永遠の煩悩者   作:煩悩のふむふむ

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第二十九話 312分枝系統67320世界00065294時間断面

 いったいどれだけ集めれば良いのか。

 ミリメートル程度の薄さしかないガラス片のようなものを、野太い指で慎重に掴みながら、大男のタキオスは嘆息する。

 見鬼君と呼ばれる人形は「こっちこっち」と誘導してくれるが、件の物に接近すると精度が落ちるため最後は目視で見つけなければならない。

 視力も人を超越しているとはいえ、それでも目を皿のようにしなければいけない任務は非常に疲れるものだった。しかも、これが何で、何に使用するかも分からないことがそれに拍車をかける。

 そんな時だった。

 見知った神剣の反応が近づいてくる。

 タキオスは犬歯を剥き出しにした。これぐらいの戯れは許されるだろう。

 

「ストレス解消とするか」

 

 

 森の中を横島、悠人、アセリアの三人が彷徨っていた。

 ただの散歩というわけではなく道に迷っているわけでもない。

 付近の住民から森の中にマナ結晶が落ちていたと報告があったのだ。

 

 マロリガン政府はボロ負けにより戦争を継続すべきか議論を続けていたが、レスティーナが緩い条件での講和を申し出ると和平に傾きつつあるらしい。このまま進めばマロリガンとの戦争は終わるだろう。そうすればシロとタマモとも戦わずに済む。

 おかげで手の空いた悠人とアセリア、そして横島は町人をナンパして迷惑をかけた罰として、休みを返上して仕事に出たというわけだ。

 横島の機嫌は最悪だった。

 

「当てもなく探してて、本当に見つかるのかよ」

「当てはあるさ。マナ溜りがある所にマナ結晶がある……事が多いらしいな。大きさもあるしキラキラ光ってるらしいぞ」

「隊長を二人駆り出す必要なんてないだろうが」

「人様に迷惑かけて文句を言うな。マナはいくらあっても足りないって事は無いんだからな」

「ん、口よりも手を動かす」

 

 悠人とアセリアが横島をたしなめて、横島はさらに不機嫌そうに黙り込んだ。

 イライラの原因はマナ結晶探索ではない。悠人とアセリアが原因だった。

 

 アセリアはさりげなく悠人を見ている。その表情は恋する乙女のような熱情は感じられないのだが、ただ澄み切っていて綺麗としか横島には言いようがない。

 悠人は悠人で、それとなくアセリアの前を行って歩きやすいように道を作っていた。

 バカップルのようなイチャイチャではないが、深い信頼を感じられる二人を見せられて横島の機嫌は絶賛大降下中なのである。

 

「隕石でも落ちて爆発せんかな~」

「おい馬鹿やめろ」

 

 それが洒落にならないと知っている悠人とアセリアが半目で横島を見る。

 横島はへーへーといい加減に返事をした。こんな事ならヒミカ辺りを拝み倒して付いてきてもらうべきだった。それが無理ならネリーやヘリオン辺りについてきてもらえば、まだ楽しかっただろうと思う。

 そんなこんなしながら森を歩き回り、その男が現れた。

 全身が筋肉で覆われ、黒い意匠を凝らしたジャケットのような大男。

 その手には刃渡りだけで2メートルはあろうかという武骨な神剣が握られていた。

 ただ、何故か肩に和服を着た妙な人形が置かれている。

 

「な……に……?」

 

 悠人は歯を打ち鳴らした。

 神剣を持つ手が恐怖で震える。

 

 恐怖という感情は別に珍しくない。この世界に来て幾度と無く味わってきた。

 初めて戦場に出たときの恐ろしさを、悠人は忘れたことが無い。

 死という圧倒的で根源的な恐怖。

 木々が少し揺れただけで震えて、鳥の声に怯えて、アセリアやエスペリアすら怖かった。

 死ぬかもしれない。どうしてただの高校生だった自分がこんな目に。逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい!

 そこに強い弱いは関係なかった。

 命をやり取りするという恐怖。大切な人を失うかもしれない恐怖。

 それこそが悠人にとって恐怖と言うものだった。

 

 だが、今感じているものはまるで違う。

 ただひたすら恐ろしい者。圧倒的な強者。どうしようもないもの。

 『求め』よりも上位の永遠神剣!

 

「ユ……ト」

 

 アセリアが声を掠れさせて悠人の名を呼ぶ。

 例えスピリットの大軍と相対しても表情一つ変えず突貫できるあのアセリアが、真っ青な表情で神剣を構えている。

 アセリアの永遠神剣『存在』は相手の特性を察知できる、ような事があるらしい。その彼女にとって、この男の存在はどれだけ恐ろしいものに見えていることだろう。

 

「俺と戦ってもらおう」

 

 大男はただそれだけを言って、身の丈はありそうな巨大な神剣を構える。

 悠人は両親の顔を思い出していた。

 

「……ちくしょー!! 今日は厄日じゃ~~!!」

 

 横島は涙交じりに怨嗟の声を上げる。そして愚痴りながらも『天秤』を構えた。

 戦いの準備を始めた横島に悠人は目を剥く。

 

「横島! お前はアレと戦って生き残れると思ってるのか!?」

 

 悲鳴に近い声色で悠人が叫ぶ。

 アレと戦うくらいなら、単身でマロリガンに乗り込んで国一つ滅ぼすほうが遥かに容易だ。

 逃げるしかない。それ以外の道などありはしない。アレはケタ違いすぎる。

 

「うっさいわあ! 逃げるのも無理だし、小細工も無駄なんだぞあいつは!」

 

「お前、あいつと戦ったことがあるのか!?」

 

「……あれ、言ってなかったか?」

 

「言ってない! そんな大事があったら報告しろよ!」

 

 怒鳴るように悠人が言って、横島もはてと首をかしげた。

 何故言わなかったのか。というよりも、どうして忘れていたのか。記憶そのものはあったのだが、どういうわけかタキオスの存在を意識外に追いやっていたらしい。

 自分自身の事ながら、これは不自然すぎた。だが今はそれどころでは無い。

 

「とにかくだ、あのムキムキはメチャクチャやばいぞ!」

 

「そんなの見りゃ分かる! 一体何なんだよ、アイツは!」

 

 悠人の言うことは尤もだった。

 まったく唐突に、最高クラスの力を持つ横島や悠人を遥かに凌駕する化物が出現したのだ。

 そして今回も見鬼くんを持っている。何かを捜し求めているのは間違いない。探し物は霊力に付随する何かだろう。マナ結晶ではない、あのガラス片なのだろうが、それが何かは分からなかった。

 

「俺の名はタキオス……名前はどうでもよいだろう。戦士と戦士が出会ったのだ。ならばやることは一つ」

 

 タキオスは刃渡りだけで二メートルはありそうな黒く無骨な神剣を横島達に向けた。

 

「力を見せろ。策を見せろ。俺を仰天させ、倒して見せろ」

 

 圧倒的な闘気をタキオスは全身から立ち上らせる。

 

 あ、本当にこれは無理だ。

 

 横島は勿論、悠人もアセリアも理解する。

 戦うなどありえないと。とにかく逃げるしかない。しかし逃げられない。

 どうにかして戦闘を回避できないか。三人は必死に考えを張り巡らせる。

 戦意の低さをタキオスは即座に理解して眉をひそめた。

 

「……戦う気はないか。『天秤』の契約者も『求め』の契約者も、彼我の戦力差を理解しているのは分かるが、これではな……まあ、所詮は暇つぶしだ。いいから掛かって来い!」

 

 暇つぶしとタキオスは言った。その言葉に嘘はないのかもしれない。

 圧倒的な闘気のようなものは感じるが、殺意のようなものは感じなかった。

 殺す気がないのは本当かもしれない。純粋に暇つぶしに戦いたいだけなのか。

 ならば、下手に逃げようとする方が危険かもしれない。

 

「ユート、きっと逃げられない。だから、やるしかない」

 

 アセリアは覚悟を決めた表情で言った。

 確かに、やるしかないのなら、やるしかないのだ。悠人も覚悟を決めた。

 どう戦うかも決まりきっている。

 小細工しても無駄。あの小細工が得意な横島がそう言っているのだから、不器用な自分やアセリアが下手に考えてもしょうがない。

 ならばやれることは、ただ一つ。

 

「アセリア! 俺たちが放つことが出来る、最高の一撃でいくぞ!!」

 

「ん、分かった!」

 

「バカ剣! 全力で気張れ!!」

 

「『存在』よ、力を!!」

 

 精神を集中して神剣の力を引き出しながら、二人は自然と寄り添った。

 威力を上げるために二人同時に、一箇所に攻撃を集中させる為だ。白色のオーラと青色のオーラが神剣から立ち上る。

 キィンキィンと甲高い音が二人の神剣から発せられた。二つの音は最初はバラバラに木霊していたが、そのうちに重なり始めてついに一つの音となる。爆発的なオーラが高まっていく。

 悠人とアセリアに起こっている現象について横島は心当たりがあった。

 イースペリアのマナ消失の際にセリアとの間で起こった神剣の共鳴現象である。

 

 この共鳴現象とやらは、恐らく文珠の『同』『期』に近い現象だ。

 流石に力が数千倍ほど上昇することは無いが、数倍以上は上昇しているだろう。

 

「ほう」

 

 共鳴現象に気付いたタキオスが歯をむき出しにしてニヤリと笑う。

 肉食獣のような獰猛な笑み。しかし、瞳の奥には子供が新しい遊び道具を見つけたようなキラキラした輝きがあった。

 善悪を超越した純粋な狂気――――行き着くところまで行き着いてしまったバトルマニア。

 雪之丞に少し似ている、と横島は感じた。

 

(これなら逃げられるかも)

 

 掌にこっそりと文珠を出現させる。

 悠人達が攻撃した直後、二人の下に駆け寄って文珠による『転移』。

 いかにこの桁違い男でも二人の同時攻撃を受けた直後に行動するのは難しいはずだ。避けられる危険もあったが、このバトルジャンキー男なら、きっと受け止めるだろうという予想ができる。

 

「いっ――――」

「けぇぇぇぇ!」

 

 二人の気合いの声と共に神剣が振りおろされ、青と白が交じり合ったオーラによる光の矢がタキオスに向かう。

 それはさながら、青龍と白龍が絡まりあいながら相手を飲みほそうとしているようだった。

 

 ――――これなら倒せるんじゃないか。

 

 神々しいまでの力を見て、横島は思わずタキオスを倒せるのでは、と希望を見てしまう。

 

