黒一色の世界。
そこに、白の幼女と一本の日本刀が浮かんでいた。『天秤』と彼の上司である。
いつもの怪しげな密談。いや、いつものと言うと少し語弊がある。一人と一本の間にはただならぬ緊張が張り詰めていた。
「さて、これは一体どういう事なのでしょう。答えてもらいますわよ。『天秤』」
白い幼女は丁寧な口調で『天秤』に話しかける。
だが、その丁寧さとは裏腹に、声にはまったく温かさが無かった。
当然だ。幼女は審判を下す者にして断罪者。裁きを掛ける者に対して憐憫を抱くなどありえない。
『はっ、なんなんりと』
怒れる己が上司の姿を前にして、『天秤』は落ち着いていた。この幼女の指先一つで消え去るというのに、平静そのもの。彼は覚悟を決めていた。
声一つ震わせず、特に気負った様子もない『天秤』に、幼女は不快そうに眉を顰める。目つきを鋭くして『天秤』を睨みつける幼女。それでも『天秤』はうろたえない。
「貴方は知っていました。イースペリアでマナ消失が起こると。それがどれだけの規模になるのかも。はてさて、だと言うのに一体どうして爆発の中心部にいたのでしょう? 任務を放棄して自殺でもする気でしたか?」
『弁解のしようもありません。そのとき私は自暴自棄になっていました。任務を放棄し、死すら構わないと思っていたのです』
死んだか?
『天秤』は今この瞬間に意識が消え去るかどうかを危ぶむんでいた。
紛れも無く背信行為を取った自分を生かすわけが無い。刹那の間に砕かれ、マナの霧に帰るかもしれなかった。
幼女は『天秤』の返答に彼を睨んだが、それでも『天秤』がうろたえないのを見ると呆れたように溜息して、
「ふ~まったく。どうして自暴自棄になったのか一から話しなさい。
虚偽の報告は許しません。まあ、私を騙せるとは思っていないでしょうが」
冷たく突き放すように言った。どうやら、言い訳を聴く気になったらしい。
救われた。
『天秤』は泣きたいほど感謝した。もしこの身を砕かれ意識を永遠に消失しようと、自分の意思と考えを誰かに伝えておきたかった。
『天秤』はゆっくりと語る。
自分の想い。エニの想い。横島の行動。セリアやハリオンの気持ち。
そして訪れた自分の暴走とその結果。
告白が終わり、幼女は目を瞑って何かを考え込んでいた。
幼女の表情は平静そのもので、怒っているようでも同情しているようにも見えない。
だが、その胸中は若い『天秤』に見抜けるものではなかった。
「聞きたいのですが、貴方は贄の事を嫌っていたのではないですか? 付き纏ってきて煩わしいと、いつも嘆いていたでありませんか」
その問いに、『天秤』はエニの事を改めて思い出す。
ベタベタと付き纏い、遠慮なく愛を語ってきた彼女の姿を。
『確かに、いつもいつも声を掛けてきて、鬱陶しいと、迷惑だと感じていました。その言葉に嘘はありませんでした。ですが……』
今思えばその鬱陶しさも迷惑も楽しんでいたのだ。
自分がエニに対して抱いていた感情を言葉にするの難しい。その瞬間は確かに嫌っていたはずなのに、どうして今はこんなにも愛おしく、そして懐かしく思うのか。
嫌いであっても好きでいられる。何とも形容しづらい不思議な感覚。失って、初めて大切なものに気付く。悲劇の演出ではありきたりだが、そうなる理由が経験で教えられた。
『恥を承知で言います。私は消えたくありません!
無論、私が犯したミスは砕かれて当然の最悪なものです。
しかし、ここで砕かれては私はただ道化です。エニは命を懸けて私を愛してくれました。横島も、私の為に行動してくれました。今度は、私の番なのです!!
神剣世界のため、横島のため、エニの一生を意味のあったものとするために、私は命を賭して横島を我らの陣営に引き込んで見せます。
どうか……赦しを」
ありったけの熱意を持って、『天秤』は訴えた。
感情など下らぬと、見下していた『天秤』が情を訴えて赦しを請う。
そんな『天秤』の在り様を、幼女は冷たい目で眺める。
「変わりましたわね。以前の貴方なら、誇りある死を望み、浅ましく命乞いなどしなかったでしょう」
侮蔑の言葉を投げ込まれ、『天秤』は悔しく思った。
自分は、愚かになったのだろうか。恋や愛という感情に振り回され、阿呆と化したか。
否!!
それは断じて否である。それを『天秤』は確信していた。
確かにミスはした。感情に振り回され多くの人に迷惑を掛けた。
しかし、相手の好意も受け取れず自身の気持ちすらも騙していた当時の自分よりも、感情を認めて「エニを愛していた」と高らかに宣言できる自分の方が格好良いではないか。
『浅ましいと言われようと、私は今の自分こそが気に入っています! エニは、貴女が教えてくれなかった物を教えてくれましたから』
(ああ、死んだな)
言い切って、『天秤』は覚悟を決めた。
なんという乱暴で立場を知らぬ物言いか。これでは逆切れという奴ではないか。
(エニよ、すまぬ。横島も悪かった。次の神剣は、私よりも賢明な者がいくだろう)
『天秤』は、自分の生命を諦める。
「よくぞ言ったものです。では、貴方に裁定を下しましょう」
幼女はふわりと浮き上がりながら、『天秤』に向かって小さな手を伸ばした。
柔らかく小さな掌だが、そこに込められている力は小さい世界なら消し飛ばすほどだ。
最期に時が迫り、さすがに恐怖を感じて視界を閉じる。
手が刀身に触れる。
痛みは、無かった。意識を失うことも無かった。
幼女の柔らかい掌は、膨大な力を解放する事無く、ただ『天秤』を優しくなぞる。
「『天秤』……貴方を赦します」
優しく『天秤』に触れながら、幼女は天使のような声を彼に送った。
『天秤』は酷く困惑した。許される意味が分からない。
『な……何故?』
「今度の事は、貴方の苦しみと葛藤に気付かなかった私にも責任がありますわ。よくよく考えれば、契約者以外に話すことが出来るものがいて、しかも自分を好いてくれるものを殺すというのは、どれほどの苦しみなのでしょう。
それに貴方の意識はまだ生まれて半年程度。知識がいくらあろうと、貴方はまだ幼い……それに気付かなかった私の落ち度です。本当に申し訳ありませんでした」
深々と、幼女は頭を下げた。
『天秤』は唖然とする。どうしても納得出来なかった。
『それは違います! 悪いのは私ではないですか!! 私のミスであり、私の責任のはずです!!』
『天秤』の叫びに、幼女はうっすらと笑いながら首を横に振る。
「貴方のミスであっても、この私の責任なのです。だからこそ、私は貴方の上司のようなもの……いえ、親の様なものなのですから」
幼女の言葉は矢のようになって『天秤』の心を貫いた。
嬉しさと、それに勝る悔しさが胸に溢れてくる。
期待と信頼を裏切ってしまった。だと言うのに、まだ信じてくれている。
『天秤』は己の情けなさに硫酸風呂にでも突撃したくなった。
「ですが、赦すのはこれで最後です。確かに己の心に抗うのは辛いでしょう。ですが、そこで止まってしまっては神剣世界の癌であるカオスの連中と何ら変わりません。強く心を持ち、『天秤』という、己の銘が意味を良く考えなさい。贄の……いえ、エニの死がどのような意味を持つのかは貴方が決めることだと知りなさい。
『天秤』。貴方には、それができると、私は……私とエニは信じていますわ」
幼女は力強く笑みを浮かべる。その笑みは、『天秤』のこれからの躍進を信じているからこそであった。
――――――この方の期待に応えたい。裏切りたくない。褒められたい。
『天秤』の心に強い火が灯る。
大切な者を失ってしまった。だからこそ、その死を無駄にしてはいけない。エニの分まで生きるんだ。
安易で陳腐な、だからこそきっと正しい選択を『天秤』は選んだ―――――選ばされた。
神剣世界の為に、とその理想と猛々しい鮮烈さを併せ持つ若い『天秤』には、悪意というものがどれほど優しく接近してくるものなのか、いまだ理解していなかった。
気をつけよう 甘い言葉と 暗い道。
幼稚園児でも復唱できる簡単な言葉を、彼は知らない。仮に知っていたとして、理解することができない。
優しさや甘さは、実は善性とはまったく関係ないという事を知らないから。
その性格と知識を全て把握されている『天秤』に、果たして選択肢などあったのだろうか。
幼女は笑う。何に対しての笑みなのか、『天秤』は欠片も気付いていない。
「それと『天秤』、貴方に一つ贈り物をしましょう。きっと気にいって貰えると思いますわ」
幼女の贈り物が何なのか知った『天秤』は、幼女に崇拝の念すら抱くことになる。
どこまでも敷かれたレールのまま、世界は進んでいた。今は、まだ。
話が終わり『天秤』の姿が消えると、同時に闇の空間も消え去って、辺りは五色の遺跡に切り替わる。
幼女はふよふよと宙に浮かんでいたが、後ろからカツンカツンと足音が響く。
「酷いことするねえ。まるで純真な少年を誑かす魔女みたいだ」
色っぽく、酷くなまめかしい女の声が遺跡に響いた。幼女は後ろに振り返ると、闇の中から一人の女がゆったりと歩いてくる。
その女の年は20代後半程度。髪の色は薄い緑で髪型はさっぱりとしたショートカット。両目を黒い布で塞いでいて、緑のローブを羽織り、ボンテージで太ももと胸と股間部のみを隠すという、かなり刺激的な格好をしていた。しかも、手には鞭を持っている。
