とある魔術の天地繋ぎ   作:なまゆっけ

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長らく間を空けていてすみませんでした。とりあえず一話だけ書き終えたので投稿させていただきます。


メサイアコンプレックス・トリックスター①

 夕暮れに沈む太陽が街を朱と黒に染め上げていく。

 美しい、と幼稚な感性が言った。

 イギリスで見た夕焼けも、敵であるはずの学園都市で見る夕焼けもその壮麗さに変わりはない。ただ、学園都市が敵という表現はあまり正しくないのかもしれない。

 互いに敵意を持って初めて敵というのなら、学園都市にとって上終(かみはて)は路傍の石と大差ないのだ。彼は特別な境遇ではあるが特別な人間ではなく、それどころかある意味では人間ですらないのだから。

 そんな思考を振り払いながら、上終は居候をしている病院の廊下で黄昏れていた。長椅子にもたれ掛かるその姿は、社会不適合者そのものである。

 おもむろに彼は立ち上がる。向かいの壁一面のガラスに幼心と好奇心を刺激されたと言い換えても良い。三沢塾も似たような造りではあったが、いかんせん余裕がなかった。

 そんなわけでガラス張りの壁の前で、下を覗き込もうとパントマイム風の奇行をしていたが、聞き覚えのある声にそれは中止させられる。

「む」

 後ろを振り向くが誰もいない。天井に声の主がいるなんてこともなく、手当り次第に視線を振ってみると、

「……なんでそんなところにいるんだ。怖いぞ」

 他でもない自分自身の股ぐらから、人間の頭部が突き出していた。しかもそれだけに留まらず、流暢に喋り出す。

「ノーリアクションですねえ、恥ずかしがるか興奮するかぐらいは期待してたのですが。あ、そもそも私のこと、覚えてます?」

 銀髪と褐色の肌、それにこの口調。上終の知る人物の中ではひとりしかいなかった。

木原(きはら) 角度(かくど)、だったか」

 オプリヌス(パラケルスス)と組み、禁書目録の事件に介入してきた科学者。直接戦ったことはないにせよ、上終には数少ない記憶の中のひとり。忘れることはなかった。

 答えると、膝の辺りから右手が飛び出してきて、指を弾く。

「アタリです。ちゃんと記憶していたようですね」

 にゅるん、とウナギか何かみたいに股から這い出していく少女。あくまで服の表面から出てきているだけだが、なんとも変な感覚である。

 彼女は立ち上がり、白衣の埃を払う。驚くほど無防備な振る舞いに、敵対していたことすら忘れてしまいそうだった。

 上終が彼女の真意を図り損ねていると、

「立ち話も何ですし、座りません?」

 のんきに着席を勧めてくる。上終もそれには反対ではなかったが、単純な疑問が口をついて出てくる。

「自分の立ち位置を理解しているのか?」

「病院なんですから美少女天才医師と精神科患者その二くらいにしか見えませんよ。いざとなれば、魔術で貴方を捕まえて移動すれば良いのです」

「……せめて事務員その一くらいにしてくれ」

 どうやら拘束する際のいざこざは気にしていないらしい。戦ったとしても負けるのは十中八九上終なので正しくはあるが。

 廊下の隅に寄せられた長椅子に腰を下ろす。先に切り出したのは角度だった。

「今日は貴方にプレゼントを持ってきたのです。何だと思います?」

 そう話す割に手ぶらにしか見えない。ただ、彼女は90度以下の鋭角さえあれば、何処にでも移動することができる。故に距離など有って無いようなものだ。

 上終は頭の片隅では素直にプレゼントの正体を考えながら、その力が羨ましく感じられた。地球上の、あるいは宇宙のあらゆる場所に行ける魔術。それがあれば、上終の目的など目的にすらなっていないのだ。

