――グチャリ
そんなような音が聞こえた気がした。その後に何か硬いものが削れる音が続く。ゴリゴリという破砕音が何によるものかは検討がついているが、それは俺の仮想の肉体が悲鳴を上げていない限り有り得えてはいけない音だ。
けれどもそれは違った。
目を閉じていても視界に必ず表示されるシステムバーを見ればそれは一目瞭然だった。いまだに解けきっていないスタンの表示が点滅しているだけで、HPバーは全く減っていない。
そしてそんな事は本来有り得ない。元より破壊力の高いソードスキルに加速力を上乗せしたのなら掠るだけでもかなりのダメージ量になるハズだ。大して防御力のないステ振りをしてる俺の紙装甲ならそれで一発アウトだろう。突き出した短剣も盾ともいえないただの膜みたいなものでしかないのだし。
そして、それだけの破壊力のある攻撃が間近に迫っていて、それでも死んでいないのなら。
それはつまり、たった一つの避けられない事実を指し示している。
誰かが俺の代わりに致死の攻撃を受けた、という事実だ。
そしてその答えももう出ている。
コボルドロードが例の未確認スキルを使用した時に起きたパニックで、オマケ隊を除いた全ての隊は戦闘から一時撤退している。一時撤退の際は最もボスに近い隊から順に少しづつ壁際に下がることになっていた。
それだけ離れていて、ヤツの特殊なソードスキルに対応出来るわけがない。壁際からこの戦闘空間まではどれだけとばしても60秒はかかる。ヤツが俺を殺すのに20秒とかからなかったろう。
もしもそれだけの時間でこの戦闘空間に割入って、しかも殆ど見ず知らずの相手を守るために自分の肉体を提供するなど正気の沙汰ではない。
俺なら間違いなくそんな判断は瞬時に下せない。物理的にも精神的にも。
俺の代わりになるのならまず物理的な点をクリアした人間だ。そしてそれをクリア出来たのは俺を除いたオマケ隊であるキリトかアスナくらいだろう。
けれどその二人も一時的にではあるが戦闘から離脱していた。撤退組よりかは確かに近いだろうけどそれでもヤツの挙動を見てからでは反応するのは難しいハズだ。
ただ唯一それが出来る者はいる。
精神的な、つまり心理的にそれが出来た理由は分からないけれど物理的にそれが可能な人間はいる。
加えてただ一人その致死の攻撃を身に受けた人間でもある。それを受けて生き残った人間だからこそ、その初動に反応する事が出来たのかもしれない。
俺の目の前にいたのはこのレイドのリーダーであり希望といっても差し支えない存在。
青い髪の騎士、ディアベルだった。
ゆらゆらと靡いている青い髪と共に赤いポリゴン片が舞っていている。振り下ろし貫くようにして体から飛び出しているヤツの大剣は、しかし俺のアバターに届くことなく途中で止まっている。
それに大してヤツが苛ついたのか、ディアベルだけでなく俺を葬るためにより力を込めて押し潰そうとしてくる。本来なら体を差し込むだけでは殺しきれないエネルギーを、キリトのいなしスキルと同じようにソードスキルで殺そうとしたのだろう。彼の持っている剣が青い残滓を残しているのがその証拠だ。
けれどそれだけでは殺しきれなかったからこそ、自らの肉体を呈して防いでいるわけだ。
そんなギリギリの状態がそんなに長く続くわけもない。彼のHPバーはみるみる減っていき、もう危険域に到達している。なんとか体を起こそうとしてみるが彼が覆いかぶさっている以上は動けない。
全く皮肉もいい加減にしてくれ。
そろそろディアベルのHPバーが尽きるという寸前に、ヤツの体が仰け反るのが見えた。
戦線復帰したキリトとアスナのコンビネーションアタックによって出来た隙を逃さずここから脱出したかったのだが何故かディアベルが動かない。ここにいれば殺される可能性は格段に高くなるというのに。
幸い彼らのお陰でそちらにヘイトが向かっているらしい。もはや虫の息ともいえるこちらは後でもいいと判断したのか彼らの方にズンズン進んでいく。
