東方紫苑録   作:霞音

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来訪郷1 『新しい家族』

 

 

 

 家族とは何かという質問の答えが千差万別であるように、抽象的な質問の答えはみな一様にばらける。当たり障りのない答えをする者、言葉通りの意味を辞典から引っ張ってくる者、上手く言葉で表現することが出来ず抽象的な答えを返す者。その答えの正解は一つではないし、人の数だけ異なった答えがある。

 ならば逢坂朱音の答えは何なのか。

 

 一言で言い表すなら、『血の繋がった他人』である。少し普通の他人よりも暴力を振るって、その分自分を育ててくれる他人。それが、少女にとっての家族だった。

 

 例えば、家事を全てこなす代わりにご飯を食べさせてもらう。学校に行かせてもらう。家に住まわせてもらう。世間体によって捨てられることなく手元に置かれていたが、少女の存在は両親にとって酷く煩わしかったのだろう。だからそのはけ口に、少女へ暴行を加えた。それでも食事を与え、家に住まわせる。仕方ないから手元に置いておく。少女の両親が彼女を手元に置いていたのは、それだけの理由だった。

 

 ならば少女にとっての家族など、今更語るまでもないだろう。

 まるで家畜のような生活を送っていた少女にとって、家族など所詮は他人と同意であったのだ。だからその言葉に対する思い入れなんて欠片もないし、愛情なんて感情も持ちえていない。そもそも愛情を受けたことがない。

 

 そして、だからこそ驚いていた。

 眼前の女性が発した言葉、その意図を読み取ることが出来なかったのだ。

 

「いま、なんて……」

「だから、私の娘になる気はないかしら、と言ったのよ」

 

 畳敷きの広い部屋。

 障子の外は明るく、小鳥の囀りが時折聞こえてくる。部屋の端には高級そうな壺が置かれており、ここが如何に立派な屋敷であるかを伺わせた。

 

 現在の状況を説明するには、時間を少しばかり巻き戻らなければならない。

 雪の夜、朱音の前に現れた一人の女性。彼女に誘われてスキマを潜ったのが昨日の事だ。スキマはこの家の前へと続いており、そのまま何の説明もなく家へと招かれた。

 従者らしき九つの尾を持つ女性に服を引ん剝かれて風呂へと叩き込まれ、上がれば用意された寝間着を身に纏い、夕食をご馳走になって床へと就いた。つまり、現状について何一つ説明されていないのだ。

 今朝に呼び出されて、こうして朱音は八雲紫と顔を突き合わせているというわけである。

 

 聞き返した朱音に、紫は大事なことだと口を開いた。

 

「――逢坂朱音。私の娘になるのなら、その名前を捨ててもらうことになるわ。あと、別にこの申し出を断ったとしても、すぐに貴女を追い出すということは無いから安心しなさい」

 

 その言葉に、朱音は表情を歪める。

 申し訳ないが、朱音としては少しも安心できる状況ではない。

 自分で望んだこととはいえ、いくら何でも突拍子が無さすぎる。何処かも分からぬ場所へやって来たかと思えば、次は出会ったばかりの女性に娘にならないかと言われたのだ。十歳の少女には色々と処理しきれない出来事が立て続けに起こったのである。混乱してしまうのは無理なからぬことだった。

 

「あの、なんで紫さんは私を娘になんて……」

 

 そもそも何のメリットがあるというのだろう。

 見ず知らずの他人の子供を、自分の娘にするなどと。一般的に考えれば酷くおかしな話である。もっとも、八雲紫がその一般的な枠組みの中にいるのかは甚だ疑問だが。

 

「そうね、理由を聞きたいと思うのは当たり前かしら。強いて言えば、貴女が必要なの」

 

 返って来た答えに、朱音の内心は大きく揺れた。貴女が必要なんて言葉は初めて聞いたのだ。

 今まで誰からも必要とされてこなかった。むしろ不要だと言われ続けてきた少女に、紫の言葉が引っかかる。

 

「だから貴女が娘になってくれると助かるし、あの子も喜ぶと思うわ」

 

 二人ではこの家は大きすぎると、紫は小さく笑った。

 だから家族になろうと彼女は言う。普通に考えれば怪しい事この上ない話なのだが、少女にとってはそれよりも、紫の言葉が響いていた。

 

「……紫さんにとって、私は必要なんですか?」

 

 他の事はどうでもいい。大切な事はそれだけだ。

 真剣な瞳で問いかける朱音に、紫はこの問答の終わりが近いことを察した。だから、少女が望んでいるだろう答えを口にする。

 

