永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第十三話 植えつけられる文化

「すぴ~すぴ~」

 

 私の隣で一人の少女がメルヘンな寝息を立てている。

 金色の髪は朝日を浴びてキラキラと星のように輝き、フランス人形のように整った顔は後にどれほどの美人になるのか、想像させるのに難くない。

 口から流れる一筋の涎にすら、不思議と愛嬌があった。

 エニ・グリーンスピリット。

 グリーンでありながら、金色の髪を持つ珍しきスピリットで、永遠神剣第6位『無垢』の主である。

 

「テン……君、うにゅ~」

 

 寝言で私の名を呼んでいる。

 一体どのような夢を見ているのか、私には分からない。だが、碌でもない夢には違いないだろう。しかし、うにゅ~だのすぴ~だの、ワケの分からん変な寝息を立てるものだ……頼むから私に涎を垂らさないでくれ。

 

 私は何故こんなことになってしまったのかと思考する。

 とはいっても、別に考えることでもない。

 あの変態主が、エニの願い事を叶えてやれなどと言い出したことが原因だ。

 結婚してくれだの、一夜を共にしてくれなど、およそ10歳前の子供……いや、生まれて一ヶ月程度の子供が願うはずが無いお願いを連発された。

 『法皇』様がどのような知識をエニに植え付けたのか、激しく気になるところだ。

 

 紆余曲折はあったものの、最終的なお願いは、一緒に寝て欲しいになった。

 私としても、感情の勉強をしなければいけないので、仕方なく付き合ってやる事にする。勘違いしないでほしい。別に嬉しいとかそんなものではないぞ。

 ルシオラは「実は嬉しいくせに」とか「ここは情熱的に口説いたら」とか「私もヨコシマと……ウフフ」とか、意味もないことをよく語りかけてきた。

 はっきり言って鬱陶しい。というか苦痛だ。俗に言う近所のおばちゃんレベルである。これを24時間、好きな時に仕掛けてくるのだから、どんな拷問だと泣きたくなる。惚気話を延々とループして聞かされると、窓から飛び降りたくなるほどだ。これからはルシオラおばちゃんと呼んでやろう。

 エニなどは、まだ起きてる、まだ起きてると、私と喋りたくて眠い眼を擦りながらがんばっていた。まったく馬鹿だ。朝早くから訓練はあるのだから、早く寝なければ次の日が辛いだろうに。その事を伝えたら妙に機嫌がよくなった。本当に意味が分からない。女という生き物は馬鹿ばっかりだ。

 結局、12時前にこてんと寝てしまうし……まったく。

 

 しかし、このままでは風邪を引くぞ。

 エニの寝相は想像以上に悪かった。その寝相は、小さな体をベッドの中で大暴れさせて、ベッドを壊そうとしているのかと思えたほどだ。私にも若干の被害が出た。涎で錆びることなどはないだろうが。

 暴れたせいか、エニ自身も胸元のボタンは外れ、まったく膨らみのない胸元は全開の状態。服はめくれ上がり、真っ白のお腹も惜しげもなく晒している。俗に言う、色気とやらのかけらも無いだろう。

 まあ、ある特定の性癖の持ち主なら涎を垂らしながら見るのだろうな。

 断っておくが、私はそんな特定の性癖など持っていないぞ。

 ……一体、私は誰に断っているのだ?

 まあいい。ちょうどいい機会か。新たに授かった力、試してみるとしよう

 

 少し前に『法皇』様から授けられた3つの力の内の一つを使うことにする。

 意味のない力のように感じたが、こういう場面では有効だろう。

 私は気合をいれてその力を発動させる。

 すると、空中に幾何学的な魔方陣が出現した。

 

 ふっ……普通の神剣なら主なくては力を発揮できない。

 しかし、私には出来る。

 これこそ私が特別である証。選ばれし者なのだ。この私は。

 詳しいことは教えてもらえなかったが、恐らく主の世界の霊力という力を流用しているのかもしれん。なにやら妙な処理を色々と施されているようだしな。

 これも『法皇』様に特別目を掛けられている証拠と言えよう。

 

 魔方陣が強く光を放つ。

 そして『それ』は魔方陣の中からヌルリと現れた。

 『それ』は黒くて、太くて、ヌメヌメで、テカテカで、ニュルンニュルンしている。太くご立派な巨体(巨根ではない)は、タコのようにつぼの中に納まるなど出来そうに無い。

 そう、それはごく一部のファンタジー世界でお馴染みの存在。触手である。

 別な意味で、龍すら超える最強の種族だ。

 

 どうやらうまく出来たようだな……オーラフォトンで作った触手か……何とも醜悪な姿だ。なんというか、随分と肉感があって気持ち悪い。ワセリンが似合いそうな感じだ。

 この力は私が一人で移動や物を動かすための力らしい。

 当然だが、剣は一人では歩けないからな。だから、一人で動きたいときは触手に乗って動けと言われたのだが……

 こんなのに乗って移動など冗談ではないぞ。私の知的なイメージが壊れてしまう。次は格好の良い、知的な触手を作らねば……カッコイイ触手……むむ! 難しいぞ!!

 ……まあいいか、早速はじめよう。

 

 私は触手を思念波によって操り、エニのすぐ側に持ってくる。

 そして、エニに覆いかぶせるように触手を動かした。

 よく起きないものだな。まあ好都合だが。……おばちゃんが何か騒いでいる。破廉恥だと? ふん、隙を見せる方が悪いのだ。

 さて、いよいよだ。行くぞ、エニ!!

 

 ニュルルルルン!!!

 

 くっ、ずいぶんと難しいな。

 なかなか思うように操作が出来ない。一本の太い触手の先端部分から生えている、イソギンチャクのような無数の小さい触手を使い、外れてしまったボタンをかけようとするのだが、行けと思うと物凄く動いたり、全然動かなかったりする。

 変だな、この触手は私の思うとおりに動くはずなのだが。

 これでは、外れたボタンをかけ直すことができない。

 それに、触手は何故か先っぽから白っぽい液体を出してヌルヌルしているため、ボタンと接触させるとくっ付いてしまうのだ。

 一体どうしてこんなにもヌルヌルさせる必要がある? この潤滑油のような液体に何の意味が? 何故か、おばちゃんがずっこけている……心の中で随分と器用な……

 そうこうしている内に、エニの顔や胸に白っぽい液体が付いてしまった。まるで、ヨーグルトがくっ付いてしまったかのようだ。

 ……うむ。これ以上ないぐらい良い具体例だな。うん? いいえ、ケフィアです……だと。ルシオラおばちゃんよ、お前は一体何を言っている?

 

 しかし、うまくいかないものだ。先にエニのお腹のほうをどうにかしよう。

 めくれあがった服ぐらいなら簡単に直せるはずだ。

 私はエニのお腹付近に触手を近づけて……

 

「ひゃん!」

 

『っ!!』

 

 お、驚いた……まだ寝ているようだが……

 一体何故こんな声を出したのだ?

 少し触手がエ二のへそ辺りに触れただけなのだが。

 それになんというか……妙に甘い声だったような。

 ……もう一度触れたら、また声を上げるのだろうか。

 もう一度聞いてみたいような……私は何を考えている。

 そんなことに何の意味もないではないか。馬鹿馬鹿しい。下らん。

 どうやら私は少々混乱しているようだ。ここはまず冷静にならなければ――――

 

 ガチャ。

 

 いきなりドアノブが回る音が聞こえた。

 そして誰かが入ってくる。

 

 くっ、見られてしまったか。

 思ったより触手の操作が難しく、時間が掛かってしまったようだ。

 入ってきたのは主か。

 こちらのほうを見て、魚のようにパクパクと大きく口を開けて驚いている。いきなり触手がエニの上に乗りかかっているのだから、驚くのも無理は無い。

 さて、どうしたものか。

 

 その気になれば、この記憶を主から消すことも可能だ。

 しかし、できるかぎりやりたくない。

 だとすれば、やはり知らぬ存ぜぬが良いだろうな。

 触手とは無関係を押し通そう。主も知的で紳士であるこの私が、触手を呼び出したなど考え付かないはずだ。

 一分の隙も無い完璧な考え。私はそう確信したのだが……

 

「このペド剣がぁーー!!!」

 

 そんなことを言いながら、主は霊波刀を掲げて触手ではなく、私に切りかかってきた。

 ……何故だ?

 

(当然でしょ!!)

 

 疑問の声を上げる私に、怒ったような声が聞こえてきた。

 ルシオラおばちゃんめ、本当に口うるさい女だごめちょ!!!

 

 

 永遠の煩悩者 

 

 第十三話 植えつけられる文化

 

 

「一体! エニに! 何をしてやがった!!」

 

『私は何もやってないぞ!』

 

「嘘つけ! お前以外のだれがあんな触手を呼び出すっていうんだ!!」

 

 それほど広くない一室で、バンダナがトレードマークの青年、横島が日本刀に向かってなにやら怒鳴っている。常人が見れば黄色い救急車が必要な人かと勘ぐるところだが、幸いな事に彼はまともだ。

 騒ぎで起きたエニは、意外にも、と言うべきか、別に『天秤』に関して文句も何も言わなかった。むしろ嬉しそうにしていたくらいだ。ひょっとしたら途中で起きていたのかもしれない。赤い顔で白い粘液をふき取るその姿は、見るべきものが見れば涙を流すだろう。

 触手は部屋の隅で忙しなくうねうねしている。どうやら自意識があるようで、先っぽをエニに向けているところを見るに、まだ触手プレイを諦めたわけではなさそうだ。

 横島の厳しい尋問の中、『天秤』はいかにしてこの状況を乗り切るか、必死に考えていた。知的な紳士としては、やはり触手を使えるなんて特技は格好悪いから秘密にしておきたいから――――――ではなく、そんな力が使えると知られたら警戒されるかもしれないからだ。少なくとも建前はそんなところである。

 

『ば、馬鹿な! 何を根拠に……大体、触手なんてものを普通作り出せるわけなかろう!!』

 

「アホか! 触手ぐらい別にあって普通だろうが!!」

 

 思ってもいなかった触手の評価に、『天秤』は首も無いのに首をかしげる。

 

『普通……なのか?』

 

「こんなに優しくないファンタジー世界だ。触手だってあるさ。いや、無きゃおかしい!!」

 

 ふんと鼻を鳴らし、横島は当然のようにそう答えた。

 そういうものなのかと、『天秤』は頭もないのに頭を捻る。世間なれしていないせいか、この辺りの感覚がいまいち掴めない。もっとも、横島を基準で世間を論じるなど、どれほど世界を馬鹿にしているか分からないが。

 

「しかし、ようやく本性を表したな。このペド剣!!」

 

『違う!! 大体、ペドとはなんだ! 意味はわからんが絶対に私を侮辱しているだろう!!』

 

「カマトトぶってんじゃねえ! 色々知ってる癖に!」

 

『本当に知らんのだ!』

 

 では、説明しましょう!!

 

「えっ?」

 

『なっ!!』

 

 ロリコンというのはロリータ・コンプレックスの略称なのですわ。

 意味はものすごく簡単に言いますと、小さい女の子が大好きということなのです。

 ちょっとがんばれば、ちっちゃい女の子とも十分に仲良くやれますわ。

 日本の男はロリコンが多いというのが、ここ最近の通説なのです。

 恥ずかしがる必要はありませんわ。

 

 それで、ペドフェリアというのは、小さい女の子を性的な意味で求めるということなのです。

 一種の異常性愛とも呼ばれています。

 異常……甘美な響きですわ。

 個人的には多少痛みが伴うぐらいちょうどいいと思いますが……まあ人それぞれでしょう。

 それでは今日はこの辺で失礼しますわ~わ~わ~。

 

(何をやっているのですか『法皇』様~!?)

 

 いきなり聞こえてきた己が上司の声に『天秤』は悲鳴を上げたくなった。しかもエコーまでかけると言うご丁寧ぶり。

 主は勘が鋭いから不用意な行動は慎めと言っていたくせに、こんなことをしていいのだろうか。というか、今の声は何処から響いてきたのだろうか。

 

「おい『天秤』」

 

『なんだ! 知らんぞ、私は何も知らん!』

 

 今の声は何だったのか、何て質問が来たらどう答えたらいいのか。

 『天秤』は初めて己の上司を恨んだ。

 だが、『天秤』が問題だと思った事は、横島にはどうでもいいことだったらしい。

 

「何言ってやがる。ナレーションの人に話しかけられることなんて、別に珍しいことなんかじゃないだろ」

 

『はっ?』

 

「俺もナレーションの人と話したことがあったしな」

 

「お兄ちゃん凄いよ。エニもお話したいよ」

 

「あ~~もっと大人になってからな。結構ムカツク奴だから」

 

 和気藹々とナレーションについて話す二人。

 意味がさっぱり分からない『天秤』は混乱するしかない。

 

『ナレーションとはなんだ!! 説明を要求する!!』

 

「テンくんうるさいよ」

 

「ああ、もう少し静かにしろよ」

 

 声を荒げる『天秤』に二人が注意する。

 しかし、『天秤』としては、何故自分が怒られなければいけないのか、到底納得できるものではなかった。

 

(何故、私が責められねばいかんのだ?)

