三輌のCVが森の向こうに消えていく姿を、カルパッチョはセモヴェンテのハッチから頭だけを出して見つめていた。森に潜むアンチョビはもちろんペパロニたちも稜線の向こうであり、見つかることはないだろうが念のためだ。
「すごいよねぇ、うちらのコンシリエーレは。こんなに作戦がドンピシャだと気持ちいいよね」
「なー? CVをフラッグ車にするって聞いたときはびっくりしたけどさ、それでここまでドゥーチェを追い詰めてんだからもっとびっくりだよ。姉さんたちも今頃慌ててんだろうなー」
車内から操縦手と砲手の雑談がカルパッチョの耳に届く。ペパロニたち敵CV隊はカンネリーニ隊に足止めを食らい、残るアンチョビのセモヴェンテと護衛CVは森の中で封殺している。自分たちのチームが優位に立っている今、彼女たちはすっかり余裕の態度を現していた。
「そうね、もう勝利は目前だわ。私たちがしくじらなければ、ね?」
カルパッチョは車内に身を潜り込ませ、彼女たちの背後から雑談に加わった。たおやかな笑みを添えたカルパッチョの言葉に、彼女たちの会話は凍りついたように途絶えた。
カルパッチョは、ふぅ、っと息を吐くと、自分が扱うことになる砲弾を撫でながら乗員たちを戒める。
「まだ演習は終わったわけではないのよ? みほさんが上手く事を運んでも、私たちが砲撃を外せば全部無駄になるわ。コンシリエーレの信頼を裏切らないようにね」
「は、はい!」
「すいません……!」
乗員たちの間からすっかり気の抜けた空気は消え去っていた。普段から物静かで穏やかな気性のカルパッチョ。彼女が本気で怒った姿を見た者はなく、だからこそ怒りに触れてしまった者の末路は想像も出来ない。
その細い腕でセモヴェンテの75mm砲弾を軽々と扱う様を間近で見てきた彼女たちにとって、カルパッチョを怒らせることは何よりも恐ろしいことであった。
すっかり静かになった車内、カルパッチョは再びハッチを開けて車上に頭を出した。未だ何も動くものが見えない森に視線を向けながら、カルパッチョはみほのことを考えていた。
自身の乗るフラッグ車を囮としたかく乱と陽動、CVによる要所の偵察、そして最後まで隠蔽したセモヴェンテによる敵フラッグ車の狙撃。地形と車両の特性をよく把握していなければ立案出来ない作戦だ。
この演習にはみほの実力を試す目論見もあるとカルパッチョは読んでいた。そして彼女自身もアンツィオ戦車道チーム副隊長として、西住流家元の家系に生まれ強豪黒森峰で副隊長を務めたみほの能力に興味を持っていた。
一昨日の様子からやるとは思っていた、だがそれは過小評価だったらしい。わずかな時間で作戦を立てた立案能力もそうだが、何よりも移り気なアンツィオの隊員を掌握し作戦を遂行させる指揮能力。前線に立ってのそれはドゥーチェであるアンチョビを超えているようにさえ思えた。
「全く、ドゥーチェはどうするつもりなのかしらね」
そんな実力者がチームに加わるというなら副隊長として願ってもないことだ。しかしカルパッチョ個人としてはあまり気乗りがしなかった。みほの指揮で戦っていても、あまり楽しいとは思えなかったからだ。
カルパッチョは小さくため息をついて車内に戻った。乗員たちに注意しておきながら、自分が一番集中できていないようだった。そうして音を立てないように天井のハッチを閉じてからしばらく経った頃、遂にみほからの通信が届いた。
みほの声を聞き高揚と緊張に包まれる車内で、やはりカルパッチョの纏う空気だけはどこか冷めていた。カルパッチョは一昨日以前とはまるで違う、追い立てられているような余裕のないこの声が気に入らなかった。
鈍重な自走砲が深い森を軽快に駆けていく。まるで木々が自ら道を開けるかのようにその走りは滑らかだ。
セモヴェンテはアンツィオの数少ない有力な戦車である。当然それを操縦する隊員はチームの中でも選りすぐりの技量を持つ者が配置される。いや、14tを超える戦車でナポリ・ターンを決められるような技量の持ち主は高校戦車道チーム全体で見ても稀だろう。
だが、今操縦桿を握る隊員の表情に巧みな操縦を誇るような余裕はない。
「アンチョビ姉さん、また前に出て来やがった!」
「クソ!」
「落ち着け、撃つなよ! 右に転回!」
車上に身を乗り出すアンチョビの指示で、セモヴェンテの車体が激しく横滑りしながらその進行方向を変える。襲い掛かる遠心力を身体全体に力を入れて耐えるアンチョビの正面に、自車両と並走していたCVの側面が映った。
操縦手の狭い視界にもそれが映る。ブンブン揺れるポールアンテナのようなフラッグ、みほの乗るCVだ。だが砲手がその射界に捉えるよりも早く、CVは相対する向きに旋廻してセモヴェンテの脇をすり抜けていく。
「駄目だ、狙えねぇ!」
「いいから! おい、進路そのまま!」
アンチョビの指示で操縦手は思わずCVに追従しそうになっていた腕の力を何とか抑えた。それを煽るように背後から機銃弾が跳弾する甲高い音が響く。