 羨望の話は意味がない。そこで思考を打ち切り、浮かんできた言葉を大雑把に選んでつなげる。

「ろくなモノじゃないということは判る」

「長く考えたにしては心外ですねえ、正解はこちら!」

 どこからともなく取り出したのは、相当に分厚い一冊の本だった。白一面の表紙に、金文字で大きく題名が刻印されていた。

 重みのあるそれを受け取り、英字の書名を読み上げる。

「Bible……聖書、か」

「ええ。しかも旧約と新約を一緒にしたお得版なのです。宗派によっては旧約が新約になったりするのですが。世界で最も売れた本ですよ、読んでおかないと損でしょう」

 本の奥付をめくる。いわくつきの魔書、なんてことはないようで、しっかりと出版社などが記されていた。

 口うるさい頭の中の声も反応しないことから、何か裏があるわけではないらしい。

 夢中になりそうな心を抑えて、本から視線を切る。すると、角度はニタニタと笑いながら、

「ほらほら、言うことは?」

「ありがとう。大切にする」

 素直に礼を言う。が、それだけに彼女の意図が疑わしかった。こればかりは考えても分かることではなく、ためらわずに訊く。

「何が目的だ? この本を渡しに来ただけ、なんてことはないだろう」

「そうですね。貴方の言うとおり、本題に入りましょう。ま、小難しい話ではなくて簡潔な()()()なのです」

 こういう人種がするお願いが簡単なものではないことは、経験から予想がついた。

 それでも上終に断る理由はない。そんなもの、最初から在りはしない。

「俺に叶えられることなら助かる」

 その言葉に返ってくるのは沈黙。不気味に微笑む科学者の表情は、不穏な未来を明快に映し出していた。

 暗い予感が背筋を這う。

 木原 角度は、こぼすように。

 

 

「私を救ってください」

 

 

 囁くような、響き入るような声。これ以上ないほどに明瞭な一言。だというのに、その一言を理解することは何より不可能に違いなかった。

 困惑する上終とは反対に、微笑みはより一層深まっていく。裏に愉悦を潜ませながら。

「この世界はパズルのようなモノです。たったひとつのピースも入り込む余地のない完成した絵柄……そこに決して生まれ得ないはずの『上終 神理』という例外(ピース)を組み合わせたら、それは未完成のパズル(せかい)に変わってしまう。では、どうするか?」

 オプリヌスは言った。上終の存在は本来の世界を大きく変えた、と。その全ては彼の英雄譚を演出するため。

「――()()()()()()()()()。そうして歪なパズルを再び完成した形にする必要があるのです。今となっては魔神しか知り得ないことですが……今のこの世界には、()()()()()()()()()()()()()がいるのでしょう」

 この世界は物理法則に基づいて、均整のとれた運行を続けている。それは人間も含まれ、上終が起こした変化を補填・修復するための誰かが発生した。彼女はそう言いたいのだろう。

 しかし、それではパズルの絵柄はどうなってしまうのか。付け足されたピースがある以上、新しい絵柄が現れるはずだ。

 その絵柄の与える変化が、組み替えられたピースが、パズルを俯瞰で眺めた際に元の絵柄を大きく歪める。しかも上終に都合の良い形で。それこそが彼の罪過であり、償わなくてはならないことなのだ。

