提督に名前はいらない   作:仁良

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戦績妖精 ②

「ぐすっ、ひぐっ……」

 戦績妖精は泣きながら飛び続けていた。

「提督の、ばかやろー……」

 あそこまで心配性だとは思わなかった。いらない責任ばかり背負いこんで。糞真面目にも程がある。もっと楽に生きればいいのに。少しはウチの集合意識を見習え。

「うー。ここ、どこだー?」

 ふと我に返ると、彼女は現在地が分からなくなっていた。

「オイ羅針盤妖精。帰るから出てこいや」

 命に関わるような悪戯はしない妖精なりの矜持なのか、羅針盤妖精は帰り道のほうは確実に示すのだ。

「らしんばんをまわしてね!」

「てめーで勝手に回してろボゲ」

「えいっ……それっ」

「ゲっ。提督のいる方向じゃないか。てことはさっきから、鎮守府とは逆方向に飛んでたんか。……うー」

 自分が我がままを言っていると分かってはいるのだ。提督があんなに真摯に謝ってくれたのだし、意地を張らずに仲直りすればいいと思う。けれど、あんな啖呵を切ってすぐに戻るのは、なんだか悔しかった。

「ん?」

 深海棲艦の気配は、妖精にとって極めて不快なものだ。しかし提督が来て以来、連中の死骸に近づく機会が増えすぎて感覚が鈍っていたのかも知れない。

 驚くほど近くに敵がいた。

 戦艦ル級。巨大な艤装を両手に構えた、人型の深海棲艦。

 そいつがうっすら頬笑みながら、砲身をこちらに向けている。

 一人のとき深海棲艦に狙われたことなどない戦績妖精は一瞬慌てたが、すぐ強気な笑みを浮かべた。

「ふん。私にとってはお前なんて雑魚雑魚」

 提督はまだこの近くにいる。戦艦ル級を無力化させたのを見れば、あいつも考え直してくれるかもしれない。さっき提督がやってたように、弾薬が切れるまで撃たせてやればいい。──そう思い、妖精はむしろル級に近づいていった。

 ル級の16inch三連装砲が火を吹いた。

 巨大な砲弾が、恐ろしい速さで妖精の傍を通り抜けた。思わず「うひっ」と漏らしてしまうが、「私は無敵私は無敵……」と呟いて踏みとどまる。

 自分の障壁は砲撃では破壊不可能だし、万一やられたとしても一日で復活できる。何も恐れることはない。

「ほれほれ、ちゃんと狙えよー」

 ル級の周りをデタラメに飛びまわって挑発する。

 ル級は砲撃を続けるが、妖精にはかすりもしない。深海棲艦は馬鹿だから、標的が近くにいれば攻撃しかしてこないのだ。

 戦績妖精は次第に調子に乗ってきた。

「じゃあ大サービスだ。これならアホでも当たるだろ」

 砲口の真正面に移動した。さすがに、かなり怖い。

 ル級は迷わず撃ってきた。

 戦績妖精は大きく弾かれる。しかし、障壁の中身は全くの無傷だ。

「効かねーよボゲー。せいぜい無駄弾撃ってろよやー」

 理論上では無敵だという確信は得ていたものの、実地で試したのは初めてだ。戦績妖精は楽しくなってきた。

 あまりに調子に乗りすぎていて、自分の弾かれた先が駆逐ハ級の口の中だということに気づかなかった。

 

