永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十七話 前編 新たな敵対者①

 青、緑、赤、黒、白。

 五色のブロックが組みあがって出来た遺跡だった。

 遺跡の中央に法王の間と呼ばれる広間がある。そこに三人の男女が集まっていた。

 一人は、以前に横島と戦ったタキオスという大男。後の二人は、線の細い優男と、目を部分を黒の布で覆った妖艶な美女。

 

 その三人がいる中心の空間がぐにゃりと歪み、ガラスの割れたような音と共に一人の幼女が飛び出してきた。

 全身を白のローブで包み、年相応の小さな手には小さな杖が握られている。

 幼女はひび割れた先の空間に手を振った。誰かに挨拶しているようだ。

 割れた空間の先からは返答も無く、程なくひび割れた空間はゆっくりとくっ付いていった。

 三人を代表して、タキオスが一歩前に出て幼女にうやうやしく声を掛けた。

 

「お忙しいところ、時間をとっていただきありがとうございます」

 

 筋骨隆々の、猛犬のような強面であるタキオスだったが、言葉遣いや仕草は品のある執事のようだ。

 幼女は気にする必要は無い、と微笑をたたえて言う。その様子に上機嫌であると理解したタキオスは、少し突っ込んだ質問をした。

 

「調整はどうですか?」

 

「上々ですわ。完全にこちらの意のまま。知識も搾り出せるようになってきました」

 

 幼女は声を弾ませて言った。

 しばらくの間、幼女は研究に没頭していた。研究の中身は、精神を如何にして操るという、人権無視なものだったが、幼女はそれこそ得意としている。ただ今回は多少勝手が違うので苦労していたのだ。

 その研究がようやく一段落ついたのだから、ご機嫌なのも当然といえよう。

 

「それで、何か問題でも起きましたか?」

 

「はっ、このままではラキオスとマロリガンとの戦いが我々にとって……いえ、テムオリン様にとって面白くない事態となるでしょう」

 

「私にですか?」

 

 目をぱちくりさせる幼女。

 その仕草は愛らしさの塊だったが、どこか余裕と不遜を感じさせる。

 タキオスはそんな上司をいさめる様に、僅かに語気を強くして言った。

 

「現在、『求め』と『天秤』の両契約者はスピリット達と共に、既にダスカトロン大砂漠を突破しつつあります」

 

「まさか」

 

 常に超然とした振る舞いと余裕の笑みを浮かべていた白の幼女は、珍しく狼狽したように目を丸くした。

 幼女は急いで手に持っていた杖で空を突く。すると、空間に水滴を垂らしたように波紋が起き、波紋は色を変え始めた。

 そうして色を変えて映し出された光景は、一面だたひたすらの黄金色。生命の息吹が失われた大砂漠。

 その砂漠を、純白ではない白の翼をはためかせて飛ぶ集団があった。

 

 永遠の煩悩者 第二十七話 前編

 

 新たな敵対者

 

 ダスカトロン大砂漠。通称、無の砂漠。

 ラキオスとマロリガンの間に横たわる大陸中央の大砂漠である。

 砂漠だけあって昼が直射日光が酷く、夜は凍えそうなほど寒い。環境は恐ろしく厳しい。何よりも厳しいのが、この砂漠にはマナが殆ど存在しない、という点だ。

 マナは命そのもの。特に神剣にとってはマナは空気も同じだから、この砂漠はスピリットやエトランジェにとって過酷な世界だった。

 砂漠だからマナが存在しないのではない。マナが存在しないから砂漠と化したこの地は、少しずつ広がり続けて大陸の暗雲を象徴しているといえるだろう。

 そんなエーテル機関の行く末を示した砂漠を、砂嵐さえ引き起こすような勢いで飛ぶ集団があった。

 

 ブルースピリットだ。その数は十五人。

 全員が何かを抱えている。大きさは人程度。いや、実際に人を抱えていた。お姫様抱っこやおんぶで運んでいる。手には神剣を持ちながらなので持ちづらそうだが、重たさは感じていないようだ。

 ブルースピリット達はラキオス第三詰め所のメンバーで、運ばれているのは第一、第二詰め所のメンバーである。

 

 マロリガンからの宣戦布告。それはマロリガンとサーギオスの二国を同時に相手にする危険性を生み出した。

 この状況を打破するには、マロリガンかサーギオスのどちらかを迅速に叩きのめすしかない。

 そう判断したレスティーナの行動は迅速という域を超えていた。

 会談終了直後に文珠を使って、即マロリガン攻略の指示をラキオスで待機していた悠人達に出したのだ。

 

 本来なら、レスティーナがラキオスに帰還して、初めてマロリガンとの戦争に入った事が分かるだろう。例え、お供に早馬での伝令を頼んだとしても二週間は掛ったはずだ。

 その時間を、文珠という奇跡の珠が乗り越えさせた。

 敵地での宣戦布告から半日でラキオスは戦支度を整えることに成功する。さらに、次の瞬間にはラキオス首都からマロリガンに最も近い都市ランサまで全軍が移動していた。

 

 大陸最北端にあるラキオスからマロリガン国境近くにあるランサまでの道のりは、スピリットの健脚でも一週間はかかる。

 一体何が起こったのか。答えはヨーティアが開発した新技術にあった。

 

 エーテルジャンプ装置。

 この発明こそ、正に稀代の偉業としか言いようがない代物だった。

 エーテルジャンプの効果は至極単純。スピリットとエトランジェのみに作用する『テレポート』だ。

 ラキオス首都に親機を設置し、要所に子機を設定することで、親機と子機の間を行き来することが出来る。そこに距離など関係なく、使用時に何のエネルギーも必要ない。

 ただあえて言うのなら、作り上げるのに大量のマナと技師と時間を要することだった。コストは高いが有効性は極めて高いため、マロリガンとサーギオスの国境沿いだけに子機を二基設置する事にレスティーナと悠人は決めていた。

 

 これは当然軍事機密で知っているものはごくごく僅かであったが、マロリガンは既に察知していた。しかも装置が仕上がる時期すら正確に把握していたのである。

 極秘プロジェクトすら探り当てる、異常なまでの情報収集能力。

 この高すぎる情報収集能力が、しかしマロリガンにとって裏目に出た。

 

「おっ、こうすれば工程短縮になるな」

 

 霊力実験で横島を弄りまわしていたヨーティアは装置の改良案を唐突に閃いた。

 そして技術者の性というものなのか、現在建設中のエーテルジャンプ装置の設計図を勝手に書き換えたのだ。

 悲鳴を上げたのは現場の技術者達だ。ただでさえ自身の理解がまだ及ばぬ装置を不眠不休で作っていたのに、いきなり設計が変わってるのだから溜まったものではない。泣き声を上げる技術者は続出した。

 当然、ヨーティアはそんなものを無視したが。

 技術者らの屍の上で、エーテルジャンプ装置はマロリガンどころかラキオス自身すら想定しない速度で仕上がり、宣戦布告から一日も経たずに横島達はマロリガンに最も近いランサに降り立ったのだ。

 

 そこからラキオスは行軍速度の為に、さらに一計を案じた。

 雪之丞が悠人達を襲った際、横島は移動だけの目的でルルー・ブルースピリットを利用した。今回もそれにならう形にしたのだ。

 サーギオス国境沿いにある都市『ケムセラウト』に配置した第三詰所の中から、ウイングハイロゥを持つブルースピリットを抜き出して、移動手段の為だけに活用する。

 第三詰め所の錬度はいまいちであるため、こういった使い方を横島は考えていたらしい。また、少しでも彼女達に手柄を立てさせたいと横島は気を配っていた。

 

 さて、ここで横島の様子を見てみよう。

 横島をお姫様抱っこで運搬しているスピリットは、彼が望んだ大人のブルースピリットだった。ふくよかな胸が腕に当たって、横島の頬はゆるゆるに緩んでいる。

 しかし、時たま複雑な表情をすることもあった。

 

「わりと飛ばしてるけど疲れてないか、アーネンムさん……じゃなくてアーネンムちゃん」

 

「う~アーちゃんって言って! ヨコシマ様がつけてくれたんでしょ! うえ~ん!!」

 

「俺がつけたのは名前であって愛称は付けてない……ああ、うそうそ! アーちゃん泣くな泣くな!!」

 

「嘘泣きだよ~ん!」

 

「嘘かい!?」

 

 このように非常にお馬鹿で幼い会話が展開される。

 横島は愛称を呼ぶのに四苦八苦していた。

 なんと言っても見た目は二十代半ばから後半で、身体つきもスピリットには珍しくふっくらしている。さらに黙っていると知的なお姉さんのように見える。にも関わらず精神年齢はかなり幼い。