 希望は現実を見る目を曇らせる。

 横島が楽観的な希望を脳内に描いたのはコンマ数秒程度。

 だが、そのコンマ数秒が分かれ目だった。

 

 光の矢がタキオスに命中する。

 天地揺るがす爆発が起きるかと思ったが、タキオスの展開した闇色のオーラは音も衝撃も飲み干すように静かに光を受け止めかき消してしまう。

 爆発に紛れて逃げようと考えていた横島は舌打ちして、僅かに遅れて二人の元へ走る。

 

 ボキン。

 

 小気味の良い不吉な音が横島の耳に聞こえて、右手に痺れが広がる。

 ポトリと、右手に持っていた『転』『移』の文珠が零れ落ちた。

 一体なんぞやと右手を見ると、タキオスの丸太のような腕が横島の腕をマッチ棒のようにへし折っていた。

 僅かな空白の後、

 

「いっでぇぇぇぇぇぇぇぇ!! こんにゃろう!!」

 

 叫びながらも左手に持った『天秤』を無理やり突き出すが、空しく宙を切って横島は地面に転がった。

 

「折れた折れたぞくっそ痛てえよ! 早く医者か魔法か無修正エロ本をよこせー!」

 

「魔法なら既にかけたぞ」

 

 平然とタキオスが言って、改めて右手を見るときれいさっぱりと治っていた。いつのまにか治療されたらしい。

 もう嫌だ。

 横島は狂気の筋肉を相手にして半べそをかいていた。

 一方、悠人は一連の横島達の動きが察知できず混乱したが、ようやく場を把握したらしい。

 

「くそ、避けられたのか!?」

 

「違う。威力を確かめるために受け止めてから動いただけだ」

 

 こともなげにタキオスは言った。

 タキオスには怪我一つ無かった。それどころか浅黒い肌には跡一つ無い。

 あの馬鹿げた威力の悠人とアセリアの攻撃でも、薄皮一枚すら傷つけられないというのか。それも攻撃を受けてから動いたという事は、スピードも桁違いという事だ。

 タキオスの力は恐ろしいものだったが、それ以上に戦慄するのはこれからだった。

 

「横島よ。貴様は先の一撃を見て、俺を倒せるかと希望を持ったな。それが文珠による退避行動を遅れさせた」

 

 完全に考えを読まれていて、刹那の感情すら読まれていた。

 

「そんなゴツイ顔をしてサイコメトラー能力でも持ってんのかー!?」

 

「読心能力などない。だが、眼球の動き、筋肉の硬直、場の流れ、判断材料はいくらでも転がっている。例え霊力の流れは掴めなくとも、なにを考えているかは経験が教えてくれるものだ」

 

 横島も悠人もアセリアも言葉が無かった。行動どころか感情すら読まれている。

 圧倒的な神剣の気配もさることながら、この男の実力がただ神剣のみではなく、この男自身にある事は紛れも無い。

 神剣の強さとか、剣の技量とか以前に根本的に戦士としての経験地が違いすぎた。

 

「まさかこれで打つ手がなくなったわけではないだろう。さあ、次はどうする」

 

 まだまだ遊びに満足していないらしく、タキオスは次の手を示せと悠人達に要求する。

 

 どうするもこうするも無かった。

 どうしようもない。本当にどうしようもなかった。

 この男の防御を打ち砕く火力をどうやってもひねり出せず、さらに不意を突く事も出来ない。

 これはもう、完全に詰んでいる。

 

 悠人とアセリアはちらちらと横島を窺う。

 それでも横島なら、横島ならなんとかしてくれる!

 そんな淡い期待を込めていたのだが、

 

(無理なもんは無理じゃボケぇー!!)

 

 いくら考えても妙案など出てこない。

 もしもダメージを与える方法があるとしたら、それは相打ち覚悟の特攻しかないだろう。

 少なくとも攻撃に対して防御はしているのだ。相手の攻撃に合わせてこちらも剣を振るえば、あるいは。

 だが、一撃で倒せなければ即座に回復されるだろうし、確実にこちらは死ぬ。

 もし特攻するのならば蘇生魔法の準備が必須だった。この場では出来ようもないし、そもそもいくら蘇生魔法の準備があっても、横島は特攻などするはずもない。

 

 やはり逃げるしかない。横島は決断する。

 悠人達と一緒に逃げることはできなくとも、自分一人だけなら逃げられる可能性はある。悠人達には悪いが殺されることだけは無いだろう。

 こっちを追いかけてきたら、その時は悠人達に増援を呼んでもらうまで逃げ惑うしかない。戦うならともかく、逃げるなら一人の方がやりやすいのだ。

 タキオスの遥か後方の、何も無い空間を睨みつける。

 あそこにテレポートして後はゴキブリのごとく逃げるしかない。

 

「まったく」

 

 タキオスが呆れたように言って、神剣の柄を強く握った。

 するとタキオスの後方で、いきなり空間が割れた。

 切断された空間は横島がテレポート――――エーテルジャンプを試そうかと考えた場所である。

 このままエーテルジャンプをしていたら、実体化した瞬間に真っ二つになっていただろう。

 

「滅茶苦茶すぎるだろうがー!」

 

 横島は涙目で絶叫する。

 一連のやり取りが分からなかった悠人とアセリアは首をかしげて、タキオスは嘆息した。

 

「魂、空間、時間、因果律等を操る能力は確かに強力だ。だからこそ扱うマナも多く、時間が掛かり対抗手段も多い。故に、能力の研鑽と戦術の構築が重要となる」

 

 滔々とタキオスが語る。

 

「横島よ、一つ忠告しておこう。お前は多くの能力を持っている。だが、それは『能力』であって『技』ではない。能力は始まりだ。能力を研鑽し『技』にまで昇華することで初めて技術となる。さらに『技』を練磨して『必殺技』と呼ばれるものになる。そこまで至れば、能力など一つで良い。

 だが、それにはひたすらの鍛錬が必要だ。お前向きではないな。お前が目指すのは、状況に応じて最適の能力を選択できるようになること。まず前提として、ありとあらゆる能力を行使できるようになれ」

 

 まるで教官のような物言いだ。

 敵意は一切感じない。それどころか親愛の情すら感じられる。

 『俺の敵になってみせろ』

 闘争と殺戮という欲求を満たすために、タキオスは好敵手に飢えていた。

 

 ――――もうおうちに帰りたい。

 

 さめざめと横島は泣いた。

 

「今回はここまでか。さて、敗北者にペナルティが無いと考えているわけではあるまいな?」

 

 タキオスの前面に黒い魔方陣が作り出す。そこから赤黒い芋虫のようなものが魔方陣から這い出てきた。

 それはずんぐんむっくりとしていて、まるで男性器をより醜悪にしたような触手だった。

 

 悠人の脳裏に、ある映像が流れ込んでくる。その映像とはアセリアが醜悪な触手に無残にも犯されているものだった。

 それは別の未来で起こりえた可能性だったのかもしれない。または、これから起きる事なのか。

 触手は鎌首をもたげながら、ゆっくりと擦り寄ってくる。

 

「させるか!」

 

 迫ってくる触手からアセリアを庇うように悠人は前に出て剣を構えた。

 

「弱者が無駄なことを。さあ、ユートよ、諦めて尻をだせ」

 

「誰が諦めるか! アセリアは守って見せ――――え?」

 

 ――――――え?

 

 よく分からない空気が流れる。今まで絶望的な空気は消えて、代わりに腐臭を放つ弛緩した空間に変貌したようだった。

 悠人は困惑したようにアセリアとタキオスと触手をちらちらと見つつ、

 

「……アセリア?」

 

「違う。触手の狙いはお前の尻だ」

 

 タキオスには男色の気も女色の気もなかった。

 あるのは己が主の為という忠誠心。そして、弱者を食らおうとする強固な意思だけ。

 その忠誠心と強固な意思の全てが、悠人の尻の穴に向けられている!

 

「ひいぃぃ!」

 

 未だかつて無い程の情けない悲鳴を上げて悠人は後ろに飛びずさる。

 誰がそれを責められよう。

 

「逃げられると思っているのか」

 

 一瞬で悠人の背後に回り込んだタキオスの野太い声が、息が、悠人の耳元に吹きかかる。

 

「俺の背後に立つんじぇねえーー!!」

 

 駒のように回転しながら悠人は『求め』を全力で振り切るが、あっさり神剣で受け止められる。

 が、それを悠人は予想していたらしく刀身から爆発を起こして、その反動で距離を取った。

 

「ほう、今のは良い一撃だったぞ。お前の潜在能力も侮れんな」

 

 獰猛な笑みを浮かべるタキオスに、悠人はガタガタと体を震わせる。

 命の危機は去った。しかし、今正に別の危機が訪れている。

 初めて童貞を失った時は無理やり謎のスピリットに奪われた。異世界でのファーストコンタクトは逆レイプというトンデモ初体験だ。

 それはまあ衝撃的だったが滅茶苦茶気持ちよかったので、そこまで気にしてはいない。

 だが、いくらなんでもこれは嫌だ。

 

「あ、アセリア、横島! 助けてくれ……あれ?」

 

 哀願するように呼びかけて返事がなかった。近くに二人の姿がない。

 キョロキョロと見渡して、少し離れた所に二人の姿を見つける。

 どうやら横島がアセリアの手を引いて離れたらしい。

 

「アセリアちゃん、悠人が帰って来たら黙って軟膏を渡すんだ。それが優しさって奴さ」

 

「そうなのか。ん、分かった」

 

「『ん、分かった』じゃねええええええ!! 助けろ! 助けてくれぇ!!」

 

 本気で泣きに入りかかっている悠人。

 流石の横島も胸が痛んだが、多少の同情で判断を誤る男では無い。

 

「悠人……グッドラック!!」

 

「横島ぁ!」

 

 今までで最高の怒りを悠人は横島に向ける。

 横島にも流石に罪悪感はあるのだが、それでも助けようとは思えなかった。触手を踏んで尻を出すのは絶対に嫌だからだ。

 

「さて、『求め』の契約者よ、これを受け取れ」

 

 そんな悠人の混乱など気にもせずタキオスが何かを投げる。

 投げられたものは鉛筆と紙だった。

 

「触手の具合については具体的に記してもらうぞ。学生をやっていたならば、レポートは書けるだろう。

 改良点もあれば書いてくれ。俺はそれを見て触手を改良し、結婚祝いにカスタマイズされた触手を送る予定なのだからな」

 

 ――――天国のお義父さん、お義母さん、お元気でしょうか。

 俺は異世界に連れてこられて、人間を止めさせられて戦争をしていますが元気です。

 佳織は連れ去られてしまいましたが、俺の命に代えても助け出すので安心して見守っていてください。

 

 さて今日一筆したためたのは、他でもありません。

 俺は尻を触手に狙われています。嗚呼、お義父さんお義母さん、違います。俺は正気なのです。狂気ではありません。

 それは目の前でぐるぐるぐるぐると、ダンゴムシの表皮のような黒と紫芋の光沢を混ぜて蠢いているのです。結婚祝いだそうです。そんな馬鹿な!

