先程の砂嵐のせいだろう、辺りは未だ薄ぼんやりとした茶色いベールに包まれていた。
微風さえも無い静寂なそれは見る者を幻想的な感覚へと誘う。
だがそれも突如として破られた。
物々しい警笛と駆動音を響かせて一台の大型ホヴァトラックが通り過ぎたためだ。
砂嵐が収まっても小一時間は視界不良となるが、お構いなしとばかりホヴァトラックは猛然と突き進む。
四半時ほど走らせたところで前方の砂塵がふいに消え失せる。
その瞬間眼前に巨大な岩山が立ちはだかった。
だが砂漠に突き出た岩山ではない。
正確には高さ十数メートルはある砂岩で築かれた城門だった。
運転手はかなり土地勘があるのだろう、砂塵が晴れる前にトラックは減速を済ませ、前方に車体を傾けながら城門の手前で難なく停止する。
「爺さん、着いたぜ。さっさと降りな」
いかにもトラック野郎の出で立ちの運転手が助手席に座る老人に声をかけた。
老人は何も答えず、革袋から数枚のギルダン金貨を取り出しトラック野郎に手渡した。
宇宙港で老人に声をかけられ、行きがけの駄賃と吹っかけた額の数倍の金貨を目にし、
「二、三日この街に居るから帰る時も声をかけて下さいよ」
とトラック野郎の顔つきと声音が上客へのそれに豹変した。
そんな対応を尻目に老人は無言でトラックを降りた。
城門には古代アストラーダ文字で町の名が刻まれていたが、風化が進み、文字であることすら分からなかった。
しかし、老人は目的をもってこの地を来た。この町の名を知っていた。
「ここがグルフェー・・」
老人は絞りだすようにその名を口にした。
自由交易都市グルフェー。
惑星メルキア、パレゲア大陸のソムジー大砂漠中心に位置するこのオアシスは千数年にわたり汎宗教結社マーティアルの庇護の下、ギルガメス宙域有数の交易地としてあらゆる組織からの干渉を受けず栄えてきた。
だがそれも過去の話になりつつある。
「ある男」が引き起こした「アレギウムの赫い霍乱」によりマーティアル権威は失墜、それまで信仰の力で抑えられていた懐疑と欲望を噴出する結果となった。
数多の信者(特に軍関係)の脱退・離反は言うに及ばず、庇護を受けていた個人・組織・地域への経済・武力的干渉はあからさまに増していった。
そしてグルフェーも例外ではなかった。「霍乱」からわずか2週間足らずで周辺の地域・施設にギルガメス機甲師団の兵士・車両を目撃する機会が増えていた。
そのような一種の緊張感が漂う中、ソムジー大砂漠の西端にある貨物収集所を兼ねた宇宙港に老人は降り立った。
何かに導かれるように。
老人の名はロッチナといった。
ソムジー大砂漠南端の宇宙港への入管時、聖地アレギウムの歴史編纂係と申請したが、この地に降り立つこと自体、彼にとって極めて危険な行為という他なかった。
何故ならば彼自身、自軍の最重要機密を奪取し、敵軍に寝返った最重要戦犯として未だ手配されている身だからだ。
例えアレギウムからの使者と言い張っても、指紋は言うに及ばず、声紋、骨格、網膜、遺伝情報の一つでも入管のデータが本人と照合すれば拘束は免れない。
しかし、実際には入管チェックも無事に通過出来た。むしろアレギウムの名だけで、入管の職員から厚遇を受ける程だ。
だが当の本人はその事に逆に苛立ちを覚えた。
『こうも簡単にメルキアに帰れるとは・・』
そう思うのも仕方がない。三十数年経ったとはいえ、かつてギルガメス星域軍の情報省、メルキア軍情報局と渡り歩いた人間にとって、最重要戦犯が大手を振って故郷に戻れることに軍部の不甲斐なさと感じたからだ。
もっともギルガメスの情報能力や宇宙港の監視システムがお粗末な訳ではない。
ギルガメスを出奔する際、「神」による情報操作が完璧だったのだ。
今は一番の懸念が杞憂であった事を喜ぶべき、と老人は自分に言い聞かせた。
宇宙港内の商業施設に踏み入れると老人は不意に違和感を覚えた。
それは戦場でみられる一種の緊張感と言っていい。
軍に籍を置いていた時分任務で幾度となく戦地に赴いたが、前線の兵士が醸し出す独特の「臭い」がこの宇宙港で感じられた。