 スピリットの事情を知らない人が彼女を見たら、ぶりっ子と敬遠してしまうかもしれない。それだけアンバランスだから横島も戸惑う時がある。

 

 こうなってしまった原因は一つだ。アーネンムの知能が優れていて、褒められたいという欲求から勉学に励みすぎてしまい、幼児の頃に軍規から家事まで覚えてしまった為だ。

 必要なことを覚えた為、早々と調教されて神剣に心を飲まれてしまったのがアーネンムだった。横島やルルーの頑張りに心が解凍され始めると、大人の体に幼児の心が宿ってしまった。

 大人の肉体に子供の精神。第三詰め所のメンバーの多くがこれに当てはまるが、アーネンムは特にそれが顕著だ。

 横島にとって見れば、ある意味で一番厄介なスピリットと言えるだろう。

 ちなみに、彼女の名前は横島が付けた。元の名前はアステと言う。聖ヨト語で『あいつ』や『そいつ』を意味する代名詞で、「もう名前じゃねえだろ!」という横島の突っ込みから新しい名前を付けたのだ。

 アーネンムとは聖ヨト語で暖かい青を意味する。ブルースピリットの青と、横島が抱きつかれたとき体温が高かったからという理由からで、これはこれで酷い理由だがアーネンムはすっかり気に入ってしまったらしい。

 

「えへ……チチシリフトモモ~!」

 

 アーネンムの手がわさわさと横島の体をまさぐり始める。

 

「こ、こらこらー! どこを触って……ぬおおお! そこは待てい!!」

 

「にへへ! ここか~ここがええんか~!」

 

 横島の抗議の声に、アーネンムは白い歯を輝かせながら得意そうに、あるいは意地悪く笑ってみせた。

 これは子供がいけない事と分かっていながら、大人の反応が面白くてわざとやる悪戯の類だ。

 怒られると分かっていながら、それでも相手が許してくれると信頼しているからこそ出来る悪戯でもある。それに多少の性知識が生まれてきた結果だろう。

 

 良い傾向だ、と横島はほくそ笑む。

 今までもスピリットに異常に好かれていたが、彼女らは決して横島に対して悪ふざけをしなかった。命に関わるからである。

 実際、少しスピリットに理解を持った人間に悪戯をして首をはねられた事例があった。普通なら許される程度のイタズラであっても、スピリットには処刑に直結する。

 こうなってしまうのはスピリットの命の軽さもそうだが、殺したところでマナという資源で回収できてしまうからだろう。

 人に悪ふざけをする、というのは相当な信頼関係を築いて初めてできることなのだ。

 

 それからも少し会話しながら飛び続ける。

 数時間ほど経過して、アーネンムの表情が苦しげに変化し始めた。

 

「はあっはあっはあ」

 

「そろそろきついか?」

 

「まだ大丈夫」

 

 歯を食いしばりながらもアーネンムは答える。

 それからも少し飛行を続けていたが、段々とスピードが落ちてきた。

 ろくにマナがないこの砂漠で飛び続けるのは体力を著しく消耗する。

 

 帰りも考えなければならないし、そろそろ限界か?

 

 そう思い始めたときだった。地平線付近に何か動くものが見え始める。

 十数人の団体。団体の中央には砂漠すら渡れる最先端の馬車。

 その周囲には相当な腕前と見られる人間の護衛達。マロリガンから帰路についてるレスティーナ達だ。

 

「がんばれ。あそこがゴールだ!」

 

 横島の声にアーネンムは頷いて最後の力を振り絞る。

 他のブルースピリットも速度を上げた。それは徒競走のゴール前を彷彿させる。

 最終的にはアーネンムがトップでレスティーナの元までたどり着いた。

 

「おつかれさん! 一着だな! がんばったぞ!!」

「はっ……ふぅ……ヨコシマ様……から貰った『ぼんの~パワ~』のおかげだよ」

 

 さわやかに笑って言うアーネンムに、横島も汗を拭いてやりながら労う。

 大好きな人に良いところを見せたい。

 それが分かるから、横島も精いっぱい褒めてやった。アーネンムは幸せそうに微笑む。

 

「ユート様、ヨコシマ様、彼女達は私共が見るので、まずはレスティーナ様に話を」

 

 そこにセリアが声を掛けた。

 横島との交流を邪魔されて、ムッと第三詰め所のブルースピリット達がセリアを睨む。

 

 第二詰め所と第三詰め所の間は良好とはいえない。

 特に第三詰め所のスピリット達がセリア達を敵視、というよりもライバル視している。

 修羅場に巻き込まれてはたまらないと、横島と悠人はそそくさとレスティーナの元に向かった。

 

 馬車から顔を出したレスティーナは厚手の布地を頭からかぶっていた。

 日差しに肌を焼かれないためだろう。露出が少なくて横島としては少し残念だが、これはこれでいつもと違う魅力があって良かった。

 

「ご苦労様です。エトランジェ・ユート、エトランジェ・ヨコシマ。よく皆を纏め上げて来てくれました」

 

「いやーそれほどでもないっすよ! レスティーナ様の為ならば男横島、何だってしてみせます!! というわけでご褒美のチューを!!」

 

 いつものように飛びかかろうとしたが、こうなることを予想していた悠人が首根っこを掴んで押さえ付ける。

 毎度の恒例行事に、レスティーナも悠人も安心感すらあるほどだ。 

 

「それにしても、理屈の上では可能というのは分かっていましたが、ラキオスからここまでを二日足らずで……信じがたいスピードです」

 

 レスティーナは頭の中で、この大陸の地図を思い浮かべる。

 広大な大陸の最北に、ちょこんと慎ましくあるラキオス首都。中央部には大砂漠。そこから遥か南西にあるマロリガン。

 それだけの距離をたった二日で踏破しようとしている。それも、細かい作戦を詰めたり、食料や水を準備する時間が大半で、実際には半日程度でここまで来たと言って良い。

 距離、空間といった戦いではラキオスは最強になったとレスティーナは確信した。

 

「では、この戦いの目的をおさらいしましょう」

 

 目的はこの砂漠を越えたところにある、スレギトという都市の攻略だ。

 ラキオスを攻めるにあたって前線となるスレギトには、大量のマナと技師が詰め込まれ始めている。

 そして、この部分が重要なのだが、現在、スレギトにはスピリットが殆ど配置されていないらしいのだ。

 大体のスピリットはマロリガン首都で行われる軍事パレードに出席する事になっている。無論、もてなしを受けるのではなく、兵器として民衆に見せつけるためのものらしい。

 

 この作戦が成功すれば、マロリガン政府は民の前で声高々にラキオスに宣戦布告したと同時に、橋頭堡の都市が奪われた挙句、技術とマナも奪われるわけだ。

 さらにスレギトを奪えば、マロリガンにある三ヶ所の都市を攻撃範囲に収めることができて敵は戦力を分散せざるをえなくなる。マロリガンの混乱は極致に達するだろう。

 ここで上手く外交すれば停戦や和平も不可能ではないはずだ。さらに文珠を使えば外交で有利に立ち回るのも造作ない。

 

「頑張ってください。急げば急ぐほど、戦いも少なくなりこちらに有利になって、戦争は瞬時に終わるでしょう。罪なき民も、そしてスピリットも、死なずに済みます」

 

 最後のレスティーナの言葉に、悠人と横島は神妙に頷いた。

 誰も死なずに済む。それが戦争に赴く二人にとって、なによりも戦意を高揚させる言葉だった。

 

 ラキオスに戻るレスティーナに、第三詰め所のブルースピリット達の護衛をつける。

 後は横島達の仕事だ。

 改めて砂漠に立つと猛烈な日差しが肌を焼いてくる。

 今までは風を感じていたから良かったが、何もしていないと暑いというよりも熱いと言った方が正しいレベルだ。

 

「うう~」

 

 ニムが唸り声を上げて蕩けていた。

 横島がほっぺたをつついても、めんどくさそうに視線を横島に向けただけで、あとはされるがままになっている。

 他の子供たちもオルファを除いて死にそうな表情だ。

 

 大人達は弱音は吐かないものの、それでも暑さに参っているようで、胸元をいつもよりも開けていた。ハリオンなんて今にもとろけそうなスライムの表情をしている。

 唯一元気が良いのはレッドスピリット達だ。

 

「ヒミカやナナルゥは元気そうだな。やっぱりレッドスピリットは暑さに強いのか?」

 

 横島が元気そうなヒミカらレッドスピリットの胸元を見つめて言う。

 イヤらしい視線に気付いたヒミカは、さっと胸元を隠すと、顔を赤くしてぷいと悠人に向き直った。

 

「それもありますが、何よりの要因は私達が通っているヘリヤの道は赤マナが多少とはいえあるからだと思います」

 

