東方紫苑録   作:霞音

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結約録5 『式が主を決める時』

 

 夢を見ていた。

 ずっと続く長い夢を。

 

 妖怪の始まりなんて小さく儚い人間の思いだ。それが形を持ち、意志を持ち。そうして私は生まれた。

 湖の畔で目を覚まし、同時に自分が何者であるかを理解する。そう、私は妖怪だ。

 

 ――水虎、それが私の俗称である。

 

 水を操る妖怪。力のある妖怪。

 秀でている妖怪が多くいるこの山において、私の力はすでに完成されていた。別段、それを誇ったことはない。その力を無差別に振りまいたこともない。だけど気付けば、私は一人だった。

 周りを見渡そうと、辺りには誰もいない。何時も私は一人孤独に、自分が生まれた湖に触れるだけ。水面に映る自分の顔はいつも、まるで泣き出しそうに歪んでいた。

 

 そんな私にも、大切なものが出来ると夢見てきた。

 いつか命に代えても守りたいと思えるような存在に出会えると信じていた。

 

 なんて馬鹿な夢を見ていたのだろう。

 鴉天狗ですら恐れる私の力。異物を恐れる生物の生存本能。それがある限り、私に近づいてくる存在などいるわけないのに。

 

 それでも私は意地汚く逃げていた。

 まだ死ねないと、傷を負いながら生き恥を晒しながらも逃げていた。その胸に抱いていた夢は変わらず、どれだけ孤独を知ろうと私は愚かにも願うだろう。

 

 どうか、私を受け入れてくれる者が目の前に現れますようにと。

 

 私が願うのは、ただそれだけである。

 もう一人は嫌なのだ。どうか、この孤独から私を救い出してくれ。ただそれだけを切に願う。

 

 

 紫苑が垣間見たその記憶。

 それは、一人の妖怪の、切なる願いだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「よろしいのですか紫様。紫苑様を放っておいて」

 

 そこは八雲家の居間。ちゃぶ台を挟むように向かい合う両者。住人である九尾の妖狐は、主であるスキマの妖怪へ疑問を投げる。

 

「紫苑なら大丈夫よ。ここからでも十分に、あの子と水虎の気配は感じ取れるし。何かあればすぐにでも向かえば間に合うわ」

「ですが……」

 

 もしものことがあれば。その言葉を、藍は飲み込んだ。

 あの妖怪のことについて、知っていることなど何もない。精々がその種族くらいだ。水虎と呼ばれる妖怪の中でも、あの個体はひと際力を持った存在だった。それこそ上級妖怪と呼んでも遜色ないレベルだ。鴉天狗一体と比較しても、それこそ逆に撃退してしまえるほどの実力を、あの水虎からは感じた。

 そんな妖怪が、紫苑と共にいる。まだ目を覚ましていないが、気が付くと何をするか分かったものではない。その出自の全てが不明なのだ。どのような倫理観を持っているかも不明である。もし、起きぬけに紫苑を襲うようなことがあれば。

 

「式神として契約を結んだとき、あの子は水虎――琥珀の過去を見たはずよ。それでも側を離れないということは、信頼しているのでしょう。娘が信頼するのなら、私も信じるしかないじゃない」

 

 湖の畔で涙を流していた紫苑。恐らくあの時、何かを見ているはずなのだ。それでも紫苑は、帰って来てからずっと琥珀の傍を離れようとしない。傷の手当を済ませると、引きこもるように自室から出てこなくなった。藍は止めたが、水虎の看病をすると言って聞かなかったのである。それから実に二日、琥珀はまだ目覚めていない。

 

「藍は心配性なのよ。もう少しあの子を信じてあげてもいいんじゃない?」

「いいえ、紫様の危機感が低すぎるだけです。紫苑様は貴女の娘だ。それに異形に愛されし人の子でもある。そんな存在、知識ある妖怪が放っておくはずがありません」

「ならばどうするの。檻にでも閉じ込めておくつもりかしら。そんなことは絶対に認めないわ」

 

