永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十三話 前編 太陽の軌跡①

 永遠の煩悩者 第二十三話 前編

 

 

 太陽の軌跡

 

 

 

「またベッドに逆戻りかー。君って、ベッドが好きなんだね」

 

「んなわけあるかー!? くそ、何で俺の看護に付くのは、こう子供なんだ!」

 

「普段の行いが重要だってわかるエピソードだね」

 

 自室のベッドの中で横島が悔しそうな顔で悪態をつく。

 その横でルルーが呆れたような顔をして、果物ナイフで果実を切り分けていた。

 

 限界まで回復魔法を行使して倒れた横島は、再びベッドの住人となっていた。元々怪我が完全に治ったわけでもなく、ここ数ヶ月の間で死ぬ寸前のダメージを何度も負っていたのだ。肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていて、長期的な休養が必要だと診断されていた。

 よって、ラキオスに戻ってきて早三日。ベッドの上でのんびり静養している。

 

 無論、雪之丞との関係について質問攻めはされた。しかし、元の世界で悪友だった、としか説明しようが無い。

 そして、今は敵だ。単独なのか、それとも国にでも雇われているのかは分からないが。

 雪之丞が何を考えているのか。正直さっぱり分からない。ただ最悪の事態は免れた事に安堵する。

 もしも雪之丞がセリア達を殺していたら、ギャグで終われず血で血を洗う殺し合いが発生する事は疑いなかった。

 本当に何が起こっているのか。謎が多すぎる。とにかく今出来ることは情報を集めるしかない。

 

 どうしてこうなった。

 横島は頭を抱える。

 この世界に来て、何度この台詞を呟いたことか。ちらと横を見てもう一度呟く。

 横島の看護に付くのは、見ての通り何故かルルーだった。これもまた謎だ。どうして第二詰め所の隊長を、第三詰め所の隊員が看護するのだろう。セリア達はどうしたのか。

 セクハラされたくない、などという理由でセリア達が看護を拒否しているのであれば、横島もセクハラの自重を考えるだろう。勿論、考えるだけだが。

 

 実は見舞いに来ていないわけではないのだが、それを言うルルーでも『天秤』でもなかった。

 

「でもこれで、事実上、北方五国は全部ラキオスの物になったわけか……正直、信じられないよ」

 

 ルルーがぽつりと言った。それは大陸に住む全ての人の言葉であった。

 五十年以上続いてきた均衡が、半年程度で壊れてしまった。ラキオスの躍進を誰が予想できたであろう。

 北方の小さな王国であったラキオスは、サーギオスとマロリガンに続く第三の強国になっていた。しかも、本来ではありえないほど敵国のスピリット達が死なずに傘下に加わったため、数の上では同数かそれ以上の可能性もある。

 ただ、マナの大部分は第一、第二詰め所のスピリットに使われているので、精鋭とその他の力の差はかなり広がってしまっているが。

 

「……何にしても、これでしばらく平和になるよね。帝国はなんだか混乱してるって聞いてるし、マロリガンとは敵対してないんだから」

 

 平和が一番だよね。ルルーはそう言って笑った。ただ、その笑顔にはどこか陰りがある。

 彼女も心の何処かで分かっていた。この平和が続く事はないだろうと。

 ここ最近のきな臭さは異常だ。謎が際限無く膨れている。

 

 エニの件を皮切りに、イースペリアの侵攻と消滅、雪之丞の参上(惨状)。

 また悠人達が倒したイースペリアのスピリット達は、なんと毒杯を飲んでいたらしい。神剣の力で致死量の毒素に抵抗していたようだが、神剣を手放した直後に血を吐いてマナの霧に帰ってしまった。戦闘するまでも無く、彼女達の死は約束されていたのだ。

 最低でもスピリットを一人捕らえてイースペリアの内実を聞きだすよう悠人に厳命したレスティーナは、その報告にがっくりと肩を落とし、隣で報告を聞いていたラキオス王はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべたという。

 狂気的にすら感じる、徹底的な情報の隠蔽。

 隠されているものは、何か。それは誰もが薄々は予想しているだろう。

 一連の騒動で誰が一番得をしたのかを考えれば、子供でも分かることなのだから。

 

 問題は外だけではない。ラキオス内部にもあると、横島は知っている。

 

 ―――――私は、女王になります。今すぐにでも。

 

 そう告げたレスティーナの瞳は、今まで見たことが無いほど強烈な光を宿していた。

 今すぐに女王になる。

 それがどういう事か横島にも十分理解できた。恐らく、実の父であるルーグゥ・ダイ・ラキオスを何らかの方法で追い落とすのだろう。社会的に潰すのか。いや、あの様子だと謀殺もありえそうだ。

 あの欲に塗れた王よりも、平和とスピリットを愛するレスティーナの方が横島にとってもスピリットにとっても歓迎すべきであろう。なにより美少女だ。

 

 だが、本当に現ラキオス王が引きずり落とされ、レスティーナが女王に即位すれば平和になるのだろうか。

 

 むしろ新たな戦いが生まれる可能性の方が高いような気がする。レスティーナのスピリット解放の想いを世界をぶつければ、それだけで戦いの火種になるだろう。

 横島としても、レスティーナの道は全面的に賛成できるものだ。なにせ彼は、スピリットの扱いの不遇さに腹を立てて、永遠神剣の圧倒的な暴力により国王を脅し、問答無用でスピリットを解放しようとした男なのだ。

 今こうして笑っているスピリットの裏に、まだ見ぬ不遇のスピリット達がいる。自分が不幸である事すら理解していない女の子がいる。

 助けたいと思う。助けて、ハーレムを築きたいと思っている。

 その気持ちは初めてネリーと話したときと変わらず、むしろ大きくなっている。

 

 しかし、その道は戦いの道だ。

 

 その為に仲間達と戦場を駆け巡るのは――――正直、勘弁願いたい。

 ネリー達の屍の上にスピリットが解放されるなど冗談ではない。何より、もう神剣を振って戦うのが怖いのだ。

 そうだとしたら、レスティーナよりも禿王の方が良いのではないか?

 領土も増えたし、征服欲も満たされただろう。サーギオスの強大さを考えればいくら禿王が馬鹿でも手を出すとは考えづらい。レスティーナは色々と言っていたが、そこは文珠で洗脳するという手だってある。

 マロリガンと関係を強化して、二国でサーギオスに圧力を掛けていけば仮初であろうと平和が訪れるだろう。

 勿論、イースペリアの惨劇を引き起こして多くの人命を奪った禿王は許し難いが、それでも殺し合いを避けれるのならそれもありではないか?

 

 何となくではあるが、横島はそう考えるときがある。

 その横島の考えを、レスティーナは予期しており、危惧していた。

 ラキオスのスピリットだけを大切に思い、神剣を手放したいと考えるなら、これが合理的であり自然なのだ。

 しかし、この危惧はレスティーナが横島を完全に理解していないから起こったものだった。

 

(ありえん! 俺が美少女よりもおっさんに味方するなんて!!)

 

 そんな煩悩にまみれた考えだけで、今まで積み上げてきた思考を全て捨てる。

 彼は掛け値なしの馬鹿なのだ。付き合いの薄いレスティーナは、横島の馬鹿を理解しきれていなかった。

 

「よし、剥けたよ。口開けて。ほら、あーん」

 

 ルルーは剥いた果実に楊枝を刺して、横島の口に持っていく。

 近づいてくる果実とルルーの姿に、横島はがっかりしたように項垂れた。

 

「なにその残念そうな顔は! ボクに何か不満でもあるの!?」

 

 頬を膨らませて鋭い目で睨みつけてくるルルー。

 睨むといっても、まるで小動物の威嚇のようで、その姿は愛らしいと言っても良いだろう。

 しかし、横島の心を揺らす類のものではなかった。

 

「はあ~」

 

 横島は残念そうに首を捻りながら、

 

「お前は……なんつーか、妹みたいな感じなんだよな」

 

 ルルーはきょとんとした。何を言われたのか良く分からず首をかしげる。

 ほどなく理解に至り、顔を赤くしてわなわなと震えだした。

 

「な、何を変なこと言って!」

 

「そんな怒るなよ。何となく妹って感じがしてな。俺は一人っ子だから、妹とか姉とか、それから姉とか欲しかったんだよな~」

 

 どれだけ姉が欲しかったんだ!?

