永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第十九話 彼女が望んだ結末

 永遠の煩悩者 

 

 第十九話 彼女が望んだ結末

 

 

 

「――――エニ?」

 

 目の前に現われた少女が誰なのか、始め横島には分からなかった。

 鮮やかな金髪に小さく幼い四肢。手のひらで握っているのは無骨な槍。

 着ているものは薄汚れているが、ラキオスのグリーンスピリットが身につける緑を基調としたエーテル製の戦闘服で、襟にはラキオスの国旗である龍の紋様が刺繍されている。

 外見だけ見れば、つい先日まで一緒に生活をしていた少女で、ルルーにお願いして探していた少女に相違ない。

 

 目の前にいる少女はエニだ。

 

 だが、外見が瓜二つでも横島にはこの少女がエニとは思えなかった。

 顔が、表情が死んでいた。昆虫のような無機質な眼。

 星をちりばめたような瞳の輝きも、四季のように様々な表情も、そこには無い。綺麗なだけの顔。

 

 精巧に作られた人形はどれだけ美しくても、いや、美しいからこそ一種の不気味さがある。

 今のエニは正にそれであった。

 

「ほんとに……エニか? あー元気にしてたかぁぁ!」

 

 横島の問いにエニは答えず、槍型永遠神剣『無垢』を構えると彼を突いた。

 悲鳴をあげて飛び退く。穂先は残酷に心臓を狙っていた。

 

「何だ、どうした!? 反抗期か!? 下着を一緒に洗うのは嫌なお年頃ってやつなのか!?」

 

 おどけた様な声を出して、横島は槍を間一髪避ける。そして、一定の距離を取ると、手足や体がぐにゃりと曲げて、まるで蛸ように柔らかくした。

 相変わらずふざけた様な、真面目とは無縁のような戦闘スタイル。

 そう、戦闘の態勢を彼はとった。顔は笑っていても目はエニの動きを追うために鋭くなる。手にはいつのまにか出現した『天秤』が握られていて、力を引き出した証拠に足元には幾何学的な魔法陣が生まれていた。

 

「マナ……マナ、マナ、マナ、マナ、マナ、マナマナマナ」

 

 ブツブツと抑揚の無い、しかし狂信的な響きのする声でマナを求めるエニ。

 まるで壊れたテープレコーダーのようだ。

 

「マナマナ……恐怖の拉致監禁シナリオかー!?」

 

『主、おどけるのはいい加減にしろ。理解しているのだろう。現実を見るのだな』

 

 『天秤』の冷然とした声が響く。

 動揺の見られない声に横島は恨めしそうに『天秤』を睨み、潰すように強く握り締めた。

 

(それで抗議しているつもりなのか、横島よ。なんと小さく、なんと哀れな!)

 

 弱者が目を閉じて、精一杯の無意味な抵抗する様子は『天秤』を自尊心を満たしていく。

 

 ついにこの時が来た。

 横島がエニを、贄を食うときが!!

 

 負の喜びが『天秤』に去来する。

 それはサディズムにも似ていて、暗く抑圧されたものが噴出した瞬間だった。

 

「くそ! 一体どこの誰がエニを!!」

 

 心砕かれ洗脳された。

 一言で言えばそういうことだ。

 自我を弱らせ神剣に心を奪わせる。そうして機械のようになったスピリットを意のままに動かすのが洗脳と言っていい。

 どうやってスピリットの心を弱らせるのか、横島は知らないし、知りたくも無い。ただ、十日間程度で洗脳が完了するとは思えないし、そもそもエニはラキオスのスピリットだ。スピリットが上位の人間に逆らえないとすれば、エニはラキオスの人間以外の言うことを聞く義務は無い。だとすれば、洗脳などそもそも不可能だ。

 謎が生まれたが、今考えるのはそんな事を考えている場合ではない、と横島は首を振った。

 

『さて、どうしたものかな』

 

 そんな事を言い出す『天秤』を、横島は馬鹿かと思う。

 

「どうしたもこうしたもあるか。さっさと連れて帰って元に戻すぞ」

 

 きっぱりと言い切る横島。

 本当に分かりやすい人間だと、『天秤』は横島に憐れみさえ持っていた。

 しかし、それは湧き上がってくる愉悦にあっさりと飲み込まれていく。

 

 足掻け足掻け! 伸ばせるだけその手を伸ばしてみよ!

 その手が、足が、目が、鼻が、耳が、体が、血潮が、心が、何の意味も無いのだと知れ!!

 

 『天秤』にエニを助ける気など無い。

 あるのは横島を苦しめ、絶望させながらエニを殺させて、そのマナを食うことのみである。

 元々、そういう任務だったが、今はもう任務なんて関係ない。エニを殺すことを『天秤』が望んでいるのだ。

 理不尽な、意味の分からない、自分勝手な、『天秤』自身がもっとも嫌う感情に、彼は支配されていた。

 

 

 味方のいない、横島の孤独な戦いが始まる。

 この戦いの勝利条件は二つある。一つはエニの心を取り戻す。これがベスト。

 もう一つは無理やりにでもエニを取り押さえて連れ帰る。こっちがベター。

 敗北条件は言うまでも無く、横島orエニの死亡。

 

 横島は勝利条件の前者の方を選んだ。何故なら、心を取り戻す方が楽だからだ。神剣を持つものを取り押さえるのは至難の技で、もし取り押さえたとしても戦闘不能状態になったら舌を噛み切って自害する可能性もある。

 一声掛けて戻る可能性もあるのだから、心を取り戻す方が楽のはずだ。

 もっとも、心を完全に取りこまれていたらどうしようもないので、その時は無理やり連れ帰るしかないのだが。

 どうすればエニの心を取り戻せるのか。横島は頭を捻る。

 

 文珠が無いのが痛かった。文珠さえあれば、エニの動きを止めるのは容易だった事だろう。

 後三日、いや二日あれば一個は作れたはずなのに。もしくは悠人に使っていなければ。

 

 どうしてこんなにも間が悪いのか。

 しかも一人で散歩している所に現れるとは、運が悪いにもほどがあるというもの。

 せめて仲間が数人いればもう少し楽だったのに。まるで狙われたようだった。それとも本当に狙われたのか? だとしたら一体誰が仕組んだのか? そもそも仕組めるのか?

 あまりにも不可解な事の連続で疑問ばかりが膨らんでくるが、やはり今は蓋をする。

 

「そんじゃ、まずはエニの攻撃を凌いで援軍を待つぞ。んで、合間に合間に声を掛け続ける」

 

 横島は冷静だった。そして臆病だった。

 一人よりも二人、二人よりも三人。すぐ傍に頼れる仲間達がいるのだから、助けを待たない手は無い。

 どうやって心を取り戻すかはまだ考え付かないが、何をするにしても仲間がいた方が楽である。

 

「あああ!」

 

 エニは獣じみた唸り声を上げながら『無垢』で横島を突いてくる。

 その鋭さはラキオス一のグリーンスピリット、エスペリアにも匹敵していた。さらに緑マナを『無垢』に纏わせることによって、単純な打撃力だけでなく魔術要素も付与されている。

 ひらと落ちてきた木の葉が『無垢』に触れただけで灰燼と化す。

 心を神剣に食われて、より多くの力を引き出せるようになっている。

 しかし、元々の超人的な反射神経に神剣の力が付与された横島には、音速を超えた程度のスピードなど大したものではなかった。

 

「ふっ、ほっ、なんの、ほりゃほりゃ!」

 

 幾分の余裕を持って避ける。神剣の力を全開まで解放すれば、雨すら見切る事が可能な横島だ。ただ速いだけで技術の伴わない突きなどどうということはない。

 戦えば普通に勝てる。それが分かって横島には余裕が生まれた。

 

「蝶のように逃げ、蜂のように逃げ、ゴキブリのように逃げる!!」

 

『つまり逃げ回るだけだろうが』

 

「三十六計逃げるにしかずってやつだ」

 

 そんな軽口を叩く余裕もある。

 

「お~い、もどってこ~い」

 

 エニは槍を突いていくる。

 

