永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十四話 後編 表の戦い、裏の戦い②

 朝食後、横島は早速第三詰め所のスピリット達とスキンシップを計ろうと行動を開始する。

 本当なら訓練の時間だが、副隊長権限でレクリエーションを行うと決めた。

 警邏のスピリット達を除いた、数十名のスピリット達を部屋に集める。

 

 テーブルの上には、キラキラと輝く小物がいくつもあった。古ぼけているのが大多数だが、それでも光物である。他にもスカーフやイミテーションの花冠などがある。

 横島が町から少しずつ集めてきた代物だ。

 

『自分に似合いそうな小物を身に付けろ』

 

 これが、横島の出した命令だ。

 スピリットは上位者の命令に服従する。これは、どうしてかは不明だが、そういうものだ。種族の本能のようなものなのかもしれない。

 だが、いくら命令に絶対服従と言っても、出来ない命令がある。

 特定の技術が必要な命令と、酷く主観的な命令である。

 

 似合いそうな、なんて曖昧な命令はどうしたって主観が入る。命令を果たすには、自分の心が重要になるわけだ。

 相手の心を引き出すことを、横島は目標としていた。

 

 第三詰め所のスピリットは互いに顔を見合わせて、しばらく戸惑っていた。戸惑うことが出来る、という時点で多少は心を取り戻しているのが分かる。

 恐る恐る、一人のグリーンスピリットが銀細工の髪飾りを手にとって頭に付けた。

 

「おお!! 可愛い、可愛いぞ~!!」

 

 横島は満面の笑みで拍手喝采をした。

 惜しみない賞賛を浴びて、犬耳のような髪飾りをつけたグリーンスピリットは恥ずかしそうに俯いてしまう。

 

「そんなに、可愛くないです……わん」

 

 首を横に振り、小声で囁くように謙遜する。

 

「なんという奥ゆかしさ。日本女子が失った謙虚さがここにある!!」

 

 だが、横島はそれすら見逃さず賞賛する。無論、お世辞ではなく本気で言っていた。

 褒め殺しの前に、グリーンスピリットはどうしたらいいのか分からず、おろおろするばかりだ。

 横島の反応を見て、それが『正解』と判断したスピリット達は一斉に同じ種類の小物に手を伸ばして髪に付けた。

 

「ん~悪くは無いけど、そこまで似合ってないなあ。髪の色も違うし、いくら美人でも顔もスタイルも皆違うんだぞ」

 

 横島の駄目だしに、スピリット達は僅かにしょんぼりしたようになった。

 逆に最初に褒められたグリーンスピリットは、少し得意げな顔になっている。

 

「やっぱり、ちゃんと鏡を見ないといけないと思うぞ」

 

「か……がみ?」

 

 手鏡を覗き込むスピリット達。

 彼女らは鏡に映る自分の顔に、不思議そうな表情になった。

 鏡を見る、という習慣がないからだろうか。ぺたぺたと自分の顔を触っている。これが、自分の顔なのだと、改めて認識しているらしい。

 今まで自分の顔すら、意識して見ていなかったのだ。

 

 一体どういうのが自分に似合うのだろう。

 鏡を見て、彼女達は真剣な表情で自分の顔と、小物や化粧品を見比べていた。

 

 ――――スピリットが、オシャレしようとしているんだ。

 

 ルルーはその光景を見て、まるで夢のようだと思った。

 

 戦闘奴隷と蔑まれていたスピリットが、普通の女性のようにオシャレをしようとしている。

 そして、このオシャレが仲間の心を取り戻してくれるかもしれない。

 嬉しさと感動で目じりが熱くなった事に気付いたルルーは、慌てて目をこする。

 

「あの、兄さん。その、本当にありが……と、う?」

 

「うへへ、女が、それもこんな美人達が俺の為にオシャレを……俺の為に! うひょーーー!!!!」

 

 横島は口元からじゅるりと落ちかけた涎を拭っていた。

 百年の恋も冷めるような、だらしのないエロエロなニヤケ顔。

 正直、かなり気持ち悪い。

 

(どうしてこう、お礼を言いたくなくなるような顔ばっかりするのかな)

 

 これでは素直に感謝できないし、どうにも変態に見える兄の姿にルルーはがっかりする。

 まあ、下手な同情で優しくされているわけではない事が分かる。

 兄は本気で第三詰め所のスピリットに心を砕いてくれているのだ。

 だが、本気なのは嬉しいが下心も本気である。

 いや、下心が本気だからこそ、ここまで本気になってくれているのだろう。

 

「そういや話は変わるけど、朝の野菜スープは旨かったな! 昼飯は軽食らしいけど、今日の晩飯は楽しみだなぁ」

 

「へへ、そんなに美味しかったんだ、ボクの作ったスープ。丁寧に作るのがコツなんだよね」

 

 ヘヘッとルルーが自慢げな顔をする。実はルルーは家事全般が大得意だったりする。

 バーンライトで、無造作に渡される野菜くずと僅かな調味料を使い、少しでも美味しいものを作ろうと試行錯誤を繰り返した結果だった。

 ルルーの得意げな顔を見て、横島は何となく面白く無さそうな顔になった。

 

「何だ、お前が作ったのか……褒めて損したな」

「それ、どういう意味かなあ」

「そのまんまの意味だろ」

「……妹キック!」

「兄ガード!」

 

 ペチぺチと叩き合う。

 

「そういえば、買い物はどうしているんだ」

 

 第三詰め所のスピリット達が、人間の町で買い物が出来るのか。そんな疑問があった。

 

「えーとね、実は今までセリアさん達から分けて貰ってたんだ。足りない分はボクが買ってたけど」

 

 今日からは相当買い込まなきゃ、とルルーは笑う。

 周りの姉達に買い物は無理だ。

 人間と話すということは、どうしたって悪意ある相手とのコミュニケーションになる可能性が高いからだ。

 だが、ルルーの予想に反して、元ダーツィ所属だったブラックスピリットが手を上げた。

 

「……私も、一緒に行く」

 

「えっ? 買い物だよ。人間のいる所で行くんだよ」

 

「ちょっと、怖い。けど、一人は寂しいでしょ」

 

 ルルーをじっと見ながら、そう真面目な表情で言う。

 また目尻が熱くなって、喉の奥が震えた。嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねそうになる。

 

「うぅ~ありがとウワッ!」

 

 ドンと横から衝撃が来て、はじき出され、感謝の言葉が中断される。

 何事かと目をやると、横島がマセスハート・ブラックスピリットの手を取って撫でていた。

 

「くぅ~、マセスハートさんは偉いなー!」

 

「別に偉くなんて」

 

「何言ってんだ。皆が嫌がる仕事を率先してやるなんてすごい事だぞ」

 

 横島に褒められて、マセスハートはぎこちなく表情を動かそうとする。

 喜ぼうとしているらしい。ただ、長く笑みなど浮かべたことが無いから、もうどうすれば笑えるか分からない。

 四苦八苦しているマセスハートに、横島は笑みを浮かべて、強く肩を叩く。

 マセスハートは肩に置かれた横島の手にそっと触れると、どこか泣きそうな表情になる。

 

「明日は、あたしが買い物に行く」

「では、明後日は自分が」

「次は私が行きますから」

 

 その光景を見ていたスピリット達が一斉に主張した。

 何とも現金なものだが、これは仕方が無い。

 自分の行動に意味がある。他者に影響を与える。誰かを笑顔にできる。

 そんな当たり前の事が、スピリットには宝石のように貴重で、本来あり得ないものだったのだから

 

「ふ、ふふふふ。わはははは! 日替わりでデートだ!! 来てる、来てるぞ! 俺のモテモテ王国の足音が聞こえてくるー!!」

 

 男冥利につく、と横島の馬鹿笑いが部屋に響き渡る。

 その笑いが底抜けの能天気とお気楽さで満ちていて、良く分かってないスピリットも笑みを浮かべる。笑いが笑いを呼ぶ。感情は伝染するのだ。

 唯一、ルルーだけが頭痛を感じて頭を押さえていた。

 

「兄さんってさ、本当に幸せ者だよね」

 

 ルルーは皮肉をこめて言ったのだが、

 

「当たり前だ! 男なら、これだけの美人に囲まれて幸せにならないはずがないだろ!」

 

 満面の笑みで答えられて、皮肉が打ち破られる。

 本当にこのエロ馬鹿兄は。

 馬鹿さ加減にうんざりするルルー。そんなルルーも、しかし楽しそうに笑っていた。

 

 

 昼を過ぎて、約束通りルルー達と買出しに出る。

 市場は被害が少なかったようだ。所々で破壊の跡があり、半壊した家屋に槌を振う音が聞こえてきたが、買い物には影響しない無い程度だ。

 

「あ、パパたち助けてくれてありがとう!」

「……………………」

「畜生、俺の店を返せよ」

「父が死にました……憎みます」

「おまけしますから、今度襲撃あったらうちの店を守ってくださいよ」

 

「……こりゃ、確かに大混乱だな」

 

 町に出て買い物をすると、横島には実に多くの声が掛けられた。

 

 スピリットを無視するもの。

 スピリットを恨むもの。

 スピリットを利用しようとするもの。

 

 千差万別の言葉と感情を向けられる。

 特に一番多く感じた感情は、恐れとへりくだりだった。

 

 今まで苛めていた相手が、ものすごく強くて反抗してくるかもしれない。

 恐れ、媚を売ってくるのも当然だろう。

 どれだけ強くなっても、小市民気質が抜けない横島は、彼らの気持ちが良く分かった。腹立たしくはあるが、どうにも共感してしまう。横島の性根は一般人と大差が無い。

 町人達も、一般ピープルな横島の気質を感じ取っているようで、だから遠慮なく声を掛けてくるのだ。

 

 それに、悪い話ばかりではなかった。

 

「パパたち助けてくれてありがとう!」

「あの、青い髪のオカッパ頭の子に、よろしく言っといてくれ!」

「ヘリオン姉ちゃんに言っといてくれよ! すっげーカッコ良かったって!!」

 

 第二詰め所の活躍が、あちらこちらから聞こえてきた。彼女達は自己の判断で敵を倒すよりも、人を救う行動を取った。

 そんな彼女らの気持ちと行動は、間違いなく人間にも伝わっていたのだ。

 ヘリオン達の奮闘が分かって、横島の胸に誇らしさが満ちてくる。

 

「どうだ。俺の第二詰め所は凄いんだぞ!」

 

「ふん、すごいすごい」

 

「…………はい」

 

 鼻を高く伸ばして自慢してくる横島を、ルルーは投げやりに褒め、マセスハートは静かに頷いた。

 あの騒ぎの時、第三詰め所は、何もしなかった。ただ待機状態で指令を待っていただけだった。

 個人で判断して、力を振わない。ある意味、兵士の鏡である第三詰め所。

 それはそれで正しい事だ。しかし、遊兵でいたのは事実。

 第三詰め所に必要なのは、まず判断能力がある隊長に他ならない。

 

(兄さんが隊長になってくれないのかな?)

 

 ルルーはずっとそれを願っていた。

 それは願望だったが、実際それが自然な流れであるとも分かっていた。

 第一詰め所の隊長である悠人は、新しく編入されたウルカを入れても、たった四人の隊長だ。対して、横島は九人を指揮する副隊長。

 そして権限の上では、悠人がラキオス全体の隊長で、横島は副隊長。

 そして、第三詰め所は全体で六十もいて、隊長はいない。

 

 どう考えても、これは可笑しい。

 妥当なところとして、ラキオス純正の第一詰め所と第二詰め所の隊長を悠人にして、第三詰め所の隊長を横島とするのが良いのではないか。

 

 そんな事を考える。

 何にしろ、このまま隊長がいないというのは考えにくい。

 横島が隊長になってくれれば。それは第三詰め所全体の意志でもあった。

 

 

「う~ん、こっちの方が大きいから沢山食べれる……けれど、身がきっちり入っているのはこっちだから……」

 

 果物屋の前で、ルルーは真剣な表情でブツブツと考え込んでいた。

 

「あいつも、よ~やるなー」

 

 少しでも良い物を手に入れようと、吟味に吟味を重ねて食材を買おうとするルルー。どうやら、買い物好きらしい。

 店主が迷惑そうに咳払いをしているが、そんなのまったく意に介していないようだ。

 大阪のおばちゃんを思わせるふてぶてしさに、横島は関心半分呆れ半分だった。

 

 ぎゅるるる。

 隣から、何だか凄い音が聞こえてきた。

 横を見ると、マセスハートが自分のお腹を見て、きょとんとしていた。

 

「お腹が減ると、どうしてお腹が鳴るのでしょう?」

 

 酷く真面目な顔で、横島に聞いてくる。恥じらいの一欠けらもない。

 ニヤリと、横島は意地悪く笑う。

 

「お腹の中には小人さんがいて、お腹が減ると泣きだすんだぞ」

 

「小人さん……わあ~。小人さん、夕食まで待っててね」

 

 お腹をさすりながら真剣に言うマセスハートに、思わず噴き出しそうになったが、相手が同い年の美女だと思うと、笑みは苦笑に変わり、最後には恐怖を抱いた。

 こんな子供を、殺して、これからも殺す可能性が高いのだと考えると、正直ゾッとする。

 何にしろ、マセスハートはお腹が減っているようだ。ちょっと考えが生まれて、一つの店に向かって、あるものを買ってきた。

 肉饅頭だ。にんにくの入っていない餃子のようなものである。

 肉饅頭を半分にして、片方をマセスハートに差し出す。

 

「え?」

 

「はんぶんこだ。ルルーにはナイショだぞ。二人と……小人さんの秘密だ」

 

 悪戯小僧のような笑みを浮かべた横島は、指を唇に当てて『ナイショ』のポーズをする。

 マセスハートはコクコクと頷いて、同じようにポーズを真似る。無表情だったが、頬は高潮していた。

 

「ほら、あいつが戻ってくる前に急いで食うぞ! はふはふ、うまうま」

 

「はい。ふーふー……っ! ふーふーふーふー……うまうま」

 

 マセスハートは少し舌を火傷したみたいだったが、ふーふーして食べている。

 何となくマセスハートを見ていると、横島と目があった。

 

「うまうま」

 

「うまうま?」 

 

「うまうま!」

 

 よく分からないやり取りをして、マセスハートは始めて笑みを浮かべた。

 笑みは、美女の微笑というよりも、童女のあどけない笑みのようで、横島は抱きしめ欲求に耐える作業を強いられた。

 食べきったと同時に、ルルーが戻ってくる。

 

「ちょっとだけサービスしてもらえたよー……ってマセスハートさん? 舌だしてどうしたの?」

 

「ナイショ」

 

「へ?」

 

「ナイショーナイショ~」

 