町でこんな人物が歩いていたら通報されるのは間違いないが、SMクラブにいたらこれほどしっくりくる人物はいないだろう。
「あらあら、こんな小さい女の子を魔女呼ばわりなんて、それこそ酷いですわ」
よよよよ、と服の袖で目元を拭う幼女。
すると女は「そいつは悪かったね」と謝ったが、すぐに何が楽しいのかげらげらと遠慮無く笑い声を上げる。
幼女は笑い転げる女を見て、可愛く唇を突き出して拗ねたようだった。
その仕草は恐ろしいほどに完成されている。自分の容貌を完全に把握しているからこそ出来る芸当だ。
「それではミトセマール、そちらの経過は報告しなさい」
幼女は微笑を打ち消して素面に戻ると、部下に接するように言った。
どうやらこの妖絶という言葉を形にしたような女はミトセマールというらしい。
ミトセマールはまだくつくつと笑っていたが、すぐに真面目な表情を作って報告を始める。
「ああ、和平に傾いていた連中は『不幸』にも病気に掛かっちゃったらしくてねえ。それに例の防衛装置のお陰で、交戦派は随分と強気になったみたいだよ。情報戦で完全に上をいっているのも大きいね。もう、干渉する必要は皆無さ」
「そうですか、あまり直接的には手を出さぬようにお願いしますわ。『魔が差す』程度が望ましいと心得てください」
「分かってるさ。そちらも候補者同士の争いには不干渉って話は忘れないでほしいね。賭けが台無しになっちまう」
「勿論ですわ。小細工などしなくても、彼が勝つに決まっています」
「そうかねえ? そっちの本命は下手をしたら本番前に死んじまうような予定だったじゃないか。それで、マナ消失爆発では生き延びたのかい?」
「問題無しですわ。99%死ぬという状況を作り上げているのに、どうしてか生き残る……流石ですわ」
心底から感嘆したように幼女が横島を称賛する。
そんな幼女の姿を見て、ミトマセールは何処にでもある光景を思い出した。
それは、子供が虫の手足を引きちぎって「まだ生きてる、まだ生きてる」と無邪気に笑う光景だ。
子供は結局は虫を殺してしまうのだが、そうすると死んでしまった虫に「どうして死んでしまうんだ!!」と一種の怒りを覚える事となる。
ミトセマールの考えでは、もしも横島が死の運命を乗り越えられなければ、この幼女の皮を被った魔女は涙一つ見せる事無く興味を失うだろう。それを、幼女自身も自覚している――――
(はずだと思うんだけどねぇ)
ミトセマールは幼女をじっと見つめる。目の前の幼女が近ごろ変わり始めているのには気付いていた。
外見など変わらないはずの自分たちだが、この幼女は近頃、本当に美しくなってきている。性格も、残虐の中に艶が入ってきているような気がしていた。
永遠である自分たちが変わるはずは無いのに。
不思議だ、とミトセマールは首を傾げた。
「どうして、そこまであの男を信じられるんだろうねぇ」
「それは勿論、愛の力ですわ」
うっとりと陶酔するように幼女が顔を輝かせながら言うと、ミトマセールはまたげらげらと品無く笑う。
馬鹿にした笑いだった。ミトマセールは、幼女が言う『愛』などという言葉を露ほども信用していない。また、幼女が愛などを信じているとも思っていない。
「いい加減、その下卑た口を閉じなさい。私の思いは純粋ですわ。不浄な者には分からないでしょうが」
幼女の顔から感情が消える。そして、周囲の空間が捻じ曲がる。
ミトセマールは首筋にはいつのまにか短刀が押し付けられていた。いや、首筋だけじゃない。足には槍が、腰には刀が、胸には短刀が、チクリと刺さっている。
「悪かった、悪かったって!!」
ミトセマールが必死に訴えて、ようやく武具達は空間に溶け込むように消えていった。
この話題には今後触れまい。ミトセマールは学習する。
少なくとも、この女は本気で恋している――――と思い込んでいるらしい、と。
「何にしろ上手くいって良かったじゃないか。『天秤』の扱いに失敗して、異能を失ったら元も子もないからねぇ」
ミトセマールが場の雰囲気を変えるために話題を変える。
異能とは霊力の事だ。
幼女達にとって、霊力という力は非常に未知数で不確かなもの。完全なる異世界の力。霊力がどうして生まれるのか、自分達の世界にどのような影響を与えるのか、まだはっきりと分かっていない。分かっていることは、霊力の有用性についてだけだ。
なんとか、霊力を得るためにも横島を味方につけたい。その為には我らが陣営の神剣を与えて精神を支配しなければならない。
だが横島の霊力の源は煩悩なのである。不用意に神剣に精神を乗っ取らせたら、煩悩が消えて霊力が使えなくなってしまう恐れがあった。
ならば女好きの神剣を送り込み、その神剣に横島の精神を破壊させ、乗っ取る。それが一番手っ取り早いのではないか、と仲間内で意見がされていた。しかし、幼女は横島の精神を砕くのを断固として拒否した。
幼女は見ていたのだ。魔神との最終決戦の折、横島が最大の力を発揮したのは肉欲を望んだ時ではない。
ただ――――ただ女の為に戦った時だった。
それは、ただ性欲のみを求める者には決して至る事ができない境地。かといって、欲望を捨てた聖人のお人よしでもやはり駄目。
横島という肉体の力を最大限に引き出すのは、横島以外にいなかった。人格を破壊するなど、霊能を得るためにはやってはいけない。
つまり横島という人格と、その能力。それを手に入れる方法の第一。その為に最低でも成さなければならない条件。
それは横島と最高の相性を持つ神剣を作り出すことだ。無論、我らに絶対の忠誠を誓うものでなければいけない。
最高の相性とはどういうものか。幼女達は考えた末、二つの感情が必要という結論が出た。
二つの感情とは、同感と共感である。その二つがあって、初めて横島専用の神剣が生まれる。
それも、ただ趣味や考えが合うというだけでは駄目だ。そんな表層ではなく、深層で繋がりが無くてはいけない。
その繋がりを生むために、幼女は『天秤』にエニを殺させたのだ。
それは、愛する者との約束を果たすために、愛する者を殺すこと。
世界の為に、愛する者を殺すこと。
愛する者を助ける方法があるのに、助けないこと。
これらを全ての条件を満たさなくてはならなかった。
愛する者とは、言うまでもなくエニの事である。
つまり、エニの誕生から今の今まで、幼女の目的は横島の洗脳ではなく『天秤』の改造だったのだ。
勿論、『天秤』はそんな事を知らない。彼は命令の通り横島の思考を操作していただけだ。それはそれで意味があることだったのだが、どちらかというとミスリードの意味合いが強かった。
まさか、改造している自分が改造されているとは考えないようにするために。
「彼の洗脳はこれからが本番なのです。仲が良い友の言葉は、当然通りやすい。相手を思っての言葉は拒否し辛い。
洗脳に必要なのは善意と友情。相手を思いやる心。溢れんばかりの愛。愛こそが神剣世界を救う鍵。
彼は最高のパートナーである『天秤』と共に、必ずや我が陣営に加わり、私を公私の両面で支えてくる事でしょう! それはもう、おはようからおやすみに至るまで!! うふ、うふふふ」
幼女は星が含まれているようなキラキラした瞳をしてニパニパと笑った。
彼女の足元には本が散乱している。
題名は、年下の彼氏と歩む。明るい家族計画。寝取り物語。SMの薦め。正しい拉致監禁、等々。
溢れんばかりのエロスが、幼女から発せられていた。それは未来への希望が発散されているのだ。
「愛していますわ! 愛しているのです! ああ、見えますわ、血と愛液に溺れる彼と私の姿が!!」
顔を真っ赤にして体を悩ましくくねらせる幼女の姿を、ミトセマールはニヤニヤして見守っていたが、少し思うところがあるのか表情を曇らせる。
「……ほんと、あの男も災難だねえ」
ミトセマールの声に初めて憐憫の色が混じった。心の底から同情している風であったが、口許にはサディスティックな笑みを浮かべて、蛇のように舌をちょろちょろと出している。
ここは、悪意の巣窟であった。
「そういえば、タキオスはどうしたのですか。最近、姿が見えませんが」
「ああ、聞いてなかったのかい。タキオスは死んだよ」
「あら、カオスの連中ですか。それとも、どこかの世界の法則にでも引っかかりましたか」
「それがねえ、何でもメダリオに殺されたって話だよ」
「……私闘は禁じていたはずですが」
「何でも、タキオスがメダリオの尻を狙って返り討ちにされたらしい。メダリオは大金星さ」
「はて、タキオスに衆道の気はなかったと思いますが……しかし、やっぱり愛ですわ!」
「そうだねえ。愛は絶対に勝つんだよ!」
「では私たちも愛のある行動をしなければいけませんね」
「そう言うと思って、ここにボラギノール(カラシ入り)を用意してあります」
「素晴らしいですわ。早速メダリオを呼び寄せましょう! きっと傷心中ですから喜んでくれますわ!」
――――ここは、悪意の巣窟であった。
永遠の煩悩者
第二十一話 休息、急転
気持ちいい。
朦朧とした意識の中で、ただそう感じていた。
熱い何かが体の上を擦ってくれる。そして汚いものを洗い流してくれる。それは強くなったり、弱くなったり、緩急をつけて体の隅々までやってきた。この辺りを拭いて欲しいと願うと、こちらの意思を汲み取ったかのようにそこを拭いてくれるのだ。