 

 納得がいかないことが多々あるが、『天秤』は一つの事を理解した。

 自分はまだまだ勉強不足であるということ。知識も経験も絶対的に不足している。

 もっと貪欲に、様々な事を覚えていなくてはいけない。

 そんな風に考え、『天秤』は自身を戒める。基本的に彼は真面目なのだ。

 

「ねえ、テンくん……その……あの……」

 

 何故かエニが顔を赤くしてもじもじしている。

 

『なんだ?』

 

「え~とね……ニュルニュルでエニに何しようとしたのかな~」

 

 エニは顔を赤くして尋ねた。

 その瞳には期待と不安と、その他諸々の感情が溢れていたが、キラキラと宝石のようにその瞳を輝かせている。

 エニ自身も、胸がドキンドキンと高鳴っているのを感じていた。エニの質問に、『天秤』は素直に答える。

 

『服がめくれあがっていたから、直そうとしたのだ……悪かったな、汚してしまって』

 

 『天秤』の答えに、エニはきょとんとした顔をした。

 

「それだけなの?」

 

『他に何がある?』

 

「う~んとね、他って言ったら……」

 

 『天秤』の質問に少し考えて……

 ボン! という擬音が出てきそうなほど、エニは顔を真っ赤にした。

 目じりには涙が浮かび、体はプルプルと震えだす。

 

「うあ~ん! エニ汚れちゃってるよ~」

 

『すまん。確かに服や顔をべたべたに汚してしまったな』

 

「そうじゃなくって……うう~! エニって全然『無垢』じゃないよ~」

 

『えーい、泣くな! 悪かったと言っているだろうが!』

 

 二人の思考は10万光年離れていた。

 『天秤』が謝れば謝るほど、エニは自分が汚れていると泣きたくなる。エニの言っている『汚れている』と『天秤』の言っている『汚れている』は、まったく意味合いが違うのだ。

 思考のすれ違い。勘違い。これこそラブコメの王道だろう。それに、『天秤』は自分が触手を操ったと認めてしまっていた。元々バレバレだったので、そこらへんは横島もエニもスルーだ。触手は部屋の隅でいまだにウネウネしている。

 

「ギャルゲー主人公の特権である、鈍感スキルを使うのか! 貴様はーーー!!」

 

 くさいラブコメに耐え切れなくなった我らの主人公が、全世界の男を代表して行動してくれた。栄光の手を作り出し、『天秤』に向かって切りかかる。触手神剣と幼女のラブコメなど、男にとって認められるものではない。

 だが、しかし。

 

「テンくんに何するの~~!!」

 

 恋路の邪魔をするものはなんとやら。エニは『無垢』に雷を纏わりつかせて横島に押し付けた。

 

「あべべべべべべ!!」

 

 よくある漫画のように、電撃を喰らった横島は全身骨格を浮かび上がらせ絶叫した。プスプスと食欲を誘う匂いを出しながら、その場に崩れ落ちる。

 

「大丈夫だった、テンくん」

 

『う、うむ』

 

 意外なほど苛烈で容赦の無いエニの行動に、『天秤』は密かに冷や汗を流していた。少々やりすぎかもしれない。

 

「……お礼は」

 

『何?』

 

「ありがとうとか、キスしてくれるとか、もう抱かずにはいられないとか……」

 

 何を言っているのだ、このスピリットは。

 『天秤』は間違いなく頭痛を感じていた。神剣だから頭が無い……なんて事ではない。思考にノイズが走るというか……蛆が湧くとでもいうか……

 お礼でも何でもいいからして、さっさとこの場を流してしまおうと、『天秤』は考えた。

 

『助かった……ありがとう』

 

「いいんだよ、お礼なんて」

 

『……はっ?』

 

「エニとテンくんの中だもん。水臭い事なんて言いっこ無しだよ!」

 

 ズキンと頭の痛みが酷くなる。

 

『おい! お前は確かお礼を言えと言っただろうが!!』

 

「それはそれ。これはこれって奴だね」

 

『ちょっと待て! それとこれは同じ事だろう!!』

 

「どれ?」

 

『だからそれ……くぅぅ、私も何を言っているのか分からなくなってきたぞ』

 

「テンくん好きだよ~」

 

『人の話を聞け!!』

 

「テンくんは人じゃないよ」

 

『いい加減にしろ! 本気で怒るぞ!!』

 

「怒ったテンくんも大好きだよ!」

 

『じゃあ泣くぞ! 泣けばいいんだな!?』

 

「泣いたテンくんは食べちゃいたいよ」

 

『………………』

 

「放置プレイも趣があって悪くないよ」

 

『ほ、法皇様! 無理です! エニを使って感情の勉強など不可能ですー!!』

 

「混乱してるテンくん……ハアハア」

 

 混乱して「もうダメだー!」と叫びまくる『天秤』

 その『天秤』を見て、恍惚とした表情で悶えるエニ。

 とりあえず、二人ともまともなファンは諦めた方が良さそうだ。

 

「こんちくしょ~~!!もう怒った、お尻ぺんぺんの百叩きの刑じゃあ~!!」

 

 朝っぱらからラブコメを見せられ、さらには子供にもやられて、横島の堪忍袋の尾が切れる。

 さっと左手でエニを脇に抱きかかえ、右手を振り上げ、振り下ろす。

 

 パシーン!!

 

 エニのお尻から高い音が上がる。

 

「痛いよ~!」

 

「うっさいわ! もう一発!」

 

「一発なんてやだよー! テンくん助けて~!!」

 

 エニの助けを求める声に、『天秤』は脊髄反射したかのように素早く動いた。触手を操り横島に突撃を仕掛ける。二回目のお尻たたきを実行しようとしていた横島は、触手のぶちかましを食らって部屋の壁まで吹き飛ぶ。エニは横島の魔手から解放された。

 その一連の動きに、触手を操った張本人である『天秤』は驚く。同時に後悔した。これで自分はまたエニの評価を上げてしまったに違いない。

 『天秤』はそんな風に思っていたのだが……

 

「テンくんのへんたい~~~!!」

 

『なぬ!?』

 

 エニから思いもよらぬ評価を受けて、『天秤』は妙な声を上げた。

 一体どうして変態などという評価になってしまったのか。

 

「男の触手プレイなんて、世界の誰も望んでいねえだろうが!! この変態神剣!!」

 

 横島がオーラフォトン触手を引き剥がしながら、鬼の形相で『天秤』を一喝する。その怒りは、先ほどの比ではない。その怒りの理由は、もちろん気色の悪い触手に巻きつかれたということもある。しかし、なにより触手という、ドリルとはまた違った意味での漢の夢を汚した事に、横島は怒っているのだ。

 

 横島も怒っているが、それ以上に激怒しているのは間違いなく触手だった。

 『天秤』が生み出した触手は、生まれながらにして触手としての意思を、役割を、魂を持っていた。知識も十分備わっており、当社比1.8倍ぐらいの高い触手素養を持ち合わせていた。所謂、エリート触手である。

 

 生まれてきた触手は、始めは歓喜した。目の前にはあられもない格好で寝ている幼女。自分の操をこの幼女に捧げられるのだと。そう、この触手は神聖なるペド触手だったのだ。だが、ここで触手にとって予想外な事が起こる。なんと、生み出してくれた創造主には触手属性が無かったのだ。

 目の前で好みの幼女が隙だらけで寝ているというのに、自分がやっている事は外れたボタンを掛け直すこと。

 触手は絶望した。この世界には18禁は無く、ロリもペドも存在しないのかと。

 結局なんだかんだで、その場はうやむやになってしまったが、まだチャンスはあると機会を窺っていた。しかし、まさか男に絡みつく事になるとは。

 これでは自伝すら書けないではないか。後輩触手への武勇伝すら吹聴できない。男に飛びついた触手などと、触手界で噂でもされようものなら、首を吊って自殺するしかないではないか。

 触手は己自身を激しく震わし、床や壁を叩きまくった。この責任をどう取ってくれるのかと。

 

『何を怒っている? エニ、触手プレイとは何だ?』

 

 一人と一匹が何故怒っているのか、単純な知識不足を解消しようとした『天秤』の質問だった。しかし、それを女の子であるエニに質問するとは。無知とは恐ろしいものである。

 質問されたエニはどのように言語化して説明していいか分からず、そのくせ触手プレイの視覚映像だけは頭に引っ切り無しに流れ続けた。顔は太陽のように真紅に染まり、羞恥心は二百パーセントオーバー。もはや説明できる状態ではない。

 

「あ……ひゃ……う……うわ~ん! お兄ちゃん、テンくんが羞恥プレイを要求してくるよ~~!!」

 

「くそ! ここまで腐った神剣だったとは!!」

 

『どういう意味だ。羞恥プレイとは一体!?』

 

「うわ~ん! うわ~ん! うわ~ん! テンくんのバカバカバカーー!!!」

 

『がああ! 分からん! まったくもって分からん!!』

 

 横島とエニが一体何を言っているのか、まるで理解できない『天秤』は遂に思考を放棄して叫び始める。

 利害関係で人と人との結びつきを考える『天秤』には、天然かつ無駄に純粋で妙な知識を持つエニの手綱を取る事はできず、また、高い変態性を発揮して、それでいて妙な倫理観を併せ持つ横島を理解する事も困難だった。

 仕方なく、『天秤』は助っ人を呼ぶ事にする。

 

(おいルシオラ! 触手プレイや羞恥プレイとは何だ! 何故エニは泣く? 説明を要求する)

 

(う~ん。羞恥プレイは、相手に恥ずかしい事をさせる事かな? 触手プレイは……相手に触手を絡ませる事……でいいと思うけど)

 

(それで、何故エニは泣く?)

 

(あはは。ごめんなさい、貴方と話していると、自分が凄く汚れているみたく感じちゃうわ)

 

 それだけ言うと、ルシオラからの声は聞こえなくなる。

 羞恥プレイや触手プレイの意味だけは分かったが、その本質を『天秤』は理解する事はなかった。

横島とエニは部屋で暴れ、『天秤』は悩み続け、触手は白濁液をまき散らかす。

 

「貴方は静かにするということを知らないのですか!!」

 

 結局、騒ぎはセリアがアイスバニッシャーで部屋を氷付けにするまで続けられるのであった。

 

 騒がしい一日の始まりである。

 

 ―――――午前

 

 剣戟の音が飛び交う。気合の声と怒声が重なり合う。

 ここはラキオス訓練場。

 戦う為の存在であるスピリットは、その生活の大部分は訓練に当てられる。基本的に朝から晩まで訓練の毎日。もちろん、戦争とは剣を振るだけではないので、様々な書類整理や戦術の知識を身につけるのも訓練の一部である。

 ただ、炊事や洗濯等の日常生活はスピリットだけで行わなければいけない。その為、午前いっぱいか、午後いっぱいのどちらかは完全に戦闘訓練に振り分けられ、そのほかの時間を哨戒や家事などに当てられるのが普通だ。

 

 横島も、意外と真面目に訓練をしていた。

 成長したいという欲求は横島から消えることはないし、本当に命の危険もあるのだ。渋々ではあるが、精一杯横島はがんばっていた。無論、理由としてはそれだけではないのだが。

 そんな横島は現在、神剣を構えて悠人と相対していた。

 悠人は肩で息を繰り返し、全身に赤い線を作り、押せば倒れるほど弱っていた。対する横島は疲労も傷も見られない。

 

(女の子にもてるための獲物になってもらうぜ!)

