永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十六話 日常編その6 小ネタ集

 永遠の煩悩者 日常編その6

 

 小ネタ集

 

 

 ヒミカとファーレーンの事情。

 

 その日、横島がリビングに行くと、ヒミカが椅子に腰かけて手帳を見ていた。

 何か悩んでいるようで、唸りながら手帳を見つめている。

 

「お、何見てんだヒミカ」

 

「……ヨコシマ様、聞きたいことがあるのですが……時間は大丈夫ですか?」

 

 割と真剣な表情なので、横島も真面目に頷く。

 

「ああ、大丈夫だけど」

 

「ありがとうございます。では……何故、どうして、貴方はファーレーンにはセクハラをしないのですか?」

 

「……は?」

 

 意図の分からない唐突な質問に、横島は頭上にクエッションマークを浮かべる。ヒミカは険しい表情のまま、横島の眼前に手帳を突きつけた。

 ヒミカの手帳には、セリア、ヒミカ、ナナルゥ、ハリオン、ファーレーンの名前が記され、その名前の横にいくつかのペケマークがある。

 一番マークが多いのはヒミカだった。

 

「これは、ヨコシマ様が私達に……その、ふしだらな悪戯というか……過剰なスキンシップを行ってきた回数です。私が見た所、ファーレーンだけはまったくセクハラされていないのです」

 

 手帳には確かにファーレーンの欄だけが空白だった。実際、横島もファーレーンにセクハラした記憶は無い。

 唯一あったのは、彼女に抱きかかえられて運ばれたときぐらいだろうか。それも、大したことはなかった。

 ヒミカにとって、この事態は予想を覆されるものだった。

 ファーレーンが来たらセクハラ仲間が増えて、自分に対するセクハラが減るだろう。そう考えていたのだ。

 だが、その考えは否定された。ファーレーンは何故かセクハラされず、むしろ自分に対するセクハラがさらに増えたのだ。

 

「前にも言いましたが、私と淫らな行為をしたいなら『命令』してください」

 

「う~ん、やっぱり命令で無理やりってのは……何だかなあ。まず愛がねえと」

 

「そんな気持ちで、どうしてセクハラするんですかーーーー!!」

 

「ヒミカは俺に死ねと言うのか!」

 

「セクハラしなくちゃ死ぬような生命体なんて死んじゃえばいいのよ!」

 

 中々に過激な事を言うヒミカだが、それだけストレスが溜まっているのだろう。

 敬語も態度も平時に比べてぶっ飛んでいる。

 

「とにかく、ファーレーンにセクハラするか、もしくは私へのセクハラをやめるか、二つに一つです!」

 

 何だかとても不思議な選択を迫られた。

 セクハラか、あるいはノットセクハラか。

 横島はしばし考えた後、仰々しく頷いてみせた。

 

「分かった! 俺はファーレーンにもセクハラをするぞ! ここでヘタレたら俺じゃない!!」

 

「それでこそ私のヨコシマ様! さあ、ファーレーンは台所にいます。前から後ろからレッツセクハラです!!」

 

「ありがとう、ヒミカ! セクハラを応援されるのは生まれて初めてだぞ!」

 

「ええ、私も初めてです!!」

 

 二人はガシッと強く握手をする。

 セクハラする者。それを応援する者。

 二人の間には他者が入り込めない友情が結ばれたようだ。

 横島はのっしのっしと大股開きでファーレーンに向かっていく。後ろでは「がんばれーセクハラー」とヒミカがエールを送っていた。

 

 ファーレーンは台所で包丁を持って何かしらの料理を作っていた。まだ食事時ではないので、簡単な軽食でも作ろうとしているらしい。

 こっそりと後ろから近づくと、背徳からかドキドキと胸が高鳴った。あのファーレーンにセクハラするというのかどうにも興奮する。

 

「あ、ヨコシマ様ですか。今は火を使っているので手が放せなくて……」

 

 ファーレーンは背後で気配を殺し、声も掛けてこない横島を警戒していなかった。

 これがヒミカやせリアなら、セクハラを警戒して簡単には後ろを取らせないだろう。

 覚悟を決めて、後ろから無防備な肢体をギュッと抱きしめる。

 

(おおおお~柔らかくて暖かくて良い匂いじゃあーー!!)

 

 内心で歓喜の声を上げる横島。対するファーレーンはビクンと体を震わせたが、抵抗することも無く、そのまま硬直してしまう。

 流石に泣かれたり、本気で嫌がられたら、すぐに土下座しよう。そして頭を壁にぶつけて血だるまになろう。

 そんな風に考えながら、ファーレーンの柔らかい体を堪能する。とはいっても手は肩とお腹に回しただけで、胸やお尻に動くことはなかった。セクハラであっても、彼なりに精一杯優しく抱きしめようとしていたのだ。ドキドキと心臓が激しく鼓動して、それが相手に伝わっているかもしれないと考えると妙に恥ずかしくなる。

 十秒、二十秒、三十秒。どちらも喋らず、無音の時間が過ぎる。

 時が止まったような中で、コンロで温められていた鍋の蓋がカタカタと動き出して、ようやく二人は息をするのを思い出したようだ。

 

「あのヨコシマ様。このままだとお鍋が吹き零れちゃいます」

 

「あ、ああ」

 

 名残惜しそうに横島は抱きしめを止めて、自由になったファーレーンは蒸気をあふれさせ始めた鍋のふたを開け、エーテルコンロを切る。

 エーテルコンロを消す時、ファーレーンが小さく「もう」と残念そうに呟いたのを横島は聞き逃した。

 

 お互いに顔を見合わせて沈黙が降りる。互いに相手の出方を伺っていた。

 横島としては、悲鳴でも上げられて叩かれるとでも思っていたし、ファーレーンは『次は』何をされてしまうのだろうという恐怖と期待が同時に存在していたからだ。

 ずっとこのまま黙っているわけにもいかない、と横島がぎこちなく謝り始める。

 

「その、悪い。ええと、怒らないのか? いきなり抱きついたのに」

 

「え? あ、その……怒るだなんて……私はヨコシマ様が紳士だって知っていますから。今回見たいに悪ふざけはするかもしれないですけど……でも包丁を持っているときは危ないですよ」

 

 仮面越しにも、ファーレーンが信頼の笑みを浮かべていることが分かった。

 圧倒的な信頼を前にして、横島の良心がチクチクと痛む。

 ここで、「グヘへ~おっぱい揉ませろー!」などと迫ったら、一体どういう表情になるのだろう。

 もしも涙目で見つめられたり、失望されでもしたら。

 それを考えると、燃え盛っていたセクハラ魂がしおしおと萎えていく。

 ファーレーンの信頼を汚したみたいで、本当にごめん、と横島は心中でもう一度謝った。

 

「それに、私みたいな仮面を被ったスピリットなんて気味が悪くて、とてもそんな気持ちになれないでしょう?」

 

「んなこたあないです!!」

 

 反射的に横島が叫んで、ファーレーンは目をぱちくりする。

 

「え……まさか仮面フェチ?」

 

「いやあ、そうなんですよ。仮面の曲線美がもう……って、んなわけあるか!」

 

「ふふ、すいません。私もボケてみたくて……」

 

 くすくすとファーレーンは上品に笑った。

 横島もつられて微笑む。ゆるいボケと突っ込みをファーレーンは持っている。

 他の第二詰め所メンバーのように強烈な個性は持ってはいないが、だからこそ彼女はある意味異彩を放っていた。

 いや、外見だけで言えばもっとも個性がある。仮面こそが彼女の異彩であり、そして彼女の心を示す特徴だ。

 

「俺はファーレーンさんが何で仮面を被ってるか、分かってるんで。変になんて思わないぞ」

 

 横島は話を戻した。

 赤面症で人と目を合わせることが苦手。戦うのも実は怖いから、仮面をつけて自身そのものも誤魔化して守っている。

 一つ屋根の下で過ごしているのだ。それぐらいは把握していた。

 

「仕方がないっすよ!」

 

 あっさりと横島はファーレーンの弱点を許容した。

 自分が弱点まみれであるのを横島は自覚している。そんな自分が美人の弱点をあれこれ言うなんて出来るわけがない。

 まあ、美神のような破天荒な美女なら好き放題言わせて貰うのだが。

 

 ファーレーンは心が軽くなるのを感じていた。

 自身の弱さを受け入れてくれる。そんな人が隊長である事がファーレーンには嬉しい。

 しかし、だからこそと彼女は思う。

 

「本当にヨコシマ様はお優しいですね……ありがとうございます。だけど、このままでは駄目なんです。

 心の弱さを誤魔化し続けては、剣の弱さに繋がるとウルカさんに言われました。実際に、ここ最近、剣の腕が伸び悩んでいるんです」

 

 伸び悩んでいる、との言葉に横島は首をひねった。まだまだ伸びしろがある子供達と比べれば、それは伸び悩んでいるといえるかもしれない。

 だが、そもそもファーレーンの剣の腕は完成されている。今現在でも、間違いなくラキオストップクラスの実力者であるのは疑いようもない。

 ウルカに未熟と言われたといっても、それはスピリット最強と言われるウルカだからこそ言える台詞だろう。

 

「ファーレーンさんは十分強いじゃないすか」

 

「ウルカさんやヨコシマ様と肩を並べて戦うにはまだ不足ですよ。それに剣だけの問題じゃないんです。

 みんな成長しているって分かるんです。戦士としてだけじゃなくて、スピリットとして、女性として、強く魅力的になっています。二ムも元から強くてすごく可愛いのに、もっともっと可愛くなってきて。

 この間、二ムが人の子供と一緒に遊んでいたんですよ。本人は嫌だけど無理やり誘われたって言っていましたが、あの子は本当に嫌なら無視するか逃げるでしょう。私も前に進みたい。それに……」

 

 ――――ヨコシマ様が隊長になってくれて、大変良くしてくださっているのに、私だけ成長できないのが嫌なんです。

 

 そう言葉に出すのは、流石に恥ずかしかった。それでも勇気を出して言った。

 敬愛し、ほのかな愛情を抱いている男性に良いところを見せたい。

 ファーレーンが言っているのは、つまりはそういうことだ。

 

「だから……」

 

 ファーレーンは言いながら、意を決して仮面を外した。

 ブラックスピリットには珍しい黒みがかった青髪のショートヘアーに、恥ずかしさから真っ赤に染まった小さい丸顔。

 姉妹であるニムントールぐらいしか見ない、優しげな素顔が横島の目の前に現れた。

 

「これからの私の成長を見ててください」

 

 本当に信頼され、敬愛されているのだ。横島はそれを強く感じ取った。

 同時に、ファーレーンは自分を過大評価しているのだと強く感じ取った。勘違いといってよいだろう。

 横島は少しファーレーンが怖くなった。今こうして愛情を向けてくれているのは勘違いしているからだ。第二詰め所で馬鹿をやっても笑顔でいてくれるのは曲解しているからだ。

 もしも横島忠夫という男が、本当にエロで馬鹿だという真実を理解したら、その時は笑顔を向けてくれるだろうか。

 不安になった横島は仮面を被ることにした。ファーレーンの望む、幻想の横島でいるために。

 

「俺もまだまだなんで、一緒に頑張っていこう!」

 

 横島はファーレーンの手を握った。

 それも紳士的に、力強くだ。

 

「あ、ありがとうございます……今更かもしれませんけど、ヨコシマ様の部下になれて、私は本当に幸せ者です」

 

 目元を潤ませて、ペコリと頭を下げるファーレーンに、横島はもう言葉もない。

 

(ちくしょー! これは可愛すぎる! こうなったらもうファーレーンさんでいいんじゃないかこれは!?)

