永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第十話 引きちぎれる心

 この世界、ファンタズマゴリアと呼ばれる世界は中世ファンタジーである。

 

 日本人がイメージする中世ファンタジーは剣と魔法の世界であり、ユニコーンや妖精などか存在する世界の事を言うのだろう。だとすれば、この世界は間違いなく中世ファンタジーである。

 何故なら、ファンタジーの代名詞である龍が目の前で暴れているのだから。

 

 龍は西洋に出てくる竜の姿をしていた。つまり竜化した小竜姫の姿ではなく、強靭な手と大きな翼を持つるドラゴンだ

 そのドラゴンに立ち向かうのは、神剣を携え、黒きエンジェルハイロゥを纏ったスピリットと呼ばれる美しき女性たち。

 

 これがファンタジーで無いのなら、何をファンタジーと呼ぶのだろうか。

 ただ、目の前の光景は甘いファンタジー世界ではなかった。

 目の前の光景はファンタジー(幻想)ではなく、あまりにもリアル(現実)だった。

 

 

 

 

 永遠の煩悩者 第十話

 

 引きちぎれる心

 

 

 

 

「グオオオオ!!」

 

「はああああ!!」

 

 爆音。轟音。衝撃。

 炎、氷、風、雷、闇。

 

 多種多様なエネルギーがその場に渦巻いている。

 何の力も持たない者がこの場に踏み込みでもすれば、その瞬間に命を奪われるだろう。生きるか死ぬかのバトルフィールド。

 そのバトルフィールドに入らず、おろおろと殺し合いを見ている男がいた。横島だ。

 

「お、おい『天秤』 どうすりゃいいんだ……こんな時……」

 

 スピリットや龍に見つからないようにこっそり隠れながら、『天秤』に指示を仰ぐ。

 勢いでここまで来てしまったが、横島は別に何かしようと思って来たわけではなかった。

 そもそも何が起こっているのか知らなかったのだから当然といえるが、知ったからといえども何をすれば良いのか分からない。

 

『正しいと思うことをやればいい……無論、何が正しいのか分かっているな?』

 

 『天秤』の答えは至極単純だった。

 正しい事。横島は一生懸命に考える。

 今の自分の任務はバーンライトのスピリットの足止め。

 スピリットたちは龍から逃げようともせず、戦い続けている。恐らく、隊長から「龍を殺せ」という命令でも受けたのだろう。

 

 別にスピリットが龍と戦おうが、洞窟内に閉じ込めて足止めするという横島の役割に支障はでない。特に何かする必要など無く、このままこの場所から離れればいい、

 スピリットが勝とうが、負けようが足止めには変わりないのだから。バーンライトの隊長のことも気になるが、あの様子ではここに近づこうとも考えないはずだ。

 いや、もっと先まで考えることも出来る。

 スピリット達と龍の戦いは龍の方が優勢に見えるが、スピリット達も負けてはいない。

 このまま戦いあえば、恐らく龍が勝利するだろうが、龍も無傷ではいられないだろう。

 龍はその身に莫大なマナを蓄えている。殺しておけばそのマナはラキオスの物になり、今後の戦況を有利なものにするかもしれない。

 

 漁夫の利を得る。

 

 だが、漁夫の利を得るということはスピリット達を見捨てるという事だ。

 助けたいという感情はある。

 あんな爬虫類に美人で可愛い女の子たちが殺されるなんて許されることではない。

 しかし、助けるといってもどうすればいいのか。

 こっそり支援するなんて事はできそうにないし、協力して倒そうなどと申し出ても断られると考える方が自然だ。というよりも襲われる可能性のほうが高い。

 

 スピリット達を助けたいとは思う。

 しかし、そのために下手な行動をして自分の命を危険に晒すなんてことはできない。

 それに、自分の行動は今ここにはいない仲間たちの命に関わるかもしれないのだ。上司として責任ある行動を取らなければいけないだろう。

 なにより、龍が恐ろしい。

 

 結局、見つからないようにしながら静観しているのがベストであるという結論に達した。

 

『安心したぞ、主。やはりちゃんと先を見通す力を持っているではないか。愚かな感情に飲まれなければ、主が求めるものは必ず手に入るだろう』

 

 横島の考えを読んだのだろう。

 普段とは違う優しい声で『天秤』は横島を賞賛する。

 腹に一物含んだ声ではない。純粋に『天秤』は嬉しかった。己の主が正しい選択を選んだことを。自分の誘導通りに進んでいる事の嬉しさもあるのだろう。

 その声を聞き、横島は吐き気を感じた。だが、だからと言ってこの選択を取りやめるつもりはないが。

 

 スピリットと龍の戦いは一進一退の攻防が続いている。

 巨体ありながら翼を羽ばたかせ、空中を信じられないほどのスピードで疾走し、巨大な腕の先端についた鋭い爪を振りかざしスピリット達に襲い掛かる龍。

 スピリットは攻撃力、防御力、スピードの全てで龍より劣っていたが、決して負けているわけではなかった。

 グリーンスピリットは仲間に防御補助魔法をかけることによって防御能力を上げ、ブルースピリットは冷気を操る青の魔法で龍の行動を鈍らせ、ブラックスピリットは黒の魔法で龍の力を下げ、レッドスピリットが赤の魔法で攻撃するが、大して効いているようには見えない。

 

 どちらも致命傷を与えることができず、戦いは互角のように見える。

 あくまで「見える」だ。実際はどちらが優勢なのかは一目瞭然。

 竜のほうが遥かに優勢である。

 攻撃を食らってもほとんど効かない龍と攻撃を食らわないスピリット達。

 だが、いつまでも避け続けることはできない。

 生き物である以上、スタミナは無限ではないのだから。一撃で自分の命を奪う攻撃を避け続けているスピリット達はスタミナと精神を消耗して、いつかは攻撃を食らい、一人一人死んでいくだろう。

 そして、とうとう一人のスピリットが龍に捉えられる。

 

「くうっ!」

 

 あるブラックスピリットが龍の攻撃を避けたとき転倒してしまった。

 致命的な隙が生まれ、龍が襲い掛かっていく。

 このままでは間違いなく死ぬだろうが、倒れているスピリットを守るように、一人のスピリットが龍に立ちはだかった。ルルー・ブルースピリットだ。

 

「もう絶対に家族を失いたくない! ルーお姉ちゃんは……ボクが守るんだから!!」

 

 背中で輝く白き翼……ウイングハイロゥが輝きを増す。

 ルルーの強い意志を受けて神剣が輝き、目の前にブルースピリットが使用する防御方法、マナによって作られた水の壁――ウォーターシールドが生み出された。

 仲間を、家族を守ろうとする強い意志が生み出した守りの技。

 

 だが、現実は残酷だ。

 たとえルルーが限界以上の力を引き出し、障壁を張ったところで龍の圧倒的な力の前には何の意味もなさない。仲良く二人一緒にぺちゃんこになるだろう。ただ、死ぬ人数がひとり増えただけだった。

 

(あ……死んじまう)

 

 どこか冷静な頭が、あの二人のスピリットが死ぬということを教えてくれる。

 ナイスバディのお姉ちゃんにこれからが楽しみな女の子。

 

(悪い……悪く思わないでくれよ……)

 

 助けようと思えば助けられるかもしれない。

 しかし、優先順位として考えればあの二人は助けることはできなかった。

 過去の自分なら、さっさと逃げ出しているか、女の子を助けるために動いていただろう。

 だが、いま取っている行動は静観。

 自分らしくない、理屈による行動を選択した横島は、自分が成長しているのだと実感した。

 

 これでいい。

 

 奇妙な満足感が広がる。

 その満足感が自分の心ではなく、自分が握っている『天秤』のものだと分からないまま。

 そして、龍の無慈悲な一撃が振るわれる。

 龍の一撃はルルーとルーに向かって突き進み……

 

 横島……あなたは理屈で女の子を助けるか、助けないかを決めるの?

 

 ズウン!

 

 龍の一撃が地面を割った。

 

 

『この愚か者、愚か者、愚か者ーーー!!!』

 

『天秤』の怒声が横島の頭の中に響き渡る。

 余りの騒がしさに耳を塞ぎたくなるがそれはできない。

 なぜなら、横島の両腕に二人のスピリットがいるのだから。

 

 そう、龍がスピリットを殺そうとしたあの瞬間、横島は飛び出して二人のスピリットを救ってしまったのだ。

 

(なんて……ことだ!!)