 という類の突っ込みはルルーの口から出てこなかった。

 

「な、何を言ってるの!? それじゃあ、君がボクの……兄さんになっちゃう……よう」

 

「ん? まあ、そうなるのか」

 

 横島の言葉の調子は軽い。

 妹がいたらこんな感じなのかも、という程度で言ったに過ぎなかった。セリア達のように煩悩の対象にならず、かといってネリー達のように子供として接するほど幼くない。どう扱っていいのか分からない微妙な年齢。それに好かれているのか嫌われているのかも分かりづらい。

 イマイチ立ち位置が掴めなかったので、妹みたいなものなのかも、と判断したのだ。

 

「そんなに妹が欲しいんだー。あっはっは、男って生き物は悲しいね」

 

「ちょっと待て! 別に俺は妹が欲しいなんて言ってな――――」

 

「言ったね! ああ言ったんだ! 可愛くてプリティーで繊細な妹……そう、つまりボクが欲しいって!」

 

「待て待てい! 突っ込みどころ満載ってレベルじゃないぞ!!」

 

「うん。分かった分かった。そこまで言うのなら妹になってあげるよ」

 

 唖然とする横島を尻目に、ルルーは「しょうがないなあ」と溜息をつく。だが、その顔は隠しようがないほど緩んでいる。

 家族という物に深い思い入れがある彼女にとって、兄という言葉は非常に新鮮で嬉しいものだった。スピリットは女性しか生まれない。血の繋がりは無くても、母や姉、妹のような存在は出来るが、兄や弟は決して存在しなかった。

 人間の隊長は男だが、スピリットに対しては無感情か険悪のどちらかでしかないので、とてもそういった存在にはなりえない。兄という言葉と存在に、ルルーは震えた。

 

 お兄ちゃんか、いや、ここは兄さんって言おうか。にーにーとか……ボクには似合わないな。バカ兄とかエロ兄とか? う~ん、そこまで言わなくてもいいかも。

 

 ぶつぶつと呟くルルーを、横島は少し戸惑いながら眺めていた。

 なんとなく口から出た言葉だったのだが、何だか喜んでいるようだからまあ良いか、と横島はほんのり口元を綻ばせて、「ムチムチプリンになるのは5年後かな」などと邪な考えに浸っていた。

 

 和やかっぽい空気が流れる。

 だが、突如けたたましい足音が聞こえてきたかと思うと乱暴に扉が開けられ、そして一人の男が満面の笑みで飛び込んできた。少し遅れて息を弾ませたメイドも入ってくる。

 

「おい! やったぞ!!」

 

「ゆ、悠人か? どうした、顔にいつもの陰気が無いぞ」

 

「遂にな、佳織が帰ってくるんだ!!」

 

 こいつにこんな明るい声が出せたのか。

 

 横島は思わずそんな感想を持ってしまった。

 基本的に悠人はどこか暗い。じっとりとした嫌らしい暗さでは無く、周りと自分自身すら拒絶するような闇がある。

 彼はどんな目にあっても屈しない気丈さを持っているが、同時に自分自身を傷つける様なネガティブな一面があった。

 しかし、今の悠人にはそんな陰りは一欠けらも存在しない。気持ち悪いぐらいに笑顔である。気持ち悪いぐらいに。

 

「レスティーナ様が手を尽くしてくれまして……」

 

 悠人の隣でニコニコ顔のエスペリアが説明してくれる。なんでも悠人の妹であり、軟禁状態であった佳織が解放されるとの事らしい。

 北方五国を制圧した悠人の功績に報いるために、レスティーナがラキオス王を説得したとの事だ。王は始めは不服そうにしていたのだが、悠人がラキオス以外に行く当てもなく、どうしたって王族には逆らえないのだと丁寧に説明したところ、意外なほど簡単に許しがでたそうだ。

 文珠の効果も切れたのか髪も伸び始め、領土も数倍に増え、自身の誇りにしている聖ヨトの血筋も減った。

 この上なく上機嫌であることが幸いしたのだろう。無論、レスティーナはそのあたりの事情を計算したのだろうが。

 

「へぇ~良かったな」

 

 横島も素直に喜んだ。久しぶりの良いニュースだったし、なんだかんだ言っても雀の涙程度の友情を悠人には持っていた。

 なにより可愛い女の子が晴れて自由の身になったのだ。喜ばないわけが無い。それに、

 

(こいつのシスコンっぷりを皆に見せれば、きっと呆れかえって、俺の所に嫁入りするに違いない!!)

 

 そんな打算と欲望もあった。まあ、こういった悪巧みにも似た考えは上手くいかないのが世の常だが。

 

「よし、今日は佳織の為に豪勢な食事で行こう。俺も手伝うぞぉー!!」

 

「ユート様、お待ちください! カオリ様が帰ってくるのは今日じゃありませんよー!」

 

 悠人が暑苦しいぐらいに騒ぎ散らし、演出上の夕日に向かって駆けていく。その後をエスペリアがメイド服をはためかせて追いかけて行った。

 一連のやり取りをただ見せられたルルーは、嵐のような悠人の姿にポカーンとなっている。

 

「ユート様ってあんな感じの人だったっけ?」

 

「ああ、いつも変な感じの人だぞ」

 

「う~少し幻滅かも」

 

「ふっ、俺の方がいい男だろ」

 

「それは無いし」

 

 にべも無く切り捨てるルルーを横島はギロリと睨む。睨まれたルルーは少し不満そうな顔をした後、唐突に破顔する。

 そして「なんだかとっても兄妹しているみたいだね!」と声を弾ませて言った。

 テンションの高さに横島は少し引いたが、きっと妹というのはこういうものなんだろうと納得した。

 でも、元気な妹よりアダルトな姉にプロレス技を掛けられるほうがいいな。

 

 そんな風に心の中で言って、実は口でも言ってしまって、元気な妹からほっぺを抓られる。

 なにはともあれ、久方ぶりにのんびりとした空気がラキオスを覆っていた。

 

 数日後、ようやくベッドから起き上がれるようになった横島は、レスティーナから一つの命令を、というかお願いを受け取った。

 それは、悠人の妹である佳織を城から第一詰め所まで送って欲しいというものであった。

 城から第一詰め所まではそれなりに距離がある。さらに詰め所は町から外れていて人通りも少なく、特徴のある赤毛と帽子をかぶっている佳織が一人で出歩くのは確かに危険だ。

 レスティーナは人間の兵士に佳織を送らせようとしたのだが、どういうわけか佳織本人が横島を指定したのだと言う。迷惑でないのなら、と弱弱しいお願いだったらしいが。

 横島は断るわけも無く快諾した。

 

 体の調子を確かめるようにのんびりと歩きながら城の前まで行くと、ウサギ帽子のアシュタロスをかぶった佳織が不安そうにうろうろしていた。

 側にいる二人の門番は、一人はイライラしたように佳織を睨んでいて、もう一人は完全な無視を決め込んでいる。

 

「おーい、佳織ちゃ~ん」

 

 横島が手を振ると、佳織は安心したように笑顔となった。

 佳織は小走りで横島に近づくと、ペコリと頭を下げる。

 

「お久しぶりです。あの、私の無理なお願いを聞いてくれてありがとうございます。横島さん」

 

「気にしなくても大丈夫。美女美少女の頼みを断ったら、俺の名が泣くってもんだ!」

 

「え……その、ありがとうございます」

 

 顔を赤くしてまた頭を下げる佳織。

 初々しい反応が中々可愛いくて、横島は自然な笑顔を作る。

 その笑顔を裏では、早く背丈とバストが大きくならないかな、何て邪な気持ちで溢れていたのだが。

 

「ちっ」

 

 どこからか舌打ちの音が響いてきた。

 目をやると、そこには二人の衛兵が忌々しげに足で地面を蹴っている。

 早くどこかに行け、と暗に語っていた。

 

「まったく、あいつら佳織ちゃんを無視しくさりおって」

 

 横島が衛兵達を睨むと、佳織は慌てて首を横に振った。

 

「そ、そうじゃなくて……きっと服務意識が高いんだと思います。仕事中にお喋りなんて出来ないんです」

 

 兵士らの無愛想さを佳織はそう解釈する。

 そして、思いついたように兵士達の前まで小走りで向かって、

 

「お勤めご苦労様です」

 

 ペコリと頭を下げる佳織。

 二人の兵士は口をあんぐりと開けて佳織を見る。横島も同じような表情だ。

 

「それじゃあ道案内をお願いします。横島さん」

 

 何事とも無かったように横島の元に戻る佳織。

 横島の目からぼろぼろと大げさに涙が溢れた。

 

「ええ娘や~ほんにええ娘やで~」

 

「そんな事は無いと……わわ、涙まで流して~」

 

 そんなこんなと賑やかにしながら、二人は悠人の待つ第一詰め所に歩き出す。

 町から外れ、森を少し歩いた所で、佳織の足がピタリと止まった。そして佳織は横島に向かって、

 

「横島さん。ありがとうございます」

 

 ペコリと頭を下げて礼を言った。横島は首を傾げる。

 お願いの感謝はさっき受けたはずだが。

 

「いままでずっとお兄ちゃんを守ってくれたんですよね。私との約束を守ってくれて、本当にありがとうございます」

 

 もう横島が忘れかけていた佳織との約束に対する礼だった。佳織が横島を指定したのは、この礼を言うのも一つの理由だった。

 再度、頭を下げる佳織。勢いが良すぎたのか、アシュタロスがずり落ちそうになって慌てて手で押さえる。

 本当に優しい娘だ。

 横島はおキヌちゃんを思い出していた。

 

「美少女のお願いだ! 守らぬヨコシマンではないのだ!!」

 

 シャキーンとポーズを取る横島。佳織は少し目を丸くした後、パチパチと拍手して次いでクスクスと笑った。

 良い関係になれそうだ。

 二人は自然と思った。そうして歩きながらまだまだ会話を続けていく。

 元の世界の事や、異世界で戸惑った事。来訪者同士に通じる話を、横島は大仰な身振り手振りも交えて面白おかしく語り、佳織は素直にビックリしたり笑ったりと楽しい時間が過ぎていく。

 話を続けていると、横島は今まで佳織に抱いていたイメージがどんどん払拭されている事に気付いた。

 

「でも、思っていた以上に落ち着いてて立派だよな、佳織ちゃんって」

 

「はい?」

 

「いやさ、悠人から佳織ちゃんの話を聞いてると、なんだか物凄く弱くて儚いって感じがあったんだけど」

 

 悠人の話に出てくる高嶺佳織という女性は、優しく弱いというイメージがあった。見た目通りといえば見た目通りだ。背丈も低く、動きは淑やかで、女性的な丸みは無い。日陰で本を読んでいるのが似合いそうな、そんな雰囲気だ。

 しかし、今こうやって地に足をつけて歩いている佳織を見ると、別に弱いとか儚いとかは思えなかった。外面は儚くても、芯や根っこの部分はどっしりとしているように見えた。話し方もしっかりしているし、声は小さくともくっきりしている。

 少なくとも横島なら、佳織を紹介する時はしっかりした子と説明するだろう。

 

「私、お兄ちゃんのお荷物にはなりたくないんです……今更なんでしょうけど」

 