 

 こういった内心をファーレーンの前では口にしないのが、彼女に好かれる理由の一つだろう。

 

 互いに相手に送る愛情と尊敬。一部は劣情。

 どこからかリンゴの甘酸っぱい香りが漂ってくるような、沈黙すら心地よい安らぎに満ちた二人の世界が作られる。

 だが、背後からぞっとする気配。

 横島はそっと後ろを見ると、ドアの影から顔を半分だけ出したヒミカが凄い顔をして睨みつけていた。そして指でちょいちょいと手招きする。

 

「あ……悪い。ちょっと」

 

「え? あ、はい」

 

 ファーレーンをその場に残し、そのままヒミカに引き連れられるように部屋から出る。

 リビングまで戻ると、ヒミカは横島を壁際にまで追い込んで壁にドンと手を突いた。

 

「ねえヨコシマ様。どうしてファーレーンにはあんなに優しくて紳士なんでしょうか。ねえ、どうしてです? ねえ?」

 

 ヒミカは笑みを浮かべている。

 先ほどのファーレーンの笑みに負けないぐらいに素敵な笑みだが、背後には業火を纏った虎を背負っていた。

 

「ううっ……んなこと言ったって、あんな笑顔で信頼してます……何て言われると、やりづらいなー……なんて」

 

「なっ何ですかその理由は!? 私だってヨコシマ様の事は……信頼してます。絶対にファーレーンにだって負けてません!」

 

 始めは怒ったように、しかし最後の方は気の毒なぐらい顔を赤らめてヒミカが言う。

 セクハラされない理由が信頼にあるのなら、決して負けるわけがない。むしろ、第二詰め所としては新参のファーレーンよりも自分の方が横島をより知っているし、信頼もしているという自負がある。

 もしもヨコシマ様が『ヒミカは俺の事を信頼していない』なんて考えていたら、それは酷く悲しくて嫌なことだった。

 ヒミカは告白まがいの台詞の恥ずかしさを我慢しながら、キッと強い目で横島を見た。ほんの少しだけだが、目が潤んでいた。

 真面目で強気なショートカット美女の涙目上目遣い。横島の理性が一気に振り切れた。

 

「そ、そんなに俺の事を……うおぉ、ヒ、ヒミカー!!」

 

 感極まった横島は思い切りヒミカを抱きしめる。さらに手をこっそりとお尻に向かった。

 

「きゃああーー!! だからどうして私の時は変な事するんですか!? せめてファーレーンの時みたいに優しく抱きしめてくれればいいのに!!」

 

「しょうがないんや! 何かファーレーンにセクハラするのは悪いような気がするから」

 

「私だったらいいのかーー!?」

 

「ああ、なんか久しぶりなやりとりーー!!」

 

 ピシピシとヒミカは突っ込みを横島に入れる。

 横島は、痛がりながらもどこか楽しそうに突っ込みを受けていた。そして隙を見つけては抱きついて、また叩かれる。

 ヒミカと横島は、結局いつもこうなる。こうなるからこそ、一番ボディタッチが多くなるのだ。

 セリアのように冷たい視線や、ハリオンのように適度に受け入れるか、ナナルゥのように天然を炸裂させれば、こうはならないのだが。

 そんな二人のどつき漫才を、今度はファーレーンがドアの隙間からこっそりと見つめていた

 

「ヒミカさんはヨコシマ様と本当に仲良さそう……いいなぁ」

 

 横島から愛情を感じ取りつつも、どこか壁を感じるファーレーンは人知れず寂しさの声を漏らす。

 勇気を出して、気恥ずかしさを我慢して、ようやっと握手できた。

 今まで感じたことのない熱が手に宿ったような気がして、今日の夜に使用するまで洗わないでおこうと考えたほどだ。

 だが、宿った熱は横島とヒミカのやりとりを眺めて急速に失われていった。

 

 握手など、今ヒミカが横島に仕掛けているコブラツイストの前では全然たいしたことが無い。

 密着度、殺傷能力、技の錬度。その全てで、握手はコブラツイストに及んでいないだろう。

 手を握った程度で何をいい気になっているの、と言外に言われた気がして、ファーレーンは少しヒミカを妬んでしまう。

 

 ヒミカは横島の過剰なスキンシップを嫌がっている。

 そうヒミカ自身が言っているのはファーレーンも聞き及んでいるが、しかしファーレーンからすれば鬱陶しさを感じさせた。

 

『いや~またヨコシマ様にセクハラされちゃったわ~マジで大変だわ~胃薬ある~?』

 

『ファーレーンは抱きしめられなくて羨ましいわ~私は今日三回も抱きつかれたのよ~』

 

 このような愚痴(ファーレーン主観)をあちらこちらで吹聴されると、どうにもイラッと来る。

 遠まわしに自慢されているようにしかファーレーンには思えなかった。

 

 無論、ヒミカにそんな意図はあるはずもなく、ヒミカにとっては紳士的に振舞われるファーレーンを羨ましく感じているのだが。

 人間関係は難しい。

 

 

 お給料が入った!

 

 

 レスティーナが女王となって、スピリットへの融和政策が始まっていた。

 その一環として、スピリット達にも給料が支給される事となった。これはスピリットが『物』ではなく『人』であると認められたとも言える。

 ただ、各個人に出るわけではなく、詰所別に一定額支給されるらしい。

 給金とは言いづらいかもしれないが、それでも諸経費という括りではなくなったのは大きいだろう。

 

「おおー! キンキラリンだね!!」

「とても綺麗ですー!」

 

 机の上に無造作に置かれた硬貨の山に、ネリーとヘリオンが歓声を上げる。

 大人達は感慨深そうに硬貨を眺めていた。確実に自分達の立場が向上していることに、嬉しさと戸惑いで胸がいっぱいだった。

 

「でも、私たちって現金を使って買い物したことが無いんだけど……これってどれくらいの額なの?」

 

「大体三千ルシルぐらいだな。一人頭三百ルシルって所だ。それと、剣の手入れに使う必需品は支給されるから買わなくてもいいぞ」

 

 ヒミカのつぶやきに、横島が答える。

 十人が一ヶ月過ごすには十分な額だった。週に一日程度なら多少豪勢に食べられるだろうし、ある程度の嗜好品も買えるだろう。

 ただ、そうした場合はまったく貯蓄が出来なくなるから、やはりそれなりの節制は求められる。

 

「店の人いつも迷惑そうにしていたもんね! これでお買い物が楽になるよ!」

 

「そうですね~売ってくれなかったお店も、売ってくれるかもしれません~」

 

 年少組みとハリオンはとても嬉しそうだ。

 証書ではなく現金で支払えば商人達も面倒が少ないため、確かに売ってくれる可能性は高まるだろう。

 青空市場だけでなく、屋根付きの店舗でも売買できるかもしれない。

 

 だが、セリアらはそこまで楽観的には考えていなかった

 確かにスピリット融和政策は始まっている。人がスピリットに向ける感情は、以前と比べて遥かにマシになっていると言えるだろう。

 とは言っても、戦闘奴隷として蔑んでいた相手が、人様と同じように給料を貰い買い物をする。人と同じように生活する。

 苦い顔をするものは確実に出てくるだろう。別な問題が出てくること事も考えられる。

 

 だが、それを今更言っても仕方がない。

 スピリットの扱いが変化する以上、スピリット自身も変化に対応しなければいけないのだ。

 果たして物を売ってくれるのか。

 スピリット達は硬貨を握り締めて、緊張しながら市場へと向かった。

 

「このスカーフは優れた芸術家手製の品でして」

「この本は有名な著作家によるものでして」

「この砂糖はデオドガンでも一二を争う」

「このツボは幸運のツボでして」

「この枕で寝れば」

「この布地は」

「この食器は」

「この胸当ては」

 

 正に怒涛のセールストークがスピリット達を襲った。

 どうやらスピリットが金を持って市場に来るというのは事前に知らされていたらしい。

 横島も想定以上の攻勢に驚きを隠せなかった。

 

 子供達は初めてのセールストークに混乱して、あっという間に乗せられてしまった。

 ヒミカら大人達は子供たちほど楽観的では無かったが『断れば不敬になるのではないか』という疑念が頭を過ぎり、中々断ることが出来ない。

 言葉巧みに買わせようとしてくる商人達に対して、売買を断られることはあっても、勧められることに免疫がないスピリット達は抗うことができなかった。

 ついつい買う約束をして、詰所に戻って硬貨を握りしめ市場を往復することになったスピリットすらいた。

 

 その日の夜、第二詰所緊急ミーティングが行われる事となる。

 議題は、机の上に置かれた硬貨の量を見れば明らかだ。

 

「……お給料が入って、一日目よね? たった数時間よね? 数日分の食料の買出しにいっただけよね? これはどういう事なの」

 

 セリアの声は静かだった。まるで魂が抜けたような虚脱した声。瞳に力もなく、茫然としていた。

 露骨に目を逸らす者、肩を深く落として反省する者、無表情を貫く者、何故かニコニコしている者。セリア以外の全員が、そのいずれかに属している。

 

 硬貨の数は、最初見たときの六分の一程度まで減ってしまっていた。

 買ったのは二日分の食材と、ツボ・本・ガラクタ・枕・甘味料・カラフルな生地等々。

 

 食材を除く全てが嗜好品で、セリア以外の全員が余計な物を買ってきてしまった。セリアだけが人間のセールストークを振り払えたらしい。

 それにしても、買った品物は見るからに怪しいものばかりだ。一部は嗜好品というよりもゴミでしかない。

 

「うう、ごめんなさい」

「申し訳ありません」

 

 皆々が口をそろえて謝り始める。

 そんな中、仮面を外したファーレーンが無理やり作ったような笑顔を浮かべて、古ぼけたツボを前に出した。

 

「で、でもセリア! これは幸運のツボで、これを持っていれば姉妹安全、商売繁盛、恋愛成就間違いなしって! これはいいものよ!!」

 

「だったらすぐにお金を出すか、食料を生み出すか、恋人でも作ってみせて」

 

 言われてファーレーンはしょんぼりとする。

 「恋人なら俺が!!」と声を上げようとした男がいたが、それはニムに足の甲を踏み抜かれて悶絶する羽目となった。

 大半は露店で買ったから、今更返品は不可能だった。とてもこれから一か月を生き抜くほどの生活費は残っていない。

 

「レスティーナ様に言って、もう一度お金を貰うわけにはいかないでしょうか」

 

 ナナルゥが一番簡単な解決案を言うが、セリアは顔を赤くして首を強く横に振った。

 

「そんな恥ずかしいこと出来るわけ無いでしょ! それに、これは私たち第二詰所だけの問題じゃないの。スピリットがお金を与えられてしっかりと日常生活を送れるかというテストなのよ! それが初日でこんなことに……ああもう、信頼を裏切ったなんてレベルじゃないわよ!!」

 

 このままでは笑い話ですまないと、皆の表情が暗くなる。

 

「んじゃ、誤魔化すしかないな」

 

 横島が言って、皆が渋い表情になったが反対意見は出なかった、

 幸いなことに領収書なんていうものは存在しなかった。そして、給金をどう使ったのかという報告も、今のところは必須ではない。

 というのも、問題視されていたのはスピリットが金を持った時の人間の反応だったからだ。そちらに関しては非常に旨くいった。仕込みはあったとしてもだ。

 まさかスピリット側に、こんな馬鹿な問題が発生するとは誰も思ってもいなかった。

 

 可能な限り誤魔化そう。横島が統率する第二詰め所内らしく、それで決定する。

 すると、次なる問題はどうやって生活していくかだ。衣食住の内、衣と住は問題なく税金もまだない。とにかく食さえどうにかできればいいのだ。

 今ある食材を乾燥させたり塩漬けにするなど保存して、細く長く食べればしばらく持つだろうが、やはり限度がある。それに体が資本の戦士が、すきっ腹を抱えるというのはやってはいけないことだ。ある程度は食わなければならない。しかし、そんな金などない。

 

「そういえばウルカさんが食べられる野草に詳しいって言ってましたよ!」

「森に行けば、鳥獣の類もいると思います」

 

 こうなればやはり自給自足ができれば良い。

 ある程度はサバイバル経験があるスピリット達からは、やはりこういう意見が出始める。

 だが、それにセリアは待ったをかける。

 

「馬鹿なことを言わないで。森には所有者も管理人もいるのよ。勝手にやったら密猟でしょ」

 

 ちょっと採取するぐらいならまだしも、十数人の団体が一ヶ月分もの食材を山から頂戴するわけにはいかない。

 ただの人間なら注意される程度で済むかもしれないが、スピリットの場合は何らかの実刑を受ける可能性がある。

 スピリットの人権が生まれようとしている中で、泥棒騒ぎなど起こったらおしまいだ。

 やはりスピリットは戦闘奴隷として扱うべきと世論が傾くだろう。レスティーナの顔にどれだけ泥を塗ることになるか、考えたくもない。

 

「それじゃあ、何かバイトでもするか」

 

「スピリットが仕事なんて出来るわけないでしょ」

 

 横島の意見にセリアは馬鹿らしいと言ったが、横島は表情を変えなかった。

 