「美味しいネネの実のパイが待ってるぞー!」

 

 表情一つ、眉一つ動かすことは無く。

 

「こらー! いい加減にしないと、時給255円の刑にするぞ!!」

 

 黒く染まったハイロゥは何色も受け付けず。

 

「シカト、カッコ悪い!!」

 

 マナを集めるだけの存在と化していた。

 

『ふっ、効果無いな』

 

「『ふっ、効果無いな』じゃねーよ! つーか、お前も何か言え! 愛しのテン君が声を掛ければ一発で戻ってくるぞ! ちきしょーめ!」

 

『ふん、断る。何が愛しいだ、空々しい』

 

「にぶちんも大概にしろゴルアアアア!! お前はどこのギャルゲー主人公じゃあ!?」

 

 まったく話が噛み合わない。

 だが、それも当然。二人の目指しているものは『正反対』なのだから。

 その上、エニに対する意識も立場も二人は互いに勘違いしているのだから。

 

「うっ! しまった」

 

 逃げ続けていた横島の目の前に崖が立ちふさがる。一回一回の攻撃を避けるのに夢中で地理を読んでいなかった。

 袋小路に追い詰められた横島に、エニが襲いかかる。

 危険を感じた横島は無理に避けるのをやめて、むしろ前に出た。

 

 カエルが地面すれすれを飛ぶようにエニに向かって飛んで、『無垢』の穂先を掻い潜る。穂先を外されたエニは、柄の方で飛びついてくる横島を薙ごうとした。迎撃のタイミングは完璧で、空中で動作できない横島に避ける術は無い――――と思われた。

 

「っ!」

 

 薙いだ柄は、重々しく空を切った。

 横島は咄嗟につま先に栄光の手(この場合、栄光の足と言うべきか)を作り出して地面に突き刺し、ピタッと空中に静止していたのだ。

 狙いを外されて、エニに完全な隙が生まれる。それを見逃す横島では無い。

 つま先に作り出した栄光の足に力を入れて再度エニに飛びついた。腹辺りに抱きつき、押し倒す。

 

 意図せずエニを無力化できる体勢になった。右手で右手を、左手で左手を、体で体を、無理やりに押さえつける。

 傍目には青年が少女を押し倒しているようにしか見えない危険な体制だ。

 

「やっ……うあああ!!」

 

 鎖に繋がれた獣のようにエニは暴れた。

 

「こ、こら! 落ち着け!? いやー! こんなところ見られたら勘違いされる……を?」

 

 横島は見た。見てはいけないものを、見てしまった。

 めくれあがった服から覗くエニの白い素肌。そこに刻まれた生々しいまでの痕跡を。

 

 エニは暴れる。何かに恐怖するように。何かを険悪するように。

 

 それが何を意味するのか。エニは何をされてきたのか。

 

 

 ――――全て、理解した。

 

 

「マジかよ……グホッ!」

 

 呆然として力が抜けた横島。その隙をついてエニの膝が彼の腹を打って拘束から逃れる。

 横島はしばらく思考を停止していたが、我に帰ると頭が怒りで埋め尽くされた。

 

「ふざ……ふざけんな! スピリットとかそういう問題じゃねえ! ガキだぞ! 本当に子供だぞ、おい!!

 ふざけんなふざけんなふざけんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

 咆哮が大地を揺らして、怒りと呪いを世界へ吐き出す。

 一体どうやってエニの心を弱らせたのか、分かってしまった。

 

「くぅ! 何でもっと真面目に探さなかったんだよ! 俺は!!」

 

 悔恨の念が体を巡る。なんでもっと真面目に探さなかったのか。戦勝で浮かれていたときに、エニは一人で戦っていたのだ。無論、探していなかったわけではない。だが、本気で探していたわけではなかった。そのうち見つかるだろうと、何の理由もない楽観論が横島の頭にあった。これが、その結果。

 やるべき事をやらなかった自分と、なによりエニを連れ去り暴行を加えた人物にたいする怒りで頭が真っ白になる。怒りで吐きそうになるなど、人生で始めての経験だった。

 

 何があっても助けなければ!!

 

 その思いは一層強固なものになる。

 

『どうした? 何故激昂している?』

 

「何でもねえ! 何でもねえよこんちくしょう!!」

 

 『天秤』は横島と精神的に繋がっていて、その感情の強さも十分に理解できる。

 今の横島の怒りの幅はマグマのように熱く、酸化した血のようにドス黒い。圧倒的な怒りがそこにあった。

 

『冷静になれ。ならなければ死ぬぞ!』

 

「なれるかー!? 本当にお前って奴は~!!」

 

 言い争いが始まる。

 横島はとにかく怒りをどこかにぶつけないと頭がパンクしそうだった。

 その対象に選ばれたのが『天秤』だった。偉そうで知識はあるが子供だからと大目に見てきたが、物には限度というものがある。

 

 どうして怒らない。

 どうして泣かない。

 これではエニが余りにも可哀想だ。

 

 『天秤』はどうして自分に怒りを向けてくるのか分からなかった。

 怒るのなら洗脳した奴にするべきだろう。どうして自分に憎しみをぶつけてくるのだろうか。

 自分とエニは何の関係も無いというのに。

 

 頭を悩ませていた『天秤』だったが、そこである事に気づいた。

 エニに凄まじい量のマナが集い、辺りの大気が振動している。

 それが意味する所は。

 

『まずい!! 主、急いでエニに接近しろ』

 

「アホかー! 近づいてどうする!? 離れていれば攻撃されないだろ! さっきは特別じゃ!!」

 

 離れていれば大丈夫。

 それは機動力がそれほどでも無く、遠距離攻撃を持たないグリーンスピリットを相手にするには正しい認識。

 正しいからこそ、油断が生じる。

 

『遠距離攻撃が一つだけあるのだ! グリーンスピリットが使える、唯一にして最大の攻勢神剣魔法が!!』

 

 切羽詰まった『天秤』の声。そしてエニに集まっていく膨大なマナ。

 雇用主に時給を上げられたときのような、最大級の危険信号が頭に鳴り響く。

 夜目が利かないはずの鳥類が、我が先にと争って飛び立つのが目に入った。

 

 咄嗟に『天秤』の力を限界まで引き出す。そして、精神力と霊力が許す限りの障壁を周りに展開した。 

 精神に負担がかかるなんて言っている場合では無い。

 最悪、死ぬ。

 

「ちくしょ~! もっと早く言えこのKYロリ神剣--!!」

 

『聞かなかったのは誰だ変態がー! それと私はロリではないーー!!』

 

「空気読めないのは認めるんだなー!?」

 

 背筋に戦慄が走る中、それでもどこか能天気な悲鳴を上げてコメディのようにさせてしまうのは、彼の天性のコメディアン気質によるものだろうか。しかし、その叫びはどこか空虚で空元気のようだった。

 そして、

 

「全て、吹き飛べ。エレメンタルブラスト」

 

 緑の光が空間の一点に集中して、弾けて、天下のエトランジェをして天災と呼べるような衝撃波が全てを飲み込み吹き飛ばした。

 

 

 月が奇麗だな。こういうのを風流と言うのか。

 目の前に広がる星空。その中でぽっかりと浮かび、青白い光を放ち続ける月の姿に、横島は何となく風流を感じていた。

 一切の音も無く、体の感覚も無く、ただ妙な浮遊感だけが全身を支配している。まるでこの世じゃないみたいだ。

 

(あっ、そういや、ここは異世界だったな)

 

 くっ、と思わず笑おうとして、全身から湧き上がってくる痛みに顔を歪める。

 

『何を寝ぼけている、さっさと起きろ! 大体、風流などに思いを馳せる人間ではないだろう!!』

 

 頭の中に無遠慮で偉そうな怒声が響く。

 これがアダルティクなお姉さんなら飛び起きれるのに。

 

『馬鹿な事を言っている場合ではない! 下を見ろ!!』

 

「下って……下ぁ!? のわあああ! 落ちてる、落ちてるぞ~!!」

 

『今更気づくな!』

 