「うー! ナイショって何なの~! 気になるーー!!」

 

 楽しそうに「ナイショ」と連呼するマセスハートと、教えてと取りすがるルルー。何だか幸せな光景だった。

 不意に、背後から冷気を感じた。

 振り返ると、フードで顔半分を隠した怪しい男が近づいてくる。

 男は傍まで来ると、平坦な声で呟いた。

 

「――――隊結成。――――だ。加わるか、加わらないか」

 

 ――――加わる。

 

 そう一言答えると、影は人ごみに消えていった。

 心が冷えるのを感じた。あれは、闇からの使者で、絶望を突きつけにきたのだ。

 

 もう一度、ルルーとマセスハートに目をやる。

 じりじりとマセスハートがルルーに問い詰められ、追い詰められていく。

 もうじき、マセスハートは口を開くだろう。実際は、ナイショの話を誰かに話したくてしょうがないのだろう。

 

 この光景は光だ。

 レスティーナと自分と、それに悠人やセリア達が生み出した、希望の光景。

 その裏で、闇が生まれた。誰かが笑う中で、泣く者が出てきてしまった。

 

 今までは光ばかりで、闇の部分に目を向けなかった。

 闇に目を向けなくても良い。レスティーナは通告してくれたが、それは出来ない。

 女の子を守り、ハーレムを作る。その為にも強くなる。それが目標だ。

 

 今、可愛い女の子が大変な目にあっている。

 なんとしても助ける。そしてあわよくばハーレムを作るのだ。

 決意を新たにしていると、楽しく賑やかな声が響いてきた。

 

「こら~! 二人でこっそり美味しいもの食べるなんて、ずるいぞ~~!!」

 

「ヨコシマ様ーばれちゃいましたー!」

 

 マセスハートが笑顔でバタバタとこっちへ逃げてくる。

 その後ろで、ルルーが握りこぶしを振り回して追いかけていた。

 

「よし、マーちゃん、逃げるぞ!」

 

「は~い!」

 

「こら待てー!」

 

 三人が駈けだす。

 幸せな、何処にでもある光景。

 何処にでも無ければならない光景。

 決してありえなかった光景。

 

 少しずつ、でも確実に。

 

 彼の周りでは、それを生まれ始めていた。

 

 

 日も落ちて夜になった。

 『いただきます』と『ごちそうさま』の流儀を第三詰め所に伝えながら、夕食をとる。

 夕食後は、ラキオスという国家が妙に力を入れている、お風呂の時間だ。

 横島はルルーに、湯殿に案内すると言われて、屋敷から少し離れた木造の小屋に入った。

 中に入ると、そこには人が四人程度は入れそうな大きな釜がある。

 

「五右衛門風呂かよ!」

 

「凄いでしょ! エーテルを使わずにお湯を沸かす為の最新型お風呂だってさ」

 

 ルルーは声を弾ませて言う。

 自分達の為に新しいお風呂が用意された事が、とても嬉しいらしい。

 

 今更ながら、横島は思い出した。

 ここの台所には、竈があったのだ。エーテル製品があるなら必要ないはずのものである。

 そういえば、食卓の明かりもエーテルではなく蜜蝋によるものだった。

 

 どういう訳か、レスティーナは可能な限りエーテルを使わないようにしているようだった。

 それだけマナを戦争につぎ込もうとしているのか、あるいは他の目的があるのか。

 

「ボイラーぐらい作れっての。この世界の技術ならエーテルなくても出来るだろ」

 

「何文句言ってるの! ほら、さっさと脱いで!」

 

 ルルーは言いながら、一気に全裸となった。

 膨らみ始めている胸に、僅かに生え始めているヘア。

 全部丸見えである。

 ネリー達と違って第二次成長が始まっているルルーに、ロリに興味はないと豪語できる横島も目を逸らした。

 

「な、何やってんじゃあ!? 今の世の中、乳首券だって早々発券できないんだぞ!? そんな簡単に放り出したら、少年誌でやっていけないぞ!」

 

「何の話してるのかちっとも分からないんだけど」

 

「いや、だからな。簡単に肌をさらすなんて……って、俺が言うことじゃないだろ!?」

 

「え? ハイペリアって服着たままお風呂に入るの?」

 

「そうじゃねえ! おまえ、まさか俺と一緒に風呂に入るつもりか!?」

 

「馬鹿なこと言わないで。二人だけで入るなんて、お湯がもったいない事しないよ」

 

 まったく話がかみ合わない。お互いに「何を言っているんだ、こいつは?」状態だ。

 そうこうしているうちに、さらにもう二人のスピリットが脱衣所に入ってきた。

 グリーンスピリットとレッドスピリット。どちらも横島と同い年か少し上ぐらいだ。

 すぽーん! という擬音が似合うように、二人は一気に上着を脱いで下着姿になる。

 

「ま、まさかこの釜に四人で入るのか!?」

 

「当然でしょ! まさか一人で豪勢に入ろうなんて考えてた訳じゃないよね。薪や水瓶だって限りがあるし、外ではルーお姉ちゃんが火の番してるんだよ。贅沢言わないの!」

 

 贅沢は敵だと言わんばかりのルルー。

 言うまでも無いことだが、横島はそんな事を問題にしているわけじゃない。

 

(この狭い風呂で美女二人プラスおまけ一人と風呂だと? 正に超密着状態……何か事故ったら合体もあり得る状態だぞ!?)

 

 狭い風呂で美女と風呂。しかも複数。

 これはもう男の夢の一つ。女体風呂に匹敵するのではないだろうか。

 しかし、横島の表情には喜び以上に当惑があった。

 

「私とお風呂はヤダ?」

 

 不安そうなレッドスピリットの様子に、横島の中で何かよく分からない線がブチッと切れた。

 

「ふざけんな~! 俺が女体の為にどれだけ命を掛けてきた思ってるんじゃ!?

 時給二百五十五円生活に、バケモンと戦い、カメになりブタになりハゲになり、絶壁の氷山を登り深海に潜り月に飛び、過去へ行き、それでもオッパイタッチやほっぺにチュウで満足する日々だったんだぞ!!

 それが、こんな何の苦労も無くロマンを達成できるだとぅ!? 今わかったぞ、この世界は可笑しい!!」

 

「え、え~と、相変わらず言ってる事はよく分からないけど、兄さんが馬鹿だって事はわかるよ」

 

「じゃかあしい! 今度という今度は俺が正しいぞ!

 つーか、こんな簡単に美女の裸体が見れるんじゃあ、俺の今までの苦労はなんだったじゃーい!

 連載八年の苦労を返しやがれ!!」

 

「いや、そんなこと言われても」

 

「とにかく! 俺は……俺はこんな色気ない女体風呂には入らんぞ! 入りたくないんだからな。本当の本当に入りたくなんか……入りたくなんかないんや~~~~!!!!」

 

 滂沱の涙を流し、固く拳を握り締めながら、横島は脱衣所から逃げ出す。

 何が何だか分からず、唖然とする三人。

 

「……難しい、お年頃?」

 

 後に残ったグリーンスピリットが、ポツリとそんな事を言っていた。

 

 

「もったいなかったか……もったいなかったよなぁ……でもなあ」

 

 ベッドの上でゴロゴロと転がりまわる。

 安堵と後悔と無念で胸が張り裂けんばかりだ。

 

『僕は入らなくてよかったと思うよ。あんなの全然ロマンがないから』

 

「うむ、よく言ったぞ息子! そうだ、ロマンが足りないんじゃ!! テレビで裸で過ごす民族を見たことがあったけど、エロスをちっとも感じなかったのと同じだな」

 

 我が意を得たりと、息子の頭を撫でて褒めてやる。

 息子はカメのように頭部分はピョコピョコと震わせて嬉しそうにした。

 

 もう完全に夜だ。

 後はもう寝るだけ。だが、男ならもう一行事ヤル事が残っている。

 

「まあ、おかずには困らんけど」

 

 そんな事を言いながら、ズボンを脱いでパンツに手を掛ける――――

 

「こんばんわ」

 

「のわ!」

 

 ガチャリとドアノブが回って、一人のスピリットが入ってきた。ズボンを上げる暇もなかった。

 入ってきたのは、ルー・ブラックスピリットだ。パンツ一丁の横島に何ら反応することなく、頭を下げる。

 そして、震えるような声をだした。

 

「暗いの、怖いの」

 

「……うぇ?」

 

「一緒に寝てほしい……またペロペロしていいから」

 

 そう言って彼女は、パンツに手を掛けて固まる横島に寄り添った。

 

 

 次の日。

 また朝食の時間になっても起きてこない横島を、ルルーは肩を怒らせて起こしに向かう。

 

「まったく、どうしてこうネボスケなんだろ……こらー起きろ……オオォ!?」

 

 とんでもない光景に、ルルーの声が裏返った。

 なんと、横島の部屋から一人のスピリットが出てきたのだ。それも、はにかむような笑みを浮かべて。

 

「ルーお姉ちゃん……えぅ?」

 

 男女が共に一夜を過ごす。

 その意味を察したルルーの顔が真紅に染まる。

 精根尽き果てたような蒼白な表情で、ぼうっと立っている横島に詰め寄った。

 

「兄さん! ま、まさかエ、エエ、エッチな事をしたんじゃあ!?」

 

「いくら俺でも、暗闇を怖がって一緒に寝てほしいって頼みこんで来た相手を、クチャクチャできるわけあるかー!」

 

「な、何も血の涙を流さなくても……うわあ! 鼻水垂らすな! 気持ち悪い!」

 

 鼻水を垂らして泣く横島から距離を取るルルーだが、とりあえず何も無かった見たいだとほっと胸をなでおろす。

 そんなルルーに、横島が聞かなければならないことが出来た。

 はっきり言って、セクハラ以外の何物でもない質問だったが、事ここにいたっては聞かざるを得ない。

 

「なあ、ルルー。お前さ、今エッチな事って言ったけど、エッチって具体的に何するか知ってるか?」

 

「へ? ……それは……ええと、ペロペロしたりチューチューしたり……胸とか揉んだり……舐めたり……うわあ、セクハラ! セクハラー!」

 

 自分で口走った事が恥ずかしいのか、ルルーは顔を真っ赤にしてバシバシと横島を軽く叩き始める。

 痛みではない理由で、横島は顔をしかめていた。

 

「……それだけか?」

 

「そ、それだけって!? 他にどんなのがあるの!?」

 

 戦々恐々と、ルルーは顔を青ざめさせて横島を睨む。

 

 ――――なんてこった。

 

 嘆息するしかない。

 第三詰め所のスピリット達の幼さは、十分すぎるくらい感じてはいた。

 それは感情が失われていて、だから羞恥心も減っているのだと思っていた。

 だが、第三詰め所のスピリット達は想像を遥かに超えた純粋培養をされてきたらしい。

 羞恥心以前に、知識そのものがない。これでは心を取り戻しても、色気の欠片も出ないだろう。

 

「迷惑だった?」

 

 様子が可笑しい横島にルーが、不安そうな瞳を向けてくる。

 

「迷惑なんかじゃないぞ。ルーさんと一緒に寝られて俺も楽しかったし」

 

 素直な気持ちを言って、笑いかける横島。

 実際は、楽しい以上に、息子に血が集まるのを抑制するので苦しんだのも事実だったが。

 

「ヨコシマ様、大好きー」

 

 美人の告白。それも愛の告白だ。

 横島は泣きたくなるような笑いたくなるような、異様な気持ちを抱いた。

 年上の美女が、幼児の好意を向けてくる。これは、どうしたらいいのだろう。

 

(なんつーか……幼稚園児に『ダイスキー!』って言われてるような、ほのぼの感なんだが)

 

『実際その通りだろうしな…………………………幼くて良い』

 

(おい……おいロリ剣)

 

『いや、何でもないぞ……私は何を口走っているんだ?』

 

 密かに『天秤』の趣味があらわになったが、今はそれどころでは無い。

 ルーはそわそわと何かを待つように横島を見つめてきた。

 何を求めているのか、非常に分かりやすい。

 

「お、俺もルー……ちゃんの事が大好きだぞー」

 

「はい」

 

 ルーは幸せそうにはにかんだ。

 初めてルーを見たときは美人だと思った。美人ではあるが、それは冷たい彫像の美であった。

 今は、美人というよりも可愛く、ほにゃにゃ~んでへにゃにゅ~ん感じである。思わずちゃん付けしてしまうほどだ。

 

「……人を挟んで何言ってるの」

 

 ルルーがじと目で睨んでくる。姉と兄が仲良く通じ合っている姿に、色々と複雑なのだろう。

 さらに視線を感じて振り返ると、後ろに十人近いスピリット達がいて、じっと横島を見ていた。

 

「今夜は、私が部屋に行って良いですか?」

「私も、一杯おしゃべりしたいです」

 

 横島と夜を共にしたい(お喋りと添い寝的な意味で)スピリット達が順番待ち。

 

 ブシャァアア!!

 

 横島の鼻から、明らかに出てはいけない量の鼻血が放出される。

 鼻血は見事にルルーに命中して「わーん!」と悲鳴が上がる。

 

「こりゃあ、ホントにどうにかせんと」

 

 鼻血をだらだらと流し、ルルーに蹴られながら、横島は本気で第三詰め所の性教育を考えるのであった。

 

 第三詰め所にきて二日目の朝。

 この時点で、もう横島は認めるしかなかった。

 第三詰め所は、ハーレムに出来ない。というよりも、ハーレム以前の問題外なのだと。

 

 

 一方そのころ。

 セリア達は野営の片付けに取り掛かっている最中だった。

 

「出来れば今日中にサルドバルトまではたどり着きたいわね」

 

 地図を取り出しながらセリアは現在地を確認して、道程を確かめる。

 龍の住処までまだ距離がある。

 二箇所もあるのだから、道のりは最短でいく必要があった。

 

 地図を見て、道を確認していると、視界の端にうろうろと落ち着きなく歩き回る人影が映った。

 子供かと思ったら、ファーレーンが何故かそわそわとしていて、仮面の奥にある、深緑色の瞳が不安そうに揺れていた。

 

「どうしたの、ファーレーン」

 

「セリア……ヨコシマ様は今頃どうしてるでしょう」

 

 言われて、セリアや、会話を聞いていた周りも険しい表情になる。

 

「そういえば……確かに、食事とか作れてるのかしら?」

 

 皆の頭に、広い第二詰め所でぽつんと佇む横島が思い浮かぶ。

 想像の横島は「腹減ったー!」と叫んでじたばたしていた。

 ぎゅっと胸が痛くなった。

 この間までは役に立ちたいと気ばっかり焦っていたが、いざ行動を始めて冷静になると、今回の龍退治はやはり強行軍すぎた感がある。

 

「私は、ヨコシマ様が何か変なことをしていないか不安ね」

 

 ヒミカも険しい表情で言う。

 幾人の頭に、スピリット達の下着を被り、ベッドでアフンアフン言いながら寂しそうにしている横島が浮かんだ。

 

「もう、皆さん! 何を言っているんですか。ヨコシマ様はそんな人じゃありませんよ!」

 

「はい、ヘリオンの言うとおりでしょう。ヨコシマ様の嗜好は下着よりも中身にあると考えられます」

 

「そうです! ヨコシマ様は下着じゃなくてお尻やおっぱい……って、何言ってるんですかナナルゥさん~!」

 

「間違ったことを言っていないと思いますが」

 

 漫才チックな会話はさておいて、全員が一人残してきた横島が色々な意味で心配になったらしい。

 

「う~ん、そういう心配はしなくても大丈夫だと思いますよ~」

 

「どういうこと、ハリオン」

 

「きっと、第三詰め所でお世話になっていると思いますから~」

 

 ハリオンの言葉に、全員がしんとなって言葉を失う。

 あの煩悩男が、従順で疑うことを知らない第三詰め所のスピリットの元にいる。

 そこから導き出される答えは?

