東方紫苑録   作:霞音

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結約録2 『潜在能力』

 

 

 

 呪術と呼ばれるものがある。

 古の日本に馴染み深いそれは、異能の名前だ。魔法や魔術といった西洋の異能よりかは、こちらの方が日本人にとって親しみが湧くだろう。お札や針といった道具を思い浮かべる人間も多い。その根本は魔法や魔術の類と変わらない、異能であるということだ。江戸時代に存在した陰陽師という職を持つ人間も、これと似たようなものを使っていたと考えられている。

 そんな呪いであるのだが、これは別に空想上の異能などではない。外の世界では既に存在しない技術であるが、幻想郷においてはまた別だ。

 

 真冬の寒いお昼時。

 気温一桁という地獄の中、藍による呪術講座が開かれていた。

 

「さて紫苑様、本日から貴女に呪術を学んでもらうわけですが……」

「あのさ、藍」

 

 そんな藍の開幕の一声を、紫苑は表情を歪めながら遮った。

 

「なんですか?」

 

 藍の問いに、紫苑は身震いを一つ。そしてただ短く一言だけ。

 

「……寒い」

 

 ブルブルと震える紫苑。身に着けているのは何時もの黒い和服だ。別に薄着というわけではないのだが、それを差し引いても外の気温が低すぎた。歯の根が合わない紫苑の様子を見て、藍はただ一言。

 

「我慢してください」

「いや無理だから」

 

 妖怪である藍は寒さや暑さには強い。だから人間である紫苑が、なぜこれほどまでに震えているのかが分からないのだ。

 それでも紫苑がそう言うのなら中止してやりたいのだが、やむを得ない事情というものがあった。

 

「ですが、紫苑様には可及的速やかに、自衛できるほどに成長してもらわなければなりません」

 

 そう、妥協できないのだ。

 八雲紫の娘として跡を継ぐと決めた紫苑。そんな彼女には、これから先も幾多の困難が待ち受けていることだろう。ならば最低限の防衛力は付けてもらわなければならない。

 そんなわけで、このような寒空の下、紫苑は震えながら庭に立っているというわけだ。

 

「今回は紫様が外出しておりますから、私が講師を務めさせていただきます。いいですね?」

 

 そういった事情も全て、紫苑は紫から聞き及んでいる。だから紫苑も断ることなど出来ず、寒さに震える首を動かして何とか頷いた。

 

「でも、藍って呪術なんて使えるの? 式神なんでしょう?」

「もちろん使えますよ。以前に見せたこれだって、呪術の一つですし」

 

 そう言って、藍の尻尾に火が灯った。

 

「それにこう見えても私、善盛期の江戸で暴れまわってたんですよ。呪術の一つや二つ使えないと、今頃ここにいません。陰陽師どもに退治されています」

「どれだけ過酷だったの善盛期の江戸……」

「一言で言い表すなら、乱世三国時代でしょうか。日常的に火の玉やらが飛び交っておりました」

「怖いね江戸時代って」

 

 もうそれは一種のホラーだ。割と愉快だったろう当時の江戸を思い浮かべて、紫苑は顔を青ざめさせた。対して藍は、尾の火を消して言葉をつづける。

 

「付け加えると、現在の幻想郷もわりと似たようなものですよ。異能持ちがごまんといます」

「……人外魔境」

「言い得て妙ですね。妖怪だけに」

 

 以前紫にした宣言が、僅かばかり霞んでしまうほどの衝撃的事実。そのような世界で生きていかなければならない紫苑の向かう先は、果たして何処なのか。幸先が悪いなんてものではない。一寸先は闇という心境だ。

 ただまあ、決意をしたからにはやらないといけない。紫苑には、引き返すという選択肢なんて存在しないのだから。

 

「さて、まずは雑学からですね。紫苑様は”異形に愛されし人の子”というものをご存知ですか?」

 

 話を戻すように、藍は言った。

 その言葉には聞き覚えがある。最初に紫と会った時に一度、それから日常にちらほらと顔を出していた単語だ。

 

「聞いたことだけなら。でも、意味までは分からない」

「まあそうでしょうね」

 

 そして何を思ったのか、藍は手のひらに水の塊を作り上げた。

 

「呪術を使うのに必要なのは霊力です。それを一般的な呪術師は、己の体内で生成された物だけを使います」

 

 つまり、今藍が手に遊ばせている水球を作り出したのは、藍自身の霊力ということ。そのやり方や過程が紫苑には分からないが、まだ説明は始まったばかりだ。

 

