永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第十七話 ダーツィ攻略戦 後編

 永遠の煩悩者 第十七話 

 

 ダーツィ攻略戦 後編

 

 

 

 床に倒れ、ピクリとも動かなくなったダーツィ大公。その場にいる重臣達は信じられないと、呆然と立ち尽くす。

 徹底抗戦を唱え、目の前で事切れる。唐突過ぎる事態に重臣達の誰もが混乱していた。

 だが、誰よりも混乱したのは彼以外にありえない。横島だ。

 

 んなアホな。ありえないだろ。いや、無いからさ。嘘だと言ってよ、ダーツィ!

 

 目の前の光景を否定する。これはありえない事態だった。手の中で『操』の文珠が虚しく光を放ち続けている。どんな事態も想定しているつもりだった。トラブルの全てに対応できると、横島は自信を持っていた。だが、流石にこの事態は想像できなかった。できるはずも無かった。

 

『逃げろ!』

 

 『天秤』の鋭い声が頭に響く。同時に無機質な殺意が全身に突き刺さる。

 はっと下を向くと、そこには先ほど出て行ったはずのスピリットを率いている男と、グリーンスピリットがこちらを見ていた。手に持っている槍型神剣を肩に担いで投擲の体制を取る。

 混乱した意識とは別に、体は反射的に動く。天井に張り付くという無理な体勢から、すぐ横にあった窓に向かって飛んで、ガラスを破って外に出る。十数メートル落下して中庭にある庭園に転げ落ち、そこに身を隠す。

 鋭い痛みが太ももに走った。見ると肉が抉られ、血が噴き出し始めている。槍を避けきれなかったのだろう。血泡がマナの霧へと変わっていく。血が、マナが――――命が抜けていくのが分かった。血の噴出は酷く、手で傷口を押さえつけていないと、あっという間に辺りが金色の霧に包まれそうだ。

 さらに追っ手はすぐに来た。甲冑を着込んだ男の兵士達が中庭の探索を開始する。そこには動揺も困惑も見られない。横島はその様子を信じられないと目を剥いて驚いた。実戦経験が無いわりには冷静すぎる。こういった事態が起こったときの訓練をよく積んでいるのか。

 

 とにかく人間達に見つからないように逃げなければと考えた横島だが、わざわざ人間の男兵士相手に逃げるのも何だか癪だと思った。危険なのはスピリットなのだから、兵士らを人質にでもすれば――――

 

『それは却下だ。主よ、忘れたのか? 王女との約束を』

 

 横島は言葉に詰まった。

 大公以外の人間には手を出さない。そういう指令を王女レスティーナから受けていた。

 理由は簡単だ。人は傷つかない。それはこの世界の常識であり、道理であり、正義だからである。

 人間が傷つかないからこそ、戦後スムーズな統治だってできるのだ。もし、戦争で人が過失では無く故意に傷つけられたとしれたら、民心はラキオスから離れスピリットにも悪い影響が出るだろう。

 王位を継ぐことを考え、スピリットの解放を目標としているレスティーナにすれば、ここで名声を落とすことは避けねばならない

 逆に言えば、ばれなければ構わない、と言われているに等しいのだが、ここで人間を傷つけて情報を隠すのは無理だろう。

 

 結局、なんとか逃げ出すしかなかった。

 横島は人間達にみつからないよう、足を押さえた不格好なまま必死の思いで中庭から逃げ出し、なんとか城の中に駆け込んだ。ばたばたと何十人もの人間達が横島を探し回っている。明確な目的も無いまま、あてどもなく人を避けるように逃げ惑う。

 どこをどう逃げたかは分からなかったが、ふと気づくと妙に暗い一角に逃げ込んでいた。

 どんより濁った空気とカビの臭気が横島の鼻を刺激する。窓も無く、日の光も入ってこなくて、苔むした岩壁が手に触れた。松明の光だけが僅かに周囲を照らしている。ここはどうやら牢屋のようだ。

 

「ここなら早々見つからないだろ」

 

 牢屋にぶちこもうとしている人間が、まさか牢屋に隠れるとは思いもよらないはず。出入り口が一つしかないのは不安だが、いざとなれば壁を破って逃げればいい。幸い囚人はいないようだし、看守もいないようだ。意外と治安は良いのかもしれない。

 

『さて、ではこれからどうすればいいか考えるか。主はどうするつもりかな』

 

 落ち着き払った『天秤』の声。この危機的状況で余裕を持っていることに、横島は頼もしさと同時に苛立ちも覚えた。

 

「どうするって言ってもな……あ~いてーよ、こんちくしょう! 何だって俺がこんな目に~!」

 

 どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい!!

 

 何もかもが思い通りに行かない事に腹が立つ。流れ出る血は恐ろしいというよりも鬱陶しい。『何か』に対して怒りが胸にこみ上げる。何かが意図的に自分の邪魔をしているのではないか。そうでなければこんな事があるわけが無い。

 

『やれやれ、都合がいいことばかり起こるわけないではないか。人生は理不尽と不条理の連続だ。まあ、頭が茹っている主には、理解できないかもしれないがな』

 

 何故か得意そうになって喋る『天秤』に横島の怒りが向く。

 どうしてそんなに嬉しそうなのか。己の主が苦しんでいると言うのに、明らかに喜んでいる。

 

『ふん、何を怒っている。八つ当たりなどしている場合ではないぞ』

 

 見下したかのような声が頭に響く。横島の頭に更に血が上ったが、それは直ぐに引いて行った。周囲から横島を捜す男たちの声が溢れたから。さらに、スピリットと思われる女性の声もある。幸い牢の中までは入ってこなかったが、いつ踏み込んでくるか分かったものではない。

 

『こういう時は現状を把握する事が大切だ。私が頭足らぬ主に代わり、状況を説明するとしよう』

 

 憎らしいぐらいに冷静な『天秤』の声が横島を落ち着かせた。横島は先頭に立って物事を進めていくタイプではない。女性が絡めば暴走という形で率先して動くが、基本的に誰か頼りになるものにくっ付いていくのが横島だ。腹立たしいが『天秤』は頼りになる。『天秤』の言う事に間違いは無いからだ。

 

『我らの目的は、大公を操り戦争を終結させる事であった。だが、大公はスピリットに徹底抗戦を命じ、心臓麻痺で死亡。スピリットはより上の者の指示を優先する。後継が決まっていない以上、この遺命は永遠と生きることとなる。敵が入り込んで混乱している現状で継承など出来るわけもなく、つまり命令撤回など出来ない。

 また、悠人達の状況も考えなければならんな。本来守勢に徹する筈のスピリットが狂ったように突撃を開始するだろう。はたして犠牲にしない戦いを続けられるかな? もし、犠牲にしない戦いを続けた場合、それで傷つくのは誰か……言うまでもないな』

 

 『天秤』の言葉に、横島は反論できない。まったくもってその通りだった。認めるしかない。自分の策は失敗し、仲間を危険に晒し、助かる可能性の高かった敵の幼少スピリットすら殺さなければいけなくなった事を。

 

『状況は飲み込めたか。ならばもう一度問うぞ。どうするつもりだ?』

 

 どうするか。答えは出ていた。というより、選択肢など一つもない。

 作戦は失敗した。後退して悠人達と合流して、敵を殲滅する。それ以外にない。

 だが、横島は何も言う事が出来なかった。諦めきれないというのも理由の一つだが、それ以上に決断したくなかったのだ。

 その決断が、多くの女性達の命を奪う事が分かっていたから。

 

『正しき答えを導き出せても、決断できぬか。ならば私の言う通り動け。何も考えず、心を空白にしろ。それが主にとっても、主が守りたい者達にとっても、一番賢い選択なのだ。私に、従え』

 

 心の中に何かが入り込んでくる。自分が自分で無くなっていく不快な感覚。それに抵抗しようとしたが、それを撥ね退ける力が湧かなかった。

 抵抗したとして、どうなるというのか。たとえ心の在り方がどう変わろうと、結果は変わらない。どうしようもない。意味がない。

 諦めと絶望が横島の心に潜り込む。絶望の中に『天秤』も多く混じった。心が弱った隙に、色々と作り変えてやろうという腹だろう。高位神剣を持つものに弱気は許されない。

 

 ―――――――もう無理だ。

 

 横島の心は確実に折れていって、ずぶずぶと闇の中に沈んでいった。

 

 そのころ、悠人達も危機を迎えていた。引っ切り無しに襲い来る敵のスピリット。狂気じみた突撃を繰り返すダーツィのスピリット達に、悠人達は後退を余儀なくされていた。

 最初の内は予想通りの展開であった。軽く小突くような攻撃を仕掛けては、敵の防衛を破れず後退する。敵も無理に追撃してこない。双方共に被害無しだった。だが、あるときを境に敵の動きが変わった。今までの守勢が嘘のような攻勢を仕掛けてきた。悠人達は必死に防戦しつつ後退して、なんとか耐えしのいでいた。

 唯一の救いは、敵スピリット達は城を離れた所為で各種施設の恩恵を受けられなくなったことだ。逆にこちらはマナの濃い地に陣取り、戦闘はかなり楽になっている。城から野戦に引きずりだした形となり、単純に戦うのなら負けはない。戦い、殺し合うならば。

 

「……もう、限界です」

 

 十回にも及ぶ敵の攻撃を退け、次の攻撃までの僅かな間を作り出したとき、額に玉のような汗を浮かべたエスペリアは宣告した。周りにアセリア達がいるが、誰一人その意見に何か言おうとはしなかった。疲労が激しく口を開く余裕がないのもあるが、それ以上にそれが正しい事を理解していたから。

 口を開いたのは悠人だけだった。

 

「もう少しぐらいなら……」

 

 しかし、その反論の語気は弱弱しい。

 

「今がぎりぎりなのです。これ以上防戦を続ければ、最悪の事態に備えられなくなります。現状で取れる策は二つ。全力で相手を攻撃するか、もしくは」

 

「逃げるか……ね。でも、この様子だと追ってくるかもしれない。逃げながら戦うの厳しすぎるわ」

 

 ヒミカの言葉に、エスペリアは頷く。

 

「結論から言います。ここで殲滅するべきです。それも速やかに。ヨコシマ様の事だって気にかかります」

 

 その一言で第二詰所のスピリット達の気持ちは決まった。セリア達の誓いは横島を守るというもの。

 こんな戦いで彼を失うなど冗談ではない。早くダーツィのスピリットを打ち倒し、ヨコシマ様の安否を確かめ守らねば!

