せめて彼女が・・・
-- 質問。-- 封印された記憶と才能に名前を付けるとしたら?
バビロンと名付ける。一番好きな曲から取った。
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平凡な家庭に生まれたにも関わらず愛情には恵まれない。
不幸ではないが幸せでもない。
「今よりも幸せ」を望む彼が唯一持っていた才能は超感覚。
意図しない不幸を避けたいあまりに、その唯一の才能も記憶と共に封印してしまう。彼は幸せと引き換えにするつもりだったのに・・・
封印された記憶と才能は閉鎖された空間で人格を持ち、彼が望んだ幸せな人生の傍観者となる。
何十年も時は流れ最愛の女性とめぐり逢う。それも不幸の始まり。
小さな裏切りから、歪んでしまった愛は
虚無に向かう狂った勇気に変貌する。
--悲しみの使途--
そう、完全に死んでいるはずだっんた。
致死量の3倍を超える毒。生きているはずが無い。
なぜ?生きている・・・
想像と違う現実をまのあたりにし考えることを
心が拒み意識が遠ざかろうとする。
荒くなる呼吸、溢れる汗。
現実逃避しようとする本能をあざけるように何かが、
遠ざかる意識を邪魔し覚醒させる。
「ああ、四日前。」背景が鮮明になると共に
胸がせつなさで満たされ次いで、
冷たい。とても、とても冷たい悲しみで震える。
たとえようの無い苦しみは容赦なく
せつなさと悲しみの隙間に入り込み、全てを埋め尽くす。
せつなさ、悲しみ、苦しみ全ての負の感情が胸の中に流れ込み、
溢れ出すことも消え去ることもなく増え続け胸を張り裂こうとする。
-いや、間違いだ。-
本能をあざけった何かが胸が張り裂けることを許さない。
胸の中に山が押し込まれる程の痛みを伴い
大きすぎる負の感情がすべての人々に許された
忘却と引き換えに得られる幸福も、
眠りがもたらす麻薬もすべて遠くに追いやり
意識を失うことを許さない。
そ・ん・な・に・・・俺が悪いのか?
沈黙・・・
後悔はしてないよ。どうしても抑えることができなかったんだ。
(がんばったんだよおれなりに。)
どうしても許すことができなかったんだ。
(ずっといっしょにいたかったんだ。)
お前は嘘をつかないと思っていたんだ。
(おれに嘘をつかないでほしかったんだ。)
結論。・・・お前が悪い。
歪んでしまった愛はあの日、
全てを失った錯覚を伴い狂気に変わり、
取り戻すことのできない虚無に向かう狂った勇気へと変貌した。
---四日前。怒りでも消えない悲しみ---
昨日、彼女が言っていた。
「今日は会議で遅くなるから。先に寝ていいよ。」
優秀な社員という訳でもない。
特段きれいでもない。しいて言えば年寄り連中にもてるくらいかな。
二人で暮らすようになってもうすぐ五年。
五年前の彼女はかなり肥満ぎみ。お願いしたんだ。
(本当は少し命令ぽかったな。)
ダイエットしてくれって。
少しずつ痩せてきて、今ではかなりイケてる
彼女になっていた。とても嬉しい。
(俺だけかそう思うのは。ん?伝えていなかった・・・少し後悔。)
でも、最初はひどかったんだよ。本当にさ。
彼女は無職で母親と二人暮らしの三十二歳。
俺は、彼女より結構年上の会社員。
離婚暦はあるが、2LDKの賃貸に一人暮らし。
まあ中流。普通だな。
部屋は少し散らかっているけど
(かなりか)
料理の腕には自信がある。
彼女は俺の所にご飯を食べに来る。毎日。
もちろん作るのは俺。料理ができないんだって。
信じられる?三十二歳だよ。
でもお礼にって食器を洗ってくれたっけ・・・
もちろん掃除もしない。無理やり一緒に掃除させたよ。
イヤイヤ手伝う彼女にちょっとだけ思った。大丈夫かよと。
干物女の下を行くダメだめ女。
それが最初の彼女。
でもね、とてもやさしい。
