永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十四話 前編 表の戦い、裏の戦い①

 永遠の煩悩者 第二十四話 前編

 

 表の戦い、裏の戦い

 

 

 

 ラキオス王都襲撃から一週間が経った。

 

 王と王妃、つまり実の父と母を亡き者とされた王位継承権第一位のレスティーナ王女は、自らが陣頭に立ち、速やかに国葬を取り仕切った。それは国内の混乱を抑え、同時に次のラキオスの王は誰なのかを宣言したとも言えた。

 堂々と葬儀を取り仕切る立ち振る舞いと、そこに見え隠れする父と母を失った悲壮。

 悲劇の王女、いや、今や悲劇の女王となったレスティーナの姿は映えに映えた。

 その葬儀の中で、一連の悲劇はサーギオス帝国によるものだと発表する。

 

 サーギオスに鉄槌を!!

 

 怨嗟と報復の声が国中に溢れた。いつもの戦争のように、のほほんとした空気は存在しない。

 国民の感情は一つになった。悪の外敵に立ち向かう正義の国、という子供にも理解できる状況に、プロパガンダを操作する必要すらない。

 今後、限りあるマナをスピリットや軍事研究に当てられて生活が少しばかり不便になったとしても、文句を言う者は決して出ないだろう。レスティーナ女王ならマナを国民に提供しなくても最低限の保障はしてくれる、という信頼を持っていたのも大きい。事実、レスティーナはマナを使用しなくても生活できるようなインフラに力を入れていたのだ。

 

 王と王女の水面下の権力闘争も終わり、命令系統が統一されて一枚岩となったラキオスの底力は大きく向上した。

 レスティーナが考えていた、理想を目指す下地は出来あがりつつある。

 

 しかし、すぐにラキオスがサーギオスに兵を出す事はなかった。

 ラキオスに入り込んだスピリットは明らかにサーギオスだけでは無かったし、何よりラキオス内部に多くのスピリットが経路不明で入り込んだという事実と、情報戦という立場での圧倒的敗北がある。

 内部事情の整理が急務であると判断したレスティーナは、まず国内の実情に目を向ける必要があった。

 

 だが、この辺りの事情は物語の主人公である横島や悠人に関係していても、彼らの管轄ではない。

 彼らの役割は、己を鍛えてスピリット隊の隊長として職務に励むだけであり、特に横島にとっての最重要項目は女の子達とキャッキャッウフフと乳繰り合うだけである。

 しかし、ここでも問題が発生していた。

 その問題とは、群れで生活する人という種において必ず発生する問題のナンバーワン。

 

 職場での人間関係だった。

 

 訓練場に気合の声と神剣をぶつけあう音が幾重にも重なる。

 ラキオススピリット隊が訓練に精を出していた。第一詰め所と第二詰め所の面々が互いに剣の腕を磨きあう。

 一週間前に大怪我を負った横島や悠人も、もう怪我を癒して訓練に出ている。

 ここまではいつもの光景だが、ここで少しいつもと違う事態が起こっていた。

 

「はあああ!!」

 

「おわ!」

 

 大剣が横島の頬を掠める。

 横島とネリーが訓練をしていた。実践を意識した、神剣を用いての訓練だ。

 実戦さながらの訓練はいつものことだが、今回の訓練はネリーの迫力がいつもと段違いだった。

 やる気に満ち溢れていると言えば聞こえはいいが、ネリーの動きは苛烈で、無茶無謀に近い動きだ。

 反撃を恐れない動きで永遠神剣『静寂』を振り回して横島を圧倒している。

 

「と、飛ばしすぎじゃあ!? もうちょっと落ち着けって!!」

 

「まだまだ、全然だもん!!」

 

 何が全然なのか分からないが、ネリーは満足していないらしい。

 小型の台風を思わせる猛攻に、横島は過去にネリーと無理やり戦わされた事を思い出す。

 

(もし、今のネリーと戦わされていたら、俺死んでたな)

 

 サルドバルトの保有していたマナの大部分がスピリット達の成長の為に当てられて、ネリー達はさらなる成長を遂げていた。力も速さも魔法も、横島がこの世界に来た半年前とは比べ物にならない。神剣抜きでネリーの相手などしたら、横島でもあっという間にミンチにされるだろう。

 

「えい、はっ、たりゃああ!!」

 

「くっ……にゃろ!」

 

 ネリーの迫力と剣圧に押されて、横島も本腰入れて戦わざるを得なくなった。『天秤』の力を存分に引き出し、ネリーと相対する。こうなれば単独で横島に勝てるものはいない。

 暴風の如く神剣を振り回すネリーだが、風をやり過ごす柳のように横島は体をくねらせて避け続ける。よしんば当たろうと、直撃でなければオーラフォトンで弾く事も難しくない。

 そして、動きが雑になった瞬間を狙ってカウンター気味に『天秤』による突きを繰り出す。

 ネリーは即座に突きに反応した。空中に逃れて突きの射程から逃れる。大した反応の早さだ。

 しかし、それも想定内。

 

「伸びろー!」

 

 右手を伸ばして、射程外に逃げたネリーを追う。

 勿論、伸ばしたのは手は手でも、栄光の手だ。肉体では無い、霊力で作った手で握っても『天秤』の力を引き出せると知って、戦いの幅が随分と広がっていた。

 

 『天秤』の刃が、空中のネリーを捉える。

 当然だが、そのまま突き刺したりはしない。いくら実戦形式とは言っても訓練は訓練。

 可能な限り寸止めは基本だった―――が、

 

「あぁぁ!!」

 

 避けられないと判断したネリーは、後退ではなく、あろうことか前進を選んだ。

 寸止めも空しく、『天秤』の刃はネリーのわき腹を貫いてしまう。

 

「あ、アホ! なにやってん……ぬあ!」

 

 不可思議な行動のネリーを横島は戸惑いながら叱ったが、その先の行動に言葉を紡げなくなった。

 

「うあああっ!」

 

 わき腹を貫かれながらも、ネリーは必死の形相で神剣を突き伸ばしてきた。

 完全なタイミングでの、相打ち狙い。

 大地を蹴って避けることも出来ず、体をくねらせ避けることも不可能。防御も打ち貫くかもしれない。

 文字通り、肉を切らせて骨を絶つ一撃だ。だが、そこまでしても、横島には一歩届かない。

 

「うひ~!」

 

 情けない声を出しながらも、足を動かさず、体もくねらせず、地をすべるように移動して避けてしまう。足の裏にサイキックソーサーを展開させて、霊力を使って移動したのだ。

 これも、今この瞬間に編み出した技である。命名するならサイキック・ムーブと言ったところか。

 

 決死の一撃が決まらず、ネリーはそのまま地面に倒れこんでしまう。

 腹部からは大量の血が滴り落ちていた。それは見る見るうちに床を赤く染めていく。落ちた血は金色のマナへと変わっていくが、それ以上に血が吹き出す量が多いのだ。間違いなく主要な動脈と臓器を傷つけている。

 横島の顔が青ざめた。急いで治療しないと、傷が残る可能性もある。

 

「ま、待ってろ! すぐに回復魔法を掛けるからな! ハリオン! 早く来てくれー!」

 

 自分で回復魔法を使うことも出来る横島だが、今日はもう打ち止めだった。今日の訓練はネリーに限らず異常なほど怪我をする者が多く、限界まで使用し尽くしてしまったのだ。元々それほど回数を使えるわけでもない。無理に使用し続ければ消耗して、こっちが倒れてしまう。

 

「はいは~い! ちょっと待ってください~」

 

 ハリオンが胸を揺らしながらよたよたと走ってくる。

 相変わらずのおっぱいに横島は目を輝かせたが、どこかおぼつかない走り方に目を細めた。

 

「永遠神剣『大樹』の主が……詠唱省略です~。アース……プライヤ~」

 

 苦しそうに息を整えながら、ハリオンは回復魔法を詠唱する。

 緑の光がネリーを包み込んだかと思うと、傷一つ無い白いお腹がそこにあった。

 

「もう……一度」

 

 ぐったりと青い顔をしながらも、ネリーは神剣に体をあずけながら身を起こす。

 傷は治っても痛みは引かないようで、その表情は苦痛に彩られていた。

 

「待てって! そんなに無理してもしゃあないだろ!」

 

 そう横島は訴えるが、ネリーは首を横に振って拒否する。

 歯を食いしばって立ち上がり、足を震わせながらも神剣を構えた。

 横島の目が厳しく光った。

 

「ネリー・ブルースピリット。隊長としての命令するぞ。休まんかい!」

 

 悠人と同じく、滅多に『命令』をする事が無い横島だったが、ここに至って使用を躊躇するわけにはいかない。

 命令を受けてネリーの目は抗議の炎に燃えたが、流石にスピリットだけあって文句は言わずすごすごと引き下がる。

 

「肉刺ができないように、しっかりマッサージするんだぞ」

 

 そう言うと「分かった!」とヤケクソのような返事が返ってくる。

 不満があるのが丸分かりである。一体何に不満があるのかは分からなかったが。

 

 このような光景が、訓練場のあちこちで起こっているのである。

 グリーンスピリットはてんてこ舞いで回復魔法の使用に追われていた。この様子では、別の場所で訓練している第三詰め所のグリーンスピリットにも応援を呼ぶ必要がありそうだ。

 回復魔法が使えない二ムントールは、自身の傷を自分で治そうとして、エスペリアの回復を拒否してさえしているようである。

 

 一体全体何がどうなっているのか。横島は辺りの惨状に目を向け、天を仰ぐ。酷い有様だった。

 

 第一詰め所のアセリア達はいつも通りに見えるが、第二詰め所のスピリット達は鬼気迫る表情で神剣を合わせ続けている。熱意や、やる気があるとかいうレベルではない。本当に相手を殺そうとしているのではないかと錯覚するほどの勢いだ。まともなのはハリオンぐらいに見える。

