いつもは失敗した絶叫や連日の徹夜でまるでゾンビのようなうめき声がそこらじゅうで上がって騒がしい化学班たちが働く研究室が今日は皆が黙って仕事をこなしている。
沈黙が支配する空気の中、バシャっという音が聞こえ、あたりの研究員たちが嫌な気がしてそちらのほうを向く。
この職場に勤めるすべての科学者達の視線の先には比較的若い人材がそろっている化学班の中でも若い方に分類されるだろう少年が机からポタポタと垂れる茶色い滴と机の上を呆然としてみていた。
しばらくの空白の後、慢性疲労で動きの鈍い少年の脳はようやく何が起きたのかを理解したのかガタッと音を立てて立ち上がると絶叫を上げた。
「あぁあああああああああああああっ!?徹夜でまとめたイノセンスの稼働データがぁああああっ」
何日も徹夜で働きすぎて注意力が散漫になっていたのか、机の上に置かれていたカップを倒してようやくまとまった資料に大きなシミを作ってしまったようだ。
大慌てで他の書類をどかしてコーヒーをふき取ろうと雑巾を持ってきたところで少年の上司であるリーバーが警告を飛ばした。
「ジョニーッ!!」
「へ・・・・・・・?」
なんのことか分からずにキョロキョロとしている少年に先ほどから続く沈黙の元凶が近寄ってくる。
「やぁ、ジョニー君。お疲れのようだねぇ。僕が君のために用意したんだよ、よかったら使ってみてくれないかい?」
キラリと邪悪に眼鏡を光らしてコムイが指し示すマッサージ機のようなものはどう見てもマッサージ機の範囲を逸脱しており、確かに天国を見れるかもしれない、もちろん死後の世界という意味で。
「え、えんry「そうかいっ。そんなに使いたいなら使わせてあげようっ!!」班長ぉ~~~~~っ」
ズルズルと引きずられていく少年に皆が思い思いに祈りをささげた。
少年は必死に手を伸ばして机の脚を掴もうとするがどこにそんな力が有ったのかと思うほどズンズンと少年を引きずっていき発明品に固定した。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
「許せジョニー。今の室長を止めることはできないんだ」
リーバーの後ろではその通りだと班員が首を縦に振っている。
「うふふふふふ」
その背中に蝙蝠のような翼と尻尾が見えたような気がしたリーバーたちは自分たちもまきこまれないためにコソコソと自分の作業に戻った。
「あ、あの~。これはどういう状況なんですか・・・・・?」
そこに朝食を食べ終えてやってきたアレンが目を丸くして入り口に立っていた。
「ああアレン。お前が悪いわけじゃないんだが、お前のせいだ」
「えっ、僕ですかっ!?」
アレンは何かやったのか、と思い出そうとするがそんなものは覚えがない。
困ったような顔をするアレンにリーバーが頭を抱える。
おそらく世界でもトップレベルに優秀な頭脳も寝不足と奇想天外な上司に疲労困憊でうまい言葉が見いだせないらしい。
「え~っと、なんて言えばいいかな・・・・・・」
リーバーが頭の後ろを掻いて考えていると向こうから黒髪の少女がかけてくるのが見えた。
その少女は部屋に入ると慣れた光景に驚きもせずにジョニーにマッサージ機(仮)を使用してあくどい笑みを浮かべているコムイに近づいていって声を掛けた。
「兄さ~ん。今日は私の任務があるはずだけど、誰が一緒に行くの?」
「あれ、リナリーも呼び出されたんですか?」
「って、アレン君も?私はこれから任務に行くんだけど、そこがちょっと特殊らしくて兄さんがスケジュールを組んで一緒に行くエクソシストを・・・・・・・・・」
そこまで言ってリナリーはこの光景に合点がいった。
彼女の兄、コムイは(みんなのために怪しげな発明をしたり、個人の趣味で恐ろしい発明をしたり、ふざけてよく分からないものを発明したりしなければ)仲間を傷つけたりはしない。
ただ一つ、彼が八つ当たり気味にトラブルを起こすとき、それは彼が溺愛するリナリーが同年代の男の子と仲好さげに一緒にいる時だけ。
「じゃあ今日はアレン君と一緒に任務に行けるのね?」
「うううう・・・・・・。ボクも他の女性エクソシストを当たったんだけどね、みんな遠くに行ってて教団に残す戦力と今回の任務内容も考えたらそれしかないかなって・・・・・・」
「(ホント、なんでこんな人を推薦しちゃったんだろう・・・・・・・)」
泣き崩れるコムイにアレンは頬を引きつらせながらようやく救出されたジョニーにアレンは手を合わせる。
「まぁ、仕方ないからね。今回の任務を二人に説明するよ」
しばらく泣き続けていたコムイはようやく立ち上がると凛とした表情で黒の教団の室長たり得る威厳を持って話し出す。
「ファインダーの人たちじゃ街に入れないってこと?」
「そうなんだ。入ったとしても気が付けばまた入り口の前に戻ってしまうらしい」
「そこでエクソシストならと・・・・・」
「もしこれがイノセンスによるものならそれを狙ったアクマの巣窟と化している可能性が高いために君のその眼が必要になる。今回ファインダーの助けが無い分君たちにかかる負担は重くなるけど、それでも行ってもらいたいんだ」
何もできないままアレンたちを送り出すことに悔しそうな表情を浮かべて唇を噛むコムイにアレンはスッと立ち上がるとコムイに笑う。
「大丈夫です。リナリーのことは僕が絶対に守ります」
『大丈夫です。貴方たちのことは僕が絶対に守ります』
「っ・・・・!?」
「どうしたんですかコムイさん?」
「・・・・・いや、なんでもない。それよりもね・・・・・・」
コムイはゆらりと立ち上がるとガッチリとアレンと肩を組む。
アレンが嫌な予感がして逃れようとするがコムイの腕はまるで蛇のようにアレンを掴まえて放さない。
「ボクは君がリナリーを誑かさないか心配なんだけどねぇ?」
「そ、そんなことある訳ないじゃないですかっ!!」
「分からないよぉ~?なんたって君はあのクロス元帥の弟子だしね、信用ならないんだよねぇ」
「あ~~~っ。師匠のバカ~~~ッ!!」
「うふふふふふ。どうしようかなぁ・・・・・・、アレン君がリナリーに傷を付けたら改造?麻酔なしで手術?それともホルマリン漬け?」
「行ってきますっ!!」
「あっ、待ってアレン君!!」
コムイの腕の中から抜け出したアレンが一目散に逃げる背中をリナリーが追いかけていく。
その遠ざかっていく二人にコムイはニコリと笑う。
「リナリー、アレン君、行ってらっしゃい」
無事に戻ってくるように、あまり信じてもいないが小さく胸の前で十字を切ると自分の机に戻る。
リーバーらが机の前で書類の束を抱えて怒鳴っているので慌てて戻り椅子に座ろうとすると写真たてに入れられたコムイとリナリー、そして仮面をつけた一人の少年が仲良く映っている写真に目がとまる。
「・・・・まさかね・・・・・」
コムイはあるわけないと首を振り、机に置かれている写真たてを伏せると、リーバーたちの持ってきた書類にハンコを押し始めた。