結論から言って、孤比視は舞園をデートに誘うことに成功した。押しに弱い性格なために全く目線を離さない孤比視相手に答えを後回しに出来ないと判断した、ということが一つのようだ。
二つ目の理由として彼女に恋愛経験がなかったことがある。恋愛経験がないからこそ上手い断り方であったり受け流し方であったりが分からなかったのだ。先生が孤比視からのメールを受けてから六条に情報を求めたのでこのやり方は二つ目の理由があったために今回のやり方で断る確立は低いと踏んだのだ。実際にその算段は効果覿面だった。成功の報告を聞いたときに先生は
「舞園姫子 に 突然 の デート の お誘い!効果 は 抜群 だ!」
ポ○モンの影響もあってかテンションが舞い上がっていた。肉体年齢こそ大人ではあるが、こういうときの精神年齢は頭の悪い大学生と遜色ない。
兎にも角にも、孤比視は舞園をデートに誘って桐壺をその日に診療所に来るようにも言った。孤比視がすべきことはこの時点で終わった。
デート当日、孤比視は待ち合わせ時間の三十分前に待ち合わせ場所の駅前に着いていた。舞園はその三十秒後にやってきた。
「やっほー、秤くん。お待たせしちゃったかな?」
『僕は来てから一分も経っていないので待っていないに等しいです』
携帯を使って答える。さすがにこんな状況をジェスチャーだけで意思疎通をするのは好ましくないため携帯などを使ってでもコミュニケーションをしたほうが良いという助言を受けたので珍しくこういうやり方をしている。このやり方自体がおかしいのだが。
『可愛らしい服装ですね、とても似合っていますよ』
「デートのときは出会ったらまずは服装を褒める」というセオリーに則って伝える。
クリーム色のカーディガン、そして清楚なワンピースは胸よりも少し下をリボンで絞っている。わずかに染まった茶髪も手伝ってファッション雑誌にでも載っていそうだ。先日、中庭で話していた友達の様子だともっとケバい服装を予想していたので孤比視は少し意外に思った。
「ありがとっ、君も決まってるよ!」
対して孤比視の服装は紺色のジーパン、赤いシャツの上に薄暗い緑のパーカーを着ている。
柔らかく微笑んだ孤比視は文字を入力する。
『それでは、行きましょうか』
「う、うん。え?」
舞園が頷いたことを確認すると手を取ってショッピングモールに歩いていこうとする。
「ほえ!?いきなり手とか繋ぐの?!」
動揺した様子の舞園を不思議そうに見る。
「………………?」
恋愛経験がほとんどない彼女にとって異性と手を繋ぐというのは全く慣れていない。もちろん友達と恋バナもするのだが、実際に何か経験をしているということはない。デートなどの耐性がほとんど皆無なのである。それ故に異性と手を繋ぐだけでも心拍数は大きく跳ね上がる。プラスαとして話さないから目立たないものの孤比視の顔とルックスはそれなりにレベルが高いこともあるだろう。
『行かないんですか?』
「い、いや!い、行くよもちろん!」
無感動な彼は指示された通りに動いているだけなので彼女がどうして動揺しているのか理解できていない。
理解できないからこそ考えずにプラン通りに動く。淡々と人込みを縫ってアクセサリー店に入っていく。
「うわー、これ可愛い!」
入った途端に元気になってアレコレ物色し始めた。それを金魚の糞のようについていく。
楽しそうにしているが、「楽しい」という感情は見受けられない。「歓喜」はあるのだが、楽しんでいないことが孤比視には分かる。だから指示されていた内容を実行するしかない。
この店に行ったほうがいいというリストがあるが、いったいどうしてあるのかは全く持って理解出来ていない。もともと遊びに行くことがないのでそういう方面に関しては本当に無知だ。マニュアルがあれば大抵のことは出来るのだが。
「ね、ね、これ似合うかな?」
訊かれた孤比視は頷く。
「えへへっ」
