ふらふらと森の中を一人の青年が歩いていた。
まるで幽霊のような掴み所のない足取りでこちらへ歩い来ていた。
「ん?ありゃゼレフか?」
「ヒィィ!か、勘弁してくださいぃ!」
森の中、俺は蹴散らした盗賊の胸ぐらを掴み上げながら気配を感じて、数一〇〇メートル程先にゼレフを発見した。なんという偶然。
しかし、あいつと会うのも久しぶりだなぁ。
……なんだろう、どこかアンニュイな雰囲気だな。鳥のフンでもかけられたか?
「ぐぇっ」
手の中で暴れまわる盗賊を離してやると、カエルのような声をあげて地面に顎を強打した。
それでもなお逃げようとする盗賊の尻を踏みつけて逃げられないように押さえつける。
尻を踏むってところに俺の優しさが滲み出ている。そうは、思わないかい?キリッ。
「本当に勘弁してくれ!食い物が放置されてたのが悪いんだ!俺たちはトレジャーハンターなんだから仕方ないだろう?な?」
「な?じゃねえよ。トレジャーハンターだろうが王様だろうが食い物を盗むやつは大悪党だ。殲滅すべき敵だ。そして貴様らはすでに食した。俺の数ヵ月ぶりのご馳走をだ。許さん。本気で許さん。あとで逃げたやつらも取っ捕まえて顔の原型が留まらない程度に殴ってやる」
「くっ……こうなったら!」
何やら企んでいるような物言いで呻く。野郎のくっころとか誰得だよやめろよ。
内心で愚痴を溢す俺を他所に、盗賊はポケットから小さな水晶のようなものを取り出した。
「爆弾のラクリマだ!こうなったらお前もろとも自爆してやらぁ!」
尻を踏まれながら、鈍く輝きだした水晶を掲げて高笑いを始めた。
なんだろう。一昔前のヤクザみたい。胴体にダイナマイト巻いて敵地に突入するあれ。まぁテレビでしか見たことないんだけど。
「『MODE:ネルスキュラ』」
さながらどこかの蜘蛛男のように手から糸を作り出す。徐々に光の強くなる水晶を盗賊の手から奪い取る。
某風の谷のお方の扱う虫笛のように、水晶を奪った糸を振り回し、それを空高くに勢いよく放り投げた。
「……あれ?」
飛んでいった水晶は、見事に花火のごとく鮮やかな輝きを放つ。たーまやー、とな。
上空で爆発した水晶を、盗賊は呆けた顔でポカーンと見ている。アホ丸出しだぜ。まるで俺のようだぞ。
こちらへ歩いて来ていたゼレフがいつの間にか近くまで来ていた。
「よっ、久しぶり」
手をあげて挨拶をするが、ゼレフは俺に気がついていないのか下を向いたままだ。
なんだ。そんなに強烈な鳥のフンでもくらったのか?ダイジョビダイジョビ。洗えば落ちるさ。心の傷もいつかは癒える。
治すコツは……そうだな、忘れることさ。フッ。
「おーい。ゼーレーフー?」
盗賊から足を退けてゼレフに近寄る。
盗賊は好機とみたのか、こっそりと逃げていく。上手く逃げているつもりだろうがバレバレだ。
許す気はないが、今のところは見逃してやろう。どうせすぐに捕まえる。
未だに無反応なゼレフを疑問に思い、屈んで顔を覗き込む。
何日も何も食べてないのか、ゼレフの頬はげっそりと痩せこけて不健康な顔つきだった。そしてゼレフの顔は真っ青を通り越して真っ白だ。
今にも死んでしまいそうなほどにか弱く、細く、小さく感じた。
「おい!大丈夫かよ!」
肩を掴んで顔を上げさせると、その瞳には光が写っていなかった。物理的には俺を見ているが、その目は俺を捕らえてはいない。
何度か揺すると、足を止めたゼレフが今度こそ、俺をしっかりと捕らえた。
「……トージ?」
「おう。大丈夫か?顔が真っ白だ。何も食ってないんだろ?」
飢餓っていうのは俺も嫌というほど味わってる。どんだけ辛いのかもわかる。
早くなんとかしてやらないと。
早くゼレフに何かを食わせようと考えていた俺は、衝撃を感じた。
気がつけば俺は、地面に倒れていた。
……魔法だ。
一瞬訳がわからなかったが、すぐに理解できた。ゼレフに魔法で吹き飛ばされたのだ。
ゼレフは弱々しく辛そうに呟く。
「だめだ。だめだ。僕に触れちゃ。近づいちゃ。だめなんだ……。君まで。トージまで殺してしまうッ……」
「お、おい、どうしたんだよ。まさかその辺のキノコでも食べて混乱してるのか?」
経験者は語る。
「早く……早く僕の前から消えてくれ!!」
怒声……と言うよりは悲鳴だろう。
ゼレフの痛々しい叫び声が俺を突き刺すように飛ぶ。
ゼレフの顔から更に血の気が引いていってるように見える。このままでは本当にゼレフの体に障害を残してしまうかもしれない。
「そうじゃないと……君もメイビスのように……」
うわ言のようにそう言う。
メイビス?メイビスがどうしたんだ?