 

 イヤ~ン、ウッフーン、バッカ~ン。

 

 第三詰め所のスピリット達は、大半が元バーンライトと元ダーツィのスピリット達で心を失っている。

 彼女らは十歳前後で必要最低限度の知識を得たら、後は神剣に精神を食わせて心を失った人形にさせられてしまう。

 だから、そこで精神の年齢はストップしている。

 この十歳という年齢にしても、現代日本での十歳である小学四、五年生とは違う。

 碌なコミュニケーションも取れず、性教育も受けた事がなく、異性と接した事も無い十歳である。

 

 スキンシップと愛情に飢えながら、スピリット達は心を閉ざしていく。

 そこに現れる、色々な問題点はあるが愛情に満ち溢れていて、セクハラというスキンシップを敢行してくる横島。

 生みだされる結果は、二身合体か、あるいは三身合体か、十身合体もありうるか。

 

 ある程度の知識や精神性があれば、横島の変態的行為は蔑むべきものと分かる。

 ヒミカやセリアのように、愛情を持ってくれているのは分かるが、それでセクハラを許せるかは別の問題、と当たり前の認識できる。しかし、第三詰め所にはそれが分からない。

 

「不倫でしょうか?」

 

 ナナルゥが少し不安げな声でポツリと呟く。

 

 どこからか血の気が引く音が聞こえたような気がした。

 別に第二詰め所の中で横島と男女の仲になっている者はいないのだから、不倫などという呼び方は不適合なのだが、しかし心情的にはピタリと当てはまった。

 

「ど、どど、どうしましょう! 帰ったら『俺はこれから第三詰め所の隊長だから』なんて言われたらー!!」

 

 ヘリオンの悲鳴は全員にリアルな想像を与えた。

 どういう訳か、その場面を想像出来てしまうのである。

 

 龍を倒して凱旋する自分達。

 意気揚々と横島に龍を屠った事を報告するのだが、彼は褒めもせずにこう言うのだ。

 

『龍を倒すスピリットより、おっぱいを揉ませてくれるスピリットの方が良いスピリットだぜ!』

 

 そして、そのまま第三詰め所のスピリットとイヤ~ンでアッハ~ンなムッフ~ンへ―――

 

「じょ、冗談じゃないわよ!! 一体誰の為に龍を倒そうと……あっ」

 

 怒り猛っていたセリアだが、そこであることに気付いて言葉を詰まらせる。

 

 ――――――ちがう。私はヨコシマ様の為だけに強くなりたいのではない。

 

 目を閉じれば、あの光景がまざまざと蘇る。

 悠人の放った一撃から、自分は庇われた。その結果、横島が顔も判別できないほど滅茶苦茶になり、死の直前まで追い込まれたのだ。結局、横島から渡された文珠で命は助かった。

 

 あの時の無力感は決して忘れられない。

 もう二度と、あんな惨めな思いはしたくなかった。

 だから、自分のために、自身の誇りのために、龍を倒したかった。全て、自分のためなのだ。

 

 セリアの考えを、何人かのスピリット達も気付いたようだ。

 今回の龍退治は、『ヨコシマ様の力になるため』という建前で、自分勝手なワガママを押し通しているだけだと。

 本当に横島の為を考えるなら、エロい事してOK、とでも言った方がよほど相手も喜ぶだろう。

 しかし、いまさら『不倫されるのが怖いから戻ってきました』などと言えるわけがない。

 

「とにかく、私達に出来ることは速攻で龍を殺って、ラキオスに戻ることよ!」

 

 セリアの言葉に一同が頷いて、急いで出発するための準備が始まる――――と、そこで

 

「ちょっと待ってくださ~い」

 

 ハリオンがのんびりと声を上げた。

 

「どうしたのハリオン?」

 

「はい~実はイオさんに神剣通話の実験に付き合って欲しいと言われてるんですよ~」

 

「神剣通話?」

 

「何でも、神剣と神剣のハチョ~? を繋げて、遠く離れていても会話できるそうです~」

 

 ザワザワ。

 全員が騒ぎ出す。

 

「そ、そんなことが本当に可能なの?」

 

「それの実験に手伝って欲しいようです~。私の『大樹』に、何か色々と仕掛けをしてくれました~

 色々な条件があるそうで~なるべく強い神剣同士でやった方がいいみたいです。それと、呼びかけは私の方からしかできないようですけど。

 私の『大樹』だと、緑マナが濃い所なら出来るだろう……って言ってました~」

 

 どうやら、イオ・ホワイトスピリットとその主であるヨーティアという人物は相当な人物らしい。

 セリアはまだ半信半疑だったが、もし連絡が取れるなら、これは既存の戦術を一新させるかもしれない。

 

「ハリオン、やってみて」

 

「了解です~。もしもーし、ヨコシマ様~聞こえてますかー」

 

 ハリオンが自分の神剣である永遠神剣第六位『大樹』に向かって話し始める。

 その声は、僅かのタイムラグも無く、ラキオスにある『天秤』に中継され始めた。

 

 

 

「もしもーし、ヨコシマ様~聞こえてますかー」

 

「わ! なにこの声? どこから聞こえてくるの!?」

 

「お化けだったら、こわいよう」

 

 いきなり聞こえてきた声に、ルルーと、周りにいたスピリット達が騒ぎ出す。

 

 ここはラキオスの野外訓練場。訓練場といっても、要はスピリットが野外で訓練するための場所に過ぎない。

 横島は少し離れて小便をする為に、一時的に『天秤』をルルーに達に預けていた。

 何故預けたかというと、

 

『時々小便が飛んでくるのだぞ! エニの作ってくれた人形が汚れたらどうしてくれる!!』

 

 というような『天秤』の言い分らしい。気持ちは分からないでもない。

 緊急時ならそんな事は言わないのだろうが、周りをルルーに達に囲まれて、安全が確保されているなら、大丈夫と横島も『天秤』も判断していたのだ。

 何とも間の悪い時に、ハリオンは神剣通話をしてしまっていた。

 

「まさか、『天秤』の声が聞こえているのかな?」

 

「違いますよ~これは~神剣通話と言って~何と~」

 

「ああもう、話が長くなるからハリオンは黙ってて! かくかくしかじかよ」

 

 魔法の伝達言葉で説明を省略する。

 ルルーは圧倒的な技術力に目を丸くするしかない。

 

「……こんな事が可能なんて」

 

「ビックリですね~」

 

「いや、ハリオンさんがやってるんじゃないですか」

 

「そうですね~私ってすごいですぅ~」

 

 ハリオンの間延びした声が響いてきて、ルルーは笑ってしまう。

 第二詰め所は、実に個性的でユニークな連中の集まりだ。

 多分、こういう個性派の方が兄には似合っているのだろう。

 そんな考えが一瞬生まれて、ルルーは頭を振った。

 

「それで、どうしてヨコシマ様の神剣を貴方が持っているの? ヨコシマ様は?」

 

「えーとね、それはかくかくしかじかで」

 

「そんな理由で神剣を手放すなんて、何かあったらどうするつもりなの、あの人は。もし敵が来たら――――」

 

「周りは私達が囲んでいるから、絶対に安全です」

 

 隣にいたマセスハートが、ヒミカの言葉を遮って、きっぱりと言い切った。

 声には、確実に不快の色がある。

 そして、

 

「ヨコシマ様は……私達の隊長」

 

 宣言するように、ルーは呟いた。

 神剣の向こうから息を呑む声が聞こえたかと思うと、物凄い怒鳴り声が響いてくる。

 何種類もの声が交じり合っていたが、それはそのうち聞こえなくなっていった。

 

 プツン。

 古い電話のような音と共に通信は完全に途切れる。

 どうやら、かくかくしかじかしている間に、時間切れとなってしまったらしい。

 

 ちょうど、用を足した横島が戻ってきた。

 何か悪いことをしたと自覚している子供がするように、ルーはぷいっとそっぽを向く。

 横島は首をかしげた。

 

「何かあったんか?」

 

「あ~その……ううん、別に。はい、神剣渡すね」

 

 戻ってきた横島に、ルルーは何でもないよーと対応する。

 セリア達からの通信ついては何も言わなかった。どうして言わなかったかは、ルルーにもよく分からない。

 ただ、ルーの行動の心情は何となく分かった。

 少しでも第二詰め所と横島を離したい。自分達を見て欲しい。

 そんな、嫉妬じみた思いが根底にあるのだろう。

 

「そ、それで、今日はここでどんな訓練するの?」

 

「その前に、質問だけど」

 

 横島の声は重く、何だか緊張していた。

 顔付も、いつもよりキリッと凛々しくなっている。

 

「スピリットって、どういうときなら戦闘中で神剣を手放す?」

 

「いやいや、何言ってるの。何があっても神剣は手放さないよ。手放したら、そこで終わりだし。手放すのは死んだときか命令された時ぐらいだよ」

 

 ルルーの答えに「だよなぁ」と力なく頷く。

 一体を何を確認しようとしているのか。

 横島は真剣な表情で、第三詰め所を見つめる。

 

「今日は、集団で本格的な実践訓練をする。実践だと思って戦うんだぞ」

 

「……チーム分けは?」

 

「俺と、第三詰め所で分ける。ただグリーンスピリット数人は回復役に徹してもらうから外れてもらう」

 

 実質、一体二十の戦い。

 第三詰め所の力を甘く見ているな、とはルルーは思わない。むしろ、勝負になるかどうか心配なくらいだった。

 第三詰め所のメンバーは殆どマナを供給されていない。ラキオスと戦ったときと比べて、レベルがまったく上がっていないのだ。

 逆に、横島は以前よりも間違いなく強くなっている。

 ただでさえ、神剣の位が違うのだ。攻撃が通るかどうかすら怪しい所だ。

 

「……言っとくけど、寸止めしないからな」

 

 当然の台詞に、ルルーの心臓が跳ね上がった。

 

「ちょっと待って! 兄さん、ボク達を殺す気!?」

 

「グリーンスピリットが回復に徹してもらうから、大丈夫だ。俺も広範囲の神剣魔法は使わんから」

 

 そうは言うが、万が一は考えられる。

 ルルーがなおも取り縋ろうとすると、

 

「ルルー、反論しちゃだめ!」

 

 他のスピリットはルルーをたしなめる。

 人間に反抗するなど、彼女らは考えない。どのような理不尽があっても、唯々諾々と従う。

 疑問に思わない。相手の裏を読もうと思わない。ただ、命令を実行する。

 彼女らは、この上無く優秀な戦闘奴隷だった。

 そんな彼女たちを見て、横島は決意を新たにする。

 

「それじゃあ……この石を投げるから、地面についたら開始でいいか?」

 

「え? うん、良いんじゃないかな」

 

 問いかけられ、何となく違和感を持ったルルーだが、素直に頷く。

 横島の視線は、やはり厳しい。

 

「戦う場所は、俺はここ。ルルー達は……あの少し離れた原っぱ辺りから開始でいいか?」

 

「どうして兄さんに指定されないといけないの?」

 

「ルルー、文句は駄目」

 

 ルルーはやはり何か引っかかったようだが、他のスピリットは素直に頷いて、横島が指差した原っぱに向かう。

 首を捻りながらも、ルルーも従った。

 

 全員が位置についたのを確認して、横島は石を投げる。

 それは放物線を描か――――ないで真下に落ちた。

 

「ええ!?」

 

 驚愕する第三詰め所のスピリット達。

 横島は、放り投げた石に極小のサイキックソーサーをぶつけて、石の軌道を変化させたのだ。

 こずるい策略によりルルー達の出足をくじき、先手を取った横島は、間髪いれずに次の策を発動する。

 

「発動! 成功型失敗文珠!!」

 

 ルルーの足元に転がしてあった黒ずんだ三個の文珠が、光を放ち爆発する。周囲に大量の煙がわき上がった。

 煙は一面に広がって、ルルー達を包み込んで完全に視界を塞いでしまう。

 文珠の生成に失敗した時に発生する、霊力のカスを利用したのだ。

 ちなみに、この成功型失敗文珠は、一日で三個も作れる生産力の高い失敗品である。

 

(完全に罠じゃないか! だから変な予感がしたんだよ!)

 

 ルルーは内心で今度は絶対に引っかからないようにと反省する。

 完全に虚を突かれた状況で、さらに視界がゼロ。

 煙の中で、動揺する声が幾重にも重なる。

 

「こんな煙なんて!」

 

 ルルーは全力で神剣を振り回して、衝撃波で煙を吹き飛ばそうとした。

 だが、どうしたことか煙は一向に吹き飛ばない。まるで煙が意思を持って纏わりついてくるようだった。いや、実際に纏わりついてきている。

 煙を引き離す速度で走るか。

 ルルーはそう考えたが、すぐに破棄する。下手に動くと全員バラバラになる。

 第三詰め所の有利な点は数だけだ。その利点を手放したら、あっという間に各個撃破されてしまうだけ。

 お互いに視界は利かないのだ。条件は対等。ならば、

 

「皆! グリーンスピリットを前面にして陣を組んで! 視界が利かなくても、神剣反応さえ見れば場所は分かるから!! 慌てないで大丈夫」

 

 ルルーは即座に指示を出した。

 実践では密集すると大規模神剣魔法で全滅する恐れがあるので、散開と集合を臨機応変に繰り返す必要があるのだが、今回の訓練では強力な神剣魔法は禁止してあるから問題ない。

 

 神剣反応さえあれば、視界が塞がれていても場所を特定できる。

 視界が塞がれたまま、神剣反応のあるところにグリーンスピリットを中心に外側に障壁、内側に槍衾を作って防御陣形を構築した。

 

「レッドスピリットは神剣反応箇所に砲撃して、ブルーは強襲準備、ブラックは遊撃」

 

 またルルーの指示で、レッドスピリット達は炎の矢を飛ばす。

 決して悪い判断ではなかった。相手が横島でなければ。

 

「ぐあ!」

 

 スピリットの悲鳴が聞こえた。

 ルルー達が陣形を組んだ、真後ろからだ。

 意味が分からない。どうして、神剣反応と真逆に地点で襲われるのだろう。

 そうこうしているうちに、後ろにいたレッドスピリット隊の反応が次々消えていく。

 

(まさか、本当に殺しているわけじゃないよね!?)