 

 そんな打算が横島には働いていた。

 強い男が好かれるなら、この訓練時は自分をアピールする絶好の機会。

 これだけ美女に囲まれているのだ。横島ならずとも、少しでも自分を良く見せたいと思うのは当然だろう。

 自分をより良く見せる方法で簡単なのは、比較対象を作ることである。相手を下位に持って来ることで、自然と自分が上位の位置にいけるからだ。無論、比較対象は男である必要がある。つまり、悠人しかいないのだ。

 不純な理由だが、なんとも横島らしいと言える。女の子を守る為、女の子に良い格好を見せる為、エロの為。己を鍛えるのに、これ以上の理由など必要ないのだ。

 だが、真面目に訓練している割には、それほど成長しているとは言えなかった。

 横島は現在、ラキオスに伝わる剣術を習っている。しかし、どうにも覚えの程は良くなかった。

 理由として、正統派の剣術は横島らしい戦い方に合っていないのである。それに剣術の才能は横島には無かったらしい。剣の腕はさっぱり上がらなかった。

 また、強くならない理由の一つに、横島が奇才で強すぎるというのもある。

 基本もクソも無い動きでありながら、正規の剣術を打倒してしまう横島。それは、霊力と高位神剣の恩恵があるからでもあるが、それだけではなかった。

 せめて正規の剣術で横島を打ち倒せる者がいれば変わってくるのかもしれないが、彼を倒せる者などラキオスには存在しない。いや、ラキオスのみならず、霊力というものが存在する完全に別世界から来た横島を倒せる者など、このファンタズマゴリアに存在しているのだろか。

 

「はあっ!」

 

 追い詰められた悠人が、全力で『求め』を振り下ろす。しかし、横島はそれを鼻歌交じりでひょいと避けた。反撃が来ると、悠人は前面にオーラの壁を作り出して防御を固める。

 少しずつ動きがしっかりしてきていると横島は感じたが、それでもまだまだ児戯に等しい動きだった。

 左手の掌に霊力を集めて握り拳を作る。そして、守りを固めている悠人の前で拳を開いた。掌から閃光が放たれる。それも、悠人に向かってピンポイントに。マナを使うよりも、こういった霊力の小技を使えるように横島は成長していた。

 

「くそ、見えない!!」

 

 視界が塞がれ、苛立った悠人の声が響く。

 閃光が消え、視界が戻ったとき、そこに横島の姿はない。一体何処へ行った、と思う間もなかった。

 ひざに妙な衝撃が来て、力が抜けて倒れこんでしまう。

 横島がニヤニヤと楽しそうに笑っていた。

 悪ふざけの定番、ひざかっくんをやられたのだ。

 

「ふざけんな!!」

 

 真面目に訓練をしている悠人は、おちょくられ馬鹿にされ、すっかり頭に血が上ってしまった。渾身の力を込めて『求め』を振り上げ、振り下ろす。エスペリア達が呆れるほどの大振りで、横島からすれば目を瞑っていても避けられる一撃。

 横島はあっさりとその一撃をかわすと、今度は防御行動を取れなかった悠人の腹に容赦なく『天秤』をつきたてた。

 最初の方は、刃物で、男とは言え人間を突き刺すのを躊躇した横島だが、繰り返し戦っているうちにすっかり慣れてしまった。『天秤』の手伝いも影響しているようだ。

 

「がっ!!」

 

「わははは! よわい、よわいぃィィィーー!!」

 

 地面にうずくまる悠人。それを見て横島は高らかに笑う。

 

「これで9戦全敗ですか……」

 

 残念そうにエスペリアが呟いた。すぐに回復魔法を詠唱して、悠人を回復させる。

 

「大丈夫ですか、ユート様?」

 

 怪我は治したが、疲労までは回復させられない。毎日のようにやられていては、精神的な疲労も溜まっているだろうと、エスペリアは心配だった。

 たとえ死んだとしても、死んだ直後ぐらいならエスペリアの蘇生魔法で生き返らせるのも別に難しいことでもない。だが、精神的な疲労や長期的な疲れは魔法でも回復は出来ないのだ。

 

「くぅ……」

 

 ゆっくりと悠人は体を起こす。疲労困憊といった様子だが、その目にはいまだ闘志が込められたままだ。

 

「もう一度だ!」

 

 愚痴も文句も何一つ言わずに、悠人が『求め』を構える。横島もめんどうくさそうに『天秤』を構えた。

 本日10戦目となる横島と悠人の戦い。

 もう体力的にも時間的にも余裕が無いので、これが最後になるだろう。

 悠人は必死に頭を働かせていた。

 

(どうすりゃ横島の奴に剣を当てられる……)

 

 アセリアすら認める超反射神経。戦闘経験も向こうのほうが遥かに上。精神的な余裕も負けて。さらには霊力という横島だけの力すらある。

 

 横島はラキオスで一番強い。神剣無しでも、文珠無しでも、スピリットと十秒は戦える人外の化け物レベルだ。

 そんな化け物が高位の神剣を持っているのだから、たまったものではない。

 とは言っても単純に力だけで見ると、横島の力は悠人と大して変わりなかった。

 むしろ、力だけで見れば神剣の位が高い悠人のほうが上だろう。

 しかし、どんな力も当てられなければ意味は無い。そして、当てるためのスキルを悠人は持っていない。

 

『契約者よ、何をやっている。いい加減、あの男から一本を取ったらどうだ』

 

 苛立った『求め』の声が頭に響く。

 己の契約者がいいように負けている姿に納得がいかないようだ。

 

『忘れるな。全ては対価と代償だ。リスクを恐れては誰にも勝てん』

 

(助言でもしてくれてんのか?)

 

『我は真理を語っているだけだ』

 

 それだけ言って『求め』は沈黙する、同時に全てを破壊できるような力が流れ込んできた。湧き上がってくる破壊欲のようなものを必死に押さえ込みながら、悠人は思考する。

 

 代償。横島を倒すために必要な代償。

 悔しいが、横島との実力差は明白である。

 何でも、七福神が乗る宝船を乗っ取ったり、月でかぐや姫と会って悪魔と戦ってついでに生身で大気圏突入したり、果ては魔王を倒したりもしたらしい。

 どこから何処までが本当なのか悠人にはさっぱり分からなかったが、少なくとも潜り抜けた修羅場は半端ではないようだ。つい数ヶ月前まで普通の高校生だった悠人とは経験が違いすぎる。

 その経験量を覆すほどの代償。

 悠人の頭に一つの考えが浮かぶ。策ともいえぬ策に、悠人の顔が歪んだ。

 思いついた作戦は、かなり痛い作戦。何故、訓練でそれほど痛く苦しい目に合わねばいけないのだ。却下だと、思いついた作戦を放棄しようとした悠人だったが、ふと横島の顔を見た。

 締りの無い、ゆるい顔。なにより、こちらをバカにしている顔だ。

 それほど自尊心が高いわけでは無い悠人だが、不思議なぐらいに腹が立った。横島という男は、人をイライラさせる天才ともいえる。ある意味、人を熱くさせる男なのだ。

 悠人は決断する。この男を叩きのめす為なら、どれだけ苦しくても構わないと。

 

「行くぞ、横島!」

 

 大上段に『求め』を構え、一直線に突っ込む。隙だらけの猛進に、横島や他のスピリット達は呆れた。今までと何にも変わっていないと。めんどくさそうに横島は『天秤』を突き出す。

 軌道の差から、横島の『天秤』の方が先に悠人を貫くだろう。この後の展開を横島は予測する。考えられる展開としては、避けるか、弾くか、相打ち覚悟で神剣を振り下ろすかのどれかだろう。

 避けてきたら、これだけの勢いのある突進をしているのだから、間違いなく体制を崩すだろう。そこを狙えばいい。『求め』で弾こうとしてきたら、さっと『天秤』を引く事で避け、やはり体制を崩すだろうからそこを狙う。相打ち覚悟で来たら、恥も外見も無く逃げ回ればいい。逃げ続けていれば、勝手に疲弊していくだろう。

 結局の所、パワーやスピード云々ではなく、戦士としての格が違うのだ。戦いの主導権は常に横島が握っていた。しかし、ここで捨て身というものの恐ろしさを、横島は味わわされる事になる。

 

 ズブリ!

 

「ぐっ!」

 

「んな!」

 

 悠人の取った行動に横島は驚きの声を上げる。

 見守っていたアセリア達も目を剥いて驚いた。

 それはそうだろう。悠人は攻撃も防御もせずに、横島の突き出した『天秤』に自ら突っ込んだのだから。

 大上段に『求め』を構えたまま、振り下ろしもせずに『天秤』に突撃するという行為は、横島の思考能力を著しく低下させた。すぐに『天秤』を引き抜くか、若しくはマナと霊力を悠人にぶつけてやればよかったのだが、捨て身の突撃は咄嗟の判断力を奪っていた。

 

「捕まえ……たぞ!!」

 

 苦しそうではあるが、凶悪な笑みを浮かべて悠人は『天秤』を左手で掴む。そして、右手に持った『求め』にオーラを通す。

 ここにきて、横島も他のスピリットも悠人の意図に気づいた。

 

「こ、この……離しやがれ!」

 

 横島は必死に『天秤』を引き抜こうとしているが、悠人は左手で『天秤』を掴み引きぬかせない。

『天秤』を掴んでいたらやられると判断した横島は、『天秤』を離して後ろに跳ぶ。次の瞬間、横島の顔、数センチ距離で白刃が横切った。

 

「や、やべえ!」

 

 悠人の一撃こそ避けたが、横島は『天秤』が手から離れ、神剣が与えてくれる超絶的な力が消えていくのを感じた。

 戦力差は逆転した。傍目には横島有利に見えるだろう。

 何と言っても悠人の腹には日本刀型永遠神剣『天秤』が突き刺さっているのだから。

 だが、この戦いは手負いの狼と、無傷なウサギの戦いのようなものだ。

 神剣から与えられる力は絶対的なものがある。最強の剣士であったとしても、人間では神剣使いに勝てないほどなのだ。神剣を手放した横島の戦闘能力は、ラキオス最弱。

 霊力があろうとも、この差を埋めるのは厳しい。

 文珠を使えばどうにかできるかもしれないが、こんな訓練に文珠を使えるほどストックはない。

 この一週間で作れたのはたったの一個。こんな訓練で使うことなど出来るはずもない。それに使っても勝てるとは限らない。

 どうすれば悠人に勝てるのかと考えていた横島だったが、少し考えてあることに気づく。

 

「ふっ、甘いな悠人。ヨフアルにトコロテンと生クリームをぶち込むよりも甘い!!」

 

「何だと!! それは甘すぎないか!?」

 

「そっちに驚くのか! ふっ、まあいい。カモン! 『天秤』!!」

 

 はっとして、悠人は腹部に突き刺さっている『天秤』を見る。

 『天秤』は普通の神剣とは少し違う事を思い出した。

 通常の神剣は剣の形のままで固定されている。唯一変化するときは、砕かれてマナの霧になる時だ。

 だが『天秤』は違う。『天秤』は普段は横島の中に存在して、必要になったら現われるようにしている。つまり、『天秤』は自力で横島の元にいけるのだ。

 笑う横島に、青ざめる悠人。完全に明暗が分かれたかのように見えたが、次の瞬間、その表情は逆転する事になる。

 

『断る』

 

 なんと、『天秤』が拒絶の返事を出したからだ。

 

「なんだそりゃあ! お前は、俺に力を貸すんだろうが!!」

 

『ふん、私の力を必要最小限しか引き出さない癖によくそんな事が言えるな』

 

 不機嫌を隠しもせずに『天秤』が文句を言う。

 『天秤』は不満だった。横島が自分の力を少ししか引き出さないことを。

 本気で力を引き出してくれれば、力の弱った『求め』よりも力があるというのに。

 

「無駄な力なんて必要ないんだよ。それに、お前を使っていると嫌な感じがするしな」

 

 横島の危惧は確かに当たっている。『天秤』の目的は、横島の精神を弄くって洗脳していく事である。洗脳は、横島と『天秤』の結びつきが強くなればなるほどやりやすくなる。つまり、横島が『天秤』の力を引き出せば引き出すほど、横島は自我を失っていくのだ。

 悠人の場合はそれを理解していて、それでも神剣が無ければ戦えないので、自分を失う恐怖と激痛に耐えながら戦っている。

 だが、横島の場合は少し違う。横島には豊富な戦闘経験と霊力が備わっている。確かに神剣の守護がないと戦うのは厳しいが、戦闘そのものは不可能ではない。悠人よりも恵まれている横島としては、わざわざ訓練で神剣の力をそこまで引き出す必要が無いのだ。

 互いの思惑がぶつかり、横島と『天秤』の間に険悪な雰囲気が漂う。

 

「何だか分からないが、失敗したみたいだな。この勝負、貰ったぞ!」

 

 空気は読まず、勝機を読んだ悠人は、その隙に『求め』を中段に構えて、じりじりと間合いは詰めてくる。腹に深く刺さっている『天秤』の所為で、相当な痛みに襲われているはずの悠人だったが、それを感じさせない笑みを浮かべていた。

 

(こりゃ、勝てんな。無理に戦う必要なんてない……降参すっか)

 

 横島は降参する事を決めた。わざわざ戦う必要などない。

 負ける事への悔しさは少しあるが、痛い目に合うことのほうが遥かに嫌だ。

 既に十分勝ったのだ。一回ぐらいの負けても別にいいだろう。

 

「降参す―――」

 

 降参の意を伝えようとした横島だったが、そのとき一つの声が上がった。

 

「ヨコシマ様~もしも神剣無しでユート様に勝てたら、お姉さんがチューしてあげますよ~」

 

 そんなハリオンの提案に、横島がどう返答したのか、言うまでもない。

 

「ぐははは! ハリオンさんのキス! 死ぬがいい悠人!!」

 

 美女のキスのためなら神にさえ弓を引きかねん男。横島。

 いや、実際に引いたことがある。横島は煩悩を満たすためなら、日本一、いや、世界一の漢となるのだ。

 

 ゴゴゴゴゴ!!

