提督に名前はいらない   作:仁良

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想起

 その“誰か”は、明石が生まれたときから傍にいてくれた。どんなときも味方でいてくれた。世界の半分が敵になってさえ見捨てずにいてくれた。

 魂だけになっても、ずっと傍にいて、守ってくれていた。そして、彼のせいではないのに、ずっと謝っていた。

 たぶんあの世界で、彼は仲間全員の苦しみを共有して、背負っていた。

 

“今度は絶対に守る”

 

 世界を越えても変わらずにいてくれた。

 ――彼はわたしが生まれてからずっとずっと、守ってくれていた。

 

          §

 

「……提督と話さないんか? 今はあいつ、移動中だぞ」

 物思いに沈む明石の上から、戦績妖精が言ってくる。心を許した相手の頭に乗るのが、この妖精の流儀らしい。

「何を言えばいいのか……あんなに大切にされてたのに、気づかなかったなんて」

「『ありがとう』って言えばいいんじゃないか?」

「そう……そうですね……」

 彼と最初に逢ったときから感じていた、懐かしく、無条件で信頼できるという不思議な感覚。それは『提督だから』というだけではない。彼の強さ、美貌、精神性とは別のところで感じていた慕わしさも、明石はようやく納得できた。

 どうりで彼は、元の世界でのことをほとんど話さないはずだ。「お前たちの守護神だった」なんて、明石が彼の立場でも言えそうにない。そう告げられれば艦娘なら誰もが納得するだろうが、今の明石でも言いふらす気にならない事実だ。

 ただ、彼があの敗戦の責任まで感じているのだとしたら。そして、あの底知れない絶望の原因が自分たちの死にあるのだとしたら。それは絶対に彼のせいではないのだと、知ってしまった者として、彼に言ってあげないといけない。そして「ありがとう」と、向こうの世界では最後まで言えなかった言葉を伝えなくてはいけない。どんなに傷ついたとしても、どうにもならなかったとしても……自分たちは確かに、ずっと前から彼に守られていたのだ。

「提督の候補な? 他にも何人かいたみたいだけど、お前たちを助けたいって意志が桁外れだったんで、満場一致であいつに決まったんだ。私はあいつの強さが大好きだけど、集合意識にとって個人の戦闘力は二の次なんだよな」

「あのひとを選んでくれて良かったですよ」

「心配すんな。何回選考があっても100パーあいつが選ばれるから」

「ふふっ……それもそうですね」

「守ってた相手のほとんどが悲惨な最期迎えちまって、何十年もひとりで責任を背負いこむなんて……あんなにいい奴なのに、可哀想すぎるよな……だから、こっちの世界ではお前らと一緒に幸せになってもらいたいんだ。あいつが必死で守ろうとしてるのに、艦娘たちがそのこと全然理解してないの、悔しいじゃないか。……明石、任せていいか?」

「できるかぎりのことはします」

 

          §

 

 鎮守府から離れるにつれて、海域の分岐は複雑化していった。予定より進行が遅れている。急がなくては。

 俺は数度の周回の末、南西諸島海域の南端でその艦隊を捕捉していた。空母ヲ級と重巡リ級が一人ずつに、戦艦ル級が二人──特に旗艦のほうは、俺がこれまで倒してきた戦艦とは段違いに強い。魔力で強化していない素の防御力では貫かれそうだ。

 対策を思案していると、艦隊の傍に新たな気配が出現した。深海棲艦ではない。

 ──俺の力なしで実体化した艦娘?