 横島は空中の只中にあって、ものすごい勢いで落下中だった。

 衝撃波は横島を遥か空の上にまで吹き飛ばしたのだ。

 当然、パニックになる横島。『うぎゃー!』と口からは情けない悲鳴が洩れる――――が、

 

 木に落ちて衝撃を減らすか。

 

 パニックに陥りながらも、高いところから落ちるのはいつもの事だと、どこか達観していた。何年もギャグキャラをやり続けていれば、高い所から落ちるなんてライフワークの一つである。

 だが、そんな横島も地上に目をやって声を失った。

 

 森が、森で無くなっている。

 

 茶色の剥き出しの大地が眼下に広がっていた。

 

「可笑しいだろ! おい!? 森さんが消えて林さん……いや、木さんになってるぞ」

 

 爆撃機の編隊が通った後のような光景に、流石の横島も血が凍るような恐怖を覚える。

 この惨状の只中にあって体が痛いだけで済んでいる自分が、改めて人外であると理解できた。

 

『凄いものだな。この場が緑マナに満ちているのも原因だろうが」

 

 空間に漂うマナが多いほどスピリットは強くなる。その中でも自分と同種のマナが濃ければ濃いほどより強さが増す。 

 この空間に漂っている緑マナはグリーンスピリットであるエニの力を大きく引き上げているようだ。

 

『呆けている場合では無いぞ。着地を考えろ』

 

「ちくちょー!! 言うだけなら楽だよな……こうなったら必殺の五点着地をみせたる!!」

 

「必殺の受身とは凄いようで駄目なような……むっ! まずいな、エニは着地を狙っているぞ」

 

 エニの神剣反応はほぼ真下にあった。

 『無垢』の穂先がアリジゴクの牙のようにこちらをロックオンしている。

 

『いくら神剣持ちでも、この高さから落ちたら痛いぞ。そこを狙われたら――――』

 

 『天秤』の声にも余裕が無い。

 着地とエニへと対処。考えて、実行するには時間が足りなかった。

 どうする、と『天秤』が考えている間に、横島は早々と行動を開始する。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主が命ずる!

 卑猥なるモノよ! にょろっとにゅるっと、それでいてぬるっと!

 煩悩の化身たるご立派な御姿を今ここに!!」

 

 落下しながら早口で神剣魔法の詠唱を開始する横島。

 別に詠唱の言葉そのものに意味は無い。必要なのはイメージとオーラを組み上げるまでの時間。それを詠唱という形で作り上げる。

 僅か数秒で詠唱は完了した。

 

「降臨せよモラルブレイカ―!! 触手のショッ君、召喚!!」

 

 大地に白く輝く巨大な魔法陣が生まれる。魔法陣の中からは闇色のオーラが煙のように湧き上がって、それが集まり、形作っていく。 

 そうして生まれたものは、黒光りするご立派な芋虫姿の生物。その名も触手のショッ君である。

 

「ピギィー!!」

 

 その巨体には似合わない小鳥のような高い声で、触手のショッ君は鳴いた。

 そして芋虫のような巨体を鞭のみたいにしならせ、パチパチと目を瞬いているエニに叩きつける。

 

 エニ君、ぶっとばされたー!!

 

 と実況したくなるような勢いでエニが吹き飛ぶ。

 その数秒後に、横島は固いのに柔らかいという不可思議な感触のショッ君の体にポテンと落下した。

 

 困難だと思われたエニの迎撃と、地上への軟着陸を悠々とこなす横島。

 脅威の対応力に『天秤』は感嘆したが、どうしても素直に褒められないのもお約束だった。

 

『……もっとスマートというかエレガントに振舞えんのか?』

 

「シュガーレットな感じなら任せろ!!」

 

『はあっ』

 

 意味不明な答えに、返事をするのも面倒だと『天秤』は溜息をつく。

 しかし、溜息をついたのは横島も同じだった。もっとキレのある突っ込みをして嫌な空気を払拭して欲しかった。

 がっかりした横島だったが、すぐにギャグをやる相方はぬるぬると亀のような頭をもたげてやってきた。

 

「ピピィ!(だ、大丈夫なの?ご主人様ぁ)」

 

 亀の頭の先にある割れ目から甲高い声を上げるショッ君。実はメイド気質だったりした。

 その醜悪な姿はモザイクが必須であったが、モザイク処理をかけられたらそれはそれで危険である。

 何とも難儀な存在だった。

 

「おお、大丈夫だぞ、ショッ君!」

 

「ピギィ!(よかった。ご主人様!)」

 

 子犬のように無邪気に鳴いて、先っぽから粘液のようなものを吐き出しながら巨体を横島にすり寄せようとするショッ君。

 

「だが、死ねい!」

 

「ピィー!?(痛ぁいよ!?)」

 

 横島の容赦無い一撃が、ショッ君を穿つ。

 

『ピ、ピキィ……(ど、どうしてなの? ご主人様……)』

 

「いや、気持ち悪いし」

 

『ピギィ!(あんまりだよ!)」

 

「生まれの不幸を呪うがいい!!」

 

『ピピィー!!(お前が言うなー!!)」

 

 栄光の手を3メートルほどに伸ばして、ショッ君を真っ向か叩き切る。

 『ヒギィ!』とショッ君は鳴きながら、彼は黄泉の国へイッタ。

 あんまりすぎる横島の行動の前に、流石の『天秤』も苦言をこぼす。

 

『罪悪感……という言葉を知っているか?』

 

「仕方ないだろうが。あんなの連れてたら女性ファンが減って、俺が築き上げてきた清潔なイメージが崩れるだろ!!」

 

『清潔なイメージ……ここは笑うところか?』

 

「笑うな! な、エニもそう思うよなあ?」

 

 戻ってきたエニに笑顔で同意を求める。

 エニの返答は、同意でもなくドン引きでもなく、無言での突きであった。

 

「なんだよも~! 突くぐらいなら笑うか蔑むかしてれよ~!?」

 

 それは横島の悲痛な叫びだった。

 いつものペースに巻き込めない苛立ちと、なにより子供が無表情で襲いかかってくるのが恐ろしい。

 エニの無表情は色々な意味で辛かった。嘲笑でも冷笑でもいいから表情が欲しかった。

 

 元の世界では悪党だろうとなんだろうと個性的な連中ばっかりで、色々と面白い弱点が存在していたのに、この世界ではそういった弱点が中々見つからない。

 いや、エニだって本来は個性的だし、他のスピリット達だって同じなはず。

 スピリットの個性を潰してしまう、このくそったれな世界が悪いのだ、と横島は憎悪する。

 つくづくギャグキャラには優しく無い世界だった。

 

 

 またしても追いかけっこが始まるが、少しばかり状況が変わっていた。横島には余裕がない。 

 いくら落下ダメージを減らしたとはいえ高威力の魔法を食らったのは確かで、全身がバラバラに引き裂かれたかのような痛みに襲われている。腕や足を見ると、所々が紫色に染まっていた。内出血しているようだ。

 大怪我だが、神剣の加護もあり致命傷と言うわけではない。わけではないが、もはや楽観的に救援を待つなどと言っている場合では無かった。

 

 エニの方も息が上がっていて、自分で放った魔法によるダメージを受けているようだった。自分の身を考慮せずに攻撃してくるのは神剣に支配されたスピリット特有のものだ。

 逃げようと距離を離せば、またあの神剣魔法を撃ってくる。そうしたら今度こそ終わり。横島だけでなく、エニ自身も巻き込んであの世行きもありうる。

 仕方なく、付かず離れず距離を保ちつつ、エニの放つ紫電の突きを避け続ける。

 

「うがーー!! なんで来ないんだよ。悠人の馬鹿が!」

 

 悠人達の神剣反応は確かに存在している。だが、相当距離が離れていた。それでも神剣使いなら一足で来れる程度の距離のはず。向こうでも何かあったのだろう。

 こっちから悠人達の方向に逃げるようにしたいところだが、もうそんな余裕も無い。必死に避けるので精いっぱいだ。

 

『来ないものを当てにしてもしょうがないだろう。大切なのは、現状をどうやって切り抜けるかだ』

 