事実其処かしこにギルガメス正規軍の軍服を着た兵士が小銃を携えて施設の角々までにらみを利かせている。軍港ならいざ知らず、民間の宇宙港にこれだけの兵士が常駐するのは尋常ではない。
『面倒は避けたものだが・・』
さっきと打って変わり彼には入管チェック時の憤りは失せていた。入管時には何とでも言い通せる自信があったが、場所が戦場なら話は別だ。自分のような年老いた人間では生き残る自信はない。
出来るだけ穏便に目的地に行き着く方法を模索する必要があった。もしこれがグルフェーと関わりがあれば、目的地までの道程もいずれ封鎖されると考えていい。
老人の足は集荷場隣のトラック駐車場に向かっていた。
何故老人は危険を冒してまでメルキア、しかもグルフェーを訪れる必要があったのか。
事の起こりは「霍乱」後の間もないアレギウムからの勅令から始まった。
「〈触れ得ざる者〉に関わったものを全て遠ざけよ」
「霍乱」の直後より、アレギウムでは「触れ得ざる者」の懐柔を計る現法王派と、「霍乱」の形跡全ての抹消を求める一派が対立、それぞれの思惑の中、先の勅令が発せられた。
だが現法王は就任直後から心神喪失状態にあり、未だ勅令を発する状況ではなかった。
一部では禁忌を恐れる前法王によるものと囁かれたが、結局噂の域を出なかった。
いずれにしろ勅令が出された以上、「触れ得ざる者」が使用した装甲騎兵等の武器のみならず、破壊された施設、設備、武器一切をアレギウムはおろか惑星ジアゴノから極力遠方に搬送し処分することが決まった。
その中には「触れ得ざる者」と共にコールドスリープしていた女性の亡骸があった。
異端であり「霍乱」の一因となったのが処分対象の理由だが、粗略に扱えば「触れ得ざる者」から如何なる復讐を受けかねないという意見が大半を占めた。
議論の末、亡骸をコールドカプセルに入れ、惑星ジアゴノから出来るだけ離れた宙域で丁重かつ極秘裏に宇宙葬を執り行うことに決まった。
「触れ得ざる者」と共に「霍乱」に加担した元信者に許可を貰うと、直ぐに専用の霊柩艇を設え、葬儀担当の司祭数名と参列希望者を乗り込ませ、早々にアレギウムを発った。
そして数少ない参列希望者の中にあの老人の姿があった。
今の老人には覚醒した「触れ得ざる者」の動向しか興味が無かったが、「触れ得ざる者」コールドスリープの理由を知ってからは、宇宙葬への参列を決めていた。
「お前こそ『触れ得ざる者』だったかもしれんな」
霊柩船の出発直前、カプセルに眠る亡骸を見ながら老人はそう嘆いたが、そこには「触れ得ざる者」に関わり運命を左右された者としての同情の念も含まれていた。
「この宙域は・・」
老人には見覚えがあった。霊柩艇は何故かギルガメス星域軍の首星、惑星メルキアへ針路をとっていたのだ。
当初はギルガメス、バララント両陣営にも属さない辺境の宙域へ向かう予定だった。
しかしHM航法直前に磁気嵐と遭遇、数時間後無事に航法解除になって以降、航行コンパスをはじめ、殆どの計器・通信・制御類が反応せず、自力航行不能に陥った。
当初は恒星や超重力宙域に引き込まれて宇宙の藻屑と消えるかと案じられたが、数日何事もなく過ぎていった。
この間航海士は恒星観測による古典的方法で霊柩艇の位置を割り出すが、広大なアストラギウス銀河では似た恒星配置も多く、この場合完全に位置を読み違えていた。
老人は窓から見える僅かな情報と軍時代の記憶から、メルキアまで約2億㎞の距離にあることを割り出し、その事を航海士に告げた。
だが不慣れな計算と遭難の不安から意固地になっていた船長は聞く耳を持たなかった。
更に数日が過ぎ、船内の食糧や空気の消費による焦りと「禁忌」と同乗している不安から、
「己が命の尽きる前に式を敢行するべきでは・・」
と、搭乗者の間に何時しか強迫観念にも似た雰囲気に船内は満たされていく。
それから程なく、亡骸の入ったカプセルは船外に放出された。
船の予備電源が少ないという理由から極めて質素な儀式の後に。