自由でわがままな俺をいつも好きでいてくれていた。うれしかった。
-伝えていなかったな・・・-
ここまでだと、彼女はダメで俺はまあまあなんて思うかもしれないが、
俺も中々の駄目ぷりで競馬、競輪はやらないが、
(勝てる気がしないからね。)
酒は毎日、欠かさず家で飲む。
おまけに離婚の時に多重債務を抱えて民事再生したぐらい。
まあ、離婚も多重債務も言い訳があったよ。
元嫁の父親が事業を立ち上げるからってさ、誘われたんだよ。
そんな大それた計画ではなかったし、
身の丈に遭っているような気がしたんだ。
悩んだが思い切って会社を退職して必死なってがんばった。
新規取引先の獲得、パート社員の送迎に、
休んだ社員の穴埋め仕事。
疲れたけど、将来を夢見て仕事に励んだ。
給料が遅れたり、分割になったりしたけど、
共同経営者である限り、我慢が必要。
取引先も増え、潤いある生活が出来る所まであともう少し。
わくわくしていたんだ。浮かれていたんた。
遅れていた給料も、明日の入金で全部取り戻せるから。
社員の皆様。給料日、勤務体系の変更等々でご迷惑をお掛け致しました。
あとほんの少しで安定した会社になります!
明日は、妻とも久しぶりに外食するんだ!
もちろん。チビ達も一緒だ。お祝いだ!
心の中では叫んでいた。
でも、何があるか解らないから声には出さない。
明日帰ったら、
飯食いに行くぞ!って言うんだ。
心の声を押し殺しているけど、嬉しさで顔が歪む。明日が待ち切れない。
毎日のように寝る前に本を読んでくれとせがむチビ達に今日はとびっきりの
ハイテンションで本を読む。もちろん俺のハイテンションはチビ達に伝染。
三人そろって運動会や遠足に行く前の日のように、胸が高揚して眠れない。
-ばか親子-
翌朝、快晴。暑い夏の日。
会社には事務員さんがもう来ている。
まだ七時過ぎたばかりなのに、いつもまじめな彼女には頭が下がる。
にこやかに挨拶。
仕事が終わったら何をするかにこやかに会話をしながら、
一通りの掃除と前日の書類チェックを済ませ時計を見る。
八時半まだ義理の父は出勤してこない。
十時。まだこない。多少の不安を感じてそれとなく、取引先に電話する。
「もしもし、お世話になっています。うちの社長、もしかしてお邪魔していますか?」
携帯から掛けているから、話はスムーズに進む。
「来てないよ~。
あっ、昨日支払い手続きしているから、昼前には入金になるからね~
今月からはさ、金額大きくなっているからさ、本当は払いたくないんだけど
しかたないね~。君のところじゃ。ははっ。」
ご機嫌な取引先と一通りの挨拶代わりの冗談を明るく交わし携帯を切る。
不安だが全部の取引先に電話する訳にも行かず、
仕方なく義父を待つことにするが、夕方になっても彼は来かった。
彼が俺と会うことは、二度となかった。
突然に、あまりにもあっさりと、金を持って逃げていた。
公にならないように、社員には給料を振り込んで。
だけど俺だけは別だったんだ。
一円も入ってない。嫁(元)にやっとの思いで彼が逃げたことを話すと、
意外な答えが返ってきた。
「やっぱりね、やると思っていた。」
答えを聞いた俺の心から、家族に対する罪悪感が消えていき、
不思議なことに安堵の思いが広がっていく。
(罵られると思っていたんだ。家族がバラバラになることも恐れた。結果は同じだったけどね。)
それから先の結婚生活は、チビ達に嫌な思いをさせないように、金を借りまくった。
元嫁の言葉は「金借りてきて、生活できない。」それ以外言葉は無くなっていた。
いいなりで、必要以上に金を借りまっくた。やがて元嫁は浮気。
俺は借金を抱え離婚。
一方的に離婚届けを持ってきたんだよ元嫁がね。
知っていたよ。男がいることも、
以前に父親は会社の金持って逃げて刑務所に入っていたことも。
