もしもプラズマ団がポケモンの解放を実現していたら   作:はやめ

7 / 8
-7- 聖剣士

 

 

 漂う気配。

 不愉快な人間の臭いがする。コバルオンは眉を潜め、聖剣士と弟子一同を引き連れる。

 もう何年も前になるかも思い出せない。愚かな争いの戦火から逃げ惑うポケモン達を導いたのは。

 いつになっても、繰り返そうというのか。イッシュ地方――歴史の輪廻。

 

 草を掻き分ける蹄に、思わず力が入る。

 許さぬ。

 

 

 

 【 Pokemon Black & White an imaginary story  『もしもプラズマ団がポケモンの解放を実現していたら』 -7- 】

 

 

 

 N、トウヤ、チェレン、ベルは、遂に最終決戦の地へと降り立った。

 ジャイアントホール。

 イッシュの北東に開けられた巨大な洞穴を人はそう呼ぶ。

 そもそもの始まりは、隕石が降って来たことからだという言い伝えがあるが、真相は定かでない。これもゲノセクトの例よろしく、外国と似た事例が見受けられる。南国に近い地方では、宇宙と交信する技術に優れており、宇宙人のような形状をしたポケモンの目撃例がある。更には。無限大の可能性を持ち、未だ研究の手が伸びていない銀河。銀河を思うがままに手に入れ、支配しようとする者が北国で事件を起こしたらしい。率直に言えば、地方壊滅の危機だったという。

 総合すると、ジャイアントホールには人を魅了するほどの大いなる鼓動が漲っているということだ。自然と満ちたコスモパワーに惹かれ、宇宙に関連を持つとされるポケモン達が集まってくる。ここの主は、何処にいるのか。

 

 重症を負ったポケモン達は、アララギ博士に任せるしかなかった。先の戦いのことを考えると、無理はさせられない。

 ゲノセクトがもたらした惨禍は悲劇的なほど大きく、彼らが安寧秩序を得るには程遠いかもしれない。

 だが、Nはそれでも信じてみたいと思う。ポケモンと人間がどこまで歩み寄れるのか。そして、己が橋渡しをするという新たなる夢も出来た。理想の世界に少しでも近づきたい。例えそれが、計り知れない宇宙にある惑星に出来た大陸のちっぽけな一つに過ぎない王国イッシュに住む青年の、足掻きでしかないとしても。生きることの意味を考えたい。一生に悔いを残す形で終わらせたくはない。

 Nは変わり始めていた。ゲノセクトとの戦いを通して、多くのものを吸収した彼にとって、灰色の世界への拒否感は薄れていくものとなりつつある。

 最後に課せられた試練は、彼にとっての避けられない因縁の存在を目にした時、どのように立ち向かうかだ。

 七賢人ゲーチス。元プラズマ団王子N。再会の時は、近い。

 

 雪交じりの草原を踏みしめながら、一同は異世界の如く口を開ける穴に潜っていく。

 ジャイアントホールは天然の迷宮だと言われている。進めば進むほど方向感覚は失われる。生気を甚振る冷気と共に、飢餓の運命が着々と迫り来る。こうして歩いている今も、別の意味で果てしない空を見上げると、獲物を刈り取るように落下してくる氷柱の餌食になりかねない。氷が染み付いた岩盤からは雫が滴り、一秒一秒、鋭く時を刻む。

 光が差し込んでいるのを見つけ、嬉しそうにベルが手で招いている。

 だが、少年少女の安堵はすぐに奪われることとなる。

 

 

 *

 

 

「まったく。メンドーな場所だな」

「薄暗くて、じめじめした所だったよね」

 チェレンとベルは、出獄した者のように思いっ切り外の空気を吸っている。二人とも大自然の息遣いに触れることで心身を回復させているようだ。ポケモンもそうだが、戦いにおいて人間にも休息は必要である。指示を出す人間が頭を回転させなければ、逆境を覆すような奇策は浮かばない。常日頃から体力を調整しておくことぐらい、チャンピオンを目指す者ならば心得ているだろうが。

 深々と降り積もる、冬の証。緑と白の光景はまさに絵画だ。ここだけは火柱が立った跡も、稲妻が走り抜けた跡も無い。幻に取り込まれたような世界。Nは思わず彼なりに感嘆の声を漏らす。

「美しい数式だ」

「堅苦しいなあ。こういう時は、直に綺麗だって言えばいいんだよ?」

 ベルが人差し指を可愛げに立てる。自慢気な顔はどこかあどけなく、Nを自然と綻ばせる。

「そう、かな」

 Nが頭を掻くと、一同の間に笑みが生まれた。

 

 束の間の会話は一つの物音によって掻き消される。否、一つとは限らない。二つ、三つ、四つ――。

 彼らの前には、激しい不審感も一切隠そうとはしないポケモン達の姿が浮かび上がる。

「見たことも無いポケモンだな」

「ほら、ポケモン図鑑」

 まじまじとポケモン達を見比べる。威風堂々たる青。凛とした緑。力強く存在感のある茶。そしてまた青。こころなしか、最後の青いポケモンは歩みが遅れている気がする。それどころか、身長も他の3匹に比べれば随分低い。自信の無さが顔にも表れている。見ているだけでこちらが悲しくなるような自己嫌悪だった。

 ベルが図鑑を取り出し、彼らのデータをスキャンしようとする。

『人間の物差しで我々の力を推し測ろうなど、笑止千万』

 Nは不吉な声を聞きとるや否や叫ぶ。

「駄目だ!」

 忠告は遅かった。完成度の高い機体は見る間もなく真っ二つに切り裂かれ、雪に埋もれる。

 あわよくば、ベルの手首が切り落とされるところだった。チェレンは咄嗟にベルを下げ、厳しく睨みを利かせる。親友への手出しは自分が許さないと。しかし、聖剣士コバルオンは人間などという有象無象がどうなろうと知ったことではないと、暗い瞳で威圧するばかりだ。Nが言葉を理解したことを受けてか、瞳をまっすぐに見据え語りかける。有無を言わさぬ迫力、Nとて立ち尽くす。