何ともいえない快感に浸っていると、今度はえもいえぬ良い匂いが漂ってくる。まるで蜜に誘われた蝶のように、頭をふらふらと良き匂い元へと移動させる。
すると、ふにょんと柔らかいものが顔に当たった。
「きゃ!」
女性の悲鳴。その声に、横島はようやく覚醒した。妙に重たいまぶたをゆっくりと開ける。
場所はラキオスの自分の部屋だ。ベッドで寝かせられていて、素っ裸である。パンツすら穿いていない。毛布が下半身にのみ掛けられている。
そんな自分の胸板に温かいタオルを当てているセリア。
導き出される答えは、
「今度は……朝這いか?」
呟くと、セリアの顔が羞恥と怒りで赤く染まる。そして握りこぶしを作って、頭上に振り上げた。
あ、叩かれるんだな。
特に疑問に思うことなく理解した横島は、次の瞬間の衝撃に備えて目をぎゅっと閉じる。
衝撃は来た。
しかし、それは強烈なものではなく、冷たく気持ちの良いものだった。
恐る恐る目を開けてみると、セリアの冷たい手が額に優しく当てられている。
「熱はまだ少しあるみたいですね。体の調子はどうですか? どこか痛いところや、苦しいところはありますか?」
痛いところ? なんのこっちゃ。
意味が分からず首を捻ろうとして、目の前がスパークするほどの痛みが首に走る。
悲鳴を上げようとのどに力が入ると、今度は喉と腹が痛い。声にならない嗚咽のような音が口から洩れた。
「力を抜いて……そう、ゆっくり呼吸……はい」
母親を思わせるような慈悲深い声。
横島は無意識にその声に従った。
喉に力をいれないよう、空気を大量に肺に流し込まないよう、慎重に息を吐いて言葉を作る。
「な、なんじゃこの痛みは……小錦か!? パワーアップした小錦がどっすんなのか!」
全身を切り裂かんばかりの痛みに、ようやく横島の意識は完全に覚醒した。
腕が痛い。足が痛い。胸が痛い。腹が痛い。どこもかしこもとにかく痛い。
痛む箇所を確かめると、傷は殆ど無いのだが、それでも肉が破れた跡が残っていた。腕も足も細くなっていたし、髪も伸びているようで頭も重い。
「マナ消失……いえ、正確にはマナ消失によって発生したマナ嵐によるダメージです。全身のエーテル結合がズタズタになっていて、回復魔法を掛けても正しい効果が望めませんでした。筋肉痛と同じようなもので、安静にしていれば回復するらしいです……いくつかの傷は残るかもしれません」
傷跡が残る。これがどれほどの事か、永遠神剣を携えないものには理解できないだろう。腕が切断されようが、上半身と下半身が別れようが、全身が炭になろうが、その瞬間なら神剣魔法でちょちょいと回復できるし、時間がたっても辛抱強く掛け続ければいつかは全快するのだから。
今回、横島が受けたダメージの大きさと特殊性が良く分かる。
「そっか。でも、あの状況で生きて帰れるなら御の字だな~
あっ、セリアは大丈夫か! まさか、その白い肌に傷が!?」
セリアを心配すると、途端に彼女の顔色が変わった。
母親のように優しい顔だったのに、唇を噛み締めてキッと睨みつけられる。
いきなりの豹変に横島はビックリした。
「何故……」
「へっ?」
「何故あのような行動を取ったのか……答えてください」
「あのようなって?」
「ふざけないでください。障壁が破れた時の事です。真面目に、答えて」
答えてと言われた横島だったが、分からないものは分からない。あのような行動、とは一体なんだろう。そもそも、障壁が破れた事すら記憶に無い。
怒ったように眉を吊り上げているくせに、何故か目は悲しそうなセリア。理由は分からないが罪悪感が横島の胸によぎる。
何か笑わせる言葉を引き出したかったが、何も浮かばなかった。
「すまん。マジで分からんのだけど……」
ふざける事は無く、素直に横島は答えた。本当に分からないのだ。
別に記憶喪失ではないと思うが、爆発の瞬間はとにかく必死で、いったい何をしたのかなんてわからない。覚えているのはセリアの柔らかさと温かさだけだ。
いや、石鹸やミルクのような、とにかく良い匂いも覚えている。
そういえばうなじにホクロがあったような――――
「もういいです! 貴方という人は本当に! 人の気も知らないで!!」
顔を真っ赤にして怒ったセリアは、乱暴に扉を開けて出て行った。
どうして怒られたか分からず、頭上にクエッションマークを浮かべるしかない。
「う~ん、何か怒るような事言ったか? なあ『天秤』」
『さてな、女心というものは難しい。いや、感情は興味深いな』
何だか面白そうな『天秤』の声。
声から聞こえてくる調子が、何だかいつもと違う。偉そうな感じがなりを潜め、好意というか興味というか、楽しそうな声だった。随分と機嫌が良いらしい。
「はぐらかすな。知ってんだろ」
『……簡単に言えば、どうしてセリアは元気なのに、主はこうしているか、ということだ』
「はあ?」
『まあ、疑問に思うことは無い。思われても少し困るしな。セリアは別に怒っているわけでは無い。ただ、納得していないのだ』
『天秤』がそう答えて、横島としては納得がいった訳では無かったが、怒ってないならそれでいいか、と一先ず納得することにした。
「そうだ、人形はどうなった!」
『天秤』は自分の中にいる。それは人形は『天秤』と離れている事を示している。
あれだけ苦労しておいて人形が吹き飛んでいたら目も当てられない。
『ふっ、大丈夫だ。問題無い』
「それだけ聞くと、何だかむちゃくちゃ不安になるな」
『何を訳を分からぬことを言っている。出るぞ』
横島の体から金色のマナが溢れたかと思うと、すぐにそれは日本刀の形に固まる。
出現した『天秤』には、つばの所にしっかりとつばの無い天秤人形がくっ付いていた。
それが意味するところは、この天秤人形はマナで出来ていて、『天秤』と一体化しているという事だ。
綿という材質が、マナに変わる。ありえないことが起こっていた。
「おま……どういうこった?」
『ふっ、愛の奇跡とでも言っておこうか』
「愛の奇跡って……お前……」
絶句する横島に、意味不明な自信を誇る『天秤』。中々に珍しい光景だ。
変わったとは思ったが、何だか妙な変化をしたようである。
悪いとは言わないが、しかし人様に胸を張れるような人格者になったわけではないだろう。
「変わったつーよりも変になったな」
『なに、自分が未熟者だったと理解しただけだ。自分の未熟を知ることができるのも、私の凄さだろうな』
「やっぱ変わってねーかも」
「まあ……亡くしてようやく気付く程度の凄さだかな……」
胸に痛みが走る。『天秤』の心が横島にも流れ込んできた。
『天秤』は悲しんでいる。苦しんでいる。しかし、それを表に出してはいない。
ああ、そうか。
横島は納得がいった。人は、この場合は神剣であるがここでは人と言おう。人は、悲しみの中で前に進もうとすると明るくなるのだ。笑い、喋り、足を前に出す。泣きながらでも笑う事が出来る。自分らしく生きるために。
横島は、そのことを良く知っていた。
コンコン。
ノックの音が響く。
横島が返事をする前に、ドアが開く。
「ヨコシマ様~入っちゃいますよ~入っちゃいましたよ~」
入ってきたのはハリオンだった。
その手には着替えや毛布等の品がどっさりと持たれている。
ハリオンは横島の顔を見ると、嬉しそうににっこりと笑った。
「お久しぶりです~」
「久しぶり……っすか?」
「あらあら~セリアは話しませんでしたか。ヨコシマ様は二週間も寝たきりだったんですよ~だから、久しぶりなんですよ~」
二週間も眠りっぱなしだったと聞いて、横島は目を丸くして驚いた。元の世界でもギャグ補正すら上回る「プッツン」で病院に入院した事があったが、どんな場合でも一週間で退院していたのだ。
「迷惑かけてすんません」
「迷惑なんかじゃありませんよ~それにヨコシマ様を看病していたのはセリアさんですから~」
「そうなんすか?」
「はい~二週間の間、一日中つきっきりで~数時間おきにタオルを替えて、水を飲ませて、体を拭いて、下の世話まで~」
「し、下の!?」
「嫌な顔一つしないで~一生懸命でした~」
『確かにな、手厚く丁寧に全身を清潔に保ってくれたぞ。汚物で汚れたシーツはすぐに代えてくれたしな。それに水は一度沸騰させたものを冷ました白湯で、質の良い果糖も混ぜていて体に優しいものであった』
横島は顔を真っ赤にして、あぅあぅと意味不明な声を上げた。
羞恥心。彼には無縁とも思われた言葉だが、全く無いわけではなかったらしい。
二週間も寝たきりだったはずなのに体はさっぱりしていて臭いもしない。そして尻の穴には不快感が全くない。本当に隅々まで、完膚なきまで世話してくれたのだろう。
全身を隅々まで探検されてしまったわけだ。
「鬱だ。死のう」
「冗談でもそういう事は言っちゃだめです」
珍しく怒ったようにハリオンが言った。
「私たちがどれだけ心配したと思ってるんですか~! ぷんぷんです」
頬をぷくっと膨らませて、横島を睨みつけるハリオン。
可愛い怒り顔に横島の顔がでへっとにやける。
「もぉ、笑いごとじゃありません~!」
ハリオンの瞳に光るものが滲んできて、横島も真面目な顔になった。
「本当に……ほんとーに心配したんですよー!