「ぁ……ぇ……?」

 沈む様子はないが、半身を海に浸からせ、彼女は周りを見回している。何が起きているか分かっていないようだ。

 明石の推測が正しければ、砲撃用の艤装を持たない非戦闘員だ。水上に立てない様子からもそれが分かる。

 深海棲艦の攻撃が彼女に向けられる前に、俺は抜刀した。

 怪物型の群れを一閃で斬り裂く。人型四人にも剣閃は届き、衝撃波とともに弾けた。無論、傷一つつかないが、その虚ろな瞳をこちらへ向けることはできた。

 転移ではなく、魔力噴射によって距離を詰める。障壁を広範囲に展開し、四人をたて続けに弾き飛ばした。

 ──許せ。

 どちらも救うべき者たちに変わりはないが、この場は何をおいても艦娘を守らなくては。

 四人は叫び声もあげず、大きく吹き飛んでいった。しかし、これは時間稼ぎにしかならない。

「怪我はないか?」

 その割烹着の艦娘──間宮には見たところ外傷はないが、意識が鮮明か否かを確認するため俺は訊いた。

 彼女は震えながら頷く。

「少しだけ我慢してくれ」

 間宮を抱き上げ、その体に全魔力の九割を注いで障壁を張った。

「ゆっくり加速する。つらければ言え」

 この場で戦うことはできない。非戦闘員が耐えられる速度をつかむため、低速でその場を離脱する。

 そこに、四人が斉射を開始した。

「きゃっ」

 全て障壁で防ぐが、眼前まで迫った砲弾に、間宮は恐怖の叫びをあげた。

「大丈夫だ。絶対に守る」

 しかし、間宮に大量の魔力を注いだことで俺自身の装甲が薄くなったこと、元々消耗していたこと、偶然その一点に砲撃が重ねられたこと、旗艦ル級の火力──それらの要因が重なり、俺を守る障壁の一部が砕けた。

「!」

 肩に砲弾が撃ち込まれる。幸い皮膚までで止まったが、焼けた臭いが立ちこめた。

 だが、間宮の命を抱えているのだ。この腕を降ろすわけにはいかない。

 彼女に不安を与えないため、苦痛を噛み殺し、障壁を張りなおす。

 俺は加速を続ける。けして焦らず。

 砲撃のさなか、速度を緩めるのは死に繋がるという認識があるのだろう。50ノットを超えても間宮は泣き言を漏らさなかった。

 深海棲艦を大きく引き離し、艦載機の追手もなくなったのを確認してから、俺は間宮に声をかけた。

「俺はこれから向かう鎮守府で提督を務めている。お前は間宮だな?」

「はい……」

 まだ恐怖が残っているのだろう。俺の胸に顔をうずめたまま彼女は答えた。

「わからないことだらけだろうが、もう安心していい。お前には傷一つつけさせない……」

 俺の言葉を咀嚼するようにしばらくこちらを見つめ、間宮はゆっくりと眠るように意識を失った。

 

          §

 

「提督が怪我を……!」

「メディーック!! 入渠妖精!! はよこーい!!」

「はいはい……あなたの思念波、やたら強力になったわね……これも提督の力なの……?」

 演習場からすぐさま飛んできた戦績妖精が、工廠に入渠妖精を呼びだす。明石も大急ぎで手当ての準備を始めた。入渠妖精が用意したのは軟膏と包帯、消毒液だった。

「あまり期待しないでね。彼みたいに存在密度が高いと、艦娘用の修復剤はもちろん、私の治癒魔法もほとんど効かないわ」

「ええと……傷口を洗って、軟膏を塗って、包帯を巻く? その程度のことしかできないんですか?」

「彼の場合、本人の治癒力に任せるのが最善よ」

 明石たちが工廠の入口で落ちつかなげに待っていると、提督は艦娘を抱えたまま現れた。

「間宮さんを預かります! 提督も工廠に入って!」

「なあ提督。実はな? 私を心配させるって、よっぽどのことなんだぞ? お前を好きになってから心配しどおしだ。ずっと呑気な妖精してたのに、どうしてくれる?」

 戦績妖精は涙目だった。

「……すまない」

「間宮さんには異常なし! 提督も早く手当てさせてください!」

「ありがとう」

 提督は診察台に座り、肩の焼けた軍服を脱いだ。引き締まった体が露わになり、明石は赤面したが、当然そんな場合ではない。努めて傷口だけを見て処置を始める。

 手当ての間は誰も口を開かなかった。

 包帯を巻き終わると、明石はぽつりと言った。

「もう無理ですよ……お願いだから休んでくださいよ……」

「この程度の傷なら戦闘に支障はない」

 提督が受けた砲撃は、障壁によって大半が減衰しており、たしかに数値上の損傷は小破未満だ。しかしそういう問題ではない。

「どうしてそこまでするんですか! 向こうの世界でわたしたちが負けたのは、あなたのせいじゃないですよ!」

 彼は眉をひそめて明石を見、そして視線を戦績妖精に移した。

「お前が悲しげに怒ってたの見て、ショックで思い出したんだと」

「そうか……」

 提督は戦績妖精を助けたとき次元の狭間を認識してから、この世界と位相のずれた空間を創れるようになっている。そこから艦娘たちの魂を取り出した。慣れれば人型が入る大きさに拡張できると言っているが、それがいつになるかは分からない。

