永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十六話 日常編その4 隊長交換

 これはレスティーナがマロリガンに向かう少し前のお話。

 ある晴れた昼下がり。朝の訓練も終わり、スピリット達はそれぞれ短い自由時間を満喫していた。

 例えば、アセリアはふらっと何処かに出かけ、ハリオンはお昼ねに精を出す。ナナルゥは何処からか仕入れてきた『愛』と題名がついている本を読みふけり、年少組みはお菓子を報酬にファーレーンに引き連れられ哨戒の訓練をさせられている。

 彼女らの中で一番精神が成熟していて、いわゆる大人っぽいのは、エスペリアとセリア、それにヒミカだった。

 第一詰め所の庭に用意したテーブルとイスに腰掛けて、柔らかな日差しを浴びながらエスペリアの煎れたお茶を飲み、ヒミカが作った菓子に舌鼓を打つ。セリアは二人のお茶とお菓子を賞賛した。

 三人はのんびりとお茶とお喋りを楽しむ。

 彼女らが話を続けていると必ずと言っていいほど出てきてしまう話題があった。

 

「――なんて事があったのよ。どうして落ち着いてくれないのかしら」

 

「ヨコシマ様という人は本当に……苦労しているのですね」

 

「苦労なんてものじゃないわよ……はあっ」

 

 セリアのこぼす愚痴に、エスペリアは同情の言葉を掛けて、ヒミカは深いため息をついた。

 セリアとヒミカの話題は、やはり横島の事だ。

 彼が毎日のように起こす騒ぎ。その愚痴をエスペリアにくどくどと聞かせる。

 

「ユート様は変な事をしない人みたいで羨ましいわ」

 

 呟くように言うセリアに、エスペリアはどう答えたらいいのか分からず曖昧な笑みをこぼす。

 これには流石に「そんなことありません」と謙遜する訳にはいかない。隣の芝生が青く見えるのは事実だが、それでも分かりやすい差は現れてくる。

 そして、エスペリアの胸には少しだけ優越感が湧き上がっていた。

 訓練時、いつも悠人は横島に負けている。それも全敗。もう百を超えるほど剣を合わせてきて全敗なのである。悠人自身も悔しい思いをしているが、それ以上にエスペリアも悔しさに歯噛みしていたのだ。加えて、シフト作成や書類の整理など、その他もろもろの仕事の手際も横島に軍配が上がる。悠人が不出来というよりも、横島は色々と細かいところで無駄に優れているのだ。悠人は横島よりも時間を掛ける事で対抗するしかなかった。

 

 悠人が仕事をしている間に、横島は遊び呆けることができる。それが何よりエスペリアには悔しい。

 悔しい思いをする理由はエスペリアが悠人贔屓というのもあるが、横島に対して良い印象を持っていないのも原因だろう。

 

「そうですね。そういえば、こんな事がありました」

 

 そうエスペリアは口火を切って話し始めたのは、悠人に関する自慢話だった。

 毎日をひたむきに一所懸命に頑張っているとか、お茶に意外と詳しいとか、ツンツンの髪の毛は感触が良いとか。そんな自慢話は、いつのまにか惚気話に変化していく。

 最初は羨ましそうに相槌を打っていたセリアとヒミカだったが、そんな話が五分十分と長引くにつれ、段々とその顔は面白くなさそうに変化していく。

 

「私達にとって、最高の隊長です」

 

 僅かに頬を赤く染めたエスペリアは、最後にそう締めくくった。

 別にエスペリアは横島を貶したわけではないが、会話の前後を考えると、横島よりも悠人の方が優れていると言っている。少なくとも、セリアとヒミカにはそう感じ取れた。

 はっきり言って、セリア達の方が遥かに横島を貶している。腐るほど文句を言ってきた。しかし、自分が貶すのと他人が貶すのは少し勝手が違うらしい。ざらざらした不快な感覚が、セリア達の心に生まれ始める。

 

「あ……でも、ヨコシマ様にも良い所はあるのよ」

 

 ヒミカが口火を切って、セリアをちらと見る。

 意を察したセリアはコクリと頷いて言葉を引き継いだ。

 

「まあ、そうね。細かい部分にも目が行き届くし、ああみえてマメで頼りになるわ」

 

「……へえ、そうなんですか。少し信じられないですけど」

 

 疑わしげにエスペリアが答えると、ヒミカとセリアの表情に苛立ちのようなものが入り込んだ。

 ――――何も彼の事を知らないくせに。 

 そんな気持ちが、二人の言葉を少し攻撃的にさせる。

 

「確かに悪い所は多いけど、ユート様よりは仕事はできるわ」

 

 ヒミカの言葉に、エスペリアのこめかみがぴくりと動く。

 

「あれで話は面白いし、知り合いも多いのよ。コミュニケーションもユート様より上手いわね……変態だけど」

 

 セリアの言葉に、エスペリアのこめかみがぴくりぴくりと動く。

 エスペリアは少し表情を硬直させていたが、何かを思いついたようで妖しげな笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうでした。実はこの間、ユート様が私達にハイぺリア料理を振舞ってくれたんです。簡単な料理しか出来ないって言っていたけど、とても美味しくて優しい味でした。ヨコシマ様はどんなハイぺリア料理を作るのですか?」

 

 無邪気を装った攻撃的な質問だった。質問の答えなど、誰もが知っているのだから。

 無言で三人は見つめあう。そして、

 

『ほほほほほほ』

 

 口元に手を当てて、貴婦人の如き笑いを響かせた。三人は少し冷えたお茶を無言で一口飲む。

 カップをソーサーに置く音だけがカチャリと聞こえた後は、微妙な沈黙が場を支配する。

 そこに、女達の複雑な情念が絡み合っているのは言うまでも無い。

 不用意な発言をすれば一気に流れを持っていかれかねない。何処に落とし穴があるか想像もつかない。

 午後の優雅なお茶会は、緊張と緊迫に満ちた戦いの場に変わっていった。

 

「これはいけないですね」

 

 凛と響く女の声が、三人のすぐ横で聞こえた。

 すぐ傍まで接近されて気づかなかった三人は、戦士にあるまじき失態に、迂闊と顔を顰めて声の方向に振り返って唖然とする。

 そこにいたのはレスティーナ女王そのひとであった。

 突然の最高権力者の登場に、驚きの余り口をぱくぱくと魚のように開け閉めするだけになったセリアとヒミカ。

 

「レ、レスティーナ様、これはいったい」

 

 レスティーナと親交のあるエスペリアはなんとか言葉を紡ぎだすが、それでも驚きは隠しようも無かった。

 

「チェンジしてみましょう」

 

 レスティーナはその一言を残して風のように去っていく。

 エスペリアは慌てて立ち上がり、護衛の為にレスティーナを追いかけた。

 一体何が何なのやら。

 顔を見合わせるセリアとヒミカ。どうも面倒事が起こりそうだ、と漠然とした不安が胸によぎる。

 不安は、その日の内に現実のものとなった。

 

 永遠の煩悩者日常編その四

 

 隊長交換

 

 第一詰め所と第二詰め所の隊長を一週間の期間、交換する。

 そんな電撃的な命令が下された。それも女王が直接出した王命である。

 理由は、これからの戦いに備えて親睦を深めよう、というレクリエーションのようなものらしい。今更といえば今更であるし、どうして女王自身がそのような命を出したのか皆が頭を捻ったが、聡明であり圧倒的なカリスマを持つ女王が出した命令だ。きっと深い理由があるに違いない。多くの人はそう判断した。

 

 面白そうだから。

 

 まさか、この一文が目的とは、誰が想像できるものか。職権乱用という言葉すら生ぬるいだろう。

 それでも、一応、レスティーナはただ面白いからという理由だけで隊長同士を交換させたわけでは無い。理由の大半ではあるが、別の理由もあった。

 交換の理由。それは第一詰め所の、というよりもエスペリアの横島不審にある。

 エスペリアは横島の事を完全に信用していない事は明らかだった。はたから見れば横島という人物は非常識極まりない男で、大変な女好きで、とにかく欠点が多い人物だ。外から見るだけでは信頼できないのも無理は無い。

 それに問題は横島だけでは無い。悠人にもある。

 悠人は訓練や仕事を精力的にこなしているし、性格も真面目であるから、第二詰め所からも高く評価はされている。

 だが、プライベートの付き合いは殆どない。互いに頼りになる同僚のような関係だ。その関係を悪いとは言わないが、少し寂しいと言わざるを得ないだろう。

 

 信頼、友情、愛情。

 

 そう言った青臭いものをレスティーナは武器にしようとしている。それは、別に感情論だけで言っているわけではない。

 神剣の力を引き出すには心の力が必要だ。そして、信頼は心を強固にしてくれる。友情や愛情は育む、というのはマナを使用せずに戦力を上げられる財政に優しい手法なのだ。あくまで、心を残したスピリット限定ではあるが。それに戦場で連携を取るのだってお互いを知っておけばやりやすい。

 また、敵のやり口によっては内部不和を目的とした姦計を打ってくることも考えられる。

 確固とした信頼関係を築くにこしたことはない――――

 

「という建前があれば問題ないでしょう。ふふ、どういうハチャメチャが起こるか楽しみだなぁ」

 

 結局は面白そうだから交換するのだが。

 レスティーナ・ダイ・ラキオス。 

 私益と公益を兼ねる事が出来る女王であった。

 

 この辞令を喜ぶ者も反対する者も何人かいたが、当人である悠人と横島が乗り気であったため、つつがなく次の日には交換が決まる。

 時間はさっさと流れ、次の日の朝。

 

「ハンカチは持ちましたか。着替えは大丈夫ですか。日用品も、あと……」

 

「大丈夫だって。ちゃんと準備したさ」

 

 第一詰め所の玄関前で、そんなやりとりがされていた。悠人とエスペリアだ。周りにはアセリア達もいる。

 まるで子供を遠足に送り出す母親だ、と悠人は呆れと気恥ずかしさを感じていた。交換が決まってから、エスペリアはずっとこんな感じである。

 優しくて包容力があるけれど、どこか抜けてて可愛い所がある姉。それが悠人にとってのエスペリアだ。

 それ以上の想いもあるとなんとなく感じていたが、それがどれだけの意味を持っているかは、まだ良く分かっていなかった。

 

「ユート、生水には……うん、気をつける」

 

「なあ、アセリア。意味を分かって言っているか?」

 

 アセリアはやはりいつも通りだ。表情の一つも変えない。

 少しぐらい寂しがってくれないのか。

 悠人は少し悲しくなってやきもきしてしまう。

 良く見れば、アセリアのいつも元気一杯に重力に喧嘩を売っているアホ毛が弱弱しく垂れていたのだが、悠人もアセリア本人すら気づいていなかった。

 

「パパぁ~向こうに行っても、オルファのこと忘れないでね!」

 

「はは、オルファを忘れるわけ無いさ」

 

 素直に寂しさを表現してくれるオルファは可愛かった。思わず頭を撫でてしまう。

 

「広く見識を求め、深めるのも修行の一環となるでしょう。ご精進を」

 

「あ、ああ。精進する」

 

 ウルカはやはり真面目だ。真面目すぎてどこかピントが外れているのもウルカらしい。

 悠人は背筋をピンと伸ばし、自然と微笑した。

 

「それじゃあ、いってくる」

 

『いってらっしゃい』

 

 四人の声に見送られて、悠人は第二詰め所に向かった。

 

「ああ、ユート様が行ってしまう……」

 

 遠ざかっていく背中に、寂しげな声を漏らすエスペリア。

 その様子は離れ離れになる恋人のようにも見えたし、愛しい弟を見送る姉のようにも見えた。

 エスペリアの心境としては、そのどちらも正しいと言っていい。家族のような、それ以上のような、複雑な気持ちなのだろう。この辺りは悠人とシンクロしている。

 ついに背中が見えなくなって思わず溜息をついてしまう。その溜息は悠人と離れ離れになってしまう悲しみだけが原因では無い。

 

(今日から一週間、あの方と暮らすのですね)

 

 脳裏に浮かんできた締りの無い男の顔に思わず嫌々と頭を振ってしまう。

 人と会話する事がスピリットにしては多いエスペリアは、横島の噂をよく耳にしている。

 どのような噂が流れているかは、今更言うまでもない。

 

(うう、もし迫られたらどうしましょうか。貞操はユート様に)

 

 間違いなくラキオスの全スピリットで一番横島を信用していないのはエスペリアだろう。

 その理由は、エスペリアが常人としての感性を備えているからに他ならない。

 いきなり飛びかかってきてセクハラしてくる男の評価など、こうなって当然なのだから。

 

「神剣反応が近づいてます」

 

 ウルカが気配に気付いて静かに言った。

 とうとう来たか。

 思わず身構えたエスペリアだが、視界の端に映ったのは赤い短髪だった。

 

「あっ、やっぱりヒミカお姉ちゃんだ!」

 

 オルファにはヒミカが近づいていると分かっていたらしい。

 彼女は神剣反応で人物が分かるという稀有な力を持っていた。さらにどれぐらいの力を持つのかも何となく分かるらしい。唯一、分からないのはウルカらしいのだが、そのウルカにはまた別のものを感じていると本人は語っている。

 ヒミカは息を弾ませて、エスペリアの前までやってきた。

 

「どうしたんですか、ヒミカ。そんなに急いで」

 

「ヨコシマ様が来る前に第一詰め所……というよりも貴女に渡す物があるのよ」

 

 そう言って、ヒミカはエスペリアに紙の束を渡す。

 

「それじゃあ、エスペリア……頑張ってね!」

 

「え、ええ」

 

 思い切り握手をされて激励される。ヒミカはそのまま走り去って行った。

 十枚以上にも及ぶわら半紙の束。その表題にエスペリアは目を丸くした。

 

『エトランジェ・ヨコシマに関する対策と方針。

 これで貴女もヨコシマ様マスター! 大丈夫、ヨコシマ様は怖くない。

 素敵なヨコシマライフを満喫しよう!!