そしてカプセルは導かれるようにメルキアへ流れていく。
だが間もなく事態は急転する。
宇宙葬が終了した僅か一時間後、ギルガメスの巡視船が霊柩艇を発見したからだ。
乗組員はここで初めて自分達の現在地を知ることになる。
だが皆救援による安堵と同時に自らの失態に恐怖を覚えた。
亡骸とはいえ、放出した物が軍の最高機密とは口が裂けても言えなかった。
霊柩艇の船長は救援で入船した兵士から手渡された無線の相手に対し、咄嗟に嘘をつく。
特使を極秘裏にメルキアへお送りする任務途中で遭難、高齢だった特使が漂流中に急逝し、彼の遺言で先程宇宙葬を行った、と。
相手の巡視船の船長はマーティアル信者だったのだろう。その取ってつけた嘘を何の疑いもなく信じ、存在もしない特使へ哀悼の印を結んだ上で、船の曳航と修繕を願い出た。
船の修繕は願ってもなかったが、これ以上の詮索を嫌った船長は要請を丁重断り、危機の応急措置及び物資の補給とアレギウムへの連絡を頼んだ。
通信を終えようとする船長二人の間に、突如割り込む声があった。
「儂はメルキアに降りたいのじゃが・・」
その声の主はあの老人だった。
「特使に遺品を知人に渡してくれと頼まれたのでな」
と老人はニヤリと笑ってそう言った。
突然の老人の申し出に霊柩艇の船員らは一瞬凍りついた。
正確に船の位置を割り出したこの老人が、忠告を無視した恨みから一切合切を巡視艇に密告することを恐れたためだ。
マーティアルは愛を解く宗教ではない。
必要ならば相手を亡き者にする事を厭わない「武」を秩序とする宗教である。
船長と航海士はすかさず老人の口を封じようと案じたが、
「船から降ろしてくれたら、あやつらには何も言わんよ。PSの件も含めて、な・・」
得体のしれないこの老人への関与は身を亡ぼすと悟ると、老人の申し出を素直に受け入れた。
間髪入れず老人はこう付け加えた。
「このような身なりじゃから、少し路銀を恵んで下さらんか」
結局口止め料として、かなりの額のメルキア金貨を老人に手渡すことになる。
実を言えば老人はメルキアに行くことは毛頭なかった。
旅は宇宙葬と共に終わるつもりだった。
しかしアレギウムの勅令に始まり、霊柩船の事故とメルキア宙域への出現、カプセル放出後の救助の早さと、この偶然の連続に違和感を覚えた。
またこれだけメルキアに近い宙域に漂流していたにも関わらず、捜索・救援が遅れたのかも不自然すぎる。
更に船の窓からカプセルが一直線にメルキアに向かったことも確認していた。
『確かめなければなるまい・・』
この偶然と不自然の連鎖が老人にメルキア行きを決意させた。
路銀を受け取り、身支度を整えた老人は兵士と共に巡視艇に移った。
移動途中、引率の兵士から一旦軍事ステーションに立ち寄り、そこからメルキア軌道上の民間ステーションまで軍の小型艇で移動することを告げられる。
「で、どこに行かれるので?」
特使の名代と勘違いした兵士から丁寧に目的地を聴かれ、老人は言葉に詰まった。
目的地を言わなければ直ぐに嘘が露呈する。
不意に老人はある町の名が頭に浮かんだ。
「グルフェーじゃ、何とかという大きな砂漠にある」
「ああ、ソムジー大砂漠ですね。乗り継ぎに暫く時間を要しますが、付近のステーションまでお連れしますのでご辛抱ください」
老人に浮かんだ町の名は、以前「触れ得ざる者」がスリープ直前に最後に会った人物の所在地として記憶した土地である。
しかしそれ自体二十年以上前の情報であり、その人物の生死さえも定かではなかった。
確証もないまま、その地へ赴くのは賭けに等しいが、離れていくカプセルの足跡を辿るには他に手がなかった。
軍ステーションには一時間足らずで到着したが、そこから民間ステーション到着まで三十五時間、さらにステーションからシャトルで宇宙港へ降り立つまで十六時間、宇宙港からトラックに揺られて約十三時間、霊柩艇からグルフェーに至るまで都合六十四時間要して、ようやくグルフェーに至ったのである。