――――ラキオス城下町。
露天商が大声を張り上げて、自分の商品を売り込もうとしている。
大道芸人が注目を集めんと声を張り上げる。
大通りを歩く人たちは皆一様に笑顔で、笑い声がたえない。
戦争も勝利に終わり、ラキオスの町は活気に満ちていた。
長年の宿敵であるバーンライトを倒したことが起因しているのだろう。
自分達にとって、特に何が変わるわけではないが、それでも自国の勝利は嬉しいものだ。
戦勝に浮かれるラキオス城下町。そんな騒がしく楽しげな街中に変態が降りかかる。
「どわああああ!!! 落ちる~~~!!!」
空中から何か叫び声が聞こえたかと思うと、
「ぷげら!!」
カエルを潰したような声と、それをさえぎる様な大きな衝突音が街中に響く。それなりの大きさのクレーターが、町の広場に出来上がっていた。
人々は一体何が落ちてきたのかと、クレーターの周りに集まってくる。
「いててて……ギャグキャラじゃなければ死んでるぞ……まったく」
『ギャグキャラは何故死なないのだろうな。この謎を解明できれば無敵の軍団が作れるだろうに……しかし主よ、いつの間に服を着た?』
「俺の玉の肌を女の子たちに晒したら、それこそハッピーブレイクデスメタルだろ!!」
『私の読解力が足りないのか、それとも変態なのか……』
「誰が変態だ。大体、お前だっていつの間に戻ってきやがった。エニはどうした?」
『……主よ。私にピンクのリボンが似合うと思うか?』
「苦労してんな……って、おい!答えになってないぞ!」
(結構似合ってたじゃない)
『うるさいぞ!! ルシ……』
「はあっ? 何言ってんだ」
『うっ……何でもない。それと、質問は忘れろ。……よし、忘れたな』
クレーターの中心でもぞもぞと動き、意味不明な独り言を言う人影一つ。
巻き上がっていた土煙が消え、それが横島だと分かった町人は、一定の距離を保ちつつ注目する。町人は横島に近づこうとはしない。しかし、離れようともしない。
興味と恐怖の間で、町人達は横島から離れられないでいた。
町の人間がどう思っているのかは知らないが、これだけ注目されていて何もしないのも関西人の名折れだ。色々と話さなければいけないだろうと、横島は考えた。
「エトランジェは空から降ってくるもんなんだぜ」
いきなり大嘘を吐く横島。
どよめく民衆が心地よい。
「悠人の奴なんて地面から現れて、女の子のパンツの内側を覗こうと……」
「意味不明なデマを飛ばすな!!」
ゴチン!
後頭部に感じる鈍い痛み。
何しやがる、と後ろを振り返り、そこにいた悠人の姿を確認してうんざりした顔を作る。
「お前ってどこにでも現れるよな」
「空から降ってきたお前が、それを言うのか!?」
なんだかんだと言い合いが始まる。
二人の仲は、別に悪いというわけではない。
しかし、横島が男と仲良くするのはやはり難しいようだ。
悠人の登場に周りがさらに騒がしくなる。宿敵であるバーンライトを滅ぼした立役者が二人も揃ったからだ。
基本的に人が余り得意ではない悠人は、自分達が見世物のように注目される事が我慢できなかった。場所を変えようと横島に提案し、横島もそれを受け入れる。
二人は人気の少ない通りまでやってきた。
「んで、あんなところで何やってんだよ、悠人」
横島や悠人の生活は、訓練をして、言葉の勉強をして、戦術を習って、生活をしている。
別に町に行く必要はない。
それなのに、何故街中にいるのか横島は気になった。
「エスペリアの買い物に付き合っていたんだ。ただ、俺がいると……その、なんだか面倒事になりそうだから、ぶらぶらしてて……」
「迷子になったわけだ」
びくりと悠人の肩が震える。
なんとも嘘のつけない奴だ。
横島はニヤニヤしながら悠人に話しかける。
「お前はもうここに来て三ヶ月ぐらいになるんだろ。まだ、道を覚えられないのかよ」
「剣振ったり、言葉覚えたり、戦術を勉強するので精一杯だったんだ!」
正直、悠人にはここまで言葉を覚えて暮らしている横島が不思議だった。
空から降ってきたのも不思議だった。
大体この男は死ぬ寸前の傷を負い、さっきまで寝込んでいたはずだ。
なんという回復力なのかと、悠人は感心するよりも呆れていた。
横島という男に抱く感情は、好意や嫌悪なんかではなく、呆れがもっとも多い。
「それじゃあ、お前はこの町の地理を把握してんのかよ」
「当然だろ。いざという時(覗きをしたとき)の逃走経路を把握しておかないと、敵に(保安隊)追われたときに困るからな」
「結構考えてんだな」
感心したように悠人が言う。
括弧の中の言葉を聞かせてやりたい所だ。
まだ横島という男が、どういう男か知らないのだろう。
「まあいいか。とりあえず、第一詰め所まで道案内してくれないか?」
「断る!」
「なんでだ!?」
「何で俺が男の道案内なんてしなきゃあかんのじゃ! 貴様それでも男か!!」
だからどうして俺が怒られるんだと、悠人は痛切に思った。
本当に仲間の命が関わるときぐらいしか、真面目に出来ないのだろう。
「まったく、お前は本当に女好きなんだな!」
軽蔑したような声を出し、横島を罵る悠人だったが……
「当然だろうが! 男なら黙ってお姉さんだ!!」
そんなものは横島に効かなかった。むしろそれを誇りにしているようだ。
悠人は心の中で溜息を付く。横島のことをある程度好意的に見ているのは、同じ異世界人で唯一話せる同性だからだ。
周り中女性だらけなので色々と話せる同性の仲間は貴重と言える。貴重な同性がこんな変態であることに、悠人は肩を落とす。
「俺はこれからお姉さんをナンパしてくる。間違っても付いてくるなよ」
ああ勝手に何処にでも行け。
悠人は心の中で吐き捨てるように言って、乱暴に横島に背を向ける。
ドンと、胸に何かがぶつかった。小さな悲鳴が聞こえて、何かが地面にばら撒かれる。
「痛たた……ああ! ヨフアルが……ヨフアルがーー!!」
悠人がぶつかったのは、チャイナ服を身にまとい、長髪をお団子頭で纏めた黒髪の少女だった。
ぶつかった際に、彼女がもっていたワッフルもどきのお菓子が地面に転がり、食べられなくなってしまったようだ。
大粒の涙を流し、盛大に泣き崩れている姿は、妙に愛嬌がある。スピリットではないが、かなりの美人で、相当な貧乳の持ち主だ。
悠人はすぐに謝ろうと、手を差し伸べようとしたのだが、突然、後頭部に衝撃がはしり、目の前に火花が散って視界が真っ暗になる。
一体何が起こった?