似合っていると肯定されて嬉しそうに笑う。それでも「楽しい」は見受けられない。気遣っていることがはっきりと分かる。こんなことで楽しませることが出来るのかを疑問に思いながらもプラン通りに事を進めていく。
ストラップなどを買ってゲームセンターで色々とやった。太鼓の達人などで成績を競い合ったりプリクラを撮ったりクレーンゲームをやったりした。クレーンゲームでは孤比視とは違って舞園は慣れた手つきで二百円かけて狙いのぬいぐるみをゲットした。逆に孤比視は千円近く使っても狙っていたバッジが取れなかった。
「秤くんへたっぴー!」
実に嬉しそうにコケにする。意地になってまた百円を入れてどこで止めようかと考えていると横からボタンを押して舞園がクレーンを移動させる。
「こういうのはそんな慎重にやっても仕方ないよ」
そう言ってあっさりとゲットしてしまった。
そのバッジを孤比視に渡すのかと思えば、彼の襟にそれをつけた。つけられたバッジを触る孤比視を見て満足そうに頷く。
「うん、秤くんも似合ってるよ!」
孤比視の眼に写る彼女の心は達成感が満ちていた。孤比視が取ろうとしていたバッジを取れたこと、つけたバッジが似合っていたことが一時的とはいえ舞園の心を満たす。
満たしたことは確認できても理由を理解出来ない孤比視は逆に達成感を得ることはない。
「さてと、時間も時間だしお昼にしよっか」
私、舞園姫子は今後輩の男の子とデートをしている。
デート相手の後輩である秤くんとは手紙をもらうまで全然面識なんてなかったから誘われたときは驚いた。男子と遊びに行くなんて初めてに等しいからどうしたらいいのか分からなかったけど、友達と一緒に遊んでるときと同じ感じで良いみたいだった。
そう思ったら最初に緊張してたのがバカみたいに思う。まあでも、後輩とはいえデートっていうのはやっぱり少しは緊張してしまう。それに
「……………………」
どうしてだか彼は自分の口から言葉を発したりしない。携帯に書いて相手に見せるっていう独特すぎるやり方だった。恥ずかしがり屋なだけかもしれないけどさ。(それでも斬新すぎると思う……)
だとしてもデート経験が中学校のときに一回だけの高三女子にはなかなか間を持たせることが大変だ。みんなと一緒なら話題が尽きることなんてないんだけど……。
って、こっちがいろいろ考えてる間も秤くんはとても自然体だ。気を張ってる様子もないけど、間を持たせようって努力もしてくれない。
「……うーん」
これじゃあ考えまくってる私がバカみたいだ。ここは年上としてもっと余裕を見せないと恥をかいちゃう!
体勢を整えるためにお昼に誘ったんだからここで落ち着こう。
「秤くんはもう決まった?」
すでに決まってますって感じで頷いた。
うん、決まったみたいだ。ボタンを押して店員さんを呼んで
「これを一つください。秤くんは?」
聞いてみるとメニューの中でぺペロンチーノを指差した。
「はい、承りました」
店員さんが行ってから秤くんを見てみる。基本的に無表情だしリアクション薄いし、なんか硬いイメージがあったから和食みたいな渋いのにするかと思ってたんだけど、意外とオシャレなのにするんだなあ。
「あのさ、ちょっと聞いていい?」
「………………?」
「どうして私なんかをデートに誘ったの?」
料理がくるまでに何か話そうと思ったけど、彼が何に興味があるのか分からないから私の趣味とか好みとかの話しても困ると思って訊いてみる。それに、ホントに気になることだし。
秤くんはちょっと考え込んでまた携帯に入力して見せた。
『あなたに興味があったからです。』
画面には端的にそう書いてあった。
「きょ、興味と言いますと……?」
『あなたが他とは明らかに違っていたからです。』
そうかなあ?私は他のみんなとはそんなに違わないと思うんだけどなぁ……。頭は可もなく不可もなくだし、運動はちょっと苦手だけど下の下まではいかないし。
着てる服だって派手派手じゃないもん。地味な格好でも……それはあるかな。
「どんな風に?私は見ての通りに普通な女の子だよ?」
