永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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 日常編と銘打っているのは、見なくても本編には深く影響しない話となっています。

 では、どうぞ。




第十四話 日常編その1 メインヒロインって、料理が超絶に下手か上手いかの二つに分かれると思わないか?

 永遠の煩悩者 日常編その1

 

 メインヒロインって、料理が超絶に下手か上手いかの二つに分かれると思わないか?

 

 

 

 ある日の午後。

 午前の訓練が終わった悠人は、第一詰め所内で聖ヨト語の勉強をしていた。

 何とか話は出来るようになったが、まだまだ文字の読み書きが出来てはいないからだ。

 隊長である以上、どうしても目を通さなくてはいけない書類関係は存在する。なにより、読み書きは何をするにしても必須だ。文字が読めれば戦術の勉強もずっと楽になる。

 それに、妹である佳織は既に発音も完璧で、文字も読めると、オルファから聞いている。横島も同じく聖ヨト語をマスターしていた。悠人だけが未だに習得できていない。

 兄として、隊長として、そのちんけなプライドを守るためにも、文字を覚えるのは何より急務と言えた。せっせと悠人は勉学に勤しむ。

 

 その時だった。ここ最近の『あれ』がやってきた。

 またかと、自然と頭を抱える。

 一体どうすればいいのか、まるで見当が付かない。

 悠人は悩ます元凶である『あれ』――――彼女はすぐ後ろにいる。

 彼女からはどうやっても逃げられないのだ。

 いや、別に逃げる必要はない。別に敵ではないのだから。

 現状を打開する方法。それは、少し口を開くだけで良いはずなのだ。

 

「なあアセリア、何か用事でもあるのか?」

 

「……なんでもない」

 

 近くとも遠くとも言えない距離で、アセリア・ブルースピリットが抑揚の無い声で返事をする。

 用など無い、そう言いつつも目はじーっと悠人を見つめていた。

 

「用事が無いのに、何で見つめるんだよ」

 

「用事が無いと見つめちゃいけないのか?」

 

「そんなことは無い……と思うけど」

 

「だったら……うん……これが良い」

 

 一人納得したアセリアに、悠人はただ首を傾げるしかない。

 悠人はここ最近、ストーカーに近い行為をアセリアに受けていた。

 ストーカーと言っても、軽く追い回される程度のものなのだが、それでも追い掛け回されていることに変わりは無い。

 視線を感じたかと思うと、こちらを見ている。気が付くと後ろにいる。

 そんなことがここ数日、延々と繰り返されていた。

 無表情で何を考えているかは分からないが、少なくとも何かは目的があるはずだ。

 しかし、アセリアは何でも無いと言う。嘘を付いているようには聞こえないが、正直分からない。

 悠人はやれやれと肩をすくめた。

 その時、ギィと木の扉が開く音が聞こえた。

 

「悠人、いるか~」

 

 部屋に入ってきたのは横島だった。

 すると、アセリアは部屋からさっと出て行く。付き纏うのをやめたのかと悠人は思ったが、それは甘い考えだったらしい。

 アセリアは部屋から出るには出たが、部屋の外から顔を半分出して、じっと悠人を見つめていた。

 顔は無表情だが、コバルトブルーの瞳は何らかの意思を乗せて輝く。やってきた横島には、その状況がまるで飲み込めなかった。

 

「お前ら何してんだ」

 

「俺が聞きたいよ」

 

 扉の影から顔を半分隠して、じっと悠人を見つめるアセリア。そんなアセリアに困惑する悠人。何だかラブラブな感じがしないわけでもない。当人たちからすればそんな気はないのだろうが、横島からすればいちゃついている様に見えた。

 

「ラブラブか! ラブラブなのかコンチクショー!」

 

 横島は悠人に嫉妬団よろしく襲い掛かる。

 悠人は鬱陶しそうに横島にワンパン入れて吹っ飛ばした。

 どうやら横島は突っ込みを避けられないらしい。神剣を使わずとも、音速を超える槍すら避けられるにも関わらず。悲しきは突っ込みを避けられないボケの性質か。どうせ一瞬で治るので、悠人が横島の体を心配する事は、もうない。

 

「んで、なんのようだ。お前がわざわざ俺に会いにくるわけないだろ」

 

 知り合って二ヶ月も経っていないが、悠人は横島の性格をある程度把握していた。

 横島は男嫌いだ。何かしらの理由がない限り会いに来ることはない。

 

「当然だな。ほらよ」

 

 横島は悠人に何枚かの書類を投げた。

 その書類を見て、悠人は顔色を曇らせる。

 蛇がのたくり回ったような文字が羅列してある。分からないわけではないが、翻訳するのにどれほどかかるだろうか。

 

「んじゃ、後は任せたぞ」

 

 軽くそんな事を言うと、横島はきびすを返して部屋から出て行こうとする。

 当然、悠人は横島を引き止めた。

 

「ちょっと待て。何だこれは」

 

「見ての通り書類だ。マナの計算や、新しく入った技術者。他にも諸々あるぞ。一通り目を通して判子を押してくれ」

 

 それだけ言って出て行こうとする横島を、悠人は当然引き止める。

 

「待て待て待て! 何で俺がこんな事をやらなくちゃいけないんだ。これはお前の仕事だろ!!」

 

 こういった仕事は文字が分からなくては出来ない。絵本や五歳児でも分かる聖ヨト語を見て学習している悠人では、どれほど時間が掛かることになるやら。

 横島の方は読みも書きも出来るので、悠人の代わりにこういった仕事をやっていたのだ。これは仕事の放棄である。悠人にはそう見えた。

 悠人の怒りの問いに、横島は逆に憤然たる表情で悠人に向き直り、強い口調で言葉を返した。

 

「ふん、そんなことで佳織ちゃんを守れるとでも思っているのか!」

 

「何だと!」

 

「隊長ともあろう奴が、文字も読めず、書類作成もままならないようじゃ、佳織ちゃんを守るなど夢のまた夢!」

 

「ぐっ……しかし!!」

 

「俺はいいんだよ。この世界の文字は完全に把握したからな。……なあ悠人、俺はお前の為を思って言っているんだぞ。ただ単純に文字を見て覚えるよりも、実戦形式のほうが覚えやすいと思わないか? 変な所があったら、後で俺が修正してやるから」

 

 佳織の為。

 これは悠人の行動原理の大部分を占める。悠人は佳織の為ならば、不条理や不義理にも耐えて行動する事ができるのだ。

 悠人は言葉に詰まった。騙されているとは思わないわけではない。しかし、横島の言っている事は間違いなかった。

 しばしの思案の後、悠人は苦々しく思いながらも、結論を出す。

 

「……ちっ。分かったよ」

 

 ぶつくさ言いながら悠人は書類をかき集める。扱いやすい奴だと、横島は内心でほくそ笑んだ。

 この手を使っていけば、自分が受け持つ仕事を悠人に任せるのは簡単だろう。その間に自分は町に行って、あれやこれや出来るのだ。

 横島の顔が自然とにやける。にやけ顔が悠人の目に留まった。

 納得がいかない。

 自分が仕事をしている間に遊び呆けている奴がいる。

 どうにかして横島に仕事をさせたいが、口では絶対に敵わないと分かっている。

 何か方法はないかと考え、横島の特性に気づき、答えを出した。

 

「……だが、横島には一つ頼みがある。この詰め所の厨房を掃除してくれないか。エスペリアが城に呼び出されて、まだ片付いていないんだ」

 

「アホか。俺は色々と忙しいから。そんな事してる暇は―――」

 

「お前が台所の掃除をしたことをエスペリアが知れば、きっと感謝して―――」

 

「よっしゃ! 任せとけ!!」

 