 

 一瞬、不安になったが、流石にそれは無いと思いなおす。

 

「グリーンスピリットの半分は後ろに回って!!」

 

 ルルーが指示して、グリーンスピリットを後ろに回す。

 すると、今度は左翼と右翼にいたブルースピリットとブラックスピリットが悲鳴を上げた。

 

「何か、飛んできた!? 攻撃きてる!」

 

「ええ!? どういうこと!!」

 

 相手は一人のはずなのに、四方から攻撃を受けている事になる。

 どうにかして遠隔攻撃をしているのは分かるが、手段が分からず、横島本人が神剣反応の所に、本当に存在しているかも分からない。

 

「仕方ない! グリーンスピリットは円形になって防御態勢にして!! 上空も警戒してね」

 

 四方にグリーンスピリットを配置して、どの方向から攻撃が来てもいいように備える。

 だが、それは悪手だった。まず、どうしてルルーはグリーンスピリットを集中的に運用しようしたのか。それは、力の差がある横島が、もし突撃してきたら、全グリーンスピリットをぶつけるしかないからだ。

 

「おんだらああああ!」

 

 霧の中から横島の気合いの声が響いたかと思うと、薄くなったグリーンスピリットの障壁は一気に打ち破り、陣の中に入ってきた。

 ルルーは舌打ちする。こうなったらもう、突撃してグチャグチャにするしかない。

 

「全員突撃!!」

 

 もうこれしかないと、ルルーは声を張り上げる。

 だが、誰も動かなかった。

 ふと、気づく。音がしない。剣戟の音も、声も、何も音がしない。

 

「わああああ!!」

 

 声を張り上げたが、自分の声すら聞こえない。視覚が奪われたら、今度は聴覚だ。

 何が何だか分からないうちに、バタバタと神剣反応が消えていく。

 

(どうして視界ゼロなのに、こんなに上手く立ち回れるの!?)

 

 疑問ばかりが膨らんでくる。こんな訳の分からない戦いは始めてだった。

 とうとう、神剣反応が全て消える。残っているのは、自分と、兄だけ。

 

(せめて一矢報いてやる!)

 

 永遠神剣第七位『反抗』から全ての力を引き出す。

 同時に、霧の中から兄が飛び込んでくる。ここまで近づけば、いくらなんでも見える。

 兄は、右腕に持った『天秤』を、思い切り振りおろしてきた。

 必死に受け止める。重い一撃だったが、何とか受け止める事が出来た。

 ここから反撃――――

 

「え? どうして?」

 

 気が付くと、肘から先が斬り飛ばされていた。

 見ると、左手に持った『天秤』で、切り上げられたらしい。

 もう本当に訳が分からない。一体何時の間に、神剣が移動したのか。

 ボトリと、手が落ちる音が聞こえた。音が戻ったかと思うと、みるみる霧が晴れていく。

 

 霧が晴れると、そこにはうずくまるスピリット達の姿があった。

 傍には、神剣を握ったままの腕がいくつも落ちている。ぞっとするような光景だ。

 ルルーも、神剣を握ったままの、自分の腕が血だまりに落ちていて、流石に顔を青ざめさせた。

 

「ムーちゃん! 回復、回復!」

 

 血しぶきを浴びて赤と黄金色に染まった横島が、待機しているグリーンスピリットに声を張り上げる。

 この惨状を作り出した張本人とは思えないほど、泣きそうで蒼白な表情だ。

 

「永遠神剣――の主が命ずる――――」

 

 グリーンスピリット達は一斉に回復魔法の詠唱を開始した。

 吹き飛ばされた腕がマナの霧となって消える。

 それとほぼ同時に、スピリットの腕が再生を始める。

 怪我をした直後だったから、初級の回復魔法でもほどなく完治する。

 

 ルルーは項垂れた。

 何が何だか分からないうちに負けた。まず、戦いそのものになっていなかった。

 練り上げた剣術も魔法も、殆ど使用しないまま負けてしまったのだ。

 それも、全員が腕を切り落とされて神剣の守護を失って無力化されるという、馬鹿馬鹿しいほどの力の差を見せ付けられた。

 理解する。これは訓練では無い。実験だと。

 

「実験は上手くいった? スピリットをそんなに殺したくないんだ。兄さんって本当に優しいね~」

 

 ブスッと頬を膨らませて、面白くなさそうにルルーが言った。

 ルルーは良く見ている、と横島は普通に感心した。

 確かに、今回の戦いは実験だった。自分と、そして彼女らの力を試す為の。

 

(まあ、大体目標達成できたけど)

 

 今回の戦いの結果に、それなりに満足する。心は痛かったが、必要な事だったのだと、何とか自分を納得させる。

 横島の目標の一つが、可能な限りに敵のスピリットを殺さずに倒す、というものだ。

 『可能な限り』である。いざという時は、横島も割り切る、だから、『可能』を増やし、いざという時を起こさせないようにする必要があったのだ。

 

 今回の実践訓練は、この『可能な限り』の可能を増やすための訓練だった。

 まあ、それだけが目的という訳ではない。他にも、色々見られたのは幸いだった。

 それにしても、と横島は思う。

 

(もし美神さんとおキヌちゃんがいてくれたらなあ)

 

 殺さない為に、腕を斬り落とす。その方法が本当に上手くいくか、実際に実験してみる。

 真面目に考えて、こんな方法しか思いつかなかった自分が情けなかった。

 二人がいれば、こんな辛くシリアスな世界を、ギャグで塗り替えられるかもしれないのに。

 

『愚かなことを。神剣持ちならともかく、今更あの二人が来たところで何の戦力にもならないだろう』

 

 横島の希望を打ち砕くように、冷徹で現実を見据えた声が頭に響いた。

 戦闘力で言えば、確かにそうだ。最低限、小竜姫クラスの力が無いと、戦闘なんて出来やしない。

 今の自分なら、強化されたぺスパが十人いても戦えるのだ。力ずくで倒す事も、不可能ではないだろう。

 強くなった。大部分は神剣のおかげだが、それでも強くなったには違いない。戦闘力だけではない。訓練で女の子の腕を斬り飛ばすなんて、昔の自分ではできなかったはず。肉体も精神も強くなった。

 だが、どうにも成長したとは思えないのだ。

 

『馬鹿な事を言う。今まで出来なかった事がやれるようになった……これが成長ではなくて何だと言うのだ』

 

「そりゃあ、そうなんだけどなあ」

 

 それでも、思うのだ。どこかで、道を間違えたのではないか。

 強くなるとは、本当にこういう事だったのかと、美神を思い出すたびに疑問がよぎってしまう。

 ズキンと久しぶりに頭痛が来た。

 考えるのを止める。訓練は、実験は、これからだ。

 

「次の訓練を始めるぞ。次はな、逃げる訓練だ。俺と追いかけっこをして、捕まったら負けな」

 

「追いかけっこ? 逃げる?」

 

 聞いたことが無い訓練に、全員が首を傾けた。

 

「ああ、これから勝てない相手が出てきたら、命令を待たずに、咄嗟の判断で逃げることも必要だからな」

 

「咄嗟って……命令無しで敵前逃亡なんてスピリットには出来ないよ」

 

「そこは戦略的撤退とか、後ろに向かって前進とでも言えばいいんだ」

 

「おー流石に兄さん。汚い、とても汚い」

 

 ルルーは感心したように頷いたが、彼女以外のスピリットはよく理解できなかったのか、頭の上に? マークを飛ばしていた。

 そんなスピリット達の様子を、内心溜息で横島は見つめていると、ルルーがぴょんと手を挙げた。

 

「やっぱり空飛ぶのは無し……だよね?」

 

「いや、いいぞ」

 

「え、でも」

 

 疑問を言い終わる前に、横島は歩き出した――――空中へと。

 まるで透明の階段があるように、すたすたすたと、空中を歩いて見せる。

 サイキックソーサとオーラフォトンを組み合わせて足場を作ったのだ。

 ルルーは口をあんぐりと開けるしかない。

 

「ま、こんなもんだな」

 

「こんなもんって……エトランジェって……霊能力者って皆そんなことできるの?」

 

「全員ってわけじゃないけど、空を飛べる奴は結構いたぞ」

 

「霊能力者って凄いんだねえ」

 

 感心したように頷くルルーだが、横島としてはそれで霊能力者が凄いとは思わなかった。

 あの世界のGS連中の強さは、力が強いとか空が飛べるとか、そういう次元ではない。

 神の御業も、悪魔の所業も、高笑いして潰していく。

 スキルがあるから強いのではない。道具があるから強いのではない。頭が良いから強いのではない。

 言葉にするのは難しいのだが、あえて言うのなら、誰も彼も『イイ性格』で強かった。 

 

『私には、分からんな。戦いに必要なのは、まず能力だろう』

 

「……お前みたいなタイプが、美神さんにとっては一番カモだろうな~」

 

『何だと!? 貴様はまだ永遠神剣の恐ろしさが分かっていないようだな』

 

 怒りの声が響くが、やはりどう想像しても、美神のハイヒールでゲシゲシと蹴られる『天秤』の姿が浮かんできて、横島は笑ってしまう。

 

「それとな、この追いかけっこで捕まったら奴とは、今日は口きかんから」

 

 唐突な横島の発言に、辺りがしーんと静まり返る。

 鳥の声や虫の鳴き声すら消えてしまった沈黙から少しして、

 

「や、やだー!」

「そんなの、駄目」

 

 姦しい声が辺りに木霊する。

 彼女たちにとって、横島と会話するという行為は、一日で一番楽しい時間なのだ。

 あちらこちらから悲鳴が上がるが、横島は目を閉じて心を鬼にする。

 

「よし、じゃあ十秒数えたら追いかけるからな。ほい、ストラロ~(10)、クトラ~(9)、キトラ~(8)」

 

「え、ええ?」

「ど、どうしたら」

 

 いきなりのカウントダウンに、動揺して混乱するスピリット達だったが、

 

「何してるの!? まずは急いで逃げないと!」

 

 まず、ルルーがウイング・ハイロゥを展開して、空中に逃げ出す。

 ルルーが逃げ出すと、ようやく他のスピリットが動き出した。だが、ここでルルーの予想外の事態が起こる。

 なんと飛行できるブルースピリットとブラックスピリットが、全員一塊になってルルーの周辺を飛んでいる。

 さらに、地上ではグリーンスピリットとレッドスピリットが走って追いかけてきていた。

 

「な、何で固まって動いてるのー!?」

 

 ルルーが叫ぶと、何人かが顔を見合わせた。

 確かに、ルルーの言うことは当たっている。このままでは捕まった時、一網打尽だ。

 それは分かったが、じゃあどうしたらいいのか分からない。

 

「早く全員散って~~!!」

 

 涙目でルルーが指示して、ようやくスピリット達は散り散りに逃げ始める。

 その逃げ方も、地理を生かそうとか、囮を使って撹乱しようとか、一切考えず、ただ全力で走るか飛ぶだけ。

 何だかルルーは情けなかった。自分で考えることがまったく出来ない。ひたすら指示を待って動くしかない。

 それはそれで命令尊守の兵士の鏡に見えないこともないが、命令を尊守するのと思考ができないのは別の問題だ。

 命令の枠内で、自己の判断で最善を尽くしてほしい。この有様では、事細かに指示しないと不安でしょうがなかった。

 

(きっと兄さんは、こういう部分をなんとかしたくて、この訓練を始めたんだろうな)

 

 この訓練の意図を理解する。

 思えば、さっきの戦いでも、場所の指示や、戦いを始める条件を決めていたが、決して命令はされていなかった。

 この訓練は敵を倒す訓練ではない。頭を使い、自分で考え、そして――――。

 

 とにかく生きてくれ。死なないでくれ。

 そんな横島からの想いを感じて、ルルーは熱い気持ちが胸にせりあがり、想いに答える為の頭を冷やす。

 

 さて、どうやったら逃げられる? このまま飛び続けるか?

 駄目だ。そもそも、向こうのほうが足が速い。それに野外訓練場の範囲限界まで逃げたら、後は追いつめられて捕まってしまう。

 どうする、どうする、どうする…………

 

「あっそうか!」

 

 ――――スピリットって、どういうときなら戦闘中で神剣を手放す?