 『天秤』の言う事はいつも正しい。そうだ、問題はどうやって――――――

 

「どうやってエニを助けるか」

『どうやってエニを滅するか」

 

 二人の声が重なる。そして、どちらも呆れたように溜息をついて、それも重なった。そのやり取りはまるで定められた演劇のようだ。

 

「なあ、いい加減にしろよ」

『ふう、いい加減にしてもらいたいものだ』

 

 またしても声が重なる。言っていることも考えていることも同じ。

 お互いが相手の馬鹿さに辟易して呆れている。

 

「お前は頭が良いんだろ。だったらさっさと助ける方法ぐらい思いつけよ!」

 

『多くの力を引き出すという事は、それだけ強く神剣と結びついてるわけだ。今のエニの状態は、精神の根っこまで神剣に囚われ飲み込まれている。あの状況を解除するのは不可能だ』

 

「だったらどうするんじゃあ~!」

 

『……ふう。だから何度も言っているだろう。元に戻す方法など無い。殺してやることが慈悲と思え』

 

 言っても言っても理解できない横島。

 その愚かしさと無能さに、『天秤』は改めて思う。この男には私がついて導いてやらなければと。私が必要なのだと。

 

「アホか~! 将来の美女だぞ!! 『永遠の煩悩者』の第二期……いや、第三期があったら18歳ぐらいになってて攻略対象になってたりするんだぞ! 客寄せパンダにだってなってくれるんだぞ!! そこんとこ分かってのか!?」

 

『中々にギリギリな発言だな、主よ。まあ、続編など存在しないから、気にしなくてもいいだろう。早く殺すのだな』

 

「殺せるわけあるか! こんのお馬鹿神剣がー!!」

 

 助けられそうもないからエニは殺す。そんな殺伐とした答えを横島が出せるわけもなかった。敵のスピリットだって殺すのを躊躇する横島だ。つい先日まで共に暮らしていた少女を殺すなど、正に理解の範疇を超えていた。

 

『ふふふ。殺せないか。そうだろうなあ。主にとってエニは何より大切だろうし、エニにとってそうだろうしなあ。ハハハッ!』

 

 ――――――なに言ってんだコイツ?

 

 ここに来て、ようやく横島は気づいた。

 『天秤』がただ合理的な判断でエニを助けられないといっている訳では無いことに。

 とんでもなく馬鹿げた勘違いをしている。恋は盲目と言うが、これは度が過ぎていた。

 悲恋という言葉の意味を横島は理解して経験しているが、このままだとエニと『天秤』の間に生まれるのは悲恋どころか喜劇の領域に達してしまう。

 

「ああ……ほんとにまったく……これってひょっとしたら俺は『脇役』なんじゃないか」

 

 犬も食わない夫婦喧嘩、しかも夫が一方的に勘違いしているだけ。

 その夫婦喧嘩に無理やり参加させられている自分。そして起こる悲劇っぽい何か。それを見て笑う、誰か。

 この戦いの本質は、そこにあるような気がしていた。

 とてつもない悪が最後に笑うのだ。

 

「こんな馬鹿臭い事で、殺してたまるかー! 絶対に助けちゃる!!」

 

 こんなくだらない戦いで誰かが泣くなど可笑しすぎる。笑うなどもってのほかだ。

 この戦いは早々に終わらせて、そしてエニは笑い、『天秤』を反省させ、自分はニヤニヤする。

 それが正しい終わり方だろう。その為には、

 

 横島は足を止め、エニに向き直る。その表情は彼に時たま見られる本気の表情。

 エニは横島の雰囲気が変わった事に気づかず、勢い良く『無垢』を突き出した。

 突きに対する横島の対応はオーラフォトンの障壁を展開させる事あった。ただ、若干弱くである。

 障壁と『無垢』はぶつかり合って火花を散らす。

 盾と矛の争いの軍配は、矛にあがった。障壁を貫通して横島を目指す。

 が、その勢いは見る影もない。横島の目がギラリと光る。

 

「サイキック・グローブ!」

 

 サイキックソーサーを変化させて手袋のように拳に作り出す。そして、勢いを弱めた『無垢』の穂先を掴んだ。

 穂先はマグマを思わせるような熱を持っていて、さらに緑マナの影響で放電していた。サイキック・グローブを溶かし、さらに手のひらの皮膚もべろべろに溶けていくのを感じたが、歯をくいしばって耐える。

 

「ぶっ飛べえ!」

 

 『無垢』をぶん投げる。エニは『無垢』を手放す事はできないので、当然彼女も『無垢』と一緒に遠くまで投げ飛ばされた。

 飛んでいく際、べりべり、と『無垢』にくっ付いていた自分の皮膚が剥がされる音を聞いて、横島は激痛と共に涙する。だが、叫び声は上げない。

 

 1キロは投げ飛ばしただろう。これが神剣を持つ者の人外の力。両手が使えればもっと遠くに投げ飛ばせたのだろうが、片手はどうしても『天秤』を握る為に塞がってしまう。この点をどうにかできれば、と横島は密かに考えていた。

 エニを遠くに投げ飛ばし時間は稼げた。しかし、敵も神剣持ちであるから、すぐに戻ってくる。

 稼げた僅かな時間に横島が取った行動は、仲間との合流でも逃走でも無かった。

 

「煩悩全開! 出ろ、文珠!!」

 

 エニを救う最後の策は、今まで多くの不可能を可能にしてきた文珠に掛けた。美神とロリ娘を除く美女美少女を頭に思い描き、魂を限界まで稼働させる。無理をすれば文珠制作を早める事はできるのだ。

 当然、リスクはある。文珠の制作に失敗するかもしれないし、より多くの霊力を使うから体の調子も悪くなる。

 

 また、文珠でスピリットの心を取り戻せた事は一度もないというのも大問題だ。

 どういうわけかスピリットの心に関しては、文珠が発動しない。

 分の悪すぎる賭けであったが、横島は自分の決断を信じた。

 

(ふん、文珠か。無駄なことを)

 

 『天秤』は横島に嘲りの言葉を送り、そしてジャミングを開始する。

 ジャミングは横島の霊力の質に、それも文珠ピンポイントに合わせられていた。

 あまりにも汎用性が高すぎる文珠は、彼の一派が企む計画を全て破壊する危険性がある。そのためにジャミングがある。ジャミングがある限り、文珠によってシナリオを書き変える事は不可能なのだ。

 

「ぬおー! 来い来い来い! スーパー横島デリシャスデンジャラス文珠ぅぅーー!!」

 

(ふん、無駄なことを。今、文珠など作らせる訳が……むっ!)

 

 霊波のジャミングを開始する『天秤』だったが、ここでありえない自体が起こった。

 作りかけの文珠に霊力が拡散することなく集中していく。ジャミングが効いていない。普通に文珠を生成している。

 

(これは……まさか、ジャミングに対抗するために霊力の質を変えているのか――――馬鹿な!?)

 

 横島はどうして文珠が使えないのか知らない。

 どうやって霊力の質を変えるかも分からない。

 ジグソーパズルで例えれば、正解図を知らずピースも足りないような絶望的な状況だ。

 それなのに、適当に考えた想像が正しく正解図で、さらに足りないピースは自ら作ってしまったようなものである。

 

(化け物め!!)