 声を震わせて、自嘲するように呟く佳織。その一言で横島は理解する。

 彼女はずっと檻の中にあって、頑張って成長しようとしているのだ。籠の鳥でいることを良しとしていたわけではない。実際に、佳織はこの世界の文字を学んで本を読み漁り、この大陸の歴史に深く精通している。自分がやれることはしていたのだ。

 それが分かって、横島は素直に好感の持てる女の子だと認識した。

 

「えらいなー佳織ちゃんは」

 

「えらくなんて無いです。横島さん……その、お兄ちゃんは私の事を恨んでないでしょうか」

 

「はっ?」

 

「私は人質になったから、兄は苦しい思いをしたんです。だから……」

 

 自分の為に、自分のせいで、兄は人殺しをした。その事実に佳織は僅かに体を震わせる。

 兄に会うのが少し怖かった。ひょっとしたら兄は自分を恨んでいるかもしれない。

 自分が居なかったら、兄は人殺しをせずに済んだのだ。自分は兄の負担以外の何者でもない。

 

 佳織の足が止まった。

 目の前に木造の屋敷が現れる。第一詰め所だ。

 夢にまで見た兄は目と鼻の先に居る。だが、佳織の足は凍りついたように動かなかった。

 叱責されるのではないか。どう謝ったらいいのか。不安と恐怖が胸を押しつぶそうと膨れ上がる。

 

「大丈夫だ! あいつのシスコンは筋金入りだからな。佳織ちゃんはただ思うとおりにすりゃOKだ」

 

「でも」

 

 不安そう声を出す佳織。横島は安心しろと佳織の肩に手を置いた。

 横島のエロ風評を聞いている佳織は少し警戒したが、それは横島の顔を見てすぐに消えた。

 

「それよりもあいつに抱き潰されないよう注意だ。苦しかったら噛み付いてやれ! それと、俺が佳織ちゃんをエスコートしたってあいつが聞いたら、『妙なことしなかっただろうな』って難癖つけるだろうから、俺のこと守ってくれな!」

 

 楽しそうに横島は笑っていた。

 悪戯好きな少年のような笑み。しかし、女の子を元気付けようとする精悍な笑みでもあった。

 ――――この人がお兄ちゃんの友達で本当に良かった。

 佳織は二人の出会いを心から喜んだ。

 

「はい! 行って来ます!!」

 

 力強くそう言ってノックもしないで扉を開ける。よほど気が急いているのだろう。

 扉を開けた先には、リビングで腕を組みながら落ち着きなくウロウロしている針金頭の青年の姿があった。

 

 言葉は必要無かった。体は勝手に動いた。

 

 佳織は兄の胸に飛び込んで、悠人は妹を抱きとめる。

 兄と妹の抱擁を、第一詰め所のスピリット達は優しい顔で眺めた。

 横島も無粋な横槍など入れず、表情の乏しいアセリアでさえ確かな笑みを浮かべている。オルファは満面の笑みで、エスペリアは涙ぐんでさえいた。

 勿論、誰よりも喜んだのは悠人であることは疑いようがない。

 ここまで来るのに大変な苦労があった。罪の無いスピリット達を手に掛け、激痛に耐え、理不尽と屈辱の数々を乗り越えてこれたのは、間違いなく今この瞬間の為だ。腕に力が入るのは仕方が無いことだろう。

 佳織の顔は悠人の容赦無く鍛えられた大胸筋に押しつけられて、圧迫感の苦しさと兄の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ恥ずかしさから真っ赤になっていた。

 

「いい加減にしろ、このシスコン。佳織ちゃんが苦しそうだぞ」

 

 流石に見かねた横島が突っ込みを入れる。

 横島の姿を認めた悠人は眉を顰めた。その間に佳織は兄の胸からどこか名残惜しそうに逃れる。

 

「何でお前がここに……」

 

「ああ、佳織ちゃんをここまで送ってきたんだ」

 

 答えると、悠人はじろりと横島を睨んで、

 

「佳織に何か妙なことをしなかっただろうな」

 

 敵意剥き出しの声でそう言った。

 本当に横島の宣言通りの悠人の反応に、佳織はおもわず吹き出してしまった。横島は腹を抱えて大笑いだ。

 思わぬ反応が返ってきて、悠人は渋い顔をする。

 

「だ、大丈夫だよお兄ちゃん! とても良くしてくれたから」

 

 笑いながら佳織はフォローを入れる。

 それが事実であることは、悠人にも分かっている。何だかんだで横島を信頼はしていた。

 それでも聞かずにはいられない所が、彼のシスコン足るゆえんだろう。

 また、相手がどれだけ信頼していても変態である横島だから聞いた、というのも勿論ある。むしろ当然だった。

 

「ほんっっっとにシスコンだよな」

 

「だから、俺のどこがシスコンだって言うんだ!!」

 

「いや、どこかって……お前」

 

 流石にここまでくると横島も笑いが苦笑となる。そして、どこか同情的な視線を佳織に送った。佳織はあいまいな笑顔でたははと笑う。兄のシスコンぶりに困っているように見えたが、しかしとても幸せそうだった。佳織は佳織でブラコンなのだ。

 とりあえず感動の再会は一段落付いたと見えて、今まで静観していた者たちが動き始める。

 

「カオリ! 久しぶり~!」

 

「あっ、オルファ!」

 

 二人は手を握り合ってクルクルと回る。

 オルファはレスティーナの計らいで佳織とは時たま会っており、仲の良い友人同士であった。

 

「エスペリア・グリーンスピリットと申します。カオリ様、今後ともよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。高嶺佳織です。これからよろしくお願いします」

 

 二人は行儀良く頭を下げあう。

 

 仲良くなれるだろうな。

 悠人は姉のような女性と義妹のツーショットに顔を綻ばす。

 

「アセリア……うん、よろしく」

 

「え……え~と佳織です。よろしくお願いします」

 

 アセリアはやはりぶっきらぼうだったが、それでも自分から挨拶するというのは珍しかった。

 しかも、手を差し出して握手までしている。これも仲の良さが期待できそうだった。

 

「あ、そうだった。ハクゥテーおいでー!」

 

 オルファが呼ぶと、いそいそとオルファの足元に白い一角ウサギが擦り寄ってきた。

 ペットのエヒグゥだ。

 

「わぁ、可愛い!」

 

「うん、ハクゥテはとってもとーっても可愛いよ!」

 

「確かに可愛いのですが、私が世話をしているハーブ園を食べようとしてくるのが困りものです」

 

「あれ? パパがなんとかするって言ってたような気がしたけど」

 

「それは……その、ユート様がニチヨーダイク……というもので庭園の周りに柵を作ってくれたのですが、直ぐに壊れてしまって」

 

「うっ、あれは木が水に弱くてすぐに腐ったからだよ。作りはしっかりしてたぞ」

 

「ユート、ラールの木は老木でないと腐りやすい。うん、常識」

 

「……まさかアセリアに常識を説かれるなんてな。まあ、多めに見てくれよ。俺はエトランジェなんだし」

 

「でもお兄ちゃん。ラールの木が腐りやすいって私だって知ってるよ」

 

「うぅ……佳織、頼むからもう少し兄の顔を立ててくれ」

 

 悠人達の話が弾む。何て事のない話題だが、誰も彼も笑顔で、まるで一つの家族のようである。

 そんな第一詰め所の様子を、横島はなんとなく面白く無さそうに見つめていた。

 

「それじゃあ、俺は帰っかな……あ、そうだ。悠人、明日はセリア達を呼んで顔通しすっから、佳織ちゃん一人占めにすんなよ。今日だけにしとけ」

 

「ああ、分かった……って誰が一人占めにするか! というか一人占めって何だよ!?」

 

 これ以上からかわれるのは御免だと、悠人は顔を赤くして激昂するが、

 

「ユート様、今日ぐらいは一人占めしてよろしいと思います」

 

 と、エスペリアは上品に悪戯っぽく笑い、

 

「そうだよ、パパ! カオリに沢山お話したい事あるでしょー!」

 

 太陽の様に光り輝く笑みで明るく気を使うオルファに、

 

「ユート、素直になったほうが……良い」

 

 アセリアは恥ずかしい言葉を真面目に呟く。

 

 まさかアセリアにまで言われるとは。

 悠人は言葉に詰まった。彼女らの言うとおり、二人きりで話したい事などいくらでもある。

 一緒に暮らすとはいえ、隊長の仕事は忙しく勉強に訓練と予定はびっしり。二人の時間など、今後は早々取れるものではない。

 しかし、ここで頷いてしまえば、またシスコンと囃したてられるに決まっているのだ。

 自尊心を取るか、それとも自分に正直になるか。

 ぐぬぬ、と歯軋りの音が聞こえんばかりに考え込む悠人。

 そんな兄の姿を見かねたのか、佳織はとことこと悠人の前まで進み、

 

「私は、今日ぐらいお兄ちゃんと二人がいいなぁ」

 

 その一言で悠人の天秤はあっさり傾いた。

 

「そ、そうか。うん、佳織がそう言うんじゃあ仕方ないよなあ、ハッハッハッ……」

 

 嘘っぽい笑い声を響かせる悠人。

 ふと気づくと、横島が、エスペリアが、オルファが、生暖かい笑みを浮かべていた。

 

「ユート……なんだか格好悪い」

 

「ぐぅ」

 

 空気が読めなかったアセリアの正直な一言に、悠人はただ赤面するばかり。

 漫才のようなやりとりに、横島たちは遂に堪え切れなくなり腹を抱えて笑い始めた。

 完全に笑いの種にされて、悠人は面白くなくぶすっとしかめっ面になったが、じわりじわりと沸いてきた幸せの実感が彼の頬を緩ませる。

 

 いつまでも、この穏やかな時が続くように。

 