 ブラックスピリットもかくやと言うスピードで、横島は厨房に消えていく。

 扱いやすい奴だと、悠人は呆れる。そして、自分が忙しい時はこの手を使ってやろうと決めていた。

 横島と悠人の性格は正反対と言っていい。

 女性にナンパなどできない、ヘタレで不器用な悠人。

 愛の伝道師であり、軟派で器用な横島。

 それにも関わらず、二人はどこかで似ていた。

 そんな二人を、アセリアはじっーと眺めていた。どこか羨ましそうにしながら。

 

 さて、厨房で洗い物を始めた横島だったが、本当にあっさり終了することになる。

 汚れた皿の上には水が張ってあり、特に苦労することなく汚れを落とす事ができた。

 しっかりと整理整頓された厨房は、初めてきた横島でも何処に何があるのかすぐ分かったぐらいだ。掃除や洗たくをするための前準備がしっかり整っている所辺りが、エスペリアの勤勉さを如実に示している。

 家事のプロフェッショナルのメイドの実力。それを妙なところで分かってしまった。

 

「よし、終わり! ふふふ、これでエスペリアさんは俺のものだ!」

 

『まあ、こんなにピカピカに厨房が綺麗になって。一体何処のどなたが!?』

『ふっ! それは俺ですよ、エスペリアさん』

『まあ、ヨコシマ様が。ありがとうございます! でも私はお礼に差し上げるものが……』

『いえいえ、気にしないでください。当然の事をしたまでですから』

『ああ! 何て謙虚で素敵なお方!! もうメチャクチャにしてー!!』

 

「わははは! なーんてな!!」

 

「……ん、そうなのか」

 

「そうなのだ……って!?」

 

 妄想を飛ばして一人演劇をしていると、いきなり後ろから声を掛けられて、飛び上がり驚きながら振り向く。

 そこには、ぼや~としながらこちらを上目遣いで見る、アセリアの姿があった。いつもの事ながら、考えている事がまるで掴めない。

 

「え~と、アセリアちゃん。何か用かな?」

 

 上目遣いで見つめられ、何とも奇妙なプレッシャーに横島は襲われていた。

 

「…………」

 

 アセリアは何も言わない。

 無言で横島をじっと見つめ続ける。

 

(だ、だめだ! この空気には耐えられん!!)

 

 ボケキャラとして、お笑いキャラとして、この空気は横島にとって毒そのもの。

 すぐさま自分が生きられる笑いとギャグの空間に世界を改変しようと横島は思ったが、想像以上に空気を変えるのは難しかった。

 

(ここは一つボケで……いや、駄目だ! アセリアちゃんが突っ込んでくれないとボケが死んでしまう。ならば突っ込みを……ボケなしで出来るかい!! ……だったらセクハラを……駄目だ! アセリアちゃんは雰囲気が幼すぎる)

 

 己の内で一人ノリツッコミを敢行するが、現実には効果が無い。

 一体どう動けばいいのか。

 このまま何も言わずに逃げるという手もあるのだが、それはあまりに情けない。

 横島は必死に何か話題になりそうなものは無いかと、辺りを見回す。

 そして、あるものに目をつけた。

 アセリアの髪である。

 青色の艶のあるロングのストレート。

 そんな柔らかい髪の中で、ひねくれものが存在している。

 そのひねくれものは、とある業界用語でこう呼ばれていた。

 

 アホ毛、と。

 

 非常に柔らかい髪質であるにも関わらず、重力に逆らい、『ニュートンよ! 俺は貴様を超える!!』とでも言いたげなアホ毛は、この上なく横島の興味を引いた。

 きゅぴーんと、横島の目が怪しい光を放つ。

 

 ツンツン。

 

 何の前触れも無く、アホ毛を引っ張る。

 一体どのようなリアクションを取ってくれるのかと、横島はワクワクしながらアセリアを見つめたのだが……

 

「…………」

 

 返答は無常な三点リード。

 

(くそ! この三点リード娘め!!)

 

 かの天才軍師も、動かぬ敵はどうしようもないと、嘆いたことがあったそうだ。

 もはやこれまでか。

 そう思われたその時、ようやくアセリアはその口を開いた。

 

「ヨコシマは……」

 

「なんだ! 何でも聞いてくれ!」

 

 ようやく話しかけてくれたアセリアに、横島は嬉々として先を促す。

 この沈黙から抜け出す好機を逃すわけにはいかない。

 

「ヨコシマは……いつもユートと何を話してる?」

 

 貝のように閉じられていた口から出てきた言葉は、やはりというか悠人の話題だった。

 横島はその言葉に顔をしかめながら、口を開く。

 

「悠人の奴と仲良くなりたいのか?」

 

 質問を質問で返す形となったが、横島の言葉にアセリアは目線を上にやったり下にやったりと、なにやら考え込んだ。

 

「よく……分からない……」

 

 肯定しなかったが、否定もしなかった。

 少なくとも考えたということは、それだけ悠人の存在がアセリアにとって大きくなりつつあると言うことだろう。

 

「ちくしょー! 悠人のやつ、エスペリアさんがいるくせにーー!!」

 

 自分の守備範囲内にいないとはいえ、悠人が飛び切りの美少女に想われていることは、嫉妬魔人である横島にとって耐え難いことだった。

 

「こんちきしょー! こんちきしょー! こんちきしょー!」

 

 悠人と書かれた藁人形に五寸釘をごっすんごっすんと打ち付け、カーン、カーンと小気味の良い音が響き渡った。

 二階から悠人の「くそ! 馬鹿剣……こんな痛みに俺は負けない!!」などと聞こえてくる。悠人の苦しみの声に、横島は「ケッケッケッ」と邪悪に笑った。

 

「ん……ヨコシマは何やってる?」

 

「ああ、これは……ハイペリアの儀式みたいなものだ。好きな奴にでもやるといいぞ。ばれないようにな」

 

「そうか」

 

 アセリアは相変わらず素っ気無かったが、目だけは藁人形に釘付けだ。アセリアはハイペリア(悠人の世界)に高い関心を持っている。これ以後、時々夜中にカーンカーンという音が聞こえてくるようになるのだが、それはまた別な話。

 

「それじゃあ、俺はこれで」

 

 色々と話し終えた横島はそそくさと、この場から離れようとした。このまま話し続けていても、あまり面白い事にならないと感じたからだ。

 だが、アセリアはひょいと横島の服を掴むと、汚れのない青の瞳を向けてくる。

 

 ――――アセリアからは逃げられない!!

 

 どこかの大魔王のようなアセリアに、どうしたものかと、横島は考え込む。

 嫉妬団の一員として、ここでアセリアと悠人を仲良くさせたくはない。だがしかし、それは目先のことしか考えていない。そう、物事は大局的に、長期的に考えなくてはいけないのだ。

 

 今現在、アセリアは守備範囲外だ。悠人に興味を示している。

 最近ヒミカなどは「もう少しユート様を見習ってください」などと言いはじめている。他のスピリットも、悠人に妙に肩入れをしているような気がしていた。このまま悠人を放置すれば、異世界での濡れ濡れハーレム生活計画に支障を与えかねない。

 だとすれば、悠人をいち早く誰かとくっ付けたほうがいいのかもしれない。

 横島の脳内に存在する、ヨコシマン型エロピューターが結論を出した。

 いくら自分の守備範囲内にいないとは言っても、横島が男と女のキューピッド役になるなど本来ありえない。これは、横島が如何に悠人を警戒しているのかを示していた。この男こそ、ハーレムを目指す上で最大の障壁だと、この時点で気づいていたのである。

 

「男は女の子の手料理に弱い!!」

 

 びしりと、横島はアセリアに指を突きつけながらきっぱりと言った。

 アセリアは少しだけビクリと反応して、何かを考える。

 

「私は……ユートを倒したくない」

 

「いや、その弱いじゃなくてな」

 

 苦笑を浮かべる横島。頭が弱いとかではなく、単純にそういう方面に思考そのものが行かないのだろう。もしくは何も考えていないのかもしれない。

 