「分かってる。この地球上の誰もが、俺の贖罪の対象だ。だから……」

「――だったら。私の頼みを受け入れてくれますか? 貴方を利用し、使い潰す、この私の願いを」

 心臓が締め付けられるような感覚。指先の熱が消え、力が抜けていく。罪の重みが、身体を押し付ける。

 返答は、彼女の願いを聴いた瞬間に決まっていた。

 それは当然だ。義務でもなく、使命でもなく、上終が得た信念なのだから。

 なぜなら、彼には目の前の人間を見捨てるということは、自分自身を捨てることに等しい。

 ひとつしかない矜持をなげうつのなら、その時上終 神理という生物はただの機械に成り果てるだろう。

 故に、たとえ見えている地雷を踏みにいくような行為だとしても、救いを求める手を取ることに抵抗はなかった。

 だが。もし『神の理』に目があるのなら、上終を見る眼光は冷たかったに違いない。

〝……そんな女にも、お前は本気で同情するのだな。――つくづく、生きるのに向いていない〟

 しかしてその声は、誰にも届かない。

 どんな者にも本気で共感し、自らを犠牲にする。すでに狂った彼の決意を阻まぬために。

「当たり前だ。首を横に振る理由なんて、無い」

 自分の意味を見失うことではなく、木原 角度への同情心にのみ、上終の心は揺れ動く。相手の過去を棚に上げて。

 銀髪の科学者は口角を吊り上げる。

「言質はいただきましたよ。これから貴方は私の道具なのです。といっても、行動を強制したりはしませんが」

「それは、変だと思うのだが。従わなくてもいい『お願い』に何の意味がある?」

「意味はあります。貴方がどうしようと私は助かりますし、何より貴方の苦しむ姿は見ていて愉しいのです」

 にっこりと花のように笑いながら、彼女は言った。腹の内は晒すつもりはないのだろう、上終も追及は諦めた。

「む…それなら、俺はどうすればいい」

「残念なことに、この世界には悲劇が溢れています。私は貴方が手に届く範囲のそれを教えましょう。知った後でどうするかは好きにすれば良い」

 目的は知れたが、そこに向かうまでの過程があまりにも曖昧。木原 角度を救う――上終はその手段も、方法も知らされないまま、頷く。

 それにこれは、彼にとっても悪い話ではない。他人の不幸を解消することは、人生の本義であるからだ。

「かの詩人ダンテは、地獄と煉獄の旅路をウェルギリウスによって導かれました。ならば、私は貴方のウェルギリウスとなりましょう。もっとも、導く先が地獄でないとは保証しないのですが」

 思わずため息をつく。上終の周りには回りくどい言い方をする者が多いが、彼女もその例に漏れないらしい。

 本心を隠しているのか、曝け出しているのかも分からない笑みは、僧正のそれとよく似ている。

「君は、随分と悪巧みが得意そうだな」

「そんなに褒められても困りますねえ。私は救済されるために必死なだけなのです」

 言いながら、白衣のポケットから折りたたまれた紙を摘んで渡す。

「……これは?」

「最初のお願いですよ。伝えたように、どうするかは自由です」

 促されるままにそれを開く。内側には一枚の写真が挟まれており、紙面は文章で埋め尽くされていた。

 そして半ばまで読み終えると、上終は写真を指差して質問する。

「彼の居場所はわかるか?」

「ええ、まあ。会いに行くので? 下手をすると殺されますよ?」

 止めるような言い回しは、愉悦混じりの口調で打ち消される。

 心外な言い草に上終はむっとして、

「好きにしろと言ったのは君だろう。それに生憎、俺は文字で人を判断できるほど器用じゃない。話をしなければ理解できないことだってあるはずだ」

「ふふ、そう言うと思って、写真の裏に書いておいたのです。私は貴方のことなら何でも知っているので」

 最後の文句は、彼女なりの意趣返しだった。

 無知な上終には案外にその言葉が響く。人の機微に疎いのは自覚していたが、こと木原 角度となると雲を掴むように難しい。

 諦め気味に呆れつつ、彼はその場を離れていく。

 オレンジ色に染まった廊下。

 その一場面を切り取り、角度は目を伏せ、そして開いた。意味などあろうはずもない、なんてことのない動作。

 それは、まるで木の葉が揺れるように。

 つう、と右の頬を透明な雫がつたう。

 彼の背中を眺めて、銀髪の科学者は呟いた。

「私がウェルギリウスだとすれば――貴方を天国まで導くベアトリーチェは、一体誰なんでしょうねえ……♪」

 

 

 

(さわ、られた?)