 

『天秤』は目の前の出来事に愕然としていた。

 感情に飲まれるなど愚かなこと。

 そう教えられてきた『天秤』は感情など愚かなものだと知っていた。

 知っているだけだった。

 

 だが、今は違う。

 正しい判断が出来ているはず者を、先を見通す賢者さえも愚者にする、「感情」という物の恐ろしさを今、『天秤』は知識としてではなく、経験として教えられた。

 

(主は確かにスピリットを見捨てると考えていた。私もそう誘導するように精神操作を行っていた……それなのに!!)

 

 間違いなく横島はスピリットを見捨てようとしていた。『天秤』にはそれが分かっていた。

だから安心していたのだ。

 まさか、こんなことになるとは想像もしていなかった。

 

『どうするつもりだ! 何か策でもあるとでも言うのか!!』

 

 一縷の望みにかけて『天秤』が横島に問いかける。

 横島がこの状況をどうにかする秘策を考え付いての行動ではないかと期待したのだ。

『天秤』の期待に対する横島の答えは―――

 

「どないしよ……『天秤』」

 

『私が知るかーーー!!!』

 

 横島のあまりの馬鹿さに『天秤』は泣きたくなった。それは横島も同じ。

 

 なんで助けてしまったんだろう。

 

 簡単に言えば、体が勝手に動いたとしか言いようが無い。

 まるで、彼女のときのように……

 一体自分は何をやりたいというのだろうか。

 自分のことなのに自分がよく分からない。

 

 一方、横島に助けられたルルーは何が何だかさっぱり分からず混乱していた。

 

(え~と……どうなっているんだろ? 確か龍の一撃からお姉ちゃんを守ろうとして……気がついたらエトランジェの手の中にいて……ボクの胸をがっちりと掴んでて……ええ!?)

 

 ムニムニ。

 

「わ、わ、わあ!?」

 

「どわっ!!」

 

 突然のことに呆然としていたルルー・ブルースピリットだったが、胸を触られている事に気付いて、ようやく我に返ったようだ。手に持った神剣を振り回し、横島を攻撃する。

 

 いきなり暴れだしたルルーに慌てた横島は、すぐに右手で抱えていたルルーを投げ飛ばし距離を取る。ついでに左手に抱えていたルー・ブラックスピリットも投げ飛ばした。

 

「この変態! いきなり胸を鷲摑みにするなんて! 小さいとか馬鹿にしていたくせに!!」

 

「胸なんて触ってないぞ! 硬かったし……つーか目の前に龍が!」

 

「硬いって……もう許さない! 胸の仇……じゃなくて、皆の仇はボクが取らせてもらうから!」

 

 神剣を構え、横島に襲い掛かろうとしたルルーだったが、いきなりルーがルルーを後ろから羽交い絞めにして取り押さえた。

 

「ルーお姉ちゃん!? ちょっ……離してよ!!」

 

 ルーは暴れるルルーを無理やり押さえつけ、周りにいるスピリットたちに目配せすると後方へと下がっていく。

 そして、この坑道の広場の唯一の出口である場所まで下がると、神剣を横島のほうに向けて身構えた。

 

「おい、『天秤』これはどういうことだ?」

 

『あのスピリット達は龍を殺せという命令と、エトランジェを殺せという命令の二つを受けているのだろう。

その二つの命令を果たすために、逃げ道を封じ、私たちと龍を戦わせ疲弊したところを攻撃してくるつもりだ……漁夫の利を得る……本来、我々がやるはずだったことだな!!』

 

 語気を荒げ、苛々しげに説明する。

 その声には横島を責める色合いが深くにじみ出ていた。

 『天秤』の叱責の声に横島がうなだれる。

 

「……悪い、だけど今はこの状況なんとかせんと……」

 

『そんなこと言われなくとも分かっている!! とにかく……前を見ろ』

 

 龍は正気を失った狂気の目で横島を睨みつける。

 後方に下がったスピリットたちには目もくれない。

 

 バーンライトのスピリット達は後方に移動したこともあるだろうが、龍は横島が一番危険だと判断したようだ。

 事実、永遠神剣第五位を持つ横島のマナ総量はスピリットとは桁が一つ違う。龍が横島を危険視するのは当然のことだろう。

 

 龍の狂気の目が横島を捉える。不良に睨まれただけで怯える横島からすれば、龍の目で睨まれるというのは、気が遠くなるほど恐ろしいものだった。

 

(龍ってのは話ができるんじゃなかったのか! 悠人のやつ嘘つきやがってー!!)

 

 悠人が殺した龍は高い知性を持ち、話もできたと聞いているが、この龍とは話し合いなどできそうも無い。どう見ても目の前の龍は正気じゃない。狂っていた。

 

「オオオオォォォォーーー!!!」

 

 龍は一際高い咆哮を上げると、背中の翼を広げ空中へと舞い上がる。

 そして、空中から滑空するように横島めがけて突っ込んできた。

 その圧力はまるでビルが空から落ちてきているようだ。

 

「どわあああ!! でかい癖になんつー速さだあああ!!」

 

『落ち着け! 決してかわせない動きではないはずだ!』

 

 龍はその巨体に似つかわしくない素早い動きで巨樹のような腕を振り回してくる。

 腕の先端にある爪はまともに食らえば、肉をぼろ雑巾のように切り裂くだろう。

 

 横島は必死に龍の猛攻を、体をくにゃくにゃと曲げたり、華麗とは言えない動きで避けまくっていたが、龍はその腕をめいいっぱい伸ばし、横なぎに払ってきた。

 前後左右逃げ場なし。逃げるとしたら。

 

「上しかねえだろ!!」

 

 空中に全力でジャンプする。

 神剣による肉体強化によって、10メートル近くジャンプすることができた。この洞窟の天井の高さはかなり高いようだ。

 龍を見下ろす形になり、龍は見上げる形となる。

 龍と目が合う。

 

 ニヤリ。

 

 龍が嘲笑ったように感じられた。

 そして猛烈な悪寒に襲われる。

 

 龍は横島に向かって、牛ぐらいなら一口で食べてしまいそうな大きく口をあけた。

 口の奥から妙な光が溢れ、凄まじい勢いでマナが集まっていく。

 

 やばい。

 

 肌が粟立つ。全身の細胞が訴える。この場所から早く離れろと。

 だが、横島は空中にいて地に足が着いてない状態。

 文珠でも使わなければ、空中を自由に動くことなどできない。

 龍の口の中で、光がより一層輝き始める。

 

 来る!!

 

 そう思った次の瞬間、龍の口からブレスという名の圧倒的な破壊の力が放出される。

 まともに食らえば消し炭になるだろう。サイキックソーサーやマナの障壁を展開してもかなりのダメージを食らうのは間違いない。

 文珠でも完全に防ぎきれる自信はない。

 

 ブレスによって前方の空気を押し出され、風が巻き起こり、横島の髪をなびかせる。

 そのことを感じた横島は一つの技を使うことにした。

 

 死がすぐ近くまで接近して、硬直していた体から可能な限り力を抜く。

 風に吹かれる木の葉のように。

 ギャグキャラが時に風に吹かれて飛ばされるように。

 全身を可能な限り脱力させ、伝説の魔球の力を解放する。

 

「大リーグ横島三号ーーー!!!」

 

 そして、光り輝くブレスが横島に触れる……直前に吹き飛ばされた。

 直接ブレスに当たったわけではなく、ブレスが巻き起こした風に吹き飛ばれたのだ。

 横島に当たらなかったブレスはそのまま上方に向かう。

 かなりのスペースがあるとはいえ、ここは洞窟の中。

 龍が放ったブレスは上方に向かって飛び、そして天井にぶつかる。

 

 その瞬間、洞窟内が光で埋め尽くされ、世界が揺れるような衝撃と轟音が生まれた。鼓膜が破れるのかと思うほどの轟音と、洞窟が壊れるのではないかと思うほど衝撃に思わず手で耳を塞ぎ、天井を見上げる。

 天井が崩れてこないか不安になったのだが、その心配は杞憂だった。

天井は龍のブレスが当たった辺りがくりぬかれる様になくなっていたのだ。よほどエネルギーが収束されていたのだろう。

 

「うぎゃーーー!! 本当に怪物だーーーー!!!!」

 

 横島の体が恐怖に震えた。

 逃げろ逃げろと、体の全てが訴える。

 

(いや……泣きごと言ってる場合じゃねえ! 逃げたってしょうがねえだろ!)

