東方紫苑録   作:霞音

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来訪郷4 『母は娘の髪を切る』

 

 

 髪とは女の命である。

 男と異なり、女は髪の毛を大切にする生き物だ。長く伸ばせば伸ばすほど、髪の手入れは大変になっていく。手間暇かけて伸ばした髪に愛着が湧くのは自然な事だ。

 古今東西、女の髪は魔術的な側面も併せ持っており、外見的要因だけが存在意義ではない。そこに時間をかけたことによる愛着が合わされば、なるほど髪とは女の命だとする言葉も納得できるものだ。

 

 だがまあ、何事にも例外というものは存在する。

 外の世界で男が女のように髪を大事にする場合があるように、その逆もまた然り。大雑把で身嗜みに無頓着な女は、自分の髪になど執着しない。断髪された時に感じるモノなど何もないのだろう。

 それはいい。感性なんて人それぞれなのだから、大雑把で無頓着な女がいたって問題はない。

 

 だが、身嗜みという自由すら与えられていない女がいればどうだろう。

 そうあるように定められた女。髪型など伸ばすまま、邪魔になってくれば親の手によって適当に切られる。そんな女が世界にいるのだ。

 紛争地にいれば、それこそ髪型など気にする余裕はないのだろうが、それは日本という地に住む少女にとって異常なことだった。

 

 旧名、遠坂朱音。今は八雲紫苑を名乗る少女。

 彼女の頭髪の話が上がったのは、とある昼食を終えた後のことだった。

 

「ねえ紫苑、貴女の髪って外の世界ではどのように切られていたの?」

 

 八雲家の食卓に三人目の存在が当たり前のようになってきた今日、紫は紫苑の内心に一歩踏み込むことを決めた。

 

「えっと、一定期間で母に切ってもらってましたよ。だいたい前髪が目にかかってきたくらいに」

「まあ、そんなものよね」

 

 そう言う紫苑の髪は、腰まで届く長い黒髪だ。彼女が元いた世界で考えれば、それは長すぎると表現しても可笑しくはないだろう。

 紫苑のような小さい子供が、自分の髪を切れるわけがない。そもそも危なくて、一般的な親ならば刃物の類は渡さないだろう。その辺りはまだ、しっかりと教育されていたようで紫は胸をなでおろした。

 それでもその切り口は、良く言っても適当が精々だ。悪く言えば紫苑の母親は、娘に抱く負の感情を散髪という行為に込めていたのだろう。毛先は痛んで枝毛も目立つ。

 もっとも、当の本人は毛ほども気にしていないようだが。

 

「キチンと手入れすれば綺麗な髪になるでしょうに。もったいない」

「ですね。それは私も同感です」

「ねえ藍、貴女手先って器用だったっけ」

「残念ですが、それほど。散髪の経験だってありませんし」

 

 式に頼ることは断念する。かと言って、紫自身も手先は器用な方であるが、散髪の経験は皆無だ。紫苑を床屋に連れていくという考えも浮かんだが、彼女を外出させるのは時期尚早だと諦める。

 

「となれば、私がするしかないわよね」

「……何をですか?」

「何って、だから散髪」

 

 聞かれたから答えたというのに、それを聞いた藍は顔色を悪くして強く頭を振った。

 

「紫苑様を殺す気ですか!?」

「どういう意味よそれは。事と次第によっちゃあスキマに落とすわよ貴女」

「いえ、紫様だって散髪経験ないでしょう。いきなり娘でっていうのは、いくらなんでも……」

「じゃあどうしろっていうのよ」

 

 散髪しない。このまま、磨けば光るだろう原石を放置しておけと言うのか。そんなことは許されない。紫は妖怪の中でも、人間の感性を持つ存在だ。だからその行為が、いかに悪しきものかが理解できる。同じ女としてそんな勿体ないことは出来ないし、仮にも母親として娘が綺麗になれるのなら黙っているわけにもいかない。

 ならばどうするかと頭を捻る紫。そんな彼女の選択を決定づけたのは、今まで主従のやり取りを静かに眺めていた紫苑の一言だった。

 

「……別に、散髪なら自分でやりますよ?」

「何言ってるの紫苑。そんなことは許容できないわ。何より危ないし」

 

 信じられないとばかりに頭を振る。誤って皮膚を傷つけてしまえば大惨事だ。

 だが、そこまで言われては仕方がない。おずおずと進言してきた娘を見やり、紫は決意を固めた。

 

「決めたわ藍」

「はい。私もそれでよろしいかと」

「じゃあ決まりね」

 

 全て語る必要はない。たったそれだけで、主従は意思疎通を完了していた。

 紫苑を外へと連れていくのが時期尚早だという考えは変わらない。このままという案も、そろそろ前髪が目元にかかってきている彼女の現状では選べない。一人で散髪させることなど論外だ。となれば、残った選択肢など一つしかない。

