永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十三話 中篇 太陽の軌跡②

 さらに一週間が経過する。

 佳織の一日も、大体のリズムが形成されてきた。

 朝はエスペリアと共に食事の準備をして、夜はエスペリアと共に食事の準備をする。

 合間合間にアセリアと話したり、オルファと遊んだりする。

 基本的に楽しいのだが、朝と昼の訓練時は暇だった。

 誰も居ないので、仕方なく本を読んで時間を潰すぐらいしかやることが無いのだ。

 

 一度、訓練の様子を見せて欲しいと言ったのだが、兄に見られたくないと断られてしまった。

 何でも、訓練でいつもボコボコにされている情けない姿を見られたくないらしい。

 それでも佳織は見たかった。兄の頑張っている姿を見たかったのだ。

 

「という訳で、来ちゃいました」

 

 誰に言うわけも無く、ラキオス訓練所の前で佳織が無い胸を張って独り言を言った。

 訓練所は無駄な装飾が一切無い、無骨な建物だった。

 見た目は石造りに見えるが、内部はエーテルで出来ているため、恐ろしく頑丈らしい。

 

「すいませーん! 見学していいですかーー」

 

 建物の周囲には誰も居なかったので、声を張り上げる。

 出てきたのはエスペリアとセリアだった。

 セリアは佳織の姿を認めると、僅かに眉を顰めた。

 

「どうしました、カオリ様。ここは貴女の様な方が来る場所ではありませんよ」

 

 セリアは丁寧な言葉遣いで佳織の身を案じているようだったが、どこか冷淡に拒絶しているようにも感じられる。

 

「あの、お兄ちゃんの訓練の様子が見たいんですけど」

 

「やめてください。見学をするなら護衛が必要ですが、手の空いている者はいません。正直迷惑です」

 

「セリア! もう少し言葉を選びなさい。カオリ様、ご無礼をお許しください」

 

 ずけずけと言いすぎるセリアを、エスペリアが嗜める。

 

「無礼だなんて思ってません。尤もですし、私のためを思って言ってくれてるんですから。ありがとうございます、セリアさん」

 

 ペコリと頭を下げて、佳織はセリアに屈託のない笑みを見せた。

 本心からセリアの言葉を感謝していると分かる笑みを向けられ、セリアは少し恥じたように頬を赤くする。

 エスペリアは珍しく意地の悪い笑みでセリアを見つめていた。

 

「それじゃあ、私はこれで。訓練頑張って下さい。怪我だけは気をつけてください」

 

 佳織は毅然と言って、踵を返す。だが、そこから先はがっくりと肩を落として、しょぼ~んとなっていた。

 セリアはそんな佳織を一瞥した後、訓練場に戻ろうと回れ右をするが、そのままクルリと一回転する。

 そして、

 

「……待ってください」

 

「え?」

 

「どうせ休憩する予定でした。カオリ様の護衛を兼ねながら休憩しても特に問題ないでしょう」

 

 愛想笑いの一つもせず、セリアは淡々と言った。

 随分と素っ気の無い言い方の所為で、佳織はしばらくその意味を理解できなかったが、意味が分かるとその表情がパアッと明るくなる。

 

「あ、ありがとうございます、セリアさん!」

 

「ですが、私の指示には絶対に従ってもらいます。スピリットである私の指示に」

 

 奴隷戦闘種族のスピリットに指示されて悔しくないか。

 セリアの言葉にはそういう意図が隠されていたのだが、

 

「はい。絶対に変なことはしませんから!」

 

 感謝と決意の入り混じった返事が木霊する。

 余りに素直な佳織に、セリアは逆に気圧されたように言葉を詰まらせた。

 

「カオリ様は、私達よりもずっと大人ですよ」

 

 一連のやり取りを見守っていたエスペリアが、コロコロと笑いながらセリアに言う。

 

「はあ……分かったわよ」

 

 少し拗ねたようなセリアだったが、その声はどこか嬉しそうだった。

 

 悠人達の訓練の場に案内される。

 狭い場所での戦いを考慮しての訓練なのか、天井は高いのだが広さは一教室ぐらいだろう。

 そこで、悠人と横島が神剣を構えながら向き合っていた。

 突如、周りの景色が歪む。周囲を、薄い緑色の壁のようなものに囲われていた。さらにその外側には、薄い水色の囲いがある。

 はっとすると、エスペリアが『献身』を、セリアは『熱病』を握り締めていた。

 佳織は、自分が守られている事を知った。

 

「あ、ありがとうございます。休憩中なのに……」

 

「お礼は結構です。今はユート様の戦いをご覧ください……見えればですが」

 

 セリアに言われて、戦いの場に目をやる。

 戦いが動き始めると、早いとか遅いとかのレベルではなかった。兄の動きはただ残像でしか捉えることが出来ない。

 兄に攻撃を加える横島の姿は、残像すら捉え切れなかった。

 閃光。衝撃。轟音。部屋の隅で歯を食いしばる兄。

 それだけが、佳織の目に映る全てだった。

 もし、エスペリアが守りを固めてくれていなければ、衝撃波だけで吹き飛ばされていたかもしれない。

 

 しばらく閃光と衝撃が続いた後、肩で息をする横島の姿が現れる。兄は、無傷のように見えた。

 一体どちらが勝っているのか、さっぱり分からない。

 

「えーと、お兄ちゃんと横島さんってどっちが強いんですか?」

 

 エスペリアに聞いてみる。

 横島が強いということは佳織も知っている。様々な武勇伝を彼自身から聞かされていた。

 山で海で月で、数々の激闘を繰り広げてきたらしい。その殆どが突拍子も無いものばかりであったが、佳織はそれを嘘だとは思わなかった。

 核ジャック事件という、オカルトと科学が融合した事件などは不思議とリアリティがあったし、何より横島が嘘をついてるとは感じられなかったからだ。まあ、若干? の誇張表現は含まれているとは思っていたが。

 それでも普段の横島の様子を見ていると、まったく強いとは思えない。優しく楽しくエッチな人。それが印象だ。

 横島が剣を振るい殺し合いをしているのは話を聞いて理解はしているが、それでも心象的には信じられなかった。

 

「……強いのはヨコシマ様です。はっきり言って彼に敵う存在がいるなんて考えられません」

 

 エスペリアが敵意も尊敬も感じられない声で言った。賛嘆の声であるのに無感情、というよりも面白く無い、といった風である。

 雪之丞にやられても、エスペリアは横島の方が強いと断言していた。

 

(エスペリアさん……怒ってる?)

 

 どんな相手にも丁寧なエスペリアだが、横島にだけはどこか辛辣に当たっていると佳織には感じられた。

 何となく、これ以上はエスペリアから横島の事を聞きづらいと思った佳織は、隣に居るセリアに目を向ける。 

 

「あの、セリアさん。横島さんって、そんなに強いんですか?」

 

「……ユート様はヨコシマ様と、もう千近く剣を合わせているけど一度も一本とれた事はないわ。引き分けすらなし。私達はヨコシマ様相手に一本取った事はあるけど、無意識に手加減されているみたいね」

 

「ふぇ~」

 

 佳織は思わず感嘆の声を上げた。

 そんなに横島は強いのか、と思ったが視点を変えると別な答えが浮かび上がってくる。

 

「それって、お兄ちゃんが弱いってことですか?」

 

 その質問に、エスペリアもセリアも複雑な顔をした。

 悠人が弱いか強いについては、見方によって随分と変わる。力だけなら横島と並んでトップだが、剣の技量なら最低だろう。アセリアやエスペリアを一撃で倒す事も可能な悠人だが、逆に接近戦が一番弱いナナルゥにすらも負ける可能性があるのも悠人だった。

 身体的能力は優れているが、経験地が圧倒的に足りない素人らしい特徴と言えるだろう。

 

「ユート様には、凄まじい潜在能力があります。いつか私達も……ヨコシマ様だって及ばない戦士に成長するでしょう」

 