 ヒミカが言うと、ナナルゥも悠人に向かってこくりと頷く。

 

「神剣は常にマナを吸収しています。ダスカトロン砂漠は一大マナ消失地域ですが、このヘリヤの道だけは僅かとはいえ赤マナがあるので、相対的に見て私達レッドスピリットが優位に立てるでしょう。戦術を考える際には一考してください」

 

「ああ、分かっている。それに砂漠は見通しも良いし、遮蔽物も少ない。活躍してもらうぞ、オルファ、ヒミカ、ナナルゥ」

 

「おー!」

「はっ!」

「承知しました」

 

「ちょっと待てい! 悠人、何でお前が答える!? 今の会話の流れなら俺が答えるはずだぞ!」

 

「だったらもう少し真面目にしてください!」

 

「何を言うヒミカ! 俺はいつだって真面目だぞ! 夏場での楽しみって言ったら、女の子たちが薄着になる事だろ!」

 

「それのどこが真面目なんですか! 大体、私達に支給される戦闘服のデザインは固定です。第一詰所は例外なんですから」

 

「そんな事もあろうかと、ヨーティアさんやレスティーナ様にスケスケの戦闘服希望と要望出しときました!」

 

「どうしてそう無駄な行動力があるんですか!」

 

「無駄じゃないだろ! 俺の霊能力がアップして戦いが有利になるんだぞ」

 

「これが本当だから参るわ……」

 

 ガックリとヒミカが肩を落とす。

 そんな様子を半分が呆れたように、もう半分は楽しそうに見つめる。

 

「じゃあ、そろそろ走るか!」

 

 悠人の号令でようやく場が収まって、神剣の力を引き出して皆が走り始める。力を引き出せば暑さなんてどうということはない。

 既に砂漠の半分は超えていた。多少は速度を抑えて小休憩を挟んでも、後半日もあればマロリガンの城塞都市であるスレギトに到達できる。

 そうすれば最悪のケースであるサーギオス、マロリガンとの二正面作戦を避けられるのだ。

 最高の結果を目指して、横島達は黄金色の大地を走り続けた。

 

 それらの様子を確認した幼女は、思わず天を仰いでいた。

 

「まさかこうなるとは」

 

 文珠による連絡、ウイング・ハイロゥを持つスピリットの獲得、エーテルジャンプ装置の工程短縮。

 単一の効果だけならともかく、それが連動した結果、想像を超えた速度を生み出すこととなった。

 

 マロリガンはとある情報網からこの緊急事態に気づき、急いで防衛部隊を差し向けたが、ぎりぎりで間に合わないだろう。

 なんとか間に合っても市街戦になる。そうなれば、スレギトの市長は戦を避けるため無防備都市宣言を出すだろう。

 

「まったく、『天秤』は何をしていたのでしょう! このような事態を避けるためにも、常に連絡を忘れずにと言っておいたのに」

 

 文句を言いながら幼女は周囲に浮かぶ連絡用の神剣に目を向ける。

 刀身には、このような文字が浮かび上がっていた。

 

 神剣着信履歴、十九件。

 テンくん。

 

 表示される文字に硬直する幼女。どうやら研究に夢中で聞き逃していたらしい。

 ピコピコと点滅する神剣は、何処と無く哀愁を漂わせている。

 三人は白けた目つきで上司である幼女を眺めていた。

 

「ま、まあ『天秤』も仕事はしていたみたいですわね。ここは素直にラキオスの手腕を称えるべきでしょう……ほほほ!」

 

(うわ、笑って流そうとしているよ、あれ)

(やれやれ、こういう上司にだけはなりたくないですね)

(…………テムオリン様)

 

 三人の冷たい視線が幼女に突き刺さる。

 視線に気付いた幼女は笑いを止めると、真面目な表情を作り出した。

 

「ええ、ええ、連絡を見逃してましたわ。すいません。確かに私の責任ですが、今は責任を問うよりもこの状況をどう切り抜けるかが重要だと思うのですけど」

 

 まったくもって正論を述べる幼女だが、それは先ほどまで部下に責任を追及しようとしていた主張と相反している。

 三人は内心でさらに呆れたが、表情は引き締めた。余りからかって不評を買えば、次の瞬間に空間のあちらこちらから神剣が飛び出してくるのは知っていたからだ。

 

「どうしたものでしょう。このままでは勝負が付いてしまいますわ」

 

 今まで多くのイレギュラーがありつつも、微修正で結果的に予定通りになっていたから油断していたのかもしれない。

 ラキオスとマロリガンが戦争になるのは予定通りだが、一方的な展開は望むところではなかった。

 幼女の心配に、妖艶な女が面倒くさそうに声を掛けた。

 

「別に構わないのではないじゃないですか。どうなろうと候補者同士は殺しあうように設定しているでしょう。ま、あたしは賭けに負けちまうので面白くないけどねぇ」

 

 どれだけ横島や悠人が予定外の行動を取ろうと、幼女達の計画に支障は無かった。

 この世界に来て永遠神剣と契約した時点で、もう殺しあう以外の道はなくなっているのだ。道筋が変わっても、行き着く先は同じだ。

 誰が勝者になるのかだけは分からず、それを賭けの内容にしているが、勝負なしになることだけはありえない。

 

「目的の完遂は心配していませんわ。ラキオスの完勝では、私の目の保養にならないのが問題なのです」

 

 勝負は決まっていないとは言うが、幼女にとっては愛する横島が勝つというのは既に確定事項に過ぎない。

 だから、重要なのは結果では無く過程なのだ。横島を笑わせ、苦しませ、幸せの絶頂と地獄の苦しみを味あわせる。

 愛する人のがんばっている姿が見たい。横島の喜びと苦しみこそ、幼女の悦び。

 幼女は実に恋する乙女をやっていた。性根が心底邪悪なのが玉に致命傷だ。

 次に優男が発言する。

 

「ミニオンでも使って足止めすれば良いのでは」

 

「論外ですわ。尖兵を直接送り込んでは、確実にカオスの連中がやってきます」

 

 幼女はあっさりと却下した。

 今更何を、と優男の表情が歪んだが、すぐに澄ました顔に変わる。

 次に発言したのは大男のタキオスだ。

 

「贄の時のように、龍に干渉して足止めさせては」

 

「あの大陸には、もう私達が干渉して動かせる龍はいませんわ。あらかた刈りつくされてしまいましたし、残っているのは強力な龍のみで、早々と干渉できません。

 私達はあくまでも確率的に起こりえる可能性を選択するか、大勢に影響しない程度の干渉をするしかないのです……少なくとも、時が来るまでは」

 

 幼女に言われて三人は黙り込んだ。

 圧倒的な能力を持つ彼女らであったが、それでも全知全能にはなりえない。

 小箱に大箱は入らないように、有限である世界で無限の力は振るうことはできないからだ。

 不用意に力を発揮すれば、同格の敵が入り込んでくる可能性もある。それだけは避けないといけない。

 どうしたものかと、考え込む四人。

 そこに、何かがゆっくりと近づいてくる。

 

「キュガァァ」

 

 現れたのは、巾着袋の中央に大きな目がついた怪物だった。全身は燃えるような赤色で、手足は無く、ふよふよと浮いている。どこが声帯かも不明ではあるが、男とも女とも言えない奇怪な声を上げていた。

 紛れも無くモンスターと称される外見。だが大きな一つ目には深い知性が宿っている。

 外見からは考えられないが、この生物は高い思考能力と演算能力を持つ賢者であった。

 

「キュァガ!!」

 

 怪物の奇声に、幼女は何度か頷いて見せた。

 

「ふむ、なるほどなるほど……何を言っている分かりませんわ」

 

「キュガ!? ギュガガ!!」

 

「うふふ、冗談ですわ。なるほど、天災……隕石を落としてオモチャを起動させるですか。悪くはありませんが、その天災を引き起こすのに直接我らの力を振るえば、やはりカオスの連中が干渉してきてしまう可能性が――――」

 

 と、幼女は言葉を止めた。

 ぐにゃりと目の前の空間が歪んで、人型がいきなり現れた。

 人型は全身に灰色のローブを纏っていて、肌の一つも見えない。

 年齢どころか性別すら不明だが、大柄なタキオスと同じくらいの体駆であるから恐らく男だろう。

 ローブの人物は跪いて幼女に何かを呟く。すると、幼女の目が輝いた。

 

「分かりました、認めます。直ちに実行しなさい」

 

 幼女が指示すると、ローブの人物は頭を下げた。そしてふわりと浮かび上がると、そのまま空へと昇っていった。

 

「ふふふ、やはり霊力というのは反則ですわ。世界の枠組みに組み込まれる私達にとって、チートというのは実に便利」

 

