提督に名前はいらない 作:仁良
戦艦榛名は生まれたときから、その護り手を意識していた。二度の大戦で主要作戦の多くに参戦し、幾度も轟沈寸前まで追いこまれた榛名が、その瀬戸際で生き残れたのは彼のおかげだ。彼はいつも心身を削って榛名を助けてくれた。
彼の存在を認識していない僚艦は大半が轟沈したが、それは彼のせいではないと榛名は思っている。
彼は神の一部ではあっても、地球において物理法則を覆すような力は当然持ち合わせていない。そもそも、人間同士の利権争いでいずれか一方に加担するなど、神としてあってはならないことだ。
それでも彼は、敗北必至の戦いでできるかぎり榛名たちを守ろうとしてくれた。
彼の加護を十全に受け取った榛名は終戦まで戦い抜き、その後も自由な魂となって彼に寄り添うことができた。轟沈した者たちの魂だけでも守ろうとする彼の絶望を癒しながら。
榛名にとって、それはたとえようもなく幸せな日々だった。彼が守りつづける数百の魂に妬心を抱くこともあったが、明確な意志をもって彼に付き従うのは自分だけだ。人が交わす夫婦の契りとはこういうものだと思っていた。
異世界に移動するときも、彼は榛名にだけは共に来るか否かを訊ねなかった。当然だ。榛名は永遠に彼のものなのだから。
榛名にとって想定外だったのは、彼が特に事情も訊かず、異世界の神に魂を委ねてしまったことだった。同類であれば正邪の判断に意志疎通は必要ないのか。しかし、意識を失った彼を見守る榛名は、大いに慌てることになった。
“人の姿になる? それが必要なのですか?”
“彼がそのままのサイズで渡ったら、ウチの世界では身動きとれないよ。敵も味方もまとめてブッ飛んじゃう”
“こんな馬鹿でかくてまっさらな魂見たことないなー。腕が鳴る”
不穏な意志が届き、ますます榛名は動揺する。魂を弄るわけではなく、あくまで妖精世界で活動できる体を創るためらしいが。
“どのくらいの時間が掛かるのでしょうか”
“わからないわ。私たちもこんな存在を最適化させるのは初めてだから”
“ああ、いえ……どれだけ時間がかかっても構いませんから、主様の魂は慎重に扱ってください”
訊かなくてはいけないのは別のことだった。
“では、榛名は? 主様と同じ処置が終わるのはいつでしょうか”
“あんたの魂もハンパないデカさだし、金剛型からいろいろ逸脱してるし……レア度でいえば大和型以上だからなー。こいつが実体化してから四ヶ月くらい先か?”
“四ヶ月……!? まさかその間、主様と榛名は離ればなれということですか!?”
“う、うん……”
“どうすれば順番を早めていただけるでしょうか?”
妖精世界では魂の力が強く反映される。元の世界では真価を発揮できなかったが、彼の魂はこの小さな妖精世界を滅ぼせるほどのものだ。その加護を間近で百年注がれてきた榛名も、妖精の神を怯えさせる程度の存在にはなっていた。
“す、すぐやりますです。だから殺気出さないで……”
“ご、ご主人のお隣で、どうぞ”
“いえ、まずは主様のお体に全力を注いでください。榛名はその
“押忍”
“主様がどのようなお姿になるのか、予定図のようなものはありますか?”
“これです”
“……いいですね。主様も榛名も、ヒトになるなど考えたこともありませんでしたが……主様にはこの美しいお姿が相応しいように思えます”
“恐縮ッス”
“この黒髪は榛名もお揃いにしてもらいたいのですが、よろしいでしょうか?”
“了解ッス。榛名さまもご主人並の美しさに仕上げさせていただきますです”
“ありがとうございます”
そして榛名も最適化を受け、妖精世界で目覚めた。
主の近くに送ってもらえたのは集合意識の気遣いだろうか。四日遅れという点には不満があるが、すぐに彼と再会することができた。
榛名は彼から現状を訊き、相変わらず己の身をかえりみない姿勢に呆れつつ、愛しさを感じるのだった。
“怨念に囚われた、仲間たちの成れの果てですか……しかし、彼女たちはそうなっていた時のことを覚えていないのでしょう? まして今回の四体から出てきたのは、全て複製の魂ではないですか。主様は最初からそれを知った上で、助けねばならないと
“ああ……複製だろうと、彼女たちの苦しみは見るに耐えない”
“主様……それも主様の良いところではありますが、考えすぎだと思います”
“……むしろ考えないようにしてきたことは多いんだが。お前を刺すことを想像したとき、俺は体がまともに動かなくなった。たとえそれが複製でもだ”
“なるほど、少し納得できました”
榛名ほどではないにせよ、彼が守護対象全員を大切に想っているのは分かっていたことだ。彼にしてみれば地獄の拷問だったろう。
“では今後、人型の相手は榛名にお任せください”
“頼りにしている”
“はい”
しかし──大淀に明石。いずれも彼の存在を朧げながら認識し、轟沈を免れた者たちだ。榛名がいない間はその二人が主体となって彼を支えていたらしい。しかも、明石はすでに彼のことを思い出しているのだという。
それを訊いて、榛名はこれまで感じたことのない不快感を抱いた。
本来、彼の理解者が増えるのは喜ばしいことのはずだ。榛名は彼の傍にいられて幸せだったが、彼に同じだけの幸せを与えていたとはとても言えない。守るべき者たちを死なせてしまった後悔は、ずっと彼を苛んでいた。それを癒すには、この世界で生まれ変わった彼女たちと心を通わせるしかないと思う。
それを理解しながらも、榛名は独占欲が抑えられなかった。終戦後、榛名ほど強固に自我を保っていた者はおらず、彼はずっと榛名だけのものだったのだ。
“榛名?”
