永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第九話 変質者誕生

「ふう、ようやくリーザリオに着いたな」

 

 横島は数日かけてリーザリオ、正確に言えばリーザリオ周辺にたどり着いた。

 

『ものすごくあっさり着いた気がするのだが……気のせいか?』

 

「あまり不穏当なことを言うな『天秤』 それとも何か、男が一人で黙々と歩く描写なんてものが見たいのかお前は」

 

『天秤』が黙り込む。触れてはいけないものがあることに気づいたらしい。

 

『して、どのような手段を取って戦うのだ、主よ。まさかとは思うが、本当に一人でスピリット達とまともに戦えると思っているわけではあるまい』

 

 慌てて話題の転換を試みる『天秤』

 横島もすぐにその話に乗った。

 

「当然だろ。そもそも俺は抑えるとは言ったけど戦うとは一言もいってないぞ。戦わなくてもスピリット達を抑えることはできるさ」

 

 『天秤』は少なからず驚いた。戦わず戦いに勝利する。それは戦略や戦術においてもっとも難しい。ちなみに、この場合の勝利とは敵を倒すのではなく、目的を達成することを意味する。

 

『それで、戦わずに目的を達成する方法とはなんだ? どうやって敵スピリットをリーザリオに釘付けにするつもりだ』

 

 興味津々と聞いてくる『天秤』に横島は満足そうにしていたが、ふとした疑問が発生する。

 

「なあ『天秤』お前は俺の記憶や考えを読み取れるんだろ。別に言わなくても分かってるんじゃないか?」

 

 ルシオラやアシュタロスといった人物を知っていたと言うことは、自分の頭から情報を読んだに違いないと横島は考えていた。だが、『天秤』は予想とは少し違う答えを返してきた。

 

『私は確かに主の考えを読むことは出来るが、主の記憶まで読むことはできんぞ。それに、常に主の考えを読んでいるわけではない』

 

 『天秤』の答えに横島は頭に疑問符を浮かべる。常に自分の考えを読んでいるわけではないのは分かった。問題はそこではなく、記憶を読み取ることは出来ないという所だ。それならば何故、ルシオラやアシュタロスの名前を知っているのだろうか。

 

「おい『天秤』おかしいぞ。じゃあ何でアシュタロスの名前とかを知ってるんだよ。俺はあの時アシュタロスの事を考えていたわけじゃないぞ」

 

『いや……それは聞いたからであって』

 

「聞いた? 誰にだよ……つーかそもそもお前はどうして俺の……」

 

『聞いたのだ! 私に疑いを持つことは許されん』

 

 『天秤』に対して疑いの眼差しを向けようとしていた横島の目がトロンとした目に変わる。目の焦点は合わず、傍目には催眠状態に入ったように見える。酔っ払いでも可だ。

 

「聞いたから知っているのか……」

 

『そうだ、単純なことだろう?』

 

 横島はそうかそうかと頷いた。先ほど『天秤』に感じた疑問、疑念は完全に消失したようだ。その様子に『天秤』は胸をなでおろす。少しでも暗示を弱めて隙を見せれば突っ込んでくる横島の意外な洞察力の高さには感心する反面、迷惑そのものであった。

 

(ふう、妙なところで鋭い奴だ)

 

 本当に、妙なところで鋭いのよね

 

『まったくだな……って、今のは誰だ!?』

 

「どうした『天秤』 一人で急に叫んで。痴呆か?」

 

『たわけが! 私はまだ痴呆になる年では……というか神剣が痴呆などになるか!!』

 

 ぎゃーぎゃー言い争いながら一人と一本は、それなりに楽しく賑やかに戦いの場に向かうのであった。

 

 永遠の煩悩者

 

 第九話 変質者誕生

 

 『天秤』と馬鹿話をしながらリーザリオの城門付近に来た横島は驚愕していた。リーザリオはまさに要塞のようになっていたのだ。敵を防ぐための城塞や防衛用の塔、さらにはスピリットの力を高める祭壇まで建設されていた。いかにこちらのほうが強くても、こんな砦に篭られて防戦されたら、リーザリオを落とすのに相当な時間が掛かったことだろう。

 敵の策は横島達の予想通りで間違いないようだ。

 

『それでどうするつもりだ。どうやってバーンライトのスピリットをこの場に留める

つもりだ』

 

 『天秤』は再び同じ質問を繰り返した。頭の中を読めば聞く必要などないのだろうが、話して聞けることなら喋って聞くのが『天秤』のスタンスのようだ。

 『天秤』の質問に横島は答えようと思ったが、その前に『天秤』ならこの状況をどうするのかと気になった。

 

「おい『天秤』お前ならどうやって戦う?」

 

 質問を質問で返す形になったが『天秤』もどうやって戦うか考えてみる。

 

 守りを固めているスピリットにまともにぶつかれば、いかに横島でも勝てる可能性は低い。もし勝てたとしても、恐らく肉体精神共に大ダメージを受けることになる。横島とてその事は分かっているはずだ。つまり正攻法ではなく、奇策奇計を用いる事になる。だが、下手な小細工を弄すればかえって疑われかねない。

 

『正直、かなり難しいな。下手に手を出せば返り討ちを食らうだけだ。かといって手を出さなければ何故攻撃してこないのか疑われるだろう。いや、何より私たちが一人だと知れば、勝機と見て全員で襲い掛かってくるやもしれん。私なら敵主力が一人歩きなどしていれば速攻で襲い掛かるな』

 

 『天秤』は苦渋に満ちた声で喋る。どうすればいいのか、いくら考えても良き方法は出てこなかった。

 そんな『天秤』を横島は満足そうに見てニヤニヤしている。

 

「そーかそーか。『天秤』なら襲い掛かってくるか」

 

 何が嬉しいのか、にやにやと頷く横島。

 その様子を『天秤』は気持ち悪そうに眺める。

 

「そんじゃ、出て来い『天秤』」

 

 横島の体から金色のマナが溢れてくる。それは自然と刀の形を形成し横島の手に『天秤』が握られる。

 

『おい、主。私の質問の答えは何だ』

 

「俺がもっとも得意で自信がある戦法……ゴキブリのように逃げる! これっきゃないだろ!!」

 

『なるほど、『離』を使うわけか……確かにわざわざ敵の土俵で戦う必要はないな』

 

 『天秤』も納得したところで、神剣の力を解放する。間違いなくバーンライトのスピリット達は横島に気づいたはずだ。スピリットが殺到してくる前に辺りの地形を確認する。

 

(坑道の方向は……あっちか)

 

 敵スピリット達を坑道まで運べば勝負は決まる。自分を含め、誰一人傷つくことなく戦いを終わらせる事ができる。しかも殺し合いをしないで済む。

 いくつもの神剣の気配が近づいてきた。改めて気を引き締める。

 

(成長する……成長だぞ、こんちきしょー! だから怖くなんて無いんだー!!)