「いや、そうでもないぞ。俺の知り合いの店ではスピリットに優しい奴もいるし、目ざとい奴はスピリットの労働力は金になるって考えてるやつもいる。そうじゃなくとも、色々とチラつかせられる餌はあるな……んー守銭奴やあの地区なら」

 

 真剣な顔で横島は呟きながら考え込んで、スピリット達は思わずドキリとした。

 普段はギャグキャラらしく崩れた表情が多い横島だが、本気のときはそれなりに男前だ。

 仕事できるかも、という空気が満ちて、慌ててセリアが言った。

 

「わ、私が言いたいのはそれだけじゃありません。暇な一日なんてないじゃないですか。哨戒に警邏に訓練に家事。まさか合間の休み時間に働けなんて言うんじゃないでしょうね!」

 

「ここ最近はファーレーンやセリアに第三詰め所のメンバーも鍛えてもらっているから、色々と代替できそうなんだよ。人間の部隊とも連携が取れそうでな。シフトを上手く組めば、働く時間ぐらいは十分に取れるぞ。この間の赤ちゃんの件でノウハウも出来てきてるしな」

 

 横島は簡単に答えを出す。

 頭の中で、仕事の量、スピリットの数、休憩時間、引継ぎに教育等を考える。それぞれをざっと計算してみると、第二詰所の数名を仕事に出すことができた。

 いや、むしろ第三詰所の教育を考えると、第二詰所には少しばかり仕事を休んでほしいとすら横島は思った。

 引き継ぎできる人材を育てるのはシフトを組む立場の横島にとって必須なのだが、第二詰所が休まずに動くと中々育てられない。また、きちんとローテーションが組めれば長期戦にも強い部隊が生まれるだろう。

 なにより、第二詰所にもっと自由時間が生まれれば、デートやセクハラを仕掛ける時間が大幅に増すことになる。

 むしろ、これはいい機会だと横島は判断した。

 

「よし、据え膳食わぬは……じゃなくて善は急げだ。皆、なにかしてみたい仕事があったら考えておいてくれ。俺はちょっと悠人とルルーの所に行って話し合いしてくっから」

 

 それだけ言って、横島はもうすっかり暗くなった道を駆けていった。

 基本的に横島は勤勉ではないが、女の子が絡んで動き始めると、常識を突き抜けた行動力を持つ。

 

「ねえねえ、シアーはどんな仕事がしてみたい? ネリーはあちこち動き回る仕事がしたいよ!」

「ん~とね。シアーは色々と作ってみたいかな。ヘリオンは~」

「私は可愛い制服が着てみたいです! ニムみたいなメイド服もいいかも! あ、でも剣を見てみたいって子がいたから訓練士でもいいかなー」

「うう……めんどくさい事になりそう」

 

 子供達はすでに横島が仕事を持ってくるだろうと確信していた。絶対的な信頼がそこにはある。

 

「仕事ねえ。やっぱりお菓子作りがやってみたいけど」

「ヒミカ……貴女までそんな事を」

「仕方ないわよ。だってヨコシマ様だもの。きっと彼ならやっちゃうでしょ」

「ありえないわ。そう、ありえないはずなのよ……本来なら」

 

 大人達も横島が失敗するとは考えていないようだった。

 ありえないと言っているセリア自身も、横島ならどうにかしてスピリットでも出来る仕事を見つけ出してしまうだろうと、諦めという名の信頼がある。

 

 その信頼は正しく、横島はたった二日でスピリットができる多くの仕事を持ってくることに成功した。

 さらに、それは第一詰所も巻き込むことになり、スピリット達はまた新たな体験をする事となる。

 

 さて、給金を得るために仕事を始めることとなったスピリットだが、全員が仕事をするわけにはいかなかった。

 外に出るのも仕事なら、家を守るのもまた仕事。簡単に言えば、無駄な出費をしないように財布の紐を握り、収入と支出を管理する者が必要となる。言ってみれば、財布の紐を握った専業主婦だ。

 これにはセリアが割り振られた。唯一、財布の紐を締めることが出来たのだから、妥当な人選と言えるだろう。それに彼女だけが何の希望も出していなかったら、ちょうどよかった。

 セリアは当然とでも言うように、平然とその役割を受け入れたが、横島は申し訳なさそうだった。

 

「ほんとは保母さんでもやってほしかったんだけど、どうしても受け入れてくれる所がなくてな」

 

 残念がる横島に「そんなの頼んでません」とセリアは返したが、心のどこかでは残念に思っていた。

 

 そうしてセリアが町で買出しをしていると、どこからか視線を感じる。

 横を見ると、主婦と思われる女性たちがセリアを見て密談を交わして、笑みを浮かべあう。そこには侮蔑の色がある。

 

(ふん、馬鹿らしい)

 

 また根も葉もないスピリットの嘲笑だ。

 生まれてこの方、幾度も聞いてきた言葉に、いまさら心を乱されることなど無い。

 

「聞きました? なんでもスピリット達に給金が支払われたって」

「そうそう。なんでも、くだらない物を買って生活できなくなったとか」

「それで今はバイトしてるんだって。いや、馬鹿ねえー」

 

 根も葉もある噂だった。というか真実だ。すっかり恥部がばれてしまっている。

 事実であるだけにいつものように受け流せず、セリアの頬は羞恥から赤くなって思わず主婦達を睨んでしまう。

 そうして、目が合ってしまった。

 セリアは何も言い返せず、主婦らも悪口対象が目の前に現れて硬直していたが、

 

「なに、ほんとの事でしょ。くだらないものばかり買って……計画性のない」

 

 主婦の一人は軽蔑するような目でセリアを見る。

 

「わ、私は真面目にやったんです! まずは節約しようと思ったんです。それなのに、皆無駄遣いして……私だって欲しい家具や調理器具があったのに! それだって皆のためを考えてたのに!

 子供達は食べ盛りだから、色々とこっちも考えて作ってるのにあれが嫌だこれが嫌だってわがままで!」

 

 色々とこみあげてくるものがあって、セリアは気持ちの内をまくしたてた。

 言いたい事を言った後、我に返って青ざめる。

 人間に反抗してしまった。別に彼女たち自身に暴言を吐いたわけではないが、感情に任せた苛立ちを人にぶつけたのだ。

 戦々恐々としたセリアだったが、返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「スピリットもご飯を食べるの?」

「好き嫌いもあるんだ」

 

 聞こえてきた言葉にセリアは呆れてしまった。

 確かに人間ではないし、妖精や戦闘奴隷とも呼ばれているが、まさか食事をしないとでも思っていたのだろうか。好き嫌いがないとでも思っていたのか。風邪をひかないとでも思っていたのか。

 スピリットに関して人間は無知すぎる。それをセリアは改めて思い知る。

 

「ふん……それなら一層、食材は厳選することね。貴女が買ってるのは、最低品質よ」

 

 女の一人がセリアのバッグに詰め込まれた野菜の数々を見て言った。

 きちんと厳選して買った自負があるセリアは、思わず鼻を鳴らす。

 

「ちゃんと良い色や形の野菜を選んで、しっかり買ってます」

 

「はい、それが間違い。それ、色塗ってるわ」

 

「え?」

 

「形が悪くても別に味に関係ないし、しかも高いのよ」

 

「うそ」

 

「そもそも言い値で買ってるでしょ。それで良く、しっかり買い物できているって言えたものね」

 

 もうセリアは何も言えずに項垂れるしかない。自身の負けだ。

 その落ち込みようが面白かったのか、主婦の一人が思わず笑みを浮かべる。

 

「まあ、全然知らないんだからしょうがないでしょ。野菜を買うなら、野菜力って店や、肉ならササミ―って店がおすすめよ」

 

「麺も忘れちゃだめね。保存がきくやつも多くて調理も楽だし」

 

「え? えっと……え?」

 

 主婦たちの会話に巻き込まれてセリアはひたすら困惑したが、そのうち旦那の悪口に話が移行すると、セリアは己の隊長への不満を言い始めて大いに場が盛り上がる事になる。

 それはいわゆる主婦達の井戸端会議と呼ばれるものに違いなかった。

 

 その光景を、影からこっそりと覗いていた横島は冷や汗をかきながらも、うんうんと頷く。

 

「やっぱりセリアは包丁かな……いや、それじゃあ感謝はされてもエロエロな展開には……うーん、ならばエプロンか」

 

 そんな事を言いながら横島はセリアから目を離して、次の目的地を目指す。

 目的の広場にたどり着くと、そこには多くの子供と、幾人かの大人の姿があった。

 子供達の見つめる先には、何枚もの絵と物語を紡ぐ声がする。

 紙芝居だ。題材は横島が持ち込んだ桃太郎だが、きびだんごがヨフアルに変化していた。

 何枚もの絵を絵をめくりながら、物語が進行していく。

 紙芝居の機材の裏から聞こえてくる声に、横島は本気で感心していた。

 

「……ほんと、人は見かけによらないものだよなあ」

 

 男の声、女の声、化け物の声。全てを一人で完璧にこなしている。声質すら変えているようで、まるで数人いるかのようだ。

 これを、あの感情表現が少ないナナルゥがやっているのだから驚きだ。声優の才能があるだろう。

 紙芝居も終わって、スポンサーの宣伝とお菓子が子供達に配られる。

 配るのは機材を動かしてたオヤジで、ナナルゥは最後まで機材の裏に隠れていた。

 子供達が解散して、ようやくナナルゥが出てくる。オヤジがナナルゥに給料を渡して、それで解散となった。

 

「よっ、お疲れさん」

 

 仕事も終わって、そこで横島はナナルゥに声をかける。

 

「はい。ヨコシマ様も私どもの見回りありがとうございます」

 

 開口一番に行動を言い当てられて、思わずビビる。

 一体なぜ、行動を見破られたのだろうか。

 

「ヨコシマ様の事はいつも見てますから、それぐらい分かります」

 

 横島は何も言っていないにも関わらず、ナナルゥはまるで心を読んだように言った。

 そのまっすぐな言葉と瞳に、横島は色々な意味で恥ずかしくなった。

 

「あ~ナナルゥ。仕事はどんな感じだ」

 

「はい、才能があると褒めてもらえました。出来れば、次は愛憎渦巻く劇をやりたいのですが」

 

「子供向けの紙芝居でそりゃダメだろう!」

 

「そうですか。それは……残念です」

 

 本当に落ち込んでいるナナルゥに、横島は噴き出す。

 そのまま分かれると、横島は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「ナナルゥはやっぱり愛だな……やっぱり本か、演劇もいいか。出来れば主役は俺みたいなので、ヒロインはナナルゥみたいな」

 

 ブツブツ言いながら、次にある貴族の屋敷に向う。

 といっても、屋敷に入るわけではない。

 サイキックソーサーを足場にして空を駆け上り、空中から広い庭を見てみる。

 

 そこでは、ファーレーンとニムが雑草を毟り取っていた

 二人は人と多く関わるのが嫌ということで、人を遠ざけて出来る地道な作業をしてもらうことにしたのだ。

 ニムはマイペースだからか、広い敷地にウンザリしつつも地道に雑草を引っこ抜いていた。これがネリー辺りなら、きっと何とか楽しようと余計な事をしていたにちがいない。

 そんなニムをファーレーンは愛おしそうに眺めながら、やはりこちらもマイペースに雑草を毟り取っている。

 

「本当に仲が良い姉妹だよな。これはやっぱりそれに関係した方がいいか」

 

 次に向ったのは、とある工房だ。ここでは職人達が器を作っている、そこに、周囲のむさ苦しい職人達と正反対の小さい少女がいた。

 シアーだ。彼女は一心不乱に土をこねていた。そして出来上がった土を職人に渡す。職人は土の具合を確かめた後、土を器の形に整え始める。

 これは陶器作りの現場だ。まだとても形成させるほどの技量がないシアーは、ただひたすら土をこねる作業ばかりさせられているが、それに不満を言うわけでもなく黙々と仕事をしている。

 そして、別の職人の動きを目で追っている。これは、次に自分も作るために技を盗もうとしているのだろう。

 横島が竹とんぼを作ってから、彼女は何かを作るのが大好きになっている。いや、ただ好きなだけじゃない。何かを創造するという行為は、シアーに誇りを感じさせた。

 

「シアーはどうすっかな。材料や器具じゃ味気ないだろうし」

 

 そんな事を呟きながら、横島はまた次の場所に足を向ける。

 