『今のは忠告だ。退かぬならば、次は斬る』

「お前……!」

 チェレンがモンスターボールに手をかけようとした、その時。

「待ってくれ。ボクに、彼らと話をさせてくれないか」

 Nが制止する。チェレンは唇を震わせながら、必死に煮えたぎる怒りを抑えこんでいた。

 ここでチェレンが下手に彼らを触発すれば、要らない諍いを招くことになる。それだけは避けたいと思った。

「……いいだろう。だけど、お前にも攻撃するようだったら、その時は」

「分かった」

 Nは、コバルオンの前に立つ。人間とポケモンを代表する者同士。理性を交えた会話は成り立つのだろうか。緊張の一瞬が走る。最初に口を重苦しい沈黙を破ったのはNだ。

「もしキミたちの住処を荒らしてしまったというのなら、ボクが非礼を詫びよう」

『ポケモンの住処に、人間が立ち入るべきではないことぐらいは理解しているようだな』

 コバルオンは角を立てる。軽い威嚇。喉元に突き立てられながらも、Nは臆さず答える。

「分かっている。しかし、キミたちには聞かねばならないことがある。この辺りで、大きな船を見なかったかい」

 コバルオンは、テラキオンとビリジオンの方を見やる。2匹共、黙って首を振る。それだけでコバルオンは、最後の1匹に問うことなく返事しようとした。

『我々は見て――』

『ま、待ってよ!』

『何だ。ケルディオ』

 あのポケモン、ケルディオというのか。1匹だけ仲間外れにされたことに異論を唱えている。

 コバルオンはやれやれという顔を浮かべ、面倒臭そうにしている。あまり発言力の無いポケモンのようだ。野生ポケモンの群れでは致命的なことだが、このポケモン達は4匹で固まって行動しているように思える。だとすれば、1匹だけがあまりにも脆弱なのは何故だろうかと考えを巡らす。Nは一か八かコバルオンに頼んでみた。

「そのポケモンと話をさせてくれないか」

『勘違いするな、権利は貴様には無い。決めるのは我々だ。ケルディオ、行け』

 コバルオンが厳しい目つきで、ケルディオの移動を促す。ケルディオはおずおずと前に出る。 

「キミは?」

『私の名は、ケルディオ。聖剣士を志す者なり』

「ボクは、N」

『N? 聞かんな。お前は人間か』

「そうだよ、人間だ。でも、キミたちに危害を加えるつもりはない」

『そうしておくがいい。コバルオンを怒らせない方が良い。ただでさえ、あいつは人間を憎んでいるからな』

『ケルディオ! 必要以上の会話をするな』

 後ろから激昂が飛んで来る。外見や態度とは裏腹に、やたらと仰々しい口調で語るケルディオだったが、これにはたまらず全身の体毛を逆立ててしまう。

「ケルディオ。一つ答えてくれ。そうしたら、ここを去ることを約束しよう」

『なんだ。さっきの「ふね」とやらならば――』

 話をする時、相手の目を見るのは礼儀だ。Nもケルディオもそうしていた。

 故に、よもや上から奇襲がやってこようとは。仮にも敵地であることを、一時的とはいえ忘れていたトウヤ達の油断と誤算が招いた結果である。

 

 

 *

 

 

 突如、疾風迅雷。

 静まり返っていた空間が太鼓を叩くように震える。大地と自然が織り成す奈落の大合唱。風が強く吹き荒び、奥ゆかしい情緒を切り取る。空気を焼き焦がすのは、口にしすぎた苦い電気の味。

 雷を帯び、空を裂くのは青龍の形を取る霊獣「らいげきポケモン ボルトロス」。

 竜巻を起こし、乱気流を招くのは朱雀の形を取る霊獣「せんぷうポケモン トルネロス」。

 暴虐の限りを尽くしたという伝承を語り継がれる2匹が牙を剥く。

 

 最もこの中で反応が速かったのは、風の剣士ビリジオンだ。靴を履いたような美脚で地を軽く叩き、剣へと変形させる。襲い掛かる魔の手からケルディオを守ろうとする。母性を重んじる彼女も、今は必死の形相を浮かべる他無い。爪と剣がぶつかり合い、火花を散らす。形勢は互角か。僅かにビリジオンの方が力負けしている。聖剣士と謳われる彼女であろうとも、徹底的に相手を叩き潰すためだけに振るわれる理性無き力には及ばないものであろうか。人間達はそれぞれ取るべき選択に戸惑う。

 見る間も無く、ケルディオは鷲掴みにされる。Nが手を飛ばそうとするが無論届かない。

 その時彼は見た。背中に乗っている人間の姿を。黒ずくめに溶け込む混沌の象徴にして、黄昏を招く忍そのもの。

「ダークトリニティ!?」

『離せっ、無礼者!』

 ケルディオは足をばたつかせるが、直接トルネロスから降下する逆転の術には結びつかない。

 真緑の翼を掠めたのは、一筋の光線だ。はかいこうせん。脅しをかけたテラキオンが唸り声を上げつつ、爆発的な跳躍を果たす。トルネロスの瞳は本来の色ではなく、深紅に染め上げられている。人間が何らかの干渉を行ったと推測出来る。幾多の死線を乗り越えた聖剣士は観察眼に優れているため、すぐさま合点が行く。頑丈な角で叩きつけるも、一枚上手だったのは皮肉にも敵方である。

「ぼうふう」

 ダークトリニティの指示。木々を引っこ抜く規模の暴風に投げ捨てられ、大地に風穴を開けるテラキオン。一旦詰まった息を豪快に吐くと、咆え立てる。野生ポケモンもすぐに逃げ出す。まもなくここも血も涙も無い戦場に変わろうとしていた。

 テラキオンは石の刃を生み出し、仇を討つような勢いで発する。チェレンのギガイアスも心得ている秘儀だが、質がまるで違う。これが伝説。見る者の心すら溶解し、私利だけの強欲を誘発する圧倒的な権化。

「めざめるパワー」

 しかし、それだけの力を持ってしてもトルネロスを仕留めるには至らない。効果的な手段を講じた敵には、傷一つついていない。

 それもそのはずである。人間の悪事にも善事にも転用されうる知識が、あろうことか属すことの無いほどのポケモンに与えられているのだから。人間と聖剣士。彼らが手を取り合わなければ、勝機は有り得ない。

 

 結論に辿り着かない彼らは、なお行き違いを繰り返す。

 もう一方の差し向けられた刺客・ボルトロスに苦戦するビリジオンに加勢するコバルオンだが、トウヤ達がポケモンを繰り出そうとモンスターボールに触れることさえ、彼らの逆鱗に触れる。

 何を言っているのかはその場にNがいなければ分からないが、介入するなと叫んでいるのは切羽詰まった表情からも窺える。人間に余計な手出しをされることは、彼らにとって屈辱なのだ。見上げるべき騎士道精神だが、今は意地を優先させる場合でもないのは確かだ。

 