                           著者 ヒミカ・レッドスピリット』 

 

「はふぅ」

 

 エスペリアは短い悲鳴の後、もんぞりうって倒れた。

 オルファの声が聞こえたが無視する。目を瞑って意識を宇宙へと飛ばす。

 どうせ今回は日常編でストーリーは進行しないのだから、このまま気を失って、次話まで寝ていよう。

 オラクル(電波受信)に成功した彼女は、宇宙のブラザーと交信する事によりメタフィクションを扱えるようになったのだ。

 

 新たな技を覚えました。

 

 どこからともなく聞こえてくる自分のそんな声が聞きながら、エスペリアは夢の世界へと旅立つ。

 

 ――――大きくなったな、エス。

 

 聞こえてきた声が夢幻であることが、エスペリアには良く分かった。

 その愛称を言ってくれる人は、もういない。

 

 ――――だけど、大きくなって少し残念だ。

 

 何か不満があるのですか? お膝に乗せてもらってご本を読んでもらえないのは私も残念ですけど。

 

 ――――やっぱりロリメイドは最高だぜえ!

 

「ラスク様はそんなこと言いません!」

 

 恩師の痴態に思わず叫ぶ。と、同時に夢から覚めて目を見開く。

 次の瞬間に飛びこんできた映像は、タコのように突き出された唇だった。

 

「ぴゃああああ!!」

 

 美人系ヒロインにあるまじき悲鳴を上げながら、エスペリアは身を捻ってタコ唇を避ける。同時に、戦士としての訓練が功を奏したのか、咄嗟に『何か』をガシッと掴むと、

 

「はあっ!」

 

 ジャーマンスープレックス!

 

 白と緑で基調されたメイド服が、オトコらしく翻った。

 乙女の危機と戦士の動きがフュージョンした結果は、犬神家を復興させるという偉業を成し遂げた。

 『何か』――――いや、隠す必要は全くない。横島の上半身は地面に埋まって、下半身だけがバタバタと暴れていた。

 目の前で暴れ狂う下半身にエスペリアは驚くしかない。

 

「一体何事ですか!?」

 

「エスペリアお姉ちゃんが何事だよぉー! ヨコシマ様が下半身エトランジェになっちゃったよ!?」

 

「……卑猥か?」

 

「うん? アセリアお姉ちゃん、卑猥ってなあに?」

 

「エッチな事」

 

「エッチって?」

 

「卑猥な事」

 

「うぅ~全然分からないよぉー!」

 

「大丈夫だ。私も分からない」

 

「アセリアお姉ちゃんが言い出したのに~!?」

 

 アセリアとオルファの何やら不思議な会話に、エスペリアは頭を抱える。

 ズキズキする頭を押さえながら、一人真面目に佇むウルカに声を掛けた。

 

「あの、ウルカ……これは一体何事なんでしょう」

 

「はい、ヨコシマ殿は倒れたエスペリア殿を見つけるや否や、ものすごい勢いで飛びついて救命活動を開始したのです。あの迷いがない迅速な行動……やはりヨコシマ殿は並の御仁ではありません。エスペリア殿も見事な体術でした」

 

「真面目なのも対外にしてください!!」

 

 目に大きな涙を溜めながらエスペリアが怒る。怒られたウルカは「はてな?」と頭を捻るばかりであった。

 エスペリアは溜息をつくしかない。

 これが本当にスピリット最強と恐れられた『漆黒の翼』なのだろうか。一緒に旅をした時も思ったが、どこか抜けている。

 純粋というか、真面目というか、世間知らずというか。アセリアと少し似ている。

 アセリアが不思議な天然なら、ウルカは真面目な天然だった。

 

 そうこうしている間に横島は地面から這い出すと、満面の笑みを浮かべてエスペリアに詰め寄った。

 

「安心してください! 俺はこうみえても心臓マッサージと人工呼吸のプロっす!!」

 

「何を安心して良いか分かりません!?」

 

「神剣魔法以外の医療を行えるのですか。ヨコシマ殿は博識なのですね」

 

「ウルカはもう少し人を疑うことを覚えた方が良いと思います!」

 

「……手前は一人旅を続け、人を見る目も養いました。ヨコシマ殿は嘘では無く、本気で言っていると分かります」

 

「本気だからまずいんじゃないですか!?」

 

 エスペリアに一喝されて、またウルカは首を傾げる。

 横島がやって来てまだ数十秒程度。それだけでこの騒ぎだ。エスペリアはこの一週間がどうなるのか、不安で不安でしょうがなかった。

 

 交換生活 一日目

 

 挨拶が終わり、エスペリアは部屋に戻ると、これ以上無く憂鬱そうにしながら机にヒミカから渡された書類の束を置いた。

 頭痛がするような表紙に目をやって、しばらく躊躇したがページを捲る。

 

 はじめに。

 

 この本を見ているということは、貴女はスピリットであり、幸か不幸かエトランジェ・ヨコシマと接触し、共に闘う事になったのだと思われます。

 ヨコシマ様は非常に女好きであることは周知の事実であり、大変困った人物です。

 しかし、決して乱暴な人物ではありません。権力や力を笠に着て狼藉を働いてくる事は決してありません。

 ですが、楽観は禁物。もしヨコシマ様が迫ってきて、その時にきちんと抵抗できないとそのままエッチな事をされてしまいます!!

 また、彼の非常識につき合わされると気苦労も多いでしょう。しかし、苦労に勝る喜びもある事を忘れてはいけません。

 この書はヨコシマ様と健全に付き合い、彼と楽しく生きていく事を目標に作られた本です。

 

 そこまで読んで、色々な意味で限界を感じたエスペリアは羊皮紙から目を離す。

 

「ヒミカ……大丈夫なんでしょうか……脳が」

 

 とんでもなく失礼な事を言っていると自覚しているが、言わずにはいられなかった。

 ヒミカは第二詰め所内でも屈指の常識人だ。いや、これを見るに常識人だった、と言わざるを得ない。

 本人は真面目に書いているつもりなのだろうが、いや真面目だからこそより狂気を感じる。

 

「どうせ今回は日常編でストーリーなんて進まないのですから、もう全部お昼寝で終わらせても良いと思うのですが」

 

 ブツブツと文句をたれるエスペリア。こちらもこちらで変になっている。

 エスペリアも真面目だからこそ、壊れ方がいっそう激しいようだ。

 それでも、この身の為にまた羊皮紙を捲る。

 

 その一 生態

 

 素敵なヨコシマライフをエンジョイするためには、ヨコシマ様の生態をきちんと把握することが重要です。

 ここではヨコシマ様の生態について学びましょう。

 

「せ、生態って……だから素敵なヨコシマライフってなんですか?」

 

 最初の一文から思わず泣いてしまいそうだった。

 ヨコシマ様の生態について学ぶことは、今後の人生に何か役に立つのだろうか。役に立たなかったら無駄であるし、役に立ったら立ったで空しいだけな気がする。

 すんすんと泣きそうになりながらも、エスペリアはページを捲り続けていく。

 

 ・空を飛び、水に潜み、地に潜る。

 ・よく妄想する。その時に近づくと抱きつかれる。

 ・テレポートしてタンスに潜む事があるので注意が必要。

 ・正々堂々覗きをする。

 ・致死量の怪我でも一瞬で完治。

 ・でも、息子を切られると死亡する。

 ・息子は品行方正だが、本人はエロい。

 ・女性は拳闘家にクラスチェンジさせる性質あり。

 ・今後、分裂する可能性あり。

 ・つまり周囲をギャグ化する。

 

「ヨコシマ様とは一体何なんでしょう?」

 

 果たして、これが同じ生物なのだろうか。

 人、スピリット、エトランジェ。

 様々な種が存在し、その分を守るべしと考えているエスペリアだが、何だかどうでも良くなってくる気がする。

 

 というか、周りに対する被害がやばい。

 

 自身の決め台詞である、『私は汚れているのです』が、

 

 私は汚れキャラなのです。

 

 になりかねない恐れがあるのだ。

 汚れキャラに定着するなど冗談ではなかった。

 

 その二 嗜好

 

 さて、ここまでこの話を読んでくれた皆さんには周知の事実でしょうが、ヨコシマ様は非常に女好きです。ですが、女といっても何でも良い訳ではありません。ここでは彼の趣味を良く理解しておきましょう。

 また、もしこの本を開いている貴方が子供の場合、一切の問題は無くなるので本書をここで閉じられて構いません。

 ………………ああ! 私も子供の時にヨコシマ様にあいたかっ――――――以下、愚痴が延々と続いている。

 

「…………ヒミカも苦労しているのですね」

 

 突っ込みどころは多いが、もうそれだけで流してしまう。

 それから少し先まで読み進める。答えとしては、同い年の美女美少女が好物で、特に美人のお姉さん系が大好物らしい。

 性格に関しては、強気だったり真面目だったりするほうが良いらしい。あまりに弱気だったりエキセントリックだと、横島のセクハラ攻勢は影を潜めるとも書いてある。

 この嗜好を見てエスペリアは考える。

 第一詰め所で横島の嗜好に一番合っているのは誰なのか。

 

 まず、オルファは除外。

 横島は子供を劣情の対象にしない。

 肉体が成熟していない相手には紳士、というよりも遊びやすい兄ちゃんという感じだ。それぐらいはエスペリアも理解している。

 

 次にアセリア。

 これは微妙なラインだ。恐らく横島当人も微妙だと感じているだろう。

 年に関しては問題ないのだろうが、雰囲気も顔立ちもやや幼い。体格も小さくない程度。それに性格も純粋無垢で天然だ。横島の趣味には入っていないだろう。

 しかし、アセリアには不可思議な魅力がある。万が一の危険性はあるように思えた。

 

 次にウルカ。

 これは完全に危険ラインだ。同性であるエスペリアも、はっと目を止めてしまう格好良さがウルカにはあった。体のラインが浮き出るレオタードのようなエーテル服も色気がある。変な部分で知識が無いのも、それはそれで可愛いかもしれない。

 ただ、これはエスペリアの勘なのだが、ウルカは別に心配ないような気がしていた。

 根拠は特に無いのだが、強いて言うのなら横島とウルカがイチャイチャしている光景が想像できないのだ。

 

 そして、自分。

 エスペリア・グリーンスピリット。

 これは――――

 

「危険です。ピンチです。デッドオアアライブです。ミッションインポッシブルです」

 

 自分で言っておきながら意味が分からない言葉の羅列。

 何だか分からないが、とにかくヤバイ、という意味は伝わってくる。

 

 縋るような気持ちで頁を捲る。 

 今度の項目は、ヨコシマ様の対策だった。

 

 誠実、ツッコミが得意なスピリットは三ページ目に。

 天然、ボケが得意なスピリットは七ページ目に。

 冷静、クールなスピリットは九ページ目に。

 ファーレーンは十一ページ目に。

 

 突込み所は多々あったが、精神の安定の為にもスルー。

 ツッコミはともかく、誠実であろうとしているエスペリアは三ページ目を開く。

 

 さて、誠実、ツッコミタイプの貴女! 貴女は大変危険です。

 ヨコシマ様は常識的で強いタイプの女性が好みのようで、怒涛の勢いで飛び掛ってくる事があります。

 これにきちんと対抗しなければなりません。

 

 ヨコシマ様と楽しく付き合っていくコツは、自身の感情をきちんと言葉や体で示していくことです。

 つまり、変な事をしてきたら鉄拳を叩き込みましょう! 

 もちろん人であり、上役である隊長を叩くというのは大変心苦しいものです。

 ですが、彼に抱かれるのが嫌ならばキチンと抵抗しましょう。叩いて関係が悪化するとか、別な子に毒牙が向けられるのではないかという懸念はあるでしょうが、彼はそんな愚かで陰鬱な考えはもっていません。何故なら、一度や百度叩いた程度で彼はセクハラを諦めたりしないからです!