 ありえない――脳裏に浮かぶ否定を塗りつぶす事実。鉄パイプもナイフも銃弾も、理論上は核ですら通さない絶対的な能力が何の変哲もない右手に屈していた。

 一方通行(アクセラレータ)の手がそれを払い除けようと無意識に動こうとしたその時。風船が弾けるような音が鳴り響いた。けれども、音を反射した彼にそれが聞こえることはない。

 同時に肩に置かれた右手が跳ね上がる。痛みを与えるほどではないが予想外の衝撃に、当人は少し慌てた表情で体勢を保った。

 本来はこれが正常な反応。『反射』はその気になれば触れる物質のことごとくを吹き飛ばす。しかしそれでは生き難いことこの上ない。そのために、反射には有害と無害を仕分ける設定があるのであり、今回のこれは設定の誤作動。そう結論付けるしかなかった。

 真実味に満ちた現実味のない結論を突き放すのは、自分自身。誤作動の理由をただの偶然と片付けるのは簡単だ。が、偶然も煮詰めれば原因が存在する。

 真っ先に浮上した疑問が、彼の正体。

 襲い掛かってきた不良たちの残党とも思ったが、一方通行の中でその仮説は一瞬で却下された。

(このマヌケ面……単なる馬鹿か、それとも命知らずか)

 そこで、ようやく他のことに思考回路が働き始める。目の前の少年が何かを言っていることに気付き、音の反射を解除する。

「いきなりですまない。俺の名前は上終 神理だ。近くの病院で居候をしている。上の名前でも下の名前でも、呼びやすい方で構わない」

 間の抜けた声に、思考が白紙に戻された。

「君と話をしに来たんだ」

「――ハァ?」

 困惑が口をついて出た。目の前にいるのは紛れもなく変人か狂人と名のつく人種だ。それは間違いない。そもそも病院に居候という状況が突拍子ない。

 そもそも、と話を辿るなら、夏場の道路のミミズみたいに辺りで転がっている無謀な挑戦者の姿が見えているはずだ。加えてその張本人は学園都市第一位である。これだけの条件で逃げ出さないというのは、命知らずか馬鹿のどちらかだろう。

 そんなこともいざ知らず、上終は気の抜けた緩い顔で話し出す。

「今のは超能力か? 見たのは初めてだ。俺はてっきり遠くから物体を動かしたりするモノと思っていたのだが、色々種類があるんだな。それとその服はどの店で買ったんだ? オーダーメイドか?」

(決定。コイツは命知らずでも馬鹿でもねェ、死にたがりだ)

 少しでも有益な情報を期待したことが間違いだった。即座に音の反射を再開し、耳障りな声をシャットアウトした。

 苛つきのままに手を軽く押し出す。その動作だけで十分。押す力と押し返す力。後者の向きを反転し、相手にぶつける。

 たったのそれだけで。

 次の瞬間、上終の身体が見えない手に引っ張られたみたいに浮いた。盛大な尻もちをついた結果、不良のひとりが彼の下敷きと化した。

 人の往来が盛んであることが味方した。もしここが人目につかない場所なら、肋の三本は折られていただろう。

 これでも一方通行にとっては慈悲に慈悲を重ねたと言える。彼がその手を本気で振るえば、冗談でなく人が跡形もなく飛び散るのだから。上終が裏の人間であったなら、今頃どうなっていたかなど言うまでもない。

 学園都市最強の能力者は、持ち得る最大の容赦を込めて言う。

「次は折る。今後会った時には、それくらいの覚悟はしとけ」

 踵を返し、再び帰路につく。音の無い世界で動揺する心を落ち着かせる。

(……可能性はふたつ)

 如何にして反射を無視したのか。当人に訊けば済む問題ではある。それ以上に、あの呆け面に教えを請うのは癪だった。

 ひとつ。上終が無知を装った同系統の能力者である仮定。

 同じ『向き(ベクトル)』変換の能力者ならば、触れることができてもおかしくない。しかし、彼はそのような能力者の存在は一度も耳に入れてはいない。唯一無二の能力であるからこそ、一方通行は学園都市第一位(さいきょう)なのだ。

 そして仮定に従うのなら、わざわざ接触してきた目的も曖昧。

 第一位との実力差を確かめるため?

 それともいつものような挑戦者?

 はたまた、本当の死にたがり?