信じたかったんだ。
今度は大丈夫ってね。
今度は大丈夫だとか、今が一番つらいから、明日は少し楽になる・・・とか
いつも考えていたんだ俺。
小さなときからいつもね・・・
小さな頃か・・・
忘れられないことがいくつもあるね。
でも不思議なんだ。
何故か、嫌な思いをした記憶が無いんだ。
もちろん嫌なことはたくさんあるよ。
どれも色あせているせいか、そんなにつらいとは感じることが出来ないんだ。
例えば俺が七歳の頃、父親には二千万の借金があった。
十七歳のときには、一億八千。
ただのサラリーマンなのにさ、父ちゃん。
よくやったよ。もちろん俺たちに、いい想いさせようとした結果。
失敗したんだよね。
俺、そう思っているよ。でもね。
当時俺は、穴あきズボンに穴あき靴。
もちろん買ってくれって言ったよ。
何度も何度もね。
返ってくる答えはいつも同じだった・・・
「靴なんて誰も見ていない。」と母ちゃん。
泣いたよ。
ほしいって。靴が、シャープペンの消しゴムのところが
ボールペンになっているヤツがほしいって。泣いたよ。
デパートの広告もって廊下の隅でさ。
でも我慢した。
みんなが、持っている物の半分しかなくてもボロでも我慢した。
ずっとずっと我慢した。
我慢は長く続くことで、耐えることを学ばされた。
それでも終りのない我慢は耐えるだけでは足りず、
忍ぶことを必要ようとした。
つまり耐え忍ぶってこと。
そんな時俺は、苦しいのはいつか終わる。
無理やりそう考える事にしていた。
いつの間にか・・・
我慢ばかりで、苦しみが終焉する時をじっと待つ。
そんな駄目人間になっていた。
だけど彼女は気にしない。彼女はやさしい。とてもやさしい。
そんな俺と、出掛けることを彼女は楽しみにしていて、
休みが合うと日用品や、食料品の買出しでもどんなことでも
喜んで一緒に出かけようとする。
一人で出掛けようとすると、ブウブウ言って止めようとする。
どうしても行くなら早く返ってくる事を約束させられる。
(本当は止められるの嫌じゃなかったんだ。嬉しかった。幸せだって感じていた。
でも毎回一人で出かけた。歪んでいるのか俺。)
でも最近、彼女に変化が出てきた。
出掛けてもいいと、言うようになってきた。
俺、彼女は家にいると思い込んで優しいとさえ想い、安心して出掛けていた。
彼女が俺を理解してくれていて、自由にしてくれているんだって。
何の疑いも無く、俺はそう思い込んでいた。
-止めて貰えない。こんな事がなぜ寂しいか?簡単。
あいつは今まであいつと一緒に居たい。
そんな理由で止めてもらった事がなかったから。
あいつが止められるのは、
いつも打算とやっかみでしかなっかったから。
嬉しかったのさ。
そして止められなくなった時、寂しさを誤魔化すのに夢中で
あいつは彼女の変化に気付かなかった。
こんな無駄な我慢なら覚えない方が良かったのに。
あいつは自分が弱い事を知っていた。
そして弱い自分を嫌うがあまりに、
強い振りを幼い頃から続けてきた。-
そういえば、休日もばらばらで一緒にいる時間も
少なくなっているような気がする。
彼女の休みも、出掛けるのは母親と一緒の買い物とか、
女友達との食事とかそんなものだと思って安心していた。
彼女をほったらかしにすることが多くなっても、
話をしなくても気持ちは伝わっている。そう思い込んでいた。
俺が自由に行動する代わりに、彼女のことも自由にしていた。
けして彼女を縛ったりしなかった。
-また強がりか・・・-
会社の飲み会とか女友達と飲みに行くことに反対したことはない。
でも難点が一つある。
一度の飲みに出ると帰ってくるのは、いつも午前二時か三時。
会社の飲み会で二次会に出席する女子社員は結構いるけど
、二時、三時は少し遅すぎだと思う。
彼女曰く「だって断れないんだもん。どうやって断るの!」