 

 『天秤』が毒づく。

 もはや天才などという言葉で片付けられる事ではない。

 脅威の勘と成長力。才能の固まり。異常なほどの運の良さ。それすらも超える『何か』。

 

 ――――超人。

 

 永遠者に選定される者とはどういう存在なのか、『天秤』は知った。

 文珠が生まれる。今までと霊波の質が違う文珠はジャミングでも無効化できず、ちゃんと効果を示すだろう。

 ぴったりのタイミングで投げ飛ばされたエニも戻ってくる。

 

「よっしゃ! これでどうじゃあ!!」

 

『ま、待て! 横島!!』

 

 『天秤』の叫びも、全力のジャミングも空しく、スーパー横島デリシャスデンジャラス文珠をエニに投げつける。

 刻まれている文字は『心』。文珠は眩い光を放つ。

 そして、

 

「テン……くん」

 

 エニの意識が戻った。目にはしっかりと意思の光が宿っていて、ハイロゥの色は黒から白に戻り、夜の闇を照らす光となっている。

 横島は見事、ベストの勝利条件を満たしたのだ。彼は勝利したのである。

 

「ふぃ~どんなもんじゃぁい! GS横島を舐めんなよ……やべえ、今の俺は格好良すぎるだろ!!」

 

 運命と悪意に打ち勝った。横島は声高らかに宣言し、拳を天に突き出す。そして拳の痛みに改めて悲鳴を上げていた。

 エニの顔に表情が戻ったのを見て、横島は素直に安堵したが、『天秤』は複雑な胸中で唸っていた。

 

 喜び。怒り。愛おしさ。憎らしさ。希望。絶望。

 二律背反の矛盾する感情同士が同時に湧き上がり、衝突する。

 本当なら任務の失敗を悔いるだけのはずだった。それがどういうわけか嬉しさもあった。

 

「えへへ、テンくんだ」

 

 エニが微笑む。その笑みは横島ではなく明らかに『天秤』に向けられていた。

 その笑顔を向けられるたびに、『天秤』の心はかき乱される。

 久しぶりに見たエニの表情がとてつもなく輝いていた。

 

 くだらないお喋りがしたい。あちらこちらに引っ張り回されたい。刀身を磨いてほしい。

 際限無く湧いてくる感情はとても温かい。このまま、エニと一緒に戻ってもいいのではないだろうか。

 そんな幻想に浸る『天秤』だったが、ある事を思い出して感情が逆転する。

 その笑顔を横島に向けていた。しかも、自分に隠しごとをしている。

 

 ―――――呪われろ!

 

 『天秤』の呪詛は、聞き届けられた。

 

「あっ……ぐう!」

 

 突如、エニの口から苦悶の声がもれる。全身を震わせて、見えない何かと戦っているようだった。

 

「な、エニ! どういうこった!?」

 

 エニの頭上で白く輝いていたハイロゥ(天使の輪)が黒く変色していく。

 それはエニの精神が神剣に蝕まれていく事を示していた。

 

 ――――くすくす。

 

 周囲の闇が囁く。邪悪の声だ。

 

 ――――奇跡を一度起こすなら、二度の絶望を与えましょう。二度奇跡を起こすなら三度の絶望を与えましょう。

 

 悪意がエニに流れ込む。エニが『天秤』の名を呼ぶ。『テン君助けて』と。

 

 ――――こう言うのを何て言うんでしたっけ? ああ、そうそう『七転び八起き』ですわ。

 

 エニの目から意思の光が完全に消える。

 エニという存在は『無垢』に飲まれて、闇へと落ちていく。

 白が黒に。光は闇に。

 奇跡は悪意に塗りつぶされた。

 

 横島は目の前の現実が信じられず「うそ~ん」と呟く。

 一体何がどうして何でどうなってこうなったか。

 奇跡を起こすには代償が必要で、悪意を為すには何も必要無いのか。それじゃあ、あまりにも悪が強すぎる。

 

 ――――頑張りなさい『天秤』。私は貴方の味方ですわ。

 

 『天秤』とルシオラは闇から囁いてくる声を聞いていた。

 敬愛する上司の声はとても優しい。だが『天秤』は悪い事をしてしまった子供のように恐怖していた。

 

 

(まさか……これって!)

 

 そんな中、今までずっと見守ってきたルシオラは気づいた。

 『天秤』とエニの関係。神剣の特性と契約者の関係。横島とルシオラの過去。

 散りばめられた情報を集めて出た結論。それは外道という言葉すら生易しい悪魔の計画。

 

(そう、そういうことなの。横島と『天秤』を根底で繋げる為にエニを……邪悪にも程がある! 私とヨコシマまで馬鹿にする気なの!?)

 

 低くて、重いルシオラの言葉。子供が聞けば泣き出し、大人が聞けば訳もなく謝る。そうなるほどの憎悪に込められていた。『天秤』すら思わず身震いをしそうになる。

 

(な、何を訳のわからぬ事を言っている。エニの役割は、神剣世界の真実と無力さを教え、我らの陣営に加えるために必要な贄だぞ)

 

(違うわ! エニはヨコシマの為の贄じゃない。エニは……貴方の!)

 

 悲鳴のようなルシオラの叫びに、『天秤』は息を呑んだ。

 自分は取り返しのつかない事をしているのでは、という不安と不吉が胸に過ぎる。

 

(貴方はエニを助ける事ができるはずよ。助けなさい! そうじゃないと一生後悔することになるわよ)

 

(馬鹿な! そのような事が出来るわけがない。その時はまだ訪れていないのだ)

 

(そう。やっぱりね……貴方にはエニを助けられる。そうじゃないと、ヨコシマと『一緒』になれないから)

 

(さっきから何を言っている!? 私は神剣世界の為に働くのだ。戯言をのたまうな!!)

 

(お願い! 私を信用して! エニを助けてあげて。そうしないと貴方はきっと後悔する。取り返しがつかなくなるのよ!)

 

(黙れ! 私が感情に任せて裏切ると思うか!? ふん、恋などという堕落した感情に惑わされて己の創造主を殺した者の言う事などだれが信用できるものか)

 

(貴方だって気づいてるはず。貴方はエニの事を……)

 

(やめろ……やめろ!)

 

(聞いて! 私が何を言っても貴方自身が気づかないと『消されちゃうの』!!)

 

(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!)

 

 『天秤』はもう会話をしようとはしなかった。

 彼は知識はあった。知恵だってあるだろう。しかし、精神は幼すぎた。

 喋り方が偉そうだから勘違いしてしまうが、彼は数ヶ月しか生きていないのだ。ほんの赤ん坊なのである。

 しかも性格は実直で真面目。そんな彼が親から与えられた任務に逆らえるわけがない。

 そして、そんな彼が自分を好いてくれた女の子を嫌えるはずもない。

 

(酷いわ。こんな子供に……なんてものを背負わせようというの)

 

 ルシオラの呟きは、悲しみとそれ以上の怒りを持っていた。

 

 

 

 精神世界ではそんなやり取りがされていたのだが、現実では横島がまた孤独な戦いを始めていた。

 

「マナを……」

 

 神剣に心を奪われた者が発するお決まりの台詞を言って、エニはまた襲い掛かってくる。

 

「しゃ、シャレにならんぞ! うわ、うひゃ、のわー!」

 

 『無垢』の穂先が頬を掠めすぎた。メイクのように横島の頬に赤い線が走って、血がゆっくりとマナの霧に帰っていく。

 肉体も精神も疲弊していた。霊力もさっきの文珠作りで相当落ちている。掌からは少なくない量の血も流れていた。

 逃げ続けるのは限界に近く、救援も来る様子が無い。

 

「うう~、しゃあねえ! 腕の一本は覚悟してくれよ」

 

 横島も覚悟を決めた。腕ごと神剣を切り離したうえで気絶させる。

 荒々しい戦法であるが、もうこれ以外に道が無かった。エニを傷つけたくは無かったが、決断する時は決断しないと痛みは終わらず連鎖するだけだ。

 

 横島は『天秤』を構えて、エニと対峙する。目は血走り、頬は引きつり、女の子を救うために傷つける覚悟をする。

 

「ちょっと! なにやってるの二人とも!?」

 

 聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

 空からウイング・ハイロゥを展開させたルルー・ブルースピリットが舞い降りてくる。

 念願の救援であった。しかし、

 

「おおー! 援軍来たーーってあれ? 他には、ハリオンさんは? つーか、どうしてここに?」

 

「ここにいるのはボクだけだよ。それより、どう言う事! 何でエニと戦ってるの!?」

 

「何でって言われても、いきなり神剣に囚われたエニに襲われて……」

 

「神剣に囚われて、敵になったからってエニを殺すの!?」

 

「殺すつもりなんてないっつーの! ただ動きを止めようと……」

 