「霊力を持つ人間は限られています。言ってしまえば、一つの才能でしょうか。ですが、稀にいるんです。そんな霊力を持つ人間の中に、異形に愛され、神の祝福を受け、妖精に見初められる存在が」

 

 世の中に数多く存在する異形の数々。その全てから生まれつき、無条件で好かれる稀有な体質の持ち主。選ばれ、祝福を受けた人の子。それが”異形に愛されし人の子”。

 

「端的に言うなら、選ばれた人間。その特徴としては、紫苑様のように外の世界において異形を目にすることができることです」

「え、でも。お母さんは、ここに住む人間は妖怪が見えるって言ってたよ」

「それは紫様がそのようにこの世界を作り上げたからです。ここの人間が外に行ったとして、そこに存在する妖怪を目にすることはできないでしょう」

 

 八雲紫が掲げる幻想郷の在り方とは、人も妖も共に暮らせる世界。ならば人が妖を視認できるというのは、最低限の条件であった。

 しかしそんなものはこの雑学においてあまり重要ではない。紫苑にとってはそうでもないのだが、今回の目的はあくまで自衛の術を習得することだ。重要なのは次。

 

「それに、”異形に愛されし人の子”には他に一つ、特筆すべき点があります。彼らには、霊力の底が存在しません」

 

 本来なら人によって異なるが、必ず存在する霊力の生成限界。そしてそれは、妖怪であっても例外ではない。つまり、いくら霊力をたくさん持っていようとも何時かは尽きるのだ。藍だって、火や水球を何度も具現させていれば何時かはガス欠を起こしてしまう。

 だが、”異形に愛されし人の子”はその限りではない。

 

「そもそも霊力というものを生成できるのは、人間だけでなく妖怪や妖精だって同じです。私たちのような異形は、人よりも多くの霊力を生成でき、それを空気中に垂れ流しているのです」

 

 そして”異形に愛されし人の子”は、それを取り込んで自分の霊力にかさまししてしまう。空気中に漂う霊力は無尽蔵。それを自由に使える”異形に愛されし人の子”は、文字通り無限の霊力を宿しているのだ。

 

「ただまあ、体の方に吸収限界がありますけどね。だから取り込むのなら、その辺りを見極める必要があるのです」

「……取り込みすぎると、どうなっちゃうの?」

「破裂します」

「なにそれ怖い」

 

 風船のようなものだ。空気を入れすぎると膨らんで、やがては破裂する。

 

「そうならないためにも、紫苑様には己の貯蔵限界というものを知ってもらわないといけません」

「それを今から?」

「ええ。こればかりは体で覚えていただかないといけないので。誰かが見ておかないと、失敗すれば大惨事ですから」

 

 自分が風船のように破裂する様を想像して、紫苑は小さく震えた。

 そんな彼女を安心させるように、藍は軽く微笑んで見せる。

 

「なあに、私が見ているので心配は要りませんよ。それではこれを」

 

 そう言って手渡されたのは、一枚のお札だった。

 表面に「吸」と書かれたそれの意味が分からず、紫苑は首をかしげてみせる。

 

「これは?」

「呪術用の札です。霊力を込めれば発動するタイプの札で、効果としては霊力が吸収されるようになっています。あとは集中して、空気中から霊力を集めていただければ、自然と己の限界も計れるでしょう」

 

 さらには霊力というものも肌で感じることが出来て一石二鳥。これが終われば、すぐに実践へと移ることができると、藍は言う。

 ただそのようなことを言われても、紫苑にとって呪術など空想上の異能。とてもではないが、藍のように呪術を扱っている自分など想像できなかった。

 

「とりあえずは座って、集中してみてください。”異形に愛されし人の子”である紫苑様なら、すぐに分かるはずですから」

「……頑張る」

「その意気です」

 

 言われるままに庭へと腰を下ろす。和服が汚れてしまうが、今回ばかりは仕方がない。

 そうして座り目を閉じる。ひと際強く吹いた風に体を震わせながら、藍が眼前で尾をうねらせている音が聞こえた。

 

「集中してください紫苑様。他の一切を気にすることなく、ただ彼らの音にだけ耳を傾けるのです」

 

 寒さを感じ、要らぬ音を拾うのは、まだ集中しきれていないから。

 全てを意識の外へと追い出す。音が消え、風が消え、やがては自分すら消える。完全な暗闇で、紫苑は確かにその音を聞いた。

 

『”異形に愛されし人の子”』

『愛しい”異形に愛されし人の子”』

『我らの”異形に愛されし人の子”』

 