 

 そこまで見てエスペリアは横島を分析する。

 彼は決して無理強いはしないという事だ。いきなり飛びかかってくる事はあっても、そこから好き放題されるわけではない。セクハラ後は、一度相手のアクションを待つのである。

 ここではっきりと嫌と言わなければならないわけだ。それも、鉄拳付きで。

 もし少しでも受け入れる素振りを見せれば、そのままお姫様抱っこされてベッド一直線になってしまう。

 ベッドに入ったとしても一線を越えられるほどの度胸があるかは、また怪しいものなのだが、そこまではまだエスペリアは分からなかった。

 

「しかし、人を殴るなんて……いくら変態でも人は人ですし……」

 

 スピリットは人に服従しなければいけない。手を出すなどもってのほかだ。

 さっきは思わずジャーマンをかましたが、本当ならマットを引いていない状況でジャーマンはやってはいけない。鉄拳もだめだ。

 いや、手を出すのが駄目なら蹴ればいいのではないか。だが、蹴りを放てばパンツが見えてしまうかもしれない。パンツが見られたら、横島はよりパワーアップするだろう

 ならば締め技や関節技、投げ技でもいいかもしれない。だがそれは体が密着してしまう。ヒミカの書によれば、横島の力の源は煩悩だから、密着も危険だ。

 こうなれば毒しかないか。

 

「打撃か関節技か毒か、一体どうしたら……って、何で私はこんな馬鹿なことを考えなくちゃいけないんですか!?」

 

 一人でノリツッコミを敢行するエスペリアは、本人は認めないがツッコミタイプなのだろう。若干、天然ボケも入っていそうだが。

 真面目に考えれば考えるほど、自分が馬鹿をやっている気がしてくる。

 何か他に対策はないかと、ヒミカからもらった横島解体新書をめくってみる。

 

「それにしても、これは褒めてるのかしら。貶してるのかしら」

 

 頁をめくると、出る出るわ横島に対する愚痴の数々。

 大変だ。困った人だ。エッチイ人だ。

 だが面白いのは、これだけ愚痴が書かれているのに嫌だとか苦しいとかは一言も書かれていていないのだ。

 側にいると大変と書かれているのに、迷惑ともいなくなって欲しいとも書かれていない。

 こんなにも貶めているのに、何故か信頼と愛情を感じる。不思議としか言いようがなかった。

 

「もう少し彼を信頼してみましょうか」

 

 そう呟いて、横島攻略本から目を離して視線を上げる。

 すると目と目が合った。壁に目が付いている。赤い目と黒い目だ。

 心臓が跳ね上がって悲鳴を上げそうになったが、何とか声を抑えて冷静に考える。

 壁に目が張り付いているわけではない。壁の外側に目があるのだ。

 隣の部屋は悪戯好きなオルファリルの部屋。そして、第一詰所にやってきたお馬鹿でエッチな横島。

 つまり、

 

「よ、ヨコシマ様ー! オルファー! 何をやっているのですかーー!!」

 

「のわ、見つかった! 逃げるぞ、オルファ隊員!」

「イエッサー!」

「こら、待ちなさいー!」

「ん、エスペリア。家の中で走らない」 

「あう、ごめんなさい」

「手前が走らなくても素早く動ける歩法を教えましょうか」

「ええと、それなら良い……のでしょうか?」

「そりゃダメッすよエスペリアさん! 大股を開いて走ってくれないとパンツが見えないじゃないないですか!?」

「大股なんて開きませんし、パンツなんて見えません!!」

「あ、エスペリアお姉ちゃんもパンツ穿かないんだ!」

「穿いているに決まっているでしょう! というかオルファ!? 貴女まさか――――」

「私は前垂れにヒモパンだ」

「手前は透けないレオタードなので下着は穿いてませぬ」

「あ、あ、あ、貴方達はーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

 

 エスペリアの絶叫が響き渡り、皆が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 押さえつけようとした感情が、無理やり表に引きずり出される。

 極楽にして能天気なギャグの足音が、エスペリアの背後まで迫りつつあった。

 

 さて、一方の悠人はというと。

 

「今日から一週間、よろしく頼む」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 ごく普通に挨拶して、ごく普通のやり取りをして、ごく普通に食事を取る。

 セリアとは今回の交換でどうしてこうなったと疑問を言い合い、ハリオンからはお菓子を受け取り、子供達とは遊ぶ。

 特筆すべき事は特にない。あえて言うのならヒミカが非常に喜んだという事だろう。

「普通……普通の隊長だ」

 と、涙を流さんばかりに感激するヒミカに、悠人は普段横島によってどれだけ苦労させられているのだと、深く同情した。

 

 食事も終わってやることもなくなると、次は風呂に入る。

 風呂の作りは第一詰所と大差は無かった。

 木でできた大きな風呂は十人ぐらいは入れそうな大きなものだ。一人で入っていると、開放感と同時に孤独感も少しわいてくる。

 

 体を洗い始めると、ドタドタと脱衣所の方から騒がしい音が響いてきた。

 そして聞こえてくる騒がしい子供の声。元気で早口なのと、少しのんびりした声が二つ。

 ネリーとシアーだ。どうやら風呂に乱入しようとしているらしい。

 

(俺はロリコンでもシスコンでもないから慌てないのさ)

 

 心の中で余裕たっぷりに言う。心の声が外部に漏れたのなら、どこか繕った様に聞こえただろう。

 元の世界でも、この世界でも、何故かロリコン呼ばわりされることがあるから、悠人は少し意固地になっていた。

 絶対に素っ裸のネリー達に絡まれようと驚かない。どこも反応しない。

 そう固く決めていた。

 ガラリと脱衣所の扉が開く。

 

「ユート様ー! 遊ぼー!」

「遊ぶの~」

 

 だが、風呂に入ってきたネリーとシアーを目の前にすると、悠人は眼を丸くして驚いた。

 

「な、なんでタオルを巻いてるんだ!?」

 

 2人は胸元と股間部分をタオルで巻いて隠していた。それが狼狽の理由だ。

 悠人の名誉の為に少し補足しよう。

 別に悠人はネリー達の裸体が見れなくて驚愕したのではない。羞恥心がある事に驚いたのだ。

 

(オルファやアセリアやウルカだって全裸で風呂に入ってくるのに)

 

 エスペリア以外と、不純ではない裸の付き合いをした事がある悠人。彼女らは悠人が入っている風呂に当然のごとく乱入してくる。

 アセリアとオルファは、始めて見る男のシンボルに興味津々と見つめてきたり握ろうしてきた。ウルカは「これが実物ですか」と僅かに興味を示しただけ。

 ちなみに、彼女らには横島と風呂に入らないよう『命令』してある。

 

「えーとね、ヨコシマ様が男とお風呂に入るのならきちんとタオルを巻けって」

 

「うん。恥じらいの心が重要なんだよ~」

 

 どこか得意げに二人は語る。

 本当に恥じらいを理解しているのかは疑わしいが、少なくとも男に裸を見せるものではないぐらいは理解しているらしい。

 

(俺は……裸で風呂に入ってくるアセリア達に何も言わなかった)

 

 なるべく見ないように配慮はした。触れるなんてこともこちらからはしていない。タマを握りつぶされた事もあったが、それでも紳士の対応を心がけた。

 だが、横島はきちんと女の子達に一般常識を教えていたわけだ。これらが示す事柄から導き出される答えとは。

 

「俺は……俺はァァァ横島の奴よりもォォォォォ変態だと言うのかァァァァァァァァ!!」

 

 悲哀に満ちた悠人の叫びが木霊する。

 ゴンゴンと思い切り壁に頭を打ち付ける。

 横島以上の変態、横島以上の変態、横島以上の変態。

 残酷な言葉が悠人の頭に木霊する。

 

「ねえ、シアー。どうしてエトランジェっていきなり柱に頭をぶつけるのかなぁ」

 

「わかんないよぅ~」

 

 時として横島が行う奇怪な行動を悠人も取ったので、姉妹は?マークを頭上に浮かべる。

 騒ぎを聞いて他の皆が風呂場にやってきた。

 

 セリアは一つため息をつく。ファーレーンは横島が馬鹿な事したときは笑顔なのに、悠人のときは冷たい目で見ていた。

 ハリオンは「男の子ですねえぇ~」とニコニコと笑う。ナナルゥは冷静に「ヨコシマ様と比べて形は、大きさは……」と謎の言葉を言っていた。

 そしてヒミカは、

 

「普通だと……ユート様は普通だと思ったのに~!!」

 

 と滂沱の涙を流していた。

 

 交換生活 二日目

 

 キィンと金属と金属をぶつかり合わせる甲高い音が、ようやく日が昇り始めた森の中で響く。

 剣先の方が巨大化している特殊な形の『求め』と、ヒミカのダブルブレード型の『赤光』がぶつかりあって火花を散らせていた。

 悠人はよく自主的に訓練をしていて、今日も早くに起きて訓練を始めたのだが、そこにヒミカが現れて協力を申し出たのだ。当然、悠人は感謝して協力を受け入れた。

 

 公の場での訓練ではなく、あくまでの私事の訓練であるために、神剣の力は使わずに剣技と体術のみの訓練だ。回復もないので慎重に剣技を比べあう。

 こうなってしまうと、悠人とヒミカの訓練がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

「くぅ、全然だめだ!」

 

 足を引っ掛けられて転ばされた悠人が、大地に寝そべりながら悔しそうに呻いた。

 そんな悠人に、ヒミカは微笑を浮かべて首を横に振る。

 

「ユート様、私達は生まれてこの方、剣で生き続けてきたんですよ。剣技で早々負けたら私達の立つ瀬がありません。

 大丈夫です。ユート様は強くなっています。あと一年もすれば、どのスピリットにも早々遅れを取ることはなくなるでしょう」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、実戦で負けたらそんな事も言えないからな……考えてもしょうがないか。次は剣の型のチェックでもするかな」

 

 相も変わらず地味な訓練メニューを悠人は黙々とこなしている。

 これが、ヒミカが悠人を尊敬する理由だ。大抵の者は身体能力をある程度備えると技術に走る。強力な技や、ハッタリや小手先の技術を体得したほうがすぐに強くなるし、強者にも一泡吹かせる事ができるかもしれない。

 だが悠人は目先の強さよりも、先を見ての野太い強さを選んだ。横島のハチャメチャな戦術や能力とは、正反対の道。こちらの方がヒミカにも指導も容易で理解しやすい。

 まず鍛えるべきは体力と判断力。特に悠人のように指揮官であり高い戦闘能力を持つものには、長時間戦場で良質な指揮を陣頭で執り行って欲しかった。

 

 また、悠人が鍛えているのはそれだけではない。

 戦略や戦術や連携、さらに周辺のマナ分布量や地形まで勉強している。完全に頭を戦闘特化に作り替えていた。

 逆に横島はスピリットや神剣に関し造詣を深め、人間との連携を考えているらしい。

 互いに別分野の勉強しながら切磋琢磨しているようだ。

 まあ横島からすれば女の子達と仲良くなりたいがためだけだろうが。

 

「ああ、そうだ。ヒミカに言わなくちゃいけない事があったんだ」

 

 表情を少し厳しくした悠人に、これは重要な話だと理解したヒミカは神妙に頷いた。

 

「以前から思っていたけど、ヒミカは前に出すぎるきらいがある。確かにヒミカは接近戦が得意ではあるんだろうけど、無理に出る必要はないんだぞ」

 

 これは欠点と言っていいレベルであった。別に悠人からの指示を無視するわけではないのだが、時として突出するきらいがヒミカにはある。

 別にヒミカは戦闘狂というわけでもない。ただ仲間が窮地に陥ると、周りが見えなくなって、どうしても足が勝手に動いてしまうのだ。

 自身の欠点をヒミカは理解していた。しかし、それを悠人に言われると少し腹が立った。

 

「申し訳ありません。以後気をつけます。

 ですが、あえて苦言を言わせていただければ、それはユート様も同じでは。サルドバルト戦でも、ちょっと他の子が危なくなると前に出ようとしていましたね」

 

 言われて、悠人も痛いところを突かれたように苦い顔をする。

 こちらも前に出る理由はヒミカと一緒だ。仲間がピンチになると、どうしても体が動いてしまう。

 

「俺はグリーンスピリット以上に防御が優れているから……大丈夫だ」

「そういう問題ではありません。隊長がむやみに最前線に立つなんて危険すぎます」

「役割をこなすって言ったらヒミカだって同じじゃないか。ヒミカは遠距離でも十分に戦えるだろ」

「私は遠距離でも近距離でも戦えますから。なによりも私はスピリットです。指揮を執らなければいけない隊長は後ろでどっしり構えたほうが良いと思いますけど」

「理由とか言い出したら、隊長が前に出れば士気が上がるから、なんていい返すことも出来るんだけどな」

 

 お互いに言いたいことを言い合って、しばし軽く睨み合いが起こったが、やがてどちらともなく破顔した。

 結局の所、二人は同じ気性、同じ気持ちなのだろう。自分よりも他者が痛い目に合うのを見ていられないのだ。

 互いの欠点を鏡のように映し出していた。だからこそ相手の気持ちが分かる。

 

「申し訳ありませんでしたユート様。口答えなんてしてしまって……短所は理解しているのですが中々……」

「口答えなんて気にしないでくれ。俺も人の事は言えなかったし。俺も後方で指揮ができるように落ち着こうと思う」

「……きっと、仲間をもう少し信用することが重要なんでしょう」

「だな。俺ももっと皆を信用しないと」

「それでも、本当の本当にあの子達が死にそうになったら前に出てしまうかもしれませんけど」

「その時は俺も付き合わせてもらうさ。二人でならお互いに身を守りあう事もできるだろ」

 

 二人で笑いあう。

 良い雰囲気が流れていた。

 ヒミカは微笑を浮かべながら、タオルを持って悠人に近づく。

 

「汗を拭くので、少しじっとしててください」

「え、それぐらいは自分でやるから」

「遠慮しないで」

 

 そう言ってヒミカは強引に悠人の額辺りにタオルをやって、そして彼の胸元に飛び込んだ。

 

「ちょ、ヒミカ! 何を」

「静かに。後ろの茂みに、気配を殺した誰かが潜んでいます。スピリットでは無いようですが、合図をしたら二人で確保しましょう」

 

 息がかかるぐらいの距離で言われて、どきまぎしながらも悠人は気づく。

 確かに息を殺した気配が、それもこちらの様子を伺う気配がある。

 悠人は少し頷いて、ヒミカを胸元に抱きとめたままこっそりと茂みに近づく。

 そして、二人は一気に分かれて神剣を別々の方向から茂みに向けて突き付けた、ヒミカは一息で赤の魔法を使う事もできる状態だ。

 

「五秒やる。出てこい」

 

 悠人がそれだけ言うと、茂みの中から男が出てきた。

 二十歳ぐらいの若い男だ。武器などは特に携帯していない。

 

「あはは、すいません。ちょっと道に迷っちゃいまして」

「ここは道に迷ったぐらいでこれる場所じゃない。それに何で俺たちに悟られないように藪の中にいた説明になっていないぞ」

 

 悠人の目が懐疑の光を帯びた。

 他国の情報収集力は不思議なほど高く、相当の密偵がラキオスに放たれていると予想されている。

 

 まさか、こいつは密偵か。

 

 場に緊迫し空気が流れる。

 すると、男は顔をしかめて両手を降参とばかり挙げた。

 

「私は諜報部のものです。無論、ラキオスのね」

 

「それを証明するものはあるか。本当だとしても、どうして俺たちを監視した」

 

「職業上、身分を特定されるものは携帯していませんよ。どうして監視したのかですが……はあ……申し訳ありませんが秘密です」 

 