 コバルオンが電撃の糸を張り巡らす。ボルトチェンジ。ボルトロスを翻弄しようという狙いが見て取れる。残像が見え隠れする挙動は歴戦の勇者の称号に恥じない。しかし、ボルトロスは尻尾の先端に電気を溜め込んでいく。蓄電。コバルオンはトレーナーと異なり、純粋なポケモンの生態を一から十まで把握しているわけではない。故に不利が働く。

 ボルトロスが体力を回復したと判断したのかコバルオンは一旦退き、代わってビリジオンが畳み掛けるように草の剣を払う。足元の皮膚が裂け、青い鱗が露わになる。反撃開始。コバルオンは自身の立派な二本角を剣へと昇華させる。二刀流の聖剣士。鋼の剣士と風の剣士の連携が生まれる。もしこれがダブルバトルであれば、見事なコンビネーションだと評価出来る。現実の状況は一二を争うものだから、瞬きする暇さえない。剣士にとっては背後を取られる一秒が命取りとなる。また、首筋に刃先を向けられればそれまでだ。

 ビリジオンは脚の刃で地を駆り、草を刈る。コバルオンとビリジオンは視線だけで合図し、互いのせいなるつるぎを各部へ炸裂させる。胸と尾に斬撃を喰らって、ボルトロスは声にならない悲鳴を上げる。

 完璧に計算された切断の軌道。勝敗は決したかに思われた。

「凄い」

「うん」

「さすが。伝説のポケモンと言われるだけのことはあるよ」

 思わず、トウヤとベルは声を漏らしていた。チェレンは不満気だが、かといってこの場から自分達だけそそくさと逃げるわけにもいくまい。恐らくプラズマ団の狙いはトウヤ達の始末にある。コバルオン達は戦いに巻き込まれた被害者という認識が至極当然。最終的に、ダークトリニティは執拗にトウヤ達を追撃してくるはず。構わない。最初から受けて立つつもりだった。

 戦うことに躊躇いを示す人間は、もうここには一人もいない。

 

 ボルトロスは血走った双眸で聖剣士を射止める。勝利の際に表れる安堵に浸っているように見える。だが、彼らの分析は甘すぎた。霊獣の背に仁王立ちを決め込むダークトリニティの一人が、周囲を一望する。

 問わねばなるまい。トウヤは一言一句、慎重に語句を紡ぐ。声色はトレーナーの禁忌を平然と犯した忍者に対する畏怖の念がありありと出ている。

「お前ら、伝説のポケモンを」

「ポケモントレーナーと同じことをしたまで」

「伝説のポケモンを、そんな風に……!」

 チェレンが食って掛かるも、ダークトリニティから返答は無い。

 代わりと言ってはなんだが、黒雲が不吉の兆候としてひび割れる。見定めた時には手遅れだ。

 聖剣士コバルオンは、伝説であろうが幻であろうが何であれ粉砕する無慈悲の剣――天空からの一振りによって貫かれる。ボルトロスの蓄電が、今になって力を与えていた。

 

 戦況は混濁する。

 コバルオンは灰色の塊と化す。ビリジオンがすぐさま駆け寄るが、揺さぶっても返事は無い。

 ボルトロスを操る主人としての立場を気取るダークトリニティが呟く。

「ポケモンの心を支配するのは容易いことだ。モンスターボール一つで、こうも忠実に人間の命令を順守するだけの家畜と化す」

「プラズマ団は、ポケモンの解放が目的だったはず。何故、お前達がモンスターボールを使う!?」

 チェレンの反論は間違っていない。しかし、ポケモンという暴力手段を用い、イッシュを無言の圧力で鎮圧しようと目論んだのもまたプラズマ団であるという確固たる事実を忘れてはならない。

「チェレン、やめろ。話の通じる相手じゃ」

 トウヤの言葉を逆に遮るダークトリニティ。あくまで感情を言葉に乗せず、事務的な連絡を行うような憎たらしい喋り方は健在だ。

「私達にとって、ポケモンとはお前達が思うほどに比重を置く存在ではない。ポケモンが傷つこうが、私達に直接の痛みがあるわけでもない。使い物にならなくなったら、次のポケモンを使うだけだ。このボルトロスとて、同じこと」

 こいつらは、何を言っている。

 ポケモンだって生き物だ。切り裂かれれば血の一つだって吹き出る管が所狭しと通っている。殴られれば折れる脆い骨を形作っている。ポケモンを使い捨ての製品と同じようにしか認識していないのか。全身に悪寒が走る。

「伝説だから、幻だから。愚かしい。お前達がポケモンとの絆とやらを主張するならば、私はお前達が伝説を捕獲することに異論を唱える、その考え方に疑問を持つがな。まあ私には関係の無いことだが」

 黙れ。

「どんなポケモンも生命だと言うならば、お前達のやっていることはただのエゴだ。理屈を借りるならば、伝説のポケモンも野生のポケモンも、命の価値と尊厳は平等ということだ」

 うるさい。

「では質問しよう。何故、お前達はモンスターボールを使う」

 ビリジオンが視線だけでダークトリニティを刺し殺してしまいそうだ。憤怒は誰にでも理解出来る。しかし、言葉でぐだぐだを何を述べたところで仕方が無い。それでは何も変わらない。理屈など捨て去れ、行動で示せ。

 だから、トウヤは握り締める。モンスターボールを。

 人間が生み出した文明、全ての発端。時にポケモンを家畜同然に扱い、時にポケモンとの友情の証である、それを。

 モンスターボールが生み出した問題は、モンスターボールで証明してみせよう。純粋にポケモンを愛し、頂点を勝ち取るために泥まみれの道をわざわざ共に選んだ。愚かな人間の底力を思い知らせてやる。

 

 

 *

 

 

 両の手に剣を持つ感覚は、実に懐かしい。己の在り方を思い出させてくれる。

 この頃、本気を出すに値する相手がいなかった。強いて言えば、思い出されるのは妖術の類を自由自在に操り、忌々しき雷鳴が轟く六道へと落とし込んだ好敵手ただ1匹か。奴は、刀を白羽取りで受け止めた。

 脚の鞘から抜き、雄々しい髭をたくわえて、重心を軽く落とす。頭に被った兜が、強風を受けて軋む音を立てる。アシガタナはホタチが成長した証、収めることを可能にした得物だ。せいなるつるぎには到底及ぶべくもないが、それでも活躍は望めるだろう。