「嘘言わないで! 君は今、エニを傷つけようって目をしてた!!」

 

「そりゃ……んなこと言っても、神剣だけ吹き飛ばすなんてまず無理だし。怒るのは分かるけど、まず落ち着けって」

 

「もういい! ボクがエニを助けるから。神剣を吹き飛ばす事ぐらい、ボクだって!」

 

 背中に展開したウイング・ハイロゥを羽ばたかせ、エニに突撃するルルー。

 

「あ、アホー! 無茶すんなー!」

 

 横島は叫ぶ。まさか突撃するとは思わなかった。会話も妙に喧嘩腰だったし、一体どうしたというのか。

 ルルーがこんな暴挙に出たのは理由がある。彼女は家族を横島に殺された経験がある。それがルルーの心を刺激して、エニと横島を接触させないよう突撃するという行動に出たのだ。

 

 エニも、突撃してきたルルーに目標を切り替える。

 ルルーVSエニ。

 果たして、どちらが強いのか。

 

 さっきまでエニは横島に軽くあしらわれてきたが、それはただ相手が悪かっただけと言える。

 何度も言っているが、横島は強いのだ。

 神剣の位は悠人を除いて最高位で、スピードもセンスも経験も全てが群を抜いている。霊力と言う独自の力もある。間違いなくラキオス最強にして、おそらく大陸最強の化け物だ。

 そんな化け物だからこそ、エニをここまであしらう事が出来たのだ。エニは技術はともかく、それ以外は間違いなくアセリア・エスペリア並みの力を持っている。パワーだけならそれ以上かもしれない。

 ルルーはそれほど優れたスピリットではない。弱くは無い程度。その程度が、明らかに迷いの剣を振るってエニに立ち向かう。

 エニとルルーの戦いの結果は、火を見るより明らかだった。

 

 空中から切りかかったルルーの『反抗』はあっさりとエニの障壁に止められる。空中に逃げようとするルルーだったが、逃げようと飛翔した先にシールド・ハイロゥが展開していて逃げ道が無い。

 

「このぉ!」

 

 それでも無理やり突破をはかるルルーだったが、それは完全に判断ミスだった。

 

「分かつ壁を……ウィンドウィスパー!」

 

 それは本来仲間に掛ける防御魔法であったが、エニは天性の才能か、それを檻を作る為に使う。

 ルルーは圧倒的な硬さを誇る障壁に頭からぶつかっていき、

 

 ゴツン!

 

「きゅう~」

 

 なんと、気絶した。ルルーが突撃してからここまで、ほんの数秒の出来事だった。

 エニは気絶したルルーに『無垢』を構えて走り出す。

 それはさながら、窓ガラスにぶつかって気絶した小鳥を無垢な子供が針で突き刺すような作業だった。

 このままではルルーが死ぬ。横島の思考は、ただひたすら簡略化されていった。

 

 ルルーを助けよう。

 でも、エニが邪魔だ。

 

 それだけを思った。そのためにどう行動するかは考えなかった。行動は体が知っていた。

 駆け出す。『天秤』にオーラを通す。振りかざし、振り下ろす。

 『無垢』がルルーを貫く寸前で間に合った。

 

 すうっ。

 

 手に伝わってきた感触は、小骨の混じったスポンジを熱したナイフで切るような感じだった。

 思考を飛ばしていたのに、いや、だからこそ横島は存分に感じてしまう。

 神剣でスピリットを切り裂く感触を。

 『天秤』も己自身がエニを裂いていく感触を味わっていた。

 

 

 

 横島の目の前に倒れた少女がいる。

 名は、エニ。肩から足まで引き裂かれて、見るも無残な状態だった。

 彼女は赤と黄金の二色に彩られている。横島が握りしめている『天秤』も、同じ色をしていた。

 

「ちくしょう」

 

 がっくりと膝をつく横島。

 

『エ……ニ』

 

 目的を果たした『天秤』の声は、勝利の余韻もなく掠れていた。ルシオラは言葉も無かった。

 沈黙が降りる。沈黙を破ったのは他ならぬエニだった。

 

「あっ……テン君」

 

 エニの意識が戻った。

 今度は白く染まったハイロゥが黒くなることは無い。

 

 横島は信じられないと目を剥いた。

 洗脳によって仲間同士で殺し合いをして、死に際にだけ洗脳が解ける。

 ドラマや漫画等の創作に良くある、ある種のご都合展開。お涙頂戴の――――演出。

 

 そう、これは演出だ。合理性なんて考えず、ただ感動や悲愴を産む為に演出家が考えた脚本。そんな演劇は客席から見れば悲劇だろうが、当事者からすれば悪夢か喜劇でしかない。

 どうして死の間際にだけ正気に戻るのか。愛の奇跡とでも言うのだろうか。それにしては意地が悪すぎる。奇跡が起こるのなら、散々努力した末に起こるのが自然だろう。

 

 どうして、死に掛けただけで奇跡が起こる?

 

「あ、安心しろ! すぐに回復させてやるからな!!」

 

「元気にしたら怒るよ、お兄ちゃん。また、戦うのはやだよ」

 

 淡々とエニが言う。

 さっぱりと、憑き物が落ちたようなエニの顔からは生き物が放つ色が抜け落ちていた。

 嗅ぎなれた死の匂いがエニから漂ってくる。

 回復させようと思えば出来ない訳では無い。しかし、回復させてもう一度エニが襲い掛かってきたら終わりである。

 そして、もし回復させたら間違いなくエニは襲い掛かってくるだろう。何故か、横島にはそれが分かった。エニにも分かった。『天秤』は知っていた。

 

「はい、テン君。プレゼントだよ」

 

 唐突にエニが胸元をあさり、取り出して差し出したのは、小さい人形だった。それは綿と皮で作られた、『天秤』を模した人形に見える。見えるというのは、その人形が不恰好だったからだ。不可思議に凸凹な刀身に、握りからは少し綿が飛び出している。それに鍔も無い。

 作りかけ、というよりも壊されたように見える。

 

「ほんとはもっと格好良いテン君の人形だったんだけど……ごめんね」

 

 残念そうにエニが謝る。こんな沈痛そうなエニの表情を、横島は始めてみた。

 自分が今死に掛けている事よりも、エニにとっては人形のほうが重要なのだ。

 

 一体何が起こっている?

 

 一方、『天秤』は混乱の極致に達していた。

 いきなりプレゼントと言われて人形を差し出されて、意味が分からなかった。

 

「ねえ、貰ってくれる? 格好悪いから……ダメなのかな?」

 

 エニの声は震えていた。

 痛みによってではない。ただ、思い人がプレゼントを受け取ってくれないのでは、という小さく綺麗な不安からだった。

 『天秤』の混乱は加速する。

 

『……ありえない。ありえない! これはどういう事だ!? エニ、お前は横島の為に何かしていたのだろう!! 何故! どうして私に何かをしようとする!?』

 

「どうしてエニがお兄ちゃんなんかにプレゼントしなくちゃいけないの? そんな事言わないでよ」

 

 二人の想いは完全にすれ違っていた。すれ違ったまま、終わりの時を迎えようとしている。

 横島は溜息をついて、自分が出来る事をやろうと決意した。

 この少女と少年の気持ちを通じ合わせてやろうと。

 

「こいつはな、どうも俺とエニがイチャイチャしてるんだって勘違いして、ずいぶんと嫉妬したんだぞ」

 

『し、嫉妬などしていない!?』

 

「してただろーが……エニがボクを見てくれないよ~え~んえ~んって泣いただろうが」

 

 あまりの言い草に『天秤』が絶句する。

 エニは納得してニヤニヤと笑った。

 

「そっか。嫉妬してたんだー。えへへ、ラブコメみたいだね」

 

「まったくだ。俺はとんだ敵役だぞ……くそぅ」

 

 二人は楽しそうだが、『天秤』は呆然とするばかり。

 

「ねえテン君、エニはテン君にプレゼントを渡そうって考えてお兄ちゃんに相談しただけなんだよ。驚かせたかったから、秘密にして頼んだだけなんだ」

 