 

 そんな感じの霊力が、横島を中心に吹き荒れる。

 霊力を感じ取れないセリア達も、何かが変化したことは何となく感じ取った。

 

「……ヨコシマ様から感じる圧力が増した!? ハリオン、どういうこと!!」

 

「知らないんですか~霊力って力は~煩悩でパワーアップするんですよ~」

 

「それって……」

 

「エッチになればなるほど強くなるんです~」

 

「霊力って……」

 

 驚愕の事実にセリアは頭を抱える。

 常識外れの人物で、常識外れの力だとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。

 霊力と言う力に心底呆れる。横島のせいで霊力という存在が物凄く変という認識で異世界に広まっていた。

 

「これが愛の力ですか」

 

「ナナルゥ、それは違うわ!」

 

 ある意味純粋なナナルゥは、横島の影響をもっとも受けている一人だ。

 ヒミカとしては、変わり始めているナナルゥは歓迎だが、どうも良からぬ方向に変わり始めている気がする。

 この前のナナルゥは確かに変だった。あれはきっとヨコシマ様の所為だ。間違っても素であるはずがない。あってたまるか。

 

(ユート様と交換してもらえないかしら?)

 

 ヒミカは半ば本気でそう思っていたりする。

 横島は悪人ではないが、変人だ。今、この場面を見ただけで普通じゃないと分かる。

 この変人隊長が子供たちやナナルゥにどんな悪影響を与えるのか、年長者として心配でしょうがない。なにより、自分自身も色々と心配だった。

 不快感や呆れの感情を持っていないのは子供ぐらいだ。

 同性であり、近い世界の住人である悠人も、横島の女好きには正直引き気味だ。

 

「横島……お前って…」

 

「何呆れた目をしてやがる! 男は女のために動くときこそ、力を発揮するものだろうが!」

 

 言っている事は格好良く聞こえるが、実際は女の色香に惑わされただけだ。

 だが、女の色香に惑わされた横島こそ、最強の横島といえる。

 

「まあいいさ。いくら横島でも神剣無しで勝てるわけ……ないだろ!」

 

 鉄の床を踏み砕き、コンマ数秒で時速200キロ近くにまで到達して、神剣を横薙ぎに振るう。人間では避けられるはずも無い一撃であったが、煩悩全開状態の横島は反応した。

 腰を屈めてしゃがみ込み、頭上数センチを悠人の剣が通り過ぎる。

 その隙を突いて、サイキックソーサーを作り出し、悠人に至近距離からぶつけようとした。

 だが、悠人は既に神剣を上段に構え振り下ろす体制に入っていた。やはり、神剣の加護を受けている悠人に、速さで勝つのはできないようだ。咄嗟にサイキックソーサーで振り下ろされる一撃を止めようとしたが、『求め』に込められたオーラの量が大きいと分かり、防御をやめて後ろに飛ぶ。

 横島の鼻先を掠めて、『求め』が鉄の地面に振り下ろされる。鈍い大きな音と共に、鉄の地面が跡形も無く粉砕され粉塵が巻き起こる。流石の横島もこれをくらったらひとたまりも無い。

 

「殺す気か!!」

 

「死んでもエスペリアが生き返らせてくれるさ」

 

 慌てた横島に、悠人は得意そうに喋る。自分が優位に立っているのが分かったからだろう。今まで散々いいようにやられてきた鬱憤を晴らそうとしていた。

 

 一方、横島はどうやって悠人に勝ってキスを貰うかを必死になって考えていた。

 先の攻撃を防御ではなく避けたのは、間違いなく正解と言えた。

 鉄の地面を砕くではなく陥没させるほどの一撃では、サイキックソーサーでも受けきれない。

 最高まで硬く小さく展開すればサイキックソーサーでも受け止められるかもしれないが、受け止めたときの衝撃で腕が折れるだろう。悠人の攻撃は、避ける以外の選択肢が無い。

 

(しかし……どうすりゃいいんだよ)

 

 一番攻撃力があるサイキックソーサーを投げつけても、気合一つで吹き飛ばされる。

 栄光の手では打ち合うこともできない。

 何より身体能力にかなりの差がついてしまった。

 神魔と一般人とまでは言わないが、子供とプロレスラーぐらいの差はある。いくら煩悩パワーで強くなってもその差は埋めようが無い。

 

 力の差を理解している悠人は、そのまま突撃して連続で剣を振るう。圧倒的なパワーとスピードによる斬撃の嵐。それでも、全ての力を回避のみに費やせば避けられないほどではなかった。相変わらず、悠人の剣筋は粗く、見やすい。ただ速いだけである。剣を振って避けられたら次は当てようとして、大振りをしていた。虫を相手にするのに、殺虫剤ではなく大砲を撃っているようなものだ。

 だが、それゆえ一撃入れば終わり。神剣に守護されていない横島は、音速を超えた為に発生するソニックブームだけでダメージを負っていた。当たった覚えはないが、ラキオスの副隊長服である黒い羽織はぼろぼろになり、体のあちこちに鈍い痛みを感じる。もしも触れたら、その時は切られるではなくバラバラになってぶっ飛ばされる事だろう。

 その事を理解して、エスペリアは蘇生呪文をすぐ使えるよう精神を集中させていた。

 

(くそ、いくら悠人が素人でも、いつまでもこんな事やってられねえっつーの)

 

 もし相手がアセリアなら、瞬殺されていただろう。

 ネリーやヘリオンにだって勝てない。

 相手がパワーだけの悠人だからこそ、横島はしのいでいられた。

 だが、いつまでもしのげるわけではない。

 

 勝つ方法は一つだけだと、横島は理解していた。

 相手の隙を付き攻撃する。

 防御はさせない。

 急所に、力を一点に集中させた一撃を与える。

 これ以外に無い。

 

 幸い、横島に攻撃を当てられない所為か、悠人の動きはどんどん雑になっていく。あと少し耐えれば、確実にチャンスは生まれる―――はずだった。

 

「……ユート、体が開いてる。……ん、小さく剣を動かせ」

「パパなら蹴ったり殴っても、ヨコシマ様を倒せるよ」

「障壁を展開させ、壁際に追い詰めるのもいいかもしれません。落ち着けば勝てます」

 

 その様子を見ていたアセリア・オルファ・エスペリアが、悠人にアドバイスする。

 冷静さを失いかけていた悠人だったが、そのアドバイスで冷静さを取り戻したようだ。

 

「サンキュ」

 

「……ん」

 

 悠人の礼に、アセリア達が頷く。

 まだまだ小さいが、確実に絆と呼ばれるものが芽生えていると感じ取れるしぐさだ。

 悠人はふうっと小さく呼吸すると、剣を型どおりに構え直した。

 このままでは絶対負ける。

 横島は自然とそのことが分かった。

 

「俺にも何か助言は!!」

 

 セリア達に向かってそう叫ぶ。何か良い助言が欲しかったし、何より助言が貰えた悠人が羨ましかった。

 横島の叫びに、ネリー達が答える。

 

「がんばれー」「がんばってください」「フレーフレー」

 

 子供達のなんともやる気の無い声援が耳に届いた。

 助言はまるで役に立たない。どうやら、一回ぐらい悠人に勝たせたいと、セリア達は思っているようだ。別に横島に負けてほしいというわけではなく、ただ一生懸命にがんばっている方を応援したいという、人としての心理だろう。

 また、キスという不純な動機で頑張っている方を応援するのは、心理的に抵抗があるのかもしれない。そこに嫉妬等の感情は含まれてはいない。少なくとも、今のところは。

 

(く、くそ。もうこうなったら、文珠を使うしかないか……)

 

 間違いなく切り札と呼べる文珠を使うかどうか、横島は思案する。

 やはり勿体無いような気がする。しかし、ハリオンさんのキスが掛かっているのだ。

 文珠を使うか、使わないか。迷った横島だが、ここでふと雇用主の事を思い出した。

 己の上司の厚顔で不遜で尊大で、全てに屈しない最強の後姿。

 神や悪魔を敵に回してもこの人だけは敵にしたくない。三界に悪名を轟かす守銭奴。

 あの人ならどう戦うか。あの人なら、どれほど力の差があろうが、悠人に負けるはずがない。

 単純に強さという点だけで考えれば、横島の脳裏に思い描かれるのはゲーム猿や小竜姫などの人外だ。これは当然だ。基本的に人間とは存在がまるで違うのだから。

 だが、最終的に勝利するのは誰かと考えると、それは決まっていた。誰であろうと、あの人のハイヒールで踏まれて泣きを見るのだ。

 一体、彼女の何が一番恐ろしいのか。高い霊能力? 強力な装備? 頭の良さ? 金に対する執着力?

 それもあるだろう。だが、彼女の恐ろしさの根幹は何か?

 それは――――性格の悪さだ!!

 最高の笑顔で敵を踏みつけている美神の姿を思い浮かべ、横島の顔には苦笑と、脳裏には閃きが生まれた。

 

「おい、悠人。切り札を使わせてもらうぞ」

 

 これ見よがしに文珠を掌に出現させ、その存在をアピールする。

 横島は決めていた。文珠を使って戦うが、文珠を使用しない。

 こう考えると、矛盾しているように聞こえるが、別に矛盾はしていない。

 あの龍との戦いの際、文珠に新しい力……いや、新しい使い方があるのが分かった。それを上手く使えば十分可能なはずだと。

 その新しい使い方を生かすためには、相手が文珠の効力と、漢字を知っていなければならない。その点は、日本人の悠人なら問題なかった。

 相手が文珠の力を知っていれば、相手は文珠に対する対抗手段を考えてくる。そう考えれば、文珠の力を知られてしまう事は良くない事だ。だが、相手が文珠を知っているからこそ、使える戦法もあるのだ。

 策を思いついた横島は底意地の悪い笑みを浮かべる。それは、彼の雇用主の笑顔にどこか似ていた。

 

「むっ……うおおお!!」

 

 時間を与えてはまずいと、悠人は一直線に横島の元へ走る。

 だが、僅かに遅かった。

 横島は悠人に向かって文珠を指で弾いた。

 突撃の進路上にある文珠に、悠人は迷うことなく突っ込んだ。たとえ何が起ころうと、己の防御力を信じて、横島を叩き潰すと決意していたからだ。

 だが、文珠に刻まれた文字は、そんな悠人の決意を色々な意味で馬鹿にしたものだった。

 

『禿』

 

 文珠に込められた文字が、例え炎であっても、剣であっても、果ては死であっても、悠人は臆さない勇気を持って前に出たが、これには驚いた。

 自分が禿になった姿を想像し、思わず体が震える。まだ20にもならないというのに、長い友達と別れるのはあんまりだ。

 

 エトランジェ・ハゲ。

 ソゥ・ハゲ。

 ハゲ様。

 

 髪の存在しない未来には、不毛な絶望が待ち受けている。

 

「くっ!!」

 

 突撃を止めて、文珠を避けようとした悠人を誰が責められようか。

 全力の突進を無理やり止めようとして、バランスが崩れる。このままでは間違いなく転ぶだろう。そうなったら負けるかもしれない。

 髪と勝利。そのどちらを捨てねばならなかった。

 

『お兄ちゃん! 髪のために私を見捨てるの?』

 

 頭に響いてくる脳内佳織の声。

 あくまでもこれは訓練だ。

 ―――――だが、訓練でも佳織を見捨てられるのか? 脳内佳織に泣かれていいのか?

 駄目だ! 例え脳内といえども、佳織の為ならば、髪など惜しくない!!