 

 周りに誰もいないので精一杯自分で自分を激励する。

 それはさながら逃げちゃだめだ!逃げちゃだめだを連呼する三番目の子供のようだった。

 

「いました! 敵……ラキオスのエトランジェです!!」

 

 リーザリオの城壁の上でスピリットが横島を発見したようだ。その言葉と共にスピリット達がわらわらと集まってくる。その数は事前の情報通り約20人。殆どが光の無い目をしていて、感情がまるで感じられない。完全に神剣に心を飲まれ自我を失っていた。

 

(ちっ……まったく、いくら強くなるからって女の子の心を壊すなんて……ん、あれは……)

 

 横島はリーザリオに近づいたといえ、まだかなりの距離があるのだが『天秤』による身体強化により、敵の顔や何を話しているのか完璧に把握していたが、その中で特に目を引く者が二人いた。

 一人は青い髪でショートカットのブルースピリット。パッチリとした目が印象的で中学生ぐらいの年齢だろう。どこか中性的というか少年のようにも見える。なにより、その目に宿る強い光は心が残っていることを証明していた。

 もう一人は甲冑に身を包んだ30半ばほどの男。髪の毛が目の辺りを覆っていて、特徴の無い顔つきである。スピリット達に指示を出していることからスピリットの隊長なのだろう。

 

「隊長、敵はエトランジェとはいえ一人です。攻撃命令をください。やっつけてきます」

 

 人間であり隊長である男に発言したのは、自我が残っていると思われるブルースピリット。そのスピリット以外はどこを見ているのか分からない生気の無い目で男の周りに居るだけだ。

 スピリット達の隊長はその言葉を聞くと嫌そうな顔をしながら顔を横に振った。

 

「我々の任務はラキオスからリーザリオを防衛し続けることだ。こちらから打って出るのではなく、相手が攻撃してきたら防戦すればいい」

 

 男はスピリットの意見を却下した。今の話だけでもバーンライトの策は丸分かりだ。

 発言したスピリットは不満げな表情をしていたがすごすごと引き下がる。

 

(攻撃してこないな……一人だけなのに)

 

 横島がわざわざ一人で来たのは相手に攻撃させる為でもあった。横島の策は敵をリーザリオから引っ張り出さないといけない。一人という戦力なら敵も防衛などせずに攻撃してくるのではないかと考えたが、予想以上に敵の司令官は慎重だった

 

(まあ、なんとかなるか)

 

 少し予想と違ったが、これぐらいなら問題ない。要は敵を怒らせて引っ張りだせばいいのだ。相手を怒らせたり油断させたりするのは横島の十八番なのだから。

 

 横島はリーザリオに近づいていく。敵のスピリット達は城壁の上や塔に散開して横島が交戦範囲に入るのを待ち構える。横島は敵に攻撃されないぎりぎりの位置で立ち止まった。それなりの距離はあるが、相手の指揮官も横島の顔が見えるぐらいの距離だ。

 

「お~い、どうした。たった一人相手に戦わないつもりか~」

 

 横島は相手を馬鹿にした表情を作り挑発する。だがバーンライトの隊長は一向に出てこようとはしなかった。

 

「バカーアホーマヌケートンマーデブーチビーデベソーヒンニューハゲーエロースケベージジイーヘンタイーオヤジーヒゲーキモンーヒャクメー」

 

 思いつく限りの悪口を言う横島。正直かなり低レベルだが、まず相手を怒らせる基本といったところか。ただ、最後の二つの悪口は本人に失礼……というよりも異世界の人間には意味がまったく分からないだろう。

 

「隊長! いいんですか、あんな悪口を言われて! ボク……じゃなかった、私はあんな侮辱を我慢できません。特に最後の二つの悪口はとっても腹が立ちます!!」

 

 自我が無いスピリット達は何の反応も示していなかったが、唯一自我があるショートカットのブルースピリットが横島の悪口に反応する。しかも何故か鬼門とヒャクメという悪口? に強く反応している。言霊でもこめられているのか、はたまた世界意思の呪いなのか。

 

「落ち着け、ルルー・ブルースピリット。確かに腹が立つのは分かる。特に最後の二つは意味も分からないのに不思議なほど腹が立つが、あんなくだらん挑発に乗るな」

 

 少々苛立った顔をしながらも、隊長は打って出ようとはしなかった。

 

「隊長はあまりにも慎重すぎです! 敵の主力ともいえるエトランジェが一人で来ているんです。このチャンスを逃したらいつエトランジェを倒せるか分からないじゃないですか!」

 

 ルルー・ブルースピリットは自分の隊長を睨みつけ、そして横島を睨みつける。その目には深い憎しみと怒りが感じられた。

 スピリットに反発された男はめんどうくさそうにスピリットから目を逸らす。スピリットのことを鬱陶しいハエとしか見ていないようだった。

 

(なかなか怒らないな、だったら……)

 

 体中に満ちる霊力とマナを目に集中させる。すると、横島の目が怪しく光り始めた。

 

「これがエトランジェの力ってやつだ! ヨコシマァァーーーアァァイィィーー!!」

 

 キュイーン。

 キュイーン。

 

 妙な効果音と共にその妙技が発動する。

 

 48の煩悩技の一つ。

 ヨコシマ・アイ

 

 その獣じみた第六感と類まれな妄想力により完璧な透視を行うのである。

 その威力はどこぞのメイド男に匹敵するほどだ。

 

 副産物として透視した相手に鳥肌を立たせることも出来る。

 

 「くっくっくっ、目標は……」

 

 邪な顔を浮かべ、肉食獣のように獲物を選定する横島。

 そして選んだ目標は、少年のような体型の自我のあるブルースピリット……の隣にいるグラマーなブラックスピリット。

 

「B87・W56・H86……ほくろの数……27個……弱点は耳の裏……ぐふふ」

 

 確実に相手の情報を読み取っていく。そして、得た情報を脳に叩き込み、妄想に浸る。

ヨコシマ・アイをまともに食らったブラックスピリット。効果は抜群だ。

 ブラックスピリットは僅かに額から汗を流し後ずさる。

 感情がほとんどなくなったはずなのに、その目には僅かながら戸惑いと恐怖が浮かんでいた。これも感情を引き出すことが出来る横島の力なのか。

 

「こらーー!! ルーお姉ちゃんを見るなーーー!!! この変態!!」

 