 否、と彼は断ずる。目的なら本人がその口で言っていた。――()()()()()()、と。

 ふたつ。あの右手を無害と判断したから。

 無害と有害のフィルターに隙はない。一方通行の背後からの攻撃すら反射し、目で捉えられない速度の銃撃も跳ね返す。

 本体に有害だと判断された対象は、分け隔てなく隔絶されるのだ。それは通常の人間が浴びる太陽光の紫外線や、空気中に含まれるごく微量の放射線も例外ではない。

 彼の、漂白したような肌も髪もそのせいだ。普通に生きていれば受けるほぼ全ての刺激を遮断しているため、身体に異変が起きている。

 最強の能力者とはいえ人間である。呼吸をしなくては生きていけないため、空気は無害とされる。それが汚染されていれば、その原因を遮るだけだ。

 つまり、触れようとする人間が空気と同等なほどに害意も敵意もないと判断され、無害であったなら、反射はその手を通すだろう。

 果たして、そんな人間は存在するのだろうか。草木のように悪意を持たず、空気のようにただそこにいる――それを人間と呼んでも良いのか?

(…クソッ)

 脳裏をよぎる、茶髪の少女たち。人間に造られた彼女たちは、感情などないかのように振る舞う。

 何回目の実験だったか。武器を失い、頼みの綱の能力すら効かないとその目で確認していながら、拳で殴りかかってきたあの少女。当然、反射は無慈悲に拳撃を跳ね返し、彼女の腕を粉砕した。

 反射が、それを有害だと判断したのだ。

 有害であるということは、認めていたのだろうか? 彼女が人間のように敵意も害意も持ち、生物のようにそこにいる――その事実を。

 一方通行は、その考えを愚かと断じて嘲笑う。

(人間らしさは人間であることとは全く違う。……アイツらはただ自分で考えてるフリをしてるだけの人形だ)

 では、人間の定義とは何処に在るのか。

 彼は矛盾から目を背け、歩を速めた。

 

 

