ようやく二巻の内容も終わりです。ここまで魔術にどっぷり浸かってたので次からは科学尽くしですね。
アウレオルス=イザード。
パラケルススの末裔たるチューリッヒ錬金術を学び、ローマ正教の
隠秘記録官の仕事は古今東西の魔女の邪法を解き明かし、それに対する対抗策を魔道書に記すことだ。
最初は純粋な善意だった。人道を無視した魔女の脅威から、罪なき人々と仲間を救えると信じていた。
思えば、その熱意は狂気じみていた。
三日三晩睡眠も食事も摂らずに、ペンだけを動かし続けるなんてことは当たり前。
場合によっては年単位の時間を必要とする魔道書の作製すらも、狂気的な執筆速度でたった一月で成し遂げてみせた。
アウレオルスはそのことで世界の全てを救えると信じていたから。
地球全土は救えなくても、自分の視界に映り自分の手が届く範囲だけはどうにかしたい。
事実、彼の書き記した魔道書は多くの人々を救うことができた。……その時、彼は思ったのだ。
〝これで世界中の悲しみを〟――――無くすことなんて、人間がさせなかった。
ローマ正教はアウレオルスの記した魔道書を独占し、自分たちだけの『切り札』にした。
信者を取り込み増やすため、同じ十字教であるイギリス清教にもロシア成教にも知識を伝えなかった。魔女の脅威から逃れるにはローマ正教に集うしかない。
それを記した人物は宗教も人種も身分も乗り越えて、全ての人々を救うことを望んでいたというのに。
彼が魔道書をローマ正教から持ち出すことを選んだのは、ある日の教会の一幕に起因する。
一人の母親と二人の子供だった。
母親の見目は麗しいものの、その身なりからして貧しい生活を送っているのだとうかがえる。
むしろ特筆すべきは子供だ。おそらく兄妹であろう二人の子供は、体表の至る所にドス黒い斑点が浮かび上がっていた。
(判然。
当時のヨーロッパ総人口およそ二分の一を死に至らしめた最悪のパンデミック。付随して巻き起こる民衆の騒動により、十字教分裂の原因にもなった悪魔の病。
ペストの恐怖は戦争にも発展したため、魔女にとっては魔術に利用する格好の手段だったのだろう。
病原菌を使った魔術はそう多くない。
アウレオルスの魔道書を引用すれば、如何に症状が進んでいようとも助けられる魔術だ。
「お願いします。この子たちを助けてください…!!」
端正な顔を涙で濡らして嘆願する母親。
彼女に歩み寄る神父は肥えた胴体をしており、無精ひげの生えた面を醜悪に歪めていた。
彼の表情の裏にあるモノは救われぬ人間に向ける慈愛などではなく、どこまでも下卑た劣情と淫欲だ。
「もちろん、その子たちは助けましょう」
アウレオルスは続く言葉を聞いた。
確かに彼の耳は音を捉えた。
鼓膜を震わせた振動はすぐさま脳内に到達し、脳はその情報を受け入れようとしなかった。
数秒の咀嚼の後に、ようやく理解できた途端に彼の意識を支配したのは果てしない憤怒。
〝ただし、私の寝所に訪れた後で……ね〟
神父は見返りを求めていた。
迷える子羊を導き、無償の愛で以ってローマ正教全体の奉仕者となるべき神父が報酬を求めたのだ。
しかも、その報酬とは一人の男性に捧げたであろう母親の純潔。
アウレオルスが血が沸騰し、頭蓋骨が赤熱したかのような限度外の怒りに身を任せる決断をしたのは一瞬である。
彼に実戦経験は無かったが、学んだ錬金術をほんの少し悪意を持って使うだけで人は木偶人形と化す。
出来上がったのは両腕両足が螺旋し、ありえない方向に折れ曲がったモノだった。
問い質せば、この神父は過去にも何度かこのような行為を行っていたという。
神父の自白を聞いたとき、アウレオルスが感じたのは宇宙の底よりも深い果てない絶望。
彼は入力されたコードを実行するだけの機械と成り果てたように、魔道書の知識を駆使して二人の子供を救った。
所詮は理想論。