 男は大きくため息を吐いた。心底からうんざりしているように見える。

 こいつの言っていることが本当かどうか判断できない悠人とヒミカはどうしたものかと顔を見合わせていると、そこに緑の影がのんびりとした足取りで近づいてきた。

 

「あら~固焼きさんじゃないですか~。おはよう~ございます~」

 

「ああ、おはようございますハリオン」

 

 今日の朝食役であるエプロンを付けたままのハリオンがやってきた。

 ハリオンは謎の男を知っているらしい。名前は知らないのか、よく分からない愛称を言っていた。ヒミカが首を傾げる。

 

「固焼きさん?」

 

「はい~固焼きさんは名前が秘密なので~固くて甘いのが好きだから、固焼きさんなんですよ~」

 

「何だか頭が痛くなるけど、とにかく敵ではないのね。申し訳ありません、失礼しました」

 

「いやいや、怪しいのは確かだったから仕方ないよ」

 

 人好きそうな笑顔を固焼きさんは浮かべる。

 男が自国の諜報員であるのが確定したため、ヒミカは恭しく頭を下げた。

 固焼きさんはいえいえと首を横に振る。

 

「それで~固焼きさんはどうしたんですか~? あ~そういう事ですか~固焼きさんは~ヒミカが大好きですからね~ストーカーさんですね~」

 

 いきなりの言葉にヒミカは目を丸くして、思わず固焼きさんから距離をとってしまう。

 悠人も、別な意味でこの男を警戒した。

 

「ハリオン、言葉がたりないよ。僕はあくまでヒミカさんのお菓子好きってだけです」

 

「同じようなものですよ~」

 

「違うから!! というかハリオン! もう少し分かりやすく説明して!」

 

「え~とですね~実は~」

 

 のんびりと説明しようとしたハリオンだったが、このままでは時間がかかると思った固焼きさんが先に説明を始める。

 

「簡単な事ですよ。ハリオンとヒミカさんが作ったお菓子はラキオス中にばらまかれていて、ファンが多くいるのです」

 

 想像外の範囲にヒミカは絶句した。

 ハリオンがどこからともなく大量の材料を待ってくるので、菓子作りが趣味な二人は、菓子を余らせることがあった。

 その時はハリオンがどこかに持っていって処理をしていて、ヒミカとしては町の子供にでも振る舞っているのだと考えていたのだ。

 

「でも~ちょっと違いますね~商人さんにも振る舞っているので~保存がきくヒミカの焼き菓子は大陸中に届いてますよ~」

 

「……は?」

 

「それじゃあ~私はご飯の用意があるので~これで失礼しますね~あ、忘れてました~はいお菓子です~」

 

 立ち尽くす三人に棒付きの飴を渡して、のんびりとした足取りで去っていくハリオン。

 

「なあ、ヒミカ。ハリオンって本当に何者なんだ」

 

「……親友の私でもわからない事はあります」

 

「諜報部でも彼女は恐れられてますからね」

 

 三人揃ってため息をつく。そしてペロペロする。疲れを取る蜂蜜味だ。

 悠人の第二詰め所生活は、日々発見の連続だった。

 

 朝の第一詰め所。

 そこでは一人の少女が朝食をせっせと作っていた。

 少女の名はアセリア・ブルースピリット。かつて、料理という名の兵器を作り出しスピリット隊を壊滅寸前まで追い込んだ猛者である。

 彼女が今日の朝食担当だった。

 

 冗談ではないと逃げ出そうとした横島だったが、エスペリア達に大丈夫だと言われてたので、戦々恐々とアセリアを見守ることにすると、専用の軽鎧の上にエプロンを着て随分と手際良く動いていた。

 確実に彼女の料理の腕は上がっているのだろう。でなければエスペリアが任せるわけがない。不思議と、そんなアセリアの様子が横島には面白くなかった。

 このアセリアの上達の背景には間違いなく悠人が絡んでいるのが分かりきっているからだ。

 

「何か……随分と上手くなったな」

 

「ん、いっぱい練習したから」

 

 アセリアは素直に努力が出来る娘なのだ。だから教えたことには忠実で、試行錯誤も繰り返すから確実に実力を身につけていく。

 

 とりあえず食事は大丈夫そうだと分かった横島は、なんとなく台所を見渡してみる。

 すると、皿の上に美味しそうな赤色の葡萄が置いてあった。

 ひょいと口に入れてみる。途端に凄まじい酸っぱさが口内を駆け抜けた。

 

「ぬおお! ずっべえ!!」

 

「テルモゥ・セィン・ポロはすっぱいから、砂糖に漬けてジャムにするのが普通。そのまま食べるのは良くない。それに今は料理中だから、勝手に食べるのは駄目だ」

 

 子供を諭すように言われて、横島はぶすっと捻くれた感情が芽生えるのを感じた。何だかいたずらでもしたくなってくる。

 しかしいくら横島が嫉妬魔人でも料理そのものを台無しするほど馬鹿ではないし、アセリアにセクハラするのはダメだと感じた。

 

 とにかく酸っぱさを何とかするために、何か口直しできるものを探すがこれといって見当たらない。水を飲んでも駄目そうだ。

 仕方なく、もう砂糖を直接でもと考えて、その場にあった白い塊をペロリとなめる。

 

「ちょっぱあああ!」

 

「それは白塩。ん……ヨコシマは、馬鹿なのか?」

 

 透明な目をして素直に横島に聞くアセリア。

 そのあまりにまっすぐな目に、思わず頷きそうになって、慌てて首を横に振った。

 

「うっさい! アホ毛に言われてたまるか」

 

 コツンと軽くチョップしてアセリアのアホ毛を倒す。すると、

 

 ピョコ!

 

 別なところからアホ毛がまた飛び出てくる。 

 横島は何とも言えない表情で、残った手でまたアホ毛を押さえつける。

 すると、また別な所からアホ毛がピョコンと飛び出してきた。

 

「ええい馬鹿にしとんのか~! モグラ叩きやってんじゃねえんだぞ~!」

 

 人を小ばかにしたようなアホ毛の行動に横島が切れた。

 両手を使って、アセリアの頭をグッと押さえつける。

 

 アセリアは髪の毛を横島にされるがままで、相変わらずの無表情を貫き通しているようだったが、見るものが見れば分かっただろう。

 これは、怒っていると。

 横島は両手を使ってアセリアの髪をむりやりと押さえつけていたが、指と指の、ほんの僅かな隙間からアホ毛がピョインと飛び出して、

 

 ブスッ!

 

「うぎゃあああ! 目が、俺の目ガアァァー!!」

 

 アホ毛が横島に目に刺さった。

 痛みでゴロゴロと転がる横島を見て、アセリアは何だか少し得意げに胸を張る。

 

「アホ毛を笑うものはアホ毛に泣く……うん、ハイペリアの言葉にある」

 

「あるかー!? 天然だからって人をおちょくるのもいい加減にせいよ!」

 

「ヨコシマはうるさい」

 

 睨みあう二人。どうやら二人の相性はあまり良くないらしい。

 二人の睨み合いを、オルファとエスペリアは興味深そうに眺めていた。

 

「うわあ、凄い凄い! アセリアお姉ちゃんと喧嘩してるー!」

 

「アセリアが嫌がってる姿なんて始めてみました。それにヨコシマ様もアセリアに少し意地悪なような」

 

 オルファは楽しそうに喧騒を眺め、エスペリアは頭を抱える。

 純粋無垢であったアセリアが、少しずつ良くない風に変えられている様に見えた。

 悪い友達と付き合う妹。それを見守る姉のような心境に、エスペリアの心労はかさむばかり。

 

「平時でも戦いの訓練を忘れない……武人として良き心構えです。手前も精進せねば」

 

 ウルカは、やはりずれていた。

 

 トラブルが絶えない横島と違って、悠人は基本的に良好な関係を築いていた。尊敬の念を持たれていると言って良い。

 頭を抱えながら戦術書を読みふけり、分からない所があったらすぐに誰かに聞きに行く姿は尊敬すべきものだろう。

 また、第二詰め所の面々とも積極的に交流を続けた。

 

 ナナルゥには佳織についてよく質問を受けていた。

 血の繋がらない兄妹、という題材が彼女の読む本に出てくるらしく『愛情とは性欲とは』と答えにくそうな質問を遠慮なくぶつけられて難儀することとなる。

 さらには草笛という隠し芸まで披露してもらって、無感情なレッドスピリットという印象が随分と払拭された。

 

 ネリーやシアーは横島よりもノリが悪い悠人はちょっと退屈なようだが、それでも十分に悠人となじんでいる。

 二ムントールは相変わらず無愛想だが、どこかひねた所が返って子供っぽく、悠人の方はニムを気に入っていた。

 だが、ただ一人だけ明確に悠人を警戒しているスピリットがいた。

 

「なあ、ファーレーン。ちょっといいか?」

 

「……いまから城に用があるのですが、それは緊急の要件でしょうか」

 

「いや、そういうのじゃないけど」

 

「ならば申し訳ありません。今は用事があるのでまた後にしてください」

 

 このようにそっと距離を取られるのだ。

 上品な言葉遣いも敬意の表れではなく、むしろ壁を感じさせた。

 仮面から僅かに見える視線も、どこか刺々しく鋭い。

 

「やっぱ警戒されてるな」

 

 あまり良い感情を持たれていない。それは悠人も理解していたが、想像以上の警戒に眉を顰めた。

 

 人の印象は初対面で九割固まる。

 そんな話を聞いた事があるが、確かにそれは事実だと思い知らされる。

 悠人とファーレーンの初対面は最悪だった。

 ファーレーンの視点からすれば、いきなりタンスから飛び出してきた怪人物で、しかも押し倒されたあげく胸を揉みまくり、さらに腰を密着させてきた、正に変態・オブ・変態。

 それからも行動は共にしてきたが、事務的な会話程度で接点が薄かった。悠人自身も積極的に話しかけることもなかったので、いつのまにか完全にファーレーンの中での悠人像が出来上がってしまったのだろう。

 

 お互いに背中をあずける戦友である以上、このままの関係で良い訳がない。上手く連携が取れなければ戦死の可能性も上がる。

 そして、なによりもの理由として、

 

(横島以上の変態って思われるなんて冗談じゃない!)

 

 常人としてのプライドがあった。

 何とか仲を修復しようと考えたが、まずどうしたらよいのか分からないのだ。

 女性が苦手というわけではないが、そもそも喋るという行為そのものが悠人は得意で無かった。

 こういう時は共通の話題があるのが一番良い。悠人とファーレーンの共通点。それは義妹がいるという事だろう。

 

「なあ、唐突だけどニムの良い所ってどういうところだ?」

 

 ファーレーンと二人きりになった悠人は、下手なことを言っていると逃げられるので、いきなり会話を切り出した。

 キラリとファーレーンの目が光る。

 

「ニムの良い所ですか。もう沢山ありますが、一番はやはり可愛いところですね。

 ちょっと斜に構えてるのに、負けず嫌いで優しいんです。褒めると嬉しそうなのに、顔に出さないように頑張るんですよ! それがもう!!」

 

「ああ、俺も分かるぞ。ちょっとひねているけど努力もするし、優しいところあるよな」

 

 すかさず同意して同調する。好きなものを肯定されるのは嬉しいものだ。仮面で表情は分からないが、それでも目元は緩んでいるのが見えた。

 だが、そのままニムを褒め続けているとファーレーンの顔色が悪くなってきた。何か気に食わないことを言ってしまったかと、内心で悠人は舌打ちする。

 

「ユート様、まだニムは子供です。まだ貴方を……受け入れられるほど成熟してません!」

 

 凄まじく冷たく、そして必死に悠人に言った、

 どうやらファーレーンは悠人の事を鬼畜と認識しているらしい。

 いくら何でもあんまりな評価に、頭を抱えるしかない。

 どうしてここまでファーレーンから信頼を失ってしまったのか、悠人は泣きそうだった。

 

 実はファーレンが悠人を警戒する理由は始めに押し倒されたと言うのも大きいが、それだけではなかったのだ。

 ファーレーンは悠人とエスペリアの関係と、そして横島とハリオンの関係を知っている。その二つの違いをも知っていた。

 つまり、『ダークエロファンタジーの主人公』と『健全な少年誌の主人公』のどちらが信用できるか、という問題だ。せめてコンシュマー版だったらこうはならなかっただろうが、あいにく無印基準なのだ。

 

 そんな事とは露とも知らない悠人は必死に弁解した。

 俺はニムに興味なんて無いと。あんなチンチクリンでこまっしゃくれた子供に欲情する分けないと。力一杯に語る。

 すると、今度は不満そうに表情になった。

 

「……それはニムには魅力が無いという事でしょうか」

 

「いや、もうなんといったら……」

 

 また違う方向に話が飛んだ。

 正直、悠人はうんざりし始める。

 

(なんかもうめんどくさい。というかファーレーンも俺に佳織の事を聞いてくれよ)

 

 自称、シスコンでない男は、妹の事を話したくてしょうがなかった。

 話の流れからきっと佳織の話題になるかと思ったらそうもならず、どうしても不審げなファーレーンの様子にイライラしてくる。

 

「まあ、佳織と比べたらニムにはそこまで魅力はな」

 

 いい加減に腹が立っていた悠人はついつい一言多く喋ってしまう。

 

「ニムの方が絶対に可愛いです!!」

 

 ニム命なファーレーンがそれを流せるわけもなく。

 そこまで言われると悠人も後には引けなくなった。

 

「違う! 絶対に佳織のほうが可愛い!!」

 

「むー!」

 

 互いに顔を赤くしあって、とうとうどちらの妹が可愛いか力説が始まった。いつもなら二人ともこんな暴走の仕方はしない。だが、今はイライラと興奮からか魂の叫びが口から飛び出てしまっている。