 まだ幼く、外の世界を知らなかったミジュマルの頃。

 武士道への挫折を味わいかけたフタチマル。

 あらゆる苦渋と辛酸を舐めた。その先に辿り着いた境地こそ、最終進化。

 もはや言うべきことは無い。後ろには相棒が付いている。いざ、尋常に参る。

 

 一時の沈黙を突き破り、ダイケンキは二足歩行で駆けて行く。草が舞う。結晶が散る。声を枯らす。

 ボルトロスは掌に雷を集め、コバルオンから奪い取った電磁波を体躯から発する。一回転し、地表を制圧。ダイケンキは刀を突き刺し、体の軸をバネにして飛び移る。危険な賭けであることは承知している。案の定、ダークトリニティは苦言を呈する。

「でんきタイプに対し、みずタイプで立ち向かおうとは。認めたくはないが、お前ほどのトレーナーが正気の沙汰とは思えんな」

 トウヤは自棄になったわけではない。勝算までの最短分析距離を導いた上でダイケンキを繰り出したのだ。

 ポケモンバトルとは、明確な理論の下に成り立つ厳格たる競技である。闇雲に技を指示し、気合だけで挑んで勝てるならばこれほど楽な精神論は無い。ポケモンが体力を消費するのは言うまでもないが、トレーナーとて棒立ちでいるわけではなく、作戦を練りに練らなければいけない。鎬を削り合うポケモンが唯一頼れるのは、人間の指示と声援だけだ。司令塔は安全な立場であるどころか、むしろ最も危険な役目を全うする。ボルトロスに直接指揮を執るダークトリニティは、戦いの余波に巻き込まれる可能性がある。

 ダークトリニティは常に自分の身を隠すことで暗躍する。打算的かつ狡猾。忍とはそういうものだ。そして、トウヤはダークトリニティの性質を把握している。この戦いにおいて勝利の方程式とは、自らを犠牲にすることと等しい。ボルトロスが一時的な主人の安否を省みず雷を解き放てば、刀ごと焼き尽くせるだろうが、相手にはそこまで勝利をもぎ取ろうとする執念が欠けている。

 かつての例を挙げよう。Nはトウヤに勝った。レシラムはゼクロムに勝った。チェレンはアクロマに勝った。

 何故か。

 勝利を、心の獣が雄叫びを上げるがままに。求め、掴み取ろうとしたからだ。

 そして、ポケモンリーグチャンピオンという途方も無い栄光にしがみついた馬鹿正直で純粋な青年トウヤと、実現するかも分からない一世一代の賭けに打って出た相棒ダイケンキ。

 彼らはあまりにも野獣であり、野生であり。修羅を渇望する。

 

「そこまでして得る勝利に、何の価値がある」

 ダイケンキとダークトリニティが睨み合う。両者は一歩も譲らない。忍者は携帯獣に勝るとも劣らない威圧感を醸し出す。

 今にもボルトロスの尾に振り落とされそうだが、歯を食いしばって耐え抜く。アシガタナを杖代わりに、踏ん張りを利かせる。風は身を裂き、喉を掻き乱す。不様である。不格好である。嘲笑われても仕方が無い。しかし、この全てが勝利を拾うための過程と考えれば、それほど苦ではあるまい。

 ビリジオンは見上げる。コバルオンは閉じていきそうな瞼を何とか持ち上げようとする。

 伝説、幻。所詮は人間が烙印を押した、根拠の無い分類に過ぎない。ダイケンキとボルトロスは今、同じステージに立っている。戦う者、すなわち戦士。そこにあるのは、同じ「ポケットモンスター」という名称だけである。

 

 トウヤは時間稼ぎをしているのではない。必ずボルトロスを倒す、今ここで。膨大すぎる野心を胸に秘めている。

「元より好きにしろと言われているが」

 ボルトロスは掌に電撃を集める。だが、様子がおかしい。闇に滴る視線が定めている標的は、まさか。

「トウヤ!!」

 チェレンが狙いに気付く。帯電した剛腕が垂直に振り下ろされる。トウヤは目を離さない。ダークトリニティは最初から、正々堂々とポケモンバトルをする気など毛頭無いことは理解している。

 だから、戦場では自分が信じる者の存在だけを見止める。

 技術、知識、体力。これらが欠如してはポケモンバトルには勝てない。だが、結局最後に帰結するのは、一笑にあしらわれるだけの精神論。考えれば至極当然のことだ。自分のポケモンに命を預けられなくて、何がポケモントレーナーか。冗談も甚だしい。

 旋風に帽子が吹き飛ばされ、後もう少しで毒牙が迫るのだとしても。トウヤはその場を動かない。

 雪が風に運ばれる。向かい風、強し。吹雪いた。

 ダークトリニティが瞬間、消える。ボルトロスだけが氷の彫像と化す。効果抜群、勝負あり。

 

 チェレンは腰を抜かし、口端を引きつらせていた。全く、ひやひやさせる。これだから放っておけない。でも、これだけの無茶を平然と出来るからこそ、追いかけ追い越したいと願えるライバルであるのだ。

 プラズマ団に足りなかったのは、ポケモンへの信頼。

 確かに見届けた。トウヤとダイケンキの生き様は、聖剣士の眼にもしかと焼き付けられた。

 

 

 *

 

 

 もう一人のダークトリニティは、ボルトロスがやられたのにも関わらず、顔色一つ変えない。人間に必要なものが欠落しているのだということが改めて分かる。

「ボルトロスがやられましたか」

「彼は強い。それは誰よりもボクが知っていることだ」

 辛うじてケルディオの足にしがみつくNは得意気な顔で、今現在の誇れる仲間を賞賛する。

 トルネロスは上空にN達を連れ去り、急降下による衝撃の疾走をもって、一気に始末しようと目論んでいる。凍て付くような寒さが、酷使された体に鞭を打つ。Nからケルディオ、ケルディオからトルネロスというように、崖に垂らされた命綱状態。

「しかし、こちらの聖剣士は、あちらに比べて大したことがありませんね」

 ケルディオは思わず歯軋りする。自分にもっと力があれば、トルネロスなど一瞥すらくれてやらないのに。

 距離の遠い曇天からでも見えた。ダイケンキがボルトロスの背に渡り、密かに凍て付く吐息を滑らせていく様を。しかし、そうでもしなければ電気をくまなく帯びたボルトロスの皮膚に触れることも敵わない。逆転劇はトレーナーの指示あってこそだが、驚くべきかな。彼らは戦闘中アイコンタクトだけで連絡を取っていた。

 