「……あれは、強敵だな。頼み込む暇もないとは」

 この世界に来てすぐ、魔術結社での日々を思い出す。あの時はストーブの前にへばりつく猫のような執念を以って会話した訳だが、取り付く島もないとはまさにこのことだった。

〝怪我をしなかっただけでも僥倖と思うことだな。おまえは軽率に動きすぎるきらいがある。だいたい、あんな――〟

 怒り気味の『神の理』からお叱りの言葉を受ける。くどくどと説教する声が脳内に鐘の音のごとく響く。

 次々と溢れ出す忠告をそこそこに聞き流しながら、立ち上がろうと両手を地面に着く。すると、柔らかい感触と共にうめき声が聞こえた。下敷きにされた男のものだ。

「すまない、大丈夫……そうじゃないな」

 手を掴んで引っ張り上げようとすると、腕が肘の手前で折れ曲がっていた。患部は黒く腫れ上がり、表情も血の気が引いて青ざめている。

 それを見たとき、上終の顔も同じように青くなった。

「俺のせいなのか!? 踏みつけたせいで……」

〝おまえの尻にそんな威力はないだろう。ヤツにやられたに違いない。自業自得ではあるが、救急車が来るまで応急処置くらいはしてやれ〟

「たしかに、その通りだ」

 上終が来た時には彼らは既に少数だった。危害を加えようとしたとはいえ、ここまでの怪我を放置するのはいささか良心が痛んだ。

 添え木代わりにするためのバットを手に取る。不幸中の幸いか、処置に適した棒状の凶器はそこらに散らばっていた。

「こうなることを見越して、ちょうど良い武器を選んでいたんだな」

〝ああ。十中十、違うな〟

 『神の理』と相談しながら作業を進める姿は、見物客からすれば奇妙な光景だった。彼らに限らず、たいていの人間はそう感じるだろうが。

 袖を千切ってバットをくくりつけ、男が着ていた学ランで折れた腕を吊る。

 一人目の手当を終え、周囲を見渡すと、見事に死屍累々の有様だった。

〝神理。『風紀委員(ジャッジメント)』か『警備員(アンチスキル)』を呼ぶといい。このままだと面倒なことになるぞ〟

「どういうことだ?」

 意味が分からず首を傾げる。直後、ガチャリ、という金属音が鳴り、手首にずしりとした重みがのしかかった。両手が拘束されたような窮屈な感覚だ。

 恐る恐る両手を眼前に持ってくれば、鎖で繋がれた鉄の輪がくくられている。それは上終も見覚えがあるもので。

「!!?」

 手錠。一般人の感覚からすればかなり遠いその道具が、自らの手を縛っていた。

「第七学区の通報があった場所に到着しました。付近には多数の負傷者。至急救護を要請します。同時に容疑者らしき男性も確保、最寄りの支部へ連行します」

 学生服を着たその少年と、通信機の向こう側の声は淡々と話を進めていく。

「ま、待ってくれ! 話もきかずに逮捕はおかしいだろう!?」

「状況証拠って言葉知ってますか? しかもほとんど現行犯ですよコレ」

 辺りを指差しながら言う。どうやら彼らを傷付けたのは上終だと思われているらしい。

「戦ってるところを見たわけじゃないなら現行犯にならないはずだ! よし、とりあえず俺も君も落ち着こう!!?」

 この場で最も落ち着いていない不審者が口走った。取り乱した様子をさらす彼への心象が良いはずもなく。

「いや、僕は至って平常心なんですけど……」

「君は平常心で他人に冤罪をかけるのか!?」

 見苦しく騒ぐ容疑者を、野次馬たちは冷たい目で見ていた。今時の若者らしく、しっかりと携帯端末で写真を取る抜け目の無さも兼ね備えている。

 今現在の状況もそうだが、各種メディアで晒し者にされるかもしれない未来に言い様のない不安を覚える。上終の脳内で繰り広げられるのは、報道番組で犯罪者として紹介される自分の姿だ。

 付け加えれば、今の彼には学園都市の全員に割り当てられるはずのIDが無い。これが露見すれば文句なしに不法侵入者として牢獄行きである。

「最近多いんですよね、物騒な事件が。どっかの研究所が襲撃されたり、こんなふうにケンカ沙汰だったり、我々もてんてこ舞いなんですよ。というわけで、とっとと捕まってくれません?」

 額に手を当てて、わざとらしくため息をつく風紀委員の少年。こんな騒動は頻繁にあるようで、上終はこの街の治安について小一時間問い詰めたいところだった。

「だから! 俺は無罪だ!」

「それ、犯人の決まり文句ですから。話なら支部の方で聞くので、大人しくしてください」

 数分後に車が到着し、後部座席に押し込まれる。上終に手錠をかけた少年と、やたら巨体の物々しい雰囲気の委員とに挟まれる完璧な配置である。

 背中を限界まで丸めてうなだれる。

 手錠の感触が妙に生々しく重苦しい。

〝神理、どうするんだ。ID不所持とバレたら重罪だぞ。おまけに学園都市がおまえを逃がすつもりはないだろうしな〟

「なんとか説得してみよう。……あ」

 平時の癖で口に出して言ってしまう。こわごわ左右を確認してみると、家畜を見るような視線で突き刺された。レイヴィニアに幾度となく向けられた、変な懐かしさを感じる反応だ。

「精神鑑定の必要あり……と」

 ナチュラルに変人扱いを受ける。眼差しにこもる感情も蔑みというよりは、哀れみや恐怖の度合いが強くなっていた。

 これには『神の理』も呆れたようで、

〝よし、右手を切り落とすか〟

(冗談じゃないぞ! こんなにくだらないことで君と魔神の力を借りるなんて!)

 くだらないこととはいえピンチであるのは確かだ。ほんの僅かだけ、右手を切るのに賛成した自分がいた。

 持ち物は雲のように軽い財布と無駄に重い聖書のみ。携帯機は病院に置き忘れた。まさしく八方塞がりである。

 聖書に教えを請おうとしても両手の戒めがそれをさせない。科学の街でそんなものを取り出したところで、心象を悪くするだけだろう。

「その支部とやらは近いのか?」

「ええ。もうすぐ見えてきますよ」

 指差した方向に目をやると、ごく普通の学校。軍事基地のように厳めしい外見を想像していた上終の予想と相反していた。

「なんというか、こじんまりとしているな」

 状況を省みない率直な感想に、

「逃げられそうとか思っちゃいました?」

「よくよく考えれば俺は犯人じゃないからな、逃げる必要はない。調べてもらえばわかることだ」

「威勢のいい考え方ですねえ」

 車の揺れが止まる。がっしりと両脇を固められながら、彼らは校門をくぐった。

 あちこちに視界を移しながら、知識と現実のすり合わせを行う。知識が補強され知恵となる感覚。上終の娯楽のひとつだ。そんな楽しみもこの状況ではのめり込めたものではないが。