「落ち着けってば! ただの嫌がらせだ! 左、転回!」
執拗に銃撃を加えてくるCVに苛立つ乗員を宥めつつ、アンチョビは続いて指示を出す。後はさっきの焼き直しだ。一瞬だけ敵フラッグ車を正面に捉えるが、攻撃を加える機会を得る前に逃げられてしまう。
アンチョビのセモヴェンテは未だに一発の砲撃も行えていない。だがそれはある意味僥倖だ。砲撃を行えば装填手も兼ねるアンチョビは周囲の観察と指示を出せなくなってしまう。車長が指揮に専念できない三人乗り戦車のセモヴェンテの欠点だ。
『ドゥーチェ、やっぱりここはうちらが』
「我慢してくれ、ここでお前たちが抜けるとフラッグ車が丸裸になる。本命のセモヴェンテはまだ影も形も見えないんだぞ』
アンチョビに護衛のCVから嘆願にも聞こえる通信が届いた。今彼女たちはアンチョビの指示でセモヴェンテを自分たちの盾にする形で走っている。護衛という役割でありながらその対象に守られる現状は彼女たちにとって不本意なものだった。今すぐにでも反転して追撃してくる敵車両に反撃を加えたいというのが彼女たちの願いである。
だが彼女たちが反転、迎撃に出て三輌のCVを全て引き受けられるかと言えば否だ。それよりもアンチョビにとっては現状唯一残った目となる彼女たちを失わないようにする方が重要だった。
「ちょい右! 速度は落とすなよ! ふむ……やはり我々を誘導するつもりか」
セモヴェンテから付かず離れずの距離で周囲を囲むCVを見据えながら、アンチョビは小さく呟いた。
CVの8mm機銃ではセモヴェンテの装甲は抜けない。当然みほもアンチョビを撃破するためにはセモヴェンテをどこかで投入しなければならない。そのタイミングは大雑把に言うと、森の中で仕掛けるか外で仕掛けるかの二つだ。
そしてアンチョビの採れる選択肢も森の外へ出るか中で待つかの二つしかない。
敵セモヴェンテが既に森に進入している可能性がある以上、視界の悪い森に留まる事は危険だ。一度敵CVに捕捉されてしまえば、何の抵抗も出来ないまま敵セモヴェンテから一方的に攻撃を受ける恐れがある。つまり採られる選択肢は森の外へ抜け出すしかない。
当初アンチョビは森を脱するため布陣したままの向き、演習場の北西へ直進していた。そこへCVが背後から迫ってきたため反転、迎撃の構えを取ったところみほのフラッグ車が左側面に現れた。一発逆転の機会に釣られて左に転回すると射線を避けて離脱。その後もこちらが障害物を避ける等で進路を変えるとみほのCVが身を晒してセモヴェンテを挑発してきた。みほは自分を餌にアンチョビを誘導しているのだ。
「と、なると向こうのセモヴェンテは……うわ!」
思索にふけるアンチョビを激しい音が襲う。背後にぴったりと付いてくるCVがまた機銃を撃ち始めたのだ。セモヴェンテの背面装甲でも抜かれる心配はないが、こうもけたたましく跳弾の音が反響すると集中力を削がれてしまう。
「姉さん、反転指示を!」
「いいから落ち着け! このまま前進っ、森を抜けるぞ!」
木々の隙間から漏れる日差しが明るさを増し始める。もうすぐ森を抜けるのだ。アンチョビは三輌並んで追ってくる敵CVから視線を外し、ハッチの縁を掴む腕に力を込めながら前を見据えた。
「全車停止!」
森を出てすぐ、タイミングを計っていたアンチョビの指示でセモヴェンテとCVが同時に停車する。
強い衝撃を受け、アンチョビは短く声を漏らした。その衝撃とは急な制動による反動と、そして75mm砲弾がアンチョビたちの鼻先に着弾したことによるものだった。
「やはりここにいたか。全速後退! コッツァは前進、セモヴェンテに貼り付け!」
『スィーッ!』
「ボルカミゼーリア! 仰角が足りねぇよ姉さん!」
「いいから後退ー!」
アンチョビの指示を受けセモヴェンテは森へ向けて後進、護衛CVは前進していく。アンチョビはこちらを見下ろす丘陵の上、砲身を燻らせるセモヴェンテの姿を見上げた。
これで敵セモヴェンテの位置が把握出来た、森の中に潜むかも知れない見えない敵を警戒せずに済む。
『アンチョビ姉さん、遅れてすいません! 一輌食われましたけど向こうの三輌平らげました、すぐそっち向かいます!』
「よーしよし、いいタイミングだペパロニ。こっちの位置は随時伝えるからなるべく急いでくれ」
『了解っす!』
「いいか? 今度はこっちの通信を無視したりするんじゃないぞ?」
『ドゥーチェのピンチだ、お前らもたもたすんじゃねーぞ! このペパロニに続けー!』
「おい。聞いてるのか、おい! あー、もう! 大丈夫かなぁ」
ともあれ、これで不利な状況は覆った。互いにフラッグ車とセモヴェンテの位置を把握していて、そして数の上ではアンチョビたちが優位に立った。後は後方の敵セモヴェンテを警戒しつつ、みほのCVをペパロニたちと合流して狩り出してやる。