 『家の子はやれば出来る子なんです』みたいな褒められ方をしている兄に、佳織は曖昧な笑みを浮かべるしかない。

 佳織の微妙な表情をエスペリアはどう解釈したのか分からないが、苦々しい表情で肩をすくめる。

 

「ユート様がどうのこうのではなく、正直に申しましてヨコシマ様が強すぎるのです。私たちが全員で掛かっても、彼には勝てないかもしれません」

 

 佳織は言葉を失くした。

 それはいくらなんでも、と思ったがセリア達がわざわざ嘘を言うとは思えない。

 

 佳織は例えようも無い恐怖に襲われた。

 そんなにも強い横島が、兄に剣を向けている。

 鋭い輝きを持つ日本刀が兄の胸に、腹に、顔に突き刺さるかもしれない。

 

「大丈夫です。傷は付いてしまうかもしれませんが、どんな傷であろうと私が癒して見せますから」

 

 佳織の表情から察したエスペリアが、安心しろと笑顔を向ける。

 

「傷は付いちゃうんですね……」

 

「はい。やはりカオリ様は第一詰め所にお戻りください。血など、見ないで済むならそれに越したことはありません」

 

 その提案は佳織にはありがたかった。

 女は血に強いと言うが、刃物が肉に突き刺さって噴き出す血飛沫なんて耐えられるなんて思えない。

 戻ります、と言おうとしたが、佳織はそこで思い出す。

 

 ただの高校生だった兄が、どうしてこんな痛くて苦しい思いをしているのか。

 それは言うまでも無く、自分の為だ。自分の為の努力を、怖いからという理由で逃げるのか。

 少しでも兄の重荷にならないよう強くなるのではなかったか。

 佳織の目に強い光が宿る。

 

「いえ、見ます。お兄ちゃんの……兄の姿を見ます」

 

 佳織の静かな声に、エスペリアははっとした。佳織の瞳にある輝きが、悠人のものとそっくりだと気が付いたのだ。

 こうなると異常なまでの頑固さを示すのを知っているエスペリアは、佳織を説得するのを諦めた。

 

「分かりました。カオリ様は私が必ずお守りします。それに……」

 

「それに?」

 

「今回は血が流れず、引き分けに持ち込めるかもしれません……色気さえ出さなければ」

 

 期待を込めた視線を悠人に向けるエスペリア。セリアは相変わらず厳しい表情で二人を見つめている。

 色気とは一体何なのか佳織には分からなかったが、佳織も祈るように手を組んで兄の真剣な顔を眺めた。

 頑張らなくていいから、無事に終わって欲しい。それだけが、佳織の望みだった。

 

(このまま色気を出さなければ引き分けには持ち込めるな)

 

 悠人は冷静に戦況を分析していた。

 傍目には隅に追い詰められて一方的に攻め立てられているように見える。それは事実。だが、負けているのは真実ではない。何せ、こういう方向に戦いを持っていったのは悠人自身だからだ。

 一方的に攻撃されているにも関わらず、悠人は殆ど傷を負っていない。小さい傷はあちこちに負っているが、行動に支障は出ない程度。横島の攻撃は悠人に届いてはいなかった。

 部屋の隅に居るのも策の一つだ。隅に居ることで無茶苦茶な動きをする横島を常に捉えることができて、しかも攻撃がくる方向を限定することが出来る。だから、障壁を張るのも随分と楽になる。

 

 今度の戦いで悠人が取った戦法は、簡単に言えば相手の力が尽きるのを待った籠城戦である。

 横島は病み上がりで体力が十分でない。そこを突いた戦法だった。

 卑怯と言えば卑怯だが、しかし横島のように人を馬鹿にしたような策ではない。格好悪いが、篭城戦は姦計の類ではなく正々堂々とした兵法である。横島の得意とする相手を馬鹿にした戦いでは無い。

 まあ、それでもあまり褒められた戦い方ではないだろう。しかし、圧倒的な格上である横島を相手にするなら仕方ないと悠人は割り切っていた。

 

 自分は横島と違って天性の才は無い。

 エスペリアに言わせれば十分な才はあるらしいが、自分は『天才』ではなく『秀才』の類であると横島と手合わせすることで実感している。

 秀才が天才に勝つには、基本的に努力量で差を埋められる分野で戦うほかは無い。その分野とは地道で反復的な鍛錬を求められる体力に他ならない。

 走りこみも素振りも、悠人は怠けた事は無かった。逆に、横島は小手先の技術は鍛錬しても、黙々と走り続けるなんて事はしなかった。体力なら負けはしない。特に今現在なら。それだけの自信を、悠人は持つに至っている。

 それに、ちょっとした対横島を想定した小技も身に付けた。

 

(力尽きて倒れろ、横島!!)

 

 守りだけを固めながらも、悠人の眼は好戦的にギラギラと光っていた。

 

 

「こんにゃろう!!」

 

 横島が悪態と共に放ったオーラの飛礫を悠人に放つ。

 しかし礫は、悠人の眼前に展開し続けている障壁を貫く事が出来ずに消滅した。

 屋内の戦闘訓練では強力な神剣魔法の使用を禁じられている。今ので貫けないなら、神剣魔法ではどうしようもない。

 

「ひぃ、ひぃ、ふぅー」

 

 横島の息は出産直前の妊婦のごとく乱れていて、とても苦しそうだ。

 神剣の加護を得ているにも関わらず、体は常に重く、息が苦しい。久しぶりの戦闘に肉体が悲鳴を上げていた。

 

(おい、『天秤』。しっかり力を寄越してんのか!?)

 

『やっている。だが、そもそもお前の体は本調子ではないのだ。ここ一ヶ月で2度も重態に陥り、2週間以上も寝たきりの生活だったのだぞ。例え神剣の加護を得ても、ボロボロの車にターボエンジンを載せているようなものだ。長時間の戦いは厳しいな……かといって短期決戦するには守りが厚い。悠人の奴もそれを分かっているようだ』

 

 悠人の狙いを横島も気づいていた。

 だが、気づいてもどうしようない。勝利を得るためには攻めなければいけないのだが、まったく隙が無かった。

 隙が無いのなら作ればいい。その為に罵詈雑言や、悪辣なひっかけ等の、小細工に属する攻めも混ぜているが、どういう訳かまったく反応しないのだ。

 さらに悠人は背後と横に回り込まれないように部屋の隅にいて、前面に強力な障壁を張っている。

 単純に防御力に優れたオーラの壁。ただそれだけであるが、故の強さ。プログラムでいえば、バグが生まれようもない簡単な物。

 

『完全に我らの状態を考えた上での戦法だな。それも、端から引き分け狙いだ』

 

「ちくしょー! 陰険な戦い方をしおって!! これだから陰気な奴は……きっとアイツはインキンだな」

 

『確かに地味だが、我らの弱みを正々堂々と付いてくる生真面目なやり方だ。時間を決められたのが罠だったな』

 

 そう、この戦いには制限時間がある。それが横島を苦しめる要因だ。

 

 模擬戦を始める直前、悠人が「病み上がりに無理はさせたくないから、10分間の制限時間を設けよう」と提案してきたのだ。

 横島は当然、その提案を受けた。長々と悠人と鍛錬するつもりなんて無かったからだ。そして10分もあれば悠人を片付けるなど造作もないと高をくくった。

 

 今思えば、完全に罠だった。

 悠人は、自分が全力で障壁を張り続けることが出来るのは10分と知っている上で交渉を持ちかけたのだろう。

 時間制限さえ無ければ、横島は悠人が障壁を張り続けて消耗するのをただ待つだけで良かったのだから。

 練られた戦略と戦術をぶつけられているのが分かる。

 

『一応、後3分もすぎれば引き分けで終わるのだが……それは望まんのだろう?』

 

「……悠人の奴なんかのと引き分けは……なぁ」

 

 問題はそれだけではない。

 負け続けてきた悠人にとって引き分けが勝利で、勝ち続けてきた横島にとっては引き分けは敗北だ。

 互いの勝敗条件が違うのである。

 

 別に引き分けでいーじゃん。

 

 心のどこかでそう叫ぶ自分がいる。それが、自分らしい自分だとも思う。

 だが、自分らしい自分ではない熱血な自分が騒ぐのだ。

 

 悠人には負けたくない。同格にもなりたくない。悠人は踏み台であるべきだ。

 どうしてここまで悠人に勝ちたいのか、どうしてここまで悠人を貶めたいのか。

 横島自身にも不思議だったが、とにかく悠人に勝ちたかった。

 

(どうしたもんかな、『天秤』)

 

『そうだな……む、突破口になるかもしれない人物が見物席に来ているぞ』

 

 『天秤』に言われて横に目をやる。そこに居る小さな女の子の存在を認めると、横島はニヤリと笑みを浮かべた。

 これは確かに最高の突破口になる、と横島は勝利を確信する。

 

「おい、悠人! 横を見てみろ。佳織ちゃんが来ているぞ!!」

 

 いきなり名指しされて佳織はビクリと震えた。

 

 ――――――こう来たか!