これをこうしたからこういう結果が出るなんてことは無い。物事の結果は当人以外の力にも影響される。
だから、善意から産まれた魔道書が多くの人々を見捨てることになったとしても、それが世界なのだと割り切るしかない。
魔道書を持ち出したアウレオルスが向かったのは、『魔術の国』と言われる故に魔女の被害が多いイギリスだった。
イギリス清教と接触するのは容易くなかったが、偽装に偽装を重ねることで成功する。
そこで出逢ったのは
救われない一人の少女。どう手を尽くしても救えない救われない。アウレオルスは一目見ただけでそのことを理解してしまう。
『Index-Librorum-Prohibitorum』。
どうあがいても逃れられない絶望を知ってか知らずか、天上の太陽にも勝る輝きを放っていたのだ。
魔道書でも届かない絶望。最初はただの憐れみと同情で、盲信的にペンを走らせ続けた。
アウレオルスにはそれしかなかったから。
愚直に本を書き続け、それをイギリス清教に届ける。その度に出逢うインデックスの姿を見て、救済の使命感に突き動かされた。
彼をもう一度狂気的な執筆に赴かせたのは、恋慕にも妄執にも似た使命感に違いない。
しかし、魔道書を書いて教会を訪ねる都度に精神の奥底から湧いて出る確信に、ある日ふと気付く。
私はインデックスを救っていたのではない。
自分自身を呪った。自分勝手な救いを得るために私利私欲で魔道書を書き上げ、決して届かない救済に手を差し伸べる。
これでは、あの神父と何も変わらない。
色欲に身を染めたあの男と、救われない救済を理由に救いと接触していた自分。そこにどんな差があるというのか。
そうして、決めた。
どうせ思い出が消えてしまうなら。
何もかもが無かったことになるなら。
せめて、彼女が生き抜いていくのに役に立つであろう知識を教授しよう。
思い出は消えてなくなってしまうけれど、知識ならインデックスは覚えていられるはずだ。
アウレオルスは『先生』になろうとした。
授業をして知識を与えた期間はほんの数カ月だったが、彼にとっては淡く色付けされた充実した日々だった。
緩やかに終焉を迎えていく日常はそれでも、アウレオルスの人生の中で最も色彩豊かな時間。
終わりはあまりに呆気ない。
顔も名前も知らないイギリス清教の魔術師。術式を展開し、数行節の言葉を紡ぐだけでインデックスの記憶は消失した。
永遠に消え去った記憶だが、彼女が残した言葉はアウレオルスの記憶から消えることは決して無いだろう。
〝あなたのおかげで、私は救われたんだよ〟
世界の色彩が削ぎ落とされた。
ナイフで絵画の絵の具をこそぎ落としていくように、あとに残るのは何もない白いキャンパス。彼にあるのは真っ白な絵の具。
白いキャンパスに白い絵の具を塗りつけても目移りしない。ただ、一層白みが増していくだけだ。
アウレオルスの人生は喩えるのならそれだった。
色彩の無い世界で如何な行動を起こそうとも、白い絵の具を塗ったように虚無感が強まるのみ。
ゆらめく情景に色彩を。
錬金術師は救われるために走り出した。
三沢塾近辺の公園に彼らはいた。
先程まで夜空に輝いていた星は黒く重い雲に隠され、その隙間から月が妖しく顔を覗かせている。
「……何が起きた?」
口の中で小さく呟く。問い掛けたのはこの場の誰でもなく、己の深奥に存在するナニカに対してだ。
だが、答えが返ってくる気配は無い。
飛び降りる最中の出来事で彼女のことをないがしろにしてしまった。そのせいで出てこないのだろう。
固まった血がこびりついた掌を額に当てる。
(……三沢塾。『
〝――
あの錬金術師は、アウレオルスは極細の針を首筋に突き立ててそう言っていた。否、『命じていた』。
アレは魔術なのだろう。が、実際に効力を受けた上終自身ですら信じられないほどの現象だ。
(言ったことが現実になる魔術……?)