まだ油断は出来ないが心理的な余裕はだいぶ出来た。アンチョビは今頃絶好の機会に砲撃を外して慌てているだろうカルパッチョを想像し、小さく笑った。
「ん? あ、あれ? みほたちはどこに行った?」
森の中へ再び入り、そんな余裕がいつまでも続くことのおかしさにアンチョビは気づいた。ついさっきまでアンチョビのセモヴェンテに執拗に張り付いていた敵CVの姿が一輌も見えなくなっているのだ。
『ドゥーチェ! セモヴェンテが動きだしま、ぅわわ!?』
「おい、どうした!」
『……すいませんドゥーチェ、やられました。CV三輌ともこっちいるんすけどー』
「何ぃー!」
『んで、そっち向かってまーす』
敵セモヴェンテの監視に向かわせていたCVからの通信を受け、きょろきょろと辺りを見回していたアンチョビは口を真一文字に結んで背後を振り返った。見開いた目には深い木々が見えるだけだったが、アンチョビには真っ直ぐにこちらを追いかけてくる敵の姿が幻視される。
「ま、まさか最初からフラッグ車を丸裸にするのが目的だったのか?」
さっきまで位置を把握されていたのだ、再び捕捉されるまでそう時間はかからないだろう。アンチョビは絡め取られるような圧迫感を覚えながら、森の中を進むしかなかった。
「今回はアンチョビさんが上手だっただけだよ。大丈夫。うん、まだチャンスはあるから」
みほは通信機の向こう、セモヴェンテの砲手に努めて明るい声で慰撫する言葉をかけた。ホッ、という安堵の吐息が聞こえ、次は絶対に当てて見せますと意気込む声が続いて返ってきた。
はい、期待していますね。と結んで通信を終えたみほもまた、深い安堵の息を吐いた。
セモヴェンテを撃破出来るのはセモヴェンテのみ。戦力が限られた現状、アンチョビのフラッグ車を走行不能に出来る機会は非常に少ない。ようやく掴んだチャンスである先の攻撃に失敗してしまった今、護衛車両を撃破することが出来て安堵しているのは誰よりもみほだった。
アンチョビを撃破出来なかったのは誘導を見破られた自分のミスだ。だが、アンチョビの目を潰したお陰でまだ次の機会を窺うことが出来る。まだ負けが決まったわけではない。
『みほ姉さん、ドゥーチェのセモヴェンテを発見。森に入ってちょっと行ったとこ、丘の方を向いて停車してます』
「発見されましたか?」
『ドゥーチェと目が合っちゃいました。でも動きはないですね』
「わかりました。そのまま監視をお願いします」
カンネリーニからの最後の通信で、ペパロニ隊にはこちらより多い四輌のCVが残っていることがわかっている。そして伝えられた交戦地点から換算して、ペパロニたちがアンチョビと合流するまで幾ばくの時間も残っていない。
先行させたCV二輌のうち一輌から報告を受けたみほは、これが最後の機会だろうと強く意識し大きく息を吐いた。ゆっくりと前進するCVの車上に立ち、みほは最後の作戦を説明する。
「皆さん、カンネリーニさんたちを破ったペパロニさんがこちらに向かっているはずです。向こうが合流するまでに勝負をつけます。カルパッチョさんたちはこのままの速度でアンチョビさんのいる地点へ向かってください。私たちがアンチョビさんの注意を引くので、その隙を突いて砲撃を行ってもらいます」
ようやく得た勝機を逃したにも関わらず、動揺を感じさせず作戦を語るみほに隊員たちはすっかり惹きつけられていた。絶対に勝つというみほの意気込みが伝播し、特にセモヴェンテの砲手などはさっきのリベンジだと燃え上がっていた。
そんな同乗者をちらりと見たカルパッチョは、ハッチから頭を出して今まで黙っていた口を開いた。
「みほさん、大丈夫ですか?」
「っ!」
カルパッチョの言葉にみほは声を詰まらせた。自信に満ちているように見えたみほの顔が一瞬歪み、次の瞬間には笑みを浮かばせて答えた。
「大丈夫です。今アンチョビさんは完全に目を塞がれた状態で疑心暗鬼になっているはずです。必ず陽動に反応します。大丈夫、私たちは勝ちます。もう猶予がありません。前進してください」
「了解っす!」
貼り付けたようなみほの笑みを見たカルパッチョは、そういうことではないのだ、と言葉を続けようとした。しかしみほはカルパッチョの言葉を封じるように自車両の操縦手に指示を出した。
軽快に走り去るCVに身を乗り出すみほの背を見つめながら、カルパッチョは持って生まれた自分の性格を悔やんだ。
アンツィオ生らしくない、少し冷めた自分の性分がアンチョビの助けになっている、という自負がカルパッチョにはある。もし副隊長がペパロニだけだったらきっとアンチョビは心労で倒れていただろう。
だが今この場にいるのがそんなペパロニだったら、きっと何も考えず不躾にみほの心を暴き立てていたはずだ。なんでそんなに辛そうなんだ。楽しくないのか。もっと笑え。戦車道は楽しむものなんだから。そんなことを言ってみほを止めたに違いない。