「男は、美人の料理は大好きだって事だ。アセリアちゃんが悠人の奴に何か作れば、きっと泣いて喜ぶぞ」

 

「そう……か」

 

 小さくそう返事をすると、アセリアはまた何かを考え込んだ。

 

「手は……握ってくれるか?」

 

「はっ?」

 

「…………ヨコシマのせいで」

 

 アセリアは少しだけ目を細めて、横島を見つめた。

 そんなアセリアに、横島はただただ困惑するのみ。一体何を言いたいのかまるで分からない。ぽつりぽつりと喋って、前後の文に繋がりがまるでないのでは理解しようがなかった。ただ、何か恨まれているような感じがした、

 

「なあ。俺、何か悪い事したか?」

 

「何でもない。料理……したことないけど……うん、やってみたい」

 

 やってみたいと、アセリアは静かに、だがはっきりと主張した。

 実は言うと、ここまで明確に自分の意見を言う事は、アセリアにとって始めての事だったりする。やる気のアセリアに横島はうむと頷く。

 幸い、先ほど厨房を掃除したおかげで、食材が一通りそろっている事は把握している。

 

(料理なんてほとんどしたことはないけど、野菜炒めぐらいなら、俺にでもできるよな?)

 

 偉そうなことを言っておきながら、横島は自炊などほとんどしたことがない。

 せいぜい米を炊いて、肉や野菜を炒めて塩コショウをぶっかけるだけ。

 男の一人暮らしなんてそれが当然。

 はたして料理を作れるのか少々の不安はあるが、横島は決断した。

 

「じゃあ、まず野菜を切ってくれ」

 

 台所にあった食材を色々出して、アセリアに指示を出す。

 神剣なんてものを扱っているのだ。包丁も扱えるだろうという判断だ。

 切って、炒めて、軽く塩胡椒を振りかける。

 それだけで十分だと、横島は考えていた。その程度しか出来ないともいえる。下手に手を加えると、とんでもない物が生まれてしまうからだ。横島は自分の実力のほどを、よく理解していた。この実力を弁える事は、料理を作る際に極めて重要な能力だったりする。

 

 アセリアは頷くと、意外と俊敏な動きで包丁取り出した。

 そして、危なげない手つきで包丁で野菜を切り始める。

 キャベツに似たようなものや、レタスそっくりの野菜たちを、手際よくトントンと切り出した。

 

 意外と大丈夫だ。そう判断した横島は自分の仕事を開始した。

 まず、皿の上にロールパンを乗せる。そして、皿の端にバターをそえる。 これで一品。簡単だが、普通に美味い。

 次に、エーテルコンロで湯を沸かす。スイッチを捻ってそれで終わりだ。ここら辺の技術は、見た目の中世とは思えないほど高い。いや、燃料の面で言えば、無限に使えるこのシステムは最高と言えた。

 マナをエーテルという燃料に変換してそれによって機材を動かし、使われたエーテルはまたマナに変換する。

 無限のサイクル。決して消えない燃料。

 欠点はマナの総量が増えない事だが、正に無限の燃料だ。

 ここで、横島の頭に疑念が芽生える。

 

 都合が良すぎないか?

 この奪い合いの世界で、こんなにも都合が良い便利なサイクルが存在するのが変ではないか?

 そもそもこんな技術は何処からやってきた? 

 

 横島はこのサイクルが気にくわなかった。便利この上ないが、何だか気に食わない。この世界に相応しくない。何かが変なのだ。便利だからなんでも良いとか、こんな中世時代にこんな道具があるなんて変だとか、そういう類の話ではない。もっと根本的な所。

 

 何気なく髪の毛を一本引き抜き、霊力を使ってすり潰す。すると、髪の毛は金色のマナの粒子になって消えていった。別に珍しくもなんとも無い。エトランジェ(来訪者)の体はマナで構成されている。髪の毛のように小さい部分のエーテル結合を切断すれば、マナの霧に帰るのは当然の事だ。マナで作られた体は頑強で、神剣や霊力を使わなくてもプロレスラー並みの怪力を引き出すことも出来る。あくまでも人間の範疇だが。

 

 おかしくない。でもおかしい。何がおかしい? おかしくない事がおかし――――――ー

 

『混入』

 

 やはり、おかしい。別におかしくない。世界が、自分が、おかしい。おかしい。おか……しくない。おかしい。おかしい。おかしくないおかしいおかしくないオカシくないおかしオカシクナイおかシいカカシカクナいないかしい―――――

 

 凄まじい吐き気に襲われる。

 気持ちが悪い。眩暈がする。得体の知れない汗が滲み出す。

 早くこの異物を――を吐き出さなければ。

 こみ上げてくる吐き気に逆らわず、全てを吐き出そうと胸と喉に力を入れる。

 だが吐き出せない。

 

 そんな横島を、『天秤』は不快そうに、だが感心したように観察していた。

 

(これほど厳重に思考プロテクトを重ねていると言うのに、自分の存在に疑問を持つとは……いや、だからこそか)

 

(そう、だからこそ。強い力は絶対に何かしらの制限を受ける。副作用を引き起こす。それは、貴方も永遠幼女婆さんも……アシュタロス様も一緒ね)

 

 本来生じるはずの疑問は封じ込められている。

 そうした事によって、何故自分は疑問を持たないのであろうと疑問を持っているのだ。

 ならば、何故自分は疑問を持たないのであろうという疑問を封じればいいような気もするが、それをやったら堂々巡りになってしまう。

 何かかしらの行為は、意図していなかった副作用を引き起こす事を、『天秤』も理解し始めていた。メリットもデメリットも、ただそれのみでは存在できない事を。

 

「ん……終わった」

 

 包丁の軽快な音が止まる。思考をアセリアに戻す。すると、すっと気分が楽になっていった。

 

「ん……どうした? 汗……凄い」

 

「いや、何でもないぞ! さて、切り終わったのか!?」

 

 身振り手振り大きな動作を取りながら、横島はアセリアの切っていた野菜を見てみる。

 考えない事。疑問に思わないこと。それが気分を良くする最良の行動である事を本能的に分かっていた。

 そこで、妙なことに気がつく。

 まな板が無い。

 

「アセリアちゃん。使ったまな板はどこにやったんだ。木の板みたいなやつなんだけど……」

 

「……ん……一番切るのに苦労した」

 

 そう言ってアセリアは、目の前の皿を指差す。

 そこには、緑色の粉と茶色の粉の山がこんもりとあった。

 元は野菜とまな板と呼ばれていたそれは、吹けば吹き飛ぶ粉と化していた。

 

(切った! 切りましたよこの娘は!!)

 

 神剣でもない包丁でまな板を切る。種類の違う野菜も、お構い無しに全て一様に切り刻む。しかも、スーパーみじん切り。

 『ラキオスの青い牙』の二つ名に相応しい腕前だ。場違いとは思いつつも、流石だと横島は感嘆した。

 しかし、これは横島がどのように切ればいいのかをまるで指示しなかったのも問題だった。切り方などは十通り以上あるのだから、教えなければ切りすぎるのも当然だ。そんな事も分からない横島に、料理を教えるなど不可能だったのである。みじん切りは無いにしても、だ。

 

 現在の被害。

 まな板が一個。

 

(なんだよ現在の被害って! こんな書き方したらまだまだ被害が増えそうだろうが!!)

 

 地の文に突っ込みを入れていた横島だが、ここであることに気づく。

 重要なことを忘れていたのだ。

 

「なあアセリアちゃん。エスペリアさんって調理器具とか大事にするのか?」

 

「いつも、ピカピカにしてる」

 

 さすがはメイドさんだけの事はある。

 道具を大切にして、常に手入れを欠かさないようだ。

 

 もし、その道具を壊されたらどうなる?