 満足そうに笑う幼女に、タキオスは眉間に皺をよせて一歩前に出る。

 

「テムオリン様」

 

「何です、タキオス」

 

「あれの自我は無いと仰られたはずですが、今のは自発的行動では?」

 

「元の自我という意味ですわ。あれは純粋に神剣の意思しか残っていません。その意思は、私に忠誠を誓っていますから」

 

 幼女は自信満々に言うが、タキオスはどこか不安が拭えなかった。

 不安の源は、大陸の戦乱ではない。この計画はどう転がろうと殺し合う以外の道はないのだから、過程はどうあれ目標は達成されるであろう。

 では何が不安なのか。それはタキオスにも分からないのだが、問題は外よりもむしろ内にあるのでは。

 そこまで考えて、考えても意味がないことだと首を振った。

 

 暗黒の宇宙にローブの男は存在していた。

 周りを見渡して、お目当てのモノを見つける。

 

 本来なら引力に捕らわれず、この閉鎖世界の宇宙を旅するだけの岩の塊。

 ローブの男は小惑星に向かって手を突き出すと、手の平から光を打ち出した。

 永遠神剣の力にも遜色が無い、圧倒的な霊波砲だ。その出力はルシオラが放つ霊波砲などとは比べ物にならない。

 小惑星は霊波砲に砕かれて、爆発を起こしながら道筋を変えた。

 

 小惑星は隕石となって、大気の摩擦で赤く燃え上がりながら地表に落下していく。

 ローブの男はそれを目で追いつつ、隕石の後ろに小さな霊波砲を打ちだした。

 隕石と霊波砲。隕石は世界に対する理由付け。世界を狂わせない為の措置。霊波砲が目的を達成させる事になる。

 

「抗うしかないのだ。小僧、私も、お前もな」

 

 重厚な男の声は、宇宙には響かない。

 ただ、何もかもを呪うかのような呪詛がそこにはあった。

 

 その頃、横島達は未だに走り続けていた。

 日は落ちて急激に寒くなり始めた砂漠だが、走り続けているからこの方が都合が良い。

 ハイロゥの輝きと月明かりのお陰で砂漠はほのかに明るく。さらにエスペリアが星を見ることも出来るので道に迷うことも無かった。

 順調な行軍が続く――――

 

『横島! すぐに停止の命令を出せ!!』

 

 いきなり頭に『天秤』の大声が響いて、横島は思わず耳を押さえた。

 

「いきなりなんだよ!」

 

『説明の時間がない! とにかく一度足を止めろ! すぐに障壁を張れ! 急げ!!』

 

 『天秤』の声は切羽詰まったものが感じられた。悪ふざけの類ではない。

 停止のブロックサインを出す。全軍が停止して、何事かと横島の元へ駆け寄ってきた。

 

「いきなりどうした……敵でも見たか!」

 

「俺にもよう分からん! こいつがすぐに止まれって」

 

「『天秤』がですか? 詳しく説明を」

 

「み、皆さん! あれを見てください!?」

 

 会話が落ち着かないうちに、ヘリオンが叫んで空を指差す。

 闇夜の彼方に光の玉があった。それは煌々と燃え上がり、少しずつ大きくなっていく。

 反射的に悠人が一歩前に出て、非常に強力な障壁を張った。

 その裏で、横島はもう一つ障壁を張る。悠人の障壁をダイヤモンドとすれば、こちらはゴムのように柔軟だ。

 スピリット達も簡単な障壁を張ると密集隊形を取る。それを見た悠人と横島は障壁を狭めてより強い障壁を張った。

 

 カッと一際強く炎を塊が光ったと思うと、闇夜は白く染まる。眩しさに目も開けられない。

 そして猛烈な衝撃が襲いかかってきた。鉄筋の建物すら破壊しかねないソニックブームの嵐。そこに強力な熱波も混じっている。

 人なら粉みじんに吹き飛ぶところだが、そこは人外である永遠神剣の主たち。核弾頭程度なら対応できれば何の問題もない。

 衝撃波をやり過ごして、一体何が起こったのかと横島は『天秤』に聞いてみた。

 

『空中で隕石が破裂したのだ』

 

「隕石かよ! こんな時にどれだけ運が悪いんだっつーの!! つーか、よくお前気づけたな」

 

『まあ、それは……私だからな!』

 

 褒められて、『天秤』は当然と言った感じだが、実際はもっと褒めろと心の中で言っていたりする。

 その裏で悠人は全員の点呼を取っていた。全員の無事を確認して、ほっと息を吐く。

 横島は今のが隕石だったと伝えて、ネリーやナナルゥがテンションを上げたが、後は特に気にするものは居なかった。敵ではないのならどうでも良いのだ。

 

「よし、全員無事だな。それじゃあ、行軍を再開するぞ。あと少しだから、みんな頑張ってくれ!」

 

 悠人が発破をかけて横島を除く全員が頷く。

 思わぬトラブルだったが、当然こんなことで進軍を止める理由にはなりはしない

 だが、歩を進めようとしたところ今度は足元がぐらぐらと揺れた。

 

「のわぁ、地震か!」

 

 横島の悲鳴にセリアが首を横に振る。

 

「いえ、これは違います! 何かが地面から這い出してこようと! 皆、ここから離れて」

 

 砂が割れて、地面から何かがせり上がってくる。高さは数メートルではきかない。横幅もある。

 ずんぐりむっくりの黒い城砦のような外見だ。装甲には機銃を思わせる小さな突起が複数と、背中には馬鹿みたいに大きい砲がくっ付いている。底には昆虫を思わせる足が何本もついていて、移動もできる巨大な城壁を思わせた。

 

「はあ? 多脚型戦車……いや、ここまで大きいとロボットか?」

 

 口を大きく開けっ放しにして、悠人が呟く。

 この世界に来てエーテル技術と呼ばれる部分的に高度な文明に触れてきた。それでも基本はファンタジー中世レベルの文明だったはず。

 しかし、目の前には黒光りする重厚な装甲を持つロボットが動いていた。

 剣と魔法のファンタジーから、一気にSFにチェンジだ。世界観が崩壊するような目の前の光景に全員があんぐりと口を開ける。目の前の光景に頭がついていかなかった。

 

 皆の混乱をよそに、ロボットから女性の落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「休眠モードから覚醒……エネルギーライン接続確認できず……休眠モードへ移行……中断。周囲に未確認高マナ反応確認……動体反応あり……シリアル確認できず……休眠モードへの移行を停止……自己防衛モード起動……敵性診断開始、対話を……エラー……未確認を敵性と判断します」

 

 一方的になにやら呟いたと思ったかと思うと、漆黒のロボットの表層に赤いラインが文様に如く浮かび上がる。

 さらに、ロボットの中からは直径一メートル程の球体が十個ほど射出された。

 

「散開だ!」

 

 悠人が咄嗟に叫ぶと同時に、球体は赤色のビームを打ち出し始める。照準は甘いが、しかし連射してくるので気が抜けない。

 見たこと聞いたこともない兵器を前にして、スピリット達は浮足立った。

 

「おい、悠人! さっさと逃げるぞ。こんなんの付き合ってられるか!?」

 

 逃げ腰の横島はすぐに撤退を提案する。

 

「駄目だ。こんな危険なのを放置して、町に向かったら大惨事だぞ! ここで破壊しないと」

 

 それに対して悠人は交戦を提案した。

 

「さっき休眠とか何とか言ってたし、俺らがいなくなったらきっと止まるだろ!」

 

「そんな確証はない! これを無視してスレギトを落としても、その間にどれだけの被害が出る可能性があると思っているんだ!! 最悪の場合、レスティーナや第三詰め所の皆に向かうかもしれないんだぞ」

 

 意見をぶつけ合ったが、最後には横島が折れた。本当の最悪を考えれば仕方がない。何をしでかすか分からない物を背後に置いておくのはリスクが高すぎた。

 それに横島も実は感じたのだ。最悪の可能性を残した場合、その可能性がどれほど低くても、存在さえすれば運命は最悪を選ぶだろうという悪意を。

 

 まったく考えてもいなかった戦闘が始まった。

 

 球体は空を飛び回りながら最下級レベルの赤の魔法を放ち、複数の突起からは銃弾が発射される。

 その銃弾は小銃というよりも重機関銃並みの破壊力があって、防御しなければスピリットでもダメージを受けるだろう

 

「キャッ!」

「何か小さくて硬いのが飛んできてますよ~」

「障壁は展開し続けなさい!」

「でも攻撃しないと!」

 