 

 悠人は、正にシスコンの鏡だった。

 

「う……おおおおおお!!」

 

 悠人は覚悟を決める。横島から一本を取るために、髪を捨てる事を決断したのだ。文珠を無視して、横島に突撃する。

 これには横島も驚いた。悠人の意志力を甘く見ていたと言うしかない。まさか前に出てくるとは思わなかった。先の突撃もそうだが、単なる訓練だというのに、ここまでするとは。

 この場面を生の佳織が見ていたらどう思うのだろうか。感激するのか、はたまた嘆くのか。どちらにしても、色々な意味で涙を流すのは間違いないだろう。

 

 悠人の決意が分かった横島は、文珠の文字を消す。いくらなんでも、こんな所で文珠を失うわけには行かない。文珠はあくまでも相手の行動を制限するための脅しにすぎないのだ。ハゲになった悠人を見たいとは思ったが、それをすればどれほどの非難を浴びせられるかも恐い。結局、文珠は悠人に当たる直前で、禿の文字が消えて発動はしなかった。

 

 逆に不意を突かれ、動きが鈍った横島に悠人が突撃する。

 勝負に出て、悠人の決意に負けた横島にはもはやどうしようもなかった。

 振り下ろされる神剣は必死に避けたが、体ごとの突撃は防げない。悠人は横島に体当たりして、押し倒して床に組み伏せる。

 この時点で勝負あったと、『天秤』は判断した。

 横島の力ではどうやっても悠人を引き剥がせないし、この状態では攻撃を回避することもできない。

 どのように計算しても、横島の保有している戦力では悠人に勝つことは出来ない。それはまったく持って正しい考えだったが、戦いはパワーやスピードだけではない。戦いはもっと非情で、狡猾である事を求められる。

 その事実を、横島はこの場の誰より理解していた。

 

「うぎゃあああ!! ホモだ!! 嫌じゃあああ!! アッー!!」

 

 悠人に押し倒された横島は、気持ちの悪い声で悲鳴を上げる。驚いたのは悠人のほうだ。

 

「おい! 何を言って―――」

 

「隙ありだ!」

 

 悠人の隙を付いて、思い切り頭突きをかます。

 霊力を込めた、コンクリートすら貫ける頭突きだったのだが、逆に痛かったのは横島の頭の方だった。しかし、頭突きは何の防御もしなかった悠人の鼻に大きな衝撃を与え、怯ませる事に成功する。

 次の瞬間、横島は隙をついて脱出に成功していた。

 

「~~!! もう少し真面目にやったらどうなんだ!」

 

「アホか! 真面目にやって勝てるかよ!」

 

 嘘、大げさ、紛らわしい。これが横島の最大の武器であった。広義的な意味で言えば、フェイントと呼ばれるものに近い。基本的に真面目な悠人には、相性最悪と言えた。

 悠人は勝負所を見抜く嗅覚と戦いの才はあるが、やはり経験不足のせいか詰めがどうしても甘い。

 

(こ、こいつは!!)

 

 先ほどアセリア達の助言によって冷めたはずの頭が熱くなる。剣は乱れ、頭は冷静さを欠いた。それに腹には激痛が走り続ける。

 こういった状況下では、人は適切な判断を下せなくなる。さらに朝からの訓練で悠人の疲労は限界に達していた。

 頃合良しと、横島は必殺の一言を口にする。

 

「ああ、佳織ちゃんが―――」

 

「っ!! そうそう何度も引っ掛かるかよ!」

 

 悠人との戦いで何度か横島が使った手なのだが、今の悠人には通じなかった。

 頭に血が昇っているとはいえ、シスコンとて学習するのだ。

 だがしかし、

 

「――――変態ロリコンストーカー男に!!」

 

「なにぃ!」

 

 ああ、悲しきはシスコンが定めか。

 罠だと頭では理解しているのに、どうしても引っかかってしまう。

 兄としての肉体が、シスコンとしての魂が、妹のピンチに反応してしまうのだ。

 

 悠人は横島の指差した方向を見てしまう。

 当然、佳織はそこにいない。

 気が付いたときには、横島は悠人の懐にもぐりこんでいた。

 

「くらえ、48の煩悩技!! 禁技その2!!!」

 

 右手に全霊力を乗せて、大きく振りかぶる。

 狙いは一つ。男の象徴。

 

「煩悩砕き!!」

 

 キィ~~ン!!

 

「――――――――!!」

 

 息子を打ち砕かれた悠人の、もはや人語ですらない叫びが訓練所内に響き渡る。

 女性であるスピリットには決して分からぬこの痛み。

 何故男に生まれてしまったのか後悔するほどの痛みに、悠人は倒れた。

 

「死してシスコン、拾うものなし!!」

 

 最後に勝利の台詞とポーズをビシッと決める。

 あんまりと言えばあんまりな勝ち方に、流石の子供たちさえ拍手は出来なかった。大人たちも可哀想だと、泡を吹いている悠人に同情的な視線を送っている。

 だが、神剣なしで悠人に勝ったのは事実だ。これは正に奇跡と言える。

 まあそんな事は横島に関係ない。今、横島の頭の中を占めていたのは一つだけ。

 

「そ、それじゃあハリオンさん! 早速キスを! ベーゼを! 熱くトロケルぐらいのやつをぶちゅーと!!」

 

「はいは~い。ちょっと待ってくださいね~」

 

 ピョンピョンと飛び跳ねて催促する横島に、ハリオンはニコニコしながら歩いていく。

 本当にキスするのかと、辺りがシーンと静まっていく。

 

「それじゃあ~目を閉じてください~」

 

 言われるままに目を閉じる横島。さあ、早くキスしてくれないかと、ドキドキしながら待つ横島だったが……

 

 がしっ!

 

「へっ?」

 

 信じられないほどの力で足首を掴まれた。

 これがハリオン流のキスのやり方なのかと思ったが、いくら天然お姉さんでもそれはあるまい。一体何事なのかと、目を開いて足首を見る。

 

「ゥッオヲッアアアア!! よごじまぁァァ!!」

 

「ひいい、キメエ!! いぎゃあ! 足がもげる~~!!」

 

 そこには、口に泡を残しながら、凄絶な表情で横島を睨みつけ、足首を掴んでいる悠人の姿があった。ハリオンは少しはなれたところでニコニコを笑っていた。

 最高の一撃を、最善のタイミングで、最悪の場所に叩きつけたにも関わらず、悠人を倒すまでには至らなかった。永遠神剣が主に与える絶対的な力。それを打ち破るのは並大抵の事では不可能という事だろう。

 いや、それだけではない。『求め』の干渉にすら耐え、禿すらも止める事が出来なかった、高嶺悠人という男の意思と意地。その二つを、横島は超えられなかったのだ。

 悠人はエトランジェの力をフルに使い、横島を振り回した後、全力で鉄の地面に打ちつけた。

 

「がはっ!!」

 

 並の人間なら、これだけで即死の衝撃だ。だが、横島は並みの人間ではない。その事は、悠人も知っていた。何度も煮え湯を飲まされてきた相手だ。手加減などしない。その人知を超えた計り知れない腕力で、横島を振り回し、鉄の地面に何度も何度も打ちつけた。

 横島も頑丈な男であったが、流石に限度というものがある。途中までは叫び声を上げて抵抗しようとしていたが、最終的にはボロ雑巾の方がまだマシと言えるほどの状態になり、遂には完全に沈黙した。

 

「俺の……勝ちだ!!」

 

 どこかで聞いたような勝利台詞を吐きながら、悠人はガッツポーズを取る。

 顔はいまだに真っ青だが、それでも横島に初勝利したことの喜びに満ちていた。

 

「おめでとうございます! ユート様!!」

 

 拍手を送るエスペリア。あからさまな贔屓であったが、誰も何も言わなかった。

 全員が悠人が精一杯、必死に頑張っていたのを知っていたからだ。ボロボロになった横島を放置して(唯一ヘリオンだけがオロオロしていたが)全員が悠人を褒めて、柔らかい空気で包まれていた訓練所だったが―――――――

 

「あらあら~それじゃあお姉さんのキスは~ユート様のものですね~」

 

 ピシリと、その発言をしたお姉さんなスピリットを除き、全員が硬直した。ハリオンはニコニコしながら悠人に向かって近づいていく。

 顔を近づけてくるハリオンに、悠人は身動きできない。ハリオンとのキスに、喜ぶわけでもなく、かといって逃げるわけでもなく、ただ、どうしたらいいのいかおろおろしている。気持ち良いぐらいのヘタレっぷりである。

 横島は動かない。

 

「ちょっと待ちなさい、ハリオン!!」

 

「どうしたんですか、エスペリア~」

 

 訓練時でもメイド服。正にメイドの鏡なエスペリアが顔を真っ赤にしてハリオンに詰め寄った。

 一体何が始まるのかと、周りから好奇の目がエスペリア達に向けられる。

 

「こんなところでキ、キスなんて認められません! 今は訓練中です。真面目にしなさい!!」

 

 流石は優等生のエスペリアだ。言っている事は間違いなく正しい。だが、それなら何故、横島とハリオンがキスしようとしたとき止めなかったのか。その事に気づいた何名かは意味深な視線をエスペリアに向ける。

 

「う~ん、確かにそうですねえ~。じゃあ、訓練が終わったらキスしましょうか~」

 

 これまた正論である。

 エスペリアの言い方だと、訓練時以外ならキスしても良い事になってしまう。

 

「以前はほっぺたでしたから~今度は唇ですねぇ~」

 

 どこかうっとりしたようなハリオンに、エスペリアは表情を強張らせた。何かを言おうと口をパクパクさせるが、言葉が出ない。エスペリアは何かを訴える目で悠人を見つめた。

 

「あ~ハリオン。やっぱり……そのキスは……」

 

 非常に弱弱しく、遠まわしではあるが、悠人はハリオンとのキスを拒絶した。

 

「そうですよねぇ~私なんかのキスなんて~いりませんよね~」

 

 しくしくと悲しそうに、ハリオンが泣きそうな声でしょんぼりと肩を落とした。

 

「い、いや、別にキスしたくないとかじゃなくてな! だ、だから……その」

 

 白けた目が悠人に突き刺さる。悠人は硬派というよりも、ただのヘタレだったようだ。

 もし横島なら『どっちも俺の物じゃー!』とでも言って二人に迫っただろう。だが、ヘタレな悠人にはそんな事は言えるはずも無く、当然拒否も出来ない。

 悠人と横島はまったく似ていないが、どちらもある意味で女の敵と言えよう。どちらの方が性質が悪いと感じるかは、人それぞれだ。

 

「ユート様! はっきりしてください!!」

 

「お姉さんと~キスしたくなりませんか~」

 

 どっち!!

 

 なんだか争奪戦が起こっているような状況に、悠人は靴下の匂いでも嗅いで意識を失いたかった。自爆装置でもあればこの場で自爆したい。

 一体どうしたらいいのかと、ヘタレていた悠人だったが、そこで救いの嫉妬が現われた。

 

「我は完全嫉妬物質、YOKOSIMA……いい男を妬む!!」

 

 ミジンコのようにグチャグチャになったにも関わらず、横島はあっさりと復活を果たす。悠人はこれ幸いと、横島に向かって突撃した。背中に突き刺さる痛い視線を意識しながら。

 

 一時間後、結局、グダグダな戦いは横島が勝利したらしいが、殆どのスピリットは呆れてその場にいなくて、ハリオンは既に哨戒任務に行ってキスはされなかったと、明記しておこう。

 

 ―――――午後。

 

 横島は19人の美女に囲まれてウハウハしていた。

 これだけ書いても何が何だか分からないと思うので、詳細に説明する事にする。

 今まで、ラキオスは第一詰め所のスピリットと第二詰め所のスピリットが全てであった。しかし、横島の策略もあり、バーンライトのスピリット20名が生き残りながらラキオスの傘下に下る事になった。内の一名はいまだに牢の中ではあるが。

 

 バーンライトのスピリット達は、とりあえず郊外にある広場で、3,4人が生活可能なバラック小屋を建築し、それを数個作って生活していた。

 感情を無くし会話すら困難な状態だが、日常生活においては特に問題ないようだ。食材などがあれば、特に何を指示しなくても普通に暮らしている。

 

 現状において、このバーンライトのスピリット達の扱いは定まっていない。

 第一詰め所や第二詰め所の部隊に組み込もうにも、少し人数が多すぎるし、また心が消えている所為で指揮を取るにも勝手が違う。一応、第三詰め所という事にはなっているのだが、部隊としての形式は取れていない。

 何故なら、隊長が存在しないからだ。基本的に隊長は人間がなるものだ。だが、スピリット隊の隊長など、だれもやりたくない。また、横島もこのスピリット達をぞんざいな人間に任せようとは思わなかった。

 結局どうするかは、まだ決まっていない。

 

 横島としては、苦労して手に入れた美女軍団。これに何もしない横島だろうか? 

 否! 断じて否!!

 死ぬ思いまでして、ようやく助けたスピリット達だ。少しぐらいご褒美があってもいいじゃないか!