 

 心の底から湧いてくる恐怖心を乗り越える……というより無視する。

 

『馬鹿者が! もし逃げられるなら逃げるべきだ!!』

 

「ここで逃げだしたら俺らしいじゃねえか! めちゃくちゃ恐いけど、成長するためにも逃げられねえだろ!!」

 

(なっ!? これは……精神を弄くった弊害か!?)

 

 自分らしい行動はいけない。

 横島の成長を願う気持ちと、『天秤』の洗脳が生み出した行動原理。

 それが、今裏目に出た。

 

 横島はとにかく攻撃を開始する。

 

「こんにゃろーー!!」

 

 左手に『天秤』を持ち替えて、右手に栄光の手を作り出し龍に向かって突き出す。

 

「伸びろーーー!!」

 

 龍の腹部に勢いよく栄光の手が伸びていく。龍は向かってくる栄光の手を目で追うが、避けようとはしなかった。

 カキーンと心地の良い甲高い音が響き渡る。

 栄光の手は強靭な龍の鱗によって、まったく刺さっていない。

 鱗の部分で完全に止まってしまっている。

 

「か、かてえ!!」

 

 栄光の手ではとても貫けそうになく、伸ばした栄光の手を引っ込める。

 龍は栄光の手が当たった部分をぽりぽりとかいていた。

 その様子は「蚊でも刺したようだ」とでも言っているようだ。

 

「だったら……サイキックソーサー!!」

 

 文珠と神剣である『天秤』を抜けば一番威力が高いサイキックソーサーを右手に作り出し投げつける。かなりの量の霊気を練りこまれたサイキックソーサーは轟音をたてながら龍に向かっていく。狙いは一つ。

 

「足の小指は痛いぞ、アタッーーク!!」

 

 サイキックソーサーが龍の足の小指にぶつかり爆発を起こす。

 

「グウッ!」

 

 僅かに痛そうな声を龍が上げる。

 足の小指の痛みは全生物共通か。しかしダメージはほぼ無さそうだ。

 

「グカアアアア!!!」

 

 痛みを与えられて怒った龍は怨嗟の声を上げ、翼を広げ地面すれすれで飛んでくる。

 そしてやはり攻撃方法は腕を振り回してくることだった。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに!」

 

 龍の一撃をなんとか避ける。

 避けられたことを安堵したが、次の瞬間、横島の顔は凍りついた。

 すぐ目の前に、硬い鱗で覆われた龍の腹部があったからだ。

 龍の攻撃はただ腕を振り回すことだけではなく、突進も含まれていたのだ

 

「どあ!!」

 

 考えるよりも先に横島の本能が反応する。

 地面を蹴り後ろに飛ぶ。

 可能な限り全身の力を抜く。

 

 そして、トラックが人間を轢いたような音が響いた。

 

 まるで風に吹かれた木の葉のように天高く横島の体が空中を舞い、地面に落下して思い切り叩きつけられる。

 

「痛ててて……ちくしょー! マジで怪獣じゃねえか!! 悠人のやつどうやって倒したんだ!!」

 

 龍のでたらめな戦闘能力に悪態をつく。

 悠人が龍を倒したと聞いていたから、なんとかなるんじゃないかと思っていたが、本当に悠人が龍を倒したなんてこの龍を見ていると信じられない。

 

 実際のところ、悠人は確かに龍を倒したのだが、それはアセリア、エスペリア、オルファを含めた四人で倒したのだ。別に悠人一人で倒したわけではないのだが、そのことを横島は知らなかった。

 

(あ~もう嫌じゃ! 何とかして逃げ……違うだろうが! 考えろ……どうすりゃ勝てるのか)

 

 心を懸命に押さえつけ、横島は小さい頭で対策を練り始めた。

 敵との圧倒的な体格差もあり、長期戦は圧倒的に不利だということは分かってる。

 このまま戦い続けていれば、体力・霊力・マナの全てを使い果たし力尽きるだろう。

 倒すとしたら短期決戦以外にない。それに龍との戦いは前哨戦に過ぎないのだ。

 この戦いの後にはスピリット達との戦いが待っている。

 こんな所でてこずっている場合ではない。

 

 短期決戦をする上で、今一番横島がほしいのは龍の隙と弱点だった。

 

(のっぴょっぴょ~んは……効きそうもないな)

 

 敵は狂える龍。

 美神流の戦いは頭を使ってはいるが、神算鬼謀の戦いではない。

 敵の心理を乱し、こちらのペースに無理やり引き込むというものだ。

 さすがに狂える龍の心理を読み、こちらのペースに引き込むというのは出来そうにない。

 

(ガチンコしかないのかよ……どんな文珠が効くんだろうな~)

 

 あれだけの巨体だ。

 『爆』の文珠だけではダメージを与えるのが精一杯で倒せそうもない。

 『滅』の文珠は効くかどうか分からない。

 『幻』の文珠は効くかどうか分からない。

 

 文珠の数は二個。

 効くかどうか解らない賭けに手を出すのは避けたいところだ。

 

 ここまでやっておいてだが……『天秤』の言っていたように、逃げだすという選択肢もある。唯一の出口はスピリットに押さえられているが、逃げられないわけでもない。

 文珠が一個あれば逃げ出すことは容易だろう。『模』の文珠でも使えばいいのだ。

 しかし、逃げ出したとしたらどうなるか。

 

バーンライトのスピリット達は龍を殺せという命令と、エトランジェを殺せという命令を受けている。

 横島が逃げ出したら、バーンライトのスピリットたちはどのように行動するか分からない。もしも、スピリットたちが龍のほうに行けば全滅する可能性もある。

 ここまでやっておきながら、スピリットを見放すことは出来ない。

 

 結論として、文珠一個で龍を殺し、文珠一個でスピリットを殺さず脱出する。

 これがベストだ。

 

(倒すとしたら……)

 

 頭の中でどう戦ったらよいかシミュレートする。

 逃げることも考えると使っていい文珠は一つだけ。

 その一つでもっともダメージを与える方法を考える。

 

(よし、決めた!!)

 

 右手に栄光の手を作り出す。

 

『……霊波刀ではダメージを与えられないことを忘れたのか? 龍にダメージを与えられるのは神剣である私を使うか、文珠以外にはないぞ。そんなことも分からないのか?』

 

 逃げずに戦うと決めた横島に『天秤』は冷淡だった。

 合理的でもなく、強いものから逃げるという横島らしい行動でもない。

 いくら洗脳の所為で情緒不安定になっていたとしても、これはあんまりだ。

 何の意味もない、最悪の行動に『天秤』はただひたすら怒っていた。

 

「んなことは解ってる……それより龍の弱点とか知らないか?」

 

『……眉間だろうか。装甲も薄く、脳という重要な機関にも近いしな』

 

 かつて小竜姫が竜に変化したときと同じだ。

 今回は矢などないから、接近して『天秤』を使うしかない。

 『天秤』を突き刺すためのプロセスも重要になってくる。

 

 龍は低い唸り声を上げながら、一歩一歩その巨大な足を振り下ろし近づいてくる。そのたびに地響きが洞窟内に響いた。

 その圧倒的存在感は、本当に龍を倒すことが出来るのかと疑問と恐怖を抱かせるのに十分だったが、そんな恐怖を横島は女の子達の為だからと、必死に打ち払う。

 

(案外、これで龍を倒したらスピリット達が感謝してくれて仲良くなれるかもしれないな)

 

 何の根拠もない空想だが、本当に魅惑な考えだった。

 しかし、そんなことはありえないだろう。

 

 横島の策略でこの場所まで来たのだから、罠にかけられたと思うほうが自然である。

 と言うより、神剣に心を飲まれたスピリットには恨むとか感謝するとかの感情自体が無いのだから。

 

「そんじゃ、行くぞ! 伸びろ、栄光の手!!」

 

 気合の声を上げ栄光の手を伸ばす。だが、今度の狙いは腹ではない。

 

「鼻通りをよくしてやるぜ!!」

 

 勢いよく伸びた栄光の手は龍の大きな鼻穴の中に突っ込まれていく。

 

 グサリ!