薄れいく意識の中、必死に後ろを振り向く。
そこにいる、邪悪に笑う一人の男の姿を確認しながら、意識を失った。
「まったく、何てベタなフラグを立てようとするんだよ、こいつは!」
横島の握り締められた拳が赤く染まっている。
悠人の頭は石の様に固く、さらにツンツンの髪の毛は針金のように固かったからだ。
そう、横島は悠人のフラグを潰し、さらにはフラグを横取りしたのだ。
これぞ来訪者(エトランジェ)の力だと、横島は確信する。
「大丈夫ですかお嬢さん。痛いところがあったらさすってあげましょう。その可哀想な胸など……を?」
「どうしてくれるの!? せっかく出来たてを買ってきたの……に?」
横島は美人との出会いだと喜び、早速ナンパとセクハラを敢行しようとしたが、チャイナ服の少女を見て固まる。
少女も横島を見て固まった。
二人はしばしの間、見つめあい、
「ああ~!」
互いを指差して大声を上げた。
しばらくの間、二人は互いを指差しながら、呆然となる。
二十秒ほどそうしていただろうか。その間に悠人の目が覚める。
「痛てて、おい横島!! 一体何しやがる……って、何やってるんだ?」
悠人は目の前の光景に首をかしげる。
横島とチャイナ服の少女が、互いに指を指しあいながら固まっていたからだ。
「なんだ、知り合いなのか」
「アホか! この人はレスティーグフ!!」
チャイナ服の少女が、いきなり横島にボディブローを入れる。
内側から抉り込むような、明日のためのパンチだ。
「グッ! この一撃、やはり……」
以前に食らったことがある一撃を食らい、横島は確信を得ながら意識を手放した。
エトランジェである横島を一撃で気絶させる辺り、この少女は並ではない。
さらに少女は悠人の姿を確認して、驚き広がっていた目が更に広がった。
「エトランジェ……ユート!?」
「あ、ああ。そうだけど……」
驚いた顔でこちらを見るチャイナ服の少女に、悠人は何故かたじたじだ。
「え~と、どこかで会ったことあるか?」
「その……あの……ああ、ヨフアルがーー!!」
地面に転がったワッフルに似たヨフアルと言うお菓子を指差し、少女は大声を上げた。なんだか演技くさい。
「どうしよう、これじゃあヨフアルが食べられない!! そういうわけで、ユート君! ヨフアル買って来て!!」
「いや、何がそういうわけなのか分からないし……それに、俺はお金持ってないし……」
「はい! お金!!」
少女は悠人の手に、数枚の金貨がむりやりに握らす。
「いや……俺は君の事を知らないし」
「私の名前はレムリア! これでいいでしょ! 早く! お願い!」
角を生やさんばかりに怒り迫ってくるレムリアと名乗る少女に、ヘタレを公式認定されている悠人が対抗できるわけが無かった。
ブンブンと顔を縦に振ると、駆け出すように示された店に向かう。何だか情けない姿だった。
「つう……マジでなんつうボディブローだよ。マジで世界をねらっおほ!!」
横島は腹を摩りながらむっくりと起き上がろうとした―――次の瞬間、チャイナ服の少女に首根っこを引っつかまれて引きずられた。
レムリアの素早さと握力は並ではなかった。
痛い痛いと横島は悲鳴を上げたが、少女は止まらず、人のいない裏路地に連れ込まれる。
「気づいたの!? 気づいたのでしょうか!? 気づいたのかー!?」
言葉遣いもコロコロ変わる。
不思議なぐらい、少女は焦っていた。
「え~と……レスティーナ様……ですよね」
その言葉に、レムリア―――レスティーナはへなへなとその場に座り込んだ。
「嘘……もう気づかれちゃうなんて……」
レスティーナ・ダイ・ラキオス。
国王である、ルーグゥ・ダイ・ラキオスの娘であり王位継承権第一位。まぎれも無く王女である。当然だが、変装して町に出歩いて良い人物ではない。
レスティーナは酷く動揺したようで、どうしようどうしよう、と口の中で繰り返しながら体を震わせていた。
レスティーナにとって、お忍びで町に来て自由に振舞えるこの時間は、何より大切な時間なのだ。ばれてしまえばもう、お忍びでくる事が出来なくなってしまう。
「大丈夫っす。決していいませんから」
少々混乱しているレスティーナに、横島は落ち着いた声で喋る。
人間、相手が混乱している所をみると冷静になれるものなのだ。
いや、落ち着いていると言うのは少し違う。
道端で変装している王女様に会うというシチュエーションは、横島の頭をお花畑にしていた。
(よっしゃー! 王女様フラグをゲット!!)
この男が考えることなんて、こんなものである。
しかしまあ、道端で変装している王女様に出会うなんてロマンスが起きれば、大抵の男ならこうなるのも無理は無い。それも相手が美女ともなればなおさらだ。
「別にいいんじゃないですか。どこぞのおてんば姫なんて、城から抜け出すのに、壁をぶっ壊して脱出してましたし」
これはとある有名なゲームの話。
これも一つのお姫様像と言っていいのだろうか。
懸命に気にしなくてよいと訴える横島に、レスティーナも落ち着きを取り戻し始めた。深呼吸して横島に向き直る。
「これからどうしますか」
レスティーナの声には感情が込められていなかった。
何故なら、自身の脳をフル回転させて、これから訪れるだろう質問に対する返答を考えていたからだ。
弱みを握られてしまった。なんとか上手く言い逃れなければいけない。唇を噛みながらレスティーナは横島の言動に身構える―――――それがいけなかった。
「当然デートです!」
「そうですね、当然デートです……ね……ええぇ!?」
「道端で男女が出会ったんですから当然っす! さあさあ! 飯食って、膝枕して、ホテルに行って、一緒の墓に入りましょう!!」
「ちょっと、待って……あの、その、えっと!」
思っても見なかった横島の言葉に、完全にレスティーナは虚をつかれた。頭の中で考えていた対応策が一瞬で吹き飛んでしまい、横島の言動に捕まってしまう。馬鹿相手に真面目に構えると馬鹿を見る。正にそんな感じだ。
このまま横島ワールドに引きずり込まれるのかと思われたレスティーナだったが、世界はそう都合よく出来ていない。
「何をやってる、この馬鹿は!!」
後ろから現れた悠人が横島の頭を思い切り殴り飛ばす。のぴょーん、という訳の分からない叫び声を上げて、横島は倒れた。
「大丈夫か、レムリア!」
「……あ、うん」
かなり切羽詰った悠人の声にレムリアは思わず頷く。
勘違いではあるが、悠人の視点からすれば横島がレムリアを人気の無いところに連れ込んで、なにやら如何わしい事をしているように見えたのだ。普段の言動もあるので、そう勘違いするのは無理ないことである。
「ごめん。横島は悪い奴じゃないんだけど、綺麗な女の子を見ると暴走しちまって……何か変な事はされなかったか?」
変態で、女好きで、変な奴。
とりあえず、これが悠人の下した横島評だ。まったくもって正しい評価だった。
レムリアの方も、見ると聴くとでは大違いだなあと、ピクピク痙攣している横島のほうを見て苦笑いを浮かべる。
「あははは、大丈夫だよ。ちょっとノリがいいだけみたいだし、話には聞いてたから」
「町で横島の噂でも流れているのか?」
「うん。町では結構顔が知れてるみたいだよ。悪い噂……というか変な噂というか」
社交的な奴だと、悠人は横島に軽く嫉妬する。元いた世界では、悠人は数えるほどしか友と呼べる人物がいなかった。
だが、それは仕方がない事だったと悠人は判断している。
親もいなくて、妹との二人暮らしだったのだ。
金銭的な理由から、日々バイト三昧で友人を作ることが出来なかった。
少なくとも、本人はそう思っている。
しかし、それを言ったら横島なんてもっと酷いだろう。
本人が望んだとはいえ、時給二百五十五円という超薄給で暮らしていたのだ。親からの仕送りもほとんどなく、悠人と同じくバイト三昧だった。
だが、それでも横島の友人は数多い。何れも一筋縄ではいかない、あくの強い連中だが、さらには人間でも無かったりしたが、さらにさらに奇人変人の寄せあつめなような気もしないわけはないが、友人は、いや悪友はとにかく多かった。
正直、悠人の考えは佳織の為という理由付けでしかないと考えられた。
単純に、悠人は人付き合いが下手なのだ。もっとも、横島の人付き合いが上手いかどうかの判断はかなり難しい所だとは思うが。
「でも、ありがとね! ユート君、私のこと心配してくれたんだ!」