ここで他の子よりも可愛いって言ってくれたら私的にはかなりポイント高いんだけどなー、なんてね。
秤くんが無表情で淡々と入力をし始めたから「あー、やっぱりないかなー」って思った。
そんなことを考えていた私に彼は伝えた。
『あなたが何も楽しめず、周りに合わせて楽しんでいるフリをしていることが明らかに他の方々とは違います。』
だからこんなことを言われるのは不意打ち以外のなにものでもなかった。
「…………………え?」
いつも通りにしてたらいきなりドッキリを受けたみたいな、いきなりすぎて何にも言えなかった。
「えーと……、どういうことかな?」
『あなたに楽しむという感情が全く見受けられません。気を遣って楽しんでいるように見せてはいますが、実際のところは見せ掛けだけです。』
「…………………」
『だから僕はあなたに興味を持ちました』
開いた口が塞がらないことなんて本当にあるんだーなんて変なことを考えてた。
ていうか、そんなことを考えてる時点でちょっと現実逃避しちゃってるけど……。
「あ、あははは」
「………………………」
ここで笑い飛ばすってことも出来たかもしれないけど、秤くんの眼には確信があった。だから誤魔化せないなって思っちゃった。
「あう……、なんで分かっちゃったのかな?」
悪いことしたみたいにほとんど独り言みたいな声のトーンで聞いてみた。なんて反応されるか分からなくて俯いてしまう。
「…………………?」
なのにいつまで経っても反応がない。また携帯に何か書いているのかなと思って顔をあげてみると
「……………ゴクリ」
メニューを開いて喉を鳴らしていた。
「え、えっと、何を見てるの?」
恐る恐る聞いてみるとバッとこっちにメニューを見せた。そこには大きくパフェの写真がデデーンと載っていた。秤くんのほうを見ると、それこそマンガみたいに目がキラキラと光っていた。さっきまでみたいな大人びた感じが微塵も残ってない。
「……このパフェを食べたいの?」
これ食べたいとばかりに何度も頷かれた。なんていうか、ご飯を目の前に出されたワンちゃんみたいだ。
ギャップ萌えで可愛いって思っちゃった。
「じゃあスパゲッティを食べ終わってから注文しようね」
コクッと残念そうに小さく頷いてうなだれる秤くんはホントにワンちゃんみたい。正直言って写メりたかった……。ていうか表情の変化を動画にしたかった……。
「うわ……、おっきい……」
甘いものをたくさん食べると明日にも肌が大変な変態をしちゃうからプリンアラモードにした私としては、秤くんが注文したパフェはどう考えても一人分じゃ済まないくらいに多かった。大きすぎて選んだのを後悔してるんじゃないかと思って顔色を見ているけど、そんなことは全然なくって、むしろおもちゃをプレゼントされた子供みたいだった。
食べるスピードはメインのはずのスパゲッティよりも速い。山盛りだったパフェがスゴイ勢いで減っていく。
半分くらい食べてようやく秤くんの動きが止まった。
ふにゃあ
って言いそうなくらいに顔が緩い笑顔になってた。完全にとろけてたよ顔が。
(か、可愛い!)
心の中とはいえ叫んじゃうくらいに可愛かった。
めちゃくちゃ表情が緩くてさっきまでの秤くんとは別人みたいだった。ドーベルマンがいきなりトイプードルになったくらい全然違う感じになってた。
「あ」
「…………?」
「クリームがついてるよ」
鼻の下にクリームがチョビ髭みたいについていた。
指でとってあげて、もう一方の手でハンカチを使って拭
「パク」
「?」
視線をハンカチから指先に戻すと、私の指は秤くんの口の中でペロペロされていました。
「………………」
ペロペロされていました。
「……」
ペロペロされて
「…」
ペロペ
「!!?!?!?!??!!!」
慌てて手を引いた。キッと睨むとどうしたんですかと言いたげに首をかしげられた。
って、首をかしげられても!さすがにこれは引くよ!
そう叫ぼうとしたけどいきなりすぎて口から言葉が出ないよ!
酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせてる私を見て何を思ったのか秤くん、パフェをスプーンで一口分とってこっちに差し出してきたよ!
「いやパフェが欲しいんじゃなくって!確かに美味しそうだけども!」
さっきの食べっぷりを見た直後だから食べたいなーとか思ってたけども!
はい、あーんって言いそうな仕草で口元に持ってこられた。
「あーん」
うん、美味しい。
「じゃなくて!」
勢いそのままにテーブルをバンッと叩く。
驚いた秤くんがビクッと身体を震わせてどうしたんですかって目線で聞いてくる。
「な、なんでいきなり指を舐めてくるかな!」
どうにかして出した言葉は叫びみたいな詰問だった。
『パフェが美味しかったのでつい』
「いくらなんでもおかしいよ!確かにおいしかったけどクリームを取った指をなめるのはさすがに引くよ!」
『店の中なので声のボリュームを抑えたほうがいいと思います。』
「あっ………!」
言われて周りを見ると私たちの席が注目を集めてた。
顔が赤くなっていくのを感じながらまた俯いてまう。
「うう……、秤くんのせいだあ……」
どうしたらいいんだというような顔で頭を下げて秤くんはオドオドしている。
恥ずかしくて顔を上げられないよ……。
『出来ることなら何でもしますから、顔を上げて下さい。』
目の前にいきなり携帯の画面が出された。
驚いたのと同じくらいに「何でも」という言葉に意識が行った。いあ、別にやましいことがあるわけじゃないんだけど。
秤くんにもし何かをしてもらうとしたら何が良いんだろうって思ったから。聞きたいこと、は普通に答えてくれたから聞いたら教えてくれると思う。
おねだりも秤くんが困ることじゃなかったら聞いてくれそうだ。ん?
「何でも、って書いたよね?」
私の質問に怪訝そうな顔をしながら頷く。
「じゃあさ」
それを確認して彼の特徴とも言えるソレを失くすようなことを言ってみた。
「携帯を使って、じゃなくて声で話さない?」
自分が普通じゃないってことを見抜かれていたことを忘れて言ってみたお願い、それが何かを起こしたっていことはなかった。ただ、ほんの一瞬だけ。ほんの一瞬だけど秤くんが醸し出していた雰囲気がこれまでと激変した。
本当に一瞬だったから見間違えかとも思った。
なんとなく意思が汲み取れてた顔が無表情になって、眼に映るはずの光さえ写らなくなった。絵の具で塗りつぶしたみたいに眼は真っ黒になってて
「………………っ」
眼だけくり抜かれたように見えた。マネキンや操り人形になったみたいに見えたから、一瞬でもそう感じた私は全身に鳥肌が立った。
『どうかしましたか?』
いつの間にかさっきまでと同じ雰囲気になってた秤くんが携帯の画面を見せる。
「……え?どうって、え?」
『ですから、残念ながらその頼みを聞くことは今はまだ出来ません。』
我に返って自分が彼に言ったお願いを思い出した。
「あ、そうなんだ……」
落差が激しくて鈍い反応しかできなかった。ていうか、一瞬だけすごく恐い悪夢を見た直後みたいな変に嫌な感じがあった。
『ところで、先ほど何か言いましたか?』
先ほど、っていうのは「なんで分かったの?」と聞いたときだと思う。
っていうか、いつの間にその話題が空気になってたんだろ。
私的にはけっこう重要な話題だったはずなんだけど……。
「なんで私が楽しんでるフリしてるって分かったの?」
バレちゃったからって何があるわけじゃないんだけど、家族くらいしか分からないはずのことをいきなり言われて無関心でいられるわけがない。
「………………」
今度は秤くんがうつむいた。けど私みたいな感情の浮き沈みでうつむいたとかじゃなくて、何かを考えるためにうつむいたっぽい。
少し時間がかかりそうだったから自分のデザートを食べながら待つ、さっきのことを考えながら。
私の中がこうなった理由まではさすがに分からないと思うけど、こっちが全然知らなかったのにクリティカルなとこをいきなり突かれると警戒してしまう。
ストーカーなのか探偵の真似事なのか、私から秤くんについて知ってることはないから全然分からない。もともとは顔も知らなかったんだから何かが分かるわけない。
……もう手詰まりだよ私。
考えがまとまったのか、秤くんは入力を始める。
入力は思ったほど長くなかった。見せられた画面には
『僕は生まれつきそういうものが分かるんです。何か理屈があったりするわけではないので納得は難しいでしょうけれど。』
と書かれていた。生まれつきだって言われてしまえばそれまで。理屈じゃないなら理詰めをしていっても曖昧な答えが返ってきそう。まあ理詰めで問い詰められるほど賢くないからどっちにしろ無理なんだけど……。
でも、だからって納得なんて出来ない。なんとなくっていうだけで、私の心がずっと抱えてる悩みを分かるっていうのは何か困る、気がする!