 

 栄光の手が突き刺さる感触が横島の手に伝わってくる。

 いかに強靭な鱗で覆われた龍といえども、鼻の中まで鱗で覆われてはいない。

 横島はさらに栄光の手を伸ばしたり曲げたりして、龍に鼻の中を引っ掻き回す。

 

 「グガアアア!!」

 

 痛かったのだろう。怒りの咆哮を上げながら、龍は横島に突撃してくる。

 龍にとって欲しかった行動とは違う動きだったので、軽く舌打ちするが、それでも想定の範囲内だった。

 

「ゴキブリのように逃げーーる!!」

 

 回れ右をした横島は逃げた。本気で逃げにまわった横島を捉えるのは容易なことではない。何の力も持たないころは悪霊からは逃げることしかできなかったのだ。逃げ足が優れていなければ、横島はとっくに死んでいるだろう。

 正に歴戦の逃げ足。

 

 龍はちょろちょろ動き回る横島を攻撃射程に入れることができず苛立った声を上げる。

 どうしても腕を振るえる距離まで接近できなかった龍は唯一の遠距離技であり、最強の攻撃を仕掛けることにした。

 

 足を止め、大きく口を開ける。

 ブレスだ。

 

 龍の最悪の攻撃が放出されようとしている中、横島は小さくガッツポーズを取った。

これこそ、横島が龍に求めていた行動だった。

 詳しく言えば、龍の最大の攻撃行動であるブレスを使うために、『龍が口を開けること』を横島は待っていたのだ。

 

 単純に『爆』の文珠をぶつけても龍には大したダメージを与えることが出来ないだろう。

 ならば方法は一つ。龍の内部から爆発させるしかない。

 文珠を龍の内部に投げ入れるチャンスはこのブレスを吐くタイミングが一番だ。

 

 もっとも、たとえ龍の内部で『爆』の文珠を爆発させたとしても、殺せるとは思っていなかった。

 だが、大ダメージを与えることができるのは間違いない。

 最後に『天秤』の一撃で決めるつもりだった。

 

「よっしゃ。もらった!!」

 

 龍が口を開いたとほぼ同時に、右手に持っていた文珠に『爆』の文字を入れる。

 そして文珠を龍の口に投げつける――――はずだった。

 投げつける瞬間、右手が急に動かなくなり、痛みが横島を襲う。

 

「な……なんだ! 右手が動かねえ……つーか痛寒いーーー!!!」

 

 異常が起こった右手を見ると、右手はカチンコチンに固まっていた。

 呆然と凍りついた腕を見る横島だが、すぐにこんなことになった原因を探す。

 

 マナが妙に集中している所を見ると、ルルー・ブルースピリットが神剣を構え、なにやら言っている。そこを他のスピリットが止めようとしていた。

 

 ルルー・ブルースピリットは青の魔法を横島に放ったのだ。

 正に最悪のタイミングで。

 

(何しやがる!)

 

 あまりの間の悪さに叫びたくなったが、それどころではない。

 急いで、右手に持っていた文珠を左手に持ち替え、龍に向かって『爆』の文珠を投げつけるが……

 

(やべ……間に合わない!!)

 

 一瞬の遅れは致命的だった。

 文珠は龍の口に向かっていくが、口の中に入る前にブレスが吐き出されようとしている。

龍の口に入る前にブレスは発射されるだろう。

 

「うぎゃあ! 閉じてくれ~~!!!」

 

 いま正に、龍のあけた口からブレスが発射されようとしているのを見て、思わずそう叫ぶ。その叫びは、何の意味も無い行動のように見えたが、予想外の力を発揮することになった。

 龍の眼前まで進み、口には入らなかった『爆』の文珠が横島の念を受け、『閉』の文珠に変化したのだ。

 そして、『閉』の文珠は力を発揮する。

 今、正にブレスが吐き出される瞬間に龍の口が閉じたのだ。

 それは文珠の遠隔操作ともいえる技だった

 

「グウ!?」

 

 自分の意思とは関係なくいきなり口が閉じてしまったことに目を見開いて驚く龍だったが、ブレスの発動が止まったわけではない。ちゃんとブレスは吐き出された。

 龍の口の中で。

 ボンという爆発音が龍の口の中から響き渡り、その後に龍の絶叫が洞窟内に響き渡る。

 

「おお、こんなこともできるんだな……よっしゃ!!」

 

 この好機を逃すわけには行かない。

 『天秤』を構え、龍に向かって突撃する。

 龍は自分のブレスによって口の中は総入れ歯にしなくてはならない状態になっていて、苦しみの声を上げていた。よほど痛いのか近づいてくる横島に見向きもしない。

 

 横島は悠々と龍に接近すると、可能な限り『天秤』にマナを流し込み、オーラフォトンを展開させ眉間に思い切り刃を突き立てた。

 

「ガアアアアア!!!」

 

 紛れもなく苦痛の悲鳴を上げる龍。

 痛みから顔を振り横島を落とそうするが、振り落とされないよう必死にしがみつく。

 

 「まだ……まだあ!!」

 

 突き刺した『天秤』をずぶずぶと龍の体内奥深くまで突き入れ、さらに霊力とマナを流し込み内部から龍を破壊しようと試みる。体の内部に送り込まれる破壊の力に、龍はよりいっそうの悲鳴を上げる。

 

「グガアアアアアアッ!!」

 

 痛みから逃げるためか、龍は翼を広げて全力で空中に飛び激しく動き回る。

 横島は振り落とされないように、摑まりながら『天秤』を通してマナと霊力を注ぎ続けた。

 

「逃がすかよ! ここで……っ!!」

 

 突然胸騒ぎを感じて後ろに振り返る。

 すると、岩壁がものすごい勢いで接近してくるのが見えた。

 痛みによって前が見えていないだろう。

 龍は壁に向かって突進しているのだ。

 

 このまま龍が突進したら、岩壁と龍のからだに押しつぶされる。

 慌てて『天秤』を龍の眉間から引き抜こうとしたが、刀身を根元まで突き入れていた為、なかなか引き抜けない。

『天秤』を引き抜くのを諦めて龍から離れようかと考えたが、『天秤』を手放せばすべての力が一気に落ちる。まだ龍を殺していないのだ。『天秤』を手放すわけにはいかない。

 どうするかの僅かな思案の間にいつのまにか岩壁は近づき、もう逃げることが不可能な状況になってしまった。

 

「も、文珠~~!!!」

 

 咄嗟の判断で文珠に文字を入れる。

 込める文字は『柔』

 刻一刻と後ろに迫る岩壁になんとか『柔』の文珠を指で弾き、硬い岩壁をトランポリンのように柔らかくする。

 そして。

 

「があっ……!!」

 

 押しつぶされた。

 

 いかに岩壁を柔らかくしたところで、2トン以上はありそうな龍の巨体で勢い良く潰されたのだ。

 バギバギと全身から破滅の音が聞こえる。

 内臓が押しつぶされる音が聞こえる。

 骨を砕ける音が聞こえる。

 命が磨り潰されていく。

 

「痛ゥゥゥ……ウァァァーーー!!!」

 

 余りの痛みに悲鳴を上げるが、悲鳴と同時に気合の叫び声を上げる。

 このチャンスで龍を殺しきれなければもうチャンスはめぐって来ない。

 龍の巨体に押しつぶされ、全身の痛みと戦いながら『天秤』を持ち、龍の内部にマナと霊力を注ぎ込む。

 

「グオオオオオオオン!!!」

 

 最後に世界が震えるほどの断末魔の咆哮を上げ、龍は滅びた。

 龍の巨体が金色のマナに変わっていく。 

 龍を構成していたマナは『天秤』が食うことにより、『天秤』が持っている力はより一層強化される。

 マナの吸収を喜ぶのが永遠神剣と呼ばれるものの本能なのだが、『天秤』は喜びの感情を示さず、ただ黙々とマナを食するだけだった。

 

『……見事だ……ああ、実に見事だな』

 

 可能な限りマナを食い終わった『天秤』がどこか投げやりな賞賛の声が横島に送る。

 横島はその声に応えず、荒い息をしながら辺りを困ったように見渡していた。

 

『単身で龍を倒したのだ! 誇りたければ誇るのだな!! 最強だ……ああ最強だ、最強だ!!』

 

『天秤』が横島のことをこれだけ褒め、賞賛したのは初めてかもしれない。

 しかし、10人が10人聞いたとしてもその声は誰かを賞賛しているとは感じないだろう。

 苛立ち、怒り、軽蔑の交じり合った賞賛の声だった。

 