 悠人だけはまだ納得していないようで渋い顔をする。エスペリアは言葉を進めた。

 

「ヨコシマ様は、私たちスピリットの事を第一に考えています。もし、我らの身に何かあればきっと嘆き悲しむでしょう。それはまだ良いとしても、ユート様、貴方は深く恨まれます。内部不和の原因になりかねません」

 

 そうだろうな。

 悠人は否定しなかった。もしここでセリア達が死ねば、横島との約束が破られる。それは、この血生臭い世界で佳織を守る最強の盾が剥がされると同義だ。

 悠人は悔しげに唇を噛む。

 

(霊力があっても、抗えないのか……)

 

 失望に近い念が胸をよぎる。

 霊力や文珠という能力は特別なものだ。大きな力は選択肢を広げる。背中に背負える量が多くなる。

 もし力が弱ければ諦められるだろう。決して手が届かないと知れば絶望もしよう。だが、手を伸ばせばとどくかもしれない。希望はまだあるかもしれない。その誘惑に耐えるのは難しい。

 捨てるべきものを捨てて行こう。そう決断している横島と悠人の二人だが、その捨てるべきものの基準が、力を持つとあやふやとなる。それに彼らはあくまで、限界まで荷物を持って進もうとしている。どうしても持ちきれない場合は、優先順位に従って切り捨てていくのだ。

 切り捨てようと決断したその時に、矢が尽き、刃が折れていたら目も当てられない。

 

 悠人は悩んだ。上に立つ者の責任と重圧を感じた。

 アセリア達の顔。佳織の顔。レスティーナの顔。名も知らぬスピリット達の顔。この世界の顔。

 色々なモノが頭に浮かんできて、最後に横島の顔が思い浮かぶと思わず苦笑してしまった。

 

「みんな……もう少しだけ頑張ってくれ! 後五分、いや三分で戦いが終わるかもしれないだろ」

 

 悠人は抗う事に決めた。ベターではなく、ベストの終わりを目指すために。

 エスペリアは悲しそうに目を伏せて、セリアは冷たい目で悠人を見据えた。

 

「そんな希望的観測で我ら全員の命を掛けるのですか。ひょっとしたら、ヨコシマ様は既に諦めて逃げているかもしれないんですよ」

 

「それは大丈夫だ。横島の普段を思い浮かべてくれ。あいつが簡単に諦めると思うか。あの女好きが!」

 

 確かにと納得して、セリアは少したじろいだが、口の端を耐えるように絞めた。

 

「確かに、あの人なら足掻いてるかもしれません。ですが! 私たちが持たないと言っているのです!」

 

 悲鳴のようなセリアの声が響く。本当は誰も諦めたくは無いのだ。この世界の運命に異を唱え、立ち向かいたい。

 悠人と横島の軟弱で優しい気持ちに応えたい。それは全員が望んでいること。

 だが、力が足りない。

 結局そういうことなのだ。

 意地と我――――――エゴを押し通せるだけの力。

 力も、知も、運も、その全てを踏み砕くことができる、無慈悲なまでに圧倒的な力。

 それがあれば済む話。それを与えてくれるのが永遠神剣。

 そして悠人が扱うは、この世界最高位である永遠神剣第四位『求め』なのだ。

 

(力をよこせ! バカ剣!!)

 

『何を考えている、契約者よ』

 

 いぶかしむ『求め』の声が頭に響く。

 

『そこまでする義理がどこにある。あの男の策が失敗して、汝がその泥を拭うのか。他者の尻拭いをする余裕があるのか。貴様の求めはなんだ。

 もう一度言うぞ。あのヨコシマという男に深入りするな。あの男の思考、言動、行動の全て、契約者に良き結果をもたらす事はない。必ず後悔することになる』

 

(はっ、今更お前が俺を気遣うのか!? 後悔させられるのなら後悔させてみろ! ありったけの力を寄こせ! それとも何だ。今がお前の限界か!! その程度でよく今まで偉そうな事を言えたもんだな、バカ剣!!)

 

 なんとも分かりやすい挑発だ。見え見えの挑発に『求め』は呆れたが、ふつふつと喜悦が浮かんでくる。

 その喜悦に深い意味は無い。ただ、面白いと思ったのだ。

 

『くっくくくく! 吼えたな、契約者よ! いいだろう。全力を出してやる。地獄を、味わえ!』

 

 『求め』が強い光を放つ。邪悪でも、神々しくも無い、ただの光だった。

 

「う……おおおおおおおお!!!!!」

 

 圧倒的といえる力が『求め』から流れ込んできた。その力は体を流れ、膨張して、まるで巨人にでもなったかのような錯覚を起こさせるほどだ。

 海を割れる。山を砕ける。空間だって絶てる。時間にすら抗って見せよう。出来ない事、成せない事など何一つ存在しないと思わせるような超絶的な力。

 その力と一緒に貪欲な意思が『求め』から全身に潜り込んでくる。

 殺す! 潰す! マナを! 犯す! 渇く! 飢える! マナを! マナを! マナを!

 暴力的で原始的な欲求が体中を廻る。悠人はそれに耐えて、マナをオーラへと変えるべく詠唱を開始する。

 

「聖なる衣よ、我らを包め! 俺たちに、意志を貫く力を! ホーリー!!」

 

 魔法陣が展開して、光が膨らんで弾けた。ただの強い光は悠人の意思により神聖的な輝きを帯びて、アセリア達に祝福をもたらす。

 傷ついていた体が瞬く間に癒され、圧倒的なオーラが神剣に宿り、攻撃力を増大させる。張れる障壁の強度が上がり、銃弾すら止まって見えるほどの動体視力を授かり、青、緑、赤、黒の四種類のマナの加護を得る。

 オーラフォトン、原初の光、精霊光、暗き道を照らす光。幾つもの呼び名があるオーラだが、あえて呼ぶなら希望を繋ぐ光と言ったところか。

 ありとあらゆる加護の全てを、全員に、それも一瞬で与える。戦いが始まる時と同じ、いや、それ以上の力が全員に宿った。

 

「……ん、温かくて……強くて……うん」

「あは! やっぱりパパはカッコいい!」

「すごい……潜在的な力は、ヨコシマ様以上なのね」

 

 皆が口々に悠人を褒めたたえる。この力があれば戦える。この人が傍にいれば抗える。全員が希望の光に笑顔となった。

 ただ一人違う表情をしていたのはエスペリアだ。皆が生気溢れる表情になる中で、ただ一人泣きそうな顔をしている。

 彼女は知っていた。

 道理を潰し、無理を押し通すほどの常軌を逸した力を、無償で与えてくれる訳がないのだ。

 今こうして皆を勇気づけようと不敵な面構えをしている裏で、どれほどの苦痛に苛まれている事か。例え今が良くでも、後々どれほどの災禍に見舞われるのか。

 

 ―――――ヨコシマ様が居なければ、ユート様がこんなに苦しまなくて済んだのに!!

 

 こんな事、考えてはいけない事だ。エスペリアはそう思ったが、どうしても思わずにはいられなかった。

 

「エスペリア」

 

 声を掛けられてはっと前を向くと、そこには悠人がどこか困ったような顔をして立っていた。

 

「横を頼む」

 

 彼はそれだけ言って背を向ける。見ればアセリアは悠人の左に、オルファは悠人の後ろで当然の様に構えを取っている。

 エスペリアははっとした。こんな事を考えている場合ではない。うじうじと悩んでる暇があったら、その間にこの世界に抗おうとしている人の助けとならねば。

 

「さあ、掛ってきなさい! 私は、ラキオスも、仲間も、ユート様も、そして貴方達も、全部守って見せます!!」

 

 宣言するように叫ぶ。永遠神剣第七位『献身』が輝きを増した。

 ネリーやシアー、ヘリオンは絶対に負けてなるものかと反骨心あふれた不敵な表情を浮かべている。

 セリアやヒミカは、こうなれば毒を食らわば皿までと覚悟を決めた目で敵を睨む。

 ハリオンはいつものようにニコニコと笑い、ナナルゥは無表情だが頬はバラ色になっている。

 悠人は頼もしげに彼女らを見て、瞳に膨大な意志を乗せ、助けるべき敵を見つめた。

 

「みんな、行くぞ! 横島と、俺と、自分を信じろ!!」

 

 膨大なオーラを纏い、迫り来る敵に一歩を踏み出す。エスペリア達もそれに続く。

 感情が乏しい敵スピリット達に動揺が走った。

 純粋な戦闘能力だけを見れば、悠人は誰よりも弱い。高位神剣の恩恵があるだけの、一人の素人剣士でしかない。

 しかし、彼の背中を見て弱いなどと思うものは一人たりといなかった。

 

(頑張れよ、横島。こんな世界なんかに負けるな!)