それが本当ならまさに反則級。何でもアリの理不尽の具現のようなチカラは、あの魔神に届かずとも近い位置にあるだろう。
ただし肯定するにはいささかの躊躇があった。
『全て忘れろ』という命令が実現するなら、上終は三沢塾で起きたことを文字通り全て忘却するはずだ。
しかし、彼は今もこうして三沢塾で起きた事象についての考えを巡らせている。
アウレオルスのあの力が魔術であることには変わりない。魔術の効果であれば打ち消すことも可能なのかもしれない。
(魔術をオレが打ち消した……違う。オレに行動を起こす時間はなかった。それに異能を消すのは『
『
右手の力という観点から見れば同質と言えるだろうが、双方の本質はあまりにもかけ離れた異質なのだ。
そうして、ひとり結論を出そうとしたその時、口内に鉄くさい血の味が広がった。
「……っぐ」
額の手を下げて口に当てる。
胸の奥からせり上がってくる血の塊を押し留めきれず、唇の端から生温かい血が掌に滴り落ちた。
同時に、肉体から力が抜けていく感覚が実感として現れる。単純な力ではなく、重い荷を取り払われたような感覚だ。
僅かではあるが、『上終 神理』という存在すら薄く消えかかっているかのような実感に、言いようのない不安が募る。
身体に蓄積した毀傷の数々が体力を奪っているのだろう。続々と込み上げてくる血をどうにか飲み干す。
「君、何か知ってるんじゃないかい」
血を嚥下しきったところに話しかけてきた辺り、早々にアタリをつけていたらしい。
ステイルはこの状況に嫌気が差しているのか、相当に不機嫌な表情をしていた。彼の言葉につられて、上条の目が上終に向く。
確かに三沢塾での記憶がある分、上終は二人よりも現状は把握できている。それを認めるなら、彼が魔術を防いだことと同じだ。
(可能性は……まだ知らない『天地繋ぎ』の力か、アウレオルスの魔術がたまたま失敗したか。もしくは何らかの条件があったのか)
考えても判りはしない。胸の奥に重く沈殿する疑問を無理やり無視して、上終は推測を述べる。
「オレたちはあの三沢塾に突入して戦い、アウレオルスにそこで起きた記憶を抹消された。『幻想殺し』で頭でも触れれば治せるんじゃないか?」
そこで、違和感に気付く。
三沢塾での記憶は残ってはいるが、前後の繋がりがあまりにもあやふやだった。
複数の場面がミキサーでかきまぜたように脈絡無く浮かび上がり、それらの光景の因果関係が狂っている。
アウレオルスの魔術とそれを防ごうとしたナニカが反応を起こした結果、記憶が混濁したのだろう。
妙に冴えきった脳を稼働させて至った結論だったが、『天地繋ぎ』の一端を理解したことで推論は確信に昇華された。
「それもそうか。よし、やってみろ」
タバコの煙を吹かして命令するステイル。何の気なしに言い放った言葉に、上条はギョッとして言い返した。
「ちょっと待て。俺の右手と魔術がなんやかんやで頭爆発なんてことになったらシャレにならねぇぞ!?」
「ならないだろうから安心しろ。異能なら何でも打ち消せる力だろ、ソレは」
魔術ド素人の上条に、ステイルが肩をすくめて言い聞かせる。明確には否定しないところが余計に警戒心を駆り立てる。
思い切り良く右手を頭に押し付けると、
「ッ!?」
パキン、という安っぽい音とは裏腹に、膨大な情報が上条の脳内に雪崩れ込んだ。
『全て忘れろ』――その命令は妄言ではなく、現実に効力を持って三人の頭に干渉していた。
冷や汗をかく上条の様子を見て察したステイルが催促すると、叩く勢いで彼の側頭部に平手を打ち付ける。
幸いにも炎剣が飛ばなかったのは、一気に流入してくる記憶情報に難儀していたからだろう。
「……なるほど。この状況で考え得る限り最悪の力を手に入れたというわけだ」
一人納得するステイルに上条と上終の視線が飛ぶ。