『それで、最強な主は…………この状況をどうするつもりだ!!!』

 

 20の殺意が向けられる。

 20の神剣が向けられる。

 現状は最悪だった。

 

 龍との死闘を終え、勝ち残った横島に待っていたのは、19の無機質な殺意と1の意思を持った殺意。周りを20のスピリットに囲まれ、さらに10のスピリットが唯一に入り口を守っている。

 

 万全の状態でも周りを囲まれた状態でスピリット10人を相手にするのだって難しい。

 逃げようにも出口は一つ、さらにその出口にも10のスピリットが蟻一匹通さない様子で守っている。頼みの綱の文珠もなし。

 さらに全身がとにかく痛い。大粒の涙を流しながらみっともなく泣き声を上げたいほどに痛い。

 

 正に絶体絶命。

 

(はは……悠人に向かって優先順位がどうとか説教したのに……何やってんだ……俺)

 

 ふと笑いたくなる。自分のあまりの馬鹿さ加減に。

 こうなると分かっていたはずなのに。

 目の前に犬の糞があるのに、堂々と犬の糞の上を歩いたようなものだ。

 本当に馬鹿だ。

 どうやら自分は誰かに説教できるほど、利口な人間ではなかったらしい。

 

(くそ。死にたくねえ……死にたくねえよ。だって俺はまだ……)

 

 死にたくない。

 それは、命あるものの原初の想い。

 特に横島は死ぬわけには行かなかった。

 死ねない理由があった。

 それは……

 

(童貞で死ぬのはいやじゃ~~~!!!)

 

(童貞で)死にたくない。

 それは、男として当然の想い。

 息子とて死んでも死に切れるものではないだろう。

 

(こ、こうなったらもう、ここにいるスピリットでがんばるしか…!!)

 

『こんな時に馬鹿なことを考えるではない! このクソ主が!!』

 

 一種の現実逃避に走る横島に『天秤』が汚い罵声を浴びせかける。普段は冷静で偉そうではあっても真面目な言葉遣いの『天秤』だが、よほど腹が立っているのだろう。

 

「エトランジェ……ボクが……この手で、皆の仇を!!」

 

 じりじりと周りを囲んでいるスピリット達が距離を詰めてくる。

 もはやこれまでかと思われたとき、横島はあることに気付いた。

 

(……あ、あれ?)

 

 唯一感情が残っているルルー・ブルースピリットの顔が妙に輝いて見える。

 比喩でもなく、やけに顔の輪郭がはっきり見えていた。

 

 この坑道は壁がうっすらと輝いている部分があって完全な暗闇というわけではない。

 だが、相手の顔がはっきりと見えるほど明るくもなかったはず。

 はっとして上を見上げると、天井から光の帯がルルーの顔に下りてきていた。

 

(もしかすると……)

 

 少しの希望が生まれる。

 うまく行くかなんて分からないが、何もしないよりはずっといいはずだ。

 周りを囲んでいるスピリットたちはいつ襲ってくるか分からない。ぐずぐずなんてしてられなかった。

 

 現在残っているほとんどの霊力をサイキックソーサーに変えて右手に作り出す。頼むからまだ襲い掛かってこないでくれと念じながら。

 横島の思いが伝わったのか、それとも警戒しているのか、スピリットたちはまだ襲い掛かってはこなかった。

 

「いけ!」

 

 今のうちにと、サイキックソーサーを思い切り天井に向かってぶん投げる。

 サイキックソーサーは龍のブレスによって、かなり高くなった天井に向かってぐんぐん進み、天井にぶつかり破壊の力をまき散らかした。

 

(頼む……上手くいってくれ!)

 

 祈るような気持ちで天井を見上げる。

 サイキックソーサーと天井はぶつかり合い、その際に生まれた煙が漂って天井を隠していた。煙の隙間を探し、ある光景がそこにあるのか必死に見る。

 そして……

 

「月……夜空だ!」

 

 声を上げると同時に体を動かす。

 栄光の手を作り出して、地面に突き立て、さらに栄光の手を伸ばすことによって、空中に向かって突き進む。やがて、天井に人一人がようやく通れるぐらいの穴を見つけ、潜り抜けた。

 洞窟内の澱んだ空気ではない、澄んだ空気が横島の肺の中に流れ込んでくる。

 目に映るは月の輝き。

 横島は坑道の中から見事に脱出を果たした。

 そして、夜の闇をすたこらさっさっと走り始める。

 

「どうだ! 逃げ切ったぞ『天秤』」

 

『安心するのは早いぞ……追ってきている』

 

 『天秤』に言われて、神剣の反応を探ると後ろから20はあるだろう神剣反応が後ろから追いかけてきていた。

 しつこいと文句を言いたくなったが、実際はこちらを追ってこなくては困る。

 最悪の場合、スピリットたちがこちらに来ないで、ラキオスに向かう可能性もあったのだ。そうなったら、ラキオスは負けていた。

 まあ感情を失ったスピリットにとっては、与えられた命令だけがすべてだ。別に自分たちの国に忠義を尽くそうなんて考えていないのだろう。

 

『それでこれからどうするつもりだ』

 

「……悠人達が戦っているバーンライト首都に行くしかないだろ。ラキオスに戻るわけにはいかないだろうし」

 

 というよりもそれ以外選択肢が無い。

 このままラキオスに戻るわけにもいかないし、他に行く場所もない。

 隠れるという手もあるが、神剣を持っている限り神剣反応が出るため隠れることは出来ない。

 神剣を手放せば隠れられないこともないが、もし神剣を手放した状態で発見されたら、何をどうやっても死は免れない。

 

 悠人たちがバーンライト城を落せば戦いは終わる。

 そうすればここにいるスピリット達は全員生き残ることができる。

 もし、悠人達がバーンライト城を落としていなかったら最悪だ。

 悠人たちがバーンライト城にいるスピリットと戦っている最中なら、横島を追っているスピリットたちがバーンライトを守っているスピリットと合流してしまうことになるのだ。

 そうしたら、結局バーンライトのスピリットは全滅してしまう。

 もしくはこちらが全滅するか。

 この部分に関しては悠人達を信じるしかない。

 

『こんなスピードでは追いつかれるぞ。もう少しスピードを上げろ!!』

 

「分かってっ……~~~!!」

 

 喋っている最中に突然横島は、手で口を押さえながら苦しそうに咳き込む。

 咳が収まり、口を押さえつけていた手を見ると、血がペットリとついていた。

 吐血したのだ。

 

『いかん! 内臓に傷を負ったな』

 

 砕けた肋骨が内臓を傷つけている。もし、動脈や肺を傷つけでもしたら大吐血は間違いない。

 早く治療しなければいけないが、文珠もないし、神剣魔法も使える状態ではない。

 なにより体を動かすなど言語道断だが、走らなければ追いつかれ殺される。

 

『主よ! もっと我が力を使うのだ! はっきり言うぞ、主は我が力を殆ど使いこなしていない。それは、主自身が我が力を引き出そうと思っていないからだ。頼む、早く我を受け入れよ!』

 

 このままでは殺されると『天秤』は必死になって言った。

 だが、横島は胡乱な視線を『天秤』に向ける。

 

「……お前さ、何か信用なんないんだよ」

 

 ポロリと横島が言って、『天秤』が絶句する。

 怒りや憎しみが湧いたが、しかし『天秤』は何もいえなかった。横島のその直感は、実に正しかったからだ。

 横島の精神への干渉が中途半端なのは、彼が意識的に『天秤』の力を引き出さなかったお陰だ。もしも、不用意に神剣の力に溺れていたら、彼の精神はもう終わっていたかもしれない。

 また、『天秤』は自分が正しいと思うことばかりに言って、横島の言い分を殆ど聞かなかった。

 これは洗脳や干渉以前の問題だろう。信じられなくて当然だった。

 

 その時、がさがさと後ろの茂みが揺れた。

 はっとして振り返ると、茂みから一人のブラックスピリットが現れる。

 

 とうとう追いつかれてしまった。

 だが、幸いにも敵スピリットは先行してきたブラックスピリットただ一人。

 他のスピリットはまだ後ろにいるようだった。

 まだ、救いはあると『天秤』は希望を捨てず、頭を働かせる。

 

『こうなった以上、この窮地を脱する方法は一つだけだ。まず、このスピリットを可能な限り早く殺す。そして私を手放して、身を隠すのだ。それ以外に方法は無い』

 