ネリーさんもシアーさんもヘリオンさんも泣きながらヨコシマ様とセリアさんを探して、それにナナルゥさんがあんなに大声を出したのは私も初めて聞きました。ヒミカなんてマナ嵐の中を探しに行こうとして二ムさんが必死で止めて……たくさんたくさん大変だったんです。
私だって回復魔法が中々効かなくてとってもと~っても心配したんですから~」
ハリオンはその光景を思い出したようで、顔を青ざめさせていた。目には涙まで浮かんでいる。
その表情を見て、横島はようやく彼女らにどれだけ心配を掛けていたのか理解した。
「お願いですから~あまり無理をしないでくださ~い!」
「分かりました! これからは無理しないで、たっぷりねっとりとハリオンさんに甘えます!!」
「はい~どーんと甘えちゃってください~」
ニコニコとハリオンが微笑む。エメラルド色の目からは、無限の慈愛が溢れている。可愛いとか、美人とか、巨乳とか、そんなものを超越していた。
「そんじゃあ、膝枕! 膝枕でお願いします!!」
おっぱいに突撃しようかと考えたが、不思議と欲望が湧いてこない。
ハリオンとピクニックにでも出かけてお弁当をつまみながらほのぼのする。
そんな光景が横島の脳内に映っていた。
「分かりました~今は忙しいから無理ですけど、後で必ずしましょうね~」
「いやだー! 今がいい~今がいいんじゃあー!!」
ジタバタと横島が暴れる。
駄々っ子のようで情けない限りだが、ハリオンはやはり楽しそうな笑みを崩さない。
「う~ん……じゃあ、膝枕しながら耳かきもしちゃいます~それでどうですか~」
「ばっちりっす!!」
横島はビシッと親指を立ててガッツポーズを取った。
だがここで、ハリオンの様子が変わる。
横島の立てた親指を食い入るように見たと思ったら、ぱくぱくと口を開けたり閉めたりする。
「あ~え~その~う~んと……お、可笑しいですね~ヨコシマ様なら何時でも良いって思ってたんですけど。
も、勿論嫌じゃないですよ~ただその~うう~胸がドキドキして痛いですぅ~どうしたらいいんでしょう~」
オロオロオロ。
平時では絶対に無いハリオンのうろたえよう。
横島は首を傾げた。
「どうしたんすか」
「……ひょっとして~分かっていなかったりします?」
何が分かっていないと言うのだろうか。
横島はハリオンの言っていることが分からず、首をただ捻るだけだ。
そんな横島の様子を見て、珍しくハリオンが疲れた様に溜息をついた。
「う~こんなにビックリしちゃうなんて、お姉さん失格です~すんすん」
顔を赤くしてふるふると首を横に振るハリオン。
何だかとんでも無く珍しいハリオンを見れたような気が横島にはしていたが、今の話の中で何がハリオンを混乱させたのか分からなかった。
親指を立てる、という行為が実は問題だったりしたのだが、それには気づかなかったらしい。
「……ふぅ。何だか疲れちゃいました」
ハリオンは息を整え、新しい毛布をベッドの脇に置くと、床に置いてあった毛布を手に取った。
どうして毛布が床に落ちているのか、横島は疑問に思う。
「その毛布って?」
「セリアさんのですよ~」
「何でセリアの毛布が落ちてるんすか?」
「だから言ったじゃないですか~セリアさんは一日中ずっと看病してたんですよ~食事だってここで食べてましたし」
本気の看護されていたのだと知る。二週間、ずっと同じ部屋で、セリアの手で生かされてきたのだ。
よく分からないむず痒い気持ちになった。羞恥心もあるが、それ以上の暖かい何かが心に流れ込んでくる。
嬉しい。とても嬉しい。嬉しすぎて、どうしたらいいのか分からない。
「あらあら~可愛いです~」
赤面した横島を、ハリオンがよしよしと頭をなでる。どうやら調子を取り戻したようだ。
悠人辺りが見たら気持ち悪いと断ずるであろう横島の赤面であったが、お姉さんのハリオンには可愛いものに見えたらしい。
流石の横島も一人の男であるから、これは恥ずかしいらしく頭を捻ってハリオンのナデナデを避ける。ハリオンは避けられたのが不満だったのか、プクッと頬を膨らませた。
『何だ? 女性に触られるのは好きではないのか?』
『天秤』が不思議そうな声を上げた。
(そんなの、時と場合によるだろうか)
『自尊心か。横島にもそういうのは存在するのだな』
(てめえ、俺を何だと思ってるんだ!!」
『横島と思ってるが』
何を言ってるんだ、とばかりの『天秤』の返答に横島は言葉を失ったが、
(ふん、だったら俺らしい行動を取ってやろうじゃないか!!)
ニヤリと邪な笑みを浮かべる。
「その毛布は、ずっとセリアが使ってたんだよな」
「はい~」
「よし! その毛布を俺にください!!」
「性少年の主張ってやつですね~」
「うっす!」
二人はニコニコと笑いながら通じ合った。横島の変態性すら包容できるハリオンも凄いが、自信満々に性少年の主張を通せる横島もまた凄い。
横島がハリオンからセリアの匂い付き毛布を受け取ろうと手を伸ばした―――――その時!!
「なぁにぃをやぁってるのー!!」
乱暴に扉が開く音がしたかと思うと、地獄の釜を沸騰させたような恐ろしい声が響いた。セリアだ。その手にはお盆を持っていて、その上には皿があった。皿の中身は、胃に優しそうな温かいスープである。セリアが横島の為に特別に作ったものであった。
顔を赤くして目を吊り上げたその表情は、怒りと羞恥で満ちている。
良く怒られているネリーが見れば鬼の様な表情と言うだろう。しかし、横島は意外と女子の気持ちには敏感なのである。
「心配かけてすんません。それと、看病ありがとうございます」
こんな時だと言うのに、素直に礼を言う。これは横島の偽りない素直な感情だった。
率直な謝礼にセリアの怒りの矛先が行き場を失い四散する。セリアはとても優しいから、詫びられ、感謝されたら怒りを持続出来ないのだ。ただ恥ずかしがり屋で強情でもあるから、振り上げた拳をどう下げたらいいのか分からず、仕方なく毛布を奪い取って睨みつけるしかない。
予想通り、と横島はほくそえむ。
横島の攻勢は続く。
「そういえば、セリアが俺の看病をやるって言い張ったって聞いて……うう、そんなに俺のことを」
うるうると横島の目が潤む。仰々しく見せる演技も入っているが、純粋に横島は感動していた。
セリアは怒りだけではない理由で顔面を気の毒なほど赤くしながら、それでも口元はきつく締める。
「貴方の看護をするのが私しかいなかったからです! 他の皆は訓練と遠征の準備で忙しいけど、私はまだ本調子じゃないからやることが無くて、仕方が無く看病したんです。変な勘ぐりはやめてください!!」
「それはもちろん嘘でぇ~皆で看病しようって意見がでたのに~セリアさんが絶対に私がやるって言い張ったんです~」
「ハリオン!!」
部屋がゆれるほどの大音量な怒鳴り声。
だが、ハリオンは羞恥に震える怒りなどどこ吹く風と、いつもの笑みを浮かべている。いや、いつも以上の笑顔だ。
明らかに今の状況を楽しんでいる。皆のお姉さんは無敵だった。
ベッドの上の横島がセリアの手を握る。
セリアは頬を赤くし、怒りで眉を吊り上げたが、手を振り解こうとはしなかった。
「ハリオンさん、ちょっと席をはずしてほしいんですけど」
「分かりました~後は若い二人に任せましょうか~」
「ちょっと!?」
見合いの仲人のような台詞と共にハリオンが部屋を出て行く。セリアは慌てて追い掛けようとしたのだが、横島に手を握られていて追い掛ける事ができない。
「いい加減離して!」
強引に手を振りほどこうと力を入れて引き剥がそうとする。
すると、横島の口から苦痛の声が洩れて、顔は痛みで歪んだ。
「あっ」
引き剥がしにかかる力が緩まる。その隙をついて、横島は残った片手をセリアの背にまわして抱き寄せた。
「ひ、卑怯よ! 怪我を利用するなんて!!」
「卑怯で結構、コケコッコー! まあ、その気になればすぐに手を離されちゃうんだろうけど……」
優しいセリアにはそれが出来ない。普段ならともかく、けが人に手を上げるのは無理だ。
横島はしっかりとセリアの性格を掴んでいて、それを巧みに利用していた。
指と指を絡め合わせ、擦り合わせる。
ただ握手しているだけなのに、横島の手に掛かると厭らしい事この上ない。
「うー! うっ……ううー!」
羞恥と怒りでセリアの白い肌がどこまでも赤くなる。もう顔だけでなく、全身が赤くなっていた。
この白い肌を赤く染め上げているのが自分だと考えると、横島の中に嗜虐心と愛情がどんどん涌いてくる。
「俺は、セリアに会うためにこの世界に来たのかもな」
まさしく『歯が浮く』ようなキザったらしい台詞である。
平時に言ったら「はあっ?」の一言で流されるだろう台詞だろう。しかし、時と場さえ考えれば、さらに相手がこういう口説き文句に慣れていなければ、絶対の効果を示すのだ。
「ば……馬鹿な事を言って!」
ぷい、とセリアはそっぽを向く。
そこには怒りがあったが、しかしそれだけでない感情があるのは横島にも十分に分かった。
いくら怪我が酷かろうが、この煩悩男がこんな美人で可愛い相手が隣に居て手を出さないなど考えられない。
「も、もう辛抱堪らん!!」
「きゃあ!」
横島はセリアの強引に引っ張ってベッドに倒した上で、毛布を広げて自分とセリアの上に広げた。