 

 エスペリア達は横島のえげつなさに眉を顰め、そして悠人の気持ちを察して同情の視線を送る。

 シスコンの悠人が、側に佳織に見られていると知って何のアクションも起こさないはずが――――

 

 悠人、動かず。

 

 横島もエスペリア達も目を疑った。妹を一瞥すらしないというのは、これは流石に可笑しい。例えるなら、横島が裸のねーちゃんを無視するようなものなのだから。

 この怪現象の謎に、いち早く気付いたのは『天秤』だった。

 

『なるほどな、そういうことか。どうやら悠人はオーラフォトンを調節して、音を遮断しているな。それに一定以上の光の強さも遮断できるようにしているようだぞ』

 

(マジか。それで、サイキック猫だましも、シスコンや○○って挑発しても何も反応ないって訳か)

 

 意外と器用なオーラの使い方に横島も驚愕した。

 このオーラの使い方は、間違いなく横島の小細工に対応するために作り上げたのだろう。

 『アーアー聞こえない型オーラ防御壁』とでも言うか。

 

 しかし、種が分かればこちらのものだ、と横島は小悪党ような笑いを浮かべる。

 

(視覚だけは完全に塞いでないんだろ?)

 

『うむ、一定以上の光の強さにのみ対応させているのだろうな』

 

「出かしたぞ『天秤』。それだけ分かればこっちのもんだ!!」

 

 横島は右手に霊力を集中し始める。

 霊力。それはこの世界では横島と現時点で確認されている雪之丞だけが使える特技。

 本当の意味での反則で、世界すら騙す力。違法改造、チートに属する異端の力だ。

 

 しかし、それは異端の力だというだけであって、別に強力という意味ではない。

 サイキックソーサーやハンズオブグローリーは威力という点では神剣の足元にも及ばなくなりつつある。

 受け止める所か、逸らす事すら困難なほどに霊力は力不足だった。特に悠人の『求め』を相手にするなんて、紙の盾で大砲を受け止めるようなものだ。

 だから横島は霊力の出力を上げるというのは諦めて、柔軟性と精密動作を上昇させる事を目標として鍛錬していた。

 

 かつて心眼は言った。

 霊力を一点に集中させることが基本だと。

 その教えの通り、横島は霊力を扱ってきた。その極致が文珠だろう。

 だが、そろそろ基本を卒業してもいい頃だった。

 

「チチのように柔らかく、シリのように張りがあって、フトモモのようにしなやか。それが霊力……つまり、霊力とはチチシリフトモモのことだったんだよ!!」

 

『何だってー!! ……一応突っ込んだぞ』

 

「うむ!」

 

 満足そうに横島は頷く。『天秤』は横島の相棒になれるように無理矢理でも彼につき合っているが、恥ずかしそうだ。結局、『天秤』は真面目な性分なのだろう。

 馬鹿なやり取り。

 しかし、横島が今やっていることはとんでも無かった。

 

 か、お、り、い、る。

 

 霊力がミミズのようにうねうねと動いて文字を作る。

 元の世界の霊能力者が見ていたら、驚愕で目を点にするだろう。

 

 霊力は無形だから、形を変えるというのは不可能ではない。

 だが、霊力は粘土などではないのだ。雲のように吹けば吹き飛ぶ代物で、だからこそ一箇所に纏めて硬くしたり、符や呪詛、あるいは炎などに返還して運用するのが普通である。というか、そうする以外に運用方法がないのだ。

 

 横島は、簡単にその常識を打ち破った。

 ただ、そうしたいと思っただけで、特に練習をしたわけでないのに、発想をそのまま形にして実践してしまう。

 悠人が考えるとおり、彼は間違いなく天才なのである。

 まあ、この技がこれから役に立つのかは、はっきり言って難しいだろうが。

 

 悠人は『かおりいる』の文字を見て、ついに意識を横島から外した。見物席にいる佳織の姿を認める。

 兄として、妹に格好良い姿を見せたい。

 これは、シスコンの強力な願望だった。

 妹の目があると分かった途端に、悠人は酷く自分が格好悪くてみすぼらしい戦い方をしていると恥ずかしくなった。どんな手段を取ってでも横島と引き分けてやる、という気概は消えて、横島を格好良く倒したいと見栄が涌いてくる。

 『求め』を持つ手に自然と力が入った。必然的に体にも力が入り、筋肉が盛り上がる。

 

「あっ、駄目です、ユート様!」

 

 エスペリアが思わず叫ぶ。

 悠人の姿勢が、明らかに攻撃態勢に変化した。横島の策に乗せられたわけである。

 だが、悠人も馬鹿では無い。自分が横島の策に乗せられている事など分かっている。

 ならば、それ相応の対策を立てればいい。

 

「いくぞ!」

 

 守りのオーラを打ち消し、悠人が飛び出す。

 すると、待ってましたとばかりに横島がぴょんぴょんと辺りを跳ね回り始めた。相手に隙が出来るように立ち回り、一撃を狙おうというのだ。本人曰く、『蝶のように舞い、ゴキブリのように逃げ、蜂のように刺す』

 

(分かってるさ、隙を――――くれてやる!)

 

 持久戦の構えを解いた今、下手に長く戦うと地力の差が大きく出ることになる。

 だから、悠人はすぐに博打に全額を叩き込むような勝負に出ることにした。

 

「うおぉぉぉぉ!!」

 

 気勢の声を上げ、ラキオスの剣術の型のまま、大上段から会心の一撃を振りおろす。

 二の太刀を考えず、初太刀に全てを込めた一撃を――――

 

「うひょう!」

 

 横島は体を逸らし奇声を上げてあっさり避ける。これが現実。悲しい程の実力差だった。

 一撃に全てを掛けた悠人は前のめりになる。生まれた隙に、横島は容赦無く鋭い突きを繰り出した。

 

 エスペリアは目を瞑って嘆く。勝負ありだと。

 

「まだよ」

 

 いつのまにか隣で戦いを見つめていたヒミカが、静かに言った。

 大きな炸裂音が響いて、エスペリアは顔を上げる。

 

 『求め』と地面にぶつかり合った瞬間、地面が火を噴いて破裂した。

 エクスプロード。『求め』の刃からオーラを流し込んで相手を破壊する技を、地面に使用したのだ。

 爆破の勢いを利用して、ありえない速度で切り上げる。それが悠人の博打の正体だった。

 言うまでもなく、滅茶苦茶な、多くの欠陥を秘めた技だ。訓練でも百回やって一度でも成功すれば良い方だった。

 

 本番に強いのが、主人公の特権の一つである。

 

 博打は成功した。

 地面を破裂させつつ、雷が天に駆け上るような切り返しの一撃。

 殆ど無理やりに軌道を変えたために手首が悲鳴を上げるが、悠人の鍛えてきた肉体は彼の要望に耐え切ってくれた。

 

 初太刀に全身全霊を込めたにも関わらず、二の太刀は初太刀を超える速度の切り上げを行う。

 切り返しを早くすると言う剣術の基本を突きつめた極限の動きは、遂に横島を捉え――――

 

「のおぅわー!」

 

 捉えきれない。

 横島は軟体動物のように体を気持ち悪くくねらせて、どうやってか空中で方向を転換させる。

 

 ――――何でだよ!? ここまでして!!