 紫の教育方針はつまるところ、紫苑の自由を尊重した結果のものだ。そこに藍とて異論はない。だがそこで問題となってくるのが、紫苑の希少性。異形に愛されし人の子であり、妖怪の賢者である八雲紫の娘。その身柄を手にすれば、何が出来るかなど考えるまでもない。そんな存在から紫苑を守るためにも、藍はもう少し危機感を持ってほしいと訴える。それでも紫は、紫苑を拘束したくはないのだ。

 それはお互いがお互いに、紫苑を思った末の主張だった。

 

「……私だって、閉じ込めたくはありません。ですが、紫苑様に何かあればと思うと」

 

 もう紫苑は八雲家の家族なのだ。その家族にもしものことがあればなんて、考えたくもない。いくら妖怪とはいえ、紫も藍も人間らしい思考を持っている。だからこそ、お互いを否定しきれないのだ。

 

「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言うわ。そこまでするつもりはないけれど、あまり過保護だと子供は成長しない」

 

 だからこそ、今回の事は必要なのだ。あの存在を、紫苑が手懐けることができれば。

 

「これから先、あの子が夢を叶えるためにも。あの水虎の存在は必要不可欠よ。私たちは、あの子が傷つく姿を見守らないといけない」

 

 目を閉じ、紫は吐き出すようにこう言った。

 

「見守りましょう。あの子の戦いを」

 

 それが、八雲紫の選択だった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 目を覚ました水虎が真っ先に視界にとらえたのは、一人の少女の姿だった。

 

「……大丈夫? 痛くない?」

 

 その言葉は頭をすり抜けていく。

 

 それよりも頭に浮かんだのは疑問。ここはどこか、なぜこんな所にいるのか。そもそも、何でこんな所で寝ていたのか。その全てが弾けるように脳内で再生され、気付けば水虎は弾き飛ばすように、その右腕を振るっていた。

 

「キャッ!!」

 

 少女のか細い体など、妖怪の力の前には一溜りもない。障子を突き破り、その体が外へと放り出される。砂利の上を転がり、木にぶつかることによって、ようやくその動きが止まる。

 それを見ることなく、水虎はただ恐怖に震えていた。

 

「――なんで」

 

 脳内に浮かぶ、鴉天狗の姿。

 皆が自分を排除しようとしていて、誰一人として自分の声に耳を傾けてくれない。その姿が、自分を遠ざけた昔の仲間たちに被って――そして、

 

「……痛っ」

 

 痛みを堪えながら立ち上がる少女の姿とも重なった。

 

「なんでっ!」

 

 正しい判断なんて出来ていない。ここが何処かも分からない。ただ水虎は、恐怖のままにその力を振るう。

 

「待って! まだ動いちゃ――」

 

 その言葉を遮るように、振り下ろされる右腕。ほぼ水平に迫るその拳を、紫苑は懐から取り出した札を三枚、空中に展開することで迎撃する。三角形に浮かぶ札の間に出来るのは盾。それが水虎の一撃を受け止める。まさしく神がかったタイミングであった。

 

「重たいッ」

 

 盾は壊れることなく、だが衝撃までは殺しきれなかったようで。少女の体がまた軽く跳んだ。逃がさないと、追撃に入る。体勢を立て直せていない少女へ、今度は容赦なく右足を振りぬいた。

 

「あぁぁ!!」

 

 それは咆哮。自我を失くした暴走だった。

 

「なんで……なんでぇッ!!」

 

 私が何をしたというのだ。ただ一人孤独に、望まれるまま周囲と距離を取っていただけなのに。なんで殺そうとしてくるんだ。なんでこんなに痛いんだ。こんな理不尽、断じて許容できない。

 

 何処に向けたらいいか分からないその激情を、水虎はただそこにいた少女へとぶつける。

 

「みんな、壊れてしまえッ!!」

 

 振るわれるのは、ただ純粋な身体的な力だけ。それでもそれは、人間にとっては絶望的なまでに大きな戦力差を意味していた。

 先の蹴りで家の塀を突き抜けてしまった紫苑は、口から伝う血を拭いながら愚痴る。

 