強引にベッドの中に連れ込まれたセリアは、怒りや驚きではなく緊張によって体をカチンコチンにさせた。
何と言っても、横島は裸である。裸の煩悩男とベッドインしているのだから、初心なネンネであっても次に何が起きるか分からぬはずがない。
(あ……そういえば、昨日、お風呂に入ってなかった……やだ)
セリアは風呂に入っていない事を思い出すと、緊張も好意も険悪も忘れて、自分の体から異臭がしていないか心配した。正に乙女である。
そんな乙女に横島の好色な魔の手が迫る――――
「え、えーと……キスして良いか?」
という事は無かった。それは誠実な、むしろこの状況では滑稽で悲しい童貞の行動だった。
おっぱいを触るぐらいなら普段の勢いでセクハラできるが、いざそれ以上に及ぼうとすると、煩悩一直線では動けなくなる。
横島はどれだけエロ少年でも、根っこで善良で、経験の薄い童貞坊やで、少年誌主人公? というメタな属性を持っていた。純情な変態ボーイ。それが横島だった。
セリアはその一言を聞いて、
「ぷっ!」
思いっきり噴出した。
「な、何ですかそれは。
卑怯な手を使って強引に抱き寄せておきながら、いざって時に『え、えーと……キスして良いか?』って……くっくくく。
知りませんでした。まさか私たちの隊長がこんなに可愛らしい人とは……ふふ……あはははは、お腹がよじれそう!」
机を叩かんばかりにセリアは笑った。儚げでも優しそうでも無い、心の底から楽しんでるような笑み。そこいたのは戦士でも戦闘奴隷ではなく、年相応の少女だった。
今度は横島が赤くなる番だった。
自分がとてつもなく恥ずかしい。先ほど赤くなった理由とはまた違う。
男として負けた、というか、征服しようとしたら逆に征服されたというか。とにかく恥ずかしかった。
ただ、笑い転げるセリアを不快に思うことは無かった。むしろ、今まで見た事が無い彼女の一面に触れて、より一層の愛情すら感じたくらいである。
『やれやれ、私が変わってやろうか』
『天秤』からも、からかったような声が響いてくる。
『ヨコシマってこういう部分もあるのよね。それがまた可愛いのよ!』
恋人もやんややんやと囃し立てていた。
空気が甘さと緊張が入り乱れたものから、ほのぼのした柔らかいものに切り替わっていく。
横島も緊張と煩悩がほどよく溶けて、セリアの匂いと温かみを実感できる余裕が生まれた。
――――――何か普通に抱けそうだ。
自然とセりアに手を伸ばし――――
「横島ー入るぞー」
緊張感の無い男の声が響いて、同時に扉が開く。
セリアの行動は素早かった。さっとベッドから抜け出て、悠人の横をくぐり「失礼します」と言ってあっという間に部屋から出ていってしまう。
出ていく際、横島に向けて恥ずかしそうに手を振ったのだが、彼は気づかなかったようだ。
突然のラブモードの消失に、横島は元凶の悠人を激しく睨む。
「お、おのれー! 悠人、死ね。頼むから死んでくれ。いや、ほんとにマジで」
「おっ、元気そうだな」
横島の恨み言などそよ風とばかりに、悠人は華麗にスルーした。
ますます怒る横島。しかし、悠人はやはり涼しい顔だった。
「お前の言ってることにイチイチ反応してたらやってられんだろ」
『確かにな』
(確かにね)
相棒と恋人は相槌を打った。
それが横島に聞こえたわけでは無いが、横島は憮然とした表情で押し黙る。
本人も、確かに、と納得してしまったのだ。
「男に見舞いされて喜ぶ趣味はねーぞ!!」
「ああ、分かってるさ。真面目な話だ。スピリットの生き死に関係する……戦争の話だ。」
悠人が真剣な顔つきでそう言うと、横島の顔つきも真面目になった。
横島と悠人と真面目な話をするのは、基本的に女の子たちの生死に関係することだけである。
「今回のお前の勝手な行動には色々と言いたい事があるけど、今はとりあえずおいておくぞ。後でたっぷり説教されるだろうしな。
これから俺達はサルドバルトに残留しているイースペリアのスピリット達を倒すために出発する」
「はあっ!? もう命じた人間も……そもそも国がなくなっただろ。それでも投降しないのか?」
「ああ、どういうわけかな……くそ!」
悠人は悔しげに悪態をつく。まったく無意味に、また血が流れる事に憤りが抑えきれないようだ。
イースペリアの惨劇は悠人の心を深く傷つけていた。悠人だけではない。
人の営みが一瞬で崩れた光景は、多かれ少なかれスピリット達の心にダメージを負わせていた。
いくら知らなかったとはいえ自分達が大破壊に加担したのだから尚更だ。そういった意味では、惨劇を見ずに済んだセリアと横島は幸運だったのかもしれない。
「それでだ。横島から俺に何か言いたい事は無いか。皆にでも良い」
「どういう意味だよ?」
意味が分からず横島は首を傾げる。
悠人は呆れた顔をした。
「お前なあ、まさかその怪我で戦いについて行ける訳ないだろう。お前が出来ることは、セリア達に激励することだ。窓から元気な顔を出すだけでもいい。それに、何か俺に言いたいこともあると思ってな」
横島はげんなりした顔をする。
「何でわざわざお前に言わなきゃいけないんだよ」
「……何も言いたいことがないならそれでいいけどな。俺がお前の立場なら言うと思っただけだ」
「だから何を」
言おうとして、はっとした。
確かに悠人に言いたいことがある。悠人に対して、一つの懸念があった。
しかし、その懸念を打ち消す為に言わなくてはいけない言葉は、簡単に口に出せることではない。
「おい、悠人。隊長として当然の行動を取れよ」
横島は言葉を選んだ。遠まわしに、歯に衣着せて、注意を払う。
だが、悠人は横島が言いたかった事の本質を知っていた。
「隊長として、躊躇せず殺せって言っているのか。セリア達の為に、情けをかけて剣を曇らせるな……『お前』が、そう言うのか」
横島が曖昧にぼかした部分を、悠人は冷徹に突っ込む。苦虫を噛みしめた表情をする横島。
「……そこまで言ってねー」
「じゃあ、どこまで言ってるんだよ。言ってみろ」
突っ込まれて横島は言葉を失う。
確かに、歯に衣を着せず言うのならそういうことだろう。
横島は恐怖したのだ。悠人が敵のスピリットに情けを掛けて、セリア達が死んでしまうのではないかと。特にハリオンなんて、今思えば死亡フラグを立てていたとしか思えない。
しかし、いくら敵とはいえ美少女達の死を望むのは横島には無理だった。
だが、もしも悠人が仏心を出してセリア達に危険が生じるようでは困る。
優しさ、弱さ、倫理、欲望、打算、多くのものが横島には渦巻いて、彼は沈黙した。
何も言えなくなった横島相手に、悠人は鼻を鳴らす。
「勝手だな。自分は可能な限り殺さないように努力しているのに、俺には殺せか。殺したくない気持ちは一緒だってのに」
怒りが感じられる、吐き捨てるような言い方だった。非難するような目つきで横島を睨む。横島の顔から僅かに血の気が引いた。
幼い頃から大人に頼らず生きてきた悠人には、独特の雰囲気がある。やくざが放つような外面的な怖さは無いが、思わず背筋の伸ばしてしまうような、そんな一種の凄みがあるのだ。いや、外面的な部分もここ最近出てきた。頬の肉が少し削げ落ちて、肌は日に焼けて黒く硬くなり、そのくせ目だけが活力の塊みたいにギラギラと光る。
悠人は今正に、日の出の勢いのごとく成長していた。それでも、まだまだ弱いのだが。
「……俺はお前ほど器用じゃない。霊力も無い。小細工や悪知恵も働かない。
俺が、俺達だけじゃあこの世界に抗う事が出来ないんだ。
だから、俺達には、スピリットには、お前が――――」
何も言えない横島に、悠人は独り言のように言葉を重ねた。
それは自分の力不足を怒り嘆く言葉だった。
横島に対する怒りではない。自分に対するものだ。
悠人は横島に何が言いたかったのか。どうして、こんなにも答えにくい質問をしたのか。
横島は何となく分かったような気がしたが、言葉には出来なかった。
二人の間に沈黙が広がる。
先に口を開いたのは悠人だった。
「それじゃあ、歯を食いしばってくるか。お前はさっさと怪我治せよ」
「……うっさいわ。男に言われても気持ち悪いだけだっつーの」
苦みきった表情でぼそりと呟く横島に、悠人は苦笑しながら部屋から出て行った。
(麗しき男の友情ね……どきどき)
ルシオらが二人の様子を見て興奮したように喋る。
彼女は当然だが横島を愛していたが、悠人の事も気に入っていた。
(麗しいか? 私は普通に似合わなくて気持ち悪いと思うが……何故、どきどきしている?」
(貴方にはまだまだ早いわね。知る必要が無いことよ)
知る必要が無い事と言われてカチンと来た『天秤』だったが、ある種の空気が彼をこれ以上追及させないように働きかけた。
知る必要は無い……否、知らないほうがいい。
彼も段々と空気を読む力が発達してきたようである。
(でも、仲良くなって欲しいけど……仲良くなっちゃいけないかもね)
ルシオラは寂しそうに笑う。
その目に何が映っているのか、『天秤』には分からなかった。
横島はセリアの残したスープに舌鼓を打っていると、外がにわかに騒がしくなった。
窓に目をやってみると、ネリー達が出発の点呼を取っている。どうやらサルドバルトに出発するらしい。メンバーは第一詰め所と第二詰め所の面々だけで、第三詰め所の姿は無かった。
