法だと無理矢理にでも納得させて進級してもらうことだけ。勢いで言いくるめてしまえばきっとうまく行くだろう。これで色々な肩の荷が降りる……
しかしこのときはまだ、ルイズもコルベールも、本当に魔法がうまくいくとは露にも思っていなかった。
強大な力を手に入れたルイズがどのような運命を辿って行くのかは誰にも分からない。その力を与えた伝説の魔王でさえも……