 

 ここまでしても当てられない現実に悠人は絶望しかけたが、『求め』の刃は何かを捕らえた。

 硬音が辺りに響く。捕らえたのは横島ではなく、彼の持っていた永遠神剣『天秤』だった。

 

 『天秤』が横島の手を離れ、空高く飛翔する。

 神剣が意図せず手から離れる。神剣使いにとって、これはただ武器が無くなるという意味では無い。

 神剣とは武器であり、盾であり、鎧であり、速度であり――――つまり、全てだ。

 いくら横島でも、神剣無しでは戦いにならない。

 

 ――――勝った。横島に勝った!!

 

 遂に手に入れた勝利に、思わず万歳三唱をしそうになって、慌てて自重する。

 勝負はまだ付いていない。油断するには早い。しかし、そう自戒をしても溢れ出る勝利の確信で悠人は笑みを抑えきれない。

 いくら霊力があっても、神剣には到底及ばない。唯一警戒しなくてはいけないのは文珠だが、それはまだ生成できてないと聞いている。

 負ける要素は無い。

 

「俺の勝ちだ……横島!」

 

 最後の一撃を加えるべく横島に接近して、『求め』の刃を寸止めで当てようとして、異変に気付く。

 

(神剣の加護を受けていないはずなのに、足元に魔法陣がある?)

 

 それは異変。

 エトランジェは神剣の加護を得ると足元にクルクル回る魔法陣が現れる。それが横島にあった。

 可笑しい。神剣は握っていなければ加護を得る事は出来ない。その神剣は空中にあるのだ。

 手でも伸びなければ空中の神剣をつかめるわけは無い。

 いくら横島が天才でも変態でも、物理的に手を伸ばせるわけが無いではないか。

 

 悠人は何が起こっているのか確認すべく、視線を空中の『天秤』に移した。そして、驚愕する。

 比喩でも誇張でも無く、横島の手は伸びていた。光り輝く手が、遥か空中に飛んだ『天秤』を掴んでいたのである。

 

 ――――神剣を栄光の手で掴んで!?

 

 悠人が認識できたのはそこまでだった。

 次に目に映ったのは、心配そうに自分を見下ろす佳織の顔だった。

 

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」

 

「……か、佳織か。あれ、俺は……痛っ!」

 

「動かないで! 血が、血がどばーって出て……それが金色のキラキラになって!?」

 

「そっか。大丈夫、大丈夫さ。もう慣れっこだから」

 

 仰向けに倒れながら、悠人は佳織に笑いかける。顔と胸部に鋭い痛みを感じていたが、隣でエスペリアが回復魔法を唱えてくれているからすぐに痛みも引くだろう。

 

「負けたか」

 

 千載一遇のチャンスを逃したと気付いた悠人はがっくりと気落ちした。

 悪い手では無かったと思う。あと一歩。あと少しで横島を倒す事は出来たはずなのだ。

 敗北の原因を考える。負けた時は、すぐに敗因を検討して立ち上がるのが戦士と言う者だ。訓練で負けて落ち込んでいる暇などない。

 どうして負けたか。原因はすぐに分かった。

 

 油断と驕り。

 

 勝った、と勝負はまだ決まっていないのに思ってしまった。

 俗に言う『フラグ立て』だが、フラグというのは勝敗を確かに影響させる要素があるからこそフラグなのだ。

 冷静に攻めていれば、勝利は十分ありえたはずだった。

 

(俺は横島に負けたんじゃない。自分に負けたんだ)

 

『ふん、言い訳を。スピリットを犯し食らってマナさえ得ていれば、こんな無様を晒す事などなかったというのに』

 

 『求め』がブツブツと文句を言っていた。

 相変わらずのマナ中毒具合に悠人は苦笑する。

 おなじみの『求め』の愚痴を聞いていると、何だか気分が落ち着くのは不思議だった。痛みを伴う干渉でなければ、愚痴ぐらいなら聞いてやってもいいぐらいの余裕を持ち始めていた。

 

「それで……佳織はどうしてここに来たんだ?」

 

「えっと、お兄ちゃんの……仕事を見たくて……応援したくて来たんだけど」

 

「気持ちは嬉しいけど、来ないほうがいいぞ。はっきり言って、危なすぎる」

 

 やや厳しめに悠人が言って、佳織はちょっと落ち込んだようだ。

 

「あまり佳織ちゃんを子ども扱いすんなよ」

 

「分かってる!」

 

 横島に言われて、語気を荒げて答える。

 

 ようやく痛みも引いて、悠人は「よっこらせ」と起き上がって横島に向き直る。

 

「それにしても、何時の間にあんな事ができるようになったんだよ。あんなの、始めてみたぞ」

 

 栄光の手で神剣を掴んで力を引き出す。

 初めて見た芸当だ。神剣を手放したら負け、という神剣使いの常識をひっくり返す『騙し』のテクニック。

 とても横島らしい反則技だと、悠人は思った。

 

「そ、そりゃまあずっと前から出来るようになってたさ! お前は俺の手のひらの上で遊ばれてただけ――――」

 

「嘘だ。神剣を弾かれたヨコシマは、とても焦ってた」

 

 いつのまにか横にいたアセリアが珍しく口を出してきた。アセリアが嘘を吐くということはない。だから、アセリアの言うことは真実だった。

 横島は不満そうにアセリアを睨んだが、当のアセリアはきょとんとした顔で横島を見つめ返す。何となくアセリアに苦手意識を持つ横島は、腹立たしげにガリガリと強く頭を掻いた。

 

「咄嗟にじゃい! まったく、騙し打ちしようとしやがって。もう少し俺のように真面目に戦えってんだ」

 

 横島の発言には、誰も突っ込まない。

 

「咄嗟に……か」

 

 悠人は項垂れた。

 時間を掛けて練習してきた技が、咄嗟の思いつきに敗れる現実。

 差があるのは知っている。サザエ時空でずっと戦い続けてきた横島とは戦いの年季が違うのは理解していた。

 それを分かっても、努力を嘲笑うかのような結果に唇を噛みしめないわけにはいかない。

 

 落ち込む悠人にエスペリアは軽く寄り添った。

 

「本当に惜しかったです。次は……いつかきっと勝てますから」

 

「……そこは次は、で通してほしかったな」

 

「あ……すいません」

 

 エスペリアが頭を下げるが、実のところ悠人もしばらくは勝てないだろうと思っていた。

 一度見せた技がそのまま通用するほど戦いは甘くない。

 有効な技には違いないだろうが、以後に同じ技が横島に通用することは無いだろう。

 もう、制限時間の縛りも認める事もないはずだ。

 次に勝つのは無理だろう。そう、次は無理。でも、その先はきっと勝つ。

 

「無駄無駄じゃーい! 悠人、貴様はずっっっと負け続けるのだー!!」

 

「ふん。いつか絶対に倒してやるさ」

 

 明らかに悠人は横島を目標にしている。横島も悠人に負けないように強くなっている。

 

 好敵手。ライバル。

 

 二人の関係はそんな感じだ。いがみ合いながらも、悪い関係では無い。

 ただ、平和主義の佳織だけはそう思わなかった。

 理由はどうあれ、二人は互いより強くなろうとしている。

 これがスポーツなら良い。だが、何と言葉を取り繕うと、殺し合いの強さを比べているのである。

 

 もし、何かの拍子で二人の関係が崩れたら。

 

 睨み合う二人を、佳織だけが不安げに眺める。

 セリアやヒミカは、会話に加わらず黙々と神剣を振り続けていた。

 

 

 それからさらに一週間が経った。

 あれやこれやと慌しくも喜びに満ちた毎日だったが、ようやく佳織フィーバーもひと段落ついたようだ。

 悠人も佳織もこの生活に慣れてきたようで、この世界でささやかな幸せを噛み締めて生活している。

 