 コバルオンは言った。人間とポケモンには埋めようのない隔たりがある、と。

 トウヤとダイケンキの場合はどうだろうか。モンスターボールに封じ込まれ、主人に遵守する忠義を誓った兵士。それが聖剣士の持つ、人間に従属するポケモンの固定された像だ。

 あの時、ケルディオは冷静に局面を見定めていた。もはやボルトロスは終わったと見るのが無難な形勢判断であった。ビリジオンによって養われた観察眼が否が応でも分析を行わせた。しかし、おかしい。最初の局面では明らかにダイケンキの方が不利だったはずだ。いつの間にか立場が逆転しているではないか。

 人間は、トウヤは、ボルトロスによって切傷を受けそうになった時もその場から一歩も動かず、よもや逃げようなどという貧弱な意思を微塵も瞳に宿していなかった。ケルディオは人間をまだ見たことが無い。与えられていた人間への偏見を覆すような言動だった。ダイケンキがボルトロスをふぶきで氷漬けにするというシナリオを頭の中で描いていなければ、トウヤは背を向けたかもしれない。背を向けなかったということは、ダイケンキを心の底から頼りにしていたということを意味する。

 では、コバルオンが教えた人間とは。人間は、全員が残酷なわけではないのか。自分がちょっと話を聞いただけで理解したつもりになっていた人間とは一体――。そこまで考えて、ケルディオは頭の中がぐちゃぐちゃになり、思考することをやめた。

 

「ケルディオ、今助ける」

 Nは一度手を除ければさらわれそうな帽子を抑えながら、ケルディオの方を向く。彼は視線を落とす。Nは手を伸ばす女神のように微笑む。ヘレナとバーベナは、Nが泣いている時や悲しい出来事の後にはいつもそうしてくれた。だから、同じことをケルディオにもする。

『やめろっ!』

 ケルディオは思わず無意識の間に叫んでいた。Nは呆気に取られた顔を浮かべるが、決して嫌悪感は無い。

『人間が私を助ける、だと。人間は、人間は、私達ポケモンの敵だ。コバルオンはそう言っていた!!』

「ケルディオ」

 光が灯らない緑髪の青年の瞳だが、力強さは備わる。かつての自分と似ている。城の崩落に戸惑い、狼狽え、真実を必死に拒もうとした頃の自分と。

 人間にとっての理想。ポケモンにとっての真実。

 相対し、交わらない白と黒の概念を少しでも灰色に近付ける。壮絶な人生を送って来たNに託された、最後の役目。最初に救えるのがケルディオでありたい。ポケモンを人間から解放するのではなく。人間への偏見からポケモンを解放したい。

「あれがトウヤだよ。彼は真っ直ぐだ。ボクのように迷ったりしない」

『私達を見捨てて、逃げることも出来たはずだ』

 Nは首を横に振る。ケルディオは明らかに動揺している。出会ったことのない人間の姿を前にして錯乱しているのだ。

「馬鹿な! トモダチを見捨てられるか!」

『友達、だと』

 肌にメスを入れる風が吹き荒れる。トルネロスの様子がおかしい。見上げると、翼に青い剣が突き刺さっている。ダイケンキが貫いたのだ。じんわりと鮮血が染み行き、緑と赤のコントラストが生まれる。翼の感覚が薄れ、方向感覚を失ったのだ。

「トルネロス、着陸せよ。トルネロス、命令を聞きなさい」

 こんな時でもダークトリニティは憎たらしいほど平静を崩さない。寄生を上げるばかりのトルネロスは体中を蝕んでいく痛さを忘れることに必死だ。血眼の視界で、一体何を見ることが出来ようか。今のトルネロスには何も見えていない。

「くだらない」

 一言だけ吐き捨て、ダークトリニティは暗部の人間よろしく跡形も無く消え去る。まるでエスパーポケモンのテレポートのような術。

 彼の発言は、王を振り切って暴走を始めた独裁主義の全てを内包している。

 Nは我が目を疑う。奴は逃げた。トルネロスを、いとも簡単に捨てたのだ。使えないから捨てた。それだけだ。ダークトリニティにとって、ポケットモンスターは道具以下の価値でしかない。ポケモンが死んでも関係無いし、胸が痛むわけでもない。新しいポケモンを見つけて、捕まえればまた活用出来る。彼らの考えは永遠に是正されることなどない。

 主人を失ったトルネロスは我を忘れて、甲高い声で怒鳴り散らすばかり。飼いならせなかったペットの後始末を押しつけられたNとケルディオは、真っ逆さまに墜落を目指す霊獣にしがみつく。

 このままでは地上に着いた瞬間、この世とおさらばだ。

 彼らはこの瞬間を生きる運命共同体だった。

「ケルディオ! キミは、何が使える」

『何と言っても。私には、私には、どうすることも、出来ない……』

 ケルディオは目を瞑る。Nは歯を食いしばり、平衡感覚の成り立たない状態でありったけの声を絞り出す。

「そんなことはない。キミには、キミだけが持っている力があるはずだ」

『私を買い被らないでくれ。私は、力など。微塵も持っていない!』

 今もこうして、トルネロスが荒れ狂っているのに狼狽え、一刻も早く止まって欲しいと願うしかない。

 そう、ケルディオは弱者で弱虫。稽古をつけてもらっても、一所懸命谷を飛び越えても、森の茂みを走り抜けても。同じ過ちを繰り返す。進歩しない。意味が無い。変わらない。成長が見込めない。そもそも鍛える甲斐が無い。

 聖剣士には、一生なれない。ケルディオは生涯コバルオン達の後を付いていくだけで終わる。

『諦めろ』

「いや、ボクは諦めない。レシラム達が、教えてくれた」

『まさか。レシラムと、ゼクロムが』

「ケルディオ。ボクは、ゼクロムから、ある言葉を受け取ったんだ」

 途切れ途切れにしか言えないが、ケルディオにも伝わるはずだ。

 ゼクロムはこう言っていた。

 

『レシラムのおかげで目が覚めた……私はまもなく石に戻る。聴け。お前の理想は、真実という山の中で光り輝く小さな原石のようなものだ。磨けば光るし、磨くことを怠れば他の石に埋もれてしまう。最後の最後まで足掻くのだ、理想の探求者よ。どんな酷な真実がお前を待ち受けていたとしても、諦めるな。理想の先に、真実はある。真実の先に、理想はある』

 