 馬鹿笑いする横島に拳骨を入れながら、悠人はそれだけを願う。

 なんとも穏やかな雰囲気が第一詰め所に流れていた。

 

 

「お兄ちゃん、朝だよ~」

 

 ゆさゆさゆさ。

 

「お兄ちゃんってば、起きてー」

 

 ゆさゆさゆさ。

 

 優しく体を揺さぶられ、悠人の意識がゆっくりと覚醒していく。

 薄く目を開けると、そこには義妹の姿があった。

 

「あ、起きた? 早くしないとご飯冷めちゃうよ」

 

 義妹の言葉に、ベッドの中の悠人はゆっくりと脳を活動させ始めた。

 

 そうだ、起きて学校行かないと。バイトもある。そういえば演劇の準備もしなくては。何だって俺が主役なんてやらなくちゃいけないんだよ。光陰はロリだし、今日子はハリセンだし。小鳥は小鳥だし。ああ、今日の朝飯はなんだろう。

 

 いくつもの思考が同時に展開して、しかしそれは積みあがらず崩れていく。完全に寝ぼけている状態だ。

 

「エスペリアさんが眠気覚ましのハーブティー煎れてくれるから、早く起きようよー」

 

 エスペリアの名が聞こえて、悠人ははっとした。

 

 ああ、そうだ。ここは異世界じゃないか。

 

 一瞬だったが、元の世界に戻ってきたかのような錯覚を覚えていた。

 妹が戻ってきて、日常が悠人の中に戻ってきたからだろう。

 元の世界だったら、寝坊をすると幼馴染の暴力女がハリセンでスパ―ンと一撃を加えてくるのだが、異世界ではそれも無い。

 干されたばかりでお日様の匂いがするベッド。妹の声。あるべき日常。

 

 ――――ああ、至福だ。

 

 この上ない幸せを感じて、目を閉じて毛布を被る。

 

「も~どうして目を閉じちゃうの。寝ちゃだめだよー!」

 

 ゆさゆさゆさゆさ。

 

 慌てた義妹の声も何だか懐かしい。

 ハリセンの恐怖も無いので、心安らかに二度寝に入れる。

 それはそれで少し寂しかったが、しかし安心の方が大きかった。

 

「……ま……さん…………もう……待って…………!!」

 

 眠りの世界に近づくにつれて、佳織の声が遠ざかっていく。

 寂しいが、今は眠気優先だった。その眠気を覚ますように体が優しく揺らされる、

 

 ああ、この優しい揺れが俺を眠りに誘う――――

 

「義妹に優しく起こされて当然な顔をしやがって!! 調子に乗るのもいい加減にせんかー!!」

 

「ぐはあ!」

 

 突如、顔面にすさまじい衝撃。鼻を潰され、目の前で火花が散った。痛みの余りベッドから転げ落ちる。

 ずきずきする鼻を押さえながら辺りを見回すと、この場にふさわしくない男の顔があった。

 

「な、なんで横島がここにいる!?」

 

 憤然とした横島が、そこに居た。

 

「昨日言っただろうが! セリア達と佳織ちゃんを面通しするって! いつまで寝てるつもりじゃーボケ!」

 

「なにもこんな朝早くじゃなくていいだろ!?」

 

「朝早くだぁ~!? 窓を見んかい!」

 

 促されて窓の外を見てみる。

 すると、お天道様は地上から90度の角度、つまり真上にあった。

 昼前の訓練も終わってる時間だ。大寝坊である。

 

「うっ……どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよ」

 

 弱弱しく悠人が文句を言う。起きられなかった者の、お決まりの責任転嫁だ。これが人間ではなく動かなかった目覚まし時計相手だったりすると、責任の全てを目覚まし時計に転嫁することも容易だったりする。

 当然だが、社会で通じる技では無いので注意しよう。

 

「え、え~とね、お兄ちゃん。私もエスペリアさんも何度か起こそうとしたんだけど、どうしても起きてくれなくて。

 疲れてるから休ませよう、ってエスペリアさんが言ったから起こさなかったんだけど、流石にお昼まで寝られちゃうと……」

 

 とても困ったように佳織が言う。

 つまり、何もかも悠人が悪いという事だ。

 どうして寝坊したのか、理由はある。昨日は夜遅くまで佳織と語り合っていたからだ。

 そして、それでも日課の秘密鍛錬を欠かさずした事によって睡眠時間はさらに削れてしまった。

 そう説明しようには、それは言い訳であるし、秘密がばれてしまう。

 結局、悠人は平謝りするしかなかった。

 

「さて、佳織ちゃん。こんな寝ぼすけ兄貴はほっといて、早速セリア達と色々話してきてくれや。頼むな」

 

「え……あ、はい」

 

 佳織と悠人は少し違和感を感じた。どうも仰々しい。

 まず、佳織とセリア達を早く会わせようとしたのが横島だった。

 それは別に変なことではない。共に暮らす家族が増えたことを伝え、話す場を設けるのは当然の事と言える。

 しかし、横島の様子が妙に切羽詰ってるというか、余裕がないのだ。

 

 少し納得いかない様子で、佳織がセリア達の待つリビングに向かう。

 横島は佳織の背中を祈るように見つめていた。

 やはり様子が可笑しい。

 

「なあ、横島。何かあったのか」

 

「……」

 

 横島は何も答えず、剣呑な視線を悠人に向ける。

 

「な、なんだ」

 

 妙に殺気だった横島の視線に悠人は戸惑う。

 

「お前さ、俺のセリア達に何か変な事しなかっただろうな」

 

「はぁ? 変なことって何だよ」

 

「そりゃお前、隊長としての立場を利用しておっぱいに顔を埋めてぐりぐりしたり、剣の型を教えてやるとか言って手足をベタベタ触ったり、スピリット隊にパンツ禁止令を出したり」

 

「お前じゃないし、誰がするか!!」

 

「俺だってパンツ禁止なんてしないぞ! パンチラやパンモロを失うなんてトンでもない!」

 

「そっちじゃねえよ!?」

 

「じゃあ、何か変わったことはないか?」

 

 横島との会話は困難を極めた。

 面倒くさいので、さっさと会話を切り上げたいところだったが、横島は本気でセリア達の様子を気にしている。

 だったらもう少し真面目にすればいいのに、と悠人はうんざりしながら思った。

 

「……そうだな、ちょっと気になってるのは随分と訓練に熱が入っていることか。血を見ることが増えてるな」

 

「まさか、悠人。訓練と称してセリア達に『コンセントレーション(妄想全開)で俺のきかんぼうがオーラフォトンビーム(極大棒)だからレジスト(賢者モード)してくれ』なんてしているんじゃなかろうな」

 

「俺の神剣魔法を汚すなよ! まったく、真面目に答えてやったのに! それと、そろそろお前の怪我も良くなっただろうし、訓練に出ろよな」

 

「分かった分かった。ま、何にもしてなきゃそれでいいんだよ。それじゃな」

 

 引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、横島はあっさりときびすを返して去っていった。

 一体何を考えていたのか。悠人は不審そうに眼を細めたが「おに~ちゃ~ん、皆でご飯だよー」の声に表情を緩ませてリビングに向かうのであった。

 

 

 時はさっさと流れて一週間後。

 

「えへへ、お買い物お買い物」

 

 午後の訓練も終わった頃、佳織は露店が並ぶ大通りで機嫌良さそうにスキップしていた。隣には悠人の姿もある。

 今日は空いた時間を利用して兄妹で町を散策することになっていた。

 佳織はキラキラと目を輝かせている。やはり女の子らしくショッピングが楽しみなのだろう。それに、ずっと城の中で軟禁生活が続いていたから、目に入るもの全てが輝いて見えているのだ。

 

「やっぱり、見かけだけは中世時代に近いなぁ。でも、生活様式は私達と大差ないし……う~ん」

 

 佳織は町の様子を見ながら、時に驚き、時に考え、外の様子に熱中した。

 悠人は活発に行動する佳織に、なんとなくハラハラしている。保護欲全開という所だろう。

 しかし、佳織はそんな悠人の様子を気にすることなく、石畳の道の感触を楽しんでいる。

 

 佳織は元の世界で少女戦士が大冒険をする活劇小説を愛読していた。無論、自分がその小説の主人公のようになれるとは考えていないが、それでも似たような立場になって気分が高揚しているのだろう。

 

「おいおい、あまりはしゃぐなよ!」

 

「はーい」

 

 悠人は兄らしく佳織に注意する。悠人も悠人でようやく訪れた日々を楽しんでいるようだ。

 今日は兄妹が家族団欒を過ごす日。親代わりに近い悠人にとっては家族サービスに近い。

 はしゃぐ佳織の姿に悠人も満足げに目を細めていた。が、横にいる存在を思い出すと思わず頭を抱えてしまう。

 

「そう、久しぶりの家族団欒だ。『家族』団欒なんだ……なのに!!どうしてまたお前がいる!」

 

「そりゃあ、主人公だからな」

 

「答えになってないぞ!」

 

「いや、十分答えになってるだろ」

 

 悠人と佳織、そして何故か居る横島の3人で市を巡っていた。

 どうして横島がいるのかは、謎だ。エスペリアが気を利かせてくれて2人の時間を作ってくれたのだが、気付いたら横島が隣に立っていて、そのまま付いてきたのだ。

 

 空気を読め、と言いたいところなのだが、しかしここでそう言ったらまたシスコンシスコンと言われてしまう。

 

(ここは我慢だ。我慢しろ、高嶺悠人)

 

 シスコンでは無い所を見せようと、悠人は仕方なく横島を追い払おうとはしなかった。

 

「あの、横島さん。今日はどうしたんですか」

 

「ああ、佳織ちゃんに頼みがあるんだ」

 

「ひょっとして、まだセリアさん達の様子が変なんですか?」

 