 ルルー・ブルースピリットがブラックスピリットの前に立ちふさがり、必死に体を見せないようにする。

 だが、ルルーが立ち塞がったことにより、ヨコシマ・アイを食らうのはルルー・ブルースピリットになってしまった。

 

「こっちを見るなーー! この変態エトランジェーーー!!!」

 

 手で胸を隠し、自分の体を隠そうとするルルー。女の子として正しい反応だ。

 横島はそんなルルーを一瞥すると、哀れみと哀愁が漂う目を向ける。

 

「まあ……なんだ。そういうことは70センチ超えてから言おうな」

 

「なっ……むきーーー!!!」

 

 横島の一挙手一投足にいちいち反応するルルー・ブルースピリット。

 その様子を横島は楽しそうに、嬉しそうに眺める。感情を無くした美人よりも、喜怒哀楽がある少女のほうが魅力的に感じたのだ。

 

「隊長、ボクはもう我慢できません! 敵はエトランジェといえ変態です。あんなのに負けるほどやわな訓練を受けてません!! 戦わせてください」

 

 ルルーは自分の青い髪とは正反対になった真っ赤な顔で隊長に懇願する。

 男はブルースピリットの頼みを無視しようと顔をそむけたが、ブルースピリットは諦めず隊長が目を離した所へ移動し、無理やり目を合わせようとする。

 そのしつこさ辟易した隊長は真っ直ぐにスピリットの目を見た。

 そして。

 

「だめだ!! 不用意に戦うんじゃない。もし、お前らに何かあったら俺は……俺は!!」

 

 その言葉にルルー・ブルースピリットは息を呑み、横島も驚いた。

 奴隷戦闘種族であるスピリットの命を、この男は心配しているのかと。

 少しだけこの世界の人間を見直した横島だったが、それは男の次の言葉を聞くまでだった。

 

「もしもお前らが壊れたら、俺の首が飛ぶんだぞ!! 分かっているのか!!」

 

 スピリット隊の隊長というのは名誉なことでもなんでもない。出世コースから外れたものがなるような役職だ。スピリット隊が全滅なんて事にでもなれば、指揮していた隊長は最悪の場合、死刑もありうるのだ。この隊長はただ自分の命が大事なだけでスピリットのことなど考えてはいなかった。

 

 そのことが分かったブルースピリットは人間の隊長に一瞬でも何かに期待した自分を恥じて肩を震わせると、隊長から離れていく。もう何を言っても無駄だと分かったのだろう。

 

 一方、横島は焦っていた。

 

(こりゃーまずいかも……)

 

 想像を遥かに超えて徹底的に守りの体制に入っている。単純な挑発等ではおびき出すのは不可能のようだ。

 

 結局その日、横島はリーザリオから敵を引っ張りだすことは出来なかった。

 

「まいったなあ……」

 

 結局どうやっても敵スピリットを引っ張り出すことが出来ず、横島は頭を抱えていた。

 辺りはすっかり日が落ちて、闇がその場を支配している。

 

「こんなはずじゃなかったんだけど」

 

 横島の考えでは、すぐに敵のスピリットを引き出せるはずだった。挑発すれば全スピリットで追ってくると思っていたのだ。

 しかし、実際はうまくいかなかった。敵を引っ張り出してからが勝負なのに、引っ張りだす事すらできないのでは話にならない。

 

「頭の中じゃあ成功したんだけど……」

 

『成功しない机上の空論などあるわけないだろうが』

 

「……うるさいぞ『天秤』」

 

 皮肉交じりの『天秤』の評に苛立つ横島。

 

 もし、このまま引っ張り出せなかったらどうなるか。

 このまま敵がずっとリーザリオに引き篭っているなら問題ない。そのうち悠人達がバーンライト首都を落としてくれるだろう。

 だが、バーンライトとて馬鹿ではないはずだ。このまま挑発などを繰り返していればいつかは疑いを持つ。そうでなくともラキオスに間者でも放っている可能性は高い。このまま手をこまねいていれば、いつかはラキオスが空になっている事に気づかれ、リーザリオにいるスピリット達はラキオスに向かう事になるのは避けられないだろう。そうなれば横島一人で20ものスピリットを相手にしなければならなくなる。

 

 なんとか敵スピリットを坑道まで引っ張り出さなければいけなかった。

 横島は右手に文珠を出現させる。その数は五つ。一ヶ月間で作り出した貴重な文珠であり、今ある全てでもある。スピリットを三日四日押さえるのに必要なのは三つ。二つあまりがある。その一つに『挑』や『囮』の文珠でも使えば、敵を引っ張り出すことができる可能性は高い。しかし、ここで横島は元祖ツンデレ雇用主が言ったことを思い出していた。

 

 あまりぽんぽんと文珠を使うな。

 文珠を使わなくても出来ることを文珠に頼るな。

 文珠はここぞというときに使え。

 

 この言葉は美神が口をすっぱくして何度も言った言葉だった。

 今が本当に文珠を使うときなのだろうか。

 

「美神さんがいてくれたらなあ」

 

 どのような困難に直面しても高笑いしながら前進し、どんなハードルが現れようとハードルを乗り越えるのではなくぶっ壊していく最凶にして天上天下唯我独尊な雇用主。

 守銭奴で意地汚く、意地っ張りで時折やさしい上司。

 スタイル抜群で時代錯誤なボディコン。

 エネルギーが満ちまくっている女王様。

 

 横島は無性に美神に会いたくなった。もし、今ここに美神がいてくれれば。

 

「う~セクハラしてーよー」

 

 どんなにシリアスにしていても、結局エロに向かうのが横島が変態たる所以。どうやら横島は妄想モードに入ったようだ。横島の手が妖しく、淫らに動き始める。

 その手の先にいるのは『天秤』だった。

 

『おい、主……ちょっ……待て! や、止めろ! 触るな、気持ち悪い!!』

 

 横島の愛撫を受け『天秤』が悲鳴を上げるが妄想モードの横島にはまるで届かない。『何か』を揉む動きや『何か』をこねくりまわす横島の動きはよりいっそう激しくなっていく。

 

『だから止めろと……!! うう、セクハラだ……エニ、助けてくれ……って、いい加減に止めぬかこの変態主がーーーー!!!」

 

「うぎゃあああああ!!!!!」

 

 ついに切れた『天秤』が横島に激烈な痛みを与える。いくら妄想モードに入っていたからと言っても、剣にセクハラするとは変態ここに極まる。しかも『天秤』は男だ。

 

「何しやがる『天秤』!!」

 

『それはこっちの台詞だ、変態主!!』

 

「なんの事だ、一体!?」

 

 妄想モードに入っていた横島には今何をしていたかの記憶は存在しない。

 そのことが分かった『天秤』はただ泣き寝入りするしかなかった。

 