「さて次は……これ本当なんかなあ」

 

 次の現場は少々特殊だった。

 まず、第二詰め所のスピリットではない。話を聞きつけたアセリアが、自分もやってみたいと志願したのだ。

 しかし、アセリアが出来そうな仕事がなかなか見つからなかった。接客などできるはずもなく、買い物も上手くできないだろう。

 色々と考えた結果、アセリアだけが持つ品があったからそれを使ってみようと悠人が提案したのだ。

 

 アセリアがいる広場に到着する。

 そこはフリーマーケットで、老若男女が声を張り上げて様々な物を売っていた。

 熱気と活気に満ちていたが、とある一角だけが閑散としている。そこにいるのは、茣蓙のような敷物に座り込んでいるアセリアだ。

 客引きもせず、彼女は相も変わらずぼーっとしていた。

 

「よっ! アセリアちゃん、景気はどうだ!」

 

「……ぼちぼちでんなー」

 

「いや、どうみても全然売れてないだろうが!」

 

「ん……間違ったか?」

 

 どこからか覚えたハイぺリア(日本)言語を使いたがるアセリアに、横島は苦笑した。

 

 アセリアの周りには絵画や彫刻などが並べられていた。細木細工などもある。

 彼女が作成した芸術品だ。手先は器用だと思ったが、ここまでとは横島は思ってもいなかった。

 風景画や動物などをモチーフにしたものが多い。出来の方は芸術に程遠い横島に分かるわけもなかった。裸婦像でもないかぎり、まったく興味はない。

 材料については、おそらくレスティーナが裏から手を回したのだと思われる。

 

「でも意外だな~アセリアちゃんって、どう考えても芸術とは無縁っぽいんだが」

 

「よく分からない。けどヨコシマに言われると何だか納得できない」

 

 なんとなく馬鹿にされたと分かったアセリアは、ムッと頬を僅かに膨らませていた。

 ますます表情が豊かになってきたアセリアだが、その中でも険悪に属する表情はもっぱら横島が独占をしている。

 険悪といっても、憎悪というほどではなく、なんだか面白くない程度のものではあるが。

 

 むーと二人がにらみ合っていると、一人の男が近づいてきた。

 横島と同じぐらいの若い男で、よれよれの服にボサボサの頭。ひょろっとした身体つき。指からは絵具の臭いが漂ってくる。

 若く売れない芸術家という言葉を具現化したような青年だった。

 

「アセリアちゃん! どうみても金を持ってない客が来たぞ!!」

 

「……ん。こういう時は、体で払ってもらうといいか?」

 

「こんな冴えない男に言ってどうすんじゃ!」

 

 そんな漫才を見向きもせず、みすぼらしい男はアセリアの絵を見て、興奮したように目を輝かせた。

 

「これ、貴女が描いたんですか?」

 

「ん」

 

 男の質問に、アセリアが頷く。すると男は感心したようだった。

 そんなに良い絵があったのかと横島も見てみるが、何のへんてつもない青空の水彩画だ。本当に、ただの青空である。

 

「この空の絵の何が良いんだ?」

 

「いや、私ら芸術家って、創作物に何かの意思を乗せるんですよ。写生するにしたって、今見ているのをそのまま写し出そうって考えてやるもんです。

 だけど、この絵にはそういうのが無い。ただ、空。純粋で透明な空。何の我欲も感じ取れない。テーマも感じられない。それでいて、ただの写生とも違う。一体何を考えながら、この絵を書き上げたのか」

 

「どうせアセリアちゃんの事だから、何も考えずに描いたんだろ」

 

 悪戯っぽく横島が笑って言う。

 良い意味で言えば素直で、悪く言えば頭空っぽ。

 そんなアセリアが高尚なテーマを決めて描くなどありえないと、横島は決めてかかっていた。

 

「そんなことない。この絵は空だなあって……思って書いた」

 

 不思議な自信を漲らせながらアセリアは答える。

 空を見ながら、空だと思って、空の絵を描いて、空だと思う。

 あまりの純粋さに、横島はもう馬鹿にするのではなく、生暖かい気持ちでアセリアを見ていた。

 

「いや、すごいですよアセリアさん! 空を空と想って描く。ただそれだけの、まさに無心の境地。いえ、これは空の境地とでも言うのでしょうか!!」

 

 しかし芸術家の青年は怒涛の勢いでアセリアを褒め称えた。

 アセリアは何を褒められたのか分からずきょとんとしたが、とにかく認められたことが分かると横島に向かって得意そうに胸を張った。

 

「どうだ、ヨコシマ。私の絵は良いらしい」

 

「ふ~ん、頭が空っぽのほうが良い絵が描けるのか」

 

「……『存在』がヨコシマは敵だといっている」

 

「嘘つくな! 『存在』はそんな事言わないぞ!」

 

 相も変わらず横島はアセリアに程度の低いちょっかいを出して、アセリアもやり返す。悪友のような関係と言えた。

 そんな横島とアセリアの漫才に惹かれたか、それとも青年のべた褒めに惹かれたか、遠巻きに見守っていたギャラリーが集まってくる。

 

「この首飾りはなんだ」

「この藁で出来た人形みたいなのは何?」

「スピリットの作った品か……後で値が上がるかもな」

 

 人間達の質問にアセリアは相変わらずぶっきぼうにしか答えないが、しかしどんな問いにもまっすぐ答えた。

 笑顔をまるで浮かべないので客商売としては最悪だが、不思議と無愛想には感じず、真摯に対応していると分かるのがアセリアの魅力だ。

 横島は頷く。

 これなら問題ないだろう。こちらにも保険はある。

 集まってきた客の男にちらと視線を交わしあうと、横島はその場を離れた。

 

「第一詰め所は別にいいな。まずは第二詰め所だ……ぐふふ」

 

 次に横島はネリーを探した。

 ネリーの仕事は手紙の配達だ。

 

 神剣の力を使えば圧倒的な速度で仕事が終わるだろうが、レスティーナとも話し合ったが、神剣の力は抜きという事になった。

 これはまあ、仕方がない。神剣の力で走り回って人にぶつかれば、人は木っ端みじんになるだろう。それに異端の力で人よりも多くの事が出来るとなったら、妬みや僻みを買ってしまう。

 ただそれがなくても、横島はネリーが心配で不安だった。

 

 他の皆には出来るだけ人との接触を抑えたり、スピリットに優しい人が多い地区や場所に仕事を振り分けたが、ネリーだけはあちこちに走り回る為に、どうしてもスピリットに風当たりがある場所にも行かなければならなかった。

 彼の隊員に見守ってもらおうかとも横島は考えたのだが、健脚のスピリット相手に尾行は難しい。

 空を走りながら、ネリーを思われる神剣反応を探して向かう。

 

 不安は、当たった。

 ネリーの髪が妙に汚れている。泥か何かでも投げつけられたのだろう。

 表情をしかめながら、横島はネリーの元へ空から駆け下りる。ネリーの表情がぱっと輝いた。

 

「よっ、頑張ってるみたいだな……悪い。もっといい人がいる所で仕事させられたら良かったんだけど」

 

 ネリーの頭に付いている汚れを払いながら言う。

 

「いいのいいの! 嫌だけど痛くないし、それに前に比べればすごく減ったんだよ」

 

 気にしなくて良いと朗らかに笑うネリーだが、それが逆に横島の心をかき乱す。

 そんな横島の心を察したネリーは、ただ笑うだけじゃなく、慈愛を湛えた笑みを浮かべた。

 

「目立たないように意地悪してくる人はいっぱいはいるよ。だけど、親切な人も沢山いて、どんどん増えてる! だから、ネリーは怖い人の所に行って、沢山笑って、もっともっと頑張って、スピリットに優しい人をもっと増やすの。そうしたら、シアー達も喜ぶし、もっともっと皆が喜ぶよ!!」

 

 悪意を受けても歪まない健気で優しい心の光。より良い未来を目指す強い意志。それがネリーにはある。

 本当に優しく良い子だ。

 横島はネリーの頭でも撫でようかと手を伸ばす。

 

「それに、苛められた事を優しい人に笑顔で話すと、お菓子とかオマケしてくれてこっそり食べたりできるしね! それはネリーだけのものだよ!」

 

 ふてぶてしい笑顔をネリーは浮かべた。これで色々と計算しているらしい。

 訂正だ。健気というよりも、強かで逞しい。悪意すらも利用している。ただ無垢な子供ではない。

 これだから横島はネリーに少し厳しい仕事を割り振るのを許可したのだ。

 

 頭でも撫でようとしていた手がピタリと止まっていた。

 こんな子供にするように頭を撫でるというのは、今のネリーにはふさわしくない。

 少し考えて、邪笑を浮かべる。

 

「よし、頑張れよ!」

 

 応援しながら、小ぶりな尻をパンと叩いてやる。

 

「うひゃん!」

 

 ネリーが飛び跳ねる。尻を軽く叩かれたことに驚いたようだった。

 どうもいつものボディーランゲージと種類が違うと気づいて、何だか分からない気持ちがネリーの胸に競りあがってくる。

 

「ヨコシマ様のえっちー!」

 

 ネリーは赤面して「きゃ~」と楽しそうな悲鳴をあげながら、道を駆けていった。

 

「うむ、尻を触られてこの反応。これこそ清く正しい女の子だ。お前もそう思うだろ?」

 

『横島よ、それはロリコンの第一歩ではないか?」

 

「違うっーの。ただあまり子ども扱いしたくなかっただけだ」

 

『子供じゃない相手は尻を叩くのか』

 

 そんな会話をしながら、ネリーの場合はどうするかと考えてみる。

 

「ネリーは……そうだな。沢山の人と、とにかく楽しくか!」

 

 また数日かけて色々と町を回る。

 

 ウルカとヘリオンは血気盛んな男子達に棒を使っての剣術や防衛術を教えたりする。最高レベルの技を教えてくれるとだけあって、中々の盛況具合だ。

 人間が戦争などで武力を発揮する場など無いにも関わらず、剣術というものが人間達の間には広がっている。代々受け継がれてきた道場も珍しくない。

 それも、精神鍛錬という意味合いではなく、実践向けでだ。

 このあたりも横島には歪に感じられる。色々と可笑しい。人間は戦わないのに、しかし戦う術が伝えられている。

 一番の歪は、それを疑問に思わない事であるが。

 

 ハリオンとヒミカは町のお菓子屋で手伝いをやっている。

 元々、菓子作りが趣味であるだけあり、たった数日で仕事を任され始めているらしい。ただ、その地区はまだ人間がスピリットに好意的ではなかった。

 顔を出すのは危険という事で裏の厨房から出ることは出来ず、人が菓子を美味しく食べている姿が好きなハリオンは残念そうだった。

 

 オープンカフェテラスではエスペリアとオルファが走り回っていた。

 二人共特製のメイド服をはためかせながら、笑顔でお客に対応している。二人とも愛想が良くて家事万能だから、十分戦力になっているだろう。人間達にも好評だ。

 ここは特にスピリットに優しく寛容な地区だけある。レスティーナの努力もあるのだろう。何故なら、この地区はヨフアルの激戦区でもある。

 女王の権力をいかんなくレスティーナは発揮しているようだ。

 

 だがそれでも、中にはオルファを見ただけで食事もせずに退出する客がいる。

 腹立たしくはあるが、横島は我慢して、その若い男を目で追う。

 すると、その男を追う影があった。

 

 ああいったスピリット嫌いの人間は、色々と調査される。

 生い立ち、経歴、能力等。どうしてスピリット嫌いになったのか、その原因を掴むためだ。

 

 これがドラマや物語なら、人種差別をするような輩は大抵が無能だったり嫌われていたりするだろう。

 しかし、この世界においては、むしろ有能で人の上に立つ資質を持っているほうが、スピリットを嫌うことが多い。

 あくまでも多いだけで絶対にそうと決まったわけではないが、それでもその割合は異常だと、調査が進むたびに分かり始めている。

 どうして優秀な人物ほどスピリットを嫌うのかは、まだ分かっていない。血筋や教育等でスピリットを嫌うのは大いにあるだろうが、それだけではないはずだ。

 なにかが、そこにある。

 

 その『なにか』に彼らは狙われているのだ。

 

 社会的強者や能力が優れ、周りに影響を与える人物を狙うのが一番効率が良い。

 尊敬する人や上司がスピリットを嫌うのなら、それに同調する。それが人間と言うものだ。

 だがそれが意味するものは『なにか』は決して全能ではない、力に限りがある存在だと言うこと。

 そうでなければ、人間全てが問答無用でスピリット嫌いになっているはずだ。

 

 ここまで考えて、横島は自分が物凄く面倒くさい事をしているような気分になった。

 目の前に答えがあるのに、自分からそれに目をそらしているような感覚がある。何度も味わう感覚だった。

 

「なんつーか、こんな面倒なこと考えなくてもいい気がするんだけどなあ……お前はどう思う?」

 

『さてな』

 

 居心地悪そうに、『天秤』が言った。

 

 

 肩車の罠!