「ああ、どうもなあ。ネリー達はあんまり遊んでないし。ナナルゥは近頃は本を読んでないし。何より、みんな訓練とかに精を出し過ぎているような気がするんだよな。ニムはまだ普通なんだけど。

 とにかく余裕がないというか、焦ってるとゆーか……雪之丞にやられた後遺症って事もないだろうしな」

 

「う~ん」

 

 佳織は困ったように頭を捻る。この間、佳織はセリア達と色々と話した。

 確かに焦りの様なものがあったかもしれない。自己紹介が終わると、慌ただしく訓練に行ってしまった。その時、佳織は随分と忙しい人たちなんだなあ、ぐらいにしか思うことが出来なかった。

 しかし、それで様子が変と言われても困ってしまう。そもそも、平時の第二詰め所の様子を佳織は知らないのだ。

 悠人も、最近の第二詰め所のスピリットは訓練に精を出しているぐらいにしか印象がない。

 だが横島はハリオン達と一つ屋根の下で暮らしているのだ。

 悠人や佳織では捉えられない微細な変化も感じられるのかもしれない。

 

「佳織ちゃんは女の子だしな。何か良い知恵を貸してもらえんかと。勿論、お礼に美味しい物でもご馳走するぞ!」

 

「そんな、お礼なんていりません。私に出来ることがあったら何でもやってみますから」

 

「本当に良い子やなー! いまどき珍しいぞ!」

 

 横島は純粋に褒めて、佳織はちょっと恥ずかしそうにする。

 悠人はそんな二人を不快そうに見つめていた。

 ここで横島が佳織に手を出したら、思い切り殴ってやると心に決めているのだが、佳織の前では横島は普通に紳士なので文句を言えないのだ。

 

 仕方なく悠人は内心で「この女好きめ」と横島を軽蔑するしか無かったが、実は感心もしていた。

 隊を良い状態に纏め上げる努力を怠っていない。本人はそんな風に考えているわけではなく、ただ自身の欲望の為に動いているのだろうが、それが結果的に隊の状態を注視していることになっているのだから大したものである。

 本人の資質や性格による所も大きいだろうが、女性達とコミュニケーションをとる事をまったく苦に思わないのは一つの才能だろう。悠人は女性だらけの生活にストレスを感じる事もあるのだ。

 

「でも、横島さんは本当にセリアさん達が好きなんですね」

 

 佳織も、悠人と同じ感想を持ったようだ。

 

「異世界にやってきて美少女だらけの隊の隊長になったんだ。これでハーレムを作らなかったら男じゃないだろ」

 

 まったく誇れないことを、誇らしく言い切る横島。

 こんな血と偏見に満ちた世界でそんな事を言える横島が、悠人には頼もしく、同時に不快でもあった。この世界への馴染みっぷりがどうも納得できない。いくらスピリットが美人揃いだとしてもである。

 悠人は元の世界に帰りたいと、まだ願っている。これはアセリア達との生活が嫌というよりも、やはり人生の大半を過ごした世界への望郷の念が消えないからだ。

 

(そういえば、横島は一度も元の世界に帰りたいって言わないよな?)

 

 疑問に思う。

 確かに、ラキオスの為に戦わないとセリア達を処刑する、と脅されていると聞いているが、帰りたいと一言すら呟かないのは異常なのではないだろうか。

 まさか、元の世界に帰りたくない理由があるとは思えない。そんなにハーレムが作りたいのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、下から視線を感じた。目を下へ向けると、佳織が「お兄ちゃんもハーレム作りたいの?」という視線を投げかけている。どこか視線が冷たいような、また期待を帯びているような良く分からない視線。

 一緒にしないでくれ。俺は横島とは違うから。

 悠人は両手をあげてジェスチャーすると、佳織はほっとしたような残念なような顔で小さく頷く。

 

 そんな風に話しながら、三人で街を歩く。

 すると。

 

「おぉ~い、ヨコシマ君。良いエロ本が入ったぞ!」

「流石っす、親方! ぐふふ~ぜひとも拝読を!」

「変態だー変態が来たぞー! 総員、突撃せよー!!」

「じゃれるな、このガキ共めぇ……カンチョーすんなーー!!」

「近づかないでくれない。息しないでくれない。死んでくれない」

「アリスさん、そりゃあんまりっすよ! ちょっと見合いの席に乱入しただけじゃないですか」

「それがちょっとかい!? まったく、玉の輿に乗るチャンスを潰して……まったくこの犯罪者は」

 

 歩いている町人や路上販売をしている商人が盛んに声を掛けてきた。声は、全て横島に向けられている。どうやら顔馴染みらしく、無遠慮な声が多く掛けられた。

 声の種類は様々だ。単なる世間話、客引き、やっかみ、嘲り、友情の声、等々。

 好かれているとは言い難い。どちらかと言えば嫌われている声の方が大きいが、親しみが感じられるのも確かだった。事実、横島も相手の名前を知っていて普通に返事を返している。

 

(何だかんだで人望あるよな、こいつ)

 

 親しげに町人に話しかけられる横島を見て、悠人はどこか羨望や嫉妬を感じてしまう。この一種の人徳は羨ましい。

 とは言っても、こういう人間にだけはなりたくない、と思うのも事実だ。親しまれているくせに嫌われてもいるのだ。

 

(俺はまるで空気みたいだな)

 

 悠人は自嘲するように少し笑う。横島の隣にいるというのに誰一人として話しかけてこない。

 話しかけられても談笑するような話題などないし、そもそも悠人はこの世界の人間達が好きでは無いから、話そうとも思わない。

 それが一番の原因なのだろう。俺に関わるなオーラが、悠人からは発散されている。

 住人はそのオーラを敏感に感じ取っているのだろう。学校でも付き合いは良い方ではなかったのだ。

 

 なんとなく憂鬱になりながら、ちらりと横島の方に目を向けると、美女に這い寄る変態がそこに居た。

 

「まったく! 何をやってるんだ!!」

 

 今度話しかけて来た相手が若い女性という事もあって、鼻息を荒くして対応していた横島だったから、悠人は首根っこを捕まえて退けさせた。当然、横島は野生の獣のように暴れようとしたが、素早く頚動脈を強く圧迫して瞬間的に気を失わせる。

 

「ありがとうございます。迷惑してましたの」

 

 横島に絡まれていた女性が、笑顔を浮かべてペコリと悠人に頭を下げる。

 

「……こちらこそ」

 

 悠人は中途半端な笑顔を浮かべて、小さく頭を下げ返した。

 愛想を振りまけない悠人にとって、これが精一杯なのだ。

 

 しかし、そんな悠人の態度が女性のツボを突いたらしい。

 女性は上品な笑顔を浮かべてもう一度頭を下げると、早足で遠くから見守っていた娘たちの輪に加わってお喋りをはじめた。

 どうやら悠人と話せたことを自慢しているらしい。

 

「……人気あるんだ。お兄ちゃん」

 

「いや、そんなことないだろ。町の人と話す事なんて殆どないしな。俺は人付き合いって得意じゃなんだから」

 

「ふ~ん」

 

 佳織は素っ気なく頷いた。

 そして小さく「学校の時と同じだ」と呟く。

 悠人にはその呟きの意味を推察する事はできなかった。

 

「こんのぉ! 何しやがる! もう少しで落とせたって言うのにーー!!」

 

「……一回でいいからお前の頭を覗いてみたいな」

 

 横島は即座に復活していた。

 ギャグキャラに条理は通用しない。

 

「うっさーい! 何が勇者様じゃあーー!! 町のみなさーん、こいつは陰気で根暗なシスコン野朗ですよー」

「つまり、寡黙で影があるけど、妹思いの美丈夫って意味ですねー」

「ランちゃ~ん! どうして都合良く判断するんじゃあ!?」

「あははー。だって勇者様はイケメンですもん。ヨコシマさんは……ねえ?」

「うがあああ!! これだから人間の女ってやつは! スピリットの皆の純真さを見習え!!」

「でも、ここ最近ヒミカ達とも上手くいってないんでしょ。やっぱりイケメンは正義なんです!」

「あぐううう! この見る目の無いクソ女共めぇ~!!」

「泣くな、ヨコシマ君! 我らブサメン同盟のリーダーなら涙を力に変えてイケメンを滅ぼせるはずだ!」

「人を勝手にブサメンのリーダーにすなーー!!」

「勿論、イケメンのリーダーは勇者様でお願いします!」

「えっ? 俺!?」

「悠人を倒すなら任せろー! バリバリー!」

「ああ、お兄ちゃんがバリバリにーー!!」

 

 とまあ、そんなこんなカオスしながら散策は続く。

 今は市の中でも菓子屋が沢山ある通りを歩いていた。

 甘い匂いする菓子の数々に佳織の目があちらこちらに飛び回るが、道行く女性が頬張っていた物を見て、佳織も悠人も驚愕で目を見開いた。

 

「今のはひょっとして、タイヤキか!?」

 

 日本人であるなら、誰しも一度は食べたことがあるだろう菓子。

 魚の外見をしていて、頭から無残に食べるか、尻尾から残忍に食べるか、もしくは腹を割き腸をほじくるよう真ん中から食べるか、非常な選択を迫ってくる悪魔のような存在である。

 タイヤキ。それが、異世界にあった。

 

「ひょっとしたら、餡子が食べられるかも!」

 

 佳織は甘いものが大好きな女の子らしく目を輝かせた。悠人も、懐かしい餡子の味を思い出して喉が鳴った。

 

「あっ、お兄ちゃん。あっちのほうに魚が描いてある旗があるよ。あそこじゃないかな」

 

「よし、行ってみるか!」

 

「うん!」

 

「あっ、おい。それは……って、もういねえし」

 