どうしてネリー達は部屋に来てくれないのかと、横島は不満でぶっちょう面をしていたが、ネリー達を見て妙な違和感で眉を顰める。
アセリアら第一詰め所のスピリットはいつも通りだが、第二詰め所のスピリット達は随分と緊張した顔をしている。
いや、緊張というよりも気合いが入りすぎているように見えた。
ここは隊長として一仕事しなければいけないだろう。
「怪我しないように頑張れよー」
横島は窓を開けると、どこか緊張感の無い声で激励する。
「……あ」
横島の顔を見て、ネリー達は嬉しそうな顔をしたが、次の瞬間には悔しそうに唇をかみ締め、そして直ぐに決意を秘めた笑顔へと変わった。
「いっぱい殺してくるねー!!」
ネリーは花丸をあげたくなるような笑みで手をぶんぶんと振る。だが、言っている事は酷く物騒で、横島は曖昧な笑顔を浮かべるしかない。
シアーもヘリオンも同じように笑顔で、手を振っている。これは、まあ子供だから良い。
問題なのは、ヒミカやファーレーンすらも目の奥に燃えるような殺気を忍ばせていることだ。ナナルゥも心なしか気合が入っているように見えた。
まともに見えるのはセリアとハリオンぐらいに見える。
戦意が高いと言うより、殺気の塊のような第二詰め所の面々。
横島はそこまでイースペリアのスピリットを憎んでいるのだろうかと、何だか嫌な気持ちになった。
どこか不安に思いつつも、出発するセリア達に手を振って見送る。
サルドバルトに向かう悠人達を、何故か一匹のルガテ(犬)が寝そべりながら見ていた。
こうして広い第二詰め所で一人ぼっちになった横島だったが、ここであることに気づく。
「俺の世話はだれがするんだ?」
体は痛い。はっきり言って、動く事が出来ない。
女の子達が居なくなって、そよ風の音すら聞こえるぐらい静かな第二詰め所の一室で、横島は自分が一人で生活できない事を自覚した。
トイレぐらいは這ってでも自力で行くが、それ以外は正直動ける気がしない。どうしたものかと考えつつ、セリアが置いていったスープに手を伸ばし、鉛っぽい金属で出来たスプーンを使って啜る。
味は、酷く薄い。病院食のように水っぽかった。胃に優しい代わりに、舌に優しくない。
『なんだ、先ほどまで旨い旨いと言って食っていたではないか』
「そりゃあ、さっきまではセりアの残り香があったしな」
『成分は変わらずとも、心の持ちようで味が変わるか……面白いな』
「何が面白いんだー! つーか、お前は今の緊急事態が分からんのか。このままじゃ一人寂しく孤独死だぞ!」
『それは問題ないだろう。横島が今日、起きるとは誰も分からなかっただろうし、世話役のセリア達が出かけるのだから、誰か来るに決まっている』
「美人が来るか? 美人だろーな!?」
『そこまでは分からぬが、この世界は美女美少女が売りだから、問題ないと思うが』
「そーか、そうだな! これだけ痛い事が多い世界で、美女美少女は出てこなかったら金返せレベルだもんな」
うんうん、と横島は頷く。『天秤』も上手く横島を宥められたと満足していた。
しばらくしてコンコン、と控えめなノックが聞こえてきた。
そのノック音だけで横島はドアの向こう側に居る美女を幻視する事ができる。
きっと奥ゆかしく清楚な美人だろう。それでいてダイナマイトボディを持っているに違いない。昼は淑女で、夜は淫らに変わるのだ。
妄想しながら「どうぞ」と横島は唾を飲み込みつつ言った。扉が開く。
「その……お世話に来ました。えーと、体は……大丈夫?」
入ってきたのは、小柄で、凹凸の少なく、美人というよりも可愛い――――少年のような外見をしたルルーだった。
『ふむ、お約束というやつか。まあ、美少女には違いないから私は嘘を言ったわけではないぞ』
特に予想外ではないのか、『天秤』は納得していたが、横島としては裏切られた気分でいっぱいだ。
「ち、ちくしょー! なんだそりゃ! どうしてこんなちんちくりんが~!!」
オーマイガ!!
この世の終わりみたいに横島が嘆く。
この瞬間、横島が夢想していた天国の打ち砕かれた。
王道である『あ~んして』から始まり、ふら付いて思わず押し倒したり、お姉さん、ボクの股間が何だが苦しいの――――といった高度なプレイに至る構想の全てが灰燼に帰したのだ。
「チェンジだー! チェンジを要求するーー!!」
「な、何だよー! せっかくお世話にしてきたのにー!」
「背丈とおっぱいを伸ばして来いや!」
「そういうのを、セクハラって言うんだよ」
「男がセクハラして何が悪い!」
「普通に悪いよ! 何で堂々としてるの!?」
睨みあう二人。平常時は相変わらずの緊張感の無さである。
だが、お馬鹿な会話をしながらも、ルルーはほっとしていた。
実を言うと、ルルーは横島と会うのが少し怖かったのだ。エニの件で、ルルーはまた横島に神剣で切りかかった。
これでもう三度目である。一度目は戦争中であったけど、二度目は白旗が振られた後にばっさりと切ってしまった。
そして今回は、仲間であるのに横島に襲い掛かった。途中で剣を引いたけど、切りかかったのは事実だ。
顔も見たくない、と言われても不思議ではなく、処刑されてもおかしくないとルルーは覚悟していたのである。そうと考えていながらも、彼女は横島の看護を自発的に挙手していたのであるが。
もっとも、そんな覚悟は杞憂だった。結果は見てのとおりである。
今までが異常だったのであって、本来は横島とシリアスな空気に陥る方が遥かに難しいのだ。
「とにかく、ボクが……君の世話をするからね。お姉ちゃん達は看護なんてまだ無理だし」
「うう~どうして世界はこんなに残酷なんじゃ~」
「あははーもっと泣けー苦しめー」
「最低だ、こいつ!」
「大丈夫、君ほどじゃないよ」
と、そんなこんなしながら病人生活がスタートして、数日が経過した。
セクハラも何も出来ないルルーの看護を横島はがっかりしながら受けていたが、看護自体は中々どうして見事なものだった。
食事は普通に美味しくて、細かいところにも気が利いた。背中が痒いと言えば文句を言いつつも摩ってくれたし、体を拭くタオルも絶妙の温度を保っている等、文句のつけどころが無い。
元々、ルルーはバーンライトに居た頃、スピリット達の家事全般を担当していたからこれぐらいは容易いのだろう。
しかし、これだけ見事であっても横島はがっかりしていた。どうしても、ルルーに対してセクハラを仕掛ける気にはなれず、ヘリオン達を相手にするような愛情を向ける気にもならない。
しかし、横島は気づいているだろうか。愚痴も文句も、セリアやハリオンには出せない本心をあけっぴろげにルルーには晒し出していることを。
異性という垣根を越えた感情を、横島はルルーに持っていた。それはルルーも同じであった。
ある意味、二人は特別だったのだろう。横島もルルーもそれに気付かなかったが。
また、一日が過ぎる。
その日、まだ体が動かせない横島はやることも無く、ベッドでゴロゴロしながら外を見ていた。
コンコンとノック音が響く。横島は返事をしない。どうせこの部屋に来るの特定の一人だと思っていたからだ。
「お邪魔して良いですか?」
「勝手にすればいいだろ……お前相手に気取ってもしょうがないしな」
またルルーが来たのかと、横島はストレートに気持ちを伝える。
「随分と気のない返事ですね。いえ、これはこれで信頼を感じます。そのような応対を受けるのは新鮮です」
ハッとした。
ルルーの声では無い。静かだが響く、通りの良い声だった。
寝返りをうって向き直ると、そこにいた人物に横島は驚愕する。
「レスティーナ様!?」
「壮健ですか、エトランジェ・ヨコシマ」
なんと現れたのは一国の姫であるレスティーナ王女だった。しかも護衛もおらず、単身で見舞いに来たようである。
その気品ある立ち振る舞いは高貴な匂いを感じさせずにはいられない。いかに美人揃いのスピリットであろうとも、この優雅にして壮麗な雰囲気を醸し出す事は出来ないだろう。
「一国の王女様が俺の為に……俺の為に仕事を放り出して見舞いを……っ!!」
横島は泣いた。男泣きである。
相変わらずな横島であるが、これは仕方ないだろう。一国の姫が見舞いに来て、感動しない男などそうそう居るものではない。
滝のように涙を流す横島に、レスティーナは流石に引いたようだ
「……思ったより元気そうで何よりです」
「そりゃあもう!! レスティーナ様が来てくれるなら百人力ですよ!!」
「そうですか。それだけ元気なら、もう見舞いに来る必要はありませんね。では、これで」
「いやー! 嘘っす!! ホントはマジで体が痛くて今にも死にそうで!!」
「まったく」
横島の変わり身の早さにレスティーナは呆れたように溜息をつく。
だが、特に悪感情は持たなかったようで小さく笑みを浮かべた。
「今日は見舞いと……話したい事があってお忍びで来ました。
本当はユートにも直に伝えておきたいのですが、彼には嫌われているでしょうから」
悠人の悪感情はしょうがない事だろう。
国王に妹を人質に取られている悠人だ。その娘であるレスティーナを嫌うのは自然な流れだろう。それに、イースペリアの件でユートの王族へ持つ不信感は相当増大しているはずだ。
暗い雰囲気になりかけたが、並みのシリアスでは横島の陽気に敵うわけも無い。
「くう! 悠人の奴より俺のほうが好きって理由じゃないんですか!?」