 

 ヒントは、何度も出されていたのだ。

 神剣さえ手放せば、神剣反応で追いかけられる事は無くなる。

 戦わずに生き残る。それを意識すれば、答えは簡単だった。

 

 空を飛んで辺りを見回す。すると、ちょうどいいものを発見できた。

 ルルーは、神剣を藪に隠して、泥の中に飛び込み、ゆっくりと身を沈めていった。

 

 

 

 

「やっぱりお風呂は最高だね!」

 

 手ぬぐいを頭に乗せたて、ほかほかしたルルーが、第三詰め所に戻ってくる。

 結局、逃げ延びれたのは神剣を手放して沼に飛び込んだルルーだけだった。

 全身泥まみれのルルーを、横島は声を立てて笑ったが、唯一褒めたのもルルーだけだった。

 

 風呂からあがってリビングに戻ると、兄はぼうっと窓から外を見ていた。周りには、沢山のスピリットがウロウロしている。

 

「にゃ~」

「お茶、入れますか?」

「お菓子もあるよ」

「ちち~しり~ふともも~」

 

 横島に纏わりつきながら、色々と行動するスピリット達。だが、横島は彼女らに何の反応も示さない。

 捕まったスピリットとは、今日一日話さない。

 それは脅しではなく、本当だったらしい。

 

「私は、ここにいる。ここにいるの!!」

 

 無視され続けて、我慢の限界に達した一人の、悲痛な声が響く。

 話して欲しいとも、愛して欲しいとも言わない。

 私は、ここにいる。

 スピリットの心を壊す調教の本質を表した、正に悲鳴だった。

 

「ねえ、兄さん。少しぐらいは話しても」

 

「ダメだ! 俺だって辛いんだぞぅ!」

 

 横島はぐっと唇を噛み締めて、憮然と言った。そして、指をトントンとテーブルにぶつけて、何だか落ち着かない様子である。

 何かを待っているのかな、とルルーが思ったと同時に、チリンチリンと呼び鈴の軽やかな音が響き渡った。

 これまた同時に、横島は玄関に駆けだす。扉を開ける音が聞こえ「待ってました!」と横島の軽やかな声が響いた。

 

「こんにちわです~」

 

 満面の笑みを浮かべた優しそうな女性が、第三詰め所に入ってきた。

 

「マリオンさんだ。これからの、皆の教育係の一人だぞ」

 

「教育係って……」

 

「俺だけで皆を立派なレディにするのは難しいからな。それに、色々な人と触れ合うのは大切な事だろ」

 

 まるで親や教師のような発言だった。

 それだけ横島は本気なのだ。冗談で第三詰め所のスピリット達と付き合っているわけでは無い。

 第三詰め所のスピリットの、命と尊厳と心。それを育み、守る為にも、女性の教育者は必須と横島は考えたのだ。

 

「えっと、マリオン様、よろしくお願いします」

 

 物怖じしないルルーが、まずしっかりと挨拶する。

 

「礼儀正しい良い子ですね~私の事は、マリオンお婆ちゃんでも構いませんよ~?」

 

「お、お婆ちゃんって……どうみてもボクより少し年上なだけじゃないですか」

 

「あらあら~嬉しいことを言ってくれますね~こんな六十のお婆ちゃんに」

 

「……うそ」

 

 どうみても二十才ぐらいにしか見えない。

 

 信じられないぐらいの童顔で、スタイルも抜群だ。肌もピチピチしていて、髪の艶も良い。垂れ目で、とても優しそうな印象だ。

 ただ、鼻が少し潰れていて全体的にのっぺりとした印象があるからか美人とは言い辛い。可愛いとか愛嬌がある、という言い方が適切だろう。どちらであろうと、六十の女に対する感想とは思えない。

 

「あら~ばれちゃいましたね」

 

 どうやら流石に六十歳は嘘だったらしい。

 ルルーはほっと胸を撫で下ろそうとして、

 

「実はサバを読んでいて~本当は七十歳です」

 

「嘘だ!!」

 

「ひゃあ! 大声を急に出されると怖いですよ~」 

 

「あ、ごめんなさい」

 

「いえいえ~ゆっくりと大きな声を出してくれるなら、怖くないから大丈夫です~」

 

 ニコニコとマリオンは笑う。

 ルルーはどうもマリオンのノリに付いていけず、曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。

 

「この人は、ハリオンとへリオンの育ての親だ」

 

 横島の説明に「ああ、なるほど」と納得してしまう。

 これは確かに、あのハリオンと同じ雰囲気だ。

 実は、マリオンはハリオンをして『のんびり』と言わしめるほどの人物だったりする。

 ヘリオンは所謂反面教師としてマリオンを見ていたのだろう。だから、あんなに忙しないのだ。

 

「それじゃあ、マリオンさんお願いします。俺はちょっとやることがあるんで」

 

「また出かけるの? 何だか忙しいね」

 

 ここ最近、ルルーは横島がのんびりしているのを見た事がなかった。

 いつも何かかしら忙しそうに動き回っている。以前は町で遊んでいると聞いていたが、最近は町にもそれほど姿が無いらしい。

 帰ってきても、スピリットと触れ合っている時以外は、地図や書類を睨みつけている事が殆どだ。

 

「それにしても、『今日一日口聞かない』とか言っといて、これから一日出かける予定があったなんて……本当に兄さんって……えへ」

 

「……なんじゃい、その変な笑いは」

 

「べっつに~。ただ……えへへ~」

 

 悪っぽく笑みを浮かべるルルー。

 何だか恥ずかしくなった横島は、頬を紅潮させて睨んだが、何かを思いついたようで、ルルーと同じような悪巧みな笑みを返す。

 

「何言ってんだ。お前も頑張るんだぞ。ルルー・ブルースピリット隊長」

 

「へっ? たい……ちょうって?」

 

「ルルー・ブルースピリット! 第三詰め所隊長に任ず!! ……ほい、辞令だ」

 

 横島は懐から取り出した封書をルルーに渡す。

 しっかりと、ラキオスの紋様である龍の花押が押されていて、中から一枚の羊皮紙が出てきた。

 そこには、確かにルルーを隊長とする辞令と署名が記されていた。名前の所だけが、まだインクが滲んでいる。

 どうやら、書き込まれたばかりらしい。先ほどの訓練は、どうやら隊長を選出するのも目的だった様だ。

 

 ――――何でルルーが……ヨコシマ様じゃないの……私は構わないけど……ヨコシマ様がいいよ~

 

 ひそひそひそひそ。

 辺りからそんな声が聞こえてくる。

 

「うぎぎ……兄さん。分かって言ってるでしょ!」

 

「ん~、何の事か分からんな。これから、隊長としての勉強がた~っぷり待ってるからな!」

 

「兄さんの鬼ー! 悪魔ーー!!」

 

「ふ、なんとでも言うが良いわ! ……頼んだからな」

 

 横島がルルーの肩に手を置く。

 肩に置かれた手には、少なからず力が込められていた。

 

「分かってるよ。任せておいて」

 

 ルルーは力強く頷いた。

 とにかく、死なないでくれ。

 それが、兄の一番望んでいる事だと気づいている。

 自分達の為にも、そして兄の為にも、精一杯頑張らないといけない。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

「あっ……行ってらっしゃい」

 

 スピリットが何処かへ行く横島に声を掛ける。

 やはり、横島は返事をしない。返事が返ってこなくて、しょんぼりするスピリット達だが、

 

「美味しいパンが食いたいなー(チラチラ)」

 

 そんな独り言を呟いて、何度も視線をスピリット達に送った後、仕事に出て行った。

 ルルーは馬鹿らしいような、微笑ましいような、恥ずかしいような、良く分からない気持ちになった。

 マリオンはニコニコしながら、スピリット達に向き直る。

 

「それじゃあ、何から教えましょうか~」

 

「美味しいパンの作り方ーーーー!!」

 

 異口同音でスピリット達が答え、マリオンは優しく微笑むのであった。

 

 

 

 

 それから数日が経過した。

 ルルーは毎日毎日お勉強で忙しい。

 特にマリオンの『夜のお勉強会』は、色々と意識をさせられて大変だった。

 中学生の時、保健体育の授業が妙に恥ずかしかった、あの感覚に近いだろう。

 

「う~恥ずかしい」

 

 女のあれこれを教えられて、妙に熱くなった顔を冷ますために、夜の散歩に出る。

 夜風を浴びて、気持ち良く涼んでいると、思いがけない人物にあった。

 

「兄さん! どうしたこんな所で」

 

「お前こそ、どうしたんだよ」

 

「ボクは……その、顔の火照りを冷ます為に」

 

「ほ~なるほどなるほど。マリオンさんの授業は、どういう感じだ?」

 

「うぅ……エッチな話は恥ずかしいよ」

 

 耳まで真っ赤なルルーが涙声に近い声色で呟く。

 嫌いというわけでは無いが、苦手と言った感じらしく、イヤイヤと首を横に振っていた。羞恥心は着実に育っているようだった。

 それなりに成熟した子供は、性を不潔と捉える時期がある。ルルーはその時期にはいったらしい。

 ちなみに、ルー達はまだ恥ずかしいという感情よりも、面白いという感情の方が先にくるようだ。

 

「子供やな~俺の妹なら猥談ぐらいできんと失格だぞ」

 

「兄と猥談する妹なんかいるか!」

 

「いや、世の中には結構いるらしいぞ」

 

「ええーそれやだな~」

 

「確かに、エロイ姉ちゃんならともかく、エロイ妹がいても意味無いよな」

 

「この変態兄め……それで、こんな夜更けに外でなにやってんの」

 

 こんな夜中に、一体どうしたのだろうか。

 自分と同じく夜の散歩かと思ったが、このお祭りのように賑やかな兄が一人で散歩している光景など、何かの笑い話にしかならない。

 誰かと待ち合わせでもしているのかな、とルルーが考えていると、ゆったりとした足音が近づいてきた。

 

「おや、妹様もお連れで」

 

「偶然だ。つーか、何でお前までこいつを妹扱いしてんだよ」

 

「ははは」

 

 現れた男は中肉中背の短髪で、何処にでもいそうな特徴の無い顔をしていた。若年にも壮年にも見える。形容する言葉が見つからない。特徴が無いのが特徴、とでも言うしかない。

 目の前で話をしていても、ふと相手の顔が分からなくなるような希薄さが目の前の男にあった。しかし、初対面でも何処かであったような気にさせる存在感がある。

 ルルーは頭に思いついてきた言葉を言った。

 

「……憲兵?」

 

「はい、憲兵ですよ」

 

 男はあっさり答える。

 ルルーの表情がさっと変わった。

 

「家の兄が何か……まさか下着泥棒!? 強制わいせつ罪!? 下半身露出でもしたの!!」

 

「はい、女性用下着を一万枚も盗み出してしまって」

 

「うわ~最悪。ま~いつかはやると思ったけどね」

 

「おいこらそこー! 俺は中身専門で下着は妄想の補助程度だぞ!」

 

「胸張って言うことじゃないよね」

 

「ええ、まったくです」

 

 憲兵の男とルルーは互いに頷きあう。

 初対面とは思えないほど会話が進む。横島というバカは、話のネタに最適だ。

 

 また暗闇の中に、ルルーはふと気配を感じた。気配を感じた方を、じっと目を凝らして見てみる。

 そこには、黒い外套を纏った男が夜の闇に溶け込んでいた。

 ターバンのようなものを顔に巻きつけていて、目だけしか表に出ていなかった。その目も、何も映していない。

 とても挨拶や会話なんて出来る雰囲気ではなかった。

 

 スパイや諜報員に該当する、闇の戦士であると理解したルルーは、露骨に嫌な表情をする。

 黒衣の外套を纏った人間は音もなく近づいて、横島と憲兵の耳元でひそひそと何やらを呟く。

 

 ――――追いつめたぞ。

 

 ぞっとするような声が、歪に開かれた横島の口から漏れた。

 ルルーは思わず耳を塞ぎたくなる。いつも楽しく面白い兄から出る声とは思えないほど、暗く恐ろしい声だった。

 

「俺は今日から最低二日は留守にすっから。皆に伝えておいてくれ」

 

「ええ!? 急になにそれ!!」

 

「俺は俺でやる事があんだよ」

 

「やる事ってなに!」

 

「何そう怒ってんだよ」

 

「怒ってないよ! ただ……兄さんが」

 

 何処かに行ってしまいそうで。

 よく分からない不安で、ルルーの唇がへの字の形に変わる。

 

「何だ、まさか寂しいのか?」

 

「別に寂しくなんてない!!」

 

 ルルーは自分でも思っていなかったほど大きい声が腹から出てきて、恥ずかしくて俯いてしまう。横島も、案外とルルーが寂しがっていると分かって少しニヤニヤしてしまう。笑みに気づいたルルーは、カッとなって横島の足を蹴りだした。

 憲兵と名乗った男は、にこやかにルルーを見守っていたが、笑いながら横島にそっと耳打ちした。

 

「では、いきましょうか。逃げれないよう、周りは確実に囲んでおきます。戦闘の恐れもありますから、周囲から人を遠ざけた上で、突入は貴方一人で。どのような光景が広がっていても……奴らを殺さないようにお願いします。情報を聴きだした上で、法にのっとり、見せしめも兼ねて処理しますから」

 

「ああ」

 

 感情のこもっていない返事をする横島。

 

「それじゃあ行くか。ルルー、皆にはよく言っといてくれ」

 

「あ、うん。分かった……気をつけて」

 

 心配そうに言うと、横島は手をひらひらさせて、男と共に歩きだす。

 そうして、彼らは闇の中に消えていった。

 周囲の闇が、まるで横島の体に入り込んでいくようで、ルルーは思わず身震いした。

 

 

 

 

 サルドバルトの南東に広がる湿地帯。その奥地に、ビルが飲み込まれるような巨大な縦穴があった。

 縦穴の奥には、まるで青々しい山がそびえる様な巨体がある。

 龍だ。名をネストセラスと言うが、その本名を知るものはいない。

 

 この龍は、悠人達に討伐された守護龍サードガラハムと同じく、高い知能を持っていた。

 だから、この世界の現状を深く考え、そして迫り来るものがどういう意図を持っているかを悟るのも造作ない。

 

(遂に、この時が来たか。是非も無い)

 

 スピリット達が殺意を持って迫っている。それを感じた。

 龍は、いつかこうなる事を理解していた。

 恨みは無い。未練も無い。『門番』としての役目は果たせるだけ果たした。もはや自分が為す事は何一つない。

 この身に蓄えられている莫大なマナ。この莫大な力で生産も破壊もせず、無為に生きていくのは罪悪に等しい。

 だから、討ち果たされても構わない。

 とは言っても、ただで殺されるつもりも無かった。

 生ある者の勤めである、生きるための努力を放棄するつもりはない。

 

 ――――来るがいい、妖精よ。我が最後の舞台に付き合ってもらおう。

 

 雄大に、荘厳に、龍はスピリットの訪れを待ち続けた。

 だが、予想に反してスピリットは訪れなかった。

 

 訪れたのは、洞窟内に怒涛の如く流れ込んで来た炎の波。雷の鞭。そして、大地揺るがす衝撃。

 圧倒的な熱量が逃げ場の無い洞窟内を埋め尽くしてゆく。魔の炎は洞窟内を灼熱地獄と変えた。

 

「オオオオオォォォォォォ!!」

 

 龍は炎の海でもがき苦しみ、雷の鞭で打たれ咆哮する。硬い岩肌はチョコレートのように溶け出して、龍の鱗に張り付く。

 地獄の釜とも呼べる中、のたうつ龍が見たものは、何十トンにも及ぶ岩盤が崩れ、潰されていく我が身だった。

 

 遠くから、その様子をつぶさに観察する人影があった。

 青のポニーテールを揺らしたセリアが、グラスにマグマを注ぎ込んだも同然の縦穴を、睨みつけるように観察していた。

 隣には、荒く息を吐いて、呼吸を整えているナナルゥの姿がある。

 

「目標に着弾を、確認しま、した」

 

「ええ、さすがナナルゥね。アポカリプスって言ったわね。大した神剣魔法よ」

 

「ですが、詠唱の長さと、マナの消費が激しく……さらに効果範囲が広すぎるため……戦場での使用は限定……されると」

 

「疲れてるんでしょ。無理して説明しなくても大丈夫よ」

 

「……はい」

 

 何となく、しゅんと肩を落としたナナルゥ。

 案外、この新技を自慢したかったのかもしれない。

 