飲みに出たら、最後まで付き合うのは当たり前だと思っているらしい。
天然でも信用していても容認することは難しい。
一度だけ、十二時までに帰るように言ったことがあった。
次に飲みに行ったときは、約束通り十二時前に帰って着たけど・・・
あとはだめだった。
彼女からすると一度だけの約束と思い込んでいたのかも。
以降十二時まで・・・の約束は守られたことはない。
いやだったけど我慢したよ。
そして、俺が嫌がっている事を理解して
いつかやめてくれると信じて五年が過ぎた。だけど・・・
四日前、彼女が帰ってきたのは午前五時。
浅い眠りから目覚めようとする頃に彼女が帰ってきた。
彼女が帰って来たことに気付いた俺は彼女に聞いた。
「今、何時だよ」
俺の言葉が強かったのか返ってきた言葉は
半切れぎみで「五時!」
そう言った途端に彼女の携帯がなった・・・
通話相手に「ちょっと待って」と一言。
携帯をもって部屋を出る彼女。
五時だって?電話が来る時間か?
横になったまま考える。
首都圏に住んでいるわけではないので、移動手段は車になる。
飲みに行くのにも車で出掛け、帰りは運転代行を呼ぶのが当たり前の地方都市。
だけど、終電があるように運転代行の最終は午前二時だ。
今まで何をやっていた?
眠い頭で考えていると、彼女はすぐに戻ってきた。
俺 「その五時に、だれだよ」
彼女「知らない人!」
俺 「そんな訳無いじゃん。朝の五時に知らない人ってありえねーよ」
彼女「知らない人!だって」
俺「こんな時間までどこで飲んでいたんだ」
彼女「沙希さんの店!もうすぐ起きる時間だから早く寝て!」
俺は言われるままに眠ろうとしたが、知らない人からの電話・・・
このタイミングで?
理解出来ない彼女の言葉に、思考が勝手に動き始めていた。
朝五時に電話してきたのは誰?
そういえば・・・
そんなに前のことではないが・・・
彼女が帰ってすぐに電話がきたことがあった。
勿論、朝方の事だ。
一緒に飲んだ女友達だと思って何も言わなかったが・・・
帰ってすぐ様子を伺う電話・・・
もっとあったのか?
俺が寝ていたから、気付かないだけで・・・
飲んだ帰りに、帰宅確認の電話が何度もきている可能性はかなり大きいが、
彼女に有利な二度に限定して思考を続ける。
彼女がアパートに入ったすぐのタイミングで
二度も電話が来るのはおかしい・・・
別々に帰宅したなら電話のタイミングは、ずれる。・・・必ず。
帰宅したタイミングを計れる方法は?・・・
電話の相手と二人で帰ってくれば・・・
送ってもらったのか・・・広がる失望。
そう仮定すれば電話のタイミングも合う。
この仮定を嫌う心が、思考を否定しようと
彼女の言葉と行動を再確認するが、出てくるのは肯定だけ。
そして、あろうことか思考よりも冷酷で耐え難い答えに心は行き着く。
心は、電話相手との親密性に気付いてしまった。
朝五時に電話してくるって事は・・・
かなり親密な相手か緊急をようする連絡。
でも話し方は、あきらかに親密な相手との話し方。
隣で寝ているであろう彼女が再び出かけることも、
慌てる素振りもないことから緊急な要件でないことが解る。
残ったのは親密な関係にある誰か。
望む答えに行き着くことが出来ない。
ただ飲んで帰っただけ。
そんな結論にどうしてもたどり着けない心は傷つくことを恐れ、
感情を挟む余地を持たない思考に希望を託し霧の中に消える。
心の束縛から解放され再び動き出した思考は、
俺の記憶から今日の出来事を詳細に引き出し
既知の事実より彼女の嘘を探ろうとする。
今日は本社で会議・・・
本社は他県にあるから出席の際は新幹線で移動することになっている。
彼女が会議と言っているのは全社員が本社に集まり、
社長から決定事項の通達を受けるだけの簡単なもの。