「ふふ、残念でしたね」
口元に手を当てて、上品に笑うレスティーナ。
今までいないタイプの女性に、横島の興奮はますます高まっていたのだが、急にレスティーナは笑いを止めた。
そして、玉座の間にいるときのような威圧をもって横島を見据える。
「では、真面目な話をしましょう」
レスティーナの声のトーンが落ちる。これから本題に入るということだろう。
まさか、一国の王女がお見舞いの為だけに横島に会いに来るわけがない。
それは分かっていたが、横島は少し残念な顔をしていた。
「イースペリアの一件で、一体どれだけの謎があったか……貴方にも分かるでしょう」
イースペリアの謎の裏切りから始まった一連の騒動は、とにかく不可思議に満ちていた。
一体誰が、この陰謀のタクトを振ったのか。それを導き出す証拠は無い。しかし、状況証拠なら腐るほどあった。
レスティーナは断言する。
「イースペリアの一件は、父の策謀でしょう。一体どのようにしてイースペリアを操ったか、そもそも操っていたのか……情報は余りに少ない。しかし、父が一連の悲劇を演出したのは疑いありません。あのマナ消失も、父の差し金でしょう。恐らく、イースペリアには父の策略の痕跡があったのです。それを消し去りたかったのでしょう」
死人に口無し。証拠は全て吹き飛ばされた。
謀という点において、レスティーナは父を負けた事を認めないわけにはいかなかった。
レスティーナは別に謀そのものを忌避しているわけではない。
国が国を謀るのは、一種の外交であるとも言える。弱者は強者に食われるのは世の習いだ。そして、いくら邪悪でも国のトップは強者でなければならない。善の弱者より、悪であっても強者でなければ苦しむのは下々の者だ。
レスティーナは公正明大を自身の武器としているし、元々の性分から陰謀を企てるのは苦手であるが、しかしこの戦乱の時代に清廉だけで生きていけないことは重々承知している。
しかし、それでも、物には限度があるのだ。
「父は、越えてはならない一線を越えました。父の血に濡れた野望は成功し、父の自制心を焼き尽くしたのです。これから先、まともな政務を取るのは不可能でしょう。いつ無謀な遠征を言いだすか……最悪の場合は敵対していないマロリガン共和国や聖地とされるソーン・リームにまで出兵するかもしれません」
一度大きな成功をすると、人は成功に狂う。
英雄や名君と呼ばれる程の人物でさえそうなるのだ。
あの王は、小者だ。肥大化した自尊心を飲み込む器は無い。
レスティーナの言う事は正しいだろうと、『天秤』は頷いていた。
「私は女王になります」
静かすぎる声には、断固とした決意が込められている。
ごくりと横島は唾を飲み込んだ。血と骨肉の匂いが辺りに立ち込めたような錯覚に陥る。
あの権力欲の塊である禿王が素直に退位する訳が無い。
つまり、これから王宮で起きるのは――――
「では、私はこれで……体を大切にしてください」
毅然と言って、レスティーナは去っていった。
横島はしばし呆然としていたが、我に返ると不満が一気にのどからせりあがってきた。
「ちくしょー! せっかくお姫様がお見舞いに来てくれてるってシチュエーションで! どうしてこんな血なまぐさい話しなきゃなあかんのだー!」
『いやいや、これはそういう問題か? 国を揺るがす、とんでもない秘事を明かされたのだぞ』
「知るか~!! うおおおおん!」
マジ泣きする横島に、『天秤』は疲れた様に溜息を返す。
こういう所は本当に馬鹿だと『天秤』は思ったが、しかしだからこそ自分が横島の知恵袋になって役立たねばと、強く自分の必要性を理解した。
『主、分かっていると思うが、間違っても今の話を他の誰に言うなよ。協力は頼まれなかったが……む? では何故、秘事を我らに明かしたのだ?』
『天秤』は頭を捻る。
ここで横島に実の父を政治的に、あるいは直接的な意味で殺すという陰謀を明かす事が、一体レスティーナにとって何の得があるのか分からない。
うむむ、と悩む『天秤』だったが、思考は部屋に乱入してきた女性によって妨げられた。
「パンパカパーン!! レムリア参上!!」
勢い良くドアが開いた。
そして現れたのは、チャイナ服を着て、黒髪をお団子に結び、キラキラと目を輝かせた活力の塊のような少女。
レムリアだった。言うまでも無くレスティーナの変装した姿なのだが、外見というよりも雰囲気が違いすぎる。
これが本当にレスティーナの変装なのか。ひょっとしたらレスティーナのそっくりさんではないか。
本気で疑った横島だが、ある一点を見てレスティーナに間違いないと分かった。
「ど、こ、を、見ているのかな~ヨコシマく~ん!」
「いひゃい! いひゃいっす!!」
胸をガン見していた横島のほっぺたを、レムリアが引っ張る。
痛みに涙する横島だったが、目を潤ませているのはレムリアも同じだった
「私の胸は人並みだもん……ちょっとだけちっちゃいかもしれないけど、まだまだ未来があるんだから」
「……そうっすね、未来が……ありますよ。うん」
「ああ~! そこで優しい顔するなー! 絶対に70の大台に突入するんだから!!」
レムリアがぷんすかと頬を膨らませる。
しかし、70を大台と呼ぶレムリアに、横島は涙を禁じえなかった。
「でも、どうしてレス……レムリアちゃんがここに?」
「水臭いこと言わないでよ。ヨコシマ君が怪我したって聞いたからね、友人としてお見舞いするのは当然だよ」
「友人っすか。そこはもっと大切な人って感じで……」
「うん、大切な友達だよ! ずっとずっとね!!」
伝家の宝刀である『私達、これからも友達だよね』を繰り出したレムリア。
しかし、悪い意味でも打たれ強い横島はこの程度ではへこたれない。
(いや、これは友人から始めましょうって意味だ。やっぱりレスティーナ様は俺に気がある!!)
横島は自分を慰める達人だった。
「それじゃあ、看護をお願いしていいすか」
「うんうん! このレムリアに任せない!!」
ニコニコとしながらドンと胸を叩くレムリア。
誰かの世話をするなんて初めて経験で、とても張り切っている。本来は下男下女に世話をされている立場なのだから新鮮味があるのだろう。
(この王女も大概だな)
一国の姫が、変装して出歩くのも大概だと『天秤』は感じた。だが、ただおてんば姫で無いとも思った。
いくらなんでも変装した前と後で雰囲気が違いすぎる。それこそ二重人格では無いかと疑うほどだ。
色々と抱え込んでいるものがあるのだろうと、『天秤』は興味を新たにレスティーナを眺め、少し同情する。
冷静に『天秤』が考える一方、横島は一国の姫に看護されるという事実に鼻息を荒くしていた。
「美人の王女様が変装して俺の看護を……美人の王女様が変装して俺の看護を……ぐふーぐふふー!!」
またしてもトリップする横島だが、今度はすぐに復帰した。
霊感に恐ろしい反応があったのだ。何か命の危機が迫っていると、横島はあたりを窺う。
危険は、すぐ側に有った。レムリアの手の中に風呂敷がある。危険は、そこにあったのだ。
「ふふ~ん、気づいたみたいだね。ジャジャーン!! レムリアスペシャル・ゴー!!」
風呂敷が開けられると、出てきたのは重箱だった。レスティーナは満面の笑みを浮かべて重箱が開ける。
重箱の中には、煌びやかな具が一杯だった。
まず目を引くのは主食のサンドイッチだ。一体どういう手品を使ったのか、パンが青い。異世界に来て、元の世界に無い食べ物を口にしてきた横島だが、青いパンは初めてである。艶やかな青は、実に食欲を減退させる。中身は普通に野菜と肉であるのが何だか小憎らしい。
次に目に付いたのは鳥の唐揚げだが、なんとこれは見る角度で色が変わる。謎の技術が使われているのだろうが、ちっとも嬉しくない。
唯一、まともに見えたのは見事に茜色に揚げてあるコロッケだった。しかし割って中を見ると、そこには紫色の何だか良く分からないものが詰まっていた。
「どう、凄いでしょ! 私だってこんなに綺麗な食事見たことないよ!」
レスティーナは自信満々な笑みで薄い胸を張る。横島は脂汗を流しつつ頷いた。
確かに凄い。名のある料理人でもこうはいかないだろう。ミスターな味っ子もびっくりだ。
これを作れるのは、料理人というよりも科学者ではないだろうか。もしくは前衛的な芸術家か。
食べて食べて!
レスティーナの眼は光輝いていた。それこそ、夜空に星が輝くように燦々としている。
これが、先ほどまで冷徹な表情で血の陰謀を企てていた王女なのだろうか。
いや、それは間違いないのだ。今この部屋で、血の惨劇は起こそうとしているのだから。
「なはは……試食して見てどんな味だったんでしょう」
「試食? してないよ減るのもったいないもん」
――――何故試食をしない!! 俺の命が減るだろうが!!
横島は内心で絶叫する。
善意とは、時として悪意よりも遥かに性質が悪い。
「それじゃあヨコシマ君、はい、あ~んして」
レムリアは器用に箸で紫色の『かつて食材だった物』を掴んで横島の口元にやった。
あ~んして。
夢見ていたシチュエーションだからか、横島の目には涙が溢れそうだった。いくらなんでも命を引き換えにするほどのものでは無い。
『横島よ、何とか断れないか。このままでは死にかねない!』
(そうよ! ヨコシマ、なんとか断って!)