 何とかしなくて『求め』『求め』『求め』! この馬鹿剣が、どうして答えない!! ああ、絡み付いてくる!! もっと力をよこせ! うおおおおおおおお魚おおおおおおおおおお!!

 ああ、尻に、尻に!

 

 ――――正気に戻ってください! 

 

 悠人の頭の中に切羽詰った女の声が響く。

 それが妄想でも悪魔でも何でも良かった。とにかく助けてくれ、と悠人は懇願する。

 

 ――――分かっています! 幸いそこはシージスの門付近、今すぐに向えますから!!

 

 その声と同時に、悠人の頭上が光り輝く。

 

「悠人さんのキュッって引き締まったお尻は、渡さないんだからー!!」

 

 光の中から若い女の声が響く。頭の中で響いてきた声そのものだ。

 声は高く、透き通るような響きだったが、言ってることは欲望に濡れていた。

 パリンとガラスが割れるような音が響いて、光から人影が飛び出す。漏れ出した光は悠人に纏わりついていた触手を吹き飛ばしていた。

 それは神聖な光で悠人の頭を正気に戻す。

 

 目の眩むような光が収まると、目の前に女性が一人出現していた。

 白と赤で彩られた巫女服。きめ細かい黒髪のストレートヘアー。その先端を紐と鈴で結っている。

 年はまだ二十前だろう。柔和で温和そうな顔立ちだが、左手に扇を、右手には文字の彫られた短刀を構えていて、童顔ながら中々に凛々しい。

 これぞ日本が世界に誇る『巫女』と呼ぶに相応しい少女がそこにいた。そして、横島も未だにここにいた。

 つまりこうなる。

 

「可愛い巫女さんや~!!」

 

「この私が来たからにはもう安心……ってきゃーー!! 何ですか貴方はーー!!」

 

 巫女パンチが炸裂して横島が宙に舞う。 

 どこか安心できる光景に悠人もアセリアもほっこりしたが、巫女を良く見て悠人は驚いた。

 

「まさか時深なのか?」

 

 悠人はこの巫女――――倉橋時深(くらはしときみ)を知っていた。とは言っても、さして交友があったわけではない。

 この世界に飛ばされる少し前に近所の神社で少し雑談したのだ。顔見知り程度だろう。

 

「お久しぶりです、悠人さん。話したい事は沢山ありますが……今はそういう訳にもいきません」

 

 時深は短刀をタキオスに向ける。

 そこから圧倒的なマナが立ち上った。間違いなく永遠神剣。それも悠人や横島が持つ神剣よりも遥かに強力だ。

 歴史上でも、そして『求め』自身からも、自身の持つ『求め』は最高クラスの強力な神剣だと聞かされていたが、この二人の持つ神剣と比べると月とすっぽんである。

 

「タキオス、一体いつから貴方は衆道に入ったのですか。それも触手を使ってとは業が深すぎます! いくら悠人さんが良い男だからといって」

 

 時深はタキオスと面識があるらしく、その名を呼んで油断なく構える。

 タキオスは表情こそ変えないが若干首を傾げたようだった。

 

「何か勘違いしているようだが、まあ良い。それにしてもここでカオスが出てくるか。貴様らは俺たちが世界に影響を与えるほどの直接干渉を掛けなければ動かないはず。

 ここで『求め』の契約者が触手に犯されても世界に悪影響はあるまい。俺もこの世界から去るからな。

 無かったことになるか、あるいは『通りすがりの男に口説き落とされた』とでも世界は修正可能なはずだが」

 

「私の初恋がそんなんで終わられてたまるかぁぁぁーー!! あ、コホン。違います、そういう問題ではありません!

 悠人さんが触手にやられちゃったら、ショックのあまりイン○になってしまう。そうしたら、私の初恋が……ではなく! この世界は破滅してしまうからです!」

 

 悠人には時深の言葉の意味がまったく理解できなかった。

 俺が○ンポになると世界が破滅する。意味が分からない。分かりたくもない。初恋というのも何のことだろう。

 悠人は自分の表情がいったいどうなっているのか想像も出来なかったが、時深の表情は真剣そのものだ。

 

「時深……悪いけどまっっっっっったく理解できないんだけど」

 

「すいません、悠人さん! 今は多くを語れないのです。

 今はただお尻を守ってください。悠人さんのお尻に、宇宙の希望と永遠の運命が掛かっているんです」

 

「お、俺の尻に宇宙の希望が!?」

 

 とても信じられない。

 俺の尻に、そんなコズミックな価値があるのか?

 あるはずがない。時深は頭が可笑しいのではないか――――

 

「なるほど、貴様は誘いの巫女でもあったな……なるほど、資格を得るためか……それがカオスの目論見か」

 

「納得するのかよ!?」

 

 タキオスは意味深な言葉を呟きながらも、時深の言葉を真実と受け取ったようだ。

 どうやら悠人の尻にはそれだけの価値があるらしい。

 

 悠人は生れ落ちて以来ずっと連れ添ってきた尻に目を向けた。

 数センチの尻の中が広がるような不思議な感覚。

 広がった尻は、人を飲み込み、大地を飲み込み、星を飲み込み、銀河を飲み込み、宇宙を飲み込み、時間すら超越する。

 

「良く分からないけど、ユートの尻は大切なのか……うん、分かった。私の剣は、ユートの尻を守る為にある!」

 

 どうして剣を振るうのか、答えの求めていたアセリアは、遂に答えを見つけたようだ。

 悠人の尻を守るため、アセリアは剣を構え背中に白き翼を形成する。悠人はもう、色々な意味で泣きそうだった。

 

「なんやよう分からんけど、俺のいないところでやってほしいんだが」

 

 横島はついていけないと左右に頭を振る。

 ふざけるな、と悠人は内心で叫んだ。確かに今までの会話では横島は部外者のように聞こえる。横島の立場からすれば、このとんちき騒ぎに混ざりたくないと言うのも当然だろう。

 だが、このタキオスと言う男にしろ時深にしろ、何か言動が可笑しくなってしまった遠因は間違いなく横島にあると感じていた。

 

「ふん、まあいい。ここで貴様を蹴散らし、その男の尻はテムオリン様の性生活の糧とさせてもらおう」

 

「させません! 数周期……ではなく千年も前から見守ってきた悠人さんのお尻は私がいただく……ではなく守って見せます!」

 

 タキオスと時深は真剣な表情で神剣を構えた。

 相変わらず二人の言っていることは悠人にはまるで理解できない。

 ただ美少女である時深が、お尻お尻と連呼するので悠人は何だか恥ずかしくなった。

 

「その時深……こんな時になんだけど、女の子がお尻お尻って大声で叫ぶのは止めたほうがいいと思うぞ」

 

 盛り上がった舞台に水を差すような悠人の忠告。しかし、至極当然の忠告だった。

 時深は少しの間キョトンとしていたが、言われたことを理解すると顔を真っ赤にした。

 

「あ……うぁ……わあぁ~ん!! バカー! 悠人さんの大バカー!」

 

 目から大きな涙をこぼして、手足をジタバタさせる。

 一応は神秘的で落ち着いたように見える巫女が、いきなり子供のようになってしまって今度は悠人が慌てる番だった。

 

「ユート……泣かせた」

「え、いやだって……え、ええー俺が悪いのか?」

「仕方ないな。ここは俺が慰めてやヘギャ!!」

「うるさいですこの変態! いくら貴方が出雲の待ち望んだ人かもしれなくても、もうそんなの関係ありません! 貴方のせいで私のロマンチックが……返せー! 私のロマンチックーー!!」

「これだけうろたえておきながら、隙の一つもないとはな。さすがは混沌の永遠者にして、出雲の巫女と言ったところか」

 

 相変わらずタキオスだけが別の視点でギャグ世界から隔離されていた。

 

「こ、こんな格好の悪い運命の再開なんて認められません! こうなったらもう、やり直しです! やり直しーー!!」

 

 時深と呼ばれた巫女は横島を蹴飛ばしながら、短刀のような神剣を振りかざした。

 馬鹿げた量のマナが集まっていく。タキオスが纏っているマナよりも多い。

 信じられないほど複雑な術式が瞬く間に組みあがる。

 

「時よ、戻れ! タイムシフト!!」

 

「させん! 空間ごと、貴様を断つ! 空間断絶!!」

 

「巫女さんはパンツを着けないんじゃなかったのかー! こんちきしょーー!!」

 

「おい、横島! 落とした文珠が何か輝いてるぞ……って、うわあ! まだ触手が迫ってくるぅ!?」

 

「ん、何だか大混乱だ」

 

 空間が。時間が。マナが。霊力が。ギャグが。シリアスが。触手が。

 混ざり、捻じれ、弾けて、正しき在り方を失う。

 多種多様で膨大なエネルギーが光り輝き、夜を昼に変える勢いで煌めいた。

 

「むっ、またシージスの『門』が開くのか。いやこれはまさか」

 

「『門』が二つも!? これは一体」

 

 タキオスと時深の驚愕の声を聞きながら、横島達は光の中へ飲み込まれる。

 光が収まると、そこには静寂な森が広がっているだけだった。

 ただ彼らがいた証として、『戦いの後』はしっかりと残っていたが。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第二十九話 

 

 312分枝系統67320世界00065294時間断面

 

 

 

 細胞、葉、枝、大樹、宇宙、大樹、枝、葉、細胞。

 

 目すら開けられないような光の本流に巻き込まれた悠人は、脳内に直接流れ込んでくるようなイメージとしてそれらを見た。

 神聖で、厳かで、人の身では触れられぬほどの神秘。しかし自身も神秘の一部であることを自覚する。

 

「……あ?」

 

 悠人は気が付くと、まず地面に違和感を覚えた。

 横たわる地面の感触が土では無い。石畳でもない。これはアスファルトだ。

 仰向けに倒れたまま、空を見る。夜だというのに星がいつもよりも数少ない。それなのに周囲は明るい。外灯のおかげだとぼんやり理解する。

 空気は悪いが何処か懐かしい匂いがした。美味くもない空気を胸いっぱいに吸い込む。

 