 白熱した議論が続く。これはもうどちらが可愛いかというよりも、どちらかが上位のシスコンかを決める戦いと言ったほうが良い。

 もし当人であるニムントールと佳織がこの場にいたのなら、恥ずかしさのあまり他人の振りをする事になっただろう。

 

 そんな悠人とファーレーンのシスコンファイトを、セリアとハリオンは物陰から眺めていた。

 二人とも真面目で義妹持ちという共通点を持っていて相性はよさそうなのに、どうしてか喧嘩腰になってしまっている。

 これはもう星の巡りが悪かったとしか言いようが無い。

 

「仲良くなる所か喧嘩して……しょうもない」

 

「まあ~これはこれでいいのかもしれませんね~」

 

 ハリオンがのんびりと言って、セリアは眉をひそめた。

 

「何がいいのよ。今回の交換って仲良くなるためでしょう。不仲になったら失敗じゃない」

 

「だって~ユート様もファーレーンさんも~喧嘩できる人なんて殆どいないじゃありませんか~。これはこれで仲良しさんですよ」

 

「そんな考え方もありなのかしら」

 

 確かに互いに不信を抱いて喋らなくなるよりは、喧嘩してでも言いたいことを言い合える仲の方が健全かもしれない。

 間違いなく第一詰所で騒動を引き起こしているだろう我らが隊長の姿をセリアは思い浮かべ、あまり騒動を起こさないで仲良くなってほしいと、無駄な祈りをささげるセリアであった。

 

 交換生活 三日目

 

 エスペリアは第一詰め所の庭で仁王立ちをしていた。

 後ろには守らねばいけない無力で愛しき子供。眼前にはその子を食らう獣がエスペリアの隙をうかがっている。最強の防壁である彼女だが、しかし敵は手ごわい。

 獣がエスペリアに向かって一直線に走る。横でも上でも受け止めれるようにエスペリアは身構えたが、獣は予想の上を行った。

 

「下!?」

 

 元々が小柄な獣は、さらに姿勢を低くしてエスペリアの股の下を潜り抜ける。風圧でスカートがはためいて、エスペリアはパンツが見えないよう咄嗟にスカートを押さえ込んだ。

 それが致命的な隙となって、獣は獲物にたどり着く。

 

 ガツガツガツ!!

 

「あぁ!? ダメ、それは食べ物じゃないんですー!」

 

 第一詰め所のペットであるハクゥテが、エスペリアが菜園で育てているハーブを食い散らかす。

 拳を振り回して何とか追っ払ったが。しかし茂みの影で虎視眈々とハーブを狙っているのは間違いなかった。

 一体どうしたら良いのだろうか。まさかずっと見張っているわけにはいかない。途方に暮れるエスペリア。

 

「わははは! 爽快に横島参上!!」

「オルファもいるぞー!」

「私もいるぞ」

「手前もここに」

 

 そこにこの四人が現れた。

 何だかんだでこの四人は仲良くなっているらしい。横島の陽気に当てられたか、オルファは悪戯の度合いが増して、アセリアも活動的になり、ウルカも面白がっているのか口数が多い。

 また馬鹿かセクハラをするのかと、エスペリアは疲れた目で彼らを見る。

 

「なんすかその目は! ハーブ園がハクゥテに荒らされて困ってると聞いたから、ここは俺が一肌脱いでみようと思ったのに!!」

 

「本当ですか! ありがとうございます! 本当に助かります!」

 

 本当に困っていたエスペリアは満面の笑みで横島に頭を下げた。

 

「お、おぅ」

 

 屈託の無い笑みを見せられて、横島の頬に赤みが差す。返事はぶっきらぼうのようにしか出来なかった。

 実は横島はエスペリアの純粋な笑みというのを始めてみたのだ。想像よりも可愛らしい笑みに胸が飛び上がってしまう。

 

「あはっ、ヨコシマ様の顔真っ赤~!」

「変な顔」

「恥ずかしがっているようです」

 

 オルファ達が好き放題言って思わずムッとする横島だが、すぐに機嫌を良くした。

 

「まったく、まあいい。悠人が出来なかったことを俺が成功させればエスペリアさんメロメロに……悠人め、寝取ってやるぞーー、ぐははははーー!」

「ぐはははは~~!」

「ぐははー」

「寝取る? 寝技の類でしょうか」

「……まったく、この方は」

 

 横島の馬鹿笑いがハーブ園に響き、隣でオルファが楽しそうに真似をして、さらにその隣で無表情のアセリアが真似をして、ウルカは生真面目な表情で考え込んでいる。

 何ともあけすけな欲望全開で好感度稼ぎをしてくる横島に、エスペリアは好悪を通り越した乾いた笑みを浮かべるだけだった。

 

「私は家事があるので、ここはお任せしてよろしいですか?」

 

「え? 俺の大活躍はここで見てくれないんすか!」

 

「すいません、色々とやらなければいけないことがあるので」

 

 本当はないんですけどね。

 エスペリアは申し訳なさそうに頭を下げながら、小さく舌を出してみる。

 

「変わりと言ってはなんですが、今日はヨコシマ様の好きな夕食に致します」

 

「俺の好きな食べ物はエスペリアさんです!」

 

「分かりました。生のロロゥ(玉ねぎ)とシセミィ(ヤモリ)を山ほどご用意しますね」

 

「いやじゃ~! 玉ねぎとヤモリは嫌なのぉ~~!!」

「ええ~! 生なのエスペリアお姉ちゃん!?」

「ヨコシマ殿、オルファ殿、好き嫌いはいけませぬ」

「冗談に決まっているでしょう! きちんとお料理します。まったくもう」

「ん、エスペリアが冗談を言うのは珍しい」

 

 流れるような会話の流れに、随分と騒がしくなった、とエスペリアは思う。

 

(私もヨコシマ様に遠慮がなくなってきているみたい)

 

 こんな事ではいけない。スピリットは人間に服従して、恭順でなければいけない。

 そうは思うのだが、横島を見ていると『この人を人間と見るのは、人間に対して失礼では?』なんて思ってしまうのだ。

 そこまで考えたエスペリアは首を横に振って思考を断ち切る。思考するとどつぼにはまってしまう。下手をするとヒミカ化してしまいかねない。

 

 それじゃあよろしくお願いします。

 それだけ言ってエスペリアは詰め所に戻っていった。

 

「それで、どうやってハクゥテからハーブ園を守っちゃうの?」

 

 ワクワクしたようなオルファの問いに、横島はあごに手を当てて考え込む。

 

 常道としては柵を作ることだ。

 それなりの敷居の高さと、穴を掘って進入してくることも考えて地中まで柵を張れば、まず大丈夫だろう。

 だが、それなりの広さのハーブ園を全て囲うとなると、これはかなり時間と資材と労力が必要だ。それに開け閉め可能な入り口も作る必要がある。正直めんどくさい。それに同じやり方で悠人は失敗している。

 

 他に何か良い手はないものかと、過去の経験を思い返す。これで色々と経験が豊富なので、過去を思い出せばヒントはいくらでも転がっている。

 過去を思い浮かべ、懐かしい気持ちになりながら経験を掘り起こしていくと、一つ思い出した。

 

 この方法ならハーブを守るのは容易だ。大した手間もなく実行できる。 

 問題点は実行できるだけの能力が自分自身にあるかどうかだが、なんとか出来るだろうという漠然とした自信があった。

 肉の器を捨て去り、魂がマナをかぶっているのがスピリットやエトランジェだ。肉が無くなったためか、魂をより身近に感じる。今ならば魂を作り出したり、魂に変化を与えるのも簡単だろう。

 

「愛の名のもとに――――」

 

 そして、奇跡はなされた。

 

 エスペリアはこれからどうするか考え込んでいた。台所の整理は数分で終わった。

 仕事といっても後片付け程度で、実質横島の作り出す馬鹿騒ぎから逃げるために作った仕事のようなものだったからだ。

 

「お昼ねしちゃおうかな」

 

 それ以外の仕事を横島がそつなくこなしてくれたために、エスペリアには結構な空き時間があった。

 エトランジェに雑事をやってもらってスピリットが休憩するなど、スピリットとしてもってのほかだと思うが、

 

 ――――――まあ、ヨコシマ様ですから。

 

 と、エスペリアもここ数日で達観しつつある。

 何事も例外はあるのだと、多少は柔軟に考えるようになっていた。流石に何もしないのは悪いので、横島の好きな料理を一品追加して感謝を表せばよいだろう。

 余った時間はお昼寝と決めた。豆入りの専用枕を机に置いて、そこにほっぺたをのせる。流石に昼からベッドで寝るつもりは無い。

 

「ぽかぽか~」

 

 窓から差し込む陽気を浴びて、エスペリアは幸せそうに微睡む。その寝顔はどこかあどけない。

 しっかりものなお姉さん。そういう役柄にいるエスペリアだが、実際はまだ二十歳程度。成人ではあっても、まだあどけなさが残る年齢だ。

 ここ最近は横島が引き起こすお馬鹿な騒動に気を張り続けるのがバカらしくなったのか、彼女が持つ本来のお茶目さが表に出てきているらしい。

 エスペリアの幸せなお昼寝が続く――――

 

「ヨコシマ殿! 回り込んでください!!」

「分かった……くそ、壁まで登れるのかよ!」

「アセリアお姉ちゃん、家に入られちゃうよ! 窓閉めてー!」

「ん! だめ、間に合わない」

 

 ドッタンバッタンギャーギャーキーキー。

 

「ふっ、短い休みでした」

 

 エスペリアはムクリと起き上がりながら、哀愁を込めながら言った。もはや、そこには慌てる様子はない。

 またあの人が起こした、いつものバカ騒ぎだ。一体今度は何をしでかしたか。

 心乱されぬように深呼吸をして部屋から出る。

 

 そこで、エスペリアが見たものとは!?

 

「しゃげええええええ!!!」

「キィ! キュイ!」

「ああ、ハクゥテが捕まっちゃった!」

「やはり恨みを忘れてないようです」

「小動物に触手攻めなんて誰得だよ!」

 

 まったく未知の生物がそこにはいた。

 全身が緑色で細く縦長だ。全身から蔦のようなものをだして、ハクゥテを締め上げている。全身に葉があって、根っこを伸ばして歩いていた。植物の化物だ。

 こんな異形の生物は見たことがない――――はずなのだが、どこかで見た覚えがあった。化物に所々咲いている赤色の花から嗅ぎ覚えのある匂いが漂ってくる。

 ありえない、そんな事が常識的に起こり得るはずがない。だが――――ああ、何という事だろう! 隣には横島がいるのだ!!

 

「ウルカ……これは、あれはまさかそんなことがどんなことに!?」

 

「はい、彼、あるいは彼女は、エスペリア殿が栽培していたハーブです」

 

 エスペリアの混乱を前にしながらも、ウルカは淡々と答えてきた。

 エスペリアは呆然とその光景を見る。

 何年と時間を掛けて育ててきたハーブが、二足歩行を行い「しゃげええ!」とハクゥテに襲い掛かっている。

 

 なんて大きく立派になって――――――もうハクゥテに齧られることもないだろう。うふふ。

 

「さて、そろそろ夕食の準備をしなければいけませんね。今日は塩漬けの魚にいたしましょうか」

 

「エスペリア殿、現実逃避はいけませぬ」

 

 台所に向かおうとしたが、ウルカは進路を塞いで容赦無く現実を突きつけてきた。

 認めたくない現実に晒されて、ぶわっとエスペリアの目から涙が溢れた。

 

「あうう! どうしてなんですか!? どうしてこんな事が!?」

 

「はい、ヨコシマ殿はハクゥテ殿にハーブを食べられぬにはどうすれば良いかと考えた結果、ハーブがハクゥテ殿よりも強くなればと合理的に考えたのです」

 

「どうして、そう合理的に考えてしまったのですか!? というか合理的なんですか!?」

 

「不合理よりはよろしいかと。それにしても植物に命を吹き込むとは……神の御技と言えるでしょう」

 

「勝手に人のハーブに神の御技を使わないでください!! そっちの方が不合理です!!」

 

「確かに、一言でも断るのが筋というものでしょう。すいませんが、ハーブに命を吹き込んでよろしいでしょうか、と」

 

「ウルカ……貴女、分かって言ってるでしょう!?」

 

「はてさて、なんのことやら」

 

 ウルカはいたずらっぽく片目を閉じて茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

 エスペリアはウルカの評価を見直さずにはいられなかった。

 どうやらただの真面目天然スピリットではないらしい。なんだかんだで横島からのセクハラを避けながら楽しく生活しているのだ。

 真面目で天然。それは間違っていないだろうが、中々に要領が良いらしい。

 エスペリアとしては、楽しいヨコシマライフを送っているウルカから一手ご教授頂きたいほどである。

 

「しゃげしゃげ! しゃげえぇぇ!」

 

 ハーブはまだまだ元気よく走り回る。その非現実的な光景にエスぺリアは過去へと思いを飛ばした。

 姉をなくして一人ぼっちになったエスペリアは、寂しさを紛らわせる為にハーブ達に愛情を注いできた。水をやり、虫をとり、土を整える。

 すくすくと成長していくハーブの姿に、心を汚されたエスペリアは随分と癒された。

 そしてアセリアやオルファが配属されたときに、ハーブティーが美味しいと言われた時は幸せを感じたものだ。

 

 エスペリアがハーブとの思い出に浸っていると、当のハーブ本人がズゾゾゾと根っこを運動させて近づいてきた。

 

「しゃげええええ、しゃげええええええ。しゃげええええええええええええええええええええええええ!(見て見て、お母さん! 僕はこんなに強くなったよ!!)」

 

