右腕が飛ぶ。
肩から血が溢れる。
現実を直視できない。
『
今までありとあらゆる脅威を打ち砕いてきた右手が、紙を裂くかのようにあっさりと断ち切られた。
肩が激痛の嵐に巻き込まれ、上終の許容外の痛みに脳が焼き切れて機能を強制的に停止させる。
司令塔を失った身体が糸の切れた操り人形のようにゆっくりと後ろに倒れていく。
「指が二本だけとは少々不格好だが、仕方がないだろう」
右腕を掴み取って言う。
この時、残された三人は確信した。
『勝てない』。
『戦いにすらならない』。
『今生きていること自体が奇跡だ』――と。
数秒先、もしくは数瞬先かもしれないが、彼らの息の根は驚くほど簡単に止まるだろう。
きっと骨も残らない。
物言わぬ灰となってこの地の肥やしとなる運命だけが、彼らの人生の終幕だ。
だが。
それでも。
抗う者はそこにいた。
彼女は杖を支えに立ち上がり、どこまでも澄んだ碧色の瞳で神域に到達した存在を睨みつける。
「何をしようと構わないが、戦うというのならおすすめはしないぞ。そこの死体と同じになりたくなければな」
笑い飛ばす。
恐れはしない。
たとえ塵になろうとも戦うと決めた。
魔神とは言うが、人の意思を見抜けない時点でヤツは私たちと変わらない。
死ぬ。
そんなことで人を脅す?
だと言うのなら、神というヤツは思っていたよりも大したことはない。
「ナメるなよ、魔神。お前は――」
ケテルはアイツを偽善者と呼んだ。
合っているとも言い切れないし、間違っているとも言い切れないが………私だけはそれを否定してやる。
上終はただ現実に異を唱えただけの子どもで。
上終は心の赴くままに行動しただけの異常者で。
それと同時に確かに人を救ったヒーローでもある。
救われた私が言うんだから間違いない。
〝その幻想を護り抜く〟
弱くても手を差し伸べるその強さに、あの時点で全ては報われていた。
「お前は自分のことにしか力を使えない、本当の弱者だ」
本当の強者とは。
他人のために手を差し伸べてやれる人間のことだ。
強くなくたっていい。
弱くたっていい。
困っている人間を助けたいと思う。それだけで充分、あんな魔神よりは何倍も強い。
「結局、強大な力を持ってるだけの愚かな人間だ。魔神なんて大層な称号があってもそれは変わらない」
ビギ、と音が響いた。
「ほう、ならば見せてやる」
バキバキバキバキッッ!!!と、氷にヒビが入りガラスが割れるような音が、連続して響く。ただし、割れているのは単なる物質ではなく『世界』。
魔神という世界が耐え切れないほどの存在に、空間そのものがヒビ割れて苦悶の叫び声をあげている。
「人間には到底追いつけない魔神の力をな」
彼が一歩踏み出すごとに世界が悲鳴をあげ、めちゃくちゃに破壊し尽くしていく。
ただそこに在るだけで世界を崩落させる存在―――それこそが、魔神。もはやケテルは完全な魔神に近づきつつあった。
彼はまるで買い物にでも行くかのような気軽さで言い放つ。
「手始めにこの世界を破壊してやるか」
「やはりな。お前の底は知れた――!!」
魔神といってもその程度。
この身朽ちるまで戦って人間の強さを思い知らせてやる!!!