 

 悠人は心の中で叱咤激励しながら、障壁を張って敵の神剣を受け止めた。

 

 

 感じた力の波動に、横島は落としていた首を上げた。どろりと濁っていた瞳をある方向に向ける。

 

「この、力は?」

 

 神剣を使っていない横島には、神剣反応を感知する事は本来出来ない。何らかの力場が発生しているぐらいならなんとなく感じ取れるが、距離が離れれば不可能である。それでも横島は確かに感じた。それは、霊感と呼ばれるもので感じ取ったのかもしれないし、肉体がマナで構成されているエトランジェとしての能力だったのかもしれない。

 だが、その力を感じ取れたなによりの原因は、それが膨大なエネルギーを放っていることに他ならない。

 

『このマナの高まりは悠人の奴以外いないだろう。しかし、第四位とはいえこれほど力を出せるとは……

 心を捨てたのかも知れんな。もし、心を捨ててなかったとしたら、これだけの力を引き出せば後々地獄を見る事になるだろう』

 

 少し戸惑ったような『天秤』の声。それは力の量で驚いた為だけでなく、予定外の事態が起こったためだ。今まで全てが予定通りに来ていた中で起こったイレギュラー。僅かな不安が過ぎっていた。

 横島は訓練時の悠人の姿を思い出す。圧倒的不利。絶望的な状況。敗北して芋虫のように転がされる。毎日毎日飽きる事もなく繰り返される、屈辱であろう訓練日々。だが、悠人が弱音を吐いた所など見たことが無い。文句や罵倒の言葉を吐いても、それは横島にではなく、自分自身を叱咤してるだけだ。そんな悠人の姿に、他のスピリット達は多くの声援を送り始めている、

 横島はそんな悠人が大嫌いであった。

 

 ――――――――――あいつには、負けられない!

 

 濁っていた横島の目に光が灯る。

 生きるためなら排泄物だって食ってやる、と豪語する横島に存在する、ほんの僅かな男としての気概。悠人の意思は、その気概に火をつけた。

 

 ――――――――――スピリットハーレムを作るのは俺だ!!

 

 男の気概は、すぐに煩悩を燃やす原油へと変わってエロ魂を燃え上がらせ、『天秤』の干渉を押し返す。

 

「……これだけの力だったら、まだしばらく安全に防衛戦ができそうだな」

 

 待ちなおし始めた横島の心に、『天秤』は慌てた。

 

『冷静に考えろ。いいか、確かにまだしばらく悠人達は大丈夫だろう。しかし、我らが動けないのだから仕方あるまい。

 神剣である私を使わぬお前は弱い。主は確かに人間としては破格の力を持っているだろう。だが、スピリットには勝てん。精々、弱小のスピリット一人と互角がいい所だ。文珠を使えば勝てるかもしれんが、城に何人のスピリットがいると思っている。

 主はよくやった! やれるだけのことをした! もう満足しただろう。私を手に取り、私の力を使って逃げるのだ!!』

 

 『天秤』は必死に横島に呼びかける。ここで逃げてくれなければ予定が狂ってしまう。

 これ以上、自分の思い通りにならないのは絶対に嫌だった。なにより、ここで不用意な行動を取られては本気で命の危険もあるのだ。いくら悠人達が盛り返しても、こちらが危機的状況にあるのは変わらないのだから。

 

『大体、その怪我ではどうにもなるまい。手での圧迫による止血を止めれば、途端に血が噴出するぞ。血の噴出はマナの噴出。つまり命の噴出だ。すぐに動けなくなるだろうし、敵に発見される可能性も高くなる。早く文珠を使って傷を治せ!』

 

 悔しいぐらいに『天秤』のいう事は正しかった。いくら悠人達の状況が好転しようと、作戦の要である横島が動けないのではしょうがない。今だに太ももからは血が出ている。文珠を使えばすぐ治るが、文珠は正に切り札だ。もし使えば、今回の作戦を立て直すのは不可能になるだろう。

 『天秤』の言うことはやはり正しい。しかし、逆を言えばそれさえどうにかすれば、どうにかなるという事の証明とも言えた。

 

「血を止めるには……くそ! マジかよ、一つしか思い浮かばねえ」

 

 目の前で揺らめく松明を見て思いついてしまった方法に、横島は悪態をつく。こんな方法なんて冗談じゃない。

 痛いのはごめんだ。苦しいのは嫌だ。茨の道など歩きたくもない。

 しかし、しかしだ。その茨の先に輝かしき女体があるならば、麗しの女体があるのなら、何を躊躇う必要があるというのか。

 

 横島の目からは理性の光が消え、狂気すら孕んだ強い光が宿った。石壁に括り付けられていた松明を外して、それを傷口に力強く押し付ける。

 ジュッと肉が焼かれた。人が生理的に嫌がる臭いが周囲に漂う。熱いではなく、痛い。気が遠くなる痛みだ。手の力を緩めればこの痛みは消える。それは耐え難い誘惑。だが、横島は耐えた。悲鳴一つ上げずに、奥歯がすり減るほど歯を食いしばり、拷問とも言える似非治療に耐え切った。焼いた箇所は見るも無残な状態だったが、マナの流出は止まり、少なくとも『天秤』の言っていた無理な理由は消えたと言える。

 

 『天秤』には信じられなかった。あの痛がりで臆病な横島が傷口を焼くという暴挙に出た事も、またそれに耐え切り、声一つ上げなかった事も。

 これほどまで強靭な精神力の持ち主だとは。

 『天秤』の中で、横島に対するある感情が広がっていく。

 感心? 違う。

 嘲り? 違う。 

 

 その感情とは、憎しみ。

 

(それほど私の言う事を聞きたくないのか!!)

 

 『天秤』は別に横島に害を与えるつもりはない。心に負担をかけたり、洗脳まがいの事は確かにしているが、それは善意でやっている事だ。押し付け紛いの善意だとしても、横島の為を思って行動しているのだ。

 少しでも成長して欲しい。そして、神剣世界の為に我が陣営でその力を振るって欲しい。

 崇高な理想を真っ向から否定されているような気分だった。その理想を横島に目指させるのが『天秤』の役目でもあるのだが、それが上手くいかないのも腹立たしかった。

 

(貴方の目標は不可能よ。ヨコシマは馬鹿だから格好良いの。女好きだから強いの。変態だから凄いの。貴方は神剣そのものなのに神剣を分かっていないわ。神剣使いに必要なのは強烈な感情の力。鋼鉄の意志。……そして生まれる歪み。その感情には善悪も貴賎も関係ないのよ)

 

 今迄黙っていたルシオラが優しく言った。こうなることを彼女は予想していたのだろう。驚いた様子はない。ただ、自分が愛した男の姿を誇ったようだった。

 『天秤』はルシオラの言葉など聞いていなかった。ただ、怒りと屈辱で、頭が真っ白になっていた。

 

「ふっふふふふ。くく、ぐふぐふー、むふぉふぉ! もひょひょ!

 こんなに痛い思いをしたんだ。見てろよダーツィのスピリット達。

 絶対に殺さないで戦いを終わらせて、あ~んなことや、こ~んなこと! さらにはそ~んなことまでしてやるからな!!

 少年誌という楔を外れ、18禁世界(しかも陵辱あり)に降り立った俺に不可能など無い!!

 この世界を見守る数多の野郎共も、いい加減にエロラブコメディをヤレと内心思ってるに違いないし!!」

 

 横島は好色そうに顔を歪ませて、邪悪に笑った。これほど苦しい目に合っているのだから、助けたスピリットに色々とセクハラしても許されるだろうと。まったくもって自分勝手甚だしい。最低とも言えるヒロイズムの暴走。

 しかし、強烈なまでの切り替えの早さだった。痛みを忘れ、今が絶望的な状態であるにも関わらず、ただ前を見る。それは『天秤』の干渉すらはじき返す。アホでバカで女好きで、邪悪で優しく、弱くて強い、ルシオラが愛した横島の姿そのものであった。

 

 そんな横島に『天秤』はぞっとした。

 煩悩。

 『天秤』は煩悩など、ただ霊力を生み出す泉、程度にしか考えていなかった。霊力を、栄光の手を、そして奇跡の技たる文珠を生み出すだけの感情。文珠の為に霊力があり、霊力の為に煩悩がある。その程度にしか考えていなかった。

 

 だが、何度も自分の干渉を打ち破ってきたのは文珠でも霊力でも無い。煩悩だ。

 煩悩が生み出す人外じみた精神力。エロパワー。それがここ一番で全てをひっくり返してきた。

 

 奇跡の結晶である文珠が、野蛮で低俗な煩悩の前では塵芥に過ぎないのではないか。

 今の『天秤』には、横島が異形の怪物のように見えていた。

 

「さあ『天秤』。他に何か動けない理由はあるか!? あるんなら言ってみるが良い! その全てを乗り越えて見せて進ぜようではないか! 残り一個の文珠を使ってこの国を降伏させる方法も考えたでありんすからでござっしゃい!」

 

(何キャラよ、それ)

 

 テンションが上がって意味不明な言葉遣いになっている横島に、ルシオラは楽しそうに突っ込みを入れる。絶望から復活した反動か、どうやら一種の操(そう)状態になったらしい。

 『天秤』は何も言えなかった。今この場で口を開けば、罵倒を吐くこと以外出来ないと知っていたから。その罵倒の中に、言ってはいけない世界の秘密を言うだろうから。

 黙りこんだ『天秤』に、横島は「よっしゃあ」とガッツポーズを取った。

 

(私は、敵では無い!!)