俺の疑問を他所に、ゼレフは頭を押さえながら木にもたれた。
再度声をかけようとした。だが俺の意思に反して体が自然とゼレフから距離を置く。
その原因は一目でわかった。
ゼレフの体から、黒い靄が。異様な何かが漏れだしているのだ。
「あ、ああああああッ!補食が、始まってしまう!!」
本能的にわかる。あれはヤバイ。
あの靄からは嫌な気配しかしない。毒ガスか、もしくはその類いの魔法か?
「嫌だ」
足元の花が枯れる。
「嫌だ」
もたれてた木が枯れる。
「嫌だ」
茂った草木が枯れる。
ゼレフの周囲に存在していた植物が、彼を中心にしてどんどん枯れていく。まるで生命を抜き取られていくかのようだ。
植物を枯らす魔法?
水分を抜き取る魔法?
……いや、違う。なんかもっとヤバイ。説明はできないがとにかくヤバイぞあれ。
俺の中の危険信号がけたたましく鳴り響く。
「嫌だ……。逃げて。逃げてくれ!!
お願いだ!!トージィ!!」
燻っていた黒い靄が、爆発した。
「『MODE:クシャルダオラ』」
俺の周りを荒ぶる風が渦巻き、黒い靄が体に触れないように防いだ。
風で防げるものかどうかわからないが、咄嗟に構えた俺をあっという間に靄が飲み込む。
……なんだこれは。苦しい。
直接的に触れた訳でもないのに、僅かに浸入した靄が苦痛をもたらす。
毒……って感じじゃない。もっと重々しい何かだ……。何なんだこれは。
目を動かしながら状況を把握しようとしたいた俺は、未だに逃げている盗賊の背中を見つけた。
靄に飲まれてしまう寸前の姿。
「いつまでタラタラしてんだ馬鹿!逃げろォ!!」
俺の忠告の声も虚しく、男は靄に飲まれた。
体にはなんの損害も無い。だというのに、その場で白目を剥き倒れた。
当の本人であるゼレフは、頭を抱えながら蹲っている。
「ゼレフ!正気に戻れ!!」
声をかけても意味などなかった。
より一層強くなった靄。クシャルダオラの風が破られ、何かが俺の中に入ってくるような感覚に襲われる。
とてつもなく強力な何かが。このままじゃマズイ、呑まれる!
「『MODE:ゴア・マガラ』」
風を消し、模倣を切り替える。
瞬時に模倣を終えると、俺の体から狂竜化のウイルスを乗せた風が吹き荒れ、ゼレフの靄と攻めぎ会う。
侵食性という強力な性能で、その呪いのようなナニカと競り合う。
「ぐぁっ……なんじゃこりゃ。……きっつ」
黒蝕竜の模倣は、生物を凶暴化させるウイルスを周囲へ放つためとてつもなく危険だ。危ないから練習すらしてなかった。けど、こりゃあ自分も危ないな。
脅威は内側にもいるわけだ。
暴れろ、暴れろと。俺の中で第二の意思が語りかけてくる。
──暴れろよ、楽しいぜ?
──好きなだけ壊せよ。やろうと思えばいくらでもできるんだから。
──さぁ、暴れろ!!
そんな囁きを受けていると、それでもいいかななんて思ってしまう。
防御壁になってる能力が自分を蝕むとか。なにそれ笑えない。
持ち手に刃がついた盾を使っているようなものだ。文字通り、諸刃の刃。
だが、恐らくゼレフのあれを防ぐには黒蝕竜の凄まじい侵食性で対抗する他ないだろう。
「とりあえず、正気に戻れゼレフ!!」
「あああああああああッ!!」
頭を抱えたまま更に苦しそうに叫ぶ。
ええい、こうなったらままよ!