 

 被害がまな板だけなら、笑って許してくれるかもしれない。

 だが、これ以上被害が増えたら、果たして許してくれるだろうか。

 ああいう優しいタイプは怒ると非常に恐いのだ。

 しかも、セリアのように怒るのではない。黒くなるのだ。

 

 背筋が寒くなった。

 この時点で横島の霊感は逃げろ逃げろと訴えかけてくる。

 すぐさま料理などやめて、この場から離れろと。

 しかし……

 

「ヨコシマ……次はどうしたらいい?」

 

「うっ……」

 

 何の汚れもない純粋な瞳が向けられる。

 その瞳には、いつものアセリアではありえないほどの感情が込められていた。

 横島には、ここで断る勇気などありはしない。

 だが、勇気は無くても横島は悠人とは違い狡猾だった。

 

「なあ、アセリアちゃん。今回料理を作ったのはアセリアちゃんだけで作ったって事にしてくれないか」

 

「何でだ?」

 

「そうすれば俺に責任が来ない……じゃなくて、悠人のやつも喜ぶと思うんだ」

 

 ここら辺の小賢しさは正に横島。

 この料理が引き起こすであろう惨劇に、自分は関係してないことにしたのだ。

 

(どうせ食うのは悠人の奴なんだし、メインで作るのはアセリアちゃんだから、俺は別に関係ないよな!)

 

 料理を提案したのは横島なのだから、首謀者と行ってもいいはずだろうが、そのあたりは横島頭脳が完全にスルーした。

 アセリアはそんな横島の邪悪には気づかず、良く分からないけどヨコシマがそう言うならと、あっさり約束した。アセリアは純粋である。

 

「そんで、刻みすぎた野菜は……どうするか」

 

 炒める予定だったが、あんな粉になってしまった以上、炒める事は難しい。

 ここでミスターな味っこや、究極や至高な料理人なら色々と考え付くのかもしれないが、当然の如く横島の頭脳では不可能であった。

 

「野菜炒めに、肉は入れないのか?」

 

 アセリアのその言葉を聞いて、横島ははっとした。

 野菜はこの際諦めて、肉を焼こうと。肉を焼くだけなら難しくない。焼いたら、調味料を振り掛ければ十分だ。肉とスープとパン。この三点で十分だろう。

 すぐさま肉を捜す。だが、携帯用の干し肉があった程度で、厨房に横島達が求める肉の姿は無かった。

 

「参ったな。何処にも肉が無いぞ」

 

 材料が無くてはどうしようもない。

 いくら神剣が使えようが、霊能力があろうが、こればかりはどうしようもない。無から有は生み出せないのだ。

 

「肉が必要か?」

 

「ああ、できれば欲しいんだけど」

 

「待ってろ」

 

 すたすたすたと、アセリアは厨房を出て行く。

 程なくして、アセリアは戻ってきた。

 

「エヒグゥ……捕ってきた」

 

 アセリアは手にウサギのような動物を持ってきた。エヒグゥと言う動物らしい。

 白い毛に覆われ、目は赤く、耳は長い。額に小さい角がある。細部はウサギと違うが、それでも似ている。

 ウサギもどきは、手の中から逃れようと必死に暴れていた。生きている。

 

「ん……いく」

 

 そう呟くと、アセリアは永遠神剣『存在』をエヒグゥに近づけて……

 

「ちょっと待った!」

 

「なんだ」

 

「それをどうするつもりだー!」

 

「肉だから……食べる」

 

 なんという単純……いや、純粋さなのだろう。

 あまりの純粋さに、横島の目から塩分過多な水が溢れそうになった。

 

「いや、やっぱり生きてるのはちょっと……」

 

「鮮度が良い方がおいしいってエスペリアは言ってた……と思う……もぐもぐ」

 

 アセリアは別にふざけているわけではない。

 本当にがんばって美味しい料理を作ろうとしているのだ。

 だが、こういうものはがんばればがんばるほど、状況がより悪くなると昔から相場が決まっている。

 

(つ、疲れる……)

 

 肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労がかなり溜まってきた。

 何やってんねん、と突っ込みを入れたくはなるのだが、一生懸命さと幼い顔立ちのせいか突っ込みづらい。すれていなさすぎるというのも考え物だ。

 

「じゃあ……もぐもぐ……次は……もぐもぐ、どうすればいい。ごっくん」

 

「う~んそうだなあ……ところで、さっきから何を食べていらっしゃるのでしょうか?」

 

「パン」

 

「何やってんねん!!」

 

 裏手でビシッと突っ込みをアセリアに入れる。突然胸を叩かれたアセリアは、少しだけ眼を大きくして横島を見つめた。

 

「腹が減っては料理は出来ないって、オルファが言ってた。ハイペリアの、大切な言葉だって」

 

 胸を張って、自信ありげな顔をして見上げてくるアセリアに、横島は泣きたくなった。

 天然と純粋と不思議ちゃんを掛け合わせたアセリアに、手も足も出せない。ひょっとしたら、横島はアセリアの事が苦手なのかもしれなかった。

 

「ヨコシマ……どうして頭を抱えてる?」

 

「いやーどうしたもんかなーと」

 

「大丈夫……うん。私に任せろ」

 

 ―――――やばい、活き活きしてる。

 

 目を爛々と輝かせ、アセリアは台所に立つ。何処からやってきたのかわからない謎の自信を漲らせたアセリアの背中に、横島は終末を感じた。

 もはや止められない。自分というブレーキでは、猛進する少女を防げない。

 はぢめてのおりょうり補正。

 横島は運命に屈した。

 

「甘味料入れすぎ~~!!! バケツ一杯入れて……だからって香辛料入れてもしょうがないだろ~~~!!! 沸騰してる!! 鍋が沸騰して……凍らしてどうするーー!! ああ、液体がバブルスライムに……包丁は食べ物じゃ無い……ゴキブリだと!! 何故ゴキブリがって!? 捕まえてどうす……すりつぶすな~~!! 今度はネズミだと!!逃げてー!逃げてネズミーー!! 生きたままなんて嫌~~~~!! 殺してもダメー!!」

 

「ヨコシマ……うるさい」

 

 とまあ、そんなこんなで。

 

 

 

 横島の目の前に鍋がある。危険、危険、危険危険危険、危険危険危険危険危険!

 数々の戦いで培われた危機察知能力が、ヨコシマンメーターを振り切れるほど反応する。

 様々な食材を、調味料を、めちゃくちゃに入れられて、どういう味になっているのか想像もできない。それだけではない。包丁を始めとした調理器具がいくつかその姿を消していた。彼らは一体何処に行ったというのだろうか。いなくなったのはそれだけではない。厨房に隠れ住んでいた者達も消えてしまった。彼らは何処に……

 

(世界にも、心にも、料理にも、秩序は必要なんだな)

 

『主もようやく分かったようだな。そうだ、世界には法と秩序という真理が必要なのだ』

 

 何だかよく分からない所で、横島の属性がロウ側に近くなっていた。

 

「疲れた……あっそうだ。アセリアちゃん、火を止めておいてくれ。片付けは……しなくていいだろ」

 

「ん、わかった」

 

 何気なく言った一言。

 それは、またしても破壊を呼んだ。

 

「マナの振動も凍結させる……アイスバニッシャー!!」

 

 アセリアは永遠神剣『存在』を構えると、魔法の詠唱を開始して、凄まじい冷気を魔法陣から生み出した

 横島がその暴挙に気が付いたときには、もう遅かった。

 エーテルで起こしていた火は、生み出された冷気で見事に消された―――凍結したコンロと共に。

 もはや、横島は渇いた笑いを見せることも出来なかった。

 

 本当に全てが色々と終わり、改めて横島は辺りを見回す。

 そこは、エスペリアが愛していただろう厨房は、見るも無残な地獄に変わってしまった。

 正体不明の液体があちらこちらにこびり付き、不思議な異臭を放っている。

 整然としていた調理道具は、まるで一人暮らしの男部屋のように雑然となっていた。

 

 『天秤』はかつて言った。

 物事には必ず対価が必要だと。

 だとすれば、これほど荒れ果てた厨房の対価として、それは素晴らしい食事が生まれるのは自明の理のはず―――だった。

 

―――――――これは何だ?