 

 

 昼も過ぎた頃、ラキオスの商店街を二人の男が並んで歩いていた。

 悠人と横島だ。

 

 偶にはエスペリアの助けになろうと買い物に出た悠人だったが、町人達からは相変わらず尊敬と畏怖の視線にさらされていた。

 伝説の勇者。四神剣を扱うもの。美丈夫な悠人は女性から人気があったが、声を掛けようというものはなく遠巻きに見られるだけだった。

 そんな女性たちを狙って、横島が突撃し、悠人が突っ込む。以前と同じく光景。

 

 そんな二人の間に、青い影が滑り込んできた。

 

「へへー両手に花って奴だね!」

 

 両の手で横島と悠人の手を握り、ブンブン振り回しながらネリーは快活に笑う。

 意味を分かって言っているのかそうでないのか、微妙に判断に迷うところだ。

 すると、今度は横島の空いた手のほうへ、何かがピトッと寄り添う。シアーだ。

 

「えへへ~」

 

 手を強く握りブンブンと振り回しているネリーと違って、シアーはキュッと腕を組んで胸を軽く当ててくる。そして僅かに頭を預けてきた。男心を擽る行動をシアーは自然に取ってくる。

 姉と妹。一体どうしてここまでの差が生まれたのか。

 今後、人間とスピリットの間がどうなるか分からないが、間違いなく男性に人気が出るのはシアーだろう。

 

 今度は悠人の方に青い影が近づく。アセリアだ。

 アセリアは買い物袋で塞がっている悠人の左手と、ネリーに振り回されている右手を交互に見つめる。

 そして、小さく呟いた。

 

「ユートは、空気が読めない」

 

「んなっ!」

 

 どこが空気を読めないんだよ! と思い切り聞きたくなった悠人だが、しかし不用意に聞くと泥沼にはまりそうなので、何とか言葉を飲み込む。

 アセリアは後は何も言わずに、悠人の横をとことこと歩き出す。

 相変わらず、何を考えているが分からないが、何だか怒っているような気配だけは悠人も感じ取ることが出来た。

 

 何だか皆集まってくるな。

 そんな事を悠人が考えていると、

 

「とーう!」

 

 幼くも元気な声が響いて、バサリと赤い布地が悠人の頭に覆いかぶさってきた。

 同時に肩に何かが乗ってきて、頬には暖かく柔らかいものが触れる。

 

「わー高い高い!」

「オルファか! まったく危ないぞ!」

 

 肩車の形になるが、今の悠人は手を使えないのでオルファの体勢は酷く不安定だ。

 そこでオルファは太ももで強く悠人を挟んでバランスを取ろうとする。

 

「へーきへーき! お~ネリーが小さいね」

 

「む、ヨコシマ様! ネリーも肩車したい!!」

 

「重いし危ないからダメだっつーの」

 

「あー! 女の子に重いは禁句だよ!!」

 

「お前はまったくそんなの気にしてないだろうが!」

 

 そんな風に楽しく会話していたのだが、突如、悠人は奇妙に表情をゆがめた。

 しかめっ面とも違う。珍妙に唇を突き出して、眉が毛虫のようにぐにゃぐにゃ動く。

 悠人は喉を震わせながら、オルファに話しかけた。

 

「あ……オルファ、そのな……パンツは」

 

「パンツ? パンツがどうかしたの?」

 

「いや……だからな」

 

「うん? よく分からないけど、オルファはパンツが嫌いだよ!」

 

 パンツが嫌いだと笑うオルファ。

 彼女はモブキャラである第二詰め所の面々と違い、ヒロインらしく特注のエーテル戦闘服であるロングスカートをはいている。

 肩車をしているから、そのスカートは悠人のツンツン頭に覆いかぶさっていた。細く柔らかい生足が悠人の頬に強く密着している。

 悠人は目を瞬かせながら「ス、スージーが……」と謎の名前を呼んでいたが、オルファがさらに強く抱き着いて体を揺すり始めるとカッと目を見開いた。

 

「オルファ、降りろ」

 

「え~なんでー!」

 

「いいから降りろ!」

 

 首を振ってオルファを振り落とそうとする悠人だが、オルファは降りてたまるものかと力いっぱい悠人に抱き着いた。

 それに気づいた悠人はさらに慌てたようにオルファを引っぺがそうと首を強く振って、当然あちこちが強く擦れる。

 

「あ、う、ひゃあ! や、こすれて……ひっぱられてるよぉ! パパァ~! やめて~!」

 

 顔を真っ赤にしてオルファが悲鳴を上げた。

 慌てて悠人も首を動かすのをやめる。

 はあっ、はあっ、と荒い息遣いのオルファに、悠人は全力の変顔をしていると、いきなりネリーに腕を引っ張られた。

 

 正確に言えば、横島がネリーを引っ張って、手を放さなかったネリーが悠人を引っ張ったのだ。

 一体なんだと悠人が横島を見ると、割と凄い形相で横島は悠人を睨みつける。

 

「早くネリーの手を離しやがれ! 肩車してガキのパンツに興奮するような変態に、ネリーを近づけられるかっつーの!」

 

「誰が変態だ! 俺はパンツに興奮したんじゃ……じゃなくてそもそもパンツじゃなくても興奮してねえよ!!」 

 

「ええい! そんだけ慌ててるくせに信用できるか!! ネリー、こいつマジで危ないから早く手を離せ!!」

 

 横島がぐっとネリーの手を引っ張る。

 必死な横島の様子に、ネリーも悠人を手を放そうとする。

 

「ネリー! 別に離さなくていいからな!!」

 

 離れようとしたネリーの手を、悠人は強く握って引っ張った。

 

「おおー! ネリーってモテモテ!! 流石はクールなスピリッドオオゥゥ!!」

 

 両側から引っ張られて、ネリーの足がぷら~んと地面から浮いた。

 

「いだだだだ! ネリーが裂ける裂けるーー!! 」

「ん、力だけならユートもヨコシマに負けない」

「ヨコシマ様ーがんばれ~」

「パパぁ、何かビリビリするから動かないでー!」

「いや、ほんとに助けてほしーんだけどおおおーー! ぬああー手が抜けるーーーー!!」

 

 道の往来で、大の男が少女を引っ張り合う。

 恐ろしく迷惑だが、周りの人間たちは面白がってその騒動を観戦していた。

 だが、その騒ぎを蒼白の表情で見つめる小さい少女が一人いた。

 

「あ、ああ!? ヨコシマ様もユート様もネリーを取り合ってる!!」

 

 ヘリオンの目には二人がネリーを取り合っているようにしか見えなかった。

 このまま手をこまねいていたらヒロインレースから脱落してしまうかもしれない。

 ここは一つ攻勢に出るべきだろう。目標は、唯一空いている横島の頭だ。

 

「私はちっちゃいですけど、いえだから速さでは負けられないんです!」

 

 人気投票で一番になった原動力である台詞を言いながら、ヘリオンは疾風となって駆けた。

 目標に近づくと、勢いよくジャンプするが、空中でバランスを崩してしまう。

 必死に空中で大勢を立て直して、横島の後頭部を掴み、足をかけようとして。

 

 ゴン!!

 

 後頭部にひざ。

 格闘技は多々あれど、後頭部への攻撃と、ひざの使用を禁止した競技は多い。

 その二つを組みあせた極悪非道なヘリオンであった。

 流石の横島でも、唐突な残虐攻撃にギャグ化する暇がなく昏倒してしまう。

 

「殺したー! ヘリオンがやったーー!!」

 

「ん、良い一撃だ」

 

「ひ~ん! 違うんですヨコシマ様~! 死んじゃ嫌ですーー!!」

 

「あふぅ、パパァ。何だかお腹が熱いよぅ」

 

「くっ! このバカ剣め!! そんな干渉に俺が負けるかよ!!」

 

『……何を一人芝居している、契約者』

 

 そんな、いつもの一日だった。

 

 

 悠人と第三詰め所の関係。

 

 

 それは第一、第二、第三詰め所で合同訓練をしている時だった。 

 第三詰所のスピリット達が横島の周囲にまとわり着いて遊んでいた。

 わき腹をくすぐったり、抱き着いたり、すね毛を抜こうとしたりと好き放題している。

 

「わはは、くすぐったいぞ! ぬお、柔らっこい……痛で! 何を抜いてんだ! こらこら」

 

 年長者のように横島がやんわりと言うと少し離れるが、またすぐに絡まってくる。

 スピリット達は横島と一緒にいられて楽しくて仕方が無い様子だ。

 横島も美女の集団に囲まれて嬉しそうに見えるが、その笑みは苦笑であり困っていた。

 

「もう、姉さん達! いい加減に真面目にやって!!」

 

「は~い、隊長! 分かりましたー」

 

 今度はルルーが強く叱責する。

 だが、それも効果が薄い。ルルーは肩書きは隊長であるものの、年下という事もあり甘く見られがちだ。

 好かれてはいるが、しかし畏怖や尊敬を薄かった。

 少しすると、またスピリット達が横島に絡みつき始める。

 

 精神を集中して『赤光』から力を引き出すトレーニングをしていたヒミカは、聞こえてくる甘ったるい声に、とうとう耐え切れなくなった。

 

「ヨコシマ様! もっとしっかり怒ってください! ルルーもしっかり監督しなさい!」

 

 上下関係を重んじるヒミカは、隊長を叱りつけるというのはしたくはなかった。

 だが、それでも物には限度があるのだ。しかし、それを目ざとく見つける者もいる。

 

「あ、ルルー隊長を呼び捨てにしてるし。いけないんだ~いけないんだ~」

 

 第三詰所のスピリットの一人が、ヒミカをからかうように言ってケラケラ笑う。

 これにはヒミカだけでなく、他のスピリット達も腹が立った。

 

 見た目が子供ならまだ仕方ないと思えるかもしれないが、第三詰所のスピリット達は殆ど同年代か年上のため、もうぶりっ子にしか見えない。

 同種であり同性のセリア達にしてみれば、こうも精神的に幼い事情は知っていても、もう馬鹿にされているようにしか感じられなかった。

 第二詰所と第三詰所がにらみ合う。横島とルルーが割ってはいるが、一体どちらの味方なのだ、と双方から睨まれてどうしようもなかった。

 

 そこで、

 

「横島、ルルー、こい」

 

 悠人が、二人を呼ぶ。

 何だか怪しげな雰囲気だな、と皆が思い始めていたが、どうせちょっと注意して終わりだろう。

 誰もがそう思っていたときだった。

 

「お前らが、しっかりしないからこうなったんだ!」

 

 怒鳴りつけながら、ルルーには平手を頬に、横島には腹に拳骨を打ち込む。

 甲高い音と、鈍く重い音が響いた。ルルーはたたらを踏み、横島はその場でうずくまる。

 

「いきなり、何をするんですか!」

 

 第三詰め所のスピリットが慌てて横島とルルーに駆け寄り、悠人を睨みつけながら言った。

 そんな彼女に、悠人は冷たい声で言い放つ。

 

「これは罰だ」

 

「ば……つ?」

 

「ああ、ルルーは隊長の役目が果たせないで、横島はルルーを推挙した責任がある」

 

 隊長として隊員を統率できないルルー。

 そのルルーを隊長に推した横島。

 仕事を果たせなかった罪を与えたと、悠人は言った。

 

「な、何で貴方がそんなことを!?」

 

「ラキオス全体の隊長は俺だぞ。横島とルルーは副隊長……俺の下だ。部下のミスを怒って何が悪い」

 

 悠人はふんぞり返って言ってのけた。

 第三詰め所のスピリット達は、大好きな隊長達を殴り倒した悠人を憎悪の目で睨む。

 睨まれてた悠人は、呆れたような目をしてまた拳を振り上げた。

 

 ――――殴るなら殴ってみろ。そんなの慣れているんだ!