「死ね、人間」
世界を破壊しながら魔神の手が動く。
「ほざけよ、魔神」
矮小な人間が杖を操る。
次の瞬間、莫大な力が溢れ出した。
魔神からではない。
上終からだ。
映像を巻き戻すような不自然な動作で、彼の身体が起き上がる。顔は下を向いていて、表情をうかがうことはできない。
ぐったりと上半身を垂れ下げた彼の右肩の切断面から透明な力が蠢く。
透明な力が現出したとともにバラバラに砕け散った世界の破片が、ガラスの破片を繋ぎ合わせるように修復する。
世界が元の姿を取り戻すのと同時に上終のようなモノから溢れ出す力はさらに膨れ上がり、世界そのものと融合した。
一瞬、地球上の全ての生物に違和感が走る。
喩えるのなら、スイッチを押して暗い部屋に電気をつけるような。違和感ではあるがどこか肯定できる変化だった。
生物たちが変わったのではない。
世界そのものが力の現出により変じた。
それが何であるのかは誰にも想像はつかないし、説明することはできない。
しかし。
ただ一言、ソレは言った。
「『天地繋ぎ』」
直後。
魔神の右腕が斬り飛ばされた。
続いて腹部に大きな穴が穿たれ、身体の各部に様々なカタチの傷が刻みつけられていく。
「な、に……ッ!!?」
己の鮮血に塗れながら、魔神は驚愕の表情を示す。刻みつけられた傷はしかし、隆起する肉で修復された。
上終のようなモノに攻撃をくわえようと動こうとするも、それより先に『何か』に身体が押さえつけられる。
『何か』による圧搾は徐々に強力になっていき、かの魔神を押し潰してしまいそうなほどの圧力。説明のつかない力が、二人を中心に渦巻いていた。
やにわに満ちる神気。
太陽よりも明るい光輝。
その威光はまさに神のモノに他ならず、魔神が纏った光輝の外套は圧搾を耐え切って跳ね返す。
「………誰だ! 答えろ!!」
声を張り上げる。
上終のようなモノは緩慢に上半身を起き上がらせ――――
「
――――歪な笑顔で言った。
直後のことだった。
人間では理解できない戦いが始まった。
どこまでも白い世界。
心地の良い暖かさに包まれながら、上終は大きなため息をついた。
「またここか」
初めて来たのはケセドの魔術で右拳を潰されたときだった。また妖精☆サンと会うことになるのか、と憂鬱な気分になる。
どうせ後ろにいるのだろうと踏んで、身体ごと背後に振り返った。
「…………………………」
言葉が出ないほどの圧倒的胸力だった。どうやら今回はミイラジジィではなく、褐色痴女らしい。
チョコレート色の裸身に白い包帯を巻きつけた銀髪の麗人だ。たまに瞳の色が変化する目の下に緑色の涙型のタトゥーが彫られている。
そんな褐色痴女は妙に色気のあるポーズとひどく甘ったるい声で、上終に話しかけた。
「初めましてね。私は綺麗な方の妖精☆サンよ……面倒くさかったら『ネフテュス』でいいわ」
「そ、そうか。まず訊いておきたいんだが、どうしてミイラの方の妖精☆サンじゃないんだ?」
もしや寿命というわけでもあるまい。
あのミイラなら寿命とかの領域を飛び越えて豪遊している絵が思い浮かぶ。偏った考え方だが、上終はそう信じている。
ネフテュスは呆れたような顔をした。
「……気まぐれね。私もアナタのことを見ておきたいと思ってたのよ」
憂いげな表情で言うネフテュス。上終にはわからない事情があるのだろう。
無理矢理自分を納得させて、褐色の妖精に抱いていた疑問をぶつけることにした。
「どうなったんだ、あっちの世界は」
魔神が現出した世界。
焼死体となった仲間たちの姿が脳裏をよぎり、最悪の想像を精一杯に振り払った。
「そうね。見せてあげるわ」
無造作に腕を横に振るうと、白い空間に水のような画面が浮きあがった。そこに波紋が生まれ、絵の具を落としたように色づく。
無数に色が混ざった画面に映しだされたのは衛星写真のような映像だった。
そこでは光り輝く外套を身にまとったケテルと右肩から透明な力を渦巻かせている上終が争っている。
まさに人智を越えた戦い。
魔神が何らかの行動をしようとすれば、見えない何かに押し潰される。あの魔神の全力を相手に、上終は優勢を保ち続けていた。
「……こんなモノかしらね。あの男は『魔神』を過小評価しすぎなのよ」
世界を壊すだけの容量があることは認めよう。魔神の域に到達していることも認めよう。世界を壊せる力を持っていることも認めよう。だがしかし、ネフテュスから言わせれば『その程度』だ。
魔神をただの強大な力を持つ存在としか認識していなかったのが、ケテルの間違い。知識を力として許容するなんてもってのほか。
力を追い求めたが故に。
上位の魔神からすれば、ケテルの存在は失敗以外の何物でもない。
横目に隣の上終へ視線を流すと、彼は食い入るように画面を凝視していた。
「ね、ネフテュス。これはどういうことだ? どうして俺が戦っている?」
真剣に問う上終にネフテュスは気軽に返答する。
「アレはアナタじゃないわよ。世界そのものと安定化の力―――『神の理』。名前にもあるでしょう?」
上終 神理。
あのミイラの妖精は上終には『世界を安定化する力』があると言っていた。あの時は元の世界に戻ることに夢中で、その事実を深く考えることはなかった。
しかし、今回ばかりは逃避していられない。どこかの誰かが勝手に身体を動かしているという事実を追求しなくてはならない。
彼の内から湧いた疑問は極めて単純。
「俺はどんな存在なんだ……?」
人間と自覚しているのはただの思い込みに過ぎないのかもしれない。人間の皮を被ったナニカという可能性だってある。
そもそも人間とはどんな定義をもって語られるのか。
疑問点はいくつもある。
記憶を失っていたこと。
傷の治りが早いこと。
右手の力のこと。
記憶喪失はあれより前の人生がなかったということではないのか。傷の治りが早いのは人間じゃないということではないのか。右手の力は―――違う、俺は俺だ。それで良い。
……本当に?