 

 捻くれた神剣は心の中で叫んだ。どうしてこうも反発されてしまうのか、理解できなかった。

 

 そうして横島は行動を開始した。

 ギイィ。たてつけの悪い扉が出した音にビクリとしながら、横島は牢獄から抜け出す。

 誰にも見つからずにダーツィ大公の死体の所まで行く。

 それがミッション内容だ。

 覗きで鍛えられた隠形の技は、そこらの兵士で見破られるものでは無い。問題はスピリットだ。文珠のおかげで神剣反応で場所を察知される事が無いとしても、神剣の力を引き出した状態での五感は並々ならぬものがある。「WRYYYY!!」な吸血鬼のように心臓の音で探ってくるかもしれない。侵入するときは警戒していなかったから楽だったが、今はそうはいかないだろう。

 

「さて、まずは……」

 

 横島は鼻をクンクンとひくつかせながら行動を開始する。兵士たちに見つからないよう城の中を動き、まるで導かれるようにある木造の扉の前に立つ。

 

『主よ。ここは一体……』

 

「待て。静かにしろ」

 

 横島はそっと扉を開いて、中をのぞき見る。

 そこには、着替え中の女性が二人いた。一人はナイスバディなお姉さん。もう一人は純朴そうなハイティーンの少女。

 どうやら城の女中らしく、給仕服を着ていて、キャップやアクセサリーを外していく。

 

「先輩、何だかお城が騒がしいみたいですけど、どうしたんでしょう」

 

「貴女聞いてないの? 何でもラキオスのエトランジェがこの城に入り込んでるって話よ」

 

「ええ! それっておとぎ話の」

 

「残念でした。何でも変態の方らしいわよ」

 

「……そうなんですか。あ~あ、会ってみたかったなあ」

 

 敵国の戦士が城内侵入しているというのに、二人の女性は何とものんびりしたものだった。一般の人間にとって戦争など対岸の火事なのである。敵国の兵士に侵入されているのに、乱暴されることなど考えもしない。ここは、平和の世界なのだ。

 話しながらもぽいぽいと服を脱ぎ捨てて、下着姿になっていく。

 

「あら、でも変態の方は面白いって話よ」

 

「……カッコイイ方が私はいいです」

 

「面食いねえ。理想が高いと婚期逃すわよ」

 

「先輩みたいに?」

 

「そうそう……って、貴方何気に口悪いわね」

 

「私、嘘を付くような人になりたくなくて」

 

「物は言い様ね。でも、流石に変態はないか。バンダナらしいし」

 

「変態なのにバンダナですものねー」

 

 おほほほほほ。

 そこはかとなく淑やかな笑いが木霊する。

 そこへ……

 

「ギャオ~ム!! バンダナ男参上じゃー!! チチシリフトモモーー!!」

 

「きゃああああああ!!」

 

「変態バンダナです~~!!」

 

 突如現れた変態に女中達は悲鳴を上げて下着のまま逃げ出した。

 ボインな胸や可愛いお尻を、横島はじっと見つめながら見送る。

 女性が出ていくと、彼は地団太を踏んで怒りの声を上げた。

 

「ちくしょう! 悠人の奴め、まさか俺の悪名を世に広めているとは!! つーかバンダナ馬鹿にすんな!!」

 

『自業自得という発想はこないのか』

 

 『天秤』の言葉を無視して無意味な怒りに震える横島だが、霊力だけはしっかり上がっていた。

 たとえ火の中だろうが、水の中だろうが、果ては宇宙であっても姉ちゃんがいれば霊力の回復はできる。

 神剣が使えない以上、横島に残された武器は霊能力しか無い。霊力はしっかりと補充しなければいけないから、たとえ敵地のど真ん中でも涙を飲んで変態的行為をとらなければならない。

 この理屈は『天秤』にも分かった。色々言いたいことはあるが、理屈は通っているのでまだいい。

 だが、次なる横島の行動には納得できなかった。

 

 ヌギ!

 

『……何故脱いだ』

 

 いきなり服を脱いだ横島に、『天秤』は喉から搾り出したような声を出す。

 

「あん? 決まってるだろ。見つかってもすぐにばれない為だ」

 

 どういう事だと、『天秤』は言おうとしたが、次に横島が始めた行為によって何一つ言えなくなった。

 ブリーフ一丁姿になった横島は、先ほどの女性達が着ていた給仕服を物色して、あまつさえそれを身に纏い始めたのだ。流石に下着だけは替えなかったが、ふわふわのスカートに、可愛いリボンが胸元にある給仕の服を。しかもサイズが小さかったようで、なんというか、かなり見苦しい事になってしまっている。

 

(これはこれで可愛いわね)

(個人的には割烹着の方がいい気がしますわ)

 

 ルシオラと敬愛する上司の声が聞こえたような気がしたが華麗にスルーする『天秤』。

 

『もしや、変装……なのか』

 

「それ以外の何にも見えないだろ?」

 

『いや、変態に見える……むぅ、それは元からか……』

 

 現状では、横島の顔は割れていない。さきほど横島を見つけたスピリットなら分かるだろうが、それ以外にはどういった容姿なのか口頭で伝えるしかない。

 本来なら戦うときは神剣反応が出てしまうので、敵性かどうかなんてすぐに分かってしまう。しかし、今は神剣を封印している状態だから反応は出ない。

 現状で伝えられる事などは、年齢や背格好、それにラキオスの戦闘服を着ていた程度だろう。

 あの混乱の中で正確に容姿を把握するのは不可能に近いだろうし、変装などされれば横島を知っていたとしても遠目には分からない。

 

 確かに合理的で筋が通っている。良い考えとは言わないが、悪くない考えだ。だが、何か違うのではないかと『天秤』は思っていた。この不細工不格好不気味な生物の誕生が、良い考えなどあっていいのだろうか。

 

「ふっ! それだけじゃないぞ!! 先の給仕さん達は、変質者に襲われたと証言するだろう。これでこの城には手強く格好良いラキオスのエトランジェと、妖しげな魅力を持つ謎の変質者がいることになる。スピリット達が攻撃命令を受けているのはエトランジェのみ! もし俺を偽物と見破っても、変質者扱いになって攻撃は出来まい!!」

 

『……まあ、単身で本城に乗り込んで来てセクハラを仕掛けてこようとは考えないだろうな』

 

 情報を混乱させる。少数で内部から攻撃していくのならば定石だろうが、やはりなんだか納得いかなかった。

 悪い考えではない。だが、手放しで良策と言えない何か、決定的な見過ごしがあるような気がしたのだ。

 

 『天秤』の不安をよそに、横島は自信ありげに変装したまま部屋を出る。

 髪の毛をすっぽり覆うキャップをまぶかにかぶり、流石に顔は伏せていた。

 

 次に横島が求めたのは情報だ。死亡した大公の元までたどり着くのが目的だが、まさか死体をそのまま放置という事はないだろう。どこかに運ばれたはずだ。走り回る人間たちにこっそり近づいて耳を澄ます。

 スピリット、エトランジェ、変態、ラキオス、チチシリフトモモ――――等々、多くの情報が錯綜しているようだったが、ついに目当ての情報が耳に入った。

 大公の亡骸は自室に運ばれたらしい、と。

 それなら場所が分かる。小さくガッツポーズしながら歩を進めようとしたが、そこで横島を姿を目に入れた城の兵士が叫んだ。

 

「待て貴様! さてはラキオスのエトランジェだな!!」

 

 心臓を掴まれたような衝撃が横島に走ったが、それでも努めて冷静に横島はふるまおうとした。

 

「ち、違うわ! 私は可愛いメイドなのね~!」

 

 顔を伏せながら必死の裏声。彼にはこれが限界だった。

 兵士は全身に鳥肌を立たせながら、声を張り上げる。

 

「すね毛のメイドがどこにいる!!」

 

 ふわふわのスカートからの覗く、すね毛。それも見えたり見えなかったりのチラリズムという極悪さ。こんなものを見てしまったこの兵士は、もはやご愁傷様と言う以外にないだろう。

 言い訳には定評がある横島だが、流石にこれで言い逃れは出来なくて喉を詰まらせたが、まだ考えはあった。

 

「ち、違うぞ! 俺は通りすがりの変質者であって、フェロモンをまき散らかすエトランジェじゃあ……」

 

 いきなり変装がばれてしまったが、こんな事もあろうかと、変質者のマネをしていたのだ。ただ変質者であるならばスピリットを呼ばれる事もないだろう。

 そう考えていたのだが……

 