 鬼のごとき迫力に横島はどうしたら良いのか分からず、ただおろおろするばかりだ。悠人も同じようにおろおろしている。隊長達は頼りなかった。

 

「ハリオンさん、みんな一体どうしちまったんで……ハリオンさん?」

 

 隣にいるハリオンに声を掛けたが、返答が無い。よく見るとハリオンは笑顔だったが、その顔色はまるで死人のように青白かった。

 ハリオンは確かに笑顔が多くてのんき者でのんびり屋だが、辛い時はちゃんと辛いと言うし、怒る時はきちんと怒る。しかし、今は気分が悪そうなのに笑顔である。弱音一つ吐いていない。いつものぽややんな空気が、なりをひそめている。

 笑顔が張り付いてしまったようなハリオン。嫌な予感が背筋に走った。

 予感というのは、嫌なものばかりが的中するのが世の常である。

 

 ハリオンは笑顔のまま、唐突に体が前に泳ぐ。

 そのまま地面に叩きつけられる――――寸前で横島は慌ててハリオンを支えた。体は熱を失っていて、意識は混濁しているようだった。

 神剣魔法を使い続けた結果、精神力を使い果たし、精も根も尽き果てていたのだ。

 

「おい、悠人!」

 

 横島の焦った声に、悠人もこれまでと判断した。

 

「中止だ! 午前の訓練はこれで終了!! 午後まで休憩だ」

 

「まだ……時間が……あります」

 

 ハリオンと同じような蒼白な顔色でナナルゥが異議を唱える。

 あの、ナナルゥまでが逆らっている。やはり何かが彼女らの中で起こっているようだった。

 

「ナナルゥ! 命令だ。午後まで休憩!!」

 

 怒鳴り声のような悠人の声が響き渡った途端、第二詰め所のスピリット達はその場で腰を下ろした。やはり限界だったらしく、荒く息を吐いて疲れ果てているようなのに、目だけがギラギラと光っている。

 彼女達は自分の肉体と精神の限界を忘れたようだった。子供が遊びに夢中で、ふと我に返ると疲れ果て倒れる。そんな光景に似ていたが、しかし彼女らは何度と無く訓練を繰り返し戦ってきた猛者たちだ。今更そんなミスをするものなのか。

 

 そんな訓練の様子を、新しく第一詰め所の一員となった白銀の髪と褐色の肌を持つスピリットが、厳しい視線で見つめていた。

 

「鬼気迫る訓練です。手前も感心しますが……しかしこれは」

 

 ウルカ・ブラックスピリット。

 元サーギオスの遊撃部隊隊長にして、漆黒の翼と恐れられた大陸最強のスピリット。

 佳織を助ける為に悠人のオーラに突撃した彼女は、介抱された後、そのままラキオスに参入する事になった。

 

 レスティーナからすれば、サーギオス帝国の内実を知るウルカは喉から手が出るほど欲しい人物。

 ウルカもウルカで、何やら目的があるらしい。どう言ったやり取りが二人の間にあったのかは知らない。

 ただ二人の思惑は一致したようで、ウルカはラキオスに参入することを決め、第一詰め所に編入された。

 この辺りの詳しい事情は何故かレスティーナに口止めされているらしく、まだ横島も悠人も聞いていないが、そのうち聞かせてくれるだろう。

 

 元サーギオスという事で始めは警戒するものは多かったが、その警戒は直ぐに消えた。

 ウルカの言動は素直で性格は厳格そのもの。とても姦計を弄する人物ではない、というよりも弄する事が出来ない人物なのはすぐに分かったからだ。

 特に、悠人は佳織を助けてもらったからか既に万感の信頼を寄せているようだ。

 

 いや、信頼以上に負い目のようなものが悠人にはあった。ウルカだけではなく、アセリア達全員に。

 第一詰め所は、悠人とそれ以外のスピリットで少しギクシャクしている。というよりも、悠人の方が一方的にアセリア達に罪悪感を持っていた。

 アセリア達の助けを拒絶したくせに、結局助けられて、そして殺しかけた。罪悪感を持つのも当然だろう。 

 

 そして、悠人と横島の間もぎくしゃくしている。お互いに、どことなく相手を避けていた。

 横島は佳織を守れなかったし、悠人は仲間を傷つけ、佳織を殺しかけ、横島も殺しかけた。

 お互いに謝る相手であるし、謝らせる相手である。中々に複雑だ。

 

 結局、もやもやした空気のまま、訓練は終了してしまった。

 

 

「あ~疲れた」

 

 訓練が終わると、横島は自室に戻ってベッドに寝転んだ。

 肉体的な疲れでは無く、精神的な疲れからイマイチ体調が良くない。

 

「イチャイチャしたかったなあ……でも、とてもセクハラできる雰囲気じゃねえし」

 

 力無くうな垂れる。

 永遠神剣は精神を消耗する。無償などという言葉から永遠神剣は遠い存在だった。『天秤』と気が合うようになってきたが、それでも疲れるもの疲れる。

 心に休息と栄養を与えなければ、心は消耗し、最後には砕ける。後に待っているのは、神剣の命ずるままにマナを集める魂無き器の完成だ。

 横島にとって心の栄養とは、女の子達とのスキンシップに他ならない。チチシリフトモモがあれば、いくらでも戦える自信があった。だが、そのチチシリフトモモも横島的には『悪い』のと『良い』のがある。

 今のセリア達のチチシリフトモモは、悪い方に分類されるだろう。

 

「いつまでも、こんな状態じゃいけねえよなあ」

 

 自分は彼女らの、第二詰め所の隊長なのだ。

 清く正しいハーレムを取りもどさなければならない、ではなく隊長として隊員のメンタルケアだってしなくてはいけない

 その為にまずしなくてはいけない事は一つ。

 どうして、セリア達がああまで必死で強くなろうとしているかを理解することだ。

 いくら考えても分からない。本人達に聞いてみても、はぐらかされるばかりで答えてくれない。佳織に聞いてみても分からなかった。

 この八方詰まりの中、横島が打つ手は――――

 

「なあ、この原因は何だと思う? 『天秤』」

 

 やはり相談だった。頼れる存在がいればまず頼る。

 この辺りは情けなくても、横島の隠れない長所の一つだ。

 

『私は心の機微を読むのは疎い。それでも私に意見を求めるか?』

 

「構わんから言ってくれ。いつものように長々と論理的にでも良いし、一言だけでもいいから」

 

『私よりもいいアドバイスをしてくれるものがいるだろう』

 

「それでも、まずお前からだ」

 

 自分の意見を必要とされている。それが嬉しい。

 気恥ずかしさを覚えながらも、『天秤』はそれを認めた。

 

 『天秤』は少しずつ自己を理解し始めていた。

 自分は、誰かに頼りにされる事が嬉しい。期待されると、どうしてもその期待に応えたくなる。期待に応えられたら賞賛されたい。

 『天秤』自身は、こういう自分の一面をあまり好ましくは思っていなかった。それは自己顕示欲や名誉欲によるもの、つまり感情に振り回されていると分かっているからだ。

 永遠神剣第五位『天秤』は感情に流されず合理的な行動を主としている――――――訳ではなかった。

 ただ、そういうクールな自分でいたいという願望に過ぎない。今までは妄想の自分を、本当の自分と勘違いしていたわけだ。言ってみれば、ニヒルなキャラにあこがれる少年が、今までの『天秤』だったと言えるだろう。

 いつか本物のクールな格好良い自分になりたい。『天秤』はそう考えていた。

 

『では意見を述べるが、相手の気持ちになって考えてみればどうだ。最近の自分の行動を、相手の立場になって見てみるのだ』

 

 なるほど、と横島は素直に自らの行動を思い起こしてみる。

 無論、シリアスパートである戦いをメインに。

 

 まず始めに、ダーツィ攻略戦の時だ。あの戦いは味方の目にはどう映ったのだろう。

 本来予定された状況にならず、結果的には成功したがセリア達には大変な迷惑を掛けた。

 

 次にエニとの戦いの時。

 勝手に出歩いて、エニと単独で交戦する事態になってしまった。

 エニを救おうと精一杯努力はしたが、エニを助けることはできなかった。

 これも、迷惑を掛けてしまっただろう。

 

 その次はイースペリアの時。

 『天秤』の人形を取り戻す為に無断で戦列を離れ、そしてセリアを道連れにして爆発に巻き込まれた。

 言い訳出来ない大失敗だ。第二詰め所のスピリット達は、瓦礫に埋もれた自分を必死に探したと聞いている。

 これも、どれだけの心配と迷惑を掛けたか想像できないほどだ。

 

 雪之丞の時。

 なんとかセリア達を助ける事はできたが、別に雪之丞と戦闘したわけではない。

 ここでも回復魔法を使って倒れるという無様な醜態を晒した。

 今思えば、このときからセリア達の様子が可笑しい兆候があったように思える。サルドバルトに向かうときは、妙にやる気に溢れていたような光景があった。

 

 そして、今回のラキオス襲撃。

 これは最悪の失敗だった。敵を懐に招き入れて、そして佳織を奪われるという失態。弁解の仕様も無い。色々あってやっぱり死に掛けた。

 

 以上の点から導き出される答えは―――――

 

「やっぱ俺が頼りないからか」

 

 そうとしか思えなかった。

 この数ヶ月、何度も何度もピンチになった。よくもまあこれほどと、自分でも呆れるほどぶっ倒れては死にかけた。

 

 この隊長は役に立たない。私たちがしっかりしなければいけない。

 

 そう判断して、厳しい特訓を始めたのか。

 横島の考えに、『天秤』は理解を示した。筋道立てて物事を考える『天秤』には、今の筋道が間違っているとは思えなかった。しかし、どうにもしっくりこない。今までなら筋道のみを優先して、感情的なものを無視してきただろうが、それだけではダメな事は分かっている。

 

『立場を置き換えて考えたらどうだ。例えば、美神令子が横島の立場で、横島の立場がスピリットだったらどうなるか』

 

「もし美神さんだったらか?」

 

 自分の姿と置き換えてみる。

 

 ダーツィの時はボロボロになって帰ってくる。

 エニのときは友達を殺して、自身もボロボロになって泣く。

 イースペリアの時は、戦いが終わった後に爆発の中心にいたことを知らされて、ボロボロの姿を見つける。

 雪乃丞の時は、完治しない体で戦ってくれる。そしてまた倒れる。

 ラキオス襲撃の際は、気が付いたときにはまたも死に掛け。

 

「あっ!」

 

 対象を変えると、まったく違う結論になった。

 その結論とは、彼自身が一度経験したものである。

 そう、美神と共にある為に戦士となろうとした時の事件。

 

 ――――共に居られるのは戦士のみ!!