「別にいいって。それに横島の奴だって女の子に乱暴するような奴じゃないから……きっと……多分。あと買ってきたぞ、ワッフル」
「ワッフルじゃなくて、ヨフアルだよ!」
ぷう~と頬を膨らませるレムリアに、悠人は顔を綻ばせる。
この世界の人間に良い感情を持っていない悠人だったが、このレムリアには好感をもったようだ。美人に弱いのは男の性である。
「まったく、名前を間違っちゃだめだよ。ヨフアルに失礼なんだから。まあ、今回はあることに免じて許してあげる」
「あること?」
不思議そうに首をかしげる悠人に、レムリアは楽しげな笑顔を浮かべる。
「私のことを綺麗な女の子って言ってくれたしね!」
満面の笑みでそんな事を言われた悠人は、何と言っていいのか分からず、ただ顔を赤くしてうーとかあーとか意味の無い言葉を口の中で繰り返した。
何となく流れる甘い雰囲気に戸惑う悠人。
だが、ここで嫉妬魔神が蘇る。
「いてて……てめえ! 何勝手に口説いてやがる! シスコンならシスコンらしく子供でも口説いてればいいだろうが」
「なっ!! 別に口説いてたわけじゃ……それにシスコンとロリコンを一緒にするな! 大体、俺はシスコンなんかじゃないからな」
「……悠人、お前まさか自分がシスコンだと自覚してないのか?」
「だから、俺はシスコンなんかじゃないだろ! 俺は兄として、妹の一生を守ろうとしているだけであって、やましい考えなんて無い!!」
「これがギャルゲーの主人公思考というやつか!!」
「だれがギャルゲーの主人公だ! それに、前にも同じやり取りをしなかったか!?」
「ぷっ……あははははは! もう、お腹痛くさせないでよ!!」
二人の漫才に、レムリアは屈託無い大きな声で笑い声を上げた。
大きな口を開けて笑えば、普通どうしても下品になりがちだが、レムリアの笑いにはどこか品の良さが見え隠れしている。
悠人はそんなレムリアをどこか心地よさそうに眺め、横島はさすが王女様だと感心していた。
「ここで漫才してると、出来たてのヨフアルが冷めちゃうよ。とてもいい場所があるから、そこに行って三人で食べよう」
レムリアは右手で悠人の手を取り、左手で横島の手を取ると、嬉しそうに二人を引っ張りながら走り始める。
(ず、ずいぶんと強引だな)
(なんてすべすべで柔らかい手なんや~)
本当にどちらがどちらの思考なのか分かりやすかった。
町の細かい路地裏に入り、三人は狭い道を駆けて行く。
区画整理されていないため、かなり入り組んでいる道ともいえない道を、迷わずレムリアは進んでいった。よほどこの町の地理に詳しいのだろう。
三人はしばらく走り続け、目的の場所に到着した。
「どう、ここは私のお気に入りの場所なんだ。日の光も浴びられるし、風も気持ちいいし、それにラキオスの町を一望できるんだよ」
レムリアが案内した場所は、確かに気持が良いところだった。
高台の割には広々としていて、前面には大きな湖が広がり、周りに建物がないので風が程よく吹いている。町も全体が見渡せて、さらに人もいない。正に穴場と言えた。
広がる町の風景が悠人の目に飛び込んでくる。異世界と言っても、人の営みはそれほど変わるわけではない。野菜を前に今晩の食事を決めている母親。何が楽しいのか走り回る子供。そこに世界の壁は存在しなかった。
僅かに、悠人のこの世界に対する感情が軟化した。今まで人間の嫌な一面ばかり見てきたから新鮮だったのだ。
「ここで食べるヨフアルは最高なんだよ。さあ、食べて食べて!」
レムリアに誘われるまま、横島と悠人はヨフアルを口にする。
ヨフアルと言う名のワッフルもどきは、やっぱりワッフルの味だった。
そして、味は極上。
砂糖のような甘みではなく、桃の果実のような甘みは、それほど甘いものが好きではない悠人と横島も素直に美味しいと感じた。
「ふうー美味かったぞレムリアちゃん」
「ああ、驚いたな」
「何と言っても私のお勧めだからね!」
横島と悠人の賞賛にレムリアは鼻高々に答える。
自分の好きなものが、他の人にも気に入ってもらえるという事は嬉しい事だ。
それから三人は取り留めの事を話し始める。
好きな食べ物、趣味、スリーサイズ、ハイペリアの話、生活様式、綺麗なお姉さん紹介してくれないか、ここ最近の噂話について、エトセトラエトセトラ。一部の質問が妙なのはご愛嬌だ。
やはり話の中心になったのは横島だった。大仰な身振り手振りを交えながら、面白おかしく話を展開させていく。レムリアは楽しそうに横島の話に聞き入って、悠人は話が法螺交じりになってくるとツッコミを入れる。普通に友人同士の楽しい会話そのものであった。
ひとしきり会話を楽しんだ後、レムリアはふと顔を暗くする。
「ねえユート君、ヨコシマ君……やっぱり、この国は嫌い? それとも好き?」
今までの快活な声では無く、どこか深みのある声だった。
紫の瞳が、不安そうに揺れている。
悠人は一瞬迷う。言うべき言葉は決まっている。だが言いづらい。
話していて分かったが、レムリアがこのラキオスという国を愛しているのは間違いない。
当たり障りの無い事を言っておいたほうが、話はあわせやすいだろう。
だが、悠人はあえて本心を口にした。
「好きか嫌いかの二者択一なら、間違いなく嫌いだな。」
きっぱりと悠人は言った。
このラキオスという国に、悠人は何の愛着も無いし、何の魅力も感じていない。
いい思い出といえば、アセリア達との苦しくも楽しい生活だ。
だが、それはアセリア達との思い出であり、ラキオスという国ではない。
何より、妹を人質に取っている国を、好きになれるわけがない。
その答えにレムリアは「そっか、仕方ないよね」と当然のように相槌を打つが、どこか悲しそうだった。
レムリアの悲しそうな顔に横島は内心で舌打ちする。
(まったく、こういうときには嘘でも好きだといってやりゃ良いのに)
だが、それは出来ないだろうと横島は分かっていた。
悠人は基本的に不器用だ。戦い方も、生き方も。
困難に正面からぶつかり、馬鹿正直に乗り越えようとする。近道を探したりしない。
誰かを利用したりするのも苦手で、頼ろうとすることも少ない。
美徳とも言えるような生き方に見えるが、損をする生き方なのは間違いないだろう。
基本的に楽をして生きたいという横島とは対極である。
「でも……」
悠人はゆっくりと顔を上げ、レムリアの瞳をじっと眺める。
「今日、レムリアに会って、話をして……少しだけこの国が好きになったと思う」
顔を少し赤くして、手で頬をぽりぽりとかきながら、恥ずかしそうに喋る悠人。
別に口説いているわけではない。本心を言っているのだ。
「ユート君ありがとう、とても嬉しいよ」
悠人の答えにレムリアも顔を少し赤くしていた。
少しだけ二人の距離が縮まる。
なんというか目と目で通じている感じだ。
忘れられてそうだが、横島もちゃんとこの場に存在している。
「お、俺もレムリアちゃんに会って、この国が好きになったぞ!」
自分の存在をアピールするため、悠人と同じ事を言うが……
「うん、ありがとね」
あっさりだ。
「ぐお~! 悠人の時とは全然反応が違うじゃねえか~」
「お前の場合は下心丸見えなんだよ」
「ふん! むっつりスケベのお前よりはましだっつーの」
「俺は別にむっつりなんかじゃ……」
「むっつりは皆そう言うもんだ」
「だから違う!!」
「あははは! 本当に二人っておもしろいね!!」
レムリアには二人のやり取りが漫才のように見えた。
横島が関わると、基本的に全てがギャグになる。
「今日は二人に出会えて本当に良かった。運命に感謝したことなんて始めてかも」
にこやかに笑っていたレムリアだが、運命の件で顔に陰りが出た。
どこか達観したような、年齢不相応な表情。無邪気な少女の顔に、老女が紛れ込んだかのような表情だ。
悠人にはその意味が分からず、横島には分かった。だが、意味が分かろうが分かるまいが関係ない。王族の悩みなど、まったく無縁なのだから。
「本当にろくでもない運命ばっかりだったからなあ」
しみじみとしたレムリアの声。
その声は、悠人の心に小波を作る。
「レムリアは運命が好きなのか?」
「女の子だからね。運命の出会いなんて素敵だと思うよ。でも、中々魅力的な運命なんて転がってなくて……仕方ないけどね」