 刑を執行される直前の囚人みたいになった上終を、風紀委員のふたりは半ば強引にひきずっていく。

 通りがかった一室に、マネキンになった容疑者を引き入れた。

「尋問は僕がするので、先輩は現場の映像を調べてください」

「わかった」

 奥の部屋の扉が閉まる音。机を挟んで上終と少年が向かい合う。

「ここなら丁度良いかもしれませんね」

 既視感のある笑み。ぱちん、と指を弾く。

「何を――」

「こういうことですよ」

 変化は唐突に訪れた。

 ごきばきと骨を破砕し、人体のシルエットが作り変わる。皮膚と肉が流動的に蠢き、髪の毛は伸びて白く、肌は小麦色に染め上げられる。

 そうして奇怪な変身を終えると、道化のように手を打ち鳴らす。

「いやあ〜、どうもどうも。サプライズは如何でしたでしょうか?」

 軽薄なその声を聞いて確信を得る。あの逮捕劇は仕組まれたものだったのだと。

「……帰ってもいいか。君と話すのは疲れる。君は他人がわからないような話が好きだろう」

「これは手痛いですねえ。科学者や魔術師は、職業柄どうしてもそういう語り口になってしまいがちですから。そのどちらでもある私がこうなのはもはや当然なのです」

 上終はこれ以上問い詰めるのをやめた。この類の手合いには、無視も肝要なのだ。

「それで、何のためにこんなことをしたんだ?」

「第一位とファーストコンタクトを果たした貴方に、質問をしようと思いまして。うまくいきそうです?」

「残念だが、どうも俺は嫌われたらしい。しかし超能力には驚かされたな、アレが俗に言う念動力なのか?」

 角度は大きく首を横に振る。

「いいえ、彼のはそんなチンケな能力ではありませんよ。あらゆる『向き(ベクトル)』を支配する、最強の能力なのです」

 向きを操る。一言でそう言ってしまえば簡単だ。シンプルなそれはかえってできることの多様さを反映している。一方通行の代名詞でもある『反射』だけでなく、彼の手はたいていの不可能を可能にしてしまうだろう。

 銀髪の科学者は一通り語ると、前のめりに顔を近づけてくる。

「――と、なると。不可解ですねえ、どうして貴方は第一位に触れられたのでしょう?」

「俺の右手の力があるからだろう。君も知っているはずだ」

 そこまで口に出して、上終は気付いた。

 『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』。触れたものを固定し、あらゆる変化を拒絶する絶対非干渉。そして、止めた対象に自由に干渉できる絶対干渉。

 それらの効力を発揮するには、上終が()()()()()()()という過程を要する。つまるところ――

「ベクトル操作は厳密には、本体を覆う目に見えない『膜』を介して行われているそうです。……くくく、おかしいですねえ、貴方はこんなこと、知りもしなかったのに」

 絶対非干渉で反射を停止させ、絶対干渉で固定化された反射膜をすり抜けて本体に触れる。理屈自体はそれで済む単純なもの。

 だというなら、どうやって目に見えず、触覚にも影響しない反射膜を知覚したというのか。

 さらに上終は一方通行の能力について知らされてはいなかった。渡された紙にあったのは、彼の来歴についてだけだ。

「しかも貴方の右手の力は『任意発動』。第一位の能力を知らなかった貴方が、触れる瞬間に力を使おうと思いますか?」

「…………ああ、君の言うとおりだ」

 否定する材料を探すことすら、徒労に思われた。角度は椅子に腰掛けなおす。

「でしょう? 貴方はもっと自分に気を配るべきです。そこにヒントがあるのですから」

 まあ、と打ち切ってから、

「というわけで、私の暇つぶしに付き合ってください。明日の朝には帰してあげますので」

 不気味に、妖艶に、ただ一点上終だけを見つめながら、彼女の唇は弧を描いた。

 