 

 魔に堕ちた戦乙女に一喝されて無力を感じた横島は、らしくもなく生死を掛けた修行を始める事になった

 あの時の横島と同じく、ネリー達は横島と共にあれる戦士になるために特訓しているのではないだろうか。

 大切な人を助けられない無力感は、臆病な横島すら駆り立てないわけにはいかない。まして、戦いに人生の大半を掛けてきたスピリット達だ。役に立てないというのは、どれほど口惜しいのか。

 

『彼女らは、自分達の不甲斐無さを悔いているのではないか。自分達の力不足で横島が傷ついていると判断しているのでは』

 

「……いや、でも俺がポカした事が原因なのも多いぞ?」

 

『一度や二度なら、横島の所為や運の悪かった為と納得できるだろう。だが、こう毎回では己の力不足を嘆くのも当然ではないか?』

 

 『天秤』の考えは正鵠に的を射ていた。

 横島はスピリットを殺したとき大泣きした。泣く横島を見て、ネリー達は決意したのだ。

 スピリットを想って泣いてくれるこの人を守る。

 彼女達は誓った。後からその話を聞いたファーレーンも誓ったし、ニムントールもしぶしぶではあるが誓った。

 だが、その誓いを果たしているとセリア達が実感できた戦いは皆無であったと言っていい。

 

 また、横島がハニートラップに引っかかったミスについても、セリア達は同情的に考えていた。

 横島の優しさ(厭らしさ)に付け込んで、汚い罠に嵌めるという行為そのものが、清廉潔白なスピリットであるセリア達に嫌悪感を持たせていたのだ。横島本人は勝てるのなら手段なんて問わないタイプであるから、引っかかった自分がアホだったという結論に至るのだが、セリア達はそう考えないのである。

 

「力不足って言っても、正直仕方がない部分ばっかりだと思うんだがなあ」

 

 エニの時も、イースペリアの時も、ラキオス襲撃の時も、その場にいなかったのだから仕方がない。別に任務放棄していたわけじゃなく、皆その場で最善を尽くしていたのだから、力不足云々の問題ではないはずだ。

 雪之丞の時は、あんな化け物に奇襲されたらどうしようもないだろう。悠人と二人がかりでようやく防御を貫けたのだ。低位神剣ではダメージを与えることは難しい。

 どうしようもない事は絶対にある。

 文珠という万能に近い力を持っている横島だったが、だからこそ無理なものは無理と理解していた。

 

「そう説明すれば皆も納得するんじゃないか?」

 

『頭では納得できても、心では納得できないだろうな。私は、その状態が一番危険だと思う』

 

 力の籠った『天秤』の説明は横島の胸に強く届いた。長々とあーだこーだ言われるより、実体験の一言の方が心に響くのだ。

 

「なんつーか……ほんと変わったな。お前」

 

『ふん、当然だ。私は日々進化しているのだからな』

 

「そういう所は相変わらずだけどなー」

 

 相も変わらず妙な自信だけは変わらないが、それでもずいぶんと彼は変わった。

 以前の『天秤』なら、頭と心を分けて考えることなど出来なかっただろう。

 『脳髄と心を分けて考えるなどバカらしい』としたり顔で言ったに違いない。合理的合理的と猿のように繰り返して、損得勘定は得意でも、愛憎が絡む人のやり取りは赤子同然だった。

 

(それはそれで面白かったんだけどな)

 

 横島は心の中で少し笑って、この幼き神剣の成長を喜ぶ。

 それにこの神剣と仲良くなるにつれ、妙な違和感や頭痛は消えて、嫌な夢を見る事も減ってきていた。

 

 事実は――――違和感が消えたのではなく、違和感を感じ取る能力が削られているだけなのだが。

 

「それじゃあ、結局どうすればいいんだ? 何が必要なんだ」

 

『自信だろう。今彼女らが鬼気迫った訓練をしているのは不安だからだ。今の自分の実力で、本当に横島の助けになるのかと』

 

「そんじゃあ、自信を付けさせるにはどうすりゃいい?」

 

『それは言うまでもなく、戦功だ。これは私の意見だが、今回の件は慣れ合いで処理せずに、真剣に戦功をたてさせた方が良いと思うぞ。目に見える形で実績を残せば自信もついて落ち着くだろう』

 

 結局の所、セリア達は横島の助けになる力が自分にあるのかないのか不安なのだろう。目に見えての戦績を残していない自分の力を信じられないのだ。

 

『もしくは、余計な事は考えるな、と叱れば良い。俺の命令に従えと強制するのだ』

 

「そんな事できるかい」

 

『だが、何もしないというのは一番やってはいけない選択だろう』

 

「うーむ……どうしたもんかなあ」

 

 横島は頭を抱える。

 自分の為に限界を超える訓練をしてくれるスピリット達。

 彼女らの気持ちは嬉しい。だが、正直言ってありがた迷惑というやつだ。

 横島はそれを直接言えるほど、肝っ玉が据わっているわけではない。

 

 隊長として部下にどう接するか、本当に困る。

 基本的に横島はサポートに回る事が殆どで、人の上に立つ事が無かったのだ。

 経験が圧倒的に不足していて、さらに上に立とうとする気概も不足していた。何だかんだで権力を握ってしまったのが悪かったのかもしれない。

 

 コンコン。

 悩んでいると、控えめなノックの音が響き渡る。

 失礼します、という丁寧な声と共に若い男の兵士が入ってきた。

 

「伝令、レスティーナ女王がお呼びです。至急、玉座の間までお越しください。タカミネ隊長も向かわれています」

 

 妙に人間の兵士が丁寧だな、と感じながら横島は玉座の間に向かった。

 

 

「来ましたね、エトランジェ・ユート。エトランジェ・ヨコシマ」

 

 玉座の間に悠人と横島は呼び出されていた。

 レスティーナの出で立ちは女王になっても特に変わっていなかった。相当忙しい日々が続いているだろうに、その顔には疲れがまるで見えない。

 周りにいる家臣団も、誇りと責任感に満ちた表情で控えている。レスティーナの周りは上手くいっているようだ。

 

「二人を呼び出した理由は、貴方たちの……いえ、エトランジェ・ユートの今後の身の振り方です」

 

「……俺の?」

 

「ええ、エトランジェ・ユート。貴方は妹を人質に捕られて、ラキオスの隊長として従わせられていました。しかし、貴方の妹はサーギオス帝国のエトランジェ、『誓い』のシュンの手に落ちてしまいました。貴方がラキオスで戦う理由は失われたのです」

 

 妹を人質に取った連中が言うことか!

 

 思わず怒鳴りたくなった悠人だが、何とか言葉を飲み込んだ。

 佳織を人質にした張本人である王は既に死んでいるし、レスティーナは佳織に良くしていてくれた事は知っていたからだ。

 それでも、不快感が胸に満ちるのは仕方がない。

 

 何も言わない悠人に、レスティーナは玉座から立ち上がると段上から降りてきて、悠人と目線を合わせる。

 いきなりの行動に、控えていた近衛兵がレスティーナと悠人の間に入ろうとしたが、レスティーナは手で制した。

 

「カオリを人質として扱ってしまい、申し訳ありませんでした、エトランジェ・ユート。ラキオスの女王として、今までの非礼を詫びさせていただきます」

 

「……謝ってもらえれば」

 

 佳織を人質に取った王は既に死んでいる。

 その怒りを王の娘にまでぶつける必要はないから、悠人は完全に納得は出来なかったが、謝罪を受け入れた。

 

「ありがとうございます。今の貴方は完全に自由です……ですからこれは命令ではなく、提案なのですが……」

 

「提案?」

 

「はい。エトランジェ・ユートには今後、ラキオスの将としてスピリット隊の指揮を取ってほしいのです。エトランジェ・ヨコシマは既に第二詰め所の隊長をしてもらうことを了承してもらっています。貴方達の力を借り、サーギオスを打ち滅ぼし、カオリを助けます!」

 

 権限は今までどおりだ。

 しかし、今までは佳織を人質に取られ、佳織の身の安全の為に無理やり戦わされてきたのが、今度は客将としてラキオスのスピリットを率いて佳織を救出する為に戦う。

 目的は変わらないが、立場は大幅に変わることになるだろう。ようやく、人並みの人権を得たと言っても良い。悠人に向ける口調も柔らかいものに変わっている。

 

 目的も重なっていた。

 ラキオスと悠人の進む道は同じなのだ。

 悠人は一瞬、既に了承しているという横島に目を向けた後、深呼吸をして答えた。

 

「分かりました。俺はラキオスの隊長として、スピリットを率いて戦います」

 

 意外とあっさりと言った。 

 ただ佳織を取り戻す事だけを考えれば、単身でサーギオス城まで乗り込んで佳織を救出する、という選択肢だって存在する。

 だが、悠人はその選択肢を選ばなかった。

 

 ――――独りでは駄目だ。

 