『天秤』もルシオラも必死に訴える。
基本的に味の情報は『天秤』やルシオラは得ることが出来ない。しかし、以前のアセリア料理の際に二人は確かな味を――――死を誘う味を感じたのだ。
異次元の料理は道理も法則も超越する。どこぞのパン審査員など、パンを食べて世界を破滅させかねなかった。
「え、えーと……そうだ! この素敵な料理は俺だけじゃ勿体ないし、皆で食いましょう!?」
横島はそう言うと、『天秤』を出して力を引き出す。
すると、直ぐにドタドタと足音が近づいてきた。
「どうしたの! 何かあった!?」
神剣反応に気付いたルルーが息を切らして部屋に入ってきた。
『やれやれ、私がナースコール扱いとは』
『天秤』が愚痴るが、特に不満は無さそうだ。敵(弁当)に対して援軍と呼ぶというのは至極真っ当な策だからである。
ルルーは横島の様子と、目の前にある眩いばかりの弁当を見て全てを察した。
「ボクは、飛べる!!」
ルルーの背にウイングハイロゥが輝く。空中に浮かび、全力で逃げ出そうと飛び立った。
「逃がさん! お前だけは!!」
横島がベッドの上から手を伸ばす。手は、栄光の手となって伸び、ルルーの体をしっかりと掴んだ。
そして栄光の手を縮める事によってルルーを引き寄せる。
引き寄せられたルルーは、横島の胸の中にすっぽりと収まった。
「わあ! 放せ、放せーー! 犯されるー!! くぱぁってされるーー!!」
「アホかー! 誰かお前なんかに歴史と伝統のくぱぁをするか。くぱぁを汚すな! くぱぁを汚すな!!」
「何でかボク怒られてる!?」
「当たり前だ! おっぱい三年、太もも八年、くぱぁ一生と日本の諺にあるのを知らんのか!?」
「うぅーまさかくぱぁがそんな神聖なものだったなんて……」
辺りがカオスになっていく。
だがそれが、横島とルルーの狙いだった。
このまま場を混沌とさせてお弁当を有耶無耶にしてしまう。それが二人の生存本能が下した計画だったのだ。
「むぅー何だか私のお弁当を食べるの嫌がってない?」
しかし、たった一言で計画は頓挫する。
はじめてのお弁当を食べてくれない為か、レムリアはちょっと涙目になっている。
流石に横島の良心もとがめはじめた。
「よし、ルルーよ、食べるがいい。別に全部食べてしまっても構わないぞ?」
「嫌だよ! 大体、そんな言い方されると死亡フラグが立っちゃうじゃないか!!」
「違う、立ててるんだ!」
「最悪だー!」
「うるさいわぁ! 俺とレムリアちゃんの為に死ねぃ!!」
「やだやだ! こんなものが舌の上でしゃっきりぽんって踊ったら、ボク逝っちゃうよぉ!」
「ええい! 貴様如きが「イッチャウヨ~!」なんてエロい声を出すなんてフランス書院を馬鹿にしてんのか!」
「だから、何なの! その変な怒りのポイントはー!?」
二人はまた喧嘩を始める。喧嘩と言っても、横島の膝の上にちょこんと乗っているルルーとの言い合いだ。
イチャイチャと仲良く喧嘩する様を見せつけられては、レムリアも堪ったものではない。
「もういい、もういいもん! そんなに私のお弁当を食べたくないなら、全部食べちゃうから!!」
レムリアは涙を滲ませながら、謎の紫コロッケをがばっと口に入れた。
「あ」
「あ」
横島とルルーは恐る恐るレスティーナの様子を観察する。
意外にも、何のリアクションも無かった。
顔色を変えるとか、吐き出すとか、水を訴える事も無い。
食べたままの恰好で、彫像のように動かなくなった。
ルルーは横島の膝の上からぴょんと降りると、レムリアの首を手を当てて、脈を取る。
「し、死んでる……」
とまあ、こんな死と隣り合わせの和やかな日々を過ごしながら二週間、十日ほど経過した(この世界の一週間は五日)。
体の経過も順調で、途中レムリアのお見舞い品が体調を悪化させたりもしたが、概ね良好だった。また、レムリアの料理はルルーの献身的指導によってそれなりに食べられるようになっていった。それを機に二人は仲良くなったようだ。本来なら、ルルーは人であるレムリアと仲良くできるはずも無かったのだが、性格とこのドタバタもあって凄まじいスピードで仲良くなっていった。
勿論、ルルーはレムリアの正体を見破る事はなかった。
朗報が訪れた。
悠人達のサルドバルト救出戦は成功した。
イースペリアの残党スピリットは全滅して、悠人達には何の被害もない快勝。
横島もレスティーナもほっと胸をなでおろした。
そうして三週間、一五日が経った。
この頃には怪我の具合も大分良くなって、普通に動けるようになっていた。文珠も半月掛かったが一個作成することが出来たし、後数日もあれば傷は完全完治するだろう。
その日、横島はもう第二詰め所内を普通に動き回っていた。鼻歌を歌いながらルルーの煎れた茶に舌鼓を打っている。レムリアも居て、隣で買ってきたヨフアル(ワッフルのようなもの)を口をいっぱいにして食べていた。
ルルーはじーっと横島を見つめていた。
「随分とご機嫌だね」
「そりゃな! 多分、今日中にヒミカ達も帰ってくるだろうし」
横島は満面の笑みで言うと、ルルーは「あっそう」とそっけなく答える。
第二詰め所内に染み付いていた女性の匂いが、一日経つ毎に減っていくのを、横島は悲しく思っていた。ヒミカ達が帰ってきたら早速ハーレムを復活させねばと、野望を燃やしていたりする。
「それじゃ、ボクは帰るね。いてもしょうがないもん。レムリアさんも、またね」
つまんなさそうにルルーが呟くと、横島の返答も待たずに部屋から出て行った。
何だか分からない不機嫌オーラに横島は一体どうしたのかと首を捻る。
『ふむ、ひょっとしたらルルーは横島の事が好きなのではないか』
「ひょっとしたら、ヨコシマ君の事が大好きなのかな」
期せずして、『天秤』とレムリアが同じタイミングで同じ事を言った。二人とも恋バナに興味津々のようで楽しそうだ。
横島は特に慌てるわけではなく、納得いかない様に首を傾げるだけだった。
「……そうか?」
『うむ! ルルーとは色々あったが、横島とは随分と相性が良い気がするぞ』
「うん、そうだよ! 何かルルーちゃんにだけ、ヨコシマ君は特別扱いしてる気がするもん」
二人は物凄く楽しそうだ。他人の恋路を観察するという行為は世界も文化も超えて、最高の話の種になるらしい。
「俺とあいつはそんなんじゃないと思うんだがな。あいつは何つーか……うーん」
このように恋の話で盛り上がれるほど、その日の午前はただ平和だった。当たり前の様に平穏で、それがずっと続く。いや、今日にはセリア達が帰ってくるのだから、さらに楽しく賑やかな一日となる。
横島はそれを疑わなかった。
しかし、凶報は前触れ無く訪れる。それに一番早く気付いたのは『天秤』だった。
『横島、神剣反応が近づいているぞ。この神剣反応は『月光』……ファーレーンだな』
「おお、もう帰ってきたのか! 随分と早いな、それだけ俺に会いたかったんだな!!」
『いや……ファーレーンだけだな。それにこのスピードは異常だ。何か問題でも起こったのだろう』
不吉なことを言い出す『天秤』に、横島は思わず舌打ちをしたが、しかし自分の胸中にも不安は広がっているのがよく分かった。体中から嫌な汗が噴き出してきて、肌とエーテル服が密着する。
「どうしたの?」
「いや、ファーレーンさんがこっちに向かってきてるんですけど、様子がどうも」
レムリアもヨフアルを食べる手を休めて怪訝な顔をした。
嫌な予感が膨れ上がる。
何かトラブルが起こったのは間違いない。最悪の想像が頭をよぎって、心臓が恐怖で高鳴る。
急いでファーレーンの元に行こうとした横島だったが、足が動かなかった。それは、彼の霊感が働いて少しでも最悪の報告を聞かないようにしようという抵抗だった。
だが、いくら足を止めても、耳を塞いでも、現実は押し寄せてくる。
扉が開いて、ファーレーンは部屋に倒れこむように転がり込んできた。
レスティーナは息を呑む。いつもの仮面をしておらず、エーテル服はぼろぼろで、まるで敗残兵のような有様だった。
「ファーレーンさん! どうしたんすか!?」
横島は嫌な想像を払うように笑顔を浮かべる。しかし、唇は真っ青でカタカタと震えていた。
ファーレーンは息が切れていて、まだ喋れる状態ではなく、必死に息を整えている。
沈黙が満ちる部屋に響く、ぜいぜい、という音は横島の心をやすりで削り取っていくようだった。
「あれ、ファーレーンさんだけなんすか。他の皆は……ひょっとしたら俺の顔を見たくて走って来たとか?」
あえて何でもないような声を出す横島。
現実を見ないようにする、必死の努力だった。
「わ、私達の隊は……」
ファーレーンの唇が弱弱しく動く。
(そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない……だろ!?)
横島は念仏でも唱えるように心の中で繰り返す。それは祈りであり、願いだった。
――――――祈りに、現実を変える効果は無い。
「壊滅……しました」