説明を求めていることを暗に語っている視線を受けることで、彼の中でも理論が構築されたらしい。
「『
金の練成に賢者の石の創成以前の思想。上終の脳裏に思い浮かんだのは、やはりパラケルススだった。
賢者の石を製造し不老不死を手に入れたあの錬金術師ですら『錬金術』という学問では、ある一つの到達点に過ぎないのか。
「もちろん、個人が目指す到達点はそれぞれだ。実際に錬金術が中国に伝わった結果、不老不死の霊薬を創る練丹術として改変された事例もある。つまるところ、彼らは思い描いた『理想の物質』を造りたいわけだ」
思い描いたモノを具現化する。それは人類の夢であり、現在も日夜多くの研究者が目指していることだ。
あらゆる奇病難病不治の病を治療する万能薬。時間旅行を可能にする機械。指定した場所に一瞬で到着する夢の乗り物。
子どもがチラシの裏にクレヨンで粗雑に描いたような『理想』を現実にしたい。
魔術と科学に関わらず、その道の研究者は己の理想を実現するために活動している。
まず、そのために必要なことは?
「――
喩えば家を建てる時、漠然と完成形を思い浮かべて建材を組み合わせるのでは、用途と努力に見合わないハリボテが出来あがるだろう。
だから、建築家という職業があるのであり、家を建てることと設計図を書き上げることは共にほぼ同義となる。
脳内世界で仮想の家を組み上げ、設計図として現実に出力する一連の過程はある一種の魔術ともいえるのかもしれない。
これを突き詰めた学問こそが錬金術。
連想するのは言葉一つで記憶を忘却させてみせたあの錬金術師だった。
「じゃあなんだ、アウレオルスは錬金術を究めちまったってのか!?」
上条がその脅威に声を震わせる。口では訊いていても、既に答えは得ている。そんな調子だ。
案の定、ステイルは頷く。
「そうだ。僕もこうして体験するまでは信じられなかったけどね」
「……勝てるのか? 思いのままに現実を歪めるような相手に」
世界の全てをシミュレートし、思い描いたモノを自由に引っ張り出せる。これは強さの域から超越した神仏の力さえ利用できるのではないか。
上終の予想とは反して、ステイルは魔術師の顔で首を横に振った。
「勝ち目は無くはない。アウレオルスの――」
言葉が途中で切れる。
彼にしか感じ取れない何かが起きたのか、二人には言葉を切ったモノの正体がつかめない。
見て取れるのは、ステイルの肌に脂混じりの冷や汗が噴き出していることだけだ。
「『
遡ること数分。
アウレオルスとインデックスの邂逅。前者にとっては三年間待ち望んだ出逢いであり、後者にとっては予期せぬ出来事だった。
思い描いたことを実現する『黄金練成』。彼がそれを手に入れながら、即座にインデックスを救えないのには理由がある。
一つは、過去に強い意思で『救えない』と思ってしまったから。
黄金練成は想像したことを実際に現実にできる。そこまではいい。だが、実現することは何もプラスの出来事ではないのだ。
アウレオルスが絶対に勝利すると思えば、相手がどう行動しようとも敗北は訪れない。
アウレオルスが絶対に敗北すると思えば、相手がどう行動しようとも勝利は訪れない。
過去にこの少女は救えないと確信してしまったからこそ、アウレオルスの黄金練成では彼女を救えはしないのである。
……そして、二つ目。
「私のためにがんばってくれたんだね、ありがとう。でも……」
アウレオルスは気づいてしまった。
この少女は既に救われている。おそらくはあの三人の誰かに、完膚無きまでに完全に救われている。
右手の内に握り込まれた真紅の石。撃破されたパラケルススから奪ったソレが、インデックスを救う方法だった。
でも、もう遅い。
三年前のあの時一目で救えないと悟ったのなら、今回のこの瞬間もそれと同じだった。
アウレオルスの思考が極限まで冷却され、ブラックホールめいた喪失感が心に穿たれる。