 横を見ると、佐藤・鈴木・田中の文字が見えた。表札だ。よくある名前が並んでいる、と少しずつ覚醒してきた頭で考える。

 一年ぶりの日本語。いや、あの世界では一年の時間が短かったら、この世界では一年は過ぎていないか。

 そんな事を考えて悠人は自分が意外と冷静だと安心した。

 すぐ横にはアセリアと横島が横たわる姿があった。タキオスと時深の姿は見えない。

 

「戻ってきたのか」

 

 西暦二〇〇九年。

 悠人の世界の日本。

 

 幸いにも悠人の自宅周辺であったので、まずは自宅に戻ることに決めた。

 横島と悠人の陣羽織は目立つが、まだ町を歩けるだろう。しかし特徴ある青紫の髪と瞳で軽鎧のアセリアを町に出したら目立ちすぎる。

 何より神剣が目立った。隠せるのは横島だけなのだ。見つかれば、当然銃刀法違反で御用となってしまう。

 自宅に戻り、悠人は一年ぶりの我が家に入る。

 

「戻らないとな」

 

 戦いの世界から抜け出た元は一介の高校生は、ようやく戻ってきた平和な世界で迷うことなく呟いた。

 殺し合いの世界に戻らなければ、と。

 殺し殺されがない平和な世界。問題が無いわけではないが、人殺しの技を磨き上げる日常に比べれば肉体的にも精神的にも天国だ。

 

 しかし、悠人の心はこの世界には無かった。

 一年程度しかいなかったが、彼の心は共に戦ったスピリットと共にあった。

 そもそも、佳織が向こうにいる時点で戻らないという選択肢は無いのだが。

 

 だが、もし佳織と一緒だったら、どうだっただろう。

 殺し合いをせずに済む普通の高校生に戻れるのだ。平和な日常に心揺れただろう。

 だが、隊長と副隊長と腕利きのスピリットが揃っていなくなり、激戦が控えているラキオスはどうなるのか。

 ラキオスや仲間のため、佳織をほっぽり出して戦いに向かうのだろうか。それとも、全てを忘れて佳織と共にあるのか。

 幸いか不幸かは知らないが、ここに佳織はいないのだ。

 だから迷わずに済む。悠人は佳織がここにいない事に少しほっとしていた。

 

 しかし、家に戻ったところでどうやって世界を移動すれば良いのか、まるで見当がつかなかった。

 だが、悠人が慌てることはない。

 ここには頼りになる仲間が二人も居るのだ。悠人は笑顔を浮かべて二人に向き直る。

 

「二人とも、これからどうす……る!?」

 

「アセリアちゃん、まずはベッドの下を調べてみろ」

 

「わかった……何もない」

 

「なら今度は本棚の裏だ!」

 

「ん……あ、何か落ちてる」

 

 頼りになる仲間は、何の躊躇も無く悠人の部屋を物色していた。

 

「待て待て待て! お前ら何をやっているんだ!!」

 

「見りゃ分かるだろう。お前の秘められた性癖を明らかにして、エスペリアさん達の評価を下げてくれるわ!!」

 

「お前って奴は本当にブレないよなぁ!?」

 

「ヨコシマ、タンスの裏にも何かある」

 

「っ! そっちは待て!!」

 

 ドッタンバッタンギャーギャーキーキー!

 横島がいるので、いつものドタバタが巻き起こる。

 

 色々と騒ぎはあったが割愛する。

 ただ一つ分かったことは、悠人はまっとうな高校生だったらしい。

 気を取り直して話し合いが始まった。

 

「それで横島、これからどうする」

 

「んなの決まってるだろ。戻るぞ」

 

「俺が言っているのは、どうやって戻るかって事だ」

 

「そんなの俺が知るわけないだろ。まあ何とかなるって」

 

「悠長に言ってられないかもしれないぞ」

 

 楽観的な横島に悠人は新聞を見せ付けた。

 

「今日の日付は12月19日。俺があの世界に移動したのが12月18日だ。これがどういう事か分かるだろ」

 

 言いたい事を理解した横島は眉間に皺を寄せる。

 

「時間の流れが違う……竜宮城みたいなもんか。早く戻らないとピチピチのスピリット達が婆ちゃんになっちまうな」

 

「……そういう事だ。まあ、あの世界は竜宮城みたいに極楽じゃないけど」

 

「竜宮城だって碌なもんじゃないぞ。乙姫はトンでもない地雷女で、しかも下半身が蛇だしな」

 

「なんだそりゃ。お前は月や魔界だけじゃなくて、御伽噺の世界にまで行ってるのかよ。ひょっとしたら本の中にも入ったりした事があるとか?」

 

 冗談めかして悠人は言うが、

 

「ああ、ゲームの世界に引き込まれたり、絵の中や映画の中にも引きずり込まれたりしたぞ」

 

 普通に返されて悠人は言葉もない。

 相変わらず何でもありだ。経験という点では、この男に勝つのは生涯不可能だと悠人は確信する。

 それからあーだこーだと議論して見るが、建設的な意見など出てこなかった。

 『求め』や『天秤』にも意見を求めたのだが、二本ともうんともすんとも言わなくなってしまっている。

 

「とりあえず、朝になったら俺があの世界に飛ばされた神木神社に行ってみよう」

 

 無難な、というか現状ではそれ以外に選択肢が無かった。

 一眠りして朝を迎えると、横島を除いて神剣を置き家を出た。

 アセリアは軽鎧を脱いで佳織が来年着る予定をしていた制服を着用する。

 

 数十分後には神木神社についたが、特に何も無かった。まったく普通の神社だ。

 横島は境内を掃除していた神主を見つけて言葉をぼかしながらこの辺りで神隠しがあったり、時深という巫女がいないかと聞いてみたが、まるで心当たりが無いといわれてしまう。

 

「なあ悠人。ここで、あの時深っていう巫女さんに会ったんだよな?」

 

 神社で異世界に飛ばされたという状況と、時深という巫女の出で立ちから、ここで会ったのだろうと勝手に判断していた横島は、確認の意味で悠人に聞いてみる。

 だが、返ってきた言葉は想定を超えていた。

 

「時深って誰だ?」

 

「はあっ!? 何言って……あ」

 

 思い出す。

 そういえば、以前にタキオスと会った時も、ファーレーンとエニがタキオスの事を忘れていた。

 

「……タキオスっていう筋肉男は覚えているか?」

 

「そりゃ覚えてるに決まってるだろ。あいつのせいでこうなったんだから」

 

 悠人もアセリアも、時深の事は綺麗さっぱり忘れているが、タキオスの事は覚えている。二人が言うには、タキオスと戦っている最中にこの世界に飛ばされたことになっているらしい。

 

 どういう事だ。

 横島にはもう訳が分からない。

 状況を整理して見よう。

 

 以前にタキオスという男と接触した時は、自分はタキオスの事を覚えていたが、ファーレーンとエニはすっかり忘れていた。

 今度は悠人もアセリアもタキオスを覚えているが、時深の事は忘れている。

 悠人はこの世界で時深に出会っていた。あの世界にいたときも時深を覚えていた。しかし今は覚えていない。

 

 正直、何が何だか分からなかった。

 どうにもシステマチックな匂いがするのだが、法則性が見つからないのだ。根本的に情報が足りていないのだろう。

 

「まあ、今は考えてもしょうがないか。しかしどうしたもんかな」

 

 横島はあっさりと思考を切り替える。

 考えても分からないし、分かっても意味が無いだろう。

 これからどうしようかと横島と悠人が悩んでいると、

 

「ユート、ハイぺリア見てみたい」

 

 アセリアが力強く言った。

 表情は素面だが、その目はキラキラと輝いている。

 横島もその言葉に頷く。

 

「いいかもな。ここでうだうだ話してもしょうがないし、街に出た方が色々と分かるかも。それに特に慌てる必要はない気がするんだよな」

 

 楽観的に横島が言って悠人は少し呆れたが、どうせ何の案もないのだ。

 横島の勘を信じるのも悪くないだろう。

 そう判断した三人は一眠りして朝になった後、街に繰り出した。

 

「ユート! 変な音が聞こえてくる!」

 

「ああ、あれはスピーカで音楽を流してるんだな」

 

「ユート! 鉄の馬車が走ってる!」

 

「ああ、あれは車っていって」

 

「ユート! あれは――――!」

 

 アセリアは今まで見たことが無いほど興奮して何か気になるものを見つけるたびに、悠人を呼んで質問攻めをする。

 悠人もそんなアセリアが珍しいのか、笑顔を浮かべてアセリアに付き合った。

 

「ちくしょー!! 第二詰所の皆がいれば俺だってなーー!! こんちくしょーー!!」

 

 仲の良い男女から一人あぶれた横島は哀れであった。嫉妬魔人となって世界の全てを呪っている。

 これが非常に見苦しく、人目を引くアセリアへの視線を分散させることに成功していた。

 

「ユート! ユート! あれ見て!?」

 

 興奮したアセリアが指差した方向にはテレビがあった。電気屋の前に置かれたテレビの中でアイドルグループが踊りながら歌っている。

 驚くのは当然だろう。アセリアからすれば箱の中に小人が入っているようにしか見えない。

 どう説明するかと悠人が考えていると、ニヤニヤと邪悪な笑いを浮かべた横島が口を開いた。

 

「アセリアちゃん、あれはなテレビってやつで小人を閉じ込めておく箱なんだ。小人は早く出して欲しいから、芸をして出してもらおうとしいるのさ」

 

 横島が呼吸するように嘘を吐く。

 アセリアは少し怖がったようにテレビと距離をとった。

 

「おい、横島」

 

「いいじゃんか! お約束って奴だ」

 

 珍しくオドオドしているアセリアを見ながら、横島は楽しそうにニヤリと笑った。

 やはり横島はアセリアに対して妙に意地悪だ。何かしらのちょっかいをよくかけている。

 

 しかし、悠人も普段と違うアセリアの様子にちょっと楽しい思いをしていた。多彩な表情のアセリアを愛しく思ってしまう。

 それにこうして元の世界に戻ってくると、スピリットという存在の美しさがより際立ってきた。誰もがアセリアに注目している。目を引く青い髪に青い目もあるし、これだけの美少女はアイドルにもそうはいないだろう。

 

 そうアセリアは純粋で、言葉を変えれば単純なのだ。そこで悠人は気づいた。

 単純で直情なアセリアがこれからどう動くのか。

 気が付いたときには、もう遅かった。

 