あるいはアンツィオの戦車道がもっと適当な、お遊戯感覚で戦車を動かしているようなクラブだったらもっと違っただろう。サッカー部員が学校の体育でサッカーをするような感覚で、みほも気楽にやれたかもしれない。
しかしアンツィオ戦車道チームは曲がりなりにも全国大会に出場するようなチームで、所属する隊員は皆真剣に戦車道に取り組んでいるのだ。真面目なみほは適当な態度で演習に臨むことは出来なかったのだろう。そうして自分で自分を追い詰めてしまっている。
カルパッチョは深いため息をつきながら装填の準備をする。乗員たちは慄き、凍りついたように前だけを向いていた。
アンチョビは額に汗を垂らしながら周囲を警戒していた。みほたちのCVが物見にやってきたことは確認している、既にこの居場所は露呈しているのだ。だが肝心の敵セモヴェンテは一向にやってこない。丘陵の狙撃ポイントからここまでの距離、巡航速度でもとっくに通り過ぎているだけの時間は経っている。
あわよくば正面から来た敵セモヴェンテを待ち伏せて返り討ち、と思っていたがやはり上手くはいかないらしい。敵は迂回して側背面に回ろうとしている可能性も考えなければならず、全方位に意識を向けるアンチョビの緊張感はピークに達そうとしていた。
「いや、みほもペパロニが合流する前に勝負を仕掛けてくるはずだ。もし背後に回ろうというならエンジン音が聞こえてもいいはず。トルクを抑えて遠回りしているなら側面に回るのが精々のはず……」
アンチョビは自分自身に言い聞かせるように独り言を零した。自分たちのセモヴェンテのエンジン音しか聞こえてこない以上背後に回られていることはないはずだ、正面と側面を警戒していれば大丈夫。
そんなことを考えているとき、右方の草むらががさがさと音を立てた。映画か何かだとそこから動物が飛び出してきて、気が抜けたところを襲われるんだよな。どこか変に冷静な頭でそんなことを思いつつ、アンチョビは右に顔を向けた。
動物ではない。無限軌道特有の金属音とエンジン音が確かに聞こえてくる。
「この音は……陽動だ! あ、おい、待て! 違う、セモヴェンテじゃない!」
ひどい緊張感に包まれていたのはアンチョビだけではない。むしろ車上に身を乗り出していて周囲の状況がわかるアンチョビよりも、視界が限られる狭い車内にいる乗員の方がより強いストレスに襲われていた。
操縦手はアンチョビからの指示がないまま、疑心暗鬼に駆られて車体を旋廻させてしまう。制止するアンチョビの声も耳に届かず、セモヴェンテは揺れる草むらに砲身を向けていく。
「この音はCVだ!」
アンチョビの言葉とほぼ同時に、草むらの奥から起伏を乗り越えて敵戦車が姿を現した。車上に身を乗り出すのはみほ、その傍らで揺れるのはフラッグ車を示す旗。アンチョビ車砲手の目には、もう敵フラッグ車しか映っていなかった。
アンチョビは通信機を握るみほの手に力が入った様子がはっきりと見えた。そしてさっきまで砲身を向けていた方角、今は自車両の左側面を晒してしまった方角からのっそりとセモヴェンテが姿を現した。
「撃て!」
みほが号令をかける瞬間、アンチョビは襲い来る衝撃に備えて思わず目を瞑った。しかし次の瞬間アンチョビが感じたのは、自車両が75mm砲の直撃を受ける衝撃ではなかった。
「させっかよぉー!!」
空気を震わす75mm戦車砲の発砲音、そしてそれに負けじと吼えるペパロニ。全速力でアンチョビの救援に駆けつけたペパロニのCVが、車体を浮かせながら二輌のセモヴェンテの対角線上に飛び出した。
「え」
「は?」
そうして75mm砲の直撃を受けるCV。3t弱という軽量な豆戦車は、小気味良い音を立てて錐揉みしながら宙を舞う。草むらの向こうに消えて行くCVを、落着する派手な音が届くまでアンチョビとみほは呆然と見遣っていた。
「な」
「な」
「何してるんですかペパロニさん!?」
「何してるんだペパロニー!?」
アンチョビとみほを等しく襲った衝撃は、アホがとんでもないことをやったというものだった。みほの操縦手も唖然として退避を忘れ、アンチョビの砲手も引き金を引くのを忘れ、カルパッチョも次弾装填を忘れ。シーンと静まり返った戦場に三輌のCVが乱入する。
「おらー! ペパロニ姉さんの漢気を無駄にするなー!」
「あそこまでやられて負けたら女が廃るってもんだぜ!」
「突撃ー!」
「うわ! 何か来たー! みほ姉さん中入って!」
「え、わ!? きゃあ!」
ペパロニの部下たちが常にも増して気勢を上げながらみほのCVに殺到する。ノリと勢いのアンツィオ生、敬愛するドゥーチェのためにその身を犠牲にするなんて滅茶苦茶カッコいいとこを見せられて燃えないはずがなかった。
みほたちと同じく呆然としていたフラッグ車の操縦手は慌てて退避しようとするが、ノリと勢いに加え十分な速度を出しているCVに停車していたCVが抵抗できるはずもなかった。あっという間に回り込まれ、背面に集中射撃を受けて敢え無くみほの車両は白旗を上げたのだった。