故に彼が察知するのは遅れた。
ステイルが三沢塾突入前に張ったルーンが侵入者に呼応し、摂氏3000度の炎の巨神が降誕する。
轟!!と空気を焼き焦がし飛来する炎の鉄拳。アウレオルスの背を貫き灰すらも残さない必殺が彼を襲う。
鍼を首に突き刺すことすら叶わなかった。否、鍼を取り出す必要すらなかった。
たったの一言。
「
宣言通り炎の巨神は間断なく滅却され、火の粉一つ残さずこの世から消去される。
おそらく、学生寮の至る所に刻んであったルーンすらも消しゴムで擦りつけたみたいに消えてしまっただろう。
大元を絶ってしまえば再生は不可能。『消えろ』という一言は魔女狩りの王とルーンの両方に向けられていたのだ。
窓から差し込む月明かりに真紅の石が照らされる。複雑に光を反射した賢者の石はどこか切なげで。
アウレオルスはまたも失敗したことを理解した。
感情のやり場が見つからない。本当にインデックスの幸せを願っていたのなら、彼はここで目的を達成していた。
だというのに、心情を支配する感情に『歓喜』の割合は驚くほど少ない。大半を占める喪失感と残りを埋める無力感。
全身から力が抜け、絶対零度の域に達した思考が弾き出したのは、この世界への罵声だった。
世界は非情だ。
人間がいくら救いを求めようとも、人間がいくら死のうとも関係ない。無数に輝く星々や死んでいく人々は新生する細胞に過ぎない。
当然、そんな世界に無限大の文句をぶつけようとも何かが変わるわけじゃない。
アウレオルスの生きる意味は消失した。
生きる意味を失った人間はどうなるのか。自死を選ぶかもしれないし、生きてもいないし死んでもいない精神の死んだ人間になるのかもしれない。
(……断然、答えを導くことに意味はない)
彼は失敗した人間だ。
世界がまた違った回り方をすれば、いまインデックスの隣に立っていたのはアウレオルスという可能性もある。
だが、とうに過ぎた事象を追求しても何も進展しない。
体感では数時間に及ぶ思考の末、アウレオルスが辿り着いたのは、
(『成功した人間』と『失敗した人間』……その違いを見極めさせてもらう)
髪の毛のように細い鍼。首にその先端を突き立てると、彼は静かに呟いた。
「
ツンツン頭の少年は異能を打ち消す右手を持つ。それはアウレオルス=ダミーとの戦いからも察せられる。
彼を対象にした黄金練成は無効化される。アウレオルスが対象としたのは学生寮の人間。
あの右手は異能に対しては無敵だが、異能で破壊した岩の破片を防ぐことはできない。異能であっても遠回りした方法で右手を攻略できる。
(これで、終わりだ)
終局は近付く。
扉が開け放たれる。
白いスーツを着た緑髪の錬金術師。全身を青白い月の光でぬらした彼は、儚げな雰囲気をまとっていた。
インデックスは拘束を解かれているものの、危害を加えられた様子はない。
「私は」
誰よりも早くアウレオルスは口を開いた。
口を挟む隙もない……いや、とても彼に何かを言えるような生易しい状態ではない。殺気じみた気配がそれを封じている。
「失敗した人間だ。己の救いに囚われた忌むべき愚者……私の道は間違っていたのか?」
「さあね。一つ言えることは、この世に『成功した人間』なんてほんの数えるくらいしかいないってことさ」
錬金術師と魔術師の視線が交錯した。
インデックスに振り回され、インデックスに全てを捧げた彼らだからこそ思うところがあるのだろう。
アウレオルスは皮肉げに笑む。白銀色の淡い光を放つ鍼を人差し指と親指でつまんで取り出す。
「……貴様か」
目で突き刺す。あらゆる感情が混沌とした瞳を向けられ、上条の全身が異常な寒気を覚えた。
震える身体を意地と根性で押さえつける。アウレオルスを真っ向から睨みつけ、口を開く。