 これで潰れてくれれば楽なのだけれども。

 

 セリアはマグマ溜まりとなった巨大縦穴を観察する。

 足の裏に、僅かに振動を感じた。

 何か巨大なものが、地下から這い出てこようとしている。

 

「ナナルゥ」

 

「はい」

 

 ナナルゥは最後の力を振りしぼって離脱する。

 彼女の役目は、最初に最高の痛打を与える事。十分役割は果たした。後はこちらの出番だ。

 いよいよ振動が激しくなって、セリアはウイング・ハイロゥを展開させて空中に飛ぶ。

 少し遅れて、地面が大きく裂け、裂け目から緑龍が翼をはためかせて空へと舞い上がってきた。

 セリアを見る目は怒りに燃えている。かなりダメージを負っているように見えたが、まだ五体満足で動き回れそうだ。

 

「あれぐらいじゃ潰れてくれないか」

 

「当然だ。妖精よ、汝は選択を誤った。大人しく我が眼前にくればよかったものを。

 我が翼を見よ。汝ら妖精の脆弱な羽とは比べものにならぬぞ! 洞窟内ならいざしらず、この翼を使える空中で龍を打ち倒せると思うたか!!」

 

 荘厳すら感じる龍の声。そこに含まれる怒りの響き。

 並の人間なら卒倒しかねないプレッシャーをセリアは一身に浴びるが、

 

「言いたいことはそれだけ?」

 

 大気すら震わす龍の怒気を素っ気無く受け流す。

 背中のウイングハイロゥに力を注ぎこんで、龍とは逆方向に飛びぬけた。

 

「逃げるか、愚かなものめ」

 

 龍も翼を広げて、逃げたセリアを追う。言うだけの事はあり、龍の方が僅かに素早いようだ。

 この巨体がどうしてここまで素早く動くのか。小山がハヤブサのように飛んでいるようなものである。

 龍とセリアの間はぐんぐんつまり、あと少しで龍の爪がセリアを捉える――――

 

「龍の鱗を貫くのは確かに難しいわ……だから、鱗が無い部分を貫けばいい話よ!」

 

 気配を殺して龍の通り道に潜んでいたヒミカが、龍の背後で神剣魔法の詠唱を開始する。

 フレイムレーザー。何本もの強力な熱線を生み出す神剣魔法だったが、龍は鼻で笑う。

 目や口などの急所では無い限り、危険は無いだろう。今はこのブルースピリットを捉えるのが先決。

 龍はそう判断した。己が鱗に絶対の信頼を置いていたからだ――――が、続く言葉に龍は生まれて初めて戦慄した。

 

「生物だったら、食べて、出すのよ! 」

 

 数本の紅の矢が、龍の尾の付け根付近に殺到した。

 

「AAAAAAAAHHHHHHHHHHHH!!!」

 

 生み出された熱線の一本が、穴に潜り込んで内臓を焼き貫く。

 これには流石の龍も、色々な意味でたまったものでは無い。

 龍の無残な悲鳴が辺りに木霊する。そこには哀愁と卑猥な響きがあった。

 

「おのれ! 愚劣な妖精共め!!」

 

 龍は目に涙を溜めながら、大いに怒った。

 長く生きて、何度かスピリットと争った事があったが、これほどの侮蔑は受けたことが無い。

 恥辱を晴らそうと、龍は旋回するために翼を広げて空中で静止した。

 

 正にその時。

 二つの青の弾丸が龍の直下から飛び出した。

 完全に予期していなかった方向からの攻撃に、龍は対応できない。

 

 ズブリ。

 ネリーの神剣『静寂』とシアーの神剣『孤独』が根元まで龍の体内に埋まる。

 翼の付け根。翼を羽ばたくための柔軟性を得るために、この部分だけは鱗が柔らかかった。

 完全に狙い定められた一撃だ。

 

「ヤアアアア!!」

 

 さらに二人は翼を引き裂かんと、青のマナを神剣に纏わせながら激しく動く。

 そうはさせじと、龍は二人に爪を打ち込もうとするが、視界に黒い影が二つよぎった。

 

「いきますよー!」

「針の一刺し、うけなさい!」

 

 ヘリオンとファーレーンの、二振りの刀が、龍の眼球を貫こうと眼前にまで迫る。

 慌てて振り払う龍だが、今度は耳に漆黒の針を突き入れられ、龍は鬱陶しげに咆哮する。

 致命打ではないとはいえ、非常に鬱陶しい攻撃の連打。それでいて、油断をすると命を絶つのがブラックスピリットの持ち味だ。

 

 龍がヘリオン達に苦慮している間に、とうとう半分ほど翼が引き裂かれると、遂に龍は落下を始める。

 バキバキバキ!!

 龍の体は、多くの木々をなぎ倒しつつ、それをクッションとして地面に墜落した。

 龍は顔をしかめたが、この程度の衝撃はダメージにも入らない。

 

「おのれ、こざかしい真似を! だが、翼を失おうとも我にはまだ爪と牙と尾が……む、ここは」

 

 龍はただでさえ巨大なまなじりを、驚愕で限界まで見開く。

 落ちた個所は湿地帯で地面が非常に柔らかく、龍の巨体がずぶずぶと沈むほどではないにしろ、歩くのも難儀するほど。さらに巨木が多く腕を振るうのも難しい。

 翼を失い、巨体である龍には非常に戦いにくい地形だ。

 そして周囲に湧き上がる神剣の気配。完全に罠を張られていたようだ。

 

 龍の胸に恐怖と呼ばれるものが宿った。

 胸を貸すつもりで、有終の美を飾るつもりで、龍はスピリットと戦う予定だった。

 甘かった。甘すぎた。セリア達は手段を選ばず本気で殺しに来ているのだ。

 これは、龍とスピリットの伝説的な戦いでも、まして英雄譚などではない。

 狩りだ。最強と畏怖される龍が、ただの獲物に過ぎない。

 

「な、汝らは本当に妖精か? 我が知る妖精は、純粋で儚き存在だったはず!」

 

「私たちは馬鹿でスケベで煩悩塗れの……だけど最高の隊長を持つスピリット隊。それが答えよ」

 

「それはいっッオ!! お、おのれ語りの途中で攻撃なグァ!! 後ろから斬りつけてヒギィ!! いい加減にオゥアハァ!!」

 

 後ろから、横から、炎の棘が、刀のきらめきが、槍の一刺しが、残酷なほど龍に殺到する。

 龍も、必死に応戦した。全身を武器として、ブレスを吐いて、辺りの地形が歪むほどの力を示した。

 だが、多少ダメージを与えても、ハリオンと、そして何故か初級の回復魔法はつかえないのに、上級の回復魔法を使えるようになったニムントールの活躍で、致命打をあたえられない。

 その後の戦いを形容するのなら、巨躯の草食動物が、二回りも小さい肉食動物の集団に嬲られたようなものだった。

 

 爪牙を折られ、尾を切られ、ありとあらゆる箇所から血を流す龍。

 それでも龍は倒れずに立っていた。並はずれた耐久力、というより自尊心でボロボロの体を支える。

 せめて最後ぐらいは、雄々しくありたいと、もう必死だ。

 

「グゥ……見事だ、妖精よ。我の役目もここで終わる……だが心せよ。汝らはこれより戦の坩堝へと――――」

 

「よし、これは冥土の土産的な台詞ね。倒したわ!」

 

「じゃあ、さっさと次にいきましょう!」

 

「いそげいそげ~!」

 

「え? ちょっとは我の話を聞いていったら……末期の台詞なんだぞ? 為になる話とかしちゃうぞ? ま、待て去るな。こんなギャグっぽい最後など嫌だーー!!」

 

 そんな龍の絶叫も哀訴もむなしく、セリア達は風のように去っていった。

 空虚な風が龍に吹きつける。何処からともなく新聞紙が飛んできて龍の顔にぺったりくっつく。

 地上最強の種族である龍。しかし、清廉潔白ではなくなったスピリット達には手も足も出なかった。

 

「WOOOOOONNNNNN!!!!!!」

 

 最後に響いた断末魔の咆哮は、とてもとても澄み切った青空に吸い込まれていった。

 

 

「はあ、何でボクが怒られるんだよ」

 

 ルルーは背の高い木製の椅子に座って、足をぶらぶらさせながら怒っていた。

 横島が出ていった日、ルルーは姉らに横島は何処に行ったのかと酷く問い詰められて怒られたのだ。

 

 何で知らせてくれなかったのか。本当に二日で帰ってくるのか。何処に行ったのか。危険はないのか。

 怒涛の勢いで質問攻めにされて、その殆どに答えられなかったルルーは、ぐちぐちと文句を言われる羽目になった。

 何でボクがこんな目に、と世の理不尽を思わずにはいられない。

 

 今日が約束の二日目だった。しかし、もう夜も更けてきた。

 ヨコシマ様が帰ってきたら食事を取ろう、という事で皆まだ夕飯を食べていないが、この調子ではそれも叶わないだろう。

 本当に今日帰ってくるのかも怪しくなってきた。

 このまま帰ってこなかったら、嘘つきと姉たちに言われてしまう。

 

 クルミ入りのパンに、チーズ。それに鮮やかな色彩のサラダ。具が沢山入ったシチュー。更に油滴るレアステーキに、甘いお菓子まである。

 マリオンに教わった料理の数々は、料理の水準を飛躍的に押し上げた。

 いくつも料理を覚えたが、料理の腕が上がった、とは一概には言えなかった。

 皆、レシピどおりにしか作れないのだ。どうして弱火にするのか、この調味料は何で入れるのか、さっぱり理解せずに作っている。

 

「まだかな」

「きっと、もうすぐ」

 

 他のスピリット達は、そわそわと玄関を見つめていた。

 何だかご主人様の帰りを待つ犬みたいだ、とルルーは何だか情けなくなったが、そういう自分も玄関をちらちらと見ているのだから笑えない。

 それから待つ事、五分。

 

「帰ったぞー!」

 

「お帰りなさいー!」

 

 馬鹿に陽気な、横島の声が響き渡った。

 スピリット達は、嬉しそうに横島を出迎えようと玄関に向かう。ルルーも、少しめんどくさそうにしながらも、やはり仕事帰りの兄をねぎらおうと玄関に向かい、少し驚いた。

 横島の隣に、一人のスピリットの姿があったのだ。年齢は、自分よりも少し上だろうか。

 

「この子は、ソスーハ・グリーンスピリット。ソスーハちゃんだ! 今日から第三詰め所の一員になるから、皆、仲良くしてやってくれな!!」

 

 横島は大きく朗らかな声でソスーハというスピリットを皆に紹介する。

 だが、当のソスーハは淀んだ瞳で、ちらとルルー達を見つめただけだった。

 

 ルルーはじっとソスーハを見た。

 神剣に心を食われたスピリットかと思ったが、よくよく見ると目には感情があった。

 だが、その感情が何なのか分からない。警戒とも、悲しみとも、怒りとも違う。 

 表情も気になったが、ルルーはもう一つ気になることがあった。

 

「ソスーハ?」

 

 一人のスピリットが首を傾げながら聞き返した。ルルーも、同じところで疑問を持っていた。

 ソスーハとは、聖ヨト語で始まりを意味する言葉である。

 

「うむ! 第2の人生……いや、ここからが本当の出発って感じだ! 良い名前だろ。愛称はソっちゃんとかが良い感じだと思うぞ」

 

 横島は誇らしげに笑みを浮かべる。いや、先ほどから横島は笑みしか感情の表現が生まれていないのだが。

 

 ルルーは多くの違和感を覚えた。

 横島の異様な笑みの違和感。そしてスピリットの名称に意味のある名前を付けてあるのが妙なのだ。

 スピリットの名称など、呼ぶ為の記号にしか過ぎないものだから、馬鹿みたいに適当だ。

 

 ルルーがいたバーンライトなんて、幼年期のスピリットは一か所に集められて育てられるから、名称を決めてくれる者は一人しかいなかった。その為、名前は似たりよったりだ。

 ルー。ルルー。アルルー。イルルー。ウルル―――――――――等々。

 そのスピリットが死んだ場合は、また誰かに同じ名前がつけられる事がある。新しい名前を考えるのが面倒だからだ。

 ルルーという名前も、何十年と受け継がれてきていて、自分は三代目ルルーぐらいらしい。ルルー三世である。

 どれだけものぐさなのだと、ルルーは嘆くよりも面白くて笑ってしまった。何となく自分が偉くなったようにすら感じたものだ。

 また、意味のある名前を付ける事もないわけではないが、マセスハート・ブラックスピリットなんて、聖ヨト語ではマセス(黒)のハート(四番)という記号に過ぎない。

 番号で呼ばれるよりは、まだ自分の名前の方が鼻くそ程度はマシだとルルーは思っている。

 

 ラキオスはソーマによって引き起こされた過去の事件もあって、スピリットの教育は一か所で行われるのではなく、別々に始められる事になっているから、名付け親も別々で同じような名前になる事は少ない。

 それでも、時たま二人を育てることになると似た名前になる。セリアとアセリア、ヘリオンとハリオン等の似たような名前が同じ人物に育てられた証拠であった。まあ、ヘリオンとハリオンは特殊な例であるが。

 

 これではまるで、横島がソスーハという名前をつけたようではないか。

 いくらなんでも呼ぶ名が無いなんてありえない。

 ソスーハの異常性に、ルルーは眉を顰める。

 

「兄さん、この子の、ソスーハの神剣はどこにあるの。グリーンスピリットだから槍だと思うけど」

 

 ソスーハは神剣を持っていなかった。

 これもまたあり得ない事だ。基本的にスピリットは帯剣を義務付けられている。そうでないと、有事の際に何も出来ないから当然だ。

 

「神剣は無いぞ」

 

「……………………………………………はっ?」

 

 言葉を理解するのに、しばらく時間がかかった。

 スピリットなのに、神剣がない。なんだ、それは?

 

「ソっちゃんは、神剣を持たないんだよ」

 

 横島はそれだけを言って言葉を切る。

 これ以上、喋りたくないとでも言いたいように。

 

「ねえ、ソスーハさん。本当に神剣持ってないの?」

 

 ルルーの質問に、ソスーハの瞳が揺れた。

 これは神剣を持っていると確信する。

 どうして嘘を吐くのかと、質問しようかと考えていると、

 

 ゴチン!!