 ロボットの繰り出す攻撃にスピリット達は上手く対応できず翻弄される。

 スピリット達の戦闘は全て対スピリット戦を想定して、それに特化している。当然だ。こんな兵器を相手にするなど考えられてもいないのだ。

 銃なんて見たことも聞いたことも無い。まず間合いの取り方からして違うから、どうすればよいのか分からず混乱してしまう。

 

「うわ! のわ! なんとおー!! 避けて反撃……って、やっぱりもう霊力じゃダメか。文珠は惜しいし」

 

 その中で横島だけがロボットの攻撃をいなして見せる。さらに効果は無かったが栄光の手を伸ばして反撃までしてみせた。

 技術ではなく純粋な反射神経による回避能力。多種多様な敵を相手に戦闘してきた経験。これで百戦錬磨の横島は初見の相手にも対応できるのだ。

 それを見て取れた悠人は即座に戦術を決める。

 

「よし、横島は最前線で囮を頼む。他は少し離れて攻撃と補助しながら情報収集だ!」

 

「おいこらまて!! どーして俺が一番危険なところなんだよ!!」

 

「お前が一番適任なんだ! というよりも、お前以外に出来る奴がいない」

 

 人外相手なら経験豊富で基本能力も高い横島が間違いなくベスト。

 それは横島にも分かったが、しかし一番危険な部分をひょいと請け負うほど彼は勇気が無い。

 

「ヨコシマ様~がんばってくれたらほっぺにちゅーですよ~」

 

 そこに飛ぶハリオンの黄色い声援。

 ここで、誰がほっぺにキスするかと明言してないのがポイントである。

 

「わははは! 任せておけい!!」

 

「うわ……扱いやすい」

 

 女の子達の声援を受けてあっさりと囮役を引き受けた横島に、ニムが馬鹿を見るような目で見る。

 実際に馬鹿だが、お馬鹿な横島ほど厄介なものもいない。

 妙に機敏な動きで横島はロボットの周囲を駆けずり回る。当然、凄まじい弾幕が横島の目の前に張られたが、空中を気持ち悪く走り回りながら、銃弾を障壁で弾き、魔術は『天秤』の力を全開にして耐える。

 回避と防御に関しては、間違いなく横島は大陸一だった。

 

 その様子を見ていたウルカは、なるほどと頷く。

 

「これはユキノジョウ殿がライバルというわけです。なんとも凄まじい」

 

 敵の攻撃の殆どが横島に向いて、その間に悠人達は補助魔法を使用して体勢を整えた。

 そうして、補助魔法をかけられたブラックスピリットが隙を見て突撃して、レッドスピリットは魔法で攻撃を始める。

 

「エーテル製の壁よりも硬いわね」

 

「痛っ! 何か攻撃が跳ね返ってきましたよ!」

 

「魔法が消された!?」

 

「赤の魔法の効果が低い模様です」

 

 相当量のエーテルを組み込まれた装甲は硬く、どういった原理かは分からないが物理攻撃を反射し、さらに魔法を打ち消す時がある。

 もし、不用意に攻撃を仕掛けたら瞬く間に全滅しかねない。下手に総攻撃をかけなくて良かったと、悠人は胸をなでおろす。

 物理攻撃を反射したり、魔法の打消しなどはポピュラーなものだ。冷静に判断すれば、きっと穴があるはず。

 

 「ぎょわ~~!!」と変な悲鳴を上げながら囮役をこなす横島を尻目に、悠人はスピリットに指示して有効な攻撃を模索する。

 斬撃、刺突、打撃、炎、雷、冷気。そして精霊力を秘めた剣。

 しばらく観察して、悠人は結論付ける。

 

「赤の魔法以外の攻撃魔法だ!」

 

 悠人が叫んで指示を出す。

 セリアとファーレーンの二人が魔法の詠唱を開始した。

 

「エーテルシンク!」

「ダークインパクト!」

 

 青と黒の塊がロボットにぶつかる。

 どちらも攻撃魔法だが、行動を妨害したり弱めたりする類の魔法で、威力そのものはかなり低い。

 にもかかわらず、ロボットの装甲を凍らせ、そして砕く。間違いなく、これが特効だ。

 歓声が上がったが、次の瞬間、絶望の声が響いた。

 なんと傷ついたところがキラキラと輝いて修復されていく。ここまでくると、もうただの機械とは思えない。

 

「自己修復って奴か! どこの未来からやって来たんだ!?」

 

 でたらめぶりに悠人が悪態をつく。

 これでは地道に攻撃は無理だ。回復があるなら一気に畳み掛けなければいけない。

 レッドスピリットと同威力の攻撃魔法を使えるのは、横島と悠人。そしてグリーンスピリットが使える唯一にして最大の攻撃魔法、エレメンタルブラストだ。

 だが、これには色々と問題がある。エレメンタルブラストは攻撃範囲が広すぎるのだ。離れないと、囮役の横島はもちろん、他の皆も巻き込まれてしまう。

 

「一度離れてから攻撃したらどうでしょう」

 

 エスペリアが提言するが、悠人は首を横に振った。

 

「背中にある、あのバカでかい砲台が気になる。距離を開けた瞬間に打ち込まれるかも」

 

 流石にこれは試すわけにはいかない。

 どうしたものかと悠人が悩んでいると、肩を叩かれた。

 振り返ると、肩には光り輝く手が置かれていた。弾幕に慣れた横島が、囮役をこなしながら栄光の手を伸ばしたのだ。

 

「交代だ! お前が囮になれ!」

 

「ちょ! うわああ!」

 

 栄光の手に引っ張られて、悠人はロボットの前に引きずり出される。

 

「横島! いきなり何をしやが……る?」

 

 文句を言った時にはすでに横島の姿はなく、代わりにあったのは黒く小さい塊と炎の矢だった。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

 嵐のごとく悠人に打ち込まれる銃弾と熱線に、悠人は必死に障壁を展開させる。

 人間や車なら、一瞬でチリになるだろう程の物量だ。

 硬さなら横島と同程度の力を持つが、足はない悠人はひたすら耐えるしかない。

 下がろうと思えば出来ないこともないが、ここで囮役をやめるわけにはいかなかった。

 

(後で一発ぶん殴る!)

 

 それだけを思って。悠人は耐え続ける。

 入れ替わった横島はグリーンスピリット達の元へいた。

 いきなりの事にエスペリアは憤慨している。

 

「ヨコシマ様! 何をなさるんですか!!」

 

「そりゃあいつを亡き者にするため……冗談っす!」

 

 こんな時でもふざけられるのが横島の強さなのかもしれない。

 

「俺の魔法なら、状況を打破できるからです。エスペリアさん、ニム! 俺の魔法に続けて打て!」

 

「もう、分かりました!!」

 

「うう~あれすごく疲れるのに」

 

「すいません~まだ私は使えないんです~」

 

「泣かないでくださいハリオンさん! あの魔法はきっと腹黒かったり暴力的じゃなきゃ使えないんです!」

 

「へ~私は腹黒いんですかー」

 

「むかつく」

 

 横島の根拠無い慰めを聞いたエスペリアとニムは、ジトッと横島を睨む。冷や汗を浮かべながら、横島は詠唱を始めた。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主が命ずる。マナよ、集まって、後に続くものの道となれ! コンバージェンス!!」

 

 割と真面目に詠唱して、横島が魔法を唱える。

 すると、空中に浮かんだ魔方陣からロボットに向かって光の橋が架かった。少しして、二人のグリーンスピリットの詠唱も終わる。

 

「エレメンタル」

「ブラスト」

 

 緑の光が一点に集まる。

 ここから大爆発が起こって周囲を巻き込む緑の大爆発が起こる……本来なら。

 

「わあ、綺麗です」

 

 ヘリオンが感嘆の声を上げる。

 緑の光は、横島が作り上げた光の橋に乗った。爆発は起こったが周囲を巻き込むことは無く、ただ光の矢になって突き進んで、ロボットの中心を打つ。

 力の方向を定められた爆発は、圧倒的な貫通力でロボットを軽々と打ち貫いた。

 ロボットは中心部に大穴が開く。バチバチと放電して、回復が始まる様子も無い。

 

「ダメ……コン……ール……不可。修……不能。

 周囲に箱……を確……できず。……舟に被害無しと判断。機密保……の為……ケ……ンスに移行。10、9、8……」

 

「お約束かよ!? 離れて集団防御! 悠人を盾にするぞ!」

 

「お前も盾になりやがれ!!」

 

 経験の為せる業か、自爆にいち早く気づいた横島が急いで指示を出す。

 悠人と横島を中心して、先の隕石と同じように障壁を展開する。

 ほぼ同時に、光が炸裂した。圧倒的な衝撃波に、皆は本能的に姿勢を低くして歯を食いしばる。

 障壁越しに感じる熱波に、周囲の温度がどれほどになっているのか想像もできない。もし神剣の加護を失えば、息をするだけで肺が焼け爛れるだろう。

 しばしして、ようやく熱波が弱まりはじめる。

 

「ぜ、全員無事か?」

 

「い、今数えます……けほ」

 

 何とか凌ぎきって、エスペリアは神剣の加護を得ていても、むせるほどの灼熱の中で周囲の確認を始める。

 この結果に胸をなでおろしている者が一人いた。

 

『投げ出されたガーディアンか……よもやこんなものを使うとは、流石は『法王』様』

 

 安堵と関心に『天秤』は、口も無いのにほっと息を吐き出していた。

 ラキオスの動きが余りにも早すぎだ為、慌てて連絡が入れたのだが上司に繋がらず、どうなることかと心配していたのだ。

 使えるものはなんでも使う。上司の手際の良さに『心配するだけ無用であった』と思わず呟く。

 

 ――――案外、相当焦って偶然上手くいったんじゃない?