「聞いたぞ、アウレオルス。お前もインデックスに関わった人間の一人だってことを」
「公然、それならば話は早い。生きる意味も目的も理由も失った私の全てを受けてもらう」
結局、止まれなかった。
彼には後戻りする気力は無く、先に進むだけの理由なんてとうに知らない間に失われていた。
だからこれは、単なる八つ当たり。
失敗した人間が成功した人間に行う見るも醜悪な食い下がりだった。それが判っていながらも、戻るという選択肢はもう選べない。
一度悪役になってしまったからには。
そこから他の役に移ることなんて許されない。
『
忘れ捨てたその名前が、アウレオルスの胸中に鋭く重い楔として打ち込まれる。
(……せめて)
この時、彼が何を思ったのかは彼にしかわからない。
黄金練成は少しでも不可能だと思ってしまえば、想像は実現しない。魔術を行使する際に鍼を使うのはそのためだ。
無論、現代では鍼治療は使われていないことからも分かる通り、飛躍した効果ではない。
精々、神経を直接刺激することで脳内物質の分泌を促し、不安を取り除く程度の効果だが、それが黄金練成に合っていた。
鍼の先端が表皮を突き破り侵入する。
「
その一言で充分だった。
上条を除いた全員の意識が剥奪され、重い音を立てて身体が崩れ落ちる。いや、全員というには語弊がある。
「ごっ、がばぁっ……!!?」
おびただしい量の血が逆流する。数瞬先には意識どころか生命の炎すら絶えてしまうのでは、と錯覚させるほどの虚脱感。
世界が滅茶苦茶に回転し、自我が好き放題に食い荒らされる。頬を濡らす生温かい液体が自分の血であることにも気が付けないほどに。
これならばいっそ、アウレオルスの意のままに昏倒させられていた方が楽だった。
まるで世界が戦えと命じているかのように、死の淵に追いやられてもなお意識を手放すことは叶わない。
(オ、レは……
いくら思考を働かせても答えが出るはずも無く、彼はただひたすらアウレオルスと上条の戦いを傍観することしかできなかった。
主役は上終 神理に非ず。
「俄然。得体の知れない存在だな、ソレは」
憮然とした表情で物言わぬ上終を俯瞰しつつ、アウレオルスはもう一本の鍼を引き抜いた。
「……くっ!」
思わず上条が駆け寄ろうとした瞬間、
「―――窒息せよ」
誰に放たれた言葉なのかは明白。
如何な効果を発揮するかは確実。
対応に失敗すれば――――死!!
ガクン、と上条の足から力が抜け落ちる。鉄のワイヤーで編まれた荒縄が首に巻き付いているかのような感触に、上条は戦慄する。
右手を必死に持ち上げる。中指の先が首を掠めるが、解ける気配は一向に無い。
「ぐ…ぁ」
それならばと、力を振り絞って右手の指を口内に突っ込む。多少荒々しい方法だったが、命と引き換えに建前を取っている場合ではなかった。
窒息から解放された上条に間髪入れず次の攻撃が襲いかかる。
「
ズオッ!!と凄まじい勢いで壁が床が天井が、無数の鎖へと形を変えて上条に殺到した。
周囲の物質を利用した攻撃――幻想殺しでは鎖自体を打ち砕くことは出来ず、『標的を拘束せよ』という命令しか無効化できない。
取り囲む飽和攻撃が上条を絡めとろうとした直前、時が止まったみたいに鎖の群れが動きを止める。
『天地繋ぎ』。対象全体を止め、絶対非干渉の性質を付与する力に阻害されたのだと察するのに、多くの時間は要らなかった。
隙間から抜け出る上条。待ち受けるのは、
「
意思を持った複数の雷電。
だがしかし、上条はとある事情から、電気を右手で防ぐことは慣れていた。
眼前に右手を突き出し、雷電の壁を打ち破る。三沢塾の部屋なら事情は違ったが、ここは学生寮の一室。拳の間合いまでの距離は遠くない。
ミシリ、と右の五指が拳を形作る。
狙うはアウレオルスの顔面。岩のように固く握り締めた拳は、燃え上がる意思を糧に打ち出される!!