 駆け出す二人を呼び止める横島だったが、二人は走っていってしまった。

 やれやれ、と横島はぼりぼり頭を掻きながら二人の後を追っていった。

 

 それは小さな露天だった。

 だが長い行列が出来ている。店の隣には高いのぼり旗があった。

『ハイペリアからやってきました!! 天国のお菓子。その名もタイヤキ!! 生きてる間にご賞味あれ!!』

 と大きく書かれている。

 どうやら本当にタイヤキらしい。

 

 タイヤキを買うべく、悠人と佳織が列に並ぶと、さっと行列が引いた。

 人間達はまじまじと悠人達を見つめてくる。

 

 興味と畏怖。

 悠人達を見る眼差しには、その二つの感情が込められていた。

 どうしてさっきまでは普通だったのに、今は突然こうなったのかと考えて、理由はすぐには分かった。

 

(ああ、そうか。横島がいないからか)

 

 ギャグ属性を持つ横島がいないから、どうも辺りがシリアスとなっているらしい。

 まともに考えれば、怯えられるのも仕方が無いのかもしれない。

 腰に差してある永遠神剣『求め』を使えば、蟻を踏み潰すように人間を蹴散らせる。

 エトランジェとは、恐怖されるのが当然ぐらいの存在なのだ。

 しかし横島が側にいると、エトランジェ(笑)にされてしまうのだろう。

 

「あの、その……このままじゃ私達横入りしちゃいますよ?」

 

 佳織は遠慮がちに言っても、町人は列に戻ろうとはしなかった。

 複雑な表情で悠人達の様子を窺っている。

 

「さっさと買っちまおう。その方がこの人たちも助かるだろ」

 

 悠人はさっさと思考を切り替える。

 こういう時にウジウジと考えても状況が好転する事はないと知っていた。

 

「タイヤキを二個頼む」

 

「あいよ! 四ルシルでぃ!! 出来れば良貨でな」

 

 店の親父が威勢良く答えて手を出してくる。以前にレムリアのヨフアルを買った時もそうだったが、どういう訳か菓子屋はスピリットやエトランジェを差別する事が無いように見えた。

 お金を払おうと懐に手をやる。

 

「……あっ」

 

 財布を失くしたサラリーマンの如く懐をあさるが、その手は何も掴む事が出来なかった。

 

「……金が無い」

 

「えー」

「えー」

 

 佳織と髭面店主が可愛く落胆の声を上げる。

 妹に菓子の一つも買ってあげられないという事態に、悠人は兄として、いや男として非常に情けない気持ちになった。

 元々、悠人達に支払われている給金は無い。買い物は国で発行してもらう証書と品物を交換することで行う。

 だが、それは生活必需品と食料にのみ使われる証書であり、流石にたった二つの菓子の為に使うのは躊躇われた。

 

「すいません。客の呼び込みでも掃除でも何でもするので、タイヤキを買わせて貰えないですか」

 

「そうは言っても、出店で掃除なんて必要なんてないし、呼び込みも勇者さんじゃなあ」

 

 店主の言うことは尤もだった。

 呼び込みなんてしたら逆効果になりかねない。

 悠人が情けなさで項垂れると、店主はドンと胸を叩いて笑顔を見せた。

 

「よし、わかりました。ここは俺の奢りでいきましょう」

 

「ほ、ほんとですか!」

 

「へへ、貸しにしといて差し上げますよ。貸しについてはヨコシマの旦那にはよろしく言っておいてくだせえ」

 

 そう言って店主は粗い布に包まれたタイヤキを悠人達に差し出した。

 悠人は頭を下げて礼を言って、タイヤキを手に取る。

 すると、悠人達のうしろからぬっと手が伸びてきて、屋台の台座に銅貨が置かれた。

 

「親父、もう一個タイヤキ頼む。十ルシルだ」

 

「おお、横島の旦那じゃないですかい。いつもごひいきに……はい、お釣り四ルシル」

 

「ん……随分と儲かってんな」

 

「そりゃもう、お陰様で」

 

 二人はやはり知り合いのようだった。

 店主はもみ手をして柔和な笑みを浮かべている。一方、横島はじと目で店主を見つめていた。

 

「ハイペリアにこういう格言があるんだ。『ただより高いものは無い』ってな」

 

「流石はハイペリア。良い言葉ですな、そりゃほんとに」

 

 満面の笑みを浮かべながら、親父が感心したように言う。

 その格言がどういう意味であるのか、理解しているようだ。

 横島は「よく言う」と店主を軽く睨んでも、店主はニヤニヤとするだけだった。

 

「そんじゃあ、いくぞ悠人。レ……ムリアちゃんに教えてもらった所で食うぞ。あと、佳織ちゃんにお駄賃な」

 

「あ、ああ」

 

「え、ええと、ありがとうございます」

 

 いきなりのやり取りに呆気に取られた悠人と佳織だったが、レムリアに教えてもらった湖に向かって歩き出す。

 歩きながら、横島は悠人を責め始めた。

 

「おい、悠人。何を勝手に俺に借りを作らせようとしてんだよ。あの親父は抜け目ないんだからな。こんな事で借りなんて作ってたら面倒なことになっちまうだろ」

「どういう意味だ。そもそも、何でお前は金を持ってるんだよ」

「フッ、それは一生の謎で終わるのだ!」

「いや、意味分からんから」

「それにしても妹に菓子の一つも買ってやれないとは……シスコン兄貴の異名を返上したほうがいいな」

「誰がシスコンだ。いい加減にしろよ!」

「じゃあ、普通に兄貴失格だな」

「黙れ、この時給255円め。毎日毎食カップラーメンでも啜ってろ」

「言うなー! もう、もうカップ麺で一ヶ月過ごすのは嫌じゃ……チョコでご飯は美味しくない……部屋にジセイしたキノコはマンマミーアなんじゃー!」

「よし、とうとう(口喧嘩で)横島に勝ったぞ!」

「お、お兄ちゃん、何だか格好悪いよぉ」

 

 二人のやり取りを見て佳織は苦笑するしかない。

 まるで10年来の友人同士の掛け合いをしているようだった。

 レムリアに教えてもらったスポットに着く。目の前の湖から吹いてくる涼しい風が心地よい。

 

「いただきます」

 

 悠人と佳織が同時にカプリとタイヤキに噛み付く。

 咬み付くと、二人はきょとんと目を点にした。

 

「あれ……ワッフル?」

 

「いや、この世界だとヨフアルって言うんだけど……ワッフルだな」

 

 これはタイヤキの形をしたヨフアルだ。

 タイヤキとは似ても似つかぬ味である。

 生地もそうだが、中に餡子も入っていない。

 

「おい、横島。これはどういうことだ」

 

「そのまんまだ」

 

「このタイヤキ型ワッフルは、お前が教えたんだろ!? お前が言わなくても、それぐらいは分かるぞ!」

 

「ああ。ちょっとした約束をした代わりに、タイヤキの形だけをな。

 俺達の世界……まあ、実際は俺がいた世界とお前がいた世界は違うみたいだけど、少なくとも日本は……というか地球は天国(ハイぺリア)って扱いだからな。こんな情報だけで一財産だ」

 

 天国の世界で食べられ、縁起が良いもの。しかも美味しくて、子供の駄賃程度で買える。

 これだけのオプションが付けば、確かにこの長蛇の列も納得できる。

 つまり、ハイぺリアというブランドがついているわけだ。

 店側も張り型を作りさえすれば量産は楽なので特に苦労はしない。元々の味が良かったのも繁盛の理由だ。

 

「どうせだったら餡子でも開発してくれりゃあいいのに」

 

 悠人は不満げな顔をして、がっかりしたように肩を落とす。

 完全に肩透かしを食らって落ち込んでいるようだ。

 

「無茶言うなつーの。俺はGSで、別に発明家でも料理人でもないんだぞ」

 

 横島の言葉に、佳織は純粋に首を傾げる。

 

「……どうやっても無理なんですか? 代用品とか使ったりすれば」

 

「餡子に似たようなものならあったんだけど、微妙でな~。はっきり言って売れないってレス……専門家にも言われちまったし」

 

 横島の言葉に、悠人も「そうかもしれないな」と頷く。

 元の世界と似たような食材は数多くある。穀物類から野菜、肉や茶など『何処かで食べたことがある味』は多かった。同時に、『似ているけど微妙に違う味』も多くある。

 他にも、味が同じでも栽培方法が違かったりするなど、現代の知識を活用しようとしたら妙な落とし穴があって恥をかいたことがある。

 異世界に自分達の世界の常識を嵌めこめようとするのは危険らしい。

 

「確かに、似ているけど違う物って多いよな。リクェムなんて、ピーマンの強化型みたいなものだしな」

 

「あはは、やっぱりお兄ちゃんはリクェム苦手なんだ。オルファと同じだね」

 

 悠人はげんなりしながら言って、佳織は苦笑いを浮かべる。

 どうして別世界に来てまで苦手な食材で苦労しなくてはいけないのか。しかもエスペリアはあれやこれやとピーマンを食べさせようとするのだ。

 

「別に食生活には不満無いけどさ、欲しくなる味ってあるよな。佳織もそういうのあるだろ?」

 

「うん、料理じゃないんだけど、QBマヨネーズとかブルキャットソースとか」

 

「ああ、なるほど。俺は醤油が欲しいな」

 

「ケチャップもないよね」

 

「時給255円時代に食いまくったカップラーメンが食いたいな。今なら120……いや、130円出すぞ!」

 

「そうだな。俺もカップラーメン食べながら、コーラが飲みたいな」

 

「クッ、ブルジョワめ!! チョコでご飯を食ってた俺に謝らんかい!」

 

「うはっ。ひでぇ」

 

 食い物談義に花が咲く。

 他にも、テレビとか冷房とか、懐かしい技術の話で盛り上がった。

 