「夕焼けが綺麗だね」

 

「そうだな」

 

 佳織と悠人の二人が、第一詰め所のリビングで夕焼けを眺めていた。

 地平線に沈み始める太陽は地球のそれよりも美しく見えた。周りの緑が朱に染まっていく様は、まるで大地が紅葉でもしているようだ。

 

「わははは! そうだろそうだろ、もっと夕焼けを褒め称えるが良い! ビバ・夕焼け! ハイール・夕焼け!」

 

「なんでお前が偉そうなんだよ。というかどうしてここにいる!」

 

「フッ、夕焼け検定一級の資格を持つ俺に挑むとは愚かな!」

 

「だれも挑んでねーよ。それに夕焼け検定一級って何だ。そもそもまず質問に答えろよ!」

 

 夕陽を浴びると何故かハイテンションになる横島に、悠人はうんざりした。夕陽を浴びた横島は、どういう訳かウザさが100倍になる性質があるのは有名だったりする。

 せっかく久しぶりに妹と二人きりになれたというのに、横島がいると賑やか過ぎて精神的にキツイ。

 悠人は基本的に騒がしいのがそれほど好きではないのである。

 

「でも、本当に綺麗だよ、お兄ちゃん」

 

「この美しさが分からないとは……悲しい奴め」

 

「一瞬、だけど閃光のように! って感じですね」

 

「待て、佳織ちゃん! それは合ってるけど何か違うぞ!?」

 

「でも、横島さんには何か似合ってるような台詞だと思うんですけど」

 

「……仲良いな」

 

「また嫉妬か。妹離れできない奴め」

 

「黙れ変態」

 

「お兄ちゃんと横島さんも、とても仲良く見えるけど……」

 

「それはないぞ、佳織ちゃん」

 

「ああ、無いな」

 

「ほら、やっぱり仲良いじゃないですか」

 

 三人は賑やかに会話する。

 その一方で、内部にいる二人もお喋りに興じていた。

 

(まったく、ヨコシマったら。夕焼けで盛り上がっちゃって)

 

(随分とうれしそうだな)

 

(ちょっと嬉しいだけよ。この世界の夕焼けも綺麗だし……フフ)

 

 こんな会話もここ最近、内部でされている。

 ルシオラは惚気ているつもりではないようだが、『天秤』からすれば立派な惚気だった。

 自分もエニと色々と話したかったなあ、と『天秤』は今更ながら思っていたりする。

 

「あっ、沈んじゃう」

 

 太陽が地に没し、変わりに夜の帳が落ちてくる。

 茜色が闇色に塗りつぶされていく様子に、三人の会話が途切れた。

 明けない夜が無ければ、沈まぬ陽も無い。そんな当たり前の事が酷く怖い事に思える。

 生まれた沈黙は数秒程度にも、また一分以上にも感じられたが、佳織が悠人に向かい合って口を開いた。

 

「……ねえ、お兄ちゃん。好きな人とか出来た?」

 

「な、なんだ唐突に」

 

 急な話題振りに、悠人は結構戸惑った。

 

「だって、お兄ちゃんの周りには、あんなに素敵な人ばかりいるから。誰が私のお姉さんになるのかなーって」

 

 佳織の脳裏に浮かんでくるのは、アセリア、エスペリア、オルファと言った面々。年齢や容姿に違いはあるが、全員魅力的なのは間違いない。悠人もそれは認める。しかし、いくらなんでも話が飛びすぎだ、と悠人は思った。

 

「特にいないな。そんな事を考えてる余裕も無かったし」

 

 アセリア達をまったく意識したことはない、という事は無い。健全な男子高校生として、美人で魅力溢れる女性達と一つ屋根の下で暮らし、全裸で一緒に風呂にまで入ることもあるのだ。何の感情も抱かない方が難しい。ドキリと胸の高鳴りを感じたことは多々あった。

 だが、如何せん今までは余裕が無さすぎた。何せ初めは言葉も分からなかったのだ。それに毎日のように体力の限界まで訓練して、さらに拷問レベルの苦痛に、何もかも犯しつくしたくなるような性欲には襲われる。そして戦争による人殺し。死線を潜り抜けた事はこの数カ月で何度もある。毎日が必死で、そういった方向に思考を持っていくのは難しかった。

 

「でも、ようやく自由な時間ができたし。本当に、何も感じたことないの?」

 

 しつこいぐらいに話題を振ってくる。少し不思議に思う。兄妹として長く一緒にいたが、こういう話題になることはなかったからだ。

 何となくだが、お互いに色恋沙汰を避けていたように思う。そういった事は考えないよう、触れないようにしようという暗黙の了解があった。

 

「アセリアさんは? とても器用で、綺麗で、可愛くて、不思議な魅力があるように見えるけど」

 

 アセリア・ブルースピリット。

 悠人がこの世界に飛ばされて、スピリットに(性的な意味で)襲われ食われた時にやってきて助けてくれたスピリット。

 表情は乏しく常にぼやーっとしているが、好奇心が強く手先が器用で、気がついたら傍に居てくれることが多い。

 エスペリアやオルファ達と談笑していると、話に混ざらなくてもじっと耳を傾けている。壊滅的だった料理の腕も、時間を見つけては練習してメキメキと実力を伸ばしているようで、努力を努力と思わない純粋さを持っている。

 佳織の言うように、不思議な、他の誰にも無い魅力を持っていると悠人もぼんやり思っていた。

 

「う~ん、そういう感情は特に無いな。だってアセリアだぞ。恋愛とか無理だろ」

 

 心の中では佳織の言っていることを肯定していたが、悠人はそう言って否定する。

 好意を口に出すのは、かなり気恥ずかしいものだ。天然むっつりにしてヘタレと名高い悠人には、とても本音を言うことなど出来なかった。まあ、アセリアが恋に落ちている姿を想像できないと言うのも確かな理由ではあるが。

 

「それじゃあエスペリアさんかな。甘えさせてくれそうな人だし」

 

 エスペリア・グリーンスピリット。

 言葉も分からずに途方に暮れていた時、優しく親切にこの世界を教えてくれた恩人。言葉も、食事も、常識も、どれだけ世話になっていることか。

 エスペリアが居なかったら肉体的にも精神的にも死んでいたと、悠人は疑っていない。

 それだけではない。自分の精神を守るため、性的な奉仕までしてくれている。

 悪い悪いと思って拒否はしているものの、結局最後は流されて欲望を処理されてたる。最後の一線はなんとか越えていないものの、それはそれで欲求不満が溜まるという意味不明な悪循環。若い悠人は賢者モードに突入できる時間が短いのだ。

 

 スピリットを道具と考え、人にただ尽くそうとするエスペリア。

 彼女の持つ神剣『献身』の名の通り、彼女の献身は自己犠牲の領域まで達していて、どこか影があるエスペリア。

 そんな彼女を、悠人はなんとか笑顔にしたいと願っていた。

 

「エスペリアは俺の事を弟みたいに思ってくれているんだと思う。俺も……姉みたいに思ってるし」

 

 悠人はエスペリアに持つ多くの想いを抱えながらも、彼自身は姉と弟のような関係と評した。本人はこれが無難な切り返しだと信じた。

 だが、佳織はこれが兄の最大級の讃辞であると知っていた。

 

 愛ではあるが、恋ではない。悠人が言っているのはこういうことだ。

 しかし、男女間の恋と愛は非常に曖昧なもので、一説には愛など存在しない――――と、とある本で佳織は呼んだ事があった。

 

「それじゃあ……オルファ?」

 

 オルファリル・レッドスピリット。

 苦しいとき、あの元気さと無邪気さにはどれだけ助けられてきたか。

 それに無邪気で幼いといっても、意外と空気を読んで気が利いたりする。大人にとって理想の子供に近い。

 家事や炊事も鍛えられていて、その料理の腕は一級品だ。第二詰め所のネリー達とは比べ物にならないほどである。また、エスペリアに言わせれば輪郭や目じりがある種の黄金比らしく、世界で最高の美人になる事は確定しているらしい。