「
時が巻き戻された気分だった。両者の位置は一瞬にして引き離され、再び距離を作られた。
アウレオルスが選んだ戦略は至極単純明快。先に右手を奪う。ただそれだけ。
「
錬金術師の右手にレイピアに似た銃が現出する。フリントロック式の銃が鍔に埋め込まれた暗器銃だ。
刀身の刃と銃口が上条に差し向けられる。
「―――
不味い。
そう思う時間すらなかった。
実体なんてとても捉えきれない。極限まで圧縮された体感時間でさえ、追うのはその残像で限界だった。
上条の右腕が斬り飛ばされる。
―――はずだった。
刹那の瞬間、アウレオルスは見た。
(インデックス、何故そこに……ッッ!!?)
上条の前で両腕を広げて盾になる少女の姿が、そこにあった。
何故、と閃光の如く疑問が浮かび上がる。『昏倒せよ』、その術式は確かに効果を発揮したはず――!!
(歴然、『歩く教会』か……!!)
物理、魔術を問わずありとあらゆるダメージを受け流す最大級の霊装。絶対の防御力を持つその純白の修道服は、こと防御という点で横に並ぶモノは存在しない。
これが黄金練成を防いだ……説得力はある。が、黄金練成はそもそも世界をシミュレートする魔術だ。
『歩く教会』も例外ではなく、アウレオルスの命令は本来と変わらぬ効果を発揮するはずだった。
けれど、
悪役にまで成り下がり救おうとした少女に、意識を失わせるだけでも罪悪感を抱いてしまったのなら。
黄金練成が通常に働くはずがない。
加えて『歩く教会』の存在。こうなることは半ば必然だったのだ。
「っ……」
白銀の刀身と魔弾がインデックスに到達する寸前、軽い音を立てて二つの武器が消滅した。
彼女自身、混濁した意識と思考の中で無理やり動いていたのだろう。上条にもたれかかり、二言三言話すと再度暗闇に落ちる。
インデックスをそっと寝かせ、彼は強大な心意が凝縮された黒い瞳でアウレオルスを貫く。
それだけで錬金術師の全身が総毛立ち、新たに取り出していた細い鍼が四つの破片となって床に落ちる。
「……どうしてだ」
揺らぐ精神に追い打ちをかける少年の一言。思いもしない無意識のうちに、アウレオルスは両足を引いていた。
「どうして、その優しさを他の誰かに分けてやれなかったんだ!!」
揺らいだ。
どうしようもなく、否定の余地もなく。
反論しようとする思考とは真逆に口は動かず、精神を硬直させることでしか逃れる術はなかった。
上条は続けて言う。
「本気でインデックスを救いたい――それならどうして、コイツが一番悲しむような事をしたんだ!! 成功したとか失敗したとかは死ぬほどどうでもいい。テメェはたった一人、護りたかったヒトの笑顔を見たかったんじゃねぇのかよ!!?」
「―――貴様に何が判る!! 全てを手に入れた貴様に私の苦悩の一欠片でも理解できるというのか!!」
アウレオルスは叫んでいた。
己にまとわりつくナニカを振り払うように。魂に刻んだ魔法名から逃れるように、喉を震わせていた。
失敗し、全てを失った錬金術師の問い掛けに、上条 当麻は一点の曇りなき意志で答える。
「判るに決まってんだろ!! 無力感に苦しんだのは俺だってそうだ。命を懸けて戦ったのは俺も! テメェも! ステイルも! インデックスに関わった誰だってそうだろうが!!」
そう。
彼らの違いといえばその程度でしかなかった。
一人の少女を救いたいと願った少年がいた。一人の少女を救いたいと願った魔術師がいた。一人の少女を救いたいと願った聖人がいた。一人の少女を救いたいと願った錬金術師がいた。
成功? 失敗? そんなのは道端の石ころ並に意味がない。だって、インデックスはすでに救われてここにいるのだから。