 

 握られた拳が、ルルーのつむじに突き刺さった。

 

「いったーい! いきなり何すんの兄さん!?」

 

「うっさーい! なんだ、お前はあれか!? 神剣も持っていないスピリットはスピリットじゃありませ~ん! とでも言うのか。神剣フェチシズムか!?」

 

「……別にそういうんじゃないけど、でも何だか変で」

 

「うるさい! だったらいいだろうが!」

 

 横島の剣幕と拳骨に、ルルーはしゅんと肩を落とす。

 いつものようにおどけた言い回しだったが、どこか本気の怒りをぶつけられていると分かって落ち込んでしまう。

 他のスピリット達も横島の様子がいつもと違うことに気付いたのか、不安げな表情をしていた。

 

「……神剣無しでどうするっていうのさ」

 

「ソっちゃんには、これから炊事洗濯を担当してもらえばいいだろ。この屋敷は広いし人数も多い。家事を専門にする子がいれば助かるしな」

 

「それはそうだけど」

 

 しかし、ルルーが聞きたい事の本質は、はぐらかされてしまった。

 辺りに微妙な沈黙が降りる。何だか横島の様子が可笑しい事に全員が気づき始めていた。

 

「あ、あの。ソスーハさん、何かして欲しいことはあるかな」

 

 空気を変える様に、ルルーが提案してみる。

 ソスーハは泥のような瞳を、ゆっくりと動かして何かを考え込み、面倒そうに口を動かした。

 

「もう一度、おふろに、入ってみたい、です……迷惑ならいいです」

 

「そっか、うん分かった! 背中流してあげるから、一緒にお風呂入ろう!」

 

 ルルーがにこやかに言うと、初めて泥の瞳に感情が混じった。

 その感情とは、恥じらいと、戸惑いと、誇り。

 

「え……一人が……いいから」

 

「遠慮しない遠慮しない! さあレッツゴーー!!」

 

 ほぼ無理やりにルルーはソスーハを風呂にまで引きずっていった。

 何だか妙にソスーハの事が気になったのだ。

 

「ヨコシマ様、ご飯の用意が出来ているから、一緒に食べよう」

 

 一方、ルーが目を爛々と光らせて提案する。

 皆で美味しくご飯を食べる。そして、「こんなに美味しいご飯を作れるのか! 凄いな、ルーちゃんは!」と思い切り褒めてもらう姿を夢想する。

 だが、横島から帰ってきた言葉は、耳を疑うものだった。

 

「あ~悪い。疲れてっから、休むわ」

 

「え……でも、その、沢山作ったから……美味しいよ?」

 

「悪い。皆で食べててくれや」

 

 横島は笑いながら、笑みを浮かべたまま、断る。

 笑ったまま、階段を上り、自分の部屋と入っていった。

 その後ろ姿を、しばし呆然と、次に涙目で、ルー達は見送るしかなかった。

 

 部屋に戻った横島は、椅子に腰かけた。

 そのまま、止まった。まるで、人形に動かなくなる。横になる訳でなく、何をするわけでも無く、椅子に座り続ける。

 ただ、何も見ていない目を、何もない虚無に向けて、何もしない。

 静止画の様に、動くものは何もない。

 時が止まったようだったが、十分程度経って、ようやく変化が訪れた。

 

「兄さん! いい、入るよ!」

 

 乱暴なノック音が響いた後、横島が返事をするのも待たず、ドアが開く。

 そこには顔を真っ赤にしたルルーが怒りに震えながら立っていた。

 

「どう言う事!」

 

「何がだ」

 

「ソスーハさんの体だよ。どうして……どうやったらあんな酷い事に!」

 

「ああ……そんなに酷いか?」

 

 表情一つ変えない横島に、ルルーの頭にかっと血が上る。

 

「馬鹿言わないで! ちゃんと目ぇ付いてんの!?

 あばら骨だって浮き出てるし、手首なんて持ったら折れそうなぐらい細いんだよ!! 肌の色だって良くない。日の光を浴びたことが無いんじゃないってくらい!!

 神剣があるとかないとかじゃなくて、とても戦える状態じゃないよ! あんなの!!」

 

 ルルーは風呂に入った時に、見てしまったのだ。ルルーの体に刻まれた、悪意の痕を。

 吼えるルルーだが、横島は不気味なほど平静な目で彼女を見つめ返す。

 

「でも、ちゃんと歩けるだろ。腱は切られてないからな」

 

 横島は声の調子を変えずに言った。表情も、眉一つ動かしていない。

 口だけが、機械のようにカタカタと動く。

 

「は? 何言って……」

 

「歯だって抜かれてない。喉も潰れていない。焼きごての痕もない」

 

「……やめて。怖いよ」

 

「治す役割のグリーンスピリットだから、あれでまだ酷い目に遭わずに済んだんだ。でも、他の皆は……他の皆はナぁ」

 

「やめて!!」

 

 いつのまにか、ルルーは横島に部屋の隅まで追い詰められていた。

 横島の眼には残酷な光があった。無表情の中には名状しがたい、地獄を覗いて来たような闇があった。

 殺されるかもしれない。

 いつもと違いすぎる横島の様子に、ルルーは怯えて目を閉じた。

 

 ドガァン!!

 聞こえてきた破壊音に、ルルーは身を震わせる。

 殴られたのかと一瞬思ったが、そうではなかった。そっと目を開けると、テーブルが粉々になっていた。

 そして、横島の顔に、本当の表情が宿る。

 

「うお~ん! 何だって言うんじゃあ~! 俺って本当にマジで頑張ってるよな! もういい加減、チチシリフトモモのパラダイスが作られてもいい頃だろ。つーか、あそこまでやる事無いだろうが! 精々、エロい事ぐらいにしとけよコンチクショウ!!」

 

 怒りと、呪いの言葉を外へ吐き散らかす。暴力を家具にぶつける。

 ちくしょう、チクショウ!

 ひとしきり悪態を吐いて回ると、今度はベッドに倒れ込んだ。

 

「俺が……俺がもっと慎重に……やってりゃあ」

 

 怒りが、呪いが、今度は内に向いた。

 こうしていれば。ああしていれば。後悔と自責が、積りに積もっていく。

 

 ルルーはもう、見ていられなかった。

 何があったか知らないが、決して兄の所為ではないはずなのに。

 

「何があったのか、ボクは知らない。でも、兄さんがスピリットのために頑張ってくれているぐらいは知ってるよ。

 だから……ありがとう、兄さん。スピリットを代表してお礼を言います。兄さんがこの大地に来てくれて、本当に良かった。だから、自分を責めないでよ」

 

 必死に、本心を言う。

 恥ずかしさはあったが、恥かしくても何でも言わなければいけないと思った。

 横島はしばらく何の反応も無かったが、急に立ち上がると嗜虐的な色をした目をルルーに向ける。

 

「俺が来てくれて良かった……か。俺がこなかったら、お前の姉さん達も死ななかったかもな」

 

 自虐じみた挑発に、ルルーは逆に冷静になった。

 子供の癇癪を相手にしている。それが分かったからだ。

 

「そうだね。でもそのお姉ちゃん達が生き残った場合って、ラキオスのスピリットは全滅しちゃうって事だよね。

 兄さんはその方が良かったのかな?」

 

「……べ、別にそんなことは言ってないだろ」

 

「兄さんが言っていることは、そういうことなんだよ!

 というかさ、さっきから何言ってるの。ううん、何をボクに言わせたいのかな。

 何だか責めてもらいたいみたいな言い方してるけど……違うね。本当は、慰めてもらいたいんじゃない?

 今の兄さんって、『ボクってなんてかわいそうかわいそうオーラ』が出てるよ」

 

 歯に衣を着せないルルーの言葉に、横島の顔色が変わる。

 どうしてもっと優しい言い方が出来ないのか、とルルーは自嘲した。

 兄がとても大変で辛い目にあってきたのは分かっている。それも、間違いなくスピリット関連でだ。

 抱きしめて、いい子いい子と頭を撫でてあげたい気持ちもある。

 

 だけど、ここで慰める訳にはいかない。

 そんなことをして、自分が『不幸で可哀想な奴』なんて思ったら、もうおしまいだ。

 この世界も、そして永遠神剣も、生易しいものではない。自分を哀れむ時間があるのなら、前に向かって突っ走らなければならない。

 

「この……ずげずげと言いやがって」

 

 悔しげな顔をして、横島はルルーを睨みつける。

 

「へへ~そりゃあね。前の隊長にも生意気とか言われてたし」

 

 一体何が自慢なのか、八重歯を光らせながら得意げに笑って、薄い胸を張るルルー。

 それがイタズラ小僧のような、何とも憎たらしい笑みで、横島は危なく噴出すところだった。

 

「……ま、そうだな。つーか、酷い目にあったのは俺じゃないのに、俺がお前に八つ当たりしてもしょうがないか」

 

「へ~八つ当たりしてる自覚はあったんだね」

 

「ええい! この可愛くない妹め!!」

 

「何だよ。この格好良くない兄め!!」

 

 にらみ合うが、お互いに楽しんでいる雰囲気があって、心地よい。

 少しにらみ合って、どちらともなく破願する。

 

「……ソっちゃんに何があったのかは言えん。ただソっちゃんは、たくさん酷い目にあったんだ。だから、いっぱいいっぱい優しくしてやろうな」

 

 横島の言葉は素朴で、純粋な優しい響きを持っていた。

 若干の闇はその目に残っていたが、もう残酷で恐ろしい目はしていなかった。

 

 ――――どうだ、見たか! これが、ボクの兄だ!

 

 ルルーは誇らしい気持ちで胸が一杯になった。

 誰彼かまわず自慢した気分だ。一体どれほどのスピリットが生まれ、マナの霧となって消えていったのかは知らないが、こんな兄を持てたのはボクが初めてだろう。

 この出会いをくれた神様に感謝しないとね!

 

 ――――くすくす、どういたしまして?

 

 何だか物凄く不吉な子供の声が聞こえたような気がしたけど、うん、きっと気のせいだよね。

 

「サンキューな」

 

「へ? いきなりどうしたの」

 

 いきなり礼を言われて面食らう。

 

「いや、妹ってのも悪くないなと思ってな、うん」

 

 じっと見つめられて、満面の笑みを浮かべながら頷く横島。

 恥ずかしさで、思わず俯く。嬉しさで、しゃくり声をあげそうになってしまった。

 ボクも、君が兄さんで良かった――――

 

「これでもっと可愛くて大人っぽくて素直で……おっぱいが大きければなあ」

 

 思わずこけそうになった。

 沢山褒めてくれるのかと思いきや、何故か思い切り駄目だしされていた。

 どうして、いつも感動で話を終わらせてくれないかと、思い切り睨みつける。

 

「可愛くなくて、子供っぽくて、捻くれてるのは分かるけど、おっぱいは関係ないでしょ!」

 

「何を言う! やっぱり男ってのはおっぱいを求めるものなんだぞ! 小さいおっぱいよりもやはり大きいおっぱいの方が、おっぱいとして存在をより身近に感じられてだな」

 

「知らないよそんなの!? うあ~ん、ボクの兄がこんなに変態なわけない~!」

 

「ぬはははは! 変態な兄を持って、悔しかろう恥ずかしかろう!!」

 

「自分で言うなーー!!」

 

 ――――どうだぁ~みたか~これがぼくのあにだぁ~。

 

 横島の恰好悪さに、ルルーは泣いた。

 だけど、ルルーは隠れて笑みを浮かべていた。

 格好良い兄も嬉しいけど、格好悪い兄も楽しい。

 変な自虐をしているよりは、欲望に突っ走ってくれた方が百倍マシだ。

 

 ぐう~。

 横島の腹から音が鳴り始める。

 

「何か、急に腹減ってきたな……まだ飯残っているか?」

 

 横島の言葉に、ルルーは呆れかえった。

 

「兄さん、それ本気で言ってる?」

 

 冷たい目でルルーは言い返す。

 そういえば、食べててくれ、と命令したのを横島は思い出した。 

 自業自得だと、項垂れながら食卓に向かう。せめて、何か残りものでもあれば、と考えて食卓に向かう。ルルーは、何故かニヤニヤしながら、横島を見つめていた。

 

 食卓について驚いた。テーブルの上にはずらりと御馳走が並んでいたのだ。

 手を付けた形跡はない。台所からは、シチューを温めなおす音と、レアステーキをミディアムステーキに焼きなおす音が聞こえてきていた。

 まだ、誰も食事を取っていなかったのだ。

 側にいたブルースピリットの一人に、呆然と問いかける。

 

「どうして……ご飯食べなかったんだ?」

 

「食べろと命令されましたが、いつ食べろとは言われませんでしたから」

 

 トンチのような答えに、横島は目を見開いて驚く。

 

「それに……ヨコシマ様とご飯を食べると美味しいから。皆で食べるご飯はもっともっと美味しいから。だから……元気を出しくください」

 

 潤んだ目で横島を見つめるブルースピリット。

 

 あ、これ意識して媚びているな。

 

 女としての武器を使い始めた姉に、ルルーは頼もしいものを感じた。

 実際は、女の武器というよりも子供が親に駄々をこねているに近いのかもしれないが、それでも弱弱しく頼むと男が弱くなる、というのは実感しているらしい。

 

「くぅ~生きてくれて良かったぞ! よし、一緒に食べような。実は酒も持ってきてるから、皆で宴会だ!」

 

 目から大げさに涙を流しつつ、横島は笑顔になる。先ほどまでの、無理に作られた笑顔じゃなくて、能天気でお馬鹿な笑みだ。にわかに場が活気づく。

 だが、ただ一人。泥の瞳に、暗い闇の炎を燃やして、横島に立ちはだかった。

 

「生きてくれて良かった? そんなの、生きてて幸せな奴だから言えるんだ!!」

 

 ソスーハ・グリーンスピリットが、全ての生者を恨む、亡者の声を上げた。

 

 それは、呪詛。

 それは、悪意。

 それは、嘆き。

 ルルーは悔しくて泣きそうだった。

 この圧倒的な恨み辛みの前で、一体何を言ったらよいのか。

 

 ソスーハの、泥の様な瞳が、静まり返った場を見渡し、暗い喜びを見出す。

 そんな中、横島は悪意なんて気にしないとばかりに、空気を読まなかった。

 

「そうだな。だから、生きてて良かったって言えるぐらい、生きてて幸せにしないとな」

 

 ふてぶてしいほど傲慢に、横島は言い切った。そこにあるのは、優しさや慈愛などではない。

 それは誓いだ。何が何でもスピリット達は幸せになる。

 横島は言うのなら、きっとそうなる。理屈も方法も分からないが、きっと上手くいくと、不思議と信じられた。

 言葉を失ったソスーハの頬を、横島は撫でた後、威勢良く叫んだ。

 

「さあ! まずは、飲んで食っての宴会だ宴会! 野球拳にポッキーゲームに王様ゲーム、この三つは鉄板だな」

 

「……うん! エッチなのはダメだからね! 兄さんはエロの王様だし」

 