「だから、ラキオスのエトランジェだろうが!!」

「ちがうって言ってんだろーが! 俺は変質者であって、エトランジェじゃあ!!」

「やっぱりエトランジェじゃないか!!」

 

 どうにも話が噛み合わない。

 一体なぜ、変態なのにラキオスのエトランジェなのか、冷静に問いただしてみる。

 

「いや、ラキオスのエトランジェは変質者だと聞いていたからな」

「……どこから聞いたんだ」

「普通に巷で噂だぞ」

「ちまたってどこやねんー! ニコちゃん大王か~!」

『主よ、それを言うなら『ちたま』だ』

(ヨコシマ、それを言うなら『ちたま』よ)

(ネタが古いですわ)

 

 『天秤』の感じた違和感。それは、エトランジェと変質者を分けて考えていた事だ。

 エトランジェ・ヨコシマ=変態という訳だ。

 まさかラキオス内のみならず、隣国にまで噂が広がっているとは『天秤』も予想外だったが。

 とまあ、そんなアホなやり取りをしている間に、横島は兵士が呼んだ数人のスピリット達に囲まれ、壁際まで追い詰められてしまった。

 

『完全に万事休すだな。さっさと私を使い、脱出するぞ』

 

 それ以外に方法が無い。文珠を使えば逃げられるかもしれないが、それでは本末転倒である。

 しかし、横島はまだ諦めなかった。

 

「嫌じゃああ!! こんな恰好のまま殺されるなんてー!! 

 

「なに?」

 

「足だって舐めるし、宴会で腹踊りだってするんで、どうか御助けを~! 童貞で死ぬのはいやじゃああ~!」

 

 それは正に魂の叫び。横島は床に額を擦りつけ、懇願と哀願を繰り返し涙と鼻水を巻き散らかす。

 

「ふざけるな! 貴様は敵だろう。スピリット! 今すぐにこいつを串刺しにし―――――」

 

「分かりました! 降参、降参するっす! 今後ダーツィの為に身を粉にして働くので、どうかご慈悲を~~~!!!」

 

 米つきバッタのごとく頭を下げる横島。

 そんな横島に、兵士は眉を顰めながら唸った。

 この兵士は人を切った事も、人が目の前で切られるのも見た事が無く、この場のスピリットに命じて惨殺死体が転がる事を密かに恐れていた。それに相手が武装しているならいざしらず、こんな低姿勢の情けない男をどうして警戒しなければいけないのか。

 

 黙り込んだ兵士を、横島は土下座したまま盗み見てニヤリと笑う。

 

「この通りっす! 武器も何も隠してないっすよ~!」

 

「な、何をしてる! 服を脱ぐな!!」

 

「いや、信頼してもらうためには全裸になるのが一番かな~と」

 

「…………ふうっ」

 

 兵士は完全に呆れたようで、疲れた溜息をもらす。

 顔からは緊張も敵意も抜けていた。

 

「でも、流石にパンツだけ勘弁してくれたらな~って」

 

「ああ分かった分かった! 好きにしろ!」

 

 ぽんぽんの給仕服を脱いでいく横島。人間の兵士は顔を顰めたが、スピリット達は眉ひとつ動かさない。

 その様子に横島は僅かに表情を歪ませる。が、それは一瞬ですぐに情けない顔へと元に戻す。

 

「流石にパンツ一丁は恥ずかしいんで、このカーテンで体を隠していいっすか?」

 

「だから、好きにしろと言っている」

 

 この兵士が一言スピリットに命令すれば横島は死ぬ。

 圧倒的なアドバンテージを持っているのは兵士のはずだったが、しかし、この場をコントロールしていたのは横島だった。見た目の凡庸さと、自尊心の低さ。今迄自分を幾度となく助けて来た武器を存分に利用していた。理性を持って、この武器を利用できる所が彼の成長を示していると言えるだろう。

 

 横島はカーテンを剥ぎ取ると、それを体を覆おうとして――――突然目の前で広げてスピリット達に投げつけた。

 カーテンの所為でスピリット達から横島が見えなくなる。次の瞬間、突然の爆発音。カーテンは地に着いたが、爆音と煙で視界が塞がれる。

 視界が戻ったときには、既に横島の姿は無く、壁に外へと続く大穴が開いていた。

 風の吹く間の出来事だ。あまりの事に兵士はしばし呆けた顔をしていたが、謀られた事を知るとわなわなと震えだした。

 あんな情けない男に謀られたのが堪えたのだろう。冷静な判断力を消失しているようだ。

 数多の妖怪、神族、魔族を出し抜いてきた横島の極意とも言える技。

 

「追うぞ、スピリット共。あの変態を見つけ出して殺せ!!」

 

 怒り心頭な男の命令に、スピリット達は大きく開いた穴を通って外へと飛び出していく。

 兵士もスピリットに掴って外に出て行った。

 騒ぎを見て、聞いた兵士達もこぞって外へと走っていく。

 

 誰もいなくなった廊下。そこにある灰色の天井が、ごそりと動いた。

 

「流石にあの状況で外に出ていないとは考えられないだろ」

『天井に張り付き、さらに爆発の際に待った粉じんを体に塗りつけて保護色にするとはな、しかし汚いな』

「ふっ、戦いに綺麗も汚いもクソもないのだ」

『そういう意味では無い。格好の問題だ。パンツ一丁で埃まみれとは……親が見たら泣くだろうな』

 

 『天秤』は嫌味を言ったのだが、横島はどこ吹く風だ。彼の瞳は、何があってもスピリットを助けてエロティカルナイトを迎えてやると輝きに満ち溢れていた。

 横島は走り出す。まだ城には兵士がいたが、格段に数は減っていた。足取りは軽く、このまま大公の部屋までいけるのでないか、そんな楽観論が頭を掠めた時だ。

 

「う……わああぅ!」

 

 あどけもない、舌足らずな声が後ろから聞こえてきた。

 振り向くと、4,5歳程度の幼稚園に通っているような小さな子供が小型の槍を構えて突撃してくる。

 横島はそれを余裕を持って避けた。

 ふみゃあ、という悲鳴と一緒に子供は勢い余って転倒して、膝をすりむいたようで泣きそうになっている。

 瞳は緑。髪の色も緑だ。間違いなくグリーンスピリットだろう。

 

「ハイロゥが出てないな。スピードも遅いし」

 

『どうやら神剣の力を引き出せてはいないようだな』

 

 神剣の力を引き出せていない。この時点で戦力としてはまったくカウントしなくて済む。

 力が引き出せなければ、こんな幼児など成人男性並みの力しかないだろう。

 なんでこんな子供スピリットが襲いかかってくるのだろうと考え、すぐに答えに行き着いた。

 あの大公は死ぬ間際に、全てのスピリットに攻撃命令を出していた。それは、それこそ神剣すら扱いきれない未熟なスピリットも含まれていたのだろう。

 面倒な事をしてくれる。そう思ったが、すぐに思い直す。

 こんな童女なんて問題ではない。見た目の幼さから、彼はそう判断を下す。

 先の兵士が横島の外見に油断したように、今の横島も油断してしまった。

 廊下の端からまたもや子供が出てくる。赤、青、黒の髪をした子供達。全員スピリットだろう。

 こんな戦うついでにおっぱいも触れない子供なんて相手にしていられない。

 横島は子供らは撒こうと走って逃げようとして、

 

「あいあんめぇーでん!」

 

 そんな声が聞こえたと同時に、足の裏に画鋲でも刺さったかのような痛みが突き刺さる。思わず足を止め、床を見るとそこには小さな黒い針の様なものが生まれていた。

 ぎょっとする横島。その耳に、またもや舌足らずな声が響いてくる。

 

「ふぁ、ふぁや~ぼーるぅ!」

 

「え~ちぇるちんく!」

 

 弱弱しそうな赤と青の塊が飛んでくる。

 未熟な神剣魔法といえど、まともに食らえば火傷と凍傷は免れないだろう。

 無論、まともに食らうつもりなどなく、サイキックソーサーで守りの態勢に入る。

 

 やはり、横島には油断があった。

 彼の頭には、先ほど転んで膝を擦りむいて泣いていたグリーンスピリットの子供が抜けていた。

 

「やああ~~!!」

 

 重たい槍を床に置いて、声を張り上げながらグリーンスピリットの少女は横島に向かって体当たりを仕掛けた。

 ただでさえ強靭なマナの肉体に、霊力を纏わせているのだから、童女の体当たりなど何するものではない。

 だが、いくら肉体が強力であっても逆らえない神秘があるわけで。

 

 カックン。

 

「おわっ!」

 

 体当たりは膝裏にぶつかり、誰もが人生で一度は体験するであろうひざカックンを生みだした。

 ひざカックンの神秘の前に、横島の態勢が崩れる。

 サイキックソーサーをすり抜け、炎と冷気は横島の二つの乳首に見事直撃を果たす。

 

「あっじいいいい!! 冷てええええ!! でもなんか良いかも」

 

「え?」

 

 ついに新たな変態の境地に至ったか。

 不穏すぎる横島の台詞に、ざざっと距離を空ける子供達。

 

「横島ダッーシュ!!」

 