不意に内ポケットにしまっていたホムンクルスの死体が思考をかすめた。
敵を殲滅するだけの役割しか与えられずに逝ったホムンクルス。俺は『世界の安定化』の役割を与えられただけの人形じゃないのか。
その役割が果たされたあと、俺はどうなる?………消えてなくなるのか。もしそうだとしたら、俺が生きた意味は無い。
思い詰める上終に対して、ネフテュスは女神のような慈愛の微笑みを浮かべて言い聞かせる。
「アナタはアナタで良いのよ。自分の思い通りに進みなさい。『そこに救われぬ者がいるなら、全てを投げ出して行動できる者』――それが上終 神理なのだから」
『位相』という概念がある。
科学の世界では物理学で取り扱う概念だが、魔術の世界ではまた違った意味を表す。
この世界において、人間が見ている世界はまっさらなモノではない。地球上の各国に存在するあらゆる神話や十字教、仏教、神道などが生み出した世界が重ねられている。
人間は『天国』、『高天原』、『アースガルド』、『オリンポス』、『ニライカナイ』といった宗教概念というフィルターを通して世界を見るため、その世界は歪められた世界なのだ。異世界とも言い換えられるだろう。
これらは空想や妄想ではない。
むしろ、魔術の世界においては確実にその存在が認められている。なぜなら、魔術とは異世界の法則を現実に適用することだからだ。
全人類は位相というフィルターを介して世界を見ているために、位相を改変する力があれば世界の見え方はガラリと変わるだろう。
「ぐっ!」
「どうした、魔神」
『神の理』は歯噛みする魔神を嘲笑った。
魔神は位相を改変する力を持っており、ケテルもその例に漏れない。だからこそわかる圧力の正体。
これは『位相』だ。
無数にある異世界を無数に切り分け、無数の世界そのものの質量をぶつけている。
攻撃の正体が判れば後は簡単だ。位相を操作する能力で以って跳ね返すか受け流すかしてやればいい。
が、それは叶わない。いくら干渉しようとしても、さらに強い力で押し返されて弾かれる。
「『天地繋ぎ』」
魔神が無数の位相に押し留められる。想像もつかないような質量は完全に動きを止めた。
今や右肩から噴出する透明な力は純白の光に凝縮され、右腕の形を成していた。透明な力はその右腕から放出され、世界と同化している。
おもむろに光の右腕を振るうと、魔神の身体にいくつもの穴が出来上がった。再生力で以って治そうと試みるも、治っていないと表現したほうが良いほどに遅い。
「……気づいたか? 『天地繋ぎ』の正体、私の正体に」
上終の口から発せられる声は上終のモノではなく、少し女性寄りの中性的な声だった。
彼……彼女は魔神の憎悪に満ちた視線を受けて、より笑みを深めると軽い足取りで近づいていく。
彼女の笑顔は優しさなど微塵も込めていない。目の前の獲物を捕食する獰猛な笑みだ。
「『
「おっと、その先は禁物だ。何より貴様なんかに私の神理の名前を呼ばれるなんて反吐が出る」
手の平を魔神に向ける。
後に起こったのはまさしく光の爆発。
その光には数えきれないほどの断面があり、そこから覗く景色は色々あれど全てが終末を描いたモノだった。
各神話で描かれる終末の世界だけを切り取って魔神に当てる。
つまりはそういうこと。
ノアの洪水、天国より降りてくる天の軍勢、溶岩と炎を撒き散らす剣を持った巨人、一瞬が引き伸ばされた神のまばたき、全知全能の雷神と死闘を繰り広げる怪物―――――光の断面ひとつひとつに、神話の終末の威力が詰め込まれているのだ。
「あ」
叫ぶことすら許されない。
正確には叫ぶ暇もなく終末の光によって跡形もなく消し飛ばされた。本来ならば死を乗り越えたケテルには、死ぬという概念すらなかった。
だが、『神の理』は世界の法則を書き換えることでケテルを可殺状態へと追いやって、殺し尽くしたのである。
「相性が悪かったな。――隠世に到達できる魔神だったのなら勝ち目はあったというのに。少なくとも『ここ』で敗けるつもりはないさ」
魔神は死んだ。