 ただそれだけのことだった。

 それだけのことで、『天秤』はエニを呪った。それだけ『天秤』にとってエニは特別な存在だったのだ。

 

『勘違い……そんな、だって……それじゃあ』

 

 後悔。後悔。後悔。

 後悔。後悔。後悔。

 後悔。後悔。後悔。

 

 『天秤』はただ後悔の海に飲み込まれていく。

 そんな『天秤』の様子を見て、エニはより笑みを深くする。

 

「ねえ、テン君。人形……貰ってくれる?」

 

『あ、ああ! 貰う……遅すぎたが、貰わせてくれ!』

 

 『天秤』の必死な声が、エニには心地良い。

 エニは『天秤』に人形を紐でくくり付けた。

 

「ふう……これで、思い残すことはもうないかな」

 

「そんな事言うなって! 何でも俺や『天秤』にお願いしてくれ!」

 

「そう……じゃあ、お兄ちゃん、最後のお願いを聞いてよ。テン君には内緒で。

 女の子には好きな人だから聞かれたくない話があるから、テン君はかまんしてね」

 

『わ、分かった』

 

 『天秤』は少し寂しそうに了解する。

 横島は、最後という言葉に反応した。

 

「さ、最後なんて言わんでも大丈夫だって!」

 

「……無理だよ、エニはもうすぐ死んじゃうから」

 

 怒ったようにエニが言った。冷静すぎる言葉。

 

 今話している少女は一体何なのだろう。エニが現れてから何度となく思ったが、この時ほど強く思ったことはない。

 間違いなく、エニは屈辱と恥辱の闇にいた。そして、今は血の海に沈んで痛みの中にある。

 にも関わらず、エニの目は綺麗な小川のように澄んでいる。この少女は、やはり異常だ。

 

「分かった! 聞くぞ、聞くからもう少し頑張れ!! もうすぐきっと悠人達が来てくれるって」

 

「うん。あのね、エニの最後のお願いは――――――」

 

 エニが耳打ちする。

 横島の顔が凍った。聞き間違いかと思った。ありえない。そんな事を言ってはいけない。

 

 何で。

 

 横島は青い顔で呟く。

 

「うん、疑問に思うよね。答えは……好きだから。いや、好きなのに……かな。でも、これがエニの願いなんだ。どうして、そうなのかは知らない。きっとそう生まれちゃったから。設定なのかな、世界の。可笑しいよね。あはは。あははは。

 拒否は出来ないよね。だって、お兄ちゃんは、男の子よりも、女の子の方が大切だもん」

 

 エニが笑う。横島は、今正に息絶えんとする少女に圧倒されて声も無い。

 笑みには思うがままやりきったという満足があった。

 今正に死のうとしているのに、凄まじい悪意に晒されて生まれて半年も経たず逝くというのに、エニは満足している。

 この最悪の結末に満足しているように、横島には見えた。

 

 勘違いしていたのではないか。

 横島はエニを見て思う。エニは悪夢のような体験をしながら、まったく変わった様子が無い。

 可笑しい。キャンバスに黒のインクを垂らせば、キャンバスは黒く染まる。黒のインクを垂らしてキャンバスに変化が起きないとすれば、そのキャンバスは始めから黒く染まっていたからに他ならない。

 

「テン君にこのお願いは話さないで……テン君の為にもね。意味は……分かるでしょ」

 

 少女の幼い声は、絶対の圧力を持っていた。

 背筋に戦慄が走る。今にも死にそうな少女の内に存在する狂気に恐怖する。

 

 ――――劇が終わって、最後に笑うのは誰だ。劇の最中、笑っていたのは……誰だ?

 

(やめよ)

 

 思考を中断する。

 今ここにいるのは、一人の少年を想う、一人の少女。それで良いと思った。それだけは確かな事なのだ。

 無断に踏み込んではいけない。自分は退場して、後はヒーローとヒロインに任せよう。

 

 エニの胸に『天秤』を置く。残り少ない時間を二人で過ごさせる為に。

 

『え、エニ……私はどうすれば……何をしたら良いのだ?』

 

 『天秤』の声は震えている。

 エニはそんな『天秤』の姿を満面な笑みで眺めて、

 

「ゴフッ!」

 

 せき込んだ。咳と共にピシャリと勢い良く血を吐きだされる。

 ずっと我慢していたのだろう。少女の口からはゴボゴボと生々しい吐血の音が聞こえてくる。

 吐き出された血は『天秤』の刀身にこびり付いた。多量であるために中々マナの霧に帰っていかない。

 

「ゴホッ! あ、汚くしてごめんねテン君!」

 

 エニの声は必死だった。目には苦しさだけではない涙が浮かんでいる。

 少しでも想い人の前で綺麗でありたかったのだろう。死の寸前でありながら、少女は恋する乙女であった。

 

『……汚くなど無い!』

 

 『天秤』も必死だった。

 目の前の少女に自分が何をやってあげられるのか。

 手がないから抱きしめる事も出来ず、唇かないからキスする事も出来ず、目がないから涙を流す事もできない。

 悔しかった。手が、足が、唇が、目が、欲しかった。

 

 そんな『天秤』の姿が、エニは好きで好きで堪らないのだ。

 

「えへへ、やっぱりテン君はやさしいねぇ。テン君がテン君で……よかった」

 

『こ、こんな私で良いのか!? 私はお前に何も……私の勘違いでこんな……』

 

「う……ん。そんなテン君が……あ……エニは……」

 

 エニの全身が黄金色に輝き始める。

 命消える苦痛の中、最後の力を振りしぼり、消えゆく手で『天秤』を強く抱きしめた。

 

「あ……は。テン君、ずっと……だいす……き」

 

 死の瞬間にまで幸せそうに笑いながら、エニは黄金のマナの霧に帰っていった。

 まるで、その一言を言うためだけに生まれてきたような、きっと本人はそのつもりだったのかもしれない。

 

 エニは、死んだ。

 

 敗北条件、達成。

 喪失感。敗北感。虚脱感。

 意識を失うのでは、と思われるほどの脱力感に全身を侵される横島だったが、まだ目に光があった。

 ここで倒れて目を瞑るわけにはいかない。自分にはまだやることがある。やらねばいけない事がある。

 

「食え」

 

『うっあ?』

 

 呆けたような『天秤』の声。ぐらぐらと揺れる積み木のように、彼の精神は崩れかかっていた。

 何を信じていいのか、何を頼っていいのか、どうしたらいいのか分からない迷子のようだった。

 横島は唇をかみ締める。そして、こみ上げてくるものを押さえつけ鬼のような顔となった。

 エニの最後の望みのため。一人の女の子の約束を守るため。女の子の為。

 心中でその言葉を繰り返す。

 

 女の子の約束を守るのは、横島にとっては誓いそのもの。

 女の子の求めは果たさなければならない。それがどれだけ恐ろしくても。

 

「神剣はマナを食うもんだ。だから、エニのマナを食え」

 

『……い、やだ』

 

 当然の返答。

 誰が己を好いてくれた少女を食らおうと考えるものか。

 横島はそんな『天秤』に好意を持ちながら、エニの『目的』が達成される事を理解した。

 

「犠牲があったんだ。だったら強くならなきゃいけないだろ。前にお前が言ったことだろ。エニも、それを望んでるぞ」

 

 感情を殺して横島が言った。エニの望み、その真意を隠蔽するために。

 

『無理だ……私には無理だ。やだ……もういやだ』

 

「うっさい! 四の五の言わずに食え!!」

 

 『天秤』の弱りきった精神は、横島の意思に潰された。

 エニの肉体をを構成していたマナが、『天秤』に吸い込まれ、食われていく。

 

『うあ! ぎィ! ヒイあ! 止めろ……やめ!』

 

 食いたくない! エニを、このヒトを、食べたくない!