 オルファリル・レッドスピリットの未来は輝かしいものになると約束されている、はずだったのだ。

 

 いつかオルファに訪れる試練。

 エニや自分が殺したスピリットが帰ってくるとオルファは信じている。狂った教育で、オルファ生来の優しさは歪まされてしまった。オルファに殺されたスピリット達は地獄の苦しみを受けてマナの霧に帰っていった。

 

 真実を知ったとき、優しいオルファはどれだけ打ちのめされるのか。

 その時こそ、今までの恩返しをすべきである。オルファの隣にいて、彼女を支えるのだ。

 その為にも自分は強くならなければならない。もしもオルファが神剣を捨てると言っても受け入れるつもりでいる。

 

 とまあ、こんな強烈な気持ちをオルファに抱いてはいるのだが、こんな恥ずかしい気持ちを言える悠人ではなく、

 

「いくらなんでもオルファはないだろ。どれだけ年が離れていると思ってるんだ」

 

「この作品の登場人物は全員18歳――――」

 

「うるさいぞ横島! そのネタはやめろ!!」

 

 語気を荒げて横島が言おうとしていた言葉を潰す。少々ムキになっているところが横島には気になった。

 こんな風におちょくられるのに慣れていない所為か、それともどこか心に引っかかるものがあるのか。そこまでは横島も佳織も、悠人すら定かではなかった。

 また、年が離れている事を理由にしたが、もし年が離れていなかったらどうなるのだろうか。

 

「それじゃあ、第一詰所には誰もいないの?」

 

「う……」

 

 悠人にとって、この第一詰め所のメンバーは全員家族のようなものだ。戦友や仲間と言った言い方も出来るが、あまりしっくりこない。

 そもそも、恋という感情自体が悠人にはピンとこない。

 初恋は何時だと聞かれたら、まだしていないと答える事になってしまう。

 幼いころに親を二度亡くし、周囲の助けを一切借りずに過ごしてきた悠人にとって、佳織の事が落ちつくまでは自分の事は後回しなのだ。

 佳織の事が落ち着く、というのは何をもってすれば落ち着くと言えるのか、悠人自身も分かっていないのだが。

 

「それじゃあ、他に好きな人がいるとか?」

 

 アセリア達以外の女性。パッと思い浮かんだのはセリア達第二詰め所のスピリットだが、彼女らはあくまで友人であり戦友であるというだけだ。

 勿論、日本でただ挨拶だけをしていた級友などと比べれば遥かに繋がりはあると思っているが、背を任せる事ができる大切な仲間以上の存在にはなりえない。そもそも、手を出したら横島に殺される。冗談ではなく、だ。

 次に出てきたのは二人の女性の姿。

 

 賑やかで明るいレムリアという少女。

 あの少女がいたからこそ、自分はまだこの世界を憎悪しないでいられるような気がする。

 

 そして、こちらも町の中であった金髪で褐色肌の女性。名前は知らない。

 シアーを探す為(日常編3)に町を歩いる時に知り合って、少し話したのだ。

 歩く姿が美しく、古風な喋り方をする女性。妙に印象に残っていた。

 

 しかし、この二人も何だか気になるという程度で、とても恋愛感情などと呼べるものではない。

 

「いないさ」

 

「いないの?」

 

「ああ、いない」

 

 声に出して言うと、若干の寂しさとそれに勝る安心感が胸に湧いてくる。

 ずっとこのままでいいんだ。佳織の事が片付くまで恋などしない。そんな暇なんて無い。

 悠人は心中で呟いて、佳織に笑顔を向ける。すると、佳織は儚げな――――色を失った笑顔を浮かべて、

 

「そうなんだ……じゃあ、私は?」

 

 空気が凍る。

 悠人があえて目を逸らし続けてきた事を、佳織は突きつけた。

 血の繋がらない兄と妹。誰よりも近しい家族。何よりも大切な異性。

 

「か……おり?」

 

「私じゃあ、お兄ちゃんの隣にいられないのかな」

 

 いくら鈍感な悠人でも、それが妹としての言葉ではなく、異性としての言葉であると理解できた。

 喉がカラカラに乾いていく。激しい動悸で胸が痛くなって、体は火照り、背筋だけは寒くゾッとした。

 

 果たしてここで何と答えればよいのか。

 笑い飛ばして場を流す事は、真面目でボキャブラリーが少ない悠人には出来ない。かといって、真面目に対応してその想いに応えるわけにはいかないし、冷たくあしらうなんてことも出来ない。

 顔色を蒼白に染めて、立ち尽くす悠人。

 

「ずっと側に居てくれて、幸せにしてくれるんでしょ。だったら、そうなるしかないんだよ。なっちゃうんだよ」

 

 幾つもの色が込められた佳織の言葉。そこに込められた想いは複雑で、朴念仁に読み取る事などできはしない。

 求められている。しかし、同時に拒絶されている。相反する気持ちが渦巻いているのは悠人にも分かっていた。

 悠人はただ立ち尽くす。

 

 本当にこれが佳織なのか。

 この告白を言うのに、どれだけの勇気が必要なのだろう。

 佳織は、ここまで強かったのか。

 

 ふと、以前横島に言われた言葉が蘇ってくる。

 「佳織ちゃんをあんまり子供扱いしてやんなよ」 

 その時は分かっていると答えたが、ひょっとしたら分かっていなかったのかもしれない。少なくとも、自分が知っている佳織はこんな大胆に、禁断の領域に踏み出してくる勇気など無かったはず。

 

「お兄ちゃん。私は……私ね」

 

 進むも地獄、退くも地獄。さりとて留まる事はできぬ。

 進退窮まったかのように見えた悠人だったが、ここで助け舟が漕ぎ出される。

 

「ふ、ふふふ。許さん……こんな展開許さんぞぉぉぉぉぉぉ!!

 

 カイザード・アルザード・キ・スク・ハンセ・グロス・シルク

 灰燼と化せ冥界の賢者 七つの鍵をもて開け

 地獄の門 七鍵守護「やめろ、この馬鹿は!!」グエェ!」

 

 禁呪を発動させようとした横島を慌てて止める。いくら横島でも使えるわけがないとは思うが、この男ならやりかねない。

 もっとも、ギャグモードなのでたとえ発動しても精々アフロ人間が量産されるだけだろうが。

 

「いきなり何しようとしてやがる!」

 

「そりゃこっちの台詞じゃあー!! 俺を無視してラブコメするなー! 主人公だぞ! 俺は主人公なんだぞ!!」

 

「それが何だ! 俺だって主人公だ!!」

 

 完全に場の空気が変わってしまった。

 

 今の横島の行為は空気が読めなかったのか、それともある意味読んだのだろうか。

 横島と睨みあう兄の姿に、佳織は小さく肩を落とす。

 そして、性急すぎたかなと反省していた。

 

「あはは……横島さんは誰か好きな人はいるんですか」

 

 話の対象が横島に移ったことに、悠人は心底安堵した。

 ほっとした表情の悠人に、佳織は小さく「意気地無し」と呟く。しかし、佳織も同じようにほっとした顔をしていた。恐怖していたのは、話を切り出した佳織も同じだったのだ。

 

「勿論いるぞ! この世のありとあらゆる美人のねーちゃんだ!!」

 

 自信満々にそう答えた横島に、佳織は目をぱちくりさせる。驚く佳織に、悠人は「横島はこういう変態なんだ」と呆れを込めた口調で耳打ちした。

 佳織は腕を組んで納得いかないように「むー」と唸る。

 

 本当にそうなのだろうか。

 佳織はどこか納得できない。確かに誠実そうには見えないし、女好きなのは間違い無いし、嘘をついているようにも見えない。町での横島の様子だって直に見ている。

 しかし、どこか違和感が拭えなかった。多くの女性を侍らす横島の姿が想像できないのだ。

 

「美人って言うと、セリアさんとかですか」

 