 

 

 草木も眠る夜更け。何処とも知れぬ路地裏で、殺人が行われた。

 真っ赤に色付いた白い髪と白衣、青白い月光を照り返す褐色の肌が妖しく輝く。

 無数の銃弾に撃ち抜かれ、息を引き取るその死に体を看取るのは、一匹のゴールデンレトリバーだった。

 年代物の葉巻を咥え込み、寂しい口元を紛らわせる。

「……これで、2()6()7()()()か。嘆かわしいな、いつから木原はこんな粗製品を迎え入れたのか」

 死体は、木原 角度と呼ばれる人間であった。それをゴールデンレトリバー――木原(きはら) 脳幹(のうかん)は計267人殺したのである。まったくの同一人物を。

 そんな状況に際しているのにも関わらず、彼の口端は喜色に歪む。

「久しぶりに本来の役割を果たせるところだ――と歓迎するべきなのだろうな。なあ、そこの来訪者よ」

 視線を暗闇に投じる。脳幹の声と共に、背中のバックパックから五つの銃口がそこを狙った。

「……化け物かい、きみは」

 両手を上げ現れるのは、年端もいかぬ子ども。セミの抜け殻を模したパーカーで顔を隠しながら、銃口の前に立つ。

「聞き分けが良いようで助かる。さて、君の目的によっては殺すこともやぶさかではないのだが?」

「危害を加えるつもりはないよ。この街の人にも、物にも、ね。だけど、そいつは別だ。だからきみに頼みに来たんだ」

「ほう、いったい何を?」

 わざとぶって訊き返す脳幹。それは戦闘になっても、確実に勝つという意志と実力の現れだった。

「――木原 角度を殺してほしい」

 紫煙が舞う。

 その表情を隠すかのように。

「ふむ、それでこちらにメリットは? 何故そんなことをしなくてはならない」

「えっ、いやいやいや、きみもう殺してるじゃないか267人も」

「これは不慮の事故だ。誰がどう言おうと事故だ。私とて悲しいのだぞ、こんなことになって」

「「…………………………」」

 目は口ほどに物を言うらしい。四つの眼差しの応酬は果たして、セミパーカーの子どもの敗北に終わった。

 年下に本気を出すのは脳幹として気にかからないでもなかったが、迅速なる職務達成の前には些事なのだ。

「魔神の目的と、上終 神理の全てについて教えよう。ぼくが切れるカードはこれくらいだよ」

「充分だ。だがそれを受けるには条件があるな」

 子どもは思わず身構える。木原 脳幹が吹っ掛ける条件が、軽いはずがないからだ。

「私は木原 脳幹。この街で科学者をやっているしがない奉仕者だ」

「…えっと」

「名前だよ。名も知らぬ雇用者と付き合う義理はない。年上らしく言わせてもらえば、顔を隠しているのも気に食わないな」

 ようやく合点がいったのか、その子供はフードを取り払う。そこにあったのは、木原 角度によく似た顔だった。

 髪は黒く肌も白く、顔つきも年相応にあどけないが、面影は角度のそれである。

 満面の笑みで、その子は、

「ぼくの名前は()()()。……ああ、でも、魔王(あくま)としての畏怖じゃなく、創造神(かみ)としての畏敬を込めて呼んでほしいかな」

 その言葉の通り、サタンは魔王としてではなく、創造神としての慈愛で以って答えた。

「ただ、ぼくは魔神じゃない。人間にも殺されるだろう。だから名前を呼ぶのが畏れ多いなら……――『偽神(アルコーン)』、と蔑みを込めてくれても構わないよ」

 それでも、サタンは笑んだ。

 虚空の瞳に、この宇宙のすべてを見据えながら。




①と銘打ってはいますが、次は②ではありません。いつか同じタイトルで②がきます。
ようやくこの物語のテーマに深く関わる人物が出せました。次も少し時間がかかると思います。
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