「元の世界の知識を生かして商売とかできたら面白そうなんだけど」

 

 佳織の目がキラキラと輝く。

 色々と考えているのだろう。この世界で自分が出来ることを。

 ただお世話になっているだけなのが辛いのかもしれない。

 悠人も佳織の意見に頷く。

 

「そうだな。エーテル技術とか、天動説が正しいのかもしれないとか、俺達の世界との差異は色々合って難しそうだけど、不可能ってわけじゃないかもしれない。何だかんだ言っても、基本は中世程度の技術だもんな」

 

「そうだよね! 実は色々と考えてるんだけど――――」

 

「あまりやらない方がいいと思うぞ」

 

 意気込む悠人と佳織だが、水を差す様に横島が反対した。

 

「もし商売が上手くいって儲けたりすると、嫉妬されて面倒だぞ。俺らって結局異邦人だからな」

 

 横島はGS業界の大御所でありトップの美神除霊事務所にいたから、業界の嫉妬の恐怖は知っている。

 

 平安時代にタイムスリップした時も、稼ぎすぎて酷い目にあった。

 佳織の言うとおり、現代で培った経験を駆使すればこの世界でも荒稼ぎできる可能性は高い。新しい商品を開発したり、そんなことをしなくてもハイペリア(日本)の情報だけで集客効果は抜群だ。

 しかし、下手に儲けたり活躍すれば嫉妬され目の敵にされる。異邦人の場合は特にである。社会に入り込んで儲ける異国人に悪感情を向けるのは自然な事だ。

 

「確かに嫌がらせとかはあるかもしれない。でも、今更その程度で挫ける俺達か?」

 

 悠人の表情には負けん気のようなものが張り付いていた。

 白い目で見られるのに慣れ、逆境に次ぐ逆境に負けないで戦ってきた自信があるのだろう。

 

「……俺らに直接嫌がらせとか来なくても、別な所に来るかもしれないだろ」

 

 苦みばしった表情で横島が呟くと、悠人もその言葉の意味を理解して厳しい顔となる。

 恨みが自分達に向いてくれるのなら良い。だが、嫉妬と呼ばれる負の念は陰湿で、弱いところを確実に狙ってくる。

 横島達にとっての急所は、スピリットに他ならない。ただでさえスピリットは人には逆らえない。もしも狙われたら、その時は色々と最悪な事態も考えられる。

 相手に儲けさせて、自分は小金を得る。それぐらいが恨まれないコツだ。そうして人脈と信頼を得るところから始めないと、敵を作りすぎてしまう。

 

 女性が絡まなければ、こういった横島のバランス感覚は相当なものである。二人の偉大なサラリーマンの血は確実に受け継がれているのだ。

 

「でも、横島が一番、町に影響を与えてるじゃないか」

 

「俺はちょこっと情報を渡して、後は任せてるぞ。俺達の世界の情報は、この世界の人の方が上手く使えそうだし」

 

 横島の言っている事が良く理解できず、悠人も佳織も頭を捻る。

 自分達の世界の情報なら、自分達の方が上手く扱えて当然じゃないかと、当然の疑問を持っていた。

 

「世界を敵に回して、どれだけ恨まれても高笑いできる無敵な人ならいいんだろうけどな」

 

 横島の脳裏に、鞭を振り回し、高笑いする美女の姿が浮かんでくる。

 あの人なら、現世利益最優先を掲げて守りに入るなんてしないだろう。

 どれほど敵が増えようと、力技と反則技で身内を守るに違いない。

 美神さんがここにいてくれたら、と横島は良く思う。

 

「よく分からん部分もあるけど、お前も色々と考えてるのか」

 

 感心したように悠人が呟く。佳織もコクコクと頷いていた。

 褒められた横島は胸を張ってドヤ顔をしていた。

 

「レスティーナ様にも言われてるしな」

 

 その一言は、二人に聞こえないように言っていたが。

 

 

 三人はタイヤキ型のヨフアルを食べ終えて、まだまだ町を巡る。

 こんな風に純粋に町を観光するように歩き回るなど、悠人も滅多に無いから新鮮だった。

 色々と目に付くものはあったが、特に驚いたのは子供の多さだった。

 何処に行っても子供の姿がある。それも、信じられないほどの活力と行動力に満ちた子供達だ。

 

「じゃんけん……ジャッカル!! ジャッカルはグーの5倍の威力だ!!」

「せんだ! み○お! ナハナハ!!」

「いっせーの……いち!! いっせーの……さん!!」

「サッカーするならこういう具合にしやさんせ~パス! シュート! よよいのよい!!」

 

 子供たちの活気ある掛け声があちらこちらから聞こえてくる。

 

「な、なんだか見覚えがある遊びばかりだね」

「一部とんでもなく不穏なものが見えた気がしたけどな」

 

 佳織は戸惑ったように辺りを見回して、苦笑いを浮かべる。

 悠人は溜息を一つこぼして『元凶』を睨んだ。

 

「横島、お前は何考えてんだ」

 

 悠人の目が真剣に光って横島を見据える。

 対する横島はのほほんと言った。

 

「いや、別に何でも」

 

「はっ?」

 

「こっちの方はガキ共と遊んでたら自然にな」

 

 こっちの方は、とは何だろうか。 

 いい加減に持っている情報を全部出せ、とばかりに悠人は横島を少し睨んだが、横島はどこ吹く風とばかりに付近のお姉ちゃんをフトモモを凝視している。

 

 横島の一日の行動を完全に把握している者は、実は第一詰め所にも第二詰め所にもいない。

 朝食と朝の訓練までは皆と行動するが、それ以降はどこで何をしているかは分からないのだ。

 第三詰め所でお茶を飲んだり、町で女の子をナンパしているらしいが、どうもそれだけでないのは町の様子で分かるだろう。

 

「まあ。詳しくは『永遠の煩悩者 日常編』でやると思うぞ」

 

「いきなりメタんな!!」

 

「大丈夫だ。原作だとメタネタは結構出てるしな」

 

「そっちの原作に合わせんな。こっちの世界に合わせろよ!」

 

「ああ、お兄ちゃんもメタってるよお」

 

「ふっ、駄目な奴め」

 

 何だか危険な会話をしていると、大きな車引きが広場にやってきた。

 鐘の様なものを出して、カランカランと音を響かせる。

 すると、わーっと子供達が群がっていった。

 その車引きの内容とは。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん! あれって、紙芝居屋さんだよ!」

 

 佳織が喝采をあげる。

 話としては聞いた事があったが、実際に見たのは初めてだった。

 ラキオスには、少し前から紙芝居が流行りだしている。

 

 語り主の親父は、声を張り上げ子供達を集め終えると、オーバーリアクションとも言える立ち振る舞いをしながら、物語を読み上げ始める。

 題材の名は『ネネ太郎』

 大きなネネの実から生まれたネネ太郎が、動物達を率いて悪しき龍を退治する、という内容だった。

 

 横島から伝わった、桃太郎の名前を変えただけか。

 

 そう思った悠人と佳織だが、いざ始まってみると、桃太郎とは違う部分も多くあった。いや、正確に言えば違いだらけだった。

 まず、ネネ太郎はケツアゴだった。何故、どうして、なんて疑問は意味が無い。ネネの実から生まれた時からムキムキマッチョのケツアゴなのだから。

 動物をお供にするのも、きび団子では無くタイヤキだったりもした。

 

 またネネ太郎は類稀なる剣の使い手で、とても強いのだが、邪龍達には勝てない。

 そこでネネ太郎は面白おかしくトンチを利かせて、知略と兵器を駆使して龍を懲らしめる。

 ネネ太郎は強面の戦士であるにもかかわらず、やっていることは軍師同然だった。

 

 悠人はポカーンと物語を見つめていたが、佳織はどうして先ほど横島が『情報をこっちの人達に任せた方が良い』と言ったのか意味を理解し始めていた。

 

 ネネ太郎がケツアゴのムキムキマッチョの剣士で強いのに、知略を駆使して、龍を殺さないというのは、こっちの世界に合わせたものなのだ。

 有名な童話集であるグリム童話等も、原作を日本人の好みに改変させて国内で読まれている。

 異国の文化は噛み砕いて、自国の文化や風習に合わせるというのは至極当然の事なのだ。

 また、動物を仲間にするのにタイヤキを使った理由は、恐らくCMに近いものではないだろうか。

 佳織は物語だけでなく、その物語の裏に潜む『思惑』にも考えを張り巡らしていた。

 

 ネネ太郎の物語も終盤に入る。

 邪龍からせしめた財宝を我が家に持ち帰って物語が終わる。

 同時に、紙芝居の親父も辺り一体に何かをばら撒き始めた。

 子供達はわーっとばら撒かれた物に群がる。

 

「あー今回のお菓子もまた外れだー!!」

「ここしばらく、あのお菓子が全然でないよな」

「サクサクのホクホクが食いたいー!」

 

 ばら撒かれたのはお菓子だった。こういう部分は日本式らしい。

 子供達はお菓子を食べながらも、目的の物では無かったようで不満そうだ。

 その様子を見て、横島はポツリと呟く。

 

「ハリオンもヒミカもやっぱりお菓子作って無いみたいだな」

 

「はっ? なんだって?」

 

「いや、こっちの話だ」

 

 お菓子に不満げな様子の子供達を、横島は険しい表情で見つめていた。

 紙芝居が終わり、三人はまた色々と話し始める。

 

「何と言うか……凄かったな。佳織は面白かったか?」

「うん、とっても。でも、久しぶりに絵本を見てたら、私たちの世界の本も見たくなっちゃったね」

「そうだな。ドラマも漫画もどうなってんだろ」

「見ていたアニメの続きが見たいな~。超能力を使う三人の小学生の話とかどうなったんだろ」

「俺も借りてたエロビデオ結局見てなかったな~」

「お前のは色々と間違ってるぞ!」

 