 

「紫苑、お昼の後に少し時間をちょうだい――私が切るわ」

 

 そうして、紫による散髪が決定した。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 さて、幻想郷における散髪は外の世界と大差ない。

 ハサミはこちらにも存在するし、その手の知識についても紫は持ち合わせていた。伊達に妖怪の賢者を名乗っているわけではない。

 そんなわけで、問題があるとすれば本人の技量だけ。娘の髪を生かすも殺すも、紫次第ということだ。今まさに、生殺与奪権は己の手の中にあった。

 

「……紫様、本当にやるんですね」

「当然でしょう。退路なんて存在しないわ」

 

 先の言葉通り、紫苑は午後の家事など全てを放り出して目の前の椅子に腰かけている。今は後ろを向いているので、紫の視界には長い黒髪が垂れ下がっていた。その髪を一房手に取り、スキマからハサミを取り出す。それを見て藍から投げられた問いは、まさしく最後の確認というやつであった。

 主の決意を聞き、従者も相応の言葉を返す。

 

「私も手伝います」

「ええ。サポートは任せたわよ」

 

 主従は覚悟を決めた。

 今この場に藍がいれば、誰が家事をやるのかという問題はとりあえず捨てておく。今重要なのは、この局面を乗り越えること。ただそれだけだ。ならば藍の存在は必要不可欠である。

 自分の後ろで不穏な会話をする二人に不安を感じたのか、振り向くことなく紫苑が声を上げた。

 

「あの……本当に大丈夫ですか? あれなら私が自分で……」

「それ以上言わなくてもいいわ。大丈夫よ、私を信じなさい」

「……お願いします」

 

 それ以上、紫苑が言葉を発することはなかった。それは信頼からか、はたまた別の何かなのか。ともあれ、いよいよ紫は手に持つハサミを紫苑の髪へとあてがった。

 

「……いくわよ」

「お願いします」

 

 ごくりと、誰かが喉を鳴らす音を聞いた気がした。

 意を決して、紫は紫苑の髪を切り始める。手を通じて感じる確かな感触に、紫は声にならない悲鳴を上げた。

 

「~~!!」

「紫様、気をしっかり持って! まだ始まったばかりです!」

 

 藍の声にも満足に答えられない。それほどの集中状態。八雲紫、今世紀最大の集中力である。

 目は見開き、手は僅かに震え、目元はおぼつかない。見る者が見れば、心配して病院を勧めるレベルの表情。それでも紫は弱音を吐くことなく、そのハサミを動かしていく。落ちていく髪を、紫のスキマが受け止めていた。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ紫苑様、安心してください。順調に進んでいます」

 

 そんな主に代わり、紫苑の相手をするのは藍だ。

 心配そうな声を上げる紫苑に、藍は微笑んで見せる。ただ紫苑が心配しているのは髪のことではなく、紫の状態。別に髪型など気にしないし、もしあれなら男の子のようにバッサリと切ってくれたって構わない。

 それでも紫にとって、紫苑は息子ではなく娘なのだ。その髪を切っているというのに、どうしてリラックスすることが出来ようか。

 

「……あの、紫様」

 

 ただ、集中しすぎるとあまり良いことは無く。

 従者の呼びかけに、紫はようやく現状を把握する。

 

「……切り過ぎた」

 

 腰まで伸びていた紫苑の黒髪。それが今では、首が見えるほどにバッサリと切られていた。

 スキマの中にはたくさんの髪が蓄えられていることだろう。その事実に、紫はその場で震えた。

 

「どうしましょう……」

 

 切ってしまったものは元には戻らない。死んだ人が戻ってこないように、それは覆せない事実。八雲紫は、己が犯した失態を悔いていた。

 ただ紫苑本人は、藍から手渡された手鏡を見ると瞳を輝かせる。

 

「うわっ、すごいスッキリしてる」

 

 軽く髪を触る紫苑。まだ枝毛は見られるものの、これからのケアで艶を取り戻すことも可能だろう。

 紫は落ち込んでいるが、客観的に見て成功と称しても問題ない出来であった。

 

「ほら紫様、顔を上げて」

 

 藍は、わなわなと肩を震わせる紫を助け起こす。

 背中を優しく摩ってやれば、紫はようやくその顔を上げた。

 

「失敗ではないですよ。確かに少し切り過ぎたかもしれませんが、こちらの方が紫苑様に似合っていると思いませんか?」

 

 そう言って、藍は紫苑の正面へと紫を連れてくる。

 肩までの長さで切りそろえられた紫がかった黒髪を、同色の和服が際立たせている。可愛らしい顔立ちと合わさって、紫苑は以前に比べてさらに愛らしくなっていた。

 