(……一体こんな変態のどこが良いのですか『法皇』様)

 

 敬愛する上司が何故こんな変態に興味を持っているのか、『天秤』の思考ではまるで理解できない。男の趣味が悪いのではないかと疑ってしまう。

 

 一方、横島は妄想によって霊力を充実させ、より精力的な顔になっていた。お手軽な男である。

 

「なあ『天秤』 このままこうしていても仕方ないから、リーザリオに進入してみようかと思うんだが」

 

『進入……だと』

 

 横島の提案に『天秤』は少しの間思案するが、正直良い考えとは思えなかった。

 進入するということは当然見つからないようにするのだろうが、それなら神剣である『天秤』を持っていくことは出来ない。神剣を持っていれば直ぐに神剣反応でばれてしまうからだ。

 必然的に神剣を持たずに進入することになるが、超人的な身体能力、優れた五感を持つスピリット達に気づかれずに潜り込むのはかなり厳しい。もしも気づかれれば、神剣の無い横島はスピリット達に殺されるだろう。文珠を使えば逃げられるかもしれないが、それでは本末転倒である。

 そもそも進入してもスピリットを引っ張り出せる方法が見つかるかどうかも分からない。

 

『危険だな。ハイリスク、ローリターンだ。止めたほうがよいぞ』

 

「……確かにそうかも知れんけど虎穴はいらずんば虎児を得ずとか言う諺もあるし、それに美神さんなら絶対攻撃あるのみって言うだろうし……それに何かやっていないと不安って言うか……」

 

 例え危険でも行動あるのみだと言う横島。

 本来ならこんなことはありえない。あの、怖がりで危険なことには手を出さない主義(女の子に関しては別)の横島が、危険なことに自ら突撃していくなど。

 今の横島の心理を『天秤』は横島以上に理解していた。

 

 表層的な心理はこうだ。

 成長しなければいけない。強くならなければいけない。

 情けない以前の自分から変わらなければいけない。

 

 こういった思いは横島もちゃんと自分自身理解している。

 ここら辺は『天秤』の誘導しようと思った方向になっていた。

 

 そして、深層心理は……

 

(……分からんな。何が合理的なのか、正しいのかちゃんと分かってるはずなのだか……一体どうしてこんな……もう少し心をぐちゃぐちゃにしたほうが良いか?

いや、やりすぎて疑われてはまずい。ただでさえ暗示による洗脳まがいな事をやって精神的にかなり疲労している。やはり主自身の想いを利用しながら確実に誘導を……)

 

「おい、『天秤』そんなに心配しなくてもいいぞ。こんなこともあろうかと、リーザリオに潜入するための秘密兵器を持ってきてるからな」

 

 『天秤』が沈黙したのを心配しているからだと勘違いした横島の声に、『天秤』が我に返る。とにかく、どうするかは横島の秘密兵器とやらを見定めてからにしようと考えた。

 

 横島はリュックから何かを取り出し始める。

それは茶色で折り畳み可能。日本でもよくあるもの。引越しの際によくお世話になる物。

 誰でも一般知識として知っているものだったが、『天秤』はそれが何なのか疑問の声を上げる。

 

『……主よ、それは何だ?』

 

「見て分かんないのか、ダンボールだ」

 

 横島が取り出したのはダンボールだった。

ダンボールも知らないのかと横島は『天秤』を笑う。当然だが『天秤』はダンボールなど知っている。『天秤』が言いたかったのはそんなことではない。

 

『いや、ダンボールなのは分かるのだが、それをどう使うのかと聞いているのだが……』

 

「だから、リーザリオに潜入するのに使うんだろうが」

 

 言葉のキャッチボールは成立しているように見えるが、互いの意思はまったく相手に伝わっていなかった。

 

『だから! 私が聞きたいのは、そのダンボールでどうやってリーザリオに進入するのかと聞いているんだ!』

 

「ふっ、無知だな『天秤』 このダンボールというものはスニーキングミッションにおいて必要不可欠なのだ! 蛇の名を冠する偉大なスパイもダンボールを愛用していたんだぞ。ダンボール無しで敵地に潜入するなど、インターネットに繋げないパソコンのようなものだ!!」

 

『そ、そういうものなのか?』

 

「そういうものだ」

 

 余りにも自信満々な横島に『天秤』はあっさり飲まれた。

 どうやってダンボールを使うのかは全く分からないのだが、まるで一般常識のように語る横島にプライドの高い『天秤』は質問することが恥ずかしいことのように思えた。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があるが『天秤』は一時の恥も耐え切れない性分だといえるのだろう。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

『お、おい。主!』

 

 善は急げと横島は『天秤』を放り出し、リーザリオに走っていく。

 『天秤』はその様子を眺めることしか出来なかった。

 

 横島は抜き足、差し足、忍び足でリーザリオに向かっていく。

城壁はリーザリオの町の周りをぐるりと囲み4,5メートルの高さはあったが、鉤爪のような形の栄光の手を使い城壁をあっさりと登った。ここら辺の技術は無駄に高い。

 上り終えると、さっそくあちらこちらから誰かが駆け足で向かってくる足音が響いてくる。スピリットが物音に気づいたのだろう。

 

(さあ、主。どうやってこの状況を切り抜ける)

 

 遠くから『天秤』は多少の緊張と期待を持ちながら横島を見ていた。

 一体ダンボールをどのように使うのか。意外と知識欲や好奇心が旺盛な『天秤』は横島がどのようにこの状況を切り抜けるのか少し楽しみにしていた。

 

 スピリットの接近に気づいた横島は折り畳んであったダンボールを広げ る。人を入れられるぐらいに大きくなったダンボールを横島はかぶり動かなくなった。

 

『はっ?』

 

 一体何をやっている?

 もしかして隠れているつもりなのか?

 

『天秤』の思考が加速する。

 

 不振な物音が聞こえた所に行く→人間がすっぽり入りそうなダンボールが出現している→桃太郎の桃よろしくダンボール真っ二つ→DEADEND!!

 

『ああぁぁるるぅぅじぃぃぃーーー!!!』

 

 己が主の最後を想像した『天秤』が絶叫を上げる。

 まさかあんなにも自信満々でこんな馬鹿なことをするとは思ってもいなかった。

 だが、もう『天秤』には祈ること以外やれることはない。

 そして、スピリット達が横島に近づいていく。

 目の前に突如出現した巨大なダンボールにスピリット達は頭の上に?マークを浮かべていたが、一人のスピリットが近づいていく。

 そして……

 

「ダンボールか……」

 

 それだけ呟くとスピリット達はダンボールから離れていった。

 それに驚愕したのは『天秤』だった

 

 何故?

 どうして?