 

『馬鹿なことを。あのお方がそのような凡ミスをするわけがあるまい』

 

 ――――ああいった人ほど、そういうミスをするものだと思うけど。

 

 そんな二人の会話が横島内部で交わされていたりしたが、それは誰にも知られることはない。

 何とか全員が無事だった。ただ数名が火傷を負っていたのでグリーンスピリット達が回復に回る。

 ようやく落ち着くと、悠人はエスペリアに視線を向けた。

 

「エスペリア、隕石を降らせる神剣魔法があるって聞いたことがあるけれど、さっきのはそれか?」

 

「隕石落下時に神剣魔法の気配はありませんでした。あれは、ただの自然現象……偶然かと」

 

 エスペリアが複雑な表情で悠人の質問に答える。

 無論、彼女自身も疑念が渦巻いていた。これを偶然と捉えて良いのか。

 隕石が降ること自体は、まああってもいいだろう。たが、それにしてもこのタイミングは、そしてこんなことが――――――――

 悠人は唇をかみ締めた。

 

「俺達がここを通るのを見越して、さらに隕石が落ちるのを見越して、さらに隕石で機械が作動する事を見越して、こんな機械をマロリガンが埋めたと思うか?」

 

「考えられません」 

 

 エスペリアは断言した。

 当然だ。まず、隕石が落ちてくる時期と場所を特定できるほど、この世界の天文学は発展していない。

 もちろんこんなロボットを作成する技術など、どの国家にも無い。

 歴史書からも忘れられた遥か古代の技術か、もしくは異世界から流れ着いたもの、としか考えられないだろう。マロリガンがロボットを発見していたとしても、わざわざ砂漠のど真ん中に放置する事もないだろう。

 そもそも、隕石の衝撃でロボットが起動するなど分かるわけもない。普通に兵器として使うべきだろう。

 

「それじゃあ、全て偶然ってことか?」

 

 その問いにはエスペリアも、誰も答えなかった。

 偶然とは、とても考えられない。しかし、偶然としか答えようが無いのだから。

 

「なあ、横島。素早い奇襲を行わなきゃいけないって状況でさ、『何故か』地面に謎の機械が埋まっていて、『偶然』隕石がそこに落ちてきて、その衝撃で『偶然』機械が起動して、一刻を争う俺達に襲いかかってくる確率は、一体どれぐらいのもんだろうな?」

 

 吐き捨てるように悠人が言った。

 その顔には笑みすら浮かんでいる。理不尽を受けた者がやけくそ気味に浮かべる種類の笑みだった。

 返事をする気も起きないのか、横島はしかめっ面で満天の星が輝く夜空を見つめていた。

 

 戦には次の三つの物が必要と言った偉人がいた。

 天の時、地の利、人の和。

 簡単に言えば、時の運と地形効果と友情パワーの事だ。

 この三つの中で、一番強いのが友情パワーで、次が地形効果。最後が時の運と言われている。

 

 だがどうやら、このファンタズマゴリアという世界では時の運が一番重要らしい。

 団結も戦略も神の気まぐれでひっくり返る。人の知恵と努力を嘲笑うかのように。

 

「とりあえず、どうにかなりましたわ」

 

 幼女の姿をした神にも等しき存在は、人を嘲笑う余裕もなく、ただ安堵の溜息をついていた。

 相当強引ではあったが、天文学的確率の『偶然』で全てを済ませることが出来た。『敵』が手を出してくることは無いだろう。

 マロリガンの部隊は事態に気づいて大急ぎでスレギトに向かっている。横島達はこの騒ぎで行軍速度が落ちるだろうから、相当ギリギリではあるが、これで何とかなるはずだ。

 

「さて、何とかなったことですし、ちょっとお風呂にでも入ってきますわ。ルンルン」

 

 幼女は見た目相応の、しかし年齢不相応の浮かれた様子で風呂に向かう。

 残された三人と一匹は顔(目)を見合わせた。

 

「これは、あれですか」

「そうだね、あれだねぇ」

「あれというやつか」

「キュガァァ」

 

 ある者は肩をすくめて、ある者は溜息をして、ある目はウルウルと涙を流す。

 三十分後、ほかほかした幼女がタオルを頭にして戻ってきた。

 

「ふう、いい湯でした」

 

 雪のように白い肌がほのかに赤く染まっていて、どこからともなく取り出したアイスキャンディーをチュッパチュッパと舐めていた。

 

「テムオリン様、まずはご覧下さい」

 

 タキオスが横島達の様子を映した空間を切り取って持ってきた。

 そこには、凄まじい速度で砂漠を横断しようとする集団が写っていた。

 言うまでもなく横島たちだ。体力が削られるのを承知で強行軍を敢行している。

 どうして無理してまで移動しているか。その理由はこうだ。

 

 自分達は悪意を持つ意思に足止めをされている。

 敵が何かは分からないが、それだけは間違いないと全員が感じていた。 

 これは逆に言えば、早く動けばそれだけ自分たちに有利になるという事だ。

 だから悠人達は多少の無理は承知で更なる強行軍を行った。

 羽を持つブルーとブラック。まだ赤マナ適性があるレッド。高い神剣加護を得ているエトランジェはともかく、羽がないグリーンスピリット達はかなり苦しそうだが、それでも歯を食いしばって走り続けている。

 ロボットとの戦いで遅れが出たが、なんとか遅れは取り戻せそうな勢いだ。

 

「困りましたわ」

 

 途方に暮れたように幼女がうな垂れる。

 もはやスレギトは目と鼻の先だ。

 いくら幼女達が世界をすき放題出来るといっても限界はある。出来ないものは出来ないのだ。

 

「最悪、候補者は単独でラキオスとやりあうわけか。こりゃあ、倍率を変えてもらわないと」

 

「これでもし賭けに勝ったら、壊しがいのある世界を四つ五つは譲って頂きたいですねえ」

 

 マロリガンにいる二人に賭けている男と女は自分たちが絶対的に不利に追い込まれて、しかもその理由が普段ふんぞり返っている上司の不備によるものだから好き勝手を言い始めた。

 タキオスは沈黙を守っている。もともと饒舌な男ではないが、下手に口を開いても面倒ごとに巻き込まれるというのが、長い従者経験で理解しているからだ。

 

「キュガ、キュガ!」

 

 ちなみに目玉の化物は賭けの胴元であるため、倍率が高い二者が転落しそうなのでご機嫌だった。

 

 そこに、またローブの男が現れた。

 気落ちする幼女に向かって歩を進めて、膝をつくと彼女の耳に何かを呟く。

 くわっと幼女の目が輝き見開いた。

 

「うふふ、グッドですわ! 何と気の利く部下でしょう! あの不確定要素で、どう彼を苦しませようと考えてはいましたが、ここで使ってしまいましょう」

 

 目的地まであと少し。

 悠人達の足は自然と速まっていく。

 

「ユート殿、少しお待ちを」

 

 そこで不意に声が掛けられる。

 いつの間にか、悠人と並走していたウルカだった。

 

「この辺りは兵を伏せるには絶好の場所。用心を」

 

 基本的に平坦な砂漠であったが、全部が全部平らなわけではない。

 ちょうど走り抜けようとした箇所は両脇が砂が盛り上がっていて、小さな山が出来ている。身を隠すには最適で、奇襲には持ってこいだ。

 それに目的地が目の前となると気が焦って視野が狭くなりやすい。悠人も、もし兵を伏せるならここを選ぶ。

 

「ありがとうウルカ。索敵を頼む」

 

 皆が周囲に散って、極力飛ばないようにしながら周囲を探り始める。

 すると、

 

「みなさ~ん! ちょっと来てください!」

 