「じゃあ、証拠を見せて」
説明が出来ないなら証拠を見せてくれないと、この話題はさすがに流せない!
弧比視が「心見」のことを曖昧ながらも答えたのは、彼女に対して話してはいけないと言われていなかったからだ。
『どうして自分に関心を持ったのか』
という質問を弧比視にすることは先生にとって全くの想定外だ。彼の能力を簡潔に説明するのは難しいし、仮に伝わったとしても痛い人間としか思われない。先生でもそれくらいは分かっているからこそ、質問されることを予想していれば必ず口止めをしていたことだろう。予想することが出来なかったのは先生に舞園の性格が情報として不足していたからだ。
舞園についての情報を集めていた六条だけはこの事態を予測していた。店のパソコンにハッキングして、監視カメラの映像から二人の様子を観察しているので、自分の予想が当たったことをおおよそ理解していた。予想していて、確認も出来る立ち位置にいた六条がなんの助言もしなかったのは忘れていたということではない。
あくまで六条が予想できていたのは舞園がその質問をすることまでであり、そこから先は全く分からなかった。分からないからこそ知りたくなった。
「おもしろいことになりそう」
ただそれだけのために言わなかった。
それほど二人の様子に集中していたわけだが、だからといって他の情報から目を離すはずがない。
「……あん?」
弧比視が住む診療所に無断で取り付けたカメラに、もっとおもしろいことになりそうな出来事が発生していた。
「……クックック、こりゃあしばらくネタに困らずに済むかな?ま、これくらいは伝えといてやろうじゃねえか」
「全ては我が好奇の欲求がために」
「………………?」
ポケットに入れていた携帯が震えたので確認すると、六条からのメールだった。
何の気なく内容を確認する。
「……………」
わずかに顔を引き締め大急ぎでデザートを大口で食べ終える。
「ど、どうしたの?」
『すみませんが、ここからすぐに逃げなくてはいけません』
レシートと舞園の手を掴んで早々に会計を済ませた。
「ちょ、ちょっと待って……」
『時間がありません』
文字を見せて辺りを確認しながらも、どこかに向かうことをしない。
表情は何かを焦っているようで、何かを探しているようでもある。
スイーツのことを除けば常に冷静だった弧比視の慌て方に戸惑っている舞園は何も言えない。
『こっちです』
意を決したように手を引いてその場から離れ始めた。その直後
「コッッッッッッッッコローーー!!!」
つんざくような声が二人の背中に届く。と同時に握った手を離して弧比視は声の方向に走り出した。
弧比視と声、二人の距離が目の前まで迫った時、声の主の「桐壺」は孔雀のように両手を開きながら飛び掛っていた。
対して弧比視は手を桐壺の肩に添えた。腕も掴み、進行方向に投げ飛ばす。
桐壺はもともとの勢いもあってかトランポリンを使った体操選手のように高く飛んだ。
「え、えええ!?」
とても高く飛んだ桐壺の姿を視認すると、舞園の視界がブレた。
桐壺を投げてすぐに弧比視が走り出したからだ。彼が必死に走り去る間に背後で重い落下音が響く。そんなことには気にも留めず人ごみを走り続ける。
いくら桐壺が無茶なやつだと言っても一般の無関係な人間を巻き込まないはずだから距離は詰まらないはずだという公算があった。
しかし、彼女は予想の斜め上を走った。
冗談でも何でもなく、文字通り斜め上を走っていた。
「……………!」