「うむ、セリアか。セリアはいいぞ! 色々厳しいが、それが愛情の裏返しである事は一目瞭然。細かい気配りをしつつ、それを表に出さない少し捻くれたところもまた良し。ハリオンさんとは別種の母性もあってな、作ってくれる料理も家庭的でほっとする味なんだ。それにあのツンとした性格とポニーテールの相性は抜群。あれでデレられたら、もう辛抱たまらん!! 強そうに見えて、意外と脆い部分があるのもチャームポイントだ。献身的で、病人を甲斐甲斐しく世話して、辛い事を辛いと言わずに頑張っている姿を見れば、男として奮い立たないわけが無い。さらに―――――」

 

「え、ええ……えーと! ちょっと待ってください」

 

 物凄い勢いで喋りつづける横島を佳織は慌てて止める。

 元の世界に口から先に生まれたような友人がいたが、それに匹敵するマシンガントーク。

 このままだと何時までも喋り続けていくような気がした。

 

「とにかく、セリアは可愛くて美人なのだ。いつか絶対に……ギュフフ!」

 

 涎を垂らしながら、横島は欲に塗れた満面の笑みを浮かべる。

 佳織は恥ずかしさから頬が紅潮するのを感じた。自分の事ではないとはいえ、臆面もなく言える様な事ではない。無論、ただ美辞麗句を並べたわけでもなく、心からそう思っているのも伝わってきた。

 もし、兄にこんな口説かれ方をされたら――――兄にそんな芸当無理か。ギュフフ、なんて笑い方されても困るし。

 たはは、と苦笑いを浮かべる佳織に、悠人は「流石に佳織も、この女好きには呆れるようなあ」などというたわけた感想を持っていた。

 

「じゃあ、横島さんはセリアさんが好きなんですか?」

 

「ふっ! 正確には、セリアもだな!!」

 

「えっ?」

 

「佳織ちゃん、男には、やらねばならん事があるのだよ!」

 

 何だか分からないけど、やらないほうがいいと思う。

 

 佳織は自信満々な横島を見て、素直にそう思った。

 

「え、え~と……他にも好きな人がいるってことですか。ヒミカさんとか?」

 

「うむ、ヒミカか。ヒミカの良さも沢山あるぞ。真面目で突っ込みも中々冴えてるし、お菓子作りが得意だったりな。中でも最大のポイントは可愛いところだ。見た目はショートカットでスタイルもまあ……だし、快活で、色気が足りず、少年っぽく見えることも多い。けど、鏡の前で『おっきくならないなあ……』って言ってため息をつくヒミカは最っっっ高に可愛い! ピンクのエプロンを見て、『こんなの似合わないよね……でもちょっとぐらい……』と言って着て、鏡の前でふわりと回転。そして赤面!! これにゃあ参ったねほんと。さらに――――」

 

「ストーップ!」

 

 またしても暴走気味に話し始めたので慌てて止める。

 ヒミカが美人であるという事に何ら疑う余地は無いが、色気という点から見ると他より一歩引くのは仕方が無い。

 だが何も、女性らしさという点は、色気だけが焦点になるわけではない。

 仕草や立ち振る舞いこそが重要である。その点においてはヒミカは誰よりも可愛らしいと横島は思っていた。

 そして、可愛いという褒め言葉は、ヒミカにとって最高の言葉であるだろう。

 彼女は誰よりも、女性らしく、可愛らしくなりたいのだから。

 

「それじゃあ、ハリオンさんは? あっ、ちょっと短く言ってください」

 

「ハリオンさんか。ふ、そうだな。短く纏めて言えば、やはりあの笑顔だろう! あの笑みを向けられたら大半の男は墜ちる! いや、墜とされるべきだ!! 膝枕されて耳掃除でもされてみろ! もうこの世に生まれてきて良かった――――!! ってなるよな。

 ハリオンさんの魅力はそれだけではない! 魅力の一つに、天然お姉さんという人類が求める究極のパッシブスキルを持っている。膝枕なんてされてみろ。フヒヒ……ムヒョウー!!」

 

 ハリオンの評価は悠人には少し意外だった。てっきりスタイルの良さを、特に胸に関することをプッシュしてくると思っていたのだ。

 悠人は貧乳も巨乳もOKな典型的優柔不断むっつり型ギャルゲー主人公タイプで、ハリオンと話す時は目のやり場に困ることが多々ある。あの笑顔を見ると顔が熱くなって、仕方なく視線を落とすとそこにあるのはチョモランマ。さらに下に目をやるとムチムチのフトモモ。

 身体的なセックスアピールは恐ろしいものがある。

 

 だが、今の横島の発言は、ハリオンのスタイルや顔というよりも性格等の中身に重点を置いているようだった。まさかハリオンの容姿が好きではないという事はないから、それ以上に彼女の内面に惹かれているのだろう。

 

「それに、ハリオンさんは……」

 

 勢い良く喋っていた横島の表情がいきなり曇った。どこか憂いを感じる、今まで見たことが無い表情。一体どうしたというのだろうか。

 静かな愛情を感じた佳織は胸が痛くなった。

 

「え、えーと……それじゃあ、ナナルゥさんは?」

 

「うむ、ナナルゥか。容姿は一言で言えば美人だな。俺の主観だが、今まで出会った女性達の中で最高の美人だ。

しかもメチャクチャ面白い性格でな、美人で真面目なのに面白いってのはかなりポイントだぞ。俺と組んで夫婦漫才でもやれば、この世界を笑いの渦で沈める事を造作も無いことさ。さらにあれで意外と熱い所があってな。愛とか笑いとかに興味を持ってたりしていて、エキセントリックな魅力においては他の追随を許さないな」

 

「ほー」

「へぇー」

 

 これもまたかなりの高評価だ。特に興味深いのは夫婦漫才のくだりだ。戦いが完全に終わった後の事を考えて言っているのなら、一番評価が高いのではないだろうか。

 悠人も、あのナナルゥと付き合うなら横島ぐらいの突拍子の無さが必要だと密かに思っていたりする。逆に、横島とまともに付き合えるのもナナルゥだろう。

 

「ファーレーンさんは?」

 

「ファーレーンさんか。ファーレーンさんは普通だな。ここで勘違いしてはいけない! 普通と言うのはくせが無いって意味だ。他のみんなは魅力的だが非常にあくが強いからな。その点、ファーレーンさんは一緒にいると心休まるというか……ほのぼの出来る。

 それに、とってもしっかり者だけど妹のニムが絡むと面白くなるし、俺なんかの口説き文句で真っ赤になってくれるのも嬉しい! 料理も家事も問題ないし、赤面症の所為で仮面を着けていて顔が見れないのは残念だけど、だからこそたまに見える素顔は堪らなく魅力的だ。美人の嫁さんを貰って退廃的に暮らす、という俺の夢にもっとも合った人だろう。ファーレーンさんとのんびり毎日過ごして……ゆっくり年を取れたら幸せだろうな」

 

「…………」

「…………」

 

 二人はもう言葉がなかった。本当によくもまあここまで恥ずかしがらず褒める事が出来るものだと呆れるくらいだ。

 相手の良い所見つける能力に優れているのか。話を聞いてるだけで、横島がどれだけ彼女らに好意を抱いているのか伝わってくる。悠人も横島の話を聞いていると、なんだかセリア達が考えていたよりも素晴らしい女性達なのだと思ってしまう。

 口が旨い、というよりも、とにかく心が込められているのが分かった。これだけこの男の心を捉えているのだから、さぞ素晴らしい女性に違いない、そんな論法だ。

 なにより、セリア達を語る横島は心底楽しそうなのだ。欲望に満ちているのに、それは陰性ではなく陽性の笑顔。セリア達を語る横島は幸せそうだった。

 

「なあ、横島。お前はいつもそんな事を第二詰め所で言ってるのか?」

 

「勿論だ! 全スピリットハーレム計画は常に発動中だからな。まあ、口よりも体が動いちまうんだが」

 