 野球拳も王様ゲームも何だか知らないというのに、ルルーは横島に釘を刺す。この辺りの信頼はお約束だった。

 横島は口うるさい妹にうんざりしたが、まあ酔わせてしまえばどうとでもなるだろう、と考えてリビングに向かう。

 他のスピリットは、何が何だか分からず顔を見合わせていたが、光に誘われる虫のように彼らの後を追った。

 ソスーハは、空気を読まなかった横島に怒り心頭といった感じで、また嫌がらせしてやるから、と呟きつつ彼女らを追った。

 

 その夜はソスーハの歓迎会という事で盛大な宴となった。

 スピリット達は始めてアルコールを摂取して、色々と面白い事になる。

 

 いつも何処か横島に一歩引いたところがあるスピリットが胸に顔を擦り付けて甘えてきたり、逆に絶対的に従順だったスピリットがセクハラを嫌がったりした。

 そんな彼女らの様子に、横島はさらに上機嫌になった。

 スピリット一人一人に話しかけ、酌をして、笑わせ、勿論セクハラっぽいスキンシップもかねて歩き回る。

 笑わせる種が無いときは自分で作り、霊能力を使って芸までして見せた。

 

 笑いを。とにかく笑いを。さらなる笑いを。そして、ちょっとのエロを。

 

 血と脳漿を振り絞り、魂まで燃焼させて横島は第三詰め所の心血を注ぐ。

 スピリット達もそれを分かっていて、その愛情に答えようと心を彼にぶつけていた。

 

 部屋の隅には、第三詰め所の手によって布でグルグル巻きにされた『天秤』が放置されていて、そこから色々な声が聞こえていたのだが、それは宴会の声にかき消されていたのだった。

 

 この瞬間、哀れなるもう一匹の龍の運命が決定する。

 何の描写も無く、龍は倒された。

 

 

 それから、また数日が経過した。

 

「ルーお姉ちゃん! おはよう!!」

 

「うん、おはよう、ルルーちゃん」

 

 朝の挨拶をすると返事が返ってくるのが、とても嬉しい。

 窓から外を見ると、荒れ果てた庭園を綺麗にしようと草むしりするスピリットの姿が見えた。花壇を作ると聞いている。

 その横には、クーヨネルキが草を食べていて、それを何人かのスピリットがじっと見つめていた。

 少し離れた池には魚がいると分かって、朝ごはんの足しにしようと魚釣りをしているスピリットもいる。

 命令されているからやっているのではない。自発的に行動を始めていた。

 その行動の根底は、横島に褒められたいという依存的なものだが、それも続けば趣味になっていく事だろう。

 

 皆、朝が来るのが待ち遠しいのだ。

 早く起きて、朝ごはんを食べて、また色々ある騒がしい一日が始まる。

 

「おはよー兄さん。早く起きろー……って起きてるね」

 

 部屋に行くと、珍しい事に横島が起きていた。

 窓の傍に立って、何やら真剣な表情をしている。

 

「おっぱい波が近づいてくる」

 

「………………は? 何言ってんの」

 

「座標確認……風速確認……発射!」

 

 パリーン!

 窓ガラスを豪快に破壊しつつ、横島はロケットのように『発射』される。

 古い漫画の表現の様に、空に昇った横島は、キラ~ンとお星様になった。

 

「え、ええ~! 何で勝手に発射されてるの~! というか窓ガラス割るなーー!! そもそも発射って何~~!?」

 

 壊れた窓ガラスを踏まないようにしながら、ルルーの朝一番の突っ込みが炸裂していた。

 

 

 

 ドドドドド、とバッファローの行進の如く大地を揺らして、その集団は走っていた。

 

「第三詰め所の屋敷は、こっちでいいの!?」

「ええ、間違いないはずよ!」

「やっぱり、第三詰め所にお世話になっていたのね!」

 

 龍を倒し、戻ってきた第二詰め所の面々だった。

 第二詰め所に戻ってみると、やはり横島はいなくて、第三詰め所で生活していると確信したのだ。

 

 急いで第三詰め所に行かなければ、とファーレーンを除く全員が第三詰め所に向かっていた。

 ちなみにファーレーンは、流石に誰かに帰還の報告をしなければまずいと言う事で、いち早くレスティーナの元へ向かっている。

 

「あれ、何でしょう?」

 

 走っていると、何かに気づいたヘリオンが空を指差す。

 鳥か、飛行機か、いやあれは、

 

「ハリオンさ~ん!!」

 

 変態だ! 空から、変態が降ってきた!!

 

「ヒミカ、お願いです~」

「え? ええ」

 

 ハリオンは、さっと親友を盾にする。周りも、ささっとヒミカの傍から離れた。

 それがあまりに自然な光景で、ヒミカも思わず頷いてしまうほどだ。

 ドーンという音と共に、変態は小さい丘に着陸を果たす。

 

「あれ、何か小さいぞ。しかし、これはこれで」

 

 頭をヒミカの胸にグリグリと押し付ける。

 ポカーンとしていたヒミカだが、グニグニと自己主張が激しくない胸が形を変えて 思わず甘い声が口から漏れそうになった所でようやく我に返った。

 

「い、いや~~~~!! 貴方という人は貴方という人は貴方という人はーーーー!!」

 

「ええやないかー!! 二週間以上我慢したんだぞ!!」

 

「どういう理屈ですか!? どうして降ってくるのですか!? ハリオンも何で私を盾にするの!?」

 

 ここ数週間分を取り戻す勢いで、ヒミカの連続突っ込みが炸裂する。

 

「まったく、何て再会なの」

「ヨコシマ様だー!」

「ヨコシマ様だ~!」

「うう、もうちょっとロマンチックな再会が良かったです」

「……何故か、落ち着きます」

 

 セリア達は、その馬鹿な光景に呆れながらも、自分の居場所はここにあるのだと、改めて頷いていた。

 この、ヒミカが横島にセクハラされる光景こそ、ラキオス第二詰め所の有るべき姿なのだと、全員が確信する。

 

「勝手に確信しないで~~~~!!」

 

 ヒミカの突っ込みは第二詰め所一であった。

 

「帰って来たんだ……」

「ヨコシマ様が、いつもと違う」

「アレがヒミカさんか……何かボク、ちょっと親近感わいちゃうかも」

 

 横島を追いかけた第三詰め所の面々は、いつもと違う横島の表情に、何か寂しくなった。

 自分達の知らない横島の表情に、思わず嫉妬めいた感情を抱いてしまう。

 

 第三詰め所にとって、横島は理想的な『父兄』だった。

 強く優しい父のようで、面白く頭が良い兄のようで、尊敬すべき絶対の存在だった。

 当然だが、それは横島の、嘘とまでは言わないにしろ、極極一面に過ぎない。父兄的な要素が無いとは言わないが、どちらかといえば『父兄』よりも『愚弟』のほうが、本来の横島に近いだろう。どれだけ有能であっても、横島は良い馬鹿なのだから。

 大きな子供同然の第三詰め所の手前、横島は『父兄』にならざるをえなかっただけなのだ。

 

 ひとしきりセクハラし終わると、途端に横島の表情が厳しくなる。

 

「心配したんだぞ! 連絡が入るはずだって言うのに、全然入ってこないし。何やってたんだよ!」

 

 その言葉には怒りすら含まれているようだった。

 横島の剣幕に、まるで怒られた様な気がしたセリア達は逆に憤慨する。

 

「連絡はしました! だけど全く応答ありませんでした! 貴方が聞き逃したのではないですか!!」

 

「そうなのか? 全然、気づかなかったけど……」 

 

 普通に困ったような横島に、セリアは彼が嘘や誤魔化しをしているわけではないと知る。

 可笑しい。一度ぐらいなら聞き逃すことはあるかもしれないが、どうしてこうもすれ違ってしまったのか。

 

 セリア達は側に居る第三詰め所のスピリット達に視線を送る。

 すると、面白いように心が戻っていない数人を除いた全員がさっと目をそらした。

 それだけで第二詰め所の面々は察した。

 第二詰め所と横島の間を、意図的に邪魔してきた第三者がいたのだと。 

 

「……なるほど、分かりました。その事は、もう良いです。とりあえず……ヨコシマ様、私たちの家に帰りましょう」

「うんうん! 早く早くー!!」

「久しぶりに~お菓子も作っちゃいます~」

 

 ネリーらが横島の右手を引っ張って、第二詰め所に連れて行こうとする。

 かなり強く引っ張ったのだが、しかし横島の体は動かなかった。

 何故なら、横島の左腕に第三詰め所のスピリットがひっついていたからだ。

 

「ヨコシマ様は、今日は、家で、ご飯を食べるんです……にゃぅ」

 

 第三詰め所のスピリットは、一語一語区切りながら、セリアたちに向かってそっけなく言った。

 そこには特に感情が込められていない、なんて思えたのは横島だけで、彼女の声は明確に一つの意思を持っていた。

 

 ――――――こっちくんな。

 

 そこには敵意とはまではいかなくとも、拒絶の意思が強く込められている。

 スピリットは仲間意識が強い。だからこそ、普段触れ合わない部隊は異物でしかなかった。

 第三詰め所にとって、第二詰め所とは家族(横島)を奪いに来た簒奪者なのである。

 

 だが、それはセリア達も同じこと。

 横島を守れるぐらいに強くなるため、そして自信を得るために龍退治を成功させたというのに、ちゃっかり隊員として収まろうとした第三詰め所。

 この泥棒猫め、とも言いたくなるだろう。

 

「はは……いやあ、俺ってモテモテだなあ」

 

 ――――やべえ、これ修羅場だ。

 

 いくら横島でもそれぐらい分かる。

 

「ヨコシマ様~ネリー達と、ネリー達とご飯~~!!」

 

「違う! ヨコシマ様は、私達のご飯なの!」

 

 二人はしばし睨みあい、キッと強く横島に視線を向けた。

 ヨコシマ様はどっちとご飯を食べるの!?

 視線が、そう語っていた。

 

「いやあ~どうしようかな~」

 

 横島は頭を掻いて、う~んと唸る。

 傍目に見れば、どちらの女の子たちとご飯を食べようか、困って悩んでいるように見えた。

 だが、ルルーだけは横島の心がどちらに向いているのか分かってしまう。

 それは、横島の第三詰め所を見つめる目が、子供のワガママをどうやってなだめ様かと考える親のような慈悲をもっていたからだ。

 

 第二詰め所と第三詰め所に送る視線の違いに、ルルーは気づいてしまった。

 第二詰め所を見る目は、対等な女性を見る目で、第三詰め所を見る目は、保護をしなきゃいけない子供を見る目だ。

 

 横島が優しいというのは、ルルーも十分に理解している。だが、彼の本質はそれだけでないことも知っていた。彼の本質は、何と言おうと煩悩だ。エロこそが横島の魂の源泉。エロこそが力。

 その煩悩を、横島は第三詰め所のスピリット達に注がない―――――否。注ぐ事が出来ない。

 

 ひょっとしたら、横島は第二詰め所よりも第三詰め所を大切しているのかもしれなかった。

 しかし、それ故に、

 

「やっぱり、俺はハリオン達と飯を食うよ。苦労して龍を倒してきたんだし、ここは隊長として労わんとな」

 

 横島は第二詰め所を選ぶ。

 彼は、エロスが出来る女性と保護すべき女の子を前にした時、女の子をどれだけ大切でも、最後にはエロスを選ぶ。

 それが、彼の『天秤』の傾きだった。

 

 ルルーは納得できたが、他の者は納得できそうになかった。

 

「やーー!!」

 

 金切り声をあげて横島の腕を握り放さない。

 彼女は今日の朝食の当番の一人だった。早起きして、横島に褒めてもらうことを考えて、眠い目をこすりながら食事を作ったのだ。必死になるのも当然だった。

 

 初めてのワガママに、横島は新鮮な感動を覚えた。

 何でも自分の言うことに疑いを持たず、盲目的と従っていたスピリットがワガママに自分を主張している。

 娘の成長を見るようで、思わず顔がほころんでしまう。

 

 しかし、どうしたものか。

 せっかくのワガママなのだから、出来れば叶えて上げたい。

 だけどダメだ。残酷だが、第二詰め所と第三詰め所を『天秤』に掛けたなら、もう答えは決まっている。

 唯一、気がかりなのはソスーハの事だが、それでも――――

 

「俺は――――」

 

 捨てられそうな子犬の目をした第三詰め所を、切り捨てる――――

 

「兄さんは、第二詰め所の隊長だから、ボク達とはいられないよ。規則で決まっているの。それと、ワガママばっかり言ってると、兄さんに嫌われちゃうかもしれないね」

 

 横島が言う前に、ルルーが規則を建前に答える。

 ルルーの一言は、絶大な威力を示した。

 全員が横島から離れる。そして「嫌わないで~」と子犬のように鳴いた。

 

(兄さんからは、その一言を言わせるわけにはいかないもんね)

 

 兄にとっても、第三詰め所にとっても、その言葉だけは言わせるわけにはいかない。いつか、言わなければいけない時がくるだろうけど、その時はきっと姉達も受け止められるはずだ。

 妹であるルルーは、妹であるからこそ、いつか兄と離れる時が来るのだと、既に覚悟していた。

 

 横島も、ほっとしたような笑顔になる。

 第三詰め所を傷つけずに済んだ事を、心から喜んだ。

 

「悪いけど、俺は、第二詰め所の隊長だしな」

 

「うんうん! ヨコシマ様はネリー達の隊長なんだからね! ネリー達の!!」

 

 『自分達の隊長』であると強調して、ネリーは得意げに第三詰め所のスピリット達に笑いかける。

 怒りの感情が第三詰め所全体から発せられた。

 

「いい加減にせんかい!」

 

 コツンとネリーの頭をはたく。

 「うう~」とネリーは涙目で唸ったが、でもすぐに横島に絡まる。

 

「また、また来てください。もっと美味しいご飯を用意しますから」

「おお、その時までにもっと良い女になってな……今の俺って格好良すぎじゃねぇか」

 

「全然似合ってないわね」

「気取った馬鹿」

 

 横島が馬鹿な事を言って、セリアとニムが冷静に突っ込みを入れる。

 口をとがらせながら、文句を言おうとした横島だが、その前に、

 

「いえ、ヨコシマ様はとても格好良いです」

 

 ルーが真っ向からセリアの言葉を否定する。

 またしても、第二詰め所と第三詰め所の間で火花が散る。

 

「……やっぱこの世界に来て良かったな。あとはどうにかしてハーレムを作れりゃあ……というか、全員でご飯食えばよかっただけじゃね?」

 

 そんな光景を見ながら至極真面目に呟く横島は、やはりエロでアホだった。

 

 数日後、悠人達が一人の女性を伴い帰ってくる。 

 物語は再び加速する。

 

 

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