 

 この世界に生まれてしまった物体を目の前にして、横島は自問自答する。

 パンを作った。サラダ? を作った。スープを作った。

 

 非常に簡単ながら、確かに3品作ったはずなのだ。

 なのに、何故目の前にはスープしかないのだ?

 そして、何故スープにモザイクがかかっているのだ?

 そもそも、これ食えるのか?

 食ったら死ぬんじゃないか?

 

 目の前に鎮座する謎スープを前にして、横島はただ恐れおののくしかなかった。

 この謎スープから発せられるプレッシャーは、かの魔神と同等かそれ以上だ。

 これほどの犠牲を払っておきながらこんなものしか……いや、これほどの犠牲を出したからこそ、こんなものが生まれてしまったのだろう。

 横島は、アセリアが鍋のスープを小さい手鍋に移し変えているところを眺めながら、そんな事を考えていた。

 

「ん……ヨコシマ」

 

 大事そうに鍋を抱えたまま、アセリアは横島に向き直る。

 

「……サンキュ」

 

 小さく会釈をして、僅かに微笑を浮べて、確かな声で礼を言った。

 そんなアセリアを横島は凝視した。見惚れたと言ってもいい。

 失敗したかもしれないと、横島は心の中で舌打ちした。やはり、劣情は抱けないが、この笑顔はとても魅力的だった。これから、この笑顔が悠人に向けられるのかと思うと何だか悔しかった。

 アセリアを守備範囲内に認定しようかと、悩んだ横島だったが、その悩みは次の一言までだった。

 

「ヨコシマ……この料理を食べてほしい。……うん、お礼だ」

 

 ―――――来た! 死亡フラグ!!

 

「うぐっ! は、腹が!!」

 

 突然苦しみ始める横島。

 もちろん仮病なのだが、半分はマジだった。

 アセリアと料理をしたことで、横島は神経をすり減らし、胃や腸にダメージを負っていたのだ。

 

「……ん……大丈夫か?」

 

「すまん。腹の具合が……これではとても食えそうに無い」

 

「そうか……無理は良くない」

 

 何だか残念そうな顔のアセリアに心が痛むが、命には代えられない。

 ここで食べればアセリアと色々仲良くなれそうな気もしたが、例え仲良くなっても艶っぽい関係には発展しそうにない。

 何だか面白い娘のようだから、色々と教えて悠人の奴を苦しめてやるのが楽しそうだ。

 

「それじゃあ、悠人の奴に持っててやれよ。きっと喜ぶだろ」

 

 ――――泣きたいほどな。

 

 これから、あの料理は悠人の胃の中へ運ばれるのだろう。あのヘタレの事だ。断るなんて出来そうも無い。悠人は帰らぬ人になるのだ。

 アセリアはこくんと頷くと、鍋を大事そうに抱えて、小走りで階段を上っていった。

 

(すまん、悠人……成仏しろよ)

 

 心の中で詫び、顔は邪悪に笑いながら、横島は町にいつもの如く色々とやりに行った。

 これから起こるだろう惨劇を知りながら。

 しかし、その惨劇が自身の考えを遥かに越える事を、彼はまだ知らなかったのである。

 

 

 

「ふう、ようやくひと段落ついたな」

 

 そう言って、悠人は耳栓を抜いた。考えていた以上に時間が掛かってしまった。外を見ると、日が傾き始めている。書類整理&作成は色々と大変だった。

 書類を見始めてすぐ、『求め』が干渉してきて胸に穴があくのではないかと思うほどの鈍痛に襲われた。何故か『求め』は『我は何もしていないぞ、契約者!!』何て嘘もついたりされた。嘘つき神剣と、悠人は『求め』の評価をさらに下げてたりもした。

 痛みが治まり、さあ仕事だと気合を入れれば、下から妙な騒ぎが聞こえてくる。

 どうやら、アセリアと横島が何かしているらしい。にぎやかで楽しそうに聞こえてくる二人の声。

 悠人は何となく気分が良くなくて、耳栓をして作業に集中しようとしたのである。もっとも、耳栓をしても集中できず、横島とアセリアが何をしているのかがどうしても気になっていたのは変わりないのだが。

 さて、これからどうするかと、悠人は大きく伸びをする。その時、後ろ首に何か温かいものが触れ、肩に手を置かれた。

 

「うわあ!!」

 

「!!」

 

 いきなり肩に手をかけられた悠人は、悲鳴を上げながら振り向く。そこには少し目を見開いたアセリアが鍋を持っていた。

 

「ユート、いきなり大きな声出すと、びっくりする」

 

「あ、ああ、悪い」

 

「ん……ユート……食べる」

 

 いきなり現れたアセリアは鍋を差し出す。

 言葉に出来ない匂いが、悠人の鼻を襲った。

 

「これは……アセリアが作ったのか?」

 

「……ん……ユートに。初めてだけどがんばった」

 

 こくりと頷くアセリアに、悠人の心がぐらりと揺れた。

 美少女が作ってくれた手料理である以上、男である悠人が喜ばないはずがないのだ。

 なにより、無表情で何を考えているのかさっぱり分からないアセリアが、剣を振る以外にやる事がないと言っていたアセリアが、料理を作ってくれたと言う事実が、悠人の心を熱くさせる。

 妙な匂いも、初めての料理、という肩書きが悠人の気持ちを優しくさせていた。

 

「いや……本当に嬉しいぞ」

 

「……ん」

 

 相変わらず素っ気の無い様子のアセリアだが、それが余計に悠人の心臓をどきりとさせる。

 そんな自分に気づいた悠人は、自分の気持ちを誤魔化すように、大きなリアクションを取りながら鍋のふたを開けた。

 

「おお……ぉ~~~っ!!」

 

 先ほどとは別の意味で心臓が高鳴った。

 

 その心臓の高まりは、恐怖。あるいは死の気配を敏感に察知したからに他ならない。

 料理を差し出すアセリアに、心臓のドキドキが止まらない。俗に言うプラシーボ効果というやつだ。いや、何か違うような気もするが。

 

「ユートに……私の初めて(作った料理)を……食べて欲しい」

 

 悠人はここに、自分の敗北を確信した。

 断れない。断れるわけが無い。

 

(これを断れる奴は犬畜生にも劣る外道な奴だ。うん、決して俺がヘタレだからじゃないぞ)

 

 心の中で理由を述べて、仕方ないと決定付ける。正にヘタレだった。

 

「じゃあ、食うぞ!」

 

「ん……まだ、ダメ」

 

 どうしてだと、怪訝な顔で悠人はアセリアに向ける。

 アセリアも悠人の事をじっと見つめた。

 一体何を求められているのかと、悠人は少し思案して、ここ最近の第一詰め所に流行り始めた習慣を思い出す。

 

「いただきます……」

 

「ん」

 

 僅かにアセリアが頷く。

 日本の風習をアセリアが学習した事が妙に感慨深い。

 暖かい気持ちのまま、悠人はスープを口に運ぶ。

 

「かはっ、ぁ…ぁぐ……っ!俺はまだ死ぬわけにはいかないのに…佳織……かお…り……」

 

 戦闘時の死亡台詞をそのまま言って、悠人は床に倒れた。

 痙攣を数回繰り返し、完全に動かなくなる。

 

 高嶺悠人、死亡確認!!