車両から引きずり出されたペパロニを待っていたのは、にこにこと笑うアンチョビの姿だった。
「ペパロニ、何か言う事はあるか?」
「え? う~ん。そうだ、うちら勝ったんすか?」
アンチョビの返答は拳骨だった。手加減なく振り下ろされたアンチョビのコブシにペパロニはしゃがみ込んで悶絶する。アンチョビはセモヴェンテの車長を務めている、つまり装填手も兼任しているのだ。華奢な見た目に反して腕力は並ではない。
「い……っつぅ~! 何するんすか姉さん!」
「何するじゃないだろこっちの台詞だアホかお前は! いくら模擬弾だからって下手すると怪我じゃ済まなかっただろアレ!」
「うっ……」
重い拳骨を受け、いったんは怒気を込めてアンチョビを睨み返したペパロニ。しかしアンチョビの剣幕に本気で怒ってると感じたペパロニは言葉を返すことが出来なかった。
「ほら見ろ! あれ!」
アンチョビが指差す先にはペパロニが乗っていたCVがあった。戦車道に使われる戦車の車内は特殊なカーボンでコーティングされているとは言え、外装はその限りではない。75mm砲の直撃で吹き飛ばされ、地面に滅茶苦茶に打ち付けられながら転がっていったCVは見るも無残な姿になっていた。
乗員室周り以外の装甲は所々ひしゃげており、8mm重機関銃の銃身は二門とも折れ曲がり、転輪に至ってはどこかに転がっていってしまっていた。戦車の知識がない素人が見ても、到底動かせそうな状態には見えない有様だった。
「す、すいませんドゥーチェ。タンケッテっつってもうちじゃあレストア代バカになりませんよね」
「そういうことじゃない、バカ! それにCVに乗ってるのはお前だけじゃないだろう。副隊長のお前が自分から後輩を危険な目に合わせてどうする!」
「はい、すいません……」
腰に手を当てて激怒するアンチョビに、いつの間にかペパロニは正座になっていた。ペパロニの部下たちは気まずそうに下を向き、いつもは切りのいいところでやんわりと止めに入るカルパッチョも今回は静観するようだ。
助けはないのかと絶望し、俯くペパロニの顔に影が差した。ペパロニが顔を上げると、いつの間にかみほが目の前に立っていた。
アンチョビ姉さんを止めてくれ、と目で訴えようとするペパロニだったが、何の表情も浮かんでいないみほの顔を見て本能的に思いとどまった。
「ねぇ、ペパロニさん」
「お、おう?」
表情もなく、光の宿らない目を向けてくるみほの声に、ペパロニは少々気圧されながらも応えた。
「何であんな危ない事したの?」
「そりゃあ、その、何つーか。その場の勢い?」
「ちゃんと答えて?」
「う……」
正直なところ、その場のノリと勢いで突っ込んでしまったというのがペパロニの本音だ。流石に素面の状態で砲弾の前にCVで割り込もうとは思えない。
だけどそう言うと姉さんもみほも余計怒るからなぁ。特にみほの奴、目がマジだし。
ペパロニはその先にある、そもそもの動機を上手く言葉にしようと考え込んだ。ペパロニに敢えて火に油を注ぐ趣味はない。精々焼けた鍋に酒を注ぐくらいだ。
「あー、あれだよ。ほら、あのまま負けたくなかったし。どうすりゃ勝てるかって考えたらああなっちまったんだよ」
「……ペパロニさんにとって、試合に勝つことってそんなに大事なことなの? 怪我するかもしれないって、そんな危険を冒してまで勝たなきゃ駄目なの?」
「は?」
目の前で口をポカンと開けるペパロニを、みほはどこか冷めた感情を以って見つめていた。
戦車道で負けは許されなくて、ペパロニさんは勝ち負けに関係なく戦車に乗るのが楽しそうで、戦車道はつらく苦しいもので、アンツィオの戦車道チームは皆心から楽しそうで、勝つために必死に頑張って、ペパロニさんは危険を冒してまで勝利を求めて、私は負けてしまって、皆の期待を裏切ってしまって。みほの頭の中はぐるぐると渦巻いていた。
アンツィオに転入する前のみほには、戦車道に負けは許されないという絶対の価値観があった。勝利のためなら犠牲もやむなしという、みほにとって受け入れがたい恐ろしい価値観だ。
その価値観がペパロニと出会ってから揺れ始めていた。アンツィオ戦車道のメンバーと知り合ってからヒビが入ろうとしていた。だが今日、そのペパロニが自分の身を犠牲にして勝利を求めたのだ。みほの心には裏切られたという失望と、やはり戦車道は勝たなければ意味がないのだという諦念が混じり合っていた。
「う~ん」
やっぱり私が戦車道をやるのは間違っているんだ。せっかくアンツィオに転入したんだし、絵に自信はないけれどデザインの勉強をしよう。エリデさんが美術部って言ってたし、私も入れてもらうんだ。そして一流デザイナーになってボコを世界に広めよう。
そうだった、そう言えばそもそも私がアンツィオを転校先に選んだ理由は――
「別にそこまで勝ちたかった、ってわけじゃねぇけど?」