運命とはすなわち、決められている事だ。それも、人知の及ばぬ、空にいるだれかさんが決めた事。矮小な人の身では、どうしようもない。仕方ない事だと、レムリアは諦めていた。
力の無い笑顔を浮べるレムリアに、悠人は厳しい視線を向ける。
「運命の出会いが欲しいならもっと出歩いたらいいだろ。気に食わない運命があったら、そんなもの壊せば良いんだし……絶対にどうしようもない事なんて、あるわけない!」
こんな異世界に連れて来られ、神剣の干渉により体も心も砕かれかけて、最愛の妹とも引き離され、戦いを強制される。悲劇のヒーローのような役回りをさせられ、未だに解放の出口の糸口すら見えない。
だが、悠人は絶望もしなければ腐りもしなかった。己を鍛え、仲間を守り、我武者羅でも出鱈目でも前に進もうとしている。
抗うものが持つ強さを、悠人は持っていた。
「凄い事言うんだね。ユート君」
驚き、感心したようにレムリアは悠人の顔を眺める。運命を『そんなもの』呼ばわりする悠人の言葉は、レムリアに衝撃と力を与えたようだ。
そんなレムリアとは対照的に、横島は卑屈っぽい顔で悠人を睨んだ。
「本当にどうしようもないことだってあるのにな……」
誰にも聞こえない小さな声で、横島は悠人の言ったことに対して否定的な意見を言った。
運命と戦う。運命に抗う。
悠人の言っていることは正しいのだろう。その考えは間違いなく強いのだから。
だが、運命や宿命を宇宙意思というものに感じたことがある横島にとって、その考えはやや幼稚に見えた。どうしようもない事は、現実に存在する。自分と彼女は、それに翻弄されて最終的に結ばれる事はなかった。
そして、今の自分の状態そのものも、決して逆らうことが出来ない余りにも大きな存在によるものではないかと、横島は本能的に感じ取っていたのだ。
悠人を見る横島の眼が、自然と険しくなる。
横島が悠人に抱いている感情は、当人が考えている以上に複雑なものであった。
羨ましいとも、憎らしいとも、蔑みとも、憧れとも、言葉では形容しづらい感情が幾つにも重なり合い、混じり合う。
近い言葉は嫉妬だろうか。
一番大切なものを、命を賭して守り続けている悠人への。
もしも、悠人が佳織と世界を天秤に掛ける事があったらどうなるだろう。どちらかしか選べなくて、自分の命じゃ代わりにもならない状況に陥ったら、こいつはどうするのか。
見 て み た い。
ほの暗い考えが頭をよぎる。暗い情念が横島の心の内にはあった。
そんな似合わないことを考えているうちに、レムリアはそろそろ帰らないといけないらしく、悠人とお別れと再会を約束しての握手をしていた。
「ユート君でほんっとに純情なんだね。せっかくのお別れの挨拶なんだから、ほっぺにキスぐらいならしても良かったのに」
そう言われ、悠人は思わずレムリアの頬を見た。
白くて、柔らかそうで……いやらしい言い方をすればおいしそうに見える頬に、悠人は色々と妙な想像をしてしまう。だが、手は出さない。彼は純でヘタレだ。
だが、ここにいるのはそんなヘタレだけではない。
「それじゃあ、俺がほっぺにキスをー!」
先ほどまでの暗さをあっさりと捨てて、煩悩に走る。横島のシリアス成分など、彼の太陽にも匹敵する煩悩の前では、飛んで火にいる夏の変態も同然なのだ。
「止めろ!!」
ガツンと、悠人は飛びつこうとした横島を殴りつける。
「いってえな!! 何で止めやがる、レムリアちゃんが良いって言っただろうが!!」
うっ、と悠人は言葉に詰まり、何故か助けを求めるような目でレムリアを見た。
レムリアはそんな悠人を見て、くすりと笑うと、横島のほうに向き直る。
「ヨコシマ君は……なんかやだ!」
楽しそうに言うレムリア。横島はがっくりと肩を落とし、ルルルーと涙を流す。
彼女は横島に嫌悪感を抱いているわけではなく、横島のリアクションを心から楽しんでいた。
「それもこれも悠人! お前の所為だ!!」
「どういう理屈だ! 大体、こういう事でしょっちゅうセリア達に突っ込み入れられているんだろ!」
「男に突っ込み入れられるのは嫌なんだよ! お前も男なら分かるだろ!?」
「お前の言っていることは、さっぱり分からん!!」
「分かれ!」
「分からん!!」
「お、お願いだからこれ以上、私を笑わせないでー!!」
どうしても定期的に始まってしまう漫才に、レムリアの腹はよじれる寸前だった
このまま腹がよじれれば、ウエストが細くなり相対的に胸が大きくなるだろう。しかし、それでもBカップにもならないと思われるバストは、正に貧乳。激貧乳。チョー貧乳!! ああ、果たして栄光の70センチに届く日は来るのであろうか―――
「何を言うかぁ!!」
モノローグのふりをして、言いたい放題していた横島にレムリアの鉄拳が突き刺さった。
こめかみにねじりこまれた一撃は、横島を吹き飛ばし壁に激突させる。頭から噴水のように血が吹き出て、見た目はかなり重症だ。
「お、おい、大丈夫か!?」
顔なしアンパンマンもびっくりな状態の横島に、悠人は慌てて駆け寄り手を伸ばした。
そんな悠人に、横島の堪忍袋の緒がとうとう切れる。
「だから、なんで、お前が手を差し伸べるんだよ! このアホ! 死ね!!」
「だから、どうして、俺が怒られるんだ!? いい加減にしろよ、この変態が!!」
果たしてどちらの言い分が正しいのだろうか。普通に考えれば悠人の行動が間違いなく正しいだろうが、対象が普通でない横島という時点で一般的な考えなど何の意味もなさなくなる。
互いに殴ったり蹴ったりする横島と悠人。レムリアはこれが男の友情なのかと、満足そうに殴り合いを見ていた。どこかずれた感想のような気もしないでもない。
「さてと、もう私は帰るね。これでも忙しいんだから」
またねと、レムリアは手を振って小走りで駆けて行った。どうやら本当に時間が無いらしく、結構なスピードだ。
悠人も手を振ってレムリアを見送る。
「それじゃあ横島。俺たちも戻る……って、居ないし」
すぐ横にいた筈の横島の姿が無い。
一分たりともじっとしていられない横島に、悠人は子供みたいだと呆れながら詰め所に戻ろうと一歩を踏み出して、その足がピタリと止まる。
「俺……迷子だ」
吹きつける風が冷たかった。
途中、見かけた兵士や町人に道を尋ねようとは思ったが、恥ずかしさと情けなさから聞くことが出来ず。必死に街中を駆けずり回ったが、迷子という運命を打ち破る事はできなかった。
第一詰め所のメンバー全員で、迷子の悠人を探すのは、これより三時間後の話である。
横島達と別れたレムリアは、鼻歌と歌いながら機嫌良さそうに城に向かっていた。
思いもしなかった出会いがレムリアの心を弾ませて、顔を綻ばせ、体中から力が湧いてくるようだ。
これから向き合う書類の山や、老獪な重臣老人達の顔を思い出すが、そんなもの軽く吹き飛ばしてやろう。
早く戻らなければと、大通りではなく、裏道を抜けて行く事にした。メインストリートに比べれば、確かに治安は悪化するものの、別に大したことはない。
それは、確かにそうだったのだが、何事も例外は存在する。
「んんっ!!」
いきなり口を塞がれる。さらに、肩や腰に手を巻きつけられ、凄い力で引っ張られた。
こういった場合、人は驚きで体を硬直させるか、無軌道に暴れるかのどちらかだ。レムリアは暴れるタイプだったようだ。
「んっんん!?」
唯一動く足を後方に蹴りだす。何処に当てようと思ったわけではなかったが、その一撃は見事に急所に命中する。
「おおっ、おおぅぅ……」
手の力が抜けた瞬間を狙って、レムリアは一気に抜け出した。そして、自分を捕らえた相手を見て、一瞬、言葉を失った。
「……一体どういうつもりですか、ヨコシマ……それとも、ヨコシマではないのですか?」
もしや、『天秤』に体を奪われたのではないか。そうレムリアは推測したのだが……
「話があるんです。レムリ……レスティーナ様……痛てて、息子、お玉嬢、大丈夫か……そうか、良かった」
股間を押さえながら、涙目でそんな事をいう。間違いなく横島に違いないと分かったレスティーナは、ほっとして、はっとした。
レムリアではなく、レスティーナと呼んだ横島に、王女の自分を求められた事を理解する。
周りを見渡す。周囲に人影はない。だからこそ、横島もここで待ちうけたのだろう。後を付けてきたのか、それとも先回りをしたのか。もし後者なら、町の地理と、自分の思考を読まれたということになる。
油断はできない。ここでこのエトランジェの情報を得る!