 わいわいがやがや。

 

「でも、本当に何なのかな、あの紙芝居屋さん。お金取って無いみたいだし、どこかスポンサーでも付いているのかな」

 

 佳織が何気なく疑問を口にする。

 すると、いきなり横島が滂沱の涙を流しつつ、壁に向かって頭を打ち付けた。

 

「ど、どうしたんですか、横島さん!?」

 

「くそぅ。スポンサーさえ……スポンサーさえ付いていれば!! グッズさえ売れていれば!!」

 

 「視聴率はとっていた」とか、「せめてGS試験編までやっていれば」とか横島の口からは悔しさを滲ませた言葉が次々と飛び出してくる。目からは血の涙を流していた。

 

「どうしよう、お兄ちゃん。横島さんがアニメとかなんとか言って変になってるよ!」

 

「……アニメなんて無かった!」

 

「へ……お、お兄ちゃん?」

 

「アニメなんて無かったんだよ、佳織!」

 

 「黒歴史が……黒歴史が来るんだ」と悠人は精神を遠くに飛ばしてしまったようにブツブツと呟く。

 何処か遠い世界へ行ってしまった二人に佳織は困っていたが、きっと表情を引き締めた。

 

「お兄ちゃん、横島さん、待ってて! お水取ってくるから!!」

 

 何だか様子が可笑しい二人の為に、佳織は商店街に向かって走り出して、

 

「どうしよう、迷っちゃった」

 

 あっさりと迷子になってしまった。

 手には甘いバターがたっぷりと塗られた固めのパンと、水が入った竹筒のような水筒を持っている。

 なんとか横島から貰った銅貨で買うには買ったが、元の場所に戻れなくなったらしい。

 

「うう~こんな道通ったかな」

 

 不安そうに、家と家に挟まれた狭い裏通りを通る。

 褐色の肌で、銀色の髪をざっくばらんに切ってある女性が倒れていた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 何の警戒もせず、佳織は倒れている女性に近づいた。

 

「お……」

 

「お?」

 

「お腹が、空きました」

 

 グゥ~~。

 大きなお腹の音が鳴る。

 どうやらお腹が減って倒れているだけらしい。

 佳織はほっとして胸をなでおろした。

 

「あの、パン食べますか?」

 

「……手持ちがありませぬゆえ」

 

「もう、こんなときに何言ってるんですか」

 

 佳織は苦笑しながら地べたに正座すると、女性の頭を自分の膝に乗せた。所謂、膝枕状態である。

 余りの事に、女性は目を白黒させていたが、佳織は柔らかい笑みを浮かべてパンを差し出した。

 

「はい。食べてください。お水もありますよ」

 

「え……あ、はい」

 

 強引な佳織の勢いに押されて、女性は目を点にしたまま、パンを食べた。

 

「……甘いです」

 

 頬を緩めて、幸せそうにパンを頬張り、水を飲む。

 そんな女性の様子を、佳織は嬉しそうにしながら見つめていた。

 

 一分もしないうちに、パンも水も瞬く間に平らげてしまう。

 パンも水も全部を食べて飲んだ事に女性が気付くと、しまったと青ざめた。

 

「す、すみませぬ! つい全部食べてしまいました!? どうしましょう!? 弁償ですか!?」

 

 真剣に困っているのが分かって、佳織はつい笑ってしまう。

 

「いえ、大丈夫ですよ。私にお小遣いをくれた人だったら、貴女みたいな美人を見て見ぬ振りは絶対にしませんから」

 

「はあ」

 

 困惑したように女性は首を傾げていた。

 話し方や振る舞いは格好良いのに、何だか妙に子供っぽくて純朴そうだ。

 思わず、膝枕したまま女性の額を撫でてしまう。

 

「えっ」

 

 いきなり撫でられて、女性は驚嘆したように佳織を見る。

 佳織も、自分が随分と大胆な行動を取っているのだと自覚して、頬を赤く染めた。

 

「す、すいません。つい……失礼なことをしちゃって」

 

「いえ、その……嫌ではありませんでした」

 

 女性は思わずそう口にして、二人はまた少し恥ずかしそうに頬を赤くする。

 膝枕が終わってお互い立ち上がると、なんとも微妙な空気が流れた。

 恥ずかしいような、むずがゆい様な、不思議な気持ち。

 だが、佳織も女性も決して不快ではなかった。

 

「体の方は大丈夫ですか」

 

「はい、糖分を摂取出来たので、行動に支障は出ないでしょう」

 

「そうですか、良かったです。私は佳織って言うんですけど、貴女のお名前を聞かせてもらっていいですか?」

 

 佳織と名前を聞いて、女性は「まさか」と驚いたようだった。

 

「カオリ? シュ……エトランジェ・ユート殿の妹君ですか?」

 

「はい。やっぱり、お兄ちゃんって有名なんですね」

 

「……古の四神剣の勇者と重ねている人も多いのでしょう。手前の名は、ウル……う、る……うう、ウルルカと申します!」

 

「ウルルカさんですか。可愛い名前ですね」

 

「そ、その手前はそういう事を言われたことが無く……ですから……その、どう言ったらいいのか分からなくて」

 

 ウルルカは褐色の肌を赤く染めて、あたふたする。

 

 格好良いのに、可愛い。

 

 佳織は憧れのような眼差しを送る。ウルルカは恥ずかしそうに俯いてしまった。

 

 その時だった。ウルルカが地面を見て、さっと足を退けた。

 佳織がどうしたのかと地面を見ると、そこにはダンゴ虫のような生き物が歩いている

 

「もしかしてウルルカさん、虫さんを踏み潰さないよう避けたんですか?」

 

「はい、無益な殺生はいけませぬ」

 

 当然の様に言うウルルカに、佳織の心はほわんと温まる。

 ウルルカに会えた事がとても嬉しかった。

 

「ウルルカさん、私達とお散歩しませんか。兄も横島さんも、きっとウルルカさんを気にいると思います」

 

「……それは無理です。手前には成すべき事がありますゆえ」

 

 ウルルカは凛と言った。

 強い意志を感じさせる言葉だった。

 

「このご恩はいつか必ず返します。手前の命に代えましても」

 

「え、ええ? そんな、私はそんな大したことなんてしてないですよ」

 

 お腹が空いた人にパンをあげただけなのだ。

 とても命を掛けるような事ではないと、佳織は必死に首を横に振る。

 だが、ウルルカは真顔を崩さない。

 

「いえ、大した事です。手前のようなものに、こうも親切を出来るなど、早々とできるものではありません。それに、カオリ殿には大切な事を教えられました」

 

「大切な事ですか?」

 

「どうして手前が仲間を求めるか、カオリ殿のお陰で分かりました。手前は、どうも寂しがりやだったようです」

 

 自嘲するように、しかし嬉しそうに、ウルルカは言った。

 何が言いたいのか、どういう意味なのか、よく分からなかったが、ウルルカが孤独に耐えているのは良く分かった。

 

「私は、ウルルカさんの友達です。だから、そんなに寂しそうな顔はしないでください」

 

 会って数分しか経っていないというのに、佳織は友達と言い切った。

 ウルルカはしばし瞠目した後、口元を優しく緩ませる。

 

「カオリ殿、感謝を」

 

 短く、感謝の言葉を述べる。

 やはり、キビキビした動作が佳織には格好良く映った。

 

「あの、もっとウルルカさんとお喋りしたいんですけど……」

 

「すみませぬ。手前にはやる事がありますゆえ。名残惜しいですが、手前はこれで」

 

 軽く頭を下げると、ウルルカはさっと身を翻して歩き始めた。

 引きとめる事は出来ない。言葉通り、彼女にはやらねばならない事があるのだろう。

 詳しい事情など知らないが、それは分かった。だから、次に言う言葉は決まっていた。

 

「ウルルカさん! またどこかで会いましょう! それまでお元気で!!」

 

 小さい胸を膨らませて、大声で叫ぶ。

 再会の約束を誓う佳織に、ウルルカは少し驚いたようになったが、彼女は始めて満面の笑みを浮かべた。

 

「はい。カオリ殿も体を大切に……気をつけてください!」

 

 ウルルカは言葉を選ぶように佳織に言葉を送る。

 それはたどたどしい言い方であったが、心が籠もっているのは佳織にも十分に理解できた。

 

「はい、分かりました。ありがとうございます」

 

 ペコリとお辞儀をした後、佳織は寂しさを振り払うためか、勢い良く裏通りを走り抜けていく。

 その後姿を、ウルルカはじっと見つめていた。

 

 

 佳織が大通りに戻ると、正気に戻った兄が駆けずり回っていた。酷く慌てている。

 「佳織ー返事をしてくれーー!!」

 なんて叫び声が聞こえて、まるでデパートに迷子になった子供になった気分だった。

 町で大声で呼びかけられて、かなり恥ずかしい。

 実際に迷子になっていたのは事実だが、それは兄の所為なのでちょっと恨めしかった。

 手を振って兄に呼び掛けると、ものすごくほっとした顔をしている。

 隣では「相変わらずのシスコンやな~」と横島さんが呆れた顔をしていた。

 

 平穏な日々が続く。だが、彼らは気付いていなかった。

 建物の影から、大地に寝そべりながら、欠伸をしながら、爛々と目を光らせて彼らを観察する獣の眼に。

 不穏は確実に迫ってきていた。

 

 




 少し気になったんですけど、一話一話が長すぎかな?
 作者は一話が長くても気にしないタイプなんですけど、ハーメルン様に来て各種作品の平均文字数を見て見ると、どうも私の作品は長い部類に入るみたいなので気になって。23話も9万文字超えて、分けることになったし。
 よろしければご意見ください。

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