「へ?」
複雑な感情が交錯してパンクしたみほの思考は何だか変な方向に向かい始めていた。そこへペパロニが声を発し、みほはハッと現実に戻った。
「たださ、さっきみほに上手いことしてやられただろ? あんまま何もやれずに負けるのは悔しいじゃねーか。私としちゃあさ、あの砲撃を防いだ瞬間のみほの間抜けな顔見れただけで満足だったぜ。ついでにアンチョビ姉さんも! 傑作だったぜあん時の二人のぁあ痛い痛い!」
「お前全然反省してないよな?」
「してまふしてまふ」
余計なことまで言ったせいでアンチョビに頬を抓り上げられるペパロニの間抜けな顔を、みほは呆然と見つめた。涙目になってきたペパロニにとりあえず満足したアンチョビは、フンッと鼻を鳴らして指を離した。そして少しばかり気まずそうに、みほの正面に立った。
「すまなかったな、みほがここまで思いつめるとは思ってなかったんだ」
「あ……いえ、そんな」
そして謝罪の言葉を言うアンチョビに、みほは反射的に謹んだ様子でそれを辞した。みほは何だかデジャヴを覚えたが、今回アンチョビにふざけた雰囲気は全くない。
「負けると悔しい。勝てば嬉しい。それは当たり前の事だ、戦車道に限らずな。……まぁ今回の勝ちはあんまり嬉しくないんだけど」
そう言ってみほから一旦視線を外すアンチョビ。みほも思わず釣られて視線を向けると、赤くなった頬を押さえながらカルパッチョに泣きつくペパロニの姿があった。
「まぁあいつのことは置いといて。なぁみほ、私が今回の演習を組んだのはどうしてだと思う?」
その情けない光景に、みほはさっきまで抱いていたペパロニへの怒りが自然と霧散していくのを感じていた。自然と頬が緩みそうになったが、真剣な態度のアンチョビの質問に意識を戻した。
「それは、私にアンツィオのやり方を教えるため。でしょうか」
「うん、まぁそれもある。正直に言うとだ、元黒森峰副隊長の実力を見てみたいって言うのもあった。だけどな、一番の理由は」
アンチョビはそこまで言って言葉を切った。不思議そうにするみほに柔らかく笑いかけ、ほら、と言ってアンチョビはみほの背後を指差した。
みほが振り向いた先、そこには大破判定の解除された三輌のCVが走ってくる姿があった。その先頭車両には、みほが別働隊の指揮を任せたカンネリーニが身を乗り出して目一杯に手を振る姿があった。
到着したCVが停止し切る前にカンネリーニは地面に飛び降り、少しバランスを崩しながらもみほに抱きついた。
「ごめんなさいみほ姉さん!」
「カンネリーニさん?」
「せっかく指揮を任せてくれたのに一輌しか撃破出来なくって。私たちがもっと頑張ってたらみほ姉さん、絶対勝ってたのに」
涙ながらに謝罪するカンネリーニにみほの良心が痛む。こんなに信頼してくれていたのに、自分はそれを裏切ってしまったのだ。謝らなければならないのは自分なのだと、みほは首を横に振った。
「そんな事ないよ。カンネリーニさんたちはやるべき事をちゃんとやってくれた。それを無駄にしちゃったのは私だよ。皆、本当にごめんなさい」
みほはカンネリーニと、彼女の指揮下にあった隊員たちに深く頭を下げた。カンネリーニと各CVから顔を出していた隊員たちは一様にキョトンとした表情を浮かべてそれを見ていた。そして彼女たちは転げ落ちるようにCVから降車すると、みほを取り囲んで堰を切ったように話し始めた。
「何言ってんですか姉さん! あたしらがあんなにやれたのはみんな姉さんのお陰ですよ!」
「そうっすよコンシリエーレ! 何かいつものうちらじゃないみたいっつーか、皆で一つになってる感じがすげー楽しかったっす!」
「ペパロニ姉さんを出し抜いてみほ姉さんたちが突っ走ってったとき、マジで燃えましたよ!」
「わかる! 私たちの働きで姉さんたちが抜け出せたんだって思ったら超興奮したもん!」
「コンシリエーレ、またやりましょうよ! 今度はうちら、ペパロニ姉さんたち返り討ちにするんで!」
みほは五輌のペパロニ隊に三輌のカンネリーニ隊を当てて足止めを命じたのだ。言わば捨て駒として使い、その果てに勝利を逃してしまった。だが彼女たちはその結果に文句を言うどころか、楽しかったと口を揃えていた。
「みほ姉さん。私、本当に嬉しかったんです。こんなに作戦が上手く行くなんて初めてで。この試合で私たち、こんなことも出来るんだってわかって。本当にありがとうございます、みほ姉さん」
「カンネリーニさん、みんな……」
みほにしがみ付くカンネリーニは、その態勢のまま感謝の言葉を告げた。
自分が指揮した彼女たちの様子を見て、みほは途端に込み上げて来る笑いを堪えるのに必死になった。ついさっきまで絶対に勝たなければと意気込んでいた自分が間抜けにしか思えなくなったからだ。それは自嘲と言っていい笑いだったが、そこに負の感情は見当たらなかった。