 男子高校生の業ってやつだな。

 横島はそんな風に言ってなんだか楽しそうに笑った。当然だが、そんな業など無いのは言うまでもない。

 そんな横島に、二人は顔を見合わせて呆れたような面白いような表情を作った後、どちらとも無く溜息をついた。

 きっと、今言った四分の一もセリア達には伝わっていないのだろう。口説き文句を言い始めたら、すぐにセクハラ行動を取ってぶん殴られる。そんな事を何ヶ月も繰り返しているのだ。また、普段が普段だから真面目に聞いてくれない可能性も高い。

 女性を褒めるというのは、ナンパの基本であり、極意であり、奥義でもある。その一番重要な部分を、横島は天性に持ち合わせているようだった。今はまだ若すぎる情熱と劣情に押されて出てこないが、年齢を重ねて落ち着きがでたらどうなるのか。それは彼の父親である大樹の姿と重なるのかもしれない。

 

「本当にハーレム作れちゃうかも。スピリットさん達って、褒められることに慣れてないから」

 

「数年……いや、十年は無理そうだがな」

 

 それはどうかな。悠人の言葉に、佳織はそう心の中で答えた。

 

 正直なところ、佳織は驚いていた。横島の明け透けな心と、ある種の純粋さに。

 普通、こういう欲剥き出しな男は汚らしい気がするものだ。相手に警戒だってされるし、良い印象を持って貰える事はない。

 実際、佳織もこういう横島の欲望丸出しは好きではない。だが、何だか面白くて楽しいのは事実だった。

 万人に好かれる性質ではないだろうが、憎めない性質ではある。

 これはきっと稀有な才能だと、佳織は思った。

 

「とまあ、俺はハリオン達をハーレムにするのに頭が一杯なんだ。そこでだ佳織ちゃん、頼みがあるんだが」

 

「はい?」

 

「どうも皆の様子が可笑しくてな。そこで、佳織ちゃんに力を貸してもらおうかと」

 

「またかよ!? というか、それが目的でここに来ていたのか!」

 

 悠人がうんざりしたような声を出す。

 これでもう何度目か。悠人は迷惑そうに横島を睨む。

 

「どうせ、セクハラをして嫌われたんだろ。ヒミカなんてエスペリアから胃に優しいお茶を教えてもらってるしな」

 

「うっさーい! 俺のセクハラは悪いセクハラじゃないぞ」

 

「お前はどこのホイミンだよ」

 

 横島と悠人の言い争いが始まるが、佳織はすぐに醜い争いを一言で止めた。

 

「ヒミカさん達の事はもちろん手伝います。それで、話の続きなんですけど、ヘリオン達はどうなんですか? 好きなんですか?」

 

「いや、ヘリオン達は子供だろ」

 

 横島があっさりと言い切る。

 すると、悠人は口角を上げて冷やかすように笑った。

 

「この作品の登場人物は全員18歳以上だぞ」

 

 言い返してやったぞ、とばかりに悠人は意地悪く笑うが、

 

「いや、年齢は別にいいんだ。俺は体と心が大人だったら一歳でも二歳でもオールオッケーだぞ。ヘリオン達は普通に子供だしな」

 

 横島は平静に答える。それが悠人には少し面白くない。

 もっと慌てふためく姿が見たかった。

 まともである自分がシスコンだロリコンだと散々騒がれているのだ。変態である横島が騒がれないのは不公平だと感じる。

 

 佳織も少し不満だった。

 ネリー達に気持ちになって考えると、こうまで『子供』の烙印を押され続けるのは可哀相に思う。

 いや、ネリー達と自分の境遇を重ねてみると、酷く胸が痛むのだ。

 

 『子供だから』劣情を抱く事は無い。恋慕してはいけない。それが法的に道徳的に生物として、正しい。

 そして、自分の恋慕は正しく無い。ハーレムを連呼している横島さんでさえ、祝福してくれないだろう。

 佳織は悲しくなった。とにかく、悲しかった。

 

「別に、好きだとかじゃないんです。横島さんがヘリオン達に思っている事を言ってくれませんか」

 

 佳織はじっと横島を見つめながら静かに言った。

 横島は佳織の瞳を見た後、僅かに眉をひそめて根負けしたように天井を見上げる。

 

「……そういう頑固な目はやっぱ兄妹なんだな」

 

「えっ?」

 

「いや、こっちの話。

 そうだな、ヘリオンは見てると面白くて元気が出るな。ちっちゃくてちょこちょこ動いてる姿を見ると和むし。からかい易くて楽しいし。努力家で、剣も家事も手を抜かないで、真面目でもあるな。本当に良い子だ。

 それに、俺の事が大好きみたいで、熱視線を送ってくることもあるんだぜ」

 

 横島は楽しそうに笑みを浮かべてヘリオンを語る。

 セリア達を評した時は笑顔であったが欲望に満ちていた。しかし、ヘリオンを語った時は無邪気で楽しげな笑みだけである。

 煩悩が絡まなければ、横島はとても楽しくて面白い兄貴分なのだ。そして、女心に鈍感でもない。きちんと好意を感じるぐらいは普通に出来る。ただ、自分に自信が無いために変な形で解釈することも多いが。

 

「ニムは……ファーレーンさんをゲットするための壁だな。ファーレーンさんと一緒になって、「義兄さん」って嫌そうに呼ばせてみたいな! いや、何時か絶対にしてみせる!!

 それと、ほっぺの触り心地だけは第二詰め所一だろうな。佳織ちゃんも今度ぐにょ~んって引っ張って見ろ。ぷにぷにで気持ちいいぞ。脛を思いっきり蹴ってくるけど」

 

 今度は意地の悪い笑みを横島は浮かべる。

 喧嘩するほど仲が良い。そんな言葉を思い出すような横島の笑みだった。

 

「シアーは子供組みの中じゃあ一番大人っぽいな。体もそうだけど、あれで結構冷静でちゃっかりしてるしな。

 甘えてくるのも上手だし、素直に可愛いと思うぞ。早く大人にならんかなー」

 

 子供組の中で一番の大人はシアーらしい。

 評価も、少し大人組みに近いような雰囲気だ。

 子供組の中では、色々な意味で一歩抜きんでているように思える。

 

「ネリーは……そうだな」

 

 少し真面目な顔になって何かを考え、ふっと表情が柔らかくなる。

 

「ネリーがいなかったら、俺はここに居なかったかもな」

 

 佳織も悠人も、一瞬言葉を失った。

 たった一言で横島がネリーをどう思っているか十分に伝わってきたのだ。他のスピリット達は長々と説明してきたが、ネリーに関しては一言で十分という事だろう。無論、それは悪い意味では無い。

 

「じゃあ、一番大切な人って誰ですか? ハーレムが無理ならこの人だけでもって」

 

 佳織の興味はどんどん増していった。

 この女好きで、相手の良い所を見つけるのが得意な男の人は、はたしてどういう女性に心の惹かれるのか。誰が、一番になるのかだろうかと。

 

「どうせお前の事だから、全員って言うんだろ」

 

 分かっているぞ、とニヤリとしながら悠人が言う。すると、横島はフッと小バカにするように笑い返して、

 

「ハーレムは目標だけど、ちゃんと本命はいるぞ。それはな」

 

「え? ええ!? ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 あっさりと答えそうになった横島を急いで止める。佳織と悠人は心底驚いていた。ハーレムハーレム連呼しているから、きっと物凄く悩むだろうと予想していたからだ。これだけ全員にアプローチを掛けているくせに、どうやら本命はしっかりいるらしい。本当に変な男だと、今更ながらに二人は理解した。

 

 佳織は深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

 極めてプライベートな話を聞くか聞くまいか。

 人の口に戸は立てられない。

 ここで聞いてしまったら、きっと横島の気持ちは自然に相手へと伝わってしまうだろう。

 

(うん、聞いちゃおう)

 

 結構あっさりと決断した。

 この辺りはやはり佳織も女の子だという事だろう。

 他人の恋路ほど、面白く興味を引くものはない。

 

「それじゃあ質問します。横島さんが、一番気になる人は?」

 

「ああ、それは――――」

 

 答えようとしたその時、大地を揺るがすような振動が横島達を襲った。

 

 


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