 それを痛いほど悠人は理解したのである。

 一人で佳織を助けようとして、怒りと憎しみで生まれた心の隙を『求め』に突かれ、最悪の結末に至る所だった。 

 孤独の心で神剣を握ってはいけない。

 それではいくら強くなっても、最終的に自分の求めは達成できない。

 

 それに、佳織の身の安全だけは、実は心配していないのも焦らない理由の一つだ。

 秋月瞬という男は佳織に異常な執着を抱いているが、それは男女の執着ではない。

 秋月が佳織に抱く感情は崇拝や信仰に近い。狂信者に近いものがある。

 だから焦らず、確実に佳織を助けるための力を必要だ、と悠人は考えていた。

 

 レスティーナは悠人の答えにほっとした表情になった。

 だが悠人は、レスティーナの安堵を知った上で表情を厳しくする。

 

「俺はエスペリア達と佳織を守る為にラキオスに協力するんだ。別にラキオスの為でも、この大陸の為でもない。それを忘れないで欲しい」

 

「無礼な!!」

 

 周りに立ち並ぶ大臣の一人が悠人を睨む。だが、悠人がそちらに視線を向けると慌てて目を背けた。悠人が周りに発散させている気は、並の文官に太刀打ちできるものない。

 悠人が来て一年近く。神剣を握ってから半年と少し。たったそれだけの間で悠人は中々の戦士に成長していた。

 

(わざわざ敵を作らんでもいいのに)

 

 その光景を横島は呆れたように眺める。

 すると、面白そうな『天秤』の声が頭に響いてきた。

 

『ふっ、それが最初に神剣の暴力でスピリットを解放させようとしたお前の言葉か?』

 

(あの時は俺も冷静じゃなかったし、なにより俺に勝てる奴なんていないって感じだったしな)

 

『分かっている。強者には媚びへつらい、弱者には強気。明確なビジョンがあるのなら、それも交渉の手段だ』

 

(……おい、全然褒められてる気がせんのだが)

 

『しかし、横島のように媚びへつらって、相手の心にするりと入り込むのだけが正解ではあるまい。畏怖させ、恐怖させての方が交渉事は上手くいくと思うぞ。横島には、その辺りの適性はなさそうだがな』

 

 『天秤』の言葉に、横島は面白く無さそうに黙りこむ。

 貶されていることが不満ではなく、悠人が一定の評価をされていることが面白くなかった。

 

 横島達がのんきに会話している中で、玉座の間の緊張は高まっていた。

 しかし、レスティーナは悠人の覇気にまったく怯える事も無く、どっしりと構える。

 

「その言葉、覚えておきましょう。我らはただ、互いの目的の為に利用しあうだけの仲であると」

 

 レスティーナの声は冷然としていた。

 悠人を見据える目は恨みがましい訳でもなければ、悲しそうでもない。ただ事実を受け止める目。

 重臣達は頼もしそうに若き主君を見つめていた。

 

 話すことは話したと、悠人はその場で後ろに振り返る。

 その時だった。

 悠人の鼻にある匂いが舞い込んできた。どこか桃を思わせる優しく甘い香り。ヨフアルの香りだ。

 一体この玉座の間の、どこからヨフアルの匂いが洩れてくるのか知らないが、このとき悠人の頭に一人の女性の顔が浮かんでいた。

 

「レムリア」

 

 小さく呟く様に悠人は言った。それは何か目的があった訳はなく、ただ口から漏れただけだ。その呟きは、レスティーナの耳に届いていた。

 

 レムリアの笑顔を、悠人は思い出す。

 彼女は、この国を、この国に住む人を、好きだと言った。

 レムリアの事を悠人は友達と思っている。この世界と悠人の繋がりは、もはや佳織とスピリットだけではない。

 

(伸ばしてくれた手を、無理に打ち払う必要はないのか……)

 

 よくよく思い起こすと、別にレムリアだけが友だったわけではない。

 ラキオスに来てもうすぐ十ヶ月程度になるが、スピリット以外にも少しずつ話が出来る知り合いや顔見知りが出来始めている。そして、スピリットにも好意的な人々が生まれ始めている。

 それに、以前の襲撃の時に命を落とすことになった兵士にレスティーナの事を頼まれていた。

 

「先の言葉は取り消します。俺は、仲間と、そしてラキオスの為に剣を振るいましょう」

 

「……何故、心変わりを?」

 

「俺には友達がいます。レムリアという女の子です。彼女はラキオスを愛しているといいました。俺は、彼女の友達として、彼女の守りたいものを守りたい。

 いえ、彼女だけじゃない。スピリットにも親切に野菜を売ってくれるおじさんや、スピリットを差別しない兵士もいる。皆、ラキオスという国を愛していました。

 俺は……俺も、彼らと同じように、少しずつラキオスが好きになっている――――」

 

 悠人がぽつりぽつりと語ると、辺りが水を打ったように静かになった。誰もが、悠人の言葉を聞き入った。

 真摯な言葉は人の心を打つ。

 形はどうあれ、この場に居る重臣から下級の兵士に至るまで、彼らは国と国民を愛していた。

 異邦人であり、ただ妹の為だけに戦っていると思っていた悠人が、ラキオスに思いを寄せている部分がある。

 その事実が彼らの心を揺さぶった。

 

「それに、レスティーナ女王はスピリットの人権向上を考えていると聞いていますが、本当ですか?」

 

「え、ええ。本当です」

 

「それが本当であるならば、俺はレスティーナ女王を信じ、ラキオスの為に命を賭して戦いましょう!」

 

 騎士がするように剣の平をレスティーナへと向けて、さっと膝をつく。それは忠節を示す所作だった。

 周りからどよめきのような声が漏れた。まるで物語の中のようなやりとりと、堂々とした態度の悠人に胸打たれる思いがしたのだ。

 もしこれが悠人ではなく横島だったら、こうはならなかっただろう。

 

「そ、そうですか。ではそのレムリアという少女と、ラキオスのため死力を尽くしてくれた兵と民に感謝しましょう……もう、時間です。下がってください」

 

 そう答えたレスティーナの声は何故か震えている。まるで何かに耐えているようだ。

 何だか様子が変わったレスティーナを不審に思った悠人だったが、そのまま一礼して玉座の間が出た。

 

「このアホッタレ!!」

 

「ごふぁ!」

 

 玉座の間を出た途端、いきなり横島の拳が悠人の頬にめり込む。

 ドリルのように回転しながら吹き飛ぶ悠人。

 

「いきなり何しやがる!!」

 

「俺がお前みたいにやったらププッて笑われるぞ!! 謝れ! 俺に謝らんかい!!」

 

「何で殴ったお前が泣いて、俺が謝らなきゃいけないんだよ!?」

 

「俺の心が傷ついたんだよ、こんちくしょー!!」

 

「意味が分からん!! 普通は俺の方がこんちくしょーだろ!?」

 

 悠人がたまらず絶叫する。

 だが、横島は謝らずに言葉を続ける。

 

「それと、お前に佳織ちゃんは助けられないぞ」

 

「……何だと」

 

 見逃せない言葉に悠人の空気が変わる。

 獣のように目を細める悠人に、横島はふいとそっぽを向いて、

 

「俺が佳織ちゃんを助けるからな。俺は可愛い女の子の味方だし」

 

「お前は……まったく」

 

 色々と素直ではない言葉だったが、それは謝罪と協力を求める声だ。そして何より、佳織を助けるという約束をまだ覚えている、という意味のある言葉。互いに大切なものを守りあうという約束は、まだ有効なのだ。

 悠人はしばし言葉を失っていたが、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「ふん、お前なんかに佳織が助けられるか。兄である俺が佳織を助けるさ。勿論、スピリットも守って見せる」

 

「やっぱシスコン兄貴の異名を持つだけはあるよな」

 

「いい加減にそのネタから離れろよ! つーか、お前は俺を貶せればそれでいいんだろ!」

 

「そりゃあな」

 

「認めんなよ!?」

 

 ぐだぐだのやり取りをしながらも、とりあえず悠人と横島のわだかまりは少しは解けたようだ。

 二人とも、分かっていたのだ。

 協力し合わなければ、これから先の戦いに勝つことは出来ないのだと。

 

 

 それから少しして、横島と悠人はまたもや城に呼び出された。

 今度呼び出された場所は玉座の間ではなく、小さな貴賓室の一室だった。

 

 ノックをして入ると、部屋に居たのは二人。一人はレスティーナ。そしてもう一人は見知らぬ女性。

 ルビーのように赤い神秘的な瞳に、雪のように白く長い髪。聖者の様に白い外套を纏う、落ち着いた雰囲気を持つ大人の女性だ。

 

「ほぅ」

 

 美人を見慣れている悠人ですら思わず声を漏らしてしまうような、薄く淡い幻想のような美人。それでいて、厚い外套越しでも分かるナイスバディ!

 スピリットで美人を見慣れている悠人だったが、この女性は今まで見たことが無いタイプの美人だった。

 

 そんな美人に、この男が反応しないはずが無い!