覚悟を決めた俺を煽るように狂竜化が侵食を進める。
──ほら、あいつは危険だ。殺っちまえよ。
おっ、そうだな。
その第二の意思に便乗するように、俺は駆け出した。
ゼレフの目の前まで駆けると胸ぐらを掴み立ち上がらせ、ゼレフの顔面を拳で殴り飛ばした。
「悪い!!」
相手に向かって体を動かしたいのなら使える能力かもしれん。一種の精神的ドーピングとして。
殴り飛ばされたゼレフは、地面に転がるとようやくその黒い靄を納めた。
タメ息を溢しつつ、模倣を終えて俺もその場でしゃがみこむ。
「……ッ……はぁぁっ」
つっら。この黒蝕竜の模倣はだめだ。精神的にダメージが凄い。理性で耐えたけど、これは使わないほうがいい。今はまだ大丈夫だったが、多様したらそのうち俺の理性が本気で崩壊しかねない。
周囲にも被害が及ぶから使う気もないが。
体に力が入らず、俺はその場に座ることしかできない。
「ゼレフー?おーい」
木に背中を預けながら声をかけてみた。が、どうやら黒魔導士殿は完全に一発KOされてしまったようだ。南無。
まぁ、RPGでも魔法使いは後衛向きでパンチキックを伴うような戦いは基本やらないもんな。仕方ないか。
とりあえず、俺も疲れた。
◇◇◇
「これはね、呪いなんだよ」
「わかりやすく頼む」
僕たちは河原で焚き火を囲んで座っている。
彼の捕らえた魚を焼きながら、僕はトージと話をしていた。
呪いなんだよ。そう切り出したが意味不明でございます、と返されてしまった。確かに横着し過ぎたかもしれない。
苦笑しながら僕は、自分の手のひらを見つめる。
いったいこの手で、幾つの命を奪ったのか。
そして、彼女の命も……。
呪い。それは複雑なものではない。
尊いと思えば思うほど人の命を奪ってしまう。
それが僕の受けた呪い。己を不死身にすらしてしまい永遠に奪うだけの苦痛を味わう呪い。
そして僕は、あの時トージを殺したくなかった。初めて友達になってくれた男。僕の友人。その命を尊いと思わないわけがない。
それがどういう訳か、トージはこうして生きている。
不思議……。いや、最早不思議で済むようなレベルではない。不可解だ。
そもそも防げるようなものですらない。絶対的な呪い。
そのアンクセラムの呪いから逃れるものなんて……。
同じくしてこの呪いを受けて不死身となったメイビスですらダメだったというのに……。
神の呪いですら死なないなんて。君は……何者なんだ?
「ん?あー、あれね。俺も侵食が専売特許の力で対抗しただけ。詳しくと言われても俺もよくわからん。だはははは!」
そんな適当な答だった。
当然追及した。だが、トージに適当にはぐらかされる。
「そんな強く聞かれてもなぁ」
困ったような顔をしながら笑うトージ。
彼は尋常じゃない。それは以前からなんとなくわかっていたことだ。
もしかしたら。
彼なら……僕の願いが叶えられるかもしれない。
アンクセラムの呪いすら受け付けない彼ならば、僕を……。
だが今はその時ではないのだろう。
彼はまだまだ力を使いこなせてないと言った。
彼がそう言うのならば、待とう。彼が彼自身の力を使いこなせるようになるその時まで。
僕を越えるその時まで。
「それにしても、あんなに強く殴られたのは初めてだよ」
「だって全然聞いてくれねえんだもん。殴れば目を覚ますかな、なんて思って仕方なく……。そのー。……すまん」
「謝ることはないよ。殴ってもらえたからこそ鎮まったのも確かだ」
「そうなんだけどよぉ」
納得がいかないと言うように眉にシワを寄せているトージ。
本人曰く、罪悪感に苛まれているらしい。僕としては数百年振りの経験だったし、別に怒ってはいないのだが。
何かを思い付いたのか、トージは勢いよくハッと顔を上げた。
「なんかやってほしいことあるか?なんでもやってやるよ!」
「なんでも……?」
聞き返す僕に、トージはしまったと顔を青くした。
「やっぱなんでもはだめ!トイレにホイホイとか洒落にならない!」
「えーと……?」
彼は時折よくわからないことを言うけど……どういうことなんだろうか。
とにもかくにも、なんでも手伝ってやる、なんてお墨付きを貰ったんだ。なら、手伝って貰いたいことは数えきれないほどある。
彼は非常に興味深い。彼の魔法も、彼自身も。
なら、まずは呪いを防ぐことができた力から。
元々僕は研究家だ。呪いを防ぎきり、魔力も多い。その特異性には大きな興味をそそられる。
……それと、これは勘だが。それ以外の不思議な力も感じる。
こんな素晴らしい協力者がいれば十数年は夢中になるかもしれない。
さて、やりたいことは沢山ある。
なんだか数十年ぶりに楽しくなってきた。
埋葬された盗賊に線香を立て、両手を合わせるトージ