桐壺は人ごみを避けて追いかけるなんて面倒なことをせずに壁を走っていた。
あえて人ごみを走っていた弧比視と舞園はみるみるうちに距離が詰められる。振り返るまでもなく走る音が後方の高い位置から走る音がする。地上を走るときと同じ軽い音がだんだん近づいてくる。
「どんだけ逃げても逃がさへんでえ!」
桐壺は気付けば並走し、あっという間に先回りをされてしまった。
ちょうど人混みが途切れたところで二人の前に立ちふさがった。着ているパーカーが風ではためいてヒーローのマントのようだ。
先回りをされて弧比視は脚を止めた、舞薗はつんのめったものの何とか転ばずに済んだ。
「嫌やなーココロ、そないに逃げんでもええやんか。うちとデートしてくれへんのに全然知らん子とデートしとるなんてひどいやん」
頬を膨らませて不愉快であることをストレートに伝えてくる。対して弧比視は無表情なまま呼吸を整え、携帯を操作する。画面を先生の連絡先にして彼女に見せる。
「ん?あの先生?ココロが読んでくれたんにおらんからどこおるか聞いてん。せやけどなんやめんどくさい言い回ししとったからちょっち手え出して教えてもろたんや。今はまだベッドで寝とるで」
どうやら何とかするということに失敗し、物理的に眠らされてしまったらしい。その上弧比視の現在地まで教えてしまい、計画に強大な支障が生じた。
無言のにらみ合う時間が続き、重い空気が漂う。
「そないにビビらんでもええやんか、別に取って食おういうわけやないんやから」
狐目で人懐っこい笑顔のまま桐壺は話しかけてくる。対して弧比視は携帯に一つの単語を入力してそれを舞薗だけに見せた。彼女はそれを読むには読んだがその意図を組み切れなかった。
桐壺の狐目が少しだけ開かれ、足は肩幅よりも少し広げる。素人でも分かるようなピリピリする殺気を放ち始め、だんだんと強くなってくる。桐壺のオーラっぽいものを感じ取った舞薗もさすがに察しがついた。
「そこの娘と『お話し』するだけやからさあ」
桐壺が何をどうするつもりなのか気が付いて、弧比視に見せられた画面の意味を理解した。ゆっくりと舞薗は来た道へ後ずさる。
パンッ
弧比視が一拍手するとそれを合図に舞薗が走り出した。NARUT〇の忍者みたいにゆらりとした動きで桐壺はそれを追いかける。
「・・・・・・・」
無言で行く先を立ち塞ぐ弧比視、それをにらみつける桐壺。
「どういうつもりや」
桐壺の質問にはやはり無言で返す。表情も見える感情もニュートラルで考えは全く持って読めない。何歩か歩いてもまだ数メートルほどの距離があるのに重い緊張感が漂う。
「・・・・・・」
弧比視はポケットに手を突っ込んで何かを掴む。そしてそれを空高く投げた。
「?」
高く投げられたソレは太陽の光で一瞬見失う、しかしすぐに落ちてきた。
キャッチして確認してみるとただののど飴だった。オレンジ味で桐壺的に好物ではあるものの意味が分からない。投げた本人を見ると
「・・・ねえ」
どこにもいなかった。周囲を見渡しても弧比視がいた方向を見てもどこにもいない。
飴に気を取られている隙に逃げられたようだ。このことに気付いて桐壺は立ち尽くす。先ほどまでの圧倒的な存在感は、オーラは霧散してしまっている。吹き抜ける風に揺れるのは彼女の髪だけだ。揺れた髪で表情が隠れてしまって周囲の人間にも見えなくなる。
俯いて棒立ちになっている桐壺を道行く人は不思議そうに見ているものの声をかけることはない。
「・・・ダメ、なの?」