慌ただしく、などと生ぬるいと、けたたましく警報が町に鳴り響く。その警報を合図に、港の船渠から黒の巨体が鎌首をもたげる。
どこか気怠い気配を感じさせる動きで、大型深海棲艦は周囲を見渡し、己と周囲を煌々と染める炎の中、その咆哮をあげた。
「さて、アレをどうする?」
「アホ言わんと、さっさと逃げるが勝ちよ」
「いや、確かにそうなんだが」
北上の言葉に、五十嵐は頷く。確かに、あれに関わる必要は無い。だが、あれは港の中に居て、港から出るには、あれの前を通らなくてはならない。
つまり、
「今動けば的だ。……策を練るよ」
「息を潜めて待つ。これしか無いのでは?」
装舵手のナオの発案は、確かに現実的だ。だがそれは、今の現実でなければという話だ。
「……入野に繋ぎな」
無線のチャンネルを合わせ、マイクに呼び掛ければ、様々に入り交じった音と共に、〝脚付き〟に乗り、町の様子見に出ていた入野の声が聞こえてくる。
『船長、正直に言うぜ。こいつは早いとこ、逃げた方がいい』
「どんな状況だい?」
『今はまだ、何とか落ち着いてはいる。だけど、あとちょっと何かあったら、一気に大混乱だな』
「そうかい。他の船の動きはどうだい?」
『似た様なもんだな。〝脚付き〟がちらほら見えるし、中には機動殻まで居やがる』
他の船も、今の状況を見定めている最中で、深海棲艦の動き次第では、蹴落とし合いも有り得る。
「入野、適当なとこで戻ってきな」
『あいよ』
黒い巨体は、まだ動きを見せない。今、しかないのだろう。だが、下手に動けば最悪の事態になる。
五十嵐は焼け始めた空を、窓から見上げた。この朱が過ぎれば、やって来るのは何も写さない黒だ。
つまりは、連中の時間になる。時間、金、人員、環境、もう限界が来ていて、目の前には終わりがある。
なら、それを受け入れるのか。答えは否だ。
「船長、どうするんや?」
「分かって聞いてるな」
「そらそうや。ウチらは、五十嵐水運や」
船長に、ウチらはついてくで。
柳瀬がそう言い、周囲が頷く。どうせ、こんな世界では当たり前に終わりが来る。なら、自分達の納得のいくやり方で生きて、その終わりに逆らう。
五十嵐ならそれを選んで、自分達を率いて進む。
「……やるしかないか」
このまま終わるなら、それに逆らう。賭けになる。それも、負ける事が前提の賭けだ。
「機関部、聞こえてるかい」
『ああ、聞こえてる』
「これから、無茶をする。だから」
『アシらは船を降りろかや?』
「……キタ。ああ、そうだ。言ってしまえば、あんた達には無理にアタシらに付き合う義理は無い」
『そらなあ、アシらはただついてきただけやし。好きにさいてもらうわ』
「そうだね」
『幸蔵爺、アシの装備出し』
「キタ?」
『言うたじゃろ、アシはアシの好いた様にするち』
「だがね」
それでも、北上や大和、妖精達は自分達に付き合う必要は無いのだ。五十嵐がそう言おうとした時、マイクの向こう側から重い音と共に、北上の言葉が聞こえた。
『それにの、おまん言うたじゃか。見た事ないもん見せちゃるち。アシらにゃ、見せてくれんがか?』
「それは……」
『アシもにゃ、見たいがよ。おまんらと』
笑って、馬鹿話がしたい。確かにそう言った。
『やからよ、見せとうせ。誰っちゃあ見た事ないゆうがを』
「……なら、その為にはどうしたらいい?」
『簡単な事よや。言うてくれたらえい。アシに、そうせえと』
「やれと、あんたにあれをやれと、言えってのかい」
『おう、そうじゃ』
「キタ、あんたは強い。アタシらなんかより、ずっとね」
『おん、そうじゃ』
見えないが、胸を張って言っている。そう確信出来る程度には、信頼も信用もしている。一年足らずの短い期間で、そこまで信じるのは、少しおかしいかもしれない。