 そう考えた横島を、だれが責められようか。

 

「ふっ、待っていたかい。俺の子猫ちゃんたち!」

 

「……………………」

 

 横島の馬鹿な発言の返答は、喜びでも呆れでも険悪でもなく、感情の沈黙だった。そんなスピリット達に、横島は早速行動を開始する。

 

「48の煩悩技! 多重分身スカートめくり!!」

 

 幻想的な卑猥な手が乱れ飛ぶ。

 白、白、白、白、白。

 支給された下着は全て同じものだったようで、めくりだされた下着は全て純白だった。

 スピリット達は、自分達の下着が見られたのに表情一つ変えなかった。横島の表情も変わらない。ドキドキ感もワクワク感も無い。こんなにもスカート捲りがつまらないとは思いもよらなかった。

 スカート捲りの醍醐味は見えるパンツではなく、恥らう女の子の表情であり、スカートを抑える仕草なのだと言う事が良く分かる。

 それから色々と喋りかけたものの、少し頷く程度で喜怒哀楽全ての感情を出す事はなく、まるでマネキンにでも話しかけているような錯覚に横島は襲われる。紛れもなく美女であるというのに、まったく魅力を感じないのも不気味であった。

 横島の頭の中に、ボーイッシュなスピリットの姿が浮かぶ。あのスピリットは、こんな中で孤独な戦いを続けていたのだろう。

 しかし、どうしたものか。

 改めて神剣に心を食われているのだと理解する。

 

(やっぱり使うしかないかな……)

 

 ごそごそと懐から取り出したものは一つの球体。奇跡の結晶である、文珠だ。

 込める文字はなんにしようかと考え、やはりこれ以外ありえないと思った。

 

『恋』

 

「わはは! 心を取り戻すためなんだから仕方ないよな!」

 

『主よ、本当にそれでいいのか?』

 

 またか。

 何かするたびに干渉し、ほぼ全ての事に文句を言ってくる『天秤』に、横島は少々辟易気味だった。もっとも、『天秤』の方もいちいち文句を言わなければいけない横島の行動に、少々、いや、かなり辟易しているのだが。

 

「なんだよ! 別にいいだろ。心を取り戻すためなんだし……少しぐらい役得あっても」

 

『ちがう、そんなことではない。文珠は貴重だ。ここで使用せずに別な所で使用するべきだ』

 

 『天秤』の言葉に横島は声を詰まらせた。

 実は横島もそのことは考えていたのだ。

 心を失ったスピリットは19人。つまり、必要になる文珠の数は19個。かなり多い。しかも、その効果は一時的なものになる可能性が強い。

 

(悩んでいるか……私の言うことが正しいと分かっているのだろうが……)

 

 文珠は貴重品だ。

 この力をうまく使えば戦局を一変させることも可能だろうし、戦術だけでなく戦略的にも影響を与えられるかもしれない。

 しかも、一週間に1,2個しか作れないのだ。

 これでもかなり量産できるようになったのだが、それでもそんなに簡単に使っていいものではない。

 いつ戦争が始まってもおかしくない。文珠の数はあればあっただけいいのだ。

 

「……やっぱり使うか。1個だけな」

 

 結局、一個だけ使うと横島は決める。

 そんな横島に、『天秤』は呆れながら、一つの決断を下した。

 

(やれやれ、結局この力を使うしかないか……)

 

 こういう時の為に与えられた力。

 『天秤』はこの力は必要ないと思っている。

 いくら文珠でも、神剣に心を食われたスピリットの心を戻せるとは思えない。

 だが、ルルーという例外もある。それに、こんなことで文珠を消費させたくもない。

 

 『天秤』はとある波動を出す。波動は、かつて魔神が文珠を封じたのに近いもの。言うなれば、改良型文珠封じジャミング。新たに与えられた力の一つだ。

 

 横島はルー・ブラックスピリットに文珠を飲むように指示する。

 指示を受けたスピリットは、怪しげな球体である文珠を戸惑う事も無く飲み込んだ。

 死ねと言われたら躊躇無く死ぬのかと、余りにも自我の乏しい行動に横島は顔を顰める。

 どうせだったら口移しで飲ませるべきだったと気づいたのは、飲ませて3秒後の事だった。

 

(さあ、俺に惚れるがいい!! そして、人肌の温かさを教えてやるわ!!)

 

 早くエッチな顔にならないかなあ、なんて事を思いながらルーの顔を眺めていた横島だったが、何だか可笑しい事になってきた。

 ルーの顔色が良くない。胸の辺りを苦しそうに押さえている。さらに大きく咳き込み始め、遂には文珠を吐き出してしまった。

 

「なっ!」

 

 吐き出された文珠を手に取り、呆然とそれを眺める。

 

『ふん、文珠如きで神剣に心を食われたスピリットを元に戻せるわけがないだろうが』

 

 いけしゃあしゃあと『天秤』は横島をなじる。『天秤』がジャミングをしているから、効果を発していないというのに。

 その心に罪悪感など存在していない。むしろ、満足感がそこにあった。

 自分の行動は正しく、間違った主を修正しているという実感が、堪らない快楽を『天秤』にもたらす。相手の間違いを正す事が『天秤』にとって趣味なのかもしれない。だからこそ、思い通りに動かない横島が好きになれないのだろう。

 

「おかしいぞ」

 

『何が』

 

「何で、文珠が消えないんだ?」

 

 文珠が効かないのならまだ分かる。

 だが、これはおかしい。

 効くにしろ、効かないにしろ、使ったのなら文珠は消えなければいけない。

 

『ふん。何を言おうが文珠が効かないのは事実だ。金輪際、文珠の無駄遣いは止めるのだな』

 

 文珠が効果を示さなかったのだ。衝撃は大きいだろうと、『天秤』は考えていた。

 だが、『天秤』の予想に反して、横島はそれほど落ち込まなかった。むしろ笑みすら浮かべている。

 

「そうかー文珠が効かなかったんだ。しょうがないよなあー」

 

 にやにやしながら、横島はスピリットを眺める。

 

「見せてやるぜ。俺のやり方を!」

 

 そう言いながら横島はスピリット達に近づいていく。

 文珠が効かないんだからしょうがないしょうがないと、心の中で理由を呟きながら、手をスピリット達に伸ばす。

 その目は欲望に満ち、口からは煩悩が溢れ出したかのような涎が流れていた。

 

「ねえセリア。ヨコシマ様は何処にいったのかしら?」

 

「さあ……あちらこちら動き回る落ち着きのない人だから」

 

 ヒミカは深いため息をついた。セリアも気の毒そうにその様子を見る。

 

「今度はどうしたの? また何か問題でも?」

 

「ちょっと書類関係でね」

 

 セリアの眉が吊り上がる。あの男を自分の仕事をしないで遊びに行っているのか。

 セリアが何を考えているのか察したヒミカが、慌てた声で訂正を加えた。

 

「いえ、書類関係はもう終わっているのよ。チェックしてみたけど、完璧だったから、最後に判子を捺して貰おうと思って」

 

 その言葉に、セリアは少なからず驚いた。悠人は未だに文字が読めず、こういった書類は任せられない。そのため、横島にかなりの量が任せられていたはず。

 

「頭は悪くないし、要領も良いし、決められた事は意外と真面目に守っているのよ……はあっ」

 

 横島を褒め称えるヒミカだったが、その顔色は冴えない。疲れのこもった溜息さえしている。ここ最近の横島のセクハラに、ヒミカはひたすら頭を悩ませていた。

 

(あともう少し真面目になってくれれば……)

 

 そう思わずにいられない。楽しくて、優しくて、強くて、仕事が出来て、細かいところにも目が届くし、顔だって真面目にしているときは結構ハンサムだし、女好きとはいえ子供達相手には紳士だ。男女のそれが良く分からないナナルゥには無茶な事を言わない。

 

(あと少し真面目なら、私は……)

 

 そこまで考えて、はっとした。あと少し真面目だったとしたら、なんだというのだ。

 

「ヒミカ? どうしたの、顔が赤いわよ」

 

「……ヨコシマ様が真面目になるなんて事、あるかしら」

 

「え? えーと、多分無いとおもうけど……」

 

「……安心したような……残念なような」

 

 赤くなったり、青くなったり、安心したり、がっかりしたり、百面相なヒミカ。何事かと思ったセリアだったが、何も聞かないことにした。どうせあの男の事なのだろうから。

 

「それにしても、少々身勝手……いえ、自由過ぎるわ。大体、隊長がどこにいるか分からないってどういうことよ」

 

 セリアが毎度の如く不満そうに言った。

 訓練が終わって、横島から下された命令はこんなものだった。

 哨戒任務以外のスピリットは各自自由行動。

 何ともな放任主義だ。

 だが、これは悪い方向には今のところ働いてはいない。

 真面目かつ努力家で、横島と悠人が大好きなヘリオンは、自主的にトレーニングしているし、ネリーやシアーもそれに付き合っている。ヨコシマ様に格好の良いところを見せようとやる気十分なのだ。それに付き合う形で、年長のスピリットも一人は訓練している。

 第二詰め所の士気の高さが伺える。

 

「ヨコシマ様が行くような所といえば……」

 

 その動き回る原因のほとんどが女性限定である、ということに二人は気づいた。

 だとすれば、いるところは一つ。女性が多くいるところだ。

 町か、あるいは……

 

 ――――ぁん。

 

「……セリア、今何か?」

 

「ええ、聞こえたわ」

 

 二人は聞こえてきた声に体を強張らせた。

 今まで聞いたことがない妙な声。

 ヒミカは咄嗟に永遠神剣『赤光』を取り出し、周囲の様子を探る。

 

「ヒミカ、ヨコシマ様の神剣反応は?」

 

「……バーンライトのスピリット達が暮らしている所にあるわ。スピリット達と一緒みたい」

 

 物凄く嫌な予感が、二人の胸中を駆け巡る。

 ついこの前にあった騒ぎを、二人は思い出していた。

 

『小さい針の穴に、野太い糸を挿入事件』

 

 完全にヒミカとセリアの勘違いだったのだが、あれはかなりの失態だった。

 あの件に関しては完全に早とちりで、さらに妙なことを想像してしまった自分達はかなりマヌケだっただろう。その後にしてしまった行動も、ヒミカにとっては大失態としか言いようがない。

 その時とよく似た感覚に、ヒミカたちは襲われていた。

 

 ――――ぁぁぁ~ん。

 

 奥からは、いまだ妙な声が響いてくる。

 まるで喘ぎ声のように聞こえる女性の声に、二人は頭を抱えた。

 大の女好きな横島が、逆らうことができない美人のスピリットたちのところに居る。

 そこからはスピリットの妙な声が響いてくる。

 少ししか横島を知らないものならば、何か如何わしいことをやっているのではないかと勘ぐるだろう。

 だが、二人は一つ屋根の下で暮らして、少しずつ横島を知り始めていた。

 二人は横島を最低限度くらいは信頼している。下劣で、変態的な行動を横島は確かにする。風呂覗き、おっぱい揉み、エトセトラ……

 だが、最悪に下劣な行動は取らない。取れるほど度胸が無い。本当に最低限のモラルは持っている。

 これが二人の横島評だ。それに、スピリットに同情的でもあるし、乱暴な人物ではない。

 では何故、横島の元に行くのを躊躇うのか。答えは簡単。

 

 絶対にまたずっこける!!

 

 ほぼそれは確信であった。

 絶対にまた馬鹿らしいことをやっているに決まっているのだ。

 さてさてどうしたものかと二人は考え込む。

「ヨコシマ様が変なことをやっているようなので、近づきたくありません」

 こんな馬鹿な理由で報告を止めるわけにもいかない。ヒミカは頭を抱えた。

 

(どうして、同じハイペリア人でこうも性格が違うの?)