『神の理』がレイヴィニアに振り返って、今度は心を溶かすような暖かい笑顔で言う。
「そこの少女よ。神理を頼んだ」
バシン!!と莫大な力を凝縮させた光の右腕が潰され、元のような右腕が生え揃っていた。
直後に世界のスイッチも切り替わり、元へと戻る。全身から力が抜けた上終の足取りは、ふらふらと死人のようにおぼろげだ。
前倒しに崩れた身体を、レイヴィニアは『神の理』に頼まれた通りに両腕で受け止める。この光景をみて悔しそうに地面を叩くマークはこの際無視する。
弱いが確かな心臓の鼓動。
もたれかかるようにしていた上終はゆったりと首をもたげて、レイヴィニアの顔を覗きこんだ。
「戻って、きたぞ………」
微笑みかける上終。
その表情を向けられたとき、少女の胸の鼓動が跳ねた気がした。頬も少しだけ紅くなっている。
「……離していいか」
「勘弁してくれ」
ここに魔神との戦いは終わりを告げた。
……陽炎の城から離れた場所。
そこにはあまりにも場違いなゴールデンレトリバーが、最新鋭の望遠鏡を覗き込んでいた。
背中に機械製のアームが取り付けられたバックパックから、アームを使って口元に葉巻を持ってくる。
ある種の笑いすら込み上げてくるようなおかしな光景だが、ゴールデンレトリバー自身は本気だ。犬は口に葉巻を上下に動かし、紫煙をくゆらせる。
「ふむ、興味深い存在だ。私が人工的に作り出された『対魔神兵器』とすれば、彼は天然モノということか。『木原』の血が騒ぐじゃないか」
彼の名前は『木原 脳幹』。
科学サイドの学園都市からこの地に派遣されてきた、しがない研究者である。もっとも、研究されるのは彼の方であるべきなのだが。
さて、と彼は前置きして横を見やる。
そこには見る影もなく痛めつけられ、死にいく寸前の魔神の姿があった。魔神はゴールデンレトリバーを睨みつけ、緩慢に立ち上がっていく。
「お前は……アレイスターの差し金か!」
「正解だ。『黄金の夜明け団』……彼も昔はそこに身を置いていたのだろう。君が知っているとは驚いたが」
殺意が向けられる。
満身創痍とはいえ魔神は魔神に変わりない。
何の力も持たないゴールデンレトリバーなど、道端に転がる小石にすら成り得ない矮小な存在のはずだ。
だがしかし、彼は飄々と言った。
「『
瞬間。
ドドドンッ!!という轟音を引き連れて、多種多様な兵器が舞い降りた。それらは脳幹を中心に寄り集まり、鋼色の小さな山が出来あがる。
そこにあるのは明らかに過剰な戦力。ノコギリから刀のような刃物、大砲、アサルトライフルさらには、レーザービーム発射装置から液体窒素や殺人マイクロ波などの学園都市の粋を集めた兵装だ。
「兵器で殺せると思ったか……!!」
忌々しげに吐き捨てる。
脳幹は煙を吐き出して、妙齢の男性のような仕草で首を振った。
「若者よ、逸るのはいけないな。それと兵器を侮る発言はいただけない……これは男のロマンだよ」
「――殺す!!!」
魔神が走り出す。
彼が繰り出した一撃は兵装もろとも脳幹を灰も残さず焼き殺す威力を秘めていただろう。
ガシャシャシャッ!!!と金属のアームが擦れあい、兵器群の攻撃の切っ先が魔神へと向いた。
空気の嘶きとともに銃弾の幕が形成され、文字通り蜂の巣にしたところを砲弾が胸を爆砕し、レーザービームが脳を貫いた後に刃物が身体をバラバラに斬り裂く。
ぶつ切りにされたケテルの身体が地面に落ち、おびただしい血の池を作り上げる。
一瞬にしてこの破壊をもたらしたゴールデンレトリバーは、葉巻を咥えながら耳元の通信機器に問う。
「これでいいか、アレイスター」
『ああ、よくやってくれた。彼の存在は「計画」にはあまりにも邪魔だったからな』
「ふん。そういう男だろうな、君は」
猛威を振るった魔神はいとも簡単に撃滅された。それすらも彼らにとっては通過点でしかない。
『「
序章は終わった。
これより始まるのはヒーローたちが紡ぐ
魔神がボコボコにされる物語なんて考えてませんでした。ゴールデンレトリバーがおかしい。
次回はお約束の病院から。