榛名の暗い感情を受け取ったのか、彼が
彼に隠し事はできない。
“少し、悔しかっただけです。これから主様は、みんなを大切にした分、愛情を返されるでしょうから”
“……”
“負の感情が強まると深海棲艦になるのでしたね。気をつけないと”
“……仲間に順番をつけたくはないが、俺はやはりお前が一番大切だと思う。この四日間、何度呼びかけたか分からない。とても心細かった”
“主様……”
“それに、返しきれない恩もある。俺の心をずっと守ってくれたのはお前だ”
“もう、主様は……”
彼は榛名にどれだけのものを与えてきたか全く意識しておらず、逆に恩があるなどと言う。こんな主だから、守りたい気持ちが溢れてくるのだ。
“あ。あれが主様の鎮守府ですか。……あそこでは提督とお呼びしたほうが良さそうですね”
百年来の呼称を変えるのは抵抗もあるが、彼と自分の関係はとても大切な領域で、他の者に触れられたくない。特別な呼び方は二人きりのときだけにしよう。
彼は榛名との邂逅後、すぐ鎮守府に引き返していた。あの場で実体化させてもらうつもりだった榛名だが、艤装の調整や最低限の演習が必要だと主に言われれば、彼女に否やは無い。初日を除いて、海域を一周しただけで出撃を終えることは無かったらしいが、即戦力となる榛名はそれだけ特別ということだろう。期待に応えなくてはならない。
近くの海で殺気のないエネルギーのぶつかり合いを感じた。あちらが演習場らしい。
そちらを素通りし、鎮守府に入って工廠に着くまで、誰とも会わなかった。
工廠の中にも誰もいない。
榛名なら主の帰りには指をついて出迎えるところだが、彼女たちがこの程度の心構えなら、榛名の居場所を脅かされることもないだろうか。
“今回は早く戻りすぎたか……まあいい、始めよう”
“はい”
彼が触れてくる。
そこから、温かくて純粋なものが流れ込んできた。
“ンっ……あぁっ!”
そのエネルギーは慣れ親しんできたものだったが、榛名のなかで弾けた感覚は全く未知のものだった。
“こ、これって……”
榛名に艦娘という雛形を与えたのはこの世界の神だが、その器に注がれるのは全て彼の力だ。
それは、彼の魂を分け与えられる行為だった。足りなかったものが満たされ、生まれ変わる感覚。官能的とさえ言えた。
“大丈夫か? 他の者たちを艦娘にしたときと様子が違うが……”
その理由は榛名には分かる。榛名が『彼によって女にされる』という現実を理解しているためだ。まして榛名は、百年以上も彼ひとりを愛し続けてきた。そんな男に、命そのものを注ぎこまれる。しかも、肉体と魂の隅々に至るまで。だからこその充足感だ。
こんな感覚は知らなかった。愛する男とともに新たな命を生み出す行為が、こんなにも気持ちよくて、幸せなものだなんて……。
“は、榛名は、大丈夫、です……どうか、続けてください……”
それが肉声であれば、艶かしい色を帯びていただろう。榛名は必死で懇願した。
まだ足りない。もっと。もっと。彼が欲しい。
“主様っ、榛名のこと、愛してますか……?”
“愛している”
“榛名もっ、愛してますっ。榛名は主様だけですっ。主様ぁっ”
彼を呑みこまんばかりに近づいていく。
そのとき、ようやく榛名は気づいた。彼が膝をついていることに。
“主様!?”