 

「おっ姉すわぁ~ん!! ボクと一緒に夜明けのコーヒーを飲みましょう~!」

 

 場の雰囲気をまったく読まない横島がルパンダイブを敢行する。

 相変わらずだが、パンツ一丁にはなっていない。横島の倫理観も成長したのかもしれない。

 横島のダイブに、悠人とレスティーナの反応が遅れる。

 

「おお、やわらかーーいぎゃあ!!」

 

 珍しく抱きつきは成功して、手がわきわきと美人の体を這い回る。

 そこでようやく、レスティーナの鉄拳と悠人のケリが、横島の頭頂部と腹部に突き刺さった。

 「ぐはー!」とのた打ち回る横島だが、勿論だれも心配しない。

 

「申し訳ありません。イオ・ホワイトスピリット殿」

「本当にすいません。この馬鹿が」

 

 レスティーナと悠人は揃って美人に――――イオというスピリットに頭を深く下げて謝る。

 これは横島の側に居る者がいつも味わう事になる責務だ。

 レスティーナは無理やり横島の頭を下げさせる。

 

「ほら、ヨコシマ君……じゃなくて、ヨコシマも謝りなさい!」

 

「すいやせんしたー!! あんまりええ体してるんで、つい若い体が反応しちまって」

 

「ええーい、いいかげんにしなさ~い!」

 

 レスティーナがローキックを横島に放つ。

 ローキックを制するものが世界を制す、という格言があるが、これはレスティーナが世界を目指すと言う暗喩だろか。ちなみにワンピースが捲り上がって、白い下着を僅かに見てしまった悠人は、顔を赤くしてあさっての方に首を曲げている。

 ここまではお約束の展開だが、ここから先がいつもと違った。

 

「ふふ、私の体は貴方にはどう映りましたか?」

 

 なんと、イオというスピリットは柔和に微笑みながらそう返してきたのである。

 

 まさか痴女か。痴女なのか。

 

 三人は戦慄と驚愕で硬直する。

 それでも横島は痴女の要請に応えるべく、先ほどの感触を思い出す。

 

「え、ええとバストの大きさは……」

 

「そういう事を言っているのではありません。確かめたのでしょう。私が戦士としての肉体を持っているのかどうか。

 掌が剣を持つ者の硬さかどうか。どれだけ筋肉をつけているか。あの一瞬で、私の戦闘力の三分の一は見切られました。

 ヨコシマ様は聞いていたよりも狡猾で疑り深い性格のようですね」

 

 イオが薄く笑う。軽蔑の笑みではなく、むしろ感心したような笑みだ。

 いきなり男に抱きつかれたことなど、まるで気にしていない。よほどの大人物か、それとも変人なのだろうか。もしくは他に理由があるのかもしれない。

 

 そんなイオの台詞に、悠人とレスティーナは信じられないものを見るように横島を凝視する。

 まさかセクハラをしながら、そんな事をしていたのか?

 見直すのとは違うが、ほんの少しだけ二人は横島を見る目が変わっていた。

 

 だが、二人よりも驚いたのは横島だ。

 セクハラをしてこんな評価を受けたのは初めてであったし、笑いかけられたのも初めての事だった。

 しかし何よりも驚いたのは、狡猾で疑り深い性格、と評された事である。

 別に横島は自分が疑り深くなろうとしているわけでは無く、そうする必要になっただけだった。

 

 佳織を守りきれなかったのは、痛恨であり悔恨だった。

 もう絶対に同じミスはしない。例え、ルシオラがあけすけと好意的に評してくれた自分らしさが消えようと、女の子を守れないよりはよっぽどマシだ。

 強くなると決めている横島は、そう決意していた。

 

 それで、決意するのは簡単だが、具体的にどうやってハニートラップに強くなろうか考えたところ、出た結論は徹底的なボディチェック、つまりセクハラではなく超セクハラをする事を思いついたのだ。

 セクハラついでに敵か味方か、そして戦闘能力を見極める。一石二鳥の良い手だと彼は判断したのだ。

 色々と突っ込みどころはあるが、横島は真面目に考えた上での事だ。

 少なくとも今後、横島がハニートラップに引っかかる事はないだろう。

 

「え、ええと……多分ですけど、力で打ち合うんじゃなくてスピード……でかく乱……ともちょっと違うかな。

 どうにか不意をついて攻撃するとか……それと、これも多分ですけど、全力出したら俺や悠人並の力が出せる……じゃないかな~なんて」

 

 何となく、横島は言って見た。何の確証もない、本当にただの勘。

 いくらなんでも、あれだけの接触で分かるはずもない。それでも、このスピリットが普通ではない事は感じ取った。

 

「ふふ、そう見えますか。残念ですが、私は戦うことはできませんよ」

 

 イオは柔和な笑みを崩さず、事実を言った。真実は、言わなかった。

 

(恐ろしいものです)

 

 心の中でイオは小さく呟く。

 

「……それでは、自己紹介をやりなおしましょう。イオ殿、こちらがユート。この変態がヨコシマ。二人とも、こちらがイオ・ホワイトスピリット殿です」

 

「今後ともお見知りおきを、『求め』のユート様、『天秤』のヨコシマ様」

 

「あ、いえこちらこそ」

 

「変態は酷いっす!」

 

 お互いに会釈する。

 ようやく普通の自己紹介が始まった。

 

「ホワイトスピリットか。見たのも聞いたのも初めてだけど」

 

 悠人が言うと、イオも小さく頷く。

 

「ええ、そうですね。私も自分以外のホワイトスピリットは見たことがありませんから」

 

「そうか。それじゃあ、ホワイトスピリット込みの、新しい戦術を覚えたりする必要は無いんだな」

 

 ほっとしたように悠人は頷く。

 ホワイトスピリット。

 青、緑、赤、黒の4色がスピリットの種族というか種類だったのだが、ここに来て新しい色のスピリットの出現だ。

 毎日のように戦術書を読んで模擬戦を繰り返す悠人にとって、ここで新たな戦術を覚えろというのは、試験直前で一教科追加されるという地獄に等しい。

 

「ユート様は真面目ですね。貴方に率いられるスピリットは幸せでしょう」

 

「いや、俺なんか本当にまだまだで」

 

「謙遜なさらずとも。異世界の言葉と常識を覚えつつ、剣を握って一年で一人前と呼ばれるまでになったのです。誇れる事だと、私は思いますよ」

 

「あ……え~と」

 

 イオは真面目な表情で悠人を褒める。

 もの凄い美人に褒められて、悠人も戸惑いながらも、まんざらではないようで照れて頬を赤くしていた。

 

「随分と会話が弾んでいるようですね。そろそろ本題に入りたいのですが」

 

「くそぅ、顔か! 所詮、男は顔という事か!?」

 

「あ、ああ。悪い。あと、横島は黙れ」」

 

 何故か冷たい声のレスティーナに、よく分からない焦りを覚えた悠人は謝った。

 『まったく情けない』

 そんな『求め』の声が頭に響いてくるが、何も言い返せない。

 

「それでは本題に入りましょう。エトスム山脈まで、我が主を迎えに行って欲しいのです。道は私が案内いたします」

 

「主?」

 

「イオ殿の主であり、比類なきエーテル技術者である、賢者ヨーティア殿をラキオスに招くのです」

 

 技術者を招く。ただそれだけのために呼んだのか。

 悠人はちょっと不満に思う。悠人の不満を見てとったレスティーナは表情を引き締めて悠人を見据えた。

 

「これは重要な任務です。詳しくはまだ言えませんが、ラキオスの……いえ、世界の命運すら左右するかもしれません」

 

 世界の命運。大仰な言葉だが、レスティーナの表情は真剣そのもの。

 冗談を言っているのではないと、悠人も心を引き締めた。

 

「それよりも、そのヨーティアって人は女性ですか! 美人ですか!?」

 

「私たちが本気であると示すためにも、護衛も兼ねて名声高きエトランジェである貴方達二人のどちらかにヨーティア殿の元に向かって欲しいのです。そういうわけで、頼みますエトランジェ・ユート」

 

「分かりました」

 

「ちょ、ちょっと! 何で相談もなしで悠人なんすか!? それに無視はあんまりっす!」

 

 横島の言葉に『こいつ本気で言ってんのか?』と白けた表情をレスティーナと悠人は浮かべる。

 

「交渉事にヨコシマを向かわせるなら、そこらの畜生でも使わせた方がマシというものです」

 

「そこまで言わんでもいいでしょ~!」

 

 冷淡なレスティーナの物言いだったが、これは仕方ないだろう。実際、その通りなのだから。

 ただ、レスティーナはこうも思っていた。

 絶対に成功しない交渉は、横島がいたら成功するかもしれないと。不思議な評価だった。

 イオは横島を興味深そうに、まるで科学者が実験動物を見るような目で見つめていたが、咳払いして話を戻す。

 

「では、出立の準備を始めましょう。明日の早朝には出たいので」

 

「随分と早いな」

 

「ヨーティア様は、酷く気まぐれで感情の移り変わりの激しい方です。時間が経つと忘れてしまうかもしれません。それに炊事もできませんから」

 

「……本当に天才っぽいんだな」

 

 悠人が呟やく。

 頭の中に浮かんでくるのは、立派な髭を生やした老人の姿、あるいは魔女のような老婆の姿。

 研究に全てを費やした、気難しい人物なのだろうと想像した。

 

「それとユート。旅にはエスペリア達も同行させなさい」

 

「えっ、どうして……」

 

「最近は物騒です。非戦闘員を抱えての戦闘を考えるなら、最小の人員で最大の戦力を確保する必要があるでしょう。ラキオスの守りはヨコシマと他のスピリットで十分です。それに、第一詰め所の皆と仲良くする機会では。皆と、どう接するか難儀していると聞いていますよ」

 

「うっ……どうしてそこまで知って」

 

「上に立つトップとして、部下の動向に目を光らせるのは当然の事です」

 

 済ました顔で言うレスティーナだが、目の奥に下世話で噂好きのおばちゃんが潜んでいる。

 

「おい、悠人! 女の子たちに囲まれて旅する間にエロいことすんなよ!」

 

「お前はそれしか頭に無いのか!」

 

「それしかねえだろ!」

 

「だから、どうして誇らしく言えるんだよ!?」

 

「ふふ、興味深いです」

 

 イオはこんなカオスのやり取りを微笑だけで流していた。

 こうして話し合いは終わったが、部屋に残る影が2つあった。

 横島とレスティーナだ。横島が内密に話したいことがあると、レスティーナを引きとめたのである。

 

「それで、話とは何ですか、エトランジェ・ヨコシマ」

 