「負けたら悔しいし勝ったら嬉しい。それ全部ひっくるめてさ、皆で力を合わせて頑張ってくってのは楽しいもんだろ。うちは弱小、じゃなかった、あんまり強くない、今はだぞ? 今はあんまり強くないけど、勝っても負けても皆楽しんで戦車に乗ってるんだって知って欲しかったんだよ。まぁ、予想外に奮闘されて本気で焦ったんだけどな」
「えっと、……ごめんなさい?」
一年生たちに囲まれるみほの肩を軽く叩き隣に並ぶアンチョビ。一年生たちに優しい眼差しを向けながら、みほに今回の演習にみほを組み込んだ目的を語って聞かせた。最後の言葉を苦笑交じりに言うと、みほは反応に困ってつい謝ってしまった。
アンチョビはそれを聞いて思わず吹き出すと、笑いながらみほの肩を叩いた。
「このアンツィオのドゥーチェ、アンチョビをあそこまで追い詰めておいて何を言う! さあ諸君、謙虚な我らのコンシリエーレの敢闘を讃えようじゃあないか! 食事の準備だ!」
「あ、やっぱりやるんですね」
「当然だろう? 練習だけじゃない、我々は他校との試合の後だって、勝敗に関わらず選手スタッフを労う宴を開くんだ。これは代々伝わるアンツィオ戦車道の伝統、同好会時代にも失われなかった我々の流儀だ!」
何となく予感していたものの、やっぱり宴の準備が始まってしまい少々呆れるみほ。流石に校舎から遠いことや歓迎会のような騒ぐ名目がないため一昨日よりはまだ大人しいものの、みほにとっては十分に大騒ぎだ。
「あ、ペパロニは飯抜きだからな」
「は?」
隊員たちにきびきびと指示を出していくアンチョビはふと思いついたような軽さでペパロニに申し付けた。腕まくりをして料理の仕度をしようとしていたペパロニは、一瞬意味がわからないという顔をした後慌ててアンチョビの元に駆け寄った。
「じょ、冗談ですよね姉さん?」
「冗談なもんか、これは罰だ」
「そりゃないっすよ! 反省してますから、ホント!」
必死な形相でアンチョビにしがみ付くペパロニ。涙さえ浮かべながらアンチョビに引きずられる姿を見送るみほは、ついに我慢できずに笑い声を上げた。
勝負の結果よりその後の宴会のことで一喜一憂する彼女たちの姿勢は、或いは戦車道に対する真剣さが足りないと取られるかも知れない。少なくともみほはそういう考え方の環境で育って来た。
だがアンツィオではこの馬鹿騒ぎまで含めて由緒正しい戦車道の流儀なのである。アンチョビたちはどんなチームより真摯な姿勢で戦車道に臨んでいるのだ。
「おーいみほー!」
じゃあ私も最後まで戦車道をやろうかな。そう思い料理の手伝いに向かおうとした所、みほは自分を呼ぶ声に足を止めた。声のした方を振り向くと、そこにはスクーターに二人乗りでこっちへ向かってくるクラスメートの姿があった。
「アンナさん、エリデさん?」
どうして二人がここに? と首を傾げるみほの前でエリデの運転するスクーターが停車する。後ろに乗っていたアンナはエリデがスクーターのスタンドを立てる前に飛び降りて、みほの手を握ってぶんぶんと振った。
「いやー、かっこよかったよみほ。戦車道ってただバカスカ撃ち合うだけだと思ってた。ああいう駆け引きみたいなのもちゃんとあるんだね。あんま興味なかったけどさ、今日は見てて燃えちゃったよ! そうだ。結局どっちが勝ったの? 途中から森の中に入ってって見えなくなっちゃったからさぁ」
「ちょっと、落ち着きなさいよアンナ」
「おっとと」
勢い良く縦に振られる腕のせいで身体全体を揺さぶられるみほは返事をするどころではない。そんなみほに気づかず勢い良くまくし立てるアンナを、彼女の肩を後ろからグイっと引いて止めた。
「お疲れみほ、凄かったじゃない。CVでかく乱と偵察、そしてセモヴェンテを密かに前進させる。あれってみほが指揮してたんでしょ?」
「見てたんだ。うん、でも負けちゃったんだ」
「ふーん。ところでさ、あれ何やってんの?」
みほは自分でも驚くほど、軽い調子で試合の結果を口にした。エリデもそれにさほど興味はなさそうな態度を返し、むしろあっちの方が気になると、みほの後ろで繰り広げられる光景を視線で示した。
「アンチョビ姉さん~、もうしませんから許してくださいよぉ」
「ええい、いい加減に離せ! パスタが茹でられないじゃないか」
「そのパスタは私も食べれるんすか?」
「食べれない」
「姉さぁん」
「ちょっと、こら、どこ触ってるんだ!」
茹で釜に向かおうとするアンチョビと、それを抱きついて阻止しようとするペパロニ。コントめいたやり取りを呆れた目で見るエリデに、みほはため息をついて答えた。
「ペパロニさん、アンチョビさんを庇おうとして戦車の砲撃の前に飛び出したんだ。流石に危ないことだったから、罰としてご飯抜きってアンチョビさんに言われてるの」
「は? ペパロニが乗ってたのってタンケッテでしょ? って、まさかあそこに転がってるスクラップ?」
「うん」
「で、戦車ってセモヴェンテ? 75mm砲の?」