そう、心の中で呟きながら、髪留めを解いた。ばらりと髪が解け、お団子頭がロングのストレートに変わる。ティアラこそ頭上に頂いていないものの、その姿は王座の間にあったレスティーナその人だった。
「話を伺いましょう。エトランジェ・ヨコシマ」
先ほどまでの声とはまったく違う。冷静で冷徹に聞こえる声。漂う気品と品格。他者を圧倒する威厳。そして、感情を封じ込めた冷厳な瞳。
横島は思わず頭を垂れそうになった。単純に霊力量などで圧倒された事はあるが、王者の風格で傅きたくなったのは初めてだ。
常人なら、これほどのプレッシャーの中で話すのはかなりの胆力が必要となりそうだが、横島は常人とは一番無縁の位置にいる男だ。
(マジで美人だ。しかも王女様! これはたまらん!!)
などと、いつも通りの煩悩を燃やす。だが、流石にここでふざけるほど横島は空気が読めない男ではなかった。
「俺たちがダーツィと戦って勝ったら、これで戦いは終わるんスか? あの王はどうすると思いますか?」
これが横島の一番聞きたい事であった。
今までの、そしてこれからの戦いは、自衛のためである。相手が攻めてくるのなら、戦わないわけには行かない。今現在、ラキオスはダーツィと交戦状態にあり、何れは戦う事になるだろう。
その戦いが終わればどうなるか。これは非常に重要なことであった。
横島の質問に、レムリアは表情こそ変えなかったが、どう答えるかは悩んだ。
父である現ラキオス王は、元々かなり自己顕示欲が強く、野望に満ち溢れていた。自らの血統に対する誇りも強く、能力も有能とはいえない。
しかし、決して無能でもなかった。自国の戦力を冷静に踏まえて、無理な戦いを挑もうとはせず、慎ましく守勢を貫いてきた。
だがユートとヨコシマが現れてからタガが外れてきたように感じられる。伝説の英雄である『求め』のエトランジェが現れたこと。そのエトランジェは守り龍すら打ち破り、更にはもう一人、新たなエトランジェが現れた。
これは天がラキオスに天下を取れという天啓だ。そう思っているふしがある。
「ダーツィ公国を打倒せば、ラキオスの領土とマナ総量は数倍は広がります。さらに、同盟国であるサルドバルト、イースペリア両国との関係を強化、できれば従属させれば、大国であるマロリガン、サーギオスもおいそれと手を出してくることはないでしょう」
まともな判断を下せればこうなるはずだ。こうなるべきなのだ。
レスティーナは口出した言葉が、自分の願望が入っている事を理解していた。今の父が果たして正常な判断を下せるか、それにマロリガンもサーギオスもどう動くのか。
激動の時代が来る。何となくだが、理解していた。
「そうですか……ならいいんですけど、スピリットとラブコメ放題の毎日が待っているんで!」
戦いさえなくなれば、スピリットといちゃついて日々を過ごしていこうと、美人の嫁と退廃的な生活を求めている横島は考えていた。
にやける横島を尻目に、今度はこちらの番だと、レスティーナは怪しく笑う。
「私もヨコシマに聞きたいことがあるのです。今回の戦いについて」
「ん、なんですか」
「ヨコシマは今回の戦いで人を狙いましたね?」
「はい、そうですけど……」
悪びれることもなく、普通に言う横島に、レスティーナは眉をひそめた。異世界から来た為の、意識の浅さを理解したからだ。
「人質を取る……見事なやり方です。人間は戦争をしていると言う意識が少ないですから。指揮官はさぞ肝を潰したでしょう」
責められているのかと、横島は一瞬勘ぐったが、どうやらそうではないらしい。ただ、事実を言っているだけだ。
先ほどの夢見るロマンチストな乙女は、現実を直視するリアリストな王女に変容していた。いや、これが王女レスティーナの一面になのだ。
「作戦についてはあなた方に任せてありますから、よほどの事がないかぎり私から何かいう事はありません。ですが、物事には何事にもルールがあります。ルールを破ってはいけないのです」
ルールという言葉に、横島はいまいちピンと来なかった。
元の世界の上司なんて、ルールなんてものは破るために存在する、とまで豪語しても良い人物。反則上等が戦いの基本ではないだろうか。
「戦争は、人間が直接的に傷つくものではない。これが、この世界のルールです。それを、貴方は破った」
暗く、低い声で、威圧するような声だった。ぞくりと、横島の背筋に怖気が走る。
「もし、ラキオスのスピリットが、あるいはエトランジェが人を襲うことが出来ると知れたら、周辺諸国……いえ、この大陸全ての国家はどう思い、どう動くでしょうか」
ここまできて、横島にもレスティーナが言いたいことが分かった。
「最悪の場合、この大陸の全ての国家が敵になるでしょう。それどころか、ラキオスの住民にまで敵になりかねません。もう一度いいます。スピリットは人間を傷つけられません。人間は傷つきません。その前提が崩れた時、何が起こるか……少なくとも、良い結果にはならないでしょう」
横島の顔が真っ青になった。人間を戦争に引き込んだことが、それほど危険か分かったからだ。
「す、すいません! そこまで考えていなかった――――」
「私は別にやめなさいと言っているわけではありません。もしやるのなら、確実に口は塞ぎなさい。」
ぞくりと、横島の背筋に冷たいものが走る。
レムリアの時にはキラキラと輝いていたライトパープルの瞳が、今はただこちらの考えや呼吸を読もうと、冷徹な光を放ち続けている。
「バーンライトの隊長と、その娘の口は、私の方で口を塞いでおきました」
横島の顔が青から白に変わる。最悪の想像に、表情一切が抜け落ちた。
「ふふっ、手荒な事はしていません。ただ、後ろ指を指されない仕事と、低次元な脅しを与えただけです。しばらく監視はしますが、報告によると問題はなさそうです」
良い仕事を与えて、軽く脅しをかけたという事だろう。
冷笑を浮べたレスティーナに、横島はなんだか泣きたくなった。つい先ほどまで、口一杯にヨフアルを頬張っていた少女が殺されたような気がしたのだ。
「どうしようもない場合は、永遠に口を閉じてもらいましたが」
底冷えするようなレスティーナの声。冗談を言っているのではない。レスティーナの顔は真剣だった。もし、バーンライトの隊長が、横島に娘を連れ去られた事を喋ろうとしたら、永遠に幽閉されたか、もしくは殺したのだろう。
レスティーナ王女は公正で真面目で慈悲溢れる人物である。世間ではそう評価されている。
それは間違いではないのだろう。だが、国を守る立場に居るということは、どうしても残酷にならざるをえないときがある。
「これまでの経緯を見るに、ヨコシマは人間を戦争やスピリットに近づけさせてやりたいと考えているようですね」
「そんなことは……」
「そうですか……少し話しを変えましょう。最近のとてもくだらない噂が流行っているのを知っていますか? 出発点を探ってみたのですが、軽薄そうで、バンダナをした10代後半の男だと聞いているのですが」
息が止まるかと思った。
知っていますか? 何て言っているが、もうレスティーナは答えを知っているのだろう。
権謀術数渦巻く宮廷内で、聡明と言われ、他の国からもそのカリスマと政治力を危険視されているレスティーナだ。
話すのは不得意ではないが、何を言っても墓穴しか掘れないと横島は理解した。
「どうやら随分スピリットに優しい人のようで……どうしました? 顔色が悪いですよ。
それで、実は言うとこの噂は現ラキオス王に深く関わりがあるもので、そして今回のバーンライトの戦いで捕虜になったスピリットとも関係があります。その噂を撒いた者は、この戦争の結果がどうなるか知っていたようです。本当に大した男です。
一国の王女として、そのような相手にどう接すればいいのか……悩むところです」
横島はもはや言葉を出す事が出来なかった。まともに話した事など無いのに、性格や考えを見抜かれ、過去に何をやったかこれから何をするかまでも見通されているような気すらする。
だが、それはレスティーナの方も同じであったりする。
「もうここで話はやめましょう。私も忙しいので」
「そ、そうっすね! 仕事は大事っす。大事なのです!?」
レスティーナは横島への追求をやめた。
相手を苛めすぎると、思わぬ反撃に出られる事もある。窮鼠猫を噛む、という諺があるのを、レスティーナは佳織から教えてもらっていた。追い詰めすぎて良い事などない。
まして、相手はネズミではなく、最強のエトランジェだ。この時点でレスティーナはまだ文珠の事をしらない。だが、何かしらの力がある事は推測していた。
恐怖させるのではなく、畏怖を与える。それが、上に立つ者に必要な事だ。
頭の中で、どうやって横島より優位に立つか、その為のロジックを組み立てていたレスティーナは自分自身を険悪する。
ああ、いやだ。つらいよう。なんで、楽しくて面白い―――友達相手にこんな事考えなきゃいけないの?