「今助ける! はあっ!」

 

 見事な貫手をアセリアは放つ。

 神剣による強化を一切使っていなくても強靭なマナの肉体と鍛えられた戦士の手により、テレビは大破した。

 

「ユート、ヨコシマ、小人がいないぞ」

 

 パチパチと火花散らせた液晶をのぞき込んで、小首をかしげるアセリア。

 次の瞬間、悠人はアセリアを片手で抱きかかえ片手で諭吉さんを数人ほど店に投げつける。ほぼ同時に横島がサイキック猫だましで周囲の視界を奪った。互いに無言での完璧なコンビネーションだ。

 閃光が収まると、そこに三人の姿は無く、放電したテレビと諭吉さんが転がっていた。

 

「アセリア! 店の物を壊しちゃだめだぞ!」

 

 商店街から離れた悠人が、ガミガミと説教する。

 アセリアは、顔を赤くしてぽーっと説教を聞いていた。

 聞いていないのかと声を荒げようとした悠人だったが、

 

「あ、悠人先輩!」

 

 後ろから聞こえてきた懐かしい声に中断させられた。

 小走りでセミロングの髪を後ろで二つに分けた少女が走ってくる。

 背丈は低く、佳織と同年代ぐらいだろう。横島の守備範囲内には入っていなかった。

 

「もう~こんな所でどうしたんですか悠人先輩。いくら今日がお休みでも、こんな早い時間に出歩くなんてお寝坊さんな先輩が珍しいって……って、きゃ~~何ですかこの可愛い美人さんはー!! 青い髪なんて染めてるんですか! でも何だかとても自然です! この人と一体どういう関係なんですかーー!! さあさあ早く説明してください、じゃないと佳織にあることない事いろいろと~」

 

「分かった! 分かったから少し落ち着け小鳥!」

 

 マシンガントークをぶちかましてきた少女に、悠人は頬を引きつらせる。

 

 この女の子の名前は夏小鳥。

 佳織と同級生で友達だ。その関係上から悠人とも少し交流があった。

 口から先に生まれたとは正に小鳥のことで、とにかくお喋りだ。もの静かな佳織とは対照的で、どうして馬が合ったのか悠人にはさっぱり分からない。

 

 下手な事を喋ったら大騒ぎになると悠人は慎重に言葉を考えていると、

 

「俺は横島って言うんだ。お姉さんがいたらぜひ紹介してくれ!」

「えー! 私じゃ不服だって言うんですか横島さん!?」

「うむ! やっぱりもう少し大きくないとどうしようもないな!」

「がーん! でも私だってカッコイイ人がいいので全然問題ナッシングですよ!」

「くそう、所詮は男は顔が良くなきゃ駄目なのかよ!?」

「いえいえ、後は愛とお金と健康だけがあればOKですね!!」

「ひでえぞ! 俺なんて体があればOKだぜ!」

「おお、謙虚ですねー」

「ああもう! お前らもう少し考えて喋れよ!」

 

 目の前でいきなり意気投合したように喋りあう横島と小鳥に、悠人は頭を抱える。

 だがいくら考えようと妙手などまったく思いつかなかった。

 

「さ、悠人先輩。早く紹介してください。あ、女の子のほうですよ」

 

「あ、ああ。この娘はアセリアって言って外国から来た……その、なんというか」

 

 悠人が悩んでいる間に、小鳥は勝手にアセリアの前に躍り出た。

 

「アセリアさんって言うんですね! 私は夏小鳥って言います!!」

 

「ン……ヤシュウウ」

(ん……よろしく)

 

「わわわ、外国語だ! 英語でもないみたいでさっぱりです。こういう時こそボディランゲージですね! はい、握手握手!!」

 

 小鳥は臆することなくアセリアに手を差し出す。差し出された手に、アセリアもゆっくりと手を差し出した。

 だが、握手が交わされる事は無かった。

 

「……あ」

 

 アセリアの体がふらついたかと思うと、そのまま小鳥にもたれかかったのだ。

 

「きゃ、きゃあ! 一体どうしたんですかアセリアさん!? まさか悠人先輩よりも私が良いとか! そんな禁断の愛なんて私……でもでもアセリアさんぐらい綺麗だったらそれでも……って、アセリアさんって体温が高いんですね~って高すぎですよ!! 悠人先輩、アセリアさんが!!」

 

 慌てた声に悠人がアセリアの額に手をやると、凄まじい熱を持っていた。

 

「病院です! 早く病院に!?」

 

「あ、ああ!」

 

 小鳥に急かされて悠人がアセリアを背負って最寄の病院に担ぎ込もうとしたが、それを横島が制した。

 

「えーい落ち着け。スピリットを病院に連れて行って採血でもされたらえらい事になるぞ。まずは家に連れて帰ったほうがいいだろ」

 

「そ、そうだな。じゃあまずは一旦家にいくぞ」

 

「二人とも何言ってるんですか!? 普通、病院でしょう。事情があるなら説明してください!」

 

 確かにこのままでは小鳥がおさまりそうに無い。変な噂話がたっても面倒だ。こうなったらしっかり説明することに決める。

 悠人は家で説明すると言って、悠人の家に行くことになった。

 

 帰宅すると、急いでアセリアをベッドに運んで寝かせる。

 息も荒く、苦しそうに胸を上下させるアセリアに悠人は辛そうな顔をした。

 小鳥は少しだけアセリアを暗い目で見たが、すぐに真面目な顔で説明を要求する。

 

 悠人は隠すことなく小鳥に全てを話した。

 自分達が異世界に召喚され戦っていたことを。まだ佳織が向こうにいて、助ける為にまた異世界に戻らなければいけない事を。

 小鳥は流石に衝撃を受けたようで、言葉を無くした様だ。

 悠人は家の薬箱を漁っているが、スピリットに効く物があるかは微妙だろう。

 そもそも、原因が分からないのだ。

 

「風邪でも引いたのか。馬鹿は風邪ひかないってきくもんだが」

 

 横島が失礼なことを言う。アセリアも横島にだけは言われたくないだろう。

 

『風邪ではないな』

 

 唐突に、横島だけが聞ける声が響く。『天秤』だ。

 

「お前、今まで何で黙ってたんだよ」

 

『こちらにも都合があるのだ。先の閉鎖世界と違ってこちらは我らの手が及んでいない分枝世界。下手に過去ログを漁られると霊力の秘密が漏れるやもしれんから、色々と工作が必要なのだ』

 

「だから、もう少し分かるように言えっての!」

 

『気にするな。今はアセリアの事だろう』

 

 確かにその通りなのだが、『天秤』の言葉は色々と不可解で横島を不安にさせる。

 とは言っても、説明しないのは『天秤』の意地悪ではない。神剣宇宙のすべて説明などできるわけにないのだから、仕方ないといえば仕方ない。

 

『アセリアの不調の原因は、簡単に言えば栄養不足だな。この時間樹のマナは、我らがいた世界のマナと比べると薄い。神剣は常にマナを吸収しているから消耗しているのだ』

 

「いきなり酸素が薄くなって呼吸困難になっているようなもんか」

 

『その通りだ。『求め』はスピリットの持つ神剣と比べるとマナ総量が大きいから、まだ大丈夫なようだがな。それでもマナを無駄にしない為に沈黙しているのだろう』

 

「お前はどうなんだよ」

 

『フッ、私はマナだけでなく霊力でも活動しているから問題ないな。そこいらの凡庸な神剣とは違うのだ!』

 

「はいはい、すごいすごい」

 

『正直、この時間樹ではシステムの方がやっかいだな。霊力のせいでエラーが出ている。バグを消去しようと【激烈なる力】が来たらどうしたものか』

 

「は?」

 

『こちらの話だ。あまり気にするな』

 

 『天秤』が何かぶつくさ言っていたが、横島はもう説明を求めなかった。

 聞いても理解できないし意味もない事だろう。とにかく、『天秤』の説明を悠人にも伝える。

 悠人は悔しげに唇をかんで、こぶしを握り締めた。

 

「じゃあ、アセリアは随分前から辛い体だったってわけか。くそ、気づけなかった!」

 

「まったく、隊員の体調も管理できないで、それでも隊長かよ」

 

 ここぞとばかりに横島は悠人を責める。

 悠人を貶めるのが大好きな横島らしい。悠人はがっくりと肩を落としたまま、横島の説教を聞いていた。かなり気落ちしている。

 気がつかなかったのは横島も一緒で同罪なのだが、基本的に真面目な悠人の方が責任を大きく感じるらしい。

 

「大体、お前は」

 

「違う、ヨコシマ」

 

 さらに貶めようとした所を、アセリアの声が遮った。

 悠人はアセリアに済まなさそうに頭を下げる。

 

「悪い。アセリアの様子に気がつけなくて……ごめん」

 

「謝らなくていい。私はユートと歩くのが楽しくて、気がついたら倒れただけ。悪いのは、私」

 

 そう言って、アセリアはぎこちないが小さく笑みを浮かべる。しかし、額からは玉のような汗がにじんでいて、息も切れ切れで苦しそうだ。

 悠人は胸を締め付けられるような感情を抱いて、思わずアセリアの手を握り締めた。すると、アセリアの表情が確実に柔らかくなった。

 その様子を見ていた横島は舌打ちして立ち上がる。

 

「何時までもこの世界にいるわけにはいかないな。もう一度、帰る方法を探してくるぞ」

 

「あ、俺も……」

 

 行くぞ。

 そう言おうとして、言えなかった。

 横島が栄光の手をハンマーのように変化させて、悠人の頭を打ったからだ。

 かなり痛くて文句を言おうとしたが、横島の目には悠人以上の怒りが燃えていた。

 

「アホかー! この状況でお前が出て行けるわけないだろーが!!」

 

「この状況って何だよ! 今は一刻を争うだろ。土地勘のある俺がいかないと……」

 

 怒鳴りながら立ち上がろうとして、手を引かれて踏みとどまる。

 悠人の右手をアセリアがしっかりと握り締めていた。

 意識は朦朧として体に力など入らないはずなのに、悠人の手を離すまいとしっかりと握りしめている。

 その様子を見て、小鳥は僅かに顔を伏せて唇を噛んだ後、すぐに満面の笑みを浮かべて横島の手を引っ張った。

 

「そうですよ、悠人先輩。土地勘なら私にお任せあれです!! 流行のスイーツショップなら全部知ってますよ! さ、横島さん、行きましょう!!」

 

「お。おおそうだな。看病にかまけてエロイ事すんじゃねえぞ!」

 