 ハーブはエスペリアの前まで来ると、嬉しそうに花の蜜をぶしゃーー! と勢いよく飛ばしてきた。

 エスペリアの顔に白濁の蜜が塗りたくられる。オルファは「パパミルクそっくりだね!」とトンでもない事を口走っていたのだが、幸いなことに誰も気づいていなかった。

 自分の子供とすら思っていたハーブが今や立派に成長し、二足歩行ならぬ百足歩行を体得して、蜜による顔射に蔦拘束による攻めをもこなすようになった。

 あまりの成長振りに、エスペリアは「あはは~」と虚ろな笑みで笑っていたが、突如ピタリと笑みを止めると、虚ろな表情で全員を見渡して、

 

「せいざ~」

 

 ぽけ~と間延びした声で言った。

 

「はい?」

「しゃげ?」

 

 横島とハーブが首と茎を傾げると、エスペリアの目がカッと光った。

 

「ヨコシマさま! しゃげええぇぇくん! せーざしてください! はんせーしてください! じゃないときょうのごはんはぬきですよ!」

 

「えー……俺がんばったっすよ」

「しゃげえぇぇ(え? 僕ってしゃげええぇぇって名前なの?)」

「えー、でも、しゃげえぇぇ、でもありません! わるいこにはおしおきです!」

 

 とうとう切れて漢字すら使えなくなったエスペリア。

 

「ん、私は散歩に行ってくる」

「あ、オルファは訓練してくるね」

「む、では手前は神剣の手入れを」

「キ、キィキ」

 

 嵐が収まるまで逃げようとアセリア達三人と一匹は避難しようとするが、エスペリアは残像すら残す勢いで逃げ道をふさいだ。

 

「アセリアもオルファもウルカもハクゥテもです みんなせーざーー!! あ、ウルカは女の子座りで」

 

 こうして、リビングで正座する謎の一同をメイド少女がハーブティーをすすりながら見下ろす、という謎の光景が生まれた。

 褐色の頬を赤らめて恥ずかしそうに女の子座りするウルカの姿に、とうとう横島の煩悩が爆発して飛びかかる事案が発生したが、エスペリアは満面の笑みでそれを許容したという。

 

 交換生活 四日目。

 

 ラキオス中心街から離れた人目を避ける一角に、小ぢんまりとした屋敷があった。

 あたりに民家はなく、道も獣道と呼ばれる程度のものしかない。やもすれば無人の屋敷にしか見えない寂れたものだ。

 だが、屋敷の周囲には兵士達の姿があった。数人の使用人の姿に、さらに第三詰め所のグリーンスピリットの姿もある。厳重と言ってもよいほどの警備だ。

 

 その屋敷に二人の男女の姿があった。

 横島とウルカだ。二人は果物を詰めた袋を持っている。

 

「この部屋ですか」

 

「ああ、ここでちょっと待っててくれ」

 

 とある部屋の前で止まって、コンコンとノックした。

 

「お~い、横島だぞー」

 

「あ、ヨコシマさん! どうぞ!」

 

 中から弾んだ女性の声がして、ウルカを待機させて横島だけが部屋に入る。

 部屋にはレッドスピリットの少女がいて、必死にベッドから身を起こそうとしている。横島はさっと彼女の腰に手をやって優しく起こす。少女はすいません、と嬉しくも申し訳なさそうに頭を下げた。

 彼女は非常に痩せこけていた。手の甲は血管と骨がもろに浮かび上がっていて、手首なんて強く持てばポッキリと折れてしまいそうだ。肌は白いというよりも、病的な白蝋色で、一部には裂傷の治癒跡が残っている。

 身を起こすのすら困難で、立ち上がることすら出来ない。そんな彼女を前にして、横島は精一杯の笑顔を浮かべた。

 

「ふっふっふっ、今日はお客さんを連れてきてるぞ。入ってきてくれ」

 

 そういうと、レッドスピリットの少女は緊張したように頬を引きつらした。

 彼女自身も理由は分からないが対人恐怖症を発症していたのだ。

 だが、入ってきたウルカを見て少女は驚き、そして涙した。

 

「元気には見えないが……それでも元気だったか?」

 

「あ、あああ……ウルカ……隊長!」

 

「久しいな……無理に立たなくて良い」

 

「すいません、こんな体で」

 

「生きていてくれただけで、十分だ」

 

 ウルカはいつもの凛々しい表情を消し去り、まるで母親のような慈愛に満ちた顔をしていた。

 少女も赤く目をはらして、まるで迷子の子供が母親にあったかのようだ。

 

「他の皆は?」

 

「何も、覚えていません。覚えているのは、山菜を取りに行って……気づいたときにはこのベッドで横になっていて……目の前でタダオ様が微笑んでくれていました」

 

 ウルカは少し視線を厳しくして横島を見た。横島はここにはいない、と首を横に振る。

 

「すいません、何とか思い出したいのですが」

 

「無理に思い出す必要はないさ」

 

 語気も強く横島が言った。それは言い換えれば思い出すなと言ってるも同然だ。

 少女は不満げな顔になった。失われた記憶に仲間を救う手立てがあるのではないかと考えていたからだ。

 

「大丈夫だ、他の皆も俺が絶対に助けてやるからな。今は体を治して、それから俺の部隊に加わって戦ってくれ!」

 

 真面目な顔で言う横島に、少女は強く頷いた。

 仲間のため、そして横島のために、神剣を振るいたいと強く心に刻む。

 

「さて、今日は旨そうな果物を持って来たんだ。今が食べどきだぞ! まだ手がうまく使えないんだから、ほれ、アーンしろ。ムシャムシャ食べて、プクプクと太れ!」

 

「ムシャムシャ何て恥ずかしく食べませんよぅ! それにアーンなんて……食べますけど……あの、恥ずかしいから、食べるところをそんなに見つめないで」

 

 少女は横島に差し出された果実の一部を、恥ずかしそうに口をあけてかぶりついた。そして小さく咀嚼する。

 精一杯、上品に食べようと努力している姿がいじましい。彼女は横島に純粋な好意と憧れを持っているようだった。

 それを見たウルカも爪楊枝をカットされた果実に突き刺す。

 

「ふむ、手前もやってみましょう。あ~んです」

 

「そんな、隊長まで。あの恥ずかしいから」

 

「ヨコシマ殿は良くて手前はダメか。手前よりも男を取るのか」

 

「うあ~違うんです隊長ー! 食べます、食べますから!!」

 

「俺よりもウルカのほうがええのかー!」

 

「違いますー! も~二人してからかうなー!!」

 

 怒ったり、笑ったり。優しく楽しい時間が部屋に満ちた。

 思い出話に花を咲かせるウルカとレッドスピリットの少女を、横島はしばし優しく見つめたあと、こっそりと退室した。

 

 また一人、可愛い女の子が、それも自分を慕う少女が生まれたことが横島には嬉しく頬を緩ませる。

 だがその笑顔はすぐに曇る事となった。

 

 別の部屋からうめき声が聞こえてきた。すすり泣く様な声が聞こえてきた。何かを呪う様な声が聞こえてきた。

 

 グリーンスピリットの回復魔法があって本当に良かった、と横島はつくづく思った。

 うら若い女の子が一生、入れ歯やカツラが必要な生活は可哀想だ。地獄に長く居たものほどグリーンスピリットの回復魔法の効きが悪いが、それでも時間さえ掛ければ完治できる。

 だが、こちらはあくまでも体の問題だ。体は回復できても、心はそう簡単ではない。

 うめき声がどこからか聴こえてくる。悪夢にうなされる声だ。回復しないで、もう楽にして、という声が聞こえてくると、彼女たちがどれだけの責め苦にあっていたか思い出してしまって身震いする。

 神剣を持たされていなかったから、心は残っている。だが、それが良かったとは必ずしも言えない。神剣に精神が飲み込まれるのは一種の精神防壁とも言えると横島は知ったのだ。

 

 何とかしたいのだが、そう簡単に心は癒せるものではない。いくらギャグ人間である横島でも、数日そこらで心を癒すのは厳しい。それに彼女らに付きっ切りというわけにもいかないのだ。

 先のレッドスピリットの少女もその一人で、少し前まで自傷行為すら始める始末だった。

 

 ただ彼女はウルカの隊にいたと話していた。ウルカは、かつての隊員たちを助ける為にラキオスの一員となった。そういった事情ゆえ、優先的に文珠による忘却という名の治療を受けさせることにしたのだ。

 少しでも身内を優先する。優先順位を決める。これは横島自身も憎憎しいと感じているが、一つの誓いのようなものである。

 できればさっさと文珠を使って全員のトラウマ除去をしたいと横島は考えていたが、文珠が足りなくて手が出ないのが実情だった。

 

 また効率を考えるなら、文珠を一人一つではなく連結させて一気に治療するのがいいと考えていた。

 正直、今なら文珠を八文字ぐらい連結させる事も可能だろう。

 神剣の加護があまりにも強力すぎるので目立たないが、霊力とその制御力は相当強くなっているのは感じていた。人という枠組みから解放されたからだろうか。また、霊力より遥かに強い神剣という力に少しでも対抗するというのも理由にあるかもしれない。

 完全広域治癒や完全広域忘却等といった文珠を使えば、一気に治癒が可能なのだが、

 

「ちっ、なんで文珠を作る速度だけは変わらないんだよ!」

 

 これが忌々しい限りだった。霊力は増したのに、作り上げる速度はまったく変わらないのだ。

 実感的なものだが、文珠を早く作るのは霊力の多寡が問題ではないと分かっている。

 必要なのは一定量の霊力と時間だ。ワインやチーズを熟成させるように、霊力をそのものの質を変化させるには時間が必要があるのだろう。この時間をかけないと、あの失敗型文珠となってしまう。まあ、あれはあれで使い道があるから作ってはいるが。

 

「きっついなあ」

 

 スピリット達との生活は実に楽しい。全員が可愛いし、料理は美味しいし、程度の差はあれ好いてくれているのは伝わってくる。現在でも似非ハーレムぐらいは作れているだろう、

 後はこれでエッチなことも可能となったら酒池肉林な理想郷といって良いくらいだ。

 しかし少し裏道に逸れれば、目を背けたくなるような光景が広がっている。関係せずとも良いと、レスティーナに言われたが女の子の事で逃げたくは無かった。

 だが自分で望んだこととはいえ、裏道に逸れるのは精神的に疲れてしまう。

 

「皆は何やってんのかな」

 

 ネリー達の顔が思い浮かんでくる。

 辛い時や苦しい時。そういったときに思い浮かぶのはいつも第二詰め所の面々である。

 第一詰め所でも楽しく過ごしているが、どれだけ楽しくても出先に過ぎない。安らぎは第二詰め所にあった。

 

『ホームシックか?』

 

「うっせーな。仕方ないだろ。悠人の奴が変なことをしてないかも気になるしな」

 

 特に恥ずかしい様子も見せずに横島は言い切った。

 

(もう頭痛どころか違和感も感じないか)

 

 『天秤』は安心感と罪悪感の二つを感じた。

 この世界に来た頃に横島を悩ませてきた頭痛や悪夢は、もう完全に消失していた。

 その苦しみは『天秤』が見えない毒を少しずつ彼に混ぜていて、横島は必死に抵抗していた証拠だったのだが、毒に打ち勝つことは出来なかったらしい。

 無論、心を直接侵そうとすれば苦しみはあるだろうが『とある部分』に関しては、何を言われても大丈夫だろうと『天秤』は確信した。

 

 そんな横島に、一人の男が近づく。

 例の固焼きさんと呼ばれた青年だ。

 

「お疲れ様です。それで今日の第二詰所とエトランジェ・ユートの様子ですが……」

 

 固焼きさんの報告を聞くたびに、横島の表情は曇っていった。

 

 

 

「ようやく終わった。うああ……頭がいたい……目が苦しい」

 

 悠人は机に突っ伏しながら、目尻辺りを何度も揉んでいた。

 目の前にあるのは資料の山。つい先ほどまで悠人は書類に目を通してサインした物だ。

 別に高度な技術を要求される文書作成を要求されたわけではない。

 いつもならエスペリアが音読をしてくれるのだが、今度は自分一人でやると彼自身が言って手伝いを拒否したのだ。

 結果は、凄まじく時間がかかって目を傷めることとなった。

 部屋から出ると疲れ切って居間のテーブルに突っ伏した。そこに茶を持ってやってきたセリアは厳しく言った。

 

「まったく、情けない。文字に対して慣れないのは仕方ないですが、部下の目の前で情けない姿を晒すのはどうかと思いますが」

 

 厳しく言われて、ちょっと落ち込みながら悠人は礼を言って出されたお茶を飲んだ。

 鮮烈な香りが鼻から頭を突き抜ける。疲れきった頭と目に心地よい風がつき抜けたように感じた。

 以前に横島がセリアを評した言葉が、ふと頭によみがえった。

 

「……へぇ、なるほどな」

 

 渋みと甘みが混合されたお茶に、悠人は思わず頷く。

 

「何ですか、言いたいことがあるのなら、しっかり言ってください。何が『なるほど』なんですか」

 

 セリアが視線を厳しくして悠人に言った。

 自分が淹れたお茶が、意味深な評価を受けたのが気になったのだろう。

 

「あ……いやその、以前に横島が言ってたとおりだなって」

 

 睨まれて、悠人は少ししどろもどろになりながら返答する。

 すると、セリアはさらに表情をキツくした。

 

「あの人が、私の淹れるお茶に何か文句を言っていたのですか」

 

「いや、文句じゃなくてな……その、セリアは細かい気配りができて、献身的だって」

 

 セリアは少し面食らった。唇をへの字型に曲げて、頬が不自然に痙攣する。

 おべっかを使ったように見られて不機嫌にしてしまったか。

 悠人は少し不安になったが、実際は、褒められたのが嬉しくて頬が緩みそうになるのを必死で抑えていただけだった。

 僅かに深呼吸してセリアは反撃を繰り出した。

 

「あの人が言うことをいちいち真に受けないでください! 大体、ユート様もお茶の味一つで何が分かるというのですか。変なことを言わないでください」

 