思わずレムリアの部分が浮き上がってきてしまった。レムリアには、どうやって友人より優位に立つか、などという思考はできない。
必死にレスティーナは、己の一部分であるレムリアを殺しに掛かる。
その姿は痛々しく、横島はひどく後悔した。
「すいませんでした。せっかく楽しんでいたのに、こんな事になっちゃって」
町娘レムリアから、レスティーナ王女に戻してしまった事を、横島は後悔していた。ここ最近、謝ってばかりいた所為か、つい土下座をしてしまう。
(優しいですね、ヨコシマは……少し頼りないぐらいに)
人格者であるという事は、神剣使いにとってプラスにならない。レスティーナは少々不安になった。どうも、ヨコシマは精神的に脆いと。
もし、『天秤』がヨコシマを乗っ取ろうとしたら、この弱い精神では抵抗できないのではないか。監視を強める必要があると、レスティーナは感じた。
「もう、十分です。顔をあげなさ……い、よこし……」
妙に長い土下座だと思ったら、ヨコシマが土下座をしながら、何かをちらちらと見ていることにレスティーナは気づいた。一体どこを見ているのだと、視線を辿り、全身が熱くなった。
「水色……」
横島がそう漏らしたと同時に、レスティーナの右足は頭上にまで上がる。
そして、
「何を見ているのですか!!」
踵落し。
足の力は、腕力の三倍はあると言われている。それも、踵は人間の部位の中で肘に匹敵するほど固い部分だ。脳天に直撃を受けた横島は「ノオオオオ!!」と悲鳴を上げながらのた打ち回る。
まったくと、レスティーナは溜息をついた。女好きとは聞いていたが、こんな場面で下着を覗き込もうとするとは。
怒りの感情を持つレスティーナだったが、ここであることに気づいた。
(思考が……潰された!)
背中に悪寒にも似た戦慄が走った。自分の思考が一瞬にして消し飛ばされ、感情のまま行動してしまった。
恐ろしい事だ。こういった話し合いの場で感情を出して、さらには暴力まで振るってしまった。まるで後先考えない行動。レスティーナではなく、レムリアにされてしまった。
相手が上手なのではない。自分が馬鹿になったのだ。
「し、仕方ないんや~~! 白い太ももに、チャイナ服のスリット。さらに水色! これで目が引き付けられないはずがない!! 覗き込まなかったら男じゃない!!」
目の前で喚きたてる横島にレスティーナは色々な意味で泣きたくなった。
素で、馬鹿だ。こんな馬鹿でエロな奴に負けたのだ。
もしこれがこちらの油断を誘うため、狙って演技をしているのならまだ分かる。だが、どう見てもそうは見えない。くっと、唇を噛んだ。
レスティーナ・ダイ・ラキオスは絶対に負けてはならない。
青春。自由。親子の情。本来、誰でも持てるはずのものを捨てた。
負いたくも無い責任。誰かを不幸にする決断。背負いたくも無い物を背負わされた。
そうして得た物は、私心を殺し、小を殺して大を生かすこと。
それが、自分の目指す未来の世界を作るのに必要なのだ。
この男一人御しえないで、自分の目指す理想を成せるだろうか?
鋭い目でレスティーナは横島を睨みつけた。まるで好敵手を見つめるかのように。
この男は、強い……いや、弱い……でも強いような……ああもう! 兎に角!!
この男を扱いきってみせる。その為の努力は惜しまない。
分からない事は多い。だが、横島をどうやって操るかは、簡単に答えが出た。
「王族に不敬をはたらいて、無事に済むと思いますか? 目を閉じて歯を食いしばりなさい」
「うう……後悔は無い、後悔は無いんやーー!!」
怯えながらも目を閉じる横島。
変態で、女好きで、不真面目なのに、どこか真面目で律義者。
弱いのか、強いのか、優しいのか、鬼畜なのか、格好悪いのか、格好良いのか。そのどれでもあり、どれでもない。
この男を形容できる言葉はあるのだろうか。既存の言葉では表す事が出来ないような気がする。
(ヨコシマ様ですから~、か……確かにそのとおりね)
胸に栄養を与えている友の言葉を思い出す。
(後悔はしない……うん! 悪くない!!)
レスティーナは両手で横島の頭を抱え込んで、無乳に引き寄せた。
そして……額に誰にも許した事のない唇を、そっとくっ付けた。
「……え? レ、レスティーナさ」
「今の私はレムリアだよ!」
悪戯っぽく笑ってウインクする。王女レスティーナとのギャップと、信じられない可愛さに、横島は昇天一歩手前までいった。
額が妙な熱を持っている。暖かい余韻に横島は酔いしれた。
「じゃあね! ヨコシマ君も私に……レムリアに会いたかったら町を歩いてね」
じゃあねーと手をぶんぶん振りながら、お城に向かって走っていく。
おでことはいえ、美人のお姫様がキスしてくれたのだ。
その事実を理解したとき、横島は……咆哮した。
「WOOOOOONNNN!!!!」
今世紀最大の雄叫びがラキオスに木霊して、地を揺るがし、天を裂く。
肉獣咆哮。新たな技を開眼した瞬間だった。
―――――ラキオス王の自室
トントントントン。
グワシ、グワシ、グワシ。
トントントントン
グワシ、グワシ、グワシ。
定期的に何かを叩く音が聞こえる。
「何故じゃ!! 何故生えてこんのじゃ!!」
ブラシが床に叩きつけられる。ツルツルの頭皮に鞭打つ作業。
禿王ことラキオス王は、毛の育成に余念が無かった。
ある者と極秘にコンタクトを取り、ある条件と交換に古今東西の様々な育毛剤を送ってもらった。
新たな育毛剤が届くたびに、今度こそは胸を熱くする日々。
しかし、その全ては何の効果も示さなかった。頭皮は相も変わらず輝きを放ち続けている。
いや、それは正確ではない。効果は示したのだ。確かに毛は生えた。
だが、それは……
「髭や……体毛ばかり深くなっても仕方ないと言うのに……」
二の腕に、肩に、腹に、背中に、耳に、果ては足の裏から、ラキオス王からは毛が生えに生えまくっていた。
育毛剤はその名の示す通り、無慈悲に、残酷に、悲しいほど効果を発してくれたのだ。
「くぅ……これでは……ワシの野望が!!」
鏡に映る自分を見ながら、忌々しそうに側にあった豪華そうなイスを蹴り飛ばす。
名誉欲が強く、自尊心が高いラキオス王は、聖ヨトという古の血筋に高い誇りを持ち、常に自分の権力を誇示したい欲求に駆られていた。自分が没しても、子々孫々まで自分の偉大さ示したい。
そのための方法として、ラキオス王は自分の銅像を作ろうと考えていた。それもただの銅像ではない。非常にビッグで、この大陸の何処にいても見えるぐらいのものだ。
だがこのままでは、大陸全てに見えるほどの禿頭を晒す事に他ならない。
嘘をついて美化200%の銅像を建てるという手もあるのだが、頭が悪いのか、はたまた公正なのか、そんな事は考えてもいない。
もはや政務は完全にレスティーナ任せになっており、王に忠誠を誓っていた者たちがレスティーナのほうに傾倒しかかっているのを、ラキオス王はまるで気づいていなかった。
「お父様!!」
バタンとドアを大きく開ける音が部屋に響く。
そこには、娘であるレスティーナの姿があった。
「王の部屋を、ノックもせずに入り込むか!」
怒りを隠しもせず、入ってきた娘を叱り付けるラキオス王。そこには、実の娘に対する愛情の欠片も感じる事もできない。また、自らの代わりに政務を取り仕切っている感謝も無かった。
「先ほどから何度もノックをしましたが、何の返答も無く、怒鳴り声と大きな物音が聞こえたため、何事かあったのかと寝室にお邪魔させていただきました。ご無礼をお許しください」