 

 と、言いたいところではあるが、エトランジェやスピリットは、死ぬと黄金のマナの霧に変わるので死んではいないだろう。仮死状態が正しい。

 

「ユート……こんなところに寝たら風邪引く」

 

 突然寝た悠人を、アセリアはゆさゆさと動かす。

 だが、悠人はピクリとも動かない。本来の予定としては、ここで美味しいと褒めてもらって、手をギュッとして貰うはずだったのだが、寝てしまっては仕方がない。

 寝てしまった悠人にアセリアは毛布をかける。顔から足まですっぽり覆いかぶせるその様子は死体隠蔽処理同然だった。

 

「次」

 

 アセリアは鍋を持ち、次なる標的に向かって動き始めた。

 アセリアの標的は、悠人だけではなかったのだ。

 ラキオスを滅亡に導く、最大の敵が現れた事を知る者は、誰もいなかった。

 

 

 

「さてと……今日はリクェム炒めにでもしようかしら。小さく刻んで、濃い目に味付けして食べやすくすれば残さないわよね」

 

 第二詰め所の厨房で青いポニーテイルが揺れる。『熱病』のセリア。彼女は今晩の食事当番だ。

 セリアの目の前には細かく刻まれた野菜が沢山ある。

 リクェム(ピーマン)やラナハナ(ニンジン)を始めとして、子供たちが苦手としている野菜ばかりで、栄養満点である。

 セリアは成長期の子供達のために、なんとかして野菜を食べさせたかった。とはいえ、体にいいからと野菜を無理やり食べさせるのは可哀想だ。

 セリアは少しでも子供たちが美味しく野菜を食べられるよう、努力しながら食事を作っていた。こんな努力をセリアがしていると、子供たちは考えもしていないだろう。ヒミカ達だって気づいているか怪しい。

 素直ではないセリアの優しさと女性らしさが、誰にも気づかれないところに現れていた。

 

 セリアが野菜を前に頭を捻っていると、後ろからスタスタと誰かの足音が聞こえてきた。

 足の運び、気配、空気、こういった部分は昔とちっとも変わっていないと、セリアは思った。

 

「どうしたのアセリア。こんな時間に」

 

 誰が来たのか確認もせず、セリアはアセリアの名を呼び振り返った。後ろにいたアセリアは、僅かに顎を引いて、セリアの挨拶に答える。気配だけでアセリアを特定できるのは、幼少のころより一緒なセリアぐらいだろう。

 セリアはアセリアの持っている鍋に目を留めた。

 

「あら、おすそ分け? 助かるわ。エスペリアにお礼を言わなくちゃね」

 

 セリアがそう言うと、アセリアはふるふると、首を横に振る。

 

「そうか、オルファね。まったく、ネリーもシアーもオルファぐらい料理が出来れば……」

 

 ふるふる、アセリアは強く首を横に振る。心なしか、顔が不機嫌になっていた。

 

「まさか……ユート様?」

 

「違う」

 

 アセリアの不機嫌そうに聞こえる声にセリアは驚く。

 滅多に……いや、セリアは初めてアセリアのこんな声を聞いたのだ。

 それらを踏まえて考えれば、答えを出すのは簡単。

 ひょっとしたらどこかで買ってきた事も考えられるが、それならば不機嫌になる必要はない。

 答えは一つしかなかった。

 

「アセリア……貴女が?」

 

「ん……セリアに食べて欲しい……」

 

 始めに来た感情は驚愕。

 次に来た感情は歓喜。

 あのアセリアが、手料理を持ってきてくれた。

 それだけでセリアの顔が驚きと喜色に染まる。

 必死に緩む顔を戻そうとしているが、嬉しさの余り上手くいかないようだ。

 

「アセリアが私に……そう……そうなんだ!」

 

 とにかく嬉しい。

 セリアは自分自身でも驚くほど、心が弾んでいるのが分かった。

 幼少期を一緒に過ごし、アセリアが悪い人物ではない事は分かっていたが、ぜんぜん喋ってくれないのでセリアは大変な苦労した。育ててくれた人間はスピリットに関心などまったく無く、一緒にいるのは何を考えているのか分からないアセリアだけ。コミュニケーション能力を発達させる場など無かった。

 責任転嫁はしたくはないが、自分がこんな素直じゃない性格になったのは、幼少期をアセリアと一緒に過ごしたせいだと理解していた。別に後悔しているわけではないし、今更、性格を変えようとも思わないが。

 でも、だからこそ、アセリアが料理を持ってきてくれたことが嬉しい。

 

「セリア……食べる」

 

「ええ、ありがとう」

 

 セリアは本当に嬉しそうに礼を言って、手持ち鍋を受け取った。そして鍋の蓋を取る。

 暖かだった空気は、その瞬間、確かに凍りついた。

 

「あの、アセリア? これは一体何?」

 

「スープ」

 

 確かにスープなのだろう。本人が言うのだから間違いない。

 そのスープの姿形は、言語で説明するは難しいが、簡単に言えばこれが一番合っている。

 モザイク。素でモザイクが掛かっている。これ以外にない。

 

「これ、他に食べた人はいる?」

 

 自分の声が震えていると、セリアはしっかりと感じていた。

 

「ん……ユートが食べた」

 

 こんなものを食べたのかと驚いたが、少なくとも前例があるというのは安心できる。

 

「それで、ユート様は?」

 

「寝た」

 

 それは寝たんじゃないわ! 気絶したのよ!!

 

 心の中で絶叫するが、声には出さない。

 そーなの。情けないわねえ――――などと適当な事を言っておく。

 

 ―――――どうする!?

 

 歴戦の戦士であるセリアの思考が高速で回転を始める。

 戦士として、生き物として、第六感が訴えていた。

 これを食えば死もありうると。

 死にたくない。セリアの生存本能が訴える。

 

「私ちょっとお腹が減ってなくて……」

 

「食べて……くれないのか?」

 

 いつも通り抑揚の無い声で、しかし聞くものが聞けば残念な響きが混じっていることに気づくだろう。アホ毛も、心なしか少し垂れ下がっている。顔も僅かにしょんぼりしていた。

 

(は、反則じゃない! こんな顔!!)

 

 セリアは自分の死を悟る。

 こんな顔をされたら断ることなどできない。

 スプーンでスープをすくう。

 この世のものとは思えない匂いが、セリアの鼻腔をくすぐる。

 

(ああ、お願い。そんなに期待に満ちた目で見ないで)

 

 じっと見つめてくるアセリアの姿に泣きたくなる。

 もしも顔を顰めでもしたら、アセリアが悲しむのでないかと不安だった。

 笑って食べよう。笑って――死のう。

 悲壮なまでの覚悟で、セリアはスープを口に近づけていく。

 

「二人でがんばって作った。きっと美味しい」

 

 ピタリと、スープを口に運ぶ手が止まった。

 

「二人? この料理はあなたが一人で作ったものじゃないの?」

 

「違う。ヨコシマと二人で……どうしよう」

 

「何? どういうこと!? しっかり話して、アセリア!!」

 

 横島の名が出た途端、セリアの様子は一変した。

 

 またか。またなのか。またあの人が!!

 自分の精神状態をかき乱し、周りに騒ぎと混沌を生み出すのに優れた変態。

 あの男がまたもや立ちはだかると言うのか!!

 

 セリアの質問に、アセリアは答えなかった。横島との約束で、決して一緒に作ったと漏らさないと誓ったからだ。

 貝のように口を閉ざしたアセリアに、セリアは質問を切り替える。

 

「じゃあ、この料理を教えたのは誰?」

 

「ん、ヨコシマだ」

 

 アセリアは確かに、横島との約束は守った。なぜなら、一緒に作ったとは言っていないからだ。

 

「この料理を、ヨコシマ様は食べなかったのかしら?」

 

「お腹が痛いって……」

 

 アセリアの答えにセリアは笑った。

 ふと、窓から空を見てみると、夕日をバックに、いい感じの笑顔を浮かべている横島が浮んでいた。

 心が熱くなった。まるで地獄の業火が全身を包み込んでいるようにさえ感じた。だが、その炎は身を焼き尽くすものではなく、全身に力を、活力を与えてくれる……言うなれば不死鳥フェニックスのように感じられる。

 

(大丈夫。私は死なない。あの変態に復讐をするまでは!!)