「う、うん。詳しいんだねエリデさん」
「はぁ……」
以外に戦車に詳しいクラスメートに少し驚きながらみほが話す経緯を聞き、エリデは眼を手で覆い天を仰いだ。そしてエリデはみほの隣を通り、ペパロニの元へ大股で歩いていった。
「あんたホントにバカよねペパロニ」
「うお! 何でエリデがいんだ?」
「みほの応援に来てたのよ。あんたがまんまと出し抜かれるとこも見てましたー。ったく。CVの装甲なんてダンボールみたいなもんじゃない、それで75mmに当たりに行くって何考えてんの?」
「え、演習用の模擬弾だし、乗員室はカーボンで守られてるから」
「そういう問題じゃない! 練習でやるバカは本番でもバカやらかすのよ!」
「おお、エリデか。もっと言ってやってくれ。こいつは口で言うだけじゃ中々わからないからな」
「ぐえぇ……」
エリデまで説教に加わることで包囲網が完成し、アンチョビとの二正面作戦を余儀なくされたペパロニは遭えなく地に伏せた。ようやく拘束から解放されたアンチョビは小走りで調理に向かい、エリデは冷たい視線でうつ伏せになってぐずるペパロニを見下ろしていた。
「あっはは、アホだなぁペパロニは。ね、みほ?」
「ふふ、そうだね」
遠巻きにそれを見ているアンナはペパロニを笑い、釣られてみほも笑った。みほは誰かの悪口を言うような性質ではなかったが、最早ペパロニに対する寸評を否定することは出来なかった。何より、二人の笑いに悪意というものは微塵も混じっていなかった。
「ははは。うんうん」
「どうしたの?」
一頻り笑った後、アンナはみほの顔を見て満足げに頷いていた。みほは不思議に思い首を傾げ、アンナはニコッと笑った。
「試合中のみほはかっこよかったけどさ、やっぱそうやって笑ってる方がいいな。そっちの方が私は好きだよ」
「す、好きって」
「あ、赤くなってる。か~わいい~」
「二人とも、何の話をしてるの?」
「あ、カルパッチョ」
面と向かって好きと言われてみほは思わず頬を染めた。もちろん友人としてのそれだが、こういう風に直接好意を向けられるのには慣れていなかった。そんなみほと彼女をからかうアンナの元に、カルパッチョがやって来た。
「みほは笑ってた方が可愛いよ、結婚してって話をしてたんだよ」
「ふふふ、そうね。私もそう思うわ」
「もう、カルパッチョさんまで……」
カルパッチョまでアンナに乗ってしまったから、みほは顔を俯けてしまった。おどけた口調のアンナと違い、カルパッチョはしみじみとした調子で話すから恥ずかしさも一入だった。
「ほらみほさん、いつまでもそうしてないで」
カルパッチョは微笑みながらみほの隣に立って、顔を上げるように促した。
「皆みほさんを待ってるわよ」
カルパッチョが示した先には、みほが指揮を執った隊員たちが思い思いに手を振っていた。
「姉さーん、料理の指揮も執って下さいよー!」
「コンシリエーレって料理出来んのかな?」
「みほ姉さんって他所から引っ越してきたばっかっしょ? この前は配膳とか手伝ってたし」
「あ、じゃあ私がみほ姉さんの補佐する!」
「おいおい、みほ姉さんの操縦手はあたいだぞ。引っ込んでろよカンネリーニ」
「はぁ? そんなの関係ないじゃん」
「まぁまぁ、皆で一緒にやろうよ。うちらははチームなんだし」
騒がしくも活き活きとした様子で料理の準備に取り掛かっている隊員たちに、みほは笑みを返した。
「さ、行きましょう。アンナさんたちも食べていくでしょう?」
「お、いいの?」
「いいのいいの、その代わり準備は手伝ってもらうからね?」
「オッケイ、じゃ私もみほ姉さんに腕前を見せてやりますかね」
その呼び方やめてよ、と苦笑いしながらみほはカルパッチョたちと一緒に調理場に向かう。
途中、エリデの罵倒とペパロニの呻き声が耳に止まったので、みほはそちらに足を向けた。エリデはみほに気づいて視線を向けてきたが、ペパロニは傍に寄ってもピクリとも動かない。
「ペパロニさん、いつまでもそうしてないで。副隊長でしょ?」
「ほっといてくれみほ……私はもう駄目だ。このまま土に還るんだ」
「大げさだなぁ。私からもアンチョビさんに取り成してあげるから」
「マジで!」
みほが仲裁を申し出ると、ペパロニは残像を生みそうな勢いで上半身を起こした。苦笑しながら頷くみほに、ペパロニはティアーモと叫んで抱きついた。
「みほ、こいつにはもっと厳しくしたほうがいいわよ?」
「うん、もう次はないから。ペパロニさん、もうあんな危ない真似しないでね?」
「わかってるって! さっさと行こうぜ!」
飯が食えるとなった途端に完全復活を果たすペパロニに、みほとエリデは深いため息をついた。
「アンチョビ姉さーん! パスタ食わせてくださーい!」
「お前ぜんっぜん反省してないよな!?」
みほたちを待たず先走って行ったペパロニにアンチョビの雷が落ちる。みほとエリデは顔を見合わせ、声を上げて笑った。