 『天秤』という神剣を持っている限り、よほど離れないと敵に捕捉され続ける。

手放せば、敵は横島の位置を把握できなくなり、隠れることができるのだ。

 もし、『天秤』を離しているときに、敵に見つかったらアウトだが、もうこれ以外方法は無い。

 横島もそれぐらい分かっている。だが、横島の表情は浮かなかった。

 

『主……まさか今更殺せないなど言うのではないだろうな?』

 

 『天秤』の声はどこか懐疑的だった。それも当然だろう。そもそもこんな目に合っているのはふたなり発言を別にすれば、横島が龍の前に飛び出したことが原因なのだから。

 

『恋人を殺し、数多くのスピリットを殺しておきながら、今更スピリットを一人殺せないなどと言うわけないよなあ……主?』

 

「うっ……と、当然だろうが!!」

 

 恋人を殺し、多くの女の子たちを殺しておきながら、いい子ちゃんぶるつもりなど無い。それに相手の命より自分の命のほうが大切なのは当然のことだ。

 

 『天秤』を構え、ブラックスピリットに向き直る。

 そして、これから殺す相手の顔を凝視して、泣きたくなった。

 

(……くそったれ! 何でこんなに可愛いんだよ! 美人なんだよ!!)

 

 ブラックスピリットは美しかった。

 美の神が細心の注意をしながら、作り上げたのではないかと思うほど顔の造型は完璧。

ロングの黒髪は月の光を浴びながら美しく輝き、艶やかな色っぽさを醸し出す。

 スタイルも余計な肉など付いていないで、それでいて女性を表す部分はしっかりと出ている。

 肌は純白で、黒を基調とした戦闘服のおかげでよりはっきり肌の白さが良く分かる。

 月の光に照らされるその姿は正に妖精。

ブラックスピリットの別名である、月の妖精と呼ぶに相応しい。

 唯一その美を損なっている部分があるとすれば、その端正な顔立ちのパーツである目が、何の光も持たず、まるでマネキンのように無機質なところだろう。

 だが、それも人間の調整を受けて不当に奪われたものだと考えると、その悲劇性がより一層横島の心をかき乱す。

 

 何故、スピリットはこんなにも可愛い子ぞろいなんだろうか。

 何故、こんなに可愛い子と殺し合いをしなければいけないのか。

 

 ……なんとか戦わずに済む方法はないだろうか?

 

 「ふっ、龍を一人で倒す俺を止めようというのか。やめておけ、その若い命を無駄に散らすだけえええええっ!!!」

 

 なんとかはったりでこの場を切り抜けようとしたが、スピリットは何の躊躇もなく切りかかってきた。

 

 『馬鹿者! 感情の無いスピリットに、はったりもギャグも効果などない!!』

 

 「……こんちきしょ~! ……俺は……死ぬのはいやじゃーー!!」

 

 半泣きになりながらも『天秤』にマナを流し込み、全力で切りかかる。

 敵は感情のない生きた人形のような存在。

 はったりもギャグも命乞いも、したとしても眉一つ動かさず襲い掛かってくるだろう。

 本当に無駄な行動なんて取っている場合ではないのだ。

 

 ブラックスピリットは横島の斬撃を日本刀型の永遠神剣を構えて待ち受ける。

 横島からすればありがたい行動だった。下手に動き回られて時間を潰されることのほうが遥かに厄介なのだから。

 

 横島は歯を食いしばり、体の痛みに耐えながら前に出る。

 両手に『天秤』を構え、敵の神剣ごと両断するつもりで突撃した。

『天秤』の刃がブラックスピリットの命を奪おうと唸りを上げる。

 

「死ね」

 

 ブラックスピリットは横島の攻撃を防御せず、回避しようともしなかった。

 してきたのは攻撃。

 神剣を突き出し、自分の身を省みずカウンターを仕掛けてきた。

 このままでは両者相打ちだ。

 

「どわああ!」

 

 攻撃を中止して、必死に体を捻り、ブラックスピリットのカウンターをぎりぎり避ける。

 

「痛ててて……くうっ、ずいぶんと危険な戦い方しやがって……」

 

 とても自分では真似できそうにない攻撃方法に、改めて敵が本気でこちらを殺そうとしているのを理解する。

 剣術でも勝てそうに無く、本来勝っているはずの身体能力もダメージを負っているために負けている。

 さらに間違っても持久戦に持ち込まれるわけには行かない。

 

 状況は芳しくないが、それでもこちらにも有利な点があると横島は見ていた。

 スピリットには霊力が感知できない。視認方法は肉眼のみ。

 それが、こちらの利点。

 

(だったら……!)

 

 右手に『天秤』を構え、サイキックソーサーを左手に作り出す。

 霊力の殆どを失っているため、威力のあるサイキックソーサーなど作れないが、別に攻撃用ではないから構わない。

 このスピリットは、このサイキックソーサーに何の威力も無いことに気付けないはずだ。

 

「くらえ!」

 

 サイキックソーサーをブラックスピリットに向かって投げつける。

 ブラックスピリットは、すかすかのサイキックソーサーを、かなり大げさな動きで回避しようとする。先ほどの天井に穴を開けたときの威力を想像しているのだろう。

 

「はじけろ!」

 

 出来損ないのサイキックソーサーが、ブラックスピリットの眼前まで近づいた瞬間、光と音を出しながらはじける。

 その光はサイキックソーサーを避けるために凝視していたブラックスピリットの視力を奪うのに十分だった。

 

「もらった!」

 

 『天秤』を構えながら突撃する。

 視力を奪われたブラックスピリットは、たじろいでいて身動きできないようだ。

 人間では知覚すら難しい高速の戦闘で、敵の動きをコンマ一秒止める。

 数百キロのスピードでの戦いにおいて、それはこちらの勝利を意味していた。

 生まれた隙をついて『天秤』の刃をブラックスピリットの喉に向けるが……

 

 ――――ルーお姉ちゃんはボクが守るんだから!

 

「っ!!」

 

 突如、体が上手く動かなくなる。

 首を確実に捕らえていたはずの『天秤』の刃が、喉を僅かに掠めるだけにとどまった。

 

『馬鹿が!! 一体何をやっている』

 

「俺にも何が何やら分からんのじゃー!?」

 

 それはひょっとしてギャグで言っているのか、と突っ込みたくなる。

 『天秤』は横島の心を探って見るが、確かに横島は殺そうと考えているのだけは間違いなかった。

 

『まったく……主よ、もしルシオラが今の主を見たらこう言うだろうな。

「恋人の私を殺せるのに、何で敵の女を殺せないの」……とな!!』

 

「……っ!!」

 

 心が抉られる。

 『天秤』の言葉はどうしようもなく心に響くのだ。

 横島が苦しむポイントを突いている事もあるが、『天秤』がこっそりと横島の精神を操っているのも原因だ。

 

(しかし妙だな……いくら女相手とはいえ、これほど殺しを嫌がるとは……いや、殺そうという意思はあるのだが……)

 

 この時点で『天秤』は嫌な予感を感じた。

 『天秤』の考えでは、確かに横島は女性を傷つけるのを躊躇する。

しかし、本当に自分の命が危険さらされたら「死ぬのはいやじゃー!」とでも言って相手を殺すことが出来ると判断していた。

 しかし、今の横島はそれが出来ていない。殺さなければいけないと脅迫観念じみた思いはひしひしと感じている。

 だが、それはどこかハリボテのような感じだった。

 

 ブラックスピリットは神剣を構えながら動こうとはしない。

 仲間が来るのを待っているのだろう。

 とは言っても逃げようと背を向けたら襲い掛かってくるに違いない。

 

 やはり欲しいのは隙である。

 普段ならギャグや馬鹿な事をして、隙を作るのだが、この敵には効果が無い。

 ならばと、横島は決断する。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主として命じる! マナよオーラに変わり、目の前の敵を……」

 

「っ!!」

 

 様子を伺っていたブラックスピリットが血相を変えて飛び掛ってきた。

 唱え始めた神剣魔法を中断させようというのだろう。

 

「……よっしゃ!」

 

 突撃してきたブラックスピリットを見て、横島は偽の詠唱を止める。

 横島は神剣魔法をフェイントに使ったのだ。

 

 ギャグやはったりは効かなくても、こういったフェイントなら効果があるようだ。

 瞬時にこのようなフェイントを使えることが、横島の実戦経験豊富なところを表している。

 偽の詠唱に引っ掛かったブラックスピリットは、いきなり詠唱を止めた事に驚き、僅かに動きが鈍った。

 その隙をついて横島が前に出て『天秤』を振るうが、その刃は遅く、鈍く、隙を突く事すらできない。

 

(くそっ……一体どうなってんだよ。殺……せない?)