「すっごく痛い……。お母さんも藍も、怒るだろうなぁ」

 

 家を壊してしまったのだ。きっとあの二人は怒るだろう。それに申し訳ないと思いながらも、今は見ないふりをする。

 そうしなければ、すぐにでも気を失ってしまいそうだったから。

 

「でも、まだまだ元気そうだね」

 

 見れば、こちらへと突貫してくる琥珀の姿が見える。絶叫するその姿は、まるで泣き叫んでいるように見えた。

 

「だったら、助けてあげないとね。主として」

 

 体はすでにボロボロだ。節々は痛み、立っているのだって辛い。だけどこの先、こんな経験はたくさんするだろう。ならばこんなことで、倒れるわけにはいかない。

 戦いなんて好きじゃないけど、守るための戦いなら我慢できる。

 

「全部ぶつけておいで、琥珀」

「――ッ!!」

 

 声にならない叫びと共に、展開した盾で逃しきれなかった衝撃が体を駆け巡る。脳が揺れ、足が浮く。それでも歯を食いしばり、倒れるようなことは無い。

 

 自我を失っているのか、今の彼女の攻撃は単調だ。それでも紫苑にとって、これは意図していなかった初めての実戦。攻撃することは愚か、これほどの暴威を防ぐことすら難しいはず。それでも何とか防げているのは、天啓のように囁く姿なき声のおかげだった。

 

『  』

「ラァァァッ!!」

 

 それに従うように、紫苑は大きく右に避ける。すると先ほどまで紫苑が居た場所に、大きな足が振り下ろされた。地面が陥没し、その場に留まっていれば今頃はミンチだ。

 その天啓が無ければ、紫苑は今も立っていることは出来なかっただろう。

 

「でも、いつまでもこのままってわけにもッ」

 

 今度は斜めから、叩き付けるように右手が振るわれた。それを躱し、先を考える。

 いつまでもこうしていれば、我慢の限界は必ずやって来る。そんな博打はできないし、今回はしくじるわけにはいかないのだ。

 ならば、どうするか。

 

 そうして繰り出される暴力を受け流すこと、実に十五。

 未熟な紫苑の呪術。受け止めた盾はひび割れ、これ以上はもちそうにない。ならば、やれることなんて限られている。

 

「――琥珀」

「アアァァァァッ!!!」

 

 腰だめで放たれる、突くような一撃。今までで一番力の乗ったその撃鉄を、紫苑は防がない。天啓を無視し、飛び込んでくる琥珀を受け止めるように両手を広げてみせた。

 

「……ッ」

 

 血が零れる。それでもその場から動くことはなく、紫苑は包み込むように琥珀を抱いていた。伸長差から抱き着くような形になってしまっているが、それでも紫苑は耐えてみせたのだ。

 琥珀の拳が触れているそこには、『盾』と書かれた札が一枚だけ。それが紫苑を守るように、間に入っていた。

 震える声で、紫苑は優しく語り掛ける。

 

「ごめんね、辛かったよね。遅くなったけど、迎えに来たよ」

「……」

「もう一人にはしないから。ずっと一緒にいるから。だからもう泣かないで」

 

 涙を流す琥珀の頬を、撫でるように這う紫苑の指。

 

仲間から化け物と忌み嫌われ、遠ざけられてきた妖怪の過去を見た。

何もしていないのに、腫物を扱うように遠ざける周囲の妖怪。いくら声を上げても、答えてくれる存在はいない。まるで深い沼に一人で沈んでいるような孤独感。まるでそれは、紫苑が昔にいた地獄そのものだった。

鴉天狗に追われているのを見て、察してしまったのだ。彼女は自分と同じだと。だから助けたいと思った。自分がここにきて救われたように、誰かを救いたいと思ったのだ。

 

「自分勝手だよね。だけど、気付いたら体が動いてたんだ。別に、貴女が嫌だって言うならこの契約だって破棄しても構わない。それでも、貴女が――琥珀がいいって言ってくれるなら」