これなら暫くは稼げるだろうか。
そう考えてディアベルに向き直る。落ち着いて考えれば不思議を通り越して不可解な男だ。接点など無いに等しい一介のプレイヤーの為にここまで命を張る理由はないハズなのだ。
だからだろう。こんな事を聞いてしまったのだ。
「……なんで助けた。」
全く以て愚問だ。そんなの決まっている。
リーダーのディアベルが吹き飛ばされただけでパニックが起きたのだ。たった一人でも死ねばその瞬間、それが誰であろうが関係なくレイドは崩壊する。
たしかにディアベルが死ねばレイドは成立しなくなるが、あくまでそれは指示者、つまりリーダー的存在の欠如から来るものだ。結局誰であっても死の恐怖が伝播すれば崩壊したのだ。
そう考えると俺も無茶をしたものだがそんな事は気にしなけれ問題にもならない。
けれど俺の予想は違った。もしかしたらそれが彼の最後の皮肉なのかもしれないけども。
「…………さあ、 君が必要だから、かな」
「……………………。」
絶句とはまさにこの事だろう。俺が必要だって? それこそ有り得ない。
必要なのはディアベル、お前だ。お前の力だ。
お前がいなければ、まずこのレイドは成立しない。
お前がいなければ、誰も希望を持てない。
お前がいなければ、この世界から逃げ出したくなる。
誰かが支柱にならなければ、この世界の住人の心はたちまち折れてしまう。
この世界では、誰か一人でも絶対的なカリスマが必要になってくる。
俺が他人をこんなにベタ褒めする事なんて殆ど無いんだ。
だからさっさと起きろ。起きて指揮をとれ。そんでさっさとこの地獄を終わらせてくれ。
そんな俺の願いを嘲笑うように彼のHPバーは減り続ける。多分もう止まらない。この命は燃え尽きてしまう。
この世界のダメージは、一瞬で回復しないのと同じようにゴッソリと一気に減るわけではない。じりじりと少しづつ少しづつ削れていく。
それは死者がこの世に遺す未練の時間であり、償いの時間であり、願いの時間だ。
「おれは……自分勝手でさ…………君を助けたのは必要だったのもあるけど…………結局自分の贖罪なんだ……」
……その真意までは分からない。けれど彼が言わんとするところは分かる気がする。
彼は本来であればするべき事をしなかった、そう考えているのだ。彼ほどの人間が『贖罪』すべき事などそうはなさそうだけれど、彼がもし『前の世界』の住人なら辻褄は合う。
彼はキバオウがいっていたように自分の為だけに敵を殺しポリゴン片に変えてきた。ビギナーを放ったらかしにして一心不乱に走り続けてきた。
それは『前の世界』という立場は違えども、ある男と重なって。
自分の為に、を誓った誰かにほんの少し似ている気がして。
「アンタは自分勝手じゃない…………。アンタは戦ったんだ。それで充分だろ。」
それは、ディアベルに向けているようでも。その実、自分の為にしか動けない誰かに言い聞かせるためで。
だからその誰かも、結局自分勝手な人間だ。
「……あぁ。ありがとう。」
だからそんな感謝の言葉を受けられる人間じゃないんだ。これだって、自分の為の、それも自分勝手な、自分を守るための、ただの救済措置なんだから。
そんな自己満足でも彼の贖罪の手助けにはなったらしい。彼はさっきまでとは違う、ずいぶん和らいだ顔で最後の言葉を遺した。
「……さいごに……ひと…つだけ……………………ボス…を…倒」
遺言を、言い切ることなく彼は死んだ。けれど彼は最後までボスの事を考えていた。
まさしく騎士然とした最期なのかもしれない。
だから、俺は騎士ではないけれど、それでもヤツの最後の依頼はしっかり果たそう。
彼の未練で、贖罪で、最後の願い。
必ず果たそう。誰かにほんの少しだけ似ていたよしみだ。
「…………任せておけ。必ず殺してやる。」
行き当たりばったり制作