 

 そう誓うと、セリアは一気にスプーンですくったスープを口に入れた。

 想像を絶する衝撃が体の中を駆け巡る。

 恐ろしいほど攻性情報が込められたスープは、セリアの味覚を容易に破壊しつくし、肉体を蹂躙する。

 

「ヨコシ、マ……様」

 

 セリアは倒れた。一人の男の名を呼びながら。

 アセリアは倒れたセリアに驚いたのか、パチパチと瞬きをしたが、それだけだった。

 何処からか毛布を持ってきてセリアの全身に掛けてやる。彼女にはベッドに運ぶという選択肢はないらしい。

 セリアの事後処理が終わった後、アセリアは暗鬱した顔で鍋を覗き込む。

 

「……余った」

 

 それなりの大きさがある鍋にいっぱいの量が入っているというのに、二人とも一口しか食べなかった為、スープは全然減っていなかった。

 この残った料理をどうするかぼんやりと考え、一つの結論に至る。

 

 もっと多くの人に食べてもらいたい。

 その考えは料理を作ったものなら絶対に芽生える感情。自信があるのなら、なおさらだ。

 そのとき、玄関付近からにぎやかな声が響いてきた。

 

「たっだいまー! ご飯ーご飯ー!!」

 

「待ちなさい! 今セリアが作ってくれているはずだから!」

 

「え~! セリアのご飯って野菜が多いのに~!」

 

「セリアさんは~皆さんの栄養バランスを考えてくれてるんですよ~」

 

「確かにセリアの献立は優れていると思われます」

 

「やっぱり、お料理できたほうが女の子っぽいかなあ」

 

 第二詰め所がにわかに騒がしくなる。

 どうやら皆が帰ってきたらしい。しかもお腹を空かしているようだ

 アセリアは鍋を持ち立ち上がると、ネリー達のいる玄関に走りだす。

 その姿は、決して逃れられぬ死を運ぶ死神の姿を幻視させた。

 

 そして……

 

「い、いただきますです!」

 

 どさり!

 

 誰かが倒れる音がした。

 何人かが悲鳴を上げる。

 

「いただきまーす!」

 

 どさり!

 何人かが悲鳴を上げる。

 

「うっうう……いただくの」

 

 どさり!

 

 いただきますという言葉が響くたび、人影は減っていく。まるで死の呪文だ。

 

 いただきます。

 どさり!

 

 いただきます。

 どさり!

 

「アセリア! あの厨房の状況はどういうことです!!」

 

「パパが口から七色の泡を吐いて大変だよ~!!」

 

 慌てた様子でやってきたのはエスペリアとオルファ。

 悠人と厨房の様子を見て、何があったのか聞きにきたようだ。

 そこには、極楽浄土に導く、料理と言う名の凶器が待ち受けているとも知らずに。

 

 以下省略。

 

 そこは地獄だった。

 部屋の中には無数の屍が折り重なるように倒れていた。毛布は全員に掛けられて、まるで死体安置所だ。

 避けられぬ食災の前に、ラキオスのスピリット隊はなすすべなく敗北したのである。

 そんな地獄絵図の状況で、アセリアだけが死神の如く倒れた仲間たちを見下ろしている。

 

「みんな寝た」

 

 全員がスープを食べた。全員が今まで見たこともない、儚げな笑みを浮かべながら食べてくれた。不思議な高揚感と満足感が、アセリアの胸中に渦巻く。

 

 他に食べてない人物がいないだろうか。

 アセリアは考え、そしてある人物を思い浮かべる。

 

「私が……食べてない」

 

 その考えが最初に生まれてくれたら、この悲劇は起きなかったのかもしれない。

 全ては、もう、遅いのだが。

 

「いただきます」

 

 悠人から教えてもらった、食事を取るときの挨拶を言う。

 そして、ゆっくり混沌を口に運んだ。

 

 どさり……

 

 そして、動くものはいなくなった。

 

 

「ちくしょ~あの女どもめ~。何が『勇者様(悠人)なら付き合ってもいいけど、あんたは嫌』だと!! 男は顔じゃねえだろうが~~!!!」

 

『安心しろ。主は、顔は悪いが性格も悪い』

 

「なんだと!!」

 

「ふん! あんな女達よりも、エニの事もっと大切にしたらどうだ」

 

「ガキには興味ないし、何より恋人がいるだろ」

 

『何!? 私は知らんぞ! 何処のどいつだ、エニの恋人とやらは!!』

 

「……なあ、それ本気で言ってるのか?」

 

(本気で言ってるのよねえ……)

 

 いつもの如くナンパに行き、そして撃沈してきた横島が第二詰め所に戻ってきた。

 何の為に行ったんだ、そんな風に突っ込みを入れたくなるが、本人はそれなりの感触を得ているらしい。

 確かにナンパもしているが、なにやらそれだけではないようだ。

 その証拠に、ルシルというこの国の通貨が数枚、横島の懐に存在していた。ちなみに、スピリット隊には給料など支払われない。スピリットの買い物は、店側がスピリットの買ったものの額を国に請求するようにしてある。この手続きが面倒なため、スピリットは店側から嫌われる原因の一つだった。

 だから、本来横島が貨幣を持つ事はないのである。にも関わらず何故横島の懐に貨幣があるのか。それもまた別な話で。

 

「ふん! まあいいさ。俺には固い信頼と愛情で結ばれた仲間たちがいるからな」

 

 そして、横島は仲間たちが待つ扉を開ける。そう、固い絆で結ばれたはずの仲間がいる扉を……

 

「あ~~腹減った。ただい……ま?」

 

 第二詰め所に入った横島はすぐに異常に気がついた。

 居間が薄暗い。もう辺り一体が暗いというのに、明かり一つしかつけていない。おかしいところはそれだけではなく、全員が笑顔という点もある。あのセリアやナナルゥでさえ、口元を三日月型にして、笑っている。さらに、恐ろしく冷たいゾクリと来るマナが、部屋の中に溢れている。

 何か変だと感じている横島に、珍しくナナルゥが自発的に喋りはじめた。

 

「ヨコシマ様はアセリアに料理を教えたと聞きました」

 

 びしりと、石のように横島の体が硬直する。汗が一筋たれた。

 

「大変に美味しかったです……へっへっへ」

 

 不気味に笑うナナルゥ。

 

 やばい! やばい!

 

 今まで培ってきた感が、これ以上ないほどの警報を上げる。まるで警報のバーゲンセールだ。

 

「そういえば、お腹が空いていらしたんですよね、ヨコシマ様」

 

 セリアは今まで見せたことがない笑みを浮かべながら、横島に優しく言った。

 

(あれは食虫植物だ)

 

 咄嗟にそう判断する。

 そして、今現在の自分が置かれている状況を完全に理解した。

 

「……今日は野宿する!!」

 

 回れ右をした横島は玄関に向かって全力ダッシュ。

 このままここに居ては殺られる。戦士としての感が、横島を突き動かす。

 だが、敵も熟練の戦士だった。

 

「何処に行こうというのです。ヨコシマ様、私たちは固い信頼と愛情に結ばれた仲間ではありませんか」

 

 気配を絶って、いつの間にか背後にいたヒミカが行く手をさえぎる。

 何故かその手には神剣である『赤光』が握られている。ジュ~と、いかにも熱い音をさせながら赤く発光していた。

 

 キャラが変わっているぞ、ヒミカ。

 そんな風に突っ込みを入れたくなったが、そんな暇など無い。一刻も早く脱出しなければ。

 

 次に横島の目に入ったのは窓だった。

 決断は一瞬。窓に向かって跳躍する。

 窓を破ろうとしたその瞬間、

 

「風の壁さん」

 

 厚い大気の壁が横島の眼前に立ちふさがり、脱出路を封じられる。

 

「えへへ、逃げたりしたら駄目なんだよ~お兄ちゃん」

 

 いつの間にか、エニが横に立っていた。

 相変わらずのぽやぽや笑みだ。

 だが、目だけは笑っていない。

 緑色の瞳の中に、全てを吹き飛ばさんとする烈風を宿していた。

 誰か味方はいないのかと、横島は必死に辺りを見渡す。

 横島の目に、唯一剣呑な目をしていない一人の少女が目にとまった。

 

「頼む、ヘリオン。助けてくれえ!!」

 

「大丈夫ですよ。これを食べると、何だか不思議な世界にいけるんです。さあ、不思議世界にレッツゴーです!! えへ、へへへへ、えええへへへ、へぇあ」

 

 ダメだ! おかしくなってる!!