レスティーナは怒鳴られた事の不快感など欠片も出さず、とつとつと説明する。
「ノックの音が小さいのだ! もっとしっかり叩け!!」
「はい。申し訳ありません」
あまりにも理不尽なラキオス王の言い分だったが、レスティーナは特に気にした様子は無い。ここ最近不機嫌な事もあり、こうなると予想はしていていたのだろう。
「それで、一体なんのようだ」
「捕虜になったスピリットの件なのですが、本来ありえないぐらい数が多いのでどうしたものかと」
「役に立たないようなスピリットは処分しろ。無駄飯喰らいはいらん」
相も変わらず、ラキオス王はスピリットを道具としか扱っていなかった。
だが、冷厳だが別に悪い処理というわけではない。
スピリットを処刑して、構成していたマナを別のスピリットに与えたほうが効率は良い場合だってある。
それにスピリットだって飯も食べれば、身から垢も出る。人件費は馬鹿に出来ない。
一人減れば兵器の維持費が消えるのだ。
企業で言えばリストラに近い感覚と言える。
そんなものなのだ、スピリットという存在は。
レスティーナはそんな父親を何の感慨も無く見つめていた。
杓子定規なその答えは十分予想されたもの。
完全に凝り固まってしまった価値観を変える方法はないと、レスティーナは悟っていた。
「分かりました。そのように指示をしておきます」
恭しく礼をして、後ろに一歩下がる。
そして部屋を出ようとしたとき、その動きが止まった。
「お父様。今町で流れているこんな噂をご存知ですか?」
レスティーナは、自分の父親にまるで世間話のように喋りかける。
ラキオス王はそんな世間話など興味ないと、返事をせずにツルツルの頭皮を叩き続けていた。
レスティーナはそれでも構わず話を続ける――――怪しげな微笑を浮かべながら。
「なんでもスピリットに害する行為を取ると……
頭が禿げるらしいですよ」
――――――第二詰め所
「ぅいっひひひおほほむっふむっふふほうひぃふふう?」
「うわーん! ヨコシマ様が恐いようー!」
「よう~!」
「みんな! 絶対にヨコシマ様に近づいちゃだめよ!!」
第二詰め所に帰って来た横島は変だった。
いや、変なのはいつものことだが、今の横島は通常の3倍変だった。
目はとろんとして、どこを見ているのか分からない。
口からは何を言っているのか判別できない謎の言語を口走っている。
つまり変態。単純に危ない人でも可だ。
横島のことが好きなネリーやシアーでも、この状態の横島に接近することは出来ない。
何故なら、凄く不気味で、気持ち悪いからだ。
「だ、大丈夫ですヨコシマ様。私がしっかり介護しますから!!」
唯一横島に近づいているのはヘリオンぐらいだ。
しかし、言ってることは何気に酷い。
「男の子が一度は通る道ですね~」
一人平然としているのはハリオン。天然のお姉さんは無敵なのか。
理由は分からないが、何だかいつもよりも上機嫌に見える。
「う~ん、お兄ちゃんの変態さがテンくんに移らないか心配だよ」
こちらはエニ。
言っていることは、なんだかお母さんチックだ。
隣ではナナルゥが何かの本を読んでいて、せわしなく本の上に目を走らせていた。よほど集中しているようだ。ちなみに、読んでいる本の題名は『愛の子作り、初級編(18禁)』だったりする。愛という題名がつけば、とりあえず何でもいいらしい。
一部を除き、全員が横島の変態加減に頭を抱えていた時、ヒミカが動いた。
「ヨコシマ様、少し二人でお話しませんか」
全員がヒミカの言葉に耳を疑った。この状態の横島と二人きりになるなら、すっぽんぽんでスラム街を歩くほうがまだ安心というものだ。
一体何を考えているのかと、セリアはヒミカに問いただそうとしたが……
「おぉもちぃぃかえぇりいーーーー!! ういやっはあああーーー!! ごほごほ!!」
流石に喉が限界だったのか、咳き込みながら横島はヒミカを抱きかかえると、自室に持ち帰った。一瞬の早業。唖然としてその光景を見送った面々だったが、いち早く復活したセリアが後を追いかけようとしたところ、ハリオンがその肩を押さえる。
「まあまあ、ヒミカにも色々考えがあるみたいですし~大丈夫ですよ~」
ニコニコと微笑むハリオンに、セリアは、分かったわよ、と強く言って落ち着かない様子で席に座った。
一方、横島はお持ち帰りしたヒミカをベッドに座らせて、クルクルと回転していた。
「何だ! 何でも俺に話してみなさい。ふっ、安心しろ。俺がリードする!!」
二人きりで大事な話。
想像力と煩悩力に長けている横島にとって、こんな事を言われては色々想像してしまうのは無理もないことである。
鼻息を荒くする横島。だが、ヒミカはそんな横島を前にしても、表情一つ変えなかった。
「真面目な話です」
ヒミカはベッドから立ち上がり、背筋をビシッと伸ばして、真紅の瞳を横島に向ける。
こういうキリッとした表情は、ヒミカが一番似合うと横島は考えていた。凛々しいというのだろう。
関西人のボケ心と、邪悪なセクハラ心がムクムクと大きくなるが、こういう場面でふざけたら本当に嫌われるだろうし、何より自分と仲間たちの命に関わる可能性もあるのだ。
そう考え、ボケ心を抑えつつ、真剣な表情で頷き返す。
真剣な顔の横島に、ヒミカはほっとしながら喋り始めた。
「先日のバーンライトのスピリットの処遇ですが、とりあえず全員ラキオスのスピリット隊に組み込まれることに決まりました」
なるほど、確かに重要なことだ。
しかし、ここまで真剣に話すことではないと横島は考える。
当然のことなのだから。
「ヨコシマ様はこの処遇について当然と考えているようですが、これ以外の考えもあったはずです」
どういうことかと頭を捻る。
スピリットは人間に絶対服従するのだから、裏切るなどということはまずありえない。
一応例外としてルルーがいるが、あれは例外中の例外である。
戦力は多ければ多いほどいいのだから、ラキオスのスピリット隊として組み込むのは当然だろう。
「この世界の様々な機具はマナを変換したエーテルで動かしています。私たちの神剣だってエーテルを食料として強くなるのです。そして、スピリットの体はマナで構成されています。つまり……」
そこまで言われてようやく気づいた。
最悪の可能性に。
「最悪の場合、捕虜になったスピリットは全員処刑されて私たちの糧……神剣の食料になっていたかもしれません」
全身に震えが走る。
スピリットに人権など無いことは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。あの馬鹿げた噂を流さなかったら、最悪の事態もありえたのかもしれない。
「……ユート様とヨコシマ様にも権限はあります。私たちを処刑するという権限が。戦力にならない者は処刑して構いません」
馬鹿らしいとしか言いようがない。
誰が可愛い女の子を処刑するものか。
それ以前に、何の罪も無い者を処刑するということ自体、狂っているだろう。
「アホか。んなことするわけないっすよ」
心底呆れて、横島が言う。もはや険悪どころではない。
この世界の狂った考えは、横島の理解の範疇を超えていた。
「ありがとうございます。私たちは優しい隊長にあえて、本当に幸せです」
深夜に、二人きりの密室で、美女が野獣に微笑みかける。
この方程式から導き出される答えは……
「お礼なら体でおねがいしま~す!!」
本日数度目のルパンダイブ。彼は懲りない男なのだ。
ギィィ!