 その隙をついて横島が走る。実はかなり痛かったのだが、痛みに慣れている横島は致命傷では無いと判断していち早く行動したのだ。完全に子供達を出し抜いたかのように見えたが、その見通しは甘かった。

 

「げえっ、童女!」

 

 駈け出した横島の目に映ったのは、童女スピリットの集団であった。人間の姿はないが、行く手に立ちふさがるのは十人近くの童女達。これはやばいと回れ右をした横島だが、なんと後ろにも同じぐらいの童女スピリットが立ちふさがっている。

 しまった。思わず唇を噛んでしまう。

 さきほど子供スピリットが横島に向かって神剣魔法を使ってしまったせいで、それを感知したスピリットが集まってきてしまったのだ。

 大人スピリットは外に出ているからしばらく戻ってこれないだろうが、恐らく兵士の指示もなくただ城を徘徊していた子供達は集まってしまったのだろう。

 

『剣豪と呼べる人種ですら素人に槍を持たれて囲まれると、どうしようもないらしい。さて、主にこの包囲網が破れるかな?』

 

 厭味ったらしい『天秤』の声。無理だと、暗に言っていた。

 

(ん? 何言ってんだ。こんなの切り抜けるの簡単だぞ)

 

 周りを囲む童女達を見つめて、横島は自信ありげに答えた。

 

『貴様はまだ神剣の力を分かっていないようだな。今の主の戦闘能力では、どうやっても逃げることはできんぞ』

 

(ふっ! それはどうかな。まあ見てろっ……てぇ!」

 

 スピリットの一人が大剣を掲げて襲いかかってきた。横島の目でぎりぎり見えるというほどの加速。

 『天秤』の言うとおり神剣の力は凄まじい。

 まともに戦えば人間は機関銃を手にしても戦えないだろう。

 

 そう、まともに戦えば!!

 

 やはりまだ幼い所為か、剣術のけの字も理解していない幼稚な剣の軌道。いくら早くても、予測する事は容易かった。

 大ぶりの一撃をサイキックソーサーで軌道を変える。

 そして、その一撃を近くまで忍び寄ってきたブラックスピリットの神剣にぶち当てた。

 ブラックスピリットの手から神剣が吹き飛ぶ。

 吹き飛んだ神剣は、窓を割って外へ飛んでいき、キラーンとお星様に変わった。

 

「う……うあ~~~ん! リーチェの神剣とんでった~!! ああ~ああううう~~!!」

 

 神剣が無くなったスピリットは大声で泣き始める。不可抗力とはいえ、神剣を吹き飛ばしてしまったスピリットはおろおろするばかりだ。

 横島の目が妖しく輝いた。

 

「なーかしたーなーかしたー。せ~んせいにーいってやろ~」

 

 神剣を吹き飛ばしたスピリットを指差し、妙に甲高く、いかにも罪悪感を与えるように間延びした横島の責める悪口が響き渡る。それに泣き声が重なる。

 

「わたし悪くないもん! 悪くないもん!」

「な~かした~な~かした~」

「わるく……ないもん……」

「な~かした~な~かした~」

「わ、わるく……うわぁ~ん!!」

 

 横島に執拗に責められて、とうとう少女は泣き出してしまう。すると、隣にいた子も泣き出した。涙は感染するのだ。

 あっさりと数人のスピリットを戦闘不能に追い込む横島だが、流石にずっと俺のターン! とはいかない。

 

「こら~みんなをなかすな~!」

 

 気の強そうな、子供の中では年長組に入るブルースピリットが切りかかってくる。

 かなりの速さの神剣を何とかサイキックソーサーで受け止めるが、斬撃は防げても衝撃までは殺せず、ピシッという音と共に小指が粉砕された。

 こんにゃろう! なかせちゃる!! 

 横島の顔が意地悪く歪む。そして、

 

「ヨコシマ菌、あ~げた!」

 

 そう言って襲い掛かってきたスピリットの子供の胸をトンと叩いて後ろに下がらせる。そして栄光の手をダンゴ虫の足のように醜悪な形にしてかさかさ動かす。かなり不気味だ。

 ブルースピリットは何か良からぬものをうつされたと分かると、怖くなってブルブルと震えだした。

 

「いらない、ヨコシマキンいらないよ! かえす!!」

 

「だめだ! バリア~張った!」

 

 横島は腕を十字にクロスさせてポーズをとる。別にオーラの障壁を展開したわけではなく、サイキックソーサーでもない。バリアーなのだ。

 バリアが張られては仕方ない。ヨコシマ菌をうつされたスピリットはすごすごと退散した。そしてはっとしたときには、周りのスピリットが一定の距離をとっていた。

 

「こいつに触ったらヨコシマ菌がうつるぞ~逃げろー」

 

 横島の声が響くと、離れた少女たちはビクッと反応して、ヨコシマ菌保持のスピリットからさらに離れた。

 感染スピリットが近づく。みんな離れる。近づく。離れる。近づく。離れる。

 誰も近づいてこなくて、少女は一人立ち尽くす。元気がいっぱいの勝気な子だったが、まだまだ子供。孤独に耐えられるわけも無く、溢れるものを抑えることなど出来はしない。

 

「ひっ……くぅ……ひどいよぉ……みんなぁ」

 

 大声で泣きわめく事はなかったが、涙を流してしゃくり声を上げている。

 逃げてしまった少女達の胸に罪悪感が芽生える。まさにその瞬間だ。

 

「な~かした~な~かした~」

 

「!?」

 

 手を差し伸べなかった少女達を指差し、またしても横島は甲高く声を張り上げる。

 一分後、人間の兵士とスピリットらが来たときには、少女達は涙の大合唱をしており、兵士達が声を張り上げて命令してもそれは届くことは無かった。

 

 

『くだらん! 殺し合いを何だと思っているのだ!! 我らは戦争をしているのだぞ!!』

 

 少女たちを泣かし終え、目的地に向かう最中、期待を裏切られた『天秤』は酷く失望したようで、怒りの言葉を巻き散らかしていた。横島もその言葉に深く頷く。

 

「本当だよなあ。よくもまあ、あんな子供に戦争させようとするもんだ」

 

 言葉の調子は軽いが、それがより横島の怒りを物語っていた。何があっても目的を果たさなければ。強く心に決める。もしこの策が失敗したら、あの子供たちも殺さないといけないのだから。それは正直、考えられない事だ。

 

「やっぱ相手に感情があると楽やな~」

 

 しみじみとそう言った。

 相手を怒らせ正常な判断を奪い、そうしてこちらのペースに巻き込み、何だかんだで打ち倒す。それこそが美神流の真髄。相手に感情があって、さらに優れた指揮官がいないのであれば、精神的に未発達なスピリットなど格好の餌食に過ぎない。ただ、こういった戦いは『天秤』を持つとこちらの精神が不安定になるためできない。力か、もしくは心か。中々判断が難しい所だ。

 

 横島はさらに歩を進める。そしてついに、大公の部屋前まで到着したが、そこで横島は舌打ちした。

 部屋の前には十人近くの人間とスピリットがいたのだ。それも先ほどのような子供ではなく、十分経験を積んでいそうな大人のスピリットだ。

 横島はばれないように隠れて気配を殺す。

 

「なあ『天秤』。どうして、ここにスピリットが居ると思う。なんつーか、まるで思考が読まれて先回りされているような気がすんだけど……』

 

『……妄想だ。そんなわけ無かろう』

 

「……う~む」

 

 大公の変心からずっと、何か見えざる手が働いているような気が横島にはしていた。

 どうにも神様が依怙贔屓しているような気がしてならない。

 

『くだらない戯言は抜きにしろ。さあ、今度はどうする。同じ手が二度も通用するとは思えんぞ』

 

 そうだなと、気を取り直し改めてスピリット達を隠れ見る。

 部屋の前にいるスピリット達は10人ほどで、皆10代後半から20代前半ぐらい年齢。瞳は暗く、表情は無い。どうやら神剣に心を飲まれたスピリットのようだ。人間達も完全武装している。

 横島は舌打ちした。最後の最後で、最悪の守りだ。一体どういう思惑でここは守っているのか。それほど大公の遺骸を守りたいのだろうか。

 力攻めは不可能。それこそキラーマジンガの群れにステテコパンツ一枚で突撃するようなもの。

 やはり搦め手しかないのだが、横島の額には焦燥の色が浮かんでいた。

 悠人が発起してからそれなりの時間が経っている。どれほど強力な力を持っていようと長時間の戦闘は肉体的、精神的に参ってしまう。いや、強力だからこそ長い時間戦えないのだ。

 一刻も早くこの守りを突破しなければならない。だが、搦め手では時間がかかる。

 

 覚悟を決めるか。

 

 横島は栄光の手を作り出す。そして、

 

「飛べ、栄光のロケットパンチ!!」

 

 栄光の手が空を飛んだ。手はそのまま人間の隊長に向っていき、その服を掴み取る。

 不気味な手に掴まれた兵士は悲鳴を上げるが、そんなのは無視して遠隔で栄光の手を操作して、窓ガラスへ放り投げる。

 かなりの高さがあるから、地面に叩きつけられれば下手をすれば死んでしまいかねない。

 だが、そこは横島もちゃんと考えていたようで、ぼちゃんと池の中に落ちた。

 

『あ、主! 人間を傷つけては!?』

 

「うっさいわい! 死ななきゃいーだろ!?」

 