「キミの理想は何だ」

『私は……聖剣士に。聖剣士に、なりたい。でも! そんなことは無理だ。なれるはずがない』

 ケルディオは目の前の真実を跳ね除けようと、目を瞑る。だが、Nはあえて退路を断つ。

「いや、なれる。キミならば」

『ははっ』

 ケルディオから渇いた笑いが込み上げる。自嘲に塗れたやるせない微笑は、霊獣の声に掻き消され、余計に空しさを助長する。

「ケルディオ、悪いけど付き合ってもらうよ。ボクはここで死ぬわけにはいかない。そして、キミもこんなところで死んではいけない」

 Nがこれほど頑固な姿勢を取るのは初めてのことかもしれない。少しトウヤの強引さが移ったのだろうか。

 ケルディオは目を丸くする。そして、Nを睨み付ける。

『もし私がトルネロスの制御に失敗して、お前が死んだとしたら……。人間共は、コバルオン達を皆殺しにするだろうな』

 あまりにも稚拙な質問だ。Nは呆れたように溜息をつくと、答える。

「ならば、彼らがどうするか。試しに、ボクがここから飛び降りてみようか」

 ケルディオは一拍置いて、今度こそ爆笑する。

 Nもつられて、笑う。Nは笑った経験が殆ど無い。人生で数回あるかないかだ。今のNの表情を見たら、チェレンやベルがすぐにからかってくるだろう。Nもケルディオも、良い顔をしている。それでいい。生き物には、何より笑顔が似合う。

『私の認識に間違いは無かった。コバルオンから聞いた通りだ……人間とは、勝手な生き物だな』

 交渉成立だ。

 そして、Nとケルディオは見てしまった。視界を颯爽と横切るのは、橙色の影。

 

 

 * 

 

 

 油断していたわけではない。今度ばかりは仕方が無かったのだ。と言っても、結局は言い訳になる。あの時こうなっていなければ、もっとこうしていれば良かった。悔いたところで未来は変えられない。立ちはだかる者を受け入れるか、或いは倒すしかない。

 トウヤ、チェレン、ベル、コバルオン、ビリジオン、テラキオンが目にしたのは、白虎の形を取る霊獣「ほうじょうポケモン ランドロス」の降臨。遥か太古の伝承に見受けられるトルネロスとボルトロスの争いを鎮めたという神々しさは、微塵も残っていない。霊獣という二文字が示す通り、獣に成り果てた眼。四つ足のまま、天空を制圧するが如く、微光を背にして佇む。

 ダークトリニティ。トリニティとはすなわち、三位一体。本来横暴とは程遠いランドロスが暴れる原因を形作ったのは、やはり共通して人間の心を持たぬ忍者の一人である。

「3匹目か……!」

 チェレンも、ベルも了解している。やるべきことはただ一つ。モンスターボールから意気揚々と飛び出してくるポケモン達。

 ビリジオン達は目を見張る。闘志をそのまま映したかのような色褪せない瞳の輝きは、トレーナーとポケモンが一心同体であることを証明している。

 ダークトリニティが三位一体ならば、こちらは幼馴染の三位一体で勝負を仕掛けるまでだ。

 ダイケンキが猛る。オノノクスが咆える。コジョンドが靡く。水流が迸る。竜の頭が噛み付く。波導のエネルギーが覆い被さる。

 豊穣神には通用しない。数十年の友情をいとも容易く打ち破る。崇められし者の圧倒的な力が発動する。大地が割れ、岩盤が持ち上がる。足場は本来の機能を果たさない。互いを助けるために繋ごうと伸ばされる手を、散らばる石刃が容赦なく分かつ。

 たった一撃。ランドロスが大地を叩いただけで、戦況は壊滅的になった。コバルオン達の安否も確認出来ない。

 オノノクスは呻き、コジョンドは倒れ、ダイケンキは残った片方の剣を突き、膝の震えを収めようとする。

 ランドロスに乗るダークトリニティは、腕組みをしてジャイアントホールの有様を見下ろす。

 幹が横に倒れ、葉と雪で塗れている。下敷きになっているポケモンも恐らくはいるだろう。無理矢理絶たれた自然の営みが悲壮感に支配される。ダークトリニティは壊れた景色を眺めながら、表情を取り繕いもしない。手を加えられない限りは、変化の訪れない絵画のように。

「お疲れ様、トレーナー諸君。まもなくプラズマフリゲートの飛翔時間だ」

 莫大な冷凍エネルギーを動力源に充てた戦艦。プラズマ団の最新鋭兵器が満を持して進撃を開始する。方角はシンオウ――外国の北端にある巨大な大陸を目指す。

 

 ダイケンキはモンスターボールを欲する。少しでも体力の消費を抑える場所に戻りたい。息をすると体に痛みが走るから辛い。二本あったアシガタナも一本は獲物を貫き、一本はその役目を終えようとしている。ここまでもってくれただけでもありがたい。ダイケンキは己の剣に確固たる愛着を持っていた。

 同じ青を基調とした容姿。鋼鉄のように揺るがない意思を持つポケモンと出会う。相手はこちらをしっかりと見ている。剣道に生きる者として、向けられた視線を誤魔化すわけにはいかなかった。衰弱した姿を見られるのは、いつになっても恥ずかしいものだが。

 コバルオンは目尻に優しさを浮かべていた。ダイケンキはいつもの活力が残っていれば肩に力を入れるところだが、命すら落としかねないこの状況で下手は打てない。ところが、コバルオンはまるで威厳ある理想の父親像にすら見えて仕方なかった。幻覚か。好敵手が見せているものか、と夢想に浸る。

 コバルオンは何かを語りかけているようだ。ダイケンキは薄れ行く瞼の誘惑に身を委ねながら、うっすらと笑みを張り付けて眠る。満足感。後悔は無い。彼は赤い光に吸い込まれていく。

「ダイケンキ、嬉しそうだった。ありがとう」

 コバルオンは頷き、暴れるランドロスを見やる。トウヤは全てを察した。モンスターボール越しであろうとも、トウヤとダイケンキの命を預け合う覚悟を感じ取ったのだろう。ようやく利害は一致する。

 背にまたがるよう、コバルオンが促す。トウヤは跨った。はがねタイプだけあり、皮膚は硬い。軽く触ると手が滑る。今までに感じたことのないような感触を目の当たりにしているのだ。

 そして、疾駆。風を斬り、風になる。

 触発されたのはコバルオンだけではない。

 ランドロスの登場が齎すものは、一度敗れた厄災の覚醒だ。

 

 

 *

 

 