ベッドから軋んだ音を上げる。
音を上げさせた原因はとても簡単だった。
一組の男女が、もつれ合いながらベッドに倒れこんだから。男が女をベッドへ押し倒したのだ。女のほうは押し倒されても、まるで抵抗しなかった。
驚愕したのは女のほうではなく、押し倒した男――横島のほうだ。
以前にも似たような事はあった。ナナルゥの時である。しかし、あれはナナルゥの心の欠落が原因だった。
ヒミカは、上に乗りかかっている横島を見つめながら、努めて冷静に言った。
「……本当に私の体をお望みなら命令してください。私たちの命も体も心も、全てを思いのままにする権利を、ヨコシマ様はお持ちなのですよ」
ヒミカの言葉に横島の心がぐらりと揺れる。
それはそうだろう。目の前にいる美人を、好き放題して良いと言われているわけなのだから。健全な青少年でありすぎる横島からすれば、それは抗いがたい魅力を持っていた。横島はゴクリと生唾を飲み込む。
「じゃ……じゃあ、その……」
ヒミカは自分の体に覆いかぶさり、何かを言おうとしている横島をじっと見つめた。
馬鹿なことをしているかもしれない。これではまるで誘っているかのようだ。だが、これは必要な行為だと思った。
信じる事は難しい。
以前、ヒミカは横島を信じると誓った。今だって誓い続け、その心はますます強くなっている。
だが、文珠という力を持っていた横島に、ヒミカは恐れを抱いた。
その気になれば、自分達の身も心も好きなように操る事ができる。
ヒミカは恐いのだ。知らぬ間に自分の心を覗かれ、さらに心を好きなように弄くる事ができる横島が側にいることが。
だが、恐怖も抱いたが、それ以上に愛おしさも持った。
兄のように、弟のように――――家族のように。
横島の告白は、ヒミカ達の胸に沢山のものを与え続けている。
どうしたらいいのか分からないヒミカは、横島を試す事にしたのだ。
もし、ここで抱かせろと言ってきたら、家族云々の話は信じない。
文珠を使って自分達に何かをしてくると想定しなければいけないだろう。最悪の場合、スピリット達を洗脳しラキオスに反逆する事もできるのだ。
決して、心を許すつもりは無かった。
ただヒミカは、もしここで犯されても文句を言うつもりは無かった。むしろ、喜んで抱かれるつもりだ。
万が一にも、ヨコシマ様の欲望が他のスピリットに向かないよう、自分が防風林とならなければ、と考えていたからだ。
実はこの役割を命じられている者達は既にいて、その中の一人にはさらに過酷な命令が下されていたりもするのだが、その事にヒミカは気づいていなかった。
(大丈夫……ヨコシマ様ならきっと!)
色々と考えはあった。だけど、根っこの所でヒミカは信じていた。
何と言っても若い男だし、もの凄くスケベで、変態だ。だけどそれ以上の優しさがあると、ヒミカは信じていた。いや、確信していた。
「そんじゃあ……だ、抱かせ……ぐお~~言えんーーー!!」
結局、横島はその言葉を出せなかった。悔しさからか、血涙を流して横島は叫ぶ。
ただ一言、抱かせろと命令すれば美人を好き放題できるのに、出来なかった。それは、理性と本能の争いではなかった。愛がある方を、横島は選んだのだ。
(ヨコシマ様は本当に女性が大好きで……スケベで……優しいんだわ)
改めてヒミカはそう認識する。
目の前で「抱きてー! 抱きてーのにーー!!」と叫びながら血涙を流しつつ柱に頭突きをかます自分達の隊長。
見ていて頭が痛くなりそうな光景だが、自然と顔が笑ってしまう。色々と問題点が在るが、この人に会えて良かったと、ヒミカは素直に思った。
この先、多く戦いが待ち受けているだろう。多くの決断を、ヨコシマ様達は迫られる事だろう。
それがどんなに辛い事があろうと、それを手助けする。
(国のため、仲間のため、そして……ヨコシマ様のために、私は剣を振る。それが、私の生まれた理由)
己の存在理由にまで昇格してしまった横島に、ヒミカは笑って、出会えた奇跡に感謝した。
「ありがとうございます。私はヨコシマ様にひゃう!」
突然、体に甘い電流のようなものが流れた。その電流に逆らえず、口から甘い声が漏れる。
一体何事だと、電流が発生した地点である胸を見ると、そこには横島の手がしっかりと添えられていた。
「ちくしょー! 俺のレベルではおっぱいを揉むぐらいが精一杯……しかもこんなスライムレベル程度のものしか!! でも柔らかい! 馴染む! ヒミカの胸は俺の手に馴染むぞぉーー!!」
抱くことはしなかったものの、とりあえず胸なら良しという結論に至ったようだ。
一体何故そんな結論に至るのか。一度、頭の中を覗いてみたい。確かに横島は優しいし、愛の戦士でもあるが、やっぱり変態でもあるのだろう。
とにかく、横島は『URYYYYYYYY!!』な感じでヒミカの胸を揉みまくる。
「やめ……っ! 落ち着いてくだ……ぁン!!」
まったく予想していない事態と、体に流れる快感で、ヒミカはパニックに陥った。なんとか、暴力ではなく言葉で横島を止めようとするが、そんなものは野獣に念仏。そうこうしている内に、ヒミカの胸の一番敏感な部分に横島の指が強く触れる。
「ひゃあん!」
ヒミカは、自分の口から聞いたこともない変な声が漏れた瞬間、色々と切れた。
まず自分に乗りかかっている男の顔に、掌底を一撃。
「ぐお!」
怯んだ隙をついて、思い切り腹を蹴り上げる。
鳩尾に一撃を入れられ、完全に横島の動きが止まる。その間にヒミカは横島と体勢を入れ替えた。今度はヒミカが横島の上になる。
「あ、貴方という人は一体どうして! しかもまた胸を!!」
心の中で一大決心した瞬間にこれだ。
もし、始めにセクハラされたり、犯されたりしたら、悲しんで受け入れただろう。だが、プラスの感情からマイナスの感情に転落するのは、大きな怒りを発生させる。
10が0になるのと、0が0のままなのは違うのだ。
「この! この! この! この!」
「うぎゃ! ぐぎゃ! おぎゃ! むぎゃ!」
横島の上に馬乗りになり、正にオラオラ状態。
こぶしの弾幕の前に、横島の顔が赤く染まっていく。ベッドの白いシーツが、赤く染め上げられていく。
殴る音が止んだとき、動く人影は一つしかなく、ヒミカの手からは赤い液体がぴちゃんぴちゃんと滴り落ちていた。
ヒミカの頭に冷静さが戻る。
既に横島は『かつて横島と呼ばれていた者』に成り果てていた。つまり、ひき肉ハンバーグである。
ヒミカの顔からサーっと血の気が引いていく。
「どうしよう……埋めなきゃ……」
そんな問題じゃない気もするが、気が動転しているヒミカは気づかない。
ヒミカはまぎれも無く常識人であったが、だからこそ変態である横島の、ある種の波動を一番浴びて、影響を受けている一人であった。皆に悪い影響が出なければいいなんて考えていたが、自分が一番悪い影響を受けているとは思いもしないだろう。
埋めるなら何処が良いかと、混乱した頭で冷静に考えていたヒミカだったが、その時、視線を感じた。
見られていると感じたヒミカは、慌てて周りを見渡す。
すると、半分開いたドアの隙間から、顔を半分だけ出してナナルゥがじっとこちらを覗いていた。
「……レッドスピリットは見た。エトランジェ殺人事件」
「ちょっ、ちょっと待って! これは……そう! 何かのトリックで」
「……申し訳ありません。しっかり見ていましたので……自首しましょう、ヒミカ」
「待て、ナナルゥ! こういう時は、黙って欲しかったら私に従いなさい、とでも言うんだ」
「弱みに付け込んで……流石です、ヨコシマ様」
「はっはっはっ。横作と呼んでくれたまえ!!」
目の前で邪悪な笑みを浮かべる自分達の隊長と、大切に思っているレッドスピリットの同僚。ヒミカの顔が絶望に染まる。
ああ、もう駄目なんだ。
弱みを握られ、これからずるずると色んな事を要求されて……あんなことやこんなことやそんなことまで―――
「って! 生きてるじゃないですかヨコシマ様!!」
「ああしまった! せっかくの死んだふりが!!」
「無念です」
「いい加減にしなさい、貴方たちは~~!!」
赤い魔法陣から生まれた炎が横島を焦がし、ついでにやっぱり心配で様子を見に来たセリアを焦がす。
吹雪が部屋を凍結させ、騒ぎを聞きつけやってきたエニを凍らす。
『無垢』を振り回し、発生した雷撃が何気なく青の姉妹に直撃する。
猛吹雪が発生し、ナナルゥに直撃する。
紅蓮の業火が生まれる。
ヘリオンは燃える。
ハリオンが茶をすする。
第二詰め所からは、久方ぶりに笑いと悲鳴が途絶えることがなかった。
これが、横島がいる彼女たちの日常。
こんな日常を喜ぶ者もいれば、嘆く者もいる。
しかし、全員が自分の個性を、心を、持て余すことなく存分に発揮していることは間違いないのだろう。
皆のハイロゥの色は、これまでに無いほど純白に輝いているのだから……
「何を良い話で終わらそうとしているのですか!! この阿鼻叫喚の惨状をどうにかしてください!!」
「無理や~~!! ああーこんなんばっかし~~~!!」