「だってこれ、シナニィの葉とホーラスの葉の組み合わせだろ。目の疲労と緊張をほぐしてくれるやつだ。それだけじゃ渋すぎるからハシバスの実の汁を少し混ぜて味を調えてる」

 

 今度こそ、セリアは本気で驚いた。

 ブレンドしたお茶の種類を言い当てるほどの味覚。茶の効能が分かるほどの知識。

 これだけのものを悠人が有しているとは想像もしなかった。

 実は悠人がこの世界に来た当初、まだ言葉が通じないときにエスペリアはお茶を使って言葉を指導したことがあった。

 苦いや甘いと言った言葉を覚えるのに味覚を使った練習は効果的で、そして楽しく、お茶を軸として他の言葉も覚えることが出来たのだ。

 

「ぐ、偶然です。たまたま余っていた茶葉がこれだったというだけの話に過ぎません」

 

「いや、それはないだろ。エスペリアが言っていたけど、ホーラスの葉は貴重な上に淹れるまでに時間が掛かるって。しかも、淹れたてじゃないと途端に味が落ちるって聞いてるぞ。

 俺も数回しか飲んだことがないしな。セリアはわざわざ休憩時間を使って淹れてくれて、俺が疲れに根を上げる時間を見極めたうえで注いでくれたんだろ?」

 

「それは……」

 

 何とか言い訳をしようとしたセリアだったが、上手い言い返しが見つからずに、そのまま沈黙してしまう。

 悠人の言っていたことは全て事実だったのだ。

 気遣いを理解してくれた嬉しさと気恥ずかしさに、セリアは顔を赤くして黙り込む。悠人も自分の言った事が割りと臭いと自覚して頬を赤くした。

 どこか甘酸っぱい沈黙が流れると、そこにヒミカ達が帰ってきた。第二詰め所のスピリット達が居間に集結する。

 ヒミカは二人が顔を赤くして向かい合っているのを見て、意地悪く笑みを浮かべた。

 

「あら、お邪魔でしたか」

 

「ヒミカ! 何を言っているの!」

 

「だって、何だかいい雰囲気だから」

 

 ニヤニヤと笑いながらヒミカは二人をからかう。

 悠人はいやいやと首を横に振った。

 

「以前に横島が第二詰所の事を自慢して……アイツの言ったとおりだなあ、と思った事を喋っただけだぞ」

 

「……ユート様、彼はヒミカの事を何て言っていましたか?」

 

「ちょっとセリア、いきなり何を言い出すの!!」

 

 ヒミカが抗議するが、セリアは顔を赤くしながら悠人を目で恫喝した。

 

 ――――言ってください!

 ――――わ、分かった!

 

 あっさりと悠人は脅しに屈する。

 女性にはあまり強く出れない悠人だった。

 

「ヒミカは……その、一番女性らしいって、言ってたぞ」

 

「なあっ!」 

 

 目をまん丸にして驚くヒミカ。当然だろう。

 彼女は自分が女らしくないことを気にしている。それが一番女性らしいといわれたのだから。

 だが、他のスピリット達は当然といった表情だった。そもそも、女性らしい、らしくない、なんて意識しているのはヒミカぐらいなのだ。

 

「ヨコシマ様は私なんかのどこが、女らしいなどと馬鹿なことを言ったのですか!?」

 

「……その……ピンクのエプロンで回転?」

 

「うああああ! あれは違うんです! ほんの出来心で!」

 

 顔を真っ赤にして必死に言い訳を始める。

 その姿は確かに可愛らしかった。

 反撃が成功したセリアはにんまりしている。

 

「他にはヒミカの事を何か言ってませんでしたか」

 

「ちょっとセリア! 本当にいい加減にしてよ!!」

 

「いや、本当に色々言ってたんだけど、長くて全部は覚えきれなかったんだ。セリアの事ももっと色々言ってたし」

 

「私のことは言わなくて結構ですから!!」

 

「いいえ、言ってください!!」

 

「この、ヒミカ!」

 

「そっちが先にやってきたんじゃない!」

 

 ヒミカとセリアの言い争いが始まる。悠人はどうしたものかとおろおろするだけだ。

 そんな二人を横目に、今度はちっちゃい青髪ポニーテールがぴょんぴょんと跳ねだした。

 

「ねえねえ、ネリーは! ネリーの事は何て言ってたか教えて!!」

 

 悠人の周りを飛び跳ねながらネリーが催促する。

 他の皆は興味と羞恥の狭間で揺れ動いている中、この積極性はネリーだからこそだ。

 

「ああ、分かった。実はネリーだけは何て言ってたのか全部覚えてるぞ」

 

「ほんと!」

 

 ネリーは目をキラキラと輝かせた。

 そんなネリーに、悠人は少し悪巧みをする。

 

「ああ、ネリーだけはとても短かったからな」

 

「ええ~! なにそれー!!」

 

 プクッとネリーは頬を膨らませる。

 フッ、と悠人の表情が優しくなった。

 

「『ネリーが居なかったら、俺はここに居なかったかもな』だってさ」

 

「……へっ? え、え~と……どういう意味?」

 

「ネリーがいるから、横島はここに居るって事じゃないか」

 

 ちょっと拡大解釈しているか。

 そう思わないでもない悠人だったが、こう言った方が後で面白くなりそうなので訂正はしない。

 

「そう……なんだ。あーえーと……うん」

 

 ネリーは手足をバタバタさせたり、視線をさ迷わせたりと落ち着かない様子だ。

 嬉しいのは確かだが、どう嬉しさを表現していいのか分からないのだろう。

 いつもなら楽しければ歓声を上げてはしゃぎ回るネリーだが、今回は上手く声が出ないらしい。

 シアーは見なれない姉の表情に首をかしげた。

 

「ネリー、恥ずかしがってる?」

 

「べ、別に! 恥ずかしくなんてないから!!」

 

 大声で否定して顔を背けるネリーだが、すぐにへら~と表情を緩ませていた。

 

「……なによ、私にも同じようなことを言ってたのに」

 

 誰にも聞こえない程度に言って、もう一人の青髪ポニーテールはムスっとしていたが。

 

 ここで一旦、沈黙が降りる。

 あのネリーがあそこまで恥ずかしがっているのだ。これは想像以上に恥ずかしいのかもしれない。

 だけど気になるのは確かだった。普段からセクハラされたり美人とか言われたりはするが、ただ純粋に褒められたことは無かった。

 二人きりになってもロマンチックな雰囲気にならずにお祭り騒ぎのようになってしまって、最後にはセクハラからの突っ込みで幕が下りる。それが横島と第二詰め所の関係と言える。

 だからこそ、横島からギャグと性欲を切り離した言葉に、第二詰め所の皆は何かに期待してしまう。

 

「わ、私はどうですか!?」

 

 今度はヘリオンが顔を真っ赤にして聞いてきた。

 

「ヘリオンは……え~と、なんて言ってたかな」

 

「思い出してください~!」

 

 涙目でヘリオンが見上げてくる。

 とても可愛い。可愛いのだが、同時にからかいたくなってくる衝動に悠人は襲われる。

 誰かをからかったりするのは悠人は得意でも好きでもなかったが、このヘリオンという少女は天性の被虐属性を持っているようだった。

 

「思い出したぞ!」

 

「ほ、ほんとですか!? 何て言ってました、私の事!」

 

「とっても小さいって言ってたぞ」

 

「うあ~ん! いくら私がちっちゃくても、それだけなんてあんまりです~!」

 

 ぺたーん、とツインテールが元気なさそうに垂れてくる。

 本当に分かりやすく、そして可愛い少女だった。目元に涙が浮かんでいる。

 流石に可哀想になってきたので、悠人もいい加減からかうのをやめようと考えた。

 

「あ、他にも思い出したぞ」

 

「はいはい! なんですか!!」

 

 泣き顔から一気に笑顔になった。

 またムクムク悪戯心が芽生えてくる。

 

「物凄くからかいやすいって言ってたな」

 

「それって褒められてませーん!」

 

 ツインテール振り乱してヘリオンがえぐえぐと涙を流す。

 

 やばい、なんか楽しい!

 ヘリオンの反応が楽しくてサドッ気が悠人の中で目覚めようとしていたが、

 

「女の子を泣かして喜ぶ趣味があるんですね」

 

 とファーレーンが冷たい声で言って何とか悠人は踏みとどまった。

 そして「横島はヘリオンは真面目で努力家だって褒めてたぞ」と伝えるとヘリオンは見る見るうちに笑顔になる。

 自分の努力が見られて認められるのは嬉しいものだ。それが想い人ならなおさらだろう。

 

 さて次はだれにしよう。

 何だか楽しくなってきた悠人は次なる標的を見つけようと首を動かして、真横にナナルゥの顔があった。

 

「い、いや。ナナルゥ、顔近いって!」

 

「ユート様は、顔が近いのは嫌いなのですか?」

 

「そ、そーいう問題じゃなくてな」

 

 ナナルゥは何も言わずに、じっと悠人のそばに立ち続ける。

 相変わらずエキセントリックなナナルゥの言動だが、それでも悠人も少しずつ慣れ始めていた。

 

「あ~確かナナルゥはエキゾチックで夫婦漫才できるって言ってたぞ」

 

「エキゾチックとは何でしょう?」

 

「えーと、確か異国的な雰囲気というか……うん、独創的って意味でいいと思うぞ」

 

「独創的……ですか? 私はヒミカとは違い、標準的なレッドスピリットだと思いますが。それでフウフマンザイとは何でしょう?」

 

「う~ん、夫婦になって皆に笑いを振りまく事……かな」

 

「それは……とても素敵で愛のある話だと思います」

 

 ナナルゥは小さく笑みを浮かべた。

 思わず悠人は生唾を飲み込んだ。反則としか言いようがない笑みだった。

 そういえば一番美人とも言っていたのを思い出す。確かに、美形揃いのスピリットの中でもトップかもしれない。

 笑みという言葉で悠人は思い出す。

 

「ハリオンは一番笑顔が素敵だって言ってたな」

 

「うふふ~それはもうお姉さんですから~」

 

 一番の笑み、という褒め言葉が嬉しかったのか、ハリオンは幸せに笑う。

 見ているこっちも幸せになりそうな、春の陽気を感じさせるのがハリオンだ。

 

「シアーは子供たちの中で一番大人っぽいってさ」

 

「え~そうかなー」

 

 シアーは首を捻る。その言動は幼く見えるが、悠人も横島とは同じ意見だった。

 ネリー達が無軌道に動き回る中、きちんと周りを見れるのがシアーだった。

 結果的に要領良く立ち回ることも多いので、確かに一番大人かもしれない。

 

「ファーレーンは……まあ色々と言ってたけど、将来は一緒にのんびり出来たら幸せだって言ってたぞ」

 

「ヨコシマ様がそんなことを」

 

 思いもしない横島の望みに、ファーレーンは驚いた。

 横島の周りはいつも人がいっぱいで騒がしい。彼自身もにぎやかしの性質を持つ。

 きっと賑やかで楽しく騒がしい日々を彼は求めているのだと、ファーレーンは考えていた。それはファーレーン自身の望みとは相反していた。

 

 ファーレーンは戦いが終わって、万が一にもスピリットに自由の時が来たのなら、妹である二ムントールと二人で静かに密やかに暮らしていければ良いと考えていた。

 そういった意味では、ヨコシマ様と自分の未来は合わないだろう。そう判断していたのだ。

 だけど、もしヨコシマ様が同じくのんびりとした生活を望むのなら、その時は三人で暮らすのもいいと思った。

 

 ふと幻想を見る。

 朝起きたらまず寝こけている二ムントールを起こして、妹にヨコシマ様を起こしてと頼み込む。

 妹はぶーぶーと文句を垂れながらヨコシマ様を起こしていって、その間に自分は料理を作る。そして、二人が賑やかに食事するのを見守るのだ。

 

「素敵な未来です」

 

 うっとりとしたような声でファーレーンが言って、ニムントールは機嫌悪そうにほっぺを膨らませる。

 

「あ~ニムについては……ほっぺたの感触が良いってさ」

 

「……なにそれ」

 

 何だか投げやりな褒め言葉にムスッとするニムントールだったが、ファーレーンは満面の笑みを浮かべた。

 

「ふふ、流石はヨコシマ様! そう、ニムのほっぺたは素晴らしいの! このプニプニ感は世界の宝よ」

 

「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん!」

 

 ぷにぷにとほっぺを突かれてニムントールは嬉しさと恥ずかしさで顔を赤くする。

 全員の評価を聞いて、セリアははあっとため息をついた。

 

「それにしても、彼は本当に女好きね。あまり真に受け止めない方がいいでしょ」

 

 結局、全員に好きだと言っているようなものだ。別に嘘をいっているとは思わないが、そういう女好きな男なのだ。

 そんな認識があって、全員がほっとしたような残念なような空気が流れた。

 そんな雰囲気をまったく読めない悠人は、ここで最大の爆弾を投下してしまう。

 

「全くだな。というか、本命がいるんだから一人に絞ればいいのに」

 

 悠人が呆れたように言う。すると、シアーが首をかしげた。

 

「ユート様~ほんめ~って何?」

 

「ん? ああ、本命っていうのはな……その……一番好きな人って事かな」

 

 ざわりと空気が変質した。

 

「ユート様は、その……ほんめーをご存知なのですか」

 

 ナナルゥが率先して聞いた。

 緊張と興味と期待と恐怖。

 心臓の音が聞こえてきそうな静寂が満ちたが、

 

「い、いや。俺は聞いてないぞ」

 

 悠人が答えると、残念そうな、それでいて安堵のため息が周囲から漏れた。

 沈黙が場に流れ、同時にいくつかの視線を交錯した。

 一体誰が本命なのか。誰が彼の想い人なのか。

 

「好きな人なんて……どうせ冗談よ」

 