「ええ、必要よ。異形に愛されし人の子(アマーター)、貴女の存在が私には必要なの」

 

 その返事が聞ければ、少女が迷うことはない。

 『血の繋がった他人』以外の家族の在り方を知りたいと、少女は紫の言葉に頷いた。

 

「私なんかでいいなら、よろしくお願いします」

 

 この瞬間、少女は今までの名前を捨て去った。

 紫の娘になるとはそういうことだ。だから紫は、自分の娘となった少女の名前を呼んでやる。

 

「ええ、こちらこそよろしく。紫苑」

「……紫苑」

「どうかしたの?」

「いえ、なぜか少し胸が暖かくなったので」

 

 その名前を呼ばれると、不思議と暖かくなった。

 前の生活では、生きたいと思えなかった。ここでなら、自分は生きたいと思えるようになるのだろうか。

 紫苑は新しくもらった名前を、何度も何度も小さく呟く。

 

「紫苑……紫苑か」

 

 その度に言い知れぬ温もりが胸を包む。

 眼前で嬉しそうに微笑む娘を見て、紫はただ笑みを深くするだけだった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 逢坂朱音改め八雲紫苑。

 しばらく自分の名前を呟いていた彼女に、紫は紹介しておかなければいけない人物がいると口を開いた。

 そう言われて紫苑が思い浮かべるのは一人。昨日に色々と世話を焼いてくれた従者と思わしき女性だ。

 

 そうして案内された台所にいたのは、やはり九尾の女性だった。

 

「藍、この子が首を縦に振ってくれたわ」

 

 台所で七輪の火加減を覗き込んでいた彼女。

 かけられた言葉に、彼女の視線が紫の脇に立つ紫苑へと向けられる。その視線に少し戸惑いながらも会釈すれば、それ以上に深々と頭を下げられた。

 

「よろしくお願いします、紫苑様。私は紫様に仕える式神、名を藍と申します。御用があれば、何でもお申し付けください」

 

 それは最敬礼。藍の突然の行動に慌てたのは、他ならぬ紫苑だ。

 元の家では畏まる側だったのである。突然そのように敬われても、紫苑としては戸惑うばかり。

 

「え、えっと……こちらこそよろしくお願いします。あいさ……紫苑です」

 

 間違えて旧名を口にしそうになり、慌てて言い換える。

 何年も使ってきた名前を、そう易々と捨てられるわけもない。

 だが藍はそんなこと気にもしないで、気に留めたのは別の所。

 

「紫苑様、私は紫様の式です。そして貴女は、そんな紫様のご子息だ。ならば、私に対して敬語など不要です」

「……そう言われても」

 

 相手は明らかに年上だ。それに、敬意を表すべき相手だと紫苑個人としては思っている。だからその言葉に頷くことは躊躇われた。

 そんな紫苑の葛藤を見て、紫は諭すように口を開く。

 

「まあこれも試練だと思って、頑張りなさい」

 

 言葉と共に、紫の腕が紫苑の頭へと置かれる。紫がかった黒髪は枝毛が目たち、梳くように動かせばすぐに絡まってしまった。それでも痛みがないようにゆっくりと髪を梳く紫に、紫苑はむず痒いと小さく身じろぎをする。

 頭を撫でられながら、それでも確かに頷く紫苑。その反応に満足したのか、紫は視線を藍の方へと向け口を開いた。

 

「紫苑、藍は九尾の妖狐でね。尻尾から火を出すことができるのよ」

「ちょっ、紫様そんな突然!」

「……尻尾から火?」

 

 紫苑の頭から手を放し、藍の尻尾を指さしながら紫はそう言った。

 主からの突然の無茶ぶりに、藍は大いに慌てる。背後に従える九つの尾は、そんな藍の内心を表すようにうねうねと動き回っていた。

 尻尾を見る紫苑の目に、僅かに喜色が宿る。

 

「ほら、藍」

「分かりました。分かりましたよ。やればいいんでしょやれば」

 

 主の言葉と紫苑の様子に、引くに引けないと悟ったのだろう。

 忌々しげに紫へ視線を寄越し、藍は渋々といった様子で七輪から少し離れた。

 

「よーく見ておきなさい紫苑。藍の一発芸なんて、滅多に見れるものではないわ」

「……尻尾が滑って紫様を火だるまにしてしまっても怒らないでくださいね」

「あらやだ、一発芸なんて軽い冗談に決まってるじゃない。そんなに怒ると、紫苑が怯えちゃうわよ」

 

 そんな紫の言葉に、藍はただ静かに一言。

 

「怒ってません」

 