 何の因果だろうか。ジャイアントホールの各部で、同じ色に彩られた者同士が決闘を行うことになろうとは。

 テラキオンとビリジオンも、忠誠を誓う主君を見つけたのか、ベルやチェレンと目が合う。

 最後まで戦い抜くだけだ。我が身が潰れようとも、今この瞬間を精一杯生き抜く。生きるとは、そういうことだ。

 

 青龍は氷をかち割り。朱雀は暴れ狂い。白虎は地を駆ける。

 テラキオンの角が猪突猛進を押し止める。ランドロス対テラキオン。ベルも随分勝気な顔をするようになったものだ。一瞬たりとも固定出来ない視点からでも、幼馴染の成長ぐらいは見取ることは出来る。コバルオンは電光石火の動きで、ボルトロスが叩き落とす稲妻の柱を回避する。間隙を縫って、ステップ、バックステップ。留まることを知らない速さ。掴まっているのがやっとだ。

 ジャイアントホールは聖剣士の庭園にして楽園である。聖剣士の試練に協力した、虚無を司るドラゴンポケモンも住み着いている。

 桃源郷を荒らしたプラズマ団の罪は重い。コバルオンは無念の死を遂げた同胞の分まで、喜怒哀楽をぶつける。ボルトロスは角を握ろうとするが、下に潜り込む。コバルオンの体に電流が通り抜け、動きが鈍る。しかし、地獄の中でトウヤは一矢報いる時だと判断する。

「アイアン、ヘッド!!」

 さすがに知能が高い。コバルオンはすぐさまトウヤの意図を理解し、実行に移す。下部からの強烈な頭突きは、ボルトロスの腹に凹凸を作る。理性を失ったボルトロスは、あるがままに攻撃を受けてしまい、持ち上げられるようにして体の自由を奪われる。ボルトロスが錯乱している隙を突いて、コバルオンは一気に畳み掛けようと試みる。

「駄目だ!」

 どこからか叫びが聞こえる。何故、止めを刺すならばこれほど絶好の機会は無い。コバルオンの勢いを止めろというのか。答えはすぐに分かる。我を失ったトルネロスが接近しており、足元ではNとケルディオが飛び降りる時を窺っているようだ。N達がいる以上、巻き添えには出来ない。しかし、ダークトリニティならば何の躊躇も無く刺殺するだろう。それが彼らとの正しき人間性の相違であり、なおかつ甘さでもある。コバルオンとトウヤは一時的に攻撃を控えるが、トルネロスが一度翼を振うとコバルオンもろともビリジオン、テラキオン達が空に放り出される。

 眼前、ボルトロス、ランドロス、トルネロス。霊獣総勢、壮観な並び。歓喜に打ち震えるどころか、死の象徴ですらある。竜巻の中で3匹と3匹が相見える。互いの敵から最後まで目を離さない。

「お前達の敗北は決まっている。最後に勝つのはゲーチス様だ。負けると分かっていながら、そこまでする必要はどこにある。お前達はイッシュの英雄と祀り上げられているだけで、イッシュを護るなどという大義名分を抱えてはいないはずだ」

 ダークトリニティよ、まだ分からないか。

 トウヤもチェレンもベルも「義務だから」というつまらない理由で戦っているわけではない。己のため。元々人間とは、どこまでも利己主義を突き進む。我が道を省みるのは、躓いた時に限られる。

 ただ一つ。彼らにとって大切なものを護るために戦う。誰かを強く想う心は、最大の武器になる。

「N! ケルディオ! 俺達が時間を稼ぐ。力を、貸してくれ!」

 コバルオンが頷く。

「悔しいけど、そうするしかないね」

 ビリジオンが静かに目を瞑る。

「頼りにしてるよっ、二人共!」

 テラキオンがにいっと笑う。

 トウヤ達はNに向けて。コバルオン達はケルディオに向けての、メッセージ。Nとケルディオは確かに聞き取った。

 ダークトリニティは、彼らの根幹にあるものを知ろうとも思わない。 

「哀れだな」

 確かに、哀れみを向けられても仕方ない。ポケモントレーナーが欲望に則って生きる様は、傍から見れば滑稽にすら映るだろう。

 だが、一期一会の瞬間を我武者羅に生きている。嘲笑う資格は、誰にも無い。

「トウヤ、どうするつもりだ! このままじゃ」

 チェレンの声が途切れ、風圧が重くのしかかる。

 中央のランドロスを取り巻き、ボルトロスとトルネロスが旋回する。制空権を持たないコバルオン達は為す術もなく、振り回されていく。普段、陸上を生活の基点とする彼らにとって、空は馴染みの無い場所だ。このままでは勝利の方程式を導けない。やはり、霊獣達を鎮める他に方法は残されていないのだ。

「あれを使え!」

 行き場を無くした木々も、竜巻の一部と化していた。コバルオン達はそれらを踏み台にし、霊獣達との距離を縮めて行く。ビリジオンは軽やかに、テラキオンは力強く。

 今こそ、弟子の前で聖剣士の神髄を披露する時。天に向けて咆哮する。

 見定めろ、ケルディオ。これが聖剣士の生き方だ。コバルオンは、そう言っているようにも聞こえる。

「行くぞ!」

 トウヤが腕を掲げる。

 コバルオンの両角が光輝を帯びて、ボルトロスに激突。

 ビリジオンの両足が粒子に包まれ、トルネロスに衝突。

 テラキオンの両角が鋭利に尖って、ランドロスに刺突。

「ボルトロス、かみなり! トルネロス、ぼうふう! ランドロス、ストーンエッジ!」

 ダークトリニティは、3匹同時に指示を出す。伝説のポケモンをたった一人で受け持つ、目を見張るべき精神力。彼らとて、トレーナーに値する才はある。しかし、使い方を間違いすぎた。

 ボルトロスが咆えると、雷という雷が瞬き、天を怒らせる。

 トルネロスが咆えると、風という風が荒れ、天を騒がせる。

 ランドロスが咆えると、地という地が唸り、天を揺るがす。

 準備は整った。

 聖剣士と霊獣の。ポケモントレーナーとプラズマ団の。根競べが始まる。どこまで持つか、否、耐えてみせる。

 バトルフィールドを成り立たせていた風の監獄が少しずつ音を立て、檻を軋ませる。外界から差し込む光は、希望の証か、それとも浄化の炎となるか。厳粛なる審判を下すのは、まだ目覚めない者だ。その者、心の光を灯しながら、覚醒を待つ。

 