「んあ?」

 いきなり周りが真っ暗闇になった。

「え? なんで? なんで?」

 障壁にも体にも傷はない。

 頬をつねってみる。痛い。知らないうちに死んで集合意識のもとに強制送還というわけでもない。今まで死んだ経験はないが、たぶん大丈夫だ。

 地面には妙な弾力があった。周りから何か気持ちわるい音も聴こえてくる。

「なんだこれ?」

 魔法で灯りをつけた。

 戦績妖精はそれからしばらく、その行動を後悔することになる。

 彼女は、光すら吸いこむような闇色の渦に包まれていた。その渦は目や口のようにも見え、そこから聴こえる呻き声がさらに嫌悪感を掻きたてる。

「あ、あわ、わ……」

 一瞬、灯りの消し方を忘れるほどのおぞましさだった。

「うぐっ」

 目をきつく閉じ、障壁の強度を最大にして、光、音、匂いまで遮断する。

 瞼に焼きついた光景を、提督の顔を思い浮かべて必死で打ち消した。

「お、おちつけ……く、空間転移……空間転移だ……」

 息をするように自然に行ってきた転移能力で、その場から脱出しようとする。

 だが、何度試しても移動できない。

「な、なんでだ……? ここ、どこなんだ……?」

 そういえば提督は、深海棲艦に喰われた魂は感知できなくなると言っていた。ただ閉じ込められているだけでなく、まるでこの世界から消えてしまったように感じると。

 障壁を解いて確認する気にはならないが、一瞬観た闇色の渦は確かに、異世界の怨念の根源に繋がっているように感じた。

「……ここは深海棲艦の腹ん中か? あいつらの体は次元の狭間みたいになってるんか? じゃあ、あの渦のどれかに入れば深海棲艦の口から出れるかも……」

 そこまで考えて、到底無理だと気づく。

 あの怨念の渦を一つ一つ見つめながら体当たりして、出口を探す? 嫌だ、二度とあんなの見たくない。その前に発狂してしまう。

 それ以前に、さっきから身動きひとつ取れない。

 歯がガチガチと鳴った。

 脱出する方法がない。

 障壁もずっと張っていられるわけじゃない。

『俺なら斬れる』という提督の言葉が重みをもってきた。

 提督の魔力は艦娘に通じないらしいので彼は遠慮なく斬りまくっていたが、もし自分がここで斬られたらどうなるのか。そうでなくても、このままずっと閉じ込められていたら魔力切れで死んでしまう。ここで死んだら、ちゃんと集合意識に回収してもらえるのか。この怨念の渦に魂を呑まれて、どこかもっとおぞましい場所に連れていかれるのではないか。深海棲艦になった艦娘たちもみんな、この空間で少しずつ変わっていったのか。

 何もできないまま、ぐるぐると思考が回る。わずか数分で戦績妖精の心は折れはじめていた。

 怖い。怖い。怖い。

 戦績妖精は心から後悔した。

「て、提督~……たすけて~……」

“戦績妖精!! 返事をしろ!!”

 その声は、まるで自分の泣き事に応えるように届いたため、不安のあまり幻聴が聞こえたのだと思った。この障壁が声を通すはずがない。

“戦績妖精!! いないのか!!”

「……え?」

“いたら返事をしろ!!”

「提督!?」

 確かに聴こえる。絶対に気のせいじゃない。

 それは、次元の壁を貫くほどの圧倒的な思念波だった。

 自分も慌てて心話に切り替えて叫ぶ。

“提督! 提督!”

 確認するように一拍置いて、応えがくる。

“いるのか!? 返事を続けろ!!”

“て、提督! 提督! 提督ーーー!!”

 提督が近づいてくるのを感じる。

 障壁の外は見えなかったが、提督が不浄を引き裂いて、自分を手にとってくれたのが確信できた。

「提督ー!」

 障壁を解くと、信じていた通り提督がいた。胸に飛び込んで思いきりしがみつく。

「うあーーーん! 提督ーーー! 怖かったようーーー!!」

「大丈夫か! 怪我はないか!?」

 提督も必死だった。この沈着冷静な男が。

 汚れ一つなかった白の軍服が、深海棲艦の青い体液にまみれている。

「ぐすっ……そ、そんなふうにして……探してたんか?」

 戦績妖精を喰った駆逐ハ級は、口から腹まで引き裂かれて死んでいた。少し離れた場所にも同様の死骸がいくつか浮かんでいる。

 絶対に戦績妖精を斬らないように、そうやって探してくれたのだ。

「仲間が突然感知できなくなれば、誰でも探すだろう。俺の索敵範囲にいてくれて助かった」

「ごめんな……こんなことしてる暇ないのに」

「いいんだ。お前が無事で良かった」

「……私のこと、きらいになってないか?」

「むしろ、かなり好きな部類だ」

「……うへへ」

「だから、もう危険なことはしないでくれ」

「うー……油断してたんだー」

「戦いに向いていないと、自分で言っていただろう。無理をするな」

「……お前に見直してほしかったんだよぅ……そしたらまた連れてってもらえると思ったんだ……」

「……」

 彼は黙って妖精の頭を撫でた。

「……収穫はあったな。深海棲艦の体内にいる仲間を感知するのは難しいが、互いが強く思念を飛ばし合えば位置は分かるらしい。お前のおかげだ」

 慰められていた。彼のことだから、思念波に応えがあろうがなかろうが怪物は斬り裂いて確認するだろうに。

「この刀も、妖精を斬れないように創り直そう。俺にとっては新しい属性なので、少し時間がかかるが……待っていてくれ」

「……ありがとな」

 最高の男にここまでしてもらって、ここまで言ってもらえて、戦績妖精の胸はもう一杯だった。

「鎮守府にいてもお前の戦いは見えるんだ。ただ傍にいたかっただけで」

「……そうか」

「もうワガママ言わない。私はどう考えてもジャマだしな」

 彼女は涙を浮かべながら、笑顔で言うことができた。

「でも、たまには連れてってくれな?」

「ああ」

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