 ヘリオンの困惑した声が響いた。

 傍にいた悠人がいち早くヘリオンの所へいくと、そこには三十代後半程度の男と、ローブに身を包んだ数十人の集団があった。

 男は小さな眼鏡をかけて、鼻が大きいのが特徴で、ローブの集団は顔も性別も分からない。

 敵かと警戒した悠人だが、男はにこやかに悠人に笑いかけてくる。

 

「おお、これはこれは。その出で立ちはラキオスの勇者殿でしょうか?」

 

 男は丁寧そうに言って悠人に頭を下げる。

 

「あんたは?」

 

「私は旅商人でしてね。スレギトで仕入れた商品を売り歩いているのです」

 

「荷駄も何も無いように見えるけど」

 

「ええ、商品はこれですよ」

 

 男は顎で分厚いローブで全身を覆い隠した一団を示した。

 思わず悠人は顔をしかめた。奴隷と言うやつだろう。

 顔も体も見えないので性別すら定かではない。ただ人間であるのは間違いないだろう。なぜなら神剣反応がないからだ。

 万が一だが、神剣を持っていないスピリット可能性もあるが、それなら戦力にならないから危険はないだろう。

 奴隷と聞いて酷く不快だが、とりあえず警戒度を引き下げる。

 

「ラキオスでもマロリガンでも奴隷は認めていないぞ」

 

「そこは、まあ蛇の道は……という奴でして」

 

 男は愛想笑いを浮かべる。

 良い気持ちはしないが、逮捕権など悠人は持ち合わせていない。かと言って、見て見ぬ振りをするのもどうだろう。

 どうしたものかと悠人が頭を悩ませていると、

 

「随分と愛想笑いが上手くなったようだな……茶番を」

 

 冷たい声が悠人の後方から響いた。

 能面のような表情のウルカが、ゆっくりと歩いてくる。

 その後ろにエスペリアの姿もあった。

 

「なるほど。貴女はラキオスに入ったわけですか。やはりラキオスのお得意先もろとも情報源がヨコシマによって潰されたのが痛いですねえ」

 

 男は呟きながら、現状を把握しているようだった。

 そんな男に、ウルカは珍しく怒りを隠さない。

 

「商人などと、たわ言を」

 

「ふふ、嘘は言っていないですよ。私はユキノジョウに追放されて、細々と暮らしているのです」

 

「それだけ血色の良い肌をして、よくも言うものだ」

 

「それはまあ、私の商才がなせる技ですねえ……いえ、ウルカ。貴女の指導が良かったからかもしれません。

 彼女らは実に高値で売れましたよ。そしてエスペリア……そんな後ろで震えていないで、もっと良く顔を見せてくれませんかねえ」

 

 ウルカとエスペリアの体が震えた。

 一人は怒りによって、もう一人は恐怖によって。

 ただ事ではない様子に、悠人は困惑と警戒で思わず『求め』に手をやっていた。

 そこに、横島達が合流する。

 

「その顔……おまえが、ソーマか?」 

 

 横島が男の顔をじっと見つめた後、静かに問う。

 

「はい、私がソーマですよ。以後よろしく」

 

 商人の男――――ソーマが名乗った直後だった。

 

「じゃあ、死ね」

 

 横島はさらりと言って、サイキックソーサーをソーマに投げつけた。

 それはあまりに自然な動作で、悠人達は止めるまもなく呆けた顔で横島が殺人を犯そうとしてるのを見るしか出来ない。

 サイキックソーサーがソーマの頭部に当たる――――直前に、飛び込んできたローブの奴隷が剣でサイキックソーサーを叩き落す。

 

 黒い外套の下にいたのは、きちんとしたエーテル戦闘服を着込んだスピリット達だったのだ。

 しかも、ちゃんと神剣を手に持っている。彼女らはソーマを守るように陣取った。

 

 悠人も、他のスピリット達も二つの意味で驚いた。

 一つは横島が強烈な殺意を持ってサイキックソーサーを投げた事。

 もう一つは、今の今まで神剣反応が無かったことだ。神剣を持ったまま反応を消すのは、非常に難しい。特に至近距離まで近づいても知覚出来ないほどとなると、よほどの適正があるか、最高レベルの実力者でないと不可能だ。

 ラキオスでも完璧に出来るのはウルカとファーレーンぐらい。それから横島やアセリアと言った実力者が、それなりのレベルで習得している。

 

 ここにいる全員が警戒度を最大まで引き上げて、神剣を構えた。

 このスピリット達は、自分達と同等以上の強者だ。それが同数。そして、横島がここまで敵意をむき出しにする相手。

 セリア達は横島にソーマに関する説明を求めなかった。説明できる状況でもないし、何より横島がここまで殺意を向けているだけで、この男が最悪の敵だと分かる。

 

「横島、説明は後で良い」

 

 悠人もそれだけ言って、『求め』を構える。

 ただ一人、神剣を構えていないのはエスペリアだ。彼女はまだ、震えている。

 

「ふう、まったく何て事だ。見逃してはくれませんかねえ。私はラキオスと敵対する意思はこれっぽっちもないのですが」

 

 殺されかけたソーマはやれやれと面倒そうに両手を挙げる。

 そこには不運を嘆くだけで、殺されかけた疑問はなさそうだった。こうなると予想していたらしい。

 

「むしろ私は味方ですよ。サーギオスにて暴虐に振舞う『闘争』のユキノジョウを倒すために、私は一市民でありながら勇気を振り絞ってスピリットを率いているのですから」

 

「貴方の言っている事が正しいという保障はありません。なにより、どの国においても、個人がスピリットを所有するのは認められていません」

 

 セリアがきっぱりと言うと、ソーマは両手を挙げてヘラヘラとした笑みを浮かべる。

 

「このスピリット達はどの国にも所有されていませんし、私はサーギオスを追放された流浪の商人です。国籍も持たないのに国法を守れといわれましてもねえ」

 

「黙れ! お前がスピリットを使ってイースペリアの王族を脅して、スピリットをサルドバルトに侵攻させた上で王族を殺したのは察しがついてんだ!!」

 

 横島がそう叫んで、ウルカを除く全員が驚愕する。

 その様なことが可能なのか。そして横島の言っていることが事実なら、このソーマという男は相当の大罪人という事になる。

 

「何を言い出すかと思えば。私は王の命を聞いただけですよ。貴方達と同じです。同じ人間の掌で動いて、より多くの人間を殺したのはどちらですかねえ」

 

 ソーマは嘲笑しながら、事実を言った。苦い顔になるスピリット達。

 だが、横島だけは聞く耳持たずと言った様子で、殺意と『天秤』をソーマに向け続ける。

 

「やれやれ、交渉は無駄みたいですか。エトランジェというのはどうしてこうも話し合いができないのやら……まあ、出会えばこうなるのは想定内ではありますが……だからこそ絶対に出会わないように、と考えていたのですがね」

 

 ソーマはことさら大きく息を吐いた。どうやらこの出会いは彼にとって相当不運であるらしい。

 私も覚悟を決めますか。

 それだけ言って、ソーマは柔和な笑みのまま目つきだけは爬虫類のように変えた。

 その目は相手を内面を無造作にのぞき込むような嫌らしさで満ちていて、とにかく不快を与える顔つきだ。

 

「では、改めて自己紹介といきましょう。元ラキオス所属のスピリット調教師であり、元サーギオス調教師。現在は都市を巡り歩く一介の善良な商人。ソーマ・ル・ソーマと言います。

 今後ともよろしく、とスピリットの皆さんには言っておきましょうか……顔なじみはいますけどねぇ、エスペリア、ウルカ」

 

 嫌らしい笑みのまま、ギョロリと爬虫類の目をエスペリアに向ける。

 

 この時点で悠人も分かった。

 こいつは敵だ。それも今までの人間たちのようにスピリットを傷つける存在ではない。

 この男はスピリットを歪め汚し堕とすものなのだと。横島や悠人とは正に対極の存在だ。

 

『横島! 落ち着け! 間違っても飛び出すなよ……この心を失ったスピリットらは半端ではない』

 

「くそ、分かってるよ!」

 

 『天秤』の言葉に横島は口惜しげに答える。

 これでも長年戦い続けてきたのだ。危険な相手かそうでないかぐらい、見れば察しはつく。

 敵スピリットは一人一人がセリア達と同等かそれ以上だ。真正面から戦いを挑めば、負けないまでも相当な被害が出るだろう。

 最悪の場合、生き残れるのは横島だけの可能性もあった。

 

「何名か見たことがあるスピリットがいます。確かイースペリア、サルドバルトで腕利きと言われた者たちです」

 

 ヒミカが驚いたように言う。

 元々は同盟国だけあって、スピリットの顔ぐらいは知っている。

 