 

 能力的な高さを利用して、横島は悠人よりも高評価を得ようと躍起になっていたのだが、能力をプラス評価されるよりも、性格のマイナス面が大きく足を引っ張っていた。

 もっとも、横島のほうは低評価というよりも評価不能のほうが正しいのだが。

 段々とヒミカのほうも横島に対して遠慮がなくなりつつある。

 

 セリアのほうも、横島の扱いにはかなり難儀していた。

 嫌いでくだらない相手なら、軽くあしらって無視をするのがセリアのやり方だが、横島の場合は強烈な個性がそれを許さなかった。近づけば、無理やり引き付けられてしまう。

 

「セリア、お願い。少し様子を見てきてくれないかしら」

 

「はあ!? 何で私はそんなことを!」

 

「ヨコシマ様が変なことをしていたら、貴女が止めてくれるんでしょう!」

 

「それはヒミカの役目でしょ! ヒミカだってヨコシマ様を殴ってるじゃない!!」

 

「……私だって殴りたくて殴ってるんじゃない! 私は、私はね!! もっと規律や上下関係を重視したいの!? でも、出来ないの!! だってヨコシマ様なんだもの!!」

 

 自分達の隊長をどちらが多く殴ったかを互いに言い合う。この時点で、この第二詰め所の隊が相当変わっていることが分かる。あの横島を隊長にしてしまったのだ。こうなってしまうのも、当然と言えるかもしれない。

 二人はどちらが多く殴っているか、どちらが横島の元へ行くか、激しく議論を交わす。精神の安定のため、横島に近づくのを可能な限り避けようとしているのだ。嫌な料理を相手に押し付け合いしているようなもので、まるで子供のようなメンタリティである。

 その時、小さな子犬のような声が後ろから聞こえてきた。

 

「え~と……お二人とも何をしているんですか?」

 

 いきなり後ろから声を掛けられ、二人は飛び上がるように後ろを見る。

 そこにはツインテールで子犬のようなヘリオンが、困った顔でこちらを見ていた。

 きゅぴ~んと、二人の目が怪しく光を放つ。

 

「良い所に来てくれたわ、ヘリオン!」

 

「ええ、ほんとに!」

 

「ふえ?」

 

 手を叩いて喜ぶ二人にヘリオンは呆けたような声を上げる。

 ヘリオンからすれば何故ここまで喜ばれるのかさっぱり分からない。

 

「ヨコシマ様が第三詰め所にいるみたいなんだけど、少し様子を見てきて欲しいのよ。出来ればここに呼んできてほしいの。私達はここで待っているから」

 

「えーと……別に構いませんけど」

 

「そう! じゃあお願いね!」

 

 がしっと二人に両手を掴まれて激励される。

 ヘリオンには何がなんだかさっぱり分からなかったが、とにかく期待されているのは分かった。

 

「了解しました! がんばってきます!!」

 

 勢い良くヘリオンは返事をして、元気よく走っていく。

 その姿は、まるで肉食獣の元に向かう草食動物の姿のようにセリアには見えた。

 少し可哀想に感じるが、これも精神の平穏のためと、自分を納得させる。

 そして、少しの時間が流れて、

 

「きゃああああああ!!」

 

 突然聞こえてきたヘリオンの絶叫。

 その悲鳴を聞いて、二人はすぐに横島の下へ駆け出す。

 

 大丈夫だと思っていたが、本当に如何わしい何かをしていたのか!?

 はたしてヘリオンは大丈夫なのか!?

 

「ヘリオン! 大丈夫!!」

「ヨコシマ様! 一体何を!!」

 

 第三詰め所の中に飛び込むセリアとヒミカ。

 そして、彼女たちはとんでもない光景を目撃する!!

 

「さあ、鳴け! 鳴くのじゃあ~!!」

 

「にゃ……にゃああ~~ん!?」

 

「きゃあああ、可愛いです!!」

 

 ゴン!! そんな如何にも痛そうな音を、二人は己の額と床で紡ぎ出す事に成功する。

 二人は自分達が想定していた通り、見事に転んだ。それも、天井に両足を向けての、古典的漫画の転び方だ。第二詰め所の戦闘服がスカートでないのが惜しい所である。

 

 馬鹿なことをしていると想定はしていた。だがしかし、今目の前で繰り広げられている行為は、馬鹿なことなのかどうかも判別不能だった。

 

「なんですか、これ?」

 

 赤くなった額を摩りながら、ヒミカはぽつりと漏らす。目の前で繰り広げられるモノには、そう言うしかなかった。

 第三詰め所のスピリット達は、頭に妙なものが付けられていたのだ。

 動物の耳のような妙なアクセサリーが。しかも、スピリット達は動物の鳴き声のようなものを上げている。その横でヘリオンは瞳を輝かせていた。意味不明だ。

 ヒミカの質問に、横島は仰々しく、偉そうに答えた。

 

「これは日本の……こちら風にいえばハイペリアの文化なのだ!」

 

「ハイペリアの文化……ですか?」

 

 横島の言葉に三人は目をぱちくりさせた。

 文化と言われれば、何となく高尚な気がしてくるから不思議なものである。

 三人が沈黙したのを見計らって、横島は演説するように喋り始めた。

 

「そう! 人はこれをネコ耳と言う!!」

 

 ネコ耳。

 それは日本で生まれた? 萌アイテムの一つ。

 これでにゃんにゃんされたりしたら、もうとにかくにゃんにゃんである。

 意味が分からない人もいるだろうが、心で感じて欲しい。

 

「はあ……それで、ネコ耳とやらをスピリットに付けて、何を?」

 

 率直かつ当然の疑問。

 ヒミカ達にすれば『だからなんなの?』としか感想が出てこない。

 

「う~ん、そうだなあ……このスピリット達を見てどう思う?」

 

 横島が指差したのは、目に何の光もない人形のようなネコ耳スピリット達。

 

「哀れですね」

 

 心の底から、セリアは思った。

 笑えたし、泣けたりもしたはずなのだ。

 だが、人間の調教によって全て奪われた。今なんてネコ耳なんてものを着けられている。

 

 スピリットの調教方法は幾つかあるらしい。

 スピリットは美しい女性で、さらに人権など無いから、口に出すのもおぞましい方法もある。ただ、人間たちはスピリットを毛嫌いしているため、性的対象で見ることはほとんどない。

 他にも調教方法は幾つかあるが、基本的に調教は心を、存在を、あり方を否定することにある。

 笑えばそれを否定され、怒れば意味が無いと言われ、泣けば無価値と評される。

 もし、そのような仕打ちを受ければ、スピリットは間違いなく人間を恨む。

 逆らえなくても、心を持つ一個の存在なのだから。

 恨みという感情も一つの思いであり心なのだから、別に恨みで心が消えるわけではない。

 だから、人間はこう言うのだ。

 

 その恨みも意味は無い、と。

 

 こうしてスピリットは喜びも、怒りも、悲しいという感情すらも奪われ、失意のどん底に叩き落される。さらには失意すらも奪われて自らの意思を完全に無くし、自らの神剣に心を奪われるのだ。

 こうなれば、まったく喋らなくなるから煩わしくないし、パワーも上がる。

 これが、人間たちの理想とするスピリットの姿。

 

 セリアたちはこのような調教を受けたことは無い。

 ただ、話として聞いただけである。過去にラキオスもこのような調教をしていたらしい。

 その時、何らかの事件が合ったらしくて、エスペリア以外のスピリットがラキオスから消えた事実がある。

 だから、ラキオスはこのような調教はしていない。

 その代わり、別な調教方法を幼少のスピリット達に、特にオルファリル・レッドスピリットになされている。

 

「俺はこんなことは許せない。女の子は笑っていたほうが可愛いからな。だから、俺は必ずスピリットの心を取り戻してみせる!!」

 

 人間たちに砕かれた心の救済。スピリットの心を取り戻そうと言うのだ。

 こんなことを考えたものは誰もいない。

 ヘリオンなどは「ヨコシマ様、格好良いです!」と顔を赤くしていた。

 横島も「ふっ、俺ってカッコイイ!!」などと言ってナルシスト気味にポーズを取っている。

 セリアもヒミカも、正直嬉しかった。こんな人物が自分達の隊長なのだと。下心が見え見えだとしても、とても嬉しかった。感動すらした。

 しかし……

 

「ヨコシマ様の気持ちは良く分かりました。スピリットとして、嬉しく思います……ですが!

 このネコ耳とやらが一体何の役に立つと言うのですか!!」

 

 セリアが吼えた。当然だ。

 横島はにやりと笑う。

 

「さあ、皆もう一度だ!」

 

「にゃ……にゃ~ん……」

「にゃん」

「にゃにゃ~ん」

「にゃ……ん」

「にゃ~~~」

「……にゃ」

「うにょら~」

「ゃん」

「んにゃん」

「にゃーにゃー」

 

「だから! それに何の意味が!」

 

「ちょっと待って、セリア」

 

 横島に掴みかかろうとしたセリアだったが、それをヒミカに制される。

 そして、良くスピリット達を見てと促されて、注意深く見ていると、あることに気づいた。

 

「困惑……してるの?」

 

 セリアはネコ耳を付けたスピリット達が、目の奥に僅かな揺らめきがあることに気づいた。

 困惑や羞恥の感情が見え隠れしているのだ。一部のスピリットは楽しそうでもある。横島は得意そうに喋り始める。

 

「気づいたんだけど、心を食われていても程度があるらしくてな。

俺が厳選した萌え言語100選を言わせてみると、何人かのスピリットは妙に言いづらそうにしてたんだ」

 

「なんですか……それ」

 

 この人の思考はまるで分からない。萌えとは果たしてなんであろうか。

 理解できないし、したくも無いような気がする。

 

「萌とは何か……様々な考え方はあるけど……全ての根本は心だ。俺は、萌を通じて心を取り戻してみせる!!」

 

「はい! 私もがんばります!!(ネコ耳可愛いです!!)」

 

 うおおーーと、二人で盛り上がり、横島とヘリオンは咆哮した。

 馬鹿だ、馬鹿がいる。ヒミカとセリアは頭を抱える。

 しかし、馬鹿な考えであっても、悪い考えではないかもしれない。

 ほとんど失ってしまった心の中で、横島は女性としての羞恥心が僅かに残っていることに気づいたのだ。それを刺激するのは、横島自身が好かれるか好かれないかは別として、悪い方法ではない。

 それに、スピリット達が困惑しているのは、何も恥ずかしいだけではない。

 一体自分達は何をやっているのだろうと、自分自身に対して疑問を投げかけているのも原因だった。簡単に言えば、自分で自分を見ているのである。

 だが、健全な精神の持ち主であるセリア達には、何とも納得し辛いものがあった。

 

「し、しかし、わざわざこんなネコ耳など付けなくたって別の方法も……」

 

「何を言う! このネコ耳があるからスピリット達は恥ずかしがっているのだ!」

 

「うっ……そういうことなら、仕方ないのかもしれません」

 

 歯切れが悪そうにセリアが言う。

 物凄く馬鹿らしく見えるが、ちゃんと筋は通っている。

 もっと良い方法があるのではないかと思うが、これでも横島がスピリットの為に考えて実行してくれたのだ。

 納得しきれない所もあるし、文句を言いたい部分もあるが、それでも感謝できた。

 良くも悪くも、これほどまでにスピリットの事を考え、自分の欲望を満たしつつ、実際に行動してくれる人物なんて見た事ない。

 

「それに、俺がネコ耳を着けさせた理由はこれだけじゃないんだ」

 

 まだ何か考えがあったのかと、セリア達は横島に注目する。

 呆れつつも、何かに期待している自分がいる事を、セリアもヒミカも少しだけ気づいていた。

 

「俺は……俺は! 可愛い女の子が、萌えでエッチな格好しているのが大好きだあーーー!!」

 

「大声で力説することではありません!!」

 

 結局それですか~と、セリアは横島を張り倒す。

 スピリットが人間を殴り倒す光景。

 そのありえない光景を、バーンライトのスピリットが見る。

 その光景に何を思うのか、何も思わないのか、それは分からない。

 少なくとも、この世界で、この場所は、異次元空間だった。

 

「ぐはははは!! 萌えの文化は無限に広がる! 俺は異世界にもこの文化を広めるのだ!! スピリットよ、エロエロになれ!!」

 

「いいから黙りなさい!」

 

「ゴフッ!!」

 

 大きいのか、小さいのか、さっぱり分からない野望を抱きながら、横島はセリアの鉄拳を受けて再び床に沈んだ。

 その時だった。一人のブラックスピリットが手を広げて、横島を庇うようにセリアに立ちふさがった。

 

「な、何よ! 私は貴方達の為を思って!」

 

「……頼んでない」

 

 助けようとした対象に、にべもなく言われて、セリアは絶句する。

 同時に、横島がブラックスピリットの背中に隠れて、ニヤニヤしていた。

 

「いやあ、ルーさんは優しいなあ!」

 

「……にゃん」

 

 本当に小さくだが、ブラックスピリットが笑った。

 その笑みに、横島の胸が熱くなる。ようやく浮かべてくれた自発的な笑顔が、とにかく可愛い。そして嬉しい。思わず笑顔になってしまう。すると、ルーも、また笑顔を浮かべた。彼女もまた、自分の笑顔が、横島を笑顔にさせたのだと分かったのだ。

 面白くないのはセリアだ。何故か自分が悪者のようになってしまっている。

 セリアとブラックスピリットがにらみ合う。

 その光景にヒミカは嘆息した。

 

 スピリットは、飢えている。

 愛する事も無く、愛される事も無く、娯楽も何も無い。

 疎まれ、憎まれ、ひたすら殺しあう毎日。ごく稀に愛されることもあるらしいが、それは女の尊厳を徹底的に破壊されることを意味するだけ。

 スピリットは、心に飢えている。

 