「するか! そっちこそ小鳥に変なことすんなよ……必要なものがあったら好きに使え」

 

 悠人が横島に財布を投げる。横島は笑ってそれを受け取った。

 二人が外に出て行くと、悠人は苦笑を浮かべる。

 

「あいつら……まったく」

 

 横島にも小鳥にも困らせられる事は多いが、やはり友人なのだと実感する。

 ここは好意に甘えて、しっかりとアセリアを看病しようと悠人は気を張った。

 

「ユート、その」

 

 珍しく言いよどむアセリアに、悠人は何でも言ってくれと優しく促す。まともに歩くことすらできないほど消耗したアセリアだ。どんな要求でも通そうと決意をしていた。

 それでも躊躇していたアセリアだが、やがて意を決してか細く言った。

 

「……トイレ」

 

「……え?」

 

 悠人の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

「まったく、何で俺がこんな役回りをせにゃいけないんだよ」

 

 小鳥と外を歩きながらブツブツと横島は文句を言う。

 あの状況でアセリアと悠人を引きはすわけには行かない。それは分かっていたが、しかし美男美女のお膳立てをすることになった横島の機嫌は最悪だった。

 傍に小鳥という可愛い女の子はいるが、守備範囲ではないので特に機嫌は向上しない。

 

「何言ってるんですか。親友なんですから親友の役割を果たすのは当然ですよ」

 

「んな事ない! 俺が悠人といるのは利害の一致があってだな」

 

「ツンデレですか? ツンデレですね!! いや~男のツンデレって始めてみました! 出来ればもう少し美形ならそっち系の需要もあったと思うんですけどね! いや、でもこれはこれで良いって人はいると思いますけど」

 

「小鳥ちゃん、頼むから勘弁してくれ~」

 

 小鳥は口から先に生まれたのではないかと思うほどお喋り好きで、こちらが喋ってなければ常に話を続けてしまう。少々、異常を感じるほどだ。

 話すのは横島も好きだが、流石に限度があると横島は辟易し始めていた。

 

「ほんと……アセリアさんって綺麗ですよねえ」

 

 小鳥がうっとりと夢見る少女のような口調で言ったかと思うと、

 

「もう何ていうか御伽噺から飛び出してきた美少女戦士って感じですし、いやもうそのまんまユーフォリアみたいですよ! あ、ユーフォリアっていうのは私や佳織が読んでいる小説の主人公なんですけどね。悠人先輩とアセリアさんと名前が少し似てるから、二人に子供が出来たら名前はユーフォリア何て良いかもしれないです!! ってキャーー私ったら話が飛躍しすぎかも、でもでも何かお似合いだからしょうがないです! アセリアさんって、女の私もドキドキしちゃうぐらいに可愛いのに格好良いなんてもう反則で、それでいて儚さとか守ってあげたいーって気にさせるなんて何処の完璧超人ですか! 反則ですよ反則!! しがない一市民の私からするともうムキャキャって感じで!!」

 

 猛烈な勢いでまくし立てる。横島が口を挟む暇もない。

 それは勢いが強いから声を掛けられなかっただけではなかった。小鳥の声には、聞く者の喉を詰まらせるような響きがあった。誰かに話しているのではなく、自分自身に向けた言葉であった。

 

「ほんとに……反則ですよぅ。あんなの、どうしようもないじゃないですか。諦めやすくていいですけどね! あははは」

 

 笑顔のまま、涙を流さずとも、小鳥は泣いていた。

 小鳥の視点では僅か数日の間に、訳が分からないまま決着が付いてしまったのだ。

 少女の小さな思慕は、壮大な運命に巻き込まれた勇者には届きようがなかった。

 自分は物語の脇役。ただの村人Aでしかない。それを少女は無理やり理解させられたのだ。

 この異常なお喋りは、きっと己の感情をうまくコントロールできないからだろう。

 

「悠人の奴め」

 

 横島は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 特に友達がいないとか、人付き合いは得意じゃないとか言っていたくせに、こんな可愛い女の子に慕われているじゃないか。

 

 横島は今だけ悠人やアセリアを忘れて小鳥だけを見る事に決めた。

 コンビニに入りATMに預かった財布からカードを取り出して入れる。

 キャッシュカードの暗証番号は一発で当てた。別に文珠を使ったわけではない。

 あのシスコンならきっと佳織にちなんだ番号であると予想として、佳織の誕生日を小鳥に教えてもらい、それを逆さにして入力するとあっさりと当たったのだ。流石はシスコンである。

 引き出せる限度額まで引き出す。

 

「よし、小鳥ちゃん! 少しこの金で遊ぶぞ!」

 

「ちょちょちょ、ちょっと何をやってるんですか横島さん!? どろぼうですかーー!」

 

「好きなように使って良いってあいつは言ってたぞ」

 

「それは、普通に考えて財布の中にあるお金の事ですよ!?」

 

「俺は普通には考えん。それに、あいつも文句は言わんだろ」

 

 自分勝手すぎる横島に流石の小鳥も眉を吊り上げる。

 

「何を勝手なこと言って!」

 

「悠人の奴も小鳥ちゃんを元気付ける為だったら、きっと文句は言わんって」

 

 好き放題に横島が言う。

 それは決して褒められたものではない。しかし、一人の少女を元気づけようとした強い言葉だった。

 小鳥は複雑そうな顔になった。期待と不安が小鳥の胸を駆け巡る。

 

「でも、そのお金は悠人先輩の両親が残したもので、それに手をつけないようにバイトして暮らしてたのに」

 

「なんだよそれ、訳分からん。せっかく残してくれたんだから使えばいいだろうが。

 

「よく分かりませんけど、きっと誰かの手を借りたら弱くなるって思ってたのかも」

 

「あ~なるほど。以前のあいつなら言ったかもな。でも今のあいつなら、んな事は言わないぞ。変な意地を張って生き残れることは無いからな」

 

 さらりと横島が言うと、小鳥は少し寂しそうに笑った。

 想い人が、自分の知らない想い人に変わっている。それも、好ましいほうに変化している。

 それが嬉しく、そしてどこか悲しい。

 

「ま、あいつが許可しようがしまいが金を引き出しただろうけど」

 

 小鳥はずっこけて横島を睨む。

 横島は生気に満ちた顔で小鳥を見た。

 

「俺が知る一番強い人だったら、絶対に使ったな。現世利益最優先って叫んで」

 

「何かろくな言葉じゃない気がするんですけどー」

 

「善いか悪いかはともかく、強いのは間違いないぞ。それに楽しいしな! さ、小鳥ちゃん一緒に上手いもんでも食おうぜ!」

 

 仄暗い闇を消し飛ばすような横島の陽気を受けて、小鳥の目にも強い光が宿った。

 

「えーい分かりました! 少しの間だけ楽しんじゃいましょーー! となれば女の子的にスイーツです。スイーツスイーツ! こうなったらとっても高いスイーツを注文しまくちゃいますよー! 体重なんて怖くありません!!」

 

「おお、食え食え! 俺も食いまくっちゃる! イケ面の金で食う飯は旨いぞ!」

 

「あはは、全品制覇しちゃいましょうか……それにしても横島さんって、色々と気を使えるし話も面白いから、きっとモテモテですねー!」

 

「ナンパ100連敗の俺がモテモテなわけあるか~!」

 

「またまたーそんな嘘言ってちゃって~!」

 

 そうして二人は洒落たスイーツ店に入った。

 横島がモテナイと言った理由を、小鳥はすぐに理解させられた。

 スイーツ店で店員の女性に飛びかかってぶん殴られたからだ

 

 ――――傷心の女の子を慰めようと連れ立って入った店で、他の女性に色目使うって信じられないです!

 

 こっぴどく言われて、横島はがっくりと項垂れた。

 これには同情の余地はないだろう。今は小鳥だけを見る、とか考えておいて、一時間もしないうちにナンパを始めたのだから。

 プリプリと怒っていた小鳥だが、一応元気は出たようだ。

 どうしても良い格好はできないが、とりあえず横島と一緒に居る女の子はなんだかんだで元気になる、いつものパターンだ。

 

 アセリア達にお土産のスイーツをいくつか買って店を出る。

 さて、これからどうしたものかと二人が考えていると、一人の少女が近づいてきた。

 背丈は小鳥と同程度で、銀髪長髪の女の子だ。時深が着ていたような巫女服を着ている。

 最も特徴的なのは、頭に犬耳と尻尾があることだ。

 

「ええ? コスプレ……じゃない!?」

 

 小鳥が信じられない者を見るような声で驚くが、

 

「はあ……可愛いけど、また小っちゃい女の子か」

 

 横島としてはそれだけだ。

 明らかに人外相手にまで煩悩を燃やそうとする横島に、小鳥は呆れたような目で彼を見た。

 

「こんにちは」

 

 犬耳巫女は小さい声でペコリとお辞儀して挨拶してくる。

 その視線は、わずかにケーキの方を向いていた。

 

「ああ、こんにちは……人狼か?」

 

「大神の綺羅(きら)と申します」

 

「綺羅ちゃんだな。早速だけど、綺羅ちゃんには年上のお姉さんとかいる……ぐあ!」

 

 脛に痛みが走る。

 見ると小鳥がつま先で横島の弁慶を蹴り飛ばしていた。

 そんな二人に綺羅は目をパチクリさせる。

 

「今夜0時に、神木神社にいらしてください。それで、戻れます」

 

 いきなり、今一番欲しい情報が提供される。

 完全にこちらの事情を把握しているようだ。それについては別に驚きはない。

 そもそも時深という巫女があのタイミングで助けにこれたのだって、こちらを見ていたからに決まっているのだ。

 

「それで、やっぱりそっちの事情は言えないんだな」

 

 横島は確認するように言うと、綺羅は表情を変えずにこくりと頷く。

 

「はい、申し訳ありません」

 

 無表情にペコリと頭を下げる綺羅に、横島はそれ以上は追及しなかった。

 悪意等は感じない。きっと、どうしようもない事なのだろう。いくら追求しても無駄。

 変に情報を抜き取ろうとしたら、記憶喪失にでもなってしまう予感がある。

 

 あのタキオスや時深といったトンでも存在がいて、幾つか陣営に分かれて敵対している。

 彼らはこちらに直接干渉はしないが、間接的にはちょっかいをかけてくる。

 これだけは覚えていなければならないだろう。

 

 とにかく、帰る目処は付いた。

 綺羅が嘘をついている可能性もあるが、それはないだろうと判断する。

 今のこの状況は、きっと誰にとっても不利益でしかないのが分かるからだ。

 