「大淀へ連絡を頼む。間宮は非戦闘員だ」

 間宮と逢うまでに見つけていた艦娘たちを実体化し終わると、彼は明石が仕立てていた軍服を着て、再び戦場へ向かおうとした。

「提督!」

「これは俺の問題だ。俺はかつて、お前たちを守れなかった。だから、この世界では悔いを残さない」

「じゃあ、わたしのことも見てくださいよぅ! わたしは今、とっても苦しいです! あなたが傷ついてて、とっても悲しいです! わたしの心も守ってくださいよぅ!」

 その言葉は彼の心の琴線に触れたようだった。

 彼は立ち止まり、明石を見た。

 明石は泣いていた。

「ま、守ってなんて、言うつもりなかったのに……! ずっとありがとう、って、伝えたかったのに……!」

「明石。お前は……」

 提督は逡巡するように呟く。

 数瞬の沈黙の後、やはり毅然と続けた。

「すまない。想定している海域の、五分の一しか回れていないんだ。今休むわけにはいかない」

「旧戦場に限定しても、しらみつぶしに探すとなると大変だろ? それに、集合意識のところでまだ大勢順番待ちしてるんだ。最適化された魂がいつこっちに来るかも分からない。終わりが見えないじゃないか」

 戦績妖精は提督の足の裾を掴みながら言った。

 彼は戦績妖精をしばらく見つめていたが、やがて屈みこみ、彼女を丁寧に掌に乗せた。

「人型の深海棲艦に会うたび思うんだ。俺がもっと早く来ていればと。彼女たちは皆、苦しそうだった」

 彼の声には、気遣いへの感謝と、自責の念があった。

「今回は、あの間宮の救助を優先して、四人も置いてきてしまった。早く戻って、連れてきてやらなくては」

「それを死ぬまで続ける気か? そうなったらここは誰が守るんだ?」

「俺は死なない」

「言っておくけど、あなたの複製は湧いてこないわよ?」

 入渠妖精が言った。

「あなたみたいなのが何度も出てくるキャパシティ、この世界には無いもの。向こうの世界では不滅だったんでしょうけど、こちらであなたが死んだら二度と復活できないわ」

「俺にはお前たちを守るという不変の意志がある。だから、俺は絶対に死なない。それは世界の法則より確かなものだと誓う」

 彼の意志は揺るがなかった。

 戦績妖精は諦めたように溜息をついた。ふにゃりといつもの弛緩した表情に戻る。

「絶対かー。しかも誓っちゃうかー。ならしょうがないなー。まあ、お前がそう言うなら大丈夫なんだろ。まったく、かっこいいなー」

「みんな、ありがとう。だが俺の心配はいらない。それよりも、仲間たちに異状があればすぐ連絡をくれ」

 彼は妖精を降ろすと、もう振り返らなかった。明石が呼び止める前に、その場からかき消えた。

 

          §

 

「お前にもつらい思いさせてるな……ごめんな……」

「そんなことないですよ……感謝してます」

 これまで明石は、彼の表面的な強さに目がくらんでいた。彼の本当の強さは、あの絶対的な意志にあるのだ。まともに顕現できず力が振るえない地球でも、彼は魂が朽ち果てるまで明石たちを守ろうとしていた。

 けれど、彼の真実を知ってしまった明石にとって、このまま戦わせ続けるのはあまりにつらかった。たとえそれが彼の望みだとしても。

 彼の意志を曲げる必要はない。せめて彼の責任を、自分たちにも支えさせてほしかった。

「……あいつは無敵だと思ってたけど、やっぱ傷を負うこともあるんだな……艦娘を守りながら、一人で戦わないといけないんだし」

「わたし……大淀とも相談して、これまで助けた人たちから話を訊いてみます。艦娘の魂が集まりやすい場所を知ってるかもしれません」

「んー。私らじゃ、あいつの役に立たないかもしれないけど。だからって、なんにもしないわけにはいかんよな」

「はい……戦績妖精さんは、艦娘を鍛えてください」

「おう。任せろ」

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