 

 スピリット達は殴られる覚悟を決めた。

 だが、悠人の拳は、未だに腹を押さえて倒れる横島に向けられる。

 

「あ、やあ! やめて、止めてください! ごめんなさい! 真面目にしますから、やめて!!」

 

 二人を庇いながら、必死に頭を下げて謝りまくる。横島を人質にされたらどうしようもない。

 第三詰め所のスピリットは逆らう余地が無いことを自覚させられる事となった。

 そんな彼女達を小ばかにしたような目で悠人は見やり、そして溜息をついた。

 

「横島、ルルーは既定の倍訓練しろ。それと、後で反省文を提出してもらうから部屋に来い」

 

 言いたい放題言って、肩を怒らせて訓練部屋から出ていく。

 去る直前、ルルーが悠人に向かって感謝するように頭を下げたが、それを理解できたものはいなかった。

 悠人がいなくなって訓練場は水を打ったように静かになる。第三詰所のスピリット達が忌々しそうに呟いた。

 

「ヨコシマ様より、よわっちいくせに威張り散らして」

「あんな乱暴で怖い人が一番上なんて」

「卑怯者」

 

 第三詰所の悠人に対する好意は地に落ちた。

 権力を笠にして大好きな人達に乱暴し、そうして自分達を支配しようとする。まるで魔王のようだ。

 今まで感じたことがない怒りと、それ以上の恐怖が第三詰所にもたらされる。憎々しくても、逆らおうとはもう思えないほどだ。

 

「何を言っているの。貴女達が真面目に訓練しなかったからよ」

「そうだよ! ユート様って本当は凄く優しいんだから」

 

 悠人の事を良く知る第二詰所は、彼をかばった。

 流石に暴力を振るったのは褒められたことではないと思うが、それ以上に第三詰所を良く思っていなかったのが大きな要因だ。

 これだけ言われても仕方ないと、彼女達は感じていた。

 

「ヨコシマ様の部下なのに、あんな人を庇うなんて」

「うう~私達のほうがヨコシマ様が好きなのに」

 

 第三詰所のスピリット達は視線をそらしながらも、まだブツブツと文句を言った。

 自分達が悪かったのは、彼女達も分かっている。それでも、心がモヤモヤしてどうしようもなかった。

 それは、感情を制御できない小児の姿でしかない。彼女達はようやく戻り始めた感情に振り回されているのだ。

 また、第二詰所と第三詰所の間でにらみ合いが発生する。

 そこに隊長達が割って入った。

 

「ま、気にすんな。あいつに殴られるよりもセクハラでのお仕置きのほうが痛いしな」

 

「ほら、さっさと訓練しよ。のんびりしてたらご飯作るのが遅れちゃうし」

 

 殴られた当人である横島とルルーはさっぱりした様子だった。そこには悠人への害意などは無いように見える。

 

「でも」

 

「ここでまた騒ぎが起こったら、またあいつに殴られちまう! な、俺を助けると思って」

 

 そう横島が言うと、第三詰め所のスピリット達は慌てて神剣を振り出す。

 ようやく、真面目な特訓が再開するのであった。

 

 一方そのころ。

 エスペリアは立ち去った悠人を追いかけていた。

 小走りで追いかけると、すぐに訓練所の廊下でたたずむ悠人を発見する。

 

「ユート様、お待ちください!」

 

「ああ、エスペリア。どうした?」

 

「先ほどの件ですが……」

 

 悠人が間違ったことを言ったとはエスペリアは思わない。

 神剣を使う訓練は、一歩間違えば命の危険もある。だから心を引き締めて真面目にトレーニングをしなければいけないのだ。

 先ほどの第三詰所の態度はひどかった。あれを注意しないわけにはいかないのは当然だ。

 それでも、あそこまで苛烈な言葉と拳振り上げたことは悠人に似合わしくない。正直、別人かと思ったほどだ。

 何か、よほど腹立つことでもあったのだろうか。もし八つ当たり気味に横島やルルーに当たったとしたら、これはいけないことだ。

 どう言おうかとエスペリアが言葉を探していると、悠人の方からエスペリアに声を掛けた。

 

「なあ、エスペリア。さっきの俺、怖い隊長でいられたかな?」

 

 先ほどの鬼隊長振りが嘘のような、不安に満ちた声だった。

 

「え?」

 

「横島からも報告が上がっているんだけど、心を取り戻し始めた第三詰め所のスピリットは、物凄く幼いらしくてな。正直、きちんと命令を聞くかどうかすら怪しいらしい。

 

 命かける戦場に、命令を聞くか怪しい子供がいる。その子供を指揮して戦場に向わねばならない。

 スピリットは確かに命令には絶対服従だが、それでも命令を曲解して行動も出来る。指揮するほうにとって、これは堪らない恐怖とストレスだ。

 

 しかも、心が戻ってきても精神力が強化されたわけではないから、戦闘能力そのものも下がっているという。

 心が戻ってきて、殆どの面で弱くなっているのだ。だからこそ、何があっても命令は聞いてもらわねばならない。たとえ、命令を聞かねば横島を傷つけるという脅しをかけてもである。

 仲間の命が掛かっているのだ。多少、恨まれようが憎まれようが、手を選んでなどいられない。その程度で死傷者が出ないのなら喜んで悠人は嫌われ役をやるだろう。

 そこで、エスペリアにも合点がいった、

 

「つまり、さっきのは演技ですか? ヨコシマ様とルルーで打ち合わせをしていたと」

 

「いや、打ち合わせはしてないぞ。ただどうにかしないと三人で考えてたところでアレだったからな……咄嗟の思いつきでやってみたんだ。

 自分達(第三詰め所)が不真面目だと横島やルルーが叩かれるってなれば、ふざけることはないだろうってな。

 横島も俺に合わせてくれたみたいだ。そうじゃなきゃ、俺の拳はあいつに当たらないし。ルルーも理解してくれたみたいだぞ」

 

 第三詰所の為に、悠人は怖い鬼隊長となったのだ。

 それが分かってエスペリアは納得したが、同時に納得いかなかった。

 

「どうしてユート様がそんな役目を」

 

「怖い隊長は必要だからな。俺が鞭役で、横島が飴役になったっていうだけの話しさ」

 

「何もユート様じゃなくてもいいじゃないですか! ルルーがやっても良いし、ヨコシマ様でも……ユート様は本当に頑張っているのにどうしてあんな目で!」

 

「ルルーは隊長というよりも代表って感じだし、横島は絶対の味方じゃないといけないんだ」

 

 間違った方向に行かないように叱る者が必要なのは当然だが、同時に子供には絶対の味方が必要だ。

 

「俺は横島みたくはなれないしな。

 あいつ、第三詰所のメンバー全員のスリーサイズから好みまで把握してるんだぞ。俺は顔と名前を一致させるので精いっぱいだ。俺が飴役にはなれないさ」

 

 横島は本当に女好きだ。だからこそ、そこまで執着できる。そして、あれで倫理観もある。

 絶対の味方として横島が、そして逆らえない絶対者として悠人が。

 それが彼女らの生存と成長を守る最良の方法だと隊長達は判断したのだ。

 エスペリアは沈黙した。全てを納得したわけではないが、それでも仲間のため、国のためという判断があってやったことなのだ。

 だがそれでも、エスペリアの心は晴れない。

 

「私は、ユート様がもっと多くの人に認めて貰いたいと思うのです」

 

 これがエスペリアの心の底だった。尊敬する人が、もっと愛されて、認められてほしいのだ。

 肩を落としてしょんぼりするエスペリアの姿に、悠人は胸が熱くなるのを感じた。

 意を決して一歩踏み込み、彼女の肩に手を置く。

 

「そんなに沢山の人に認められなくても別にいいんだ。身近な……その、エスペリアに分かってもらえれば十分だから」

 

 顔を赤くして、恥ずかしそうに頬をかきながら見つめてくる悠人に、エスペリアは胸の高鳴りを必死に抑えた。 

 

「そんな……私なんかが」

 

「エスペリアだからいいんだ」

 

「ユート様」

 

「エスペリア」

 

 互いに、至近距離で見つめあう。 

 そのまま、二人の顔が少しずつ近づいて――――

 

「ちゅ~するの! ぶちゅ~って!?」

「ん、オルファ、声大きい」

「はてさて、キスだけ済むでしょうか。この通路を通行禁止にしたほうが」

 

 ひそひそと聞こえてくる三種の声。

 慌てて振り向くと、そこにはアセリア、オルファ、ウルカがこっそりと悠人達を見つめていた。

 

「あ、貴女たち! 盗み見なんて!?」

 

「ふむ、何か見られてはいけないような事をするつもりだったのですか」

 

 にやにやしながらウルカが言って、エスペリアが真っ赤になって一歩下がる。

 そこを見逃さず、三人は悠人に向き直った。

 

「ユート、私もユートの事は分かってる」

「そうだよパパ! エスペリアお姉ちゃんだけでいいなんて寂しいよ!」

「手前たちが分かっていないと思われるのは心外です」

 

 三人の熱い気持ちが悠人に伝わる。

 

「みんな、ありがとな」

 

 さわやかに笑う悠人に、アセリア達も晴れやかに笑う。

 第一詰め所の友情は、横島達第二詰め所に比べても勝るとも劣らなかった。

 

 良い所で邪魔されたエスペリアは、床をペシペシと蹴ってふて腐れた。

 

 

 ホラー大会

 

 

 その日は、もう終わろうとしていた。

 夕食を終え、風呂にも入り、夜間任務も無く、後はただ眠るだけ。

 

「ねえねえ、ヨコシマ様。何かを面白い話してー!」

「話して~」

「ええい、暑いからまとわりつくなお前ら!」

 

 特にやることが無くなったネリーとシアーは横島に話をねだっていた。

 少し離れたところには、ヘリオンとニムが絡まるわけはないが聞き耳を立てていて、もう少し離れて大人達がその様子を微笑ましそうに見ている。

 

 横島は子供達を面倒そうにあしらっていたが、結局何だかんだで子供達に付き合うことになるのが横島だ。

 結局なにか話をすることになって、青の姉妹は歓声を上げて、ヘリオンとニムもなんだかんだと横島の周りに集まる。

 他の大人達も、椅子に腰かけて横島の話を待っていた。

 

 だが、この横島という男。ただ優しく遊び上手だけというわけではない。

 色々と悪戯や爆弾を投げ込むのも、また得意だった。

 

「これはハイペリアに伝わる、ある男の話だ。

 もう夜遅く、ひゅーひゅーと妙に風がうるさい日だった。まるで誰かがガラスを叩いているように窓が揺れて、男はどうにもいや~な気配を感じてな。

 もうさっさと寝ちまおうと布団に包まったんだ」

 

 ゴクリ、と誰かがつばを飲み込んだ。この話が何か良からぬものだとうっすら気づいたらしい。

 子供達は何も言わずに横島の話を聞き込んでいる。大人達も茶を飲むのを止めていた。

 

「布団に包まっていたのに、気づくと男は赤い部屋にいた。いつの間にか眠ってしまって、夢を見ているらしい。

 目の前には七つの扉があった。その扉の右から三番目に入る。いいか、右から三番目、右から三番目だぞ」

 

 横島が何度も念押しして、ネリーは真面目な顔でコクコクと頷く。

 それから先も、いくつもの窓が現れたり、はしごや穴が現れた。それを潜り抜けていく男。横島はその順番を何度も念押しさせる。

 

「―――――そして最後に赤色の扉に入る。いいか、赤色だぞ。間違えんなよ。そして男は夢から目が覚めたとさ。めでたしめでたし」

 

 横島の話が終わる。スピリット達は意味不明な話に困惑した。

 ただ、意味不明だが妙に嫌な予感を感じさせて、横島に事情を聞こうとする、その時だった。

 

「じゃじゃじゃじゃ~ん! じゃ~じゃ~じゃ~じゃ~~~~ん!! はい、残念でしたーー!!」

 

 いきなり不気味な大声を横島が上げて、聞き入っていた皆がビクリと反応する。

 呆気に取られたスピリット達を見て、横島はニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「ふっふっふっ。実は今の話はハイぺリアの怪談でな。この話を聞いてしまうと、三日以内に同じ夢を見る可能性があるのだ! そしてもし、同じように行動できなくて脱出できないと……」

 

「で、できないと?」

 

「お化けに取り込まれて、一生眠ったままなのだ~! いや~みんな残念だったな。夢で頑張ってくれよ!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら横島が言う。

 言われたことを理解すると、子供達は当然悲鳴をあげた。

 

「ヨコシマ様の馬鹿ー!! バカバカバカバカーー!!!! なんて話するのーーーー!!!!」

 

「怖いの~!」

 

 子供達が悲鳴を上げながら横島に飛び掛かる。

 取っ組み合いのプロレスが起こるが、それを笑いながらいなして横島は逃げ出す。

 大人達は冗談だと言いあった。それも、何度もだ。顔色は悪かった。

 

 唯一、ヘリオンだけが

 

「うわーハイぺリアの怪談ってこういうんですねー! わわわどうしよどうしよーー!!」

 

 と、妙に怖がりながらもハイテンションで盛り上がっていた。

 

 その日は、そうやって過ぎていった。

 

 二日目。

 

 この日も、いつもの訓練場で訓練が始まる。

 少し様子が違うのは、子供達は唸りながら横島を睨んでいることだ。さらに数人ほど体が重そうである。

 それらの様子に横島は首をひねったが理由を聞かせてもらえず、『あの日』だろうと勝手に推察して触れないようした。

 昨日の怪談の件など頭にすらない。彼にとって、あれは軽い冗談にしか過ぎなかったのだ。

 いつもの訓練が一段落ついて、セリアは横島が周囲にいないのを確認すると、休憩中の悠人に昨日の怪談話を聞かせた。

 

「こんな怪談を聞かせられたんですよ。本当にこんな下らない怪談を……ユート様もそう思いませんか?」

 

 セリアが面白くもなさそうに悠人に問いかける。

 その言葉には確認の意図が含まれていた。

 ――――あんなの嘘ですよね?