 ぶっちゃけありえな~い。

 

 感情が無くなったスピリットといえど、考える力がなくなったわけではない。

 それにも関わらずダンボールで隠れる事で難を逃れるという不思議な現象に『天秤』は頭を悩ませていた。

 

 おかしい。あんな怪しいダンボールを放置するとは……

 いやまて、だからこそなのか!!

 私自身ダンボールに隠れるなどありえないと思ったではないか。

 そうか! つまりこれはダンボールに人が隠れるなどありえないという思い込みを利用した高度な心理戦ということか!!

 

 ……頼む、そういうことであってくれ。

 

 『天秤』が社会勉強している一方、難を逃れた横島はスピリット達の宿舎があるだろう町の郊外を目指した。奴隷扱いされているスピリットが町の中心部にいるとは考えづらいからだ。

 

 問題点はスピリット達の宿舎に行った所で、何か敵を誘い出せる方法が見つかるかどうかだったが、横島は自分の霊感を信じていた。

きっと何か良いことが起こると。

 

 しばらく郊外に向かって歩いていると、横島の超人的な嗅覚が何かを捕らえた。

 何ともいえぬ良い匂い。

 その匂いがする方に足を向ける。

 しばらく走ると一軒の大きな家が見えてきた。

 その家の窓から出ている湯気。

 聞こえてくる女性の声。

 そこは風呂場だった。

 横島の良いことが起こるという予感は見事に当たったのである。

 

「性欲を持てあます」

 

 どこぞのスパイのような台詞を吐く横島。気分はまさにソリッ○・スネ○ク。しかし、横島の顔は余りにもハードボイルドが似合わない煩悩少年だった。それはともかく、横島は都合よく開いていた窓から風呂場を覗きこもうとする。

 

(情報収集! 情報収集なんや~)

 

 実に自分に都合の良い論理武装を固める横島。この男ならそんなもの必要ないような気がするが、そこら辺は気分の問題だ。

 そして、横島は風呂場を覗き込んだ。

 

「へへ、お姉ちゃん。ボクも結構むねが大きくなったと思わない?」

 

 風呂に入っていたのはあの自我が残っているブルースピリットと幾人かのスピリットだった。ブルースピリットに関しては横島にも印象が残っている。先ほどの挑発で唯一反応してくれたスピリットだ。確か名前はルルーとか言ったはずだ。

 ちなみに、皆、何故か体にタオルを巻いていた。

 

「あっ……そうだ。ボク、近ごろ料理できるようになったんだ。今度、美味しいご飯食べさせてあげるから!」

 

 満面の笑みでブルースピリットは年上のスピリット達に喋りかけるが、周りのスピリット達は何の反応もしない。ただ黙々と体を洗い続けていた。自分の言葉に反応してくれない事に、ブルースピリットは悲しそうな顔をするが直ぐに笑みを浮かべなおす。

 

「それから、それから――――」

 

 ルルーは諦めることもなく、何度も何度も喋り続けた。美味しいお菓子があるとか綺麗な服が欲しいとか、取り留めの無い話を延々と話し続ける。どう見ても周りのスピリット達はその話を聞いているとは思えないが、ルルーはめげずに話し続けた。

 

 しばらくして、体を洗い終えたスピリット達が浴場から出て行く。

 結局誰一人ルルーの話を聞いてる様子は無かった。

 

 そして浴場に残っているのはルルー・ブルースピリットと横島が妄想したブラックスピリットだけになる。そのブラックスピリットも浴場から出ようとしていた。

 

「ルーお姉ちゃん……エトランジェを倒して皆のカタキを取ろうね」

 

 悲しげな声で言うルルー。どうせまた無視されると思っているのだろう。

 しかし、ルー・ブラックスピリットは本当に少しだけ目をルルーのほうに動かした。

 

「………………」

 

 何かを言ったわけではない。ただ、本当に一瞬だけ目が合った。

 

「うん!! がんばろうね!」

 

 ただそれだけの事でルルーは満面の笑みを浮かべ、ルーの腕を取るとスキップでもしそうな足取りで浴場から出て行った。

 

(……はっ! し、しまった)

 

 その様子をつぶさに観察していた横島は己のやってしまった失敗に気づいた。

 

(俺としたことが……あんなロリに目を奪われてしまうとは!!)

 

 目を奪われたといっても胸とかを見ていたわけではなく、ただルルー・ブルースピリットの話に聞き入っていただけなのだが。

 とりあえず「俺はロリコンじゃない、ロリ人じゃない」とお約束の呪文を唱え終えると、これからについて考えてみる。

 

(う~む……一体これからどうしたもんか……ん?)

 

 これからどうしたものかと考え込む横島だったが、ふと気づくとスピリットが生活している屋敷のすぐ側にもう一つ家が存在していた。

そこから、怒鳴り声が響いてくる。

 何事かと思い、家に近づき窓から覗いてみると……

 

「確か今日、遊びに連れてってくれるって言ったのに!」

 

「すまない、アン。だけどお父さんは仕事で……」

 

「前もそうだったじゃない! 町に美味しいものを食べに行こうって約束したのにお仕事だって!!」

 

「それは仕事で……」

 

 スピリット隊の隊長と10歳ぐらいの女の子が怒鳴りあっていた。もっとも、怒鳴りあっているといっても女の子のほうが一方的に男を怒鳴りつけているだけなのだが。

 どうやら二人は父と娘のようで、争いの理由は至極単純。仕事が忙しくて娘とコミュニケーションがうまく取れていないという、どこの家庭でもありそうなものだった。

 

 スピリットを奴隷扱いしている男も家に帰れば娘もいる一児の父なのだ。仕事が忙しくて娘と遊びに行けないなど、異世界だろうがなんだろうが万国共通といえる。

 女の子の怒鳴り声はますます大きくなっていった。

 

「パパなんて知らない! もう家出してやるから!!」

 

「アン! 待ちなさい!!」

 

 アンと呼ばれた少女は扉を乱暴に開けると夜の街中に走って行った。その後をスピリット達の隊長であり、父親でもある男が追いかけていく。

 その一部始終を見た横島の頭にいくつかの考えが浮かんできた。正直あまり善い考えではないかもしれないが、有効なのは間違いない。

 

(まあ……仕方ないよな)

 

 今、自分がやっているのは戦争だ。

 

「う~パパなんて……パパなんて!!」

 

 父親を振り切ったアンは暗闇の中、一人で膝を抱えて座っていた。そして父親の悪口を言い続けてその目は真っ赤で今にも泣き出しそうだったが、アンは勝気な性格なのか決して泣きはしない。

 

「絶対にパパをぎゃふんと言わせてやるんだから……」

 

 少女の目に光が宿る。

 そんな少女に悪しき魔の手が伸びようとしていた。

 

「気は進まんけど……多分これが一番手っ取り早いよな……」

 

「えっ……だ、誰かいるの!」

 

 後ろから聞こえてきた声にアンは飛び上がるように立ち上がり振り返る。街灯などが無い為、一寸先も見えない闇しかなかったが、その闇の中からバンダナを付けた青年がゆっくりと現れる。

 

 そして、その青年は、こう、言った。

 

「お、お嬢ちゃん。飴あげるから、お兄ちゃんについてこないか」

 

 変質者だ!!