当然会議の終了は、遅くても新幹線の最終便にあわせている。
会議の後に飲み会があっても帰宅は十時を過ぎることはない。
何があってもそれ以上遅くなることは無い。
それなのに「寝ていて良い。」彼女はそう言った。
寝ていた方が都合良いということか・・・
始めから会議なんて無かったかもしれない。
無いとすると・・・
耐え切れない結果にたどり着くことを否定したい心がすばやく舞い戻り、
彼女に有利な会議はあった。と仮定することを思考に選択させ又逃る。
心は彼女の味方だ。
どんな時も。思考でさえ彼女に味方し、信じる為の材料を必死で探しているのだから。
(つまり、世界中で一番彼女が好き。愛してるってこと。)
-なぜ伝えなかった-
(照れくさくて言えなかった。)
-正直になれたな-
会議はあった。駅に着くのは九時半過ぎ。
沙希ちゃんの店は市役所に近い飲み屋街の一角にある。
駅からは車で三十分少しの距離。
常連だからとしても店に粘れるのは二時が限界だ。
どこの店でも同じだが飲酒運転を防止する為に閉店するときは、
最後までいるお客には必ず代行を呼ぶ。
客が断らない限り必ず。
でもその時間には帰ってこなかった。
断ったんだ。代行を・・・
親密な相手との仮定がほぼ確定に変わる。
運転代行を断ってまで二人でいたかった?
二時過ぎから今まで二人で何をしていた?
それ以前に、会議で遅くなる。
と俺に待つことなく寝ることを促し飲みに行く。
以前にもあった帰宅直後の電話。
かなり、前から親密な関係にあることが手に獲るように解る。
彼女の車はいつもアパートの近くの月極駐車場に置いている。
だがアパートから確認することは出来ない。
そして彼女を信用し、まったく疑わない俺は車の確認には、けしていかない。
俺の行動を知り尽くした、バレることの無いはずの嘘が小さな街の数だけ出てきた。
彼女に有利に考えたのに・・・
思考は、電話相手と朝まで酒を飲み、
店が閉まっても帰宅することを選ばず、
まだ二人で過ごす事にした彼女を明確にしている。
そして多分・・・
電話相手の車で送ってもらった事も。
思考は動くことをやめた。これ以上進みたくなかったから。
そして逃げ出した心に思考は助けを求めた。
もう一度心の暖かさに賭けるしかなかったから、けれど心には・・・
霧に隠れた心に悲しみが近づいて行く。
迷い子になることを望み自ら逃げ出し霧に埋れた心に
悲しみはそっと近づき残酷にそして狡猾に、
幾千年もの旅を続けた悪魔の使途のように鮮やかに。
怒りへと続く道を心に指示す。
心を取り巻く霧が悲しみにゆっくりと払われ、次第に風景が見えてくる。
左右に緩やかにうねりを見せながら続く煉瓦作りの細い道。
周りには古い家が並んでいる。
煉瓦道の脇には古い木製の電信柱。
傘をつけているだけの裸電球がひと時も離れまいと電信柱にすがり付いている。
その光は転々と続き煉瓦道と古い家の両方を薄っすらと優しく包んんでいる。
まるで昭和の初期か大正末期の雰囲気が漂う、夜明け前の薄明るい町並み。
煉瓦道の中央。
裸電球の光に照らされた小さな使途に身を変えた悲しみが、
道の先を指示し着いて来いと言わんばかりに振り返りながら、
ゆっくりと煉瓦道を歩いていく。
霧が晴れ、見た事の無いけど懐かしい風景。
心は悲しみの使途が用意した景色に強く魅せられ、
今や夜明けに変わろうとしている優しい光に希望を抱き、
心は恐る恐る悲しみに示された道を辿りだす。
やがて大きすぎ、渡りだしたらもう引き返すことは
出来ないだろうと思える程の巨大な吊橋が見えてくる。
吊橋のあまりの大きさに圧倒され引き返そうとする心に、悲しみの使途が先を促す。
それでも躊躇する心の後ろに廻り込んだ使途は、驚くほど優しく心を後押しする。
煉瓦作りの道をどの位進んだのだろう。