 実は密かに怖がっていたセリアは、悠人に確認をとって枕を高くして眠りたかった。周りのスピリット達も、密かに悠人の答えに耳を澄ませている。

 鈍い悠人も珍しく意図を察することができた。第二詰所を安心させるべく、笑みを浮かべて答える。

 

「そうだな。俺達の世界ではいくらでもある、よくある話しさ」

 

 悠人は言い方を間違えた。

 どこにでもある怪談だから大丈夫だと元気づけたのだが、セリア達からすれば「そんな話ありえない」と言って欲しかったのだ。

 よくある話ということは、ハイペリア(天国)では、今の呪いの夢は普通にあることなのだろうか。

 そんな恐れをセリア達に与えるだけとなってしまった。さらに悪いのが答えたのが真面目な悠人だという事。

 下手な冗談や嘘を言わないと信頼されているから、怪談の信憑性が一気に高まってしまった。

 

「それじゃ、今日の訓練はこれで終わりだ。また明日な」

 

 去っていく悠人。

 

「……うそ」

 

 セリアは白い肌を青白くして立ち尽くしていた。

 他のスピリット達も一様に顔色が悪い。訓練で火照っていた体が一気に冷たくなったようだ。

 

「わわわ! 本当なんだあの話!! きゃーどうしよう~~!!」

 

 ヘリオンだけは怪談の信憑性が上がった為か大盛り上がりだ。怖がっているが、しかし面白がってもいる。

 幾人かがヘリオンを睨んだが、テンションが上がった彼女は気づかない。

 また、普段はよくからかわれているヘリオンが怖がらないから、他の皆は怖がりづらかった。

 その夜は、多くの部屋で寝返りを打つ音が響き渡った。

 

 三日目。

 今日もいつもの訓練が始まるが、昨日とはまた様子が違っていた。

 第二詰め所のスピリット達の動きがさらに鈍くなっている。

 何時もと変わらないのはハリオンとヘリオンとシアー。それ以外がどこか体を重そうに剣を振っていた。

 気だるそうに神剣を振るうセリア達に、エスペリアが首を捻る。

 

「シアーが強いというか、何か皆の動きが良くないというか」

 

「神剣に神経が通ってません。集中を欠いた動きです」

 

「それに随分と不機嫌そうだな」 

 

 そして、最後の夜が来る。

 もう限界だと、ネリーは自室で感じていた。この二日、怖くてろくに睡眠を取れていない。

 だが、体は睡眠を欲している。せめて何とか恐怖を紛らわしたい。

 ネリーは眠いのを我慢してベッドにも入らず、じっとドアを見つめていた。

 妹が来てくれるのを期待したのだ。怖がりな所がある妹なら、きっと姉を頼ってくるはずだ。

 

 二人で寝れば、きっと大丈夫。お化けもこないに違いない。

 だというのにシアーはこなかった。姉として、お化けを怖がって妹の部屋に行くというのはプライドに関わる。

 だが、眠気とお化けの恐怖が、姉の尊厳を上回った。とうとう、ネリーはシアーの部屋に行くことにした。

 

「シアー、まだ起きてる。今日は一緒に寝ない?」

 

 声をかけたが、何の返事もない。

 もう寝たのかと思ったが、そもそも部屋に人の気配がない。

 不安を覚えて扉を開けると、そこに、シアーの姿は無かった。

 

「シアーーーー!!」

 

 絶叫が詰所中に響き渡る。

 

「おいどうした!」

 

 尋常ならざるネリーの悲鳴に、『天秤』を持った寝巻き姿の横島がやってきた。

 ネリーは恐怖と混乱から横島に涙を流しながら抱きつく。

 

「ヨコシマ様! シアーが、シアーがいないの! どうしよう、お化けに食べられちゃっ……たん……じゃ?」

 

 つー、とネリーの視線が横島の左手に移動する。

 彼の左手には、寝ぼけ眼のボブカット少女がピタッと張り付いていた。

 

「ヨコシマ様……どうしてシアーいるの?」

 

「ああ、昨日からお化けを怖がって一人で寝るのが嫌だからって、部屋に来たんだけど」

 

「ん~ネリー? ど~したの~?」

 

 シアーは横島に抱きつきながら、幸せそうにそんな事を言う。

 眠気と恐怖で色々と限界を感じていたネリーは、その瞬間何かが切れた。

 

「ず、ずるいずるいずるいーー! シアーのずるっこ!!」

 

「えーずるいなにが~?」

 

「ずるだよ! ずるずるずるずるずるずるずるずる!!」

 

 叫びながら、ネリーはまずシアーを睨んだ。

 一人で横島の部屋に言って、一緒に楽しく寝る。羨ましい以外の言葉など出てこない。

 言い方としては生々しいが、妹に男を取られたように感じていた。

 

 次に横島を睨む。

 本当だったら、妹に頼られるのは姉である自分だったはずなのだ。自分は頼りになるクールなお姉ちゃんだったはず。

 その役割を取られてしまった。姉として、それが悔しく悲しい。こちらは男に妹を取られた感じた。

 

 最後には二人を睨んで、

 

「何でネリーを仲間外れにするの! ネリーの事、嫌いなの!? 酷い酷い!!」

 

 涙を流しながら怒った。

 凄まじい癇癪だ。当然、騒ぎを聞きつけて他のスピリット達も集まってくる。

 横島とシアーが一緒に寝ていたというのが知れると、皆の目が険しくなり横島を打ちつけた。

 これはあかんと、しどろもどろになりながらも横島は弁解しようとしたが、そこにまた別な叱責が入る。

 

「ヨコシマ様、貴方が子供相手には不埒なまねをしない事は知っています。ですが! そういう問題ではありません!! 年頃の男女が寝床を共にするなど、あってはいけないことです!

 シアーも、いい加減に甘えはやめなさい。もう子供と呼べる年じゃなくなってきてるでしょ!! 胸だってヒミカ程度だけど一応あるのよ!!」

 

 セリアが吠えた。ヒミカは泣いた。

 横島もシアーも色々と反論したかったが、寝不足なのか目元にうっすらとくまが出来て不機嫌なセリアに対抗するなんて怖くてとても出来ない。

 それに、周りにいるスピリット達も妙に厳しい目を二人に向けていた。孤立無援である

 ちなみに、ヘリオンだけはいない。

 

「まあまあ、セリアさん~いくら羨ましくても嫉妬は見苦しいですよ~?」

 

 ハリオンが仲裁に入る。不機嫌そうな皆の中で、ただ一人だけいつも以上に優しげな顔だ。

 嫉妬といわれてセリアの目が一層厳しさを増した。

 

「嫉妬なんてしてないわよ!」

 

「え~本当に羨ましくないんですか~?」

 

 再度問われて、セリアだけでなく、年長組みは思わず過去を思い出し言葉を詰まらせた。

 それはまだ幼い頃。一人ぼっちで夜を迎えていた時の事。

 女が泣いているような風の音。誰かが壁を叩いているような窓のゆれ。顔に見える天井のしみ。全てを飲み込むような闇。

 子供心にはどれもこれもが大変な恐怖だった。誰かに助けを求めたかった。しかし、親も居ないし優しい人など周りにいないから、誰かの名を呼ぶことすら出来はしない。

 慣れるまでは、ただひたすら恐怖に耐えるしかなかった。孤独が当たり前だった。

 しかし、今は戦争という辛い理由があるにしろ、一箇所に集められて皆で過ごせる。しかも、優しく楽しい隊長までいるのだ。

 もしも子供のときに横島がいてくれたら、どれだけ楽しかったことだろう。そう思ってしまう。羨ましくない、と言ったら嘘だろう。

 

 嫉妬に近い気持ちが生まれて、セリアだけではなく、ハリオンを除く年長組みからもジトーとした視線がシアーに向けられる。

 

「まさかそんなに俺と寝たかったのか! それならいくらでウェルカムだぞ!!」

 

 横島は未だにおちゃらけた雰囲気でふざけたことを言う。

 そこで、ナナルゥが一歩前に出た。

 彼女は横島の目の前にまで行き、ギュッとほっぺをつねる。突然の行動に横島は目を白黒させた。

 

「冗談だとは思いました。それでも……この二日、怖くて眠れませんでした。

 このまま目を閉じて寝たら、そうしたらもう本も読めず、草笛も吹けず、皆にも会えず、ヨコシマ様にも会えないかもしれない。怖いんです」

 

 いつものように淡々とした喋り。そこに含まれる恐怖。

 目元に隈が受き出てきているナナルゥに、横島も素直に反省した。

 想像以上に隊員達に恐怖とストレスを与えたらしい。ここまで来ると、単なる悪ふざけではきかないだろう。

 

「変な怪談して悪かった」

 

 赤くなったほっぺをさすりながら、頭を下げて謝る。

 どうやら真面目になってくれたと判断したセリアは、とにかく聞きたい事を確かめることにした。

 

「ともかく、この際だから聞きます。ヨコシマ様、先の怪談話は本当に大丈夫なんですか!?」

 

「本当に大丈夫だって! 良くある怪談だし。つか、あれは即興の作り話だからな」

 

「本当の本当に大丈夫なんですか! 絶対にありえないんですか!?」

 

 セリアにすさまじい剣幕で詰め寄られて、横島は何もいえなくなった。

 絶対に無い。そこまでは、言い切れない。元の世界では大抵何でもアリだったのだ。実際に夢の世界に行って悪魔退治をしたことすらある。

 この話は横島がとっさに作った創作だが、似たような話はいくらでもあった。何か元ネタがあって、それが形を変えて各地に伝わっていたのだろう。

 その元ネタに何らかの怪異があった可能性は否定できない。派生話に怪異が無いとも言い切れない。単なる戯言から怪異は発生するかもしれない。

 霊能の世界は、基本的に何でもアリなのだから。

 

 言葉に詰まった横島を見て、全員の顔からサーっと血の気が引いていった。

 

「どうしてくれるんですか! もう何が正解だったかあやふやなんですよ! もし、お化けに連れ去られたら一生眠ったままに!」

 

「本当に悪かったって。まさかここまで怖がるなんて思わなかったんだ」

 

「なんて無責任な!」

 

 もう夜遅い中、神剣を振るって戦う大人達が、怪談を恐れていがみ合う。

 一体俺は何をやっているのだろうと、横島は頭を抱えた。

 

「そんなに怖いなら~今日は居間に毛布を敷いて皆でヨコシマ様と一緒に寝ませんか~一度皆さんと一緒に寝てみたかったんですよ~」

 

 ハリオンは相変わらずのほほんと言った。

 

「よ、ヨコシマ様と一緒に寝るなんて!? それに一緒に寝たからってお化けを退治できるわけじゃないでしょ!」

 

 セリアが恥ずかしさから顔を赤くして反論するが、ハリオンは笑みを崩さない。

 

「いえいえ~もし悪夢を見てもヨコシマ様が傍に居たらきっと助けに来てくれますよ~」

 

「まあ、夢魔退治の経験はあるから、多分やれるとは思うけど」

 

 過去を思い出しながら横島が言って、それが本当だと皆も分かった。

 

「本当にやったことあるんですね……それならどうしてこんな怪談なんかを」

 

 本当に夢にお化けが現れても助けてくれる。

 それが分かって、スピリット達は安心した。

 

(なら、仕方ないか)

(そうね、一緒に寝るのも仕方が無いわ)

(はい、仕方ありません)

 

 大人達は頷きあう。

 

「それじゃ、ここにタオルケットを持ってきましょう」

「はい。全員が寝る広さがあるのは、リビングしかありません」

「え、マジでか?」

 

 いそいそと寝る準備を始めた皆に、横島は驚いた。

 絶対に猛烈な拒絶反応が出ると思ったのに、セリア達はお化け一つで横島と寝るのを良しとしたらしい。

 

(や、やべえ! 皆メチャクチャ可愛いぞ!)