「なるほど確かに、これは成功かもしれない」

 

 その事実に、紫は人知れず安堵する。

 だが八雲紫は器用な妖怪だ。彼女が本気になれば、大抵のことは片手でやってしまうだろう。その彼女が両手を使って本気を出したのなら、結果は分かり切っていたことだった。

 

「これなら、次からも私がすればいいかしら」

 

 そうすればスキンシップも図れるし、一石二鳥だ。

 二度目ということで、次からはもう少し手際よくも出来るだろう。

 

「……その時はまた、お願いします」

 

 そんな紫の考えに、僅かばかり表情を歪めて紫苑は言葉を発した。

 彼女はまだ遠慮しているのだ。何せ、外の世界で他者に何かをしてもらうという経験をまったく積んでいないのだから。だから紫の言葉に躊躇ってしまう。

 だがそれでもいい。長年にかけて染みついた感情を、今すぐに取り除くことなど不可能だ。紫が歩み寄ることを止めなければ、紫苑が心を開いてくれる日も訪れるだろう。

 

 そうして、紫による散髪は無事に成功した。

 これからは毎回、紫に髪を切ってもらうことになる紫苑。それに伴って、紫の散髪の腕がプロと遜色ないレベルにまで昇華されるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 皆が寝静まった宵の中、目を引く金が輝き広がる。

 月明りだけが唯一の光源であり、それが彼女の髪を美しく照らし出していた。庭から空を仰げば、かつて屈辱を味わった月が顔を覗かせている。それに思うことは色々あるが、それはまた別の話。

 妖怪にとっては夜こそが領域。紫ほどの大妖怪であっても、その大前提は変わらない。だが、眠れず血が騒ぐことは稀有であった。だからこうして、このような夜中に庭へと足を運んだのだ。

 火照った体を冷ましてくれと、吹き抜ける冬の風に願いを託す。

 

「……どうしたらいいのかしらね」

 

 夜だからとか、血が騒いでいるからとか、そんなものはただの言い訳だ。紫だって分かっている。もちろん、多少なりとも影響を受けているのは本当だ。だがそれが全てではない。

 原因は至って簡単。午後に行った紫苑の散髪。髪の毛を切るという行為に対して、紫苑が見せた反応が脳裏に焼き付いて離れない。

 

「怖がっていたわね、あの子」

 

 髪の毛にハサミをあてがった時、紫苑はほんの少し体を強張らせていた。

 だがそれは別にいい。刃物を無防備な背後から突き付けられているという状況を恐れることは、至極当然のことだ。自然な反応である。だがそれよりも、肩辺りまで髪を切ったことによって視界に入った紫苑の首筋。そこには多くの切り傷が刻まれていた。それは恐らく、過去に受けた暴行の痕。それを見せつけられ、紫は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 分からない。最初はただ、その珍しさから手元に置いてみたいと思っただけだった。だが日を重ねる度に、紫苑に対する想いは増していく。これはきっと愛情と呼ばれるもの。母親が娘に抱く、ごく当たり前の感情だ。それを妖怪であり実の母でもない自分が感じているという事実。それは賢者と称される紫をもってしても、理解し難いことであった。

 

「……ええ、そうね紫苑」

 

 認めよう。八雲紫は、紫苑に対して母親としての愛情を抱いている。それは別におかしなことではないし、悪いことでもない。むしろ、人道的には好ましいことだ。

 だが、その原因が分からない。なぜ自分は彼女に愛を感じるようになったのか、なぜ彼女が自分と距離を置いていると感じることが苦痛なのか。紫はその、理由が分からない現象に戸惑っていた。

 それでも浮かぶ、娘の怯えた表情。未だに元の世界から抜けだせていない彼女を、助けてやりたいと思う。

 

「これが、母親というものなのかしらね」

 

 理屈や理由抜きで、無条件に子供を愛する。その成長を願い、傍でその後押しをしてやる。

 ならば、やるべきことがあるはずだ。真の意味で母親となるために、はっきりさせておかなければならないことがある。

 この世界のあり方を教え、そして彼女という存在の価値を教え、真の意味で選ばせる。八雲紫の娘になるのか否かを。それを経て初めて、彼女は真の意味で紫の娘となる。例えその人生に多くの困難が待っていると知っても、その道を選んでくれたなら。

 

「私は全力で、貴女を愛し導きましょう」

 

 それは願いにも似た宣言だった。

 月が照らす夜の中、風を体で浴びながら紫は祈る。どうか、あの子が良い未来を選択できますように。そしてその結果、自分の元に留まる選択をして欲しいと。

 

 妖怪の賢者、スキマ妖怪八雲紫。幻想郷において重要な立場にある彼女の跡を継ぐ存在が生まれるのは、この翌日のことであった。

 

 

 

 

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