 セリアがぽつりと言った。

 それは彼女の本心というよりも、そうであってほしいという願いであった。

 もし本気で愛されていたらどうしたらいいのか困るし、かといって自分に向けられる口説き文句やスキンシップがただの冗談だとしたら、何かよくわからない感情に全身が支配されそうだった。

 

「でも、それなら納得できるかもしれませんね~」

 

 うんうんと頷きながらハリオンが言う。

 彼女にはそう考えると納得できる事柄が一つあるのだ。

 それを知らない皆はいぶかしむ様に彼女を見た。

 

「納得って……それどういう意味?」

 

「さあ~どういうことなんでしょうね~」

 

 ハリオンは答えず、ただいつものようにニコニコと笑みを浮かべる。

 その笑みがいつもと違うように見えて、ヒミカはそれ以上、追求することは出来なくなってしまった。

 

「ハリオンはほんめーじゃないのね。だからか……」

 

 ファーレーンだけがハリオンの呟きを理解できていた。

 また場が混沌とした良く分からない雰囲気で満ちる。

 そんな中で、悠人は居心地の悪い思いをしていた。

 

(横島の奴は本気で好かれているんだな)

 

 場に満ちる微妙な雰囲気に、そこまで男女の機微に聡くない悠人でも分かるものはある。

 多かれ少なかれ、また明確に男女のそれとは違うとしても、第二詰所は横島を意識して想っている。この様子なら横島がギャグ抜きで本気で本命に告白すれば、相手が誰であれ成功するのではないだろうか。流石にハーレムは難しそうだが、それも決して不可能ではないかもしれない。

 ドクン、と不安気に心臓が脈打った。

 横島が第二詰所の誰かと恋仲になるのは別に良い。横島は馬鹿だが命を掛けてスピリットを守ろうと行動している。

 自分の様に家族の為というわけじゃなく、ただスピリットの為だけに命を削って戦っているのだ。第二詰め所の誰と結ばれようと素直に祝福できる。

 

 そんな横島が第一詰所にいる。アセリア達と共に過ごしている。

 横島は遊び上手で話も上手い。戦闘力もあって、色々と器用で、なにより周りを明るくする。それは自分には出来ないことだ。

 長所だけを抜き出すと本当にとんでもない奴だ。そのスペックを台無しにするほどの女好きで馬鹿なのだが、それさえ乗り越えてしまえば長所は山のようにある。

 

 それに比べて俺は、楽しくお喋りするのは不得意で、どうも不器用だ。

 アセリアは横島と一緒に居ると、表情が豊かになって口数も増えていた。

 エスペリアは横島を警戒していたが、一緒に居れば自然と仲良くなるだろうし、なによりエスペリアが時折する影を含んだ笑顔を払い飛ばせる陽気を持っているかもしれない。

 オルファは遊び上手な横島に懐くだろう。

 ウルカはあまり想像できないが、横島の戦闘力に興味を持っていたような気がする。

 

「ちょっと様子を見に行くかな」

 

 遠距離恋愛で彼女の浮気が不安な彼氏のように、悠人の心は揺れていた。

 

 その日の夜。

 隊長二人の意向により、今日をもって『交換』を終了とする、と通達があった。

 

 朝早くから、第二詰め所内の居間には緊張した空気が流れていた。

 悠人の様子が可笑しいのである。眉間に皺を寄せて、足音も大きく、コメカミをトントンと叩いている。不機嫌であると、誰が見ても分かるだろう。

 今回の『交換』の感想、意見等などを纏める為に横島達と第二詰め所で合流して話し合う事になっているのだが、この様子ではまともに話し合いになるだろうか。

 それに一日早く交換が終了することになったのは、悠人が掛け合った為らしい、という情報もあった。何か逆鱗に触れて第二詰め所に居たくないと思ってしまったのかもしれないと、皆が不安を抱いていた。相変わらずハリオンだけはニコニコと笑っていたが。

 

 このままではいけない。聞くしかないか。

 ヒミカは少し不安で胸を重くしながら、思い切って口を開いた。

 

「ユート様……あの」

 

「……ん? どうした?」

 

 ヒミカの方に向き直った悠人の顔には、何の険しさも無かった。ヒミカは少しほっとする。

 

「少し聞きたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」

 

「いいけど、どうしてそんなに他人行儀なんだ?」

 

 仲良くなってきて少し砕けてきていたはずなのに、妙に口調が固いヒミカに悠人は少し口を尖らせる。

 

「その、少しお加減が悪そうに見えて……それにユート様が早く『交換』を止めたいと言ったと聞いたので……あの、私達に何か至らない所がありましたか」

 

「至らない所?」

 

 一体、ヒミカが何を言っているのか悠人には分からない。

 

「本当なら後一日交換期間があったはずです。それが今日までとなったので」

 

 そこまでヒミカが話すと、悠人の顔色が変わった。

 どこか恥ずかしそうな、気まずそうな、そんな感じだ。

 

 ちょうどその時、扉が開く。

 横島とアセリア達がぞろぞろと入ってきた。そして第二詰め所の面々は目をしばたかせる。

 彼らの表情は悠人らと同じで、横島は厳しい顔つきでアセリア達は少し怖がっているという、今の自分達とまったく同じだったのだ

 

 一体、二人の隊長に何があったのか。

 横島と悠人は互いににらみ合った。

 

「アセリア達に手を出していないだろうな」

「ハリオン達に手を出していないだろうな」

 

 二人の声が完全に重なる。

 

「真似すんな!」

「真似すんな!」

 

 またしても声が重なって、お互いににらむ合う。

 悠人、横島の言ってる意味も行動もわからず、エスペリア達は揃って頭の上に?マークをつく

 今回の騒動の理由を一番早く察したのは、なんとナナルゥだった。

 

「なるほど。友達の彼女を寝とろうとしていたら、自分の方が寝とられそうになって驚いた訳ですね。それで慌てて戻ってきたと」

 

「う、ううるさいわぁ!! 大体、ナナルゥだって悪いぞ! 悠人の奴に、俺だって知らなかった草笛なんて演奏しちゃって。どうして俺には演奏してくれないんだよ!!」

 

「いい女には秘密が必要だと、本に書いてありました。私は、いい女になったでしょうか?」

 

 至極真面目な顔をして言うナナルゥに、横島は顎が外れるんじゃないかと思うくらいにあんぐりと口をあけた。

 ため息をして、頭をガリガリとかいて、ようやく落ち着いたようで強い意志を込めた目でナナルゥを見つめる。

 

「良い女になりたいなら、俺にも草笛聞かせてくれよな。俺もナナルゥの草笛聞きたいんたから。あ、悠人の時よりも力を入れてくれよ!」

 

「はい。了解しました」

 

 一連のやり取りを見てたスピリット達はようやく理解した。

 どうやら自分たちと悠人の仲が良くなりそうで戻ってきたらしい。 

 そんな事でわざわざ掛け合って一日期間を減らしたのか。

 相も変わらず女好きで馬鹿でアホである。

 

「へへー! 大丈夫大丈夫!! ユート様も好きだけど、ネリーはヨコシマ様が大好きだからね!!」

 

「うん、大好き~!」

 

 得意そうにニヤニヤしながらネリーとシアーが横島に飛びついてベタベタと絡まる。

 普段なら「ガキに好かれても嬉しくないんじゃあー!」と叫ぶだろうが、今度ばかりは違う。

 子供の言葉と分かっていても、横島は少し顔を赤くして嬉しそうに表情を緩めてしまう。

 それを見た二人はますますニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「それとヒミカも、二人きりで悠人の奴と会うなんて止めること! いつあいつが狼になって襲い掛かってくるか分からないだろ!」

 

「はあ、ヨコシマ様ではあるまいし」

 

「ヒミカぐらい可愛ければ襲われるんだよ!!」

 

「で、ですから軽々しくそんなこと言わないで! それとあの諜報部の方は貴方の差し金でしょ! こんな馬鹿なことに人員を使って!?」

 

「しゃーないだろ! 何のために俺がここでこうして戦ってると思ってんじゃ! 第二詰め所の皆は俺のものだ! 金輪際、悠人の奴と一緒にさせんからな!!」

 

「そんな事を言っても異動命令がくれば離れる事はありえますが」

 

「んな事は絶対にさせん! とにかく俺のじゃー! 俺のモンなんだぁ~~!!」

 

 バタバタと手を振って暴れ始める横島。

 子供らしいような独占欲に、セリア達は呆れたように顔を見合わせる。あのヘリオンやナナルゥでさえ、しょうもない人だなあと苦笑いだ。

 

「シアーもね~ヨコシマ様が隊長じゃないと嫌だよ」

 

「くぅ~可愛いやっちゃなあ! よし、今度一緒に遊びにでも行くか!」

 

「わ~い!」

 

「ずるいー! そういうのを抜け駆けっていうんだよー!」

 

「え~」

 

 イチャイチャワイワイガヤガヤ。

 横島は数日ぶりの第二詰所を堪能するのだった

 一方、悠人の方も。

 

「ユートも寂しかったか?」

 

 そんな横島と第二詰所の様子を横目で見つつ、アセリアが問いかける。

 悠人にも自尊心と羞恥心がある。そんな簡単に寂しいなんて言える訳が無い。横島のように、鼻水垂らしながら嫉妬全開オーラを撒き散らすなど、言語道断だ。

 

「……俺は別にそこまで」

「私は、ユートがいなくて……うん、寂しかった」

 

 透明感ある声が響き、青の瞳が悠人を射抜く。

 ここで妙な見栄を張って『寂しくない』と叫ぶほうが恥ずかしいのではないか。

 少しだけ素直になろう。悠人は横島の明け透けな心を少し見習う事にした。

 

「ああ、俺もアセリアがいなくて……その、な。寂しかったぞ」

 

「そうか」

 

 アセリアは素っ気なく頷く。

 いつも通りに見えたが、その身はいつもよりも一歩程度近く悠人の傍らにいた。

 

「オルファもね、ヨコシマ様と遊ぶの凄く楽しいのに、パパと一緒にいた方がウキウキするんだ! 何でだろうね」

 

 満面の笑みでオルファは悠人の手を握る。その頬には赤みが差している。

 アセリアとはまた違う真っ直ぐな好意。そこに混ざるほのかな愛情と羞恥心。

 幼くとも女の子をやっているオルファに、悠人も少し胸がドキリとする。

 

「はい。手前もヨコシマ殿よりもユート殿の方が好きです」

 

 ざわ。ざわ。空気が震えた。

 今までは友情とも愛情とも取れるカーブ球を投げていたのに、突然の直球だ。

 

 空気のざわめきに、ウルカは自分が何を口走ったのか理解した。

 褐色の頬に赤みがして、わたわたと口と手を動かす。

 

「あ、いえ……違います。尊敬できるという意味で……あ、ヨコシマ殿も尊敬はしているのですが……ユート殿はまた違う種類の尊敬でして……つまりそれは……あー」

 

「あの……ウルカ、言いたいことは分かったような気がするから、もう良いぞ。なんかこれ以上言うと大変なことになりそうだし」

 

「は、はい。手前の精進不足性ですいません」

 

 ペコリと頭を下げたウルカは、そのまま赤くなった顔を見られないように頭を下げたまま後ろに下がる。

 何だか妙に可愛らしいウルカに、悠人も顔を赤くした。

 最後にエスペリアが前に出て、

 

「ユート様、お帰りなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

 二人にはそれだけで十分だった。

 そんな二人の落ち着いたやりとりを、ヒミカは羨ましそうに眺めていた。

 

 それから今回の交換についての報告会が始まったが、それは非常に騒々しいものとなった。

 いつのまにやらお菓子にお茶が持ち込まれて、思い思いに語り合う。

 喧騒の中、ヒミカはエスペリアに聞いてみた。

 

「それでエスペリア。ヨコシマ様の事はまだ信頼できないって考えてる? それとも信頼できる?」

 

 今回の交換をやった最大の要素はエスペリアの横島不信だ。もしもこれで不信感が払拭できていないとすると、今回の交換は失敗となってしまうだろう。

 問われたエスペリアは横島について思い返してみる。

 

 はっきり言って苦労はあった。能力も精神も常人のものとはかけ離れていて、異常な力を目の当たりにし、より警戒しなければいけないような目にもあった。冷静に思い起こせば、信頼なんて出来るわけがない。

 にもかかわらず、エスペリアの胸には不思議な感情が去来していた。だが、それを上手く言葉に出来ない。信頼や不信という感情とはまた別のもの。

 

「できるかできないかで言えば……ヨコシマ様だなーと思います」

 

 質問の答えになっていない答えを返したエスペリアだが、ヒミカは納得したように頷いて見せた。

 とても困った人ではあるが、振り返ってみると悪くない感情を抱くことになるのが横島なのだ。

 彼が原因でトラブルに見舞われても、悲しみや憎しみが起こらない。怒りやストレスがあってもその場で彼自身にぶつけて発散できるし、苦労したのに笑っている事が多い。

 結局、既存の言葉で形容できないから、答えとして『ヨコシマ様だから』という不思議な答えが出てきてしまう。

 彼はそれで良いのだと、ヒミカは思った。

 

「おお、何だか分からんがヒミカの好感度が上がっているような気がする! これはもうおっぱい揉んでOKとしか!!」

 

「そんなわけないでしょー!! せっかく精一杯フォローしようとしてるのに貴方って人はーー!!」

 

「あはは……本当に私の隊長はユート様でよかった」

 

 何はともあれ、スピリット隊とエトランジェ達の信頼感はより強固な物となった。

 それは連携力を強化しただけでなく、神剣の力をより強く引き出すこととなりパワーアップを果たしたといえる。

 この結果に『流石はレスティーナ女王』と彼女は内外から賞賛を彼女は受けることとなったが、

 

「ちぇっ! もう少し修羅場になったら面白かったのに」

 

 その裏で、そんな独り言を玉座でもらす少女がいたとかなんとか。

 

 


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