 それは果たして主従の会話としてどうなのだろうか。

 先ほどまではカッコいい従者だった藍が、途端に芸人に見えてしまったのは紫苑の見間違いなのかもしれない。

 脅すように尻尾を揺らす藍は、次の瞬間には目を瞑り、

 

 目を開くと同時に、九つの尾全てに火が灯った。

 

「すごい……」

「ね? うちの式はすごいでしょう?」

「はい。藍ってすごいんですね……」

 

 紫苑の表情が驚愕に染まる。その目は少しばかり輝いていた。

 藍は向けられる二人の視線を受け止めながら、引火しないように尻尾を周りから離している。尻尾の動きに合わせて火が揺れた。

 

「今ので分かってもらえたと思うけど、藍も私と同じく妖怪なの。九尾の狐っていえば有名だと思うけど」

 

 まだ燃える尻尾の火。

 九尾の狐といえば、伝承などでも目にする有名な妖怪だ。絶大な力を誇る長寿の象徴。紫に言われるまでもなく、そのような存在は相対すれば紫苑には分かる。だが話せる妖怪とこれほど短期間で出会ったのは初めての事だった。

 

「この子は色々とやんちゃしててね。京の都をその美貌で描き回して、あげく石になってまで生き物を殺す暴れん坊だったのよ。今ではすっかり落ち着いて、ご覧の有様だけどね」

 

 視線の先には、尻尾から火を出しながらクルクルと回す藍の姿。そこには紫の語る悪事のかけらも感じられない。

 ただ話題に挙げられた本人は、米神を軽く引くつかせていた。

 

「あの紫さん。藍が怒ってるみたいなんですけど……」

「大丈夫よ。あの子は私の式だもの。主に暴力を振るうわけが……」

 

 次の瞬間、紫は目を見開いて腕を振るう。

 紫の前に開かれたスキマの中に、投げられた火が通過していった。紫がスキマを開いていなければ、その火球は彼女の顔に直撃していただろう。今頃は火だるまだ。

 一本の尾を振りぬいたような体勢で、藍は防がれたことを悟り小さく舌打ちした。

 

「――チッ、外したか」

「ねえ今、もしかして舌打ちしたかしら? したわよね」

 

 スキマを閉じ、静かながらも怒りを露わにする紫。

 そんな主の言葉に、藍は小さく頭を下げながら、思ってもいない謝罪の言葉を口にした。

 

「すいません紫様、手が滑りました」

「舌打ちしておいて手が滑った、ね。藍、やっぱり貴女良い性格してるわ。とりあえず表に出なさい。滅多打ちにしてあげるから」

「嫌ですよ。式神が主に勝てるわけないじゃないですか。負け戦はしない主義なんです」

 

 剣呑な雰囲気を醸し出す主従。

 そんな中、小さく噴き出す存在がいた。大妖怪と表現しても差し支えない二人の怒気に触れていながら、紫苑は笑みを浮かべてみせる。

 紫苑を見て、紫も小さくだが苦笑いを見せた。

 

「まあ、子供の前で喧嘩はよろしくないわね」

「そうですね。この辺りで止めておきましょうか」

 

 台所のギスギスした雰囲気が霧散する。

 紫は、脇に立つ紫苑の肩に手を置いて言葉を発した。

 

「とまあ、この家の家族は紫苑を含めた三人よ。これからはここを本当の家だと思って、自由にしてくれて構わないわ」

 

 紫の言葉に続くように、藍も口を開く。

 

「先ほども言いましたが、何かあれば私に仰ってください。家事担当は私なので」

 

 そんな二人の言葉に、紫苑は小さく頷いた。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 未だぎこちないながらも口を開く紫苑。

 だが少なくとも、今の彼女を見る限り、先ほどまで抱いていた警戒心や恐怖心はかなり解消されたようだ。とりあえずはこんなものだろうと、紫は〆の言葉を口にする。

 

「じゃあ、お話はこれでお終いね。それでは解散」

 

 こうして、紫による説明会は終了した。

 未だ仮初の家族の形。本物の家族というものを知らない少女がそれを知る日は訪れるのだろうか。これから築かれるであろうその姿を幻視して、紫苑はただ静かにその胸を高鳴らせる。

 

「本当の家か」

 

 少女が帰るべき居場所。本当の家。地獄から救われた少女は、無意識ながら貪欲にその先を欲する。外で得られなかった当り前の物を、ようやく少女は手に入れたのだ。だが少女にその自覚はない。自覚が生まれるのはもう少し先。

 

 ここから少女は、新しい生活を始めるのだ。

 

 

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