 

 そして次の日。

 

「隊長! 大変なんです、早く来てください!!」

 

 あの唯一自我があるルルー・ブルースピリットが隊長の家に押しかけていた。よほどの緊急事態なのかかなり慌てている。隊長はその様子をどこか虚ろな目で眺めていたが、いきなり血走った目に変化した。

 

「大変だと……何が大変なものか!! 俺の娘が……アンが昨日から帰ってきてないんだ。これ以上大変なことがあるか……ラキオスのエトランジェが来たのなら防衛に徹しろ。

俺はアンを探しに行かないといけないんだ」

 

 隊長は顔色が悪く、髭も剃っていないのでさながら病人のようだった。恐らく一睡もせず一晩中アンを探していたのだろう。

 ふらふらとした足取りで家から出て町に向かおうとする隊長だったが、ルルーはことさら大きな声で男にとって重大なことを告げた。

 

「ですから、そのアンちゃんがラキオスのエトランジェに捕まってるんです!!」

 

「な、なんだと!!」

 

 アンの父親であり、バーンライトのスピリット隊長でもある男は駆けた。

 重たい甲冑などを物ともしないで。

 ただ愛する娘の為に走り続ける。

 

 そして、リーザリオの城門付近で彼が見たものは、エトランジェに剣を突きつけられたアンだった。

 

「ア、アンーーーーー!!!!」

 

 男は絶叫を上げた。当然である。

 どこの世界に娘が誘拐され、さらに剣を突きつけられた状態で平静を保てる父親がいるというのか。

 

「エ、エ、エトランジェ!! 娘を……アンをどうするつもりだ!!」

 

 悲鳴と絶叫が入り混じった怒声を聞き、ラキオスのエトランジェ……横島忠夫はにやりと邪悪そうに笑う。そして横島はアンを抱きかかえるとどこかに走っていく。

 

「パパ! たすけてぇーー!!」

 

 娘の助けを求める声を聞き、男の目からは理性の光が完全に消えた。

 

「スピリット! 何をしている、早くアンを助けに行くぞ!!」

 

 男の任務はリーザリオを防衛し続ける事だったが、そんなことは既に頭の中から消えていた。あるのはただ娘を助けたいという想いだけだ。

 

「分かりました。一刻も早くエトランジェを倒してアンちゃんを助け出しましょう!」

 

 ルルー・ブルースピリットも切迫した表情で返事をする。バーンライトのスピリット達は隊長を中心として、すぐさま凶悪なエトランジェを追いかけ始めた。

 

 そして、凶悪なエトランジェに連れ去られた囚われのアンは……

 

「えへへ、うまくいったね、エトランジェさん」

 

「ああ、将来は女優になれるぞ、アンちゃん」

 

 何故か楽しそうにしていた。

 横島は肩に大きな荷物を背負っているため、アンをお姫様抱っこしながら笑いかけ、アンも得意そうに笑っていた。その空気は誘拐犯と誘拐された者の間でかもし出される雰囲気では断じてない。

 横島とアンは穏やかな空気を出しつつ、坑道へ続く道を疾走していた。

 

「でも助かったよアンちゃん。まさかそっちから協力してくれるなんて思っても見なかったからな~」

 

「ううん、むしろこっちがお礼しなきゃ。おかげでパパに一泡吹かせたんだもん」

 

 そう、この二人は協力関係にあったのだ。横島は気が乗らなかったが、アンを誘拐することによってスピリットたちを誘い出そうとした。その為にアンに近づいたのだが、アンはなんと自ら誘拐してくれと言ってきたのだ。理由は単純、「パパに一泡吹かせたいから」だった。両者の利害は完全に一致したのである。

 

「それで、これから先どうするの?」

 

 アンは横島を不安そうにじっと見つめる。アンの目的は既に達成されたのだからこれ以上横島に付き合う必要はない。もう10歳ともなれば先のことも色々と考えられる年齢だ。勢いで横島に協力したのだろうが、冷静に考えれば敵国の人間に捕まっている状況を不安に思っているのだろう。その目には少しだけ不安の色が見えた。

 

「もう少し俺に付き合ってくれないか。すぐに解放するからさ。それに絶対にアンちゃんのお父さんを痛い目にあわせたりしないから」

 

 安心させるためにアンに笑顔を向ける。アンはその笑顔を見て、不安が綺麗さっぱり無くなった。これも横島の子供限定の人徳なのかもしれない。

ただ、横島の言った事は嘘ではないのだが、本当の事とも言いづらく、少し心が痛かった。

 

「それで、私はどこまで付き合ったらいいの?」

 

「とりあえず坑道まで行こうと思っているんだけど……アンちゃんにちょっと聞きたい事があるんだ」

 

「なあに?」

 

「俺に協力するとバーンライト王国が困るって……分かってる?」

 

 もう10歳ともなれば自分のやっていることの意味も分かっているはずだ。ついさっきまでは、感情が暴走していたから敵である横島に協力していたのだろうが、冷静に考えればアンの行動は国を裏切る行為にも等しい。

 そのことに気づいたアンは複雑そうな顔をするが、少し悩んでさっぱりとした顔をする。

 

「バーンライト王国が負けちゃうのは残念だけど……まあいいかな~どうせスピリットっていう兵器が死んじゃうだけだし」

 

 アンのノリは軽かった。自分が住んでいる国が滅びるかもしれないというのに。

 だが、この考えはアンが特殊と言うわけではない。一般市民からすれば戦争などお祭りのようなものだ。国が保有しているスピリット同士が殺し合い、勝ったほうが支配する。

 別に自分たちに迷惑が掛かるわけでもないし、負ければ生活の為のマナがあまり供給されなくなる可能性はあるが、実際それほど生活が変わるわけでも無い。双方に主義、主張も無い。国のトップが替わり、名前が変わるだけだ。

 とは言っても実際自分の暮らしている国に愛着を持っている人はたくさんいる。

 分かりやすく例を挙げれば、オリンピックに近いものかもしれない。

 国同士の代表選手……スピリットが殺し合い、勝ったほうが支配する。正にお祭り。

 