 レスティーナは密かに硬く拳を握りながら尋ねた。

 飛び掛ってきたらぶん殴ってやる、と警戒して身構える。

 アッパーかストレートかフックか。ルパンダイブをカウンターで待ち受ける。

 

「その、第二詰め所のことなんですけど」

 

 特にふざけることなく話した。

 第二詰め所の現状。そして、問題を打破するために戦功が欲しいことを。

 

「なるほど」

 

 横島の話を聞いて、レスティーナはほっとしたような残念なような、不思議な気持ちで拳を解いた。

 セクハラしてきたら思いっきり叩いてやる、とドキドキワクワクしていたので、実はちょっと残念だったりしたのだ。

 

(エスペリア達もハリオン達も本当に愛されてるなぁ……くぅ、羨ましい)

 

 レスティーナは自分が僅かながら嫉妬しているのを自覚せずにはいられなかった。

 

「戦功なら、ちょうど良い話があります」

 

「本当っすか!?」

 

「ええ、龍退治です。元サルドバルトと元イースペリアの山奥に、龍の存在が確認されています」

 

「龍って……ちょっ! マジっすか!?」

 

「戦功として、これ以上はないでしょう」

 

 龍殺し。

 古今東西の神話や御伽噺の類でも、それを成せたものは等しく英雄と呼ばれる。

 異世界でもそれは同じで、悠人はラキオスの守護龍とも呼ばれたサードガラハムを打ち倒して、市井では勇者とすら呼ばれる事もあった。

 

「俺が付いていっちゃあ……」

 

「当然駄目です」

 

「いや、でも……やばいっすよ!」

 

 龍の恐ろしさは知っていた。あれはもう怪獣のレベルである。

 それでも、今のセリア達なら対策さえしていれば龍も倒せると思う。第二詰め所の強さも横島は知っていた。

 しかし危険すぎることに変わりは無い。

 

「ハリオン達だけでは勝てませんか?」

 

「……大丈夫だと思うけど、やっぱり万が一ってのが……」

 

「不満があるならば代案を言いなさい。

 話に聞いている第二詰め所の様子では、このまま戦いに出すのは危険でしょう。

 ちょうど今は、サーギオスのスピリットの姿がありません。機を逃しては、大変な事になりますよ」

 

「代案があったらとっくに実行してますよー!」

 

 泣きそうに横島が言う。

 結局、その場では結論が出ず、最後に決定を下すのは横島だと言われて、すごすごと引き返す事となる。

 

 どうしたものかと悩みながら第二詰め所に戻ったが、ここでまた驚愕した。

 セリア達が荷造りしていたのである。保存の利く食料と水をかき集めて、どこかに遠出する準備に間違いなかった。

 

「ちょ、何処に出かける準備をしてるんだ!?」

 

「何処とは……龍退治に決まっています。一ヶ月近く掛かるでしょうから、途中の町で補給するにしても物資は必須ですし」

 

 セリアは当然のように答える。

 一体どこから話が漏れたのだろうか。

 つい先ほど話を聞いて、のんびりとした足取りだったにせよ、一直線に帰宅したのだ。

 恐らく盗み聞きされて、すぐに詰め所に戻って準備を始めたのだろうが、一体誰の仕業だろう。

 

(多分、あの二人のどちらかだと思うけど)

 

 第二詰め所のスピリットの中で、少し特別な位置にいる二人に目をやる。

 ハリオンとファーレーン。

 レスティーナと繋がりがある二人なら色々と聞いている可能性があったが、今はそれを問い詰める時間が無い。

 

「とにかく、俺はまだ許可してないぞ!」

 

「だったら、いまここで承諾してください」

 

「んなっ!? せめて明日からでも遅くは無いって。俺も少し考えてみないと」

 

「善は急げとハイペリアの言葉にもあると聞いています。それとも、私達の力が信用できませんか?」

 

「別にそんな事を言ってないだろ!?」

 

「だったら、早く許可してください」

 

 静かに、しかし追い詰められたようにセリアは答えを求めてくる。

 答えに窮する横島を、セリアはじっと見つめていた。いや、セリアだけではない。ネリーもシアーもヒミカもナナルゥもハリオンもニムントールもヘリオンもファーレーンも、祈るようにじっと横島を見つめていた。

 

(こ、こんな状況でNOなんて言えるわけねえだろ~!)

 

 うなだれる様に、横島は首を縦に振ってしまう。

 こうしてセリア達の龍退治は決まって、支度を整えると彼女達は早々に闇の中に消えていった。

 出かける直前に、ハリオンが「連絡はしますから~」と言っていたが、あれはどういうことだろうか。

 

 兎にも角にも、早すぎる展開に横島は陸に上がった魚のようにビタンビタンと暴れるしかない。

 

「うがあ~! なんだこりゃ、どうしてこ~なるんじゃあ!? どうして第二詰め所がエロスの殿堂っぽくならん!? 俺って結構真面目にがんばっているよな!? もういい加減ラブラブ詰め所になってもいい頃じゃないのか!」

 

『本気なのだ。横島の力になろうと、彼女達は必死に戦っているのだろう』

 

 ――――どうして俺なんかの為に。

 

 自虐の言葉が胸に満ちて、横島ははっとした。

 

 強くなって、女の子を好きなれる自分。ハーレムを築いてウハウハな自分になろうとしたのだ。

 そして、それは少しずつ叶ってきているのだろう。だからこそセリア達は必死になっているのだから。

 剣に生きたスピリットに愛情を向けられるというのは、こういう事態になることも考えられたのだ。

 

『本当に行かせたくないなら、今からでも『命令』で引き止めろ。そういう立場に横島はいるのだからな』

 

「簡単に言いやがって」

 

 淡々とした物言いの『天秤』に腹が立つが、言っている事は正しい。

 もう覚悟を決めるしかなかった。無論、セリア達が傷つく覚悟では無い。

 何があっても彼女らは信じて待つという覚悟である。

 

 信じて送り出すと、決めた。ならばやらねばいけない事がある。

 窓を開けて、大きく息を吸う。そして、

 

「しっかり龍をぶったおしてこいよーー!! それと、なるべく早く帰ってきてくれよなー!!」

 

 エコーが掛かるほど大きな声で叫んだ。

 

「うんー!! まかせてーー!!」

 

 元気いっぱいのネリーの声が闇の中から響いてくる。

 久しぶりに嬉しそうで元気そうな声を聞いた。

 サルドバルトの時も同じようなやり取りがあって、そのときは雪之丞の所為で失敗した。

 今度は大丈夫だ。そう胸に言い聞かせる。

 

『信じて送り出したスピリット達が――――フラグというやつか?』

 

「不吉なこと言うなっつーの!!」

 

『ぬ、ぬぅお!? 振り回すな!? 目が回るだろうが』

 

「お前に目なんてないだろうが!」

 

『言葉のあやだ! その程度のユーモアも無いから女にモテナイ……ひ、ひぃ! アンモニアはやめろ~!!』

 

 こうして、第一詰め所のみならず第二詰め所のスピリット達もラキオスから離れてしまい、横島の一人寂しい声が夜の闇にこだましていた。

 

 

「夜分遅くに、何度も呼びつけて申し訳ありません、エトランジェ・ヨコシマ」

 

「いやいや、そんな事ないっすよ! レスティーナ様が呼んでくれるなら、地の果てからでも駈けつけます!!」

 

 セリア達が龍退治に行ってからすぐ、横島はまたレスティーナに呼び出されていた。悠人の姿も無く、二人きりだ。

 もう夜も遅く、広い第二詰め所で一人ポツンとしていた横島だったから、この呼び出しは素直に嬉しかった。二人きりなのでエッチィ期待もある。

 嬉しそうな横島の様子に、レスティーナは少しだけ破顔したが、すぐに厳しい表情に変わる。

 

「ウルカ・ブラックスピリットの持ってきた情報。父の机に入っていた但し書きからの情報。情報部を総動員して得られた情報の数々。

 これらを統合して、多くの角度から検証した結果、ここ最近の謎について一段落付きました。

 貴方には、説明をしなければいけない事があります」

 

 朗報だった。

 しかし、レスティーナの表情は固い。

 

「変な勘違いをしないよう初めに言っておきます。これから話すことは、貴方の責任ではありません。

 悪いことをした者が悪いのです。子供にでも分かる簡単な理屈ですね」

 

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるようにレスティーナが言う。

 これは良くない話だ。それも、多寡はともかく自分が関わっているらしい。

 

「最終的な責任の所在を明確にするなら女王である私にこそあります。くれぐれも勘違いしないよう」

 

 横島は逃げたくなった。

 これはかなり嫌な話らしい。背中に妙な汗が流れる。思わず生唾を飲み込んでしまった。

 

「ただ謎が解けたと言っても、全ての謎はまだ解けていません。解けたのはエニの行動の謎。そしてどうやってあそこまで多くのスピリットがラキオスに入り込んだのか……そしてイースペリアの件もおぼろげながらに把握できました。これらは全て一本の線で繋がっていたのです」

 

 謎で埋め尽くされていた多くの事象が、実は一本の線で繋がっていた。ミステリーではお馴染みだ。

 

「推論すら出来ない謎は、エニの一件での龍ぐらいでしょう」

 

 横島がエニと戦った時に、悠人達が山に引きこもっていたはずの龍と交戦した時の一件。

 あれだけは偶然以外に説明できそうにない、とレスティーナは難しい表情で言う。

 何か、横島の中で龍の一件を偶然以外で説明できるような考えがあるような気がした。

 それを形に出来ないかと努力するが、それが形になる前にレスティーナは喋りだした。

 

「まず、エニの件を簡潔に説明します。エニは故ラキオス王……亡父に売られたのです。育毛剤と引き換えに」

 

「はっ?」

 

 横島の間抜けな声が響く。

 レスティーナは表情を変えず、感情を表さない平坦な声で言葉を続けた。

 