 開き直った横島に『天秤』は絶句した。

 

「ス、スピリット! 早く来い! 俺を守れ!!」

 

 鎧の重量もあり、泳げない兵士が水の中でスピリットを呼ぶ。

 スピリットは命令に従って、部屋の前から移動を始める。

 

「よっしゃ! 今のうちに大公の部屋へ……」

 

 スピリットが人間に構っているうちに、さっさと大公の亡骸までたどり着こう。

 横島の考え通りに言った―――――かと思いきや

 

「あぷ……救助のスピリットは……うぷ、一人で良い! 他はそこで待機だ!」

 

 はたしてどういう心境の変化が数秒で起こったのだろうか。

 溺れながらも兵士は突如理性を持ち直し、適切な命令を下した。

 ブルースピリットが一人だけ外に行っただけで、また部屋前に居座られる。

 さらに人間の兵士もやってきて防備を固めてしまう。

 

 ――――なんだこれ。本当にありえないだろ。

 

 違和感がある。出来の悪い演劇を見せ付けられているような気持ち悪さがある。

 無理やりにでも、ある方向へストーリーを持っていこうしているような、そんな気配がある。

 何となく、分かった。これは小ざかしい手を使っても、きっと上手くいかない。

 これなったら多少の犠牲は仕方ない。

 

「うりゃ!」

 

 遠くから栄光の手を伸ばし、曲げて、見つからないようにしながら兵士の手足を切り裂く。

 悲鳴を上げて逃げ出す兵士達。当然、護衛に一人のスピリットを付けてだ。

 そうやって人間達を傷つけて、横島はスピリットを部屋の前から少しずつ消していく。

 

『主! いくらなんでもこれはやりすぎだ!!』

 

「仕方ないだろ! ここでやらなきゃ負けるぞ! 負けたら、あんな子供まで殺すことになるんだぞ!?」

 

『だが、王女になんと言い訳するつもりだ!』

 

「レスティーナ様には後で土下座するさ! 何か問題が起こったら、俺が何とかする!!」

 

 覚悟を決めた横島に『天秤』は歯噛みする。何があっても我らの策謀を超える事などできないくせに、何故意味もなく抗うのか。

 運命は決まっている。どのようにあがこうとも、世界は我らの都合で動くというのに。

 

(策謀を超えられないね……どうかしら。私の予想が正しいのなら、そろそろあの極悪お婆さんが……)

 

 ルシオラは意味ありげに『天秤』の方を見て、聞こえない程度に誰かに呪い言葉を吐き出す。

 やはり、『天秤』には意味がまるで分からなかった。

 だが、ルシオラの予想とは何なのかは、すぐに分かった。上司から連絡が入ったのだ。

 

(『天秤』、聞こえますか)

 

(ほ、法皇様! 一体どうされました!?)

 

(伝えねばならない事がありまして。今回は流石に干渉しすぎたようで、どうもカオスの連中が良からぬ動きをしているようです。彼にもこれ以上の不信感は与えたくありません。貴方も干渉せず、流れに任せてください。では)

 

 流れるようにそれだけ言って声は聞こえなくなる。

 唐突で理由は曖昧。しかも強引すぎて『天秤』は何一つ質問することはできなかった。ぐるぐるぐると、思考が空回りの回転を起こす。

 何故、どうして。運命は我らの味方では無かったのか?

 

(ほら、言った通りになったじゃない。これで勝負の行方は分からなくなったわ)

 

 贔屓をしていた神様が公平になった。これで戦いは役者次第。

 

(貴様! どうしてカオスの動向を知った!! まさか私が知らない力でも隠し持っているのか!?)

 

(そんなわけ無いじゃない。予想よ。今迄の情報をかき集めて、そうして出た結論)

 

(私に分かるように説明しろ!)

 

(言えないわ)

 

(何故だ!)

 

(言ったとしても、今の貴方は答えを受け入れないから。万が一受け入れても、それが無かった事にされるからよ)

 

(……もう良い。貴様は会話する気がないようだ)

 

 『天秤』とルシオラが会話している時も横島は動き続け、ついにスピリットを扉の前から引き離した。横島は大公の部屋に入る。

 そこにいた大公の亡骸を守る数人の兵士が横島に剣を向けるが、その表情は怯えきっていた。

 無理も無い。今の横島の顔は形容しがたく、ただ異様としか言いようが無いのだから。青年と少年の中間のような顔からは生気に満ち溢れたオーラを放っていて、目は猛禽類のようにギラギラしている。しかもパンツ一丁で半裸を惜しげもなく晒し、手からは光り輝く剣が生えている。

 童話の中から出てきた怪物。

 

「のぴょーん! のぴょーん! のぴょーん! のぴゅーん! のぴょーん!」

 

 それが奇声を上げて迫ってくる!!

 

「うわああああああああああああああ!!」

 

 兵士達は我先にと逃げ出した。

 

「……逃げ出したな」

 

『当然だろう!』

 

「そうか? 何か急に変わったような」

 

 世界や人間達に関する干渉が抜けたことを、横島は鋭敏に感じ取っていた。

 

 横たわるダーツィ大公の亡骸。目は閉じており、胸の所で手を組んでいる。体はまだ熱を持っていたが、やはり少し冷たくなっていた。

 横島はふっと息を吐いて、精神を集中させる。手のひらに文珠が出現した。刻まれている文字は『蘇』

 最高権力者の遺命という形で出された命令を撤回させる方法は一つ。最高権力者自身にその遺命を撤回させるしかない。簡単に言えば、生き返らせればいいのだ。

 正に文珠らしい反則といえる策だ。

 

「生き返れ!」

 

 『蘇』の文珠が光を放つ。光はダーツィ王の体に吸い込まれていく。

 これが最後の手。もしこれが失敗に終わったら、敵スピリットを全て皆殺しにするしかない。しかも、圧倒的に疲弊した状態で。

 上手くいってくれと、横島は手を合わせて必死に祈った。やるだけの事はやった。尽くせる限りの手は尽くした。上手くいくはず。これだけやれば……

 

 ―――――――それでも手が届かない事もある。忘れたのか? 彼女は……

 

 心の底から声が響く。

 『天秤』の声ではない。他の誰でもない、自分の声だ。足掻きに足掻き、結局手が届かない。そんな結末が生んだ、弱い自分。

 ソイツの声を聞いて、横島は恐怖したかのように目を閉じる。そして、光が収まると、恐る恐る目を開けた。

 

 ダーツィ大公は―――――生き返ってはいなかった。

 

「ちく……しょう! くそくそくそ! くそったれ!!」

 

 賭けは失敗に終わった。横島は、負けたのだ。

 

『ふっ、ふふ。さあ我が主よ、ここで後悔している暇はないぞ。早く次の行動に移らねばならない。第一にやらなくてはいけない事は味方との合流だ。こんな敵地のど真ん中に何時までも居て良いものではない。それから先の行動も私が指示を出す。主はただ、私の指示に従えばいい。それが最良最上なのだ。さあ、行くぞ!』

 

 生き生きと弾んだ声で、『天秤』は打ちひしがれる横島に指示を出す。

 いい気味だと、これは良い薬になったと、『天秤』は非常に満たされた気持ちになっていた。

 その愉悦は、自分の進言を無視した横島の苦しみが愉快だった事も有るが、何より自分が付いてなければこの男は何も出来ないのだと、確信できたからだ。ざまあみろと、横島とルシオラにも『天秤』は言って勝ち誇った。

 

 生き生きする『天秤』とは正反対に、横島は青白い顔で諦め切れないと悔しそうにダーツィ大公を睨み付ける。そして気づいた。

 ダーツィ大公の顔は文珠を使う前よりも赤みが差しているように見えた。体を触ると、まるで生きているかのように熱くなっている。そう、文珠は確かに効力を示したのだ。ダーツィ大公の体は文珠を使う前よりも蘇っている。酸素が行き届かなくなり壊死を始めた細胞は見事復活を果たし、固まりかけた血も溶けて、体はより温かくなり、まるで死亡した直後のようになっている。

 ただ、生き返るほどは回復しなかっただけ。一個の文珠だけでは生き返らせるのに力不足だっただけ。とはいっても、今ここで文珠を新たに作るのは不可能だ。次に作れるのは最低でも後三日は必要。

 

 何か方法は無いのか? あと一手。何かがあれば。

 

 そして思いついた。思いついてしまった。最後の策。

 禁断。禁忌。禁制。禁止。ありとあらゆる災厄を封じたパンドラの箱とも言うべき一手。

 その策は本来、希望であり、勇気であり、愛であった。男なら誰しも一度は考える夢の一つだった。

 しかし、今のそれは悪夢。だが、それだけが希望。

 

「ひでえ! ひでえよ!? この世界に来て、俺はまだ唇と唇の……はまだやって!」

 

 横島が流した涙が、大公の頬を落ちた。横島は大公に馬乗りのような体勢になっていたのだ。

 くそ。何で俺が。神は死んだ。のっぴょぴょ~ん。ぱんぴれぽにょーん。夢だ、これは夢なんだ!