 

 それは少女の独白だ。届かないかもしれないその言葉を、紫苑は意識が遠のく中で必死に紡ぐ。

 

「一緒に、私と生きてほしい。ねぇ、琥珀……」

 

 そうして、少女の体が傾いた。力を使い果たしたかのように、事切れたマリオネットのように、地面へと沈む。それを掴み上げる手は、大きく力強いものだった。

 

「……なんで」

 

 紫苑を抱え、水虎は言葉を漏らす。その瞳には色があり、何度となく発したその言葉も、意味合いが全く異なる。

 

「なんで、私なんかを……」

 

 こんな私を、助けようとしてくれるのか。

 

「――それは、貴女自身が理解しているのではなくて?」

 

 突然の声に身構える。紫苑を守るように、その小さな体を抱え込んだ。

 そこにいたのは八雲紫。風に金糸の束を靡かせ、彼女は刺すような視線を水虎へと向ける。

 

「よくもまあ、娘を痛めつけてくれたわね。キズモノになったらどうしてくれるのよ。お嫁に行けなくなるじゃない。まあもっとも、嫁に出すつもりはないのだけれど」

 

 言葉は軽いが、それでも先ほどから向けられている殺気は本物だ。脇に控える九尾の妖狐も、似たようなものを向けてきている。

 

「この子は貴女と同じ。この子が貴女の記憶を見たように、貴女もこの子の記憶を見たはずよ。なら、もう分かっているんじゃない?」

 

 そうだ。目を覚ます前、確かに誰かの記憶を見た。

 自分と比べれば遥かに短い時間の中、それでも黒く色づく少女のこれまで。自分と同じ、いやそれ以上に孤独を、痛みを知っていた少女。

 

「ここに来て、紫苑は明るくなった。それはこの子が必死に努力した結果だし、私たちは特に何もしていないわ。それでもこの子は、そう思っていない。だから返したいと思ったのでしょうね、貴女に」

 

 他者の痛みを誰よりもよく知る少女だからこそ、自分の痛みを知って助けようとしてくれたのだ。それこそ、気を失うほどの痛みを味わいながらも。思い出すのは、記憶に残る口上と、優しい光。

 

「自分のことを、楔だって」

 

 無理やり繋ぎ止めると、少女は辛そうに言っていた。

 

「それで、貴女はどうするのかしら。紫苑が言うのなら、別に貴女を放してあげてもいいのだけれど」

「……私は」

 

 その答えは、良く考えるまでもなくあっさりと出てきた。

 自分の一生を決めるであろうその選択を、水虎は迷うことなく口にする。

 

「アンタたちが邪魔だと言っても、私は紫苑を――主を守る。この命に代えてでも」

 

 ようやく手に入れた繋がりを、その温もりを、手放すことなどできるはずがない。自分の命をこの少女に捧げる。それが、琥珀の決意だった。

 

「そう、ならこれからは貴女も八雲の名を背負うことになる。主に恥をかかせないよう、精々気を付けなさいな。ほら藍」

 

 主に促され、藍はその殺気を僅かばかり和らげる。それでも口調は刺々しく、刺すような視線も変わらない。

 

「紫苑様が認めるのなら、私としても不満はない。よろしく頼む」

「というわけよ。紫苑は寝てるから、先に挨拶をしておくわ」

 

 そこで言葉を区切り、紫はただこういった。

 

「ようこそ八雲家へ。貴女が紫苑に忠誠を誓うなら、私たちは貴女を歓迎するわ。琥珀」

「ああ、よろしく頼むよ。色々と」

 

 腕に抱く存在に視線を向ける。小さくか細いながら、この人の子は愛情を教えてくれたのだ。

 

ずっと抱いていた夢。

命に代えてでも守りたい存在は、静かにこの腕の中にいる。これから何があろうとも彼女と共に。ただ、琥珀は静かにその体を優しく抱きしめた。

 

 

 

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