「簡単な話です。亡父はある商人から育毛剤を条件に、エニの指揮権を貴方ではなく、その商人に委譲したのです」

 

 自分の部下が知らない間に売られていた。それも、育毛剤と引き換えに、である。

 怒りや憎しみを超越した、やるせない気持ちに言葉を失う。

 もしも当人が生きていたのなら、くびり殺してやる、ぐらいの感情は持っただろうが、相手は死んでいるのだ。

 恨みはある。が、死人を憎めるほどの感情を横島は持てなかった。

 

「委譲した人間の名は……ソーマ・ル・ソーマ。ラキオスとも因縁がある相手です。今回の騒動の一員でもあります。このソーマという男はサーギオスのスピリット調教師でしたが、エトランジェ・ダテに追放されたようです。現在ある『組織』に属していて、商人をしています。父はどうやってかこの人物とコンタクトをとって――――謀略を張り巡らしました」

 

 レスティーナはそこまで言って言葉を切った。横島を見て、言葉を選んでいるようで逡巡する。

 嫌な予感がさらに膨れ上がる。これから言われる内容は、自分にとって相当きつい事実があるようだ。

 

「人にとってスピリットは軽蔑すべき異種族でした。言葉を交わす事などなく、触れる事すら険悪する……穢れた存在。そういう文化、醜聞がこの大地にはあります」

 

 話題が急に変わる。いや、外堀を埋めるようにゆっくりと話の本質に迫ろうとしているのだ。

 

「私はスピリットの地位を向上させようと手を打ってきました。

 何故、人がスピリットをこうも嫌うのか、貴方には話しましたよね」

 

「ういっす! 確か、スピリットを叩くことが、正義だから……って理由でしたっけ」

 

 レスティーナは頷く。 

 人は、良い人でありたいのだ。自分だけは綺麗でありたいのだ。

 その為にどうしたらいいのか。答えは簡単で、自分のいい人振りをアピールすればよい。

 その一つが、スピリットに冷たくすることだった。

 

 それに正義であるというのは利を生む。

 例えば、商人は信頼が命だ。だからこそ、スピリットに冷たく当たって商品を売らなかったりする。特に一軒屋で店を構えている商人は、決してスピリットに商品を売らない。

 誹謗中傷を恐れているのだ。

 逆に、移動できる屋台や露店はスピリットにも商品を売る店主は多い。こちらは悪評が生まれても、直ぐに場所を移れるからだろう。

 

 スピリットを憎んでいるものは、実はそこまで多くない。利があれば、人はスピリットとも付き合うことが出来る。

 そもそも憎むほどスピリットは知っているわけもないのだ。よくある差別や中傷の理由には宗教などが関わってくる事が多いが、この大陸では宗教色はそれほど強いわけでは無く、政治とは完全に分断されている。

 この辺りも、見た目だけ中世風と佳織が言っていた理由だ。

 

 人がスピリットを嫌う理由は薄い。

 皆が嫌うから何となく嫌う。他者に自身がモラル溢れる社会的人間であると触れ回るためにスピリット迫害する。

 その程度の事に過ぎない。

 

 ここで分かるのは、人間が善玉か悪玉の問題ではなく、人という種は社会的な生き物であるということだ。それを愚かと受け止めるか、もしくは賢明と受け取るかは人それぞれだろう。

 

 つまるところ、レスティーナが言いたいことはこうだ。

 スピリットを迫害したり差別する方がアンモラルで反社会的人間である、というように常識が変化すればよい。

 また、スピリットと仲良くすると益があるような社会を構築すればよい。

 

「ヨコシマには、スピリットと人間が話せるように仲介役を頼んでいましたが、随分とうまくやっているようですね」

 

「わはは……俺は普通にやってただけなんすけど」

 

「ヨコシマが側にいると、モラルとか常識であるとか、どうにも馬鹿らしい物に思えてきますからね」

 

「いやあ、そこまで褒められると照れるッス」

 

「別に褒めたわけでは……あれ、褒めたのかな? まあ、その辺りはともかく」

 

 レスティーナはコホンと咳払いをすると、やわらんだ表情を引き締めた。

 

「そう。人は少しずつスピリットを知り始めた。友情を、愛情を、人はスピリットに抱き始めていた。その矢先に、今回のラキオス襲撃です」

 

 何が言いたいのか分かった横島は溜息をつきそうになった。

 ようやく人とスピリットが歩み寄りを始めた矢先にこれだ。最悪のタイミングと言わざるを得ない。

 雪之丞のアホめ。

 間違いなく今回の襲撃に関与しているだろう悪友を心の中で罵る。

 

「スピリットの戦闘で家を、財産を失った者が多くいます。市井の者達に死傷者は出なかったと言っても、城の使用人、兵士達には犠牲が出ました。親を、子を、友人を、恋人を失った者も少なくありません」

 

「それは、そうっすけど……だけど!」

 

「ヨコシマの言いたいことは分かります。元凶は、命じた人間。人はちゃんと分かっています。

 また、スピリットに救われた者も多く居ます。特にハリオン達は本当にがんばってくれたようですから。

 その所為か、白のスピリットは良いスピリットで、黒のスピリットは悪いスピリットなどの噂もあるようです」

 

 心を失ったスピリットが、良いスピリットである。 

 人はそう言ってスピリットの精神を破壊して、ハイロゥの色を白から黒に変えていった。

 それが一転して、掌を返すように黒のスピリットを悪と言う。黒のスピリットこそ、人間に心を砕かれた被害者だと言うのに。

 身勝手すぎる言い分に、横島も怒りを感じて唇を歪めた。

 スピリットを、一体なんだと思っているのか。

 

「今、スピリットの評価は揺れています。町に出れば分かるでしょう。

 私がスピリットの地位向上を掲げているのも理由の一つでしょうが、何よりも人が『スピリットとは何なのか』と疑問を持っているのです」

 

 アホか。

 横島は今更そんな疑問を持つ輩に呆れた。スピリットとは何か。そんなの決まっているではないか。

 神剣とやらを持つと強くなるだけの、可愛く純粋な女の子だ。

 今回、人を殺せたのも、それを目的に調教されたからだろう。どういう調教と訓練をされてきたのか、考えたくも無い。

 

 人はそれを知らず、知ろうともしなかった。

 ただスピリットを遠ざけていただけ。

 ようやく、人はスピリットを見始めようとしているのだ。彼女達を見れば、分かるだろう。

 スピリットは美人で、純粋だ。強いといっても、それは神剣を持ったときだけで、人にはそもそも逆らえない。

 彼女らは、実に人にとって都合がよい――――都合が良すぎる――――

 

「あ」

 

 心が大きくざわめく。

 気付いてしまった。

 スピリットという存在に対する、ある意味、当たり前の可能性に。

 

「人はスピリットに興味を持ち、少しずつ理解し始めているのです。

 彼女達は、本来なら人と同じ心を持っていることを。

 圧倒的な力は、神剣を持って初めて使える事を。

 ……スピリットの肌がどれほど白いのかを。スピリットは人に服従することを。スピリットの肉体は、いかなる人の情動も悪意も受け止められるほど頑強なのかを。

 組織は、ソーマという商人は、そこに着目して……あるものを取引しています」

 

 思い出していた。エニの小さい体に刻まれていた暴虐の跡。

 色々な種類の暴力を受けたのは間違いない。そこには悪意だけではない、歪んだ愛情すら感じられたほどだ。

 

 人がスピリットに興味を持つ。人に逆らえないスピリット。ソーマという元スピリット調教師。組織。商人。

 経路不明で、降って湧いたようにラキオスに現れたスピリット達。その一部は見るも無残な状態だったと聞いている。

 点と点が繋がっていく。それが導き出す答えは。

 

「エトランジェ・タダオ・ヨコシマ。貴方がラキオスでスピリットの事を語り、スピリットをただの穢れた存在である、という常識を少しずつ打ち破ってくれました。

 ラキオスは大陸でもっともスピリットと人間が仲良くやれている国でしょう。

 だからこそ、ラキオスを中心に『組織』は根を広げつつあるのです。

 さらに今度の騒ぎは、人がスピリットに復讐するという名目も与えてしまいました。『組織』はスピリットへの愛憎を糧として、今急速に勢力を広げようとしています。

 ちなみに、『組織』は相当古くから存在するもののようで、勢力が拡大したからこそ露見したようなもの。貴方とユキノジョウというエトランジェが来なければ、これからも秘密組織として轟いたかもしれません。ハイペリアの言葉で言う『怪我の功名』とでも言いましょうか。

 

 『組織』は……ソーマという男は言わば寄生虫です。私と貴方が育てようとした大樹に潜む寄生虫!