 泣きながら現実逃避をはかる横島だが、それでも時計の針は止まらない。こうしている間にも死闘が繰り広げられているのだ。ネリー達の顔を思い浮かべ、悠人への対抗心を燃やし、ついに決断する。

 横島はパンドラの箱を開けた。ぽとりと、部屋に飾ってあった花の頭が落ちた。

 

 その直後、乱暴に扉が開き、人間達とスピリットが乱入してくる。

 彼らは目撃した。

 それは神秘であり、尊いもので、愛そのものであった。

 誰もがその光景を声を忘れて見守る。

 そして、奇跡は成った。

 二人の前で、兵士達は剣を収め、頭を垂れた。

 彼らの顔には既に戦意は無い。

 某聖人の復活を目撃した弟子の如く、啓蒙されてさっぱりとした顔ですらあった。

 

 数分後。

 白旗が振られ、戦いはここに終結した。

 

 

 

 悠人達はダーツィの城へ走っていた。彼らの戦闘服ぼろぼろで、彼ら自身も傷を負っていないものなどいない。

 ただ相手の攻撃を逸らし、受け止める。それを延々と続けて来たのだ。一体どれほど神経をすり減らした事だろう。

 だが、彼らは勝ったのだ。けが人は多く出たが、死者はついに敵にも味方にも出なかった。

 それがどれほどの奇跡なのかは、言うまでもないだろう。

 全力を持って悠人達を攻め立てつづけたダーツィのスピリットは、白旗が振られると同時に一斉に倒れ伏した。精魂尽き果てたようで誰一人立ち上がる事などできはしないかった。白旗が振られる直前のあり様は、まるで生まれたての小鹿のようにだったと悠人は語っている。

 

 その奇跡を実現した者たちは、未だに勝利の声を上げてはいなかった。

 もう一人の主役が居ないからだ。この戦いの最後は全員で笑顔で。

 打ち合わせをしたわけではなかったが、誰もがそう願っていた。

 

 はたと悠人達の足が止まる。

 彼らの目に、夕焼けをバックにして向かってくる横島が目に映った。悠人達は笑顔で彼を迎える。

 全員が見た。横島の体には火傷、凍傷などの傷が無数に刻まれているのを。さらに顔色は悪く、しわくちゃでげっそりとしていた。想像絶する苦闘があったのだと誰もが理解した。

 これほどの目にあっても神剣を使わずに戦ったのだろう。スピリットを殺さずにハーレムにしたい、と言う横島の馬鹿馬鹿しいまでの強い意志を思い知った。

 そして、それをやり遂げたのだ。全員の力を合わせた勝利。薄氷を踏むような戦いだった。ここにいる誰一人欠けたとしても、この勝利はありえなかっただろう。

 単純に勝利に対して喜ぶ者もいれば、色々と思う所がある者もいる。幾つかの問題が浮き彫りにもなった。しかし、生きている。敵も味方も、多くの命が消えずに済んだ。

 生きていれば、その問題も乗り越えられるだろう。生きているのだから。複雑な胸中を抱えたものも、今は素直にそう思うことにした。

 

 そう―――――――この問題はどう乗り切るか。

 

 全員が頬を引き攣らせて、近づいてくる我らが副隊長を見つめた。

 横島はパンツ一枚だった。しかも、ブリーフ。横島の股間はこんもりとしている。

 パンツ一丁のこんもり男が夕日を背にして、あはははと笑いながら走ってくる。それも大きく手を広げて、何故か滝のように涙を流しながら。

 

 ―――――――――ひょっとして抱きついてくるつもりだろうか。

 

 全員が恐怖した。

 その姿の異様さに、子供達すら笑顔を引きつらせて、額から冷たい汗を流す。間違って殺しても無罪になりそうな、それほどの変態。むしろ殺した方が世界のためではないか、とすら思ってしまう。一応、完全にパンツ一枚というわけではない。額には彼のトレードマークともいうべきバンダナが巻いてある。所謂半裸バンダナだ。だからどうしたと言われればそれまでだが。

 抱擁を拒否するという選択肢は無い。できない。戦いを終え、全員の気分は最高潮。ここで抱擁を断って逃げるなど、空気が読めない奴の烙印が押されてしまうだろう。しかし、『あれ』と抱き合うのは絶対にお断りしたい。切り抜ける方法は一つ。自分ではない誰かにその役を押し付けること。

 悠人達の間で緊張が走る。誰かが、その役を、生贄にならなければいけない。最後の戦いの始まりだ。

 

(ナナルゥ、お願い)(いえ、遠慮します)

(がんばれ、シアー!)(え~やだよ~)

(パパ、ごー!)(いや、普通になしだろ)

 

 誰一人として生贄役になろうとする者は居ない。当然だが。

 このままでは埒が明かない。一致団結して、誰か一人を人身御供にしなければ。

 全員がそう心を一つにする。いや、一人だけそう考えなかったスピリットがいた。

 この時点で、そのスピリット、ヘリオンの運命が決まった。

 ヘリオンを除く全員で瞬時のアイコンタクト。ここまで僅か一秒未満。

 心を一つに束ねれば、大きな力を引き出すことが出来る典型といえよう。例え、それが悪巧みだろうとも……

 

(仕方ないですね~じゃあ、お姉さんがやりましょうかぁ~)

(いえ、ここは私が)

(ネリーがやるよ!)(シアーも~)

(えっ? ええっ!?)

 

 いきなり全員が立候補を始めて、ヘリオンは驚いた。

 誰も彼も横島の抱擁を受けようと躍起になる。その空気にヘリオンは流された。

 

(じゃ、じゃあ私も)

(どうぞどうぞ)(どうぞ~どうぞ~)

(どうぞどうぞなの)(どうぞです)

(ふ、ふぇぇぇ!?)

 

 集団からはぶられるのは、強過ぎるものか、弱いものである。ヘリオンは弱いものだった。

 セリア達は横島に向かって走りこむ。互いの無事と勝利を喜び合うために。ヘリオンを前に突き出して。

 ふえ~ん、と泣き笑いの表情で横島に向かっていくヘリオン。変態とはいえ、想い人にギュッとされるのならいいだろうと覚悟を決めたのだ。

 

 そのときだった。悲劇は、起こった。

 度重なる激闘の中で、ブリーフという名の守護者は限界に到達していたのだ。

 

 すまない……どうやら俺はここまでのようだ。皆……俺もそっちに逝くよ。

 

 プチンという音と共に、彼はその身を大地に返す。

 そして誕生する、全裸の変態バンダナ付き。

 

「口直しに……ムチュー!!」

 

 ヘリオンに飛び掛る横島は既に正常な目をしていない。どうやら心に深い傷を負っているらしく、女なら何でもいいようだ。腰のブツがぶら~んぶら~んしているのも気づいていなかった。

 

 声無き絶叫。煌く白刃。紅く染め上げられる大地。生まれる金色の霧。グッバイ人生。こんにちわ来世。

 

 こうしてダーツィ大公国攻略戦は幕を閉じる。敵味方とも正面からぶつかり合って、双方死者ゼロという奇跡とも異様とも言える戦いだった。

 戦争終了後に重傷者が一名出て、一分後にはピンピンしていたのはお約束とでも言っておこう。

 

 ラキオス、ダーツィを征服。

 マナが枯渇していたと言え、ダーツィの治めていた地はかなり広い。北方の小さな領土を治めていただけのラキオスの領土は、数ヶ月前の何倍にも膨れ上がっていた。

 この戦いの結果はすぐさま大陸全土に伝えられる事になる。

 その中でも一番大陸に駆け回った情報と言えば、エトランジェである悠人、横島の両名である。彼らの力の大きさは、ラキオスのみならず敵対している国にも大きく噂される事となる。その中でも横島の名前は抜きん出て噂になった。

 曰く、ただの一人で城を陥落させたらしい。

 曰く、パンツ一枚で敵を屈服させたらしい。

 曰く、全裸でダーツィ大公を服従させたらしい。

 等々の噂が流れ、最終的に、

 曰く、病に倒れたダーツィ大公を愛の御技によって復活させたらしい、に落ち着いた。落ち着いたといったなら落ち着いたのだ。

 その噂は広がりを見せ、ラキオスのエトランジェが人間の兵士を傷つけたという話は埋もれていった。信じられない事であったが、どういう訳かその話は人々の間には広まらなかったのだ。

 ラキオスの王女は胸を撫で下ろし、とある神剣はそれを口惜しく思ったが。もっとも、それは結果論という形で物を見た場合であって、王女は、横島の優先順位の中で自分は高くないのだと印象付けられる形となった。それがどういう意味を持ってくるかは、今しばらくの時間が必要だ。

 とまあ各々の事情はあるのだが、今回の問題は横島には都合が良い形で終わりとなり、ラキオス王国エトランジェの名声のような悪名のようなものは、広く大陸に知れ渡っていくのであった。

 

 

『認めん、認められん! 神剣を……この私を使わずに最良の結果を出すなどと!! こんなご都合主義が認められるものか! 横島よ、思い知ってもらうぞ。私の力を、正しさを!!

 エニよ……早く会いたいものだな』

 

(ご都合主義ね。本当に、誰にとっての都合なのかしら。あの女が本当に横島を信じて、愛しているなら、これが最悪の形なんて事も……)

 

 

 その日、『天秤』は神様に願った。一刻も早くエニを横島の元につれてきて欲しいと。

 それは、エニの身に容赦なく牙を突き立てる事になるのを知っての事だが、しかし、その牙がどれほど醜悪で汚辱に塗れているのかは知らなかった。

 

 


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