 さあ、行こうか。Nは呼びかける。

 一つ願うと、羽のように、緑と橙と青の毛が生えた。赤いたてがみは、首元で緩やかにカーブを描く。眉毛をきゅっと引き締めて。

 何度も折られた角。テラキオンと喧嘩をして折れた。ビリジオンとの修業で切り裂かれて折れた。コバルオンとの特訓で打ち砕かれて折れた。もう折れない。新たに磨き上げられた蒼き角は、覚悟の度合いを示す。立派な剣と呼んでも差し支えは無い。

 しがみ付いていた弱さから離れ、ふわりと風に巻き上げられる。

 聖剣士ケルディオ――覚悟の姿を焼き付けよ。

 

 姿を見ても、コバルオン達は喜びもしなければ笑いもしない。無論、応戦するのに必死で、構っている暇は無い。それに、ケルディオは口をすっぱくして教えられたことがある。何事も行動で示せ、と。

 だから、霊獣達を倒すことによって証明する。聖剣士の称号を得るにふさわしい心と力。人間と歩むことで、初めて開花したのだと。

 Nは聞く。ケルディオがずっと慕ってやまなかった者達の声を。

「振るえ!」

「今こそ!」

「お前の剣を!」

 降り注ぐ太陽光が、ケルディオの雄姿を称えるかのようである。

 聖剣が青光りする。ここにいる者達の覚悟をしかと心に刻み、より強く、もっと輝く。敵を目掛けて一直線。一筋の光は、絶望を希望に転化する。

 忍者はやはり音も無くいなくなっている。しかし、見限られた霊獣には避けようもない。永きに渡る戦いが、ここに幕を下ろす。

 コバルオン達ともまた性質が違う剣を、彼らは後にこう名付けた。

 蒼い光は、まるで神秘的な泉から溢れ出す水流の恩恵を思わせる。だから、しんぴのつるぎ、と。

 

 

 *

 

 

 悪しき呪縛から解放されたボルトロス、トルネロス、ランドロスは礼を述べ、それぞれの帰るべき場所へと姿を消した。

 しかし、忘れないで欲しい。

 モンスターボールに閉じ込められたポケモンの中には、自ら人間と行く道を選んだ者もいることを。

 

 後に判明したことだが、アクロマが製作した機械による影響も少なからず及んでいたようだ。影を潜めながら、裏から糸を引くとは侮れない科学者だ。これでアクロマとダークトリニティを退け、プラズマ団の戦力は激減したと胸を張れるだろう。

 風が止み、新たに波乱を呼ぶ風もまた吹き荒れようとしている。

 プラズマフリゲートの上昇。Nは行かなければならない。彼にとって最後の戦いが船内で待つ。求める答えもそこにある。ポケモンと人間が歩み寄れる世界を目指して、彼は終わりの無い戦いに身を投じる。

『地上での戦は終わった』

 コバルオンは言う。勿論Nの通訳だ。

『お前達には、礼を言わねばなるまい。心より感謝する。そして、誤解を招いたことをここに侘びよう』

「僕達も、何も知らないで……悪かったよ」

 チェレンが弱った様子で言うと、トウヤがにやにやしながら小突いてくる。

「なんだよ」

「別にぃ」

 ベルがくすくす笑っているのを、トウヤとチェレンは顔を見合わせながら照れ臭そうにしていた。

 コバルオンは空を見上げる。

『人間には、お前達のような純粋さを持つ者がいることも分かった。しかし、私達はまだ人間を信じることは難しいだろう。だが、いつの日か人間とも手を取り合える日が来ると信じている』

「そうか」

 Nも空を見上げる。巨大な戦艦がイッシュだけでなく世界を闇に陥れる前に。けりをつけなければなるまい。あの船の中にゲーチスがいると思うと、心が掻き乱される。

『ケルディオ、本当に任せても良いのか』

『うん。これはポケモンにも関わる問題だ。Nと一緒に戦うよ。コバルオン達は、トウヤ達と一緒にイッシュへ停戦を呼びかけて欲しい』

『そうか。お前の志は受け取った。我々も託された責務、必ず果たす。しばし、今生の別れとなろう』

『師匠方……今まで、ありがとうございました』

 コバルオン達は既に満身創痍もいいところだった。ランドロス達が天に吸い込まれていくのを見届けた後、倒れてしまったのだ。

 聖剣士の中で辛うじてまだ余力を残しているのはケルディオのみ。そして、これからNを待ち受ける壮絶な出来事は、恐らくケルディオの力を頼りにしなければ乗り越えられないような試練であろう。

 ケルディオはNと行くと言った以上、コバルオンも、今度こそ拒まなかった。

 あのケルディオが自分で決断した。自分で頭を下げた。テラキオンはさぞかし泣き喚いている。あやすビリジオンは、やはり母のようだ。聖剣士の4匹は、本物の家族と何ら変わらない繋がりで結ばれている。

 

 トウヤは、少し寂しそうに尋ねる。

「もう行くのか」

「うん。行かねばならないからね。チェレン、ベル。アリガトウ」

 面と向かってお礼を言われて、チェレンは呆気に取られている。

「お前は色々とメンドーな奴だったけど。……良い奴だって分かったし、良かったよ」

「N、頑張って。私も応援してるからねっ」

 Nは微笑んだ。

 延々と語りたい気持ちを何とか抑えながら、これだけは伝えたいということを話す。

「トウヤ。キミは夢があると言った」

 電気石の洞穴でのことだ。トウヤははっと思い出す。

 チャンピオンになるという夢は叶った。しかし、いつかポケモンと人間が笑顔で暮らせる世界を創りたいとも言った。まだ叶っていない。叶うかどうかは、これからのトウヤ達次第だ。

 未来とは、あらかじめ決められたものではない。自分の手で切り拓いていくから未来になる。

 未だ来ない世界を追い求め、果てしなく旅は続く。

「その夢……かなえろ! すばらしい夢を実現し、キミの真実とするんだ! トウヤ、キミなら出来る!」

「ありがとな、N」

 トウヤは手を差し伸べる。Nは戸惑う。

「ほら、早くしろよっ」

 Nはしっかり、トウヤの手を握る。

 Nとトウヤ。ここに、かけがえのない友情が刻まれた。

 帽子を被り直し、ケルディオの方を向く。お互いに覚悟は決まっていることを確かめ合う。

「それじゃ……」

 踵を返す。手を伸ばす。もう振り返ってはくれない。

 ケルディオのハイドロポンプが、発射されようとしている。避けては通れない別れの経験は、確かに無い方がいいことなのかもしれない。だが、Nと出会った記憶はトウヤ達の中で、生き続ける。

 永遠に、色褪せない。

「サヨナラ……!」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。