共に一人の少女を救いたいと願った人間が、彼女の最も嫌う暴力で争うことに罪悪感はないのか。
共に一人の少女を救いたいと願った人間は、彼女が救われたことに喜び涙を流すべきではないのか。
アウレオルス最大の間違いは、仲間に頼るという考えが欠落していたこと。人を信じられなかったこと。
「いつまでも
一気に距離を詰め、振るわれる拳にアウレオルスが対応する間はなかった。視界が埋め尽くされるのと同時、錬金術師は優しい幻想を――現実を再確認した。
誰もが望んだ世界はここにあった、と。
彼は目を伏せ、全てを許容する。
「―――この俺が、ぶち殺してやる!!」
綺麗な月だった。
星々の光は平等に降り注ぐように、救いは誰の上にだって舞い降りる。
この日、アウレオルスの世界は色彩を取り戻した。
―――窓のないビル。
学園都市全域にばらまかれた超小型シリコン塊から送られる映像が、一際大きいスクリーンに映し出されている。
弱アルカリ性培養液が満たされた巨大なビーカーの中で、逆さに浮く手術衣の『人間』は無の表情に感情を滲ませていた。
「………引き分け、だな?」
闇に問い掛けるアレイスター。その中から、高級感のある葉巻を咥えたゴールデンレトリバーが現れる。
魔神を圧倒する『
「ああ、見方によってはこちらの大勝とも大敗とも言えるがね。……三沢塾においての戦いは魔神側の勝利、だが―――」
脳幹の言葉をアレイスターが引き取る。
「――『明け色の陽射し』は撤退。これで上終 神理は、
彼らが行ったのは二正面作戦。
パラケルススと上終を引き合わせることで、明け色の陽射しを邪魔する存在は消え失せる。
所詮、上終は彼女たちがいなければ死んでいた存在だ。後ろ盾が無い以上、上終を殺すことは簡単だった。
「『処分』するかね?」
首をアレイスターの方向に傾げて、学園都市の死神は確認する。
「否、だ。勘付いているだろう、上終は―――」
『人間』の表情が色付く。
ゴールデンレトリバーは黙って紫煙をくゆらせ、アレイスターの言葉の続きを待っていた。
「―――『
後日、某カエル医者の病院。
上終は死んだ目で窓の向こうを眺めていた。
ステイルの報告によると、学園都市の潜む敵の襲撃を受けて明け色の陽射しは追い出されたらしい。
あのメンバーを押し返せるほどの実力。各地で魔力の反応が見られたことから、複数犯であることが推測される。
おまけに上終のゲストIDも無かったことにされ、この街で頼るモノは完全に失われた。
治療費を返すためにも、当分はこの病院で働くことになるだろう。
(執事の次は看護師か……)
空っぽの笑い声が漏れる。
しかし悪いことだけでなく、パラケルススもアウレオルスも改心したとか。パラケルスス……オプリヌスは世界を旅して人々の病を治すのだという。
アウレオルスも魔女の脅威を少しでも減らすため、オプリヌスについていくと言っていた。
去り際に上終は金の練成を頼んだのだが、とてつもなく凶悪な顔をされて断られた。
ボロボロになった右手を握りしめる。
これから先はこの右手一本で脅威を退けていかなくてはならない。それも、何倍も強い相手を。
ほんの少しの辛抱だ。
この学園都市から脱出してイギリスに向かい、その地で死ぬ。そのことは変わりない。
当初の目的より寿命が伸びただけだ。
「すぐに逢える」
すぐに死ねる。
正真正銘、上終 神理の戦いが始まった。
血みどろバトルを書いてきてアレですが、恋愛モノが好きです。上終くんには死に物狂いでイギリスに行ってもらわねば。
せっかくアウレさんも生き延びたので何処かで活躍させたいところ。目指せ禁書オールスターバトル。
それでは、次回もお会いしましょう。