 

 どうやら部下たちはすべて敵になってしまったようだ。

 多勢に無勢。飛びかかってきた二人の姉妹によって、横島は完全に拘束されてしまった。

 

「さあ、しっかりと味わってください!

 死神の鎌が振り下ろされんばかりの、この味を!!」

 

 ずずいと、セリアは混沌スープを横島の口元に運ぶ。

 

「いやじゃーー!! 俺は絶対に口を開けんぞーー!!」

 

 死んでも口を開けない。この口が命を守る最後の砦なのだ。横島は最後の抵抗を試みる。

 そんな横島の口を開けさせるため、ネリー達は笑わせたり、驚かせたり、擽ったりと様々な方法を試したが、頑として口は開かなかった。

 困ったセリアたちは、いっそ鼻から流し込むか、などと危険な考えに向かい始めていたが、いくらなんでもそれは可哀想。

 口という要塞の前に、攻めあぐむセリア達だったが、そこで今まで傍観していたハリオンが動いた。

 

「ヨコシマ様~あ~んしてくださ~い」

 

「あ~ん」

 

「チェックメイトです~」

 

 お姉さん的必殺技、『あ~んしてくださ~い』の前に、横島の口はあっさりと開いた。

 あれほど抵抗していたにも関わらず、余りにもあっけない最後。頑強な要塞は、崩れるときは呆気ないほどあっさり崩れるものなのだ。

 だが、美人の天然ぼけぼけお姉さんに、あ~んしてください、と言われて口を開けないなんて男として間違っている。横島は覚悟を決めた。

 だが、ここでハリオンは予想外の動きを見せる。

 

「料理を残しちゃ~いけませんよねえ~」

 

 いつものんびりとしたハリオンだが、その時の動きはこれまで見た事が無いほど俊敏だった。スプーンをさっと引くと、後ろにあった鍋を取り出す。

 誰かが驚きの声を上げるが、ハリオンは別に気にせず、大口を開けた横島に、

 

「そ~れ~」

 

 鍋の中にあったスープを一気に注ぎ込んだ!!

 

 三つの悲鳴が、空に吸い込まれていった。

 

 一方そのころ、倒れたアセリアは介抱され、第一詰め所のベッドで目をつぶり横になっていた。一応、目を覚ましてはいるのだが、起きようとしないのだ。

 そんなアセリアを心配して、悠人、エスペリア、オルファの面々はアセリアの周囲に集まっていた。こんな風に弱ったアセリアを見るのは初めてだからだ。

 一体どれほどの時をそうしていたのだろう。ようやく、アセリアは口を開いた。

 

「もう、料理しない……」

 

 力の無い声で、アセリアはそう宣言する。

 感情表現がほとんどないアセリアだが、今回は色々と堪えたらしい。

 剣を振って殺し合いをする以外にやれることを見つけたと思ったのに、作り出したものは正に最終兵器料理。

 アセリアは感情表現こそ乏しいが、それでも仲間を大切に思っている。

 仲間に多大な迷惑をかけてしまったことが、アセリアの心に傷をつけていた。

 

(なんだか佳織に似てるな)

 

 悠人はそんなアセリアに懐かしさを感じていた。

 妹の佳織も始めて料理をして失敗したときも、こんな顔をしていたからだ。

 そして、作り出した料理をまずいまずいと言いながら、二人で笑いながら食べたのだ。

 悠人の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「料理は楽しかったんだろ?」

 

 悠人の問いに、アセリアは少し時間を置いて、こくんと首を縦に振る。同時に僅かに悲しそうな顔になった。楽しかったからこそ、この結果が辛いのだ。

 

「だったら、もう一度やってみろって」

 

「……駄目。おいしくない」

 

「始めは誰だって美味しく作れないもんだ。エスペリアもオルファも佳織も始めから美味しく作れたわけじゃないって」

 

 悠人の答えはアセリアに衝撃を与えた。

 エスペリアもオルファも、生まれたときから料理が出来るのだと、アセリアは思っていた。

 よく子供に、お婆ちゃんも昔は子供だったんだよと言うと『お婆ちゃんは生まれたときからお婆ちゃんだったんだ』と言うような感覚だ。

 

「……そうなのか?」

 

「うん。オルファもエスペリアお姉ちゃんに教えられたんだけど、始めは失敗ばかりだったんだよ」

 

「そうですね。私も初めて料理したときはうまくいかなくて、すごい料理を作ってしまったことがありました。その時は……姉さんたちとその料理を苦笑しながら食べたんです」

 

 昔を懐かしみながら、笑顔を浮かべるエスペリア。

 その顔には多少の陰りはあるが、それでも確かな笑顔だった。

 

「それに、俺はアセリアの料理を食ってみたいしな」

 

 悠人の言葉にアセリアは弾かれたように顔を上げ、悠人をじっと見つめる。

 しばらく悠人を見つめていたアセリアだが、その表情がふっと、柔らかくなった。

 

「うん。任せろ」

 

 力強く頷くアセリアに、悠人もエスペリアもオルファも、全員が笑った。

 何かが変わり始めている。何かが動き始めている。

 それが何なのか、当事者たちにも分からない。

 ただそれは、とても暖かく、心地の良いものであることは確かだった。

 

「始める」

 

 そう言って、アセリアはベッドから起き上がる。

 

「始めるって、今から料理をですか?」

 

「ん……エスペリア、オルファ……教えてほしい、頼む」

 

「アセリアお姉ちゃん……うん! オルファに任せて!!」

 

「まずは片づけからですよ、アセリア」

 

 アセリア達は笑いあいながら台所に向かう。その様子はまぎれも無く姉妹だった。

 スピリットには血の繋がりはない。だが、もしその事を指摘するものが現れても、悠人は胸を張って言うだろう。

 彼女らは家族であり姉妹だと。自分もその一員である、と。

 佳織が解放されたら、その時は皆で一緒に暮らしたい。

 悠人はそんな事を考えていた。

 

 その時、何処からか横島の苦悶の叫びが聞こえてきたような気がして、アセリアを除く全員が、にやりと黒く笑った。

 

 ―――――これも一つの成長なのだろう。

 

 こうして、一人のスピリットが女の子として、料理道を歩み始めることになった。

 だが、その道は長く、険しい。道を究めるというのは、多くの犠牲を出すことになるのだ。

 

「さあ、アセリアが料理を作りましたよ。ユート様もヨコシマ様も、ご賞味ください!」

 

「いやじゃーー!! 文珠ーー!!」

 

「『美』『味』の文珠なんて使うんじゃねえー!!」

 

 犠牲もなく成し遂げられることなどない。

 横島と悠人の犠牲の下、アセリアの料理の腕はすくすくと成長していくはずである。

 今はただ、アセリアがジャイアンシチューの領域を突破する事と、横島と悠人の胃が壊れないことを切に願おう。

 

 余談だが、アセリアが捕ってきたエヒグゥは、オルファがペットにしたらしい。

 

 

 


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