「それでは、私はこれで。夜に会いましょう」

 

「あ、ちょっと待ってくれ綺羅ちゃん。それと小鳥ちゃん、ちょっと力を貸してくれるか」

 

「はあ?」

 

 せっかく元の世界に近い世界にこれたのだ。ならば是非ともやりたい事がある。

 第二詰め所の面々を思い出して、横島は二人の少女を連れ立って商店街へと歩いていった。

 

 それから数時間後、大き目のリュックを背負った横島と小鳥は悠人の家に戻った。

 家に戻って部屋に行くと、悠人がぐったりと座り込んでいた。彼の周辺にはアセリアが着ていた制服と下着が散乱している。

 ベッドには、おそらく裸のアセリアが薄いタオルケットだけをかけて横になっていた。体のラインが良く分かって、中々に扇情的である。

 悠人はドロンと濁った瞳を硬直した横島達に向けた。

 

「動けない女の子の看病は、俺には荷が重すぎた」

 

「うう……お尻にお湯が……んぅ」

 

 息も絶え絶えな悠人と、どこかの気恥ずかしい様子のアセリアに、横島のサイキックハリセンと小鳥の口撃が炸裂した。

 

 

 

「それで、何か手がかりは掴めたのか」

 

「ああ、神社に0時に来いって将来が楽しみな犬耳巫女に言われたぞ。信用できると思うぞ」

 

「犬耳……俺の世界にもこういうオカルトはあったんだな。小鳥もありがとな、こいつの脛を蹴り飛ばしてもらって」

 

「いえいえ~世界のためですからー!」

 

 見ていなくても横島の行動を見切っている悠人だった。

 

「それで横島。その荷物は何だ?」

 

「いや、せっかくだから色々と持って帰ろうと思ってな」

 

「ネリーちゃんやハリオンさんって人たちにお土産を買いたいって横島さんが言って、綺羅ちゃんと私が手伝ったんですよーいや~やっぱりお買い物って楽しいですねー綺羅ちゃんとも少し仲良くなれました!」

 

「よくキャッシュカードの番号が分かったな。言うの忘れたと思ったんだが」

 

「それはお前がシスコンだからな」

 

「あはは! 悠人先輩、もう少し番号を捻ったほうがいいですよ。そうだ、アセリアさん、少しだけ食べませんか。悠人先輩が喜ぶハイペリアのお料理作りますよー!」

 

 そんな小鳥の言葉を、悠人が聖ヨト語に変換してアセリアに伝えると、彼女はコクリと頷いた。

 

「ん、サンキュ」

 

 アセリアのたどたどしい日本語を聞いて、小鳥は元気よく厨房に向った。

 白米に、味噌汁。そこに塩の噴いたシャケ。冷奴には鰹節に醤油だ。

 慎ましいながらも久しぶりの日本食に、横島達は涙ながらに喉にかっ込む。

 それからどうでも良い様な日常の話をして盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていく。

 

 気が付けば、もうすぐ0時だ。

 

「アセリアちゃんは動けるか?」

 

「私は大丈夫だ」

 

 いつもの軽鎧に着替えたアセリアが言った。

 その顔色は良くないが、だが青ざめてはいないし熱も高くはない。

 不調だが動けると言ったところだろう。だがそれもいつまで続くかわからない。

 

「私も付いてっていいですか? 今日は佳織の家にお泊りって家に連絡してるから問題無しですよ!」

 

「いや、小鳥は来ちゃだめだ。何があるか分からないし、それに万が一にも小鳥が世界移動に巻き込まれたら大変だからな」

 

「そうですか……はい、わかりました」

 

 小鳥にはなんとなく分かった。

 きっとこれが、悠人先輩を見る最後の光景になるだろうと。

 佳織は戻ってくるかもしれない。だが、悠人が戻ってくるような気がしなかった。

 胸にこみ上げてくるものを押さえつけて、小鳥は好きな人の思い出に残るようにと最高の笑顔を作る。

 

「悠人先輩、アセリアさん頑張って佳織を助けてください。あとついでに横島さんも」

「ああ!」

「こらー小鳥ちゃん。俺はついでなんかー!」

「あはははは!」

 

 小鳥は笑って悠人達を送り出した。

 横島をついで扱いしたが、とても感謝はしていた。彼がいなければ、きっと笑って送り出すのは難しかっただろう。

 

「行っちゃった」

「行きましたわね」

 

 小鳥の後ろから幼い声が響いた。慌てて振り返ると、見覚えのない童女が笑っている。

 小柄な小鳥よりもさらに小さな子供だ。小学生程度に見える。

 だというのに、小鳥はこの幼女を恐れ、後ずさった。

 いきなり現れた不審な子供だからという理由じゃない。こちらをのぞき込んでくる目が、明らかに異常なのだ。

 

「ふふ、敏感な体に、歪な精神を持ってますわね。貴女は……好ましいですわ」

 

 幼女は笑いながら小鳥に近寄ってくる。

 小鳥はいつのまにか壁際まで追いつめられていた。

 

「本当なら最高の快楽をプレゼントするか、もしくは精神を陵辱させてもらったのですけど」

 

 幼女の瞳に加虐の色が宿る。金の瞳には、圧倒的な邪悪が詰まっていた。

 悲鳴すら小鳥は上げられなかった。ただただ恐ろしくて体と心が震えるだけ。

 

「今回はタダオさんに免じて諦めましょう。運が良かったですわね」

 

 幼女は優しく微笑むと、ふわりと浮かんで小さく柔らかい掌で小鳥の喉から頬をなで上げる。

 悪魔の爪で撫でられているとしか小鳥には思えなかった。気まぐれで幼女の気持ちが変化すれば、次の瞬間には乙女の尊厳も人としての心も奪われるのだ。

 

「それでは、縁があればまた会いましょう」

 

 幼女は言って、目の前から消え失せる。

 へなへなと腰を抜かしたように小鳥は座り込んで、そして祈った。

 どうか、悠人達に幸運があるようにと。

 

 

 アセリアの体調も考えてゆっくりと走って神木神社に向う。それでも神剣を使っているので車を軽くぶっちぎるほどの速度だ。あっさりと神木神社に到着する。

 神木神社の石階段を上り境内を進んでいくと、綺羅が待っていた。

 彼女の後ろには数人のスピリットそっくりの女性が数人ほど控えている。そこには神剣の気配が確かにある。

 異世界ではない身近に神秘があった事に悠人は驚く。

 

「お~い!」

 

 横島は笑いながら綺羅に手を振りながら彼女の元に向かう。

 手を振られた綺羅は少し驚いた表情になったが、若干躊躇しながら手を振り返す。

 さらに横島はスピードを上げて、大きく手を広げた。綺羅は頬を少し染めながら目を閉じて、抱きしめられると覚悟した。

 しかし、抱きすくめられる感触がいつまでたってもこない。

 

「……あれ?」

 

 目を開けてみる。すると、

 

「いや~君可愛いねえ。どう、今度ボクと夜明けのデートにでも」

 

 ナイスバディの美女をナンパしている横島が目に飛び込んできた。

 

「符よ」

 

 綺羅がお札を持ってポツリと言うと、横島の頭が燃え上る。

 「あちー!」と騒ぐ横島の頭を、ナンパしていた女の子がボカボカ叩いて何とか火を消していた。

 

「いきなり何すんじゃい綺羅ちゃん!」

 

「それは人形です。心もありませんし、喋ることすら出来ないです」

 

 綺羅はぶっちょう面で、少し冷たく言った。

 

「そうなのか?」

 

 当人に聞いてみる。

 

「………………そうだよー」

 

「そっかー本人が言うんだから仕方ないな」

 

「そうです。本人が言ったならって、喋ってるーー!!」

 

 ガビーンと綺羅が絶叫する。

 綺羅を知るものなら、信じられないというだろう。ひたすら感情が希薄な女の子だからだ。

 しかし、傍に横島がいたと聞けば、きっと納得するに違いない。

 

「ナイス突込みだぜ、綺羅ちゃん!」

 

 歯をキラリと輝かせて親指を立てる横島に、綺羅は無性にかぶりつきたくなった。

 

「横島だな」

「ん、横島だ」

 

 悠人達は日常風景(燃える横島や巻き込まれ壊れる人々)をのんびりと見つめるだけだ。

 そんな二人に、綺羅はこの人達も色々とずれていると溜息をつく。

 綺羅は喋りだした人形を隔離して、さらに他の人形も遠ざけた。下手をすれば、この世界が危険と判断したのだ。

 

 騒いでいる間にもうすぐ0時なってしまった。

 すると、空間の一部がねじれて光りだす。悠人とアセリアは挨拶する時間すらなかった。

 

「その『門』に飛び込んでください。それで戻れます。時間が無いので」

 

「分かった。挨拶も出来なくて悪い」

 

「サンキュ」

 

「それじゃな、綺羅ちゃん」

 

 三人は光の場所まで行くと、段々と周囲の光景がかすみ始めた。

 

「遠くない未来、きっと私達の事を知るでしょう。その時は――――」

 

 綺羅の声が、姿がかすれていく。

 光の道に導かれて、世界を超え、時間を越えて、あの有限の世界へ――――

 

 

『子宮回帰』

 

 

 妖艶な声が響いて、白の光は赤黒い光に浸食された。

 

 横島達はただ周りの景色に困惑していた。

 元の世界に戻れる『門』とやらを開いて、またあの光の道を通るのだと思っていたのだが、なぜか赤い世界に入り込んでいたのだ。

 それは毒々しく生々しいほどの赤。空も大地も赤黒く、周りには赤く脈動する壁があった。まるで生き物の体内に紛れ込んだような、いやそれそのものとしか思えない。

 

 横島たちが困惑していると、いつのまにか女がそこに立っていた。

 薄い羽衣とパンツだけを身に包んだ扇情的な赤毛の美女だ。無造作に波打たせた長い髪は乳首をギリギリで隠して、怪しげな魅力を際立たさせている。

 

「――――お腹空いたの」

 

 それだけ言って、女はゆらゆらと横島たちに寄って来た。

 

「もう本当に勘弁してくれよ」

 

 泣きそうな声で悠人が言う。

 あっさりと理解したのだ。このほぼ全裸の女が、あのタキオスと名乗った男と同格の強さだと。それはつまり、どうしようもないという事。戦闘力のインフレにも程があるだろうと、悠人は毒づく。

 

「おおおおおおお!!」

 

 悠人が泣き言を言っている間に、先手必勝と横島が女に飛び掛る。

 馬鹿が、迂闊すぎる!