 

 普段は強気な戦士である彼女達が、お化け一つで眠れなくなって、一緒に寝ようと言う。

 これが可愛くなくて、何が可愛いと言うのか。

 横島が皆の可愛さと一緒に寝れるという事実に浮かれると、ハリオンがやってきて、指を彼の額に押し当てた。

 

「ヨコシマ様~皆さんは本当に眠くて怖がっているんですから~優しくしなきゃメッ! ですからね~」

 

 可愛く怒られる。これにはどうにも逆らえないし、逆らおうという気すら起こらない。

 変な事はしないで、頼れるGSとして過ごす。色々と難儀ではあるが、男を上げるチャンスだ。

 

「大丈夫っすよ! ちゃんと離れて寝るんで」

 

 本当は同じ布団で寝たいぐらいだが、流石にそうはいかないだろう。

 涙を呑んで紳士的に対応する。

 だが、それには大人達が難色を示した。

 

「あ、あんまり離れられると……その、怖いです」

「じゃあ! もうこうなったら一緒の布団で!」

「近づいてきたら、切ります!」

「どないせっちゅーねん!」

「では子供達をヨコシマ様の近くに、大人達は子供を挟んで寝たらどうでしょうか?」

「よし、それ採用でいきましょう!」

「う~どうしてニムがヨコシマの傍で」

「ニムを挟んでヨコシマ様と寝るか……ふふ」

「シアーはヨコシマ様の横だよ~」

 

 そんな彼女達を、ネリーはバカにするような目で見た。

 

「ふ、皆ダメダメだね。ネリーはヨコシマ様の下で寝るから!」

 

「した?」

 

「うん、男と女が一緒に寝るときはね、女が下で、男が上で寝るのが正常な形なんだって。というわけで、さあヨコシマ様、ネリーの上に乗って! 正常位でねよー!」

 

「お前はもうちょっと考えてから喋れ!」

 

 こうして、ヘリオンを除いた全員がリビングで寝ることとなった。

 横島の下に潜り込もうとするネリーや、セリアの布団に潜り込んできたナナルゥ等のトラブルがあったが、数十分後には皆寝息を立て始める。

 朝から晩まで、騒がしい第二詰所であった。

 

「これは一体どういうことなんですかー!!」

 

 朝も早くから、甲高い叫びが第二詰め所内に響いた。

 その一声で横島達は重いまぶたをひらく。すると目の前には涙目でプルプルと震えたヘリオンが目に映った。

 

「お~おはよう。どうした、ヘリオン」

 

「おはようございますヨコシマ様! で、どうしたもこうしたもありません! 何で皆さん一緒に寝てるんですか!? 寝ててもいいけど、どうして私だけ仲間外れにするんですか~!?」

 

「あ~これか。いや、何だか皆が怪談話に怖がってな。眠れないからってなんだかんだとここで皆で寝たんだけど」

 

「ずるいですー! どうして私だけ仲間外れにするんですかー!」

 

「だって、ヘリオンは怖がってなかっただろ。普通に寝てたし」

 

 横島にピシャリと言われて、ヘリオンはぐうの音も出なかった。

 怪談が怖くないわけではなかったのだが、それ以上に面白くてテンションが上がって訓練に熱がこもり、体が疲れて熟睡できてしまったのだ。

 どうしてもっと怖がらなかったのか、と涙するしかない。

 そんなヘリオンの心など分からず、横島と大人達はヘリオンを称賛する。

 

「ヘリオンだけはまったく怖がってなかったもんな~正直見直したぞ」

 

「そうですね。あまり子供扱いはできません」

 

「むーまさかヘリオンがこんなに勇気あるなんて」

 

 大人たちもヘリオンをつぶさに褒め、ネリー達もヘリオンの評価を上げたらしい。

 それはそれで嬉しい。だが、そんなことよりも。

 

「ふえ~ん! なんでこうなるんですか~!?」

 

 こんな事で見直されるよりも、皆と一緒に眠りたかった。

 ヘリオン・ブラックスピリット。

 どこか幸薄い人気ランキングナンバーワンな少女だった。

 

 

 こんな妹がいたら。

 

 

 ある日の事だった。

 横島とヘリオンが詰所近くを歩いていた時の事。

 

「ヨコシマ様の事、お兄ちゃんって呼んでいいですか!? 実は私、お兄ちゃんが欲しくて」

 

 ヘリオンがいきなりそんな事を言い出した。

 目を大きくする横島に、ヘリオンは内心で邪笑を浮かべる。

 

 ――――ふっふっふっ~知ってますよ。男の人は年下の妹に弱いんです! ユート様だけじゃないんです!! それに特別な愛称を呼べば、一気に仲良くなれちゃうかも!?

 

 そんなヘリオンの悪巧みを露とも知らず、横島は深く考えることもせず頷く。

 

「まあいいぞ」

 

 横島は様付けで呼ばれるのが殆どだが、これは別に強制しているわけでも、望んでいるわけでもない。

 ヨコシマ様というの聖ヨト語で『ソゥ・ヨコシマ』だ。

 聖ヨト語を勉強している間、言葉の意味も分からない間に呼ばれ続けてしまい、気づいたときには完全に定着してしまった。

 横島も慣れきってしまったので、特に訂正させなかった。これは悠人も同じだ。

 

「えへへ~!」

 

 機嫌が良さそうなヘリオンに目を細める横島だが、そのとき膀胱が膨張を宣言する。

 このままでは三ターン以内に膀胱のライフがゼロになるだろう。

 しかたなく、横島はマジックカード『SHONBEN』を発動させる。

 

「ゆっくり出してきてくださいー」

 

 森に入っていく横島に声をかけるヘリオン。

 そんなヘリオンに一つの影が近づいた。

 

「こんにちわ、ヘリオン」

 

「あれ? こんな所でどうしたんですか」

 

「ちょっと散歩だよ。それよりさ、お兄ちゃんって聞こえてきたんだけど……」

 

「聞いてたんですか! 実はですね、たった今、私はヨコシマ様の妹になったんですよ!」

 

「ふーん……ねえ、知ってる。兄と妹ってね……」

 

 それから少しして横島がヘリオンの所に戻ってきた。

 

「あ、ヨコシマ様」

 

 暗い顔のヘリオンは、横島を兄と呼ばずにいつもの様付けで呼んだ。

 不思議に思う。ついさっき決めた事なのに、どうしてもう止めてしまったのだろう。

 

「あれ、お兄ちゃんって呼ばんのか」

 

「だって! 兄と妹ってずっと一緒にいられないって聞いたから……そんなのやです」

 

 俯きながら悲しそうにヘリオンは言った。

 その言葉に、横島は思わずうめいた。

 これは、可愛い! 文句無く可愛い!!

 身近にいるシスコンを馬鹿にしていたが、もしもこういう妹がいたら妹狂いになっても致し方ないのかもしれない。

 それだけの破壊力をヘリオンは秘めていた。

 

「ヘリオンって、メチャクチャ可愛いな」

 

「え、ええ!? そんなことないですよ……えへへ~」

 

 ヘリオンは顔を真っ赤にして、蕩ける様に表情を崩した。

 好きな人に可愛いと呼ばれる。

 恋する女の子にとって、これほど嬉しいこともなかい。

 まあ、それがマスコット的な意味での可愛さであるとは、当の本人は気づいていないのだが。

 幸せの絶頂にいるヘリオンの様子に、横島はうんうんと頷く。

 

「いやいや、本当に可愛いぞ。こんなに可愛い妹がいて俺は幸せだ。嫁に行くときは泣いてやるぞ!」

 

「え!? 違いますよ、私はもう妹やめたんです!」

 

「くうぅ! いやあ。本当に可愛い妹だな」

 

「だから、妹じゃありません!」

 

「妹よー!」

 

「あ~ん! どうしてそう意地悪するんですかー!?」

 

「ヘリオンだからな~」

 

 ぴいぴい泣くヘリオンを、よしよしと撫でてやる横島。からかいがいがあるヘリオンは、こうやって色々な意味で皆に可愛がってもらえている。

 ちなみにヘリオンは泣いてはいるものの、これはこれで構って貰えて楽しかったりする。

 恋に恋する少女は、まだまだ子供だった。

 

 ちなみにこの話が中途半端に伝わった第二詰め所では、

 

「ニムね、お姉ちゃんの……ううん。ファーレーンさんの妹やめるから」

 

 その瞬間、ファーレーンの仮面がひび割れて砕け散った。

 また別の某所では。

 

「どうしたのルルー……隊長。元気がないみたいだけど、おなか痛い?」

 

「ううん、大丈夫大丈夫。ちょっと落ち込んでるだけ……うああ、ボクだけのお兄ちゃんでいてほしいからってあんな事を言って……うう、自己嫌悪だぁ」

 

 顔を真っ赤にしたブルースピリットがいたとかなんとか。

 

 

 おやすみなさい

 

 

 その日、横島は隊長という特権をフルに生かして、ハリオンを自室に呼んだ。

 

 命令してハリオンをベッドに座らせる。

 ここまで来たら、やることは一つ。

 

「ああ~やわっこいな~暖かいな~! この膝枕のために俺は生きてるんだー」

 

 膝枕である。

 暖かく柔らかいふともも。おっぱいまくらや尻まくらにも匹敵する膝枕に、横島は桃源郷にでもいるかのように表情が崩れている。

 くんかくんか。太ももに顔を埋めたまま深呼吸する。

 良い匂い。ただそうとしか言い様が無かった。

 

「さっきまでヒミカとお菓子を焼いていたから、美味しそうな匂いがするんですね~」

 

 そんな風に言ってハリオンはニコニコと笑う。横島の変態的な行為などまったく気にしないで、横島の頭を撫で始める。流石は天然お姉さんだ。

 嗅覚と触覚を満たされた横島は、今度は視覚を満たされるために仰向けになってハリオンの笑顔を見ようとする。だが、それはかなわなかった。

 二つの大きな山が眼前にあって、ハリオンの顔を隠していたのだ。

 

「うおお~! 絶景かな絶景かな!」

 

 柔らかい太ももの感触。

 えもいわれぬ良き匂い。

 巨大な二つの山脈。

 

 ごくりと、横島は喉を鳴らした。

 正直、色々と限界だった。この乳を好きにしていいのは知っているのだ。

 もう十分仲良くなったし、そろそろ大丈夫ではないだろうか。

 

 煩悩に誘われるまま、ゆっくりとハリオンの肢体に手を伸ばす。ハリオンは胸に近づいてくる手を見ても、ニコニコと笑っている。

 しかし、ビクリと、本当に僅かにハリオンの全身が硬直した。だけどそれは本当に一瞬で、すぐに筋肉の硬直は解けて横島の頭を撫で続ける。

 その一瞬の硬直を横島は見逃さなかった。

 横島の手は、胸を通り過ぎてハリオンのほっぺたに向かう。

 

「おおーふっくらしてるっすね!」

 

「も~それじゃ太ってるみたいですよ~」

 

「わはは、すいません!」

 

 イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ!

 砂糖を吐き、血涙を流したくなるような光景が続く。

 ハリオンは本当に楽しそうに、幸せそうに、壊れ物を扱うように、横島の頭を撫で続けた。

 それは寝息が始まっても、しばらく続くのだった。

 

 


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