いつの間にか煉瓦道は石畳に、やがて踏み固められた硬い地面に変わっていた。
吊橋が目の前に迫ると、吊橋の中央と両端を支えている綱が、
空へ向かってどこまでも伸び続け、空に溶け込んでいるのが解る。
吊橋の下は大小様々な大きさの石や岩が連なり、
所々に木や草が生い茂り、その間を縫うように、小さなせせらぎが何本も流れている。
例えようの無い美しい風景をもっと見ようと引き込まれるように、
つり橋を渡り始めた心は、この吊橋が怒りへ続く道だと直感し引き返そうとするが、
狡猾な悲しみの使途は前よりもいっそう優しく心を後押しする。
何かにすがりたかった心は、魅せかけの優しさにあっさりと負け
戸惑いながらも安堵を感じ始める。
少しでも河のほとりに何か残したいように
振り向く心を悲しみはさらに優しくいたわるように心を河の向こう側に押していく。
やがて、吊橋を渡りきった悲しみの使途は安堵の息をつき、怒りへと姿を変える。
悲しみの使途も堪え切れなったのだろう。
悲しみのままで居ることが・・・
怒りへと姿を変えても悲しみは苦しんでいる。
怒りの中で小さくなっても消えない自分を。
自分が悲しみである事への憤りと逃れられない定めに。
そして悲しみの使途が楽になる為だけに怒り変わろうとした事を悔いながら、
吊橋を渡り終えた心にすがり付く。
心に悲しみと怒りが広がる。怒りに変わっても悲しみは消えはしなかった。
やがて悲しみと怒りを吸収した心が小刻みに怒りに震えながら、
怒りに変わっても消えない悲しみ色に染まった声で呟く。
全てを知・リ・タ・イ。
刹那、しばしの安息を終え心の行き着く先が狂気だと感じた
思考が心を遮り再び動き出す。心と違う結論を出すために。
いつから?そして何度会っていた?
そして何度、俺を騙した・・・
もう嘘で済ますことはできない。
嫌な考えだ・・・
過去の行動と言葉の変化から推測すると、
全ての始まりは半年から一年前。
騙されていたことを理解していく。
それもかなり長い期間・・・
思考も心と同じ結論を出そうとしている。
彼女への信頼の想いを作り出そうと、お互いを否定し別れた心と思考が再び結びついて行く・・・
今すぐ飛び起きて、誰と何をシテイタノカキキ・ダ・シ・タ・イ。
胸の中で氷よりも冷たい何かが作られているように急激に冷えていく異常な感覚を
洗練された防御本能が風のようにすばやく、
今までの記憶を封印し手の届かない遥か彼方へと追いやる。
まれに、封印した時の風景や流れていた音楽
そういった曖昧なもので蘇ることもあるが、
意図的に思い出すことはできない。
幸せだと信じていたい、強い思いが作り出した防御本能それが忘却。
この日の最後の記憶は、彼女の話は全く合わない・・・そして朝がくる。
(忘却することで一日?いや、数時間だがとても幸せな時間を手にすることができた。
けれど現実は無常だった。
彼女のことを考える頭の中で響き続けていたメロディがある。
忘却と一緒に消えるはずだった曲。
そのメロディはけして鳴り止むことなく、頭の中で響き続け
忘却と引換えにした幸せを永遠に奪ってしまった・・・
偽りの幸せでもよかったのに。)
-忘却が永遠であれば。そう望んでいるよ。
願い?違うな。
今となってはもう願いでもない。
ただの後悔だ。-
(そうだな。忘却でよかったんだ。
やっと見つけたんだ。裏切り、騙され続けた俺がやっと出会えたんだ。
俺を守るような優しさを持った彼女に・・・・・・
いや違う。忘れていたよ。
騙され続けた俺が唯一嘘をつかないと信じ込んだ女性。
だからゆるせなかった。だから・・・
けど希望が一つだけ残っている。
現在、過去、未来を区別することは出来ない。
もしかしたら忘却を作り出した強い思いの何倍も、
大きな想いがあればできるかもしれない。
強い思い?わからない。どうすれば手に入る?)