 

 殺そうとすると体が妙に重くなる。

 しっかり殺そうと思っているのに。

 そんな横島の様子に『天秤』は心底呆れていた。

 

(なんという愚か者だ)

 

 これ以外の感情など出てこない。

 馬鹿だとは知っていたが、馬鹿にもほどがあるだろうと嘆きたくなった。

 出来るだけ横島自身の意思で殺させろというのが命令だが、これ以上任せていれば命が危ない。

 『天秤』は本気で、横島の精神を侵すことに決めた。直接の侵食は避けるようにと言われていたが、このままでは百パーセント死ぬ。

 命令違反で処罰される恐れは高いが、ここで死ぬよりはマシだろう。

 

『茶番はもう結構だ。後は私がやる』

 

「はっ? 一体何を……ッッッ!!!」

 

 何かが心の中に入ってきた。

 横島は心の中に入ってくる何かを必死に抑えようとしたが、押さえ込もうとすると信じられないような激痛が体を襲う。

 

 痛いのはごめんだ。

 

 もう苦しみも、痛みも嫌だった横島はあっさりと抵抗を止めた。

 そして、横島の意識は消え、同時に凄まじいマナが体から吹き出し始める。

 

「ずいぶんとあっさり乗っ取れたな。それだけ、主の精神が脆弱だと言う事か。後でこの記憶も改竄しておかなければな……体へのダメージもある。さっさと死ね」

 

 ぞっとするような声が横島の口から漏れた。

 声は横島そのものだが、深遠の闇を思わせるような、あるいは機械が喋ったような、どちらにしてもその声は横島の声ではなかった。その声はまぎれもなく、『天秤』の声。

 横島の体を乗っ取った『天秤』は自分自身の力を100パーセント引き出す。疲れとダメージで弱ってはいたが、しかし並みのスピリットとは比べ物にならないオーラがその身に宿った。

 ブラックスピリットが切りかかってくる。それを障壁であっさりと受け止めて、さらにベクトル操作で衝撃を跳ね返す。

 吹き飛ばされ、倒れるブラックスピリット。起き上がろうとしたところに、『天秤』の刃が迫る――――が、

 

「男の宝を切り落とせるかーー!! おっぱいパワー全開!!」

 

 ブラックスピリットの胸を切り落とそうとしていた『天秤』の刃が、ぎりぎりと止まる。

 間違いなく、今の横島は横島であった。

 

「『天秤』! 今、俺を操ろうとしやがったな!!」

 

『馬鹿な……自力で精神を奪い返すなど!?』

 

 一度、神剣に心を奪われたら自力で心を奪い返すなど出来ない。

 少なくとも、『天秤』はそう教えられていた。

 

 これは、横島のおっぱいを愛する気持ちが生み出した奇跡そのもの。

 だが、それは確かに奇跡であったかも知れないが、死を招く奇跡に他ならなかった。

 ブラックスピリットは動きが止まった横島に、神剣で切りかかる。

 

「ひっ!」

 

『天秤』を前に出してなんとかブラックスピリットの斬撃を受け止めるが、勢いに押され吹き飛ばされ、地べたに転がる。

 地面に倒れこんだところを、ブラックスピリットが神剣を振り下ろしてきた。

 

「くぅ!」

 

 横島は何とか神剣を『天秤』で受け止めるが、全身に激痛が走って悲鳴をあげた。

 別に切りつけられているわけでもないのにとにかく痛い。

 さっきまで痛みが消えていたのに、急に痛みが戻ってきた。

 余りの痛みに気が飛びそうになるのに、痛みによって意識がはっきりする矛盾。

『天秤』から流れ込んでくる力も、かなり弱くなっている。

 

(チクショー! なんでこんな目に!!)

 

『信じられん……私の精神操作が、おっぱいパワーなどという訳の分からぬものに……』

 

 泣き叫びたいほどの激痛の中、横島は『天秤』で必死にブラックスピリットの神剣を押し返そうとするが、怪我の影響と上を取られている体勢では押し返すことができない。

 逆に押し込まれていく。

 『天秤』と敵の神剣を挟んではあるが、横島とブラックスピリットの顔がくっ付きそうなほど近くなる。

 もう押し切られる寸前だ。

 その時、横島の頭の中で何かが弾けた。

 

(これしか……ないか!)

 

 この現状を打破するには、自分の真の力を使うしかない。

 口を開ける。

 そして、相手の顔に近づき、

 

 べろん。

 

 横島は舐めた。

 べろんと相手の鼻の頭を。

 

「ひっ!」

 

 あまりにも突然のことで、ブラックスピリットの体が硬直する。感情を失っているといっても、完全に失っているわけではない。

 恐怖や羞恥心といった感情は僅かながら残っていたのだ。残されたほんの僅かな心を最大限に刺激する恐怖の煩悩技。

 怯えた隙をついて、首筋に手加減抜きの手刀を打ち込む。

 

「くあっ……」

 

 手刀はブラックスピリットの意識を完全に刈り取った。

 背中に出現していた黒き翼が消え去り、地面に崩れ落ちる。

 

「どうだ! これが48の煩悩技の一つ、舌なめアタック!」

 

『もう何をどう突っ込んでいいのか分からん……とにかく早く隠れろ』

 

 本当に48個もあるのか分からない謎の煩悩技とやらに、『天秤』は怒りも呆れも通り越し、素直に感心していた。心の大半を奪われたスピリットを怯ませたのだから大したものだ。

 何より、あの状況下でマナも霊力も使わずに、しかも殺さずに敵を倒したというのが凄い。

 女好きで変態な横島だからこそ可能である、霊力もマナも関係ない横島としての力。

 だが、事態は好転したわけではなかった。

 

「ルーお姉ちゃん!!」

 

 ルーというブラックスピリット相手に時間を掛け過ぎてしまったようだ。とうとう後続に追いつかれてしまった。

 今のところルルー・ブルースピリット一人だけだが、ぐずぐずしていたらどんどん追いつかれるだろう。もう、一刻の猶予もない。

 

 ―――――ハハ、マジでもう限界だ……俺は頑張ったよな? 早く殺して隠れよう。

 

 ぼんやりとした頭で、横島はそんなことを考える。

 空腹、眠気、痛み、渇き、ストレス、『天秤』の干渉。

 これらの苦しみに横島は歯を食いしばって耐えてきた。

 だが、もう限界だ。はっきり言って、何かを考えることすら辛い。

 

 目を向けると、ルルー・ブルースピリットは倒れているルー・ブラックスピリットに何やら声をかけている。

 生きているのか、怪我はないか心配しているのだろう。

 

 これ以上ないチャンス。

 右手に少しの霊気を集める。スピリットはマナを感じ取れても霊力は感じ取れない。

 なけなしの霊力をかき集め、極小のサイキックソーサーが横島の手に生まれる。

 そして、ゆっくりとサイキックソーサーをルルーに投擲する。

 

 ほとんど無意識の行動だった。

 戦士のとして本能、生きるための本能が横島の体を勝手に動かしたといってもいい。

サイキックソーサーが飛んでいく先にあるのはルルーの頭部。

 大した威力も無いサイキックソーサーなど、マナの障壁を使われたらあっさり防がれるだろう。

 こちらに注意が向いていない今だけがチャンスなのだ。

 頭さえ破壊すれば確実に殺せる。

 

 極小のサイキックソーサーが風を切りながらルルーに向かって飛んでいく。

 ルー・ブラックスピリットの無事を確認したルルーは、ようやく横島の方に向き直る。

 そして。

 

「あっ……」

 

 眼前にまで迫ったサイキックソーサーを見て、ルルーは理解した。

 自分は死ぬのだと。

 

「ごめん、仇討てない……」

 

 ポツリと漏らした言葉は家族の仇を討てなかった、自分の不甲斐なさの怒りと悲しみの声だった。

 

 ――――――アシュタロスは俺が倒す!!