 エニ・グリーンスピリットは、そしてイースペリアも、その寄生虫の犠牲となったのです」

 

 淡々と話してきたレスティーナの言葉に怒りが混じる。

 鳶色の瞳は、憎悪で燃えていた。

 

「……ぁう」

 

 ひゅうひゅう。喉から変な音が漏れた。

 絶望に近い感情で、体が勝手に震える。

 

「エトランジェ・ヨコシマ。気に病むなというのは難しいでしょう。ですが、あえて言います。

 これは前進です。人とスピリットの関係は進みました。人は、スピリットと触れることに忌避を感じなくなりつつあります。

 ですが、このような方向で人とスピリットが進むことを、私は是としません。

 なんとしても、この流れは食い止めねば」

 

 感情を殺したレスティーナの声が訥々と響く。

 それから、レスティーナは『組織』の壊滅を誓い、その為には如何すべきかを話し始めた。

 さらなる事実も次々と明らかになる。

 例えば、そのソーマが前ラキオス王の命でイースペリアの女王および上層部を人質にとってサルドバルトに進軍したこと。

 ウルカ・ブラックスピリットの目的が、ソーマにより組織に売られた仲間のスピリットの奪還にあること。

 

 数十分の密談を終えて部屋から退出してきた横島の顔は、バルガ・ロアー(地獄)の闇よりも暗かった。

 

 

 

 気が付いたら、横島は自室のベッドに寝転がっていた。

 城から第二詰め所までそれなりの距離があったはずだが、どうしたわけか記憶に無い。ぼんやりと闇の中をさまよっていた様な漠然とした感覚だけがあった。

 ぼうっと天井を見る。何も考えたくなかった。考える余裕などなかった。

 

 ぐ~。

 

 腹が鳴った。腹が減ったという感覚は無い。

 それでも、人間は腹が減る。

 

「飯どないしよ」

 

 ふと、気づく。

 第二詰め所の暮らしで、家事は殆どセリアやハリオン任せだった。

 細かい雑事や掃除ぐらいは手伝ってきたが、炊事洗濯は一切やったことがない。特に食事関係は手を触れたことすらなかった。というか、触れさせてもらえなかった。

 以前のアセリア料理大戦が尾を引いているものと思われる。

 

 もう陽は完全に落ちている。市井の方に言っても食材はないだろう。

 そうなると飯屋にでも行く必要が出てくるが、今はあまり外に出歩く気分ではなかった。

 頭の中でグルグルと色々な考えが浮かんでくるのに、自分が何を考えているのかどうも把握できない。

 

「何で誰もいないんだよ……」

 

 異世界で一人ぼっち。

 孤独を感じて、目を閉じ寝ようとする。

 

 ――――俺が来たから、ここまで酷いことになったんじゃないか?

 

 闇の中からネガティブな考えが浮かんでくる。

 頭を振って寂しさを紛らわす。

 

「美神さんのシリコン胸~おキヌちゃんは幽霊の方が人気出た~シロは犬~タマモの駄目狐~」

 

 何となく悪口を言ってみる。

 怒られても良いから、誰か出てきてほしかった。

 

「何を言ってるの」

 

「ひぃ! うそっす! 時給下げちゃいやー! おキヌちゃんは包丁を研がないでくれ~~!!」

 

「はっ? ジキュウ? ホウチョウ?」

 

 快活な声が聞こえてきて、目を開ける。

 横を見ると、いつのまにかルルーがいて、まん丸な目を向けてきていた。

 

「何だ、お前か」

 

「何だって何だよー」

 

「んで、何じゃい。まさか、夜這いか!」

 

「(夜這いって何だか知らないけど)そんな訳あるか!

 まったく。兄さん、その……第二詰め所の皆が戻ってくるまで、第三詰め所で暮らさない?」

 

 

 

 ホーホキョケ! ホーホキョケ!

 微妙な鳥の鳴き声に、横島は重たいまぶたを開けた。朝日が差し込む部屋の様子がいつもと違う。

 部屋はいつもより広く、ベッドも古びているが随分と大きい。

 首を横にやって窓から外を見て見ると、荒れ果てた庭園が見えた。庭園はかなり広い。汚れているが大きな池もあった。さらに外に目をやると、苔むした塀が連なっている。

 

 没落して、国が接収した貴族の屋敷が、第三詰め所の家だった。

 古びていても、豪邸といえる屋敷。第三詰め所がこんな所に住んでいるのは事情がある。

 なんと、現在の第三詰め所の人数は六十人を超えているのだ。バーンライト、ダーツィ、サルドバルドの三国から集めたスピリットは、全て第三詰め所に編入されているから、ここまで大所帯になってしまった。ダーツィのスピリットがそっくりそのまま傘下に加わったのが特に大きい。

 流石にこの人数をプレハブで過ごさせるわけにはいかず、レスティーナが手配したらしい。

 

 ただ、スピリットの半分はサーギオスの国境沿いに配置されているから、ここにいるのは三十人程だ。

 

「ふぅ~」

 

 朝から溜息を吐く横島。

 やはり昨日の衝撃はまだまだ抜けていない。元気は出なかった。

 

『疲れたような溜息だが、朝から股間は元気そうだがな』

 

「こいつが元気でなくなったら、俺は死ぬっつーの」

 

 朝から元気ビンビンの息子に、横島は誇らしく胸を張る。

 何が誇らしいのか、と『天秤』からは呆れの感情が伝わってきた。

 その時だ。ドタドタと大きな足音が聞こえてきたかと思うと、

 

「こらー! いつまで寝てるの。早く起きな……な、なあああ!!」

 

 ノックもしないで入ってきたルルーが、横島の股間を見て悲鳴を上げる。

 股間は生命の息吹を感じられる活火山の如く隆起していた。

 

「か、勘違いすんじゃないぞ! これは男の生理現象で、お前を見て大きくしたんじゃないんだからね!」

 

 勘違いされては堪らないと、横島は早口でまくし立てる。

 

『ツンデレ風……というやつか?』

 

(確かに股間はツンツンだけど、全然デレはないわね。あ、いい子いい子するとデレるのね。うふふ)

 

『オヤジか!?』

 

 ルシオラが息子でシモネタを言っていると知ったら、横島はどういう顔をするだろうか。

 ルルーは横島のボケにまったく反応せず、呆然とパワフル息子を凝視している。

 そして、

 

「そんなに腫らしてどうしたの!? ばい菌でも入ったの!?」

 

 悲鳴のようなルルーの声に、横島はがくっとなる。

 

「これは腫れてるわけじゃなくてな、男の神秘というか……つーか、お前は息子を知らないだろ!?」

 

「馬鹿にしないで! それぐらい知ってるよ。男の人はここからおしっこするんでしょ。それに、とても弱い急所で、大切な器官だって! それがこんなに腫れてるんだよ!? うわわ、どうしよどうしよ!」

 

 ルルーの言うことは間違っていない。しかし、肝心の部分がまるで分かっていなかった。

 女所帯の生活だ。男の部分など、簡単な知識でしか知らないのだろう。

 どう説明すればいいのか。そもそも、何で朝立ちが起こるのか横島だって具体的に知らないのだ。

 

 一体、朝立ちとは何なのか。朝立ちは世界に必要なのか。

 

 そんな哲学的な事を考えている間に、無駄に行動的なルルーは動き出していた。

 懐から陶器製のケースを取り出して開ける。中身はジェル状の、刺激臭のする何か。強力な塗り薬だろう。

 そしてルルーは横島のズボンを掴むと、躊躇無くパンツ毎ずりおろした。

 天を突かんばかりの息子が外気に晒される。

 

『あれ、父さん。おはよ~。どうしたの、今日は朝からお仕事? 二度寝には注意してね」

 

 息子はまだ寝ぼけ眼で、そんなのん気な事を言っていた。

 己の身に迫る危機に、まるで気付いていない。

 横島は唐突過ぎるルルーの行動に口を大きく開けるだけで声も無かった。

 

「お、おおぅ!」

 

 ルルーが眼前にそそり立つモノを見て呻き声をもらす。

 想像していた見た目よりもたくましい息子に、よく分かっていないルルーも顔を真っ赤にしていた。

 何だか自分がとんでもない事をやっているような気がしたが、やはり知識が足りないから良く分からない。

 

「かなりしみるけど我慢して!」

 

 そう言って、ルルーは塗り薬を手にくっ付けると、

 

「塗り塗り塗りー! あっ、この先端の開いてる部分から中に入れたほうがいいかな。塗り塗り塗りー!!」

 

「ふぉぉぉぉぉぉヲヲヲヲごごごごごごごおホホホゥゥゥゥゥゥ!!」

 

『ぎゃああああああ!! 焼ける、焼けぇるるるるるるーー!!」

 

 朝から横島の絶叫が響き渡る。

 ありえないような馬鹿馬鹿しい事で、しかし横島がいる日常がここにあった。

 

 数分後。

 憤怒の表情で股をプルプルさせている横島の前に、しょんぼりして小さくなったルルーが頭を下げていた。

 

「……で、何か言うことはあるか」

 

「うう、だって大きくなるなんて知らなかったから……ばい菌が入って膿を持ったのかなって。白いのが沢山出るって聞いた事があるし……その、本当にごめんなさい」

 

 知識があるのなら、正しい処置が出来ただろう。まったく分からないなら、手を触れないだろう。

 中途半端な知識は悲劇を生む。その実例がここにあった。

 

「まったく、お前は……お前はなあ……ふ、くっ、はははは。まったく本当に」

 

 始めは怒っていた横島だが、何だか可笑しくなってきて笑いがこみ上げてきた。ルルーは何がなにやら分からず、きょとんとしている。

 久しぶりの馬鹿らしい騒ぎに、鬱屈していた気が晴れていくようだ。

 いつのまにか、騒ぎを聞きつけた第三詰め所のスピリット達が勢ぞろいして横島を見つめていた。やはり全員が美人である。何人かは、以前の動物耳を身につけている。

 彼女達を見て、横島は「良し!」と言って拳と拳を打ちつけた。

 

「そうだな! うじうじしてるのは俺らしくない。今は、新たなハーレム生活を楽しむとするか!!」

 

 周囲に居る美人揃いのスピリット達を見て、力強く嫌らしい笑みを浮かべる。

 この世界に来て、辛い事も苦しい事も嫌というほど味わってきた。

 艱難辛苦はまだまだ続く。悩みも解決したわけではない。しかし、それはそれ、これはこれだ。

 ここには、可愛い女の子達が沢山いる。

 どれだけ辛い目に合っても、それだけで横島は元気が出るのだ。

 

「よし、朝ごはんじゃ! ふぅふぅして、あ~んしてもらうぞーー!!」

 

「何だかよく分からないけど、お姉ちゃん達に変なことしないでよ!」

 

「うっさいわ、この男女エロス妹め」

 

「変なあだ名つけるなー!」

 

 これからのハーレム生活に胸を熱くさせて横島は歩き出す――――可能な限り息子が擦れないように、がに股で。

 こうして、第三詰め所と横島の数週間の物語が始まった。

 

 

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