 必死になるのは処刑の危険がある王族ぐらいだろう。領地持ちの貴族などは大体所領は安堵されてしまう。勝った方も、特に人間が活躍するわけではないから、領地や財産を報酬として与える必要も無いからだ。横島達がいた世界の戦争や常識とは百光年は離れているだろう。

 国のトップは名誉欲や支配欲を満たすために戦争しているのだけ。

 その為の道具がスピリットなのだろう。

 

 だが、この考えは別に善とか悪とか言う問題でもない。ただこの世界の常識というだけの事。アンやその父親などは別に悪人ではなく、ただ子供のころからスピリットは兵器で道具だと教わったのだろう。しかもスピリット自身が兵器であることを否定できないのだから、人間たちがスピリットに代理戦争をやらせるのは当然である。

 

(どうすりゃスピリットを解放できるんだろうな。この世界の人間って、アンちゃんみたいに悪気もなくスピリットを兵器として見てるみたいだし)

 

 悪人がスピリットを兵器・奴隷扱いしているのならば問題はないのだ。だが、善人も悪人も等しくスピリットを兵器として扱っている。それが社会常識だからだ。

 スピリットを解放するだけなら簡単だ。禿王を無理やり退位させてレスティーナを即位させれば彼女なら解放してくれるだろう。だが、解放すれば敵対国家に侵略されてしまう。

 もしも解放するのならば、ラキオスに敵対する国家……いや、この大陸の全てを征服する必要が出てくる。そうして始めてスピリットを解放できるだろう。スピリットの解放のため、どれだけスピリットの血が流れるかは定かではないが。

 さらにスピリットを解放したとしても、人間達がスピリット達の人権を認めるだろうかという問題もある。

 いや、むしろ下手に人権を認めるのも危険でもあるのだが。憎まれ疎まれているからこそ、彼女らの貞操が無事である可能性が高いのだ。

 

『おい、主。そろそろ坑道だぞ』

 

 頭の中に響く『天秤』の声に横島は思考の渦から切り離される。

 今こんなことを考えても仕方ないことだろう。今はただ目の前にある事を一つ一つこなしていくだけだ。

 

「うっしゃ! そんじゃ、やりますか」

 

 気合の声を上げ、横島はアンを連れて坑道内に入っていった。

 それからしばらくして、横島を追いかけていたバーンライトのスピリット隊は坑道に到着する。

 

「アンーーー!! どこだ! 聞こえていたらパパに返事をしてくれーーー!!」

 

 のどが張り裂けんばかりの大きな声で娘を呼ぶ父親。その目には理性の光は存在しない。

 

「スピリット! 本当にこの場所でいいのか!」

 

「ここでエトランジェの神剣反応が途切れたんです。少なくとも神剣を使っていないのならそう遠くにはいけないから、この辺りにいるはずです」

 

 ルルーの報告に隊長は舌打ちすると、血走った目をぎょろぎょろと動かして辺りを見回し始める。

 

「パパ~」

 

「隊長! いま……」

 

「分かってる! 静かにしろ!!」

 

 どこからか聞こえてきた娘の声に必死に耳を澄ます男とルルー。周りにいるスピリットは特に命令が無い為、ぼ~っと立ち尽くしている。人間に従うとはいえ、こういう場面で命令もなく、人間の為に動くことはない。

 

「パパ~こっちだよ~」

 

「分かりました! 坑道の中です!」

 

 ルルーが言うが早いか、隊長は坑道内に飛び込んでいく。その後をスピリット達が追っていった。

 

 坑道内は日の光が届かないが、壁自体がうっすらと光っていたので、完全な暗闇という訳ではなく、天井はかなり高かった。

 その中を男は走る。

 娘を求めて。

 途中いくつかの分かれ道もあったが、娘の声がする方向に向かって走り続ける。

 その周りをスピリットたちが周りを警戒しながら走っていた。

 ある程度の距離を走り続け、そして男はようやく娘の姿を見つける。

 アンはニコニコと笑っていて傷があるようには見えない。

 

「パパ~アンはここに……むう!!」

 

「良かった……良かった!」

 

 アンは走りよってきた父親に抱きしめられる……というより抱き潰された。

 

「うう~」

 

 父親に抱き潰され苦悶の声を上げるアン。暴れて父親を引き離そうとするが、自分の頬に落ちてきた雫に気づき何も言えなくなる。真っ赤に腫れ上がった目からは止めどなく涙がこぼれ、頬はたったの一日でげっそりとしていた。

 ここに至って、アンはようやくどれほど父親に心配をかけたのかを理解したのだ。

 

「パパ……ごめんなさい」

 

「大丈夫だ……悪いのはあのエトランジェなんだから」

 

 エトランジェに協力したのは自分だった。

 父親を心配させるためにわざと捕まり、そして心配させた後はちゃんと事情を説明するつもりだった。

 しかし、もし自分から捕まったなんて言ったらどれほど怒られる事か。それは幼いアンからすれば恐怖以外のなにものでもなかった。

 

「ごめんなさい……エトランジェさん」

 

 誰にも聞こえないぐらいの小さい声で呟く。

 全てをエトランジェの所為にしてしまった罪悪感を忘れるために。

 

 アンを取り戻した隊長はようやく落ち着いたようで、その目には理性の光が戻っていた。

 血色も良くなっている。

 

「おい、ルルー・ブルースピリット。付近にエトランジェはいないのか」

 

「……神剣反応はありません。神剣を手放しているのか、あるいはもうこの場所にはいないのかもしれないです」

 

「そうか、とにかくアンをこのままにしておくわけにもいけないし、早くここから出るぞ」

 

「まって、パパ。ちょっとこれ見てくれない」

 

 アンが指し示した所にはかなり大きなリュックがあった。

 

「エトランジェさんがおいて行ったリュックなんだけど、水や食べ物がいっぱい入ってるみたいなんだけど……」

 

 隊長が巨大なリュックを覗いて見ると、そこには水食料がぎっしりと詰まっていた。節約しながら食べれば一人だけなら一ヶ月以上持つかもしれない。

 

 一体何故こんなものを置いていったのかは知らないが、こんな物は必要ないと判断した隊長はリュックを無視する。そしてアンの手を引きながら、スピリット達を先導させて坑道の出口に向かって歩き出した。

 出口に向かってしばらく歩くと、先行していたスピリット達が何故か立ち止まっている。

 

「おい、お前たち何をやっている。早く先に進め」

 

 だが、何故かスピリット達は先に進もうとはしない。

 何かあったのかと隊長が疑問に思ったとき、真っ青になったルルー・ブルースピリットが呆然とした表情で口を開いた。

 

「隊長、道が……道がありません……」

 