だが、どうにも北上には警戒心を抱けなかった。
「キタ、やれるのかい? あのデカブツを、アタシよりも小さいあんたが、やれるのかい?」
北上は、正直小さい。あまり身長の高くない、五十嵐よりも北上の身長は低い。
その小さな体で、今日まで更に小さな者達を連れて、この慈悲の欠片も失せた世界で、生き延びてきた。
そんなデタラメな奴に、言う言葉ではないかもしれない。だが、言わねばならない言葉でもあった。
『船長、アシはの、おまんがやれ言うたら、どんな奴やち、やっちゃらあや』
その言葉に対する返しは、予想の範疇から出ず、五十嵐は一度目を閉じて、そして息を深く吸い込んだ。
これから口に出す言葉は、きっとこれからの自分達を呪う言葉になる。
――ああ、そうだね――
自分達は止まれない。止まれば死ぬ。なら、例え自分達を呪う事になっても、この言葉は自分が口にしなくてはならない。
入野でも、柳瀬でも、他の誰でもなく、五十嵐勇奈が言わなくてはならない。
「……キタ、やっちまえ。あんたとアタシ、アタシらの邪魔する奴は、全部叩き潰しちまえ。そして、生きて帰って来な。……頼む」
『おん、分かった。頼まれたわ』
「全員、聞こえてるね。アタシらはこれから、好きにやる。ああ、港を出るよ。……準備しな!」
その言葉に、北上は主作動機となる煙突缶を背負う。幸蔵と妖精組が、何やら弄っていた様だが、特にこれといった変化は無い。強いて言うなら、背中に当たる部分が増強されているところか。
「幸蔵爺、そっちはどうな?」
「追加の装甲貼り付けて、中身の分銅もさらに重いやつに取り換えた。北上、振れるか?」
一回り太さを増した金棒の柄を掴む。カートに乗せられ運ばれてきたそれは、確かに重量を増していて、掴む手に存在を強く伝えてくる。
「ふんっ」
「やっぱ上がるか」
「他はあるがか?」
「お前が持ってた単装砲は、腰のハードポイントに係留出来る様にして、弾も散弾に替えて、ついでに榴弾もチビ達に持たせてある」
「使い分けえゆうことか」
「そういうこったな。鎚鉈は変わらず、鉋鎚は缶の左に、あとはとっておきのこれだ」
幸蔵が部下に持ってこさせたのは、一本の銛だった。
「俺らが使う杭打ち銛を改良して、……あー、簡単に言えば溶接のメタルジェットで、相手の装甲溶解させてから、仕込んだ炸薬を炸裂させて、銛を打ち込む様にした」
「えっずいのこさえたのうし。やけど、抜けるがか?」
相手の巨駆に、この銛はあまりに細く見えて、幸蔵が言う様な効果が出るとは思えない。
怪訝そうに銛を睨む北上に、幸蔵は近くの空き箱を引き寄せ、腰を下ろした。
「いいか。連中はデタラメだが、生物である事に変わりはねえ。いくら硬く分厚い装甲に覆われていても、動作する以上は、どっかしら柔くなってる」
「そこにぶちこんだらえいゆう話か」
そうだと、幸蔵が頷く。既に〝宗谷〟の機関は動き出している。音は外にも伝わっていて、幾人かは動きを見せ始めているだろう。
作動機の右側にマウントさせ、肩と首を回す北上の様子を眺める。
「大和の嬢ちゃんはどうしてる」
「柳瀬の部屋におる。あれか入野、船長やったら信用出来らあな」
「儂は抜きか」
「おまん、こっから出てこんやか」
確かにと笑う。一頻り笑い、そろそろ船が動き始めるかという時に、〝宗谷〟の後部ハッチが開いた。
〝脚付き〟で偵察に出ていた入野が戻ってきた。
彼は、蹴破る様に〝脚付き〟の搭乗口を開き、開口一番に叫んだ。
「ロ、ロボットだ、軍がロボット出したぞ……!!」
「おん?」
返事は、口を横にした北上の声だけだった。