 その言葉を受け入れるように心を開いてやれば、世界が津波のように自分の体の中へと流れ込んできた。突然のことに驚いて両眼を見開く。見れば、周囲は風が吹きすさび、光る糸が紫苑へ向けて何本も伸びていた。

 

「……なに、これ」

 

 突然のことに漏れたのはそんな言葉。次いで感じる息苦しさ。まるで海の底にいるかのように体が重く、そして何より苦しい。体が何倍にも膨らんだのではないかというほどの感覚が、紫苑を蝕む。

 そうか、これが。今、自分の体に流れ込んできているのが霊力。

 

「紫苑様! 札を!!」

「――!?」

 

 藍の言葉に、呆然と事を眺めていただけの意識が覚醒する。

 このままでは破裂してしまう。見れば、右手には先ほど渡された札が握られていた。霊力というものを知った紫苑には、その使い方が感覚で理解できる。流れ込んでくる霊力を、余すことなく札へと注ぎ込んだ。

 そうすれば、札は強く輝きだす。

 

「くっ!」

 

 次いで感じるのは、札に霊力を吸われている感覚。まるで生気を吸われているかのように、徐々に体が重くなっていく。先ほどとはまた違った重さだ。だが、次第に息苦しさは緩和されていく。そうして札が輝きを失い、同時に木っ端みじんにはじけ飛んだ。

 

「――あっ」

 

 それと同時に倒れこむ、紫苑の体。それをどうすることもできず、地面にぶつかりかけたその時。横から駆け寄って抱き留めてくれた存在がいた。

 

「……藍」

「お疲れ様です紫苑様。お見事でした」

 

 喋ることすら億劫な様子の紫苑を見て、藍は満足げに微笑んでいた。

 そうして紫苑を抱きかかえるように縁側へと連れて行き、ゆっくりと寝かせてやる。札を握っていた右手を見て、藍は言葉を発した。

 

「まさか私が作った札が耐えきれないなんて。紫苑様のキャパシティーは相当なものですね。これなら、もしかすると私を凌ぐ呪術師になれるかもしれません」

「あはは……ありがとう」

「それで、お体は大丈夫ですか?」

 

 問われ、紫苑は体を起こしながら頷いた。

 紫苑が見舞われたのは、極度の霊力不足。札に霊力を吸われたことによって、疲労が溜まってしまったのだ。そして、霊力がすぐに元に戻る紫苑の体質。彼女は自分で、霊力を調整して取り込んでみせた。

 

「まあ、一応。まだ少しだるいけど、もう大丈夫」

「さすがは”異形に愛されし人の子”ですね。もうすでに霊力の調整と吸収が出来るなんて。霊力の扱いにおいて右に出る者はいないとまで謳われた西洋発症の存在。その言葉は伊達ではないようだ」

 

 そこまで言って、藍は考える。

 とりあえずは霊力が暴発するという危険性は消えた。紫苑も疲労しているし、ここで止めてもいいのだが。翌日に本格的なものへ移行しても問題はないだろう。

 紫苑に決めてもらおうと思い口を開きかけた藍を遮るように、紫苑は言葉を発した。

 

「ねえ藍、次にいこう」

「いいのですか? もう本日のノルマは達成していますし、今日はもう終わりにしても」

「声が聞こえたんだ。私はもう少し、その声を聴いてみたい」

 

 まるでおもちゃを貰ったばかりの子供のような、それでいて覚悟の備わった表情。浮かれているのではない、使命感からでもない。ただ純粋に、紫苑はその声が聞きたかったのだ。

 それを察し、藍もならばと頷いて見せる。

 

「では、もう少し。本格的な講義に移っていきましょうか。私もあのような才能を見せられると、講師としての血が騒ぐというものです」

 

 己を超えるやもしれぬ人間の存在。それが藍をざわつかせる。彼女が呪術師として完成すれば、大妖怪にだって匹敵する力を有することだって夢ではない。紫が紫苑に抱いた夢が実現するかもしれないのだ。それを見ることが出来るかもしれないと思うと、不思議と喜びが沸き上がってくる。

 

「では、次に行きましょうか」

 

 新たな札を取り出す藍。その表面に書かれているのは「斬」の一文字。

 今の紫苑ならば、すぐにでもその札を使用することができるだろう。それを手渡された紫苑は、ただ小さく呟いた。

 

「……もう一度」

 

 こうして、藍による呪術講座はまだ続く。

 日が暮れるまで続いたそれは、紫が帰宅し、食事の催促をされるまで続いたのだが、それはまた別の話。

 八雲紫苑は、呪術師としての道、その第一歩を踏み出したのだ。

 

 

 

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