-違うんだよ。そんな力は無い。-
(考えるんだ!何とかならないか。)
-あぁ、どこかの学者が言っていたな。
1%の希望は100%の絶望より厄介だって。
わずかな希望にしがみつき諦める事をしないから。
そう思っても、また言えなかった。
1%の希望がどれだけ大切かを知っているから。
そして・・・100%の絶望が生み出す結論も。-
---記憶に残る未来の会話---
-過去と未来を繋ぐものそれが現在。
主役は現在?それとも未来。過去?
答えは様々だろう。私が知っているのは過去が現在を構成し未来にも
影響すること。
未来を映すことはできず、現在は一瞬。
なのに過去だけは永遠に続く記憶。
望む人生を送ることが困難なことは幼い頃に理解した。
言い訳がましくあいつが話し出す。-
(少しだけいい人生にしたいと望んだだけだ!
誰かの決定に逆らい人生を変えようともした。
自分の意志に逆らい違う道を進んだ。嘘で武装し違う人生を歩んだ。
全て少しだけ、ほんの少しだけ人生を良くしたかったから。)
最後の方はかすれて声にならない。
-流されれば良かったのか?
問いかけてもあいつは、いつも答えを持っていない。仕方がない事か・・・・
抗い、望み、生きるだけで精一杯なんだ。
もういいよ。答えは出たんだ。
ゆっくりと休むがいい。
何も考える必要は無いんだ。
初めてあいつに優しくできた。
でも、あいつは納得しない。
納得しないあいつに、諭すように優しく。
一般的だよ、普通なんだよ。
ただ欲が強かっただけ・・・と
何度も言い聴かせる。-
突然あいつが怒り出す。
(望んで何が悪い!希望が罪なのか!何が良くて何が悪いのか、どうすれば良いのか?お前は答えを知っているのか!)
-解らない。確かに答えも知らない。
子供の理論には勝てないか・・・
ため息と共に、わずかな間をとり考えるが、無駄だったようだ。
私は諦め、旅に出ることを提案した。
あいつは目を輝かせ、まるで人生を変える旅に出るような気になっている。
ほんの少しだけ早く登場した俺に、あいつは期待しているんだ。
残念だよ。そんな力は持っていない。
そう言いたかったが、今はやめておこう。
あいつの期待を裏切れるほど俺は強くない。でも大丈夫なのだろうか?
俺と、あいつと旅に出て何ができる?
そうか・・・あいつにはまだ時間がある。
未確定の未来がほんの少しだけ。
いずれにしても、あいつが望んでいる事とは違うだろう。
自分で提案して逡巡するなんて・・・
救いを求めるように、うつむき伏せ目がちにあいつをみる。
あいつはもう出掛ける気でいるようだ
その姿をみて私は心を決めた。
それじゃあ、出掛けようか。
そう言った後、呟くように小さく囁く。
わずかな希望を再び絶望に変えるための旅を
望む事が不幸の始まりと知るために。-