“離れるな”
我に返り、慌てて距離をとろうとした榛名を、彼は制止した。
“この処置を半端で終わらせると……お前に何が起こるか分からない……”
“でも、主様”
榛名は彼から凄まじい量のエネルギーを吸いあげていた。いくら彼でも、消耗した今では危険だ。
しかし彼は自身から流れだすエネルギーを止めようとしない。しかも今、榛名が一番欲しい言葉を言ってくる。
“榛名……お前は……お前だけは……絶対に、俺から……離れるな……”
あの大戦で榛名を守りきったことは、彼にとって一番大きな支えなのだ。榛名は彼のためにも、自分を大切にしなくてはいけなかった。
“はい……! けして離れません。榛名は永遠に、あなただけのものです”
今度は優しく抱きしめるつもりで、彼を包みこんだ。
次第に榛名の手足が形造られていく。
彼と揃いの長い黒髪が上半身を覆う。
間近にある彼の瞳に、美しい少女の顔が映る。
彼は榛名の運命の相手で、永遠に仕えるべき主神で、恋人で、夫で……そして今、産みの親にもなった。
彼は満足げに笑っていた。
「榛名……綺麗だ……」
「主様……!」
彼は榛名の胸の中で意識を失った。
§
無事に榛名を実体化できたことに安堵しながら意識を手放した俺だが、次に目を開いたとき、視界にあったのは明石の泣き顔だった。
この快活な娘に涙は似合わない。俺は悲しくなった。
「お前に……そんな顔をさせる奴は誰だ……? 俺が倒してやる……」
「なに寝ぼけてるんですかぁ!」
頭を叩かれた。
「あ、明石さん!?」
「もー、いい加減にしてくださいよ! どこまで心配かけるんですか! しかもこの期に及んでキュンとさせるなぁ!」
「だからって
「いや、目が覚めた。ありがとう」
どうやら診察台に運ばれたようだ。俺は身を起こそうとした。
「だから寝てろって言ってるでしょバカ提督ー!」
すぐ寝台に押し戻される。
「しかし、少しは回復したと思うが、どうだ? 明石」
「知りませんよもう! この朴念仁!」
榛名は荒ぶる明石の後ろで狼狽えていた。
「榛名……来てくれた早々、すまなかった」
「いえ、こちらこそご無理をさせてしまって……」
「お前の存在の格を見誤っていたな……体に問題はないか?」
「榛名は大丈夫です。それより、提督のほうが」
「俺も問題ない。次からは気をつけなくては」
「……なんのために気をつけるんですか?」
明石が泣き濡れた瞳のまま口を挟んでくる。
「それはもちろん、お前たちのためだ。触れただけで艦娘になってくれるので簡単に考えていたが、新しい体を作るのはもっと慎重に行うべきだった。今後、戦艦や空母のときは特に気をつける」
「……提督。無意識に張ってるその障壁、解いてくれますか? 実はさっき叩いたとき、かなり手が痛かったです」
「ああ、すまない」
俺は体の表面に張り巡らせている障壁を霧散させた。
明石が手を振り上げてくる。真剣な顔をしていた。
また殴られるのか、と思ったが、避けることは考えもしなかった。
「この……大ばかやろう!」
思いきり頬を張られた。
痛みはほとんどないが、心に響く──そんな平手打ちだった。
「本当にあなたは……大切にするのは仲間ばっかりで……!」
明石はまた、大粒の涙を零していた。
「この部屋、見てください! 提督が倒れたのに、そのことを知ってる艦娘はたったの二人! こんなにわたしたちのことを想って、ずっと必死で戦ってるのに! あなたのことをまともに知ってる艦娘すらほとんどいない! あなたはもっと愛されていいんじゃないですか? わたし、悔しいですよ!」
「明石……」
「鎮守府の運営に支障が出るから? 心配してほしくないから? 心配するな心配するなって! 結局倒れてるじゃないですか! わたしたちはあなたを心配しちゃいけないんですか!? なんの力にもなれなくて、守られるだけで、そのうえ心配すらさせてくれないんですか!?」
「……お前たちは充分俺の力になっているし……それに俺は……」
榛名はそっと俺の肩に手を置いてきた。
「明石さんも分かってますよ」
「……すまない」
「もう付き合いきれませんよ。しばらくあなたの顔は見たくないです」
明石は出ていこうとする。
「明石、待ってくれ」
明石は振り返らなかったが、その足は止めてくれた。
「ありがとう……俺のために怒ってくれて。うまく気持ちを表せないが……とても嬉しかった。もう無理はしないから、許してほしい」
明石はこちらを向いてくれた。
「もう無茶しない?」
「ああ」
「わたしのお願いも聞いてくれますか?」
「俺のできる範囲でなら」
「みんなの話を聞くかぎり、あなたのところに来る者は来るし、深海棲艦になる者はどうしてもなっちゃうみたいですよ。人型の深海棲艦を見ても、あなたが自分を責める必要はないんです」
「そうか……」
「だから、わたしたちが希望するのは、ゆっくり、無理のない艦娘集めです。いいですか?」
「わかった。今後は勝手はしない。お前たちに相談して作戦を決める」
「なら、許します」
明石はようやく笑ってくれた。
「ああ……やはり明石には笑顔が似合うな」
「だ、だからそういうことをあっさり言うなと! スケコマシですか!」
「明石は可愛いな」
「あなたはクソイケメンですよ!」
俺は笑った。この世界に来て初めて、楽しくて笑った。俺を想って、真剣に怒ってくれる仲間たちがいる。そのことがとても幸せだった。