「ええ、ええ、その通りでしたよ。このスピリットは優秀で心も強かった。私などとは比べ物にならぬほどに。

 ただ、無能で愚鈍な私にも一つぐらいは特技がありましてねぇ。スピリットの調教に関しては大陸一と自負しているのですよ……私ほどスピリットの肉と心を知り尽くしたものはいないでしょう」

 

 ソーマは隣にいるブルースピリットの頬をなで上げながら、さらに言葉を続ける。

 

「外側からの絶望ではダメなのですよ。内側から……自分で自分を絶望させなければ。絶望させるまでは心を待たせなくてはいけないのです。

 凡百の調教師どもはそこが分かっていない。言葉の強制力によるマインドコントロールや、性交による快楽と堕落だけでは中途半端に心が残ってしまう。下手に自意識を失うと、心を完全に消すのは難しくなってしまいますからねえ。

 自身の拠り所を自分自身で破壊する。自分自身がいかに醜く汚れているかを自覚させる。自己の否定……それがもっとも効果的である、というのが私の持論なのですよ。

 貴女なら分かるでしょう、エスペリア」

 

 ソーマは自分の理論に酔うように恍惚と語る。

 話を振られたエスペリアはただ震え上がるだけだった。

 

 あまりの怒りとおぞましさに、悠人の理性は振り切れる寸前だ。

 この男は邪悪だ。邪悪とはここまでおぞましく、そして気色が悪いものだとは思いもしなかった。

 『求め』を握りつぶさんばかりの力が拳にこもる。

 駆け出さなかったのは、ひとえに震えるエスペリアの存在が背にあったからだ。常に最前線に立って楯となるエスペリアが、子供のように震えている。どれだけの増悪があっても、今のエスペリアをほっぽり出す事は出来ない。

 

 他のスピリット達も怒りを感じていたが、しかし戦おうとしなかった。

 命令もないし、何より敵スピリットは相当な腕前だ。むやみに飛び掛ればウルカや横島でも危ない。

 それに、今は急いで都市を攻略しなくてはいけないのだ。こんなところで戦っている場合ではない。しかし、背も向けられない。

 場の主導権はソーマによって握られていた。

 

「そうですねえ、調教例としてエニ・グリーンスピリットをあげてみますか。故ラキオス王から拝領した珍しき金髪のグリーンスピリット。彼女は調教に抵抗しました。

 すぐにピンと来ましたよ。あの顔は、愛しい誰かを思い浮かべて耐える顔だと……貴女のお陰ですよお、エスペリアァ!」

 

 身の毛のよだつ声を掛けられて、エスペリアはとうとう悲鳴を上げた。

 

「それ以上、エスペリアを語るな!!」

 

 悠人は『求め』を構え、殺気を込めてソーマをにらみつけた。

 このソーマという男がエスペリアを苦しめている。こんな男が自分の知らないエスペリアを知っている。

 それがたまらなく憎くて、悔しく、そして不安になる。

 

「ええ、良いでしょう。もうエスペリアについては語りません」

 

 嫌らしい笑みを浮かべつつ、ソーマはエスペリアに関しては口を閉じた。

 だが、それはいわば棘だった。真実をあえて言わないことで、悠人とエスペリアの間を歪ませようとする楔を埋め込んだのだ。

 これで悠人はエスペリアが真実を語らない限り想像するしかなくなる。

 やらされた事、されなかった事。それが分からず、悠人は悶々とするだろう。

 

「では話をエニに戻しましょう。その日の調教が終わらせてエニの部屋を覗くと、一体どこから持ち込んだのか、エニは刀の人形を作っていました。

 テン君テン君と、己の意思を確認するように針に糸を通しながら泣いていました。

 神剣に懸想するとは……なんと愚かなスピリットなのでしょう! ですが、私はこの幸運に感謝しましたよ『ありがとうテン君』と私も言ったほどです」

 

『この男!』

 

 『天秤』の憎しみが横島にも伝わってきた。

 心に憎しみと殺意に満ちて、全身に力が漲って意識が遠くなる。

 必死に冷静になって『天秤』を押さえつけようとしたが、横島にしてもソーマが憎い事には変わらない。

 この男のせいで、どれだけのスピリットが絶望で心を砕かれたことか知っているのだ。

 

「心の拠り所を見つけたら、後は簡単です。彼女の心身を汚しながら、愛しの『テン君』が見てますよと人形を見せつければ良い。まあ、私の類稀な調教技術があるからこそ簡単なんですがねえ」

 

 得意そうに語るソーマに、誰もが声も無く、ただ怒りをこらえる。

 気づけば、ソーマの周りではスピリット達が見事な防御体勢を作り上げていた。もはや攻撃できる隙などありはしない。

 その無常な現実が、横島と『天秤』の理性をつなぎ続ける。

 

「ただ、最後の最後で失敗してしまいました。仕上げのつもりでテンくんを壊しなさいと言ったら、まさか人形ではなく本物を砕きにいくとは……一体どうしてこんなミスをしてしまったのか不思議です」

 

 ソーマは演技のように肩をすくめて額に手を当ててみせた。

 カチカチカチと歯を鳴らす音が響く。ぐ、ぐ、ぐと声にならないくぐもれた音が喉から漏れる。

 横島は、『天秤』は、必死に耐えた。今ここで戦えば良い結果にはならない。

 だが、ソーマは最後の一押しを押す。

 

「ふふ、テン君、私が育て上げたエニの体は、美味しかったですかぁ」

 

 人の声とは思えないような叫びを上げて横島が『天秤』を振り上げながらソーマへと走った。悠人達は止める暇すらなかった。

 『天秤』に精神を乗っ取られた、訳でもない。かと言って、横島でもない。

 それは一人と一本の怒りの塊。

 二人の怒りが重なり増幅することによって理性は完全に破壊され、怒りの獣となっていた。

 

 横島の前面にグリーンスピリット達が割り込んで障壁を作る。その動きはスムーズで、完全に狙っていたものと分かる。そして横からはブルースピリットとブラックスピリットが横島に迫る。必殺の布陣だ。

 エスペリアに匹敵するほどの障壁を多重に展開されたが、だが横島は力任せに前面の壁を粉砕する。横島と『天秤』の精神が合致した今、異常なほどの力が彼らに宿っていた。

 だが、すぐに新たな壁が立ちふさがる。

 

「がああああああああ!!」

 

 横島は絶叫しながら、その全身を黒い炎で包み込んだ。その炎でグリーンスピリットを焼きながら吹き飛ばす。

 その黒い炎はウルカには見覚えがあった。

 ブラックスピリットの神剣魔法で、サクリファイスと呼ばれる禁技だ。自身を供物とすることで、生命力を地獄の炎に変換して敵に与える攻撃魔法。

 使えば死ぬか、生き残っても死ぬ寸前まで追い詰められるほどの、敵にとっても自分にとっても凶悪な絶技である。

 横島が使ったのはそれの応用だろう。そして、詠唱もせずに発動したからには制御などできようはずもなく、横島の死は約束されたも同然だった。

 

 全身を黒い炎で燃やして、悲鳴とも怒号をとも取れる絶叫を上げながらも、スピリットの壁を粉砕してソーマに肉薄する。横島の後方からスピリット達が追いすがるが、届かない。

 だが、最後に一人のブラックスピリットが横島の前に立ちはだかった。

 年の頃は、まだ十歳にもなっていない。他のスピリットとは違ってエーテルの戦闘服ではなく、あられもないところが見え隠れする襤褸を纏っていた。実力も大したことが無い。

 さらに感情も残っていて、悪魔のごとき横島の前で震えながらも神剣を構えている。

 

 今の横島が触れれば、それだけでマナの霧に帰るほどの弱弱しい少女。到底、肉壁にすらなりようがない。

 だが、少女は唯一、横島の足を止めることに成功する。理由は簡単。足を止めねば、この少女を殺してしまうからだ。

 例え理性を失った獣となっても、哀れな子供を押しつぶす事は彼の、いや彼らの本能が拒否した。

 足が止まり致命的な隙が生まれる。追いついたスピリット達が、横から、後ろから、神剣を突き出して横島の肉体に埋めていった。

 

 横島が突撃して、数秒も経っていなかっただろう。

 刀が三本、槍が一本、西洋剣が二本。横島の体に深々と突き刺さっていた。

 さらに上空から、黒の翼をはためかせたブルースピリットが横島めがけて降下してくる。

 

「――――――だ!」

 

 誰かが何かを叫んだが、それは横島を救うこと叶わず。

 

 空中からブルースピリットが降下して、白刃を煌めかせながら地面に着地する。

 同時に横島の首はポロリと胴体からこぼれ落ちて、怒りの表情のまま、砂の中に埋まった。

 

 


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