 

 懇願のような悲鳴が頭に響く。

 横島は顔を顰めたが、手は緩めない。

 男と女の願いだったら、女の方を取る。ただ、それだけの事だった。

 横島には、煩悩者にはそれが出来る。残酷だとか間違いだとかは関係なく。

 

『お願いだ! もう、やめ……ああ、うまいィィぃ! 違う、助け……よこしま、許し、オア、ヒィ!』

 

 もう食べられないと泣く少年の口を無理やり開かせて、突っ込み、咀嚼させ、食わせる。そんな暴力的で、鬼のような行為を、横島は黙々と続けた。

 遂に、エニの血も肉も皮も骨も、全てを『天秤』は食らい尽くした。黄金のマナは、もう存在しない。

 

(ヨコシマ……貴方は)

 

 全てを見たルシオラの呟きは、闇へと消え去った。

 

 

「あ~つかれた」

 

 どさりと仰向けに倒れる。

 涙は流れてこない。

 感情をつかさどる回路が焼き切れてしまったのかもしれない。ただとにかく眠かった。

 睡魔に抗えず、目を閉じて寝ようとしたところで気づく。

 

 誰かが、横に立っている。

 重たい瞼をこじ開けると、青い髪の美少女の姿が目に映る。

 

 ルルーだった。

 ルルーはじっと横島を見下ろす。手には『反抗』を持ち、背中にはウイングハイロゥの白き翼が出現している。

 その表情は見えない。

 

「ねえ、知ってた。エニはね、ボクの妹だったんだ。うん、そりゃあ血は繋がってないさ。でもね、エニはボクの妹で、なんか危なっかしい所があって、とても純粋な子だったんだ。それに、生まれてまだ数ヶ月しか経ってないんでしょ? 

 たった数ヶ月で言葉を覚えて、剣を使えて、髪もすごく綺麗な金色でさ、きっと将来は凄いスピリットになったと思うんだ」

 

 抑揚無く、しかし饒舌にルルーが語り始める。

 それは自慢。

 姉が妹を誇る。麗しくも微笑ましい姉妹愛がそこにあった。

 

 ようやく、ルルーの表情が分かった。

 ルルーは笑顔だった。家族の愛に満ちた、安らぎと誇りに満ちた顔。

 

「君が、それを奪った」

 

 声が、表情が、一転した。

 ルルーから笑顔が消える。

 深海を凝縮したような瞳を横島に向け、

 

「――――妹の仇め」

 

 恨みが形を持ったような声が響く。『反抗』が月の光を得て妖しく光る。横島は咄嗟に体を捻った。

 ドスッという音が耳元で響く。大剣が地面に突き刺さった音。もし体を捻らなかったら、音はドスッではなくザクッで、プシュウ~という真っ赤な血の噴水音も鳴ったに違いない。

 

「のわっ!」

 

 急いで起き上がって距離を取る。

 まさかの第二ラウンドだ。

 横島は『天秤』を構え、戦う態勢になる。

 

 どのような理由があろうと、エニを殺したのは横島だ。それを否定するつもりは無い。

 そして、そのような理由があろうとも横島は死ぬ気はなかった。

 

(説得は無理そうだな。まずはルルーを取り押さえる……いや、気絶させたほうがいいな。ゆっくりとカウンセリングすればまた仲良く出来るだろう。エニの墓も作ってやらないといけないし……そういえば土葬も火葬もできないんだよなあ)

 

 横島は異常なほど冷静だった。自身が生き延びるために、そしてルルーと和解するために、最適な答えを考え出す。自分自身、その冷静さに違和感を持つ。

 成長したのかもしれない。

 ふと、そんな事を思う。少し嬉しい。

 

「アアアア!!」

 

 子供の泣き声の様な叫び声をあげて襲いかかってくるルルー。ウイング・ハイロゥを展開して空中に舞い上がり、体重を掛けて全力で神剣を振り下ろしてくる。

 威力だけはあるだろうが横島の目は完全に剣の軌道を捉えていた。

 

 オーラフォトンによる障壁を展開して防御を固める。

 避けないのは、連続攻撃を得意とするブルースピリットの勢いを殺す為だ。

 障壁と『反抗』ぶつかり合って、勢いを止め――――られない。

 

 

「はっ?」

 

 パリン、とガラスが割れるようにあっさりオーラフォトンの障壁が破られる。斬撃は威力そのままに横島へと向かう。

 咄嗟に『天秤』を前に出してルルーの剣を受け止めようとするが、

 

「なっ?」

 

 受け止めた衝撃で『天秤』が空高く舞い上がり、どっかに飛んでいった。

 

「へっ?」

 

 信じられず呆けた声を出す横島。

 ルルーは突進の勢いそのままにショルダータックルをぶちかます。

 

「ぐべえ!」

 

 神剣の加護を失った所に体当たりを受けた横島は、ロケットのごとく地面と平行に吹き飛んだ。

 そしてエニの魔法でも吹き飛ばなかった巨木に背中を思い切り強打する。

 

「ごべえ!」

 

 口中に血の味が広がる。体を動かそうとすると激痛が走った。

 度重なるダメージでも動けたのは、神剣の加護があったからだ。加護を失った横島に戦える道理は無い。

 歯を食いしばって立ち上がる。それが精一杯で、もう身動きできないダメージを負っていた。

 

 動けない横島の眼前にルルーが空から降り立つ。そして、体の動かない横島に容赦無く『反抗』を振り上げた。

 咄嗟に目を閉じ、歯を食いしばる。次に来るだろう、体を切り裂く衝撃を耐えようとした。

 

 衝撃は来た。

 それは、冷たい刃が体を引き裂く衝撃――――――では無かった。

 13,4の、まだ少女の体を受け止めた衝撃だった。

 

「ごめん……ごめんさない! 違う、違うんだ!! うん、分かってる。

 君がエニを刺さなかったら、ボクは死んでた。分かってるんだ……分かってる。けど、どうして君がまた妹を殺すのさ! どうしてよりによって君なんだよぅ……もう君を恨みたくないのに!!

 ううん、違う。ボクがいなかったらエニを助けられたかもしれない。だとしたらボクがエニを殺したんだ。

 君はボクの命の恩人で、ボクがエニを殺して……うあああ、ごめん、ごめんなさい!」

 

 横島の胸に顔を埋めてルルーは泣く。

 ごめん。ありがとう。どうして。

 嗚咽に混ざりながら、そんな言葉が幾度となく聞こえてくる。感情の洪水だ。

 胸の中にすっぽりと収まった小さな体。そこから沢山の感情が溢れて、それが横島の中にも潜り込んでくる。

 横島の目にも涙が溢れた。

 感情を司る回路が壊れた――――そんな訳がない。ただ、この現実から目を逸らしていただけだった。妄想して強くなったふりをしただけ。

 ルルーの泣き声は横島を現実に引き戻した。辛く、悲しく、理不尽な現実に。

 

「はは……なんか俺たちっていつもこんなんばっかだな……ちくしょー!」

 

 横島はルルーを思い切り抱きしめた。

 ルルーを慰めてやろうと考えたわけではない。

 温かさを求めたのだ。ぬくもりが欲しかったのだ。一人で立ち続けるほど、横島は強くあろうとしなかった。

 

 怒りと悲しみの無情の世界の中で、ただ相手のぬくもりだけが全てとなった。

 二人は泣きながら、強く、強く抱き合う。

 ふと気付くと、側には泥にまみれた『天秤』がぼろきれのように転がっていた。

 誰が一番悲しいのか、考えるまでも無い。今回の主人公は自分ではなく『天秤』だった。

 

 こいつが悲劇のヒーローだ。

 横島は『天秤』を掴んで、自分とルルーの間に押し込んだ。『反抗』も押し込んだ。

 少しでも互いの傷をなめ合えるように。そのまま二人と二本は思う存分泣いて、ゆっくりと目を閉じた。

 

 どれほど時間がたったのだろう。

 横島は泣き寝したルルーをお姫様抱っこしながら、毅然と立って空を睨んでいた。

 その眼は怒りに燃えていて、憎悪の焔が胸を焦がす。

 その焔が焼き払う対象を、まだ彼の瞳は捉えてはいなかった。

 

 

 ――――エニ、お疲れさまでした。

 

 

 闇から響いた最後の声は、笑ってはいなかった。

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