 そこに現れた、エッチで、悪戯好きで、優しくて、欲望に満ち溢れているのに無邪気な男。

 そしてなにより、本気でスピリットの為に涙を流して戦う戦士。

 彼のような存在を、どれだけのスピリットが長い歴史の中で待ちわびた事だろう。

 だが、彼はたった一人だ。

 

 ヒミカは、ふと窓から外を見た。

 すると、木から滴り落ちる限りある樹液をめぐって戦う昆虫の姿がある。

 これから先の、未来の光景を見た気がした。

 

 ―――――夜

 

 バンダナを額に巻いた青年が、仄暗く鉄くさいレンガの階段を下っていく。あたりに充満するカビの匂いは、生理的に人が顔をしかめるもので、恐らく人類に属しているであろう横島も例外なく顔を顰めていた。

 時たま見かける甲冑に身を包んだ男たちは、嫌そうな顔を横島に向けるが、どうでもいいことなので横島はまったく相手にしていない。

 横島の足取りは亀のように重い。

 その様子は、まるで歯医者に向かう子供のように見える。行きたくはないが、行かなくてはいけない。いや、その言い方だと少し語弊がある。少なくとも、横島はその場所にいる女性に合いたかった。それが辛い事になろうとも。

 彼女は何処にいるのだろう。

 悪い扱いは受けてはいないと聞いている。王女が命じたのだから大丈夫だとは思う。

ただ、こんなところに繋がれている彼女が可哀想だった。

 彼女に対して何が出来るのかはまったく分からない。

 それでも、何かしないわけにはいかないのだ。

 しばらく歩き、横島は彼女の元に到達した。

 

「何しに来たの、エトランジェ」

 

 牢屋の中に、彼女はいた。

 青色のショートカット。パッチリとした目元。食事を食べていないのか、頬はげっそりとしていて、より少年らしく見える。体育座りで、どこか覇気が感じられない。

 ルルー・ブルースピリット。横島を殺しかけた少女だ。

 

「え~と……元気か?」

 

「そう見える? だとしたら君の目はおかしいよ」

 

 どう贔屓目で見ても友好的な態度ではないルルーに、横島の顔が引きつった。

 これは難航しそうだと、横島はげんなりするが、それでも口は聞いてくれそうだ。

 話が出来るのであれば、可能性はないわけでもない。

 

「聞いてはいると思うけど、俺の口から言うぞ。ラキオスに所属する気は」

 

「ない」

 

 取り付く島もないとはこの事か。即答だった。

 余りにも頑ななルルーの様子に、横島はがっくりと肩を落とす。そんな横島の姿に、ルルーは少しだけ表情を軟化させて、息を吐いた。

 

「ボクだって戦士で、子供なんかじゃない。エトランジェが……ヨコシマ達が悪いわけじゃないって事ぐらい知ってる。……恨んでないわけじゃないけどね」

 

 戦争だったのだ。

 殺さなければ殺される状況で、横島とルルー達は殺しあう事になった。

 互いに権力者の駒にすぎないのだから、恨むべきなのは殺した当人ではなく、その権力者ではないか。

 時間が経過し、頭も冷えたルルーはそんな風に思い始めている。時間は感情を沈め、心を癒す最高の治療薬だ。

 しかし、それでもルルーは横島を許すことは出来なかった。

 

「でも、ラキオスが皆を殺したことに変わりないんだから! 絶対にボクはラキオス軍なんかに入らない!」

 

 今はもう亡きスピリットを模した人形、それを胸元で握り締めながら、しっかりとそう言った。

 ルルーが言うことは主観的であり、同時に客観的であった。

 恨みがあろうとなかろうと、家族を殺した相手の仲間にはならない。

 こう言われては、殺した事実がある限り仲間に引き込むのは無理だ。

 

 それでも、ルルーをラキオスに引き入れる手段が無いわけではない。

 その方法とは人質を盾にして脅すこと。

 仲間にならないならバーンライトのスピリットがどうなっても知らないぞ、そう脅せば間違いなく引き込めるはずだ。

 だが、その方法はいくらなんでも非人道的。

 出来るからやるというのは違うだろう。文珠で操るなど論外だ。

 横島は常識がある男ではなかったが、本当にやってはいけないことぐらいは理解していた。何より彼は臆病なのだ。些細な悪事は出来ても、真に女の子を傷つけることは出来ない。

 

「このままじゃ、処刑されるぞ」

 

 脅しを込める意味で、横島は低い声で威圧的に言った。だが、ルルーは鼻で笑って、

 

「だから?」

 

 自暴的にそう返した。

 自分の命も、夢も、何もかも捨てたから出せる声。

 神剣を持っていないのが幸いだった。もし、ここで神剣を手にしていたら心を食われていたかもしれない。

 横島は、ルルーの境遇については同情していた。辛かったのは分かる。悲しかったのも、苦しかったのも分かる。同情だってしていた。

 だがこんな言葉や姿を見にきたわけじゃない。

 

「まったく、これだからガキは困るんだよな。自分だけ苦しいって顔して」

 

「ガキって何よ! ボクは今まで本当に苦労してきたんだから!!」

 

 ルルーはすくっと立ち上がり、怒りを宿した瞳で横島を睨みつけた。その表情はついさっきまで疲れきった表情ではない。横島はピンときた。

 

「何言ってんだ。苦労しようがしまいが、ガキはガキだろ。それもしょんべん臭いガキだ」

 

「しょ、しょんべ……っ!!」

 

 ルルーは15歳という、思春期真っ盛りにある。当人にとっては、自分はもう子供ではない、という自意識が芽生えてくるころで、色々と難しくなってくるお年頃である。

 

「レディに向かって失礼じゃない!!」

 

「レディ? おいおい、そんな奴どこにいるよ。ここに居るのは貧相なガキだけだろ」

 

「ボク! ボクだよ!! レディは目の前にいるよ!! 目でも腐ってるんじゃないの!!」

 

「レディーねー」

 

 バカにしたような声を上げながら、横島はルルーを眺める。怒りの所為で赤みが差した顔は、非常に生気が溢れている。

 

「うん、確かに可愛いな」

 

 一転して正反対な事を言い出した横島に、戸惑ったのはルルーの方だ。

 

「な,何を!? 心にも無い事なんて、言わないで――――」

 

「目はクリクリしてて可愛いし、顔も小顔で、髪はサラサラだ。元気そうでも、がさつってわけでも無いみたいだし、プロポーションだって普通だろ。総評すれば、かなり可愛いと思うぞ」

 

 いきなりのべた褒めに、ルルーはただ顔を赤くして戸惑った。

 可愛いなんて言われた事など一度も無い。それも、異性に言われるなんて想像もしなかった。

 

「こんな可愛い子が女の子のわけないよな」

 

「や、やだ。やめてよ! そんなに褒められるとボク……はれ?」

 

「こんな可愛い子が、男の子だなんて!」

 

「な、ななっ! ボクは女の子だ!!」

 

 耳まで赤くして激昂するルルー。割と男っぽい自覚していたから、効果は抜群だ。

 お約束な展開に、横島は緩む頬を隠せなかった。

 

「嘘つきは泥棒の始まりだぞ……くくっ」

 

 にんまりと、邪悪そうに笑う横島の顔を見て、ルルーはからかわれている事に気づいた。

 

「こ、このおおお!! 馬鹿にして、殴る! いや、むしろ蹴る!! やっぱり噛む!!」

 

 鉄格子の隙間から必死に手を出して横島を殴りつけようとする。

 だが、横島は「HAHAHAHA!!」と笑いながら牢から離れた。

 変態におちょくられている事がルルーの頭を熱くする。その時、ルルーはある事実に気づいた。

 こんな変態の元に、お姉ちゃん達がいるのだと。

 

「お姉ちゃん達に何か変な事してないよね!? したら承知しないぞ!!」

 

「安心しろ。今はにゃ~んしているだけだ」

 

「その台詞で、何を、どう安心しろっていうの!?」

 

「じゃあ、どう安心できないんだ」

 

「あああ、腹が立つ! 一体何なの、君は!!」

 

「答えはきっと心の中に」

 

「無いよ! そんなもの!!」

 

「心を否定するな!」

 

「それ違う!」

 

 笑う、怒る、照れる、悲しむ。喜怒哀楽がはっきりしているルルー。

 そんなルルーに横島は親しみを感じていた。先ほどまで感情の無いスピリットと一緒にいた為か、ルルーの一挙一動がとても魅力的に見える。

 それは、煩悩でもなく、保護欲でもない。ルルー・ブルースピリット個人の魅力である、生きのよさ……もとい、元気のよさが元だった。言いたい事はしっかりと言う表現力と、気に入らない事に臆さず文句を言う反抗心。これがルルーの強さだ。

 なんとしても、ルルーが欲しい。第三詰め所にも、ラキオスにも……俺にも、この強さは必要だ。横島の目が、獲物を狙う肉食獣の如くギラリと光った。

 

「もし、俺がルー達の心を取り戻せたら仲間になるか」

 

「ふざけないで。どうせそんなの無理だから、答える必要なんて」

 

「仲間になるか、ならないのか。どっちだ」

 

 ルルーは少しだけビックリする。横島の声が真剣だったからだ。顔も真剣で、まるで別人のように見える。それは、単行本5冊の中から、一コマ程度の頻度でしか見られない、横島の本気の表情だった。

 軽薄そうな男が、急に妙な迫力を持った為に、ルルーはつい頷いて答えてしまう。

 

「う、うん。なるよ」

 

「絶対仲間にしてやるから、その台詞忘れんなよ。またな」

 

 それだけ言って、横島は元来た道を引き返していく。

 小さくなっていく背中に、ルルーは言い知れぬ寂しさを感じた。

 完全に横島の姿が視界から消えた時、思わず小さな叫びを上げそうになって、それを必死に飲み込んだ。

 横島がいなくなり、完全な静寂がルルーの元に訪れる。

 闇がより黒き闇に。

 静寂がより深き静寂に。

 周りの状況は横島と話す前と何ら変わっていない。それにも関わらず、何かが違う。

 

「くそぅ……人間の癖に……人間なのに……」

 

 湧き上がってくる寂しさが、ルルーには悔しかった。横島と話して、楽しかった事を認めざるを得ないからだ。

 基本的にルルーは明るく、人懐っこい。誰かの側にいることを強く望むタイプだ。

 お喋りも大好きだし、体を動かしたり、小物関係を身につけるのも好きな、少し勝気な女の子といえる。

 暗く、冷たい牢獄に一人ぼっちなんて、本来耐えられる少女じゃないのだ。

 

「あんなに喋ったのは久しぶりだったな」

 

 家族のスピリットは心を失い、まったく喋らなくなってしまった。

 何か効果があるかもとルルーは家族に語りかけたが、聞いているのかいないのかも分からず、何の反応もしないため、とにかく寂しかったのだ。

 だから、愚痴をこぼすのも怒るのもとても楽しかった。馬鹿な会話も、思い起こすと悪くはない。それだけではなく、自分の事をとても気にかけてくれたのではないだろうか。誰かに気にかけられるなんて、どれほど久しぶりだろう。それに、自分はヨコシマを殺しかけたのだ。その事を恨みもせず、こうして来てくれるなんて凄いことだ。

 無理だと言ったが、もし姉達が感情を取り戻してくれたら、何て素晴らしいことだろうか。

 悪い人間ではない。とても楽しい人間だ。仲間になれば、きっといい喧嘩友達になれる。

 それに、ラキオスのスピリットは感情を失っていなかった。

 もし、ラキオス軍に入ればもっとお喋りが出来る。何の会話もない冷たい食事じゃなく、賑やかな暖かい食事が食べられる。

 まだ、家族に心があったころの、楽しい食事が戻ってくるのだ―――家族を殺した連中と。

 

「あ~~もう! どうしたらいいの!!」

 

 頭を掻き毟り、うきゃ~と奇声を上げて悩み苦しむ。

 どうしたらいいのか。何が正しいのか。正解は何か。

 

「ねえねえ」

 

 結局どちらの答えを選んでも、悔いは残るだろう。

 失うもの、失われてしまったものがある限り。

 

「ねえねえねえねえ!」

 

「うるさいなあ! 考え中だから静かにして!!」

 

 でも、もしも、あのヨコシマというエトランジェが家族の心を取り戻してくれたら……そのときは……

 

「ねえ……ねえ」

 

「だからって声を小さくしてもしょうがないでしょ!!」

 

「うわ~ん! じゃあエニはどうしたらいいの~~」

 

 ここでルルーはようやく気づいた。

 鉄格子の向こう側にいる存在に。

 

「え……ええと、君はスピリットなの?」

 

「そうだよ、エニはスピリットだよ! お喋りしようよ」

 

 鉄格子の向こうには、にっこりと笑う金色の髪を持つスピリット、エニがそこにいた。

 その目は焦燥感に取り付かれていた。

 

 


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