 悠人はアセリアは慌てて横島に助成しようと神剣を構えるが

 

「スケスケのお姉さん! ブラが無くては型崩れしますよ、俺が手で支えてあげましょう!」

 

「本当に馬鹿か~~!!」

 

 こんな時でも煩悩に走る横島に驚嘆した。

 

「おいたは、だめよー」

 

 にっこりと女が言うと、横島の頭上に巨大な剣が出現して落ちてくる。

 とても避けられるタイミングではない。

 だが、剣は横島の真横に落ちた。慌てて横島は後ろに下がる。

 

「ひえぇ~あぶねえー! 普通いきなり攻撃してくるかよ!!」

 

「いきなり飛び掛ったヨコシマがいう台詞じゃないと思う」

 

 あのアセリアが呆れたように突っ込みをいれる。

 彼女の突込みが見れるのは相手が横島の時だけだ。

 

「あら、まさか空間を引き延ばして避けるなんて……それも意識しないでやってるなんて、大した才能ねえ。だから可哀想なのだけれども」

 

 半裸の女は横島を見て笑みを浮かべる。

 それはまるで聖母が浮かべるような慈悲に満ちていた。

 

「苦しいのでしょう。分かるわ、貴方が抱えている罪。そしてこれから抱える罪。とても貴方だけで抱えていけるものではないの」

 

 女は優しげな笑みを浮かべ、救いの言葉を横島に投げかけてきた。

 何を言いたいのか横島には分からなかったが、余計なお世話としか思えない。おっぱいでも揉ませてくれたほうがよほど救いになると思った。

 

「さあ咎人よ、私とひとつになりましょう。赦しをえて、永久の安らぎを……怖がらないで、とてもきもちいいから」

 

 ゆらりと半裸の女が近づいてくる。恐怖が、どうしようもない存在が近づいてくる。

 

「ちくしょー!! 美人でおっぱいで色気ムンムンなのに、やっぱ地雷女かよーー!」

 

 滂沱の涙を流しながら横島は『天秤』を構える。

 どうやら女は横島が狙いらしい。それが分かった悠人は決断した。

 

「お前はそいつを引き付けててくれ。俺達は脱出経路を探す!!」

 

「おい! 俺を見捨てんのかこの野郎!」

 

「一人で戦っても三人で戦っても同じだ! というよりも俺達じゃ足手まといになっちまう。まずは退路を見つけて、逃げるっきゃない!」

 

「ヨコシマ、頑張れ」

 

 先の攻防を理解すら出来なかった悠人とアセリアではどうしようもなかった。

 二人は横島を激励して駆け出して、赤黒い、まるで肉壁のような壁を切りつける。

 硬い岩ではなく分厚いゴムの切りつけたような感触に悠人は血の気が引いた。

 気持ち悪さもあったが、それ以上にこれを破壊するのは絶望的と悟ったのだ。

 硬ければ砕けるが、これは砕くのも焼くのも厳しい。アセリアも同じ結論に至ったようで、「困った」とぽつりともらす。

 

「それはそうよ。ここは命を守るための聖域だから頑丈なの。だけど、罪を生んでしまうところでもあるの。だから、いっぱい傷つけてもいいのよ」

 

 女は優しく笑いながら言った。言っている事がメチャクチャだ。

 気が狂っているのか、それとも凄まじい死生観でも持っているのかもしれない。とにかく会話が成り立たないのが横島にはきつかった。

 

「それじゃ、いただきます」

 

 女は横島に向って手を合わせる。

 逃げ場が無いほど周囲の空間が歪んで、女はペロリと舌なめずりをした。

 回避も防御も無駄だと横島は悟る。

 

 物理的に食われる!

 

 咄嗟に『蘇』の文珠を準備する。その時だった。

 前触れもなく剣が、槍が、槌が、刀が、永遠神剣達が豪雨の如く女に降りかかった。

 

「痛いわぁ……うふふふ」

 

 体にいくつもの神剣を生やしながらも、女は笑みを崩さない。

 自分の胸に突き刺さった槍に噛み付いてボリボリと貪る。吹き飛んだ手が一瞬で生えてきて、損傷して体外に飛び散った内臓があっという間に再生した。

 目を覆いたくなるような凄惨な光景の中、見た目麗しい一人の幼女が舞い降りてくる。

 

「もう、食事の邪魔しないでちょうだい。それとも、一緒に食べましょうか?」

「お断りですわ。胃界の聖女、貴女の救済などに付き合ってなどいられません」

「そう……つれないわねえ!」

 

 半裸の女が小刀を振るうと、小さな赤い光の粒が幼女に殺到した。

 幼女は強力な障壁を何重にも展開して身を守るが、小さな赤い粒が一つだけ障壁を突破する。

 横島は咄嗟に『天秤』で赤い粒を切って、幼女を守った。

 

「あら、あらあらあら! 守っていただきましたわ。何というか……これは思った以上に」

 

 幼女は顔を赤くして体を恥ずかしそうに捻らせる。

 好きな人に守って貰えたという未知の感覚が心を擽った。

 

「タダオさん。手を貸してもらえるないでしょうか」

 

「……おお」

 

 幼女からの誘いに背筋に寒いものを感じるが、しかし胸は熱い。

 そんな不思議な感覚を味わいながらも、横島はどこか幼女に惹かれるものがあった。

 

「アセリア、俺達も手伝ったほうが」

「駄目。足を引っ張るだけだ。今は、ヨコシマの力が凄く上がっているみたい」

 

 アセリアがきっぱり言って、悠人は無力感にうなだれる。

 何にしても、この幼女と一緒なら勝てるかもしれない。

 希望を抱いた直後だった。全員が、ある方向を見た。

 赤黒い肉壁の向こう側に、何かいる。

 とてつもない、とほうもない、はてしない、なにかがいる。

 

「う……ああ」

「…………ん」

 

 悠人もアセリアも腰を抜かしている。

 根本的に抗ってはいけない存在がいると、神剣が、魂が、認識しているらしい。

 だが、どうしてか横島はその存在を脅威に感じなかった。力の差は太陽とミジンコ程あるというのに、何故か恐怖を感じない。

 

「当然ですわ。貴方はナルに浸食されませんから。実でも虚でもない……異なる者」

 

 無垢そのものといった笑みを幼女は浮かべる。

 その笑みに横島は言葉を失った。どこかで見たことがある笑みだが、何故か背筋が寒くなる。横島は幼女から引力と斥力の両方を感じていた。

 

「いつか、私と共に戦ってくれることを願いますわ」

 

 幼女は言って、横島の周囲に強力な神剣を何本も浮かばせる。

 同時に赤黒い世界が割れて、そこから力の奔流が流れ込んでくる。同時に、空間が割れて光の道が――――『門』が現れた。あれに入れば第二詰め所の元へ帰るだろう。

 まわりの永遠神剣達が力の本流を遮り、横島は『門』へとたどり着いた。

 

 問題は悠人達だ。

 あの光の道に乗らなければ帰れない。

 悠人とアセリアは本能的にそれを悟って必死に力の本流に逆らうが、それは嵐の中で羽をばたつかせる小鳥のようなものだ

 圧倒的な力の流れに悠人とアセリアは翻弄されて、徐々に光の道が離れていく。

 

「このままじゃ佳織に元へいけなく……くそ、くそ!!」

 

 必死に手を伸ばすが、光の道は遠ざかっていく。

 このままではもう二度と佳織に会えなくなる。

 絶望に落ちかけた悠人の手を、アセリアが握った。

 

「やっぱり、ユートの手はあったかい」

 

 のんきに言うアセリアを悠人は怒鳴ろうとしたが、彼女の顔を見て何もいえなくなった。

 

「ユートは、私が剣以外にも何か掴める……そう言ってくれたな。私は見つけた!」

 

 それは幸せの笑みだった。

 それは充足の笑みだった

 それは覚悟の笑みだった。

 

「だから、もう、十分。私は幸せだった」

 

 こんなにも透明な笑顔があるのだろうか。

 これほど清廉でまっすぐな瞳が他にあるのだろうか。

 

「待て! 止めろアセリア! ダメだ……ダメだ!!」

 

 何がダメなのか、悠人自身も分からない。

 だけど、とにかくダメだった。

 

「ん、大丈夫。私が私じゃなくなっても、ユートが幸せなら、それで良い」

 

「何だよそれは!」

 

「ん、ごめん」

 

 アセリアの永遠神剣『存在』が強く光り輝いて、彼女の白い羽が大きくなって悠人を包み込んでいく。

 圧倒的な力の本流に逆らいながら、光の道へ飛ぶ。

 

「さよなら」

 

 薄れゆく意識の中、悠人はアセリアの最後の声をきいた。

 

 

 

 

「起きられましたか、ユート様」

 

 次の瞬間、目の前にはほっとした表情のエスペリアがいた。ここ一年、使っているベッドが下にあった。

 あたりを見回すと、そこは慣れ親しんだ自室だ。ハイペリアではなく、ファンタズマゴリアの自室という意味であったが。

 

 ――――帰ってこられたんだ。

 

「良かった。戻られて……本当に良かった」

 

 エスペリアは涙ぐんですらいた。

 たかが一日連絡が取れなくなっただけで、随分と大げさと悠人は思った。

 

「ユート様。貴方がいなくなって、この世界ではもう一ヶ月も経とうとしていたんですよ。ヨコシマ様が言うには、時間の流れに違いがあったのだろうと」

 

 その可能性はあると思っていたが、どうやら当たったらしい。もし数日も過ごしていたらどうなっていた事か。

 悠人はほっと胸をなでおろしたが、最後に見たアセリアの表情が浮かんできて一気に背筋が寒くなる。

 

「アセリアは!? アセリアは戻ってきてるのか!?」

 

「はい。アセリアは戻ってきて。今は自室で休んでいます。怪我はありません」

 

 そう言って、エスペリアは悲しそうに顔を伏せた。

 

 なんでそんな顔をするんだよ。戻ってきたんだろ? またいつもの日常が始まるんだろ?

 

 悠人はいてもたってもいられず、ベッドから跳ね起きた。

 寝巻のまま、アセリアの部屋に向かう。

 そこに、アセリアはいた。

 

「あ、ああああ」

 

 悠人は絶望の声を絞り出す。

 アセリアは表情を、感情を、心を、失っていた。

 

 

 

 

 

 

「ここは、何だ?」

 

 一方、タキオスはどこぞの極楽な世界にたどり着いていた。

 

 

 


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