 呆然としたスピリットの声を聞き、隊長は何を馬鹿なことを言っているのかと思ったが、見てみれば確かに通ってきたはずの道がなくなり、行き止まりになっていた。

 いきなり道がなくなるという事態に隊長の頭がパニックになりかけるが、直ぐに気を取り直す。

 

「道を間違えたんだろう。ほかの道を探すぞ」

 

 隊長は別な道を探すようにスピリットに指示を与えると別な道を探しに歩き始めた。

 

「うまくいったみたいだな」

 

 坑道に入る入り口で笑みを浮かべる横島。

 そこは確かに坑道の入り口だったはずだが、今は何故かその入り口が影も形もなくなっていた。そこに落ちている一つの文珠。刻まれている文字は『幻』

 つまり入り口は消えたわけではなく、消えたように見えているだけなのだ。

 

『ふむ、考えたものだな。閉じ込めるとは……これなら確かに戦う必要はないが、『幻』の文珠はどれぐらい持つのだ? 最低でもユートたちがバーンライト本城を落とすために必要な三日四日は持たせなければいけないが……』

 

「とりあえず『幻』の文珠の力を入り口の一部分に集中させているから数時間は持つと思うぞ。まあ、それだけじゃあ足りないだろうから……」

 

 新たに二つの文珠を出現させ、文字を入れていく。込められた文字は『持』『続』

『持』『続』の文珠を地面で効果を発している『幻』の文珠に投げつけ、『幻』の文珠の効果時間を持続させる。

 

「これで二日三日は持つはずだ。一応予備の文珠もあるから予想より早く文珠の効果が切れても問題なし」

 

 ミッションコンプリートと得意げに叫びポーズを決める。その顔には自分も含めて誰も傷つかずに終わって良かったという安堵に満ちた表情をしていた。

 

『ふむ……まあ上手く事が運んでよかったが、背中の荷物はどうしたのだ』

 

「ああ、スピリット達はしばらくあの中にいる事になるだろ。だから食料を置いてきたのさ」

 

 アフターケアも万全だと胸を張る横島。それはアフターケアじゃないぞと思う『天秤』は深いため息を吐く。

 

『なるほど、それで食料を全部置いてきたわけだ』

 

「ああ、全部置いてき……全部?」

 

 言葉が途切れ、沈黙が場を支配する。

 

『……まあ主なら三日ぐらい何も食わなくても平気だろう』

 

「い、いやじゃああああ!!」

 

 そして、時間は流れて。

 

 草木も眠る丑三つ時。

 夜がもっとも深い時間。

 食料を取りに行きたくても万が一を考えてここから動けなかった横島は、空腹を忘れるためにさっさと寝ていた……そんな時。

 

 それは起こった。

 

「GUOOOOOーーーー!!!!」

 

 それは咆哮。

 聞くだけで体を震わし、恐怖が体を支配する、絶大な圧力を持つ咆哮。

 

「な、何だよ……今の」

 

 飛び起きた横島の声は震えていた。体の底から恐怖を呼び起こす咆哮。霊感などではなく、生物として生存本能が最大級の警鐘を鳴らしている。早くこの場所から逃げろと。

 

『どうやら坑道内から響いてきたようだな。中で何か起こっているようだが……』

 

「何かって何だよ!!」

 

『私が知るわけ無いだろう。だが、洞窟内で神剣反応が活発になっている所を見ると『何か』と戦っているようだな』

 

 坑道内からは相変わらず咆哮と何かが爆発する音が響いている。

 恐らくスピリット達は先ほどの咆哮を響かせた何かと戦っているのだろう。

 中級神族に匹敵するほどの力を持っているスピリットが20人。この時点で戦っているのが何だろうと負けることは考えられない……はずなのに。

 

(嫌な予感がする……)

 

 どうすればいいのだろう。

 何をするべきなのだろう。

 迷う。

 迷う。

 

 横島の迷いを感じ取った『天秤』はまるで愚者を導く賢者のように喋り始める。

 

『主、分かっているな。何が正しい判断か』

 

 合理的な判断を下せるようになること。

 それが横島の成長目標の一つ。

 

 この場所から早く逃げたい。本能とも呼べるものがそう訴える。

 この場所から早く立ち去った方が良い。冷静な考えがそう訴える。

 

(迷う事なんて無い……坑道内に入る必要なんてない。そんな事に何の意味も……)

 

「きゃああぁぁーー!!」

 

 聞こえてくるのは女性の悲鳴。

 

「……だああああああ!! どちくしょおおおーー!!」

 

 そう叫び声を上げると横島は幻影によって塞がっていた坑道の入り口から坑道内に向かって走り始める。

 驚いたのは『天秤』だった。

 

『な、何をやっている主! それが正しい判断だと思っているのか!?』

 

「……様子を見に行くだけだ!!」

 

 横島はそう理由を付けた。

 別に合理的な判断をしなかったわけじゃない。

 別に感情で動いているわけではない。

 どういう不確定要素が発生したのかを確かめてみることが合理的だと無理やり判断した。今の横島は合理的な行動しか取らないのだ。

 逆に言えば合理的だと横島が判断すれば、どんな行動だって取れるといえる。

 

 坑道内に入ると怒号と悲鳴がはっきりと聞こえてきた。

 まずスピリット達がいるところまで向かおうとした横島だが、前方から誰かが走ってくる足音が聞こえる。

 バーンライトの隊長だ。胸には気絶しているアンを抱いている。

 

「おい! 一体何があったんだ!!」

 

「り、り、り……うああ!?」

 

 息が乱れ正常な発音が出来ず、恐怖の所為か完全にパニックになっている。ただそんな状態でもアンだけは必死に抱きしめていた。

 情報を聞き出すのは無理そうだ。

 

 横島はパニックになっている隊長の背中を思いっきり押してやり、坑道の外に出してやった。

 

『一体何をやっている!』

 

「別にあいつだけなら出してやっても構わないだろ」

 

『馬鹿な! これであいつがトリックに気づいたら……』

 

 『天秤』が納得していないようだが、横島は走ってより奥に行こうとする。

 勝手な行動を取る横島に『天秤』が抗議の声を上げるが無視して先に進む。

 

 横島はスピリット達の神剣反応を探りながら走って行き、坑道内とは思えないほど広い場所に出た。

 そこに神剣を構えるスピリット達と、『それ』はいた。

 

 丸太のような巨大な腕と鉄すら軽く引き裂いてしまいそうな爪。

 家ぐらいはありそうなその体躯。

 人間ぐらいなら一口で食べてしまうような巨大な口と牙。

 背には鋼鉄のような巨大な翼。

 

 ファンタジー世界最強の生物。

 

「龍……!!」

 

 

 


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