 

 「っ!!」

 

 何故か浮かんでくる、過去の自分。

 愛すべきものの為に、全身全霊をかけて戦ったあのときの言葉。

 

 次の瞬間、ルルーの頭を貫くはずだったサイキックソーサーがぐにゃりと曲がり、まったく見当違いの方向に飛んでいった。

 

「……えっ?」

 

『……はっ?』

 

「……あれ?」

 

 ルルーと『天秤』と、そして横島の呆気にとられた声が響く。

 

(……意味が分からない……主は……一体何がしたい!!)

 

 ここまで来ると、『天秤』には横島が未知の生物ではないかとすら思った。

 本当に意味が分からない。生きたいのか死にたいのか。気が狂ったのかと本気で疑った

 横島自身も驚愕している事が、より『天秤』を惑わす。

 

 妙な沈黙が横島とルルーの間で流れる。

 始めに動いたのは横島だった。

 いや、動いたと言うよりその場で崩れ落ちた。

 

「もう疲れたよ、パ○ラッシュ。それに何だかとっても眠いんだ……」

 

『誰がパトラッ○ュだ!! 一体何を考えて……おい! 本当に寝るな!!』

 

 本当に寝息を立て始めた横島を、『天秤』は声を荒げて眠りからたたき起こす。

 起こされたことで少し不機嫌な顔を横島は作ったが、すぐに破顔した。

 

「……おかしいんだよ。何で俺が剣なんか持って、女の子と殺し合いなんかやってんだ?」

 

『ば、馬鹿なことを言っている場合で無い! 今すぐ、あのスピリットの首を切り落とせ!! 主は成長したいのだろう!!』

 

「……セクハラしたいな~」

 

『はあっ!? おい、ある主! 冗談を言っている場合では……!!』

 

 ここにきて、『天秤』は横島の異常さに気付いた。

 目が虚ろだ。目の焦点も合ってない。

 

 分かりやすく、端的に言うと、横島は壊れかけていた。

 表層心理と深層心理の摩擦によって。

 表層的な思い……いわばこの世界に適応するためのメッキともいえる部分ばかり優先させたことは、逆に横島本来の部分をより肥大させていた。

 

 怖がりで、馬鹿で、女の子が大好きな本来の横島を。

 

 本来、兵士などという職業は横島にもっとも似合わない職業だ。

 可愛く、儚く、不当に奴隷扱いされ、殺し合いをさせられている女の子たちを見捨てて殺すか、もしくは同じ境遇の女の子たちを殺すかという、あまりにも不条理な二者択一の選択肢の果てに、横島は兵士になることを決断せざるをえなかった。

 

 そして、横島は必死に兵士として成長しようとした。

 元々、自分に自信が持てず、ネガティブよりの思考の横島だ。

 だからこそ、成長とは本来の自分を消して、新しい自分に生まれ変わることだと考えてしまった。『天秤』もそう思うように誘導した。

 

 だが、本来の自分なんてそうそう消えるものではない。

 ただ、心の底に沈め、押さえ込もうとしただけ。

 そして、人間の感情など押さえ込もうなどとすれば、より一層膨れ上がるのは必然。

 

 抑圧された横島本来の部分がここに来て吹き出してしまったのだ。

 それならば「うぎゃーーー!! もうおうちに帰るーーーー!!!」とでも叫びだすのが横島だが、そんな余裕すら既に無い。

 肉体も精神も限界まで耐えた。

 もう、限界なのだ。

 

 IFの話になるが、もし横島が自分自身の想いに正直なら、怖がりで情けない部分をさらけ出す素直な横島なら、ネリーやハリオンといったスピリットを一人ぐらいは連れてきていただろう。

 連れて来てさえこんなことにはならなかったのかもしれない。

 

 せめてもう少し、自分に自信が持てていたならば……

 横島らしい行動を取っていれば……

 もしくは完全に横島らしさを捨て、純粋な兵士になっていれば……

 

 だが、それはIFの話。

 もう何もかも遅かった。

 

「エトランジェ……君は『反抗』のルルーが殺すから!!」

 

 自分の神剣の銘を言い、背中に白の翼を出現させ突撃してくる。

 抵抗しようにも、心身ともにダメージを負っている横島は動けない。

 横島は自分を殺そうする神剣をぼーっと目で追うだけだった。

 

「疲れた……」

 

 その言葉が、横島の全てを物語っている。彼は頑張りすぎた。

 『天秤』が何か叫んでいるが特に意味はない。

 

 横島忠夫の命運は尽きたのだ。

 

 

 

 ――――何故、こうなった?

 

 『天秤』は考える。

 

 目の前に神剣を構え、こちらに突撃してくるブルースピリット。

 平時なら特に問題なく打ち倒せる相手だが、現在の状況では迎撃は困難。

 それに、たとえもう一度主の精神を奪い、撃退してもすぐに敵の増援がやってくる。

 もう、助かる方法は無いと分かってしまった。

 

 ――――どこかで選択を誤ったのか?

 

 正しい事を主には伝えてきた。主も私の言うことが正しい事であると認めていた。

 主は決してバカな男ではない。感情にさえ流されなければ、切れ者とまで言わなくともそれなりの頭を持っていることは理解した。

 

 ただ幾つかの不安要素はあった。

 一つ目は私が主の精神に干渉することにより、精神的に不安定なること。

 これに関しては仕方がない。もし、私やこの世界そのものに疑念を持たれたり、元の世界に帰るなどと言われたら面倒だ。

 

 二つ目は不安は主が何の罪も無い、悲劇の女性達を殺せるかと言うことである。

 この部分に関しては私もかなり苦心した。

主の過去のトラウマを利用したり、この世界の厳しい現状を認識させたり、さらに、何度となく主の夢に干渉して、スピリットを殺す夢を見させたりもした。

 それにスピリットを殺すための理由付け―――免罪符も完璧だった。

 仲間のため、女のため、なんとも主のような男が尻尾を振って喜びそうな免罪符だ。

 

 正に完璧な理屈、論理だったはずなのに。

 それがどうしてこうなった。

 

 主は、言うこと、やること、考えることの全てがめちゃくちゃだった。

行動にも一貫性がなく、矛盾だらけの行動ばかり取っていた。

 正しいことを理解し、何が合理的なのかを理解し、先を見通す目を持っているはずなのに。

 ただ、正しいことを言い続けるたびに、主の心を操るたびに、主の精神が不安定なっていったのは感じていた。

 

 もしかして、私自身が主を追い詰めてしまったのか?

 正論を言い続け、暗示を掛け続け、心を犯したことが主の潜在的な想いを増幅させ、このような事態を招いてしまったのか?

 精神操作のデメリットを考えなかった私のミスか?

 だとすれば、こんな事態になってしまったのは、私にも責任があるのか?

 

 ――――違う!!

 

 例え、私の所為で横島の精神を圧迫させたとしても、正しい事を言い続けたことに変わりはない。

 正しいことを言い続けたのだから、間違いであるわけがないのだ。

 例え、結果が悪くなっても、間違いなわけが無い。

 

『…………ない』

 

『私は間違ってなどいない!!』

 

『私は悪くない!! 私は正しい! 正しいのだ!!』

 

 自分は正しいと、自己を肯定する。

 戦場において正しい事を言い続けてきたのだ。自分が間違っているわけないではないかと。

 

 だが、間違っていなかったのなら何故こんなことになってしまったのだろうか。

 ただ、一つ言えることは、『天秤』は人間の思考をロジック(論理)で考えすぎたと言うことだ。

 

 横島が正しいと『思う』ことと、正しいと『想う』ことはまったく違うということ。

 殺せる理由はあっても、殺そうとする殺意を、横島は持ちきれなかったこと。

 そのことを『天秤』も、横島自身すら失念していたのだ。

 

 『天秤』は何故こんな事態になってしまったのか悩み苦しんでいたが、そんなこととはお構いなしに終わり時は刻一刻と迫っていた。

 

 ルルーの神剣が迫るにつれ、横島の瞳に映る神剣の姿が大きくなる。

 自分の命を刈り取るであろう神剣を、虚ろな目で眺めながら、横島は小さく声を上げた。

 

「のっぴょっぴょ~ん……」

 

 それは、横島が本来ギャグ属性だと証明する小さな叫び。

 こんな世界に送り込んだ者への怨嗟の声。

 それだけ言って満足したようで、横島は静かに目を閉じる。

 

 そして、ザクリと、神剣が肉を貫く音を聞きながら、横島の意識は消えていった。

 

 

 

 

 


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